「おおたオープンファクトリー」に参加して就職を決めた人に聞く、町工場の魅力

ここ数年、各地で賑わいを見せている町ぐるみの工場見学イベント。

中でも、東京大田区で毎年開催され人気を集めているのが、「おおたオープンファクトリー」です。

大田区は3000を超える工場がある、都内でも有数のものづくりの町。

最終製品ではなく、高精度が求められる部品づくりや、切削、研磨、成型などの加工技術を専門にしている企業が多いことが特徴です。

そんな大田区の「ものづくり」の魅力を体験できるのが、毎年秋に開催される「おおたオープンファクトリー」。

区内の町工場を巡りながら、技術や製品、人の魅力を紹介するもので、2012年の初開催から今年で9回目を迎えます。

毎年、全国から4000人以上が訪れる人気のイベント。工場見学だけでなく、職人さんから手ほどきを受けながら加工体験をしたり、親子で楽しめる企画もたくさんあります。

おおたオープンファクトリー
工場での体験の様子(写真提供:大田観光協会)
おおたオープンファクトリー
(写真提供:大田観光協会)

そんな「おおたオープンファクトリー」に参加したことをきっかけに、ものづくりに興味を持ち、未経験から大田区の工場に就職した一人の女性がいます。

オープンファクトリーや町工場のどんなところに魅力を感じ、仕事に選んだのでしょうか。ぜひお話を聞いてみたいと、会いに行ってきました。

就職先は、材料試験片製作のパイオニア、昭和製作所

訪れたのは、大田区大森にある株式会社昭和製作所。

昭和製作所

1950年(昭和25年)の創業以来、金属材料を中心とした材料試験片・超音波深傷用試験片・試作部品などを製造、加工している工場です。

昭和製作所

材料試験とは、例えば車のエンジンやボディーなどの部材や素材について、強度や機械的性質などを調べる試験のこと。

試験に使うために実際の部材・素材から切り取って製作した小片を材料試験片といいます。

昭和製作所
材料試験片。昭和製作所では、大手メーカーや大学等の研究機関からの依頼を受け、オーダーに合わせた材料試験片を製作している(写真提供:昭和製作所)

材料試験片を取り扱う企業は全国でも珍しく、材料試験片製作のパイオニアでもあります。

「私は検査を担当しています」

そう話すのは、西銘佑梨(にしめ ゆり)さん。

昭和製作所
お話を伺った西銘佑梨さん

試験片の精度や表面の粗さ、寸法などを検査機器でチェックするのが仕事です。

入社5年目の西銘さん。難しい超音波探傷試験レベル2の資格を持ち、第一線で働いていますが、最初は図面も読めなかったのだそう。

「学生時代は化学を専攻していたので、工学の知識もなく、検査という仕事も就職して初めて知りました」

昭和製作所
材料試験は製品の安全性や機能を見極める重要な仕事
昭和製作所
昭和製作所

「子どもの頃からアクセサリー作りとか、ものづくりが好きだったので、就職活動の時に改めて考えて、製造業を希望したのがきっかけです」

自然体の職人さんと交流できた一日

はじめは、好きなアクセサリー作りに携わりたいと宝飾関係の企業も見学したそう。

「でも行ってみたら、おしゃれな雰囲気が自分には合わないような気がして(笑)それよりも、もっと現場に近い、工業系の方がいいなと思うようになりました。

足を運んだ就職セミナーで大田区の町工場がやっている“下町ボブスレー”プロジェクトの話を聞いて、大田区のものづくりにも興味を持ちました」

昭和製作所
昭和製作所
「下町ボブスレー」は、大田区の町工場が中心となって、世界のトップレベルに挑戦する日本製のソリを作り、大田区のモノづくりの力を世界に発信しようというプロジェクト

実家のある川崎市にも近いこともあり、大田区を就職先の候補として調べていたところ、「おおたオープンファクトリー」に出会いました。

「実際に現場を見られるのがいいなと思って、就職活動の一環として金属加工の工場を見学しました。

それまで参加した企業説明会とは雰囲気が違い、オープンファクトリーでは職人さんが自然体で話してくれるのが新鮮でしたね」

実演や体験も楽しく、製造業で働くイメージも持てたと言います。

「若い人の採用も積極的で、受け入れ態勢ができているのを感じられて安心できました」

自分では気づかなかった長所を評価してもらえた

「おおたオープンファクトリー」に参加したことで、セミナーや企業説明会だけではわからない現場の雰囲気を知ることができたという西銘さん。

その後、「下町ボブスレー」プロジェクトにも参加している昭和製作所の存在を知り、面接を受けることに。

「実は、面接の前に他の企業の内定をもらっていて、気持ちのゆとりがあったので、気負わずに受けられたのがよかったなと思っています。

4次選考まであるんですが、いろんな社員の方といつも通りの自分で話せたので、この会社なら大丈夫という気持ちになれました」

昭和製作所
一緒に話を伺った取締役経営企画室長の今冨英志さん。二人の会話からアットホームな会社の雰囲気が伝わってくる

面接時には手製のアクセサリーを持参したのだそう。

「入社後に、アクセサリーを見せたことで、ものづくりの感性や丁寧なところが検査に向いているんじゃないかと評価されたと聞きました。

自分では気づかなかった長所を見てもらえたことが嬉しくて、ここで頑張っていこうと思いました」

元々は製造部門を志望していたものの、今では製造とはまた違った面白さを感じているそうです。

ピンチである反面、チャンスでもある

「オープンファクトリーは町工場を知ってもらういい機会になっていると思います」

そう話すのは、昭和製作所代表取締役社長の舟久保利和(ふなくぼ としかず)さん。

昭和製作所
お話を伺った舟久保利和さん

「当社はエリアが少し離れていて現在参加はしていないのですが、『下町ボブスレー』プロジェクトをやってきた経験から、やはり、こうした町ぐるみのプロジェクトは重要だと思っています」

昭和製作所のある大森地域では、「おおたオープンファクトリー」が始まる1年前の2011年から「下町ボブスレー」プロジェクトがスタート。

これまでに70社近くの町工場が参加し、ボブスレーの製造に取り組んでいます。

昭和製作所では立ち上げ当初から参加し、舟久保さんは2代目の委員長を勤めました。

昭和製作所

「オープンファクトリーにしても下町ボブスレーにしても、こういうプロジェクトが出てくるというのは、ある種の危機感があるわけです。

オープンファクトリーが西銘さんの一歩に繋がったのは、ピンチをチャンスに変えられた、嬉しい結果だったと思います」

今ここにある意味を作り出していく

かつては、海苔の養殖や麦わら細工が盛んだった大田区。大正時代になり、東京湾沿いに工場が建ちはじめ、関東大震災後には都市部にあった多くの工場が移転してきます。

その後、時代とともに工場が増え、昭和58年のピーク時には9000社以上と、都内一の工場地帯に。しかし、バブル崩壊やリーマンショックなどの影響を受け、現在は3300社ほどに減少しました。

