沖縄のおいしいが大集合。まーさんマルシェには沖縄の食の未来がある

こんにちは。沖縄在住で、テレビのフリーディレクターをしている土江真樹子です。

番組制作だけでなく、工芸やファッションブランドのディレクションも手がけていますが、沖縄は今、食が熱い。

おいしさだけでなく、食の安心や土地のことを想う作り手、お店が続々と現れています。そんな「おいしい」のうねりは、沖縄の作家さんが作るうつわにも影響を与えているように思えます。

今回は、そんな沖縄の食の「今」がわかる「まーさんマルシェ」をご紹介します。

沖縄にしかない食イベント、まーさんマルシェとは?

那覇市の中心、久茂地にあるデパートリウボウ (パレット久茂地) の1階広場で不定期に開かれる無農薬、遺伝子組み替えなし、無添加の食材と食のマルシェ。沖縄ならではの食材や野菜もたくさん並ぶユニークなイベントが、「まーさんマルシェ」です。

開催地であるデパートリウボウがあるのは、人通りも多い那覇市の中心地
開催地であるデパートリウボウがあるのは、人通りも多い那覇市の中心地
沖縄、まーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ
沖縄、まーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ

「まーさん」とは沖縄の言葉で「おいしい」。

その名の通り、イベントにはおいしくて体に良いものが満載です。今回は生産者さんと店舗、30軒が参加していました。

沖縄のまーさんマルシェ

うりずんの恵みをいただきに

今回の開催はうりずん(初夏の爽やかな季節)の季節。まさにうりずんの恵みをいただくちょうどいい機会です。

まずは大好きな「島バナナ」。小ぶりでちょっと甘酸っぱい島バナナは熟れて皮が薄くなると甘さが増すんです。ハルサー(農家)さんオススメ、濃厚な南国の味!

沖縄のまーさんマルシェ、島バナナ
沖縄のまーさんマルシェ、島バナナ
手に持つとこんなに小ぶり

そのそばで、次々と買い物客が買っていくジャムを見つけました!沖縄本島の北端、国頭村の森岡いちご農園のジャムです。

沖縄のまーさんマルシェ、国頭村の森岡いちご農園のジャム

「露地栽培で無農薬です。生で食べる季節は過ぎたからジャムで楽しんでもらおうと思って」

試食させてもらうとジューシーでまろやかな甘さで、飛ぶように売れていくのも納得です。

さて、うりずんの季節といえど気温はうなぎのぼり。

こんな日にはきび糖と黒糖のやさしい甘さ、しかもカロリー控えめが魅力の「うるまジェラート」に直行です。

沖縄のまーさんマルシェ、うるまジェラート
味は10種類以上。どれもおいしそうで悩んでしまいます

選んだのは沖縄産の紅茶ジェラート。沖縄紅茶に濃いめの県産牛乳、両者を引き立てるのはミネラル豊富なうるま市の天然塩なんだそう。しっかりした紅茶の香りと味、食物本来のおいしさが口の中に広がります。

沖縄のまーさんマルシェ、うるまジェラート

喉が渇いたら、ぜひコーヒーを。

実は最近沖縄ではコーヒーがすごいんです。コーヒー栽培には向かないと言われていた沖縄で、厳しい亜熱帯の気候に寄り添い、闘いながらのコーヒー栽培が行われています。

中には国際審査で日本初のスペシャルティコーヒーに認定された生産者さんもいるほど。残念ながらまだどこも生産量が少ないのですが、将来100%沖縄産のコーヒーが店頭に並ぶ日も近いはずです。

沖縄のまーさんマルシェ、KIZAHA COFFEE
KIZAHA COFFEE

土地の食材を、新しい料理に、手土産に

ちょっと珍しいサンドイッチを発見。その名も「タピオカサンドイッチ」。

沖縄のまーさんマルシェ、タピオカサンドイッチ

タピオカのサンドイッチって?と不思議そうにしていると、「リマタピオカサンド店」のリマ・セイジさんが「タピオカはキャッサバ芋のデンプン。水を少し加えた粉を焼いて生地を作るからグルテンフリーでさっぱりしてるでしょ」と教えてくれました。

沖縄のまーさんマルシェ、タピオカフムスサンドイッチ

カリカリとした生地の中にレタスなど野菜がいっぱい。そこにひよこ豆のペーストがもっちりとした弾力で、初めての食感と味は驚きがいっぱいです。

まだまだあります。次は、ぜひ持ち帰りたい手土産を。

沖縄のまーさんマルシェ、「特産離島便」

ずらりと並ぶ小さなガラスの容器は、「特産離島便」。沖縄の特産食材を使った手作りのおいしい加工品が瓶詰めされています。

石垣島などの離島には独自の食材を使ったものが色々あるのですが、輸送コストがかかる上に生産者が個人の場合が多く、販路拡大という課題を抱えています。そんなおいしい良いものをひとつのブランドとして売り出したのが「特産離島便」です。

沖縄のまーさんマルシェ、「特産離島便」
アーサつくだ煮、かちゅー汁の素など、同じパッケージで違う味が楽しめます

お土産として手渡すと「これ何?どうやって使うの?」と話も盛り上がり、リピーターになる人続出という、わたしの愛用お土産のひとつなんです。「次もシークヮーサーこしょうお願いね」「今度は生七味で」と、プレゼントした人から嬉しいリクエストも。

まーさんマルシェの立役者、浮島ガーデン

そしてまーさんマルシェを語るのに欠かせないお店があります。沖縄でヴィーガンといえば、の「浮島ガーデン」。

沖縄県産の有機無農薬野菜にこだわった食事で「ヴィーガン、オーガニックはおいしくない」というイメージを見事に覆した人気店です。オーナーの中曽根勇一郎さんオススメは「高キビバーガー」。

一見シンプルなバーガーに見えますが‥‥
一見シンプルなバーガーに見えますが‥‥

畑のひき肉と呼ばれる高キビは食感も味もお肉そのもの。ヴィーガンならずとも納得のおいしさに人気なのだとか。

実は、島である沖縄は食物自給率が低く、昔から栽培されていた穀物も今では忘れ去られようとしています。高キビもそのひとつ。

そこで浮島ガーデンでは8年前から穀物栽培に乗り出し、絶滅寸前の穀物復活と普及に力を入れています。

全て自分たちでやっているため相当な労力と時間がかかりますが、それでも安心安全、心も体も喜ぶ食を目指す姿勢が、料理の一品一品によく現れています。

沖縄のまーさんマルシェ
浮島ガーデンのテント

「ハルサーさんたちは不便な地域で生産している場合が多い。そんなハルサーさんたちのおいしく高品質な農作物を知ってもらうことで、食のあり方も変わっていくはず」と中曽根さんは話していました。

浮島ガーデンオーナーの中曽根勇一郎さん
オーナーの中曽根勇一郎さん

実は、そんな思いから浮島ガーデンが毎月店内で始めた「ハルサーマーケット」が、まーさんマルシェの始まり。

そこにフードディレクターの小川弘純さんが加わり、デパートリウボウのコンセプトの1つである「からだに良いもの」を体現しようとマルシェをプロデュース。

浮島ガーデンの中曽根勇一郎さん、直子さん夫婦がハルサーさんたちのオーガナイザーを引き受けて始まったのが「まーさんマルシェ」です。

まーさんマルシェプロデューサーの小川弘純さん
まーさんマルシェプロデューサーの小川弘純さん

「沖縄にはおいしいものや体にいいものがたくさんあるんです。けれど小規模であるためにその良さがなかなか発信できない。その点と点を繋いで線にしてブランド化して紹介していく。それがまーさんマルシェの役割でもあるんですね」と、小川さん。

