わたしの一皿 夏に活躍ツートーンのうつわ

季節ってのは本当に短いものだ。同じ場所にいれば毎年同じ季節を味わえるのだが、こちらは旅人。うっかりしてるとすぐに季節がどこかへいってしまう。みんげい おくむらの奥村です。

GWが終わったころからいつも思い出すのが今日の食材、サワガニ。今はもう閉店してしまったのだけど昔よく行ってた地元の居酒屋で、その時期になるとカウンターに虫かごが置かれ、サワガニが登場していた。

生きたカニをなんと残酷な、と言うなかれ。サワガニは新鮮さが大事なのでこれが普通です。お客さんの目の前に置くかどうかは別としてね。

市場で仕入れた新鮮なサワガニ

今日もいつもの市場で買ってきました。この時期、市場でも何軒ものお店がサワガニを置いています。けっこう地元の居酒屋でメニューにされているんでしょうね。

鳥取県の牛の戸窯のうつわ

今日は鳥取県の牛の戸窯のうつわを用意しました。先月の島根県に続き、今回も山陰のうつわを。

このツートーン。民藝好きの方ならご存知の方も多いのではないでしょうか。先先代、4代目の頃にこのテイストが加わり、現在の6代目の牛の戸窯まで継承されています。

土も釉薬も手作りという昔からのやり方を踏襲し、登り窯焼成。力強いうつわが今も生み出されています。

このうつわ、青緑と黒の色合いがとってもよい。染め分けといって、二色がピシャっと半分に。

それだけを見ると果たして世界中のどこのうつわだろうか、と考えてしまう。このうつわ、世界のどこに出ていっても面白いうつわです。重さも良いのです。しっかりとした重みがあり、軽薄さはない。安心して使える感じがします。

ところが使うとなると案外難しい。何を盛ったら美しいのだろうか。

気にせず使えば、とも言われそうだけど、なんだかビシッとくるものの時以外あんまり使う気がしない不思議なうつわ。

しかしそれが嫌か、というとそんなことはない。何にでも合いますよ、とはお店でよく聞く言葉だが、そんな優等生ばかりが食器棚に並んでいては面白くもない。異端児も必要です。

サワガニを油で揚げている様子

今日もまた料理というほどの料理ではない。素揚げ。このくらいのサイズの揚げ物だと、揚げ油もそんなにいらないし、楽です。

ただし、サワガニの水分をよく拭き取って。油跳ねますからね。

生きたまま揚げるというのはものすごく残酷なことなんだけど、美味しくいただくためには仕方ない。日々、いのちをいただいています。ありがたや。

揚がったサワガニに塩をふる

カラリと揚がったら、塩を振る。こんなもんかな、というよりも少し多めの気分で。味付けはそれだけなので。

敷き紙を敷いて盛り付けをしても、まだこのうつわの個性は健在ですね。おもしろい。今日は結構ビシっと決まったんじゃないかと思います。

 

ところで、今日はうちの坊や(二歳)が面白かった。2月に奄美大島の海岸を散歩した時に出会ったカニは小さかったのに随分ビビってしまって触るどころではなかった。生きたカニにはそれ以来の遭遇。

ほれ、とザルを渡してみたものの、生きたものはやはり触れませんね。遠目で恐る恐る見ています。興味はあるのかな。

鳥取県の牛の戸窯のうつわに盛り付けたサワガニの素揚げ

素揚げになったものもきっとダメだろうなと思ったが、意外や意外、持ち上げて喜んでいます。

食べてみる?と言ったらそれはダメだったけど、大人が目の前でバリバリ食べているのは意外とふつうに見ていた。彼の目には今日の料理はどう映ったんだろうか。

今日のうつわ。難しいとは言ったけど、例えば夏は冷奴とかバッチリです。小エビの唐揚げとかイワシの煮付けとか。

あ、居酒屋の夏メニューばっかりだ。ビールが美味しい時期になってきましたね。それではまた来月。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

ロックの街「コザ」から。自家製ハム・ソーセージ専門店〈TESIO〉によるあたらしい食の提案。

工芸産地を地元の友人に案内してもらう旅、さんち旅。

もともと東京で、ものづくりのディレクションに関わっていた村上純司さん。沖縄に移住したとは聞いていたものの、〈LIQUID(リキッド)〉という少し変わった、「飲む」という行為に焦点を当てた専門店を始めたというお知らせが、編集部に届きました。

