大橋量器の「カラー枡」は、節分の豆入れ以外にも楽しめる。家族でずっと使いたくなる魅力とは

「鬼はー外!福はー内!」

みなさん、節分に豆まきはしますか?「節分=豆まき」という意識はありつつも、最近ではお子さんのいるご家庭や学校行事に限られていることが多いのかもしれません。

豆まきに欠かせない道具といえば「枡」。以前「節分の豆まきに「枡」を使うのはなぜ?邪気を払う縁起物の意味と作り方」の記事で、日本一の木枡の生産量を誇る岐阜県大垣市にある大橋量器さんの枡を取り上げました。

今日は、その大橋量器さんが生み出した、節分の後も家族で楽しめる新しい木枡をご紹介します。

伝統的な木枡を現代風にアレンジした大橋量器の「カラー枡」

カラフルな木枡が並ぶ

ズラリと並んだ鮮やかな幾何学模様。

「伝統的な木枡をもっとお洒落にポップに」という思いを込めて作られた「カラー枡」です。柄は全部で5種類。それぞれにどのような意味を持つのか、見ていきましょう。

「GIMAPOP(ギマポップ)」斜めに伸びる直線と、鮮やかな2色のコラボレーション。「枡」の持つ美しさを引き出す逸品(デザイナー:儀間朝龍)
「LIP」女性にももっと気軽に枡酒を楽しんでもらいたいという思いで考えました。リップマークは、角から飲めば飲みやすいことも教えてくれ、初めての枡酒でも安心(デザイナー:土屋美紗)
「切子」切子硝子をモチーフに「月に一度は、手軽に枡で日本酒を」という思いを込めて、どこに置いても馴染みやすいようにデザインしました(デザイナー:稲波伸行)
「8マス」慣れ親しみのある「鉢」のようなデザイン。「身近な存在になりたい」という思いと、枡の特徴的な分厚い木口を活かしたグラフィックです(デザイナー:岡田心)
「市枡」江戸時代、美貌の歌舞伎役者佐野川市松のゆかたや帯に取り入れられ、女性のあいだで大流行したことにはじまる市松模様をお洒落にアレンジしました(デザイナー:岡田心)

カラーバリエーションもそれぞれ8種類あり(GIMAPOPは2色の組み合わせが8種類)どれにしようか迷ってしまいますね。

材料はすべてヒノキを使用しています。その効能は気分をリラックスさせ、ストレスを軽減させる効果など、人間にとって目に見えない大変有益な効果があるそうです。ヒノキの香りって、なんだかほっとしますよね。

ちいさいお子さんでも安心して使えます

「大垣の枡が世界中に広まりますように」という願いが込められ、デザイナーやアーティストがそれぞれの視点から色やデザインを加えて手がけられたカラー枡。

日常的にうつわとして使ったり、文具の収納などにも活躍しそうです。枡はそもそも縁起のいいハレの日の道具。贈りものとしてもお祝いの席でもその姿通り、華やかに彩ってくれることでしょう。

<写真・商品提供>
有限会社大橋量器
http://www.masukoubou.jp
枡工房枡屋
http://www.masuza.co.jp

文・写真:山口綾子

*こちらは、2018年2月5日の記事を再編集して公開しました。

はじまりの色、晒の白

きっぱりとした晒の白や漆塗りの深い赤のように、日用の道具の中には、その素材、製法だからこそ表せる美しい色があります。

その色はどうやって生み出されるのか?なぜその色なのか?色から見えてくる物語を読み解きます。今回は、晒に見る「白」です。

はじまりの色、晒の白

白という色は日の光と密接に関わっています。

古代に存在した日本語の中で、色を指す言葉はもともとたったの4色だったそうです。それはアカ(明ける意)、クロ(暮れる意)、アヲ(生ふ、あふぐから転じて、うっすらと明るい、漠たる感じを示す)、そして明けた空が白んでいく、シロ。

新しい1日の始まりを司る「シロ」を人々が特別な色として捉えてきたことは、純白の花嫁衣裳や神話上の聖者や神様の衣などにも感じ取ることができます。

ハンカチ
明るく爽やかな印象の白は、見る人をハッとさせます
明るく爽やかな印象の白は、見る人をハッとさせます

そんな白を人工的に作り出すのは至難の技。編み出されたのが「晒し」という技法です。

もともと「日に当てて干す」という意味を持つ晒は、転じて布を白くすること、そうして白くなった木綿や麻布そのものを指すようになりました。とは言え、日に当てるだけで布が白くなるわけではないようです。

江戸時代に記された百科事典『和漢三才図会』(1713年)は、晒布の産地として大和国奈良、出羽国最上、山城国木津、近江国高宮、能登国阿部屋と宇出津、伊賀国高岡と石動(いするぎ)、越前国府中、周防国、安芸、豊州を挙げています。

その製法は、織物を灰汁と石灰でたいて不純物を取り除き、石臼で搗いて柔らかくして‥‥と、大変手間のかかるもの。最後の仕上げの工程が土地によって異なり、天日干し、雪晒し、水晒しと大きく3種類に分かれます。

