あの名画の質感を再現。大塚オーミ陶業が手がける「陶板名画」の制作現場

世界で初めての「陶板名画美術館」として注目を集める、徳島県の「大塚国際美術館」。

2018年のNHK紅白歌合戦で米津玄師さんがテレビ放送で初めて歌唱を披露した舞台としても話題を呼びました。

大塚国際美術館 正面玄関
大塚国際美術館は、瀬戸内海を臨む国立公園の中にあります。景観を損わぬよう、山をくり抜いた中に建てられました。地下3階から地上2階まで合計5つのフロアからなる、鑑賞距離4キロメートルにも及ぶ広大な美術館です。約1000点もの作品が展示されています (画像提供:大塚国際美術館)

見どころは何と言っても、古代壁画から現代絵画まで西洋名画の数々を原寸大に質感や筆使いまで「再現」した陶板名画。

「モナ・リザ」、「最後の晩餐」、「ゲルニカ」など、世界26カ国190以上の美術館が所蔵する名画の感動を、日本にいながらにして味わうことができます。

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」のレプリカ
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」。館内の作品にはそうっと触れることも可能。筆跡や絵の具のひび割れの様子を肌で感じながら作品を味わえます
モネの「大睡蓮」
屋外に展示されたモネの「大睡蓮」。青空の下の睡蓮は、光の描写がよりいっそう美しく感じられました (画像提供:大塚国際美術館)

*前回ご紹介した大塚国際美術館の見どころ記事はこちら:大塚国際美術館が誇る「世界の陶板名画」4つの楽しみ方

支えるのは、大塚オーミ陶業のやきもの技術

この陶板絵画の展示を、独自のやきもの技術により可能にしたのが大塚オーミ陶業株式会社。

きっかけは、地元鳴門の白砂を活用したタイル作りから始まった取り組みでした。開発を進める中で、世界初の薄くて歪みのない堅牢な大型陶板づくりに成功します。

活用方法の1つとして、この大型陶板で美術品を作っては?というアイデアもあり、現在展示されている名画陶板の数々が生み出されることに。

技術が発展した現在は、滋賀県甲賀市信楽町の工場で色の分解から焼成まで全てを行っています。

この陶板はどのようにして作られているのでしょう。製作の工程を詳しく伺いました。

著作権者の承諾に奔走、現地へ赴いて原画を調査

陶板名画の制作は原画の著作権者、所有者の許諾を得ることから始まります。試作品の出来栄えを確認するまで、製作許可が下りないという厳しい条件の場合も。オリジナルを守るための厳しい品質チェックは必須です。許諾を得るだけで数年を要することもあるのだそう。

許諾が得られたら、原画の確認や現地調査。書籍・文献には記されていない情報も多いため、現地で様々な角度から何枚も撮影し、全体像のほか、細部の傷や凹凸などを調べ上げ、仕上げの参考資料に。光のあたり具合など作品の状態を体感したり、現地の専門家に話を聞いたりして作品を調べつくします。

原画撮影:《ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠》
ルーヴル美術館所蔵「ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」の現地調査の様子。巨大な絵画を撮影して細部を記録するのは大掛かりな作業です。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)
《ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠》。ルーヴル美術館所蔵のレプリカ
できあがった陶板の《ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠》。展示室の壁紙の色も合わせ、現地の雰囲気に近い状態で鑑賞できます

色の分解で、2万色の釉薬から原画を再現

陶板の上に転写シートを使ってベースとなる絵を乗せ、1000〜1350度の高温で約8時間かけて焼成します。専用の釉薬の種類は約2万色にも及びます。原画の色を解析することで、ベストな色を見つけ出すのだそう。

色分解
まず原画を解析して赤・青・黄・黒の4色に分解。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)
解析した指定色をもとに、転写シートを作成します。シルクスクリーンに順番に釉薬を乗せていきます。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)
解析した指定色をもとに、転写シートを作成します。シルクスクリーンに順番に釉薬を乗せていきます。こうしてできた転写シートを陶板にのせて焼き上げることで、陶板上に原画の図柄が描かれます (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)

仕上げは、職人の「目」がものを言う

転写シートを乗せて焼きあがった陶板は、あくまでベースの状態。ここからは職人の「目」が試されるところ。釉薬を塗り重ねて微妙な色合いの調整が始まります。

原画の資料や現地での記憶を頼りに、色や仕上がりの立体感を手で加えていきます。

原画の資料や現地での記録を頼りに、色や仕上がりの立体感を手で加えていきます。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)
原画の資料や現地での記録を頼りに、色や仕上がりの立体感を手で加えていきます。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)
レタッチ2
油絵の具の盛り上がりも精緻に再現していきます。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)

油絵の具などと違い、釉薬は焼きあがると色味が変化するもの。仕上がりを計算しながら着色、焼成を繰り返して完成させます。濃くなりすぎないよう薄い色を重ねることから始め、平均して5〜6回この工程を繰り返してやっと満足のいく仕上がりになるのだとか。微妙な色合いを調整していることが伺えます。

最終焼成
最終焼成の様子 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)

陶板が焼き上がったら、社内での最終検証を行った上で、監修者や原画の所有者による検品。こうして、やっと承諾を得られたものが大塚国際美術館に飾られます。

フィラデルフィア美術館所蔵のゴッホの「ヒマワリ」検証の様子。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)
フィラデルフィア美術館所蔵のゴッホの「ヒマワリ」検証の様子。 (画像提供:大塚オーミ陶業株式会社)

