地域×ものづくりの新しいリアル。「仕立屋と職人」が長浜で過ごした1年を追いました

「Iターン」という言葉、今やすっかり普及していますが、実際見知らぬ土地にみんなどうやって仕事を見つけ、暮らしているのでしょう。

その新しい形、「Wターン」とでも言いたくなるようなスタイルで地域に関わる4人組に出会いました。

プロジェクトごとに拠点を移しながら全国のものづくりの課題解決に挑むユニット、「仕立屋と職人」。

その取組み、メンバー構成ともにユニークです。

4人のうち2人は工芸産地に、2人は東京に拠点をおきます。

現地担当は、もともと洋服などの縫製を仕事にしてきたユカリさんと、グラフィックデザイナーの石井さん。

ワタナベユカリさん
石井さん

東京組は、サービスデザインを生業とし、2人の体感知を事業に組み立てるブレーン、古澤さんと、出来上がったアイテムの販路を開拓する流通のプロ、堀出さん。

それぞれに専門分野が異なる4人が集い、2016年に「仕立屋と職人」を旗揚げ。

右下から時計回りに石井さん、ユカリさん、堀出さん、古澤さん
右下から時計回りに石井さん、ユカリさん、堀出さん、古澤さん

実は4人とも、フリーランスや会社勤めなど、別の仕事を持っています。いわばパラレルキャリアとして「仕立屋と職人」を立ち上げ、伝統工芸の世界に携わっているのです。

立ち上げの契機となった福島県郡山市、和紙で作る張子人形の老舗「デコ屋敷本家 大黒屋」さんとは、一緒に和紙のジュエリーブランドを立ち上げた
立ち上げの契機となった福島県郡山市、和紙で作る張子人形の老舗「デコ屋敷本家 大黒屋」さんとは、一緒に和紙のジュエリーブランドを立ち上げた

立ち上げの経緯や福島の取組みを追った前編はこちら:「パラレルキャリアで伝統工芸に挑む。異色ユニット『仕立屋と職人』に密着」

拠点をジグザグと移動し、現地と東京の2拠点をもち、仕事もダブルで掛け持ち。

後編となる今回は、彼らの現在の取組みを追いながら、それぞれがなぜ「2足のわらじで伝統工芸」という今のスタイルを選んだのか?地域に関わる仕事のリアルに迫りたいと思います。

絹の街、長浜

「仕立屋と職人」が2017年から活動拠点を置いているのが、滋賀県長浜市。第一弾の福島からすると、北から西への大移動です。

現地担当のユカリさんと石井さんは実際に、長浜市の木之本町という土地に事務所を置いて生活しています。

空き家を借りて開いた事務所には、屋号を染め抜いた暖簾が
空き家を借りて開いた事務所には、屋号を染め抜いた暖簾が

長浜は250年続くシルク産業の街。養蚕農家から生地の織り屋さんまで各工程が集積しています。作る生地も、同じ絹織物でも紬やビロードと種類が豊富です。

中でも一帯で作られる高級絹織物「浜ちりめん」は、表面の細やかな凹凸が特徴の美しい白生地。京友禅や加賀友禅の下地として古くから用いられてきました。

浜ちりめん。凹凸のある表情が特徴
浜ちりめん。凹凸のある表情が特徴

しかし、浜ちりめんの年間生産量は最盛期だった昭和40年代の185万反に対して、現在はわずかに4万反ほど。和装需要の減少による打撃は深刻です。

そんな街で2018年3月、小さな変化がありました。

250年の歴史上初めて、携わる製品や工程、職種の違いを超えて長浜のシルク産業関係者が一堂に会するミーティングが行われたのです。

題して「長浜シルク産業未来会議」。

長浜シルク産業未来会議

その名の通り、自分たちの携わる伝統産業を、どう考えているか、これからどうしていきたいか、立場を超えて話し合う会議でした。

長浜シルク産業未来会議

「あれだけの面々が一堂に集まったことは本当にすごいことだと思います。地域一丸となって、地場産業の活性に取り組むきっかけにもなりました」

長浜商工会議所の吉井さんは、当日の様子をこう振り返ります。

その会議の仕掛け人こそ「仕立屋と職人」。

前例のない会議の開催を取り付け、当日の議事進行を務めました。

出てきたアイディアや意見を取りまとめるユカリさん

しかしメンバーの4人とも、もともとこの土地の出身でも、繋がりがあったわけでもありません。

一体どうやって彼らはこの地に根を下ろし、何をしようとしているのでしょうか。

「起業型」地域おこし協力隊とは?

「郡山で第一弾の取組みをしている最中に、滋賀の長浜市が『地域おこし協力隊』を募集していると聞きました。

従来の協力隊と違うのは、起業型ということ。

伝統産業の資源を再編集して、活性化につながる新規事業を自分たちの裁量で立ち上げてくださいというものでした」

自治体は一定額の活動資金や生活拠点を提供し、隊員には任期3年で成果が出るよう活動してもらいます。

興味を持って何度か長浜を訪れていくうちに、魅力的な職人さんとの出会いや産業の現状を知り、

「次に仕立屋と職人がなんとかしたい場所はここなんじゃないか」

そう思って応募を決めたそうです。

長浜市側も福島での取組み事例や掲げるミッションを評価し、長浜が次なる「仕立屋と職人」の活動拠点に決まりました。

ミッションin長浜

彼らの掲げるミッションは「職人の生き様を仕立てる」こと。

取組み第一弾の福島では実際に職人さんに弟子入りをして、張り子の魅力をジュエリーという新しいプロダクトに「仕立て」ました。

2人が弟子入りした張子人形の老舗「デコ屋敷本家 大黒屋」
2人が弟子入りした張子人形の老舗「デコ屋敷本家 大黒屋」
「デコ屋敷本家 大黒屋」とともに立ち上げたジュエリーブランド「harico」
「デコ屋敷本家 大黒屋」とともに立ち上げたジュエリーブランド「harico」

「でも長浜の場合、浜ちりめんの工程は38にものぼります。

それぞれにプロフェッショナルで、全ての技術を覚えることは難しい。

だから長浜でまず僕らができることは、彼らの仕事を手伝うことではなく、伝えることでした」

拠点を移してからは、養蚕農家さんに何度も足を運んでは蚕の一生を克明にレポートし、生地メーカーや工房を一軒一軒訪ねては「職人のリレー」と題して取材を続ける日々。

「『また来たの?』『よう飽きないね』なんて最初はみんな戸惑っていたんですが、毎日のように通ううちに『あの記事反応どう?』とか『今日はこの作業をするよ』って声をかけてくれるようになって」