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寛政元年の『南都布さらし乃記』に見られる奈良の晒し場の様子

 

中でも水晒しで有名だった大和国奈良の奈良晒は、上質な麻織物として主に武士の裃、僧侶の法衣に、また白さを好まれて茶巾にも用いられ、産業として栄えました。

各地の名産・名所を描いた『日本山海名物図会』(1754年刊行)は奈良晒を褒めて「近国よりその品数々出れども染めて色よく着て身にまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて重宝するなり」と語っています。

「染めて色よく」。白さは色とりどりの美しい染めのスタートラインでもあったわけですね。

「日に当てて干す」という原始的な所作を起源に、いくつもの手間と技術を駆使して生み出された「晒」生地は、まさに日の光のようなきっぱりとした白色。

古くから人があらゆる物事の原始の色として尊んできた色であると共に、様々な染色の出発点でもありました。これからの色をめぐる冒険にふさわしい、まさにはじまりの色といえそうです。

<掲載商品>
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オーガニック綿のチュニックシャツ 縞 白
(2点とも中川政七商店)

文:尾島可奈子

企画展「はじまりの白」

はじまりの白 中川政七商店 麻

冬は空気が澄んで、白がはっとするように美しく見える季節。明るく爽やかな印象の白の重ね着ができる、この季節ならではのアイテムを揃えた企画展が中川政七商店で開催中です。日本人が大事にしてきた白の服を纏って、新しい一年のスタートを。
https://www.nakagawa-masashichi.jp/shop/e/ev0148/

*こちらは、2016年11月13日の記事を再編集して公開しました。

全国のお雑煮を食べくらべ。ご当地のお椀でご当地のお雑煮をいただく

新年、あけましておめでとうございます。

お正月にはお正月らしい記事を。今日は「お雑煮と器」のご当地比較をお届けします。

東西でお雑煮の味付けやお餅の形が違う話は有名ですが、工芸産地の今を追いかける「さんち」編集部としては、せっかくならご当地のお雑煮はご当地のお椀でいただきたい。

各地の漆器屋さんや作家さんにお願いして、全国のご当地椀でいただくお雑煮企画、やってみました。

お雑煮の来た道

お雑煮

そもそも「雑・煮」と書くだけあって、お雑煮は平たく言えばごった煮です。

もともとは神様にお供えした食事(神饌・しんせん)を下げて氏子さんが神様と共にいただく「直会(なおらい)」に端を発し、それがお正月の年神様をお迎えするための供物をいただくことを指すようになったそうです。

さらに古くからの風習で鏡餅や大根、獣肉を食べて長寿を願う歯固め(はがため)の行事が年始にあり、要はこれらが「ごった煮」になってお雑煮が生まれた、とも言えそうです。

お雑煮に入る具材は地域によって様々。今回は漆器の産地でありかつお雑煮にも特徴のある5地域を全国から探しました。北から巡ってみましょう。

【岩手】希少な国産漆の産地・浄法寺漆器×山海の幸が光る岩手のお雑煮

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浄法寺は今では希少な国産漆の産地。

なんと日本の漆は今や98%が輸入漆だそうで、そのわずか1,2%のうちの6割を生産しているのが岩手県浄法寺です。

深々とした漆の赤色はものづくりの「色」にまつわる連載「漆の赤」でもご紹介しました。

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地元の「滴生舎」さんに器の撮影にご協力をお願いしてみると、「市を通じて無償貸し出しをしているんですよ」との驚きのお返事が。

浄法寺町のある岩手県二戸市では、個人や企業のイベントに、浄法寺のお椀やお箸を無償で貸し出しているのです。県外の人でも利用できる、太っ腹なサービスです。

お雑煮は、角餅にすまし汁。具は千切りにした野菜や高野豆腐を冷凍保存して使う「ひき菜」に、豪勢にもイクラが盛られています。そしてもう一つ、大きな特徴が。

一緒に並んだ器には、お餅をつけて食べるくるみだれが入っています。これは炒ってすりつぶしたくるみを砂糖や醤油と和えたもの。

調べたところ、お隣の青森県はくるみ生産量全国第2位(2014年度)。青森ではくるみだれをつける風習がないそうなのが不思議ですが、こうした地理関係が育んだお雑煮と言えそうです。

【東京】蕎麦文化の街で蘇った江戸漆器×ザ・関東風お雑煮

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続いては江戸漆器。雑煮をいただけるお椀を探しているんです、と問い合わせると「江戸漆器はねぇ、角ものなんですよ」と教えてくださったのは「かっぱ橋 竹むら」さん。東京の道具街・かっぱ橋の蕎麦道具漆器専門店です。

