旅館の女将はどんな仕事?1日体験したら、旅館がもっと好きになりました

こんにちは。東海エリアの魅力を発信している広瀬企画のライター・齊藤です。普段は名古屋に暮らしています。

日本の旅の楽しみといえば‥‥温かい温泉。心と体を癒やし、日常を忘れさせてくれる、あの幸福感は何にも代えがたいものがあります。

そんな温泉旅館を象徴する存在が“女将”。旅館の顔として華やかなイメージがありますが、実際のところ、女将ってどんな仕事をしているのでしょう?考えてみると、意外と知らないものです。

ちょっとミステリアスな女将の仕事に迫るため、今回特別に“1日女将体験”をさせてもらうことに‥‥楽しみです!

開湯1300年、歴史的な節目を迎える湯の山温泉

訪れたのは、三重県・菰野町。718年(養老2年)に発見されたと伝えられ、今年で開湯1300年を迎えるという湯の山温泉です。

御在所岳の麓に位置し、名古屋から車で約1時間とは思えないほどの豊かな自然が待ち受けています。特に紅葉シーズンには、多くの観光客でにぎわいます。

山々に囲まれた、湯の山温泉「鹿の湯ホテル」
山々に囲まれた、湯の山温泉「鹿の湯ホテル」

「ようこそ、お待ちしておりました」

「鹿の湯ホテル」女将の伊藤寿美子さん

凛とした着物姿で出迎えてくれたのは、1日女将体験をさせてくれる「鹿の湯ホテル」女将の伊藤寿美子さん。早速、中へと案内してくれました。

鹿の置物と、右にあるのは菰野町名産の植物・真菰(まこも)
鹿の置物と、右にあるのは菰野町名産の植物・真菰(まこも)

まず目に入ってくるのは、旅館の名前にもなっている“鹿”の置物。「鹿の湯」というのは湯の山温泉の別名でもあり、かつて、傷ついた鹿がこの温泉で傷を癒したという伝説からその名がつきました。

温泉だけではなく、客室から眺める四季折々に色を変える山並みや、伊勢湾の眺望も魅力。地元食材を使った、料理長自慢の会席も楽しみの1つです。

ロビーに到着すると気になるのが、ずらりと並んだボトルの数々。他の旅館ではあまり見かけない光景です。

「鹿の湯温泉」女将お手製の果実酢と果実酒のボトル
「鹿の湯温泉」女将お手製の果実酢と果実酒のボトル

実は、このボトル全て、女将お手製の果実酢と果実酒。地元産のものや旬のもの、漬けている果実は約30種。宿泊する方の夕食時に提供しています。

「元々、私自身がお酢もお酒も好きなんです。それをサービスにできたら、お客様にも喜んでいただけるのではと思って始めました。

後ほど、果実酢・果実酒づくりも体験してみてくださいね」と伊藤さん。

表に立つだけが女将の仕事ではない

「鹿の湯ホテル」女将の伊藤寿美子さん

「きっと、私はみなさんが描いている“女将像”ではないと思うんです」

そう話す伊藤さんの女将としてのお仕事は、事務処理などのデスクワーク、予約や電話応対、果実酢・果実酒づくり、お客様のご案内や料理の配膳など。前に出るのではなく、旅館全体を後ろからサポートするような仕事です。

さらに、伊藤さんは12年前からは旅館を横断した女将の集まりである「湯の山温泉女将の会きらら」にも参加。今では会長を務めています。

鹿の湯ホテルの中だけにとどまらず、湯の山温泉全体をサポートしているんですね。

「湯の山温泉は、これだけ自然に囲まれているのに名古屋からも関西からも気軽に来て頂けるアクセスの良さがやっぱり魅力。立地が良いからか、若いスタッフも多いんです」

今年6月には、旅館街や御在所ロープウエイで働く若手女性による、おもてなし隊「湯の山温泉 結びの会 いずみ」が発足。さらなる活気を見せています。「湯の山の未来も明るいですね」と微笑む伊藤さん。

そんなお話を聞きながら、いよいよ女将体験がスタート。

まずは形からです。女将のユニフォーム、着物に着替えます!

「鹿の湯ホテル」女将の伊藤寿美子さんに着付けをしてもらう

伊藤さんの素早い手さばきで、あっという間に着付け完了。

普段は、夏になると浴衣を着るくらいで、なかなか着物を着る機会はないのですが、着物を着ると自然と背筋が伸びる気がします。

しっかり帯を締めてはいても意外と苦しくないので、これなら動き回っても大丈夫そうです。

お客様との会話をつくる、自家製の果実酢・果実酒

姿勢を正したところで早速、果実酢づくりから体験。嬉しいことにはじめに試飲をさせてもらいました。

「今なら、いちご酢が飲み頃でおいしいですよ」

とおすすめされ、私もいちご酢のソーダ割りを試飲。

試飲させてもらったいちご酢のソーダ割

酢の香りが鼻をくすぐり、いちごの甘酸っぱさで爽やかな飲み口。

他に、なかなか珍しいマタタビ酢、よもぎ酢、ブルーベリー酢も試飲させてもらいました。マタタビは、地元の方からいただいたそう。

マタタビというと味の想像がつきませんが‥‥
飲んでみると少し独特の渋味はありつつも、酢の酸味とマッチして意外なおいしさです。

さて、いよいよ自分で果実酒づくりに挑戦です。私が作ったのはオレンジ酢。

果実酒づくりに挑戦

ボトルに果実と氷砂糖を入れて‥‥

果実酒づくりに挑戦

たっぷりと酢を注いだら、フタを閉めて。こうして作った果実酢が、ロビーに並べられます。お客様が試飲することもでき、女将やスタッフと、お客様との交流につながっているのだとか。

