中川政七商店が残したいものづくり #06染物

中川政七商店が残したいものづくり
#06 染物「注染手拭い」


商品三課 村垣 利枝


てぬぐいは、ハンカチより大きなキャンバス一面に大胆に絵を描くことができ、毎日持ち歩くことも、飾ることも、ちぎって使うこともできる自由な布です。
そういったところが好きで、私もてぬぐいに絵を描いて染めてみたいと考えていました。
有難いことに夢が叶い、現在てぬぐいのデザインに携わっています。
 
中川政七商店ではいろいろな技法の手ぬぐいを企画しますが、多くは「手捺染」と「注染」で作っていて、中でも注染は染めの理屈が分からないと図案を描くこともできません。
注染てぬぐいのデザインの初めの一歩は工場見学に行くところから始まります。
 
私も手拭いの産地、大阪堺の工場に見学に行きました。
 

そもそも「注染」とは20数メートルほどの生地をジャバラ状に重ね合わせ、その上から染料を注ぐことで1度に約25枚のてぬぐいを染めることができる、大阪でうまれた技法です。
工程は複雑で、大まかに説明すると以下のようなことが1工程1工程職人の手作業によって行われていきます。
 
生地の上に型紙を置き、その上から染まって欲しくない部分に防染糊を置く「糊置き」

染色台(せんしょくだい)にのせて調合した染料を注ぎながら染める「注染」

防染糊を落とす作業「水洗い」

天井の高い屋根のあるところで干す「乾燥」
 
例えばこの干支のてぬぐいもシンプルな絵柄ですが、生地を紺色に染め、ねずみのシルエットの外側紺色部分に糊をつけ、ねずみの体部分の色を白く抜きながら耳や鼻は広く染まりすぎないように境界線を糊で引き、慎重に注ぎ染めていきます。
 
どこを白く抜くか、どれくらいの幅の線で描けばいいか、色が混ざらないようにどう配色を考えるか。逆に色が混ざった美しさをどこで出すか。
技法を知りはじめて「どうやって描こうか」わくわくすることができました。
 


今お話しした工程は染めだけの話で、染める前には生地を織る人、生地を染められる状態に整える人、生地に色をつける場合は生地を染める人がいて、染める型を作る人がいます。
染めた後は洗ってしわくちゃの生地を伸ばして、カットする人。商品になるように折りたたむ人。
1枚の布はたくさんの人の手を渡り、てぬぐいとなりお店に並びます。
また、殆どの工程が分業で行われているため、一社廃業してしまうと他を探すか、自分たちでその工程を担わなければならなくなります。
先日も整理加工(生地を染められる状態に整える人)業者が1社廃業されたそうです。
てぬぐいのさんちには作り手が減りつつある危機感もあります。
 
なんとなくてぬぐいが好きだった私ですが、注染がどれだけ貴重なものか、どれだけ奥深いものか。
そのものを深く知ることでもっと好きになり、てぬぐいの見え方が変わりました。
 
注染に注ぎ込まれた思い、技術をこれからも伝えていきたいと思います。
 
商品名:注染手拭い 干支玩具 子
工芸:注染手拭い
産地:大阪府堺市
一緒にものづくりした産地のメーカー:株式会社協和染晒工場
商品企画:商品三課 村垣利枝

紀州備長炭と一般的な木炭との違いは?炭焼き職人に作り方から聞いてみた

最高品質の木炭。紀州備長炭をつくる若き職人たち

炭といえば備長炭。そう連想するほどに聞き馴染みのあるものですが、実は、備長炭にもいくつかの産地があり、その産地名を冠して「紀州備長炭(和歌山)」「土佐備長炭(高知)」「日向備長炭(宮崎)」などと分類されています。

中でも最高品質として知られるのが、備長炭発祥の地、和歌山で作られる「紀州備長炭」。

備長炭の中でも最高品質とされる紀州備長炭
備長炭の中でも最高品質とされる紀州備長炭

火力の強さや燃焼時間の長さなどに優れており、全国の料亭や炭火を使用する飲食店を中心に広く使われています。

備長炭の中でもっとも高価とされ、すなわち、世界一高価な木炭です。

そんな紀州備長炭の生産量で国内一を誇る和歌山県日高川町で、製炭を生業とする炭焼き職人さんに話を聞きました。

日高川町
日高川町 炭焼き窯
町営の研修所も兼ねた炭焼き窯

大阪市内から車で約2時間。和歌山県中部の山あい、少し開けた道路沿いにある炭焼き窯。

そこで迎えてくれたのは、3名の若者でした。

湯上彰浩さん
湯上彰浩さん
湯上彰太さん(手前)と藤本直紀さん(奥)
湯上彰太さん(手前)と藤本直紀さん(奥)

曽祖父の代から続く製炭業の四代目、湯上彰浩さん(31)。その実弟で、この道すでに10年以上の炭焼き職人である湯上彰太さん(30)。そして彰浩さんの幼馴染で、昨年末から働いている藤本直紀さん(31)。

町内に50人ほどいる炭焼き職人の中でも、かなり若いこの3名は、町営の製炭研修所も兼ねたこの炭焼き窯を拠点に、日々、備長炭づくりをおこなっています。

当日はちょうど窯の補修作業中だった湯上さん。少しの間手を止めて、こちらの質問に答えてくれました。

窯の良し悪しが備長炭の品質を左右する

「炭焼きというと、とにかく毎日木を焼いていると思われがちです。でも実際は、窯に原木を入れてから備長炭に仕上がるまで、うちの場合でだいたい2週間かかる。月に2回焼き上がるサイクルです。

まず、入り口で薪を焚いて窯の温度を上げていきますが、この時点では原木に直接火はつけない。蒸し焼き状態にして、1週間ほどかけて水分を飛ばします。

焚き火をイメージしてもらうと分かりやすいのですが、いきなり火をつけて燃やしてしまうと、ぼろぼろの燃えかすしか残らず、商品になりません」

湯上彰浩さん

水分を飛ばすのになんと1週間。その間も、ただ薪を焚き続けていればよいかというと、そうではありません。

「1週間に1度か2度、薪の火を消して入口を閉じ、温度を上げすぎずに水分を飛ばす時間を取るようにしています。

当然、休みなく焚き続けた方が炭になるのは早いのですが、どうしても品質が悪くなる。

ちょうどよく水分が抜けて、そしてちょうどよく原木に火が付く、そのタイミングを見極める必要があります」

こちらの窯はちょうど入り口を閉じて、水分を飛ばしているところ
こちらの窯は、入り口を閉じてじっくり水分を飛ばしているところ

微妙に水分が残ってしまうだけで、見た目には分からなくても、手に持った時に「軽い」と感じる低品質の仕上がりになるとのこと。

「窯の中の温度が一定以上になると、原木の上の方から自然に火がつきます。

そこからは、酸素穴を開けて空気の量を調整し、また1週間ほどかけて炭化させていく。

酸素の量をどんどん増やして、少しずつ炎を立たせて、炭の燃え具合や締まり具合を見ながら、今!というタイミングで取り出します」

炭を取り出す様子
炭を取り出す様子(画像提供:湯上彰浩)

