タイルカーペットの新定番。パズル感覚で組めるDIYカーペットの誕生秘話

子どもが自然に寝ころぶカーペット

きっもちいい~と言いながら、娘がいきなりゴロンッ。二子玉川のショップ「DIYファクトリー」の店内にディスプレイされたカーペットの上で、大の字に寝ころんだ。

お、いいねえ!と言いながら娘の写真を撮る僕を、ほかのお客さんが不思議そうに眺めている。

人目も気にせずくつろぐ娘の姿を見た妻も、靴を脱いでカーペットの上に。そして頷く。

「うん、うん」

7月26日、1962年創業のカーペットメーカー・堀田カーペットの新作、DIYカーペット「WOOLTILE」が、DIYファクトリーにて初公開された。100パーセントウールで1枚50センチ四方、カラーは8色、パターンは4つ。

堀田カーペットの新作、DIYカーペット「WOOLTILE」

パズル感覚で、好きなカラーや模様を並べて置く。裏側には滑り止めがついているから、ズレる心配もない。部屋の形に合わせて、ハサミやカッターで簡単にカットすることもできる、今までありそうでなかったカーペットだ。

堀田カーペットの新作、DIYカーペット「WOOLTILE」
カーペット使用イメージ
堀田カーペットの新作、DIYカーペット「WOOLTILE」

マンション住まいの我が家は最近、下の階の住人から「お子さんの足音がちょっと‥‥」と言われていた。

それからは足音に(それまで以上に)気を付けるようになったけれど、育ち盛りで元気いっぱい、踊ったり歌ったりするのが大好きな4歳に、「走らないで!」「ドンドンしないで!」と言い続けるのは、こちらもつらい。

注意されるたびに足音を殺して忍者のようにソロソロ歩いている娘をみて、防音マットを買わなきゃなと決意した。

でも、どこで売っているのかわからない。仕方ないからネットで探せば山ほど出てきて、どれがいいのかわからない。

価格とデザインを見て適当に選び、「これどう?」と妻に見せると、「う~ん‥‥」。

わかる、その気持ち。もともとぜんぜん欲しくないものを買って家に置くって気乗りしないよね。

はて、どうしよう。早く買わなきゃという焦る気持ちと欲しいものがないという諦めを抱えていたタイミングで取材に行ったのが、大阪・南部、和泉市にある堀田カーペットだった。大阪は全国シェア8割を誇る、カーペットの一大産地だ。

堀田カーペット

希少で優秀なウール100パーセントのカーペット

一大産地のなかでも堀田カーペットは糸から開発している稀有な企業で、すべての商品にウールを使用している。

イギリス発祥の「ウィルトン織機」で織られたそのウールカーペットは誰もが名を知るような有名ブランドのブティックや高級ホテルで採用されている。

3代目社長の堀田将矢さんが、カーペットについて知られざる事実を教えてくれた。

堀田カーペット3代目社長の堀田将矢さん

「世の中にあるカーペットで実際に糸を織って作られているものはほとんどなくて、日本のカーペットの99パーセントが布に刺繍され、ファブリックや樹脂を貼り合わせた工法ですね。

それに対して僕らが作っているのは、経糸と横糸を縒り合わせてつくる伝統的なカーペット。技術的に難しいうえに、織機自体がもう日本に20台ぐらいしか残っていないので、この方法でカーペットを作っている会社は日本に数社しかありません」

カーペットの断面
工場の風景

なるほど、堀田さんのところで作るウールカーペットは、そのもの自体がレアなのだ。

もうひとつ、目から鱗だったのは、ウールの機能性。

調湿機能が高く、夏は冷たい空気を、冬は暖かい空気を均一に保つ働きをする。そのため、湿度の高い日本の夏や梅雨にもさらっと快適とのこと。

堀田さんのご自宅。お風呂とトイレ以外、すべてカーペット敷き
堀田さんのご自宅。お風呂とトイレ以外、すべてカーペット敷き

衛生面でも、優秀だ。「カーペットはホコリをため込むので不衛生」というイメージを持っている人もいると思うが(僕もそうだった)、大きな誤解だった。

一本一本の毛がホコリをからめ取るのは事実ながら、だからこそフローリングよりもホコリが舞い上がらず、むしろ部屋の空気をきれいに保つ。

しかも、ホコリを絡めとっているのはカーペットのなかに織り込まれている「遊び毛」で、普通に掃除機をかければすんなりと吸い込まれていく。

動物の毛なので油分を含んでいて汚れや液体を弾くので、例えばコーヒーをこぼしてもすぐに拭き取れば沁み込まない。

カーペットに液体をこぼしてもすぐに拭けば大丈夫

織機を使ったウールカーペットの希少性、堀田カーペットにしか表現できない織りの技術力、一本の糸から開発する企画力に加えて、ウールの機能性も高く評価されているから、引っ張りだこなのだろう。

オフィスやショールーム、個人宅からの依頼も多く、堀田さんは日々、飛び回っている。

日本唯一の技術を使ったカーペットを開発

ちなみに、堀田カーペットのメインの事業はフロアや部屋全体に敷き詰める「敷き込み」なのだが、一部のお客さんからの依頼に応じられないことが何度か続いて、モヤモヤしていた時期があったそう。

