三十の手習い「茶道編」三、真剣って何ですか?

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇真剣って何ですか?

12月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室3回目。「ゆきごろも」というお干菓子をいただきながら、まずは前回までのおさらいから始まります。

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「お辞儀のお話をしましたね。『お辞儀には心がこもっているのが大事だ』と言いますが、気持ちがあればそれが必ず伝わるというのは、嘘です。やはり、適切な言葉の使い方や必要とされるスキルはある、ということをお伝えしたかったんですね。

劇的にお辞儀をきれいにしようと思ったら、いちばん深く下げたところで1拍止めることです。その技術が備わると、わずか2秒の間に『ありがとうございました』とか『お気をつけて』とか、そういう思いを乗せていくことができる。言葉にならない雰囲気をそこに漂わせることになるんです。

もうひとつは扇子をお見せして、身の回りのちょっとした道具ひとつを選ぶ、考えるということからいろいろと変わってくる、ということをお伝えしたかった。ひいてはそれがお茶でもっとも大事なことにつながっていくのですね。

今日は、ものを扱うことに、真剣味が大事、という話をします。真剣ってなんですか?」

「真摯に、ものごとに取り組む…」

教室内からの応答に、宗慎先生が重ねて問います。

「もっと具体的に。真剣ってなんですか?」

具体的にとなると、つまり…

「切れる刀ですね。迂闊に扱うと手が切れる刀です。茶道具の世界では昔からいい道具を褒める時『手の切れそうな』という褒め方をするんです。あだや疎かに扱うと手が切れてしまいそうなぐらい出来のいい、繊細なものがこれほど長い時間残されているというのが、こわいと思うこと。畏れ敬うという言葉は、『畏れ』と『敬う』というふたつセットになっているのが素晴らしいと思います。ものを敬うということは、いい意味での畏れがないとダメなんです。道具を扱うときに、真剣味を帯びるということは」

と手に取られたのは、柄杓。

「柄杓を『構える』、と言います。柄杓を構えるときに、『刀を持つようにこれを扱え』と言うんです。というわけで、今日は」

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宗慎先生が後ろから取り出されたものに、教室がどよめきました。畳の上に置かれたのは、数種類の日本刀。

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「お茶の稽古で刀を繰り出すとは思っていなかったでしょう。僕はお茶を習う前から刀が好きで、子供の頃から触れていたんです。柄杓を『刀を持つように』と言っても、全然みんなそのように持ちません。それをどうして、と思ったときに『そうか、この人たちは人生の中で刀を持った記憶がないから、刀を持つようにと言われても意味がわからないんだ』と、はと気がついて。それで本物の刀を手に取らせるしかないと思ったわけです」

思ってもみない展開に一同驚きながら、初めて間近に見る刀ひとつひとつの解説に、耳を傾けます。

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「これは江戸時代の初期のものです。葵の御紋が入れてあるでしょう。越前守康継(やすつぐ)、徳川家の御用達の刀鍛冶として認められた刀鍛冶が作った刀です」

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刀を納める鞘には付属の小道具が付いています。この突起のついた道具はなんと、耳かき。取り出すと、反対側は髪をなでつけるための「こうがい」になっています。

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カンザシ(笄)と書いて「こうがい」と読むそうです。花魁の頭をきらびやかに飾っているのも笄です。あれはもともと、耳かきだったのですね。

「先ほどの刀は江戸城に行くときに持っていく刀なので非常にユニフォーム化されています。一方これは『三斎拵(さんさいごしらえ)』と言って、利休に師事した茶人であり武将の細川三斎(細川忠興)好みの小刀。桐の家紋がついています。桃山の武将たちが、自分たちの好みでこしらえていたものなのでよりおしゃれですね」

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「これは今でいうコラボ商品なんです。メインの刀鍛冶に対して、横にいる人がお手伝いの槌を振るう。『相槌を打つ』と言うでしょう。その語源になったものです。合作の刀は完成してから、先輩の名を表に、自分の名前を裏に切ります。刃を左に向けた時が表なので、そこに名前がある人が主槌(おもづち)を打って、刃を裏にした時に書いてある名前の人が相槌を打ったんです」

