東京の水を支える有田焼。岩尾磁器工業がつくる、浄水に欠かせない素材

江戸時代初期 (1610年代) 、日本で最初の磁器づくりに成功した佐賀県の有田。

実はこの有田の焼きもの技術、私たちの暮らしのそこここで活躍しています。

建物を装飾するタイルやレリーフなどの景観素材、交通機関や商業施設内のベンチ、洗面台などの衛生陶器、さらにはパイプやタンクなどの工業製品、汚水処理や浄水場など環境分野にも使われているのです。

今日は、思いがけないところで使われている有田焼を紹介します。

東京の「おいしい水」を支える有田の磁器技術

日本が誇る「おいしくて安全な水道水」は、高度な浄水技術に支えられています。この浄水処理に、有田の磁器技術が必要不可欠なのだとか。

東京都が売り出して話題となったペットボトル入り水道水。美味しさへの自信が表れた商品です
飲み水として優れていることから、東京都が売り出して話題となったペットボトル入り水道水

今でこそ高い水準を保つ東京の水ですが、昭和30年代は水質汚染が大きな問題となっていました。カビ臭やトリハロメタン (発がん性物質) の懸念まである深刻なものでした。

水質を改善するには、強い酸化力をもつオゾンを使って原因物質を分解させる必要がありました。しかし、オゾン化された空気はその強力な酸化力ゆえに、設備そのものが大きなダメージを受けてしまうという問題がありました。

オゾンによる酸化に耐える素材がなんとしても必要だったのです。

そこで用いられたのが、有田の磁器のノウハウ。

昭和初期から、有田泉山陶石 (有田の磁器原料) の耐酸性に着目し、耐酸磁器の製品化を進め、水処理分野で京都大学と共同研究をはじめていた有田磁器の老舗企業がありました。大阪で汚水処理に取り組んでいた有田の岩尾磁器工業に、東京都から相談が舞い込みます。

下水処理施設生物反応タンクの内部。四角いパネルが有田の磁器技術を用いて作られた板。浄水設備にも用いられています
下水処理施設の内部。四角いパネルが有田の磁器技術を用いて作られた板。浄水設備にも用いられています

開発したのは、磁器のノウハウを用いた「オゾン用セラミックス散気材」。

酸化しにくいだけでなく、オゾンを微細で均一な泡にする素材で、浄水場に取り込まれた水を効率的、安定的に処理できます。

「オゾン用セラミックス散気材」を使って行われる浄水の様子
「オゾン用セラミックス散気材」を使って行われる浄水の様子 (画像は実験時のもの)

この技術によって、現在はすべての都民に全量オゾン処理した水道水の提供が実現しています。

手仕事で作られる、巨大工場の設備

酸化しにくく、熱に強く、耐久性のある磁器。ハードに操業される大規模工場の設備としても多用されています。

使われる環境や目的に応じて生地の粗さや密度を自由自在に調整できる配合ノウハウ、成形、焼成に有田の技術が生きています。

「磨耗しにくい」という強みを生かして、パイプの内側の素材としても使われます
「磨耗しにくい」という強みを生かして、パイプの素材としても使われます。(内側の白い部分です)
さまざまな工業製品。すべて磁器製
さまざまな形のパーツ。磁器製ものもは、分厚いものを焼き上げる、薄いものを均一に作るということが難しいのだそう

工場によって、使われる環境、部品のサイズや形は様々。そのため規格品はなく、すべてオーダーメイドで作られています。

直径1メートル以上の巨大な工業用磁器パーツ。なんと、これもろくろを使って手作業で作られています!粘土の乾燥具合が違う部分があると焼き上がった時に割れてしまうため、均質な厚みと強度で作る腕が求められます
直径1メートル以上の巨大な工業用磁器パーツ。なんと、これもろくろを使って手作業で作られています!粘土の乾燥具合が違う部分があると焼き上がった時に割れてしまうため、均質な厚みと強度で作る腕が求められます
筒の外側の凹凸も1つひとつ、手作業で削られています
筒の外側の凹凸も1つひとつ、手作業で削られています
工業用品の工場だが、こうして手作業で細やかな調整をして作られている
工業用品を作る現場ながら、多くの職人の姿があるのが特徴的な工場でした

「有田では、目に見える美しさだけでなく、求められる品質をひたむきに追い続けてきた歴史があります。
目に見えないところこそ真面目に作る。そんなDNAが有田にはあるように思います」

そう語るのは、岩尾磁器工業の社員の方々です。

世界品質のプレッシャーに応えた、有田のものづくり

では、私たちの暮らしを支える有田のものづくり、その歴史を辿ってみましょう。

17世紀初頭に始まった有田の磁器生産。当時作られたものは、形も焼き具合も不安定で、品質の優れた中国製磁器の足元にも及ぶものではありませんでした。

磁器の生産を試みた初期の失敗作。焼成後に釜の脇に捨てられたものが遺跡の調査で出土しました。形が不安定であった、り割れてしまったり、表面に凹凸があったりと課題が多くありました (「佐賀県立九州陶磁文化館」展示)
磁器の生産を試みた初期の失敗作。焼成後に釜の脇に捨てられたものが遺跡の調査で出土しました。形が不安定であったり割れてしまったり、表面に凹凸があったりと課題が多くありました (九州陶磁文化館展示)

日本の磁器が産声をあげたばかりの頃、中国が政権交代の内乱期に突入します。早々に中国での磁器生産が不安定になり輸出が激減。それまで中国の磁器製品を輸入していた世界中の国に影響が及びました。

そこで、磁器を作り始めていた有田に白羽の矢が立ちます。国内のみならず、鎖国中に幕府から貿易が許されていた中国船とオランダ船に乗って、有田の磁器が輸出されるようになったのです。

需要が高まったのは良いものの、求められたのは、磁器の大先輩である中国の品質。役人やオランダ東インド会社からかなり厳しい品質指導があったといいます。

中央のロゴ「VOC」はオランダ東インド会社のもの。オランダ東インド会社から注文を受けて作られていたことが伺える
中央のロゴ「VOC」はオランダ東インド会社のもの。オランダ東インド会社から注文を受けて作られていたことが伺えます。(「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)

海外で求められる磁器は多種多様なものでした。大小の碗皿に始まり、ビールジョッキやワインジャグ、コーヒーポット、汚物入れの蓋付鉢など、日本の生活には無い製品も見よう見まねで必死に作り出荷します。

71番ブロックの後ろにあるのはワインジャグ (左) と、73番の後ろはビールジョッキ (右) (「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)
海外輸出された当時の製品。71番ブロックの後ろにあるのはワインジャグ (左) 、73番の後ろはビールジョッキ (右) (「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)

決死の努力が実り、たった30年ほどの間に飛躍的に品質が向上します。1650年代末には「有田の技術は景徳鎮磁器 (世界的に評価の高かった中国の磁器) と遜色ない」と認められる製品を作り、ヨーロッパへの本格的な輸出も始まります。

この輸出景気を経て、高級品から日用品まであらゆる種類の陶磁器製品を作る有田の体制が整えられていきました。そして、有田の磁器生産技術の礎が築かれていくのです。

困った時の有田頼み。近代化を支えた技術

明治維新後、海外から入ってきた文明のひとつ、電信技術の発達にも有田は一役買っています。

電気を通す設備に必要だった絶縁性のある部品「碍子 (がいし) 」。当初は、輸入品のガラス製のものを使っていましたが、高価で壊れやすいものでした。そこで政府からの要請を受けて、磁器製の碍子が作られました。最初に手がけたのは、今も有田焼ブランドとして名をはせる香蘭社 (こうらんしゃ) 。