特産離島便を説明してくれる小川さん

小川さんや中曽根さんの熱い思いが「まーさんマルシェ」を作り上げてきました。

食から沖縄を見る、まーさんマルシェ

ここは、出店するハルサーさんたちに野菜のことを尋ねたり、食べ物を紹介してもらったりする「生産者との会話」の場。

沖縄のまーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ

多くのハルサーさんやお店がやんばるなど都市部から遠いこともあり、沖縄在住のわたしでもなかなか足を運ぶことができないため、このように一堂に揃うマルシェは心踊る場。見たことがない野菜や果物、食事にワクワク幸せを感じる時間です。

沖縄ってこんなに食が豊かなんだと感じられるマルシェ。

次回は7月14日 (土) に開催が決まったそうです。真夏の開催とあって、涼しくなるような食べ物やメニューが満載とのこと。チャンスのある方はぜひ足を運んでみてください。

食材や食から沖縄をみる、感じる体験ができるはずです。

<取材協力>
まーさんマルシェ
沖縄県那覇市久茂地1−1−1 パレット久茂地1階広場
https://masan-marche.com
*次回開催:7月14日 (土)11:00〜18:00

土江真樹子 (つちえ・まきこ)
沖縄に住んで気づくと30年近く。元・琉球朝日放送報道部記者。放送ウーマン賞2002年。2006年からフリーランスディレクター。
「告発」、「メディアの敗北」 (QAB) 、「カンブリア宮殿〜一澤信三郎帆布〜」 (テレビ東京) など多数。
京都の唐紙の老舗「唐長」と沖縄のアロハブランド「PAIKAJI」のコラボシャツなどのディレクションも手がける。

文:土江真樹子
写真:武安弘毅

スニーカーでもパンプスでも「脱げない」フットカバー。プロサッカー選手も認める靴下メーカーの挑戦

季節は初夏。これからスニーカーやパンプスと合わせて活躍するのがフットカバーです。

ところがこの小さな靴下、足に合わないとすぐ靴の中で脱げてしまいます。駆け出した瞬間にするん、と外れてしまった苦い経験を持つ人も多いはず。

今日はそんな「脱げやすい」フットカバーを「脱げにくく」した、その名も「ぬげにくいくつした」の開発秘話です。

一体どのあたりが「ぬげにくい」のか?その秘密に迫ります
一体どのあたりが「ぬげにくい」のか?その秘密に迫ります

プロのサッカー選手も密かに愛用する靴下メーカー、キタイさんへ

脱げにくいフットカバー作りに挑んだのは、日本一の靴下産地・奈良に本社を構える株式会社キタイさん。

世界的なスポーツブランドの靴下も手がけ、日本のプロサッカー選手にもファンがいるというスポーツソックスのスペシャリストです。

「ぬげにくいくつした」開発のきっかけは、一緒に商品を開発した奈良の靴下ブランド「2&9 (にときゅう) 」デザイナーのある一言でした。キタイ代表の喜夛(きた)さんにお話を伺います。

フットカバーは、すぐ脱げる?

「うちのメインの商品は、スポーツ競技をする方が履くような運動用の靴下です。

サッカーから野球、ゴルフ、バトミントンまで、いろいろな企業さんのオーダーを受けて、競技タイプに合わせた靴下を作っています。

そうした中でフットカバーは、作る技術こそ持っていましたが、商品としては未だ開拓していなかったアイテムでした」

世界的なスポーツブランドの靴下も手がけるキタイさんの製造現場。整然と機械が並ぶ。
世界的なスポーツブランドの靴下も手がけるキタイさんの製造現場。整然と機械が並ぶ。

「2&9」のデザイナーさんに、ある日ほとんど縫い目のないフットカバーを作れる技術を紹介したんです。

興味を持ってくれたのですが、その時彼女が『フットカバーっていつもかかとが脱げてしまうんですよね』とお話されて。それじゃあ、もっと立体にしましょうか、と提案したんです」

ことも無げに語る喜夛さんですが、「もっと立体」とは一体、どういうことなのでしょうか?

ぬげにくさの秘密1:足の形にフィットさせる「超」立体成形

「一般的な靴下は、機械で筒状に生地を編んだ後、つま先部分を縫い合わせて靴下の形にします」

実際に工場で製造中だった靴下。つま先を綴じる前の状態
実際に工場で製造中だった靴下。つま先を綴じる前の状態
一般的な靴下は、こうしてつま先部分を別の機械で縫い合わせて完成する
一般的な靴下は、こうしてつま先部分を別の機械で縫い合わせて完成する

「それが最近は、縫わなくても立体的な靴下を作ることができる機械が登場しているんです。ちょうど手編みのように、ロボットが生地を袋状にしてくれるんですよ」

機械に糸とプログラムをセットするだけで、ほとんど完成した状態の靴下が出来上がる、ということですね!あんなこみ入った形をしているのに、不思議です。

「自動成形という技術なんですが、ちょうどその機械を導入して間もない頃でした。『ぬげにくいくつした』はその技術を活用した最初の商品開発だったんです」

これがほぼ完成形の靴下まで一台で作れる、自動成形の編み機。見るからに複雑な作り
これがほぼ完成形の靴下まで一台で作れる、自動成形の編み機。見るからに複雑な作り

この機械をいかに使いこなすかが、「ぬげにくいくつした」開発の最初の鍵でした。

靴下はこうやって作られる

「編み立ての機械って筒状になっていて、ちょうど洗濯機のように筒の部分が左右に回転することで、生地が編まれていきます」

機械を上から覗いたところ。中心の筒部分で靴下が編まれていく
機械を上から覗いたところ。中心の筒部分で靴下が編まれていく
筒の内側をよく見ると、針がびっしりと並んでいる。針の上下の動きと筒の左右の回転が連動して、生地が編まれていく仕組み。とても複雑です!
筒の内側をよく見ると、針がびっしりと並んでいる。針の上下の動きと筒の左右の回転が連動して、生地が編まれていく仕組み。とても複雑です!

「ただ1周ぐるっと編むだけでは、生地は寸胴な筒状にしかなりません。そこでプログラムを組んで、つま先やかかとなどの形に合わせて回転の幅を制御していくんです」

ここがキタイさんの腕の見せ所。人の足の形にどれだけフィットできるかは、プログラムの設計にかかっています。

図にして解説してくださる喜夛さん
図にして解説してくださる喜夛さん
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編み立て機の操作盤に差し込まれていたUSB。この中の設計図を読み取って靴下が編まれる
編み立て機の操作盤に差し込まれていたUSB。この中の設計図を読み取って靴下が編まれる
「ぬげにくいくつした」のプログラム画面。向かって左にパイル編みの図、右には機械への指示が細かく組まれている
「ぬげにくいくつした」のプログラム画面。向かって左にパイル編みの図、右には機械への指示が細かく組まれている

