【はたらくをはなそう】中川政七商店店長 辻川幹子

 

2015年 入社 新卒8期生 遊中川ジェイアール名古屋タカシマヤ店所属
2015年 中川政七商店名古屋パルコ店 店長
2016年 中川政七商店ルミネ新宿店 店長
2018年 中川政七商店二子玉川ライズ店 店長

 
わたしは「お店」がすきです。
 
お店という場所に、商品が並び、はたらく人が居て、そこに来てくださるお客様。常に止まることなく動きつづける、とても不思議な空間だと感じます。
 
わたしは入社前から中川政七商店に限らず「お店」が好きでした。 同じ商品なのにこっちのお店の方が魅力的に見えて買ってしまったり、気分が落ち込んでいた時も店員さんの気持ちのよい笑顔で心が晴れやかになったり。思いがけない出会いのある「お店」って素敵だなと思います。
 
お店の背景には、商品を作る人、届ける人、はたらく人を支える人…多くの多くの構成要素がありますが、中川政七商店で働いていると、「お店」が最前線であるということがよくわかります。
 
メーカーでもあり直営店も持っている中川政七商店ですが、ここへの入社の決め手は、何より直営店を最も重要だと考えている点でした。
 
お店は会社を表現するステージであり、お客様へ直接商品を届けることのできる最後の出口です。作り手さんが必死に仕事をした賜物をお客様に届けられることは、とても貴重で誇らしい役割だと感じます。
 
その気持ちは入社後も変わらないどころか増え、3年店長をして数々の「お店」の奇跡に出くわしました。常に商品も人も動き続けるお店はピンチだってトラブルだって当然ありますが、手をかけてチームで力を合わせて愛情を注ぐと必ず応えてくれるように感じます。
 
わたしの何よりもの原動力はその「お店がすき」という気持ちです。好きだからもっともっとよくしたい、愛されるお店にしたい、と思うのです。
 
その為にどうしたらもっとよくなるだろう、と考えるのが癖になりました。お店にゴールはありませんが、どんどん良くして進むのみだと思っています。

【わたしの好きなもの】ごはんの鍋

 

“かたち”にひとめぼれした土鍋

人生初の土鍋を選んだ決め手は、そのかたち。

完全にひとめぼれでした。

まるでごはん釜のような、おもわずふたに杓文字(しゃもじ)をかませたくなる佇まい。

土鍋でごはんを炊くなんて、憧れはあったものの、難しそうだなあと、なかなか手をだせずにいましたが、

この「ごはんの鍋」をひと目みて、この子をうちに連れて帰る!と、あっという間に心が決まりました。


心ひかれたそのかたち。

実はデザイン性だけでなく、おいしく炊くための工夫がつまったかたちになっています。

電子レンジOK!使いやすさがつまった“かたち”

深めのふちは吹きこぼれにくく、鍋蓋との隙間から蒸気を逃してしっとりと炊きあがるつくり。

ごはんはたっぷりおかわり派なので、鍋ごとそのまま食卓に並べておいても、保温効果で熱が逃げにくいのがうれしいところです。

そして思わず、えっと驚いたのが、電子レンジ対応というありがたさ!

残ったごはんはそのまま冷蔵庫にいれて温め直しもOK。

調湿効果があるのでおひつのように保存の器としても使えます。

土鍋といえば、ずっしり、重たい、ゆえにおいしくお米が炊ける。

というようなイメージでしたが、いちばん大きな3合サイズでも想像よりずっと軽くて洗いやすく、収納場所をあまりとらないのも使ってみてうれしいポイントでした。


説明書を読みながら目止めをして、分量のとおりに水を入れ、おそるおそる火にかけて、

固唾をのんでぐつぐつする鍋の前で見守っていた土鍋デビューからはや数年。

いまとなっては、炊飯はもっぱら、この「ごはんの鍋」です。

おかゆを炊いてみたり、土鍋ならではの保温性でシチューやスープなど煮込み料理にも活躍してくれています。

はじめて土鍋で炊きあがったつややかなお米を見た時の達成感。

わーー!と思わず歓声をあげながら口にいれたごはんのふっくらしたおいしさ。

いまでもふたを開ける瞬間に、ほんのりとその感覚がよみがえります。

炊き方は心得たものと油断して、意図しないおこげができることもしばしばなのですが、そんなうっかりも土鍋ならでは!と、楽しんでいます。

すすけてきたり、貫入(かんにゅう)がはいったりと、使った分だけできた跡を見ていると、暮らしを共にしてきた実感がわき、台所道具のなかでも思い入れはひとしおです。

これからも我が家のご飯守として末永く愛用していきたいお鍋です。

中川政七商店 金沢百番街Rinto店 豊子 明希

 