というわけで、今回は沖縄を訪ね、村上さんのおすすめを巡る「さんち旅」をお送りします。

沖縄に移住した村上純司さん

「僕も移住者で新参者なので、沖縄の新しい風みたいな、ニューウェーブのお店をおすすめします。ひとつ目は〈TESIO(テシオ)〉さん。沖縄市で、自家製のハムやソーセージを作っています。

ちょっと職人気質のソーセージ屋さんという感じで。オーナーが美術系もやっていたので、サインや内装などもちょうどいい感じなんですよね」

自家製ハム・ソーセージの専門店TESIO

自家製ハム・ソーセージの専門店TESIO

そう聞いて、村上さんのお店・LIQUIDから南に車を走らせること約30分。確かに村上さんの言っていた通り、海外にありそうないい感じのファサード。

教えてもらったハムとソーセージのお店・TESIOは、沖縄市の「コザ」という街の一角に見つけることができました。

1974年、コザ市と美里村が合併して沖縄市に。「コザ」は俗称ですが、現在でも地元の人たちは、市の中心地のことを愛着を持ってその名前で呼びます。

嶺井大地(みねいだいち)さん

もともと、宜野湾市のカフェレストランでお料理を作っていた嶺井大地(みねい だいち)さんは、夢であった創作料理が提供できる自分のお店を作るため、修行で沖縄を飛び出します。

そうした中訪れた京都で、一軒の“シャルキュトリー”(*)専門店に出会います。
(*シャルキュトリー:フランス語で食肉加工品全般を指す総称。ハムやソーセージを始め、パテやテリーヌ、リエットなどがある。フランスの伝統的な食文化のひとつ)

「お店のショーケースに、手作りのものが満載なんですよ。それがすごくキラキラして見えて、とても素敵で。これを学んでもし沖縄でやれたら、僕みたいにシャルキュトリーを見聞きしたことない人がおもしろがってくれるんじゃないかなと。しかも、豚は沖縄の特産だし」

嶺井さんは、肉の加工を学ばせてほしいという想いをオーナーに直談判し、無給で(!)その店で働き始めます。それから半年ほど経った頃、ひとつの転機が訪れます。

“知り合いのお店が、弟子が卒業したばかりで手薄になっているから”とオーナーに紹介され、京都から静岡へ。

自家製ハム・ソーセージの専門店TESIO

静岡で働くことになったのは、幸運にも業界では超有名店である〈グロースヴァルトSANO〉。そこで今のベースとなるドイツ製法の肉加工を一からしっかりと学ばれたそう。

そうした静岡での修行も3年目を迎え、沖縄での立ち上げを具体的に考え始めていた頃、グロースヴァルトSANOと親しくしている精肉店が、ドイツ製法のソーセージ店を立ち上げる話が持ち上がりました。そこに参画することが、卒業の条件とも重なったこともあり、今度は岡山に。

「レシピを落とし込んで、商品のラインナップを決めて、売価も決めてと、全部やらせてもらって。こうやってお店が立ち上がるんだと。売上も当初予定していたところに上がってきて調子よくやっていたら、会社の社長と大喧嘩になって、クビになりました(苦笑い)」

ロックの街「コザ」に〈TESIO〉をオープン。

足掛け6年。嶺井さんは波瀾万丈な県外での修行の後、2017年6月、念願のシャルキュトリー店〈TESIO〉をコザの街に開業します。

自家製ハム・ソーセージの専門店TESIO
自家製ハム・ソーセージの専門店、TESIO
大きなガラスのカウンターショーケースの中は、眺めているだけでワクワク
自家製ハム・ソーセージの専門店、TESIO
予算に合わせた詰め合わせにも対応してくれます
自家製ハム・ソーセージの専門店、TESIO
どこか懐かしくも洗練されたパッケージ
自家製ハム・ソーセージの専門店、TESIO

「スタッフは僕含めて6名いて。皆、それぞれ生業や本業がある中で、順繰り、順繰り回しています。体育の臨時教師がいたりとか、女優業を頑張っている子がいたりとか。この前までタイ料理屋で働いていた料理人がいたりとか、いろいろ。学生もいるし。皆で楽しくやっています」

