石畳の町で暮らすように泊まる。「さまのこハウス」にはこんな体験が待っていました

国の重要伝統的建造物群保存地区に泊まれる、高岡の「さまのこハウス」へ

石畳の道の格子造りの家。

高岡さまのこハウス

タイムスリップしたような格子戸の向こうには、昔ながらの町家と現代的な空間が入り混じる、不思議な宿体験が待っていました。

高岡さまのこハウス
高岡さまのこハウス手前の母屋棟
高岡さまのこハウス
高岡さまのこハウス

宿の名前は「さまのこハウス」。

高岡さまのこハウス

国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている古い町家暮らしを、快適に体験できる施設として昨年、オープンしたばかりです。

ものづくりの町・高岡がはじまった町

宿があるのは富山県高岡市金屋町。

全国の生産量の9割以上をしめる高岡の銅器づくりは、この金屋町が発祥です。

近くにある銅像
近くにある銅像

江戸時代からの繁栄を物語る500メートルもの石畳の道と格子造りの古い家並みは、数々の映画やテレビの舞台にもなってきました。

最近お店も増え、そぞろ歩きも楽しめる
最近お店も増え、そぞろ歩きも楽しめる

町の暮らしを体験してもらおうと、町の人たちが中心となって地域の空き家を活用して生まれたのが、さまのこハウスです。

さまのことは、千本格子の意味
さまのことは、千本格子の意味
手前には小さな公園があり、落ち着いた雰囲気
手前には小さな公園があり、落ち着いた雰囲気

どちらを選ぶ?新旧・和洋選べる過ごし方

移住体験ゲストハウスというコンセプトから、建物の中は昔の趣を残しながら快適に過ごせる工夫がこらされています。

もともと一般の民家だったという手前の母屋棟は和室が2部屋。ギャラリーとしての利用も可能だそう
もともと一般の民家だったという手前の母屋棟は和室が2部屋。ギャラリーとしての利用も可能だそう
母屋と新築棟をつなぐ中庭。夏はここでバーベキューもできるそう
母屋と新築棟をつなぐ中庭。夏はここでバーベキューもできるそう
新築棟のリビング。母屋と対照的に現代的な空間
新築棟のリビング。新築棟は母屋と対照的に現代的な空間
新築棟には1人用の洋室が2部屋ある
新築棟には1人用の洋室が2部屋ある
デザイナーズホテルのような浴室
デザイナーズホテルのような浴室
古いもの、新しいもの、和洋が入り混じる
古いもの、新しいもの、和洋が入り混じる

ゲストが自分で食事をつくれるようキッチンも充実。新築棟にはお子さん向けにおもちゃコーナーもあったりと、過ごしていると本当に「宿」というよりは「家」にいるような感覚を覚えます。

広々としたダイニングキッチン
広々としたダイニングキッチン
母屋棟は昔の意匠も見どころ
母屋棟は昔の意匠も見どころ
ほどよく外の気配を感じるすりガラス
ほどよく外の気配を感じるすりガラス
吊られている風鈴は高岡銅器製。地元のものづくりが風景に溶け込んでいる
吊られている風鈴は高岡銅器製。地元のものづくりが風景に溶け込んでいる

料金は部屋によってひとり一泊6500円〜7000円 (素泊まり/税別) 。ひとり旅にも便利ですが、もうひとつ嬉しいのが一棟貸し利用もできること。

家族で、あのメンバーで。季節を変えて。色々な絵が思い浮かびました。

高岡さまのこハウス
高岡さまのこハウス

ふらっと一人で来て泊まっても、大勢でわいわい貸し切っても。高岡の風景と一緒に、よい旅の思い出になりそうです。

<取材協力>
さまのこハウス
富山県高岡市金屋町3-10
0766-75-8128
https://www.facebook.com/samanokohouse/

文:尾島可奈子

食卓に小さな「違和感」を。瀬戸本業窯の豆皿が新生活におすすめな理由

「この日は脂の乗ったキンキの煮付けが馬の目皿に盛られて出てきた。馬の目皿と煮魚というこの組み合わせは本当に美しい。



あっさり炊かれた身をほぐして、煮汁に浸し、木の芽と共にいただく。春が駆け抜ける」

みんげいおくむら 奥村忍さん連載「わたしの一皿 瀬戸焼の本業を知る」より
みんげいおくむら 奥村忍さん連載「わたしの一皿 瀬戸焼の本業を知る」より

おいしそうな文と写真に、唾をのみ込んでから約1年後。

春と呼ぶにはまだ少し早い瀬戸で、この立派な「馬の目皿」の、小さな小さなミニチュア版が誕生する瞬間に、立ち会いました。

瀬戸本業窯の豆皿「馬の目皿」

料理家・土井善晴さんも愛用する「瀬戸本業窯」のうつわとは

うつわの作り手は日本を代表するやきもの産地・愛知県瀬戸市にある「瀬戸本業窯」さん。

瀬戸本業窯

平安からの歴史を持つ瀬戸の伝統的な陶器「本業焼」の系譜を、瀬戸で唯一、代々守り継いでいる窯元さんです。

うつわを実際に手に取って見ることが出来る併設のギャラリー
うつわを実際に手に取って見ることが出来る併設のギャラリー

「馬の目みたいだから馬の目皿。別名煮しめ皿とも言われるので、こんな風に煮付けしたら王道ですよね。でもカレーライスを盛り付けてもいいし、和でも洋でも何でも合うんです。