カーペットを部屋にビシッと敷くのは職人の仕事で、事前にドアの高さや部屋の間取りなどチェックしなければいけないことがいくつかある。

それを一軒、一軒を見て回るのが難しかったのだ。このもどかしい思いを晴らすために開発したのが、DIYカーペット「WOOLTILE」だった。

「うちには敷き込み工事が必要なwoolflooringというブランドと、COURTというラグのブランドがあったんですけど、その中間がなかった。

それで、お客さんが自分で敷けるようなカーペットをつくればいいんじゃないかって。そうしたら、これまでなかなか請け負えなかった小さなスペースもカーペットになる。

うちのカーペットをたくさんの人に体験してらうことができるじゃないですか。思いついた時、これはもう絶対にいける!って感覚がありましたね(笑)」

開発に当たり、カギを握ったのが「アキスタイル」というタイルカーペット専用の織機だった。

「アキスタイル」というタイルカーペット専用の織機

あるウィルトンカーペット最大のメーカーが独自に開発したもので、精密なデザインをミリ単位で表現できる日本唯一のマシンである。

以前からアキスタイルに注目していた堀田さんは、2017年にその会社が倒産した際、「この技術だけは引き継がなくては」と買い取ることを決意。

使い方をわかる人が同社にしかいなかったため、働いていた職人も一緒に雇い入れた。

「もちろん、リスクも考えましたよ。でも、ウールカーペット産地を維持していくためにも、引き継いでいくことが重要だったんです。

会社としても、新しい分野を開拓したいという想いもありましたし、なによりも『うちでしかできないものづくり』ができるのは面白い、楽しいという感覚があったんです」

職人の作業風景
工場外観

堀田カーペットにしかできないものづくり

デザイナーと相談しながら進めた「WOOLTILE」のイメージは「男っぽくも女っぽくもない、かわいくもかっこよくもあるもの」。

完成したのは8カラーに4パターンの、カジュアルでありながら品の良さを感じさせるデザインだった。

「WOOLTILE」使用イメージ
「WOOLTILE」使用イメージ

無地のもののほかに、斜めに一本のラインが入っているもの、まんなかを横切るラインが入っているもの、縁取り的にラインが入っているものがある。

これを並べると、どれをとってもラインがビシッときれいにつながる。これこそ、アキスタイルの真骨頂。購入者が自由にラインを組み合わせることで、DIY感も出した。

堀田カーペットの新作、DIYカーペット「WOOLTILE」
堀田カーペットの新作、DIYカーペット「WOOLTILE」

ウールはもともと衝撃吸収力が高いけど、キッズスペースや子ども部屋で使われることも想定して防音性能も高めた。

ネットでタイルカーペットと検索すれば、数えきれないほどの商品が出てくる。しかしウール100パーセント、なおかつデザイン性の高いものはほかにない。

まさに堀田カーペットにしかできないものづくり。堀田さんに手ごたえはありますか?と尋ねると、「自信がある」と力強くうなづいた。

DIYファクトリーで「WOOLTILE」を見た妻が気にいったのは、デザイン性だった。防音のために仕方なく買わなきゃいけないものから、「リビングを彩るもの」に意識が変わったのだろう。

その後は店に敷かれたカーペットに座ったまま、何色にするか、どのデザインにするかの会議が行われた。

その間、娘は足を延ばして座ったり、また寝転んだりとウールカーペットの気持ちよさを楽しんでいた。

「WOOLTILE」の本格発売は2019年9月。堀田カーペットのECサイトで購入できる。堀田さんはその日をドキドキしながら待っている。

<取材協力>
堀田カーペット株式会社
http://www.hdc.co.jp/

「WOOLTILE」ECページ
https://shop.hdc.co.jp/pages/wooltile

<関連商品>
COURT(堀田カーペット)

文:川内イオ
写真:中村ナリコ、商品写真:堀田カーペット提供

「すりこぎの材質は山椒の木が最適」。その理由を益子の竹工房せきねで知る

こんにちは。細萱久美です。今年も、日々の暮らしを楽しく、豊かに彩る工芸や食を探訪し、「さんち」に発信していきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

前回、頼れる知り合いがいることで縁の深まった岐阜の「のぼり鯉」を紹介しました。今回も、友人や仕事のご縁もあって、ここ数年で定期的に訪ねるようになった益子町から暮らしの良品を紹介いたします。

益子町は益子焼でも有名で、以前からかなり気になる地域でもあった割に行く機会がほとんどありませんでした。

東京から車だと約2時間で小旅行感覚ですが、電車だと約3時間かかり、ペーパードライバーの私には少々腰が重たかったかもしれません。秋葉原から直行のバスがあることを知ってから、行きはヨイヨイで笠間の知り合いを訪ねては、作家さんの工房や美味しい店に連れてもらっています。

益子のすりこぎ工房へ

中川政七商店に勤務していた当時に、益子のすりこぎ工房にお世話になりました。

すりこぎ屋がつくったツボ押し
開発商品は、すりこぎを作る技術で作った「ツボ押し」。通常のすりこぎ作りには足りない細めの枝を利用して作りました。部分的に木の皮を残すので手になじみやすく、固すぎず柔らかすぎない木の触感が肌当たりも良く仕上がりました

ご相談に乗っていただいたのは、「竹工房せきね」の関根さん。

ホームページだとすりこぎがメイン商品になっていますが、精巧な竹細工の商品も様々作られています。工房での製作と、春から秋にかけては全国のクラフトマーケットを巡回することをお仕事の二大柱にされています。

山椒の木からつくられる「竹工房せきね」のすりこぎ

工房を訪ねたのは2018年2月。まだ雪の残る寒い時期でしたが、すりこぎの材料である山椒 (さんしょ) の木を採りに入る近くの山まで案内してもらいました。

特に整備されていない野生的な山で、少しの見学で終わりましたが、伐採時期は10月〜2月の真冬なので、木を切って担いで降りるのはどれだけ大変な作業だろうと想像しました。

雪が無ければまだ良くて、雪が降ると当然足もとられるし、山の麓まで行くのさえアイスバーンで危険との隣り合わせだそうです。

平地の畑に植樹も始めたそうですが、太く育つのに10年かかると。なんて気が遠い話‥‥。

すりこぎの原料となる山椒の木の植樹

そして伐採した山椒の木はすぐには使えず、約1年間しっかり乾燥させてからカットや削りの工程を経て仕上げます。

真っ直ぐとは限らず、太さもまちまちな山椒の木を1本1本加工するのも大変ですが、何より伐採作業は体力・気力無しでは続けられないことです。それもあってか、国産の山椒の木のすりこぎをここまで安定的に、専門で作る工房は他には無いかもしれません。

すりこぎの原料となる山椒の木
山椒の木を研磨機にかけて磨く様子

アケビやマタタビなどの籠やざるの産地・東北でも聞いた話を思い出しましたが、天然材料による商品作りは、当然ながら材料が無いと始まりません。

その収穫が過酷であればあるほど従事者が減少し、高齢化も重なって、製品の種類や量が減っていくのも仕方がなさそうです。

まだまだお元気な関根さんではありますが、無理はせずに続けていただきたいなと思っています。

すりこぎの材質は、なぜ山椒の木が最適?

