タオルの買い替えは12月が吉。正しい選び方と長持ちのコツ

タオルの買い替えに12月をおすすめする理由

こんにちは。細萱久美です。

12月の旧暦は「師走」ですが、師走の語源は、僧(師)がお経をあげるために東西を馳せる(走る)月、というのが有力な説かと思います。

新年を迎える準備も昔ほど複雑ではなくなりましたが、それでも大掃除、年賀状の準備、お年賀の準備などで、何かと忙しない月なのは現代も変わりません。

かつては、暮れの内に新調してもらった和服を元旦に着て、まずは家族揃って祖先神である「歳神様」をお迎えし、その後神社に参拝に行くのが一般的だったそうです。現代ではそのような習慣のある家も少ないと思いますが、新年に新しいものを身に付けたり、新年を区切りに古くなったものを新調すると、清々しく過ごせる気がします。

例えば、下着や寝具の状態をチェックしたり、歯ブラシやタオルなどの消耗品は、買い替え時として分かりやすいタイミングかもしれません。

相性のいいタオルの選び方。今治タオルも参考に

今回はその中から、タオルの選び方やお手入れのちょっとしたコツをお話したいと思います。素材や織り、デザインなど多種多様なタオルがあるので、選ぶ際は悩んでしまいますね。

ただ、使い心地が好みに合わないと、毎日のことなので結構気にはなります。すぐに使わなくなると勿体ないので、相性の良いタオルを見つけたいものです。

肌触り、吸水速乾に加え、重量感やボリュームもチェックポイント。そして品質の良さは耐久性にもつながるので、多少価格の高いタオルでも、結局割安になるかもしれません。品質面では、ジャパンブランドとなった今治タオルは、選ぶ際の一つの目安になるかと思います。

今治タオルは独自の品質基準を設けて、合格したものだけがブランドとして認められています。

デザインは、飽きずに使うことや、バスルームが「見せる収納」の場合は特に、ベーシックな色無地がおすすめです。潔い白も素敵ですし、ベージュや薄いブルーなど少し色があっても、気軽さが加わり使いやすいと思います。

タオルのお手入れは、柔軟剤の使い方にもひと工夫

お手入れについてですが、お気に入りのタオルをより気持ちよく、より長く使うためのコツはご存知でしょうか?世間ではちょっとした柔軟剤ブームですが、タオルには頻繁な柔軟剤使用は不要です。逆に吸水性が落ち、毛羽が出やすくなったりするのでご注意を。

ただし、使い込んでへたってきた場合は、少量の柔軟剤使いは有効です。あとは、毛羽立ちやパイルの引っ掛かりを防ぐためにも洗濯ネットに入れてお洗濯してください。

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あくまでも私の好みにはなりますが、片面パイル片面ガーゼのタオルを好んで長年使っています。重厚感のあるパイルタオルや、逆にふわふわのタオルよりも、軽やかさと多少のしっかり感を兼ね備えたタオルが使いやすく感じます。

比較的乾きも早いので、梅雨時期でも臭いが気になりにくかったり、季節によって使う面を変えられたり、収納にもさほどかさ張らないなど、機能的なメリットも多いタオルです。

タオルは日々の生活に欠かせないので、肌に合う一枚と出会えるとちょっとした幸せすら感じさせてくれる、師走の暮らしの道具です。

<掲載商品>
パイルガーゼタオル

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

※こちらは、2016年11月22日の記事を再編集して公開しました。

お正月に身につけたい、縁起のいい着物の柄6選

もうすぐお正月。毎年のことながら、何でこんなに楽しみなのでしょう。

大掃除をして、おせちを仕込んで、門松を飾ってと、大忙しのお正月準備。忙しい忙しいと言いながらも、1年でいちばん季節を楽しんでいる歳事かもしれません。

さて、そんな始まりの日、みなさんはなにを着て過ごされますか?

私は毎年、新しい服を着ることにしています。小さい頃からの習慣で大人になってからもなんとなく続けていたのですが、調べてみると「着衣始 (きそはじめ) 」という江戸時代の験担ぎなのだそうです。

1年でいちばんのハレの日にはやっぱり着物が着たい。せっかくなら、うーんとめでたく迎えたい!

そこで、お正月にちなんだ「縁起のいい柄」をピックアップしてみました。

鳩 : 開運招福・勝負運上昇 ( 水仙: 知性・長寿 )

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まずは、平和の象徴、鳩。由来は旧聖書「ノアの方舟」で、洪水の終了を知らせたことにあるのだそうです。

ピカソが子どもの名前にするほど好きだった鳥であり、国際平和擁護会のポスターに描かれたことでも知られていますね。日本では神の使いともされ、良い知らせを運んできてくれると言われています。

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着物全体でひとつの絵となるよう仕上げられた「絵羽 (えば) 模様」で、背中には大きな日の出が描かれている、なんとも縁起よく、美しい柄です。日本の伝統的な「型染め」という手法で、手仕事で丁寧に染められています。

また、鳩と一緒に描かれている水仙は、知性の象徴でもあり、めでたいことの前兆である瑞兆 (ずいちょう) の花でもあります。賢明で正しい一年となりそうです。

亀甲 : 長寿・健康

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六角形の「亀甲」は、その名の通り亀の甲羅の形を表す柄です。「鶴は千年、亀は万年」と言われる通り、長寿・健康を願う縁起物として知られています。