自家製ハム・ソーセージの専門店、TESIO

顔の見える距離感で作られていく美味しさ。

店のすぐ裏の路地にある〈ゴヤ市場〉には、沖縄県産の肉の仕入れ先である〈普久原精肉店〉も軒を連ねます。不透明な部分が感じられることも少なくない肉の加工品にとって、今のスタイルはとても良いとのこと。

「普通に肉屋のおじさんが肉を抱えて、そこに見える勝手口から入ってくるんですよ。その肉を僕たちは、ここでさばいて、加工して、ここで販売する。その流れがすべてお客さんに見えます。

肉の加工品って、どこで誰が、どう作ってるのか分からないことが多いので、ここでお客さんに説明しながら提案できるのはいいなと。
おいしいものを作って届けようと思うと、通信販売でもいいのですが。日々、お店として営んでいくことの楽しさを、自分でちゃんと営んでいけたらなと思っています」

辿り着いたのは、日本文化とのマッシュアップ。

そんな街の一員としての役目を果たして行く中、LIQUID・村上さんと、あるプロジェクトが立ち上がります。

自家製ハム・ソーセージの専門店、TESIOの嶺井大地さん

「お肉の加工屋しかできないような、おでん屋をやろうと思いまして。僕らは肉の加工品を自家製で作っていますが、それをそのまま販売する以外に、どういう風に提供できるかということを随分考えました。そこにおでんがはまった。

ソーセージやベーコン、ロールキャベツなど、肉の加工品がいろいろ入ったおでんです。日本のおでんスタイルって『これくれ、これくれ』と言われたときに、『はい、はい!』と出せてテンポがいいし、しかも楽しい。

外国の方々が多いこの場所で、日本のこういう文化と、ドイツ製法のお肉の加工品というのがかけ合わさったときに、すごい良い提案ができるんじゃないかなと」

前々からあたためていた構想を村上さんに打ち明けたところ、村上さんも大のおでん好きであることが判明。逆に「魚で作るつみれとか、はんぺんとか、そういうものも肉で作ろう」という逆提案もあり、今年3月に第1回目のイベントを共同開催しました。

ユニット名は「TESIO×LIQUID」の「“適度”なおでん」ということで「TEQUID(テキド)」に。結果的にこの肉おでんの会は、2店の共同イベントとしてだけではなく、日本とドイツの食文化の有機的な魅力を再発見することに。

「ちゃんと、ドイツ製法の肉の加工技術を持って、沖縄の特産である豚肉を使いながら、ここからいろいろ自分たちの感性でもって、他が真似できないようなことをやれるというのは、随分やりがいがあるかなと。おもしろいなと」と次のイベントの企画や、イートインスペースの構想も生まれてきました。

自家製ハム・ソーセージの専門店、TESIOの嶺井大地さん

そんな話題に尽きない活動の反面、街ではようやく2年を迎えたばかりの新顔のTESIO。その上の階には〈JET(ジェット)〉という老舗のライブハウスがあります。実はそこを切り盛りしてきたのは、嶺井さんの叔父さん。

「叔父がずっと続けて、ここで踏ん張ってやってきたということで、地域からリスペクトされているような様子も、こうやって自分が商売を始めるようになってから目の当たりにするから。すごく誇らしかったですね」

「おもしろいものを作って、発信できるんだぜということをおもしろがって、一緒にやろうよと気軽に言ってくれるような仲間たちが周りに増えていけば、お店を構えてこんなに楽しいことはないなと思います」

嶺井さんが始めたTESIOという場所は、関わる人々を増やしながら、この街のあたらしい魅力を奏で始めていました。

 

〈取材協力〉
TESIO
沖縄県沖縄市 中央1-10-3
098-953-1131

 

文:馬場 拓見
写真:清水 隆司

座って楽しむ民藝「倉敷ノッティング」。70年も愛される理由とは?

一軒家の和室暮らしが当たり前だった時代に倉敷で考案され、マンション住まいが主流となった今も、全国に愛用者が絶えない暮らしの道具があります。

綿やウールで織られた毛足の長い椅子敷き、「倉敷ノッティング」です。

結ぶという意の英語「knot(ノット)」が名前の由来。経(たて)に木綿糸を張り、木綿やウールの糸束を結びつけるという作り方 (ノッティング) からこの名がついたそうです。

作っているのは手織り、手染めの学び舎「倉敷本染手織研究所」とその卒業生たち。

現在、研究所を運営する石上梨影子さんに、倉敷ノッティングの魅力について伺いました。

倉敷本染手織研究所の石上梨影子さん

倉敷ノッティングとは?