セラミックアーカイブの可能性

大塚オーミ陶業のやきもの技術は、大塚国際美術館での作品展示にとどまらず様々な場所で活用され、注目を集めています。

2018年には、「第7回ものづくり日本大賞 伝統技術の応用部門」で、文化庁依頼による奈良県明日香村「キトラ古墳の石室内壁画」の複製に携わった社員の代表7名が内閣総理大臣賞を受賞。「立体的製陶技術」を用いた文化財の複製が評価されました。

奈良県明日香村 キトラ古墳の復元
大塚国際美術館に展示された「キトラ古墳」の複製見本。
キトラ古墳の復元
石室内壁画を陶板で原寸大に複製。壁の質感や漆喰のひび割れも忠実に再現されています

「何度も重ね焼きしても割れない」「高い寸法精度を保ち、歪みが生じない高精度な成形技術を備える」「色彩や質感等についても焼成工程で発色する釉薬で狙い通りに仕上がる」という特長を持つ同社の技術。

熱や湿度、紫外線などに強い焼き物の特性を生かし、半永久的な耐久性を有する新たな記録保存方法 (セラミックアーカイブ) として、文化財の記録と保存に取組み、手で触れることができるなど文化財の多様な活用を提供していることが評価されたのだそう。

縄文土器のレプリカ。手で触れてその感触を体験できる
こちらは大塚国際美術館に展示されている縄文時代の「火焰土器」 (新潟県長岡市出土) の複製。形状や表面状態だけでなく、重量までも再現しているのだそう。手で触れてその感触を体験できるのが嬉しく、印象的でした

美術への関心の入口として

大塚国際美術館に展示された陶板名画の数々。そばで見て、触れているとその作品の魅力をたくさん発見します。これまで興味の沸いていなかった作品に魅了されたり、好きだった作品がもっと好きになったり。そして、原画を見に出かけたくなります。

旅行前の予習として、旅行の思い出の振り返りとして訪れる方も多いといいます。

私たちが訪れた日も、早朝から多くの観光バスが入り口に停まり、一般客のほか、遠足で訪れた幼稚園児や課外学習中の学生、海外からの視察団体など様々な来館者で賑わっていました。お客さんの年齢層も幅広く、開かれた場所のように感じます。

陶板を通じて、美術作品への興味関心が高まる。やきもの技術が拓く、新たな可能性がここにありました。

<取材協力>

大塚国際美術館

徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦字福池65-1

088-687-3737

http://o-museum.or.jp/



大塚オーミ陶業

大阪市中央区大手通3-2-21

06-6943-6695

https://www.ohmi.co.jp/

文:小俣荘子

写真:直江泰治

*こちらは、2019年4月19日公開の記事を再編集して掲載しました。見て、触れて楽しめるので、子どもと一緒にお出かけするのも良いですね。

“土鍋炊き派”がたどり着いた、大谷製陶所のライスクッカーの美味しさ

こんにちは。細萱久美です。

最近の自分の衣食住を考えると、重きを置いている順は住>食>衣となり、20代の頃と逆転しています。

現在の住まいは賃貸なので、こだわれる範囲で家具やインテリアに好きなモノを集めては見せる収納に励んでいます。できたら一番こだわりたい台所は、一人で動くのに程々なサイズ。

一般的に台所の中でスペースを取るのは家電でしょうか。冷蔵庫やガス台は必須として、それ以外の家電は、自分のニーズや生活スタイルに合わせて厳選しました。

生活様式・好みに合わせた道具えらび

私は朝食がパン食なので、まずトースターは必要ですが省スペースの縦型をチョイス。電子レンジは無くてもなんとかなりそうでしたが、オーブン料理に憧れてオーブン機能に優れたレンジを選びました。

家電は以上が全てで、例えば電気ケトルや炊飯器はありません。お湯は鉄瓶、ご飯は土鍋で炊いています。

「大谷製陶所」大谷哲也さん作のライスクッカー

置き場所の問題もありますが、一番の理由は単純に美味しいから。鉄瓶で沸かしたお湯はまろやかで白湯も美味しく、土鍋で炊いたご飯は香り、甘み、弾力が格別です。

毎朝お弁当作りに忙しいご家庭などは、タイマーもある炊飯器の方が便利かもしれませんが、毎日も炊かない今の自分には土鍋がベストな道具だと感じています。

「大谷製陶所」大谷哲也さん作のライスクッカー
「大谷製陶所」大谷哲也さん作のライスクッカー

ちなみにご飯の美味しさは、アミラーゼという酵素がお米のデンプンを分解して、甘みや旨みの成分を作りだすことで生まれるそうです。

アミラーゼを働かせるコツは、ゆっくり時間を掛けて加熱し、沸騰後はその状態をキープ。炊き上がった後もじわじわと熱が入ると余分な水分が飛んで、粒のたった美味しいご飯となる原理です。

なんとなく耳にしたことのある「はじめチョロチョロ中パッパ、赤子泣いてもふた取るな」とは、かまど炊きご飯の火加減のコツとして継がれてきた説ですが、その意味するところは、

「はじめチョロチョロ」
最初は弱火でチョロチョロと鍋全体を温めることで、ムラなくお米に水分を吸収させる。

「中パッパ」
一気に強火にし沸騰させる。(火を弱め沸騰を維持したまま炊き上げる。)