また長寿だけでなく、昔は不幸が起きた時に「つるかめ」と言葉を発して、「縁起直し」をしていたのだそう。なんだかかわいい習慣です。

唱えるだけでもめでたい亀、身につけるなんてどれだけ縁起のいいことでしょう。

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立体のような亀甲柄と亀甲型に乗った鈴玉で構成された、なんとも素敵な帯。朱と銀でできた鈴の束が金色の織りの上に乗って、金銀の掛け合わせがお正月の祝いを盛り上げます。

シンプルな着物と合わせても、この帯を締めると一気に華やかな印象になりそうです。

クローバー : 幸運・幸福

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幸運のモチーフとして知られているクローバー (和名:シロツメクサ) 。小さい頃、花冠を作って遊んだという方も多いのではないでしょうか。身近にある、めでたい植物です。

三つ葉はキリストの三位一体、四つ葉は葉脈が十字架に似ていることから幸運の象徴とされてきました。ちなみに四つ葉の発現率は10万分の1だとか。見つけると嬉しくなりますね。

お正月に身につけたい、縁起のいい着物の柄6選

雪のように白い生地に、ひらひらと散るクローバー。すごいのは、その織りの技法です。最終的な図版に合わせて、糸の段階で一部分だけに色を摺り込ませておき、その糸を織り上げていくとクローバーの柄が出てくるのだそう。

新潟県十日町の職人さんによる手作業で、「手摺込み絣 (てすりこみがすり) 」と呼ばれています。

雀 : 家内安全・富の象徴 ( 南天:難転 )

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実は昔から「吉鳥」と言われ、縁起のいい鳥とされている雀。

「厄をついばむ」とされ、一族繁栄や家内安全の象徴です。また、ふっくらとした丸っこい形から「豊かさを表す縁起物」ともされています。

冬に見るまんまるのふくらすずめ、かわいいですよね。

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雀の柄が描かれた、着物と帯。羽をイメージしたという流れる雲の上に、雀が止まっています。

また、色味の強い着物には柔らかい色で、淡い色には美しい朱赤で、ところどころに描かれた「南天」との組み合わせが素敵です。

南天も「難転 (難を転じて福となす) 」と結びつくことからお正月でもよく見かける縁起のいいモチーフです。

鶴 : 長寿・夫婦円満・繁栄

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亀と共に、長寿の縁起物として有名な鶴。また、鶴は夫婦の仲がいいことから、夫婦円満の象徴として結婚式でもよく見かけます。

こちらは向鶴(むかいつる)という名前の柄。「向かい文様」と呼ばれる”ひとつの枠の中で、ふたつの文様が対面している柄”の鶴デザインのこと。

夫婦円満の鶴がつがいとなっており、めでたさ満開です。

お正月に身につけたい、縁起のいい着物の柄6選

遠くから見ると無地に見える向鶴のデザインは、「江戸小紋」と呼ばれているもの。粋な柄ですが、誕生の背景はなんだか愉快です。

その昔、着物の豪華さを競うようになった大名たち。それを見かねた幕府は規制をかけたそうです。そこで生まれたのが江戸小紋。“遠くから見ると無地だけど、近くで見ると柄がある”というのが特徴です。

その名の通り、今も東京の染め屋さんで作られているもの。手漉き和紙の型紙に彫刻して模様をつくり、職人さんの手作業によって染められます。

彫刻、型付け、地染め、蒸し、水洗い、と工程が多く、手間ひまかけて作られる技の詰まった繊細な生地です。

鱗柄 : 厄除け・再生

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蛇が脱皮することから、厄を落とし再生するという意味のある鱗柄。身を守る、身を固めるなどの縁起にちなんで、厄除けの図柄として使われることが多いようです。

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京都の西陣で織られた帯。振り袖の帯などを作られている職人さんと着物ブランド“THE YARD”が協業で完成した帯だそうです。手間ひまかけ「型染め」で、丁寧に染められた美しい生地です。

「京袋帯」といい、長さが短めで一重太鼓用のインフォーマルな帯ですが、素材がシルクなので畏まり過ぎない初詣には、バランスのいい帯ではないでしょうか。

「一年の計は正月にあり」と言われるほど大事な日とされているお正月。新しい年、楽しいことがたくさんあるよう、縁起ものを身にまとって新年を迎えてみてはいかがでしょうか。


<掲載商品>
DOUBLE MAISON
・鳩歩穂 振袖
袋帯・朱
雀羽雲 着物・朱
雀羽雲 帯

THE YARD
クローバー「十日町 手摺込み絣」(着物)
・鶴 「江戸小紋 向鶴」(着物)
・鱗 西陣 京袋帯

<取材協力>
株式会社やまと
https://www.kimono-yamato.co.jp/

文 : 西木戸弓佳

この記事は2016年12月29日公開の記事を、再編集して掲載しました。
ご紹介している着物は2016年以前に発売のものです。在庫状況は時期により異なります。

伏見人形のねずみを求めて。京都「丹嘉 (たんか) 」で出会う干支の置物

フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり

はじめまして。中川政七商店の日本市ブランドマネージャー、吉岡聖貴です。

日本全国の郷土玩具のつくり手の元を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる、連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