最近は料理家の土井善晴先生がよく使ってくださって、ありがたいですね」

そう話すのは瀬戸本業窯8代目の後継者、水野雄介さん。

水野雄介さん
水野雄介さん

家庭料理の第一人者からの信頼も厚い瀬戸本業窯のうつわ。その特徴は、800年もの時間が磨き上げてきた「丈夫さ」と「料理が映えるデザイン」です。

窯運営のカフェに並ぶ本業窯のうつわ
窯運営のカフェに並ぶ本業窯のうつわ

「鎌倉時代、日本でいち早く、釉薬をかけた陶器を作ったのが瀬戸です。

釉薬はガラス質です。土の表面そのままの無釉の焼きものに対して、釉薬が膜の役割を果たして、耐水性が生まれます。

これで、水を溜めたり、汁気のあるものも盛り付けられる。色の違う釉薬を合わせれば、美しい模様も描ける」

瀬戸本業窯 窯横カフェ

「まだ全国的に無釉のうつわしかなかった時代に、これは日本人の暮らしを変える大きな出来事だったと思います」

なぜいち早く瀬戸が、それを実現できたのか。

そのヒントが、昭和まで活躍していた瀬戸本業窯さんの登り窯にありました。窯の内壁は、なぜかたっぷり釉薬をかけたようにツルツルしています。

瀬戸市の指定文化財になっている登り窯。かつて複数の窯元で使っていた共同窯の一部を移築したもので、昭和まで現役で動いていました
瀬戸市の指定文化財になっている登り窯。かつて複数の窯元で使っていた共同窯の一部を移築したもので、昭和まで現役で動いていました
ツルツルの内壁
ツルツルの内壁

「これが日本初の施釉陶器を生んだ原点ですね。

瀬戸の土にはガラス分が多く含まれています。その養分を吸った赤松がこの一帯にはよく生えていて、やきものを焼く薪に使われてきました」

窯の温度を上げるために、薪を途中投入するための口。1250°という高温で焼くことで、丈夫なうつわになる
窯の温度を上げるために、薪を途中投入するための口。1250°という高温で焼くことで、丈夫なうつわになる

「灰になった薪のガラス分が、うつわや内壁に付いてツルリとなっていることに、昔の職人が気づいたんでしょう」

赤松の薪とツルツルの壁
赤松の薪とツルツルの壁

やがてうつわ先進国の中国朝鮮に本格的なノウハウを学びに行く職人も現れ、小さな発見が大きな産地の発展へと結びついていきました。

瀬戸本業窯では灰や籾殻を調合し釉薬を自分たちで手づくりする。灰を調合して作る灰釉から生まれるのは、瀬戸を代表する淡い黄色の「黄瀬戸」
瀬戸本業窯では灰や籾殻を調合し釉薬を自分たちで手づくりする。灰を調合して作る灰釉から生まれるのは、瀬戸を代表する淡い黄色の「黄瀬戸」
赤く見える釉薬は、灰釉に鉄を加えた鉄釉。うつわの茶色い部分のような色味になる。灰釉に銅を加えると、緑釉に。こうして色数が増えていった
赤く見える釉薬は、灰釉に鉄を加えた鉄釉。うつわの茶色い部分のような色味になる。灰釉に銅を加えると、緑釉に。こうして色数が増えていった

釉薬の種類が増えると、デザインも多彩に。冒頭の馬の目皿も、誕生の理由は日本の食卓を支えてきた一大産地らしいものでした。

もともと東海道沿いの宿やご飯どころ、庶民の家まで幅広く使われていたうつわだそう
もともと東海道沿いの宿やご飯どころ、庶民の家まで幅広く使われていたうつわだそう

プロダクトデザイナーがいない時代に、デザインはどうやって生まれたか?