ユカリさん

「職人さんにとって当たり前の、何十年も続けている仕事でも、外からきた私たちにとっては『すごい!』の連続なわけです。

そういうヨソ者の視点が、自分達の仕事にまた新たな誇りを持つ、きっかけにもなればと思って取材を続けています」

実際に2人が取材した有限会社 吉正 (よしまさ) 織物工場さんに私もお邪魔させてもらいました。

「すごい!」が生まれる現場へ

代表の吉田和生さんは3代目。浜縮緬 (ちりめん) 工業協同組合の理事長でもいらっしゃいます。

左が吉田さん。真ん中に座るのは先ほど未来会議で登場した商工会議所の吉井さん。「仕立屋」の2人を吉田さんや長浜のメーカーさんたちと引き合わせてくれた人物です
左が吉田さん。真ん中に座るのは先ほど未来会議で登場した商工会議所の吉井さん。「仕立屋」の2人を吉田さんや長浜のメーカーさんたちと引き合わせてくれた人物です

浜ちりめんの主な流通先である京友禅や加賀友禅は、細やかで優美な絵柄が何よりの特長。わずかな生地の難でも、染め上がった時にその繊細な世界を損ねてしまいます。

「長年友禅の表生地に浜ちりめんが使われてきたことは、何よりの品質の証です」と吉田さんは誇らしげに語ります。

浜ちりめんの反物
浜ちりめんの反物
この印が、厳しい検品基準をクリアした「浜ちりめん」の証
この印が、厳しい検品基準をクリアした「浜ちりめん」の証

その高い品質は、糸づくりから生地織りまで一社が一貫して行う生産体制が支えています。

一般にはこうした機械が動いているのが織物の現場のイメージですが‥‥
一般にはこうした機械が動いているのが織物の現場のイメージですが‥‥
織り機に縦糸をセットするための前工程。製品の種類ごとに本数や長さ、幅を整えていきます
複雑な工程を丁寧に教えてくださいます
複雑な工程を丁寧に教えてくださいます
集まってきた糸は難がないか細かくチェック
集まってきた糸は難がないか細かくチェック
こちらは緯 (よこ) 糸に水をかけて柔らかくしながら撚る工程。ちりめんはこのように糸に強い撚りをかけることで、表面に独特の凹凸が生まれる
こちらは緯 (よこ) 糸に水をかけて柔らかくしながら撚る工程。ちりめんはこのように糸に強い撚りをかけることで、表面に独特の凹凸が生まれる
撚りの工程クローズアップ
こちらも糸に撚りをかける道具。撚りの工程は機械を変えて繰り返され、生地に様々な風合いを生み出します
こちらも糸に撚りをかける道具。撚りの工程は機械を変えて繰り返され、生地に様々な風合いを生み出します
出来上がった糸を巻き取る管の列。全38工程に及ぶものづくりの現場は、普段見慣れない道具やアイディアに溢れています
出来上がった糸を巻き取る管の列。全38工程に及ぶものづくりの現場は、普段見慣れない道具やアイディアに溢れています

すでに浜ちりめんにかなり詳しくなっているであろうユカリさんと石井さん。目をキラキラさせながら、質問も活発に飛び出します。

話を聞く石井さん
ユカリさん
ユカリさん
ユカリさん

こうしたものづくり現場の取材や街の歴史のリサーチなど、移住してから半年はひたすらインプットに費やしたそうです。

そんな地道な活動が功を奏したのが、3月に行われた「長浜シルク産業未来会議」でした。

会議の題名は直前まで「浜ちりめん未来会議」だったそう。

「でも、私たちが取材を通して知ったように、長浜にはその前段階にある養蚕農家さんや、紬やビロードなど違う種類の織物メーカーさんもいる。それほど絹に特化している面白い産地です。

浜ちりめんという言葉に変えてシルク産業と言うことで、この会議が自分ごとになる人が増えます。

より多くの人を巻き込むことで、普段出会えなかった視点でお互いの仕事や地域の産業を、話し合えたんじゃないかと思っています」

中と外の視点

地域おこし協力隊の任期は3年。移住してから1年が経ち、現在は少しずつ、現地でのインプットをカタチにしていく段階に差し掛かっています。

現地での体感知をアイディアに結びつけていくためには、東京組とのリモート会議が欠かせません。

取材当日も、スカイプで東京組のひとり、古澤さんも交え、3人にお話を伺えました。

事務所には膨大な話し合いの軌跡が
事務所には膨大な話し合いの軌跡が

石井さん:「僕たち2人が地域に入り込めば入り込むほど、地域の枠組みや関係性の中でものごとを考えるようになります。

それは産地に当事者として向き合うという点ではとても大事ですが、その上で冷静にやることの優先順位や、やらないことの線引きをしていかないと世の中に伝えたいことの焦点がぼやけてしまう。

そこに東京組の客観的なツッコミが生きてくるんですね。中の状況を踏まえて外から判断するっていう仕組みが仕立屋の強みだと思います」

自分が「仕立屋と職人」である理由

そんな「外」の視点を担うリモート組の古澤さんは、東京で会社員としての顔を持っています。

石井さんも協力隊として長浜の取組みを続ける傍ら、フリーランスのグラフィックデザイナーとしての仕事も続けています。

こうすることで、新しい土地でも生活基盤を安定させながら、「仕立屋と職人」のミッションにしっかり時間と予算をかけることができるそうです。

なぜそのような働き方を選んでまで、地域のものづくりに携わろうと思ったのか。動機はそれぞれに違いました。

サービスデザイナー、古澤さんの場合:「全てのモチベーションが揃う場所」

「僕はすごく平たく言うと、伝統工芸だからやっているって感じは全然ないんです。

この人いいな、面白いなという人や、実現したら面白いなと思うアイディアに対して、あるべき姿への道筋を組み立てて、その価値を広げていきたい。

『仕立屋と職人』では、現地にいる2人を介してそういう魅力的な人やモノゴトに出会える。そこに自分のやってきたことを生かして解決すべき課題がある」

未来会議での古澤さん
未来会議での古澤さん

「僕が仕事をしたいと思う全てのモチベーションが揃ったから、『仕立屋と職人』をやっているという感じです」

グラフィックデザイナー、石井さんの場合:「デザインが力を発揮できる場所」

「僕はデザイナーですが、デザインって力を発揮する場所をデザイナーが自分で見つけるべきだと思うんです。

自分じゃなくてもできるところでは、デザインを作らなくていいかなって。それは僕じゃない誰かがやるから。

でも必要なところっていっぱいあると思うんですよね。それが仕事になるかならないかは自分次第。それを見つけたいと思ってきたのがひとつです。

もうひとつは、日本人が日本のことを誇らしげに話せたらいいなということ。

僕は伝統工芸の世界に出会う前にロンドンに留学していた時期があったのですが、みんながあまりにも自分の国を誇らしげに話すのがうらやましかった。

僕は千葉出身で、自分にはカルチャーがないなって思って生きてきたのに、外に出てみたらそのカルチャーがないって言ってたところのカルチャーを何も知らなかった。

だったら自分みたいなやつが、嬉しそうに日本のことを話せたら世界が変わる気がするなと思ったんです。デザインが力を発揮する場所って、そういうところなんじゃないかなと。