次第に湧いてくる好奇心でお茶室内が明るい空気になります。すると一振りの刀を、宗慎先生が手に取りました。

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お茶室がシン、となります。

「抜き払うだけで空気が変わるでしょう。どんなに美しくとも人殺しの道具ですから。時代劇みたいに大げさに振りかぶる必要はなくて、首筋に刃がすっと当たったら決着がつきます。勝負はだいたい一瞬です。本来は距離感と、どこに当てて致命傷を与えるかということが肝心なんです。指一本でいいんですよ。利き腕の指一本に傷を入れるだけで、刀を持てなくなりますからね。籠手という技はそこからきています。刃が当たった瞬間に血が出る、その切っ先をどこに当てるのか、という話を聞くと、真剣味を帯びるでしょう」

そうして、一人一人、刀を自分で手に取り、見させていただくことに。

「研いであるところから先は絶対に触ってはいけません。一歩間違えたら大怪我しますから、怖くてもちゃんと持つこと。見る時には刃を下にしてもいけません。わずかなことで欠けます。硬そうに見えて繊細なんです。持ったらしゃべらない。ゆっくり、明かりを刃に落としながら動かして、本物の鉄の色を、鉄の泡の吹いているのを見てください。本物特有の、重さを感じてください」

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息をするのを忘れるほどの緊張感の中で、全員が真剣を手に取り終えました。

「このように柄杓を持ったらかっこいいんです。でも持ったことのない人にはわからないんです。竹の棒やと思うからグラグラ持つんです」

お稽古の始まりに聞いた時よりも何十倍もの重みを持って、宗慎先生の言葉が染み込んでいきます。

「日本刀の美しさとは何かということを、手にとって考えて腹におさめている人が選ぶものは、ちょっと変わってくる場合があると思います。茶道具や、美術工芸のきれいなものだけを見ていたらわからない、日本美術のひとつの頂点というのは刀だと思うんです。しかし刀は、人殺しの道具です。実用のためにこそ作られています。よく切れて、かつ錆びにくく、振りやすいよう華奢なのに簡単に折れない、曲がらない。どれだけ鋭利に人の生身の体を切れるかだけを考えて作ってきたのに、世界で比類なき美しい刀剣を作り上げた。これは世界中の人がみんな等しく認めているところです。柔らかで甘やかで、優しい道具だけを触っていたのでは決してわからない、ものごとの本質はあるのです、これに。

ぜひ、この刀の重さ、固さ、怖さ、なんとも言えない質感というのを、覚えておいてください。『手の切れそうな』というものの褒め言葉を思い返して、道具を大事に扱う、ものを大切に扱うこと。茶碗を持っていても棗(なつめ)を持っていても何を持っていても、刀を持っているつもりで扱えば、おのずから動作はキレイになりますし、念の入った美しい所作になるはずです。刀ならば切れる、ものなら壊れる。仕事で扱われるもの、人の手元に届くもの、包装紙、麻の布切れ一枚が、これは刀だ、あだや疎かに扱ったら手が切れる、自分が扱うことで壊すかもしれぬという思いでものを扱っていられるかどうかが、ことの成否を分けるのではないか、というお話です」

◇花の性分

今回から参加者が毎回一人、お稽古の始まる前にお茶室に花を活けることになっています。活けられた花に、宗慎先生から講評をいただきます。

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「花を活ける時に大事なのは、花材それぞれが持っている性(しょう)をちゃんと生かしてやることです。右に向いて咲いている花がかっこいいからといって左に曲げることは絶対にできないんです。今日の花の場合は、お化けの手が伸びているみたいになっているのがこの花の風情なので、それを生かしてやったほうがいい。わさーっとなっている花はわさーっとなっているのがポジティブなところなんです。だからそのように使ってあげるんです。その上で、花を前に前に活ける。何本入れても一本になっているように見えないとあかんのです。これだと4本入っているように見えていますね」