鹿の湯ホテル名物、折り紙の箸置きづくりに挑戦!

果実酒・果実酢づくりと同様に、裏方での大切なお仕事が箸置きづくり。

お客様の夕食時に使われる可愛らしい鶴の箸置きは、なんと女将をはじめ、スタッフ総出で全て手づくりしているそうです!

折り鶴の箸置き
折り鶴のアレンジで、背中にお箸を置けるようになっています

私も早速、伊藤さんに教わりながら箸置きづくりに挑戦します。

折り鶴の箸置きづくり風景

できあがったのがこちら。

折り鶴の箸置き
伊藤さんが作ったものが左、私が作ったものが右です

見た目ほど難しくなく、初めてでも綺麗に折れました。ただ、伊藤さんのスピードにはまだまだ追い付けなさそう。

折り鶴の箸置き製作風景

「鶴の箸置きだけではなく、こんなのもあるんですよ」

と、続いて伊藤さんが折りはじめたのは鹿の置物。奈良から訪れたお客様が教えてくれたのだとか。

こちらは折り紙を2枚使うため、少し難易度が上がります。

折り紙でつくった鹿の置物
私が作ったのは左の鹿です

好みの鹿になるよう、角を再現する切れ込みを入れて完成。

これが細かい作業で、なんとか伊藤さんの鹿と並べても違和感なく完成できましたが、ちょっと角を切り過ぎてしまいました。もう1度作るとなると再現できる気がしません‥‥

スタッフのみなさんは、折り方を暗記してどんどんスピードアップしていくのだそうです。

箸置きに込められた、鹿の湯ホテル流のおもてなし

折り紙を続けながら、伊藤さんがこの箸置きづくりを始めた想いを教えてくれました。

「うちはいわゆるラグジュアリーな高級旅館、というわけではありません。例えばこの箸置きを全て有名作家さんの一点ものにする、といったサービスは難しいかもしれない。

私たちができる鹿の湯ホテルらしいおもてなしは何だろう、と考えたとき、手づくりの箸置きはどんなに忙しくても続けようと決めたんです」

この夏は連日満室が続いて、1日約100人が宿泊。つまり毎日100個の箸置きを作らなければなりません。

それでもスタッフみんなで協力して、お客様全員分の箸置きを作り続けたそうです。

食事の際に「手づくりなんですね」と気づいてくださるお客様も多く、旅の記念にと、持って帰られる方もいるのだとか。

箸置き1つとっても、旅館の思いが詰まっているものなのですね。

交流の生まれる宿を目指して

実は一般のお客様も、鶴の箸置き・鹿の置物づくりをロビーで体験することができます。

夕食のあと、ロビーでデザートバイキングがあるので、そのタイミングで挑戦するお客様が多いそう。

お客様用の折り紙作り方見本
お客様用の作り方見本

他にも、ロビーではイベントやコンサートを日々開催。今年の夏は、なんとロビーでスイカ割りをしたそう。スタッフも参加して企画を練り、2017年の年始からは毎日イベントを続けているといいます。

「『来たらイベントがあったから参加した』ではなく、『楽しそうなイベントがあるからこの旅館に決めた』となるくらい、鹿の湯ホテルにしかない魅力としてお客様に届けていきたいです」とのこと。