「このデザインが残ってきたのは、早く描けるから。瀬戸は実用品を作ってきた産地なので、一個一個に手間をかけすぎるのはよくないんです。

描き始めたら最後までリズムよく描き切る。馬の目の絵付けをする職人は生涯、馬の目だけを描き続けます」

絵付けの現場にあった馬の目皿
絵付けの現場にあった馬の目皿

何百、何千、何万と作り続けるうちに洗練された職人の手さばきから、どんな料理にも馴染む、瀬戸独自のデザインが生まれてきました。

瀬戸本業窯の器とキンキの煮付け
みんげいおくむら 奥村忍さん連載「わたしの一皿 瀬戸焼の本業を知る」より

「でもこんなに小さい馬の目皿は、初めて作りましたね」

瀬戸本業窯の豆皿「馬の目皿」

瀬戸の伝統的なうつわ作りを継ぐ瀬戸本業窯の、250年の歴史で初めて誕生したのが、この小さな小さな豆皿サイズの馬の目皿です。

豆皿で、食卓に小さな「違和感」が生まれる

「今って食事の時にテーブルに並ぶうつわの数は、減ってきています。

一番ミニマムにしようと思えばワンプレートや丼もので完結できますよね。

そんな中で豆皿みたいな小さいうつわの役割といえば、醤油や薬味を入れたり、お漬物を載せたり。盛り付けられるものは、ちょっとです」

お漬物や、梅干しを添えたり
お漬物や、梅干しを添えたり

「でも、シンプルな食卓にこういう『ちょっと違うもの』を置くと、それだけで食卓の表情が変わります。うつわの高さや彩りに変化が出るので、目で楽しめるんです」

瀬戸本業窯の豆皿「馬の目皿」

「そういうものがひとつ入ってくると、場に『違和感』が出てくるんですよ。

そのひとつに合うように周りも変えていくと、だんだん食卓や部屋まるごと、変わっていくんです。

もし暮らしを変えたいと思っている人がいたら、こういう小さなものから始めていくと、いいと思いますよ」

瀬戸本業窯の豆皿

豆皿は、やきもの業界の尺度でいうと「3寸皿」。うつわの規格としては最小サイズの、直径わずか9センチです。

そんな「暮らしの小さな起爆剤」を、瀬戸本業窯さんは今年3種類、新たに手がけています。

先ほどの「馬の目皿」と、同じく瀬戸のやきものを語るには欠かせない「三彩」「黄瀬戸」です。

右から時計回りに「馬の目皿」「三彩」「黄瀬戸」
右から時計回りに「馬の目皿」「三彩」「黄瀬戸」

技術の高さの証「三彩」

瀬戸本業窯の豆皿「三彩」
瀬戸本業窯の豆皿「三彩」

「『三彩』は中国の『唐三彩』のうつわを元に生まれたデザインです。

もともとは低温で焼いて美しい色彩を出していたので、日常使いするほどの強度がない。

そこを瀬戸の職人が試行錯誤して生まれたのが、きれいな発色を保ちながら日常使いできる、丈夫な『三彩』のうつわです」

瀬戸本業窯の豆皿「三彩」

ごまかしが効かない「黄瀬戸」

最終的にはここに行き着くかな、と水野さんが語ったのが、無地の「黄瀬戸」。

瀬戸本業窯の豆皿「黄瀬戸」

「やっぱり職人としては、無地が極上、という気持ちがあります。

絶対にごまかしが効きませんからね。無地で『これは』と思うものができると、技術としてはある程度高いところまで、到達できているんだと思います」

瀬戸本業窯の豆皿「黄瀬戸」
瀬戸本業窯の豆皿「黄瀬戸」

もうひとつ無地で面白いのが、うつわの育ち具合がよくわかること。実際に30年の変化がわかるお皿を見せていただくと、その差は歴然でした。

右上から時計回りに、30年使い込む中での風合いの変化を表した見本
右上から時計回りに、30年使い込む中での風合いの変化を表した見本
新品と30年もの。その違いがよくわかります
新品と30年もの。その違いがよくわかります

「こういう小さなものをきっかけに、好きなうつわで大皿料理をわいわい囲むような食卓が増えていくのが、わたしの夢です」

と、水野さんが今回新たに豆皿づくりに取り組んだ想いを、明かしてくれました。

再び冒頭の記事から奥村さんのことばを借りれば、瀬戸本業窯のうつわは「育つうつわ」。

「家なら、家族の時間がそこにどんどん積み重ねられていく。こんなすてきなことはないだろう」

大きな変化も、暮らしの風景も、はじめは些細なことから生まれているのかもしれません。

春、新しい生活のスタートを、小さなうつわから始めてみては。

瀬戸本業窯の豆皿

<掲載商品>
瀬戸焼の豆皿 3寸 黄瀬戸
瀬戸焼の豆皿 3寸 馬の目
瀬戸焼の豆皿 3寸 三彩

<取材協力>
瀬戸本業窯
愛知県瀬戸市東町1-6
http://www.seto-hongyo.jp/

文:尾島可奈子
写真:奥村忍、尾島可奈子

すぐに売り切れる「サンドイッチかご」。創作竹芸とみながの竹かごが長持ちする理由

各地の取材で出会う暮らしの道具。作っている人や生まれる現場を知ると、自分も使ってみたくなります。

先日、取材で訪ねた鹿児島の竹細工専門店「創作竹芸とみなが」で、「サンドイッチかご」なる道具に出会いました。

ふたを開けた様子

竹林面積日本一の鹿児島県内で昔から作られてきた、ご当地かごのひとつです。

「中でも、サンドイッチかごは作るのが難しくてね。人気なんだけれど数が限られるから、すぐ売り切れちゃう」

教えてくれたのは、「創作竹芸とみなが」のご主人、富永容史 (とみなが・たかし) さん。

一体どんな風にこの愛らしいかごは生まれているのか。富永さんのご案内で、サンドイッチかごが生まれる現場を訪ねます。

ご当地かごがいっぱいの、富永さんのお店の様子はこちら:「まるで宝探し。好きなかごに出会える鹿児島の『創作竹芸とみなが』」

鹿児島で山を見たら竹林と思え?

富永さんの車で職人さんの工房に向かっていると、

「あれ、竹林ね」

高速道路わきの竹林

「ほらここも」

私にとってはただの景色だった高速道路わきの山から、富永さんは次々に竹林を見分けていきます。

さすが、竹林面積日本一の県。「山を見たら竹林と思え」と言っても過言ではないくらい、小一時間の道中に見かける山々には、竹が生えています。

目が慣れてくると、生えているのが竹であるのが段々わかってきます
目が慣れてくると、生えているのが竹であるのが段々わかってきます

ドライブの合間に、富永さんが竹の基礎知識を教えてくれました。

竹の「切り旬」

「生えて1年目の竹は絶対に使わないの。若いとすぐにしなびて製品にした後にもたないから。3〜5年経った竹が切り旬。6年以上経っても古すぎてだめだね」

ちなみに、もうすぐ旬を迎えるタケノコになる竹と、竹細工に使う竹は別もの。タケノコを栽培している山は土に肥料を与えているため、竹が育っても養分が多すぎて細工に使えないそうです。

「他にも、キロクタケハチという言葉が昔からあってね。『木は6月に、竹は8月に切りなさい』という先人の知恵なんです。旧暦だから今でいうと8月は10月あたりだね」

そんな竹の豆知識をあれこれと教わっているうちに、職人さんの工房に到着。一見すると普通のお家にしか見えません。

セカンドキャリアは竹かご職人

「竹かご作りは手間も時間もかかります。それだけを生業にしてる人は今はいないね。みんな定年後に作り方を覚えて、自宅でやっている人がほとんどです」

今日伺う島田洋司さんも、定年退職後に竹細工職人となったひとり。

1日の大半を過ごすという工房内。テレビが見やすい位置に作業台がセットされています
1日の大半を過ごすという工房内。テレビが見やすい位置に作業台がセットされています