座敷に座布団を敷くように、ノッティングは椅子に敷く敷物として誕生しました。

椅子に敷いた敷物がノッティングです

戦前からあったものの、洋風の生活志向から椅子が普及するとともに、需要も徐々に増加。

時代とともに住居が畳の和室からフローリングの洋室中心となり、椅子生活が広まったことから注目されるようになりました。

40センチ四方が基本サイズの倉敷ノッティングは、北欧の椅子にちょうど合う大きさ。日本製では、松本民芸家具の椅子にしっくり調和します。

木の椅子によく馴染み、厚手でクッション性があることから、時代を超えて愛用されています。

ノッティング

倉敷ノッティングの織り方、デザインとも70年以上前に研究所の創設者である外村吉之介が考案。シンプルな幾何学模様のデザインは飽きがこず、時代を経た今も変わらぬ人気を集めています。

では、倉敷ノッティングはどのようにして作られるようになったのでしょう。

残糸を捨てずに活用する、もったいない精神から生まれたノッティング

「研究所では様々な織物の作り方を教えていますが、布を織るとき、織りはじめと織り終わりの端の部分はどうしても織れずに糸が残るんですね。その残糸(ざんし)を捨てずに活用したのがノッティングです」

織り方自体は、ペルシャじゅうたんと同じ手法。

綿かウールの糸160本を1束の緯糸(よこいと)にして、それを経糸(たていと)に結んでいきます。経糸2本にぐるっと緯糸をひっかけて結ぶと、2つの毛足が抜けずにしっかり留まります。これを繰り返していきます。

ノッティングを編んでいく様子

 

「一つひとつ、手で結んでいくので手間がかかりますが、もったいない精神と労を惜しまず作るものづくりの心がけでできたのが倉敷ノッティングですね」

木綿の糸を使うとペタンと椅子の座面に馴染む仕上がりに。ウールの糸を使うと糸自体に復元力があるため、ふんわりとしたクッション感が生まれるそうです。

ノッティング
左上のふっくらしたノッティングがウールで、右下のボーダーのノッティングが綿糸で織られたもの

もともとは夏用に綿、冬用にウールをと想定して作られていましたが、年中調度品を変えず、夏でも冷房が効いている現代の住まいでは、暑い季節でもウールのノッティングの温かみが好まれ、季節を問わず使われるようになっているのだとか。

インテリアとして邪魔にならないデザインを目指して

織り方だけでなく、デザインを考案したのも外村です。

外村が方眼紙を使って描いた50点もの図案が残っており、それが倉敷ノッティングの基本デザインとなっています。

外村が方眼紙に描き残したノッティングの図案
外村が方眼紙に描き残したノッティングの図案

1センチ角に1個のドットで埋めていく極めてシンプルなデザイン。「単純な図案のほうが美しさをそこなわない」という外村の考えを反映し、余計なものをそぎ落としていった結果です。

外村が方眼紙に描き残したノッティングの図案
外村が方眼紙に描き残したノッティングの図案

単純だからこそ、だれが織っても同じ仕上がりとなり、それでいて決して飽きることのないデザイン。室内に置いてもうるさくならないように、という配慮がなされています。

一方で外村は弟子が提案するデザインも、良いものは採用していったといいます。

「織りもデザインも、最終的に良いものしか残らない。使う人の目が確かになると、自ずと選ばれるデザインも決まってくる」というのが不変のデザインに込められた外村の思いなのです。

倉敷本染手織研究所や卒業生の手で織られた証としてつけられているブランドラベル
倉敷本染手織研究所や卒業生の手で織られた証としてつけられているブランドラベル

使う人の個性はあってよいが、作り手の個性は不要

倉敷本染手織研究所では、染め、織りの基本を1年をかけて9人の研究生が学んでいきますが、習得度は人により異なります。

そこで生きてくるのが、共同作業、共同生活の効用です。

研究生たちは、1週間のうち火曜から金曜の4日間が授業のため、研究所内で講義を受けるだけでなく、織る、紡ぐ、染めるといった実技を共同作業で行います。

この共同で作業する時間は、互いに教えあい、学びあい、補い合う時間でもあります。

研究生作業の様子

授業以外の曜日や時間はおのおのが自習に充てていますが、声を掛け合って一緒に練習することも。

授業を終え、くつろいでいるときのちょっとしたおしゃべりもまた研究生同士の心を通わせる機会になっている様子。

外村は、研究所内での共同作業こそが、ものづくりをするうえで重要としました。

なぜなら、研究所が目指したのは個性的な作品を創造する作家の養成ではなく、無名ではあっても確かな技術で暮らしに根付いたものづくりのできる「作り手」の育成にあったからです。