「大田区はもともと計算されてできた工業地帯ではありません。だからこそ、今ここでものづくりをする意味を、自分たちで見出していかないといけないと考えています」

昭和製作所

町工場の未来を作るためには新しい力が必要だという舟久保さん。現在、昭和製作所の従業員は約40名。そのうち、10〜30代が18名、女性が5名働いています。

大田区で、これだけ若い人が働く企業は珍しいそう。

「うちには中学2年生の時に職場体験をしたことをきっかけに入ってくれた子もいますが、奇跡的な例です」

少人数の工場では受け入れ態勢が取れず、若い人を入れたくても入れられない現状もあります。

「どこの会社も魅力はあるけれど、それをどう表に出すか。自分たちからオープンにしていく必要があります。そういう意味でもオープンファクトリーは、いい機会になっていると思いますね」

大田区の伝統「仲間回し」も体験できる、おおたオープンファクトリー

今年も11月16日(土)に「おおたオープンファクトリー」が開催されます。

おおたオープンファクトリー

「工業系の企業に就職したいと思っている人には、実際のものづくりの現場を見られる、いい機会だと思います」という西銘さん。

「中小企業や小規模の工場の様子は、普段はなかなかわかりません。実際の仕事環境が見られるのは、すごく勉強になると思います」

今年は20社の工場が公開され、見学や加工体験をすることができます。

おおたオープンファクトリー
部品提供や資料提供などを含めると60社余りの企業が参加する(写真提供:大田観光協会)
おおたオープンファクトリー

過去の「おおたオープンファクトリー」より(写真提供:大田観光協会)

また、大田区の伝統である「仲間回し」(一社だけでは完成しない作業を複数社に回すことによって完成する手法)を体感できる「仲間回しツアー」や、工場を巡りながら缶バッジを集めてトートバッグに地図を完成させる「飾ろう!トートラリー」など、大田区ならではの企画も盛りだくさんです。

町工場の晴れ舞台、オープンファクトリー。

職人さんの素顔に出会いに、ぜひ出かけてみてはいかがでしょうか。もしかしたら人生を変えるような感動が、待っているかもしれません。

<取材協力>
株式会社昭和製作所
東京都大田区大森西2-17-8
03-3764-1621

一般社団法人大田観光協会

<開催情報>
第9回 おおたオープンファクトリー

11月16日(土)
会場:東急多摩川線 武蔵新田駅・下丸子駅周辺
11月17日(日)・23日(土)・24日(日)
会場:京浜急行本線 雑色駅周辺

文 : 坂田未希子
写真 : 尾島可奈子

まだ見ぬ自分の魅力に出会うため、伝統工芸の“品格”を身につける。「HiN」伊万里焼のジュエリー

伊万里焼のアクセサリーブランド・HiN(ヒン)

耳につけていなかったら、まるでミニチュアの和皿のように見えるピアス。

これは、国産磁器の原点である佐賀県・伊万里の焼き物「伊万里焼」のアイテムです。

職人の手によって牡丹の花や孔雀の羽根が繊細な筆づかいで絵付けされています。

HiN
写真提供:HiN
HiN
HiN
ピアスのほかにも、イヤリングやリング、ネックレスも。全て伊万里焼です

「和皿に多く見られる桔梗皿や木瓜 (もっこう) 皿、六角皿などの縁の形をモチーフに、和皿とジュエリーの曖昧な境界に遊び心のあるデザインにしています」

そう話すのはブランドを手がけた岡部春香さん。

伝統工芸の技術や日本各地の素材を現代のライフスタイルにアップデートしたアイテムを展開するジュエリーブランド「HiN (品:ヒン) 」のデザイナーです。

HiNのデザイナー、岡部春香さん
合同展示会「大日本市」に参加したHiN。右がデザイナーの岡部春香さん

日本に潜む素敵なものを掘り起こしたい

日本の伝統工芸に秘められた「品格」を現代のライフスタイルの中で表現したい——。

そんな思いを込めて、2018年11月に岡部さんが立ち上げたHiN。

HiN

岡部さんは、大学時代にファッションデザインを専攻し、パリへも留学。ところが、ファッションの早すぎるサイクルが自身のデザインのスタイルに合わないと感じ始め、卒業後は別の仕事を選んだといいます。

「でも、やっぱりデザインの仕事に携わりたくて、商品企画の仕事に転職したんです。その仕事の中で伝統工芸に興味を持ち始めて、自身の表現にあったファッションとプロダクトデザインを掛け合わせて、『HiN』を立ち上げました」

なぜ「伝統工芸」や「産地の素材」に着目したのでしょうか。

「伝統工芸の技術や昔からある素材そのものは、とても魅力的です。それをいまのライフスタイルにアップデートすることにチャレンジしたいと思いました。それと、日本人として、日本に潜む素敵なものを私自身も探したかったんですよね」

HiNとして、工芸の技術を用いたプロダクトを作ることが一貫したテーマではあるものの、自分が魅力的だと思ったものを選んでデザインに落とし込んでいきたいといいます。

人それぞれの美しさや美意識に寄り添うジュエリーを

先ほど紹介した伊万里焼のアクセサリーは、HiNのファーストコレクション。

ブランドの名刺代わりともなるファーストコレクションに岡部さんが選んだのは、佐賀県伊万里市の窯元・畑萬陶苑でした。

「伊万里焼は素材が上質で、色鮮やかな絵付けに華やかさもある。そういう意味で、自分が伝えたいと思っている日本の美意識や品格を体現するのにぴったりでした。

数ある窯元の中から畑萬陶苑さんとの企画に至ったのは、繊細な絵付けの技術と釉薬の使い方が独特なプロダクトに魅了されたからです。見ているだけで癒しになるような、上品でやわらかな釉薬の色。光の当たり方によっても違った表情を見せます」

HiN
HiN
下絵付を施した状態

伊万里焼のアクセサリーは、和洋のスタイルを問わず、ふだん使いから、結婚式などのハレの日まで活躍してくれそうです。

「プロダクトとして日本の美意識や品格が感じられるものを作りたいのはもちろんですが、身にまとう人それぞれの個性が生み出す美しさ、美意識に寄り添うようなジュエリーをデザインしていけたらと思います」