<掲載商品>
かもしか道具店 ごはんの鍋 1合
かもしか道具店 ごはんの鍋 2合
かもしか道具店 ごはんの鍋 3合

現代にも求められる木版印刷。若者が摺師を目指すわけ

日本で唯一、手摺木版による和装本を出版している芸艸堂(うんそうどう)。1891年(明治24年)創業の、美術書を得意とする老舗出版社だ。

現在四代目となる代表の山田博隆さん
現在四代目となる代表の山田博隆さん

創業当初から受け継がれる版木はもちろん、木版摺りの衰退とともに廃業した同業他社から譲り受けた版木も多数所蔵し、そのなかには葛飾北斎や伊藤若冲など、日本史上に名を遺す天才絵師たちの貴重な版木も残されている。

近年はそれらの版木を生かし、江戸時代の名著『北斎漫画』や、明治時代の着物の図案を収録した『滑稽図案』を再版するなど、当時の版画の技術を今に伝える美術書の復刻にも取り組んでいる。

※美術書の復刻について取材した記事はこちら:「北斎漫画」を蘇らせた究極の美術印刷。木版手摺による和装本を守る京都の版元へ

滑稽図案
1903年に初版が発行された神坂雪佳の図案集『滑稽図案』を2018年に再版
(上:「滑稽図案」神坂雪佳/下:花づくし「松竹梅」古谷 紅麟)
北斎漫画
2017年に再版された葛飾北斎の『北斎漫画』

日本の職人技が集約された、和装本

芸艸堂のこだわりは、一冊一冊の摺(す)り上がりの美しさにある。創業当初から美術書が得意な出版社として名を馳せた所以だ。

当時の色の美しさを再現するために、当時と同じ技法で印刷する。そこでなによりも重要となるのが、江戸時代から続く多色摺木版技術を継承する「摺師(すりし)」の存在だ。

手摺木版とは、文字通り木版を使って摺る版画印刷のこと。版木に色をのせ、一枚一枚手作業で紙に色を摺り込んでいく。この技術を継承する摺師は、印刷技術の発展とともに減少の一途をたどり、今では全国でも数えるほどしか残っていない。

和装本の歴史は、日本における出版文化の原点ともいえる。版木の彫り師、和紙の漉き師、木版印刷を行う摺師、製本を担う経師など、数々の過程を経て生まれる一冊の本には、日本独自の職人技が集約されていた。

木版摺りの美しさを支える、摺師の存在

なかでも印刷を担う摺師の存在は重要で、色の風合いひとつで本の印象が決まるため、何十、何百部も均一に摺り上げる高度な技術が要求された。

そんな職人技を今でも継承する、木版摺りの現場を訪ねた。

町家の2階に広がる、職人の知られざる世界

六波羅蜜寺のある通りの一本裏手、古い町家が並ぶ一角に佇む「佐藤木版画工房」。今や京都で2軒しかない木版画工房のひとつだ。芸艸堂の出版物も多数手掛けている。

工房

建仁寺や八坂の塔なども近く、清水寺へ続く松原通は観光客でにぎわいを見せる。そんな観光地と隣り合わせにありながら、その町家の2階には、観光客や一般人が普段の生活では知る由もない世界が広がっていた。

この道21年目。ベテラン摺師の仕事

佐藤木版画工房が抱える摺師は現在4名。そのうちの一人である平井恭子さんは、この道21年目のベテラン摺師だ。学生時代に版画を専攻し、「1時間だけアルバイトで」とこの工房を訪れ、気づけば20年以上が経っていた。