「旅館にも、色々なスタイルがあると思うんです。

鹿の湯ホテルは、お部屋にこもって過ごす宿というより、共有のスペースに出て交流が生まれる宿。

女将やスタッフと会話したり、お客様同士で交流したり。そんな、鹿の湯ホテルならではのスタイルが作れたらいいなと思っています」

旅館が100軒あったら、100通りの「正解」がある

チェックインされたお客様へのウエルカムサービス

最後に体験させていただいたのは、チェックインされたお客様へのウエルカムサービス。到着されたばかりのお客様に一息ついていただくため、ロビーでお茶をお出しします。

菰野町産の茶葉を使用したほうじ茶に、一口サイズの温泉まんじゅう

菰野町産の茶葉を使用したほうじ茶に、一口サイズの温泉まんじゅう。鹿の焼印にもまた、鹿の湯ホテルらしさを感じました。

伊藤さんが「鹿の湯ホテル」の女将になって、今年でちょうど20年。はじめは不安も大きかったと言います。

「でも、主人に『心配しなくても、自分の好きなやり方で女将をやればいい』と言われて。

女将の仕事って、旅館が100軒あれば100通りのやり方があると思うんです。どれか1つが正しいわけでもない。

だから、私は私のやり方で鹿の湯ホテルらしいおもてなしを続けようと、今は思っています」

老若男女、さまざまな人がくつろぎを求めてやってくる温泉。旅館の数だけいる女将とスタッフが旅館を守り、今日も人々を癒やします。

そして、その裏には旅館の数だけストーリーがあるのでした。

体験を終えて、女将と撮影した記念の1枚
体験を終えて、記念の1枚

文:齊藤美幸
写真:西澤智子

*こちらは、2018年10月6日公開の記事を再編集して掲載しました。女将のおもてなしは、日本独特の風景。旅館を訪れる際は、女将の心遣いに思いを馳せてみてくださいね。

マンション住まいで蚊帳を体験。吊って気づけた特徴と新たな使い道

暑い日が続きますね。夜はちょっとでも涼しく、すやすや眠りたい。

昔の人も同じでした。高温多湿の日本の夏にかつて欠かせなかった暮らしの道具が、蚊帳 (かや) です。「となりのトトロ」や「火垂るの墓」にも夏の情景として印象的に登場しますね。

広々とした和室で吊るイメージがありますが、洋室で吊るとどうなるのでしょう?

エアコンや扇風機の登場ですっかり見かけなくなりましたが、蚊帳は今も作られています。電気を使わずに夏の大敵・蚊を避けられるし、見た目にも涼しそうですよね。

吊ってみたい。吊った中でゴロンと寝転がってみたい。マンション住まいでも吊れるのかしら。

好奇心の赴くまま、実際に吊ってみました。エアコンも扇風機もある今の時代だからこそ、電気のいらない夏の道具、蚊帳の使い勝手を検証したいと思います。

蚊帳を吊ってみる前に。そのルーツをたどる

実際に吊ってみる前に、少し蚊帳という道具のことを紐解いてみました。

人が蚊帳を吊って寝ている姿は、鎌倉中期の絵巻物にすでに登場しているそうです。その頃は高貴な身分の人が使っていたと考えられ、広く庶民に普及したのは江戸に入ってから。

寝室の大きさに合わせてその家の女の人が縫い、1日で縫いあげないと縁起が悪いとされていました。大勢の女性たちで協力して無事縫いあげると、蚊帳の中でささやかな宴を開いて祝うなどの風習も、各地に残されているそうです。

大切な寝床を守るものなので、単なる道具以上の意味を持っていたようですね。終戦前まではどの家庭にもある、夏の必需品でした。

素材によって変化する蚊帳の特徴

古くは「絹」や「木綿」が主流だった蚊帳も、現代では「麻」や「ナイロン」など様々な素材が。それぞれに特徴も異なります。

・本麻…麻100%。素材の中でもっとも涼しいのが特徴。蚊帳らしい風情を楽しめる

・両麻…麻とレーヨンの混合。涼しさもありつつ、本麻よりも値段はお手頃

・片麻…両麻と綿の混合。涼しくて丈夫、そして値段も手頃でバランスがいい

・ナイロン…丈夫で長持ちだが、麻と比べて熱がこもりやすい

・綿…素材としては軽いが、麻と比べるとやや熱がこもりやすい

選んだのは「本麻」の蚊帳、6畳サイズ

蚊帳の素材としては清涼感のある「麻」のものが人気です。今回吊ってみたものも、吸湿性の高さが特徴の「本麻」で織ったもの。大きさはちょうど6畳サイズ。布団2枚がおさまる大きさです。

早速、お部屋に蚊帳を吊ってみました

今回撮影にご協力いただいた田中さん (仮名) のお家は、ご夫婦と2歳になるお子さんと3人でのマンション住まい。蚊帳を吊るお部屋のいつもの様子はこんな感じです。

蚊帳の天井部分に付ける四隅には輪っかがついています。これを和室では長押 (なげし・柱から柱へ渡す横木) や鴨居 (かもい・ふすまや障子など引き戸を滑らせるための横木) や柱に、金具や釘で引っ掛けて吊るします。

吊り金具のほか、右手前のような紐を用意しておくと、蚊帳と金具の間を調節できて便利です

今回のお部屋の場合は、天井のこうしたフックを活用。

蚊帳の吊り方と注意点。試してみてわかったこと

吊るときの注意点としては生地の裾をしっかり床につけること。蚊が入ってきては元も子もありませんからね。実際に吊ってみると‥‥

お部屋の雰囲気がガラリと変わりました!