HiN
写真提供:HiN

セカンドコレクションは、陶磁器とはまた別の伝統工芸の素材を考えているとのこと。

今度はどんなアップデートを見せてくれるのでしょうか。次なる「品」が楽しみです。

<取材協力>

HiN

公式サイト

文:岩本恵美

写真:中里楓



<掲載商品>

【WEB限定】YURAI 六角イヤリング
【WEB限定】YURAI 木瓜ピアス

信楽「油日神社」プロの楽しみ方。アプローチから美しい名建築の魅力

こんにちは。ABOUTの佛願 (ぶつがん) と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。

この連載「アノニマスな建築探訪」では、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築をご紹介していきます。

文章を書くことを最も苦手とする僕が、どうしてこんな大役を引き受けてしまったんだろうと始めは後悔の念に駆られましたが、引き受けってしまったからには全力で楽しむ!がモットー。

今日はまず、ここ最近で一番現場に足を運んでいる滋賀信楽の近くにある、油日神社 (あぶらひじんじゃ) を紹介しようと思います。

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信楽の里近くの油日神社へ

油日神社は滋賀県甲賀市甲賀町油日に鎮座する神社で、油日大神 (あぶらひおおみかみ) を主祭神とし、武士の勝軍神として崇敬を受け、また、社名から油の火の神としても信仰されている。

様々な食用油が祀られている

かの白洲正子も「かくれ里」や「近江山河抄」の随筆のために幾度となく訪れたという。

交通手段は車をお勧めするが、電車だとJR草津線油日駅から徒歩30分ほど。

僕の経験上、名建築とされるものの多くはかなり不便な場所にあることが多く、それはそこにたどり着くまでの過程も含めて、計画されているのではないかと思うほどである。まず目を引くのがアプローチの灯篭。

リズムよく並んだ灯籠のアプローチ

何十本もある灯篭に沿って歩いていくと、楼門 (ろうもん) が見えてくる。

この楼門の及び回廊の造りが油日神社の意匠の要である。南北に本殿・拝殿・楼門が一直線に並び、楼門の左右から回廊がぐるっと拝殿・本殿を取り囲むように構成されている。

アプローチから楼門と回廊を望む

普通なら塀や生垣のようなもので大切なものは囲いそうなものだが、ここはそうではない。中央にできた広場的空間に身を置くと、周りの山や木々の声が聞こえてくるようなそんな不思議な空間になっている。

広場から楼門と回廊を望む

それは重厚な「楼門~軽い拝殿~山」と一体となった本殿という南北の軸線と、「山~回廊~広場~回廊~山」という東西の軸線のリズムの計画の妙なのかもしれない。「楼門~回廊~拝殿~社殿」と奥に行くに従って意匠の密度が高まっていき、西日に照らされた社殿の菱格子 (ひしごうし) の細やかな陰影は本当に美しかった。

楼門から拝殿を望む
拝殿の内部
社殿前の賽銭箱

ここからは興味がある方は少ないかもしれないが、ディテールの説明を。

楼門は3間1戸 (間口が三間で中央に戸口とした門のこと) で、屋根は入母屋檜皮葺 (いりもやづくりひわだぶき) 、柱は丸柱径尺 (まるばしらけいしゃく) で自然石の上に立つ。東西面及び桁行 (けたゆき) 中央両端に地覆 (ぢふく) 、腰貫 (こしぬき) 、内法貫 (うちのりぬき) を通し、半柄 (はんほぞ) 打抜、頭貫 (かしらぬき) は各隅組合せ木鼻付 (きはなつき) 、嵌板 (はめいた) 四方小穴入という造りである。

楼門 木鼻 隅組合せ
楼門 繋虹梁 (つなぎごうりょう) 及び隅虹梁 (すみこうりょう) にて組上げ、板蟇股 (いたかえるまた) 、小組格天井

回廊は一重切妻 (ひとえきりづま) 、檜皮葺 (ひわだぶき) 、正面は東西とも4間、奥行は東6間、西7間で共に拭板張 (ぬぐいいたばり) 、北端1間は土間になっており馬を繋ぐ空間である。東が西より1間短いのは地山が迫ってきているためである。

回廊 馬を繋ぐ土間
柱スパン三間ピッチの回廊 (1間=1818ミリメートル)
東面からの回廊の軒

拝殿は桁行19尺7寸5分、梁間 (はりま) 19尺5寸で、いずれも3間。正面背面に妻を見せた入母屋檜皮葺で、両面ともに唐破風 (からはふ) をつけている。

軒の出は柱芯より茅負下端 (かやおいしたば) まで6尺7寸6分5厘とかなり深いのだが、床高が高いので印象は軽いままである。また格子戸のみで仕切られるのみである。

拝殿 床下叩き及び亀腹固め、榑縁 (くれえん)
拝殿 6尺7寸6分5厘 (2050ミリメートル) の軒の出
拝殿 内部

本殿は三間社流造 (さんげんしゃながれづくり) 、檜皮葺。身舎 (もや) 平面は外陣・内陣・内々陣の3間に区画され、手前から奥へ順次高い拭板張。外陣は正面、側面とも小振りな菱格子 (ひしごうし) の引違い戸で非常に繊細な造りとなっている。

本殿 外陣の檜皮葺
本殿 装飾的な木鼻
本殿 外陣破風の装飾
小ぶりな菱格子

実はこの地に初めて訪れたのは大学3年から4年になる春休みの時である。日本の現代建築をしらみつぶしのように見ていた頃に、バイト先の建築家・吉井歳晴さんが、油日神社の資料をおもむろに渡してくれた。

「現代建築ばっかり見てちゃダメだよ」と言わんばかりに。目先の派手さはないが、脈々と受け継がれた何かを感じた。

約10年経って改めてこの場を訪れて感じた感想は、「気持ちがいい空間だな」である。

恐らく見方が変わっているだろうと行く前は期待していたのだが、そんな気負いはどこかに飛んで行き、残ったのは「気持ちがいい」という感覚だけであった。

甲賀歴史民族史料館も見学

神社の横には甲賀歴史民族史料館があり、事前に予約しておけば中を案内していただける。

中に展示されているのは甲賀の歴史的な資料と、油日神社に縁のある本殿の棟板や獅子舞、能面などである。

本殿の屋根裏に安置されていた棟板
催事に使われる新旧の獅子頭
室町時代の能面

楼門回廊で囲まれた広場で、獅子舞や能を鑑賞していたのが目に浮かんだ。毎年5月1日に行われる油日祭。ハレの空間を次は体験したくて仕方がない。

建築だけを見にくというのはなかなかハードル高いがご安心あれ。この地は信楽も伊賀も車であれは20分ほどでどちらでも行ける。皆さんもぜひ足を運んでいただきたい。

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そして、最後に信楽に来たらぜひ行っていただきたいお店を1軒ご紹介します。2017年7月8日にオープンした『NOTA SHOP』。