生活に密着し、主張しないものづくりを目指し、願った外村は、使う人の個性はあってよいが、作り手の個性が丸出しになることをよしとしませんでした。

「共同作業は個性を消す作用がある」ことに着目した外村がとった形態が、現在の研究所のスタイルというわけです。

研究所のパンフレットにはこんな一文があります。

「昔から無名の工人たちが素晴らしい美しい物を作ったことは、私達を何時も励ましてやまない。伝統によって祖先の知恵をうけつぎ、協力によって友達の能力をうけた民藝品の美しさは、小さな個人の力をこえた自由で大らかな境地に入れと私達を励ましている」。

倉敷本染手織研究所のパンフレット
倉敷本染手織研究所のパンフレット。研究所は染めや織りの技術習得の場であり、仕事や職業にすることを目指していない

外村の目指したものづくりの結晶ともいえる倉敷ノッティング。時代が変わっても愛される佇まいは、代々大切に受け継がれる作り手の意思によって支えられていました。

<取材協力>
倉敷本染手織研究所
岡山県倉敷市本町4-20
086-422-1541
http://kurashikinote.jp/

文:神垣あゆみ
写真:尾島可奈子

五輪選手の好成績を助ける、日本の職人たちの「道具作り」秘話

東京五輪開幕まで1年と少し。日々スポーツの話題に熱が帯びていますね。選手を支える大きな存在のひとつが、数々の道具たち。競技に使用するものから、身に着けるものまで、今日はそんな道具たちを手掛ける職人のストーリーを紹介します。

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平昌五輪、フィギュアスケートのブレード

羽生結弦は“ギザギザ”のブレードで高く飛ぶ。演技の鍵を握るスケート靴の秘密

スケーターたちは誰も、わずか幅4ミリのブレードの刃に、こだわりを持っているそうです。1シーズンをともにするブレード選びの瞬間から、戦いは始まっています。

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産地:神奈川

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「自転車の歴史」に挑む稀代のフレームビルダー

「世界最高峰のフレームを作るんだ!」苦労して建て直した事業も顧みず、時代に逆行しながら愚直にフレーム作りに向き合った職人が、世界中で評価されるまでの物語。

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産地:東京

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小平奈緒の金メダルを支え、谷口浩美は「この靴のおかげ」と言った。

今年71歳。生ける伝説とも称される靴職人がいる。三村仁司さん。数々のアスリートが彼の靴を履いて歴史をつくった。なにが、違うのか。ドラマ「陸王」の敏腕シューフィッターのモデルにもなった、三村さん本人に会ってきた。

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産地:播磨

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株式会社キタイ

雨でも最高のプレーを!プロサッカー選手も愛する、奈良産スポーツ靴下の技術

試合をするコンディションから製品の設計が始まる。奈良にあるキタイは、世界的なスポーツブランドの靴下も手がけるスペシャリスト。その製造現場へ伺いました。

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産地:奈良・大和郡山・生駒

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アシックス

サッカー日本代表 大迫、乾の共通点はスパイクにあり。ASICSが表現した究極の「素足感覚」とは

多くのサッカー選手を足元から支えているのが、アシックスのスパイク。今回は、知られざる「スパイクづくり」の舞台裏をたずねました。今後は選手の足元にも注目です!