富永さんが旗揚げに携わった鹿児島市の技術学校で竹細工の技術を習得し、職人デビューして11年を数えます。

「竹はまっすぐに生えるから、その繊維をきれいな直角に曲げて作る四角いかごは作るのが難しいのね。

特に蓋のあるものは、身と蓋がピタッと合わないといけないからサンドイッチかごはなかなかきれいに作れる人がいない。島田さんはそんな難しい角ものをきちっと作れる人です」

島田さん。富永さんが信頼を置く職人さんのひとりです
島田さん。富永さんが信頼を置く職人さんのひとりです

ご自宅の離れを活用しているという工房で、その手わざを見せていただきました。

軽くて丈夫で何より可愛い。サンドイッチかごができるまで

竹材の幅を揃える道具
竹材の幅を揃える道具
厚みを整えて‥‥
厚みを整えて‥‥
専用の台にセット。ろくろのように土台が回転します
専用の台にセット。ろくろのように土台が回転します
かごのサイズに合わせて角度を付けた竹ひごを、編んでいきます
かごのサイズに合わせて角度を付けた竹ひごを、編んでいきます
おもて、うらと流れるように編まれていきます
おもて、うらと流れるように編まれていきます

道具はどれも、島田さんが自分でカスタマイズしたものばかり。回転する作業台も、島田さんオリジナルだそうです。

「設計図は特にありません。材料の厚みなど基本的なことを教わったら、あとは自分でやりながら覚えていくだけですね」

作業の手を休めず何気なく答える島田さんに一番難しい工程を伺うと、

「節の出方を考えなきゃいけないところかな。編み目の内側に竹の節が当たるとぽきっと折れてしまうから、節が大体どの辺りに来るのか、編み始める前に考えておかなきゃなりません」

表面をよく見ると、節がおもて側に、揃って現れています
表面をよく見ると、節がおもて側に、揃って現れています

節をうまく避けて編むための秘密兵器も、島田さんは手作りしています。

島田さんオリジナルの定規。タテヨコの編み目が色で示されています。竹の節がここに当たらなければOK
島田さんオリジナルの定規。タテヨコの編み目が色で示されています。竹の節がここに当たらなければOK

何気なく編んでいるようで、こんな工夫がされていたとは。

かごの上部に、先ほどの定規と同じものがセットされています
かごの上部に、先ほどの定規と同じものがセットされています

「節がなければ随分楽だろうと思いますが、その分できたものに特徴がなくなってしまいますからね」

作業を見ていた富永さんが、帰りの車の中で語ります。

「竹細工は材料の段取りが8割。特にサンドイッチかごは竹の皮部分しか使わないの。身は全部捨てちゃうのね。

油抜き (ゆぬき。竹の余分な油を火や熱湯で抜く作業) をして、材料の幅や厚みを揃えたり、節の出具合を計算したり。

もうひとつ、私から職人さんにお願いしているのは、材料を切ったままの角ばった状態で使わず、必ず面取りをすること。それだけで手触り良く、表情が柔らかくなるからね」

鹿児島の竹細工を専門に商う立場として、富永さんは職人さんへのアドバイザー的役割も担っています。

「作業の様子を見ていると、うちの竹かごが長持ちする理由もよくわかる。長持ちすぎて売れないのが困りものなんだけどね。あ、あそこも竹山」

可愛らしいサンドイッチかごを生み出していたのは、オーバー60世代コンビのたっぷりの愛情と細やかな創意工夫。

手に乗せるととても軽いのですが、ちょっとやそっとのことではへこたれない丈夫さを感じます。鹿児島から持ち帰って、早速使ってみようと思います。

<取材協力>
創作竹芸とみなが
鹿児島県鹿児島市鷹師1-6-16
099-257-6652

文・写真:尾島可奈子
※こちらは、2018年3月6日の記事を再編集して公開しました。

日本のタイル発祥の地「瀬戸」は壁を見ながら歩くのが面白い

日本で最初にタイルが生まれた町・瀬戸

名古屋の中心街・栄から直通電車で30分。終点の尾張瀬戸駅に到着します。

陶磁器のうつわ全般を指して「瀬戸物」という言葉があるほど、日本を代表する焼きもの産地、瀬戸。日本で最初のタイルが生まれた土地でもあるそうです。

後ほど登場する、ある場所の古いタイル
後ほど登場する、ある場所の古いタイル

そんな焼きものの町・瀬戸は、実は壁を見ながら町を歩くのが面白い。

窯垣の小径

美しいタイルに美味しい喫茶、そしてうつわとの出会いも楽しめる「壁めぐり」ルートを見つけたのでご紹介します。

タイルをたどって町歩き

駅のそばを流れる川沿いは、うつわを売るお店が立ち並びます。

瀬戸焼の歴史がわかる「瀬戸蔵ミュージアム」に差し掛かったあたりでちょっと南へ、住宅街に入っていくと‥‥

瀬戸本業窯
瀬戸本業窯
瀬戸本業窯

あちこちに、タイルや焼きものの町らしい風景が。

屋根についているものや
屋根についているものや
タイルではないけれど、焼きものをあしらったユニークな門柱も
タイルではないけれど、焼きものをあしらったユニークな門柱も
足元にもタイル
足元にもタイル
時々こんな焼きものの層?のようなものも
時々こんな焼きものの層?のようなものも