「赤子泣いてもふた取るな」
すぐふたを取らずに高温でしっかりと蒸らして炊き上がり。

この火加減を薪で調整していたと思うと凄いですね。

そしてアミラーゼ云々のうんちくは知らずとも、自然と身に付いた美味しいご飯の炊き方が口承されてきた日本の食文化は改めて素敵だなと思います。

土鍋は熱しづらくその分保温性は高い性質があり、いきなり強火で炊き始めても「はじめチョロチョロ」状態になり、沸騰して「中パッパ」にしたら火を弱めて水気がなくなるまで炊きます。

火を止めたら「ふた取るな」でしっかり蒸らしてでき上がり。やってみるとさほど難しい火加減もなく、美味しいご飯を炊く理想的な状態を簡単に作ることができる道具です。

“ご飯を炊く土鍋”の選び方

様々な土鍋が売られているので選ぶポイントを挙げると、まず「炊飯用土鍋」から選ぶのが間違いないと思います。

炊飯用は、ご飯を美味しく炊けるように厚みや深さ、蓋の作りが考えられているものが多いです。特に「吹きこぼれしにくい」と謳っていたり、その評価のある土鍋を選ぶと、ストレスなく使い続けられると思います。

あとは、何合炊くことが多いのかでサイズを決めますが、炊飯用土鍋は一般的な土鍋に比べて厚みがあり重い傾向があるので、特に初めての場合は使うのが億劫にならないように必要最小限のサイズを選ぶ方が良いかもしれません。

「大谷製陶所」大谷哲也さん作のライスクッカー

私が長年愛用している土鍋は、「大谷製陶所」の大谷哲也さん作。その名もライスクッカーというご飯を炊くための土鍋です。

10年使っているので多少味が出てきましたが、落として割らない限り一生使えそうな頼もしさ。

大谷さんはライスクッカーをはじめ、作り続けている定番商品が多く、知る人が見たら大谷さんの作品と分かります。

ライスクッカーは、磁器土に白釉を施した滑らかな手触りと、全体的に丸みのある曲線が特徴的。この素材・厚み・形のバランスが、お米を美味しいご飯に変化させるように思います。

二重蓋の土鍋もありますが、ライスクッカーの蓋は一つ。重たい蓋が熱をぎゅっと閉じ込めて、吹きこぼれもありません。

土鍋は全般的に炊飯器よりも早く炊き上がるようで、このライスクッカーも炊き始めから蒸らし終わりまで約30分。

ちょっと長めに炊き過ぎても、香ばしいおこげはむしろ美味しく、あえておこげを作ったりできるのも土鍋ならでは。

蒸らし上がって蓋を開ける時、ご飯の甘くほんのり香ばしい香りに毎回喜びを感じます。

土鍋は食卓にそのまま置いても様になり、保温性も高いので、食事中は十分温かいご飯が楽しめます。

唯一気を付けたいのは、美味しくて食べ過ぎることですが、もうすぐ新米のシーズンなのでますます出番も増えそうです。

「大谷製陶所」大谷哲也さん作のライスクッカーで炊いたご飯

<紹介した工房>
大谷製陶所
滋賀県甲賀市信楽町田代79−15
https://www.ootanis.com/

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

わたしの一皿 卵とうつわは火加減で

先月は本を出す、と書きました。なのでこの一ヶ月は買い付けやら出かけた先でひたすら原稿を書いています。沖縄から北海道まで。

本はおとなり中国の手仕事を巡る旅のこと。そう、日本だけでなくあちこちを巡り歩いているのです。みんげい おくむらの奥村です。

そんなわけで日本のあちこちを飛び回りながらも頭の中が中国ですから、ここのところ作る料理はいわゆる中華が多い。今日もそんな一品。

これを知った人生と知らなかった人生とは大きく違う。大げさですかね。いや、本当にそう思う。

こちら男子ですから、なんとなくおかずに肉とか魚とか欲しいんですよ。しかしこれ、肉も魚もないのにご飯が進むやつ。そして超絶シンプルな素材。

いや、これはぜひ男子に覚えて欲しい一品です。いろんな場面で使って頂きたい。

材料:トマトと卵

用意するのはトマトと卵。だけ。油と塩と砂糖と水も少しずつお願いします。

はい、トマトと卵の炒め物です。これが、うまいんだ。ご飯進んじゃうんだもの。

今回は家の冷蔵庫にちょっとしわしわになりかけぐらいの完熟ミニトマトがあったのでそれを使ってます。ミニである必要はない。むしろふつうのトマトの方が個人的には好きだけど、冷蔵庫にあったもので作れるぐらいがこの料理はちょうどいい。

トマトと卵の炒め物

卵を先に炒めて取り出して、トマトを炒め、最後に卵を入れて合わせる。

とそれだけなんだけど、ポイントは砂糖で甘みを加えることでしょうか。砂糖はなくても良いけど個人的には絶対アリ派。

あと、今回はシャバシャバにしていないのだけど、ふつうのトマトだったら水分が結構でるのでさらに水を加えてシャバシャバにして、まるで飲み物かのように仕上げるのも好き。丼にしちゃえば白米がガツガツ食べられます。

数分で出来て、みんなが笑顔になる。理想的な一品ではないか、と。

鹿児島、艸茅窯(そうぼうがま)の川野恭和(かわのみちかず)さんのうつわ

今日のうつわは鹿児島、艸茅窯(そうぼうがま)の川野恭和(かわのみちかず)さんのうつわです。以前に紹介した福岡県の祐工窯の阿部眞士さんの兄弟子にあたる、磁器の作り手さんです。