摺師の平井さん。大学卒業後から20年以上もここで摺師を務める
摺師の平井さん。大学卒業後から20年以上もここで摺師を務める

「学生の時に初めてここを訪れた時『こんな世界もあるんやな』と思い、それが摺師の道へ進むきっかけとなりました」。

この日、平井さんが手掛けていたのは一枚ものの牡丹図。一見すると配色も少なく単純な図柄に思えるが、この一枚を摺るのに20回以上もの摺り作業が必要になる。

木版手摺

まずは絵具の滑りをよくするため、版木に糊をのばしていく。そして花弁なら花弁、葉っぱなら葉っぱのパーツが彫られた版木に色をのせ、その部分だけを何十枚、何百枚も摺っていく。

絵具は顔料を使用。インクの調合も摺師の仕事
絵具は顔料を使用。色の調合も摺師の仕事
図柄の葉っぱの部分が彫られた版木。一枚の絵でも細かくパーツが分かれている
図柄の葉っぱの部分が彫られた版木。一枚の絵でも細かくパーツが分かれている

こうして版木に彫られたパーツ毎に、一色ずつ紙に摺り込んでいくことで最終的に一枚の絵となる。同じ花弁でも版木が何枚にも分かれており、当然、版木の数だけ摺り作業が必要となる。この一枚だけでも、17枚の版木を使用している。

中央のおしべの部分と葉っぱの濃淡を部分が彫られた版木
中央のおしべの部分と葉っぱの濃淡部分が彫られた版木

一枚の図柄を摺るのに必要な回数を摺り度数という。同じ色でも何度もかさねて厚みを出したり、濃淡をつけてグラデーションを表現したり、より美しく立体的な絵に仕上げるため、たった5色の一枚ものでも20近い摺り度数が必要になるのだ。

一枚だけ線が太くなったり、色の濃淡にバラつきが出たりすると全体のバランスが崩れてしまうので、すべてのパーツを均等に摺らなければならない。

これが一枚印刷するのに必要な作業。それを何十回も何百回も繰り返し、すべてを同じクオリティで仕上げていく。

力を入れやすくするため、作業台は手前が高く、奥が低くなっている
力を入れやすくするため、作業台は手前が高く、奥が低くなっている

この時摺る枚数は100枚。すべてを摺り上げるのにおよそ1週間を要する。

また、同じシリーズ(花版画シリーズ、東海道五十三次シリーズ等)でも図柄によって版数が違い、摺り度数が15度摺りのものもあれば、30度摺り以上のものもある。

仕事に必要なものは、自分で作っていた時代

摺師の相棒となるのが「バレン」。版木にのせた色を紙に摺り込む際に用いる道具だ。

バレン

平井さんが使っていたのは本バレンと呼ばれる一般的なバレンで、古紙を数十枚重ねて漆を塗った当て皮に、渦巻き状にしたバレン芯をのせ、竹の皮で包んだもの。

このバレン芯は竹の皮を裂いて拠り合わせたものを4本組みにしたもの。こぶが大きく、広い範囲を同じ色で摺るのに適している。

また、竹皮を細かく裂いて2本組みにしたこぶの小さいバレン芯のものもあり、こちらは細かい図柄や繊細な和紙を摺る時に用いる。

左が本バレンのバレン芯。こぶが表面に立っていて、広範囲を摺るのに適している。右は細かいものを摺るのに適した2本組のバレン芯
左が本バレンのバレン芯。こぶが表面に立っていて、広範囲を摺るのに適している。右は細かいものを摺るのに適した2本組のバレン芯

昔は摺師が農閑期に自らバレンを作っていたといい、平井さんのバレンも、先代の師匠が大量にストックを残してくれた。市販のバレンもあるのだが、手の馴染みや力のかけ方など、自身の感覚に合わせて作られた使い勝手の良さには適わない。

バレンの持ち手は竹皮で作られており、天然素材なので長時間使っても手が疲れないという。余った竹皮では筆など身の回りの道具が生み出された。

バレン芯を包む天然の竹皮
バレン芯を包む天然の竹皮
余った竹皮で作られた筆。職人の知恵が生きている
余った竹皮で作られた筆。職人の知恵が生きている

以前はバレンを専門に作る職人もいたが、それも今や全国でわずか1名といわれる。

摺師が直面する、木版画印刷の現実

工房を切り盛りするのは二代目の佐藤景三さん。先代である佐藤さんの父は、東京で木版画の技術を学びこの工房を開いた。

佐藤さん

最盛期はこの部屋に、8人の摺師がすし詰めになって版画を手掛けていたという。しかし一般的な書籍の出版が活版印刷へ、さらにオフセット印刷へと変わり、木版画の版元自体が数えるほどしか残らない今、木版画印刷の仕事はもはや絶滅危惧種といえるだろう。