天井から吊り下げられたすりこぎ

ところですりこぎに山椒の木が最適なのは、木に解毒作用があり、擦った際の木の粒子が、冷蔵庫の無い時代には食あたりを防ぐとされていたそうな。

現代にその必要はなくとも、自然の凸凹がしっかり握りやすく、すりこぎはやはり山椒の木が最適であると感じます。

竹工房せきねでは、直径35ミリメートル、長さ20センチメートル程度の一番人気のMサイズから、大きなものは長さ40センチメートルまで製造しています。

ただ、乾燥工程の今の時期、在庫は品薄で5月位からある程度潤沢にお届けが可能になるそう。気になる方はご予約をおすすめします。

「竹工房せきね」関根さんのすりこぎ

もしお訪ねの際は、関根さんお一人で作業されているので、事前にご連絡を。
大きいけれど温厚なワンもおります。

車でしたら、「さんち」の益子紹介スポットを回られても楽しそうです。

「竹工房せきね」の関根さん

<取材協力>
竹工房せきね
住所:栃木県芳賀郡益子町七井1162-2
電話:0285-72-4434

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

*こちらは、2019年2月12日公開の記事を再編集して掲載しました。なにげなく使っていた道具でも、丁寧に職人が作っている背景を知るとより一層愛着が増しますね。



<掲載商品>

すりこぎ屋のツボ押し

「TSBBQ ホットサンドメーカー」年間1万個を売り上げる大ヒット商品はいかにして生まれたか?

漁具の金物卸商からのスタート

三条市の山谷産業は、大ヒット商品を持っている。2013年、カラフルなキャンプ用テントのペグ(杭)を企画・製造して自社のオンラインショップで販売。1本300円からするペグが文字通り飛ぶように売れて、一般販売だけで累計で180万本を出荷した。

山谷産業のペグ エリッゼステーク・エリッゼステークアルティメット

その歴史を振り返って見れば、1979年創業の同社は、もともと漁具の金物卸商だった。

初代社長は全国を渡り歩いて漁港の組合員さんに漁具を売り歩いていたが、ある時、妻が重い病気にかかってしまい、長期の出張に行けなくなってしまった。そこで、初代が「なんとかしなくては」と始めたのがオンラインショップだ。

しかも漁師の数が減り、卸売事業は売り上げが落ちていた。そこで初代がオンライン部門へのシフトチェンジを図り、2002年に自社オンラインショップ「村の鍛冶屋」を立ち上げ。とはいえノウハウはなく、最初は「ヤフーオークション」に出品するところから始まった。

その後、ヤフーショッピング、楽天市場、アマゾンと順次出店していくなかで、売り上げがどんどん伸びていった。

そこで人手が足りなくなり、「戻ってきて、手伝ってほしい」と呼び戻されたのが、東京で別の仕事に就いていた長男の山谷武範さん。

山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん
山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん

「村の鍛冶屋では、燕三条でつくられた製品を、伝統的な工芸品や鍛冶職人の刃物などを中心に仕入れて売るようになりました」

ヤフー、楽天、アマゾンと自社サイトで売り上げは伸び続け、それに伴って掲載する品数もどんどん増えていった。今では2万超の商品を取り扱っている。

山谷産業の製品

ヒット商品を出した後の危機感

2012年に跡を継いだ山谷さんは、先述したように翌年、同社初のプライベートブランドとしてペグを投入した。しかし、「満を持して」とか「悲願の」というわけではなかった。

「弟の専務が商品開発を行なっているんですが、たまたまアウトドア好きで、プライベートで使っていた他社製品の使い勝手が良くないということで作ってみたんです。ペグって黒いものが多いんですが、なくなりやすいのでわかりやすいように色を付けました」

山谷産業のペグ

これが、プレスリリースどころか広告も出していないにもかかわらず、3カ月で1万本を売るヒット商品になって、山谷さんは驚いたという。

ペグは消耗品なので、一度、色付きを買った人はまた同じものを買いにくる。気づけば同社の主力商品になり、「山谷産業」と検索すればペグがトップに出てくるほどだった。ペグを求めてサイトを訪れる人が大半なので、アウトドア用品の販売も始め、ペグを打つペグハンマーなども開発した。

2013年、山谷産業の売り上げは3億円程度だったが、2015年には4.6億円と右肩上がり。しかし、山谷さんは危機感を抱いていた。

山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん

「もともとアウトドアメーカーでもないのに、たまたまペグが売れたからアウトドアの商品を作っているという状態で、当時は特に戦略がなかったんです。でも、一般的なメーカーさんは作った商品をいろいろなお店に卸すのに、私たちはどこにどうやって卸すのかも知らなかった。

確かにネットに載せているだけで売れていくのですが、メーカーとしてひと通りの流れを知っておかないと、今後どこかで痛い目をみるだろうと思っていました」

「これからどうしようか」と思っていたところに、三条市から「コト・ミチ人材育成スクール 第1期」開校の知らせが届き、すぐに受講を決めた。

これまでなんとなく進めていた商品開発やブランディング、商品の販売に至るまで一気通貫で学べること、地元のデザイナーやアートディレクターと知り合うきっかけになるということが背中を押した。