普段から建物やオブジェを描き、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ、干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介していただきます。

連載1回目は子年、「伏見人形の唐辛子ねずみ」を求めて、京都にある丹嘉 (たんか) を訪ねました。

8代続く伏見人形窯元 丹嘉にて 撮影:吉岡聖貴

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エッセイの前に、まずはワイズベッカーさんと共に訪ねた丹嘉や伏見人形の歴史、そして人形づくりの裏側について、解説したいと思います。

400年以上の歴史を受け継ぐ土人形の元祖、伏見人形

農耕とともに歩んできた日本では、生命を育む土に対する信仰心が古くからあり、寺社の授与品としての土人形や土鈴は、害虫除けや厄除けに効くと信じられていました。

伏見人形は約400年前、当時信仰のメッカとして栄えた伏見稲荷大社の参詣者が山の土を土団子にして持ち帰り、五穀豊穣を願って自分たちの田畑に撒いたのが始まりとされます。

その後、伏見稲荷の近くで深草土器 (ふかくさかわらけ・京都の深草あたりでつくられた土器) とよばれる土器を作っていた土師部(はじべ)が、その技術を人形に転用し、参詣者を相手に土産用の人形を作り売ったと考えられています。

参詣者に持ち帰られた人形は伏見人形と呼ばれ、間もなく全国に行き渡りました。各地の土器・瓦などの製作者がそれらを原型として人形を作り始めた結果、土人形の産地は全国に100ヶ所近くに広がりました。それが、伏見人形が日本の土人形のルーツであるといわれる由縁です。

寛延年間創業の伏見人形工房、丹嘉

土人形のルーツとなった伏見人形の窯元も、最盛期の江戸末期には50~60軒ありましたが、時代とともに廃業していくこととなります。そして現在、製作と販売をする窯元は丹嘉のみ、たった1軒となりました。

丹嘉の創業は寛延年間、1750年頃。今の屋号になったのは4代目嘉助さんの代からで、元々の屋号は丹波屋だったとのこと。現在は8代目の大西貞行さんとご両親、職人さん数名で製作をされています。

「今の形を変えすぎないことを大切にしている」という8代目の大西貞行さん (撮影:貴田奈津子)

夏に成形、冬は彩色

さて、肝心の土人形づくりですが、まずは表面・裏面それぞれの原型に粘土を埋め込み、型から抜いて表裏をつなぎ合わせることで成形をします。それを乾燥させ、低温で素焼きした後に胡粉(ごふん※)を塗り、彩色をして仕上げです。

※ 胡粉とは貝殻からつくられる日本画の白色絵具のこと

型枠は裏表で1セット。内側に粘土を埋め込むメス型と呼ばれるタイプ
型枠から取り出した粘土は「成形」され「素焼き」を経て、「彩色」されて完成

丹嘉では、春から夏にかけてを「成形」と「素焼き」の行程、秋から冬にかけてを「彩色」の行程に分けて、年間約2万個を生産されているそうです。季節で行程を分ける理由は、夏場は粘土がよく乾くので型離れがよいことから、冬場は彩色の原料である“にかわ”の保管がしやすいことからとのこと。

今となっては当たり前の工程かもしれませんが、このような効率化は長年の経験の賜物です。

世代を超えて受け継がれる2000種の型枠

私たちが工房を訪ねたのは初夏の時期。ちょうど大西さんのご両親と職人さんが成形の作業をされていました。

毎年コンスタントに使用する型枠は50種類ほどなのですが、年々廃業した窯元から譲り受けたものが増えていき、今では全部で約2000種の型枠を所有されているそうです。棚一面に型枠が並べられた光景は圧巻です。

棚ごとに番号を割り振られ整理整頓されたたくさんの型枠

この型枠に生地を埋め込むわけですが、埋めるよりも抜くのが肝心。生地が乾きはじめたタイミングを見計らって型枠から抜き、すぐさま表裏をつなぎ合わせていきます。

成形の道具は筆とコテのみと至ってシンプル。生地が乾燥したら、電気窯でまとめて素焼きします。

型枠から取り出した粘土は丁寧に裏表をつなぎ合わせて「成形」される

丹嘉で仕上げに顔の絵付けをするのは、大西さん父子のみだそうです。大西さんいわく、彩色ができるようになるまでに10年はかかる、とても奥深い世界です。

大きな型枠を周りに並べ、次々と成形していく大西さんのお父さん

“とうがらし”に乗る“えとがしら”

今回のモチーフである「ねずみ」は繁殖力の強さから、増大し繁栄することの象徴として縁起が良いとされ、郷土玩具でも数多くのモチーフとされてきました。各地のねずみの郷土玩具を見てみると、例えばカブ、カボチャ、米俵など、食べ物との組み合わせで造形されていることが多いことに気づきます。

今回のねずみと唐辛子の組み合わせは、ねずみの繁殖力と唐辛子の種の多さから、豊穣や子宝を願ったと言われていますが、それも諸説ある中の1つ。ねずみが干支の最初にくるというので、「えとがしら」を並べ替えて「とうがらし」にしたというウィットに富む説もあります。

どれが正解かはさておき、本当のような嘘のようないわれを聞いて、「へーっ」となるのも郷土玩具の楽しみですね。次回はどんないわれがあるのでしょうか。

それでは、お待たせしました。ここからはワイズベッカーさんの視点で見た伏見人形「唐辛子ねずみ」の世界をお楽しみください。

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丹嘉のウインドー。はじめて訪れた2002年以来少しも変わっていない‥‥感動的だ!