甲賀歴史民族史料館滋賀県甲賀市信楽町勅旨 (ちょくし) にある信楽の陶器の工場をリノベーションしたという、約500坪の広々とした建物。甲賀歴史民族史料館中には窯や、作業場、フォトスタジオに事務スペース、それに店舗が入っている。

信楽という場所でオーナーの加藤夫妻がこれから何を提案してくれるのかが非常に楽しみです。

<取材協力>
油日神社
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
0748-88-2106
http://www.aburahijinjya.jp

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋

*こちらは、2017年7月22日の記事を再編集して公開しました。

日本で数パーセント、無農薬のお茶づくりに挑戦。300年の茶園を継いだ元サラリーマン

軽やかに茶園を継いだ男

面積の8割を山林が占める、兵庫県の神河町(かみかわちょう)。西側に砥峰(とのみね)高原と峰山(みねやま)高原が広がり、東側に清流・越知川(おちがわ)が流れ、町なかでは5つの名水が湧く。

いかにも清々しい空気で満ちていそうなこの町では、300年前からお茶が作られている。その味は当時から評判で、享保10年(1725年)、尼寺として有名な京都の宝鏡寺から、「仙霊茶(せんれいちゃ)」という銘を授かった。

兵庫県神河町の風景
茶畑

しかし、現代は日本茶を飲む人も少なくなり、茶園も減少の一途。仙霊茶も同じ運命をたどり、後継者がいないという理由で300年の歴史に幕を閉じようとしていた。その時、「じゃあ、やっていい?」と軽やかに手を挙げた人がいる。

神河町にも、茶園にも、縁もゆかりもなかった、元サラリーマンの野村俊介さん。

2年間の研修を経て、2018年春、東京ドーム1.7個分に相当する仙霊茶の茶園を引き継いだ野村さんは今、農薬を使わず、肥料も与えない「自然栽培」のお茶づくりに挑んでいる。

野村俊介さん
野村俊介さん

農薬など存在せず、肥料も天然由来のものしかなかった300年前、神河町で作られていた仙霊茶は、自然栽培に近いものだったはずだ。

野村さんの茶園は40年前に開かれたものだが、神河町産という地理的な条件を見れば、江戸時代に飲まれていた仙霊茶の再現、あるいは進化版ともいえるのではないだろうか。

そのユニークな取り組みの話が聞きたくて、9月某日、野村さんの茶園を訪ねた。そこは山間の奥地にあり、山の斜面に沿って茶の木がずらーっと立ち並ぶ。

人工的な音はなにも聞こえず、茶園の脇を流れる小川のせせらぎが、耳に心地いい。なにも考えず、スマホも気にせず、しばらくボーっとしていたくなる景色だ。

小川

「この前、川に足を浸しながらお茶を楽しむ川床茶会を開いたんですよ。せっかくだから、川で話をしませんか?」

野村さんからの提案に、僕も、担当編集も「ぜひ!」とふたつ返事。山から流れてきた川の水はヒヤッと冷たかったけど、しばらくすると慣れた。冷房の効いたオフィスで話を聞くよりも、何十倍、いや何百倍も気持ちがいい。

野村さんは「ここで、面白いこと、楽しいことをたくさんしていきたいんですよね」とほほ笑んだ。

川に入って取材をしている様子
異例の川の中での取材となった

「めっちゃ楽しかった」東京時代

1978年、神戸で生まれた野村さん。姫路にある大学を出て、神戸に本社がある医療機器メーカーに就職した。

「就職活動の時、1社ずつしか受けなかったんですよ。行きたいところだけ受けて、断られたら次に行く感じで。就職した会社は3社目ぐらいに受けたところでしたね。

大学が理系だったんでメーカー系がいいかなと思ってたら、地元に血液検査の機械を作っていて元気いい会社があるよっていわれて、ほなええか、と受けたら採用されました」

2003年、新規事業部に配属され、東京支社で勤務することになった。例えば、本社で企画立案されたバイオテクノロジー系の新規事業の反応を確かめるために、都内で営業をかけるというテストマーケティング的な役割を担った。

売り先が病院ではなく、企業の研究機関や大学の研究室になる場合は、新しい顧客を開拓する必要がある。1年目から東京担当となった野村さんは、飛び込み営業を繰り返した。

ハードな仕事ではあったが、もともと人と話をするのが好きで、物おじしない野村さんは「めっちゃ楽しかった」と振り返る。営業成績も、悪くなかった。

ただ、意味や必要性を感じないルールに縛られるのが嫌いという性格もあって、誰よりも遅刻をする社員だった。

クライアントとのミーティングには決して遅れないが、朝8時に出勤しろと言われると「なんで?」と疑問を抱く。

「結果出せばいいじゃんっていう、生意気なところもありましたね」。

遅刻の理由を問われた時には嘘をつかず、「昨日、飲みすぎました」などと正直に答えていた。上司からすると扱いづらかったかもしれないが、その潔さもあって、東京支社の同僚や営業先とは仲良く付き合い、毎日のように飲み歩いていたという。

野村さん

独立独歩で生きていける道を求めて

浴びるように飲んだ酒とともに時は流れ、10年目にして神戸の本社勤務になり、企画立案をする側になった。野村さんによると、東京時代、立場も気にせず、自由奔放にアイデアを出していたら、「そんなら、お前やってみいや」ということになったらしい。

与えられたミッションは、「10年後、20年後の屋台骨になるかもしれない事業を立案すること」。本部長の直属で、なににも縛られず、自由に調べ、企画を出すことが仕事になった。話を聞くと楽しそうな仕事に思えるが、この立場が転職のきっかけになった。

この時、野村さんは考えた。スティーブ・ジョブズのように「絶対にこういう未来が来る」と誰よりも早く確信した人間だけが、イノベーションを起こせる。

そして、10人中10人が「は?」と思うようなものでないと、本当のイノベーションは起きない。

もし、そういうアイデアが思い浮かんだとして、取締役をひとりひとり粘り強く、呆れられるぐらい説得するほどの気力が自分にあるかと考えた時に、我に返った。

「俺って、そんなに医療に思い入れあったっけ?」

会社には、自分自身や家族が難病を抱えている社員がいて、常々、「ぜんぜんモチベーションが違う」と感じていた。軽い気持ちで入社した自分には、本当に社会的意義を果たすようなことは思いつかへん‥‥。