「このプログラムによって、足の凹凸にうまくフィットする靴下が出来上がります。かかとはちょうど、ゴルフボールのような形をイメージして作りました」

ぷくっと立体的なかかと部分。本当にゴルフボールが入りそうです
ぷくっと立体的なかかと部分。本当にゴルフボールが入りそうです

「『ぬげにくいくつした』は生地が足にしっかりフィットするよう機械の動きがとても複雑です。

1枚成形するのに普通の靴下では平均5分で済むところを、この靴下は15分かかります。非能率極まりない (笑) 。でも、そうすることで足の形にぴったり合う靴下になるんです」

ところが、これだけではまだ『ぬげにくいくつした』にはなりませんでした。

フットカバーが脱げてしまう原因が、他にもあると喜夛さんは言います。

ぬげにくさの秘密2:靴に負けないシリコンプリント

「全体に足を包むようなフィット感は作れました。けれど、それだけでは動いた時にかかと部分がはずれてしまう問題は解消しなかったんです」

動いた時に?一体なぜなのでしょう。

ぬげにくいくつした

「一般的に靴の中敷きは、足の動きについていけるよう滑りにくく作られています。

そうすると足を動かした時に、靴下はより滑りにくい靴の方にくっついて、肌から離れてしまう。これがフットカバーが脱げてしまう大きな原因のひとつです。

肌と靴下のフィット感が、靴下と靴のフィット感に負けてしまうんです」

なるほど!一歩歩いた瞬間に脱げてしまう原因がわかったような気がします。

「この問題を解決するために、靴下の内側にシリコンのプリントをおいてみました。

よく、スポーツソックスなどで足底に滑り止めのプリントがされているものがありますよね。あれを靴下の内側に施したんです。

そうすることで、肌にぴったりと吸いつくようなずれにくさが生まれました」

一般的な、外側に滑り止めのついたスポーツソックス
一般的な、外側に滑り止めのついたスポーツソックス
「ぬげにくいくつした」のかかと部分に施されたシリコンプリント。この部分が肌に密着し、靴の中でぬげてしまうのを防ぐ。
「ぬげにくいくつした」のかかと部分に施されたシリコンプリント。この部分が肌に密着し、靴の中でぬげてしまうのを防ぐ

長年のスポーツソックス作りのノウハウを生かした、まさにキタイさんらしい工夫です。

「内側にプリントするのは初めての試みでした。

外側の滑り止めは靴下が完成した後に表側にプリントすればいいのですが、内側に加工するには完成した靴下を一度ひっくり返して中にプリントしなければならない。

それをまた表に返さないといけないので、効率は正直よくありません。ですが、試着してもらったらこれが大好評だったんです。ふた手間増やすことで“動くと脱げる”問題を大きく解消できたんですね」

ぬげにくさの秘密3:タオルのような肌当たりの「部分パイル」

まだまだ尽きない、キタイさんの探究心と高い技術力。こんなところにも「ぬげにくい」工夫がされていました。

「女性はスニーカーだけでなく、パンプスなど底の硬い靴にもフットカバーを履きますよね。そこで衝撃を和らげるために、必要な部分だけタオルのようにパイル状にしました」

編まれているのは黒い靴下。右上部分をよく見ると、表面がフワフワのパイル状に切り替わっている。プログラムにより、微妙な針の上げ下げでパイル地が編まれていく
編まれているのは黒い靴下。右上部分をよく見ると、表面がフワフワのパイル状に切り替わっている。プログラムにより、微妙な針の上げ下げでパイル地が編まれていく

「全部をパイルにすると、生地が厚くなって靴下のサイズが変わってしまいますからね。ここにも、編み立て機のコンピュータ制御を駆使しています」

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「ぬげにくいくつした」誕生秘話

ここまで工夫をされていたら、思い切って「ぬげないくつした」と言ってしまってもいいような気もするのですが、控えめな商品名にはプロらしい理由がありました。

「実は最初、商品名として『ぬげないくつした』が候補に挙がっていたんです。

ですが、脱げにくさは靴と靴下と足のサイズがあっているかどうかもポイントです。大きめの靴下を履かれる方はどうしても脱げやすくなります。

一計を案じた結果『ぬげにくいくつした』という奥ゆかしい名前になりました (笑) 」

スポーツソックスを極めてきたキタイさんだからこそ誕生した「ぬげにくいくつした」。

小さな布に駆使されている様々な技術は、「もっと脱げにくくできないか?」というプロの飽くなき探究心によって支えられていました。

実は「ぬげにくいくつした」、改良を重ねてシリーズ1(右)からさらに進化した2(左)にアップデートされています。裏返すと、構造がより複雑になっているのがわかります
実は「ぬげにくいくつした」、改良を重ねてシリーズ1(右)からさらに進化した2(左)にアップデートされています。裏返すと、構造がより複雑になっているのがわかります

「いろいろ技術的なことをお話ししましたが、やはり、シンプルに製品を気に入って履いていただけたら、それで十分です」

そう語る喜夛さんの言葉に、静かな製品への誇りを感じました。

<掲載商品>
ぬげにくいくつした(2&9)

<取材協力>
株式会社キタイ


文・写真:尾島可奈子


*2017年4月の記事を再編集して掲載しました。私はもともと「ぬげにくいくつした」を持っていたのですが、今回のインタビューでますます愛用の靴下になりました。

300年企業の社長交代。中川政七商店が考える「いい会社ってなんだろう?」

「工芸の再生請負人」が、300年続く家業の社長を辞めた日。

これは、ある奈良の小さな会社で創業302年目に起きた、13代から14代への社長交代のお話です。

2018年2月13日午後。

年度末を前に、あるメーカーで社員全員を集めた集会が行われていました。

舞台は、株式会社中川政七商店、本社。

1716年に当時の高級麻織物、奈良晒の商いで創業。現在では全国に51店舗を展開する生活雑貨メーカーの本社は、奈良にあります。

中川政七商店奈良本社

会場となった食堂には、奈良本社の社員はもちろん、近隣に独立した事務所を構えるお茶道具部門、東京事務所社員、全国の店舗の店長までが一堂に会し、前に立つ一人の男性の話に耳を傾けていました。

中川政七商店奈良本社の食堂
普段は社員が昼食や打合せに利用する食堂

壇上に立つのは、株式会社中川政七商店13代、中川政七 (なかがわ・まさしち) 。

中川政七

「工芸の再生請負人」と呼ぶ人もいます。

江戸時代から続く家業を継いでのち、製造から小売まで一貫して自社で行う工芸業界初のSPA業態を確立。そのノウハウを生かして2009年より業界特化型の経営コンサルティングを開始。全国の企業やブランドの経営再建を手がけてきました。

企業名を冠したブランド「中川政七商店」は2010年デビュー
企業名を冠したブランド「中川政七商店」は2010年デビュー
単品ブランドのハンカチ
単品ブランドの立ち上げや
コンサル第1号となった長崎県の陶磁器メーカー、マルヒロの「HASAMI」
コンサル第1号となった長崎県の陶磁器メーカー、マルヒロの「HASAMI」
コンサルティング先など志を同じくする全国の工芸メーカーとともに開催した合同展示会「大日本市」
コンサルティング先など志を同じくする全国の工芸メーカーとともに合同展示会「大日本市」を開催

2015年に会社としてポーター賞、2016年には日本イノベーター大賞優秀賞を受賞。その取り組みが世間に知られるとともに、いつしかついた呼び名は「工芸の再生請負人」。