アドバイスを元に、活け直します。

「霧吹きを打つ前に、水を口いっぱいまであふれんばかりに注ぐ。これで、もうこれ以上花を足しません、という合図です」

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花材はそのままにガラリと表情が変わって、完成です。

◇お菓子をいただく、という所作ひとつ

最後にもう一服、生菓子をいただきながらお茶をいただきます。

「あわゆき」という生菓子。はじめに頂いた「ゆきごろも」はこちらに衣を着せたものだそうです。
「あわゆき」という生菓子。はじめに頂いた「ゆきごろも」はこちらに衣を着せたものだそうです。
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菓子器からお菓子をいただこうとしたところで、宗慎先生から声がかかりました。

「なぜ左から取るの」

器の中に並んだお菓子を、私は何気なく左側から取っていました。ところがそれでは、お箸が触れて右のお菓子を傷つけてしまう恐れがある。

「次の人がとるお菓子の姿を乱さないようにすることも大事なんです」

お菓子ひとつ、大切に扱う。先ほどの刀の話にも通じるところです。もう一度、お菓子を載せる懐紙を取り出すところから、やり直します。すると次なる問題が。出した懐紙が薄い。

お茶席でお菓子を頂く時は、懐紙は一帖、分厚いままで使用します。私は前回のお稽古で枚数の減った懐紙をそのまま持ってきていました。その薄いことに、言われるまで気づかなかったのです。見かねた宗慎先生が新しい懐紙を一帖、与えてくれました。

「扇を選ぶという話の延長線上に、懐紙一帖ちゃんときっちり持ってくるという話はありますよ。都度都度薄いまま持ってこない」

お菓子を器からひとつ取って頂く。文に書けばたった一行の所作すら、そこに向かう意識が欠ければうまく行かない。穴があったら入りたい、と顔が真っ赤になるのを感じながら、2016年最後のお稽古が終わろうとしています。

「『手が切れそうな』という言葉を覚えておいてくださいね。何の道具を持つときにも、軽い麻の布一枚持つときにこそあの刀を思い出して。名刺を、包装紙を、のし紙を持つときこそ。

お疲れ様でした。
あくる年もよろしくお願いします。良いお年を」

数え切れない反省と学びを胸にしまって、お茶室を後にしました。

◇本日のおさらい

一、仕事で扱うもの、人の手元に届くもの。どんな道具も「刀を持つように」扱う

一、花は花の性を生かして活ける


文:尾島可奈子
写真:井上麻那巳
衣装協力:大塚呉服店

1月の梅、2月の木瓜

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。「今の時期のおすすめ植物は?」「わたしでも育てられますか?」など植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

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日本の植物は四季で劇的に変わっていきます。海外に比べると落葉樹がすごく多いから、春になったら花が咲いて、そのとなりで次の季節の植物が芽吹いて。季節を告げる花がたくさんある。だから花園樹斎でも、月ごとに違う植物の「季節鉢」ができるんです。人の手に取ってもらうものだから、選ぶのは育てやすさも考えながら。1月は梅、2月は木瓜(ぼけ)を選びました。

◇1月「梅」

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1月の梅はまさに「松竹梅」、新春のおめでたいイメージです。浮世絵にも、正月に梅を買う女の人が描かれていたりします。梅を愛でる文化は、元々は中国から入ってきたものなんですね。桜にとって変わられるまでは、昔の日本でお花見といえば梅でした。

◇2月「木瓜」

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2月の季節鉢に選んだ木瓜は個人的にすごく好きな植物で、ずっと花園樹斎に入れたいと思っていました。園芸植物に比べて、野性味が強い。いくら切っても新芽が出てきて、生命力が強いんです。剪定に強いので、盆栽の材料にもよく使われてきました。きれいな花をつけるんですが、実を食べられるので、昔から薬用にも重宝されていた植物です。さらには酒にもなる。万能なんです。江戸時代に入ってから爆発的な人気になって、当時200種類ほどの園芸品種が生まれたと伝わっています。外で育てる植物ですが、土質もあまり選ばなくて、管理がしやすいのも特長ですね。

◇わたしでも、育てられますか?