江戸漆器は蕎麦文化のある江戸で作られてきた漆器。もっぱらせいろなど四角い形のものづくりが中心で、お椀など丸い形のものはいわば専門外。

昔はお椀などをつくる職人さんもいたそうですが、今ではすっかりいなくなってしまったそう。

これは早くも全国縦断の危機‥‥かと思っていたら、竹むらさんや有志の方で復刻させたお椀があるそうです。それがこちら。

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江戸の夢と書いて江夢椀(こうむわん)。復元は椀ものの得意な福井の生地、漆を使ったそうです。産地によって得意な形があることを学びました。

お雑煮は岩手に続いて角餅にすまし汁。ザ、関東風で、東京出身の私には、馴染みのあるところです。

【長野】木の国生まれの木曽漆器×長野らしいお雑煮

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中山道の北の入り口に位置する旧檜川村(現・長野県塩尻市)を中心に、夏は涼しく冬は厳しく寒いという漆塗りに適した気候の中で育まれた木曽漆器。

交通の利もあり産業として栄えました。現地の山加荻村漆器店さんがすすめてくださったお椀は、スッとした高台に艶やかな赤、ふっくらとした蓋つきのシルエットがいかにも雑煮椀という風情です。

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お雑煮は切り餅に再び、くるみだれ。

木曾からは北になりますが、北信州の伝統的なお雑煮で、ご家庭によってお雑煮の上にすっぽりとタレをかぶせたり、別の器に分けたりがあるようです。

実は長野、くるみの生産量日本一。ここにもご当地ならではの食材が取り入れられています。

ちなみに岩手と違うのは、くるみだれにお豆腐を和えていること。岩手と比べるとふんわりと白っぽいのがわかります。

【奈良】漆器発祥の地で受け継がれる奈良漆器×関西でも珍しいきな粉のお雑煮

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お酒に銭湯、様々な文化の発祥の地と言われる奈良ですが、実は漆器も奈良発祥と言われています。

仏教伝来とともに天平の時代には螺鈿などをまとった美しい工芸品として職人が腕を競いました。

次第に社寺と結びついてその技術を継承しながら、後世には茶の湯文化の発達とともに奈良漆器は受け継がれ発展してゆきます。

このお椀は奈良に生まれ育ち、独立された漆芸作家・阪本修さんによるもの。

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お雑煮はここから味付けもお餅もガラリと変わります。

白味噌仕立てにお餅は丸餅。ここまでは関西のスタンダードですが、なんといっても奈良のお雑煮の特徴は、お餅にきな粉をつけること。

こうして見ると、中のお餅を別の味付けで味わう、という文化は全国にあるのですね。

【香川】独特の塗り技法が美しい香川漆器×白味噌仕立て・あん餅入りのお雑煮

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江戸時代に藩主保護のもと発展し、独自の塗り技法である「後藤塗り」の模様が美しい香川漆器。

このお椀をご紹介いただいた「川口屋漆器店」さんによると、「後藤塗りは古くから地元で親しまれている塗りなので、お雑煮椀として使用するケースは多いかもしれません」とのこと。

もともと茶道具に塗られる技法だった後藤塗りは、塗りの堅牢さ、美しさから座卓、小箱、盆などにも塗られるようになったそうです。

最初は黒みがかった赤色で、使い込むほどに鮮やかな赤色に変化し、経年変化も楽しめます。

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お雑煮はまたしても甘味が続きます。香川のお雑煮は白味噌仕立ての汁にお餅はあん餅。

奈良の場合はノーマルの丸餅にきな粉をつけて甘く味わいますが、香川のお雑煮はお餅自体がすでに甘いのです。ちなみに柏餅や大福は入れてはいけません!


全国ところ変われば器もお雑煮も多種多様。

ちなみに石川県は角餅と丸餅の端境にあって地域によってお餅の形が異なり、日本最南端の沖縄では、お正月にお雑煮を食べる文化はないそうです。

もちろん今日ご紹介したメニューも、ほんの一例。たとえ同じ地域でもご家庭によって具や味付けはまた異なると思います。

当たり前と思っていた文化が、実は隣の人とは全く違うかも。うちではこう、あっちではこう、とぜひ違いを楽しんでお雑煮談義に花を咲かせてみてくださいね。

<関連商品>
中川政七商店
日本全国もちくらべ

<取材協力>
・浄法寺漆器:滴生舎二戸市
・江戸漆器:かっぱ橋 竹むら
・木曽漆器:山加荻村漆器店
・奈良漆器:阪本修さん
・香川漆器:川口屋漆器店

<参考>
小学館『日本大百科全書』
農林水産省「特用林産物生産統計調査 特用林産基礎資料平成26年」<http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001149816>(2016/12/20参照)
信州ふーどレシピ「くるみのお雑煮」<http://www.oishii-shinshu.net/recipe/recipe-nagano/3796.html>(2016/12/20参照)

文:尾島可奈子
写真:眞崎智恵

この記事は2016年12月22日公開の記事を、再編集して掲載しました。

だるまの目はすぐに入れよう!意外と知らないだるまの飾り方

高崎だるま「三代目だるま屋 ましも」の職人に教わる。だるまの目入れ、由来、選び方

みなさんのお家に「だるま」はありますか?

