すぐに実践できる、大人がゆかたを楽しむポイント

気づけばすっかり初夏のような陽気。薄着になることも増えるこの季節、ゆかたでお出かけするのもおすすめです。そこで今日は、ゆかたを着こなすためのポイントをご紹介します。

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自由なアレンジでゆかたを楽しむポイント

プロ直伝、初心者でも簡単に楽しめるゆかたの着こなし術。「こんなに自由にアレンジができるのか!」という驚きのスタイリングがたくさんです。

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産地:東京

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着たいゆかたを自分でつくる。縫い物が苦手な私でもできた体験記

ミシンなし、技術なし、でも「自分にあったゆかたが欲しい!」その一心で、縫製初心者がすべて手縫いで一着の浴衣を完成させるまでの体験をまとめました。

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知っておきたい、ゆかたのお手入れと保管方法

自宅でできる浴衣のお手入れ・メンテナンス方法

ゆかたを着た後、どのようにお手入れすれば良いか困ったことはありませんか?翌年また愉しめるように、保管しておく方法をご紹介します!

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産地:東京

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ゆかたに合わせて持ち歩きたい。夏の手ぬぐい活用術を専門店に聞く

ハンカチよりも大きくてタオルより場所をとらない手ぬぐいは、汗をかく季節にぴったり。今回は、「手ぬぐい専門店にじゆら」さんに“夏”を入り口にした手ぬぐいの楽しみ方を伺いました。

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産地:堺

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ゆかたに似合う温泉名物「湯かご」とは?

道後温泉の湯かご

ゆかたを着たら、小物にもこだわりたい方へ。浴衣に湯かごを合わせたら、とってもかわいいんです。

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産地:愛媛

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。

「花ブロック」は何が優れているのか?専門家に聞く特徴と歴史

沖縄の建物といえば、赤瓦屋根と並んで特徴的なのがコンクリート造りの家。

沖縄の外壁はそれぞれ個性がありますが、代表的なデザインといえば「花ブロック」。

代表的な花ブロック
花ブロックとは、コンクリートブロックに空洞を作って柄をデザインした、沖縄生まれの建築素材です

どんなものがあるのか、街を歩いてみましょう。

ブロック塀として使われる
ひし形と波の形は、沖縄のみならず、全国で活用されているデザイン
バルコニーのあしらいで使われる花ブロック
正方形のブロックにデザインが施されているものが多くありました
バルコニーや屋上などの柵として使われることも
バルコニーや屋上などの柵として使われることも
沖縄県警察運転免許センターの壁に使われている花ブロック
沖縄県警察運転免許センターの壁に使われている花ブロック。カーテンウォールとして機能していました

建物に個性を与えてくれる花ブロック。沖縄県外でも目にしますが、沖縄ほどバリエーションがあり、多く使われている家はないように思います。どのような機能から重宝され、沖縄の暮らしに馴染んできたのでしょう。

県内の花ブロックの80%以上を製造する、合資会社山内コンクリートブロックでお話を伺ってきました。

合資会社山内コンクリートブロック 代表の安里享 (アサト ススム) さん
合資会社山内コンクリートブロック 代表の安里享 (あさと すすむ) さん

沖縄の「住まいの悩み」をブロックが解消した

「戦前、沖縄は木造建築ばかりでした。終戦後、米軍が軍の施設や住宅を作るために手動のブロック製造機を沖縄に持ち込みます。それを見て、アメリカからカタログを取り寄せて機械を自作した地元企業がありました。そして翌年には、沖縄で最初のブロック製造業者が創業します。

木造建築は度々台風で壊れてしまいますし、かといって金属は潮風で傷んでしまうため使えません。コンクリート建築は台風による被害に強く、シロアリにも蝕まれず、潮風にも影響されません。それまでの沖縄の住まいの悩みを解消してくれる素材だったのです。