それを突き詰めて考えていった先にたどり着いたのが、日本の伝統工芸でした」

吉正織物さんにて
吉正織物さんにて

縫子、ユカリさんの場合:「伝統工芸を介して、心が震える世界を作る」

「私はずっと洋服を仕立てる縫製の仕事をしていました。

作りながら、私が使っているこの生地は一体なんだろうって疑問が湧いてきて、そういうことを気にせずただ作り続けていくことに、違和感を感じるようになりました。

どんなものにも素材や形の理由がちゃんとある。その背景を伝えられたら、そのものの価値がもっとパワーアップして誰かに届く。

でもそれは私一人では出来ないとわかった時に、こうやってみんなと会えたから今があるという感じです。

作り手が良いと思っているものを、ちゃんと世の中に届けたい。私がものづくりをしてきた人間だからこそ伝えられる言葉もあると思っています」

仕立屋と職人

「でも同時に、発信だけじゃなくそれを受け取る側も一緒に育っていかなきゃいけないと強く思っています。

どんなに良さを語っても、それを見た人が『へーそうなんだ』で終わったらどうにもならないから。

あるものを見た時に心が動く世界を、同時に作らなきゃいけない。

仕立屋と職人が作るのはプロダクトだけありません。伝統工芸を介して心が震える世界を作っていきたい。作り手も使い手もひっくるめて。

そういう世界を、このチームなら作れると思っているのが、私が『仕立屋と職人』をやっている理由です」

サービス設計、デザイン、ものづくり。それぞれに違う背景を持ちながら、全員の「やりたい」が詰まっていたのが伝統工芸の世界でした。

長浜にきて1年と少し。

「仕立屋と職人」の長浜編はまだ途中ですが、その取組みは、地域で働きたい人やものづくりに関わりたい人、自治体にとっても、新しい「夢の叶え方」を示しているように感じました。

<取材協力> ※登場順
仕立屋と職人
http://shitateya-to-shokunin.jp/

長浜商工会議所
http://www.nagahama.or.jp/

有限会社 吉正織物工場
http://www.yoshimasa-orimono.jp

文:尾島可奈子

「付喪神絵巻」に見る室町時代の大掃除

今年もあっという間に12月。今日は大掃除にまつわる「付喪神 (つくもがみ) 」のお話。

今は年末に行われることの多い大掃除ですが、もともとは「煤払い」といって、12月13日と日を決めて行われていました。

昔の煤払いの様子。みんな忙しそうです
昔の煤払いの様子。みんな忙しそうです

煤払いは単なる大掃除ではなく、年神さまを迎えられるよう家の中をきれいにするという、信仰的な意味も持っていました。

と、ここまではさんちの記事「12月13日、すす払いの日。熟練職人がていねいに編み上げた、掃除道具」でもご紹介したところ。

実はこの煤払いを終えると、路地にうち捨てられていたのが古い道具類。彼らこそ、今日のお話の主人公です。

彼が担いでいるのは、何でしょうか‥‥?
彼が担いでいるのは、何でしょうか‥‥?

「陰陽雑記云、器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すといへり。

これによりて世俗、毎年立春に先立ちて人家の古道具を払い出だして、路次に捨つる事侍 (ことはべ) り。これ煤払いと云ふ。

これすなわち百年の一年たらぬ付喪神の災難にあはじとなり」

室町時代に物語が成立したとされる『付喪神絵巻』は、このような一文で始まります。

作られてから100年をすぎた道具には魂が宿り、人を惑わす「付喪神」となる。そんな言い伝えを嫌って、人々は旧暦の新年にあたる立春より前、年の瀬の煤払いの際にこぞって古い道具を捨てていた、とあります。

路地に捨てられた古道具たちの様子
路地に捨てられた古道具たちの様子

「室町時代って、日本で最初の大量生産・大量消費の時代であったという見方があります。その時代の精神性を反映して、こうした付喪神の物語も伝承されたのではないでしょうか」

そう語られるのは民俗学者の小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。

ひいおじい様は「耳なし芳一」などの民間伝承をまとめた『怪談』の著者、ラフガディオ・ハーン、のちの小泉八雲です。

小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。島根県立大学短期大学部教授、小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長でもいらっしゃいます。専攻は民俗学。主な著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』 (講談社) ほか多数。
小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。島根県立大学短期大学部教授、小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長でもいらっしゃいます。専攻は民俗学。主な著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』 (講談社) ほか多数。

現在、凡さんは小泉八雲が暮らした「怪談のふるさと」こと島根県・松江で大学教授を務められています。

10月の出雲・松江特集では、松江で人気の観光プログラム「松江ゴーストツアー」の生みの親としてお話を伺っていました。


>>『怪談は負の遺産?小泉凡さんに聞く、城下町とゴーストのいい関係』はこちら

「地理学者のイーフー・トゥアンの学説が有名ですが、妖怪伝承や怪談が生まれる根本には必ずふたつの要素があると考えられています。

ひとつは人間の恐怖に対する想像、負の想像力。例えば闇で足音が聞こえてきてドキッとする。そういう人間の、恐怖に対する想像力がないと発生しません。

もうひとつにはアニミズムの土壌がないと発生しにくい。アニミズムとは、万物には目に見えない霊魂や精霊などの霊的存在があるとする信仰のことです。

早くに一神教になった国というのはそれが衰退しやすいですね。例えばイスラム圏にはあまり妖怪や精霊といったイメージがないと思います。

一方で日本には、その両方が残されてきました。

八雲が記録した伝承の中にも『ちんちん小袴』という民話があります。不精なお姫様が捨てためた爪楊枝が、たくさんの武士姿の妖精に化けて現れる、というお話なんですよ」

古道具にさえ、霊的な「何か」を感じおそれた日本人。

実は『付喪神絵巻』に登場する古道具たちも、お話が進むごとに「生き物」化していきます。

目や足が付いているのが、わかりますか?
目や足が付いているのが、わかりますか?