そんな「再生請負人」が家業を継ぎ、13代社長に就任したのは2008年のことでした。

「誰も言ってくれへんかったけど、今年で社長就任10周年やねん」

その日、珍しく入社してからの十数年の振り返りからスピーチを始めた13代がふと思い出したようにそう語ると、静かだった会場に和やかな笑いと拍手が起こりました。

この時まだ、社員はこのスピーチの結末を知りません。

なぜ、例年なら決算後に行われるはずの全体集会がこのタイミングで行われているのか。

なぜ、例年になく十年来の思い出話に、社長が花を咲かせるのか。

「工芸の再生請負人」が歩んだ16年

「売り上げでいうと、入社当時の16年前は4億だったのが、今は52億。

激動と言ってもいいような時代でした。大きな成長であり、成功でもある16年だったかなと思います」

13代個人の歴史を振り返れば、2000年、新卒で富士通に入社。2年後の2002年、家業である株式会社中川政七商店に入社。

当時不振だった生活雑貨部門の立て直しに関わる中で、衰退し続ける工芸業界の現状に危機感を抱き、2007年「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを発表。翌年、社長就任。

次々と直営店を全国に出店し、新たなブランドを立ち上げ、手がけたコンサルの数は今では全国16社にのぼります。

「300年という歴史からすればわずかな期間ではあるけれど、いろいろな変化を乗り越え、時には自ら変化を生み出してなんとかやってこれたのは、このビジョンがあったからだと思います。

では2018年は、これからの10年はどうしていくのか。それを考えた時に」

そう切り出した社長は幾つかの話をし、最後をこう結びました。

「ではどうするか。変えるしかないよね。

そこで、

社長を交代します。14代は」

その瞬間を、ある人は

「みんなのゴクリ。と唾をのむ音が聞こえた」

と回想します。みんなが唾をのんだのには、突然の発表というほかに、幾つか理由がありました。

奈良の小さな会社の社長交代が持つ意味

まず、中川政七商店は江戸の創業より代々、中川家が家業として経営を担っています。しかし13代は以前から「14代は中川家以外の人間に継いでもらう」と公言していました。

今日、誰に引き継いだとしても、それは中川政七商店が300年続く同族経営からシフトすることを意味していました。

そして固唾をのむ理由がもう一つ。

中川政七商店は2016年に300周年を迎えました。13代はその節目に、中川政七の名を襲名したばかり。

片山正通さん・水野学さんを後見人に奈良で執り行われた襲名披露の様子
片山正通さん・水野学さんを後見人に奈良で執り行われた襲名披露の様子

襲名からわずか2年。年齢も43歳と経営から退くには早すぎる、という人もあるはずです。なぜ、このタイミングで。

誰が14代を引き継いだのか、という話の続きは少し先に置いておいて、まずは社長交代という決断の背景を後日、13代本人に伺いました。

2015年に開設した東京事務所のテラスにて
2015年に開設した東京事務所のテラスにて

入社当時から決めていた、「中川商店」からの脱却

まず、同族経営でない選択をしたことについて、迷いはなかったのでしょうか。

「入社した時から14代は中川ではない人間になってもらいたいと思っていました。

当時はまだ『中川商店』という感じで、家の用事が業務に紛れ込んでいるようなこともありました。

それは嫌だったし、何より中小企業は借金があると、社長が個人保証をしない限り銀行はお金を貸してくれません。それでは同族で代を継承していくしかない」

中川政七

「中川家以外の人に引き継げる状態というのは、つまりは個人保証のいらない経営状態になるということ。財務的によくするという意味も含めて、『ちゃんとした会社にしたい』と思っていました」

社長就任より前、入社当時からすでに心に決めていたという同族経営からの脱却。

軽やかに変化を決断した13代ですが、バトンを受け継ぐ側にすれば、そののれんの重みは計り知れないものです。

のれんの重み

徳川幕府から「南都改」の朱印を受け御用品指定され、千利休も茶事に愛用したという高級麻織物、奈良晒の商いで1716年に創業。生地は武士の裃や僧侶の法衣に重用されていました。

江戸時代の店先の様子
江戸時代の店先の様子

最大の需要である武士を失った明治にあっても品質を守り、新たに開発した汗取りは皇室御用達の栄誉を受けます。

大正14年には、パリ万博に繊細な麻のハンカチーフを出展。

麻のハンカチーフ

昭和に入ってお茶道具業界への参入、現在の小売業の礎となる「遊 中川 本店」を開店。

オープン当時の遊 中川 本店
オープン当時の遊 中川 本店

そして平成に入り、13代がバトンが受け継いで迎えた300周年。

300周年の節目に全国5箇所で開催した大日本市博覧会
300周年の節目に全国5箇所で開催した大日本市博覧会

この江戸から脈々と守り継がれてきたのれんを託すのに、一体どんな人がふさわしいと考えていたのでしょうか。

社長の条件

中川政七商店奈良本社内での打合せの様子
社内での打合せの様子

「次期社長に必要だと考えていたのは、人望とバランス感覚です。

社長に限らず人の上に立つ人は人望がなきゃいけない。自分の経験の中でも、それは痛いほどよくわかります。

ここ数年で会社も直営店数が50店を超え、社員もどんどん増えてきました。

バランス感覚というのはそういう、会社の規模がある程度大きくなってきた時に、とても重要な力です。ではバランス感覚とは何かと聞かれると、ちょっと言い換えるのが難しいのですが」

中川政七

「組織の規模が大きくなるほど、全ての分野に対して自身がスペシャリストとして精通しているという状況は難しくなる。そういう時に求められる力です」

ピークでの交代

それでは、なぜこのタイミングだったのでしょうか。300周年を迎え、ビジネス界で権威ある賞も連続して受賞。まさに経営者として「脂が乗った」このタイミングで。

「人間も年を重ねれば体力的、精神的限界が出てきます。だからピークの時に交代しなきゃいけないと思っていました。経営者としてベストの状態で引き継げるように。

と言っても個人の能力的には、まだ伸ばしていけるかなと思っているけれど (笑) 」

今回の社長交代宣言。

実は13代がこれから全力をあげて取り組むと語る「もう一つの宣言」と、対になっていました。

話は、13代が社員全員にトップ交代を告げる数分前、「これからの10年をどうするのか」と切り出したところに遡ります。

『産業観光』と『産業革命』

「これからの10年をどうするのか。『産業観光』と『産業革命』が、今後の工芸業界のキーになってくると思います」

「産業観光」とは、人がものづくりの現場を旅して、産地の食や文化丸ごと工芸の魅力に触れる新しい観光のかたち。

福井県鯖江市の工場見学イベントRENEWの様子
福井県鯖江市の工場見学イベントRENEWの様子
土地の器(隆太窯)でいただく料理
土地の器でいただく料理

「産業革命」とは、分業制が常だったものづくりの工程を産地全体で統合し、最新の技術も取り入れながら製造の革新を図っていこうというもの。

従来の木型でなく、3Dプリンターで型をつくった新郷土玩具「鹿コロコロ」
従来の木型でなく、3Dプリンターで型をつくった新郷土玩具「鹿コロコロ」

どちらも300周年の節目から、13代が掲げてきたスローガンです。

「新しい伝え方と作り方。その両方がないと、日本の工芸は生き残っていけないんじゃないかと思います。

中川政七商店がこの一大ムーブメントを起こしていくべき場所はまず、本拠地である奈良です」

奈良の鹿

世界に響き渡る、奈良ブランディングのために

「全国の工芸メーカーに対して経営コンサルができてきたのも、自社が立ち直って、それをモデルケースにできたから。それと同じです。

何をするにもまず自分でやってみる。

それを誰よりもうまくやる。

それを見て、他の人たちがそれに続くんです」

実は2年前の「中川政七」襲名披露の壇上で、13代は「今後10年、地元・奈良に力を注いでいくこと」を宣言していました。

「言ったからには、想像を超えていく奈良ブランティングをやる。

20年前は誰も知らなかったポートランドが、今や世界的に有名な都市になったように、世界にその名が響き渡るほどの圧倒的な奈良を見せなければいけないと思っています」

ここから、話はいよいよもう一つの本題へと向かっていきました。

いい会社とは何か?