ゆるやかに南下しながらさらに東へ歩いていくと、今日の目玉のひとつの「入口」に到着しました。

斜面に、何かがずらりと
斜面に、何かがずらりと
脇の階段を登って、横から見るとこんな感じ
脇の階段を登って、横から見るとこんな感じ
階段を登りきると、こんな道が
階段を登りきると、こんな道が

全国で瀬戸にしかない風景、「窯垣の小径」を散策

ここは「あるもの」で作られた垣根の道が続く「窯垣の小径」。

窯垣の小径

ずっと続く垣根は、実はうつわを焼く際に窯で使用する「窯道具」が積み重なって出来ています。全国でも瀬戸でしか見られない景色だそう。

窯垣の小径
窯垣の小径
窯垣の小径

デザインとしてではなく、どうやら必要があって生まれた垣根のようなのですが、一体、なぜ?

不思議に思いつつも奥へ奥へと進むと、こんな資料がありました。

窯垣の小径資料館
窯垣の小径資料館
展示室にはタイルがずらり!
展示室にはタイルがずらり!
青が鮮やかです
青が鮮やかです
デザインも様々
デザインも様々
古い瀬戸のうつわも
古い瀬戸のうつわも
タイル敷きのお風呂も!
タイル敷きのお風呂も!

かつてはこの通りが、一帯の窯元さんから出来上がったうつわを運ぶメインストリート。

窯垣の小径

現在でも道沿いには窯元さんの家が並んでいるそうで、家々の壁も目を楽しませます。

窯垣の小径
窯垣の小径
こんな意匠を凝らした壁も
こんな意匠を凝らした壁も

景色を楽しむうちに、そろそろ小径も終着点。

この近くにもう一つ、ぜひ訪ねておきたいところがあります。

それが瀬戸の古くからの焼きものの系譜を継ぎ、タイルの歴史も知る「瀬戸本業窯」さん。

瀬戸本業窯

土日祝日に開く資料館ではなんと、日本で初めて作られたタイルと、タイル製便器の復刻版を見ることができます!

日本で初めて作られたタイルはこんな姿

瀬戸本業窯さんの資料館。土日祝のみ開館する
瀬戸本業窯さんの資料館。土日祝のみ開館する
これが日本の初期のタイル!
これが日本の初期のタイル!
そしてこれが日本のタイルを使った初期の便器
そしてこれが日本のタイルを使った初期の便器

「でもこういうタイル、初めて見たんじゃないでしょうか。知らないのが当然で、これはもともと明治の頃に、輸出品として作られたんです」

そう説明してくれたのは水野雄介さん。瀬戸本業窯8代目の後継者です。

水野雄介さん
水野雄介さん

「この間タイに行ったらお寺で同じタイルを見つけてびっくりしました。東南アジアは貿易の中継地でしたから、その流れで使われていたのでしょうね」

このタイルは「本業タイル」と呼ばれ、かつてはこの地域一帯で「本業焼」を焼く複数の窯元で一緒に作っていたそうです。

そもそも、本業焼とは?

瀬戸は陶器・磁器両方が生産されてきた土地。

江戸後期から始まった磁器づくりに対し、平安の頃から始まっていたという古くからの陶器づくりは「本業焼」と呼ばれてきました。

本業タイルは、その本業焼の技術を駆使して生み出されたもの。

しかし現在、昔からの本業焼の系譜を受け継いでいるのは瀬戸で瀬戸本業窯さん1軒のみ。そのまま焼きものの名前を窯元名として受け継いでいます。

ギャラリーでは、伝統ある瀬戸本業焼を実際に手に取って見ることが出来る
ギャラリーでは、伝統ある瀬戸本業焼を実際に手に取って見ることが出来る
瀬戸本業窯

瀬戸のものづくりの原点とも言える本業焼。

産地全体の生産量は磁器やセラミックが圧倒的な中、実際に本業焼のうつわを使うシーンに触れて欲しいと、水野さんが工房のそばで始めたのが「窯横カフェ」です。

窯横カフェ

たっぷり歩いて、これは一息つくのにぴったり。早速お邪魔することにしました。

窯のすぐ横、「窯横カフェ」

食器棚には本業焼のうつわがずらり
食器棚には本業焼のうつわがずらり
こんな湯のみサイズや
こんな湯のみサイズや
たっぷり料理を盛り付けられそうな大皿も
たっぷり料理を盛り付けられそうな大皿も
こんなかわいらしい箸置きもありました
こんなかわいらしい箸置きもありました
「東海地方の一番いいものを最初に素手で触っていただきたい」と、おしぼりは美濃和紙で作られたもの
「東海地方の一番いいものを最初に素手で触っていただきたい」と、おしぼりは美濃和紙で作られたもの

おすすめをと頼んで運ばれてきたのが、みつ豆と三河「わ紅茶」のセット。

「わ紅茶」やみつ豆のベースに使われている緑茶は、どちらも徳川家康を生んだ愛知県岡崎市の無農薬のお茶を使っているそう
「わ紅茶」やみつ豆のベースに使われている緑茶は、どちらも徳川家康を生んだ愛知県岡崎市の無農薬のお茶を使っているそう
瀬戸本業窯 窯横カフェ