また、セメントや砂など主要原料が地元で調達可能で、小規模の生産設備でも製造ができました。沖縄にとって複数の好条件がそろい、戦後の復興期に生産が急拡大していったのです」

強い日差しを和らげたコンクリートブロック

「亜熱帯気候の沖縄は、日差しがとても強いです。日差しを和らげ、影を作って風を通そうという考えのもと、ブロック塀が広がったと言われています。

最初は、ただ積み上げられただけのブロック壁でした。しかし、それでは家の中に光が入りません。そこで、ブロックの積み方を変えて穴が見える形にし、強い日射しを遮る一方で、穴から柔らかい光と風を取り入れられるようにしました。これには、外の景色が入り込む開放感を残しつつ、人の視線も適度に遮断しプライバシーを確保する働きもありました。

さらには、その穴を四角や丸に変えてデザイン性を高めた方がいました。沖縄を代表する建築家のひとり、故・仲座久雄さんです。こうして、実用性と美観を兼ね備えた花ブロックが生まれ、広がっていきました」

適度な日陰を作りながら風と光を取り込む
適度な日陰を作りながら風と光を取り込んだ美しいバルコニー。沖縄は気温も湿度も高いですが、海に囲まれているため爽やかな風が吹く地域。ひとたび日陰に入ると心地よい「涼」を感じられます (撮影協力:あいレディースクリニック)
同じ建物を外側から見たところ。レースのようなデザインが涼しげでありつつ、プライバシーを担保する機能も担っていることがわかります
同じ建物を外側から見たところ。レースのような透け感が涼しげでありつつ、プライバシーを保護する機能も担っていることがわかります (撮影協力:あいレディースクリニック)

花ブロックのデザインは100種類!

街を歩いていると、珍しいデザインの花ブロックに出会うこともあります。いったいどれくらいの種類があるのでしょうか。

「創業当時は3〜4種類ほどでしたが、お客様の要望で独自の型を作ってきた結果、100種類近くまで増えました。商業施設やマンション、リゾートホテルなどで様々なオリジナルデザインを見つけていただけると思いますよ」

新しいデザインの花ブロック
新しいデザインの花ブロック。波をモチーフにしています
新しいデザインの花ブロック
前後で傾斜がついた奥行き感のあるデザインもありました

「お客様の要望で」と一口に言う山内コンクリートさんですが、その成形の裏側には見えない苦労が多くあるのだとか‥‥。

「花ブロックは、セメントと潮抜きした海砂、強度を高めるための砕砂 (さいさ=天然の岩石を細かく砕いて作った砂) を混ぜ合わせたものを型に流し込み、形を整えプレスし、型から外した後に一晩乾燥させて完成します。

コンクリートは強度と作りやすさのバランスを考えながら、混ぜ合わせる水分量を決めていきます。

強い日差しの中での強度を担保するためには、水分量を少なく調合する必要があります。水分が多いと、日差しで乾燥した時にひび割れてしまうのです。

生コンクリートのように水分が多いと型の隅々まで流し込ませやすく成形しやすいのですが、ブロックのパサパサした原料の場合、なかなかそうはいきません。そのため、細かいデザインの場合には苦戦します。

型から抜き取りやすいように、少し傾斜をつけてもらうなど、建築士の方やデザイナーさんと相談しながら、形を作ってきました」

乾燥した砂のような原料を型に流し込み、プレスして形を作ります
乾燥した砂のような原料を型に流し込み、プレスして形を作ります
棚に置いて、一晩乾燥させます
棚に置いて、乾燥させます
成形された花ブロック
編み物のように立体感のあるラインが折り重なるデザインは、製造が特に難しいのだそう
編み物のように立体感のあるラインが折り重なるデザイン。製造が特に難しいのだそう。製造工程のお話を思い出しながら眺めると、ため息が出ますね