同時期に、三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官、内閣官房内閣審議官を歴任した水野和夫氏の『資本主義の終焉と歴史の危機』という書籍を読み、「資本主義、マジで終わるな」と危機感を抱いた。

会社では役割を果たせない。資本主義は揺らいでいる。このふたつの気づきを経て、野村さんは「独立独歩で生きていける道を探したほうがいい」と思い至った。

お茶の葉

さてなにをしようかと考えた時、高校の同窓会で農業をしている同級生と再会した。無農薬、無肥料で米と大豆を育てていて、その米と大豆を使って味噌とどぶろくを作っているという同級生は、稲に与える水を豊かにするために、冬は林業をしていると話していた。

なんだか面白そうだと思って2014年の9月、同級生のもとを訪ねると、セルフビルドで建てた家があった。その瞬間、野村さんはビビビッと電撃に打たれたように閃いた。

「資本主義も終わるんやから、これが一番強い生き方だ!」

その場で、同級生に「こっちきたら、いろいろ教えてくれるの?」と聞いたら、「いいよ、なんぼでも」と返ってきた。その言葉を聞いて、野村さんはこう言った。

「ほんなら会社やめるわ」

「じゃあ、俺、やっていい?」

この出来事から間もなくして会社に辞意を伝えた野村さんは、2015年4月1日、晴れて自由の身になり、同級生が住む兵庫県朝来市に引っ越した。同じものを作っても面白くないからと、その春からすぐに胡麻と生姜の自然栽培を始めた。

「ちょうど、担々麵にはまってて(笑)」それがこの2つを選んだ理由だ。

間もなく、脱サラして突然就農した野村さんのもとに、通っている合気道の道場仲間や元同僚が遊びに来るようになった。

秋の収穫を控えた8月、ひとりの友人が「お茶に興味がある」というので、知人の茶園に一緒に出向いたら、そこで「神河に新規就農者を探してる茶園あるで」と聞いた。

「渡りに船!」とふたりで訪ねたのが、仙霊茶を作っていた茶園だった。野村さんは初めて見る茶園の景色に圧倒されながら、友人に「やったやんけ、こんな話ないぞ」と興奮気味に声かけた。

通常、イチから茶園を始めようと思ったら、茶の木を植えるところから始まるため、すぐには収穫できない。耕作放棄地を使うとなると、茶の木があっても、土地自体が荒れている可能性もある。

その点、この茶園は幸運にもその年の春までしっかり手入れされていたから、余計な手間をかけずに引き継ぐことができる。

しかし、友人は東京ドーム1.7個分、およそ7ヘクタールの茶園が「広すぎる」と、気乗りしない様子だった。そこで、野村さんは友人に尋ねた。

「じゃあ、俺、やっていい?」

完全なる勢いだった。

「もともと、お茶にはぜんぜん興味なかったんですけど、とにかく一面の茶畑を見て大感動したんですよ。こんな条件のところほかに絶対ないと思ったし、すぐにやりたいっていう人が現れるだろうから、それはもったいない、俺がやろうって思ったんです」

野村さんの農園の一部
野村さんの農園の一部。奥にまで続いている

予想以上の反響だった茶畑オーナー制度

野村さんがラッキーだったのは、はいどうぞ、といきなり引き渡されなかったことだ。

もともと複数の生産者で経営していた茶園という背景もあり、地元の銀行が主体となって継承者を探すための事業組合を作り、野村さんがそこに参画して2年間、一緒にお茶づくりをするという条件になっていた。組合からすれば試用期間の意味合いが強いが、野村さんからすればイチからお茶づくりを学ぶことができた。

もうひとつ、大きなポイントだったのは、過去10年ほど、農薬が使用されていなかったこと。これは、もとの生産者たちがオーガニックを目指していて、というわけではなく、需要の低下と高齢化もあって「機械も高いし、農薬を撒くのがしんどかった」という理由だったが、自然栽培を志向する野村さんにとっては願ってもないことだった。

お茶の木
左右に生えているのもお茶の木

こうして、2015年の秋から2年間の実地研修が始まった。事前に「自然栽培をしていいなら継ぐ」と話して了解を得ていたので、最初から無農薬、無肥料でのスタートになった。

夏の間は雑草が生えていることも
夏の間は雑草が生えていることも

当初は胡麻と生姜を作りながら、と考えていたが、兼業できる余裕などないことを、2年間で実感。お茶づくりに集中することを決め、正式に引継ぎが決まった2018年春、朝来市から神河町に引っ越した。

仙霊茶を育む茶園のオーナーになって、1年半。野村さんは、当面の課題である販路の確保に動いている。

もともと生産がほとんど途絶えていたため、イチから顧客を開拓しなければならない。そこは、飛び込み営業を得意としていたサラリーマン時代の経験と、社内でも評価されていた発想力の見せ所だ。

現在、近隣の旅館や商業施設に卸しているほか、ネット販売も始めた。今後の核にしていこうと考えているのは、月1000円、年間12000円を払うと、年に2回、お茶が届けられたり、イベントに参加できるという茶畑オーナー制度だ。昨年11月にスタートしたところ、すでに50人が会員になった。

オーナーになると届けられるお茶
オーナーになると届けられるお茶。新茶の時期には、収穫をはじめた5月5日から18日までの6種の新茶やほうじ茶などが届いた

「日本で、無農薬のお茶って数パーセントしか栽培されていないんですよ。でも、そこには確かな需要があって、まだ簡単なチラシを作った程度なのに、自然栽培のお茶を飲みたいという人が、口コミで会員になってくれるんです。

京都のおぶぶ茶苑というところで茶畑オーナー制度が成功していると聞いて取り入れたんですけど、ここまで反応がいいとは思ってなくて、これはすごいなと思いましたね」

参考資料
農林水産省「茶をめぐる情勢」より:有機栽培茶の生産量は全体の4%程度

アワード以外でお茶の価値をいかに高めるか

野村さんがお茶の世界に入った時に疑問を抱いたのは、生産者の多くがいかに品評会で受賞するか、「アワード」にこだわっていたことだった。

なぜ嗜好品なのに、ひとつの価値観に縛られるのか。ワインのように産地のテロワールを楽しむような多様な価値観を拡げたいと考えていた野村さんにとって、無農薬、無肥料で育てたお茶を支持してくれる人がいるという事実は、大きな自信となった。

これからも品評会には一切出さず、川床茶会のような多彩なアプローチで仙霊茶のファンを作り、価値を高めていこうと計画している。

茶畑

例えば、茶の木は椿科で、花が咲いた後に大きな実がなる。その実を絞って油を採り、椿油と同じように食用や美容用のオーガニックオイルを作るというアイデアもある。たくさんは作れないが、それをオーナー向けに販売したら、喜ぶ人もいるだろう。