「みつ豆は、瀬戸の風景を見立ててあるんですよ」

瀬戸本業窯 窯横カフェ

そう、実は先ほど歩いてきた窯垣の小径が、いく層にも素材を重ねたみつ豆で再現されているのです。これはよい旅の思い出。

さっき歩いてきた小径の窯垣
さっき歩いてきた小径の窯垣

ところでカフェの名前は「窯横カフェ」。由来はズバリ、そばにある立派な登り窯です。

窯横カフェと登り窯
瀬戸市の指定文化財になっている登り窯。かつて瀬戸本業窯を焼く窯元で共同で使われていた一部を移築したもので、昭和まで現役で動いていました
瀬戸市の指定文化財になっている登り窯。かつて瀬戸本業窯を焼く窯元で共同で使われていた一部を移築したもので、昭和まで現役で動いていました

ここに、先ほどの「窯垣の小径」が生まれた理由が見つかりました。

瀬戸にしかない「壁」が生まれた理由

「登り窯の一つひとつの穴は、人が入れるくらいの高さがあります。

広い空間に焼きものをいっぱい入れるために使うのが、こういう円柱や、板。これが窯道具です。組み立ててその上に焼きものを載せていくんです」

瀬戸本業窯
円柱を置いたところだけ焼けずに白くなっている
円柱を置いたところだけ焼けずに白くなっている

「茶碗や皿は一回焼けば焼き上がりますが、窯道具は何回も再利用します。

次第に歪んできたり割れちゃったりで使えなくなるけれども、そのままでは大きくてかさばるので、さてこれはどうしようと、昔の人が注目したのが石垣でした」

窯垣の小径

「登り窯というのは斜面を利用して作りますから、何より土砂崩れがこわい。それを防ぐための石垣として、石の代わりにこうした窯道具の廃材を利用したんです。

もともと瀬戸のあちこちにそうした石垣があったんですよ」

小径のまわりにはこんな活用方法も
小径のまわりにはこんな活用方法も
窯垣の小径
ちなみに、小径で見たこの大きな筒状のものは、商品が焼成中に傷つかないよう、中に壺などを入れて一緒に焼くための道具だそう
ちなみに、小径で見たこの大きな筒状のものは、商品が焼成中に傷つかないよう、中に壺などを入れて一緒に焼くための道具だそう
こんな風な使い方も
こんな風な使い方も

しかし、現代の建築基準では新たに作ることができず、時代の流れとともに窯垣は姿を消していきました。

そこで7代目である水野さんのお父さんが地域に働きかけ、残すべき景観として条例で保護されるように。

現在では瀬戸に600箇所ほどの窯垣が残されているそうです。先ほど歩いてきた小径は、その最大規模のものでした。

「この登り窯は、薪を入れる口が3つ、ひとつの空間は背の高さ。これは全国的にも大きいサイズで、まず見かけません」

薪を入れる口部分
薪を入れる口部分

「それだけたくさん焼く必要があるくらい、瀬戸に焼きものの需要があったということなんですね。

瀬戸がタイル発祥の地になったのも、焼きものにとって大事な『あること』を日本で最初にやった土地だからなんです。

そのお話は登り窯の中に入るとわかります。さぁどうぞ」

この登り窯、まだまだ物語がありそう。次回は瀬戸本業窯さんの、実際のものづくりのお話に迫ります。

瀬戸本業窯

<取材協力>
瀬戸本業窯
愛知県瀬戸市東町1-6
http://www.seto-hongyo.jp/

文・写真:尾島可奈子

<関連商品>

瀬戸焼の小鉢
瀬戸焼の平皿

本物の菓子木型で楽しむ、和三盆づくりを体験

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

ここのところ和食と並んでその美味しさ、美しさが見直されてきている和菓子。あわせてお干菓子や練り切りの型抜きに使う菓子木型も、その造形の美しさから人気を集めています。

今、菓子木型を作る職人さんは全国でも数人。前回はそのうちの一人、四国・九州では唯一の職人である市原吉博さんの工房を香川県高松市に訪ねました。

その市原さんから「菓子木型が実際にどんなふうに使われているか、ぜひ見て来て下さい」と見送られて向かうのは、工房から歩いてすぐの「豆花(まめはな)」さん。市原さんの娘さんがオープンさせた、木型を使った和三盆づくりの教室を訪ねます。

いざ、人生初の和菓子作り

市原さんの菓子木型を使って和三盆体験ができる「豆花」さん。運営するのは市原さんの娘さん、上原あゆみさんです。

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小さな看板を頼りに教室の開かれる一軒家の中に入ると、緑色の照明、白壁にはたくさんのオブジェ。外からは想像もつかない、アート作品のような空間が広がっていました。

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「すごいでしょう。内装は高松市出身のカミイケタクヤさんという作家さんに作ってもらったんです」

和三盆体験ができる豆花さんがこの場所にオープンしたのは2008年。それ以来、家族連れやカップル、自由研究の小学生まで幅広い年齢、バックグラウンドの人が和三盆や練り切り体験をここでしてきました。

「旅行の方だと20〜30代の女性が多いかな。地元の方が、県外の友達が来た時に連れて来てくれることも多いですね。和三盆は香川らしいものだし、自分で作って持って帰れて、見た目もキレイで日持ちもするし。こんなにいいものはないですよ。じゃあ、さっそくやってみましょう」

豆花オーナーで市原さんの娘さんである上原あゆみさん。
豆花オーナーで市原さんの娘さんである上原あゆみさん。

今日体験するのは木型を使った和三盆のお干菓子づくり。他に練り切り体験もできるそうです。図案は10種類。桜や猫、鯛、オリーブと、季節の物から生き物、縁起ものまで様々です。気に入った柄を3つ、生地につける色を一色選んで、いよいよ体験スタートです。

左からオリーブ、ツル、わらび、ネコ、うずまき、打ち出の小槌、コアラ、桜、貝づくし。
左からオリーブ、ツル、わらび、ネコ、うずまき、打ち出の小槌、コアラ、桜、貝づくし。