地域の工芸と結びついたネーミング

ところで、なぜ「花」ブロックという名前なのでしょう?花の形をモチーフにしているものばかりではないように感じました。

「このことに関しては、立命館大学の磯部直希先生が研究をされています。

その仮説によると、花ブロックは『花織 (はなうい) 』に代表される、琉球王国時代の織物から来ているのではないかと考えられています。

花織の『ハナ』は植物の花の形を表しているのではなく、文様やパターン自体を意味する語として用いられているものです。花ブロックの『花』も、テキスタイルの豊かさに近く、工芸的な側面を持つと言えるのではないか、というのが磯部先生の説です」

古くからある花ブロックの名称を見ていると、たしかに織物を想起するものが出てきます。

「カスリ」という名前の花ブロック。織物の絣のデザインからの連想で生まれたのだそう
「カスリ」という名前の花ブロック。織物の絣のデザインから着想を得て生まれたのだそう
建築家の内井昭蔵さんデザイン。沖縄を代表する織物のミンサー織がモチーフになっているそう
沖縄を代表する織物の「ミンサー織」がモチーフになっている「M」シリーズ

沖縄で長きにわたり親しまれてきた花ブロックは、いま改めてその美しさや機能が見直され、各地でデザインに取り入れられています。コンクリート壁に個性と表情を与え、涼空間を生み出してくれるため、県内にとどまらず、全国から問い合わせがあるそうです。

東京でも、スカイツリーや渋谷ヒカリエなどの商業施設で取り入れられています。他にどんな場所で使われているかな?と意識して歩いてみると、近くの住宅街でも見つけることができました。

沖縄の住まいの工夫から生まれ、琉球時代から続く工芸品の美意識を取り入れてデザインが磨かれてきた花ブロック。成形の難しさを乗り越えて今ここにあると思うと、なんだか愛おしく感じます。

この町にはどんな花ブロックがあるだろう?と、いろんな場所で探してみたくなりました。

<取材協力>
山内コンクリートブロック
沖縄県西原町字小那覇1184-1
098-945-1542
https://www.yamauchi-cb.jp/

<撮影協力>
沖縄県警察運転免許センター
あいレディースクリニック

<参考文献>
「仲座久雄と「花ブロック」 ―戦後沖縄にみる建築と工芸― 」(2014年 磯部直希)
「戦後沖縄における『花ブロック』の変成 ―研究動向の整理と現地調査報告―」(2015年 磯部直希)
「沖縄建築士」創刊号 (1957年 沖縄建築士会)

 

文:小俣荘子
写真:武安弘毅

※こちらは、 2018年7月5日の記事を再編集して公開しました。

タイル好き必見。アートなタイルを巡る、小旅行スポットたち

見ているだけで楽しい、カラフルなタイル。壁や床など、その土地でしか見られない模様も多く、旅先でタイルに注目してみると面白いんです。今回は、編集部が見つけた、素敵なタイルが見られる場所を紹介します。いざ、アートなタイルを巡る旅へ。

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京都から多治見まで、美しきタイルアートを巡る小旅行

京都で人気の元銭湯を活かしたカフェ。年間来場者数を半年も経たず達成してしまった博物館。共通点は強くて美しいタイルでした。今日は銭湯に行ったつもりで、湯船の向こうに覗く美しきタイルアートの世界を訪ねてみましょう。

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産地:多治見

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京都の近代美術工芸「泰山タイル」

京都にある老舗の喫茶店や、歴史ある花街の建物など、ふとしたところで目にする色とりどりのタイル。実はこのタイル、国内の歴史的建造物にも多く用いられた、京都が誇る美術工芸品のひとつでした。

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産地:京都

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常滑「世界のタイル博物館」

マジョリカタイル回廊
マジョリカタイル回廊

和製タイルの歴史展は終了しましたが、INAXライブミュージアムでは世界のタイル博物館が常設しています。紀元前から近代まで、タイルコレクションの中から約1000点を展示し、装飾タイルの発展の歴史を紹介している日本で希少なタイルの博物館です。