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産地:東京

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スニーカーでもパンプスでも「脱げない」フットカバー。プロサッカー選手も認める靴下メーカーの挑戦

スポーツソックスメーカー「キタイ」が目指して開発したのは、脱げない靴下。この夏の時期に大活躍の一足には「3つのヒミツ」が込められています。

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産地:奈良・大和郡山・生駒

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。

入学まで3年待ちも。「世界で一番小さな学校」が倉敷にある

柳が揺れ、川舟が進む倉敷川のほとり、倉敷美観地区の一角にその研究所はあります。

川舟が進む倉敷川の風景

研究所といっても白壁に囲まれた町家の建物は街並みに溶け込み、前を通っても素通りしてしまうほど。

倉敷本染手織研究所
倉敷本染手織研究所
控えめに看板がありました

引き戸から中へ入ると広い土間。居室へ進むと中庭を臨む板の間には、形が異なる椅子たちが並び、座面をさまざまな模様の敷物が彩っています。

「倉敷ノッティング」と呼ばれる手織りの敷物
これは「倉敷ノッティング」と呼ばれる手織りの敷物。倉敷本染手織り研究所の研究生たちが入所して最初に手掛ける織物です

ここは倉敷本染手織研究所。

研究生は1年間、他の研究生と生活を共にしながら、染織の基礎を学んでいきます。

食事の支度や掃除は自分たちで。作品もまず糸づくりからというストイックな方針ながら、毎年全国から応募者が絶えず、学べるまで3年待ちということも。

人を惹きつける魅力は何なのか、研究生を1年間指導する石上梨影子さんにお話を伺いました。

倉敷本染手織研究所の石上梨影子さん
倉敷本染手織研究所の石上梨影子さん

半世紀を超えてなお、申込者が絶えない「世界一小さい学校」

1953年(昭和28年)、倉敷民芸館の館長であった故外村吉之介が「倉敷民芸館 付属工芸研究所」として開設したのが倉敷本染手織研究所です。

倉敷本染手織研究所

天然染料で糸を染め、手織りで布を織る技術を弟子に伝えるために個人で始めた取り組みで、吉之介はそれを「世界一小さい学校」と称しました。

実はこの建物、元々は吉之介夫妻の自宅。全国から集まった入所希望者は、1年間、吉之介夫妻と生活を共にしながら技術を習得したのです。

倉敷本染手織研究所

卒業後はそれぞれの郷里で、その土地に根付く染めと織りの伝承と広がりを目指しました。

「吉之介は自宅を開放し、弟子たちに自らの生活をさらし、三食を共にすることで織物の技術だけでなく、生活の仕方のありようを伝えようとしたのです」と石上さんは語ります。

倉敷本染手織研究所

研究所の卒業生は、昭和28年の1期生から現在まで66回生。

吉之介に直接、教えを受けたのは40回生までで、吉之介亡きあとは四男で梨影子さんのご主人である信房さんが引き継ぎ、40回生以降を夫婦2人で育成してきました。

倉敷ノッティングから始まる研究所のものづくり修行

4月に入所(今年は4月16日にスタート)した研究生たちは、手始めに単純なノッティング(経(たて)に木綿糸を張り、木綿やウールの糸束を結びつけていく織り方) を学び、6月あたりから機織りの実技が始まります。

1枚のノッティングを作るのに、織るだけなら早くて2~3日で完成しますが、手間がかかるのは、その前の工程。織るための用意に時間がかかるのです。

綿を紡いで緯糸(よこいと)にすることから始まり、細い管(くだ)に緯糸を巻き、生地幅に合わせて160本に糸を揃え、筬(おさ。経糸を機に取付けるために使う櫛のような道具)に糸を張るといった幾つもの工程があります。

倉敷本染手織研究所
整経台を使い、織物に必要な本数や長さの経糸を揃えていく
整経台を使い、織物に必要な本数や長さの経糸を揃えていく

一つひとつの工程は全部つながっているので、1工程ずつ何度も練習して、全工程を一人でできるようにならなければ織物は完成しません。

一連の作業がすべて自分でできるようになっても、糸を束ねたり、織物に必要な本数や長さの経糸を揃えたりといった下準備だけでも毎日取り組んで10日以上かかるそう。1枚の布を織りあげるだけでも大変な労力がかかります。

