京都「りてん堂」の活版印刷を支えるデザインの力

京都・一乗寺。京都造形芸大や恵文社一乗寺店などを筆頭に、ここ数年京都のカルチャータウンとして注目を集める人気のエリアだ。

その恵文社と通りを同じくして、7年前、曼殊院(まんしゅいん)通りに暖簾を掲げたのが「りてん堂」。ガラス張りの大きな窓から見えるのは、今はもう製造されていない日本製の活版印刷機。

このひとつの印刷機が、グラフィックデザイナー・村田良平さんの人生を大きく変えることとなった。

りてん堂

りてん堂は、グラフィックデザインと活版印刷を手掛けるデザイン事務所兼店舗。村田さんは、雑誌や広告などのデザインに軸を置きながら、名刺やはがきなどの活版印刷の仕事もこなす。

店主の村田さん。グラフィックデザインと活版印刷の“二刀流”
店主の村田さん。グラフィックデザインと活版印刷の“二刀流”

活版印刷との出会い、そして突然の独立

もともとは編集プロダクションのグラフィックデザイナーとして働いていたという村田さん。ある日、家の近くにあった活版印刷所を訪ねたことをきっかけに活版の魅力にはまり、週末を中心に通うようになった。

ところが通い始めて数ヶ月ほどたったある日、村田さんは印刷所の廃業を告げられる。

廃業を決めた「加藤第一印刷」の加藤さんはその時80代後半。時代とともに活版印刷の需要が激減するなか、街の印刷所としての役割は十分に果たしたと言えるだろう。

そこから村田さんのめまぐるしい日々が始まる。印刷所の建物はすぐに次の引き取り手が見つかり、2ヶ月で退去が決まった。村田さんは活版印刷を、「商業印刷としては時代遅れだけれど、使い方を考えれば残していける技術」だと感じていた。

そしてとにかく「この印刷機と活字を残したい」という一心で、大学の教授や知り合いの出版社など、思いつく限りの当てを訪ねて京都中を奔走する。

しかし、ついに引き取り手は現れなかった。

6~70年前のものと推測される活版印刷機。日本ではもう製造されていない
60~70年前のものと推測される活版印刷機。日本ではもう製造されていない
りてん堂の活版印刷機
りてん堂の活版印刷機

そこで村田さんは、この「チャンドラー」と呼ばれる印刷機と活字を引き受けることを決意。同時に、会社を辞めてグラフィックデザイナーとして独立することも決めた。

そしてなんとか今の物件を押さえ、チャンドラーと膨大な量の活字を迎え入れた。すべて2ヶ月の間のできごとである。

りてん堂にある活字
村田さんが引き取った活字の一部。書体はもう製造されていない「河本精文社」製
村田さんが引き取った活字の一部。書体はもう製造されていない「河本精文社」製
活字と活字の間に詰める「インテル」。文字以外の部分をこの板で埋めていく
活字と活字の間に詰める「インテル」。文字以外の部分をこの板で埋めていく
組み上げた状態の活字とインテル。余白を計算しながら大小のインテルを詰めていく
組み上げた状態の活字とインテル。余白を計算しながら大小のインテルを詰めていく

「60歳くらいになったら、活版印刷でも始めようかな、と思っていました」

と、どこかのんびりとした口調で語る村田さん。しかし実際は30代後半にしてそれを実現することとなった。

活版印刷所に通うようになり、自身で店を始めるまでの数ヶ月は「記憶がない」と言うほどめまぐるしい日々だったそうだが、将来的にグラフィックデザイナーとして独立したいと思っていた村田さんは、「ちょうど独立を考え始める年齢。ある意味いいきっかけだった」と語ってくれた。

りてん堂 村田さん

実はこの活版印刷機、印刷所に3台あったうち保管されていた1台で、迎え入れるまで動くかどうかもわからなかったという。ただ、もらい手がいなければ活字とともに捨てられる。最後は「考えている時間もなかった」と、とにかく守りたい一心で無我夢中に動いていた。

専門の職人もいないなか、引き取った後は周囲の手を借りながらメンテナンスを行った。結果として、印刷機は再び息を吹き返したかのように動きだし、修理と補修を繰り返しながら、今も村田さんと二人三脚で歩みを続ける。

製造したのは中馬鐵工所という最盛期の活版印刷機メーカーで、アメリカの「チャンドラー & プライス」社のモデルを参考にしたと言われている。60~70年前のものと推測されるが、資料が残っていないため詳しい年代や製造過程などはわからない。

ただ、確実にいえるのは、もう製造はされていないということと、止まってしまっても直せる保証はないということだ。

それを毎日メンテナンスしながらでも、村田さんがこのチャンドラーで表現したいものとはなんなのか。

中馬鐵工所の活版印刷機

一乗寺の磁場に引き寄せられるように

たまたま物件を見つけた一乗寺でグラフィックデザイナーとして独立し、活版印刷もゼロから始めることになった村田さん。最初は加藤さんに印刷のことを教わりながら、店の名刺やハガキなど、小さな印刷物からスタートした。

