潮が渦を巻いていた。水面は激しく揺れ動き、岩壁にぶち当たっては白い飛沫を上げている。荒々しい海原には無数の貨物船が忙しそうに行き交っていた。
優しくはない潮風に頬を打たれ、見上げれば、長くて大きな関門橋。轟々と音を立てながらこちらからあちらへ、あちらからこちらへと多くの車が走り行く。
そこには目まぐるしく、忙しない時間が流れていた。一方で──。
麓(ふもと)には、雑多な日常からすっぽりと抜け落ちたような場所がある。さまざまなものが動きを止め、息を潜めているような。現代の時間軸とは少し違う流れにあるような、そんな空間が。
福岡県北九州市。九州の最北端に位置し、関門海峡を目前に望むという圧倒的なロケーションに佇む「和布刈神社(めかりじんじゃ)」である。
心を清め、整えてくれる場所
「変化の多い現代人にとって、古来より変わらないこの場所が、一つの原点といいますか、見失いがちなご自身に改めて立ち戻り、心をリセットして、また新たな一歩を踏み出せるような、そんな場所でありたいと思っています」
そう話すのは第32代目の神主にあたる高瀬和信さんである。
2019年12月。「和布刈神社」は中川政七商店の工芸再生支援を受け、新しく生まれ変わった。いや、本来の姿を取り戻したというほうが言い得ているだろうか。
追求したのは“和布刈神社の在るべきすがた”だ。
創建1800年。社伝によると、三韓(現在の朝鮮半島)討伐に向かう神功皇后(じんぐうこうごう/勇敢なる女帝と称される)が、神の教えを受けて勝利を収めたことからこの神社をつくられたとか。
その神というのが、天照大御神の荒魂「瀬織津姫(せおりつひめ)」という月の女神である。月の女神は陰陽において陰の神であるとされ、穢れを払う禊ぎの神さま。
さらに瀬織津姫は、潮の満ち引きを司る“導きの神”として、関門海峡を望み、人々の行く道を照らし続けてきたという歴史をもつ。
敷地の奥に鎮座する大きな磐座(いわくら)は古代よりここにあり、海をわたる船乗りや漁師たちの道標となり、灯台の役割も果たしてきたという。
和布刈神社とは、日常的に蓄積する穢れを削ぎ落とし、心を清め、自らの気持ちを整えて、また日常に立ち向かうことができる ──そんな“導きの場所”なのだ。
さらに高瀬さんは続ける。
「そもそも神社とは八百万の神々を崇拝する場所です。日本では古来、神は万物に宿ると考えられ、太陽・月・風・雷・山・土・川・海など、この世に在るすべての自然=神ととらえてきました。
自然に感謝し、共存しながら生きることが日本人の原点です。
ところが現代人は利便性ばかりに気をとられ、当たり前のこうした事実を見失いがちになっている。欲望を満たし、暮らしやすさを追求するあまり、逆に生きにくくなっているのではないかと思います」
「もっとシンプルでいい。
太陽や月に感謝し、木・火・土・金・水といった自然を大切に生きること。自然を尊ぶ心こそが、人の心を本当の意味で豊かにしてくれる。そんなことをきちんと感じられる場所にすることこそ、和布刈神社の在るべき姿なのかなと思うんです」
「影と光」の授与所
和布刈神社の「授与所」はほかの神社とは、まったく違う。
授与所とは、御守や縁起物などの授与品をお渡しする場所のこと。一般的にはいわばお店のように販売されているが、「ここでは御守をお渡しする意味を改めて追求した」という。
テーマは「影と光」。
瀬織津姫が陰の神であることに由来する。また天井を低くしたのは「人と人の距離を近くして一体感が生まれるように」するためであり、低い畳の小上がりにしたのも「重心を低くすることでただ流されるのではなく、ここでちゃんと受け賜るといった気持ちになってもらうため」とか。
御守を授与する際、単に陳列されたものを渡されるのではなく、同神社では一つの儀式が受けられる。中央に配置された受け岩の上に御守を重ね合わせ、神職が上から鈴振りをしてくれるのだ。