「わざわざ人が来たくなるには、土地にいいコンテンツが必要です。

いいコンテンツを作るには、行政ではできないことを成し遂げていく、いい会社がたくさん必要です」

ではいい会社とは何か?

「いい会社は、100年もつ会社です。100年もつために何が必要か。それはいいビジョンといい企業文化だと思います」

ビジョンとは向かうべき遠くの目標、そこに向けてどうやって歩んでくのかが、企業文化だろうと13代は語ります。

「その視点で見ると、中川政七商店には自分たちが熱くなれる、人に喜んでもらえるいいビジョンが確かにある。では企業文化はどうか?

言い切るのは難しいところですが、礎は作ってこれたのかなと。

一つには変化に適応する力。

もう一つには適応するために学び続ける姿勢。

ただ、まだまだ足りないと思うところもあります」

「日本の工芸を元気にする!」というビジョン達成のためにあるべき、企業の姿、社員の姿。

描く理想はあり、社内に発破はかけながらも、商品開発やブランド収支など現場の運営から離れていたここ数年は、手詰まりを感じていたといいます。

「どうするか。変えるしかないよね。

一番嫌なのは、うまくいかないことを愚痴っぽく言っているだけの状態です。

うまくいかないことは変える。

で、新社長はこの人にやってもらおうと思います。交代です」

軽やかに新社長の名前を13代が読み上げ始めると、おおおっという声が会場全体を包みました。

名前を呼ばれたのは、7年前、中川政七商店のものづくりに惹かれて転職してきた、ひとりの女性。

次回、マイクを手渡されたその人に、話の続きを伺います。

後編はこちら:「トップダウンから最強のチームワークへ。中川政七商店302年目の挑戦」

文:尾島可奈子

中川政七商店が浴衣をデザイン。5分で着られる、ワンピースのような浴衣ができるまで

先日、夏を舞台にした日本映画を観たのですが、主人公の女性の浴衣姿が美しく印象的でした。

浴衣着用イメージ
涼しげな浴衣は夏の風物詩

やっぱりいいもんだなぁと思う一方で、着るのが大変、なイメージもある浴衣。

もっと気軽に楽しめないか?と考えたのは生活雑貨メーカーの中川政七商店。

「日常のワードローブの一つとして、ワンピースのように着られる浴衣をつくりたい」

そんな思いに技術で応えたのが「きものやまと」。

今日は、2018年夏に中川政七商店からデビューした、5分で着られる「ワンピースのような浴衣」の魅力に迫ります。2着目を探している人にも、おすすめですよ。

中川政七商店の浴衣

5分で着られる秘密

きものやまとは、1917年創業の着物専門店、株式会社やまとが展開する着物ブランド。

独自に開発した「クイック浴衣」の技法が、今回の「ワンピースのように着られる浴衣」を可能にしました。5分で着られる秘密はその縫い方。

着丈を調整するためのおはしょりが、すでに縫い合わせてあるのです。

このおはしょりの幅を、従来の浴衣では自分で調整していました
このおはしょりの幅を、従来の浴衣では自分で調整していました

調整の手間が省けるので5分とかからず着用でき、着崩れしにくいのが特徴。素早く簡単に、きれいに着られる、というわけです。

サイズはおはしょりで調整する代わりに、S・M・Lと自分にあったサイズを洋服感覚で選べます。

腰紐も縫い付けてあるのでずれる心配がなく、ちょうどワンピースの紐を結ぶように簡単に浴衣の合わせが完成するという仕組みです。これは便利!

羽織って腰紐を結べばOK
羽織って腰紐を結べばOK

気軽に取り入れられるので、すでに一着は持っているという人も、二着目にいいかもしれませんね。

涼しげなデザインに、全国の産地の技術が集結

柄は、縁起のよい日本の伝統模様を取り入れた、中川政七商店オリジナルの3柄。

今回の浴衣のために作られたオリジナルの3柄
今回の浴衣のために作られたオリジナルの3柄

なんとそれぞれの柄の良さを一番引き出せるよう、生地と染めの技法を柄ごとに変えています。

浜松の綿生地×石川の捺染「葡萄唐草」

葡萄唐草

奈良の正倉院宝物に描かれた葡萄唐草をアレンジしたデザイン。葡萄、唐草ともに日本では古くから縁起が良いとされるモチーフです。

綿織物の一大産地、浜松の生地に石川で柄を捺染 (なっせん。プリントのこと) 。糸から染めた生地を使うことで色柄が生地に馴染み、総柄ながら落ち着いた大人っぽい印象です。

浜松の綿生地×宇都宮の宮染「麻の葉」

麻の葉

宇都宮に流れる田川を中心に栄えた染物「宮染 (みやぞめ) 」。裏も表も同様に染め上げる注染 (ちゅうせん) の技法で、大胆な麻の葉柄を色鮮やかに染め上げています。

知多の空羽紅梅生地×京都の手捺染「鹿の子立涌」

鹿の子立涌

水蒸気や雲気が涌き立ちのぼっていく様を表す、涼しげな立涌 (たてわく) 文を、鹿の斑点を模した鹿の子柄で表現。

生地はシャリ感のある綿麻の糸を使い、経糸をあえて規則的に抜き立体的に織り上げる空羽紅梅 (あきはこうばい) 生地を使用しています。

涼感のある生地に柄を手捺染し、光の加減でも見え方が変わるような、繊細ながら華やかな印象です。

こんな風に作られていました。日本にしかない注染の現場へ

生地、技法だけでこんなにいろいろな種類があったとは!

実際にどんな風に作られているのか気になって、染めの現場を覗かせてもらいました。

染に使うじょうろ

伺ったのは麻の葉柄を染める宇都宮で明治38年創業の「中川染工場」。

工場のそばを流れる田川。宇都宮は綿の産地だった同じ栃木県内の真岡の近くだったことから、川沿いに染物産業が発展。一帯の染物は「宮染め」と呼ばれ栄えました
工場のそばを流れる田川。宇都宮は綿の産地だった同じ栃木県内の真岡の近くだったことから、川沿いに染物産業が発展。一帯の染物は「宮染め」と呼ばれ栄えました
中川さんの事務所に掲げられていた「宮染め」の額
中川さんの事務所に掲げられていた「宮染め」の額