敏腕デザイナーとの出会い

講義は全6回。1回目「会社を診断する」、2回目「ブランドを作る(1)」、3回目「ブランドを作る(2)」、4回目「商品を作る」、5回目「コミュニケーションを考える」、6回目「成果発表会」と続く。

実際に地元企業の参加者とクリエイティブディレクター、デザイナーがタッグを組んで新商品、新サービスを開発し、最終日にプレゼンするという流れだ。毎回、宿題もたくさん出るが、山谷さんにとって、半年間の授業は思いのほか楽しかったという。

「自社の弱点や特徴を書きだしたうえで、それをどうしていくかという授業だったので、自分の会社や事業に当てはめて考えられてすごく面白かったですね。

今まで自分の中でモヤモヤしていたことが言葉になって具現化されていって、こういうことをやればいいのか、などなるほどと思うことが多くて」

山谷さんが考えた強みは「この地域(燕三条)に会社があること」。ものづくりに特化した地域だから、作りたいものがあればだいたい作ることができる。弱みは「ネット以外の販売手段がないこと」。そこを出発点に授業のなかで新商品を考案していった。

強力なサポート役となったのが、同じく講座を受講していた「フレーム」のアートディレクター、石川竜太さんだ。三条市出身で、新潟に拠点を置きながらキリンビバレッジ「生茶」、ロッテ「紗々」など大手企業のデザインワークも手掛けており、受賞歴も多い。

「講座のなかでふたり組になってプレゼンをする機会があったのですが、たまたま石川さんから声をかけてくださって。2回打ち合わせをして、『最初のブランドコンセプトを作るまで』を完成させました。

それまで、デザイナーと言えばチラシを頼むぐらいだったんですが、石川さんと話をすると、いろいろ腑に落ちるんですよ。力がある人と一緒に組むとこんなに楽なんだなと思いましたね」

お客さんのDMから生まれた商品

コトミチの授業、石川さんとの出会いを経て山谷さんが新たに立ち上げたのが新ブランド「TSBBQ」。2つの意味合いがあり、『Tsubame Sanjo BBQ』の頭文字と、かっこよくBBQやろう!という意味の『Try Stylish BBQ』からとったものだ。

TSBBQのロゴ

2017年5月には、最初の商品として、塊肉を刺してくるくる回しながら焼いてローストビーフをつくるローストスタンドをリリースした。シュラスコ、バウムクーヘンも焼けるとはいえ、実際に所有している人はレアなローストスタンドは、なぜ生まれたのだろうか?

「たまたま、村の鍛冶屋のお客さんからTwitterで『肉をぐるぐる回して焼くものが欲しいけど、日本で買うには高いから村の鍛冶屋さんで安く作ってもらえませんか?』とDMが送られてきたんです(笑)。それは面白いと思って石川さんに話したら、2時間ぐらいでブランドロゴを作ってくれました」

TSBBQ ローストスタンド

さらに、山谷さんはコトミチの1期生のプロダクトデザイナー、高橋悠さんに「こういう商品を作りたいので、デザインを考えてもらえないですか?」と相談。高橋さんの快諾を得て、商品作りがスタートした。

山谷さんの役割は、高橋さんがデザインしたプロダクトをどう具現化するか。そこは、村の鍛冶屋で培った地元企業とのつながりを活かし、最終的に地元企業4社の協力を経てローストスタンドは完成した。

販売開始にあたっては、石川さんがホームページやプレスリリースもデザイン。プレスリリースを出すことで、雑誌、新聞、テレビなどから注目を集めた。これは、山谷さんにとって驚くべきことだった。

「ペグのようにヒット商品としてメディアに載ることはありました。でも、この時は商品を出したばかりで売れる前のタイミングです。それでも面白いことを考えて発表すればメディアに取り上げてもらえるんだと知りました。露出が増えたことで、ほかの商品の売り上げも伸びましたね」

山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん

ペグに次ぐヒット商品の誕生

この勢いに乗って、半年後の12月には「TSBBQ」シリーズの第2弾をリリース。「ドリッパースタンド」、「ホーローマグ」、「ホットサンドメーカー」の3商品を投入した。

すると、リリース直後からホットサンドメーカーがさまざまなメディアに掲載され、どんどん売れ始めた。その勢いはすさまじく、1年間で1万1千個を超えた。ペグに次ぐ大ヒット商品の誕生だ。

2017年10月期のオンラインショップ売上高は5億8000万円で過去最高を記録したが、18年10月期は7億円弱に達した。人気が衰えないペグに次いで、ホットサンドメーカーも売り上げ増に大きく貢献した。

TSBBQ ホットサンドメーカー

ホットサンドメーカーは他社製品もあるが、「TSBBQ」の商品の特徴は焼き上がるとパンの表面に「TSBBQ」の燕のロゴと「Try Stylish BBQ」という焦げ目がつくところ。

ユーザーがこれをSNSにアップするたびに、ブランドロゴとメッセージが広まる。その宣伝効果は計り知れない。これも、アートディレクターを務めた石川さんの手腕だろう。

山谷さんは同時進行で、2017年10月、「燕三条 工場の祭典」開催に合わせて実店舗「村の鍛冶屋SHOP」をオープンさせた。

村の鍛冶屋SHOP 店内

これは「燕三条 工場の祭典」を監修しているmethodの山田遊さんに商品セレクトや店舗デザインの全体監修を依頼。ブランドの世界観を伝え、お客さんと直接コミュニケーションできる場を作ることで、山谷さんが弱みとして挙げていた「ネット以外の販売手段がないこと」からも脱却した。

山谷さんはコトミチで得た縁と知識をフル活用している。

2018年8月には、コトミチを受講していたプリンス工業の神子島未紗子さん、2期生でアートディレクターの「NISHIMURA DESIGN」の西村隆行さん、同じく1期生のライター丸山智子さんと組み、コトミチの手法を使って、60年前からある商品「Z缶切り」のリブランディングも始めた。