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産地:愛知

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日本のタイル発祥の地「瀬戸」

瀬戸本業窯 窯垣の小径

陶磁器のうつわ全般を指して「瀬戸物」という言葉があるほど、日本を代表する焼きもの産地、瀬戸。日本で最初のタイルが生まれた土地でもあるそうです。

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産地:瀬戸

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<番外編>

タイル作りから始まった陶板名画

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」のレプリカ

ここは、世界で初めての「陶板名画美術館」。当初、陶板は地元鳴門の白砂を活用したタイル作りから始まった取り組みでした。

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産地:徳島

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。

折り畳み傘が生まれた理由──そして行き着いた「超軽量」という選択

こんにちは。THEの米津雄介と申します。

THE(ザ)は、ものづくりの会社です。漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発しています。

例えば、THE ジーンズといえば多くの人がLevi’s 501を連想するはずです。「THE〇〇=これぞ〇〇」といった、そのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

ここでいう「ど真ん中」とは、様々なデザインの製品があるなかで、それらを選ぶときに基準となるべきものです。それがあることで他の製品も進化していくようなゼロ地点から、本来在るべきスタンダードはどこなのか?を考えています。

連載企画「デザインのゼロ地点」、今回のお題は「折り畳み傘」です。

梅雨の時期には欠かせない傘。
僕は手に何かを持って歩くのが好きではないのでレインウエア派だったのですが、ここ数年は折り畳み傘を持ち歩いています。

今回は、傘嫌いだった僕が常に持ち歩くに至った傘のデザインの進化をご紹介いたします。

洋傘・和傘・頭にかぶる笠などの歴史に伴う形状の違いや、雨傘・日傘などの用途や機能・素材の違いなど、話が多岐に渡ってしまいますが、可能な範囲で雨傘に焦点絞りつつ、折り畳み傘のデザインのお話ができたらと思います。

神具から生まれた「傘」の歴史

傘を使っていたという世界最古の記録は約4000年前のエジプトやペルシャ。
祭礼のときに神の威光を表するものとして神像の上にかざしていたそうです。

アジャンター壁画
wikipedia参照

一般的に使われだした古代ギリシャでは日傘として従者に持たせるものでした。
東洋でも道具としての目的は主に魔除け。ヨーロッパでも富と権力の象徴であり、用途は日傘が主だったそうです。

フランスのピエール・セギエ
wikipedia参照

出自が神具や日傘だったのは少し意外ですね。他の用途はあれど、雨を避けるために生まれたものだと思っていました。

そして、18世紀頃にイギリスで現在の傘に近い構造のものが生まれていますが、やはり当初は女性の日傘。男性は帽子で雨を避けるのが一般的だったようで、男性が雨傘を使うということはファッション的にも相当に変わったことだったようです。19世紀近くなってやっと少しずつ男性が雨傘を使うことに抵抗がなくなってきたとのことです。

世界的にも早い段階で「雨傘」を使っていた日本人

一方日本では、欽明天皇(509年〜571年頃)の時代に朝鮮半島から和傘に近いものが伝わったそうです。

開閉ができるものではなかったようですが、平安時代に製紙技術の進歩や竹細工の技術を取り込んで改良され、平安時代末期から鎌倉時代初期の「鳥獣戯画」にも、雨を避けるためにカエルが蓮の葉を傘のように持っている姿が見られます。

「鳥獣戯画」東京国立博物館像
「鳥獣戯画」東京国立博物館像 提供:東京国立博物館

さらに、鎌倉時代の「一遍聖絵」という絵巻物には、頭にかぶる笠と雨傘の両方が描かれています。しかも画像左下には畳まれた傘が描かれていて、この頃には既に親骨と小骨で構成された番傘の原型が存在していたことがわかります。