りてん堂のショップカードの版。最初は小さな印刷物からスタートした
りてん堂のショップカードの版。最初は小さな印刷物からスタートした
屋号の「り」は再生を、「てん」は平面デザインの最小単位をあらわしている
屋号の「り」は再生を、「てん」は平面デザインの最小単位をあらわしている

すると、窓から見えるチャンドラーに引き寄せられた近所の人が一人、また一人と訪れるようになり、りてん堂は一乗寺界隈で注目の的に。そのうち地元の人が名刺や印刷物を注文するようになり、徐々に口コミなどで広がり、メディアにも取り上げられた。

今では遠く東京からも名刺を作りに訪れる人もいるほど、人気の活版印刷所だ。

活版印刷の様子。今では近所で馴染みの光景となった
活版印刷の様子。今では近所で馴染みの光景となった
一枚ずつ手差しでテンポよく紙を差し込んでいく
一枚ずつ手差しでテンポよく紙を差し込んでいく
ローラーが版にインクをのせていく
ローラーが版にインクをのせていく
活版印刷
活版印刷
ローラーが上に通り抜けていき、インクの乗った版と紙が合わさって印刷される

折しもりてん堂が店を構えた2012年頃の一乗寺は、恵文社一乗寺店を中心に、カフェや雑貨店、洋菓子店などが集まる注目のエリアとなっていた。曼殊院や詩仙堂といった名刹も近く、恵文社を目指してくる学生や通りがかった観光客など、さまざまな人が行き交い、より多くの人にりてん堂の名は知られるようになった。

ただ、単に人通りが増えただけでは活版印刷の需要は上がらない。単にめずらしがるだけなら、継続的に名刺を注文したり、一乗寺まで足を運んだりはしないだろう。そこには村田さんにしか出せない風合いや、印刷物としての表情がある。

デザインの心得があってこそ、活版印刷がいきる

村田さんの活版印刷の神髄はどこにあるのか。

村田さんは、りてん堂の活版印刷の商品を「デザインの会社が片隅でやっている印刷物」と位置づける。軸はあくまでグラフィックデザインだ。

りてん堂 村田さん

活版印刷の原理は版画と同様で、まずは紙に刷るための「版」を作る。文字を印刷する場合は、一文字一文字の活字を抜き出して並べ、さらに活字と活字の間にインテルと呼ばれる板を詰めていく。文字と文字との「行間」にあたる部分だ。

このインテルにも全角、半角があり、活字の大きさに合わせてパズルのように版を埋めていく。ここで重要となるのが「デザイン」の知識。余白の取り方や行間のバランスひとつで、印刷物の表情は大きく変わってくる。シンプルであればあるほど、紙面全体のバランスを見極めるセンスが要求されるのだ。

活字を組んでいく
活字を組んで版に

グラフィックデザインにおいて、レイアウトを厳しく教え込まれる会社に勤めていた村田さんは、「PC上でやることを実際に手でやっている」と、活版印刷の組版に対しても意外にすんなりなじめたという。

活字

店には村田さんが実際に手掛けたカードや便せん、メモ帳などが並ぶ。その一文字一文字を目で追ってみれば、ただ単に文字を並べただけでは表現できない、村田さんのメッセージが読み取れるだろう。

例えば、指切りげんまんの場面を表したメッセージカード。そのカードの隅っこに、そっと添えられた思いもよらないメッセージ。最後の言葉と隅っこにある正直な気持ちまでの余白が、遠い過去と現在との距離、時間の経過を感じさせる。

村田さんの作品

また、「断腸の想いです」「失念しておりました」など、文字だけでは読み取れない紙の表情も、イラストと組み合わせたり、色紙を用いたりすることで、静謐(せいひつ)な佇まいの中に軽やかさを感じさせるデザインに仕上げている。

村田さんの作品

グラフィックデザイナーらしいポストカードも見つけた。「あまだれ」と呼ばれる記号活字「!」を用いて雨の様子を表現した力作だ。もちろん、大量の「!」をひとつひとつ版として手作業で組み上げている。

これがPCなら「!」をひたすら画面上に並べるだけ。文字間の調整も数値を入力すれば数秒でできる。ただ、それをオフセットで印刷しても、この風合いは表現できない。紙に圧力をかけて印刷された大量の「!」が雨の強さを思い起こさせ、その中に踊る文字とともに、より雨の日の楽しさを伝えてくれるのだ。活字とデザインでメッセージを伝える、村田さんだからこそできる表現だろう。

村田さんの作品

受け身にならず、「印刷」を発信する

「印刷は受注するのが基本。そうではなく、印刷を使ってどんどん発信していきたい」と村田さんは言う。

それを体現したのが、三条富小路の「ギャラリーH2O」で開かれた個展『白ヲ読ム、』(2016)と『明ヲ読ム、』(2017)だ。

『白ヲ読ム、』では、前述したように組版の上で重要となる「余白」に焦点を当てた展示で、文字通り「行間を読む」ことの大切さを教えてくれた。『明ヲ読ム、』では行間の対照、つまり「文字」に焦点を置いた展示を行った。