磁器らしく、形にはシャープさもあるけれど、全体としてはとてもやわらかい印象のうつわ。

青とも緑とも独特な美しい色合いは磁器ならではのものだし、この暑い時期には見た目の印象も良い。

繊細な磁器の仕事。川野さんは独立し、故郷鹿児島に帰るも桜島の灰が降ることがある地元の町ではこの仕事が出来ないと考え、現在の場所に窯を構えました。

潔い形、あっけらかんとした姿は使っていけばいくほど良さを感じられるもので、そうなるともう一枚、また一枚、と欲しくなる。そんなうつわの作り手です。

川野さんの仕事で特に皆がおどろくのは蓋つきのツボや急須・ポットなど丸いフォルムのもので、その健康的な美しさは類を見ない。

うつわに盛り付ける様子

今回の真っ平らなうつわは当たり前だが使いやすい。うちの扱いの多くのものは土や窯の個性から、真っ平らなうつわを作りにくい。なのでこれはうちのうつわでも珍しいうつわ。

個人的にはナポリタンだったり、ハンバーグだったり、日本の洋食屋さんで出て来るようなものをこのうつわに盛るのが楽しいと思う。エビフライもいいですね。ポテトサラダなんか添えて。

卵を炒めている風景

そうだ、トマト卵炒めで大事なこと。卵をガチガチにしてしまいわないように気をつけたい。

いかにたまごをふわっと柔らかにできるか。なんどもなんども作って、好みの加減を見つけたい。火加減で仕上がりがこんなにも変わるのか、と。

うつわ作りも火加減ですね。同じように見えるうつわでも、火加減で雰囲気がだいぶ変わるもの。

レアもウェルダンもあるんです。手に取ったうつわからそんなことを想像してみるのも面白いもんですよ。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

日本最古のあんこ屋が大転換。風味が激変した「先生の豆殺し」

知られざるあんこの歴史

あんぱん、お汁粉、どら焼き、もなか、まんじゅう、お餅、あずきバー‥‥。

あんこを使った食べ物、和菓子を思い浮かべてみて?と質問されたら、ひとつぐらいは簡単に思い浮かべることができるのではないだろうか?

それほど日本人の日常に浸透したあんこを1897年(明治30年)からつくり続けて122年、日本で最も古い歴史を持つあんこ屋さん「きたかわ商店」が、和歌山市内にある。

和歌山県のきたかわ商店

きたかわ商店では、和菓子店「一寸法師」も直営している。決して大きな店ではないけれど、買い物ついでのような女性、車で乗り付けてきた男性、お土産を選んでいるような観光客風のカップルなどなど、お客さんがひっきりなしに訪れていた。

お店に入ると、「本日、売り切れました」という札が置かれている商品がいくつかある。人気の商品は店頭に並んで数時間でなくなるそうだ。

きたかわ商店直営の和菓子店「一寸法師」で販売されているどら焼き
きたかわ商店直営の和菓子店「一寸法師」で販売されている最中

きたかわ商店のオフィスは、お店の隣のビルにある。三代目社長の内藤和起(ないとう わき)さんが、気さくに迎えてくれた。

それにしても、なぜ和歌山に日本最古のあんこ屋さんがあるのだろう。それは、江戸時代から親しまれてきたあんこの歴史に関わっている。

きたかわ商店 3代目社長の内藤和起さん

「あんこってお菓子屋さんが作ってると思ってらっしゃる方が多いんですけど、あんこはつくるのが大変なので、外注に出したい部分なんです。

それで、北川勇作さんという方が1889年に大阪で開いたのが北川製餡所です。その弟子で、私の祖父の内藤直作が1897年、和歌山市内に支店を開きました。あんこは日持ちがしいひんかったから配達がでけへんので、あちこちに支店を開いていたようです」

大阪の北川製餡所はすでになくなったそうで、今現在、その伝統を引き継いでいるのが和起さん率いる内藤家。だから内藤という苗字なのに「きたかわ商店」なのである。

全焼からの再建

直作さんは1908年(明治41年)に独立し、和歌山県内を中心に支店を拡大した。

その結果、今も多くのあんこ屋さんの屋号が北川と内藤で、「東京にある日餡連(日本製餡協同組合連合会)の総会で北川さんって声をかけたらみんなが振り向くみたいな感じです(笑)」。

きたかわ商店は一度、廃業の危機に陥ったことがある。第二次世界大戦後中、空襲によって工場が全焼してしまったのだ。

しかし戦後、和起さんの母親、内藤恭子さんが18歳にして、引き継ぐことを決意する。

「戦時中って、なんにも食べるもんがなかったでしょう。しかも工場も燃えてなくなってしまって。

だから、あんこ屋やったらまた昔みたいな食べるものに困らない暮らしができるんかなと思ったんですって。周りからは、恭ちゃん大変やねんでって言われたみたいけど、『やる!』って言って再開したんです」

きたかわ商店のトレイに入ったあんこ

再開するといっても、工場も機械もない。そこで、昔ながらの碾き臼(ひきうす)を使って手動であんこづくりを始めたそうだ。

その頃は、「甘いものといったらあんこ」という時代だったから、需要はあった。和菓子屋とパン屋に卸すようになり、和起さんが物心ついた時には再び機械化されていたという。