用いる「注染」の技法は、昔から手ぬぐいや浴衣の定番の染め方です。

「注染は日本にしかない染め技法です。浴衣に向いているのは、染料が布目を通ることで風通しがよくなるからなんですよ」

そう案内いただいた注染の工程は、折り重ねた生地に染料を上から注いで、同時に下から吸い上げ、一気に裏表を染め上げるというもの。

ちょうど麻の葉柄を染めるところでした
ちょうど麻の葉柄を染めるところでした
長いじょうろのような道具「やかん」を使って、指定の場所に染料を注ぎます
長いじょうろのような道具「やかん」を使って、指定の場所に染料を注ぎます
一見わかりませんが、この下に何十枚と生地が折り重ねてあります
一見わかりませんが、この下に何十枚と生地が折り重ねてあります
周りに色が移らないよう、染めたいところを「土手」で囲んであります
周りに色が移らないよう、染めたいところを「土手」で囲んであります
やかんを使い分け、指定の色に染め分けます
やかんを使い分け、指定の色に染め分けます
足元のペダルを操作して染料を吸引。一気に何十枚と染め上げる
足元のペダルを操作して染料を吸引。一気に何十枚と染め上げる

「色を染めたくないところは、あらかじめ糊を置いて染まるのを防ぎます。柄がきれいに出てくるかどうかは、実はここで決まると言ってもいいくらい重要なんですよ」

染めの前の工程。板場と呼ばれる糊置きの現場
染めの前の工程。板場と呼ばれる糊置きの現場
茶色いところが糊を置いたところ。その上から慎重に生地を折り重ねて‥‥
茶色いところが糊を置いたところ。その上から慎重に生地を折り重ねて‥‥
型紙をはめた木枠を置き、上からヘラで糊をのせていきます
型紙をはめた木枠を置き、上からヘラで糊をのせていきます
緊張の一瞬
緊張の一瞬
持ち上げると‥‥
持ち上げると‥‥
この通り。きれいに糊がのっています
この通り。きれいに糊がのっています

糊が厚いと柄がはっきり出ず、薄いと染料がにじんで汚くしあがってしまうそう。絶妙な力加減が必要です。

生地を12mと長く使う浴衣。対して注染の型は1mほど。

折り重ねた生地を開いたときにも、柄がつながって見えることが大切です。特に今回の麻の葉柄のような大柄は、わずかなズレでも目立ってしまう難しい柄。

中川政七商店の浴衣

この折り目でずれなく柄を繋げられる「型継ぎ」ができるところは、全国でも数えるほどだそうです。

型が途切れないよう、補正しているところ。熟練の技が要されます
型が途切れないよう、補正しているところ。熟練の技が要されます

「大柄をバシッと出すには、ここしかない」と、中川染工場さんが今回の麻の葉柄の染めに大抜てきされました。

工場内の見学を終えて外に出ると、染色後に水洗いで糊を落とされた麻の葉の生地が、広場一面に干されていました。

吹き流しのように生地が干されている
テープのように干されている麻の葉柄

吹き流しのような光景は壮観です。

四代目の中川友輝さん。こことここが型を継いだところですよ、と教えてもらいますが、ほとんど見分けがつきません
四代目の中川友輝さん。こことここが型を継いだところですよ、と教えてもらいますが、ほとんど見分けがつきません

着るのは簡単に、作りは丁寧に

身支度わずか5分で着られる浴衣。

着るのは簡単でも、一着ができるまでには素材から染め、縫製まで、夏を涼やかに楽しむ工夫がぎっしりと詰まっていました。

この夏はお気に入りのワンピースを着るように、ものづくりの粋を尽くした浴衣でお出かけを楽しんでみては。

<掲載商品>
ワンピースのように着られる浴衣 (中川政七商店)

<取材協力>
きものやまと
http://www.kimono-yamato.co.jp/
株式会社中川染工場
http://www.somemono-nakagawa.com/

文:尾島可奈子

今が見頃!紫陽花と「旅印」を集めてめぐる鎌倉日帰り旅

ちょうど、風物詩の紫陽花が見頃を迎えはじめた鎌倉。

そこで、さんちのアプリ「さんちの手帖」を使いながら、鎌倉の紫陽花名所と編集部おすすめの見どころをめぐってみました。よかったら記事やアプリを旅のおともにしてみてくださいね。私が実際に回ってみたルートはこんな感じです。

 

鎌倉の見どころ

◇ 紫陽花といえばやっぱりここ、長谷寺
江ノ電と紫陽花を一度に楽しめる、隠れた写真スポット
◇ 海をのぞむ鎌倉三大洋館で、肩ひじはらない文学散歩。鎌倉文学館
◇ 由比ヶ浜で美味しいお蕎麦に舌鼓。松原庵
◇ いざ鎌倉へ。お参りとお土産めぐり
鶴岡八幡宮鎌倉八座豊島屋Romi-Unie Confiture(ロミ・ユニ コンフィチュール)
◇ “あじさい寺”として名高い、明月院へ

では、行ってみましょう!


紫陽花といえばやっぱりここ、長谷寺

はじめに向かったのは年間を通して四季折々の花を楽しめる「花の寺」として有名な長谷寺。

特に紫陽花のシーズンは毎年大変な賑わいで、混雑時には紫陽花の咲くエリアまで入場1時間待ちなどの規制がかかることもあるそうです。事前に問合せたところ、紫陽花をゆっくり楽しむなら「朝早くがおすすめ」とのこと。いつもより早起きして行ってみました。

観音山の裾野と中腹に二つの境内を持つ長谷寺。その傾斜地を利用した散策路に、40種類以上約2500株の紫陽花が群生しています。

紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺 見晴台からの景色
見晴台からの景色も見どころのひとつ
紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺
竹林の奥に紫陽花が群生する丘が覗く
紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺
取材日はちょうど雨。そこここに傘の花も
紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺
紫陽花越しにのぞむ鎌倉の街並みもまた格別
紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺

遠くに鎌倉の街を見晴らしながら紫陽花を愛でる贅沢な時間。やはりみなさんカメラを手に散策を楽しんでいました。

階段の上り下りも多いので、歩きやすい服装がおすすめです。雨の平日でしたが、ゆったり見て戻って来た10時台には散策路に入場待ちの列が。やはり早起きは三文の徳でした。

江ノ電と紫陽花を一度に楽しめる、隠れた写真スポット

長谷でもう一つおすすめしたい紫陽花名所が、長谷寺から徒歩圏内の御霊神社そばにあります。

御霊神社は鳥居の前を江ノ電が横切る風景が数年前にテレビドラマに登場し一躍有名に。実はこの線路沿いには紫陽花が植わっていて、見頃を迎えた紫陽花と江ノ電を一緒に楽しむことができます。

いい写真を撮りたい、と訪れた人がカメラに夢中になってしまうので、訪れた日には安全のために警備員さんが立っていました。

御霊神社そばの写真スポット

平安後期創建という神社の境内は駅近くながらしっとりと清らかな空気。紫陽花を愛でつつ、ゆっくりお参りしたくなります。

海をのぞむ鎌倉三大洋館で、肩ひじはらない文学散歩 「鎌倉文学館」

長谷の紫陽花名所を満喫したら、そのまま帰るのはもったいない。さんちアプリの「さんちの手帖」を使うと地図から近くの読み物やさんちおすすめの見どころを探すことができます。さらにその見どころでオリジナルの「旅印(たびいん)」を集めることができるのも楽しみのひとつ。

位置情報をオンにしてアプリを起動させてみると、近くに「鎌倉文学館」という見どころが見つかりました。早速行ってみましょう!ちなみに旅印は見どころに近づくと通知が来るので、ぜひお見逃しなく。

さんちの手帖の使い方
メイン画面で「近くの読み物」から「地図で見る」を選んで地図を表示させます
さんちの手帖の使い方 鎌倉文学館
青い丸印が自分の現在地。黒丸の吹き出しが見どころの目印。吹き出しをタップすると「鎌倉文学館」と画面下に表示されました。ここから見どころの紹介ページに飛ぶことができます