和紙を用いた作品も
和紙を用いた作品も

マルシェなどの屋外イベントでは、小さな活版印刷機でワークショップなども行い、子供や若い人にも活版印刷の魅力を発信。注文が入ってから初めて印刷するのではなく、活版印刷を“表現するためのツール”としてとらえ、さまざまなメッセージを伝えている。

イベントで活躍する小型の活版印刷機。こちらも近所の方から譲り受けた

りてん堂だからできる、活版印刷の表現とは

村田さんは「文字を扱う印刷が活版」と話す。

それは「文字を使って表現する」ということ。その表現のために、まずは言葉選びが重要となる。限られたスペースの中で言葉を表現しようとすれば、無駄な要素が淘汰されるのは必然だ。

名言や名著などに隠された言葉の意味を調べ、抜き出す。そうやって言葉の純度を高めていく。そんな過程を経て選び抜かれた言葉だからこそ、見る者の心に刺さるのだろう。

そしてその言葉をより豊かに表現するために、村田さんの「デザイン」が存在する。

活版印刷による作品

「活版印刷の基本的な文字組みに、どれだけデザインの要素を足していけるか」。文字を使った表現にグラフィックデザインという表現が加わり、初めて村田さんの持つ世界観が形となる。このどちらが欠けても、りてん堂の印刷物は完成しないのだ。

誰に頼まれたわけでもなく、印刷の未来を考える。

DTPとしてのグラフィックデザインを学んでいた村田さんが活版印刷に出会い、加藤さんの情熱や技術に触れ、気が付くと無我夢中になってすべてを受け入れていた。「工夫すればこの技術は残せる」という、自分の直感だけを頼りに。

そして時代に取り残されたこの印刷機を、どうすれば現代にアップデートできるのか。そんな壮大な問いの答えを、村田さんは「デザイン」という手段を用いて今日も模索し続けている。

りてん堂

<取材協力>
りてん堂
京都府京都市左京区一乗寺里ノ西町95
075-202-9701
http://www.eonet.ne.jp/~retendo/

文:佐藤桂子
写真:桂秀也

赤ちゃんの贈り物に…「一年中気持ちいい」日本製のやさしい靴下

—— なにもなにも ちひさきものは みなうつくし

清少納言『枕草子』の151段、「うつくしきもの」の一節です。

小さな木の実、ぷにぷにの赤ちゃんの手、ころっころの小犬。そう、小さいものはなんでもみんな、かわいらしいのです。

日本で丁寧につくられた、小さくてかわいいものをご紹介する連載、今回は「赤ちゃんのもの」です。

赤ちゃんのための、やさしい「鹿の子編み」

赤ちゃんのものって、どうしてこんなにもかわいいのでしょう。もちろん、赤ちゃん自身のほうがかわいいのですが。小さくてやわらかくって、大切に包みこみたくなるような気持ちになります。

こちらは靴下の産地、奈良でつくられた「鹿の子編み」のベビーシリーズ。「ミトン」「くつした」「レッグウォーマー」です。

奈良でベビー靴下をメインにつくっている「有限会社 ハラダ」と、同じく奈良の中川政七商店とが「赤ちゃんが身につける、やさしくて安心なもの」をていねいに考えてつくりました。

大人の指先が少し入るぐらいの、小さなミトン。赤ちゃんの小さなもみじのような手を想像してしまいます。赤ちゃんの引っかき防止に。
大人の指先が少し入るぐらいの、小さなミトン。赤ちゃんの小さなもみじのような手を想像してしまいます。赤ちゃんの引っかき防止に。

素材は、吸水・発散性に優れたオーガニックコットン糸。これを「鹿の子編み」で編み上げています。

「鹿の子編み」というのはニットの編み地のことで、表面に隆起や透かし目をつくり、凸凹しているのが特徴。子鹿の背中にみられる斑点が似ていることから、この名前がつけられたのだそう。肌へ触れる面積が少ないため、通気性もよく、さらりとした風合い。赤ちゃんが一年中気持ちよく身につけることができます。

肌あたりやわらかなレッグウォーマー。防寒対策だけでなく、夏の日よけや冷房よけ、あせも予防にも。はき口の締めつけもゆるやかで赤ちゃんにやさしい。コロンとついた丸い梵天は、一つひとつ手づくりされたものです。
肌あたりやわらかなレッグウォーマー。防寒対策だけでなく、夏の日よけや冷房よけ、あせも予防にも。はき口の締めつけもゆるやかで赤ちゃんにやさしい。コロンとついた丸い梵天は、一つひとつ手づくりされたものです。
足底には、仔鹿の背中の模様をイメージしたすべり止めがついています。梵天の縫い目は肌に直接当たらないように工夫。これをはいてよちよち歩く姿、たまりません。
足底には、仔鹿の背中の模様をイメージしたすべり止めがついています。梵天の縫い目は肌に直接当たらないように工夫。これをはいてよちよち歩く姿、たまりません。