この小さなクッションのようなものが大好きだ。とても洗練されていて、壁に掛かった額を支えているように見える。それがこのクッションの本当の機能なのかどうかを知りたい。日本以外では目にしたことがない。

この、突然現れた大きな牛は一体何のためだろう?シルクのクッションにうやうやしく置かれ、ほかの人形たちに囲まれ、君臨しているように見える。

ひょっとしたら、中庭で草に覆われながら、彼らは小さな神様に変身できる日を、待ち望んでいるのかもしれない。どうだろう?

工房に保管されている2000もの型枠の一部。まるで牡蠣があくびをしているようだ!定期的に埃をはらわれ、きちんと管理されている。

この店のいたるところにいる狐たち。伏見稲荷のシンボルともいえるこの動物は、きっと丹嘉のベストセラーに違いない。

8代目主人の潜水服が、型枠の保管と型抜き作業のための部屋に干してある‥‥。なんて唐突なんだろう!でも、このウエットスーツにすら私は民芸の趣を感じる。逆さになった生き物に丸い目で見つめられているようだ。

ここで一番好きな写真かもしれない。職人の周りには、全ての道具がふさわしい場所に置かれている。そして、膝にかけられた水玉模様の布は、私にとっては素晴らしくエレガント。作業中の大西さんのお父さんだ。

大きな生地の型抜きは、長い経験を必要とする。型の内側の生地は、抜くときにある程度湿気がないといけないが、変形しない程度には乾いてなくてはならないのだ。

あぁ!やっと出会えた私たちのネズミ!型から出てきたばかりで、まだ湿気の光沢がある。乾燥させた後に焼いて、絵付け。そして、店頭の仲間の待つ場所に行くのだ。

窯の中。これから焼かれるところ。

私は制作中にラジオをかけっぱなしにするが、ここではテレビ。小さな人形たちは、いったい何を考えているのだろう。
どこか他所に気持ちがいっているように思える。

避難しているのか?贖罪の苦行なのか?確実に言えるのは、彼らが外に出たがっていないということ。

私たちの小さなネズミ。唐辛子の上によじ登っているが、胃炎になるのを恐れてはいないようだ。

この人形を見ると嬉しくなる。アルビュという昔飼っていたゴールデン・レトリバーの犬を思い起こさせるからかもしれない。10年前に亡くなったが、今もあの仔のことを想っている。とても誇らしげで、まとわりついてくるたくさんのおチビたちと幸せそうにしている!私にとっては、幸福のイメージそのものだ。

──

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第1回は京都・伏見人形の唐辛子ねずみの工房を訪ねました。

第2回「福島・会津張子の赤べこ」に続く。

<取材協力>
丹嘉 (たんか)
京都市東山区本町22丁目504番地
営業時間 9:00~18:00 (日・祝祭日休)
電話 075-561-1627

文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。

翻訳:貴田奈津子
前半解説パート、文・写真:吉岡聖貴

*こちらは、2017年9月30日の記事を再編集して公開しました。

木村宗慎先生に習う、はじめての茶道。「練習でなく、稽古です」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お茶の作法も、知っておきたいと思いつつ、過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、すっかり忘却の彼方。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第1弾は茶道編。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

茶道編
一、練習でなく、稽古です。

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10月某日。
江戸風情と異国情緒が混ざり合う街、神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。

開かれたのは木村宗慎先生による茶道教室。先生は裏千家、芳心会を主宰される傍ら、茶の湯を中心とした本の執筆、雑誌・テレビへの出演、新たな茶室の監修など、世界を舞台に幅広く活躍されています。

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木村宗慎先生

お稽古には幸運にもお仕事でご縁のある「大塚呉服店」さんのご協力で、着物を着て参加できることに。形から入るとはよく言ったもので、自ずと引き締まった気持ちでお稽古に臨みます。

良い香りのする畳の上で、しかし正座して長時間何かをするというのも久しぶりのこと。はじまりに茶道を習う心構えのお話などを宗慎先生から伺ううち、集中したい気持ちとは裏腹に、早速足がビリビリと‥‥

「今日はみなさんに安心していただきたいのですが、基本的に私たちも足はしびれるものだという想定をしています。

例えばお茶の席で立って何かをしたい時に足がしびれていたら、ホスト側もゲスト側も『すいません、足がしびれまして』と足を直されたらいい。しびれるのは恥ずかしいことではないんですよ」

絶妙のタイミングで柔らかくアドバイスをくださった宗慎先生。場の空気もほっと和らぎます。

「お茶を点てるだけではなく、来た人が自分が大切にされていると感じる事。例えば茶碗一つを大切に扱う事で、それを使う人を大事にする事になります」

とのお話から始まったお稽古は、その言葉の通り、お茶をいただいてその作法を習う以上の、日常から実践できる、様々な学びのあるものでした。

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◇名残の10月

「五感を持って感じられること、
 その場で起きることのすべてに意味がある、というのがお茶です」

とはじめに見せてくださったのが金継ぎのされたお碗。

「10月は名残の月です。11月になると炉開(ろびらき)と言って冬の設えにガラっと変わります。

お茶の世界では、新茶は半年ほど熟成させてから飲んだ方が良いとの考えがあって、口切(くちきり)という行事を行って、この炉開の頃に合わせて新茶を飲み始めていました。

そこでは錦秋紅葉の華やかな風情を演出するので、10月中はわざと寂しく、切ない秋の感じを出します。そういう時に喜ばれるのがこういった、欠けたり継いだりしているもの。