もし、植物をうまく育てられるか心配だったら、枯らしちゃったらかわいそうと思わずに、枯らしてもいいから付き合いたいな、と思うこと。枯らしてしまうことは確かに悲しいことなんですけど、枯らすのが嫌だから付き合わないよりは、付き合ってみて、何で枯れたんだろう、何で今年は花が咲いたんだろうと思うことが、すべての始まりですよね。だから、遠慮しないことですよ。

「育てられるかな、育てられないかな」よりも、枯れてもいいから「自分へのご褒美に買いたい」「プレゼントしてあげたい」「今年は身近で植物を感じてみたい」「ボケなら私でもできるかな」とか、そういう楽な気持ちで付き合っていくのがいいと思います。それじゃあ、また来月に。

(ひとこと)
おれがこの仕事をし始めたのは21歳ぐらいの、ちょうど1月なんです。年始から始まりました。働いた初日、木にのぼって枝を切った時に思ったんです。「これ、一番になれる自信がある」と。その日から今日に至るまで、1ミリもゆるぎなくそれを思ってます。

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<掲載商品>
花園樹斎
植木鉢

鉢皿

・植物(鉢とのセット):以下のお店でお手に取っていただけます。
 中川政七商店全店
 (阪神梅田本店・東京ミッドタウン店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店は除く)
 遊中川 本店 
 遊中川 神戸大丸店
 遊中川 横浜タカシマヤ店
 *商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

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西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋、花宇の五代目。
日本全国、世界数十カ国を旅し、収集している植物は数千種類。日々集める植物素材で、国内はもとより海外からの依頼も含め年間2,000件を超える案件に応えている。2012年、ひとの心に植物を植える活動「そら植物園」をスタートさせ、植物を用いたいろいろなプロジェクトを多数の企業・団体などと各地で展開、反響を呼んでいる。著書に『教えてくれたのは、植物でした 人生を花やかにするヒント』(徳間書店)、『プラントハンター 命を懸けて花を追う』(徳間書店)、『そらみみ植物園』、『はつみみ植物園』(東京書籍)


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「”お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。


聞き手:尾島可奈子

【奈良のお土産】森奈良漬店の壺入り「きざみ奈良漬」

こんにちは、さんち編集部の尾島可奈子です。
わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” をご紹介する “さんちのお土産”。第4回目は清酒発祥の地、奈良のお土産です。

清酒発祥の地と言われる奈良で、酒粕に瓜を漬け込んだお漬物が商品として売られるようになったのは江戸末期のことだそうです。その名も「奈良漬」。奈良のお土産の定番ですね。奈良漬を買えるお店は何軒もありますが、東大寺南大門前にお店を構える森奈良漬店は1869年(明治2年)創業の奈良漬の老舗です。お店の前は東大寺への行き帰りの人と鹿せんべいを追い求める鹿で絶えず賑わいます。

悠然と鹿が通る東大寺南大門前の店構え。
悠然と鹿が通る東大寺南大門前の店構え。

森奈良漬店の奈良漬は、直接もしくは契約栽培の野菜・果物のみを使用。酒粕と天然塩だけという潔い味付けは、お酒の味がしっかりと効いて地元ファンも多いのです。中でもおすすめしたいのは酒粕を洗いおとさずにそのまま食べられる「きざみ奈良漬」。コンパクトな紙袋入りもありますが、どっしりとした丹波立杭焼(たんばたちくいやき)の壺入りは目上の方へのお土産やちょっとしたご挨拶にも喜ばれそうです。お酒好きの方なら奈良の地酒と一緒に晩酌セットで、、なんて楽しい組み合わせかもしれません。定番を押さえながらちょっと話のタネにもなる奈良のお土産に、おすすめです。

パッケージに描かれた壺の姿も愛らしい。230g入り1080円(税込)
パッケージに描かれた壺の姿も愛らしい。230g入り1080円(税込)