 

鎌倉文学館
歩いていたら「鎌倉文学館」の旅印通知が来ました!通知をタップして、旅印獲得画面を開きます
鎌倉文学館
文学館の旅印はこんな感じ。見どころの名前を囲むように、その土地のモチーフと季節のスタンプがあしらわれています。旅印をタップすると文学館の詳しい紹介ページに飛びます

鎌倉文学館の紹介ページを読んでみると、鎌倉は川端康成、夏目漱石に芥川龍之介、与謝野晶子など、多くの文学者に愛されてきた土地。

鎌倉文学館ではそんな鎌倉ゆかりの文学者の著書や原稿、愛用品などを展示しているそうです。鎌倉三大洋館にも数えられる歴史ある建築の意匠や湘南の海をのぞむ庭園など、展示と合わせて楽しめる見所もたくさん。紫陽花とはまた違う鎌倉の楽しみ方ができそうです。

鎌倉文学館までの道
趣あるトンネルを抜けていく館までの道も楽しい
鎌倉文学館で取得した旅印
獲得した旅印と記念撮影

文学館は、シーズンには約200の品種のバラが咲くバラの名所でもあります。バラが見頃を迎える5月、紫陽花が見頃となる6月と、毎月花をめぐって鎌倉を訪ねるのも素敵ですね。

>>鎌倉文学館の情報はこちら

由比ヶ浜で美味しいお蕎麦に舌鼓。「松原庵」

「さんちの手帖」の道案内で、紫陽花散策からちょっと寄り道の文学散歩を満喫できました。鎌倉文学館入り口の交差点まで戻ってくると、そのまま江ノ電の由比ヶ浜駅まで徒歩圏内。アプリの地図には美味しそうなお蕎麦屋さんが近くにある表示が。

さんちの手帖の使い方
食事処なので黒丸の吹き出しにはお箸のマークが

早起きしてたくさん歩いて、そろそろお腹が空いてきました。駅からも近い由比ヶ浜の人気店、鎌倉 松原庵で美味しいお蕎麦に舌鼓といきましょう。

松原庵さんは紹介ページに加えて鎌倉での夜の晩酌の場所として取材した読みもの記事もあります。

鎌倉 松原庵への地図
地図で見ると、松原庵さんには「2の読み物」の表示。紹介ページに加えて、夜の晩酌の紹介記事が出てきました。これは夜も来てみなければ!
松原庵で旅印を取得
到着。ここでも旅印を獲得できます!
鎌倉の蕎麦屋 松原庵で旅印を取得
通知音をオンにしておくと、旅印取得の瞬間「ポン!」と小気味良い鼓の音が響きます
松原庵で人気の「すだち鬼おろし蕎麦」
人気のすだち鬼おろしそば。すだちの程よい苦味がつゆによく合う

>>鎌倉 松原庵の情報はこちら
>>産地で晩酌〜鎌倉編〜の記事はこちら

いざ鎌倉へ。お参りとお土産めぐり

お腹も膨らんで力がついたところで、由比ヶ浜から江ノ電に乗って鎌倉へ移動します。本当はもう一箇所、「鎌倉の紫陽花といえば」の名所を目指したいのですが、日中は混雑が予想されるので先に鎌倉の顔とも言える鶴岡八幡宮へご挨拶に。

鎌倉駅についた途端、どどっと旅印の通知が来ました!名前は鎌倉八座、豊島屋、Romi-Unie Confiture( ロミ・ユニ コンフィチュール )。どこもさんちおすすめの鎌倉土産のお店です。せっかくなのでお参りと合わせて寄ってみようと思います。

左が旅印獲得画面。早速「鎌倉八座」の旅印を獲得していたら、「豊島屋」の通知も来ました!

鎌倉のお土産が揃う、小町通りの「鎌倉八座」

まず、小町通りを歩いていて見つけたのが鎌倉八座。地元の工芸や食材などを生かしたお土産ものが並びます。アプリによると八座の「八」の字は、“八百万の神奈川土産と、「八」にかけた末広がりの縁起もの”と出会える場所との意味が込められているのだそうです。

鎌倉八座
鎌倉八座の三浦土人形
鎌倉八座で見つけた「三浦土人形」の波乗りだるま


>>鎌倉八座の情報はこちら
>> 鎌倉八座の読み物 鎌倉観光におすすめの、小町通りにある土産・雑貨店「鎌倉八座」はこちら

鳩サブレーを求めて、豊島屋 本店へ

ここで小町通りを横に抜けて、八幡宮の表参道へ。白壁に鳩サブレーの文字がひときわ目を引く豊島屋 本店に到着です。鎌倉土産といえばやっぱり鳩サブレー。アプリによると本店限定の商品も要チェックとのこと。店先には早々と七夕の笹飾りが置かれていました。

鎌倉土産 鳩サブレーの豊島屋
鎌倉土産 鳩サブレーの豊島屋
本店でしか買えないお土産を探すのも楽しみのひとつ

>>豊島屋の情報はこちら

 

いざ、鎌倉の中心・鶴岡八幡宮へ

いよいよ八幡宮へ。参道を歩いていたら八幡宮の旅印の通知が届きました。目的地に近づいている臨場感が味わえます。

鶴岡八幡宮への行き方
アプリの地図を開いていたら、通知が来ました!
さんちの手帖を鎌倉で使う
早速 獲得画面に進みます
さんちの手帖を鶴岡八幡宮で使う
これからいざお参りへ!

八幡宮も紹介ページだけでなく、歴史や見どころを紐解いた記事が特集されています。創建の際、鳩が道案内をしたという伝説から八幡宮の「八」の字は鳩の形になっているそうです。

鎌倉 八幡宮で使うさんちの手帖

>>鶴岡八幡宮の情報はこちら
>>特集記事「鳩は神様のお使い?鎌倉の中心・鶴岡八幡宮」はこちら

いがらしろみさんのジャム「Romi-Unie Confiture」

お参りの帰りには参道を挟んで豊島屋とほぼ向かい合わせのRomi-Unie Confitureへ。店先が満開の紫陽花で彩られていました。

「お菓子みたいなジャム」がコンセプトのお店で、ジャムはすべて店内にあるアトリエで毎日作られているそうです。

鎌倉 いがらしろみさんのジャム店
鎌倉 いがらしろみさんのジャム店
鎌倉 いがらしろみさんのジャム店

>>Romi-Unie Confitureの情報はこちら

「あじさい寺」として名高い、明月院へ

長谷、鎌倉とたっぷり歩いてきました。ちょっと休憩、という人は鎌倉駅前のイワタ珈琲店で名物ホットケーキというのもいいかもしれません。

まだまだ紫陽花を楽しむぞ、という人は、ぜひ「あじさい寺」として名高い明月院へ。通常は16時までですが、6月は17時まで拝観が可能です。北鎌倉の駅に降り立つと、明月院の方向へ歩く人の姿がずっと続いています。

到着した明月院は、入り口から紫陽花がお出迎え。門をくぐるとそこから上へ上へと散策路が続いています。

紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
紫陽花が見頃の鎌倉 明月院

道はどこを歩いても紫陽花の青、青、青。「あじさい寺」と呼ばれる所以がわかったような気がしました。

紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
有名な紫陽花の咲く石段
紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
お地蔵さまも紫陽花色の装い

長谷寺が斜面を覆うように紫陽花が植わっているのに対して、明月院は人の背丈ほどに伸びたものも多く、紫陽花に囲まれた、小さな森のような空間です。

 


たっぷり歩いて足はクタクタですが、アプリをおともに紫陽花から文学散歩、お参りついでにお土産探しなど、大満足の1日となりました。

自分だけでは気付けなかった見どころもめぐれて、まるで鎌倉に詳しい友達に、ずっと案内してもらっているような気持ちに。まさに旅のおともアプリ、と言ったら褒めすぎでしょうか。

今回は紫陽花名所を午前午後に分けて訪ねましたが、紫陽花をゆっくり見たい、という人は先に紫陽花名所をめぐっておいて、帰りに鎌倉でお土産選び、という回り方もいいかもしれません。

行きたい先のお休みや営業・拝観時間、混雑具合などを前もって確認したら、お天気やご自身のコンディションに合わせて、無理なく散策を楽しんでくださいね。今日は回れなかった他のおすすめ見所も「さんちの手帖」に載せていますので、旅のおともにぜひお忘れなく!