つまり、季節ごとのコントラストを演出して、1年飽きないようにしていたんですね」

意味を知った後でお茶室内を見渡すと、お道具や設えの一つひとつが、特別な意味を持って目に映ります。けれど今はまだ、解説頂かないと気づけないところが、もどかしい。

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忘れないうちに、とにかくメモ、メモ。

後編:今日から変わる、きれいなお辞儀の仕方*こちらは、2016年11月26日の記事を再編集して公開しました。

益子の陶芸家に愛される移動式パン屋。濱田庄司由来の酵母を使う「泉’s Bakery」を探しに

益子を代表する陶芸家、濱田庄司。彼から受け継いだものが、益子では至る所に広まっています。美食家としての一面もあり、好んで食したと言われる自家製ヨーグルトは、種となる菌が友人や職人に分けられていきました。

いま、その種菌を活用した天然酵母のパンが、益子の陶芸家に愛されています。作っているのは移動式のパン屋「泉’s Bakery」さんです。

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移動式パン屋「泉’s Bakery」のパン工房

陶芸の町ならでは。泉さんが移動式ベーカリーを始めた理由

「泉’s Bakery」の店主は、笑顔の素敵な加守田泉(かもだ いずみ)さん。美大を卒業したのち、加守田章二を父に持つ陶芸家・加守田太郎さんと結婚し、埼玉から益子へと移住してきました。

泉’s Bakery店主の加守田泉さん

移動式にしたのは、窯元が多いから。職人が身近にいる泉さんだからこそ、移動式のパン屋さんが生まれたのかもしれません。基本的に木曜日だけ営業する移動式のパン屋になったのも、器の直売店をやっている友人のひと言がきっかけ。

益子の陶芸家や作家がよく訪れる

車から看板を出して、道端にお店を作っていく泉さん。お話を伺っていると、近くの窯の作家さんが「待ってました」とやってきました。職人さんはものを作り出すと工房にこもりきりになるので、なかにはパンを買いに来る時に「街に出る」と言う方も。

濱田窯の職人さんがバイクでやってきました

この日訪れていたのはいずれも常連さん。単に「お客さん」というだけでなく、すっかり友人知人の間がら。泉さんに聞いてほしいことがあると顔を出す人もいて、話に花が咲いて移動時間が押してしまうなんてこともあるそうです。

道端に停められた店の開放感。話に花が咲きます

益子の人に愛される味の秘密は益子にあり

「泉’s Bakery」は今年で8年目。濱田家から受け継いだヨーグルト菌は、おそらく100年ほど生き続けているもので、そのためか活きが良くパワーがあり、発酵液は1日で完成します。

泉’s Bakery・益子
生地をのばして人気のバナナパンを成形中
泉’s Bakery・益子
バナナパンの全貌が現れ、すでに空腹感が

パンは焼きあがった後も日が経つほどに熟成して、味の変化が楽しめます。

気温にもよりますが1~2日でフレッシュな風味、2~3日でコクが出て、3~4日で酸味を感じるそう。自分が好きだなと思ったところで冷凍してしまえば、そこで味が維持されるそうです。益子の町で脈々と受け継がれてきた、濱田庄司が愛したヨーグルトは、いまパンとなって職人や町の人を満たしていました。

泉’s Bakery・益子
濱田庄司から受け継いだヨーグルト菌で作られたパン

「せっかくなら益子らしいものを」という思いのもと、泉さんのパンには益子や栃木のものがふんだんに取り入れられています。

濱田庄司のヨーグルト菌をはじめ、栃木県で生産されている小麦「ゆめかおり」や、地元で採れた旬の野菜。秋はカボチャに栗、新ごぼう、春は菜の花などの地元で採れた旬の野菜たち。

季節ごとに新しいパンが味わえる

ワンボックスカーの周辺には、香ばしくてまろやかな香りが。ハード系の天然酵母パンだけれども、どこかまるっとした優しい印象のパンに囲まれて、パン好きの精神がムフフとかきたてられます。

道端で、店主におすすめを聞いたりしながら、どれにしようかと積まれたパンを選ぶ、この感じがたまりません。

泉'sベーカリー・益子
小さな車にたくさんの魅力がつまっている
かごにパンをいれていくのも楽しい

外側のカリっとした食感と、モチモチとした生地の噛み応え。具材も味付けもなるべくシンプルにしているということで、益子の素材の旨みを存分に楽しめる天然酵母と国産小麦のパンです。