やわらかく光と風が通ります。本と麦茶とうちわでも用意して、中のソファでいつまでもくつろいでしまいそうです。

蚊帳の中は格好の遊び場です

最近はこうして、蚊よけの夜具としてだけでなく、お部屋の雰囲気を変える道具として蚊帳を使うお家もあるそう。エアコンの風が直接当たるのも防げるので、お昼寝にも最適ですね。

ちなみにこの蚊帳は一面が左右に開けるようになっています。持ち上げてみるとなんともゴージャスな、天蓋付きのベッドのような雰囲気の空間になります。

空間が一気にゴージャスになります
蚊帳の間から覗くテラス。景色が少し変わります

設置時間は30分ほど。慣れるまでは吊る位置を決めたり四隅をバランスよく吊るまで、少し時間がかかるかもしれません。しかしきれいに吊れた後に現れる空間は格別です。

ちなみに昔は吊ったり畳んだりが大変だったことから、竹竿にあらかじめ吊り紐を通しておいたり、割った竹を半円状にして蚊帳を張り、すぐたためるようにしたりといろいろ吊り方を工夫していたようです。

価格は今回のもので86,400円 (税込) 。はじめはいいお値段にびっくりしましたが、内装をアレンジできる可動式の家具だと思えば、決して高い買い物ではないのかもしれません。

そして昔の人はこれだけ大きな面積の布を自分で(しかも1日で!)縫っていたなんて、本当に大変だったろうなぁと頭が下がります。

後日談。我が家でも吊ってみると‥‥!

実は、あまりにも部屋いっぱいすぎて写真に納められなかったのですが、我が家でも吊ってみました。念願叶って中でゴロンと寝転がってみると、毎日見ていた部屋が全く違う表情を見せていました。天井の蛍光灯の光が和らぎ、音も遮断するのか、独特の静けさがあります。

四方を囲まれていても向こうが透けて見えるので、圧迫感がなく、むしろやわらかい布に守られているような安心感。どこか子どもの頃に作ったダンボールハウスや秘密基地の心地よさを思い出します。

そして心なしか涼しい。蚊帳はその特徴として、吊ることで空気の壁を作るので、内側におこる気化熱で体感温度を下げる効果があるのだそうです。

実際に吊ってみてわかった蚊帳の特徴、よさ、面白さ。「かつての必需品」にしておくのはもったいないように思いました。リモコンのスイッチをピッと押すよりは手間がかかりますが、誰かと一緒に吊るせば「もうちょっとそっち上!」なんて、吊るす過程もまた楽しい。

夏をもっと心地よく過ごしたくなったら、思い切って蚊帳の中に飛び込んでみるのも、いいかもしれません。

<掲載商品>
麻の蚊帳 (中川政七商店)


文:尾島可奈子

*こちらは、2017年7月21日公開の記事を再編集して公開しました。

8月8日は妖怪の日。『付喪神絵巻』に化けて登場する夏の道具といえば?

8月8日 (ようか) は妖怪の日。

河童で有名な『遠野物語』など、日本各地の民間伝承に光を当てた日本民俗学の祖、柳田国男の命日でもあるそうです。

そんな日ですから、やっぱり「さんち」にも現れました。不定期に連載している「さんちの妖怪」

見事、妖怪になった古道具たち

題材にしている『付喪神絵巻』には、100年の命を永らえて妖怪に化けた古道具たちが登場しますが、中にはちょうど今頃、夏に活躍する道具の姿も見られます。

物語の冒頭は、路地に捨てられた古道具たちの様子。「長年お仕えしてきたのに‥‥!」と人を恨み、この後妖怪に化けて大暴れします
物語の冒頭は、路地に捨てられた古道具たちの様子。「長年お仕えしてきたのに‥‥!」と人を恨み、この後妖怪に化けて大暴れします

年の瀬の煤払い (大掃除) をきっかけに、人を惑わす「付喪神 (つくもがみ) 」となった姿がこちら。元は何の道具だったかわかりますか?

この妖怪、元は一体何の道具でしょう?
この妖怪、元は一体何の道具でしょう?

これは簡単ですね。元の道具は「扇子」です。

中国伝来かと思いきや、実は日本の発明品。今日はその「化ける前」の道具としての姿に注目してみましょう。

平安時代に京都で誕生したと言われ、平安末期には中国に伝わり、15世紀には中国経由でヨーロッパにも伝来。17世紀にはフランス・パリを中心に盛んに作られ貴族の間で流行しました。

以前、細萱久美さんの記事で紹介された宮脇賣扇庵 (みやわきばいせんあん) さんは、まさに扇子発祥の地、京都で200年続く老舗です
以前、細萱久美さんの記事で紹介された宮脇賣扇庵 (みやわきばいせんあん) さんは、まさに扇子発祥の地、京都で200年続く老舗です

初期の扇子はヒノキの薄板を束ねて作られていましたが、のちに骨に片側だけ紙を貼った紙扇子が登場。

紙を両面に貼った現在の扇子に近い形が確立したのが、ちょうど『付喪神絵巻』の物語が成立したと言われる、室町のころだそうです。

実は、絵巻には妖怪たちが扇子を持っている姿も描かれています。

扇子を使った舞を鑑賞中
扇子を使った舞を鑑賞中

道具が道具を使っていると思うとなんだかユーモラスですが、その姿からは「涼をとる」以外の扇子の使われ方がはっきり見て取れます。

武士のような格好をした妖怪の手には日の丸の扇子
武士のような格好をした妖怪の手には日の丸の扇子

平安時代には貴族の持ち物だった扇子は、鎌倉・室町時代には武士の、江戸時代には町人の手に。その中で武芸や茶道、祝宴に舞踊に落語にと、扇子は今に至るまで様々な使われ方をしてきました。