倉敷本染手織研究所

カリキュラムは、易しい平織りから始まり、難度の高い複雑な織りへと進んでいき、最終的にきもの一反分の生地を織るのが卒業制作です。

糸も岡山産の綿を主体に、絹やウールなど、あらゆる素材を扱います。

素材作りに興味を持つ研究生が多く、自身の郷土の織物の特徴を探求したり、興味の幅がどんどん広がるうちに、1年という研究期間はあっという間に過ぎていくそう。

こうして日々手作業を続け、本物の素材や生地に触れていくうちに、研究生たちは身をもって、織物の良さと違いが分かるようになっていくのです。

暮らしながら学び、体にしみこませる

研究生は講義や実習で手仕事の技術を学ぶだけでなく、毎日の食事の準備、掃除、風呂焚き、季節ごとの障子の張り替えなど、生活の仕方も体に染み込ませます。

「食器などは私物の持ち込みはせず、研究所に備え付けの物を使うのが昔からの決まりです」と石上さん。

壁に掛けられた掃除道具
食器や椅子、掃除用具など、生活道具はすべて民藝品で、日常で使いながらその良さを体で覚えていく

研究所内で使う食器は各地の民藝の器やかご、漆器。プラスチック製品はごくわずか。使いながら、漆器などの扱い方も学びます。

こうした生活の仕方まるごと覚えていく学びの環境には、「日々、本物に触れ、目を肥やすことで、生活に本当に適したものを選びとる力を身につけよ」という吉之介の思いがこめられています。

長年、研究生たちが大切にいつくしんで使ってきた食器たち
長年、研究生たちが大切にいつくしんで使ってきた食器たち
長年、研究生たちが大切にいつくしんで使ってきた食器たち
戸棚に並べられた器
戸棚に並べられた器はどれも存在感があり、まるで展示物のよう。何十年も大切に扱い、毎日使われてきたものばかり

開設時から変わらない入所条件とは

研究所の入所条件は、開設時から変わりません。満18歳以上の健康な女子。

「もともと、女性が家庭に入ってからも着物や帯などの日常着、敷物や布団といった身の回り品を自給できるように、染めと織りの基礎技術を身につけることが研究所設立の目的だったからです。

設立当初は入所希望者の多くが高校卒業後の18歳から20歳という、嫁入り前の女性たちでした。

良家のお嬢さんも少なくなく、卒業時に一人が4台の機(はた)を倉敷で誂え、郷里に持ち帰っていたこともあります」と石上さん。

それほど織物は女性の日常の仕事であり、身近な手仕事だったことがうかがえます。

倉敷本染手織研究所

卒業した研究生が各地に根付く織物を作り、生業(なりわい)にする方法を伝えるために吉之介は徹底した教育を行いました。

こうした研究所の理念の根底には、柳宗悦の民藝運動に対する、吉之介の深い共感があります。

人の暮らしに寄り添うものを作る民藝の精神を、より多くの人に知ってほしい。

家族のために愛情を込めて布を織り、自分の身近なところからものづくりを広めていくことが家庭を良くする──。

吉之介はそうした信念のもと、研究生の育成に力を注いだのです。

講義に使用されている岩波文庫の「工芸文化」(柳宗悦)
現在も講義には岩波文庫の「工芸文化」(柳宗悦)を使用。民藝品の現物を見せながら具体的に教える

時代とともに、手仕事が忘れられていく危機感

しかし、時代とともに人々の衣食住は変化していきます。

日本が高度経済成長期を迎えるとともに生活様式も和から洋へ。

大量生産品の普及、それに伴う物流の発達により、自ら生産するより、消費することに人々の関心が移っていくと、手仕事の必要性やそれを楽しむ心のゆとりは次第に薄れていきました。

住宅事情が変わり、都市部ほど家で機を織ることもままならなくなった今、研究所での学びを生かしたいと、卒業生の中には機織りができる環境を求めて、田舎へ移住する人もいます。

吉之介の自宅風景
吉之介は自宅を開放し、弟子と衣食住を共にしながら教育した
吉之介の自宅風景

それでも学びたい、という研究生をつなぐのは‥‥

かつては、自ら織った着物や帯は、生活着として家族が使うだけでなく、近所の人や知人の依頼を受け、生活必需品として買ってもらことで生活の糧になっていましたが、今はかけた時間や労力に見合う代金で売ることが難しくなっているそうです。

それでも、研究所には毎年定員を超える応募があります。

「以前は高校を卒業後に入所する方が多かったのですが、最近は、大学で染色を専攻した方や留学経験者、仕事をある程度してきた方、定年後の入所が増え、入所者の年齢の幅も広がっています」