泉’s Bakery・益子
益子を味わうハード系のパン
泉’s Bakery・益子
焼き菓子用のオーブンを使っているのでカリっとした食感が生まれる

移動式のパン屋さんで、基本的に木曜日のみの営業で滅多に出会えないレアなお店なのに、TVが取材にきたり、陶器市で人気店になったりなど評判の高さが伺えます。

少しの間にも町の人が集まる盛況ぶり

泉さんにオススメのパンの食べ方を聞くと、さっそく明日実践したい美味しいひと工夫を教えてくれました。

「フライパンに油を敷かずに、パンをならべてフタをして。弱火で片面をちょっとあっためたら、一度パンを取りだして、フライパンにチーズをびやっとかけるんです。そこに裏返したパンをおきます。チーズに油があるので、こげないですよ~。2、3分で焼けるからトースターより早いし、ふわっと焼きあがります」

泉’s Bakery・益子
チーズをかけて食べてみたい
「もちろんそのままで食べるのもおすすめです!」

陶芸家に愛されるパン屋さん「泉’s Bakery」。濱田家から受け継いだ酵母で焼かれたパンを食べて、益子では今日もまた新しい作品が生まれていきます。

 

取材協力
泉’s Bakery
栃木県芳賀郡益子町益子3529−3
0285-72-7907
※ 営業時間、販売場所の詳細はHPをご確認ください
HP / Facebook

文:田中佑実
写真:尾島可奈子、西木戸弓佳

*こちらは、2018年1月15日の記事を再編集して公開しました。

3年待ちのパン屋「HIYORI BROT」に全国から食材が集まる理由

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)の周辺の景色

リクルート社員からパン職人に

兵庫県丹波市の山間に、周囲を水田に囲まれた小さなパン工房がある。そこには、日本全国から個性的な食材が届く。

ある日は、青森のリンゴ農家さんが作ったライ麦。またある日は、八ヶ岳の標高1000メートルの畑で獲れた無農薬栽培の巨大なビーツ。つい最近は、台風で停電になり、冷蔵庫が使えなくなった千葉の農家から、ニンジン10キロ。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)へ千葉から届いた人参
千葉から届いた人参

頭をひねり、あの手この手で、これらの食材を使ったパンを創作するのは、塚本久美さん。2016年、丹波市に通販専門のパン屋「HIYORI BROT(ヒヨリブロート)」を立ち上げた、パン職人だ。ちなみに、現在はパンの注文ができない。すでにこの先3年分の注文で埋まっている大人気店なのである。

それにしても、なぜ、塚本さんのところに食材が集まってくるのか? あるいは、集めているのか? これは「パン作りは、材料ありき」「パンはひとつのメディア」と話す、ちょっと変わったパン屋さんの物語である。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん
HIYORI BROT 塚本久美さん

塚本さんの歩みは、ユニークだ。明治大学卒業後の2005年、リクルートに入社。そこでは、転職情報誌の商品企画をしていた。企業が求人広告を出したくなる、人を採用できそうな企画を考えるのが仕事だった。

ハードワークだったが、土日はこっそりパン屋さんで、販売のアルバイトをした。学生時代のパンを愛する友人と一緒にパン屋巡りをしているうちに、パンの表現の幅広さと、それを作るパン職人の仕事に興味を持ち、「私もパン職人になりたい」と思ってのことだった。

小学生の頃からNHKの番組『手仕事にっぽん』が好きだったというから、もともと職人気質だったのかもしれない。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

カリスマシェフのもとで修業

リクルートを3年で辞めた塚本さんは、縁あって東京の世田谷区にあるパン屋「シニフィアン シニフィエ」で修業を始めた。このお店のオーナーは、志賀勝栄シェフ。今日のパンブームの先駆け的存在で、パン業界では知らぬ人のいない、カリスマ職人だ。

師匠のパン作りへの姿勢が、塚本さんの原点になっている。志賀シェフは、常に新しいパンを構想していて、様々な食材を試していた。そのアイデアを形にするのが、現場の職人の仕事。塚本さんも、志賀シェフの自由な発想に翻弄されながら、見たことも聞いたこともないパンを作る日々を楽しんだ。

ちなみに、パンは焼き立てが一番!という印象があるなかで、塚本さんが通販専門という道を選んだのも、志賀シェフのもとで修業を積んだからこその決断だった。

師匠は、パンを急速冷凍させることで焼き立ての風味や食感を失わない手法を使い、取引先に冷凍パンを卸していた。そのパンは、店頭に置かれてしばらくすると劣化するパンよりも、明らかに風味が豊かで美味しかった。塚本さんは、「この方法なら店舗は必要ないし、結婚しても、出産しても、子育てしながらでも続けられる!」と閃いたのだ。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)のパン

もうひとつ、現在の塚本さんのパン作りを方向づけたのは、ドイツでの出会いだった。2011年、師匠から1カ月の休みをもらった塚本さんは、ベルリンを目指した。そこには、学生時代に友人とドイツを旅行した際、一度だけ訪ねたことがあるパン屋さんがあった。

「石臼で小麦を挽いているのを初めて見て、衝撃を受けたんです。今は日本でも石臼で挽いているパン屋さんが少しずつ増えていますけど、当時は日本で見たことがなかったから。しかも、すっごくおいしかったんですよ」

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん
塚本さんの工房にも石臼があった

ドイツでの衝撃

社会人になってからもこのパン屋さんのことが忘れられなかった塚本さんは、いつしか、ここで修業がしたいと思うようになった。そこで、ベルリンに向かう前に問い合わせのメールをしたものの、返信がない。そこで、アポなしでお店に飛び込んだ。