取り出す際、真っ赤に燃えた状態の炭に灰をかけて急激に消火し、白い灰を被った「白炭(しろずみ)」の状態で完成させます。備長炭と呼ばれるものは基本的にすべてこの白炭なんだとか。

灰をかけて仕上げる白炭
灰をかけて仕上げる白炭
灰がかかって白く見えるため、「白炭」と呼ばれる
灰がかかって白く見えるため、「白炭」と呼ばれる

これに対して、バーベキューで使用するような、軽くてすぐに燃える炭は「黒炭(くろずみ)」。

実際に出来上がった備長炭(白炭)を手にとってみましたが、ずしりと重く、断面はまるでクリスタルのようで黒炭とはまったく別物だとわかります。

白炭の断面
白炭の断面。ぎゅっと詰まっているのが分かる。これでも、品質としてはよくない部類だそう

特徴として、火力と燃焼時間が非常に優れている紀州備長炭。

「高い品質が出せるから、今の価格帯で購入してもらえる」と、炭の仕上がりには自信を持つ湯上さん。

およそ2週間、酸素量の微調整や細やかな温度管理を経て、ようやく紀州備長炭として世に出せる品質の炭が仕上がります。

「気密性・保温力が高くないと、こちらの意図とはずれたところで酸素が入ってしまい、品質に影響が出てしまう。なので傷んだ部分を少しずつ補修しながら使っています。

窯の良し悪しと、焼いている際の技術、紀州備長炭をつくるにはこの2つが欠かせません」

修復中だった窯
修復中だった窯。気密性を高めるために、赤土と瓦を丁寧に積み上げていく
修復中の窯
奥は、焼けて色が変わっている状態。今回は手前部分を修復したそう

今回補修中だった窯を見せてもらうと、下から上まで赤土と瓦が緻密に積み上げられている最中でした。この後さらに外側にも赤土を敷き詰めて、気密性と保温力を高めていきます。

紀州備長炭をつくる際、大筋の工程は共通としてあるものの、細かい窯の作り方や空気量の調整方法は、人によって異なるらしく、職人としての工夫のしどころでもあるといいます。

修復に使う赤土は、小石などを取り除き、目の細かい状態にして使用する
赤土は、小石などを取り除き、目の細かい状態にして使用する

木を立てて入れる。紀州備長炭づくりの秘訣

ほかの備長炭と異なる、紀州備長炭づくりの大きな特徴として挙げられるのが、窯にくべる際の原木の入れ方。

他の地域では原木を横に倒して積み上げていくそうですが、紀州では、1本1本を奥から立てて並べていきます。

高温の窯の中に入り、奥から原木を並べていく
高温の窯の中に入り、奥から原木を並べていく(画像提供:湯上彰浩)

すると、原木が焼き締まって縮んだ時にも均等に空気が流れるため、焼きムラが少なくなり品質の高い備長炭に仕上がるとのこと。

その反面、横に倒して積み上げる方法と比べると、一度に焼ける量が約半分に。生産量を犠牲にしても、品質にこだわっていることが、紀州備長炭ブランドが支持されているひとつの要素でもあるようです。

まっすぐに窯の中に立てていくにはもう一手間、「木ごしらえ」と呼ばれる工程も必要になります。

「伐採してきた原木(ウバメガシ)は、そのままでは使えません。太すぎるものは半分に割ったり、曲がっていれば切り込みをいれて伸ばしたり、できるだけまっすぐにしてから、窯にくべていきます」

太いものは半分に割っていく
太いものは半分に割っていく
切り込みを入れて、まっすぐに伸ばしていく
切り込みを入れて、まっすぐに伸ばしていく
木ごしらえ

一度に窯に入れる原木は、およそ6トン。この量の原木を伐採して窯まで運ぶのに、3人がかりで3日かかるそう。

ちなみに、伐採された原木の丸太を触らせてもらったのですが、非常に硬くて重い木でした。これを山中で伐採し、余分な枝を払って運搬し、また伐採し‥‥考えただけでもつらい。

そこから、すべての木を「木ごしらえ」するため、さらに3日ほどかかり、ようやく木を焼くための準備が完了します。

窯の中にびっちりと並ぶように、整えていく
窯の中にびっちりと並ぶように、整えていく
木ごしらえを終えた原木
木ごしらえを終えた原木。窯に入れるまでにもかなりの手間暇がかかっている(画像提供:湯上彰浩)

炭焼き職人の伐採が、森を再生させる

ここまで、想像以上にハードな炭焼きの仕事を見てきましたが、一番体力的にきついのは、やはり原木の伐採作業。

湯上さん曰く「原木を窯まで運び終わった瞬間が一番嬉しい」と感じるほどだそう。

しかし、この先も備長炭づくりを続けていくために、この工程は省けないのだとか。

「ウバメガシには再生能力があり、適齢で伐採すればその切り株から芽を出してまた成長していきます。しかし、成長しすぎた場合には再生能力が弱ってしまい、その後に伐採されると切り株は枯れてしまう。