やわらかくて繊細な赤ちゃんのお肌は、大切に守ってあげたいものです。赤ちゃんの健やかな成長を願って、贈りものにおすすめしたい「ちひさきもの」。

赤ちゃんが使うものって、選んでいるこちらのほうが何だか嬉しくなってしまいます。すくすく、あっという間に大きくなってしまうのが、嬉しいような、ちょっぴりさみしいような、ですね。

<掲載商品>
鹿の子編みのベビーミトン(中川政七商店)
鹿の子編みのベビーレッグウォーマー(中川政七商店)
鹿の子編みのベビーくつした(中川政七商店)

 

<取材協力>
有限会社 ハラダ

文・写真:杉浦葉子
※こちらは、2017年2月14日の記事を再編集して公開しました

【わたしの好きなもの】線香花火「大江戸牡丹」


日本のものづくりの心意気。線香花火「大江戸牡丹」

日本文化の代表のひとつである花火。
その中でも特に親しまれているのが線香花火です。

きれいですよね。

でも、実は今楽しまれている線香花火の大部分は海外製で、日本国内で作れる会社は3社しかありません。
わたしが好きなのは、三河の三州火工さんが作る「大江戸牡丹」という線香花火です。

一気に燃えあがる海外製のものに対し、ゆっくりと散っていくのが日本の線香花火の特徴。

火花が徐々に姿を変えながら散っていくさまは、牡丹、松葉、柳、散り菊と表現され、とても情緒的です。

わずかな時間に様々な表情を見せる火花には、材料を吟味し、技術を磨きあげ、たった一本の線香花火のために手間暇を尽くす、作り手の誇りを感じます。

より早く多く安く消費させ、利益を追求する市場経済からすれば、決して効率的な商品とは言えないかもしれませんが、こんな情緒や趣を生み出す余白が、日本のものづくりにこれからももっと、残っていってほしいなと思います。

今も国内で線香花火を作るメーカーさんは、
自分たちがやめればその文化が途絶えてしまう。そうさせてなるものか。
と、前を向いてがんばっていらっしゃいます。

わたしは「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げた中川政七商店で働く身として、そんな志あるものづくりを、これからも応援していきたい思いです。

日本のものづくりの心意気が詰まったこの大江戸牡丹、
ぜひその火花の中に、未来へ残そうと誰かが挑んでいる美しい日本文化を感じてください。




物流事業担当 高原



 


<掲載商品>
日本の手花火 大江戸牡丹

デザイナーが話したくなる「コーヒードリッパー」


コーヒー好きの榎本さん。仕事の合間にさっと一人分の美味しいコーヒーを入れたい。そんな思いからコーヒードリッパー作りに情熱を注ぎました。コーヒーについては、まったく詳しくない私が、道具によって変化するコーヒーの楽しみ方を教えてもらいました。




私が知っているのは、陶器や樹脂のものが多いドリッパー。ワイヤーフレームなのか不思議でした。

もちろんたくさんの種類を比べて研究した榎本さん。最終的に決め手となったのは、気軽に使えるもの。そして少しの合間の時間で美味しいコーヒーを入れたいという思い。フィルターの外側に壁を極力なくすことで、比較的コーヒーが蒸されやすく、ガスが抜けやすいのだそう。




そうして決まった、ワイヤーフレーム。

「ここがいいんですよ」とおすすめポイントをいくつも教えてくれました。
1.構造的に壁がないことで豆がじっくり、ふっくらと蒸されて、ガスも逃げやすくなります。
2.抽出時にカップの中の入れた量が見えやすいのも嬉しいポイントなんです。
3.ステンレスは錆に強く、陶磁器のように割れる心配がない。
4.とにかくさっと洗える。
5.フックにも掛けておける気軽さ。

「確かに」とうなずくことばかり。あまり見かけないワイヤー方式ですが、いろいろ便利なことばかりです。

榎本さんのお気に入りは、「とにかくさっと洗える」。最初に作るきっかけとなった、仕事の合間にさっと入れたいという願望を叶えたものです。確かにさっと洗えるし、乾きも早い。気兼ねなく使える道具というのは、毎日使う道具の重要ポイントですね。



ワイヤーフレームで作られた美しい円錐形。この形にも理由があるんです。

円錐形にすることで抽出液が一点に集中し、抽出速度が台形のものと比べ速いとされています。お湯を注ぐスピードや量によってコーヒーの味わいに変化がをもたせることができるので、その日の気分に合わせて入れ方を変えれば、いろんな味を楽しんでいただけます。



このドリッパー、もちろん素人の私でも簡単に入れることができるのですが、特別に奈良のコーヒー屋さんで試していただきました!
 