「この街に一カ月いる予定だから、働かせてくれませんか?」

そのパン屋さんも、驚いたことだろう。ドイツ語もままならない、日本人女性がいきなり働かせてほしいと訪ねてきたのだから。実際問題、労働ビザがなければ就労は不可能なのだが、突撃訪問に並々ならぬやる気を感じたのか、3日間の見学が許された。

そのパン屋さんは、ドイツのオーガニック認証「デメター」の最も厳しい基準をクリアしていた。食器を洗う洗剤でさえ、科学的なものは使えないというハードルの高い認証だ。使う小麦もすべて無農薬、無化学肥料で、天体の運行などによって種を播く時期や収穫時期を決めるバイオダイナミック農法で作られているものに限られていた。

近くの農家から直接仕入れた小麦は、製粉されたものではなく、袋詰めされた麦粒が届く。それを石臼で挽いて粉にする。無農薬栽培なので、袋のなかには虫が紛れ込んでいる。それが飛ぶと、巨大な掃除機で吸い込んでいく。「シニフィアン シニフィエ」でもいわゆる「小麦粉」しか使ったことのなかった塚本さんにとって、すべてが新鮮だった。

後日、ほかのパン屋さんの経営者と雑談をしている時に、日本のパンはなんでそんなに高いの? と聞かれた。「日本は、麦を作るのはあまり適さなくて、材料のほとんどを輸入に頼ってるから」と答えると、驚いた経営者はこう言った。

「うちは、だいたい50キロ圏内で取れたもので作ってると思うよ。みんな知ってる農家のものだし。だって、誰が作ったからわからないものを使うのは、怖いじゃない」

塚本さんの胸には、この言葉がずっと残り続けた。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)の工房

石見銀山での発見

それから少し時が流れ、「シニフィアン シニフィエ」を辞めて、独立に動き始めた2015年。島根県の石見銀山にあるパン屋さんのオープンに合わせて、3カ月ほど手伝いに行った。その間に、塚本さんあての食材が届くようになった。きっかけは、島根に出向く前に会った、蕎麦屋の友人との会話だった。

「久美ちゃんちょっとさ、この小麦、使ってみてくんない?」

「え?」

「うちで使っている蕎麦の農家さんが裏作で小麦を作ってるんだけど、売り先がないのよ。農協に卸すとびっくりするぐらいの安値でしか買ってもらえなくて、牛の餌になるのが関の山じゃないかって気がするの。けっこう真面目に作ってるのにそれは寂しいから、パン焼いてみて」

はい、とおもむろに渡された小麦を持ち帰った塚本さんは、それでパンを作ってみた。それが思いのほかおいしく、「開業した際にはぜひ使わせて欲しいです!」と連絡をしたところ、その農家さんもよほど嬉しかったのか、手伝い先に小麦を送ってきたのだ。その小包のなかには、小麦を作っている畑のちかくになっていたという柚子も入っていた。

そこで、今度は柚子を使ったパンを作り、友人に送り返した。それにまた大喜びした農家さんは、次に近所中から集めて、たくさんの柚子を送ってきた。手伝い先のシェフも面白がって、一緒に小麦や柚子を使ったパンを焼いた。その時に、ふとドイツでの出来事を思い出した。

「あ、ドイツのおじちゃんが言ってたあの言葉って、こういう感覚かな?」

この時、塚本さんは心に決めた。

「なるべく顔が見える生産者さんのものを使おう!」

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本さんのところに届いたブルーベリー
近所の農家さんのブルーベリーをドライに

値段交渉はしない

2016年10月、ヒヨリブロートがオープンすると、塚本さんは小麦からパンに使う食材まで、できる限り、知り合いが作ったものを仕入れるようにした。それをフェイスブックやインスタグラムで発信すると、そのうちに別の生産者から「これ使ってみてくれない?」と連絡が来るようになった。

塚本さんと生産者とのつながりは、友人知人からの紹介がほとんどで、だいたいは、メインで育てているものとは別に、趣味で、あるいは実験的にユニークな作物をこじんまりと作っている人が多かった。ただ、せっかく作ったはいいけど、売り先も使ってくれる人もいないという場合がほとんどだった。

「私に連絡をくれるのは、他の作物をしっかり作っている人が多いんです。だからポイントをつかんでいるんだと思うんですけど、たいがいすごく美味しいんですよ。それに、パン屋の中でもうちが作っている量は少ないので、少量でちょうどいいんですよね」

食材の仕入れに関して、塚本さんにはひとつルールがある。一度テストしてみて、おいしい、もっと欲しいと思った時に、安くしてほしいという交渉はしないということだ。質の高いものは、それに見合った価格で買い取る。その素材を使ってパンを作り、発信することで、生産者側の意識も変わっていった。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

冒頭に記した、青森のリンゴ農家さんは「遊びでライ麦を植えてみたんだけど」と、最初に獲れた10キロを送ってきた。国産のライ麦は少ないうえに、届いたライ麦でパンを作るとおいしかった。

その感想を伝えて、「次はきちんと購入します」と言ったところ、そのリンゴ農家さんは「買ってくれるんだったら、真面目にやるわ」と作付面積を増やしたそうだ。塚本さんがSNSでこのライ麦を紹介したところ、欲しいという人も現れて、今では塚本さんの友人も購入している。