だるまと聞いてすぐに思い浮かぶのは、選挙で当選した議員さんが片目を墨入れする姿。ところが200年続くだるまの産地の職人さんにお話を伺うと、どうやらだるまに対して誤解していることや、暮らしが楽しくなるような活かし方があるようです。

身近なようで意外と知らない、あの赤くて丸い縁起ものの正体に迫ってみましょう。

だるまの一大産地、高崎に行ってきました

東京駅から普通電車で2時間、新幹線「とき」に乗れば1時間ほどで到着。改札を抜けると早速、大きな大きなだるまがお出迎えです。

ここは群馬県高崎市。ターミナル駅である高崎駅に展示されていた巨大だるまは、毎年大変な人出で賑わう「だるま市」のPR用のものでした。

今度の高崎だるま市は1月1・2日に開催です
今度の高崎だるま市は1月1・2日に開催です

高崎市は、年の瀬が近づくと「だるまの生産が最盛期を迎えています」とのニュースが毎年決まって流れる、全国でも有数のだるま生産地。

安定してカラリとした空気のこの一帯は、型に紙を重ね貼りして作る張子(はりこ)のだるま作りに適しており、冬の農閑期の農家の副業として発展しました。

生産量は2011年には年間90万個にものぼり、地域には50以上のだるま屋さんがあるそうです。

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駅から車で10分ほどのところにあるのが、だるま職人 真下輝永(ましも・てるなが)さんの店舗兼工房「三代目だるま屋 ましも」さん。

大小色も様々なだるまが所狭しと並ぶ店内は、そのまま奥の工房と繋がり、タイミングが合えばだるまの絵付けなどの様子を間近で見ることができます。

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お店の奥にはたくさんの特大だるまが。
お店の奥にはたくさんの特大だるまが。
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お邪魔したのはまさにだるま作りの最盛期の頃。ひっきりなしに注文の電話が入り、奥では職人さんが二人がかりで大きなだるまの絵付けをしています。

真下さんも、さっそくご自身の持ち場に戻って、束になった注文書とにらめっこしながら絵付けの筆を取り始めます。

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「人の数だけ、願いがあるからね」

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ボソリと語られた言葉の意味を伺おうとすると、

「12月はお正月に飾るだるまへの名入れの最盛期なんですよ」

とお店の奥から出て来られた女将さんの真下玲子さんが声をかけてくれました。

地域の人は年内のうちにだるまを買っておいて、お正月に飾るのが恒例だそうです。真下さんは筆で、だるまの胴体に注文された方のお名前や祈念する内容をしたためていたのでした。

多い時には1日100個以上名入れすることも
多い時には1日100個以上名入れすることも
使い込まれた絵の具入れ
使い込まれた絵の具入れ

地域によっても違うだるまの種類。顔と文字に注目

だるまの命とも言える「顔描き」は全国の産地によって特徴が異なり、高崎だるまでは、眉は鶴を、ヒゲは亀を表すという縁起づくしのお顔です。真下さんの工房では絵付けを数名の職人さんで分担して行いますが、その仕上げの工程である顔描きと名入れは、真下さんが一手に担います。

文字入りのだるまは全国的にも珍しく、高崎だるまのもうひとつの特徴でもあります。

「職人はヒゲと文字が書けたら一人前です。経験年数より、これはセンスですね」

おめでたさがぎっしりと詰まっただるまさんの顔
おめでたさがぎっしりと詰まっただるまさんの顔
絵付け前の状態。「七転び八起き」を支える台座がよりはっきり見て取れる
絵付け前の状態。「七転び八起き」を支える台座がよりはっきり見て取れる
こんな小さなだるまにも、サラサラと筆が進む
こんな小さなだるまにも、サラサラと筆が進む

だるまの目は、初めから入れて飾るが吉

だるまというと、選挙の時に目を入れるのが有名ですね、と言うと、意外なお話を聞かせてくれました。

「駅の大きなだるまは、両目が入っていたでしょう。だるまは『目』にその魔除け力があります。江戸時代に視力を失う病が流行って、大きな目のだるまが人気になりました。ですからその当時は、黒々と両目が入っていたんですよ。

ただ、願掛けのものですから、そのうちに買い求める人から目の入れ方に注文が付くようになった。それでお客さんに自分で目を入れてもらうのがいいだろう、と片目や白目のだるまが出てきたと聞いています。

願いが叶ってからだるまに目を入れるイメージは、テレビの時代に入って強くなりました。選挙選で当選した議員さんが筆で目を入れる姿が印象的だったのでしょうね。本来は仏像と同じように神聖なものですから、両目が入っていた方が何よりパワーが発揮されます。

飾る際も、初めから両目を入れておくのがおすすめですよ」

まさかだるまの目入れのイメージが、テレビの影響だったとは。お客さんの納得がいくように自分で目を入れてもらう、というのも、今の商売にも通じるような発想の転換です。神聖な存在に、少しずつエンターテイメント性が加わってきたものが、今のだるまさんの姿のようです。