「一遍聖絵」国立国会図書館像 提供:国立国会図書館ウェブサイト
「一遍聖絵」国立国会図書館像 提供:国立国会図書館ウェブサイト

室町時代には和紙に油を塗布する事で防水性を持たせ、現在と同じ用途で広く使用されるようになりました。
それと共に傘を専門に製作する傘張り職人が登場し、さらに江戸時代になると分業制が発達したことでより広く普及するようになったとのことです。

京和傘
京和傘 wikipedia参照

つまり、日本人は世界的に見てもかなり早い段階で雨傘を使っていたことになります。

ちなみに、世界の主要都市の多くは日本と同緯度圏内にありますが、その中でも日本は圧倒的に降雨量が多い国です。海に囲まれ、急峻な山地があり、水流が速く、山地全体の保水量が多い。

おかげで緑が多く地形のバリエーションも豊かで、自然の恩恵を多大に受けている国だと思うのですが、湿度が高く衣類が乾燥しにくいため、濡れることを嫌う人が多いそうです。

1人あたりの傘の所持数でも日本は世界1位(日本3.3本・世界平均2.4本)、1本の傘にかけるお金も世界平均の1.8倍(日本約22ドル・世界平均12ドル)と、日本人と傘は関係が深いことが伺えます。(weather news調査・n=38,603)

では現在使われている雨傘としての洋傘はいつから日本に根付いたのでしょうか?

日本最古の洋傘の輸入記録は江戸後期の1804年(文化元年)。
長崎に入港した中国からの唐船の舶載品目の中に「黄どんす傘一本」との記述が見られます。これが現在、洋傘として特定できる最古の記録とされるものです。

それから程なくして多くの日本人が洋傘を目にしたのは1853年の黒船来航でした。上陸した水兵たちが洋傘をさす様が多くの野次馬の目に触れ、数年後の1859年(安政6年)には本格的に輸入されることになります。

ただ、江戸時代には洋傘はまだまだ高級な舶来品で、一般市民の手に渡ることはなかなかなかったそうです。

そしてついに明治に入ると洋傘の国内生産が始まります。明治18年に国として特許制度が導入されますが、明治23年には「蝙蝠傘・自動開」という特許登録がされています。

国産品が生まれたことでコストが下がり、明治~大正にかけて一気に庶民の手に行き渡ります。明治後期には日本から海外への主要輸出品目にまでなっていたそうです。

明治時代の傘広告
明治時代の傘広告 wikipedia参照

折り畳み傘の登場

さて、やっと「折り畳み傘」の登場です。

少し時間が飛びますが、折り畳み傘は1928年にドイツのハンス・ハウプト氏の考案によって世の中に生まれました。同年に特許を取得し、その特許をもとにKnirps社(クニルプス社)が製造・販売を開始します。

日本でも1950年前後にいくつかのメーカーが折りたたみ傘を開発しています。

中でも、1954年に開発されたアイデアル社(旧・丸定商店)のスプリング式折り畳み傘は、1回の動作で開閉ができることや植木等さん出演のCMによって国内で爆発的にヒットしました。1960年代の洋傘市場は年間2500万〜3200万本ほど(ちなみに現在1億3000万本)。当時アイデアル社は市場の3割以上のシェアを占めていたそうです。

1954年に開発されたアイデアル社(旧・丸定商店)のスプリング式折り畳み傘広告

その後も、機構によるコンパクト性能や耐風性(耐久性)など、日本人お得意のブラッシュアップが次々と成されていきます。

1965年には従来二段折り式だったものを三段折り式に改良、加えて真鍮だった素材はアルミ合金に、ナイロン生地から国産化に成功したポリエステル生地への改良など、今日の傘生産の基礎が作られていきました。

高度経済成長と同時にどんどん進化を遂げた日本の折り畳み傘ですが、機構や材質の劇的な変化は現在では生まれにくくなっていると思います。

これは他の製品にも当てはまることですが、昭和の時代には次々に新素材や新技術が生まれ、それが「みんなが求める進化」である確率が高かった、つまり材料から加工まで、工学や化学分野の進化がわかりやすく生活に直結する時代でした。