実は彼ら、「長年お仕えしてきたのに道端にこんな風に捨てるなんて、ひどい‥‥!」と、人間への仕返しを企てているところなのです。

節分の日の夜、彼らはとうとう妖怪に姿を変えます。さて、それぞれどの道具がどんな姿に変身するのでしょうか。

お話の続きは、また節分の頃に。


文:尾島可奈子
出典:国立国会図書館デジタルコレクション「付喪神記」

※こちらは、2017年12月30日の記事を再編集して公開しました

非公開ゾーンに特別潜入!菅原工芸硝子のシークレット工場見学で、私たちは何を見たのか

「ここから先はすみませんが、撮影NGでお願いします」

11月のよく晴れた日曜日。

さんち編集部は6名の読者の方とともに千葉・九十九里の菅原工芸硝子さんを訪れていました。

Sghrこと菅原工芸硝子さん。年間を通して一般の方の見学やガラス作りの体験を受け付けています
Sghrこと菅原工芸硝子さん。年間を通して一般の方の見学やガラス作りの体験を受け付けています

目的はさんち2周年を記念して企画したシークレット工場見学ツアー。

移動は貸切バス!さんちの取り組みをクイズ形式で紹介したりしながら、一路九十九里へ
移動は貸切バス!さんちの取り組みをクイズ形式で紹介したりしながら、一路九十九里へ
あっという間に到着!みんなでいざ、工場見学へ!
あっという間に到着!みんなでいざ、工場見学へ!

昨日のレポート前編では、菅原裕輔社長直々に工場内を案内いただき、人気の「富士山グラス」などのガラス作りを間近で見学したところまでお届けしました。

前編はこちら:「ガラスは液体?シークレット工場見学で知った真実」

厚さなどが記された製造見本を持つ菅原社長
菅原社長。富士山グラスの製造見本を手に
熱気に満ちたガラス作りの現場
熱気に満ちたガラス作りの現場
高温の炉から液状のガラスを竿に巻き取って、製品作りがスタートします
高温の炉から液状のガラスを竿に巻き取って、製品作りがスタートします
この富士山グラスが‥‥
この「富士山グラス」が‥‥
目の前で作られています!炉から竿に巻き取ったガラス玉を型に入れて、空気を吹き入れているところ
目の前で作られています!炉から竿に巻き取ったガラス玉を型に入れて、空気を吹き入れているところ
富士山グラスは31人いる職人さんの中でも、3名の方しかできない高難度の商品だそう
富士山グラスは31人いる職人さんの中でも、3名の方しかできない高難度の商品だそう
出来立てホヤホヤ (本当に高温です) !
出来立てホヤホヤ (本当に高温です) !
他にも、変幻自在に姿を変えるガラス作りを目の前で見学できました
他にも、変幻自在に姿を変えるガラス作りを目の前で見学できました
説明をしながら工程を見せてくれたのはこの道53年の塚本さん。長年の経験から、常に新しいものづくりに取り組まれています
説明をしながら工程を見せてくれたのはこの道53年の塚本さん。長年の経験から、常に新しいものづくりに取り組まれています
ひとつひとつの動きに迫力があります
ひとつひとつの動きに迫力があります

ひと通りものづくりの様子を見終えたところであったのが、冒頭のアナウンス。

5000アイテムを揃える菅原さんのものづくりを支える、心臓部を見せてくれるというのです。

一同、期待と緊張を胸に社長のあとに続きます。

撮影NGのとある場所へ

菅原さんが誇る5000のガラス製品のアイディアは、全て職人から生まれます。彼らがデザインから発想し、チームとなって製品を生み出すのです。

その自由な発想を大事にするため、外部発注では時間もコストもかかる型を自社で製造しています。

通常は一般の方をまず入れないという型倉庫を、特別に見せていただきました。

ここからは撮影NG。特別な機会をいただきました
ここからは撮影NG。特別な機会をいただきました
先ほどの富士山グラスの製造にも、型が使われている
先ほどの富士山グラスの製造にも、型が使われている

実験段階のものも「まずは作ってみよう」とすぐ型を起こすそう。所狭しと型が並んだ倉庫はひっそりとしていましたが、ゼロからものを生み出す静かなエネルギーに満ちているようでした。

さらにもうひとつ、社外の人は通常立ち入れない開発室へ。

開発室へ

菅原さんでは、休みの日でも職人さんが自由に道具や材料を使うことができます。

そこで生まれたものをこの開発室に置いておいて、開発会議の時に検討するのです。室内にはずらりと新製品の卵たちが並んでいました。

創作のルールはたった二つ。暮らしの中で使えるものであること。一人で完結せず、みんなで作ることを前提にすること。

「ガラスで何かやりたいことがあるなら、うちで実現できるようにと思っています。

休憩時間も、しっかり休んでと言っているのに、空いた時間ですぐ職人たちは創作に没入してしまいます。本当にガラスが好きが集まっていますね」

毎年大量の提案が出る新商品の選考会議で候補を絞り込む作業は、いつも菅原さんの頭を悩ますそうです。

開発室

いよいよガラス作り体験へ!

ここからはいよいよツアーのお楽しみ、ガラス作りの体験へ。徳利、カップやピッチャーなど、事前に選んでおいた形と色で一人一人ガラス作りに挑戦です。

サンプルから選んでいる様子。みんな真剣な表情でした
サンプルから選んでいる様子。みんな真剣な表情でした
腕にはしっかりとアームカバーと軍手をつけます
腕にはしっかりとアームカバーと軍手をつけます

指導してくださるのは、先ほど熟練の技を見せてくださった塚本さん!普段は体験の担当はされないそうですが、今回特別に対応くださいました。

塚本さん。素敵な笑顔です
塚本さん。素敵な笑顔です
竿を回しながらガラス玉を吹くのが、一番難しいそう
竿を回しながらガラス玉を吹くのが、一番難しいそう
ぷうっと膨らんできました!
ぷうっと膨らんできました!
大きさも個人の好みに合わせて調節してくれます
大きさも個人の好みに合わせて調節してくれます
途中途中を塚本さんがアシストしてくれます
手取り足取り教えてもらいながら‥‥
手取り足取り教えてもらいながら‥‥
口の部分の広さも自分で調整
口の部分の広さも自分で調整
取っ手づけにもチャレンジ!
取っ手づけにもチャレンジ!