工房
木版摺師
木版摺師

21年目となるベテランの平井さんは、自分の技術に100%満足できてはいない。
「自分の師匠が21年目の時は、同じ絵でももっと簡単に摺っていたはず。まだまだ一人前にはなれない」と話す。

摺師

摺師の世界では、浮世絵の「一文字ぼかし」が均一にできることが、一人前の証になるそう。しかし今ではその技法に挑戦する機会はおろか、浮世絵を摺る発注自体が激減し、腕を磨くきっかけさえなくなりつつあるのが現実だ。

それでも「同じものを何回も何回も摺ることが私たちの仕事」とひたむきに版と向き合う平井さんは、好きなことを仕事にする喜びに満ち溢れているように見えた。

摺師

そして2年前の春には、新たな若手も加わった。

「好き」こそが原動力。木版画の未来を担う若き職人

工房に来て丸2年を迎えた川﨑麻祐子さんは、京都精華大学で木版画を学び、大学院を経てデビューした期待の新人だ。最初に木版画に興味をもったきっかけは、中学の時に展覧会で見た浮世絵だった。

摺師

「初めて見た浮世絵の美しさに感動して。でも、本当に木版画をやるとは自分も思っていなかった。高校で進路に迷っていた時先生に『木版画とか、ええんちゃう?』と言われて‥‥(笑)。そういえば版画が好きだったなって。その一言に背中を押されました」

それからはまっすぐに木版画の道へ。学部生の時に木版画コースを履修していたのは20人ほどだったが、大学院へ進む頃には「食べていけない」と、ほとんどの学生が木版画をあきらめてしまったという。

川﨑さんは「大学でやっていたことを仕事にできるのはありがたいこと」と、木版画と向き合える喜びを噛みしめていた。

摺師

体力も忍耐も必要な仕事だが、「楽しいのは大前提。前回できなかったことができるようになるとさらに楽しい」と川﨑さんは目を輝かせて語ってくれた。

佐藤さんは彼女のことを「自分が育てる最後の摺師」と話す。摺師は一人前になるのに最低でも10年と言われる。デビュー間もない20代の若手が、この先どのような職人になるのか楽しみだ。

木版

時代を経て再評価される、価値あるものとは

また、平井さんは「時代によって売れるものが変わり、版画の価値も見直され始めている」と話す。

版画とは、もはや一印刷物ではなく工芸品。だからこそ、美しい発色や和紙の風合い、絵の奥行が意味を持ち、見るものを魅了するのだろう。

芸艸堂は、その美しさを現代に伝える媒介者だ。

版木があっても、職人がいても、それを本にして出版する版元がなければ世に広めることはできない。

印刷技術の発展で失われつつあった手摺木版だが、その表現力がいま改めて評価されつつある。もはや芸艸堂は、新たな市場価値を見出す時代の先駆者ともいえるだろう。

目を見張るほどの鮮やかな浮世絵を見ながら、様々な可能性を思い描いていた。

木版

<取材協力>
株式会社 芸艸堂
https://www.hanga.co.jp/

文:佐藤桂子
写真:松田毅

デザイナーが話したくなる「萬古焼の耐熱土瓶」


10年以上商品のデザインをしている岩井さんが「こんなに試作品を作ったことはない。」と、感慨深そうにずらっと並んだ試作品を愛おしそうに見ていました。

お茶を家で誰でも美味しく飲むためには、と考えたお茶の道具。
その工程で出来たのがこのたくさんの急須と土瓶と湯呑のサンプルなんです。(実は写りきれてないものがまだまだありました。。)

煎茶と玉露用の急須、焙じ茶用の土瓶。
今回は土瓶のお話を聞きました。




美味しい焙じ茶を家で飲みたい。
私の中では、煎茶よりもざっくりと入れて飲めるお茶という印象。

美味しく淹れる秘訣は、この土瓶の名前でもある「耐熱」。そう、直火にかけられるんです。焙じ茶の適温は100℃なので、沸騰したてで保温力もある土瓶なら美味しく淹れれるということなんですね。土瓶で沸かしたお湯は、遠赤外線の効果でまろやかになります。陶器は保温力も高く、冷めてきても温めなおしも簡単です。