なので、適切なタイミングで必要な量の木を伐採して使うことが、備長炭をつくる上でも必須になってきます」

長さも太さも違う原木たち。窯に入れるために整える必要がある
森を再生させるためにも、計画的な伐採は必要

なお、当然ながら、原木は勝手に切っていいわけではありません。良さそうなウバメガシの群生地を見つけたら、まずは役所に連絡が必要です。

そこから所有者の連絡先を照会してもらい、交渉し、伐採権を購入。そして、再生を見越してこれだけ切りますという申請を役所に通してはじめて、切ることができます。

山を眺めると、ウバメガシが集まっている部分はひと目で分かるんだとか
山を眺めると、ウバメガシが集まっている部分はひと目で分かるんだとか

嬉しい悲鳴と気になること。紀州備長炭の現状

決して軽い気持ちでできる仕事ではありませんが、紀州備長炭の需要自体は年々増加しており、炭の価格も以前より高値で取引されるようになっています。

「ありがたい話ですが、供給が追いついていない状況です。

昨年末から3人体制になりましたし、窯の修復が終わったら、月に3回は焼けるようにしたいなと考えています。

炭焼きは、季節の影響をあまり受けず、年間を通して生産できる。ほかの農業などと比べると恵まれている部分かなと思います」

炭焼き職人

生産体制の見直しのほか、炭焼きの仕事を知ってもらうための体験教室の開催や、炭と相性の良いアウトドア事業への進出なども考えている湯上さん。

嬉しい悲鳴が上がる反面、気になることも。

「備長炭の価格が安定してきたことで、新たに炭焼き職人を始める人も増えてきました。

それ自体は歓迎すべきことなのですが、紀州備長炭の品質にバラツキが出てしまう可能性もあり、産地全体で連携してコントロールする必要があると感じています」

紀州備長炭は、特定の職人の名前が前に出るのではなく、あくまで「紀州備長炭」として、一括りに出荷されていくそう。

つまり、仮に品質のバラツキがあるまま紀州備長炭として流通してしまうと、ブランド全体の価値が下がる危険性をはらんでいます。

備長炭の中でも最高品質とされる紀州備長炭
備長炭の品質にばらつきが出ると、ブランド自体の価値が下がってしまう

以前は、新たに炭焼き職人を志した人は、研修所や信頼できる師匠の元で最低1年は修行をし、そこから独立の道へと進んでいったそうです。

今は、そうした修行をせずに、炭焼きを始める人も多いのだとか。

「今、備長炭の生産量では負けている地域もありますが、品質は間違いなく紀州備長炭が世界一だと思っています。それは誰かに認められるものでもなく、自分たちでそう確信しています。

せっかく築いたこの価値を失わないために、職人だけでなく問屋さんや行政とも連携して、品質・ブランド力の維持をはかっていきたいです」

炭焼き職人、湯上さんの窯

若き炭職人たちは、ブランドと産地の未来を真剣に考えながら、新たな備長炭の可能性も模索しています。

<取材協力>
B-STYLE(湯上 彰浩)

文:白石雄太
写真:直江泰治

※こちらは、2019年2月19日の記事を再編集して公開いたしました。

「サンライズ瀬戸」の車内を体験。高松・瀬戸内旅で乗りたい寝台列車

四国や瀬戸内国際芸術祭をめぐる旅に、おすすめの宿“兼”移動手段があります。

まもなく22時を迎えるJR東京駅。

東海道線ホームの電光掲示板に、赤々と「寝台特急サンライズ瀬戸」の文字が灯ります。行き先は、高松

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夜に東京駅を出発、翌朝高松へ着く「寝台列車 サンライズ瀬戸」

東海道線から大阪、姫路、岡山を巡り、瀬戸大橋を渡って東京と四国を結ぶ寝台特急は、列車は途中の岡山で松江・出雲を目指す路線と分岐し、「サンライズ出雲」の名でも知られます。

発車を待つホームには、あちこちに車体と一緒に記念写真を撮る人の姿が。皆ちょっとしたアトラクションに乗り込むような、高揚した表情です。

車内は、快適に過ごせる工夫があちこちに

住宅メーカーと共同で設計したという車内は、全体が木調で統一されていて家のような安心感。

今日の宿はこちら。
今日の宿はこちら

私が取ったチケットは「B個室寝台シングル」。ゆったり足を伸ばせるベッドスペースに小さなテーブルや荷物を置くスペースが確保された一人用の個室です。

簡素な空間の中にもスリッパや鏡、ハンガーやコップ、音楽も聞ける時計パネルなど、リラックスして過ごせる設備が備わっています。

必要十分な設備。鏡やテーブル、スリッパなどもあって快適。
必要十分な設備。鏡やテーブル、スリッパなどもあって快適
車体が揺れても大丈夫なように設計されたハンガーやハンガー掛け。こうした寝台特急ならではの設備をみるのも楽しい。
車体が揺れても大丈夫なように設計されたハンガーやハンガー掛け。こうした寝台特急ならではの設備をみるのも楽しい!

中でも気に入っているのが、淡いブルーストライプのパジャマと車体の形に合わせて切り取られた大きな窓。

淡いブルーストライプのパジャマ。帯も同じデザインでかわいらしい。
淡いブルーストライプのパジャマ。帯も同じデザインでかわいらしい
大きな窓から見える暗闇に、時折終電をすぎた駅舎の明かりが浮かぶ。朝の景色が楽しみだ。
大きな窓から見える暗闇に、時折終電をすぎた駅舎の明かりが浮かぶ。朝の景色が楽しみです

個室の位置によって部屋のレイアウトや窓の形も異なりますが、列車の揺れに少しずつ眠気を覚えながら、寝そべって大きな窓から見上げる夜空は格別です。

ぐっすり眠って7:30には高松駅に到着するので、朝から現地を満喫できるのも嬉しいところ。

移動の時間も良い旅の思い出にしたい、という人にぜひおすすめです。

旅の予習には、さんち編集部が取材した高松の工芸・観光特集ページを合わせてどうぞ!

寝台列車 サンライズ瀬戸

運行区間 東京〜高松
乗車には乗車・特急料金と寝台料金(ノビノビ座席を除く)が必要。
もっと詳しい車内の様子はこちらをどうぞ。
参考:「JRおでかけネット


文・写真:尾島可奈子
*写真や設備は2017年時点のものです。

「狂言とは人間賛歌」人間国宝、山本東次郎さんに聞く楽しみ方入門

みなさんは古典芸能に触れたことはありますか?

気になるけれどハードルが高い、でもせっかく日本にいるのならその楽しみ方を知りたい!そんな悩ましき古典芸能の入り口として「古典芸能入門」を企画しました。

独特の世界観、美しい装束、和楽器の音色など、そっとその世界を覗いてみて、楽しみ方や魅力を見つけてお届けします。

第1回目は「狂言」。

神奈川県横浜市にある横浜能楽堂へ鑑賞に行ってきました。

そして演目終了後には、なんとその日ご出演された狂言師にして人間国宝の、山本東次郎さんにお話を伺えることに。

山本さんが語られる狂言の魅力、楽しみ方とは。ぜひご注目ください!