Z缶切り

形状はそのままに、従来2色だったZ缶切りを5色(赤・桜・黄・青・白)に広げたもので、これは「第29回 ニイガタIDSデザインコンペティション」で、大賞、準大賞に次ぐIDS賞を受賞している。

山谷産業

山谷さんは最初、コトミチの15万円という受講料を見た時に「高い」と感じたそうだが、今はこう言っている。

「コトミチでの出会いは本当に大きかったですね。15万円は本当に安いと思います」

山谷産業 代表取締役社長 山谷武範さん

<取材協力>
株式会社 山谷産業
代表取締役社長 山谷武範さん

山谷産業HP http://www.yamac.co.jp/
村の鍛冶屋 http://www.muranokajiya.jp/

TSBBQ ホーローマグ

文:川内イオ
写真:菅井俊之

*こちらは、2019年3月11日公開の記事を再編集して掲載しました。ビジネスの視点から見る、大ヒット商品の裏側にある偶然と戦略はとても興味深いです!

京都で「徒歩10分で400年」のタイムトリップ。庭を歩くと、南禅寺エリアはもっと楽しい

京都東山、南禅寺。

京都の庭 南禅寺

「絶景かな、絶景かな」で知られる三門や、春の桜、秋の紅葉で有名ですが、実はこのあたりは名庭がひしめく庭好きあこがれのエリア。

京都の庭 南禅寺
京都の庭 南禅寺
京都の庭 南禅寺
京都の庭 南禅寺

一般公開されている国指定の名勝庭園もあり、庭を知れば、界隈散策はもっと楽しくなります。

「ここから歩いて10分ほどのエリアに、同じ国指定名勝でも全く趣の違うお庭があります。両方めぐって約2時間ほどでしょうか。

この2つの庭を訪ねることで、約400年の時間をタイムトリップすることができるんですよ」

そう語るのは、創業以来171年、南禅寺の御用庭師を務める植彌加藤造園株式会社(うえやかとうぞうえん)知財管理部の山田咲さん。

植彌加藤造園株式会社 山田咲さん。植彌加藤造園株式会社は1848年 (嘉永元年) より大本山南禅寺の御用達を務める。南禅寺大方丈、東本願寺渉成園、無鄰菴、對龍山荘などの文化財指定庭園の育成管理のほか、星野リゾートなど新たに作庭から手がけた庭も多数
植彌加藤造園株式会社 山田咲さん。植彌加藤造園株式会社は1848年 (嘉永元年) より大本山南禅寺の御用達を務める。南禅寺大方丈、東本願寺渉成園、無鄰菴、對龍山荘などの文化財指定庭園の育成管理のほか、星野リゾートなど新たに作庭から手がけた庭も多数

2つの庭を訪ねて、400年もの時間をタイムトリップ?いったいどういうことなのでしょうか。

「お庭をめぐりながらご説明しますね」

山田さんのミステリアスな笑みに心躍らせつつ、それでは、最初の目的地へ。

いざ、「別格」の南禅寺へ

まず向かったのは南禅寺です。正式な名前は、瑞龍山 太平興国南禅禅寺。禅宗のお寺です。

すぐそばの蹴上インクラインとともに、京都でも屈指の観光名所となっています
すぐそばの蹴上インクラインとともに、京都でも屈指の観光名所となっています

歴史は古く、創建は1291年。鎌倉時代までさかのぼります。当時の亀山法皇によって創建されたお寺で、格式は「五山の上」という、文字通り京都でも別格の名刹です。

「南禅寺の現在を語るときに重要なのが、江戸時代のはじめ頃、『南禅寺 中興の祖』と言われる、以心崇伝 (いしん・すうでん) という僧です。

金地院崇伝 (こんちいん・すうでん) とも呼ばれています。この崇伝さんが、じつは家康の政治顧問もつとめたほどの人物なのです」

おかげで南禅寺は徳川家にとって大切なお寺となり、江戸時代を通して隆盛を誇りました。

明治時代になると、政府による上知令で敷地の約7割が没収されましたが、それでもなお、三門、法堂、名勝庭園のある方丈など広い敷地を有し、私たちを迎えてくれています。

「絶景かな、絶景かな」で知られる三門から、枯山水の大方丈庭園へとめぐりましょう。

紅葉と桜の名所になったのは昭和から

松の連なる参道を抜けて境内に入ると、まず最初に目に飛び込んでくるのが、有名な三門の雄姿です。

南禅寺 三門

南禅寺といえば、春は桜、秋は紅葉。絶景写真スポットとしても人気です。その代表格ともいえるのが、この三門。ところが、山田さんから意外な言葉がとびだします。

「ここはもともとほとんどが松だったんですよ。紅葉や桜などの落葉樹を植えるようになったのは、前の東京オリンピック以降。ここ50~60年ほどのことだそうです」

三門から振り返ると、少し赤松が見て取れます
三門から振り返ると、少し赤松が見て取れます

そうなんですか。ガイドブックやポスターで見るのも紅葉や桜の写真が多く、京都が誇る観光名所という印象がありました。

「はい。その観光の影響で、このように植栽も変化してきたんですね。

江戸時代末期の文人である頼山陽(らい・さんよう)は『一帯の青松(せいしょう)道迷わず』と書いており、松ばかりだったことがわかります。いま見ている景色は、じつは新しいんですね」

三門の風景が美しい理由

三門に近づくと、額縁のように切り取られた風景のなんと美しいこと。文字通り絵のような風景で、思わずシャッターを切りたくなります。

京都の庭 南禅寺

「枠で切り取られた風景の美しさにも、じつは秘密があります」

と、言いますと?