まず、おいしいコーヒーを淹れるためには、挽きたての粉を適切に蒸らすことが大切。

ワイヤドリッパーでは、蒸らしの際に発生するガスが壁に阻まれることなく抜けやすく、結果上手に蒸らすことができます。30秒ほどおいて粉が十分膨らんだら抽出を始めますが、ワイヤドリッパーは湯だまりが発生しにくいため、お湯は「細く・ゆっくりめ」を意識しながら注ぐと、よりおいしいコーヒーを淹れることができますよ。
 
朝早く、開店前に伺ったTABI Coffee Roaster。店主の田引さんがいろんなコーヒー豆や入れ方を試してくださいました。試飲させてもらうと、確かに味が変わります。コーヒーにそんなに詳しくない私でも、わかりました。

旅の途中にふらっと寄りたくなる、本格的な自家焙煎珈琲のお店。奈良にお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみてください。



通常ドリッパーはコーヒーサーバーと一緒に使うことも多いですが、榎本さんの願望「一人分の美味しいコーヒーを楽しむ」というこだわりをつらぬき、マグカップに乗せてドリップしやすい構造を追求しました。大きさの異なるマグカップに乗せれるように、カップに当たる面はフラットに、突起物がありません。そして、たっぷり飲みたい大口マグでも対応できる直径10cmです。ワイヤーなので、入れながらカップの中がしっかり見えるので、入れすぎたなんてこともありません。




デザインや機能性を支えるのは、金属加工において高度な技術と高い品質を誇る新潟県燕市の株式会社シンドー。優れたステンレス溶接技術で、繊細なワイヤーの溶接を行っていただきました。

専用の治具を作ってもらい、それを用いて職人が手仕事で1つずつ溶接していきます。溶接する際に、ステンレスが伸縮するため、微妙に調節しながら行わないと歪みが生じるそうです。美しい均整のとれた姿は、そうした職人の技から生まれています。



日常の風景に静かに紛れ込む、昔からあるような道具を目指したという榎本さん。たしかに、飾り気はないのですが、素っ気ないわけでもなく、どこか懐かしい趣きさえあるデザインです。目指すは、「コーヒーの茶漉し」だそうです。なんの気負いもなく、毎日使って洗ってを繰り返す。コーヒーの道具ってちょっと格好良く使うイメージだった私ですが、この言葉はこの商品にぴったりだと思いました。
 
もちろん毎日榎本さんが仕事の合間にコーヒーを入れている姿を見かけます。とっても嬉しそうでとっても幸せそうです。


<掲載商品>
ステンレスワイヤのコーヒードリッパー
家事問屋 ワンドリップポット
茶巾生地のコーヒーフィルター 円錐形

陶芸一家の次男はうつわを作らない。京都「HOTOKI」に学ぶブランドづくり

京都洛北・岩倉の地にあるうつわの工房・カフェ・shop「HOTOKI」。陶芸家・清水大介さんが代表を務めるkiyo to-bo(株)の実店舗のひとつで、「うつわを買って、使えて、作れる」が一度に体験できる総合ショップだ。

店を運営するのは大介さんの父である清水久さんと奥さんの祥子さん、次男の洋二さんの親子3人と2名のスタッフ。久さんがうつわの体験教室もできる工房、祥子さんがカフェ、そして洋二さんがお店全体のプロデュースを担っている。

店に並ぶうつわはすべて自社の製品。商品の8割は、同じくkiyo to-bo(株)が運営する「トキノハ」の工房で作られている。

「トキノハ」は京都屈指の焼き物の里・清水焼団地にあり、大介さん夫婦を中心に、8名ほどのスタッフがデザインから作陶までアイディアを出し合って作り上げる。その他の商品は、考案を洋二さん、作陶を久さんが中心に担い、この店の工房で作られる「HOTOKI」のオリジナルだ。

今回は、作家とは違う立場で店を運営する洋二さんにHOTOKIとトキノハのうつわづくり、ブランドづくりについて話を聞いた。

HOTOKIの運営全体を担う次男の洋二さん
HOTOKIの運営全体を担う次男の洋二さん

「個性を消す」そこが自分たちの個性

「トキノハ」にも「HOTOKI」にも共通するのは、「誰か一人」の作品ではないこと。制作の指揮を執るのは清水さん親子ではあるが、トキノハにもHOTOKIにも、名の知れた清水焼の「職人」や「作家」は存在しない。

チームとしてアイディアを出し合い、それぞれのパートに分かれてひとつの作品を作り上げる。コンセプトはあくまで「日常使い」のうつわだ。

「作者名やうつわの個性が前に出てしまうと、大事にするあまり『特別な時に使おう』と食器棚にしまったままになっていることがあると思います。僕たちが作りたいのは日常使いのうつわ。個性的なデザインや装飾を省き、いかに料理が映えるか、生活に馴染むか、使い勝手がいいかを考えています」