ここで買いました。

森奈良漬店
奈良県奈良市春日野町23
0742-26-2063
https://www.naraduke.co.jp/

文:尾島可奈子
写真:木村正史

初笑いしに寄席に行こう

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

えェ〜皆さん、寄席でも行っていっぺん笑っときゃあ一年笑って暮らせるだろうと、縁起を担いで新年早々、こういう場にお見えになるんだろうと思うんですが、そう甘くはないんですね。だいたいこの‥‥

早速ふふふ、と客席から笑いが起こる。

正月三ヶ日もすぎた午後の寄席は、2階席までほぼ満員。おじいちゃんも和服のご婦人も買い物帰りのカップルも、めいめいお茶やお弁当を頬張りながらにこにこ噺を聞いている。こじんまりした演芸場では、お客さんの笑い声は合唱のように響いて一体になる。

あぁ、都内にこんなところがあったんだなぁ。噺のまくらであっさり噺家さんに見破られた通り、私も縁起を担いでどれ落語で初笑い、とふらふら来てみた口。

そんなわけで今日は初笑いのお福分けに、最近巷でも何かと話題の落語のお話。

と言っても笑いは取れませんからそれはぜひ演芸場に足を運んでいただくとして、さて、七草粥も済ませてそろそろ地に足をつけなくっちゃという今日この頃、落語にまつわる暮らしの道具のお話でも。

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熊さん八っつあんの登場する落語は江戸時代のイメージが強いですが、はじまりは室町時代末期までさかのぼります。戦国大名のそばに仕えて話を聞いたり世の中の様々な出来事を話して聞かせた「御伽衆(おとぎしゅう)」がその起源。

時の権力者お抱えの話のプロだったのですね。それがお金をとって人に面白い話を聞かせるスタイルになったのが江戸時代。馴染みのある寄席のはじまりです。

町人文化の栄えた江戸時代ですから、話の主役は大家さんにご隠居、若旦那。八百屋、魚屋、夜鷹そば。おなじみ熊さん八っつぁんも大工さんです。

「工芸と探訪」を掲げる「さんち」編集部としては、職人や暮らしの道具にまつわる噺などないかと見てみると、出てくる、出てくる。

ちょうどお正月が舞台の「かつぎや」は御幣かつぎ(縁起かつぎ好き)の呉服屋・五兵衛さんが主人公。

「よそう、また夢になるといけねぇ」のオチで有名な「芝浜」は大金の入った革財布をめぐるお話ですし、「紺屋高尾(こうやたかお)」は染物屋(紺屋)の職人・久蔵が花魁・高尾に一目惚れして叶わぬ恋に病に臥すところから始まります。

「普段の袴」はキセルが話のカギを握る、上野の道具屋を舞台にしたお話。「茶金」は主人公のひとり、茶屋金兵衛の通り名(茶金)がそのまま演目名ですが、その茶金の職業はたいそうな目利きという京都のお茶道具屋さんです。

数えればキリがないですが、落語にもよく登場し、江戸の頃から今も変わらず馴染み深い暮らしの道具といえばやはり風呂敷がその代表格。

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風呂場で自分の衣服を他の人と区別するために包んだことが名前の由来とされていて、銭湯の発達と共に庶民に広まりました。

火事の多かった江戸の町では布団の下に大風呂敷を敷いて眠り、火事を知らせる半鐘が鳴ると布団をくるんで家を飛び出した、という話まであります。行商はみな売り物を大風呂敷に包んで売り歩き、家庭では小さな風呂敷を買い物袋として活用したそうです。

落語の世界での風呂敷は、泥棒の商売道具として登場することもしばしば。そう聞いて思い浮かぶのは、やはり唐草模様の風呂敷でしょうか。

少々不名誉な知られ方をしている唐草模様ですが、実は四方八方に切れ目なく伸びる唐草は長寿や子孫繁栄の象徴。元々はお祝い事にも用いられる、縁起の良い柄です。

これぞ風呂敷、な唐草模様。
これぞ風呂敷、な唐草模様。

日本でも古くから文様は存在していましたが、ちょうど江戸に入って綿の布に人や花、生き物の模様を細かく染めた更紗(さらさ)が舶来し流行ったことから、庶民の使う風呂敷にも好んで唐草模様が描かれるようになりました。