「参道からの動線、視界の広がり、三門からの見え方を全て計算してあります。紅葉なら紅葉らしい枝ぶりになるよう、人の手で整えているのです」

京都の庭 南禅寺

そうだったのですか。とても自然な感じに見えるので、言われなければ気づきませんね。

「現代は、自然の自然らしさを表現した庭が好まれますが、これは明治以降の庭のあり方と言えます。

紅葉は紅葉らしく、松は松らしく。庭を見るときは、すべてそのように手を入れて育てている『人為』と思って見ていただくといいと思います」

「滝の間」に隠された職人技

三門をくぐり、法堂にお参りをし、国指定名勝庭園のある「方丈」(禅宗寺院のお堂) へと向かいます。大方丈と小方丈からなる建物で、大方丈は昭和26年に国の名勝に指定されています。

方丈に入って、すぐ右手にあるのが「滝の間」と呼ばれる一室です。窓の向こうには一幅の絵のような滝のある庭が広がっています。

南禅寺 方丈 滝の間

「ここも、山にある滝のような情景を、人為でつくり出しています」

どんな工夫がされているのですか。

「滝の手前に、紅葉の枝があるのがわかりますか」

はい、わかります。流れに手をさしのべるように、枝がさしかかって見えます。

京都の庭 南禅寺

あれは『飛泉障り』(ひせんさわり)といって、伝統的な造園技法のひとつです。

滝の手前に木を配して、枝をさしのべる。それによって、滝に奥行きをもたせ、眺めに深みを与えることを目的としています」

滝との位置関係を計算して植えてあるのですか。庭師の技ですね。

「ただ滝だけあっても、滝らしく見えないものなのです。そこで、良いあんばいで枝がかかるよう、出すぎず、隠しすぎないよう、日々、手入れを重ねています」

南禅寺 方丈 滝の間

滝が滝らしく見える条件があったのですね。作為を気づかせない庭師の技、まだまだたくさん隠されていそうです。

方丈庭園はどこから見るべきか?

南禅寺 方丈の廊下

廊下を進むと、いよいよ方丈庭園が姿をあらわしました。真っ白の砂紋が目にも眩しい枯山水庭園です。

思わず足をとめ、縁側からの眺めに見とれます。そこへ、山田さんのご提案。

「あちら側から見ましょうか」

うながされて、縁側を先まで進むと、‥‥なんだか、お庭の印象が少し変わった気がします。気のせいでしょうか?

南禅寺 方丈庭園

「いえ、気のせいではありません。建物のつくりからして、もともとはこちらからアプローチしていたと考えられます」

現在の園路は、来訪者がスムーズに巡回できるよう配慮された見学用の園路です。そのため、造営当初の想定とは異なる入り口から入るかたちになっているのだとか。一般公開されている名勝庭園にはよくあることだそうです。

「立ったままよりも、ぜひ座って見てみてください」と、山田さん。

床に座ると、立っているのとは目線の高さが変わります。江戸時代の庭園は「部屋から見るもの」でした。とくに上座 (位の高い人が座る席) から最も良く見えるようにつくられているのだそうです。

枯山水の名庭を味わう

では、座敷を背にした特等席から、方丈庭園をながめてみましょう。

白い砂紋。点々と配置された石。木々。そして背後に広がる東山。時間の経つのを忘れそうです。

室内の上座から見た庭園
室内の上座から見た庭園

「ぜひ石をごらんください。庭園では、石の配置が重要です。こうした石を、景色を構成する『景石』と呼んで、島や陸、あるいは象徴的な鶴や亀などの動物などを表現する場合が多いです」

京都の庭 南禅寺

石が島。ということは、白砂は‥‥?

「枯山水庭園の白砂は、水をあらわしています。つまり、このひとつの庭に、大きな海とそこに浮かぶ島の情景を再現しているわけです」

京都の庭 南禅寺

石ひとつで島を表現し、目の前に海を再現する。すごい世界観ですね。

「はい。庭にかぎらず、日本文化は『見立て』の考えを用いる場合がよくあります。ここでは、石を島に見立てているんですね」

この大方丈庭園は「虎の子渡しの庭」と呼ばれているそうですが、それも「見立て」と言えるのでしょうか。

「そうですね。『虎の子渡し』は明治以降に言われはじめたようですから、当時の人がこの庭の姿にそうした情景を見て取ったのでしょうね」

京都の庭 南禅寺

「江戸の庭」から数歩で「昭和の庭」へ

続いては、小方丈庭園、別名「如心庭」です。こちらも大方丈庭園と同様の、白砂に石を配した枯山水庭園です。

小方丈庭園、別名「如心庭」
京都の庭 南禅寺

「じつは、この庭は新しいお庭です」

「新しい」というと、いつ頃のものなのでしょう。

「昭和41年につくられたもので、弊社の先先代が造営させていただきました。続く『六道庭』もそうです」

江戸時代からずいぶんジャンプするのですね!

「その間には、何百年もの時間が流れています。ですが、言われなければ、さっきの大方丈庭園の続きのようにも感じられるのではないでしょうか」

京都の庭 南禅寺

はい。驚きました。まさにタイムトリップですね。

「こうして長い歳月を一気に飛び越えることができるのも、日本庭園のおもしろいところです。いろんな楽しみ方ができますので、何度お越しいただいても発見があると思いますよ」

木の声を聞く

方丈の庭園を満喫して外に出ると、ちょうど庭師さんが松の手入れをしているところに出会いました。

訪ねたのはちょうど新緑の季節。今は何をされているところなのでしょう?