狂言入門に、横浜能楽堂へ

横浜能楽堂では、毎月第2日曜日に「横浜狂言堂」という普及公演が開催されています。初心者も足を運びやすいようにとチケットは2,000円、解説付きで狂言2曲が楽しめます。

来場者は、若者から年配の方まで(そして小学生くらいのお子さん達も!)幅広い層の方々で賑わっていました。毎月のように通われている方もいらっしゃるのだそうです。

服装も、カジュアルな方からお着物姿などおしゃれしていらしている方まで様々。堅苦しいものではなく、自由に楽しめる空気が広がっていました。

横浜能楽堂の能舞台は、関東に現存する最古の能舞台。横浜市の文化財にも指定されている貴重なものです。
写真:横浜能楽堂提供 横浜能楽堂の能舞台は、関東に現存する最古の能舞台。横浜市の文化財にも指定されています。

「狂言」とは?

狂言には、「大蔵流」と「和泉流」の2つの流派があります。

さらにそれぞれに家があり、同じ流派でも家によって芸風が異なります。「横浜狂言堂」では、月替わりで異なる家々の方が出演されるので、様々な芸風を楽しめることも魅力です。

横浜能楽堂の公式サイトでは、狂言についてこのように解説しています。

狂言は、能と同じく能舞台で演じられる喜劇性の強い芸能です。喜劇的な部分だけが強調されがちですが、 笑いの中に人間の喜怒哀楽すべてを包み込んでいます。セリフ劇でありながら、能と同じように歌舞の要素も散りばめられています。 幅も奥行きもある、芸術性の高い芸能です。
能と狂言は、古くは一つの芸能でしたが、室町時代<1336-1573>に歌舞を中心とした能とセリフ劇である狂言に分かれました。 狂言が今のような姿になったのは江戸時代中期。能とともに、大名を中心とした武家の好みに合わせ、芸術性の高い芸能として完成しました。
狂言は能に比べると初心者にもわかりやすい。能の上演時間が1曲1時間以上なのに対して、狂言は20~30分のものが多く、気軽に楽しめます。 そのため、最近では狂言だけの公演も多い。
能・狂言は「能楽」として、2001年にユネスコによる第1回の「人類の口承及び無形遺産の傑作(世界無形遺産)」に、日本の芸能で最初に宣言されました。 そして2008年には「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎とともに登録されました。(「横浜能楽堂」公式サイトより一文引用)

狂言は、短いセリフ劇です。お腹から響く独特の発声で歌っているようにも聞こえて何とも心地よく聞き入ってしまうのですが、当時の軽快な日常会話がベースとなった言葉のやり取りにはリズムがあり、聴きやすく、内容が頭に入ってくるので、観ていて不思議とすぐに物語の世界へ入り込むことができます。(そして観客は大人から子供まで声をあげてたくさん笑います。)

特徴として興味深いのは、登場人物に固有の名前がないこと。

「男」「女」「主(=主人)」「太郎冠者(=召使いA)」といったように、性別や役割で呼ばれるにとどまっています。

固有の物語として楽しむのではなく、人間の誰しも身に覚えのあるような普遍的な話が描かれます。

時に身につまされたり、自分ごととして共感したり、イマジネーションを膨らませながら楽しめるのが狂言だと、解説でもお話がありました。

撮影 (有)凛風 尾形美砂子
「因幡堂」のワンシーン / 撮影 尾形美砂子

「因幡堂」に見る、狂言のおかしみ

例として、この日の1曲目の演目「因幡堂」のあらすじを見てみましょう。

大酒飲みの家事をしない妻に愛想がつきた夫が、妻の里帰り中に勝手に、離縁状を届け出てしまいます。

そして新しい妻をもらおうと因幡堂へお祈りに行ったことを知った妻は、怒り狂いながら夫の後を追って因幡堂へ行き、通夜(お寺で眠らずに夜を過ごすこと)をする夫を見つけます。

そして夫の枕元に立ち、いかにも夢のお告げのように「西門の一の階に立ったものを妻にせよ」と告げます。

翌朝、西門にお告げの女になりすまし立っていた妻を、そうとは気付かずに喜んで連れて帰る夫は…、というお話です。

元の妻と気づいた夫は真っ青になり、怒り狂う妻に追い立てられていくところで舞台は終わります。

「鬼嫁こわい…(できればもっと素敵な女性と人生やり直したい…)」そんな男性の心の叫びと、一瞬の夢時間。しかしズルは出来ないもので、現実に引き戻されて行く。

そんなお話には、きっと身に覚えのある方や、似たエピソードを聞いたことが誰しもあるのではないでしょうか。

極限まで削ぎ落とした演出で無限大の世界を作り出す

また、多くの舞台劇と比べて舞台セットや小道具などが少なく最低限のもののみ使われている点も特徴的です。

シンプルな舞台では、セリフや表情から鮮やかな背景を想像することができます。

「木六駄」のワンシーン。撮影 (有)凛風 尾形美砂子
「木六駄」のワンシーン / 撮影 尾形美砂子

こちらの写真は、雪道で牛を引いているシーン。笠をかぶり、綱を引いているだけで、雪景色も牛の姿もどこにもありません。

しかし、凍えそうな表情とセリフとともに見つめる先には降りしきる雪の様子が見えて、こちらまで寒くなってきます。

牛に掛け声をかけながら綱を引く姿からは、何頭もの牛の生き生きとした動きや表情までも想像できるから不思議です。

見たそのままを受け取るのではなく、目で見て、音で聞いて感じて、その様子から想像を膨らませて味わう。自分の感性とイマジネーションを使って面白がれることが狂言の醍醐味かもしれません。

人間国宝、山本東次郎さんに聞く、狂言の魅力

この日ご出演された、 大蔵流 山本東次郎家当主 山本東次郎さん(重要無形文化財各個指定《人間国宝》)にお話を伺うことができました。

重要無形文化財各個指定(人間国宝)の狂言方 山本東次郎さん
大蔵流 山本東次郎家当主 山本東次郎さん

——— 見て感じたものを一度自分の中に取り入れて、イマジネーションを膨らませることにすごく面白みを感じました。

「そうですね。狂言は喜劇だと言われますが、お客様を笑わせてやるぞと思って私たちは演じていません。

その場の面白さで笑わせるのではなく、無理に面白がらせるのではなく、淡々ときちんと型通りに行うことで、普遍性を持たせる。見た方が自分の中でのおかしみに変えて笑ってくださるのです。

今も昔も変わらない人間の姿がそこに見つけられて笑いが生まれるのだと思います。

狂言では、必ずどなたの中にもある弱さや愚かしい一面を描いています。

しかし、それを糾弾したり責任をとらせたり、非難したりせず、『それでもいいんだ、それが人間なんだ』と笑う。

最後は、後味が決して悪く無いものにしてある、そういう人間賛歌の芸能なんです。

(因幡堂の)夫婦のあの喧嘩だって、あの後きっとどうにかなるだろうという気持ちでいられるからお客様も笑っていられるのです。

必ず普遍の人間の心がちゃんとあるのですね」

——— セリフは昔の言葉なのに、不思議と意味が理解できて物語の中に入り込めました。

「以前もお客様から「現代語に直して話していらっしゃいますか?」と質問を頂いたことがありました。

昔通りの言葉で、まったく変えていません。子供の頃から父の稽古で叩き込まれたことの一つが『生きた言葉を話せ』。習った通りきちんと“生きた言葉”を話そうとしていると、自ずと伝わっていくのだと思います。

それから、発声ですが、持って生まれた声のままで話すと人によっては耳障りに感じたりするでしょう?