気軽に買って帰れるよう、商品は1000~5000円台のものを中心に揃える
気軽に買って帰れるよう、商品は1000~5000円台のものを中心に揃える

あえて作家の色を出さない、「個性を消す」ことが僕たちの個性と洋二さんは語る。純粋に作品を日常の生活道具として広めようとする姿勢は、名もなき職人の手から生み出される「民藝」の考え方にも通じるものがある。

料理人の想いに寄り添う、新たなブランド

「料理」を引き立てることに重きを置いた作品は、さまざまなジャンルの食文化が根付く京都の料理人からも好評で、個別相談を受けることも増えた。

そこで2019年、大介さんが新たに立ち上げたのが、料理人のオーダーメイド専門ブランド「素-siro-」だ。

作陶工程においてまだ特徴が何もない段階を指す「素地(きじ)」という言葉に由来する通り、まったく素の状態から対話を重ね、完全受注生産のオリジナルを作成する。

カタログも見本も一切ない、対話のみから生まれるうつわ。そこには形の良い食器を作る技術だけではなく、作り手の想いを丁寧に汲み取るセンスも要求される。料理人との信頼関係がなければ成り立たない仕事だ。

「料理人の方に使っていただけることは僕らにとっても喜び。そのお店のお客さんが料理とともにうつわに触れて、また僕らのことを知ってもらうきっかけにもなればうれしいですね」と洋二さんは言う。

実際に料理人と制作したうつわ
実際に料理人と制作したうつわ Photo by 中島光行

コンセプトを体現する、新たなうつわの提案

また、うつわの「日常使い」というコンセプトから、洋二さんが新たにひらめいたアイテムが壁に掛けられる小さな花器「TUKU」。

「TUKU」母の日ギフトセット

「壁にくっツク」手のひらサイズの一輪挿しで、押しピンとドライフラワーがセットになっている。

「普段うつわを買う習慣がない人にも手に取ってもらえるような、うつわを買うひとつ前の段階のものを作りたかったんです。花は日常的に飾るものですし、そこにさりげなくうつわを取り入れられたらと思って」

まさに「うつわのある風景」。壁にピンをさし、花器を取り付け、花を生けるだけ。お気に入りのうつわに季節の花を飾ることで、少しだけ生活が豊かになる。清水さん親子が大事にする、「うつわの日常使い」を体現する商品となった。

「日常の中にうつわがあることの豊かさを、このTUKUが伝えてくれたら。それに、うつわ(焼き物)って意外となんでも作れるんです」

形はぽってり丸みを帯びた「MARU」とほっそりとした「TUTU」の2種。どちらも押しピンひとつですぐに付けられる。うつわといえば皿やカップ、椀や鉢など料理のための道具を思い浮かべがちだが、「TUKU」はその概念を覆し、うつわの可能性を広げてくれた。

「TUKU」母の日ギフトセット
外部のデザイナーと共同で開発したパッケージ

パッケージもTUKU専用に制作したオリジナルで、ギフトにも喜ばれているそう。さらに、母の日前にはカーネーションがセットになって限定品を販売するなど、季節によってさまざまな商品を提案している。

母の日限定セット。カーネーションのドライフラワーがついている
母の日限定セット。カーネーションのドライフラワーがついている

また、レジの上やカフェの天井には陶器のランプが。もちろんこれもオリジナル商品。アンティークとはひと味違う、柔らかな印象を与えてくれる。

オリジナルのランプも陶器製
オリジナルのランプも陶器製

作り手ではないからこそ、できること

最初から陶芸家としての道を歩んでいた久さんと長男の大介さんに対し、次男の洋二さんは数年前まで、バリバリの営業マンとして一般企業に勤めていた。

「アパレルの企画営業をしていました。当時は売れないものはないと思ってやっていましたね。4年前にHOTOKIがオープンしたくらいから兄のトキノハの方が忙しくなって、父と母だけでHOTOKIを回していたんです。それで土日だけ手伝うようになって、いろいろテコ入れするところがあるなと‥‥」

HOTOKIを運営する清水洋二さん

洋二さんは会社を辞め、HOTOKIの運営に参加することを決意。作り手目線ではないからこそ、まったく新しい角度から店を俯瞰し、時に大胆な提案もする。

まずはファンを作るために、人を呼び込まなければならない。岩倉まで足を運んでもらうにはどうしたらよいか。そこで企画したのが「岩倉マルシェ」だった。

岩倉にもっと人を呼ぼうと2016年にHOTOKIの店先で7店舗で始めた小さなマルシェが、今では宝が池公園に約40店舗が集まるイベントになった。今年は6月2日の開催を予定している。

「僕は岩倉で生まれ育ちました。そして改めてここに帰ってくると、個性的なお店はたくさんあるのに、横のつながりが薄いことに気づいたんです。みんなで手をつないだら、もっと岩倉の個性を出して、人を呼び込める場所になるんじゃないかと考えました」