ひとつ出来上がるたびに、「お〜」と歓声と拍手が。

見守る側も真剣です

編集部として何より嬉しかったのが、参加されている皆さんの笑顔。

作っている様子

「自分で作ると、かわいい」と一人の方が話してくれました。

これこそ、工芸産地を旅して好きになる「さんち旅」の醍醐味。自分の目で見て、耳で聞いて、熱気を肌で感じる体感は、現地でしか味わえません。

何気なく使っている暮らしの道具が、一層愛おしくなる瞬間です。

作品が完成するのは3時間ほど後。

それまでランチとお買い物を楽しみます。敷地内にはガラスの器を活かしたカフェと、さっき目の前で作られていた器を実際に購入できるショップが併設されているのです。

併設のsghrcafeにてランチへ!
併設のsghrcafeにてランチへ!
見学や体験の感想を話し合います
見学や体験の感想を話し合います
千葉特産のピーナッツペーストを挟んだサンドイッチ。もちろん器は菅原さんのガラス製です
千葉特産のピーナッツペーストを挟んだサンドイッチ。もちろん器は菅原さんのガラス製です
千葉らしいしらすのパスタや‥‥
こちらはキーマカレー
こちらはキーマカレー
最後にはしっかりデザートもいただきました。こんな風に使えるのか、と器の使い方の参考にも
最後にはしっかりデザートもいただきました。こんな風に使えるのか、と器の使い方の参考にも
最後はお買い物です!
最後はお買い物です!
美しいガラスの器が所狭しと並びます
美しいガラスの器が所狭しと並びます
マットな黒い器を発見!工場見学を終えた後なので、誰ともなく「どうやって作っているんだろう」という質問が出ていました
マットな黒い器を発見!工場見学を終えた後なので、誰ともなく「どうやって作っているんだろう」という質問が出ていました
店内にはもちろん、富士山グラスも
店内にはもちろん、富士山グラスも

こうしてあっという間に1日が過ぎて行きました。

帰りには無事完成した自分の作品と、菅原さんからお土産もいただいて、九十九里をあとにします。

皆さんの力作!同じアイテムでも、一点一点個性が現れます
皆さんの力作!同じアイテムでも、一点一点個性が現れます
最後は菅原社長直々にお土産もいただきました
最後は菅原社長直々にお土産もいただきました

1日の感想なども分け合いながら、3連休最終日の渋滞も乗り越えて、無事東京まで戻ってきました。

編集部にとっても、参加者の方にとっても初めての「さんち旅」ツアー。

体験では見守り役だった編集部メンバーはまず、改めて体験に来ようと決意を新たにしています。

こうして足を運ぶごとにその土地のものづくりが好きになっていく体感は、誰より編集部が感じている事かもしれません。

またやってほしい!との嬉しい言葉もいただいたので、またパワーアップして企画したいと思います!

ご参加いただいた皆さん、そしてご応募いただいた皆さん、本当にありがとうございました。

帰りは渋滞にもめげずかんぱーい!
帰りは渋滞にもめげずかんぱーい!

<取材協力>
菅原工芸硝子株式会社
千葉県山武郡九十九里町藤下797
http://www.sugahara.com/

文:尾島可奈子
写真(一部除く):西木戸弓佳

ガラスは液体?シークレット工場見学で知った真実

こんにちは。さんち編集部の尾島です。

さんちは2018年11月1日、おかげさまで2周年を迎えました!

そこで、編集部が2年間の取材を通して体感してきた、ものづくりの美しさやかっこよさを読者の方に直に感じて欲しい!と思い、シークレットな工場見学ツアーを企画しました。

応募の際の記事はこちら。たくさんのご応募、ありがとうございました!

先日行われたツアーの様子を、そこで出会ったものづくりの現場の熱気を、至近距離から前後編2本立てでレポートします!

晴天の九十九里へ、さんち旅スタート!

11月25日、朝9時の渋谷。

6名の参加者と編集部を乗せてバスは千葉・九十九里へと出発しました。

目指すは菅原工芸硝子株式会社さん。

菅原工芸硝子

年間を通して一般の方の見学やガラス作りの体験を受け付けています。

硝子作り体験の見本
硝子作り体験の見本

さんちでは以前、代表作である「富士山グラス」の製造の様子を取材。そのご縁で今回のツアー企画が実現しました。

富士山グラス
富士山グラス

富士山グラスの取材記事はこちら:「1月9日 成人の日。二十歳に贈る、富士山グラス」

しかし!今回は2周年を記念した「シークレット」な工場見学。

菅原さんのご協力で、通常の見学にはないプログラムを組んでいただけることになりました!

集まった6名の方は「工場見学は初めて」という方もいれば、さんちの記事を見て自ら窯元めぐりをされたことのある方も (嬉しい!) 。

バス内でさんち立ち上げの背景を紹介したり、菅原さんやガラス作りについて一緒に勉強したりしているうちに、あっという間に目的地に到着です。

さんちの取り組みをクイズ形式で紹介したりもしました
さんちの取り組みをクイズ形式で紹介したりもしました

社長自らご案内!

バスを降りた瞬間に感じたのは東京よりもぽかぽかと暖かい空気。

敷地内の様子

実は菅原さん、初代社長が東京から移転先を探していた時、たまたまお花見に来ていた九十九里の温暖温厚な土地柄に惹かれて移転を決めたのだとか。

敷地内にはそのエピソードを象徴するように、桜がずらりと植わっています。

春には花見のお客さんで賑わいそうな、敷地内の桜並木
春には花見のお客さんで賑わいそうな、敷地内の桜並木
みんなでいざ、工場見学へ!
みんなでいざ、工場見学へ!

私たちを出迎えてくれたのは三代目の菅原裕輔社長。

菅原裕輔社長
菅原裕輔社長

シークレット工場見学の目玉のひとつ、社長直々に場内をご案内いただきます!

ガラス作りの原点、るつぼ

まず最初に教わったのはガラス作りに欠かせない「るつぼ」の存在。

るつぼ

液状になった高温のガラスを、職人さんたちはこのるつぼの穴から長い竿に巻き取って様々な姿に成型していきます。

実際の現場では「炉」の中にすっぽりとおさまっているため、るつぼの姿は見えません。

日本独特の形で、今では全国でも製造できるメーカーが1軒のみだそう。猫背なので「ねこつぼ」というかわいい別名も。

大切なガラス作りの原点を守るためにも、菅原さんではできるだけ多くのガラス製品を作り続けることを心がけているそうです。そのアイテム数はなんと5000種にのぼります。

菅原工芸硝子の器

いざ、ガラス作りの現場へ

建物の中に入ると、ぐんと体感温度が上がりました。

中心には大きな宇宙船のような炉が!

どこか近未来的な雰囲気すら感じさせます
どこか近未来的な雰囲気すら感じさせます

丸窓のような部分が、先ほどのるつぼです。

鮮やかなオレンジ色に包まれているのが、るつぼの口部分
鮮やかなオレンジ色に包まれているのが、るつぼの口部分

その明々とるつぼの中で輝くガラスの「素」について、菅原さんが教えてくれました。

ガラスは砂からできている

「これは珪砂 (けいしゃ) と言ってガラスの原料になる砂です」

入口に置いてあった珪砂
入口に置いてあった珪砂

そう、ガラスはもともと、砂からできているのです。

砂があんな透明な物体になると思うととても不思議ですが、何十時間も高温で煮続けることで、液状になっていくそう。

その時にもうひとつ大事なものがあるそうです。それがこちら。

ガラスくず

「製造の工程で生まれるガラスくずです。ガラスのいいところは、溶かせば何度でも再利用できるということ。ですから割れてしまったガラスも、色別に分けて保管して活用しています。

珪砂をガラスに変化させる時にも、ガラスくずを一緒に混ぜることで変化を助けることができるんです」

ガラスは液体!?