ちなみにこれは東日本に多いだるまさんだそうで、西日本では黒目の鉢巻きだるまが多いそうですよ。

女将さんおすすめ だるまの選び方

店内の一角には手のひらサイズから両手でも抱えきれない特大サイズまで、大きさ見本のだるまがずらりと並ぶコーナーがあります。サイズの単位は「丸(まる)」。いちまる、よんまる、と呼んでいるそうです。丸々としただるまさんらしい、愛らしい響き。それぞれどんな人がどんな時に注文するのでしょうか。

下段が10丸未満のもの、中断は10〜20丸、上段は30〜60丸まで並ぶ
下段が10丸未満のもの、中断は10〜20丸、上段は30〜60丸まで並ぶ

「ご自宅用ですと今はマンション住まいにも合う、2.5丸が人気です。結婚式だと4丸、両親への贈り物だと8丸が多いですね。

選挙だるまは、昔は60丸が多かったのですが、今は20丸くらい。政治家は守りたい人が多いでしょう、願いが大きいと、大きいだるまになるんですね。解決したい悩み事が大きいときには、大きいだるまさんを買って、だんだん小さくしていくのがおすすめです」

酉の市の熊手と同じように、だるまも買い換える毎に大きくするイメージでしたが、なるほど縁起物らしい買い方を伺えました。もうひとつ面白かったのが、群馬県出身のカップルに多いという、結婚式での活用方法。

「結婚式にご招待した方のお名札代わりに、名入れした1丸(手のひらサイズ)のだるまを置くんです。小さいサイズなら名入れしても価格も手頃ですし、そのままお客さまがお土産に持って帰れるので、喜ばれているようです」

店内にはウエディング用のだるまコーナーも
店内にはウエディング用のだるまコーナーも

確かに、参列した人にはこれ以上ない縁起の良い手土産ですね。しかも自分の名前入りというのは嬉しい。

「自分の名前が入るとだるまさんがまた格別な存在になります。うちに名入れを頼まれた方も、取りに来て実物を見ると『まぁ!』と目を輝かされますね。他にもご友人が会社を立ち上げる際に、お祝いに会社のロゴ入りを贈られる方もいらっしゃいます」

いつでも身近に。覚えておきたい、だるまの飾り方

今日1日でだるまさんが一気に身近になりました。ちなみに家での飾り方ってあるのでしょうか?

「だるまさんは魔除けなので、玄関に向けて飾ってください。力が発揮できるように、袋からは出しておいてくださいね。置き場所はどこでも構いません。ただ、自分にとって身近なところに置いて、初めに願を掛けた時のことを時々思い出して欲しいんです。だるまさんは、思いや願いの物質化ですから」

真下さんの「人の数だけ、願いがある」との言葉が思い出されました。

例えば家族そろって、来年もまたいい年になりますようにと願いを込めて。新郎新婦が、自分たちの門出を祝ってくれる人たちへの感謝の印に。難しい試験に挑戦する友人への応援に。大きなチャレンジをするときの、自分の味方として。

人の数だけある願いを、だるまはお腹に秘めています。

「だるまは願いがある限り、生活に欠かせないんだよ」

再びボソリとつぶやかれた真下さんの言葉を頭の中で響かせつつ、工房を後にしました。

三代目だるま屋 ましも
群馬県高崎市八千代町2-4-5
027-386-4332
http://www.mashimo-terunaga.com/index.html

<関連商品>
富士山だるま

招き猫だるま

幸運の白鹿だるま

だるまみくじ

<参考>
小学館『日本大百科全書』
群馬県達磨製造協同組合公式サイト(2016/12/23時点)
高崎市公式サイト「高崎だるまの歴史」(2016/12/23時点)

文・写真:尾島可奈子
*こちらは、2016年12月27日の記事を再編集して公開いたしました

1年の締めくくりに、1年の始まりに。“導きの神さま”が鎮座する「和布刈神社」へ

潮が渦を巻いていた。水面は激しく揺れ動き、岩壁にぶち当たっては白い飛沫を上げている。荒々しい海原には無数の貨物船が忙しそうに行き交っていた。

優しくはない潮風に頬を打たれ、見上げれば、長くて大きな関門橋。轟々と音を立てながらこちらからあちらへ、あちらからこちらへと多くの車が走り行く。

そこには目まぐるしく、忙しない時間が流れていた。一方で──。

麓(ふもと)には、雑多な日常からすっぽりと抜け落ちたような場所がある。さまざまなものが動きを止め、息を潜めているような。現代の時間軸とは少し違う流れにあるような、そんな空間が。

北九州の和布刈神社 関門海峡からすぐ
関門海峡側から望む拝殿(撮影:Takumi Ota)