マルシェへの出展は、岩倉で商売をする人だけに限定。出展時の業態も、パン屋ならパン屋、焼き鳥なら焼き鳥と、通常営業と同じものに統一している。

「京都はたくさんのマルシェが開催されていますが、僕たちは岩倉に限定することで岩倉の個性を出し、ここにしかないマルシェを作りたいと思っています。そして普段のお店の業態に限定するのは、普段の岩倉にも足を運んでほしいからなんです」

まずは岩倉に人を呼び、岩倉のことを知ってもらう。

地道に種をまくことで、着実に自分たちのファンを増やしていく。

入り口の窓には店名の由来が。店からは比叡山も見渡せる
入り口の窓には店名の由来が。店からは比叡山も見渡せる

すべてはうつわを「ブランド化」するための種蒔き

お店に足を運んでもらえるような工夫にも余念がない。

ひとつは年に2回開催している「utsuwaku」だ。うつわの制作工程において、数個に一個多少の傷がついてしまうことは避けされられない。もちろん、日常使いのうつわとしては問題ないが、店の商品として並べることはできない。

それを捨てるのではなく、アウトレット商品として一気に売り出す。これが周囲の住民や京都市内外のうつわ好きにも好評を博している。

さらにイベントではうつわの修理ワークショップや、店内の「あるモノ」を探し出した人に、箸置きや小さなオブジェが入ったガチャガチャを1回プレゼントするなど、大人も子供も楽しめる仕掛けが盛りだくさん。もちろん陶芸体験も受け付ける。

HOTOKI

また、工房では京都精華大学の学生も活躍している。店から大学が近く、洋二さんも同校の卒業生である縁もあり、実践の場を学生にも提供しているのだ。年に一度、陶芸コースに通う学生の有志展も開催する。

「学生さんは自分の器を見てもらう機会が少ない上に、作り方は教わっても売り方まではなかなか教えてもらえない。自分の作品が陶芸の世界で通用するか、食べていけるかを就職前に、仕事を通じて一度考えてもらう場を提供できれば」

工房の作業を手伝う精華大学の学生スタッフ
工房の作業を手伝う精華大学の学生スタッフ

柔軟な発想で、さまざまな想いを形にしていく洋二さん。作り手とは全く別の視点と経験が、HOTOKIという場所に新たな風を吹き込んでいる。

「作り手はどうしても制作で手がいっぱいになってしまい、売り方まで頭が回らない。僕のように作陶にかかわっていない人間も、ここには必要なんです」

サラリーマン時代の営業経験も、お店やブランドを運営する上での貴重な財産だ。

「例えばファッション業界では、ブランドイメージが何より重要になります。質の良いものだけを作っていても、ブランドイメージが薄いと人はなかなか動かない。僕たちのうつわも、商品の良さをお客さんに語るだけではなく、もっとブランド化していきたいと思っています」

根底にあるのは、「お客様のために」

ブランディングや売り方に関することなど、一見ビジネスライクな考え方だが、その真意は「お客さんを喜ばせたい」という洋二さんの想いにある。

「私たちの特徴は、うつわを自ら企画、製作、販売できるところです。質の良いうつわを届けるのが第一ですが、その先に店舗もあり、オンラインストアもあり、オーダーメイドもある。お客様のご要望に応じた様々なチャネルがあることが強みだと思います。

これからもそれぞれのチャネルを強化しつつ、生活に寄り添ったうつわ作りを通して、幸せを感じてもらえるお手伝いが出来れば嬉しいです。

そのなかで私は、作り手ではない目線で、いかに喜んでもらえるかを追求していきたいと思います」

HOTOKIの運営全体を担う次男の洋二さん

お客さんに楽しんでもらうアイデアを常に考え、アメリカのアンティークであるガチャガチャの機械を探し当てた時の喜びを、少年のように目を輝かせて語ってくれた洋二さん。彼の内側から溢れ出るうつわやお客さんへの想いが、数々のアイディアを生み出す何よりの原動力になっていると感じた。

「HOTOKI」が次は何を仕掛けてくれるのか、今後の展開も楽しみだ。

<取材協力>
HOTOKI(https://hotoki.jp/
京都府京都市左京区岩倉西五田町17-2
075-781-1353

トキノハ オンラインストア(https://shop.tokinoha.jp
siro(https://siro.kyoto

文:佐藤桂子
写真:松田毅

国産カモミールで肌も心も癒される。カミツレの里のビオホテル「八寿恵荘」へ

白い花びらに黄色い花芯、ジャーマンカモミール(和名:カミツレ)の花。長野県北安曇郡池田町。北アルプスの山々に囲まれた豊かな自然の中に「カミツレの里」があります。

5月中旬から6月上旬は、あたり一面が満開のカモミールでいっぱい、甘くやさしい香りに包まれます。

カモミールを用いたスキンケアアイテム「華密恋(かみつれん)」シリーズを扱う「カミツレ研究所」のカミツレ畑とエキス製造工場、そして自然を感じるお宿「八寿恵荘(やすえそう)」が佇む「カミツレの里」を訪ねました。