それからしばらく後、二代目の恭子さんが68歳になって「50年やったから引退したい」と言い始めた時、三代目として白羽の矢が立ったのが、和起さんだった。

「母の甥っ子にあたる私のいとこが専務にいて、彼が後を継ぐと思っていたんですけど、『経営は考えてない』と言われてしまって。

私はその時、ぜんぜん責任のない立場で販売営業をしていたんですけど、母から、和起やってくれるか?と言われた時に、ええよって軽く言うてしもたんです。

小さい頃、おばあちゃんから、和起ちゃんは賢いからあんこ屋さんなあ、やさしいからあんこ屋さんなあと言われて育って洗脳されたせいですね(笑)」

「このあんこ腐ってますわ」と言われて

和起さんが三代目に就いたのは、今から20年前、1999年のこと。すでに「甘いものといったらあんこ」の時代は終わり、世の中ではスイーツと呼ばれる洋菓子がもてはやされていた。

あんこの市場は縮小していて、例えば原料となるあずきの作付面積も2003年の4万2000ヘクタールから2018年には2万3700ヘクタールにまで減少している。

社長になり、なんとかしなきゃ、と奮起した和起さんは、あんこを使った洋菓子をつくったり、あずきの健康飲料を開発して特許をとったりとさまざま手を打った。

当時を振り返り、「私はあんこの製造やってないんで、すごく安易に考えてて」と苦笑するが、もしかすると、あんこの職人ではなかったことがきたかわ商店の運命を変えたのかもしれない。

2008年、卸業者からの紹介で、小幡寿康(こばた としやす)さんが訪ねてきた。

かつて皇室御用達の菓子職人で、現在は全国の和菓子店の再建を手伝あっている“放浪の菓子職人”だ。

小幡さんから「(近くにある)橋のところまで来たら小豆の匂いしたから、もうすぐあんこ屋さんがあるとわかった」と言われた和起さんは、誉め言葉だと思って「ありがとうございます」と返した。しかし、そこで小幡さんが続けた言葉に耳を疑った。

鍋であずきを煮ている様子

「ろくなあんこ屋じゃない。湯気に乗って外まであずきの匂いがするということは、あずきから匂いが抜けているということや。風味が残ってないあんこを作ってるんや」。

衝撃はさらに続いた。いきなりの厳しい言葉に驚きも冷めやらぬまま、「工場に入っていいですか?」と言われて、案内。

「ちょっと食べてみていいですか?」と言うので一番質の高い自信のあんこを渡したところ、一口食べての感想が、「このあんこ腐ってますわ」。

さすがにカチンときて「先生、腐ってるわけないじゃないですか」と反論したが、返ってきたのは「腐敗してると言ってるんじゃなくて、美味しくないってことですわ」。

伝統を疑い、常識に縛られない

コテンパンにけなされ、引くに引けなくなって和起さんは、小幡さんに「炊いてる時に匂いがしなくて、くさってないあんこをつくってくれますか?」と言った。

「いいですよ」と答えた小幡さんは、その場できたかわ商店にあるあずき、鍋、砂糖を使ってあんこをつくり始めた。

その間、和起さんは小幡さんを連れてきた人に「なんやのあの先生、頼んでないのにめっちゃ失礼や」と怒りをぶつけていたのだが、しばらくして出来上がったあんこを食べた瞬間、こう思った。

「めっちゃ負けてる!」

「うちのあんこと食べ比べたら、一目瞭然でした。先生のを食べた後にうちのを食べたら、味がしいひんかった。ほんとに、ぜんぜん味が違ったんですよ」

それはもう、老舗の歴史も伝統もプライドも関係なく、完全なる敗北だった。

それほどの違いは、どこから生まれるのだろう。和起さんによると、小幡さんの手法はそれまでの伝統的な製法とはまるで違う。

しかし独自の科学的な理論がしっかりあって、実際に美味しいあんこができるため、何度も目からウロコが落ちたそうだ。

「例えば、昔からあずきを炊く前に一昼夜水に漬けるというんですけど、先生は、そこが一番の間違いだと言うんです。

あずきは子孫繁栄のために生きているから、水を見せてこれから食べるぞって準備したら、雑味とか胸やけの原因になる物質を出すと。

だから『豆殺し』いうて熱湯をばっとかけて、あずきを気絶させて、その間に煮ちゃう。ほんと、発想が変わってるんですよ、先生は」

取材の際、和起さんからほかにもいくつかの小幡式メソッドを聞いて、小幡さんは伝統を疑い、常識に縛られず、常に改善を目指す研究者のような職人なのだろうと感じた。

もし和起さんがあんこの職人だったら、伝統的な製法や自分の仕事を否定されて嫌な気分になり、反発したかもしれない。常にお客さんに接する販売営業の仕事が長かったからこそ、素直に味を評価し、「負けてる」と認めることができたのではないだろうか。

あんこの製造風景

伝統的な製法からの転換

小幡さんのあんこに惚れ込んだ和起さんは、自分の娘で製菓担当だった志真さんを小幡さんのもとに修業に出した。

そして、志真さんが豆の洗い方から学んで帰ってきた時に、100年以上続いた伝統の製法を小幡式メソッドに切り替えた。

きたかわ商店 工場内の風景

昔ながらのやり方に慣れた職人も抱えるなかで勇気のいる決断だったんじゃないですか?と尋ねると、「歴史ある所は味を守ってると言うけど、負けたもんは負け、それなら教えてもらう方がええやん」と和起さんは笑った。

「うちの座右の銘が、変えてはならない商道、変えねばならない商法なんです。お商売は哲学と科学やと思ってて、哲学にあたる商道は変えたらあかんと思うけど、商法にあたる科学は進歩するものだから、良いものに変えていかなあかん。