時代の主役が変わっても廃れることなく、常に新しい役割を見出されてきたのは、道具としての使い勝手の良さ、佇まいの美しさの証と言えるかもしれません。

古道具たちも自在に体を動かせるようになって、その使い心地を思う存分、謳歌したに違いありません。

文:尾島可奈子
出典:国立国会図書館デジタルコレクション「付喪神記」

こちらは、 2018年8月8日の記事を再編集して掲載しました。捨てられた古道具が妖怪になって現れないように、モノは大切にしようと改めて思いました。

首里城そばのカフェ「CONTE (コント) 」で、沖縄の食とうつわを好きになる

沖縄・首里を訪ねたら、ぜひ立ち寄ってほしいカフェがあります。

ゆいレールの首里駅から首里城に向かう途中、ちょっと寄り道した路地裏にあるカフェレストラン「CONTE (コント) 」です。

首里城そばのカフェ「CONTE (コント) 」

控えめな看板、隠れ家のような雰囲気の店構えから一転、中へ入ると大きめの窓からたっぷりと日が差し込み、奥へ奥へと広々とした空間が広がっています。

首里城そばのカフェ「CONTE (コント) 」

「首里に来たらランチはまずここね。料理もうつわも素晴らしいです」

そう教えてくれたのは、沖縄の食の祭典「まーさんマルシェ」の記事などを取材してくれた、沖縄在住のテレビディレクター土江真樹子さん。

早速そのオススメのランチメニューを見てみましょう。

メニューは沖縄の食材をおいしく、たっぷり

ランチは通常4種類。沖縄の食材の美味しさを味わってほしいという店主の思いから、県産豚や魚、野菜がふんだんに活かされています。

オープン時からの看板メニューが「県産豚のロースト マスタードソース添え」
オープン時からの看板メニューが「県産豚のロースト マスタードソース添え」
こちらは「県産豚挽肉と紅じゃがのコロッケ ヨーグルトスパイスソース添え」
こちらは「県産豚挽肉と紅じゃがのコロッケ ヨーグルトスパイスソース添え」

メインディッシュに負けないくらい、島野菜を使ったデリもたっぷりと惜しみなく。沖縄の旬の味を、お腹いっぱい食べられます。

店内のディスプレイにもさりげなく島野菜や旬の食材が並び、オーナーである五十嵐さんご夫妻の、食材や土地への愛情が伝わってくるようです。

沖縄首里城そばのカフェ「CONTE (コント) 」
沖縄伝統の島らっきょう
沖縄首里城そばのカフェ「CONTE (コント) 」

コントという店名の意味

実は店名の「CONTE(コント)」とは、フランス語で「物語」「ショートストーリー」という意味。

「食に関わるお店である以上、お皿に料理がのぼるまでの、食材や生産者たちも含めた様々な物語が感じられるものを提供したい」と、お店の名前にしたそうです。

オーナー兼シェフの五十嵐亮 (まこと) さん。手には盛りだくさんの旬の野菜
オーナー兼シェフの五十嵐亮 (まこと) さん。手には盛りだくさんの旬の野菜

五十嵐さんが伝えたい「様々な物語」は、食材に留まりません。ランチをいただいていると、料理を飾るうつわの美しさに自然と目が行きます。

うつわも沖縄生まれが勢揃い

実は、CONTEで使われているうつわは沖縄の作家さんのものばかり。

右奥のスープ皿は、「木漆工とけし」さんのうつわ。沖縄で注目の工房です。左の赤いうつわは木村容二郎さん、手前の青い皿は大嶺工房、奥のご飯茶碗は宮城陶器さんのものと、沖縄の作家さんのうつわがずらり
右奥のスープ皿は、「木漆工とけし」さんのうつわ。沖縄で注目の工房です。左の赤いうつわは木村容二郎さん、手前の青い皿は大嶺工房、奥のご飯茶碗は宮城陶器さんのものと、沖縄の作家さんのうつわがずらり

オープン当初からご夫妻で展示会や工房をまわり、惚れ込んだ作家さんと丁寧に関係性を築いて作った、オリジナルのうつわがテーブルにのぼります。

うつわのことを語る五十嵐さんはとても嬉しそう
うつわのことを語る五十嵐さんはとても嬉しそう
ランチのプレートに使われていたのは宜野湾市に青鳥窯という工房を構える陶芸家・杉山早苗さんの八寸皿。オープンに合わせて製作してくれたそう
ランチのプレートに使われていたのは宜野湾市に青鳥窯という工房を構える陶芸家・杉山早苗さんの八寸皿。オープンに合わせて製作してくれたそう
沖縄首里 CONTE
毎日使っていくうちに表情が変わるのが魅力とのこと。野菜やソースの色が映え、料理をより美味しく見せてくれます