直火を可能にしたのは、萬古焼の技術でした。昔から、耐熱に強い焼き物として私たちの生活で広く使われてきました。
そこで直火で漢方薬などを煎じる薬土瓶を昔から作っている、明治20年創業の三重県の竹政製陶さんにお願いすることに。今回、オリジナルの土瓶として、耐熱陶器だけど艶のある釉薬にしたい、内側に目盛りを付けたいという相談をしました。しかしこの要望には、職人さんも難しい顔に。。




実は耐熱陶器は一般的には、マットな仕上がりのものが多いんです。
艶のある釉薬は相性が悪く、うまくのらなかったり、割れてしまったりするそうで、好んで使われることはありません。しかし、岩井さんが時間をかけて熱意を伝え続けた結果、職人さんが試作品を作って下さったそうです。最初の試作品は製品としてたくさん作ることは難しい状態だったのですが、そこから何度も何度も釉薬を調整していただき、希望の色と艶感に仕上がったのです。




内側の目盛りも成形方法上、外側に装飾は可能だけれど、内側に何かを施すということはかなり難しいということなんです。
しかし、今回の美味しくお茶を淹れることを解決するための、簡単にお湯を適量計るための目盛りはなくてはなりません。これまた、大試行錯誤です。
釉薬で目盛りを描いても、焼くと流れて消えてしまう。凹みをつけても、釉薬で埋まってしまう。いろいろな方法を考えながら、釉薬を撥水させて線を表現することに成功したんです。
もちろん、その作業もひとつひとつ内側に手を入れて正確にラインを付けるという手仕事です。

釉薬の調整、目盛りの調整、たくさんの試作品を目の前に職人さんの努力に頭が下がる思いと、新しいことへの諦めない挑戦の気持ちに尊敬の思いでいっぱいになりました。


見た目に大きく見えるかもしれませんが想像よりも軽く、直火にかけても持ち手は素手で持てました。お湯がまろやかになるなら、白湯をいただくのにもいいですよね。岩井さんも毎日これでお茶を沸かしているのだとか。
こだわりの落ち着いた釉薬の仕上がりと、やかんのように大きすぎないサイズが使いやすく暮らしに馴染みますね。
 






<掲載商品>
萬古焼の耐熱土瓶 飴

デザイナーが話したくなる「有田焼の絞り出し急須」


10年以上商品のデザインをしている岩井さんが「こんなに試作品を作ったことはない。」と、感慨深そうにずらっと並んだ試作品を愛おしそうに見ていました。

お茶を家で誰でも美味しく飲むためには、と考えたお茶の道具。
その工程で出来たのがこのたくさんの急須と土瓶と湯呑のサンプルなんです。(実は写りきれてないものがまだまだありました。。)

煎茶と玉露用の急須、焙じ茶用の土瓶。
今回は急須のお話を聞きました。



まず、お茶を美味しく淹れるとは?

普段の私は、なんとなく茶葉を入れてポットからこれくらいかな?という量のお湯を入れて、これくらいかな?という時間で湯呑に注ぐという、なんとも適当に入れています。
お茶は、「茶葉の量」「お湯の量」「お湯の温度」「抽出時間」の決まりを守れば、美味しく淹れることができます。
一応私も分かってはいるのですが、毎回ちょうどいい茶葉の量は茶さじですくうのは難しいし、お湯の量を計るということは、なかなか手間で億劫になります。




これを道具で解決できないかと考えたのが、はじまりだったのです。
茶葉が計れる茶さじ、お湯の量がわかる急須を作れば、「量」の部分は簡単に解決できるのではないか。
出来上がったものを見れば、これぞ一目瞭然の機能と美しさを兼ね備えた仕上がり。

内側の目盛りは一目盛り140mlで満水の目盛まで湯を入れると280mlになり、70mlを1杯分として4杯分の煎茶を淹れられます。
有田焼の白は煎茶の緑が美しく映え、磁器製のため吸水性が低く、においがつきにくく、日本茶の繊細な香りや色を最大限に引き出すことができます。絞り出し急須は、最後の一滴まで美味しくいただけるうえに、茶こしの穴や段差がなく洗いやすい。
しかし、使いやすくて美しい急須が出来上がるまでは、気が遠くなるような試行錯誤が待っていたんです。