電線をつなぐ碍子は、苛酷な使用環境におかれます。絶縁性の良さはもちろん、耐熱性、強度、屋外使用に耐える材質の安定性などが必要でしたが、見事生産に成功し、現在では海外でも使われています。

こうして陶磁器技術は、工業製品にも活用されるようになっていきました。

明治時代に入ると、有田の技術を生かした大型の製品が盛んに作られるように。欧米の万国博覧会へ出品されると高い評価を受けました (九州陶磁文化館展示)
明治時代に入ると、有田の技術を生かした大型の製品が盛んに作られるように。欧米の万国博覧会へ出品されると高い評価を受けました (九州陶磁文化館展示)

工場で使うタンクや、酸製造装置の部品、化学薬品の容器などにも磁器が用いられます。また、戦時中に金属の供出が始まると、台所のコンロや釜、鍋、服のボタン、磁器製の缶詰、郵便ポストのような大きなものまで代替品が磁器で作られていたと記録が残っています。

岩尾磁器工業の磁器を使って作られた床のモザイク模様。九州陶磁器文化館前の広場に使われている
岩尾磁器工業の磁器製品パーツを使って作られた床のモザイク模様。九州陶磁器文化館前の広場に使われている

時代ごとに、私たちの生活を支えてきた有田の技術。くらしと共に発展してきたものづくりの世界がそこにありました。

<取材協力>
岩尾磁器工業株式会社
佐賀県西松浦郡有田町外尾町丙1436-2
佐賀県立九州陶磁文化館
佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
0955-43-3681

<参考資料>
東京都環境局 データ・資料・刊行物
東京水道局 水道ニュース
「西日本文化 特集 有田 火と土と人と」 1996年4月 西日本文化協会
「海を渡った古伊万里 セラミックロード」 監修:大橋康二 2011年 青幻舎
「欧州貴族を魅了した古伊万里」 監修:佐賀県立九州陶磁文化館 2008年 有田教育委員会
「土と炎 -九州陶磁の歴史的展開-」 編集:佐賀県立九州陶磁文化館 2009年

文・写真 : 小俣荘子
写真提供:岩尾磁器工業株式会社

※こちらは、2018年2月28日の記事を再編集して公開いたしました。

プロに聞くお菓子作りの道具。かっぱ橋で教わる、失敗しない製菓道具の選び方

シフォンケーキが膨らまないのはなぜか?

店頭に並ぶ製菓グッズを見て、急に心が踊りだす‥‥

日常的にお菓子作りをしていないものの、なんだかチャレンジしたくなってきました。

かくいう私は、シフォンケーキに挑戦して、見事に失敗。メレンゲもしっかり泡立てて、レシピ通りに作ったのになぜ‥‥。

調べていると、「お菓子作り成功の秘訣は道具にある」との情報を目にしました。いったいどういうことなのでしょう。

専門家に尋ねるべく、食にまつわる道具の一大問屋街「かっぱ橋道具街」へ。

成功のカギをにぎる製菓道具のこと、詳しく聞いてきました!

かっぱ橋道具街のお店にはたくさんの道具が所狭しと並んでいます。プロだけでなく一般客や外国人観光客にも人気です
たくさんの道具が所狭しと並ぶ問屋街。プロのみならず、一般客や外国人観光客も多く訪れます

訪ねたのは、かっぱ橋の老舗製菓道具店「馬嶋屋菓子道具店」。同店で製菓道具の開発や研究をされている櫻井裕 (さくらい ゆたか) さんに教えていただきました。

「馬嶋屋菓子道具店」の櫻井裕 (ゆたか) さん
科学的視点を踏まえて製菓道具を語れる櫻井さんは、プロの職人からも頼られる道具のスペシャリストです

その教えは、作りたいお菓子によって適切な素材を選ぶという「型」に着目したもの。つまり、大事なのは形状よりも素材だったのです。

焼き菓子の決め手は「熱通り」

「レシピ通りに作ったシフォンケーキが膨らまなかったんです」と相談すると、櫻井さんは「原因は大きく2つ考えられます」と答えてくれました。

「まずは熱通りの問題。

シフォンケーキをはじめ焼き菓子は、しっかりと焼き上げることが膨らみや味に直結します。指定の温度で充分に焼き上げられるかは、生地を流し込む型の素材次第なんです」

別の金型で焼いたフィナンシェの比較画像
同じレシピを使って、異なる素材の菓子型で焼いたフィナンシェ。条件が同じでも、型の種類でこんなに差が出ます。左の方がしっかりきつね色に焼けていて美味しそう

熱通りがよい素材はを筆頭に、アルミ鉄 (アルタイト、ブリキなど) 。ステンレスやシリコンゴムは焼き菓子には不向きなのだそう。

シフォンケーキならば、アルミ型で

「熱通りの良さがメレンゲの膨らみを助けるシフォンケーキは、アルミの型がいいでしょう」

そう教えられ、熱通りの良い銅ではないの?と思うと、実はそうもいかないよう。

「生地が型に張り付くシフォンケーキ型は洗う必要がありますから、錆びにくいアルミがベストなんです。

銅は高価なので、銅製の道具も多くありません。また、錆びやすいので水洗いできません。プロが銅素材の型や天板を使うのは、パリっとした仕上がりが重要なカヌレやフランスパンを作るときですね。使用後は、拭き掃除のみで保管します」

銅製のカヌレ型
銅製のカヌレ型。一個1,000円以上と高額ですが、お菓子づくり上級者になったらトライしてみたい

表面加工や油分にご用心

「もう一つの失敗原因として考えられるのは、生地の油分やコーティング加工です。

シフォンケーキは、型に張り付きながら生地を支えて膨らんでいきます。型離れを良くしようと型の表面にバターやオイルを塗ったり、油分を含む抹茶やココアなどを加えたり、型の表面にすべりやすい加工がさていたりすると膨らみにくくなってしまうんです」

オーブンの中で膨らむシフォンケーキ
この膨らみは型の支えあってこそ

昨年の私は、シリコンゴムの型を使った上、後片付けを楽にしたい誘惑に負けて型に薄くバターを塗って抹茶シフォンを作りました。どうりで膨らまなかったわけです‥‥。

「シリコンの型は、専用のレシピを使ってくださいね。強力粉を入れるなど、膨らむ力を助けて作る方法もあります。

また、型離れしやすいようにコーティング加工されているシフォンケーキ型もあります。この場合も、膨らみにくくなるのでレシピの工夫が必要です」

テフロン加工のシフォンケーキ型
テフロン加工のシフォンケーキ型

失敗しないシフォンケーキ作りについて納得したところで、他の素材や加工についても教えていただきました。

マドレーヌや食パンには、鉄製を

「銅やアルミには劣るものの熱通りが良く、衝撃に強い鉄素材は、マドレーヌやフィナンシェ、食パンなど万能に使えます。

ただし、湿気ですぐに錆びるため注意が必要です。生地を流し込む前に薄く油脂を塗って型離れしやすくし、使用後は拭き掃除のみ。紙などに包み、風通しの良いところで保管するのが理想的です。