お茶の実
お茶の実

現在、茶葉は機械で刈り取っているが、茶葉を手摘みすると、確実に美味しくなる。

そこで例えば、ある程度の売り上げを確保できるようになったら、茶葉を袋詰めする作業を発注している地元の福祉作業所に、しっかりと時給を払って手摘みの作業も依頼しようと考えている。福祉作業所で働く障碍者の自立支援にもつながるし、その取り組みを応援したいと思う人もいるだろう。

従来のようにお茶を売るだけでなく、お茶と茶畑をベースにした多角的な展開を目指す野村さんの話を聞いていると、サラリーマンの枠に収まらなかった理由がわかった。

川で飲ませてもらった仙霊茶は、爽やかでキリッとした風味がした。江戸時代の味を受け継ぐこの希少なお茶でなにを仕掛け、なにを実現するのか。脱サラオーナーの頭のなかには今、アイデアが渦巻いている。

野村さん

仙霊茶 野村俊介さん
問い合わせ先:senreicha@gmail.com

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仙霊茶 通販ページ

文:川内イオ
写真:直江泰治

ピアノ調律師の仕事は、 100の道具を使いわけ、100万分の1の音色を創る。

ピアノの“音”を創る職人、ピアノ調律師の仕事とは

映画『羊と鋼の森』で注目を集めた、ピアノ調律師の仕事。その日常は、一体どんなものだろうか。

映画_羊と鋼の森 ピアノ調教師を追う
「羊と鋼の森」の調律シーン ( ©2018「羊と鋼の森」製作委員会) 。本屋大賞を受賞した宮下奈都さんの小説を実写映画化したこの作品は、ある一人のピアノ調律師と出会った主人公の青年が、険しい調律の森へと迷い込みながらも、人として、調律師として成長していく静謐で美しい物語である

前編では「島村楽器」ピアノセレクションセンターの調律師である中野和彦さんに、いい音とは何か?調律師ゆえの不安や苦悩などを伺った。

前編はこちら:『羊と鋼の森』を観たピアノ調律師の確信。「私の求めた“音”は間違いじゃなかった」

「島村楽器」ピアノセレクションセンターの調律師である中野和彦さん
ピアノの話になると表情がとたんに緩む中野さん。ピアノ愛に溢れていた

後編は、いい音を生み出す実践編。中野さんに作業場を見せていただくと、ピアノ調律師の仕事は、おびただしい数の道具が支えていることがわかってきた。

島村羊と鋼の森インタビュー。楽器のピアノ調律師さんの道具

映画の中にもさまざまなアイテムが登場するが、実際のところ、ピアノ調律師はどんな道具を使い“羊と鋼の森”に分け入っていくのだろう。

繊細な仕事を支える“なにこれ?”な道具たち

早速、道具を披露してもらうと……なんだかへんてこなものばかり。

「これ。なんだと思います?」

グランドピアノのハンマーと弦の打弦距離を測る道具「ゲージ」

まったく分かりません。

「ゲージです。グランドピアノのハンマーと弦の打弦距離を測る道具。先端から、針金の曲がった部分までの距離がぴったり45ミリなんです」

ピアノは羊の毛でできたハンマーが弦を打つことによって音が出る。打弦距離とはハンマーが弦に当たるまでの長さのことで、この距離によって音色や音質、音量なども変わる。

打弦距離を調節する基準を取るためにゲージを使用する
白くて丸いものがハンマー。このハンマーが上の弦に当たる打弦距離によって音色や音質が変わるため、細かく調整する必要がある

ピアノごとに数ミリ単位で調節するものの、まず基準値に合わせるための道具がこれ。一般的な定規では測りづらいためこうした形のゲージが便利なのだとか。

こちらはねじまわし。

ねじまわし
この世にたった一つだけしかない中野さんオリジナルの自信作。30年来の古株だ

ダンパー (足元についているペダルの一つ) を支えるダンパーブロックスクリュー (小さなネジ) を締める為のものだという。これ、その一箇所にしか使えない。

中野さんの道具は、たった一箇所のため、たった一つの工程だけに使うというものがほとんどだ。

次の道具もそうである。反り曲がった、使い古した板のような……これ、道具?

調律の際、ハンマーの表面を削って調整するための道具

「決して不良品ではありませんよ(笑)。このカーブこそ重要なんです!」

使い慣れた道具を手に熱弁する、島村楽器のピアノ調律師、中野さん

中野さんが熱弁するように、これはハンマーの表面を削って調整するための大事な道具だ。

ハンマーは弦に直接当たるため、フェルト部分に弦の跡がついて硬くなったり、フェルトがこすれて摩耗する。当然ながら音色や音質にブレが生じ、ピアノのもつ自然な音が出なくなる。

それを調整するための道具である。表面にサンドペーパーがついていて、ハンマーの形状に合わせ、丸いカーブをつけながら削ることができるという、非常に理に適った道具である。もちろんこれも手づくりだ。

「またハンマーといえば忘れてはいけないのがピッカー。ハンマーのフェルト部分を刺して柔らかくする道具です」

ハンマーのフェルト部分を刺して柔らかくするピッカー
左から二番目だけ市販品。あとは中野さんのお手製だ
ピアノ調律師の道具「ピッカー」
拡大するとこんな感じ

「針を刺すことで、フェルトに空気を含ませて弾力をつけることができるんです。弾力がないと音が硬くなったり、つぶれてしまうのですが、これを適度に柔らかくすることで弾みがついてきれいな音になるんです」

市販品もあるけれど、「それだけでは正確な音創りができなかったので自分でつくってみました」と中野さん。全部で4種類を用意していた。

ちなみに針を刺す位置は音域や求める音質によって違うとか。高い音域の場合には真ん中より下の部分に針を刺し、弾力や伸びをつけたいときには上部分を刺すという。気が遠くなるような繊細で綿密な作業である。

ピッカーを使って音に弾みをつける
「音に弾みをつけるときにはこの部分に針を刺します」と中野さん

恩師がくれた、角度の違うチューニングハンマー

ほかにも個性的な形のドライバーやペンチ、ピンセットなど、中野さんの鞄に入っていた道具は全部で100種類以上。いずれも思い入れのある道具ばかり。

「でもやっぱり、これは別格です」

弦の張り具合を調節して音程を揃える「チューニングハンマー」

取り出したのはチューニングハンマー。弦の張り具合を調節して音程を揃える、調律師になくてはならない道具である。中野さんが愛用していたのはドイツのヤーン製。年季の入った逸品だ。