舞台の上で酔っ払っていたり、楽に話しているように見えるところでも、私たちは腹式呼吸をしっかりやっていて、近くのお客様には騒がしくなく、遠くのお客様にもよく聞こえる声を出すように心がけています」

——— 確かにセリフを聞いているだけで、すごく気持ちが良かったです。

「そうですか、ありがとうございます(笑)」

——— これから初めて狂言を鑑賞するという方に、一言いただけますか?

「現代の演劇では、こと細かに説明してくださるでしょう?これでもか、これでもか、というくらい与えてくださる。

狂言では、そういうことをしません。ご覧になる方が、ご自分の感性を信じて、こちらへ取りに来て欲しいのです。

以前あるお客様が『拍子や杖の音なんかがすごく効果的に使われていて面白い』とおっしゃってくださった。

実際には、効果音も音楽もありません。何もないことで観客が豊かに想像できる余白がたくさんある。

ご自分の感性や想像力次第で無限大に楽しめること、それはただ与えられたものよりはるかに面白いものだと思いますよ」

傘寿を迎えてなお気迫のこもった舞台を演じられる山本東次郎さん。狂言の持つ人間への愛情を体現されているような、優しい言葉で語ってくださいました。

鑑賞する人次第で、無限大に面白さの膨らむ狂言。みなさんもぜひご覧になってみてください。

<取材協力>

横浜能楽堂

神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘27-2

045-263-3055


文・写真:小俣荘子

*こちらは、2017年4月7日の記事を再編集して公開しました。

ムンクの「叫び」を郷土玩具に。福島・野沢民芸が考える、これからの民芸品

世界的絵画と郷土玩具のコラボ

2013年、世界でもっとも有名な絵画のひとつと言われる作品と、日本の郷土玩具の不思議なコラボが実現し、話題を呼びました。

その作品とは、ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンクが1893年に製作した「叫び」。教科書等で誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

ムンクの「叫び」と、福島県会津地方に古くから伝わる「起き上がり小法師(こぼし)」がコラボして誕生したのが、その名も「起き上がりムンク」。

起き上がりムンク
起き上がりムンク

「起き上がり小法師」の丸みを帯びた独特のフォルムに、あの「叫び」の表情が見事にマッチして、奇妙なかわいさに溢れた魅力的なアイテムです。

この「起き上がりムンク」を手がけたのは、福島県 西会津町で50年以上にわたって会津張子を中心とした民芸品を製作してきた野沢民芸品製作企業組合(以下、野沢民芸)。

野沢民芸

古くからあるものをつくり続けながら、新しいデザインやコラボレーションにも積極的に挑戦する同社に、これからの民芸品・郷土玩具について聞きました。

どんなものにもなる「起き上がり小法師」

野沢民芸の代表理事で絵付師の早川美奈子さんは、父である先代が創業した同社で人形づくりを始めて36年。「起き上がりムンク」の絵付けも早川さんが手がけています。

早川美奈子さん
野沢民芸品制作企業組合 代表理事で絵付師の早川美奈子さん

近年は新たなデザインにも積極的に挑戦していますが、かつてはそうしたくてもできない時期が長く続いていたのだとか。

赤べこ
会津を代表する郷土玩具「赤べこ」

早川さんが人形づくりの世界に入ってきた当時は、いわゆるお土産物としての民芸品の製作が主流でその種類も少なく、販売する場所も駅の売店か土産物屋のどちらか、それが業界としても普通とされていました。

「世間から見てもそうですが、自分の中でも、なんとなく古いとか、良くないイメージを民芸品にもってしまっていたんです」

という早川さん。

「でも、新しいものといっても何をやればいいかわからないし、つくったところで売ってもらえる所もない。

想いはあってもやれない。そんな状態でした」

大きな転機となったのは、2011年の震災。福島や被災地の復興に寄与するかたちで、何か新しいことをやろうという動きの中で、野沢民芸にも声がかかりました。

「さて、何をやろうかと考えた時、デフォルメされたフォルムで、かっこよくて、どんなものにもなりうる。そう思ったのが、起き上がり小法師です」

赤べことならんで福島の人に馴染みの深い起き上がり小法師。転んでも必ず起き上がる、七転び八起きというメッセージも込められた郷土玩具で、福島の復興の象徴としてもぴったり。

そんな前向きな姿勢を持った縁起物である起き上がり小法師に、さらに、縁起のよい日本の伝統柄を描いた「願い玉」シリーズを製作します。

野沢民芸の「願い玉」
「願い玉」シリーズ

これまでにない見た目の起き上がり小法師は評判となり、次第に「起き上がり小法師で動物がつくれますか?」といった変わった注文が来るようになりました。

形の中に、色々なものを押し込めてみる

伝統のフォルムを活かしながら、その動物の特徴を表現する。きちんと起き上がり小法師にも見えて、動物の張り子にも見える。そんな風に毎回頭を悩ませてデザインしているそう。