「ご神体である磐座に御守を置いて、その上から鈴の音が降り注ぐことで、神さまの御霊を分けていただくことができるんです」
御守は単なるモノではない。神の御霊が宿っているという、その重みやありがたみを肌で感じることができる。
人の心を“導く”手助けとなる授与品
御守や縁起物などの授与品も、同神社ならではだ。
和布刈神社は太陽が沈む西に面して建つ。西の色は「白」とされ、「再生」や「始まり」を意味することから、授与品はすべて「白」を基調としている。
神紋やマークも新しくつくるのではなく、古い資料を読み起こし、かつて使われていたもの活かして使用した。
たとえば「満珠御守/干珠御守」は、和布刈神社の御神宝「満珠」と「干珠」をモチーフにした御守だが、それぞれに役割がある。
「幸運や安産、招福など増やしたいことや叶えたい願いがある場合は満珠御守を、厄除けや病気平癒など減らしたいことや断ち切りたい願いがあるなら干珠御守をお授けしています」
また「五行御守」には木・火・土・金・水と5種類あるが、こちらもそれぞれ意味が違う。木は成長や発展を願う人に、火は良縁や情熱、金は調和や繁栄というように、五行思想に基づき、叶えたい願い、求める導きごとに選ぶことができる。
ほかにも創建より続く和布刈神事にちなんだ「献上わかめ」や、荒々しい海よりいただいた「清め塩」なども用意。
ちなみに“和布刈”とは「わかめを刈る」という意味である。わかめは万物に先駆けて自然に繁茂するという縁起の良いものとされている。
そして和布刈神事は、毎年旧暦の元日(2020年は1月25日)に執り行われる祭事のこと。神功皇后が海の神から授かった「満珠/干珠」を、和布(わかめ)や荒布(あらめ)に見立て、神職が刈り取る儀式であり、福岡県無形民俗文化財に指定されている。
刈り取った和布は万病に効くと伝えられ、朝廷や領主に献上されていたという記録も残る。そんな縁起のいい和布を授与品にしたのが「献上わかめ」なのである。
人は海に還り、神となる
また高瀬さんは数年前、古来の日本人の弔い方の一つである「海葬」を改めて取り入れた。
「日本では有史以前からの自然信仰において、祖先の御霊は自然に還ると考えられてきました。つまり亡くなった人は自然に還り、神さまになるということ。その家の守り神となるのです」
先ほど西向きは、再生や始まりを意味すると書いたが、散骨をするのも西である。再生やはじまりを意味すると同時に、黄泉の国へ向かうための方角とされているためだ。
導きの神さまが司る、人生最後のお導き。1800年の間、関門海峡を見守り続けてきた和布刈神社ゆえの弔い方である。
新しいことに挑戦するとき、穢れを払い清めたいときに
和布刈神社の拝殿では、誰もが祈願を受けられるという。
たとえば新しいことに挑戦するときや、穢れを払って身を清めたいとき。卒業や入学などの人生の節目や、結婚や転職といったターニングポイントに。
潮に満ち引きがあるように、人生にだって希望に満たされるときもあれば、悩みに埋もれて押し潰されてしまいそうなときもある。
「そんなとき、和布刈神社のことを思い出していただけたら。古来より変わらぬ和布刈神社に来てご自身を見つめ直していただけたら、また新しい一歩を踏み出せるようになるのではないかと思います」
参拝をして振り返ると、水の帯がキラキラと輝いていた。その瞬間だっただろうか。頭の中は空っぽになり、時代を超えてもなお変わることなくそこに在り続ける自然をただただ感じた。
和布刈神社を後にした帰り道、心はなんだかスッとしていた。
和布刈神社
福岡県北九州市門司区門司3492番地
093-321-0749
公式HP
文:葛山あかね
写真:藤本幸一郎