こんにちは。東海エリアの魅力を発信している広瀬企画のライター・齊藤です。普段は名古屋に暮らしています。
日本の旅の楽しみといえば‥‥温かい温泉。心と体を癒やし、日常を忘れさせてくれる、あの幸福感は何にも代えがたいものがあります。
そんな温泉旅館を象徴する存在が“女将”。旅館の顔として華やかなイメージがありますが、実際のところ、女将ってどんな仕事をしているのでしょう?考えてみると、意外と知らないものです。
ちょっとミステリアスな女将の仕事に迫るため、今回特別に“1日女将体験”をさせてもらうことに‥‥楽しみです!
開湯1300年、歴史的な節目を迎える湯の山温泉
訪れたのは、三重県・菰野町。718年(養老2年)に発見されたと伝えられ、今年で開湯1300年を迎えるという湯の山温泉です。
御在所岳の麓に位置し、名古屋から車で約1時間とは思えないほどの豊かな自然が待ち受けています。特に紅葉シーズンには、多くの観光客でにぎわいます。
「ようこそ、お待ちしておりました」
凛とした着物姿で出迎えてくれたのは、1日女将体験をさせてくれる「鹿の湯ホテル」女将の伊藤寿美子さん。早速、中へと案内してくれました。
まず目に入ってくるのは、旅館の名前にもなっている“鹿”の置物。「鹿の湯」というのは湯の山温泉の別名でもあり、かつて、傷ついた鹿がこの温泉で傷を癒したという伝説からその名がつきました。
温泉だけではなく、客室から眺める四季折々に色を変える山並みや、伊勢湾の眺望も魅力。地元食材を使った、料理長自慢の会席も楽しみの1つです。
ロビーに到着すると気になるのが、ずらりと並んだボトルの数々。他の旅館ではあまり見かけない光景です。
実は、このボトル全て、女将お手製の果実酢と果実酒。地元産のものや旬のもの、漬けている果実は約30種。宿泊する方の夕食時に提供しています。
「元々、私自身がお酢もお酒も好きなんです。それをサービスにできたら、お客様にも喜んでいただけるのではと思って始めました。
後ほど、果実酢・果実酒づくりも体験してみてくださいね」と伊藤さん。
表に立つだけが女将の仕事ではない
「きっと、私はみなさんが描いている“女将像”ではないと思うんです」
そう話す伊藤さんの女将としてのお仕事は、事務処理などのデスクワーク、予約や電話応対、果実酢・果実酒づくり、お客様のご案内や料理の配膳など。前に出るのではなく、旅館全体を後ろからサポートするような仕事です。
さらに、伊藤さんは12年前からは旅館を横断した女将の集まりである「湯の山温泉女将の会きらら」にも参加。今では会長を務めています。
鹿の湯ホテルの中だけにとどまらず、湯の山温泉全体をサポートしているんですね。
「湯の山温泉は、これだけ自然に囲まれているのに名古屋からも関西からも気軽に来て頂けるアクセスの良さがやっぱり魅力。立地が良いからか、若いスタッフも多いんです」
今年6月には、旅館街や御在所ロープウエイで働く若手女性による、おもてなし隊「湯の山温泉 結びの会 いずみ」が発足。さらなる活気を見せています。「湯の山の未来も明るいですね」と微笑む伊藤さん。
そんなお話を聞きながら、いよいよ女将体験がスタート。
まずは形からです。女将のユニフォーム、着物に着替えます!
伊藤さんの素早い手さばきで、あっという間に着付け完了。
普段は、夏になると浴衣を着るくらいで、なかなか着物を着る機会はないのですが、着物を着ると自然と背筋が伸びる気がします。
しっかり帯を締めてはいても意外と苦しくないので、これなら動き回っても大丈夫そうです。
お客様との会話をつくる、自家製の果実酢・果実酒
姿勢を正したところで早速、果実酢づくりから体験。嬉しいことにはじめに試飲をさせてもらいました。
「今なら、いちご酢が飲み頃でおいしいですよ」
とおすすめされ、私もいちご酢のソーダ割りを試飲。
酢の香りが鼻をくすぐり、いちごの甘酸っぱさで爽やかな飲み口。
他に、なかなか珍しいマタタビ酢、よもぎ酢、ブルーベリー酢も試飲させてもらいました。マタタビは、地元の方からいただいたそう。
マタタビというと味の想像がつきませんが‥‥
飲んでみると少し独特の渋味はありつつも、酢の酸味とマッチして意外なおいしさです。
さて、いよいよ自分で果実酒づくりに挑戦です。私が作ったのはオレンジ酢。
ボトルに果実と氷砂糖を入れて‥‥
たっぷりと酢を注いだら、フタを閉めて。こうして作った果実酢が、ロビーに並べられます。お客様が試飲することもでき、女将やスタッフと、お客様との交流につながっているのだとか。
鹿の湯ホテル名物、折り紙の箸置きづくりに挑戦!
