「お茶にしましょう」。私たちがそうかける声は、何を意味するのでしょうか。
喉を潤すだけでなく、誰かと時間を共にしたり、自分自身の素直な声に耳を傾けたり。せわしない日々に一区切りつけて言葉を交わし合う、つながる時間がそこにあります。
皆さんがどんなお茶の時間を過ごされているのか。3組の方々の、それぞれのお茶の時間を覗いてきました。
この記事では、木綿を主な素材として手紡ぎ手織りの布づくりを行う「つちや織物所」代表、土屋美恵子さんのお茶の時間を紹介します。
プロフィール:
つちや織物所 土屋美恵子
奈良市内の平城宮跡近くに工房を構え、緑豊かな場所で手紡ぎ手織りの布づくりを行う。主宰する「木綿手紡ぎの会」では、工房近くの畑で綿花栽培から取り組み、糸を紡ぎ布を織る過程を参加者と共有する。
http://www.tsuchiya-orimono.com/
土屋さん:
母がいつも着物を着ていたので、呉服屋さんについて行くなど、幼いころから布が身近にありました。そのうちにいつの間にか布が好きになっていて、20代になり自分の生きかたを考えたとき、布を題材にものづくりがしたいと今の道に進んだのがはじまりです。
最初は絹を中心に、糸を購入して自分で染め、他の天然素材と合わせてストールなどを織っていました。ただ時代の変化で、心を惹かれる糸を作る方が少なくなってきて。自分が作るものには糸が一番大切なのに、その糸を外に頼っていてはいけないと思ったんです。自分で紡いだ糸で布を作るようになったきっかけですね。
その後、奈良に移り住んだことを機に、この地で昔から多く栽培されてきた木綿を素材の中心におきました。
それともう一つ、当時から社会への違和感を覚えていたんですよ。世の中は豊かになっていくけれど、大切なものが失われている気がして。何でも古いものがいいというわけではないですが、昔の日本人の美しい暮らしかたから、どんどん離れていくようで残念でした。 でも不満を言っても仕方がないので自分で手を動かしてものを作る人を増やしたり、そこに共鳴していただいたりすることが、世の中に向けて私ができることかなって。
昔ながらのものづくりである手紡ぎの糸は、大量生産・大量販売はできません。経済的に考えると遠ざかるのはわかるのですが、でも、なくなっていくのは残念。自分の身近な、限られた材料でものを作るからこそ出る力や魅力もあるし、シンプルにとても気持ちのいい作業だから、きっとやりたい人がいるだろうとも思いました。
そんな背景から、つちや織物所として手紡ぎ手織りの布で暮らしの道具を作るとともに、12年ほど前からは「木綿手紡ぎの会」も主宰しています。そして、私自身が織物の歴史や社会的な背景、奈良における木綿の歩みなどをもっと学んで、皆さんにお伝えしようと努めています。
「木綿手紡ぎの会」は糸紡ぎを学ぶ人、織りを学ぶ人、合わせて30人ほどの方に参加いただいていて、皆さんには綿花の栽培から経験いただくんですよ。工房から徒歩7分ほどの場所に畑を持っており、そこで種を蒔いて草を刈り、自然農法で綿花を育てています。
自分の手で紡いだ糸で布を織ることに大きな喜びを感じる方もいらっしゃり、その様子にふれることで私自身がはっとさせられることもあります。
時間をかけてしか作れない手紡ぎ手織りの布は、現代では値段がつきにくいものかもしれないけれど、私は、いのちが感じられる布を自分で作って使って、また納得したものを作っていきたい。商品としては難しくても、だったら自分で作ってみませんか?って。そうやって届けることも織物の仕事の一つで、そんな風に布を作って人とつながっていけたらと思うんですよね。
紡ぎの会の休憩時間には、皆さんとお話ししながらお茶を飲みます。お茶は淹れる行為自体も楽しかったりリラックスできたりするでしょう。だから淹れることからお任せしています。
休憩時間の話題はさまざまで、私は耳を傾けていることが多いですね。お茶って、飲むことそのものが目的になるばかりではなくて、誰かと時間を過ごすときの仲立ちとしての役割というか。
工房のスタッフと時々、仕事終わりにお茶するときもそう。少しリラックスした気持ちで、自分が思案していることをそれとなく問いかけてみたり、何でもない会話からお互いの気持ちの共有につながることもあります。特別なテーマがなくても、一緒に時間を過ごせることそのものが、お茶の時間の意味だと思うんです。
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文:谷尻純子
写真:奥山晴日