実験の日々

時には、どうやって使えばいいんだろう? と頭を悩ませる作物も届く。しかしもともと好奇心旺盛で、志賀シェフのもとで7年間修業した塚本さんにとって、むしろ、望むところである。

例えば、八ヶ岳から届いた、無農薬栽培のビーツ。鮮やかな赤紫色が特徴の野菜で、恐らく、パンの素材として使われているのを目にしたことがある人は少ないだろう。塚本さんは、これもしっかりパンにした。

「窯で皮ごと包んで焼いて、それを生地に練り込んでみたら、すごい色になりました。ビーツは砂糖大根の一種なので、甘みがあるんですよ。だから砂糖を入れないで作ったんですけど、すごく美味しくできました」

ほかにも、ヒヨリブロートの工房には普通のパン屋さんでは見ないような食材がたくさん保管されている。

岡山にある気鋭のワイナリー「ドメーヌテッタ」から送られてきた摘果ブドウは、冷蔵庫で冷やされていた。朝イチで近所の農家さんから受け取ってきたというブルーベリーもあったし、無農薬栽培のミカンの皮、いわゆる陳皮も干されていた。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)にあった「ドメーヌテッタ」のブドウ

これらを使ってどんなパンを作るのか、工房では、日々、実験が行われているのだ。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)のパンに使われる陳皮
HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

参加型パン屋さん

実験だから、失敗することもある。麹を入れた食パンを作った時には、数日後、耳以外の部分、あの白くてふわふわしたところが溶け落ちるという事態に直面した。

塚本さんは原因がわからず、起きたことありのままをフェイスブックに投稿した。すると、ヒヨリブロートのファンのなかで、麹に詳しい人たちがどんどんコメントを寄せ始めて、ヒヨリブロートのコメント欄は麹の謎についての意見交換会の様相を呈した。

「あれは面白かったですね。私はぜんぶ理解できたわけじゃないけど、味噌麹の熱耐性はすごいなということは覚えておきます(笑)。私は、誰かの役に立つかもしれないし、と思っていつも失敗をオープンにするんですが、そうするとみんなの知恵が集まるんですよね。うちは店舗がないから、フェイスブックページが店舗みたいな感じで、すごく、うまく使わしてもらっている気がします」

ここで、「なるほどそういうことね」で終わらないのが塚本さん。なんと、溶けた食パンを買った人たち全員に連絡を取り、どう保存していたのか、溶けたのか、溶けなかったのか、ヒアリング。さらに、日本酒麹に変えた食パンを送って、全員から溶けていないかどうか、毎日、報告をもらったそうだ。

「全員に実験に参加してもらう感じで、『うちのは今日も大丈夫です』みたいに連絡を取り合いました。そうやって協力してもらいながら、麹を入れた食パンを完成させました」

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

もし、僕が自分で購入したパンが溶け落ちて食べられなくなったら、一言クレームを入れたくなる。しかし、そのパンを作った職人さんから原因を探りたいと直接連絡が来て、改善するための実験に巻き込まれると、いつの間にか「一緒に答えを探そう」という気持ちに変わる気がする。そして気づけば、塚本さんのファンになっているのだろう。

ヒヨリブロートを真似してほしい

今や、ヒヨリブロートのSNSは、影響力を持ち始めている。ある日、佐賀のチーズ屋さんがホエーを使って作ったチーズをSNSにアップした。ホエーとはチーズやバターを作る段階に出る液体で、通常だと廃棄されるもので、その試みと美味しさに感嘆しての投稿だった。すると、そのチーズの生産者のもとに続々と注文が入ったという。

その逆のパターンもある。例えば、台風が来ると、生産者は事前に作物を収穫する。台風による被害を避けるためなのだが、そうすると、市場に野菜が溢れかえり、引き取ってもらえなくなる。野菜の鮮度は落ちていく一方だから、最終的には二束三文で買いたたかれるか、廃棄処分をすることになる。

そこで、台風が来ると、塚本さんは予め「うちが定価で引き取ります」とSNSに投稿する。それを見た生産者が、市場に持っていけない作物を塚本さんのもとまで届けに来る。塚本さんはそれを適正価格で買い取り、乾燥させたり、漬け込んだり、ソースにして保存する。ヒヨリブロートは、丹波近隣の小さな経済圏のひとつの中枢になっているのだ。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

「今って、大きいサイクルより、小さなサイクルがいっぱい、いろいろなとこにあるほうが良いような気がしていて。だから、私がやることを真似してくれる人がどんどん出てきて、ライバル店がいっぱいできたらいいなぁと思うんです。

私は丹波の物を使う機会が多いけど、各地にできたら、それぞれの地元の食材を引き受けられるじゃないですか」

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

今、塚本さんのような活動をしているパン職人はほかにいないだろう。しかし、少しずつでも増えていけば、それだけ日の目を見る食材も多くなる。

未来のパン職人は、地元の生産者と二人三脚になり、いずれは、ドイツのように50キロ圏内で取れた食材だけを使うパン屋さんが生まれるかもしれない。その小さな経済圏のなかでもずっと、塚本さんは実験を繰り返しているのだろう。

HIYORI BROT(ヒヨリ ブロート)

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

兵庫県丹波市氷上町
HP:http://hiyoribrot.com/

文:川内イオ
写真:木村正史