新しい注文にひとつずつ挑戦していく中で、発想のヒントのひとつになったのは、人気アニメの「トムとジェリー」。

ネコのトムがネズミのジェリーの反撃にあい、ドラム缶に押し込められてその型がついたまま出てくる描写をみて、「これって、ありだな」と思ったのだとか。

「ドラム缶型に押し込められてもちゃんとトムに見えるんですよね。

じゃあ起き上がり小法師の、あの卵型の立体の中に色々なものを押し込めていくとどうなるんだろう。

そんな感覚でやっていって、アイテムが段々増えていきました」

野沢民芸
絵付をする早川さん

新たに生まれていく商品を見た人たちから「じゃあこんなものは?」とまた注文が来る。今はその良い循環ができています。

「民芸品、郷土玩具がこんなにカラフルで、色んなことができるんだと、ずっと作ってきた人ほど気づきにくいのかもしれません。

外部のデザイナーさんたちは、こちらが思っても見ない発想で注文をしてくれるので、その都度新しい発見があり刺激を受けています」

野沢民芸
野沢民芸でつくっている商品のほんの一部

何でも良いわけではない。郷土玩具の本質を考える

野沢民芸は、「真空成形法」といわれる張子の新しい製法を開発し、業界では他に類を見ない量産体制を実現してきた会社でもあります。

「うちはもともと、新しいやり方で民芸品をつくってきた会社です。なので、新しいチャレンジは全然問題ない、楽しいことだ!という感覚がありますね。

町の人たちも『面白いよね』と言ってくださる方が多いです」

野沢民芸
成型が終わった後は、昔ながらの工程で一つずつ仕上げていく
野沢民芸
細かいバリなどを丁寧に磨いていく
白い下地を塗ったあと乾燥させる工程
野沢民芸
赤い塗装はスプレーで
野沢民芸
最後に絵付を行う

しかし、民芸品・郷土玩具として単純に何でもあり、ではありません。

「赤べこも、起き上がり小法師も、会津では皆さんから愛されている郷土玩具です。

そこには歴史や由来があって、それを尊重しつつやらないとダメだと考えています」

たとえば最初に紹介した「起き上がりムンク」に関しても、七転び八起きで何度でも起き上がる起き上がり小法師と、2度盗難にあっても美術館に舞い戻ったムンクの叫びに共通項を見出しました。

その上で、ノルウェーについて広く知ってもらいたい依頼主(現:ノルウェー政府観光局)の想いと、福島の復興支援に役立てたい早川さんたちの想いが重なったアイテムになっています。

「何度でも起き上がる、前向きな考え方は常にベースとして、そこに色々な要素が加わって、人に元気とか癒しを与えるものであってほしい。

その考えは崩さないでやっていきたいと思います」

絶版になった郷土玩具の復刻も

普段、京都などの問屋さんとやり取りをしている営業担当の三留さんによると、最近はやはりインバウンドの需要も大きいよう。

「お面のバリエーションを増やして欲しいとか、旅行客の方が持ち帰りやすいように小型にして欲しいとか、そんな要望が増えています」

野沢民芸
野沢民芸の三留さん

ちなみに、京都で今いちばん人気なのが、「きつねのお面」なんだとか。

「テレビに映ったことがきっかけだと思うのですが、女子高校生がきつねのお面をかばんにつけ始めて、売り上げが増加しました」

こうしたトレンドや予期せぬ需要にどうやって対応していくのかも、これからの課題のひとつです。

早川さんは、新しい依頼にも対応しつつ、過去の遺産の掘り起こしもやっていきたいと考えています。

「過去につくっていたのに今は辞めてしまっているものがいくつかあるんです。

招き猫とか、ねずみ大黒とか。そういった古典的なものも復活させたいと思っています」

野沢民芸

残念ながら、後継者がいないなどの問題で工房を閉めてしまう同業他社も少なくない中、そうした工房から型を引き継ぐこともあるんだそう。

張り子の量産に成功し、新たなチャレンジを通じてファンを増やし、西会津町で雇用の創出にも寄与している同社だからこそできるとも言えます。

ゆくゆくは、会津に限らず、全国でつくられなくなった郷土玩具を野沢民芸が復刻する。そんな期待も膨らみました。

地域おこし協力隊との取り組み

野沢民芸においても、後継者を育て、民芸品をつくり続けることは容易な道ではありません。

「人形づくりにはどの工程も難しい技術が必要なので、それが習熟できないとどうしても続きません。

技術を習得するベース、器用さも関係してきます。長く続く方をなかなか見つけられないのが現状です」

野沢民芸
各工程の習熟には時間と器用さが求められる
野沢民芸

逆に、一度技術を習得すれば、ある程度高齢になっても続けられる仕事のため、現在は、ベテランの方々に非常に助けられているそう。ここに、若い方が加わって、ベテランの手ほどきを受けながら成長していってもらえると、理想的な状況になってきます。

野沢民芸
起き上がり小法師の丸みを整えている職人さん

「今、2名だけなのですが、地域おこし協力隊からうちの会社に来てもらっている方たちがいます。

2人とも20代で、技術を学んでもらうだけでなく、民芸品の可能性をどんな風に広げていけるのか、一緒に挑戦していければと思っているところです」

野沢民芸

地域おこし協力隊でやってきた人が、直接企業に所属するのは少し珍しいケースにも感じます。

「3年の任期が終わったあと、できれば民芸品と関わりを持ち続けていただきたいし、西会津町に定着してほしいとも思っています。

そう考えた時、限られた期間で地域と深くつながるには、今回のように会社に入っていただくのが近道なんじゃないかなと。

業務上で関わる会社の人たちともつながりますし、一緒に働く同僚たちも地域の人間です。そういったコミュニティのベースをつくってから、それをいかして何ができるのか。

この春に来ていただいたばかりなので、まだまだこれから考えていかないといけません」

協力隊で来ている方は、デザインやWebに関するスキルを備えた方たちとのこと。そんな彼女たちとタッグを組んで、どれだけ新しいものをつくっていけるのかチャレンジしていきたいと早川さんは話していました。

西会津町の観光資源として

これからの工房のあり方として、もう少し人が訪れやすい場所にしていく構想もあるそう。

「ネットに載せきれていない商品もありますし、なにより一点一点表情が違うので、直接選んでもらえると楽しいと思います。

工房を見学してもらって、つくり方を見ていただいたり、その後は地域の別のお店でご飯を食べてもらったり。

うちの工房だけじゃなくて、町に来てもらうきっかけにもなれると理想的です」

野沢民芸
野沢民芸

西会津町の観光振興への寄与も見据える早川さん。依然としてコラボの依頼も多く、日々新たな挑戦に向き合っています。

「新しいものをつくりながら、そもそもの『赤べこ』はこういう由来で生まれたんだよ、といったこともわかってもらえるような出し方を常に意識しています」

直感で気になる、かわいいと思うものを手にとってみると、なぜこんな形なんだろうと気になってきたり、他にどんなものがあるのか知りたくなってきたり。そうやって興味の対象が広がっていくことも郷土玩具の楽しさのひとつです。

これから早川さんたちが生み出していくアイテムが、郷土玩具のどんな可能性を見せてくれるのか。それらを見て、多くの人が郷土玩具の魅力に気づいてくれることを一ファンとして、とても楽しみにしています。