方丈庭園の手入れをする庭師

「芽つみといって、春に伸びる芽をつんでいます。伸びた芽を放っておくと、そのままどんどん伸びていきますから」

なるべく年中通して同じ姿にしておくため、春の芽つみと秋の葉むしりは、松の手入れの大事な作業のひとつだそうです。

作業はもちろんすべて手作業です。ひとつずつ手で丁寧に摘んでいく庭師さん。よく見ると、少しずつ摘み方が違うようです。

松の芽
方丈庭園の手入れをする庭師

「木の上と下。日当たりのいいところと悪いところ。養分のバランスも考えて、弱いところは守り、元気なところを大きく落としてます」

言われてみればたしかに、植物は生きものです。一本の木の中でも枝によって強い弱いがある。それに配慮して、「育てる」という視点を大切に、庭師さんは手入れをしているのですね。

「とはいえ、生きもの相手、自然相手ですから、思った通りにはなりませんし、セオリー通りにもなりません。それが自然というものですから。庭師は、なすべきことを、なすべきように、やっていくだけです」

方丈庭園の手入れをする庭師

まるで木の声を聞いているかのような、庭師さんの姿。そうして何百年もの歳月を超えて受け継がれてきたのが、今目の前にある庭園。

庭師さんの職人魂、人智を超えた「自然」への深い敬意を感じた一場面でした。

 


 

ここまで、まずは江戸時代から現代につづく南禅寺の庭園を堪能しました。

続いては、明治の日本庭園を代表する名庭と言われる「無鄰菴庭園」へと向かいます。

サスペンスドラマロケ地としても有名な、南禅寺敷地内にあるアーチ橋「水路閣」。当日もちょうどロケが行われていました
サスペンスドラマロケ地としても有名な、南禅寺敷地内にあるアーチ橋「水路閣」。当日もちょうどロケが行われていました

<取材協力>
植彌加藤造園株式会社 (Ueyakato Landscape)
https://ueyakato.jp/

文:福田容子
写真:山下桂子

津軽の伝承料理をフルコースで味わえる。「津軽あかつきの会」が仕掛ける、楽しい「食の伝え方」

津軽に寄ったら必ず訪れてほしいごはん処があります。

といっても表立った看板はなく、一見普通のお家。

しかし中に入れば10人近い「シェフ」が厨房を切り盛りする、ここは「津軽あかつきの会」。

「津軽あかつきの会」

会長である工藤良子さん宅を開放して、週に4日、地元津軽の伝承料理を提供しています。

「津軽あかつきの会」

この日お膳に並んだのは春の素材をふんだんに使った16品。

「津軽あかつきの会」のお膳

手がけた「シェフ」はみな、地元のお母さんたちです。

「子どもも手が離れてやっと自分の時間ができたから、ここで料理を勉強させてもらっているの」

長年台所に立ってきたであろうベテランの主婦の方でもそう語るほど、津軽に代々伝わる料理のレパートリーは幅広く、奥深いもの。

作物の採れない冬を越すために、工夫を凝らした様々な保存食が大切に伝承されてきました。

魚を焼いている様子
おかずを盛り付けている様子

そのできる限りを記録し、自ら作って後世に残していこうと工藤さんはじめ有志数人が活動を始めたのは、20年近く前のこと。

地域のお年寄りに伝承料理について聞いてみると、「知らなかった」料理に次々に出会ったそうです。

津軽あかつきの会
津軽あかつきの会
津軽あかつきの会
津軽あかつきの会

米、山菜、豆、海草など、土地の素材を生かし、無駄にせず、美味しく。

流通や食品管理が発達し、保存食の必要性は既にすっかり薄くなっていた時代、「今継いで行かなければ、消えてしまう」と工藤さんたちは危機感を抱いたそうです。

仲間で地域の家々を周って料理上手のお年寄りから伝統的な料理を教わり、地元の道の駅で伝承料理の朝ごはんを提供するように。

早朝から活動するので、「あかつきの会」と名前がつきました。

津軽の代表的な料理のひとつ「けの汁」
この日の食卓にものぼった「けの汁」。津軽の代表的な料理のひとつで、津軽の七草がゆとも呼ばれる、栄養たっぷりの汁もの
けの汁の味付けの決め手となる味噌
けの汁の味付けの決め手は味噌とのこと

2006年には聞き取った料理の作り方をまとめた本も発刊。

活動の一環として開くようになった予約制の食事会は、今では遠方からも人が訪ねて来ます。

調理の合間に予約の電話を受ける工藤さん
調理の合間に予約の電話を受ける工藤さん。もともと年に一度身内で開いていた成果発表の食事会にラブコールが多く寄せられ、3年ほど前からご自宅を開放して誰でも参加できる食事会が始まりました

会のメンバーも次第に輪が広まり、今では29名の方が名を連ねるほどに。

頭にはお揃いのりんごの三角巾
頭にはお揃いのりんごの三角巾

それぞれの都合に合わせ、常時7,8名が入れ替わり立ち代わり、あかつきの厨房に立ちます。

あかつきの厨房に立つ地元のお母さん
あかつきの厨房に立つ地元のお母さん

「作るときはね、お盆と正月がいっぺんに来たような忙しさ。でもそれが楽しいの」

あかつきの厨房に立つ地元のお母さん
あかつきの厨房に立つ地元のお母さん
この日の献立
この日の献立。メニューは材料を見ながらその時々で話し合って決める
ザルには今朝取れた山菜がたっぷり
ザルには今朝取れた山菜がたっぷり
天然の温泉水のみで育つ「大鰐温泉もやし」
ここ数年県外でも人気が高まっているという、天然の温泉水のみで育つ「大鰐温泉もやし」
暁の厨房に立つ地元のお母さん
これはどうしたらいいかな、お互いに声を掛け合いながら、新入りメンバーは先輩に相談しながら、テキパキと同時進行で調理が進んでいきます
旬のふきのとう
旬のふきのとうは‥‥
ふきのとうを油であげる様子
天ぷらに!
もやしの味付け
先ほどのもやし
小鉢に盛り付けられたおかずが並ぶ
だんだんメニューが揃ってきました
彩りを添える葉
彩りを添える葉も自分たちで取ってきたもの
膳上げという台
これは膳上げという台。客人が多い時にお膳を一斉に置ける作りになっており、一般の家庭にも昔はよくあったそう
提供するうつわは全て地域の家や旅館などで不要になったものを活用しているそう