「ふるさとに恩返しを」土づくりからはじめたカミツレ畑

ここは、創業者である北條晴久(きたじょう・はるひさ)さんの故郷。ご自身の病が漢方で完治したことから植物に興味を持ち、その中でもハーブカモミールの効能に魅せられて、カミツレエキスの抽出法を研究したという北條さん。

1984年、「ふるさとに恩返しをしたい」との思いで、美しい土壌と美味しい水が豊富なこの地に工場をつくり、土づくりからこだわってカミツレ畑を開墾。自然豊かな里をつくりあげたのだといいます。

「カミツレの里」へご案内くださったのは、松澤英(まつさわ・すぐる)さん。道中、田んぼの隣に作られたカミツレ畑に立ち寄ってくださいました。「『カミツレの里』はもう少し山のほうにあるのでまだ満開ではないんですが、ここは今ちょうど満開です!カミツレの花、かわいいでしょう?」と松澤さん。

満開のカミツレ畑
満開のカミツレ畑
薬効の高い「ジャーマンカモミール」という品種。黄色い花芯が盛り上がっているのが特徴
薬効の高い「ジャーマンカモミール」という品種。黄色い花芯が盛り上がっているのが特徴
ご案内くださった松澤さん
ご案内くださった松澤さん

少し車で走るとようやく「カミツレの里」へ到着です。自然豊かな約4万坪の広大な土地。とにかく空気がきれいで気持ちいい。周辺散策も楽しみですが、まずはカミツレのことや「華密恋」のスキンケアシリーズをどんな風につくっているのかをお聞きしました。

カミツレの里に到着!奥に見えるのはカミツレの宿「八寿恵荘」
カミツレの里に到着!奥に見えるのはカミツレの宿「八寿恵荘」

ハーブの女王、薬草カミツレ

カミツレとは、4000年以上も前から薬草として親しまれてきたジャーマンカモミールの和名。ハーブの女王と呼ばれており、植物療法が盛んなヨーロッパでは昔から薬のように使われてきたのだといいます。

肌への効用もよく知られており、肌にうるおいを与え、乾燥や湿疹、あせもなどの肌トラブルを鎮めてくれるといいます。こちらでは、国産カモミールの持つ自然の力を生かすため30年以上にわたってカミツレエキスをつくり続けてきました。

日本ではカモミールティーが身近ですが、ヨーロッパでは薬草としても有名です
日本ではカモミールティーが身近ですが、ヨーロッパでは薬草としても有名です

スキンケアシリーズ「華密恋」の原料となる国産カモミールは、農薬を一切使わず、有機JAS認定の自社農園と国内の契約農家でつくられています。畑に1株ずつ植えられたカミツレは、寒い冬は雪の下でじっくり栄養を蓄えながら春を待ちます。

暖かくなったら流れ込んでくる北アルプスの雪解け水が、カミツレをぐんと成長させるのだそう。5月末〜6月上旬に開花、晴天の続く日に根元から手作業で刈りとります。

カモミールの花びらが下を向いたら収穫の合図
カモミールの花びらが下を向いたら収穫の合図
自然乾燥させて、水分量を調整します
自然乾燥させて、水分量を調整します

一般的に、カモミールティや精油に使うのは花の部分だけですが、こちらのカミツレエキスはカモミールの全草(花・葉・茎すべて)を使い、カミツレの持つ自然なちからを余すことなく抽出します。3センチほどに刻んだら、安曇野の水とサトウキビ由来の発酵エタノールを混ぜ入れて漬け込み、熟成。カモミールの成分はとてもデリケートで熱に弱いため、非加熱でじっくりじっくりエキスを抽出。

濾過したところに、手間と時間、そして愛情をたっぷり注ぎ、濃密なエキスにするのだそうです。

刻まれたカモミール。契約農家さんからは米袋で納入されます
刻まれたカモミール。契約農家さんからは米袋で納入されます
タンクでエキスを抽出中。タンクには生産者の名前や日時が記載され、安心・安全に管理されます
タンクでエキスを抽出中。タンクには生産者の名前や日時が記載され、安心・安全に管理されます
琥珀色の濃密カミツレエキス
琥珀色の濃密カミツレエキス
濃度や純度をチェック。肌に余計なものは一切入れないという製法を長年守っています
濃度や純度をチェック。肌に余計なものは一切入れないという製法を長年守っています
入浴剤はカミツレエキス100パーセント。すべての製品にカミツレエキスを高配合した「華密恋」のスキンケアシリーズは、赤ちゃんからお年寄りまであらゆる方々におすすめ
入浴剤はカミツレエキス100パーセント。すべての製品にカミツレエキスを高配合した「華密恋」のスキンケアシリーズは、赤ちゃんからお年寄りまであらゆる方々におすすめ