店内には物販コーナーがあり、気に入った作家さんのうつわを購入することもできます。

デザートや煮込み料理に使われている、木村容二郎さんのうつわ
デザートや煮込み料理に使われている、木村容二郎さんのうつわ
涼しげなグラスはガラス作家・小野田郁子さんの「吹きガラス工房 彩砂」のもの
涼しげなグラスはガラス作家・小野田郁子さんの「吹きガラス工房 彩砂」のもの
お隣の食物販コーナーには、宜野湾のパン屋さん「宗像堂」の天然酵母パンのコーナーが。週に一度、毎週木曜日の午後に入荷するそうです
お隣の食物販コーナーには、宜野湾のパン屋さん「宗像堂」の天然酵母パンのコーナーが。週に一度、毎週木曜日の午後に入荷するそうです

CONTE (コント) という店名にはもう一つ、お笑いの「コント」にもかけて「ユーモア」「笑い」の意味も込めているそう。

確かにこの場所で過ごしていると、「おいしい」以上に「沖縄の食って、うつわって面白い」と自然と思っている自分がいました。

<取材協力>
CONTE(コント)
沖縄県那覇市首里赤田町1-17
098-943-6239
http://conte.okinawa/
営業:11:00〜17:00(L.O.16:00)
定休日:月曜日
(情報は2019年7月時点のものです)

文:尾島可奈子
写真:武安弘毅

全国から「朝食だけ」の予約が入る沖縄第一ホテル。女将が語る「薬膳朝食」の魅力とは

沖縄屈指の観光ストリート「国際通り」のすぐ近くにありながら、一歩そこに足を踏み入れれば別世界。

他所で出会えなかった沖縄に触れることができたのは、沖縄第一ホテルの朝食会場でした。

1955年創業、全5室の小さな老舗ホテルは宿としての人気もさることながら、宿泊者以外も味わえる「薬膳朝食」でその名を知られます。

常連さんの中には故・筑紫哲也さんなど著名人も多数。

モノレールの県庁前駅から徒歩7分ほどで目指す「沖縄第一ホテル」に到着です。

繁華街の中に突如現れるその門構えは、そこだけ違う世界観が漂います。

沖縄第一ホテル 薬膳朝食

緩やかな坂道を登り、明るい中庭を抜けてエントランスへ着く頃には、すっぽりと違う場所へワープしたような心地に。

沖縄第一ホテル 薬膳朝食

独特の空気感は、建物の造りやさりげなく配された調度品の成せる技なのだろうと周りをキョロキョロしながら、離れの朝食会場へ。

沖縄第一ホテル 薬膳朝食
沖縄第一ホテル 薬膳朝食
沖縄第一ホテル 薬膳朝食
さりげなく飾られていたのは、小説家大江健三郎さんの寄せ書き

日差しがよく差し込む会場はその分照明は控えめ。

ちょうど木陰で休んでいるような気持ちでいよいよ朝食がスタートです。

いざ、薬膳朝食のテーブルへ

着席した時点ですでにテーブルにはたくさんの料理が。

沖縄第一ホテル 薬膳朝食
ドリンクだけでもすでに3種類あります。シークワーサージュースにサクナ (長命草) ジュース、豆乳は手絞りだそう

左手前は沖縄特産の紅芋とウコンが練りこまれたパン。はちみつ、自家製のブルーベリージャムやごまペーストをつけて味わいます。こうした何気ない付け合わせも豪華です。

沖縄第一ホテル 薬膳朝食

こちらは、沖縄では定番野菜というオオタニワタリのおひたし。

沖縄第一ホテル 薬膳朝食

ひと皿片付くとすぐ次の料理が運ばれてきます。

沖縄で昔から愛される「長命草」のサラダ。その名の通り「1株食べると1日長く生きられる」と言われるほど栄養満点です
沖縄で昔から愛される「長命草」のサラダ。その名の通り「1株食べると1日長く生きられる」と言われるほど栄養満点です
あまがし (甘菓子) 緑豆と押麦で作ったというぜんざい
あまがし (甘菓子) 緑豆と押麦で作ったというぜんざい

どれも沖縄で古くから愛されてきた食材ばかり。薬膳の視点で考えられた料理がなんと20品は並びます。

「沖縄第一ホテルの薬膳朝食」誕生のきっかけ

2代目女将を務める渡辺克江さんにお話を伺うと、こうした朝食のスタイルになったきっかけは、初代女将であるお母様の海外旅行がきっかけだったそう。

「母が50年ほど前にヨーロッパ旅行をした時、コーヒー、トースト、ベーコン、卵の朝食だったそうです。

当時、当ホテルで出していた朝食と全く同じ内容でした。

そこで母は『せっかく沖縄においでになるんだから沖縄らしい朝食を出せないか』と考えて、祖母が作ってくれた島野菜料理をお出ししたところ、お客様が大変喜んでくださったそうです」