色を和三盆の粉につけたら、均一に染まるようしっかり3分ほど混ぜていきます。
色を和三盆の粉につけたら、均一に染まるようしっかり3分ほど混ぜていきます。

裏ごしして粒子を細かくしたら、いよいよ型に詰めていく作業。押しても面が凹まないくらいまでしっかり押すと、キレイに仕上がるそうです。
裏ごしして粒子を細かくしたら、いよいよ型に詰めていく作業。押しても面が凹まないくらいまでしっかり押すと、キレイに仕上がるそうです。

表面の余分な粉をヘラでこそげ落としたら、型の周りをコンコンコンとヘラで叩いて、上板を外すと…
表面の余分な粉をヘラでこそげ落としたら、型の周りをコンコンコンとヘラで叩いて、上板を外すと…

コロン!型を返すと、出来たてほやほや、羽を休めるツルが姿をあらわしました!
コロン!型を返すと、出来たてほやほや、羽を休めるツルが姿をあらわしました!

「細かな模様までしっかり出るでしょう。普通の砂糖と違って和三盆はキメが細かいから繊細な表現ができるんです」

完成したお干菓子は1,2個を上原さんが点ててくださるお抹茶と一緒にいただいて、残りは小さな箱に詰めて持ちかえることができます。手作りでも1ヶ月くらいは持つそうです。

上原さんが点ててくださるお抹茶と一緒にいただきます。ほろりと優しい甘み。自分で作った味はまた格別です。
上原さんが点ててくださるお抹茶と一緒にいただきます。ほろりと優しい甘み。自分で作った味はまた格別です。

お土産用の小箱。持ち帰ってまた開けるのが楽しみです。
お土産用の小箱。持ち帰ってまた開けるのが楽しみです。

大人も子どもも未体験

ここまで1時間ほど。一緒に体験した女子大学生の2人は、このあと小豆島に行くと言って急ピッチで体験を終え、楽しそうに次の目的地へ旅立って行きました。一緒に作りながら聞いたところでは、こちらに来てからこの体験を知って、前日に急きょ申し込んだそう。

「最近体験ブームでしょう。和三盆というよりも『香川・体験』で検索して来られる方がすごく増えているんですよ。高松は城下町だったので、古くからある優れた工芸品がたくさんあって、体験できるものづくりも多い。文化的には特殊な街ですね。ただ、細かな工芸品の体験って小さい子は難しいでしょう。その点和三盆は小さい子もできるから、三世代で来てくださったりもします。うちは見学だけの参加はお断りしているんですよ。来た方には全員体験してもらいます。付き添いのつもりで来たお父さんも、やりだしたら一番楽しんでいる、というパターンが多いですね」

体験は自分で木型を選ぶところからスタート。「どれにしようかな」と自然に会話もはずみます。
体験は自分で木型を選ぶところからスタート。「どれにしようかな」と自然に会話もはずみます。

付き添いのつもりだったお父さんまでいつの間にか夢中になれるのは、「大人も子どももみんな経験したことがなくて、やってみると簡単にできる」ことが大きいと上原さんは話します。

「木型って普段は博物館でガラス越しに見るもので、触ることもできないでしょう。でも、木型のへこんでいるところが立体の和菓子になるのを見ると全然違うんです。ガラス越しだけではあまりにもったいない。ですが、木型は買おうとすると高額です。子どもたちが触れる機会はなかなかありません。それで、気軽に参加できるワークショップ形式にして、地元の子ども達に『地元にこんなにいいものがあるんだよ』と知ってもらいたくて始めました」

実は上原さん、教室を開く前はなんとケーキ屋さんに勤めていたそうです。

元パティシエが和菓子を好きになった日

「木型職人の家に生まれながら、木型でどうやって和菓子を作るかも知りませんでした。もともとはずっとケーキ屋さんで洋菓子を作っていて、和菓子は和菓子屋さんが作るもの、という頭があって。身近なはずなのにどこか遠い存在だったんですね」

その距離が大きく縮まったのは、2007年ごろのこと。当時人気だったNTTドコモのキャラクター「ドコモダケ」をモチーフに世界各国のアーティストが作品を発表する「ドコモダケアート展」に、市原さんが「ドコモダケ」を象った菓子木型を提供。和菓子職人が木型を使ってその場で和菓子をつくるパフォーマンスに、黒山の人だかりができていました。木型から和菓子が生まれるごとにお客さんから歓声があがるその光景を、参加者の家族として来ていた上原さんは目の当たりにしたそうです。

「自分にとっては当たり前にあった木型を、みんな珍しそうにしている。家に帰って試しに砂糖を買って自分で作ってみたら、自分でもできたんです。固いイメージがあった和三盆も、食べてみたらとっても柔らかくて、美味しくて。『これは、しないといけないな』と思いました(笑)」

未だにあの感動は忘れられない、と上原さんは目を細めます。

「この木型だって、見れば作る前から貝ってわかるでしょう。でも、和三盆を詰めてコロン、と出てきた時の驚きはつねに新鮮です。毎日同じことをとやり続けているけれど、パッと桜のお干菓子が出たらやっぱりキレイだなと思うんですよね。もう飽きたなと思ったことは一回もないです。それよりももっと、キレイに作りたいなと思う」

「体験しに行く」から、「その人に会いに行く」へ

「父は木型職人なので和菓子は作れません。私は木型は彫れませんが和菓子を作ることができます。だからこれからは、父と私だからこそできることをやっていこうかなと思っています。今考えているのは、私が父の菓子木型を使った和菓子作家になること。ものよりも結局は人です。ただ体験に来るだけでなく、どんな人が作っているのかな、会いに行きたいな、体験もしたいな、そう思ってもらえる人になりたい。自分のやっていることの価値を高めていければ、菓子木型がもっと生きてくるかなと思うんです」