チューニングハンマー

「これは僕の恩師であるドイツ人のピアノマイスターがくれたもの。ご自分が使っていらしたものを僕に譲ってくれたんです」

実は中野さんはドイツから帰国した後、一度だけ、調律師とは無関係の仕事に就いたことがあるそうだ。それを聞きつけた恩師は、中野さんをもう一度ドイツに呼び寄せ、このハンマーをくれたのだという。

── そういえば映画『羊と鋼の森』でもチューニングハンマーはキーアイテムになっていた。尊敬する調律師が、悩める若き青年におくったのがまさにチューニングハンマーだったことを思い出す。

©2018「羊と鋼の森」製作委員会
©2018「羊と鋼の森」製作委員会

「たぶん、辞めるなよ、調律師を続けろよ、と言いたかったんだと思います。調律師にとって使いなれたチューニングハンマーは命みたいなものですから、それを自分にくれたというのは‥‥涙が出るほど嬉しかったですね」

しかもこのチューニングハンマー、一般的なそれとは少し違うとか。

「通常、ハンマーヘッドの角度は9°なのに対して、これは5°しかないんです」

チューニングハンマーのハンマーヘッド
ここがハンマーヘッド
角度が違うチューニングハンマー
上が一般的なチューニングハンマー。下がヤーン製。比べてみるとこんなに角度が違う

チューニングの作業は、弦が巻き付いているチューニングピンにチューニングハンマーをはめて、前後に動かしながら音を調節していく。

ピアノの調律の様子
弦の張りを締めたり、緩めたり

「このとき、柄の角度が水平に近くなるため、微妙な手の動きを伝えやすく、より正確にコントロールできるんです」

中野さんの「宝物」である。

100万分の1の音色を創る

調律を始めると、それまで笑顔だった中野さんの表情がキュッと引き締まった。

ピアノを調律する調律師の中野さん

ポーン、ポーン、ポーン。一定のスピードで同じ音を鳴らす。左手で鍵盤を叩き、右手でチューニングハンマーを操っている。

「音を決めるときに大切なのは、一度弦をグッと下げて、そこからゆっくり求める音に近づけていくこと。上から下げて合わせようとすると弦にたわみができて詰まった音になる。つまり、きれいに響かないんです」

ポーン、ポーン。1音源は3本の弦の音を揃えること(ユニゾン)で決まる。ラならラの、ドならドの、3本それぞれから基音を引っ張り出してあげるのだ。

ポーン、ポーン。ズレていた音が、次第に重なっていくのがわかる。

ひとつの鍵盤には1〜3本の弦が張られている。調律では、3本の弦が張られていたら、その3本すべてを同じ音に合わせ、1音を創る
ひとつの鍵盤には1〜3本の弦が張られている。調律では、3本の弦が張られていたら、その3本すべてを同じ音に合わせ、1音を創る

チューニングハンマーを握る手は動かしているというより、小刻みに震えているような状態だ。神経を研ぎ澄まし、感覚に近い動きで調律を行っているのだ。

「調律はコンマ何ミリという世界。微妙な動きで100万分の1の音色を見つけます」

ポーン。3本の弦が一つに重なり、その瞬間、音が伸びやかに広がった。透明感のある艶やかな音がスタジオ中に響いた。

調律師に一番必要なものとは?

──『羊と鋼の森』の終盤で、主人公の青年が先輩調律師に、こう尋ねる。「調律師に一番必要なものって何だと思いますか?」

中野さんはどうだろう。

「根気と探求心でしょうか。我慢して苦しみながらも、新しい音を目指して続けていくことですかね。

小説『羊と鋼の森』にもありましたけど、一つのものをこうでなければいけないと決めつけてしまうのは良くない。人それぞれ考え方があって、自分にとっては何がいいのか、弾く人にとってはどうなのか。自分の価値観と別の価値観を同時に追求しないといけません。

答えは出ませんね、きっと。ずーっと(笑)」

そして今日もまた、中野さんは調律という森へと足を踏み入れるのだ。

キャスター付きのビジネスバッグとリュックサックで調律に向かう中野さん
調律に出かけるときは、いつもこんなスタイル。調律バッグにはキャスター付きのビジネスバッグとリュックサックを使用

<取材協力>
島村楽器ピアノセレクションセンター
埼玉県さいたま市南区内谷5-15-3
https://www.shimamura.co.jp/shop/piano-selection/

文:葛山あかね
写真:尾島可奈子、「羊と鋼の森」製作委員会

参考:宮下奈都『羊と鋼の森』文藝春秋 (2015)

*こちらは2018年8月9日の記事を再編集して公開しました。ピアノを弾くときは、職人の仕事に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。一音一音がより特別なものになりそうですね。

『羊と鋼の森』を観たピアノ調律師の確信。「私の求めた“音”は間違いじゃなかった」

島村楽器の調律師・中野和彦さんを訪ねて

ピアノの“音”を創る職人がいる。映画『羊と鋼の森』で注目を集めたピアノ調律師だ。

映画_羊と鋼の森 ピアノ調教師のしごと

本屋大賞を受賞した宮下奈都さんの小説『羊と鋼の森』を実写映画化したこの作品は、ある一人のピアノ調律師と出会った主人公の青年が、険しい調律の森へと迷い込みながらも、人として、調律師として成長していく静謐で美しい物語である。

映画_羊と鋼の森 ピアノ調教師を追う
「羊と鋼の森」の調律シーン/ ©2018「羊と鋼の森」製作委員会

ピアノの音は目に見えない。形などなく、触れることもできない。けれど、確かにそれはそこにあり、音という色を纏わせて、人の心を揺さぶるほどの力を秘めている。

ときに優しく、ときにキラキラ輝くように。

実際、ピアノ調律師は何を思い、迷い、どのように音を生み出すのだろうか。

いい音とは、何か?

「私はあの映画を観て本当に感動いたしました。

我々の仕事が細かく再現してあることはもちろんですが、劇中に流れるピアノの音色を聴いたとき、私がこれまで追求してきた“音”は間違いじゃなかったと心から思えたと同時に、自分の音色を確認でき、強く感動したことを覚えています」

そう語るのは1962年創業の総合楽器店「島村楽器」のピアノセレクションセンターで活躍する調律師の中野和彦さん。この道30年以上のベテランだ。

羊と鋼の森インタビューに応じてくださった、島村楽器の中野さん

調律師の養成学校を卒業後、「調律のためにはピアノそのものを知らなければいけない。ピアノを作ってみたい!」と単身渡独。

ドイツ語はまったくしゃべれない。曰く「熱意だけで」ピアノの製造工場への就職を決めた。その後、師匠となるピアノマイスターと出会い調律の奥深さを学ぶ、という異色の経歴の持ち主である。

「私が追求してきた“音”は間違いじゃなかった」。中野さんが嬉しそうに語るこの言葉の奥底には、映画の主人公も悩み苦しんだ調律師としての大事な命題があった。

いい音とは、何か?