品数は一品一品増えていき、最終的に朝食で何品、何カロリーがベストなのかを管理栄養士さんにみてもらい、「50品目585キロカロリー」の朝食に。

さらに克江さんが国際中医薬膳師の資格を取っていたため、薬膳的な食材の組み合わせや調理法を加えて、現在の「沖縄第一ホテルの薬膳朝食」が完成しました。

沖縄第一ホテルの薬膳朝食は、うつわにも注目

ここでもう一つ注目したいのはそんな思いのこもった料理をいろどる、美しいうつわの数々。

沖縄の焼き物の大家、大嶺實清さんのうつわは吸い込まれるような青
沖縄の焼き物の大家、大嶺實清さんのうつわは吸い込まれるような青
島唐辛子の容れ物は、人間国宝 金城次郎さんのお孫さん、金城香奈子さん作。受け皿は琉球漆器です
島唐辛子の容れ物は、人間国宝 金城次郎さんのお孫さん、金城香奈子さん作。受け皿は琉球漆器です

沖縄の焼き物を代表する大嶺實清 (おおみね・じっせい) さんのうつわや琉球漆器などが惜しみなく使われています。

40種類もの薬草がブレンドされた「薬草茶」。このティーカップは金城次郎さんの娘さん、金城須美子さんのもの
40種類もの薬草がブレンドされた「薬草茶」。このティーカップは金城次郎さんの娘さん、金城須美子さんのもの

「海を越えてはるばる来て下さるお客様に、沖縄の美しいうつわや調度品を見ていただきたい、沖縄の作家さんの素晴らしい作品を味わっていただきたいとの思いから使わせていただいております」

と渡辺さん。

お母様と一緒に窯元に出向き、一品一品、手に取ってどんな料理をのせようかと相談しながら選んでいるそうです。

「古くからお付合いのある作家さんや陶工さんが多いので、うつわへの思いを伺いながら選んでおります。その時間がとても楽しい」とのこと。

写真やお店でため息まじりに眺めていた憧れのうつわを、実際に食事の場で手にすることができる贅沢。

沖縄のうつわに興味がある人には、これ以上ない出会いの場にもなるかもしれません。

さて、美しい琉球ガラスのうつわで旬のフルーツもいただいて、もうお腹いっぱいです。

沖縄第一ホテル 薬膳朝食

並んだ食材は50種類以上。これだけ食べて3,240円 (税込) というお値段にも感動します。

もう一つ何より嬉しいのはこれが朝ごはんということ。

沖縄第一ホテルの朝食は8時、9時、10時の時間制。

1時間ほど過ごしてもまだお昼までは十分に時間があります。これからたっぷりと沖縄を満喫できるのです。

この後は、やっぱりこんな素敵なうつわを見てしまったからには、自分も何か家に持って帰りたいな。

沖縄の人たちの体を支えてきた、知恵と栄養満点の朝ごはんに元気をたっぷりおすそ分けしてもらい、渡辺さんのこんな言葉に背中を押されて、沖縄の旅は続きます。

「沖縄にはおじーやおばーの健康長寿を支えてきた栄養価の高い島野菜がたくさんあります。沖縄の風を感じながら薬膳朝食を召し上がったいただき、元気に1日のスタートを切ってほしいなぁと思います」

<取材協力>
沖縄第一ホテル
沖縄県那覇市牧志1-1-12
098-867-3116
http://okinawadaiichihotel.ti-da.net/
※朝食は前日までに要予約

文・写真:尾島可奈子

仏師という仕事の魅力とは。仏像好きのプロボクサーが出会った天職

「ボクシングを始めたのはマイク・タイソンの試合を見て憧れて。若気の至りですよね」

高校2年の終わりに始めて、フェザー級のプロボクサーとしてA級ライセンスを取得。ボクシングの聖地、後楽園ホールでも闘った。

ちょうど10年の節目を迎える前に、迷いが出始める。

「ボクシングってやっぱり若い頃しか出来ないスポーツだと思うんです。そこで花開くか開かないか、だんだん歳を重ねると分かってきますよね。どんなスポーツでもそうですけど」

プロボクサーは17〜36歳までという年齢制限がある。当時25・6歳。20代も半ばを過ぎ、ボクサーとしても折り返し地点。これからを考えるようになっていた。

やめようか。

そんな思いを抱きはじめていたある日、何気なく手に取った新聞の折込チラシが目に留まった。

「そういえば、小学生の頃から好きだったな、と。はじめは全くの趣味で通い出したんです」

仏像彫刻のクラスを開講するという、カルチャーセンターの案内だった。

プロボクサーの転向先は

河田喜代治 (かわた・きよはる) さん。職業は仏師。

ボクサーから仏師へ 河田さん

仏師とは造仏師の略で、仏像を作る仕事。修復も行う。

大きな専門機関もあるが、河田さんのように個人でお寺から依頼を受けて仏像の新作や修復を手がける仏師もある。

工房には修理中の仏像が並ぶ
工房には修理中の仏像が並ぶ
仏師は仏像の素材に応じて専門が分かれる。河田さんは木彫専門。新作を作るときは、こうした像の持つ道具ひとつずつ、木から彫り起こしていく
仏師は仏像の素材に応じて専門が分かれる。河田さんは木彫専門。新作を作るときは、こうした像の持つ道具ひとつずつ、木から彫り起こしていく