砂から液体へ、美しいガラスの器へ。熱によって変幻自在に変化するガラスは、液体か、固体か?という議論も生んでいるそう。

ガラス作りの様子

「え、個体でしょ、と思うかもしれませんが、僕個人としては、ガラスは液体だと思っています。個体のように見えるものは、変化が『止まっているだけ』とも言えますから」

ガラスが液体?にわかには信じられませんが、「確かに」と思わせる姿が、現場にありました。

普段は立ち入れない炉のそばまで接近!

ここからがシークレット工場見学続いての目玉。普段の見学は立ち入れない炉の近くまで、入らせてもらいます!

さっきまではぽかぽか暖かいな、ぐらいだったのですが、近づくほどに暑い、熱い。

そーっと覗いてみます
そーっと覗いてみます

るつぼの中も覗かせてもらいました。煮えたぎるガラスにはこわいくらいの美しさと迫力を同時に感じます。

みんな恐々と覗いて、あつい!と離れます
みんな恐々と覗いて、あつい!と離れます

「冬場は暖かくていいですが、夏場は50度近くに達します。本当にガラスが好きじゃないと、続けられない仕事ですね」

菅原さんがそう誇らしげに語る職人さんたちは、総勢31名。今日は日曜でいつもより人数が少ないそうですが、全体に若い印象です。さらに、うち11名は女性とのこと。

当日も、黙々と作業に集中する女性の職人さんの姿が
当日も、黙々と作業に集中する女性の職人さんの姿が

ずっと見ていると、決まった人が炉に近づいては離れ、近づいては離れ流れるように体を動かしています。先ほどのるつぼから、ガラスの塊を竿に巻き取って次の工程の職人にパスしているのです。

各工程が同時進行で進められていきます
各工程が同時進行で進められていきます

富士山グラスの製造を目撃!

るつぼから取り出したガラスは、空中に向かって空気を吹き込んで自由に成形する宙吹きと、型に入れながら空気を入れる型吹きなどに製法が分かれ、様々なガラス製品に姿を変えていきます。

ガラス作りの様子

中でも難しいのが、菅原工芸硝子を代表する「富士山グラス」。今回のツアーでそのものづくりの様子を見学できるように、製造のタイミングを合わせてくれていました。

厚さなどが記された製造見本を持つ菅原社長
厚さなどが記された製造見本を持つ菅原社長

空気を吹きいれると硝子玉は自然と丸みを帯びますが、富士山グラスは台形です。

富士山グラス

均一な厚みを保ちながら台形の型に合わせて空気を吹き入れることは、相当な技術を要します。現在も3名の方しかできない技なのだとか。

富士山グラス
製造の様子

こうして完成した器はこの後ゆっくりとトンネル型の低温装置で熱を取り、商品が完成します。

成形が完成した富士山グラス
成形が完成した富士山グラス
急に冷えると外側と内側で温度差が出て割れてしまうため、ゆっくりとコンベアー式の低温装置で冷やされます
急に冷えると外側と内側で温度差が出て割れてしまうため、ゆっくりとコンベアー式の低温装置で冷やされます

もうひとつ、菅原さんがアイテムを見せてくれました。

富士山グラスは外部のデザイナーさんとのコラボ商品ですが、実は菅原さんの通常アイテムは全て、職人さんがデザインから考えます。

例えばこの道53年、一番のベテランだという塚本さんが作っているのは、持ち手部分に美しく気泡が入った器。

持ち手部分のガラスの表面に突起をつくり…
持ち手部分のガラスの表面に突起をつくり…
そこにさらに液状ガラスを巻き取る
そこにさらに液状ガラスを巻き取る
凹凸が空気を含み、内側に気泡が現れる
凹凸が空気を含み、内側に気泡が現れる

「こういうものは、ガラスの特性を知り抜いた職人だからこそ思いつけるデザインなんですね」

説明をしながら工程を見せてくれた塚本さん。長年の経験から、常に新しいものづくりに取り組まれています
説明をしながら工程を見せてくれた塚本さん。長年の経験から、常に新しいものづくりに取り組まれています

確かに、職人さんの手にかかればガラスは液体のように変幻自在で、いくらでも形の可能性があるように思えます。

菅原さんではこうした職人の自由な発想を大事にするため、あるユニークな取組みを行っています。

通常は一般の方がまず入れないという、その「ある取り組み」の現場を、今回のツアーでは特別に見せていただけることに。

後編は、ものづくりの深部に迫る「撮影NG」のある場所の見学や、全員初挑戦のガラス作り体験に続きます!

<取材協力>
菅原工芸硝子株式会社
千葉県山武郡九十九里町藤下797
http://www.sugahara.com/

文:尾島可奈子
写真(一部除く):西木戸弓佳

「うぶけや」の毛抜きが短い毛もスッと抜ける理由

東京・人形町「うぶけや」さんの毛抜き

女性の美を支えてきた道具を厳選して紹介する「キレイになるための七つ道具」。

数年前、「すごい毛抜きがある」と仕事の先輩が熱っぽく教えてくれたのが、今回訪ねる「うぶけや」さんの毛抜きでした。

1度訪ねた際の記憶は、そこだけタイムスリップしたかのような店内に、ひっきりなしに出入りするお客さんの熱気。しゃっきりとして上品な女将さんの物腰、語り口。

なぜか気後れして本命の毛抜きを買わず、かわりに買った携帯用の爪切りは、今も愛用しています。人生2度目のうぶけやさんは、当時と変わらず、東京・人形町のビルの間に挟まれるように、そこだけ違う雰囲気をまとって建っていました。

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カラカラと扉を開けると、見上げる高さまで様々な形の刃物が飾られています。

「いらっしゃいまし」

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うぶけや8代目の矢崎豊さんが迎えてくれました。

うぶ毛でも剃れる・切れる・抜ける

うぶけやさんは1783年に大阪で創業の刃物屋さん。1800年代に入って江戸の長谷川町(現・堀留町)に江戸店を出店します。そこから縁あって移転した人形町界隈は、西に行けば日本橋、南に行けば築地市場という立地。当時の一大歓楽街でした。