<取材協力>
野沢民芸品制作企業組合
https://nozawa-mingei.com/index.html

文:白石雄太
写真:直江泰治

鎌倉彫、800年の伝統を100年後にも残すため、若き職人は世界に挑む

「こんなに綺麗な青の鎌倉彫があるんだ」

三橋鎌幽さんの作品を初めて目にしたとき、心地よい驚きにしばらく見入ってしまいました。

鎌倉の街に住み、日頃から何気なく鎌倉彫を眺めてきた私の中で「鎌倉彫」のイメージが大きく変わった瞬間でした。

今回は、鎌倉の地で生まれた伝統工芸品「鎌倉彫」の物語をお届けします。

朱や黒の漆で塗られ、ごつごつとした彫り目が印象的で、どこか武家の力強さを感じさせられる鎌倉彫。

その誕生から、歴史に翻弄された過去、そして、現代のつくり手による新たな挑戦まで、壮大なロマンが広がる鎌倉彫の世界を、どうぞお楽しみください。

鎌倉で生まれた、武家由来の伝統工芸。

鎌倉彫の香合

「鎌倉彫」の起源は、鎌倉時代。

源頼朝が鎌倉に幕府を開き、中国から禅宗の文化が入ってきた時代。寺社を建てるため、運慶、快慶の流れを引く慶派の仏師をはじめとする一級の職人たちが全国各地から鎌倉に呼び集められました。

当時の仏師たちは、仏像をつくるだけでなく、周辺の仏具の制作すべてを任されていました。その頃流行だった中国からの渡来物の中でも、堆朱(ついしゅ)や堆黒(ついこく)(漆を塗り重ねてから彫る技法)に魅せられた彼らが、その技術をどうにか仏具に使えないかと試行錯誤した結果、木を彫ってから漆を塗るという「鎌倉彫」の祖型となる技術が生まれたと言われています。

金輪寺茶器

漆を塗り重ねて層を作って彫るという技術は、当時の日本では、実現がなかなか難しかったのでしょう。堆朱を追い求め、日本独自の木彫りと漆塗り器の技術を組み合わせて「鎌倉彫」の技法を生み出すまでに、実に100年もの年月が費やされたと考えられています。

そこから、700~800年の時を経た今なおその技術が受け継がれているのです。

建長寺に飾られている唐花文香炉台、三橋鎌幽作(c)濱谷幸江
建長寺に飾られている唐花文香炉台、三橋鎌幽作(c)濱谷幸江

「鎌倉彫」というのは、「木を彫り、漆を塗る」という技術とむすびついた総称。鎌倉でつくられているからではなく、鎌倉時代に生まれた技術だから「鎌倉彫」と呼ばれているのだと考えられています。

鎌倉彫は、江戸時代までお寺の仏像や、儀式で使用する香合などの仏具として発展をつづけてきました。しかし、明治時代になると文明開化や廃仏毀釈(仏教寺院や僧侶の大規模な弾圧政策)により、多くの職人が仏具の制作を続けられない状況に。仕事がなくなった職人たちは、鎌倉彫の技術を活かして、茶道具や一般の暮らしで使われる工芸品をつくるようになっていきました。

鎌倉彫の棗

鎌倉の土産物屋さんでよく見かける、鎌倉彫のお盆やお皿などの生活用品がつくられるようになったのは、ここ150年くらいのことなのです。

そして、そんな激動の時代を生き延び、今でも建長寺や円覚寺の仏具制作を担っている数少ない仏師の血筋のひとつに、二陽堂の三橋家があります。

今回は、二陽堂の若手職人である三橋鎌幽さんにお話を伺いました。

800年の技術を受け継ぐ現代のつくり手。三橋鎌幽さんに聞く

三橋鎌幽さん

二陽堂の職人として、仏具や茶道具制作をはじめ、一般の人たちに鎌倉彫の技術を教える鎌倉彫教室の講師業、国内の百貨店およびパリでの個展開催など、とても幅広く活躍されている三橋さん。

「伝統工芸というと“変わらずにいるもの”というイメージを持たれることが多いのですが、ずっと古いままではないんです。車のモデルチェンジのように、デザインや色、形、アイテムなどを時代に合わせて変えていく。これしか作ってはいけないと凝り固まるのではなく、時代が求めるものを常に考えています」

鎌倉彫を家業とする家に生まれ育ち、お父さんもお祖父さんも職人でした。そのため、子どもの頃は家に帰ると、そばで家族が木地を彫ったり塗っている姿が日常の風景だったといいます。

毎日の食卓にも鎌倉彫のお皿が普通に使われていたこともあり、三橋さんにとって、鎌倉彫は特別なものではなく、ごく日常的なもの。あえて意識しないくらい、いつもそばにあるものでした。

三橋さんのオリジナルデザインMizuシリーズの壁掛け。海の中から水面をみあげたときの光景がモチーフに。(c)濱谷幸江
三橋さんのオリジナルデザインMizuシリーズの壁掛け。海の中から水面をみあげたときの光景がモチーフに。(c)濱谷幸江

小学校高学年のときには、伝統工芸体験の一環で鎌倉彫の授業があり、お父さんが講師に来たことも。そのとき初めて、家業が伝統工芸なのだと自覚したそうです。

「子どもの頃はとくにものづくりが好きというわけではなく、野球少年でした。でも、彫刻はずっと身近でしたね。今思うと、小さな頃になんとなく彫っていた時間というのが財産になっているのだと思います」

そして、一度は大学の法学部へ進学したものの、最愛のお祖父さんが病に倒れたこともあり、就職活動を目前に家業を継ぐ決意をしました。

「自分しかできない仕事が身近にある、これは継がないといけないのではないかという心情になったんです」

三橋鎌幽さん

“彫刻の街” パリで出会った運命の色。

2018年個展『うみやそらとも』より、葛飾北斎の絵をモチーフにした作品(c)今村裕司(むら写真事務所)
2018年個展『うみやそらとも』より、葛飾北斎の絵をモチーフにした作品(c)今村裕司(むら写真事務所)

鎌倉彫を継いだ三橋さんにとって、転機となったのは2017年の夏。2週間のパリ滞在でした。

「世界の彫刻家はだいたいパリに集まるんです。ミロのヴィーナスもありますし。石や鉄など素材は違いますが、彫るという動作は同じです。私も技術を求めてパリへ行きました。たぶん運慶たちが今の時代に生まれたら、彼らもきっと行っているはず」