果実酒・果実酢づくりと同様に、裏方での大切なお仕事が箸置きづくり。
お客様の夕食時に使われる可愛らしい鶴の箸置きは、なんと女将をはじめ、スタッフ総出で全て手づくりしているそうです!
私も早速、伊藤さんに教わりながら箸置きづくりに挑戦します。
できあがったのがこちら。
見た目ほど難しくなく、初めてでも綺麗に折れました。ただ、伊藤さんのスピードにはまだまだ追い付けなさそう。
「鶴の箸置きだけではなく、こんなのもあるんですよ」
と、続いて伊藤さんが折りはじめたのは鹿の置物。奈良から訪れたお客様が教えてくれたのだとか。
こちらは折り紙を2枚使うため、少し難易度が上がります。
好みの鹿になるよう、角を再現する切れ込みを入れて完成。
これが細かい作業で、なんとか伊藤さんの鹿と並べても違和感なく完成できましたが、ちょっと角を切り過ぎてしまいました。もう1度作るとなると再現できる気がしません‥‥
スタッフのみなさんは、折り方を暗記してどんどんスピードアップしていくのだそうです。
箸置きに込められた、鹿の湯ホテル流のおもてなし
折り紙を続けながら、伊藤さんがこの箸置きづくりを始めた想いを教えてくれました。
「うちはいわゆるラグジュアリーな高級旅館、というわけではありません。例えばこの箸置きを全て有名作家さんの一点ものにする、といったサービスは難しいかもしれない。
私たちができる鹿の湯ホテルらしいおもてなしは何だろう、と考えたとき、手づくりの箸置きはどんなに忙しくても続けようと決めたんです」
この夏は連日満室が続いて、1日約100人が宿泊。つまり毎日100個の箸置きを作らなければなりません。
それでもスタッフみんなで協力して、お客様全員分の箸置きを作り続けたそうです。
食事の際に「手づくりなんですね」と気づいてくださるお客様も多く、旅の記念にと、持って帰られる方もいるのだとか。
箸置き1つとっても、旅館の思いが詰まっているものなのですね。
交流の生まれる宿を目指して
実は一般のお客様も、鶴の箸置き・鹿の置物づくりをロビーで体験することができます。
夕食のあと、ロビーでデザートバイキングがあるので、そのタイミングで挑戦するお客様が多いそう。
他にも、ロビーではイベントやコンサートを日々開催。今年の夏は、なんとロビーでスイカ割りをしたそう。スタッフも参加して企画を練り、2017年の年始からは毎日イベントを続けているといいます。
「『来たらイベントがあったから参加した』ではなく、『楽しそうなイベントがあるからこの旅館に決めた』となるくらい、鹿の湯ホテルにしかない魅力としてお客様に届けていきたいです」とのこと。
「旅館にも、色々なスタイルがあると思うんです。
鹿の湯ホテルは、お部屋にこもって過ごす宿というより、共有のスペースに出て交流が生まれる宿。
女将やスタッフと会話したり、お客様同士で交流したり。そんな、鹿の湯ホテルならではのスタイルが作れたらいいなと思っています」
旅館が100軒あったら、100通りの「正解」がある
最後に体験させていただいたのは、チェックインされたお客様へのウエルカムサービス。到着されたばかりのお客様に一息ついていただくため、ロビーでお茶をお出しします。
菰野町産の茶葉を使用したほうじ茶に、一口サイズの温泉まんじゅう。鹿の焼印にもまた、鹿の湯ホテルらしさを感じました。
伊藤さんが「鹿の湯ホテル」の女将になって、今年でちょうど20年。はじめは不安も大きかったと言います。
「でも、主人に『心配しなくても、自分の好きなやり方で女将をやればいい』と言われて。
女将の仕事って、旅館が100軒あれば100通りのやり方があると思うんです。どれか1つが正しいわけでもない。
だから、私は私のやり方で鹿の湯ホテルらしいおもてなしを続けようと、今は思っています」
老若男女、さまざまな人がくつろぎを求めてやってくる温泉。旅館の数だけいる女将とスタッフが旅館を守り、今日も人々を癒やします。
そして、その裏には旅館の数だけストーリーがあるのでした。
文:齊藤美幸
写真:西澤智子
*こちらは、2018年10月6日公開の記事を再編集して掲載しました。女将のおもてなしは、日本独特の風景。旅館を訪れる際は、女将の心遣いに思いを馳せてみてくださいね。