新たに商いを始める人は「銀座にお店を出そうか、人形町にお店を出そうかと迷ったくらい」だったそうです。そんな華やかな街で明治維新を迎えたうぶけやさんは、築地に当時あった居留地から頼まれて、日本で初めて洋裁用の裁ちばさみを作ったという歴史もお持ちです。

「店名は初代の㐂之助(きのすけ)が打った刃物が『うぶ毛でも剃れる・切れる・抜ける』と、お客様から評判を受けたから。三大アイテムが、包丁・ハサミ・毛抜きです」

中でも毛抜きは、その抜群の使い心地で20年ほど前からメディアに取り上げられるようになり、時に欠品してしまうこともあるほどの人気アイテム。

「注目されるようになったきっかけですか?特にはないんです。うちは昔からのやり方で品物を作って、昔からの価格で売ってるだけで」

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うぶけやさんの毛抜きには、長さや刃先の幅でいくつか種類があります。一番人気は口幅(刃先のところの幅)が約3mmの、価格3,300円(税別)のもの。1度に作れる数は120〜200本。それが1ヶ月と持たず売れてしまいます。

薬局や、今では100円ショップでも買えてしまう毛抜きを、わざわざ人がうぶけやさんに買いに来る理由はどこにあるのか。そもそも刃物屋さんって?毛抜きって刃物なの?まだ、いろいろとわかっていません。まず「品物を作る」って、矢崎さんが刃物を打つのでしょうか。

「いやいや、うちで刃物をトンテンカンテンするわけじゃないんですよ。初代㐂之助は鍛冶職人でしたが、うちは2代目から“職商人”という形をとっています。

自分でお店を持って、腕のいい職人に刃物を作らせ、自分のところで刃をつけて(仕上げをして)、納得のいくものを販売する。職人であり商人でもある、というわけ。昔はもっと多くの刃物屋さんがあって、大体みんなこの形態でした」

うぶけやさんが創業した江戸時代、世の中が平和になって仕事にあぶれた武器職人や刀鍛冶が、家庭用品のものづくりにどっと流れます。一大消費地だった江戸では、家庭用品の需要も多かったようです。腕のいい職人がゴロゴロといた時代と場所で、職人を抱えて商いをする、職商人という形態を取るようになったとのことでした。

「種類、サイズ別を含めると全部で300種類くらいの刃物を扱いますが、道具によって全て職人さんが違います。毛抜きはずっと同じ職人さんのところに頼んでいて、もう4代続く付き合い。

それぞれの仕入れ先から、仕上げ前の半製品の状態でうちに刃物が届く。例えば包丁は、こういう板みたいな格好でくるんですよ」

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見せていただいたのは、刃がつく前の包丁(写真奥)と、うぶけやさんで研いで刃がついた(ものが切れる)状態の包丁(写真手前)。

「研ぎにも荒研ぎ・中研ぎ・仕上げと段階があって、先代の親父の頃は本業を引退した鍛冶職人さんに荒研ぎまで頼めていました。ところがちょうどバブルの頃に入って、彼らのせがれが仕事を継がなくなった。サラリーマンの初任給がどんどん上がって行った頃です。

そこで私が昔から付き合いのあった研ぎの工房に弟子入りして、今では荒研ぎからうちでやるようになったんです」

カラリ、とちょうどお客さんがやってきたところで、「じゃあ続きは奥でお話ししましょう」とお店の奥の研ぎ工房にご案内いただきました。

「うぶ毛でも抜ける」毛抜きができるまで

お店の裏に回ると、大きな荒研ぎ・中研ぎ用の機械と通路を挟んで、ちょうど囲炉裏のような格好で仕上げの作業スペースがあります。ここで息子さんで9代目の矢崎大貴さんと二人、お店で扱う品物の仕上げやお客さんから預かった修理品の研ぎを行っています。

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今私たちと入れ替わりでお店に出て接客中の大貴さんは、ちょうどさっきまで毛抜きを研いでいたところだったようです。

「せがれは店に入って4年になるかな。研磨なんかはうまいですよ。あいつは器用だからね、僕よりもうまくなるんじゃない」

そう話しながら矢崎さんが、毛抜きの仕上げの研ぎを見せてくださいました。

まず毛抜きを強力なライトにかざして上下の噛み具合を見てから、粉末状の研磨剤を刃先で挟んですり合せていきます。

目に悪いため、サングラスを着用してライトに刃先をかざす。
目に悪いため、サングラスを着用してライトに刃先をかざす。
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すり合わせがピタッと平らになったかを確かめるのは、指の感触だけ。白っぽい刃先が研磨剤で黒くなっていくのを、時折封筒のような固い紙で挟んで拭っては、また研磨剤を挟んですり合わせていきます。

コリコリコリ、と刃先を左右に動かします。
コリコリコリ、と刃先を左右に動かします。
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刃先が研磨剤で均一に黒くなって、指でもすべすべした感触になったら、今度は水研ぎ。研磨剤の時と同じように、刃先で水を挟んですり合わせ、さらに摩擦感をなくしていきます。

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最後は粒度の異なる研ぎ石で仕上げ。刃先のわずかな面の部分が、たがいにぴったり平らに合わさっているか、噛み合わせた時に刃先同士、前後左右が揃っているか。目視と、指先の感覚、研いでいる時の音の変化で確かめていくそうです。

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「光の方に噛み合わせた刃先をすかせて、隙間があるかないかを見る。全く光が漏れてこなかったら、ピタッとあっているということです。これでよっぽど細い毛じゃない限り、根元から挟めば切れずにスッと毛が抜けます」

ピタッと重なり合った刃先。
ピタッと重なり合った刃先。

こんなことをやっていたら1日に何本もできないでしょ、と笑う矢崎さんが続けて、どうしてうぶけやさんの毛抜きが支持されているのか、その一端がわかるお話をしてくれました。

うぶけやさんの当たり前

「職商人は、半製品の状態の刃物をある程度自分で仕上げられるわけでしょう。ハサミっていうのはこういう具合になっているから切れるんだ、とか自分でわかるんです。店に出入りする職人と、もうちょっとこういう具合がいいやな、と話ができる。

お客様とも、こういう使い方をしたいんだというリクエストに対して、じゃあこういう材料のこういうものがいいんじゃないですか、というおすすめができる。修理依頼があれば、自分のところで直せる。もちろん他で買われたものも修理します。

それが戦後、ものを作れば売れる、という時代がやってきました。仕上げまでやってくれる下職さんという人たちがたくさんいた頃でもあったから、店は売るだけでよくなった。毛抜きも刃物屋さんでなく、化粧品メーカーさんが作るようになっていきました。

大量生産で、価格もどんどん安くなった。それがバブルの頃を境に、下職さんたちがいなくなって、店だけが残ったわけです。そうすると例えば包丁を修理に出しても、自分のところで直せないから1ヶ月お待ちください、となってしまう。安いものは使い捨てられていく。