<取材協力>

長谷寺
神奈川県鎌倉市長谷 3-11-2
0467-22-6300
http://www.hasedera.jp/

明月院
神奈川県鎌倉市山ノ内189
0467-24-3437

◇紹介した見どころの情報や旅印機能を丸ごと楽しめる「さんちの手帖」アプリはこちらからダウンロードできます!


文・写真(一部除く):尾島可奈子


こちらは、紫陽花の見頃に合わせて、2017年6月16日公開の記事を再編集して掲載しています。紫陽花めぐり、どうぞお楽しみください!

唐津の名宿「洋々閣」が、夕食に隆太窯のうつわしか使わない理由。

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

今から40数年前。

「俺の生き様を知っている人に、自分のうつわを扱ってほしい」

そう言って一人の陶芸作家が全作品をあずけた旅館があります。

明治26年創業。海を臨む唐津城のほど近くにたつ、唐津を代表する宿「洋々閣」です。

洋々閣

あずけたのは国内外でその名を知られる、隆太窯の中里隆 (なかざと・たかし) さん。

中里隆さん
中里隆さん

「はじめての窯元めぐり」唐津・隆太窯編の締めくくりは、工房見学晩酌に続いて、うつわが生きる宿のお話です。

うつわのギャラリーがある老舗旅館

風格ある大正建築や唐津の食材を生かした料理、行き届いたおもてなしが評判の洋々閣。唐津で宿泊、となれば必ず名前の挙がる老舗旅館です。

洋々閣の玄関
洋々閣
洋々閣

実は建物の中に、唐津を代表する窯元のひとつ、隆太窯の常設ギャラリーがあることでも知られます。

もともとビリヤード台があったという奥行きのある部屋に、隆太窯の中里隆さん、太亀 (たき) さん親子の作品がずらりと並ぶ
もともとビリヤード台があったという奥行きのある部屋に、隆太窯の中里隆さん、太亀 (たき) さん親子の作品がずらりと並ぶ
室内のランプシェードや床タイルも、中里隆さんによるもの
室内のランプシェードや床タイルも、中里隆さんによるもの
隆太窯の器
中里隆さんの娘さん、中里花子さんが独立して立ち上げたブランド「mono HANAKO」の作品を展示する部屋も
中里隆さんの娘さん、中里花子さんが独立して立ち上げたブランド「mono HANAKO」の作品を展示する部屋も

宿泊客以外も見学できるように、わざわざギャラリー用の入口も設けてあります。

おもての白いのれんが目印
おもての白いのれんが目印

隆太窯の常設ギャラリーができるまで

ギャラリーの始まりは1974年のこと。

唐津焼の名門、中里太郎右衛門十二代の五男である隆さんが独立して自身の窯を開くにあたり、「自分の生き様を知っている人に自分のうつわを扱って欲しい」と、かねてから親交のあった洋々閣4代目の大河内明彦さんに作品の取り扱いを依頼しました。

4代目の大河内明彦さん。もう一つの展示室にて
4代目の大河内明彦さん。もう一つの展示室にて

「僕は宿の経験はあるけども物品の販売の経験はありません。はじめは無理だと言ったのですが、そう言われたら引き受けないわけにいきませんよね」

戸惑いながらも、もともとビリヤード台を置いていた部屋に展示スペースを確保。そこから少しずつ改修や部屋の増設を重ねて、現在の三部屋にわたるギャラリーが完成しました。後年オープンした窯元直営のギャラリーにもならぶ品揃えです。

料理と調和するうつわの秘密

「中里ファミリーは食べることもお酒も大好きです。酒呑みの作るうつわは料理とよく調和するんですよ」と親しみを込めて語るのは、洋々閣5代目の大河内正康さん。

5代目の大河内正康さん

宿の一番のもてなしは、何と言っても玄界灘の魚を中心とした夜の会席料理。その一品一品を飾るのが、食と酒をこよなく愛する中里親子の、隆太窯のうつわです。

洋々閣の隆太窯のうつわ
洋々閣の隆太窯の器

「同じ佐賀でも有田焼や伊万里焼は磁器、唐津は陶器です。料理人は、磁器とは扱い方が違うのではじめ戸惑うようですが、使うほどに経年変化が起きて味わいが増します。

ギャラリーを始めてからは、唐津焼は隆太窯さん一筋ですね」

洋々閣の隆太窯の器

親子2代の長い付き合い。立て込んでうつわの注文に出向けない時も、電話で伝えるとイメージ通りの品物を届けてくれるといいます。

隆太窯のうつわを手にもつ

ギャラリーには隆太窯の定番品のほか、洋々閣オリジナルで作られたうつわも並びます。食事の際に気に入ったうつわを、実際に買ってかえれるというのも、贅沢な体験です。

口当たりがいいと評判の隆太窯の酒器
口当たりがいいと評判の隆太窯の酒器

老舗旅館を支えるもの

隆太窯を訪ねた人が洋々閣に泊まり、洋々閣でうつわに触れた人がまた隆太窯を訪ねる。ギャラリーのオープン以来、そんな往還がいつしか生まれ、今では唐津を巡る旅の定番コースに。

「僕の頭の上には隆さんがいつもあって、旅館を経営するにあたってもこういうことすると彼に軽蔑されるんじゃないか、と考えたりするんです。だから今までの洋々閣をずっと支えてきたのは、中里隆の哲学です」

インタビューの最後に、4代目の明彦さんが語られた言葉が印象的でした。

洋々閣のホームページには、女将のこんな一言があります。

「唐津はやはり、お食べいただかないことには。」

焼き物の里であるとともに山海の幸にも恵まれた食とうつわの町、唐津。作るうつわの素晴らしさとともに親子で料理好き、お酒好きとして知られる隆太窯。

食を愛する作り手のうつわは、その人柄丸ごと、地元唐津で旬の一皿に、唐津にしかないおもてなしに、息づいているようでした。

客室にさりげなく置かれた花器も、隆太窯のものでした
客室にさりげなく置かれた花器も、隆太窯のものでした

<取材協力> *登場順

洋々閣
佐賀県唐津市東唐津2-4-40
0955-72-7181
http://www.yoyokaku.com/

隆太窯
佐賀県唐津市見借4333-1
0955-74-3503
http://www.ryutagama.com/

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、菅井俊之、藤本幸一郎