福岡県北九州市。九州の最北端に位置し、関門海峡を目前に望むという圧倒的なロケーションに佇む「和布刈神社(めかりじんじゃ)」である。

和布刈神社の神紋
神紋は八重桜。御祭神が陰の神さまであることから片方だけに印を入れてある

心を清め、整えてくれる場所

「変化の多い現代人にとって、古来より変わらないこの場所が、一つの原点といいますか、見失いがちなご自身に改めて立ち戻り、心をリセットして、また新たな一歩を踏み出せるような、そんな場所でありたいと思っています」

北九州の和布刈神社の高瀬和信さん

そう話すのは第32代目の神主にあたる高瀬和信さんである。

2019年12月。「和布刈神社」は中川政七商店の工芸再生支援を受け、新しく生まれ変わった。いや、本来の姿を取り戻したというほうが言い得ているだろうか。

追求したのは“和布刈神社の在るべきすがた”だ。

創建1800年。社伝によると、三韓(現在の朝鮮半島)討伐に向かう神功皇后(じんぐうこうごう/勇敢なる女帝と称される)が、神の教えを受けて勝利を収めたことからこの神社をつくられたとか。

北九州の和布刈神社の古文書

その神というのが、天照大御神の荒魂「瀬織津姫(せおりつひめ)」という月の女神である。月の女神は陰陽において陰の神であるとされ、穢れを払う禊ぎの神さま。

さらに瀬織津姫は、潮の満ち引きを司る“導きの神”として、関門海峡を望み、人々の行く道を照らし続けてきたという歴史をもつ。

敷地の奥に鎮座する大きな磐座(いわくら)は古代よりここにあり、海をわたる船乗りや漁師たちの道標となり、灯台の役割も果たしてきたという。

和布刈神社にある巨大な磐座
海を渡る人々を1800年以上も前から見守り続ける巨大な磐座

和布刈神社とは、日常的に蓄積する穢れを削ぎ落とし、心を清め、自らの気持ちを整えて、また日常に立ち向かうことができる ──そんな“導きの場所”なのだ。

さらに高瀬さんは続ける。

「そもそも神社とは八百万の神々を崇拝する場所です。日本では古来、神は万物に宿ると考えられ、太陽・月・風・雷・山・土・川・海など、この世に在るすべての自然=神ととらえてきました。

自然に感謝し、共存しながら生きることが日本人の原点です。

ところが現代人は利便性ばかりに気をとられ、当たり前のこうした事実を見失いがちになっている。欲望を満たし、暮らしやすさを追求するあまり、逆に生きにくくなっているのではないかと思います」

北九州の和布刈神社の高瀬和信さん

「もっとシンプルでいい。

太陽や月に感謝し、木・火・土・金・水といった自然を大切に生きること。自然を尊ぶ心こそが、人の心を本当の意味で豊かにしてくれる。そんなことをきちんと感じられる場所にすることこそ、和布刈神社の在るべき姿なのかなと思うんです」

「影と光」の授与所

和布刈神社の「授与所」はほかの神社とは、まったく違う。

和布刈神社の授与所
和布刈神社の授与所・外観

授与所とは、御守や縁起物などの授与品をお渡しする場所のこと。一般的にはいわばお店のように販売されているが、「ここでは御守をお渡しする意味を改めて追求した」という。

テーマは「影と光」。

瀬織津姫が陰の神であることに由来する。また天井を低くしたのは「人と人の距離を近くして一体感が生まれるように」するためであり、低い畳の小上がりにしたのも「重心を低くすることでただ流されるのではなく、ここでちゃんと受け賜るといった気持ちになってもらうため」とか。

北九州の和布刈神社の授与所の中

御守を授与する際、単に陳列されたものを渡されるのではなく、同神社では一つの儀式が受けられる。中央に配置された受け岩の上に御守を重ね合わせ、神職が上から鈴振りをしてくれるのだ。

北九州の和布刈神社の授与所の中
「イメージは穴蔵です」と高瀬さん。神職が御守一つ一つに鈴振りをしてくれる
和布刈神社の授与所にある磐座 神さまの御霊を分けていただく
中央にはご神体の一部の「磐座(いわくら)」が置かれている
和布刈神社の授与所
神聖なる鈴の音が授与所に鳴り響く

「ご神体である磐座に御守を置いて、その上から鈴の音が降り注ぐことで、神さまの御霊を分けていただくことができるんです」

御守は単なるモノではない。神の御霊が宿っているという、その重みやありがたみを肌で感じることができる。

人の心を“導く”手助けとなる授与品

御守や縁起物などの授与品も、同神社ならではだ。

和布刈神社のお守りや御朱印帳
左から御朱印帳、五行御守、一年幸ふくみくじ(上・ふぐ)、和布刈神社みくじ、干珠御守(中央下・左)、満珠御守、清め塩、献上わかめ

和布刈神社は太陽が沈む西に面して建つ。西の色は「白」とされ、「再生」や「始まり」を意味することから、授与品はすべて「白」を基調としている。

和布刈神社の蔵版目録
明治20年頃にまとめられた蔵版目録

神紋やマークも新しくつくるのではなく、古い資料を読み起こし、かつて使われていたもの活かして使用した。

北九州の和布刈神社の神紋
八重桜をモチーフとした神紋は、高貴な女性=月の女神を象徴するとか

たとえば「満珠御守/干珠御守」は、和布刈神社の御神宝「満珠」と「干珠」をモチーフにした御守だが、それぞれに役割がある。

「幸運や安産、招福など増やしたいことや叶えたい願いがある場合は満珠御守を、厄除けや病気平癒など減らしたいことや断ち切りたい願いがあるなら干珠御守をお授けしています」