先生の指導がなんで好きかって言うと、科学的な根拠があるんですよね。先生は毎回言うことが違うという人もいるけど、常に進化してるんだと思います」

あんこを変えたら、風向きも変わった。和菓子の展示会に出展したある日、スーツ姿の数人組がブースに来たので、どら焼きを差し出した。

それが実はこだわり抜いた品ぞろえで知られる高級スーパー、成城石井の原昭彦社長とその社員たちで、この出会いがきっかけで成城石井にきたかわ商店の「極上どら焼き」を卸すことになったそうだ。

きたかわ商店のどら焼き

直営店「一寸法師」でも、変化が現れた。

「お客さんの好みもありますけど、明らかに変わったのはもなかとあずきバーですね。先生のあんこになってから本当によく売れるようになりました。すごくあずきの香りがする、全然ちゃうやんて言われます」

きたかわ商店のあずきバー

変えてはならない商道、変えねばならない商法。

この言葉は、どんな仕事にも通じるものではないだろうか。今日も、きたかわ商店ではあずきが炊かれている。しかし、店の周りであんこの香りはしない。

鍋であずきを炊く様子

〈取材協力〉
きたかわ商店
http://kitakawashoten.jp/

工場直売店
和歌山県和歌山市東紺屋町77

貴志川店
和歌山県紀の川市貴志川町神戸367-1

きたかわ商店 3代目社長の内藤和起さん

文:川内イオ
写真:中村ナリコ

0.2パーセントまで縮小した市場から逆襲する、堀田カーペット新社長のライフスタイル戦略

カーペット生活を選ぶ人は0.2パーセント

カーペットという言葉から、どんな生活をイメージするだろう。

ゴロゴロと寝転がってリラックスするところ?あるいは裸足でフカフカの感触を楽しむところ?

カーペットのある部屋風景

実のところ、この気持ちよさそうな暮らしをしている人は意外なほどに少ない。

「カーペットの市場は、1980年代から1/100にまで減少しました。特に住宅における市場が壊滅しちゃったんですよ」

1962年創業のカーペットメーカー・堀田カーペットの三代目社長、堀田将矢さんはそう語る。

堀田カーペットの三代目社長、堀田将矢さん

大きな理由は、1980年代に「アレルギーの原因になるダニやホコリがたまりやすい」という悪評が広まってしまったことだ。同時に、欧米風のフローリングの生活が浸透し始めて、カーペットの肩身がどんどん狭くなっていった。

いまや新築住宅にカーペットを敷く人の割合は、0.2パーセントにまで減ってしまっている。0.2パーセントというと、1000人中2人という割合だ。圧倒的な劣勢、というより、もはや風前の灯火ともいえる。

その台風レベルの逆風のなかで、堀田さんは住宅用のカーペットの良さを広めて、0.2を少しでも伸ばそうと奮闘している、カーペットの伝道師だ。

堀田カーペット

ちなみに、ホテルやブティック、オフィス、大型商業施設などではカーペットの需要が伸びていて、堀田さんは誰もが名を知る高級ホテルや有名ブティックに納入している。

そちらの事業を手掛けながら、なぜ、はたから見ればどう考えても厳しい一般住宅向けの市場拡大に挑むのか?

それを説明する前に、もう少しカーペット業界の事情を記そう。

タフテッドカーペットが席巻

日本で初めて機械化されたカーペットが登場したのは、1891年。高島屋から発注を受けた大阪市の住江織物(現在創業100年を超える老舗メーカー)が、帝国議会議事堂に敷き詰めた。

創業者の村田伝七さんが、18世紀にイギリスのウィルトンという町で発明されたカーペット用の織機「ウィルトン」でつくるウールのカーペットを参考に開発したものだった。

それから需要が高まり、1916年、同社はイギリスから輸入した織機でウィルトンカーペットの生産をスタート。

堀田さんによると、同社はウィルトン織機自体も日本で製造し、堀田カーペットを含む他社にも販売したことで、大阪府の泉州地域が一大産地になった。

堀田カーペット

1954年、住江織物は新たにアメリカからタフティングカーペットマシンを導入。

このマシンからつくられるタフテッドカーペットは、「既にある基布に多数のミシン針でパイルを植え付ける刺繍方式」で「生産速度はウィルトンの約30倍」と住江織物のホームページに書かれている。

これによって大量生産が可能になり、カーペットが庶民の手にも届く商品となって、市場が一気に拡大した。

現在、日本のカーペットの99パーセントはこのタフテッドカーペット。一方で、経糸と横糸を重ねて織りあげる「ウールの織物」であり、職人の高い技術が要求されるウィルトンウールカーペットの需要は激減した。

今ではウィルトン織機を製造するメーカーが世界に1、2社、日本でウィルトンカーペットをつくる会社も数社になった。

目からウロコの機能性

市場縮小の大波のなかで、堀田カーペットがいまも企業から重宝されている理由のひとつは、同社が糸から開発している稀有な企業で、世界中で生産されているウールの特徴や適性から商品の提案できること。特許の糸を数種類、オリジナル糸で30種類程度持っている。

さらに、ウィルトンカーペットでしか表現できない織デザイン、色、タフテッドカーペットよりも高い耐久性、そして冒頭に記した悪評を覆す機能性が評価されているからだ。

「カーペットは一本一本の毛がホコリをからめ取るので、フローリングよりもホコリが舞い上がらず、部屋の空気をきれいに保つことができます。

しかも、ウールカーペットの場合、ホコリを絡めとっているのはカーペットのなかに織り込まれている『遊び毛』で、掃除機をかければそれごと吸い込まれていくので、特別な手入れも必要ありません。