一方で現在では「生活に直結するわかりやすい進化」はなかなか生まれにくくなっています。
ただ、技術の進化だけが製品開発やデザインの拠り所ではありません。例えば環境が変わればそれに伴う道具にも変化が訪れます。

超軽量折り畳み傘

折り畳み傘の話に戻りますが、僕がここ数年使っているのは「超軽量折り畳み傘」です。

なんだそんなことか・・と思うかもしれませんが、ここに開発やデザインにおける取捨選択の大事な要素が詰まっていると思うのです。

この超軽量折り畳み傘は何社かで発売されているのですが、本当に驚くくらい軽い。

86gのものを使っていますが、現行のiPhone Xが174gなので半分以下の重量。カバンに入っていることを忘れてしまうほどの軽さです。
もちろんレインウエアよりも小さくて軽いので重宝しています。

一方で軽さ以外の面で製品としてどうかというと、広げた大きさは50cmとかなり小さめ(一般的な傘は60cmが多い)で、堅牢性や耐久性という側面から見ても「本当に大丈夫?」と思ってしまう少し華奢な作りです。

ただ、実際に毎日持ち歩いてみて思ったのは、雨の中を長時間歩く機会の少なさです。そもそも都市部は屋根のあるところが多く、僕が物心ついたこの30年くらいでも、交通インフラはかなり整備されました。また、地方でも車移動が多く、長時間雨にさらされながら歩くという機会はかなり減っています。

広げた時には小ぶりで少し華奢な作りのこの傘は、暴風雨の中で使えるようなものではありませんが、もともと折り畳み傘は「もしかしたら降るかも・・」といった場合の保険に近いものだと考えると、軽さに重きをおくのは理にかなっています。

天気予報の精度向上や軽自動車の普及、そして都市インフラの整備など、超軽量折り畳み傘は、技術の進化よりも環境の変化で生まれた側面が強いプロダクトと言えそうです。(もちろん軽量化のための材質改良はありますが)

KIU AIR-LIGHT UMBRELLA ¥3,240(税込)
KIU AIR-LIGHT UMBRELLA ¥3,240(税込)
5本骨で軽量化を図り90g。UVカット率は色によって変わりますが、80〜90%以上ですので日傘としても使えます。
mont-bell トラベルアンブレラ  ¥5,616(税込)
mont-bell トラベルアンブレラ  ¥5,616(税込)
6本骨で86g。7デニールという極薄で撥水性能の高い生地で繊維の保水を防ぎます。

ちなみに、上記の超軽量折り畳み傘はどちらも二段折り式で、折り畳んだときの長さが21〜23cmくらいになります。三段折り式であれば15cmくらいにはなりそうですが、実は三段折り式には折り畳んだときに濡れている側が表にきてしまう、というデメリットがあります。

単純に強度不足や重量増、そしてコストといった問題で二段折り式になっているのかもしれませんが、機能のバランスとしても最良の選択だと思います。

技術がある程度成熟した中で生まれた「良い塩梅」な製品たち。
生活環境の変化に伴ってデザインのゼロ地点も緩やかに進化していくのだと思います。

デザインのゼロ地点「折り畳み傘」編、如何でしたでしょうか?