表面に残った油分が型に馴染むことで、型離れ効果とサビ予防の役目をしてくれます。長く使うほどに、使いやすい道具に育てていけるのです。

汚れがひどい時は、柔らかいスポンジで水洗いして、すぐにオーブンの予熱で水気を取り除いてください」

コーティング加工で型離れを助ける

シフォンケーキ以外の多くの焼き菓子で重要なのが、焼きあがった際に型からきれいに取り外せること。

マドレーヌやフィナンシェは、型の通りの形でころんと外れると嬉しいもの
型の通りにころんと外れると嬉しいマドレーヌやフィナンシェ

「金属型に、シリコンやテフロンの薄い膜を施すコーティング加工をしている商品もあります。使い始めの空焼きが不要な上、最初から型離れ効果が望めます。

カロリーカットなどの目的で、コーティング加工のものには油脂を塗らずに使う方もいらっしゃいますが、コーティングが剥がれやすくなるため油脂を少量塗ることをおすすめしています」

ただ、プロが使うお菓子型は、コストの観点から加工無しのものが一般的だそう。

「加工無しの型は空焼きが必要であったり、使い始めは型離れしにくいので油脂をしっかりと塗るなどの手間はかかりますが、正しくお手入れしていれば長く使えて、使い勝手の良い型に育ちます」

コーティング加工なしのブリキのフィナンシェ型
コーティング加工なしのブリキのフィナンシェ型

「すぐ簡単に使いたい」なら加工された型、「長く道具を育てていきたい」なら加工なしの型と、好みで選ぶのが良さそうです。

お菓子にはシリコン加工&拭き掃除

加工が施された金属型選びにはこんな注意点も。

「テフロン加工は水に強いので洗えます。ただし、糖分に弱いため甘いお菓子には不向きといわれています。

一方、シリコン加工は糖分に強いのでフィナンシェやマドレーヌなど甘いお菓子に最適です。でも、液体に弱いので水洗い、特につけ置きは絶対に避けてください。

加工なしの型同様、原則拭き掃除のみで紙に包んで保管します」

ちなみに、テフロン加工は糖分に弱いためパン作り向き。お菓子作りにはシリコン加工がおすすめなのだそう
テフロン加工は、甘くないマフィンやパン作り向き。甘いお菓子作りにはシリコン加工のものを

ステンレスやシリコンゴムは、冷や菓子に

「ステンレスは錆びにくく、シリコンゴムは錆びません。

ムースやゼリー、チョコレート、羊かんなど水分の多いお菓子に最適です。特にシリコンゴムは、いろんな形のものがあるので人気があります」

シリコンゴム製の型を紹介する櫻井さん
店内にも様々な形のシリコンゴム型が並んでいました

道具選びのまとめ

・シフォンケーキ型は、加工なしのアルミ製がベスト。

・マドレーヌやフィナンシェは、手軽に作るならシリコン加工の鉄製型、プロ仕様で道具を育てるなら加工なしの鉄製型を。

・ムースやゼリー、チョコレートなど冷やしてつくるお菓子には、シリコンゴムやステンレスのものを。

素材別の特製一覧
素材別の特徴一覧 (資料提供:馬嶋屋菓子道具店)

まずこの基本を押さえながら、自分にあった道具を選ぶと良さそうです。

「専門店で買うときは、どんな風に作りたいかをお店の人に相談すると良いですよ。いつでも相談に乗りますので」と櫻井さん。専門店、心強い。

弱点を克服した新しい菓子型

素材や加工とお菓子作りの相性を研究してきた櫻井さん。それぞれに一長一短のある道具を見ていて、ついにこんな商品を開発したそうです。

遠赤加工した熱伝導率の高い鉄に、糖分に強い特殊なテフロンを塗った金型「あかがね」シリーズ
鉄製テフロン加工の金型ながら、熱伝導率が高く、糖分に強い特殊加工がほどこされた金型「あかがね」シリーズ

「銅やアルミより熱通りが劣る鉄に遠赤加工を施し、糖分に強い特殊なテフロンを塗装した金属型を作りました。

強くて扱いやすい鉄と水洗いできるテフロンの弱い要素を克服した、しっかりとした焼き上がりと使いやすさを兼ね備えた道具です」

なんと、銅製の型でないと焼き上げられないカヌレまでパリッとしっかり焼けるそう
なんと、銅製の型でないと焼き上げられないカヌレまでパリッとしっかり焼けるそう

この『あかがね』シリーズの価格は5千円から7千円程度。銅製品より安価ですが、一般的な製菓道具よりは高額です。

「お菓子作りが好きな中級者以上の方に喜んでほしいと考えています。

世の中には安価な型もありますが、それは金属素材の純度や加工塗料の質の違いが価格差になっています。お菓子の型は値段相応にそれぞれの納得感がありますので、ご自身の作りたいお菓子をイメージして選んでみてください」

道具の説明をする櫻井さん

「お菓子作りの鍵は道具にあり」

自分の作りたいお菓子ってどんなものだろう?理想の仕上がりや自分にとっての作りやすさを思い描きながら、道具を選ぶのは楽しいものでした。

リベンジを誓う私。アルミ製のシフォンケーキ型を手にお店を後にしました。

<取材協力>
馬嶋屋菓子道具店
東京都台東区西浅草2-5-4
03-3844-3850
*通販もありますのでぜひご利用ください
http://majimaya.jp/

文・写真:小俣荘子
画像提供:馬嶋屋菓子道具店

* こちらは、2019年1月29日の記事を再編集して公開しました

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こけしが斬新に進化した。倒れると光る「明かりこけし」が役に立つ

東北で生まれた郷土玩具、こけし。

もともとは、子どもが遊ぶ人形として作られたものでした。現在では、出産や入学卒業、結婚、新築など人生の節目に贈る飾れる記念品としての役割を持って東北地方を中心に親しまれています。

明かりこけし
部屋に飾られたこけしには、記念品としての役割もあったのですね

おもちゃから置物へとその役割が変化してきたこけしですが、さらなる進化を遂げたものも登場しています。それが、こちら。

明かりこけし
こけしの底面から光??

傾けると底面が点灯する、その名も「明かりこけし」です。

なぜこけしがライトに?