研究所には9台の機があります。1人が1台使うので、毎年、採用される研究生も9名。

倉敷本染手織研究所

採用は申し込み順で、来年以降の入所者は1、2年待ち。

「今まで宣伝したことはないのですが、昔は口コミで、今はインターネットで探して申し込む人が増えました」と石上さん。

「岡山のタウン誌で知って、作品展を見に来たのがきっかけです」という研究生は元教員だったそう。通える距離なので自宅から毎日通っているそうです。

「販売の仕事をしていましたが、作り手になりたくて」と神奈川から応募し、研究所に住み込みで学ぶ研究生も。

研究所では、機で織る工程より、それまでの準備に時間と労力がかり、作業自体も重労働。それでも、毎年、一人の脱落者もなく、全員が卒業してきました。

「今は布が好きで自分で作りたいという人が『チャレンジする面白さ』に目覚めるのでしょう」と石上さん。

倉敷本染手織研究所

手仕事を学び、自分で一から作ることが面白いのと同じくらい、仲間ができる喜びも大きいとも。

「1年間寝食を共にした同期生のきずなは強いです。毎年、同窓会には全国から卒業生が集うんですよ」

年に一度開催される展示会には、研究所の生徒と卒業生400名が出展。展示会を目標に各自が制作に励みます。

「同窓会でも先輩から後輩に、ものづくりの知恵や工夫を隠すことなく何でも教え合っています。卒業生たちはものづくりを通じて、世代を超えてつながっているんですね」と石上さん。

研究所での1年に、研究生生徒たちはものづくりの技術を習得するとともに、ものに対する愛着が生まれ、見る目が肥えていくといいます。

「ずっと使い続けることで 良さや美しさがわかるようになった」と口をそろえ、研究所で培った価値観は生涯、ぶれることはない、とも。

吉之介がつくった「世界一小さい学校」は、時代の環境が変わった今も、一人ひとりの卒業生に目に見えない大きな財産を残し続けているようです。

外村吉之介の写真
在りし日の外村吉之介。キリスト教の牧師だった彼は、人々の尊敬を集める人格者だった

<取材協力>
倉敷本染手織研究所
岡山県倉敷市本町4-20
086-422-1541
http://kurashikinote.jp/

文:神垣あゆみ
写真:尾島可奈子

令和のブライダルに受け継がれて欲しい、これからの嫁入り道具

気付けばジューンブライドの季節。昔は嫁入り道具といえば、桐たんすや鏡台などが一般的でしたが、現代では「新生活に必要なもの全般」と幅広いものになってきました。そんな中でも今回は、伝統を受け継ぎながら現代にもマッチする嫁入り道具をご紹介。贈る側も贈られる側も、ぜひ参考にしてみてください。

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沖縄県が安室奈美恵さんに贈ったクガニゼーク

平成の歌姫に沖縄県が贈ったもの。それは世界でただ一人の職人が生み出す「永遠の約束」

安室奈美恵さんの引退に、出身地である沖縄県は「県民栄誉賞」にあるものを贈りました。それは美しい純銀のリング「房指輪」と髪飾り「ジーファー」でした。

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産地:沖縄

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栃木県鹿沼市の伝統工芸品・鹿沼箒、かぬまぼうき

金婚式まで一緒にいたい。50年使えるお掃除道具「鹿沼箒」

いま改めて注目されている“ほうき”。年間25本ほどしか生産できない貴重な「鹿沼ほうき」は、最高にめでたい嫁入り道具とされて重宝されています。その理由とは?

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産地:益子

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一生ものの嫁入り道具、名入りつづら

「一生、大切にします」。家紋と名前が入ったつづらを嫁入り道具に。軽くて丈夫、通気性も良く、防虫効果の高いこちらのつづら、世代を超えて大切なものをずっと守ってくれそうです。

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産地:東京/em>

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香川のふわふわ嫁入り菓子「おいり」

まるで花嫁さんのように華やかな色合いのお菓子は、香川県・西部地方のお嫁入りに欠かせない「おいり」と呼ばれるお菓子。名前の由来は、400年前の丸亀藩主の姫君のお輿入れの頃に始まったものだと言われています。

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産地:丸亀・琴平

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もっと知りたい人に

これからの嫁入り道具

これからの嫁入り道具

嫁入り道具というと、豪華絢爛なものが良しとされた時代もありましたが、現代のライフスタイルにあった“一生もの”にできる生活工芸品を選んでみてはいかがでしょうか。今、あげたい、もらいたい、買いたい嫁入り道具を3つご紹介します。

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。