地元の芸術家たちから多くの共感を得たことが鎌倉彫職人としての自信につながったのだそう。

2018年4月には、パリのギャラリーで初めての個展を開催。
2018年4月には、パリのギャラリーで初めての個展を開催。

「ミロのヴィーナスやニケの彫刻を目にしたときは、(技術的には)思っていたほどじゃない、という感覚がありました。日本で見てきた運慶の仏像の方がすごいな、と。一方で、ヨーロッパの彫刻には、日本にはない美しさがあるとも思いました。

パリに行ったことで自分の技術に対して自信が持てたというか、世界でも鎌倉彫の技術は胸を張っていけるのだと。ヨーロッパの人たちと話したことで気づきました」

そしてこのとき、後の三橋さんの作品づくりに大きな影響を与えることとなる、忘れられない出会いがありました。

パリのサントシャペル教会で目にした、ロイヤルブルーと金のコントラストです。

「じつはずっと漆器の青は邪道だと思っていたんです。でも、パリに行くと教会はだいたい青と金と黒がベースカラー。初めて目にしたときは、『おお!』という感じでしたね。青がとにかくきれいでした。作品に青を取り入れるようになったのは、パリに行ったからなのです」

自分が目にした感動を、鎌倉彫の作品で表現したい。

そんな思いから、三橋さんは以来、青と金のコントラストを積極的に作品に取り入れています。

2018年新作展『青ヲタス』より、青とゴールドの茶器(c)今村裕司(むら写真事務所)
2018年新作展『青ヲタス』より、青とゴールドの茶器(c)今村裕司(むら写真事務所)

かつて自分にも抵抗感があったように、鎌倉彫の青は日本の人たちに受け入れられるのだろうか。

帰国後、不安を抱えながら開いた日本の個展では、思いの外、幅広い層の人々から青い鎌倉彫への高い評価を得ることができたのです。新しい鎌倉彫が時代から求められていることを三橋さんは強く感じたのでした。

ちなみに、漆の青というのは塗料の技術の中でも新しく、100年前にはあまりなかったのだそう。漆の艶感を持った青色は、現代の人だからこそ実物で見ることができる色なのです。

鎌倉彫ができるまで。100年後に残すものづくり

金輪寺茶器

鎌倉彫のものづくりは、100年もの持続年数を見込んでつくられます。

100年と聞くと、現代人にとっては想像もつかないようなスケールです。でも、例えば、昔は衣服も直しながら何十年と着ていたように、当時はものを長く使い続けることが“ごく自然な感覚”だったのでしょう。

結果として、漆器や、特に仏具のものは、それこそ100年、200年と使われることもあるそうです。

そんな鎌倉彫の漆器は、実際のところ、どのような工程でつくられていくのでしょう?

三橋さんに彫刻作業を実演していただきました。

ザッザッという木を彫る音が心地いい。
ザッザッという木を彫る音が心地いい。
三橋鎌幽さん
デザインを設計図に落とし込んでから、彫る作業に移ります。
デザインを設計図に落とし込んでから、彫る作業に移ります。
彫刻刀の数にびっくり!主に平刀・丸刀・切出刀の3種を使うのだそう。
彫刻刀の数にびっくり!主に平刀・丸刀・切出刀の3種を使うのだそう。

鎌倉彫の作品づくりは大きく分けて、「デザインを考える」「木地をつくる」「彫刻をする」「漆を塗る」の工程があります。

とくに木材の決まりはないものの、仏像をつくっていたという経緯から、仏像や仏具制作に使われる桂、朴、檜、銀杏などの木が選ばれることが多いようです。

龍のモチーフを彫っている三橋さん

製造工程のなかで、漆塗りの50工程のため、ひとつの鎌倉彫作品ができるまでには最低1〜2か月はかかるといいます。

そんな風に、自然にまかせて、人の力ではどうにもならない時間があるのが、工芸というものなのかもしれません。

北斎の富士山と龍をモチーフにしたお皿は、設計図からこのように。
北斎の富士山と龍をモチーフにしたお皿は、設計図からこのように。
緻密な龍の部分は切出刀で。細やかなのに淡々と素早い手の動きが印象的でした。
緻密な龍の部分は切出刀で。細やかなのに淡々と素早い手の動きが印象的でした。

できあがった作品は、10年、30年と、時間が経つことで、色味も落ち着いていきます。塗りたてからしばらくの間は光を表層で反射する漆も、50年くらい経つと内部の硬化も進み、さらに透けていくという特性があるのです。

「漆器は仮にまっぷたつに割れても、荒っぽく言うと上から漆を塗って固めれば元通りに戻せます。耐久年数は、日本の工芸が持つ強みだと思いますね」

未来につなぐ。鎌倉彫の新たな挑戦。

作品名「Poignard/懐刀」 鎌倉彫「Niyodo Style」とオートクチュール刺繍「Sirène」の共作。
作品名「Poignard/懐刀」 鎌倉彫「Niyodo Style」とオートクチュール刺繍「Sirène」の共作。

海外での個展開催や、鎌倉彫作品における青の探求に加え、2018年から三橋さんが新たに挑んでいるのがファッションの世界です。

フランス人のクリエイティブディレクターを迎えて始動したファッションブランド「Niyodo Style」では、国内外のクリエイターとコラボレーションしながら、名刺入れやブローチ、バッグなど、これまでの鎌倉彫のイメージを刷新するようなモダンで洗練された作品を創り出しています。

鎌倉彫の名刺入れ。中は寄木細工とのコラボレーション
鎌倉彫の名刺入れ。中は寄木細工とのコラボレーション

「現代でデザインが一番反映されるのはファッションだと思うんです。誰もが生活に欠かせず、流行が顕著にあらわれるからこそ、かなり速いスピードで具現化されていきます。一方で、鎌倉彫は100年くらいのスケールでものづくりをします。

ファッションのようにものすごくファストなものと、ロングスパンなものの両方に身をおくことで、何か刺激的なものや、新しい可能性が生まれるんじゃないかと思っています」

鎌倉彫とオートクチュール刺繍を使ったクラッチバッグ
鎌倉彫とオートクチュール刺繍を使ったクラッチバッグ

時代に翻弄されながらも、800年の時を超えて受け継がれ、独自の発展の道を歩んできた「鎌倉彫」。

この唯一無二の芸術品を次の世代へと残していくために、日本から世界へ、三橋さんの果敢な挑戦は続きます。

<取材協力>

鎌倉彫二陽堂

住所:神奈川県鎌倉市坂の下12-6

TEL:0467-22-6443

文:西谷渉
写真:長谷川賢人

*こちらは、2019年3月8日の記事を再編集して公開しました。

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