この斬新なこけしを開発した、宮城県仙台市の「株式会社こけしのしまぬき」社長の島貫昭彦さんにお話を伺いました。

こけしのしまぬき本店
明治25年創業の「しまぬき」。煙草やお菓子を扱うお店として始まり、現在はこけしをはじめ仙台・東北の工芸品を幅広く扱い、商品づくりも行なっています

島貫さんは、お店での工芸品販売だけでなく職人さんや企業と協力し、工芸品を今の暮らしに合うものにする取り組みをされてきた方。この「明かりこけし」もそうした取り組みの中で生まれた商品なのだといいます。

こけしと地震の関係

「三陸沖は昔から地震が多い地域なんです。東北の家庭にはこけしが飾られていることが多く、『地震があると、こけしが倒れて嫌だ』と言われ続けてきました。

大きな頭と長細い体でできたこけしは、たしかに倒れやすそうなイメージです。実際は小さな揺れでは倒れないのですが、この地域の『地震あるある』として定着してしまっていました。このネガティブなイメージを払拭したいと考えていたんです」

胴の細い遠刈田系
「遠刈田系」と呼ばれる胴の細いタイプのこけし。一見倒れやすそうですが、この形であっても実際には震度4程の揺れまで倒れないのだそう

きっかけとなったのは、2008年に発生した宮城岩手内陸地震。

「甚大な被害の中、こけしもたくさん倒れました。どうせ倒れてしまうなら、何か役に立てる事はないだろうか。そんな思いが芽生えました」

弱点を活用して

倒れてしまうデメリットを活用しよう。そのアイデアがこの「明かりこけし」を生み出します。

内部に傾きを感知するセンサーが取り付けられていて、こけしを横にするとLEDライトがともる仕組みです。スイッチはなく、横にするだけで反応するので、倒れるとすぐに点灯します。

内部の構造
内臓された、傾きセンサー付きのライト部分
傾きセンサー内蔵で、こけしが倒れると自動でLEDが点灯
こけしが倒れると自動でLEDが点灯します

「実験したところ、こけしは震度4程度に揺れが強まると転倒します。大きめの揺れが来た時に、明かりを照らしてくれると安心できますよね。内臓したLEDライトは最長約50時間ほど連続点灯しますので、停電が起きた時にも活用いただけたらと思います」

傾けると点灯する、明かりこけし
ライトの機械部分以外は、通常のこけし同様に全て職人さんの手によって作り出されます

普段は部屋に飾っておいて、いざという時にはすぐ明かりを灯せるお守りのようなこけし。コロンと転んだ姿はどこかユーモラスで、その明かりは緊急時に張り詰めた心を和らげてくれるに違いありません。

伝統的な技術と現代の技術の掛け合わせで、私たちの暮らしを支えてくれる。そんな進化した工芸品がここにありました。

<取材協力>
株式会社こけしのしまぬき
宮城県仙台市青葉区一番町三丁目1-17
022-223-2370
https://www.shimanuki.co.jp/

文・写真:小俣荘子

駅でハーモニカが買える街、浜松へ。全て手作業の工房で職人技を見る

ヤマハやカワイ、ローランドといった世界に名立たる楽器メーカーが立地し、楽器の街として知られる静岡県浜松市。浜松の人々は小さい頃から音楽に親しんで育つのだとか。

浜松で新幹線を降り立つと、駅構内に展示されているグランドピアノをフラっと弾いて行く人 (みなさん演奏がハイレベルです!) を目にしたり、駅売店でハーモニカが売られていたりと、さっそく音楽の洗礼を受けます。

また、ランドマークとなっている「アクトシティ」のタワーは、「形がハーモニカに似ている!」ということで、ハーモニカタワーとして親しまれているのだとか。 (設計者はハーモニカを意図したわけではなかったそうです)

ビルも楽器に見えてしまう?!、そんな音楽を愛する人々の街を訪ねました。

ハーモニカの形に似ていると市民に親しまれるアクトタワー。こちら側から息を吹き込んだら音が出そう??

家族5人で営むハーモニカ工房

まず訪れたのは、遠州電鉄の曳馬 (ひくま) 駅からほど近い住宅街にある「昭和楽器製造」さん。浜松の銘工品として認められ、参入が難しいと言われるJRのキオスクでも販売を許されたハーモニカメーカーです。

工房を目指して歩いていると、心地よいハーモニカの音色が響いてきました。

ご家族5人で営むこの工房、全てを手作業で行いハーモニカを製造しています。小さくても正確な音が求められるハーモニカ。1本1本の音程を何度も確かめながら製造されていました。 (外に響いていた音色はチェックする音だったのですね)

社長の酢山義則 (すやま・よしのり) さんと、営業を担当されている中澤哲也(なかざわ・てつや)さんにお話を伺いました。

「彼 (中澤さん) は、娘の旦那さんなの。大手自動車メーカーでバリバリ働いてたんだけど、結婚してここで一緒に働いてもらうことになって今は家族5人でやっています」と酢山さん。みなさんにこやかで、温かい雰囲気が伝わってきました。

家族5人の工房

浜松駅のキオスクでハーモニカが販売されるまで

「戦後間もない1947年に、先代の父がハーモニカ職人2人と立ち上げて、楽器業界に参入しました。平和産業として工場を始め、材料不足に悩みながら、作れば売れるという時代が続いていきました。

ハーモニカの巨匠、宮田東峰 (みやた・とうほう) 先生の指導の下に発売した、“スペシャルミヤタ”は人々に評判を得て大繁盛しました。百貨店のショーウィンドーもスペシャルミヤタ一色になった時代です。

文部省 (現在の文部科学省) の依頼により、全ての小学校でハーモニカが使われ、黄金時代は続いていきます。
しかし、小学校で使われた教育用のハーモニカに代わって、鍵盤ハーモニカが業界進出することにより、ハーモニカは衰退の道をたどっていく事になったのです」

学生用のミヤタモデル

「このままでは駄目だと、色々と工夫をこらしました。当時作っていた宮田東峰先生監修の“スペシャルミヤタ”を“Showa 21スペシャル”にリニューアル、 小学校で使用していた教育用のハーモニカを”からふるハーモニカ”にするなどデザイン面でも新しいものを打ち出し下請けではなく独自ブランドを育てていきました。

転機となったのは、2004年の浜名湖の花博です。

一番奥のお客さんが来ない場所に出店する業者がなくて、商工会議所さんに『ハーモニカを展示販売しませんか?』と持ちかけられました。当時はまだ、ハーモニカは楽器屋さんで販売しているものというイメージで、こんなところに置いても売れやしないと断っていましたが、『どうしても』と声をかけていただいたのでやってみることにしたのです。

実際に展示販売をはじめてみると、一番奥の場所で人通りがないから全然見てもらえないのです。そこで、音を出してみたのです。

ハーモニカの音というのは郷愁が漂う音なんですね。

それで、音を聞いた年配のお客さんが寄ってきてくださって『ハーモニカってまだあるんですか?』と興味を持ってくださるようになって、売れていくようになりました。

6ヶ月の花博のうち、3ヶ月の展示をさせてもらったのですが、その間に全ての在庫が売れて1千万円の売り上げとなりました。

朝から夕方まで展示販売中、引っ切りなしにお客さんがきて買っていってくださる。

商工会議所でも注目されたり、花博会場の近くのホテルのオーナーさんから『うちの売店に置きませんか?』と声をかけてもらえました。こうして、楽器店だけではなく、ハーモニカをお土産物屋さんで展開するということが始まりました。

現在も色々なところに置いていただいていて、参入するのが難しいJRのキオスクさんでも展開しています」

浜松駅構内の大きなお土産物屋さんGIFT KIOSKには酢山社長の看板とともにハーモニカが展開されている

土産物として、広がる可能性

「ポケットに入るオーケストラ」とも呼ばれるハーモニカ。

音に引き寄せられて思わず手にしたくなる気持ちがわかります。持ち運びもしやすいので気軽なお土産としても、ぴったりだったのですね。さらに酢山社長の工夫とアイデアは展開されていきます。

「SLを走らせている大井川鉄道という観光鉄道があります。

夏休みには子どもたちを連れた家族で大いに賑わいます。そのSLの中で『ハーモニカおじさん』と呼ばれる演奏者の方がハーモニカを吹いてお客さんを楽しませていますが、合わせてハーモニカの車内販売をしています。