煎茶や玉露を淹れる急須として宝瓶(ほうひん)というものがあります。一般的に持ち手が付いていない、急須のような形をしています。この宝瓶(ほうひん)を参考に、家でも気軽に使えるものを作りたいと考えたのです。
たっぷりの容量がほしいから高さが必要。
気軽に持ちやすいように持ち手をつけたい。
持ち手は所作が美しい横手を採用したい。
この考えを元に、有田焼の窯元さん、そして型をつくる原型師さんと試行錯誤を繰り返すことになります。

絞り出しの形に注目していた私ですが、試行錯誤の一番の肝は「横手」だったんです。
高さが必要だけど、高くなると横手の重さに引っ張られてフォルムが歪む。
横手を短くすれば重さは軽減されるが持ちにくい。
高さを出さずに横幅を広くすると、デザインがぽってりする。
何度も何度も原型師さんと相談し、試作を繰り返したそうです。

思わず「持ち手って付けるだけじゃないんですか?」と聞き返したことを後悔しました。。




横手は焼く途中で、最初に付けた位置から下がってくるものだとか。
それを考慮して、焼き上がってきた時に、理想の持ちやすい位置になるように、最初に付ける角度を決めるというのです。これは、焼いてみないとわからないので、下がりすぎたり高すぎたりを、何度も繰り返して調整するのです。




もちろん急須の特徴である絞り出しの口も、簡単に出来たわけではありません。
茶葉が出にくく、それでいて注ぐ量が確保される、溝の深さと本数を追求し、切れがよく後引きしない注ぎ口のフォルムを調整するのです。




忘れてはいけないのは、お湯の量がわかる目盛り。デザインのフォルムが少しでも変わると、目盛りの位置も微妙に変わるので、毎回容量を計算し直し、図面を書き直す。こうして煎茶に必要な140mlと280mlがきっちり計ることができる目盛りを実現しています。
小さな汲み出しは玉露に適量な35mlが入ります。一目盛りで4杯淹れることができるので、美味しい煎茶が淹れれるようになったら、ぜひ玉露にも挑戦してみてください。実は、話しながら気がついたのですが、煎茶の汲み出しと玉露の汲み出しを重ねたら、ちょうど急須の中に収まるので、収納時に場所をとらないんです。煎茶の汲み出しだけなら3つ重なりますよ。


簡単そうで適当に入れてしまっている毎日のお茶。
「本当に窯元さんと原型師さんにお世話になったんです。」と感慨深い岩井さんと、ずらっと並んだ試作品を前に、少し恥ずかしくなりました。これからは、簡単だけど適当ではないお茶の時間で、美味しい一休みをさせていただきます。
 


ほかに無いアウトドアショップ、東京「Tsugiki」へ

新緑の野山に萌える今日この頃、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。青空のもと、キャンプやバーベキューなど、アウトドアを楽しみたいと思う方も多いのではないでしょうか。

アウトドアを楽しむ道具の専門店もありますが、一風変わった品揃えが魅力のセレクトショップがあると耳にしました。下町の雰囲気を色濃く残す東京は千駄木。

駅から徒歩で6分ほどのところにある「Tsugiki」は、アウトドアグッズだけではなく伝統工芸や“富山県の魅力”も提案するお店です。

この3つがなぜ、どういう風に融合しているのでしょうか。オーナーの木原彰夫さんのお話を伺ってまいりました。

オーナーの木原さんです
オーナーの木原さんです

アウトドアブランド勤務からお店を持つまで

木原さんは富山県高岡市出身。高岡漆器や高岡銅器など伝統工芸が盛んな土地で育ちました。

上京後、チャムスというアメリカのアウトドアブランドの日本代理店で11年間勤務。ゼネラルマネージャーとして海外事業部、デザイナー、セールス、プレスPRなどを経験して独立し、2015年11月にTsugikiをオープンさせました。

「お店を始めた理由は地元への恩返しですかね。富山県の地方創生事業に関わる機会がありまして、お手伝いのようなことをしているうちに『お店を出してみないか』という要望が出ました。