動物の毛なので油分を含んでいて、汚れや液体も弾くので、飲み物をこぼしても拭き取れば大丈夫です。調湿機能も高くて、夏は冷たい空気を、冬は暖かい空気を均一に保つ働きをします」

堀田カーペット

ウールのウィルトンカーペットならではのデザインや高級感、高い耐久性と機能性を考えれば、企業が採用したくなる気持ちもわかる。

堀田さんはこうした企業向けの仕事で全国を飛び回りながらも、なんとかして住宅向けの市場を再興したいと考えていた。

それは「本当のカーペットの良さをちゃんと伝えていくには、住宅しかないから」。

堀田カーペット

「住宅にカーペットを敷く人が0.2パーセントしかいない今の状態というのは、選択肢の土俵にすらあがっていないということですよね。

でも、一年中裸足で暮らす心地よさや、床に近づく暮らし方、機能性を考えれば、0.2パーセントまで悪くなる暮らしじゃないと思ってるんです。0.2パーセントを5倍、10倍までは増やせるはずなんですよ」

カーペットのある部屋風景

ロンドンで見つけたヒント

この思いを果たすために、最初に開発したのが2016年に発表したウールラグブランド「COURT(コート)」。住宅のカーペット需要が減っている時代に、ウールカーペットの心地よい暮らしを伝えていくために、身近なインテリアとして提案しようという商品だ。

堀田カーペットウールラグブランド「COURT(コート)」
堀田カーペットウールラグブランド「COURT(コート)」

これは多くのメディアに取り上げられ、今では100店舗で扱われるほどの大ヒットになったが、生みの苦しみを味わった。

もともとトヨタ自動車調達部で働いていた堀田さんが、2008年に後継ぎとして戻ってきた時、たくさんの人から「よくこんな大変な業界に入ってきたね」と言われたという。堀田さんにとっても、最初の6年間は「しんどかった」。

「誰から見ても斜陽産業だし、僕が戻ってきた時はリーマンショックの後で、うちの売り上げも落ちて、このままだとやばいって状態だったんです。

入社した時からブランディングしないと生き残れないっていうことは思っていましたけど、なにをしたらいいのかわからなくて、右往左往してましたね。

トヨタで学んだことを活かそうと、トヨタでやったことそのまま持ち込んでも無理だというのも、すぐわかりました。こうしようと言うのは簡単なんですけど、誰がやんねんって」

堀田カーペット

自分の存在意義を探していた堀田さんが突破口を見つけたのは、2014年。

ロンドン出張の際、知人に「今いけてる店を教えて!」と頼み、リストアップされた50軒をすべて訪ねた。その時、「S.E.H KELLY」というテーラーで「これだ!」と確信したそうだ。

「夫婦ふたりでやってるブランドで、誰も行かないような路地裏にある10坪ぐらいの店舗なんですよ。でも、メーカーとしてしっかりものづくりをしていて、世界中からお客さんが来る。

そこのトンマナ(トーン&マナー)、テイストがすごく素敵で、うちの目標になるブランドを見つけた!と思ったんです」

この出会いによって、ものづくりのメーカーとして目指すべき道筋をつかんだ堀田さんが構想に1年、開発に1年をかけてリリースしたのが「COURT(コート)」だった。

堀田カーペット

この商品のヒットで、堀田カーペット自体への注目度が高まった。そこで、17年に父親から社長を継いだ堀田さんは会社のリブランディングを行い、ロゴやホームページを一新。

すると、それまで1年に1、2件程度だったホームページからの問い合わせが1か月に数件くるようになった。しかも、まったくつながりがなかった設計事務所や個人から。まさに、堀田さんが「こうなってほしい」と思い描いていた展開だった。

堀田カーペットのホームページ

個人のユーザーを開拓したその先にある可能性

ここで満足せず、さらにカーペット文化を広めようと開発したのが、DIYタイルカーペット「WOOLTILE(ウールタイル)」。

1枚50センチ四方、カラーは8色、パターンは4つあり、パズル感覚で、好きなカラーや模様を並べて置く。部屋の形に合わせて、ハサミやカッターで簡単にカットすることもできる、ウール製のタイルカーペットだ。

※詳しくはこちらの記事を参照:タイルカーペットの新定番。パズル感覚で組めるDIYカーペットの誕生秘話

DIYタイルカーペット「WOOLTILE(ウールタイル)」

自宅にカーペットを敷こうとなると、それなりの価格がするし、職人の手が必要になる。ラグはサイズに限りがある。

タイルカーペットならどこにでも置けるし、どんな広さにも対応できる。カーペットへの心理的なハードルをグッと下げて、カーペット生活をより身近に、という狙いだ。

この春からホームページやインスタグラムでウールタイルの情報をアップし始めたところ、さまざまなところから問い合わせがあり、正式発売(9月予定)の前から「購入したい」という連絡が相次いでいるという。

「幼稚園の設計事務所とか、ペットショップとか意外なところからも問い合わせが来ています。ほかにもレンタルできないか、ポップアップショップの時だけ使えないかという話もある。想像していなかったことがいくつも起こっていて、ワクワクしています」

DIYタイルカーペット「WOOLTILE(ウールタイル)