その時の光景とともに思い出にもなるお土産。お子さんたちにも喜ばれて大いにヒットしています。

かつて浜松では、お弁当販売のように『ハーモニカ娘』と呼ばれる販売員が特急列車の停車時間にハーモニカを販売していたことがあるのです。その現代版ですね」

酢山社長の工夫と1つのところに固執しないアイデアの数々が伺えました。

特急列車の停車中にお土産としてハーモニカを販売する「ハーモニカ娘」を記録した写真 (撮影:宮本照道) も見せていただきました

「博覧会の時に『ハーモニカってまだあるんですか?』と聞かれたように、楽器屋の片隅に置かれているだけだとハーモニカ自体が廃れていってしまいます。楽器としてだけでなく、お土産物としての展開は、ハーモニカを広く伝えて楽しんでいただくという点でもよかったと思っています。吹けば音の鳴るハーモニカは音楽の入り口としてもハードルが低いんです」と中澤さん。

確かに、ハーモニカが身近にあると、子どもたちが音楽に触れるきっかけになったりもしますね。

土産物として人気のミニハーモニカ

戦時中、人々の心を慰めた思い出の音色

酢山社長がこんなお話をしてくださいました。

「お年寄りの方には、あるハーモニカの思い出があるのです。それは戦時中の記憶です。戦時中、大陸に渡った兵隊さんたちへ送る物資の中に、千人針などと一緒にハーモニカを入れて送ったんだそうです。みなさんそれを吹いて遠く離れた地で心を慰めたのでしょうね。

ある方からはこんな話も伺いました。

敗戦後の引き上げの際に、船の中でクタクタになって横になっている人々の間で、その方は思い立って持っていたハーモニカを吹いたのだそうです。すると、みんなが起き上がってハーモニカに合わせて歌を歌って励ましあったそうです。音とともにその時のことを思い出すのだと涙しながら語ってくださいました。

みなさん音楽と記憶が一緒に残っていることがあると思いますが、ハーモニカは戦中戦後日本の人々の中でそうした記憶として残っているようです。

ハーモニカを作っていると、時々そういう思い出話をしに訪ねてきてくださる方がいらっしゃるのです」

ハーモニカは、吹いても吸っても音が出る楽器。腹式呼吸で演奏します。これが健康に良いのではないか?と、デイサービスなどで取り入れているところもあるのだとか。

年配の方に馴染みのある楽器でもあるのでみなさん楽しんでおられるようです。

また、浜松にはハーモニカのサークルがいくつもあり、公民館で会が開かれていたりもします。

浜松まつりの時期には、「ハーモニカ100曲リレーコンサート」という市民参加のコンサートイベントが盛り上がを見せます。暮らしに音楽が密接に関わっているところに音楽の街浜松の様子が伺えました。その中でも、身近な楽器としてハーモニカは一役買っているようです。

厳しい耳による製造現場

(どんなに小さな)お土産のミニハーモニカであったとしても、正しい音が出なければなりません。おもちゃではなく、小さくても本物の楽器です。

ハーモニカは、「よく鳴る、音が正確、そしてデザイン性が重要」と酢山社長。実際にハーモニカができるまでの様子も見せていただきました。何度も音をチェックしていく工程から、そのこだわりが感じられました。

ハーモニカの心臓部分、音を響かせるリード。鳴りをよくするためにリードの状態を整えていきます
足元のペダルを踏んで空気を送り込み音を出し、耳とチューナーを使って正確に音程を微調整して仕上げます
組み立てた後は実際に吹いて最終確認、そしてきれいに消毒します
ミニハーモニカも同様に組み立て、音のチェックがされていました

昭和楽器製造さんでは、この珍しいハーモニカの調律の工程が見学できる、工房見学も行われています。ハーモニカの歴史や作り方について酢山社長から直接解説を聞けるので、ぜひお出かけになってみてください (要予約) 。

最後に見せていただいた貴重な品、戦後の占領下にあったころに製造されたハーモニカ。MADE IN JAPANではなく、Made in Occupied Japan (占領下日本製) と刻印されています

<取材協力>
昭和楽器製造
静岡県浜松市中区上島1-8-55
053-471-4341

文・写真:小俣荘子

*こちらは、2017年7月28日の記事を再編集して公開いたしました。

プロに聞く「きもの入門」初心者でもできる簡単な着方とアレンジ方法

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

私はここ数年、洋装と和装それぞれ半分ずつくらいの割合で外出するようになりました。腕のやけど治療で夏場に毎日長袖で過ごさなければならなくなった際、暑さに耐えかねてすがるように始めたゆかたでの生活がきっかけでした。

慣れてしまうと思いのほか楽しく快適なものでしたが、出かける先々で「大変でしょう」「偉いわねえ」といった労いの言葉をかけていただいたり、興味を持ってくださいつつも、「着たいけれど難しそう」「ハードルが高い」と不安を口にされる方にたくさん出会いました。

洋服と同じようにきものも日常に取り入れられたら、という思いから、きものとの付き合い方や、愉しむヒントをご紹介してまいります!

「きもの やまと」会長 矢嶋孝敏(やじま・たかとし)さんにファッションディレクター石川ともみさんが聞く

第1回は、きものを始めるにあたっての不安や疑問を解決すべく、歴史的見地からもきものに造詣の深い方の元へ。「きもの やまと」会長できもの文化育成にも多大な貢献をされている矢嶋孝敏(やじま・たかとし)さんにお話を伺いました。

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聞き手は、ファッションディレクターで、一般女性のためのパーソナルスタイリングサービスも展開されている石川ともみさん。私たちにとって馴染みのある洋服の視点から問いを投げかけていただきました。

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(以下、矢嶋孝敏氏発言は「矢嶋:」、石川ともみ氏発言は「石川:」と表記)

きもの初心者、最初の一歩

石川:一般女性からのご相談でも、きものを始めたいという方が増えていまして、何を揃えればいいの?予算は?どこで見ればいいの?とたくさんの疑問の声があがってきます。

店頭で見る機会も洋服より少ないので全体像がつかみにくい。どこから入れば良いのか‥‥というお悩みを持つ方が多くいらっしゃいますね。最初の一歩、どんなふうに揃えていったら良いでしょうか?

矢嶋:まず、きものは一番ミニマムに言えば、きものと帯のふたつがあればいいのです。

下に長襦袢を着なくても、タートルネックやフリルのブラウスを合わせたり、足元はブーツでもワンストラップシューズでも大丈夫。Tシャツとジーンズがあれば洋服を着られるのと同じですよ。

もっときっちりと着ようと思えば、長襦袢を用意する。本格的な長襦袢でなくても、今は3,900円ほどで手に入るコットンで出来た長襦袢のように使えるスリップもある。長襦袢の上にきものを着て帯、もっとおしゃれにするなら羽織、足袋と装履(ぞうり)といった感じで揃えます。

長襦袢の役割も担う肌着/ 写真提供 株式会社やまと
長襦袢の役割も担う肌着/ 写真提供 株式会社やまと

ゆかたも同じです。ゆかたは夏に着る綿の単衣(ひとえ)のきものですから、インナーに着る長襦袢(ながじゅばん)は必要ない。極端にいうと、下駄もあれば格好良いけれどミュールを合わせたって良いんです。

石川:そう考えるとかなりハードルが下がりますね。価格としてはどれくらいなのでしょう?