また「五行御守」には木・火・土・金・水と5種類あるが、こちらもそれぞれ意味が違う。木は成長や発展を願う人に、火は良縁や情熱、金は調和や繁栄というように、五行思想に基づき、叶えたい願い、求める導きごとに選ぶことができる。

北九州の和布刈神社のおみくじ
関門海峡名物のふぐに見立てたおみくじも

ほかにも創建より続く和布刈神事にちなんだ「献上わかめ」や、荒々しい海よりいただいた「清め塩」なども用意。

ちなみに“和布刈”とは「わかめを刈る」という意味である。わかめは万物に先駆けて自然に繁茂するという縁起の良いものとされている。

そして和布刈神事は、毎年旧暦の元日(2020年は1月25日)に執り行われる祭事のこと。神功皇后が海の神から授かった「満珠/干珠」を、和布(わかめ)や荒布(あらめ)に見立て、神職が刈り取る儀式であり、福岡県無形民俗文化財に指定されている。

刈り取った和布は万病に効くと伝えられ、朝廷や領主に献上されていたという記録も残る。そんな縁起のいい和布を授与品にしたのが「献上わかめ」なのである。

北九州の和布刈神社

人は海に還り、神となる

また高瀬さんは数年前、古来の日本人の弔い方の一つである「海葬」を改めて取り入れた。

「日本では有史以前からの自然信仰において、祖先の御霊は自然に還ると考えられてきました。つまり亡くなった人は自然に還り、神さまになるということ。その家の守り神となるのです」

和布刈神社の海葬
散骨の際にはお清めの酒と榊を添えて。祈念を込めて海にまく

先ほど西向きは、再生や始まりを意味すると書いたが、散骨をするのも西である。再生やはじまりを意味すると同時に、黄泉の国へ向かうための方角とされているためだ。

導きの神さまが司る、人生最後のお導き。1800年の間、関門海峡を見守り続けてきた和布刈神社ゆえの弔い方である。

和布刈神社の海洋散骨遥拝所
境内には海洋散骨遥拝所があり、いつでも故人を偲ぶことができる

新しいことに挑戦するとき、穢れを払い清めたいときに

和布刈神社の拝殿では、誰もが祈願を受けられるという。

北九州の和布刈神社の神殿
夕陽を浴びる拝殿は、静かで、美しい

たとえば新しいことに挑戦するときや、穢れを払って身を清めたいとき。卒業や入学などの人生の節目や、結婚や転職といったターニングポイントに。

北九州の和布刈神社拝殿
拝殿に座っていると波の音や汽笛が聞こえる

潮に満ち引きがあるように、人生にだって希望に満たされるときもあれば、悩みに埋もれて押し潰されてしまいそうなときもある。

「そんなとき、和布刈神社のことを思い出していただけたら。古来より変わらぬ和布刈神社に来てご自身を見つめ直していただけたら、また新しい一歩を踏み出せるようになるのではないかと思います」

北九州の和布刈神社からの景色

参拝をして振り返ると、水の帯がキラキラと輝いていた。その瞬間だっただろうか。頭の中は空っぽになり、時代を超えてもなお変わることなくそこに在り続ける自然をただただ感じた。

和布刈神社を後にした帰り道、心はなんだかスッとしていた。


和布刈神社

福岡県北九州市門司区門司3492番地
093-321-0749
公式HP


文:葛山あかね
写真:藤本幸一郎

大掃除に使いたい、日本の掃除道具3選

こんにちは。さんち編集部です。

大人になると、1年経つのがあっという間です。ここ数年はいつも「もう今年も残り1ヶ月かぁ」と12月を迎えている気がします。

お雑煮とお年玉を楽しみにしていた子どもの頃とは違い、大人の年末年始は大忙し。年賀状を書き、1年間お世話になった家や会社を掃除して、年末のご挨拶。台所ではせっせとおせちを作り、年越し蕎麦の準備を始めます。

ああ忙しい忙しいと言いながらもワクワクしてしまう、より良い年を迎えるための、年末年始の家しごと。1年を振り返り、これからを考えるこの時節に、日本の暮らしの工芸品を取り入れてみたいと思います。

本日は日本独自の習慣、大掃除に使いたい日本の掃除道具をご紹介します。

1. 和歌山の棕櫚箒 (しゅろほうき)