現在工房を構える滋賀では「知る限りでは10人、京都なら100人近くいるのでは」とのこと。

「古い仏像の数は、やはり関西が多いですから」

地元の千葉で3年修行したのち、県内の修理所に学ぶため奥さんとともに滋賀に移住。7年の弟子入り期間を経て2012年に独立した。

修行期間を数えれば、ボクシングに夢中になっていた歳月と同じ、およそ10年の月日になる。

きっかけは楽しく通い出したカルチャーセンターの仏像彫刻クラスで、先生からもらった一言だった。

「曲線をみるのが上手いね」

思わぬ才能と蘇る記憶

「仏像って、基本は『丸』で出来ているんです。赤ちゃんの体型を神格化させたような姿というか」

オリジナルで手がけた「誕生仏」。どこをとっても仏像は丸みを帯びている
オリジナルで手がけた「誕生仏」。どこをとっても仏像は丸みを帯びている

「例えば顔のつくりでも、平面のようでうっすら曲線があったり、同じ曲線でも、わずかな角度の違いがあったりするんですね。

特に修復の時は、元々の仏像が持つ曲線にそって直すことが大事になります。それで表情や雰囲気が全く変わってくるので」

そんな重要な曲線を、つかまえるのが上手いと河田さんを褒めた先生は、まさに仏像修復を専門にしているプロの仏師だった。

クラスに1年通ったのち、腕を見込んだ河田さんに先生が「ちょっと手伝わないか」と声をかけた。

なかなかカルチャーセンターから本業にする方も珍しいのでは、と聞くと「運が良かったんですね」と一言。

「あと、タイミングかな」

思い返せば小学生のころから不思議と仏像が好きだった。

修学旅行でお寺に行くと、熱心に仏像を眺めた。時々粘土で手作りして遊んだ。

「例えば室生寺の釈迦如来は、顔と手がとてもきれいなんですよ。お顔で言ったら室生寺のこのお像が、一番好きです。

鼻先から指先、シルエットまで曲線から全てから、すっとこちらの姿勢を正してくれるような佇まいで」

今の河田さんに好きな仏像のことを聞けば、惜しみない賛辞の言葉が溢れでてくる。

高校でボクシングと出会い、夢中になった10年。迷いの中あのチラシと出会うまで、すっかり忘れていた感情だった。

「声がかかった時には迷いなく、是非と答えていました」

ボクシンググローブを外した手に今は、100以上の道具を握る。

仏師 河田さん
ボクサーから仏師へ 河田さん

「これでも少ない方ですよ、200、300持っている人もいますから」

修復にあたる仏像は、一体一体コンディションが異なる。

作られた年代や置かれていた環境、前回の修復の仕方や材料。

その状態に応じて、適切な道具を使い分けなければならない。

壁にずらりと並ぶ道具類
壁にずらりと並ぶ道具類
漆と木屑を混ぜ合わせたもの。乾漆という、表面を布張りで作るお像に用いる
漆と木屑を混ぜ合わせたもの。乾漆という、表面を布張りで作るお像に用いる

「修復の場合は、オリジナルの肌は絶対削らないことが何より大事です。

結局僕たちも、昔のいいものを見て技術を学んでいます。

削ってしまうと、なくなった部分っていうのは二度とわからないわけです。

後世の人たちの研究材料としても、大きな損害を与えてしまうことになる。だから手を入れるのは以前の修復の層だけです。

何より祈りの対象だから、それを削ってしまうというのはとても怖いことですよね」

わずかな力加減が致命傷となる。だからこそ自分の手先となる道具のひとつひとつに神経を使う。

「これだと錆びてる釘もうまく抜けるんです」と東寺の骨董市で見つけ出したという道具を披露する河田さんは、とても嬉しそうだ。

仏師河田さんの道具

ボクサーがカルチャーセンターで出会った、一生の仕事。

仏師としての仕事は、修復所の先生や、仕事でお世話になる道具屋さんなどの紹介で少しずつ実績を積み、今に至る。

まず小さな修復から。納めた先に腕を信用してもらえたら、同じところから次は新作の依頼が来る、というように。

初仕事の思い出をたずねると、控えめな答えが返ってきた。

「僕のものではないですし、やった!とかそういう達成感ではないですね。信仰の対象ですから。

安堵感しかないです。ようやくできたって」

作っている時も、ほとんど何も考えず、無心で取り組んでいるという。

次第に、勝ちをコツコツ積み上げる、ストイックで寡黙なボクサーにインタビューしているような気持ちになってきた。

仏師という仕事の「これがあるから続けていられる」ものは何ですか、と聞いてみると、

「いまの話そのものじゃないかな。自分じゃないものに、無心で向き合えるところです」

最後に見せてもらった現役当時の写真には、今と変わらず目の前の相手に一心に向き合う河田さんが写っていた。

ボクサーから仏師へ 河田さん

<取材協力>
河田喜代治さん

文・写真:尾島可奈子