矢嶋:みなさんが高いと思っているのは絹のきものを想定しているからです。先日ラグジュアリーブランドのコレクションに行きましたが、やっぱり絹のワンピースは25万円するんですよ。

石川:そうですね(笑)

矢嶋:他のブランドでもシルクだと10万円以上するでしょう、きものも同じです。

弊社だと、ポリエステルの洗えるきものなら1万円台から。綿のきものであれば3万円台から(遠州木綿など)あります。片貝木綿でも4万円台で展開されています。

帯が大体1万円からで、軽装履きの装履だと3,900円からある。ポリエステルなら、きもの、長襦袢になるスリップ、帯、足袋、装履、全部合わせたとしても5万円くらいで揃えられる。綿だと8万円前後で、絹になれば15万円くらいになります。

そう考えると、ファストファッションよりは高いけれど、百貨店でレディースプレタ(ブランド既製服)を買うのとほぼ変わりません。

石川:もしかするとトータルで揃えるときものの方がお手頃かもしれませんね。

矢嶋:もちろんきものは、凝ろうと思えばいくらでも凝れるんですよ。長襦袢を絹にしたり、羽織の裏地に凝ったりとかね。裏地だけで何万円もするものもあります。

今日の羽裏は、唐獅子牡丹。桜も舞っている。季節のものをこうやって楽しむんですね。

矢嶋氏の羽織の裏地。唐獅子牡丹。裏地に凝る遊び心
矢嶋さんの羽織の裏地、唐獅子牡丹。見えないところにも光る遊び心

矢嶋:こういう凝り方もあるけれど、そればかりではないので、好みや予算に合わせて楽しめます。

石川:はじめはミニマムにスタートして、少しずつアレンジしていくのですね。

きものはフォルムが同じだから、着まわしもしやすい

石川:(ご同席の)プレスの小林さんのきものも素敵ですね。木綿ですか?レースの襟やハートの帯留も可愛いです。

矢嶋:今注目の久留米絣ですね。綿です。帯留は自分で作って楽しむ方も多いですよ。アレンジは自由自在です。

やまと プレスの小林さんの装い
プレスの小林さんの装い。木綿のきもの(久留米絣)。帯留はピアスや箸置きなどに金具をつけて自作される方も多いそう

石川:1着でもいろんな風に組み合わせて着られるし、もしかすると、きものの方がアレンジの幅が広げやすいところもあるのかもしれませんね。

最近のトレンドとして、洋服でも数を持ちたくないという方が多いです。着まわしという点でも時代性に合っているのかもしれません。

矢嶋:洋服だとフォルムが多様にあるでしょう。ジャケット1つとってもシングル・ダブル、丈やボタンの数も様々で、形も違う。

きものはフォルムが同じだから、着まわしもしやすいのです。同じ形の素材違いや柄違いなので簡単に合わせられます。そして、男女でほぼ同じ形です。

今日私が着ているきものも、実は女性ものの反物を仕立てました。こういった若草の萌木色の男性ものは、なかなかないので、楽しんでいます。

男性も綺麗な色をいっぱい着た方がいい。それこそ、明るいピンクでも。一般的に、今までの男性向けきものは地味なものばかり。こういうちょっと洋服では出しにくい色を、きもので着たいなと思うのです。

石川:確かに、洋服の場合は男性でこの色で全身揃えるのはなかなか難しいですけれど、きものだと挑戦しやすいですね。

きもののルールを歴史から考える。カジュアルきものはもっと自由でいい。

石川:きものを揃えていく上で、ルールがすごく細かくあるんじゃないかという印象があって‥‥。

ちょっと間違っていたら怒られそうとか、笑われそうとか、初心者はそもそものきものルールもわからない状態なので、すごく高いハードルを感じます。基本として、まずはどんなことを押さえたら良いのでしょうか?

矢嶋:きものの歴史でいえば3つあります。

「着るもの」として考えたら、洋服もきものも同じなのだけれど、一般的には「きもの=和服」でいい。

「和服」という言葉ができたのは洋服という言葉ができたのと同じ明治6年ころだから、和服の概念の歴史はせいぜい150年しかない。それより前はみんなきものだったから、そもそも和服・洋服という区別が存在しないのです。

それから、今の袋帯・名古屋帯という名前ができたのが大体100年前。そして、「フォーマルはこういうものですよ」というルールができたのが、たかだか50年前です。そんなに昔からルールが決まっていたわけではありません。

しかも、今言われているルールというのが、ほとんどフォーマルきもの用です。現代のみなさんが日常的に着るカジュアルなきものはそれにとらわれなくていいのです。

例えば、今日僕が着ている結城紬。結城紬は高級な織物だけれど、カジュアルなものだから正式なところには着て行ってはいけないと言われています。

でも、僕はそうは思わない。そんなのは後から生まれたルールだから。

カジュアルと言われる結城紬に、一つ紋がついたフォーマルな羽織を合わせたのが今日の組み合わせ。フォーマルルールに沿って考えると、いけない着方をしているわけです。

でも洋服に置き換えて考えたら、「デニムにブレザーを合わせて何がおかしいの?」という話になります。

そういうことが洋服では許されるのにきものでは許されないという誤解。フォーマルのルールが全てだと思ってしまっているから起きていることですよね。

石川:洋服で言うと、ドレスのルールを日常にも持ち込んでいるような状況なのですね。

矢嶋:そうそう、まさに。例えば、こんな着方もありますよ。

きものの下にはワイシャツとボウタイ、帯の代わりに皮のベルト、足元はブーツというスタイリング / 写真提供 株式会社やまと
レースの羽織にきものの下にはピンタックのワイシャツとボウタイ、革の帯、足元はブーツというスタイリング / 写真提供 株式会社やまと

石川:わぁ、素敵ですね!実際こういう装いの方が街を歩いている姿を眺めているほうが、楽しいですね。

矢嶋:洋服のトレンドのように、いろんな着方があって良いのです。

例えば、いま流行しているダメージデニム。あれだって知らない人が見たら、「膝小僧が出ててみすぼらしい」と思うかもしれない。

だけどそれはファッションなんだからと、気にせずに履くでしょう?

石川:確かに以前、親戚がダメージデニムを履いて電車に乗っていたらおばあちゃまに「買えないのね、かわいそうに‥‥」って言われていました。世代が違えば、捉え方も変わりますよね。

矢嶋:そうでしょう(笑) きものも同じです。

戦後のきもの業界に起きた2つのブーム、光と影

石川:きものの場合は、若い世代がきものに合わせなければいけないと構えすぎているのかもしれないですね。

矢嶋:そうそう。戦後のきもののありかたにその原因があります。150年前は日本人全員がきものを着ていた。戦前戦時中はもんぺと国民服になってしまったから、そこで一度きもの文化が途絶えてしまった。

そして、戦争に負けて欧米文化にシフトして行く中で、どうやってきものを生き残らせようかときもの業界の人が考えたことが2つありました。

1つ目が、1959年の皇太子ご成婚時に新聞に掲載された美智子妃殿下の訪問着姿をきっかけに訪れた婚礼きものブーム。そして2つ目が、団塊の世代が成人式を迎えた1969年から1970年頃の振袖の大流行です。