ここから調律師の普段の仕事について紐解いていこうと思う。

0.01㎜の差で音色は変わる

「そもそも調律師の主な仕事には整調、整音、調律の3つがあります」

「整調」とは簡単にいえばピアノを組み立てるパーツのメンテナンスとその動きの調整。

「車にたとえるなら機械整備にあたる部分ですね」と中野さん。

たとえば鍵盤調整。

鍵盤の高さや深さ、バランスを調節し、動きをスムースにするための大事な工程だ。鍵盤を持ち上げると緑のフェルトがあり、その下にはパンチングと呼ばれる丸い紙が挟まれている。

鍵盤調整

これは鍵盤の高さを調節する道具の一つ。

厚さは0.03㎜〜0.06㎜。パンチングの厚みや枚数で鍵盤の深さを調整する
厚さは0.03㎜〜0.06㎜。パンチングの厚みや枚数で鍵盤の深さを調整する

この厚さを変えることで鍵盤の沈む深さが変わり、自ずとタッチ(弾き心地)も変わる。1㎜にも満たない極薄の紙がピアノの音色を変えるというのだ。

また「整音」は、音量や発音のバランスを整える工程。中野さん曰く「ピアノの音をフォルテまできっちり出せるようにすることが大切です」

整音のカギとなるのがハンマーだ。ピアノは羊の毛で作られたハンマーが弦を打つことによって音が出る。

88音のすべてにハンマーがついていて、ピアノ1台につきおよそ3頭分の羊の毛が使われているという。

柔らかいのかと思ったら、毛がぎゅっと締まっていて意外と硬い
柔らかいのかと思ったら、毛がぎゅっと締まっていて意外と硬い

そして、このハンマーの質もまた音色を変える。毛並みや弾力、硬さ、羊毛の圧縮率から木の素材に至るまで考慮して調整することが必要で「とにかく大変な‥‥いえ、整音もまたやりがいのある工程です」と中野さんは笑う。

分からない。だからこその不安と苦しみ

「ただひたすら、コツコツ努力を重ねるしかありません。経験を積み、自問自答し、さらに技術と感覚を磨く。

でも最終的に出てくる音、そのピアノの個性を決定づけるのはやはり『調律技術』。ここですべてが決まります」

大事なのは平均律に合わせて音律を整えること(音程を合わせること)、ピアニストが弾いても音が狂いにくいように音を留めてあげること。そして響きと音色を創ること。

「はじめの2つは調律学校を出て、ある程度経験を積めばできるようになります。

自動車に例えるならば、免許取得=公道を走れることに似ている気がします。けれども、上手な運転というのは教習所を卒業しただけでは身につかない。

調律師も同じで、日々の研鑽が必要なんです。私の場合は、20年くらい経ってようやく自分に自信が持てるようになったかな、と(笑)。

でも、自分がどんな音をつくればいいのかはずっと分からないままでした」

中野さん

そもそも美しい音色ってどんな音?どういう音が、正しいのだろうか?

──『羊と鋼の森』のなかで、青年も同じように苦悩する。そして尊敬している調律師はこう言った。

「この仕事に正しいかどうかという基準はありません」

調律師が10人いたら、10人の音色がでるという。そこに基準などない。でも、だとしたら一体どこに向かって音を創ればいいのだろう。

ピアノに触れているところ

「毎日、毎日調律をして見つけたと思っても、翌日には違うと思い報される。毎日が自問自答の繰り返し。30年間は本当に不安と苦しみの連続でした」

大切なのは、ピアノが自然に響くこと。

長い調律師人生において中野さんは、何度もピアノから離れようとしたという。でも結局、辞めることはできなかった。

「やっぱり、いい音が何なのかを知りたかったから。どうしても掴みたかった。いい音を掴むまでは辞められないと思ったんです」

ある日、ショールームに響きわたるピアノの音に衝撃を受ける。それは同社を引退した大先輩がたまたま来社し、調律したピアノの音色だった。

ショールームの様子
鍵盤を弾いているところ

「同じピアノなのに、僕が調律したのとはまったく違う音でした。透き通るような、広がるような、伸びやかな音。この世のものとは思えないほどの音色に感動しましたね。なんていうか、命に響いたんです」

それまで中野さんはスタインウェイはスタインウェイ、ヤマハならヤマハと、メーカー別に、そのピアノの個性を決めつけていた部分があった。でも、衝撃の音色を聞いて、それは間違いであることを知ったという。そしてあることに気づく。

追求すべきは「基音」である、と。

簡単にいうならドならドの、ソならソの、その音そのものの純粋な音のみを引っ張り出して揃えてあげること。そのピアノにとって無理のない音を出し、ピアノを自然に響かせてあげること。

そうすると濁りのない、澄んだ音になる。そんな基音を追求しなくてはならない。

大切なのは「響き」である。

「どこまでも、どこまでも響くような、透明感のある音。言葉で言い表すのはとても難しいですね(笑)」

中野さん

「そのピアノで一番いい響きを出してあげること。響きをきっちり出してあげると、自然とそのピアノのもつ最上の音色が出てくる。いまはそう思います。

でも、もう少ししたらまた違う、なんて思ったりするかもしれない。永遠に答えなんて出ないでしょうね。でも、今はそれを追いかけるのがとても楽しいんです」

さて。

そんな調律師の厳しい世界を支える道具たちは、何だかへんてこなものばかり。

反り曲がった板、ミシン針を何本も射した棒っきれ、謎の形をしたドライバーのような道具……

一体、どうやって使うのだろう?

こんなものや
こんなものや

こんな形のものまで
こんな形のものまで

その数、100種類以上!
その数、100種類以上!

その答えは、後編でゆっくりと。

<取材協力>
島村楽器ピアノセレクションセンター
埼玉県さいたま市南区内谷5-15-3
https://www.shimamura.co.jp/shop/piano-selection/

文:葛山あかね
写真:尾島可奈子、「羊と鋼の森」製作委員会

引用文出典元:宮下奈都『羊と鋼の森』文藝春秋 (2015)

*こちらは2018年7月13日の記事を再編集して公開しました。身近な楽器であるピアノにも初めて知ることがたくさんありました。改めて、奥深い世界です。