ちなみにその名も「風呂敷」という噺がひとつあるのですが、こちらでは風呂敷の便利さが見直されている昨今でもちょっと思いつかないような風呂敷の使い方をしているので、寄席で運良く出会った方は、ぜひその愉快な使い方をお楽しみください。

ーと、あんまりここで噺の勉強ばかりしても、普段の寄席で事前にわかるのは出演者の名前だけ。何が聞けるかは当日のお楽しみです。

噺家さんはだいたい2・3の候補を腹に入れておいて、他の出演者と演目がかぶらないようにしながら、その場の客席の様子なんかを見て「今日はこれだ」と決めるそうです。

風呂敷包んで持って行ったら、もしかしたら話してくれるかも、しれませんね。

関連商品
中川政七商店
色あわせ風呂敷 日の出

<参考>
瀧口雅仁 (2016)『古典・新作 落語事典』丸善出版
公益社団法人落語芸術協会ホームページ
(東京・横浜の演芸場一覧も載っているので寄席に行く時に便利です)

文:尾島可奈子

祈りの色、松の緑

あけましておめでとうございます。さんち編集部の尾島可奈子です。
「さんち 〜工芸と探訪〜」は本年も1日1日、日本中の工芸産地の魅力を、全国をかけ廻ってお届けします。
愛着のある道具と暮らす毎日と、発見に満ちた産地旅へのおともに。2017年も「さんち」をどうぞよろしくお願いいたします。

さて、新年ひとつめの記事は、新しい年が美しく色どられた毎日になるよう願いを込めて。

きっぱりとした晒の白や漆塗りの深い赤のように、日用の道具の中には、その素材、製法だからこそ表せる美しい色があります。その色はどうやって生み出されるのか?なぜその色なのか?色から見えてくる物語を読み解きます。2017年はじめの色は、「松の緑」です。

祈りの色、松の緑

緑は英語でgreen。もともとgrowなど「育つ」という意味の言葉が語源です。すくすく育つ草の色、というわけですね。日本語でも、元は新芽を指す言葉だったものが、そのまま色名になったそうです。お正月を代表する「緑」といえば、やはり松。今日は古くから日本人の暮らしの中に活かされてきた「松」をめぐる色の冒険に出かけましょう。

松は木材としてはもちろん、樹皮、樹脂、葉や種まで使うところの多い樹木として洋の東西を問わず、古代から人の生活に活かされてきました。古代ローマでは建築物の屋根板に松の樹皮が使われていたと言いますし、日本では縄文時代の遺跡から、加工された松の棒が複数見つかっています。冬でも枯れずに緑を保ち、寿命も長いことから古来中国では特別な木として尊ばれ、日本では神霊が宿る聖なる木と信じられてきました。その風習が今に伝わるのが、お正月の門松です。

門松は、新年を迎えた家に幸いをもたらす歳神様(としがみさま)をお迎えする依代(よりしろ)。松を門前に立てる例が多いことからこの名前がついたそうです。実際には土地によって材料や形状、置き場所も様々ですが、拝み松、飾り松という呼び名もあるように、やはり主役は松。由来は平安時代、貴族がお正月はじめの子(ね)の日に若菜を摘み小松を引き抜いて遊ぶ「子日(ねのひ)の遊び」という年中行事があり、これが後にお正月に松を飾る「門松」に発展したと言われています。松にとっては少しかわいそうに思いますが、貴族たちはこの日に小松を引き抜いたりそれを調理して食べることで、松のような長寿を願ったのでした。

暮らしの中で便利に使うだけでなく、その命の長さや常緑であることを知り、縁起を担いで飾る「松の緑」。どんなことでも何かをはじめることは勇気が要りますが、新しい年を飾る門松には、「松の緑」の力を少し借りて、これからの毎日を元気よくはじめて行こうとする、はるか昔からの暮らしの願いが詰まっているように感じます。新しい年が、明るい色に満ちた、すこやかな一年になりますように。

文・写真:尾島可奈子