婚礼と振袖、2つのフォーマルなきものできもの業界は持ちこたえた。ただ、戦前のきもの文化成熟期には、たくさんあったカジュアルなものが淘汰されてしまったのです。素材も絹一辺倒になることで高額になり、ルールに縛られ、自由で多様性のあるきもの文化が消えていってしまった。

自分のスタイルを見つけるには

石川:私は主に洋服に携わっていますけれど、時代によって着方は移り変わっていきますよね。歴史から考えると、きものも洋服同様にもっと自由でいいのですね。

とはいえ、今からきものを始めようと思っている方は、本で勉強しようとすると、どうしてもフォーマルのルールばかりが載っていて、たくさんの条件をクリアするものしか着てはいけないと思い込んでしまう。

矢嶋:フォーマルなルールを主張する人がいてもいいけれど、そればかりではつまらない。画一的になってしまうから。

若い方も洋服を着るときはその意識を持っていますよね。それくらい洋服に対しては文化が成熟しているのです。

きもの文化は150年前には成熟していたのに戦争前後の変化でブランクができて、その後ルールがフォーマルに偏ったものになってしまった。

ルールを知ることが悪いとは思わないし、フォーマルに着たいならルールを学べばいい。だけど、カジュアルに着ることだってできるということを忘れてはいけない。カジュアルに着るんだったらもっと自由でいいはずです。

きもののスタイリングで一番大切なのは、場や相手に合わせること

石川:お召しになるきもののスタイリングではどんなことに気をつけていらっしゃいますか?

矢嶋:「特別な日だからきものを着る」のではなく、「今日を特別な日にしたいからきものを着る」ということが僕にはよくあります。

今日は雨模様だけれど、せっかく春だから今の季節に合うもので出かけようと、若草の萌木色のイメージでこういう装いにしました。一番大切なのは、「その場と相手に合わせる」こと。

今日だって、もっとアバンギャルドな着方とか色々な選択肢はあったのですが、初めてお会いする方との時間だから、カジュアルだけど僕の中ではオーソドックスな着方を選んできたわけです。

みなさん、ふだん洋服でやっていることですよね。きものも同じです。

石川:先ほどのお話で、今日の装いをデニムにブレザーと言い換えてくださいました。

そういうふうに、「これはワンピースに相当」とかそれぞれのきものと洋服が対応するマトリクスになっていたら嬉しいのに、なんて思ってしまいました。

矢嶋:うーん、わかりやすくなるかもしれないけれど、それをやるとそれがまたルールになってしまうでしょう。

例えばその人が堅い職業の方ならおのずときちんとした格好になるし、同じ年齢でもアパレル系の方ならおそらく全く違う装いになる。

その人その人の常識や習慣、性格によって基準は変わってくるものだから、決めつける必要はない。そういう差があることが成熟した豊かさだと思うのです。

石川:確かに統一はできないですね。

矢嶋:食事でもね、フランス料理だって、フルコースで食べるスタイルもあればオードブルばかりで楽しむというスタイルも作られているでしょう。選べる豊かさというものがあると思う。

まず第一に、その場の相手に合わせる、そして、その中で自分らしさを出していけばいい。

見て、着て、慣れていく。その中で自分のスタイルを見つける。

石川:何を選ぶのか、どんなスタイルにするのか、自分の中の軸を決めていく必要がありますね。

矢嶋:まずは、スタンダードなところから入って慣れていけば良いと思いますよ。

一番良いのは、きもの屋さんの店頭やwebでいろんな人の着方を見てみること。弊社のお店にいらっしゃるお客様の最大の動機のひとつが「着こなしを見たい」というものです。

「こういうふうに合わせるんだな」と、実際に見て知っていただけるように、うちは、その地域やディベロッパーのメインとなるお客様の年代に合ったスタッフが店頭にいるようにしています。

石川:きものは街中で見る機会も少ないですものね。色んなものを見ると自分の中で軸が定めやすくなりますね。

矢嶋:まずはきものに対して馴染みを持つことが大切。

始めはゆかたでもいいので、まずは着てみる。着ることによって格段に関心が向いて沢山の情報が自然に入ってくるようになりますよ。

石川:慣れるまでの段階で諦めてしまうというケースもありますが、そういう場合はどうしたらいいのでしょう?

矢嶋:着付けに関して、男性は簡単です。帯はネクタイより難しいけれどボウタイよりシンプルで、動画を見たらすぐできるようになる。だから始めるとすぐ楽しめるんです。

一方、女性はそうはいかない。一番のハードルはおはしょりと帯ですね。

弊社では「クイックきもの」「クイックゆかた」という商品を出しました。これは一人ひとりの身長に合わせて、オーダーメイドでおはしょりを糸で縫い付けた状態にして販売しています。

これならば、女性も5分で着付けできる。帯も、切らずに1枚のまま縫い合わせたつくり帯加工を用意しています。どちらの商品もハサミを入れていないので、糸を取れば普通のきものと帯の状態に戻ります。

まずは、補助輪付自転車のように糸のついた状態で着ることに慣れて、ひとりで着られるようになったら糸を切って、元のスタンダードな状態にしてしまえばいい。

補助輪のような仕掛けはちょっと格好悪いけれど、こうした工夫があればスタートのハードルが下げられて、きものを楽しめる方がグンと増えると考えています。

石川:これはかなり画期的ですね。きものを始めるにあたって、本を買うよりは、お店に行って見てみる、ゆかたなどでチャレンジしてみるなど、ちょっと勇気はいるけれど一歩踏み出してみると道はひらけそうですね。

矢嶋:フランス料理を知りたかったら、本を読むより、まず食べにいくでしょう。それと同じでいいんだと思いますよ。

まずは、気に入ったものをワンセット用意してみる。選ぶことが難しかったら、自分となるべく同じ年代のきものを着ている人に相談して選んで着てみることから始めてしまえば色々なことがわかるし、慣れていきます。

石川:きものの季節感はどんなふうに捉えればいいですか?

矢嶋:先取りが基本です。今日は雨なので、マントは着て来ましたけれど春だから軽やかに。でも実は下にヒートテックを履いています。寒いから。

石川:お話を伺っていると、洋服と本当に変わらないですね!和服と洋服にわけているけれど、どちらも服ですものね。

矢嶋:そうそう。繰り返しになりますが、和服と洋服って区分けはせいぜい150年前にできたもので、その前は全て和服です。

洋服でも、フロックコートとモーニングなんてほとんど区別つかないけれど別物なわけです。フォーマルはフォーム、型です。フォーマルな世界ではルールがあっていい。

だけれど、自分がフォーマルが好きだからといって、カジュアルが好きな人に対しておかしいと言う必要はないよね。

石川:そうですよね。きものに対してつい難しく考え過ぎているし、真面目な方ほどハードルを感じるのかもしれないですね。

矢嶋:それに、道端で「あなた違うわよ」って言っている人がどれくらいきものを着ているかって疑問でしょう。「おせっかい」さんを気にする必要はありません。

石川:間違ってるって言われないようにしようと思うのではなく、そこを気にしないということが大事なんだなと、私自身も気持ちが楽になりました。どんどん自由に楽しみたいですね。

矢嶋:家にあるのであれば、まずお母さんやご親族のきものを着てみるのもいいですよ。ちょうどおばあちゃん世代のころが一番多様で豊かな時代でした。だからおばあちゃんのきもの姿への憧れが強いのは当然なんですよ。

丈が足りないなど、サイズが合わなければ、レースの襦袢を下に着てチラリと見せたり。いろんな楽しみ方がありますよ。

石川:発想を自由にすると、きものの楽しみ方が広がりますね!