この日来ていたのは偶然にも、工藤さんの中学時代の同級生という女性。かつての学友の活躍を知って、友人を誘って訪ねて来たそうです。

膳をかこんで食事している風景

「このうつわ懐かしいわ」

「こんな風に味付けするの」

やはり地元のお母さんたちでも、知らないレシピばかりのよう。嬉しそうに会話を弾ませながら、一品一品発見を楽しむように食卓を囲んでいました。

食べている間にもどんどん次の一品が運ばれて来ます。食感も味付けもそれぞれに違って楽しめるのに、どれも共通して優しい味わい。

お膳のおかず
実は翌日の献立用だったものを、おまけね、と出してくれた温泉もやし
実は翌日の献立用だったものを、おまけね、と出してくれた温泉もやし

「大事なのは、塩じゃなくて、出汁を効かせること。そうするとしょっぱくなく味が出るの」

保存食には、こうした出汁の準備など下ごしらえが欠かせません。そのため予約は3日前までにとの決まりがあります。

乾物を水で戻しているところ
乾物を水で戻しているところ

何日も手間暇をかけ、10人がかりで作る食べきれないほどのご馳走。それが一人たった1500円で味わえるということに、さらに驚きます。

「お金にならない場所は、楽しくないと誰も来ないでしょ」

大事なのは儲けることより、作る人も、食べる人も、この土地の料理を囲んで楽しい時間を過ごすこと。

20年前に工藤さんたちが願った未来は、明るい食卓の周りにしっかりと実っていました。

津軽あかつきの会 集合写真

<取材協力>
津軽あかつきの会
青森県弘前市石川家岸44-13
0172-49-7002
※食事会は木、金、土、日の12:00~14:00。4名から受付、3日前までに要予約。

文:尾島可奈子
写真:船橋陽馬

わたしの一皿 シュッとした琉球ガラスのうつわ

ここ二週間ほどは沖縄や台湾で梅雨明けのカンカン照りをくらいました。真夏の暑さを一気に思い出して、少々ひるんでおります。

年々暑さに弱くなってきている気がする、みんげい おくむらの奥村です。

先々月、香味野菜のことを書いたんだけど、実はここ2年ほどさらにハマってる野菜がありまして今日はその話を。

ここ数年日本の陶芸に大きな影響を与えた朝鮮の焼き物を学びに彼の地に出かけています。そこで、それまでに食べたことがなかったわけじゃないけど、いまいち印象がうすかったそれに見事にハマりました。

シソに似てるけどちょっと違う、エゴマです。エゴマの葉。

えごまの葉

日本でもそれまでに食べたことはあったのだけど、そこまでスイッチが入らなかった。パクチーと同じでしょうか。ある一定量食べたらスイッチ入っちゃう、みたいな。やってきたんですよ。それは突然に。

あの独特の香り、ずっと嗅いでいたい。枕元にも置いておきたい。風呂にも浮かべたい。

あのパンチの強さったらなんでしょうね。シソの爽やかさに対してこちらは野性味が強い、というか。

韓国、朝鮮料理では焼肉の時に肉を巻いてよく食べるのだけど、現地では日本では考えられないぐらいたっぷり出てくるので嬉しい。それすら足りなくておかわりしちゃうけど。

そんなエゴマの葉。この香りを楽しむならタコやイカ、白身の魚なんかと合わせたら面白いだろうなぁと思い立ってやってみたのが今日の食べ方。

琉球ガラスのうつわ

うつわは、沖縄のガラス工房清天の一皿

うつわもこれかな、と思ったものがやっぱりよかった。沖縄のガラス工房清天のもの。気泡が入った面白い表情のもの。ちょっとくずきりみたいでしょう。

ここのガラスの面白いところは再生ガラスではあるのだけど、ちょっとシュッとしているところ。わかりにくい表現ですね。良い意味で沖縄のうつわに見えないところ、とでも言いましょうか。そんなところが気に入っています。

沖縄だけでなく、イランやメキシコ、再生ガラスのうつわはぽってり感が魅力的でもあるのだけれど、分厚かったり、ずんぐりしてたりするだけが魅力じゃない。

琉球ガラスのうつわ

このうつわは色も明るすぎることもないし、雰囲気も涼やかではあるけれど夏っぽすぎることもないし、年中何も考えずに使える。それが好き。

それでも、手に持った感じの心地よい厚みは沖縄の再生ガラスのうつわのよいところをきちんと押さえている。薄いガラスのうつわだとちょっと緊張感があるので怖いけど、これくらいの厚みだと、取り皿にして多少雑に扱っても平気なぐらいだから、この時期特に使い勝手がよい。

エゴマの葉を刻む

さてとエゴマは5ミリちょい幅くらいに切って。もっと細い糸づくりみたいな刺身だったら3ミリくらいでもいいですね。

まあ、この辺は好みです。料理のプロでもありませんから。切ったそばから香ってくるんだな、エゴマ。

エゴマの葉とタコを和える

タコは軽くボイルしたもの。これを切ったエゴマと合えるだけ。ちなみに、この皿自体はどんな刺身にも合います。赤身も、ピンクっぽいものも、白身も。魚のみならず、例えばスライスしただけのトマトでも良いし。使いやすい。

醤油とごま油を合わせたタレをシンプルにかけます。ここに足すなら辛味の刻み唐辛子か、コチュジャンみたいなところでしょうか。とにかく香りが主役なのであまり多くは足しません。

本来ならエゴマ自体も少々で良いんでしょうが、とにかくエゴマをムシャムシャしたいので、エゴマは多め。

エゴマの葉とタコの和え物。琉球ガラスのうつわに盛り付け

さてと食べますか。エゴマの葉の香りとタコの食感、たまらんですよ。エゴマ、なんとなくパワーがあるから夏バテなんかに良さそう、と勝手に思ってます。たぶんそうでしょう。

実は夏バテなんかしていられないんですよ、今年は。本を出しますので、この夏はその原稿をひたすら書かにゃならんのです。

本は旅の本。詳細はまた追って。エゴマをむしゃむしゃ、書きまくります。どうぞご期待ください。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