次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。

米津雄介
プロダクトマネージャー/経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp

大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。

※こちらは、2018年6月26日の記事を再編集して公開しました。良い塩梅な折り畳み傘を持ち歩いて、梅雨の時期も快適に過ごしたいですね。

デザイナーが話したくなる「萬古焼の耐熱土瓶」


10年以上商品のデザインをしている岩井さんが「こんなに試作品を作ったことはない。」と、感慨深そうにずらっと並んだ試作品を愛おしそうに見ていました。

お茶を家で誰でも美味しく飲むためには、と考えたお茶の道具。
その工程で出来たのがこのたくさんの急須と土瓶と湯呑のサンプルなんです。(実は写りきれてないものがまだまだありました。。)

煎茶と玉露用の急須、焙じ茶用の土瓶。
今回は土瓶のお話を聞きました。




美味しい焙じ茶を家で飲みたい。
私の中では、煎茶よりもざっくりと入れて飲めるお茶という印象。

美味しく淹れる秘訣は、この土瓶の名前でもある「耐熱」。そう、直火にかけられるんです。焙じ茶の適温は100℃なので、沸騰したてで保温力もある土瓶なら美味しく淹れれるということなんですね。土瓶で沸かしたお湯は、遠赤外線の効果でまろやかになります。陶器は保温力も高く、冷めてきても温めなおしも簡単です。




直火を可能にしたのは、萬古焼の技術でした。昔から、耐熱に強い焼き物として私たちの生活で広く使われてきました。
そこで直火で漢方薬などを煎じる薬土瓶を昔から作っている、明治20年創業の三重県の竹政製陶さんにお願いすることに。今回、オリジナルの土瓶として、耐熱陶器だけど艶のある釉薬にしたい、内側に目盛りを付けたいという相談をしました。しかしこの要望には、職人さんも難しい顔に。。




実は耐熱陶器は一般的には、マットな仕上がりのものが多いんです。
艶のある釉薬は相性が悪く、うまくのらなかったり、割れてしまったりするそうで、好んで使われることはありません。しかし、岩井さんが時間をかけて熱意を伝え続けた結果、職人さんが試作品を作って下さったそうです。最初の試作品は製品としてたくさん作ることは難しい状態だったのですが、そこから何度も何度も釉薬を調整していただき、希望の色と艶感に仕上がったのです。




内側の目盛りも成形方法上、外側に装飾は可能だけれど、内側に何かを施すということはかなり難しいということなんです。
しかし、今回の美味しくお茶を淹れることを解決するための、簡単にお湯を適量計るための目盛りはなくてはなりません。これまた、大試行錯誤です。
釉薬で目盛りを描いても、焼くと流れて消えてしまう。凹みをつけても、釉薬で埋まってしまう。いろいろな方法を考えながら、釉薬を撥水させて線を表現することに成功したんです。
もちろん、その作業もひとつひとつ内側に手を入れて正確にラインを付けるという手仕事です。

釉薬の調整、目盛りの調整、たくさんの試作品を目の前に職人さんの努力に頭が下がる思いと、新しいことへの諦めない挑戦の気持ちに尊敬の思いでいっぱいになりました。


見た目に大きく見えるかもしれませんが想像よりも軽く、直火にかけても持ち手は素手で持てました。お湯がまろやかになるなら、白湯をいただくのにもいいですよね。岩井さんも毎日これでお茶を沸かしているのだとか。
こだわりの落ち着いた釉薬の仕上がりと、やかんのように大きすぎないサイズが使いやすく暮らしに馴染みますね。
 






<掲載商品>
萬古焼の耐熱土瓶 飴

デザイナーが話したくなる「有田焼の絞り出し急須」


10年以上商品のデザインをしている岩井さんが「こんなに試作品を作ったことはない。」と、感慨深そうにずらっと並んだ試作品を愛おしそうに見ていました。

お茶を家で誰でも美味しく飲むためには、と考えたお茶の道具。
その工程で出来たのがこのたくさんの急須と土瓶と湯呑のサンプルなんです。(実は写りきれてないものがまだまだありました。。)

煎茶と玉露用の急須、焙じ茶用の土瓶。
今回は急須のお話を聞きました。



まず、お茶を美味しく淹れるとは?