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自宅で箒を使ったことがありますか?小学生の時に教室の掃除で使ったきり‥‥という方も多いのではないでしょうか。ほうきの中でも美しい道具といえばこの棕櫚箒 (しゅろほうき)。

棕櫚とはヤシ科シュロ属の常緑高木のこと。南九州や四国、和歌山などで栽培され、1877年 (明治10年) 頃より和歌山県野上谷地域でたわしやほうきなどを製造する「棕櫚産業」へと発展しました。

自然素材でありながら丈夫で長持ちな棕櫚を使用した棕櫚箒は「一生に3本あれば足りる」と言われ、大切に使えば15年から20年使えるそうです。

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「たわしにも使う素材」と言うとなんだか硬そうで、床を傷つけてしまいそうですが、私たちが一般的に想像する硬いたわしはパーム素材でできています。棕櫚は当たりがやわらかく、棕櫚でできた箒はフローリングや畳に適していて掃除機よりも床にやさしいそう。

また、棕櫚素材は繊維表面が特殊なため埃や髪の毛を絡め取り、長年かけて磨くことによって畳やフローリングにツヤが出てくるのだとか。毎日床を育てる感覚で使うのも良いですね。

1930年頃より棕櫚製品の加工を始めたという高田耕造商店の棕櫚箒。実用品として使い続けたくなる本物の生活道具を作り続けていきたいと、現在でも一本一本和歌山の自社工房にて作られています。産地に生まれた職人の気概を感じる美しい生活工芸品です。

和紙でできたちりとり「はりみ」。黒塗りは高田耕造商店の別注カラーです
和紙でできたちりとり「はりみ」。黒塗りは高田耕造商店の別注カラーです

大掃除はもちろんのこと、夜遅くでもお隣を気にせずササっとお掃除できるので、普段のお掃除にも便利そうですね。

2. 大阪のトタンバケツ

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日本のお掃除の基本はやはりバケツと雑巾。自分の手を使ってするお掃除は大変だけれど、年に一度の大掃除。1年間お世話になった家への感謝を込めて、自分の手で、普段は手が届かない隅々まできれいにしたいものです。

木の把手が冷えた手にもやさしくかわいい
木の把手が冷えた手にもやさしくかわいい

何の変哲もない絵に描いたようなバケツですが、トタンはサビにも強く、とっても丈夫な素材。それほど広く知られてはいませんが、大阪は大阪金物団地があるなど金属加工の盛んな街。

かつて「天下の台所」と呼ばれ、文化・技術がここに集まっていた背景から、高度な加工技術を持ち、現在でも美術工芸的なものではなく、日常的で身近な製品が多くつくられています。

トタンを使ったタライやバケツもそのひとつ。一見すると大量生産の工業製品のようだけれど、大正12年創業の大阪の町工場で職人の手しごとによって生まれています。無駄のない美しい形と丈夫さは質実剛健そのものです。

3. 奈良の蚊帳生地ふきん

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新年を迎えるにあたって、古くなったものを新調するご家庭は少なくないのではないでしょうか。タオルに歯ブラシ、スポンジや下着などの消耗品を新しく買い換えると、なんだか気持ち良く新しい年をスタートできる気がします。

台所で使うふきんもその中のひとつです。毎日使って少しくたびれてきたふきんはこのタイミングで新調したいもの。でも、このふきん、まだ役目は終えていません。大掃除の道具としてもうひと仕事してもらいましょう。

蚊帳生地ふきんはやわらかいので女性でもしぼりやすく、水切りが良い。繊維も出ないので雑巾としても優秀です。もちろん雑巾用に縫っていただいても構いませんし、丈夫なのでそのままでも。

昔ながらの製法で織り上げられた蚊帳生地は奈良の特産品です。中川政七商店の「花ふきん」は、その蚊帳生地を2枚重ねて縫い合わせた大判で薄手のふきん。

大きく広げたり小さく折ったりと、そのときどきで形を変えながら、料理用から台所用、お掃除用へと長く使える働きものです。使い続けてふわふわのクタクタになった姿はお疲れさまと声をかけたくなる愛おしさ。

仕事を終えたふきんはふわふわで気持ち良い
仕事を終えたふきんはふわふわで気持ち良い

中川政七商店の「花ふきん」は、毎年8月7日に行われる奈良東大寺の大仏さまの「お身拭い (おみぬぐい) 」でも使われ、なんと大仏さまの身体を拭いているのは「花ふきん」だそう。蚊帳生地の品質の高さが伝わってくるエピソードです。大仏さまとお揃いだなんて、お家もよろこんでくれるかも。

工芸と迎える新年、次回は食卓道具へと続きます。

<掲載商品>
しゅろのやさしいほうき 五玉 焼檜柄 短 (高田耕造商店)
はりみちりとり 大 (高田耕造商店)
トタン製バケツ 10型 (土井金属化成株式会社)
花ふきん (中川政七商店)

文・写真:さんち編集部


*この記事は2016年12月5日公開の記事を、再編集して掲載しました。