とても高いハードルが立ちはだかっているように見えていたきものの世界も、洋服と同じように多様で自由であることを教えていただきました。まずはミニマムに始めてみて、自分らしいスタイルを見つけて楽しんでいきたいですね。

※やまとでは、単に着る物としてのきものや昔の湯上りのゆかたではなく、「きもの」や「ゆかた」、「装履」をファッションとして楽しんで頂きたい考えから文中の表記にしています。

——

矢嶋 孝敏
株式会社やまと代表取締役会長
1950年、東京都新宿区生まれ。72年、早稲田大学政治経済学部卒業。88年、きもの小売業「やまと」の代表取締役社長に就任、2010年より現職。2017年に創業100周年を迎える同社できもの改革に取り組んでいる。11年、一般財団法人「きものの森」理事長就任。著書に『きものの森』(15年)、『つくりべの森』(編、16年)、『きもの文化と日本』(共著 伊藤元重氏 東京大学名誉教授、16年)がある。

http://www.kimono-yamato.co.jp/

石川 ともみ
ファッションディレクター/パーソナルスタイリスト
一般女性のためのパーソナルスタイリングサービス「lulustyling」代表。資生堂×an・an主催のスタイリストコンテストBeautyStylistCupグランプリ。個人向けスタイリングサービスの他、メディアへの出演やテレビ番組の企画監修、企業のファッションコンテンツや商品のアドバイザーとして活躍中。女性を輝かせるスタイリストとして20代30代の女性を中心に支持を得ている。

文・写真 : 小俣荘子

*こちらは、2017年4月23日の記事を再編集して公開いたしました。

ランドセルの歴史は学習院から。老舗メーカーに聞く「箱型・革製」の秘密

6年間、毎日通学を共にするランドセル。

幼い頃は、少し大人になったあかしのような憧れの存在でした。そして大人になった今では、目にすると子どもの頃を思い出す懐かしいもの。

私たちにとって馴染み深いランドセル、実は日本独自の通学鞄なのだそう。でも、よく見るかたちですが、なぜランドセルはきまって「箱型」なのでしょう?

色とりどりのランドセル。近年は、色のバリエーションも豊富になりましたね

ランドセルの始まりは、子どもたちの「自立と平等」にあった

ランドセルの起源は明治時代。官立の模範小学校として開校した学習院初等科が、学校指定の鞄を設けたことにあります。

学習院では明治10年の開校当初から制服が採用されました。しかし、通学形態に指定はなく、教科書を風呂敷に包んで徒歩で通う子もいれば、馬車で通ったり、使用人に荷物を預ける子もいたりと様々。

その後、同校では「教育の場での平等」という理念のもと、学用品は自分の手で持ってくるべきと改めました。馬車や人力車で通学すること、使用人に荷物を預けることも禁止しました。

そこで採用されたのが、持ち運びの利便性が高かった軍隊用の布製鞄「背嚢 (はいのう) 」。いわゆるバックパックです。

背負い鞄で両手がふさがらず、子どもたちの安全性を確保できると考えられました。オランダ語で背嚢を示す「ランセル」が変化して、「ランドセル」という言葉が生まれたのだそう。

指定鞄があることで、自分で支度をして背負って通学する習慣がつく。自立教育の一環であったとも言われています。

箱型の始まりは、伊藤博文による「かっこいい」特注品

さて、リュックサックのようなデザインから、現在の箱型ランドセルが生まれたのは明治20年のこと。

当時の皇太子であった嘉仁親王 (後の大正天皇) が学習院初等科に入学する際、内閣総理大臣の伊藤博文がお祝いの品として特注ランドセルを献上します。その特徴は、背嚢やリュックサックとは異なり、箱形をした革製のものでした。

このデザインが踏襲され、現在のランドセルが生まれることとなったのです。

「カチっとした革製のランドセルは、きっと子どもたちの憧れの的だったんでしょうね」

そう語るのは、長きにわたりランドセルをつくり続けてきた鞄メーカー「大峽製鞄 (おおばせいほう) 」の専務・大峽宏造 (おおば こうぞう) さん。

専務の大峽さん。まだランドセルが全国に普及していなかった頃から製造に取り組み、学習院初等科をはじめ国公私立校の指定ランドセルを数多く手がけてきた大峽製鞄は、ランドセルづくりの草分け的存在です
専務の大峽さん。ランドセルがまだ全国に普及していなかった頃から製造に取り組み、学習院初等科をはじめ国公私立校の指定ランドセルを数多く手がけてきた大峽製鞄は、ランドセルづくりの草分け的存在です

「ランドセルは100年以上、基本的な形が変わっていません。見た目だけでなく、機能面でも完成されたデザインだったんです」

今からやく0年前の学習院ランドセル。皇太子徳仁親王の初等科入学年のもの
たとえば、こちらは約50年前の学習院指定ランドセル。皇太子徳仁親王の初等科入学年のもの (大峽製鞄保管品)
学習院型ランドセル
こちらは2008年、愛子さま初等科入学年のもの (大峽製鞄保管品) 。ディテールに若干の変化はあるものの、基本のデザインはたしかに変わっていません

「機能面でも完成されたデザイン」とは?

詳しくお話を伺いました。

収納力、安全性、重さを感じにくい‥‥箱型の強み

改めて眺めてみると、不思議な形をしているランドセル。そもそも、なぜ箱のような形が良いのでしょうか。

「まず、箱型だと荷物が整理整頓しやすい。教科書も折れることなく並べて収納でき、走り回っても中の物がぐちゃぐちゃになりません。

それに、側面に厚みがあることでクッション性が生まれ、転んでも中身がつぶれません。子どもが誰かとぶつかった時に衝撃を和らげてくれるという一面もあります。後ろに倒れても頭を地面に打ち付けずに済みますしね」

ランドセルを開けたところ
カブセと呼ばれるフタ部分
一枚の大きな革でできた「カブセ」と呼ばれるフタの部分。開閉がしやすく、クッション性があるのでこの部分も子どもを守る役割を担います。錠前が底面にあるのも特徴的。人とぶつかったとしても硬い金属部分が接触しないようになっています

さらには、箱型のランドセルは重心が高いので、体を少し前に傾けるだけで重心が背中に乗り、重さを感じにくくなるのだそう。

両手が自由になるというバックパックの利点に加え、箱型であることが使いやすさや安全性を高めています。

学習院指定ランドセル

変わらぬかたちには理由がある。見慣れたランドセルには、子ども達のことを考え抜いた様々な工夫が詰まっていました。

※大峽製鞄が進化させてきた現代のランドセルのお話はこちらの記事(同じに見えて全然違う!ランドセルの使いやすさの秘密)をどうぞ。

<取材協力>
大峽製鞄株式会社
東京都足立区千住4-2-2
03-3881-1192
https://www.ohbacorp.com/

一般社団法人 日本鞄協会 ランドセル工業会
http://www.randoseru.gr.jp/

参考文献:「ランドセル130年史」 (一般社団法人 日本鞄協会 ランドセル工業会 平成28年11月1日)

文・写真:小俣荘子
画像提供:大峽製鞄株式会社

※こちらは、2019年3月14日の記事を再編集して公開しました。