普段の私は、なんとなく茶葉を入れてポットからこれくらいかな?という量のお湯を入れて、これくらいかな?という時間で湯呑に注ぐという、なんとも適当に入れています。
お茶は、「茶葉の量」「お湯の量」「お湯の温度」「抽出時間」の決まりを守れば、美味しく淹れることができます。
一応私も分かってはいるのですが、毎回ちょうどいい茶葉の量は茶さじですくうのは難しいし、お湯の量を計るということは、なかなか手間で億劫になります。




これを道具で解決できないかと考えたのが、はじまりだったのです。
茶葉が計れる茶さじ、お湯の量がわかる急須を作れば、「量」の部分は簡単に解決できるのではないか。
出来上がったものを見れば、これぞ一目瞭然の機能と美しさを兼ね備えた仕上がり。

内側の目盛りは一目盛り140mlで満水の目盛まで湯を入れると280mlになり、70mlを1杯分として4杯分の煎茶を淹れられます。
有田焼の白は煎茶の緑が美しく映え、磁器製のため吸水性が低く、においがつきにくく、日本茶の繊細な香りや色を最大限に引き出すことができます。絞り出し急須は、最後の一滴まで美味しくいただけるうえに、茶こしの穴や段差がなく洗いやすい。
しかし、使いやすくて美しい急須が出来上がるまでは、気が遠くなるような試行錯誤が待っていたんです。




煎茶や玉露を淹れる急須として宝瓶(ほうひん)というものがあります。一般的に持ち手が付いていない、急須のような形をしています。この宝瓶(ほうひん)を参考に、家でも気軽に使えるものを作りたいと考えたのです。
たっぷりの容量がほしいから高さが必要。
気軽に持ちやすいように持ち手をつけたい。
持ち手は所作が美しい横手を採用したい。
この考えを元に、有田焼の窯元さん、そして型をつくる原型師さんと試行錯誤を繰り返すことになります。

絞り出しの形に注目していた私ですが、試行錯誤の一番の肝は「横手」だったんです。
高さが必要だけど、高くなると横手の重さに引っ張られてフォルムが歪む。
横手を短くすれば重さは軽減されるが持ちにくい。
高さを出さずに横幅を広くすると、デザインがぽってりする。
何度も何度も原型師さんと相談し、試作を繰り返したそうです。

思わず「持ち手って付けるだけじゃないんですか?」と聞き返したことを後悔しました。。




横手は焼く途中で、最初に付けた位置から下がってくるものだとか。
それを考慮して、焼き上がってきた時に、理想の持ちやすい位置になるように、最初に付ける角度を決めるというのです。これは、焼いてみないとわからないので、下がりすぎたり高すぎたりを、何度も繰り返して調整するのです。




もちろん急須の特徴である絞り出しの口も、簡単に出来たわけではありません。
茶葉が出にくく、それでいて注ぐ量が確保される、溝の深さと本数を追求し、切れがよく後引きしない注ぎ口のフォルムを調整するのです。




忘れてはいけないのは、お湯の量がわかる目盛り。デザインのフォルムが少しでも変わると、目盛りの位置も微妙に変わるので、毎回容量を計算し直し、図面を書き直す。こうして煎茶に必要な140mlと280mlがきっちり計ることができる目盛りを実現しています。
小さな汲み出しは玉露に適量な35mlが入ります。一目盛りで4杯淹れることができるので、美味しい煎茶が淹れれるようになったら、ぜひ玉露にも挑戦してみてください。実は、話しながら気がついたのですが、煎茶の汲み出しと玉露の汲み出しを重ねたら、ちょうど急須の中に収まるので、収納時に場所をとらないんです。煎茶の汲み出しだけなら3つ重なりますよ。


簡単そうで適当に入れてしまっている毎日のお茶。
「本当に窯元さんと原型師さんにお世話になったんです。」と感慨深い岩井さんと、ずらっと並んだ試作品を前に、少し恥ずかしくなりました。これからは、簡単だけど適当ではないお茶の時間で、美味しい一休みをさせていただきます。