どちらかというと、半ば強引にお店をやらされたという感じなんですけど(笑)」と木原さん。

アウトドアブランドでの仕事の経験、地元・富山の友人知人との関係、それぞれが“接ぎ木”のように重なり合って、一つのお店が産声をあげました。

看板にはさまざまなキーワードが刻まれています
看板にはさまざまなキーワードが刻まれています

ごった煮のような店内

暖簾をくぐって店内に入ってみると、どこか懐かしいような空気感に包まれます。富山の古道具屋で購入したという什器から滲むものでしょうか。一方で、内装は厳選された富山県の木材で仕上げるこだわりも。

店内にはアウトドアのウエアもあれば、古めかしい器、仏具の「おりん」まであります。ぶら下がる電灯も売り物です。

温かみのある照明に包まれた店内
温かみのある照明に包まれた店内

商品のセレクトにこだわりはあるのでしょうか。

「とにかく、かっこいいと感じたものを仕入れています。まだ世の中にあまり知られていないようなものも、たくさん扱うようにしています。

珍しいものと出会える場所でもあると思うので、そういう意味では提案型のお店ですよね。まずは来てもらって、この雰囲気を感じてもらいたいです」

ジャンルを超えた商品が並ぶごった煮のような店内。それでも、どこか統一感があるのは、落ち着いた色合いの内装のおかげかもしれません。

愛着のわくアウトドアグッズを目指して

アルチザン933と記された絵
アルチザン933と記された絵

木原さんが思う、かっこいいアウトドアグッズ。その一つがオリジナルで製作したシェラカップです。渋い色合いが目を惹きます。

アウトドアでシェラカップのコーヒーでも一杯
アウトドアでシェラカップのコーヒーでも一杯

「高岡にある『モメンタムファクトリー・Orii』という会社の銅器着色の伝統工芸士さんに作ってもらいました。色合いが独特でしょう?

これは銅を化学変化で色を変えていくという伝統工芸の技術なんです。ぬかや大根など、自然のものを銅に焼き付けていくと、化学変化で、色が変わっていくんですよ」

折ったり、曲げたりすることのできる「すずがみ」という商品も高岡発。熟練の職人による金鎚で叩く技術によって、作り上げられました。通常の錫の板と違い、何回も圧延を繰り返しています。持ってみるととても軽い。

曲げられるお皿「すずがみ」。あられという商品名が粋ですね
曲げられるお皿「すずがみ」。あられという商品名が粋ですね

どちらもアウトドアだけでなく、インドアでも使えそうな商品です。

「セレクトも商品開発も、機能よりまず先に『かっこいいかどうか』を考えます。

見た目が気に入っているものの方が、使いたくなりますよね。インテリアとして飾ったりもできます。そうして使っていくうちに、愛着が湧いてくるんじゃないかなと」

職人さんとの付き合い方

木原さんが新しい商品を探すときも高岡の広い人脈を活用します。ちょっと声を掛ければ、皆、何かを教えてくれる。ただし、有名なブランドや商品はTsugikiでなくても販売しています。木原さんが狙うのはニッチな商品です。

さて、木原さんはそうした商品や作り手とどのように出会い、仕入れや製品開発をしているのでしょうか。

「飲ミュニケーションですね。高岡に帰ると、まず、職人さんと飲んでます。例えば、『こういうのやりたいんですけど、できます?』みたいな」

やったことのないものを職人さんに作ってもらうのは、至難の業ではないでしょうか。

「『こういうの作りたい』という時点で最初にお金を全部払ってしまいます。リスクを背負わないと皆、信用してくれないですからね」

「やりたい」と一度でも思ったら自分がリスクを背負うことで、信用を得て実行していく。職人さん相手の仕事に限らず、どこの世界でも言えることかもしれません。

こちらは高岡漆器。漆は殺菌作用が強いことで知られています
こちらは高岡漆器。漆は殺菌作用が強いことで知られています

売る人間が楽しまなければ、お客さんも楽しめない

富山を軸にしながらも面白いと思えばなんでも仕入れるそうです。「こんなものもあるよ」と木原さんの声が商品から聞こえてきそうです。

「売る人間も楽しまないといけないし。売る人間が楽しんでないと、お客さんをワクワクさせたり、楽しませることはできないですよね」

楽しそうに商品を紹介する木原さん
楽しそうに商品を紹介する木原さん

もし千駄木周辺で用事があるならば、一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか。心ときめく商品に出会えるかもしれません。

<取材協力>
Tsugiki
東京都文京区千駄木2-7-13
03-5832-9313

文・写真:梶原誠司