目指すはカーペット界の「BOWMORE」

ロンドンの「S.E.H KELLY」と並んで、堀田さんが理想とするブランドがある。

シングルモルトウィスキーの聖地、スコットランドのアイラ島で1779年から醸造所を構える「BOWMORE」。アイラ島最古のウイスキーメーカーだ。

2016年頃、社員からその存在を聞いてひとめ惚れし、2018年1月、実際に訪ねて虜になったという。以下、堀田さんが惚れ込んだ理由だ。

①お客様が飲みたい味を追求するのではなく、自分たちが最高と思うウィスキーをつくっていること。

②世界中に「ファン」がいる。一方で「アンチ」もいること。

③BOWMOREはホテルやコンビニ、バーやレストランもやっていて、アイラ島になくてはならない会社であること。

④アイラ島の海は荒れていて、空は曇り空で、海に囲まれてはいますが決してリゾートっぽくはなく、それでいてとても美しい。目指すべきトーンに近いこと。

⑤醸造所の看板など、めちゃくちゃカッコ良い工場であること。

万人受けを狙うのではなく、自分たちが心底「欲しい!」と思えるものをつくる。ものづくりにとどまらず、たたずまいや地域での在り方を含めて、広い視点で自分たちが「こうなりたい」と思う企業を目指す。その熱量が伝播して、ファンが増える。

堀田さんはそう信じてリブランディングし、COURTやWOOLTILEを開発してきた。

0.2パーセントを2パーセントに。そして世界へ。カーペットの伝道師の挑戦は、まだ幕を開けたばかりだ。

堀田カーペット

<取材協力>
堀田カーペット株式会社
http://www.hdc.co.jp/

「WOOLTILE」ECページ
https://shop.hdc.co.jp/pages/wooltile

<関連商品>
COURT(堀田カーペット)

文:川内イオ
写真:中村ナリコ、堀田カーペット提供

まるで本物。日本生まれの「究極の猫クッション」は毛色ごとの手触り

究極の猫クッション「Fabrico (ファブリコ) NEKO」シリーズ

世の中に猫クッションは数あれど、毛色ごとに手触りを変えているのはこのクッションだけかもしれません。

しかもずっと触っていたくなる心地よさ。

「Fabrico (ファブリコ) 」というファブリックアイテムブランドの「NEKO」シリーズです。

「Fabrico (ファブリコ)  NEKO」シリーズ

シリーズというだけあって毛色は3色。なんと、それぞれに触り心地が違います。

「Fabrico (ファブリコ)  NEKO」シリーズ白
「Fabrico (ファブリコ)  NEKO」シリーズ黒
「Fabrico (ファブリコ)  NEKO」シリーズグレー

まるで本物の猫のような再現力。

その秘密は生産している産地にありました。

あの国会議事堂の椅子も、この産地生まれ

Fabricoの生まれ故郷は和歌山高野口。

霊験あらたかな高野山の麓に広がるこの一帯は、世界唯一の「特殊有毛パイル織物」の産地です。

ゆったりと流れる紀ノ川ぞいに街並みが広がる高野口町
ゆったりと流れる紀ノ川ぞいに街並みが広がる高野口町

ものづくりの歴史は江戸中期にまでさかのぼり、国会議事堂や新幹線の椅子張りから、世界的なブランドのドレスやコートにいたるまで、国内外で高野口のパイルファブリックが活躍しています。

以前パイル織物製造の現場にお邪魔した様子はこちら:「世界遺産・高野山から生まれた『最高峰』のパイル織物」

それほどの実力を誇りながら、生地産地である高野口の名前は表に出ることはありませんでした。

「世界唯一の実力を、『知る人ぞ知る』ではなく、もっと多くの人に知ってもらいたい」

そんな思いからFabricoを立ち上げたのが、杉村繊維工業株式会社の杉村さんです。

杉村繊維工業株式会社の杉村さん
代表の杉村さん
一度途絶えた「再織 (さいおり) 」という技法を使った織機
一度途絶えた「再織 (さいおり) 」という技法を復刻させるなど、これまでも産地の活性化に取り組んで来ました

高野口の誇るフェイクファーの技術を活用して、他のメーカーとも協業しながら薄型でクッション性の高いチェアパッドを開発。

杉村繊維工業株式会社が他のメーカーとも協業して開発した薄型のチェアパッド

さらに、滑らかな手触りを活かし満を持して登場させたのが猫クッションです。

Fabrico

ふわふわの触り心地を出すには、生地を織った後の仕上げがとても大切なのだとか。

記事の仕上がり比較
右が織っただけの状態。上の黒いブラシで、左のような仕上がりに!

糸の素材、生地の織り方、毛の長さ、仕上げを微妙に変えることで、毛色ごとに違う手触りを実現しているそうです。

最近では猫型ドアストッパーも人気とのこと。

猫型ドアストッパー
猫型ドアストッパー
ぶつかっても、起き上がり小法師のようにゆらゆら揺れてしっかり安定。本当に猫がいるような存在感です

猫を飼っている方はもちろん、「猫は好きだけどペット禁止の家で飼えない‥‥」という方への贈り物にも良さそう。

究極の猫クッションは、究極の技術のたまもの。世界に誇る産地の看板猫でもあるのでした。

<掲載商品>

Fabrico NEKO
Fabrico NEKO door stopper
Fabrico チェアパッド

<取材協力>
杉村繊維工業株式会社
http://fabricofabrico.jp/

文:尾島可奈子