木型のことを語る上原さんは、本当に目がキラキラとしています。

「父はよく、全国に菓子木型を愛好する『木型ガール』がたくさんいて、という話をするのですが、いやここに一番の木型ガールがおるだろう、と。私ほど木型を愛してやまない人は世界にいないだろうといつも思うんですよ(笑)。それはね、もう親子だからっていうんじゃないんです。私にしたら菓子木型はコミュニケーションツールなんです。和菓子を作る道具以上の、初対面の人どうしの会話のきっかけにもなるような。だから婚活パーティーにも呼ばれたりします。かなりカップル率があがるみたいなんですよ(笑)初めて見るものを、一緒に作って一緒に食べるって、いい体験でしょう。これに変えられるものが他になにかあります?(笑)」

和三盆体験を終えてもう一度市原さんを訪ねると、「これから生き残れるのは営業力のある職人やと思う」とポツリと語られました。

素晴らしい菓子木型を作りながら「ザ・職人」のイメージすら覆す市原さんのユーモアある会話や振る舞いは、「またこの人に作ってもらいたい」と思わせる、市原さん流のおもてなし。来た依頼をとことん引き受けて、技術と少しのユーモアで返していくのは、依頼先として選ばれ続けるための覚悟のように思えます。その姿が、「会いに行きたいな、と思ってもらえる存在に」と話す上原さんの志と、重なりました。

腕が立って饒舌な菓子木型の職人さんに、世界一菓子木型を愛する未来の和菓子作家さんの体験教室。また、会いに来ようと思いました。

奥は木型を元に上原さんが作った練り切り。
奥は木型を元に上原さんが作った練り切り。

( 前編、菓子木型職人の市原吉博さんのお話はこちら )

木型工房 有限会社市原
香川県高松市花園町1-7-30
087-831-3712
https://www.kashikigata.com/
*事前に申し込めばショールームの見学が可能

和三盆体験ルーム 豆花
香川県高松市花園町1-9-13
TEL:087-831-3712
https://www.mamehana-kasikigata.com/
*事前予約制

文・写真:尾島可奈子

※こちらは、2017年4月20日の記事を再編集して公開しました。

指名買いする全国の「ご当地和菓子」特集。旅先で教わった6つの楽しみ方

旅先での休憩やお土産に、嬉しいのはやっぱり甘いもの。

ケーキや洋菓子も好きですが、たまにはしっとり、その土地らしい和菓子を旅のおともに。

編集部が取材先で出会ったおすすめと、和菓子を美味しく味わうためのコツをご紹介します。

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<プロに教わる>
日本のおやつ職人・まっちんと行く、京都の厳選あんこ菓子巡り

まっちん

元中川政七商店バイヤーの細萱久美が、その道のプロとめぐるあれこれ。

「まずは長きに渡る友人でもあり、仕事でもお世話になっている『まっちん』こと、町野仁英(まちのきみひで)さんが認める『和菓子』は如何に、ということで京都を一日食べ歩きして『これ』と言う逸品を探すことにしました」

→記事を見る

産地:京都

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<和菓子の本場に行ってみる>
和菓子でめぐる出雲・松江

出雲松江の和菓子

松江は、京都や金沢と並ぶ日本三大菓子処のひとつ。出雲は「ぜんざい」発祥の地だと言われています。

今日は歴史をなぞりながら、和菓子と土地の美味しい関係を覗いてみましょう。

→記事を見る

産地:出雲・松江

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<食べ方も楽しんで>
くるりと糸で切っていただく、北海道秘伝の甘味。

北海道の銘菓「五勝手屋羊かん」

旅先で見つけた美味しそうなお菓子。本格的なお菓子の味はそのままで、小さなサイズのものがあるといいのにな、と私はよく思います。しかも、パッケージも素敵だとなお嬉しい。

そんな想いを知ってか知らずか、嬉しいサイズのお菓子を見つけました。

→記事を見る

産地:函館

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<季節を味わう>

雪やこんこ。雪降る季節に楽しみたい、冬の特別な和菓子

冬の和菓子

日本人は古来から、雪の美しさを工芸やお菓子でも表現してきました。

今日は、家でぬくぬくしながら楽しめる冬景色、もうまもなく去ろうとしている冬ならではの「雪をモチーフにした和菓子」をご紹介します。

→記事を見る

産地:金沢ほか

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<菓子木型で、手作りにチャレンジ>

伝統の菓子木型を使って、自分で作る和菓子体験

菓子木型

今、菓子木型を作る職人さんは全国でも数人。そのうちの一人、四国・九州では唯一の職人である市原吉博さんのすすめで、市原さんの工房から歩いてすぐの「豆花(まめはな)」さんへ。

市原さんの娘さんがオープンさせた、木型を使った和三盆づくりの教室を訪ねます。

→記事を見る

産地:高松

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<カウンター席で、出来立てを堪能>

樫舎の菓子こよみ

樫舎のカウンター席

古都奈良で絶品のお菓子を提供する「萬御菓子誂處 樫舎(かしや)」。

こちらでは、ご主人の喜多さんがつくりあげるお菓子を目の前のカウンター席でいただくことができます。季節や気候に合わせて、食べごろの素材を使ったさまざまな食感の和菓子。その和菓子にのせられた歳時記をお届けします。

→記事を見る

産地:奈良

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気になった記事はありましたか?見ているうちに、口の中が甘ーくなってきました。はやく食べたい。

今度の旅も、美味しい出会いがありますように。