そんな中で、暮らしの道具全体が見直されてきたんでしょうね。毛抜きというのは本来、ただ挟めば抜ける。すべりが悪くなったらお店で研いでもらってまた使う。

うちでもお母さんが毛抜きを使っているのを見て、高校生の娘さんが買いに来られることがあります。逆にお母さんが、『娘に取られちゃったのよ』って2本目を買いに来られたりね。そういうものを欲しい、と思うお客さんが増えてきたんじゃないかな」

初めてうぶけやさんに来た時の、真剣に買い物を楽しんでいるお客さんの熱気や、その一つひとつに物腰柔らかく、けれどもしゃっきりと応対する女将さんの格好よさを思い出しました。

長く大事にできるものが欲しい。それを、真剣に作っている人から買い求めたい。うぶけやさんに来るお客さんも、私に熱心に毛抜きをすすめてくれた先輩も、私も、同じ思いなのだろうと思います。

「うちは当たり前のことを8代続けているというだけなんだけど、それが周りから奇異の目で見られるようになっちゃってね」

笑って話す矢崎さんの、当たり前という言葉に当たり前でないものを感じながら、さて、私はどれにしようかな、とお店に戻って矢崎さんの説明に耳を傾けるのでした。

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うぶけや
東京都中央区日本橋人形町3-9-2
03-3661-4851
定休日:日曜、祝日
営業時間:午前9:00〜午後6:00(土曜〜午後5:00)
https://www.ubukeya.com/

9代目の大貴さんと。
9代目の大貴さんと。

※こちらは、2017年3月22日の記事を再編集して公開しました。

髪を綺麗にする京つげ櫛は、独自の「カラクリ」と職人の技で作られる

美しくありたい。様々な道具のつまった化粧台は子供の頃の憧れでもありました。そんな女性の美を支えてきた道具を厳選。「キレイになるための七つ道具」としてその歴史や使い方などを紹介していきます。

今回選んだのはつげ櫛。髪は女の命、と言いますからね。京都で唯一つげ櫛をつくり続ける、十三や工房さんにお邪魔しました。

つげ櫛を求めて、京都へ

「髪の毛って受信機みたいなもので、空気中に飛んでいる電子をキャッチするんです。だから冬には静電気が起こりますね。

電子には埃や匂いがくっついているので、髪の毛は電子を寄せ集めながら毎日、どんどん汚れていきます。木の櫛は、そういう静電気や汚れをとってくれるんです」

木の匂いが立ち込める工房でまず最初に伺ったのは科学のお話。語り手は竹内昭親(たけうち・あきちか)さん。京都で唯一のつげ櫛製造元、十三や工房の5代目です。

十三や工房は1880年(明治13年 )竹内商店として創業。伊勢神宮にも20年に1度の遷宮に合わせてつげ櫛を納める老舗です。

お話を伺った竹内昭親さん

木の櫛の中でも特に優れている「つげ」の櫛

「櫛は汚れを落とす、ということから、ケガレから身を守るものであると考えられてきました。神事でも重要な位置を占めています。

神に捧げる玉串(タマグシ)などの『串』とも同じ語源だと言われていて、櫛は髪に挿すことで霊力を授かったり、魔除けにするような呪術的な意味も込められていたようです」

櫛の歴史は古く、縄文時代の遺跡からも木櫛が出土されています。身分によって髪型を分ける時代には、櫛は現代のように女性が身だしなみのために使うというより、政治の中心であった男性が、権力の象徴として重用していたとのこと。

位によって髪型を分けるのは、今のお相撲にその名残を見ることができるそうです。

昔から日本人の暮らし、それも神事や政治の世界にも密接につながっていた櫛。中でもあらゆる木櫛の中でもっとも優れている、と昭親さんが語るのが「つげ(漢字では黄楊)」の櫛です。

最大の特長はその粘度。細かな加工をする櫛づくりには割れや欠けは大敵です。独特の粘りのあるつげの木地は加工しやすく、磨くほどつややかな美しい木目になるそうです。

十三や工房ではつげの木の栽培から産地と提携を結んで、材料を仕入れています。

つげはゆったり育つので木目がおおらかで加工がしやすい

「昔は分業制でものづくりが成り立っていましたが、最近では木を切るノコギリの目立て(刃を鋭く切れる状態にすること)ができる職人もいなくなりました。

今ではそうした道具の調整から材料の管理にはじまって櫛の形になるまで、いわば0から10全てを自分たちでまかなっています」

工程をまとめたノート。工程によっては前回やった時から間が空くものもあるので、時々読み返して手順を確認するのだそう
原木から板状に櫛の原型を切り出す工程が記されている

自然のままの木が反りのない丈夫な櫛になるまで

0から10まで。全ての工程が行われる工房内には、一見何に使うかわからない機械がずらり。その合間に、ぶらりと裁断された木材が吊り下がっていました。

産地から届いた原木は、木が成長を止める11月頃から春にかけて裁断する。裁断後はこうして吊るして乾燥させる

「切った板をこうして1ヶ月ほど日陰で干すのですが、どんどん水分が出て反っていきます。それを矯正していく次の工程が、一番重要です」

陰干しした板を輪っか状に束ねていく。反ったものどうしを合わせていき、最後にまっすぐの板を挟み込むのがポイントだそう

矯正された板の束は工房に併設された釜で半日をかけて燻されます。燻すと木の反る向きが変わるので、束の中で板を入れ替えて矯正し、また半日かけて燻す。

これを1週間続けます。燻す時に使うのは、加工で出たつげの木くず。

つげの木クズ。この煙で板を燻して丈夫にする
木クズを集めるため、工房内のあちこちには集塵口が
工房に併設された釜。矯正された板が一度に1000枚は燻されるという

「電気炉だと一気に熱が加わるので急激な乾燥で割れてしまいます。こうしてつげ自体のくずから出た煙で燻すことで、煙の中の水分・成分が板の中に入って割れずに丈夫になる。防虫効果も生まれます。先人の知恵はすごいですね」

老舗が手作りにこだわらない理由

このあと燻された材料は「寝かし」と言って品質を安定させるために板を寝かせる工程に入ります。その期間、最低でもなんと7年!

ものによっては80年、90年と寝かす材料もあるそうです。人の一生をかけても、その完成まで見られない櫛があるとは。

燻蒸(くんじょう)を終え、寝かし中の板。古いものだと、ビニールひもではなくロープや竹皮で束ねてある

「何かを欲しいと思ったら、今すぐ欲しいですよね。欲しいと言っているお客さまを待たせたくはない。ところがどんな櫛でも完成まで7年はかかる。その分コストもかさむ。

だからいかに効率と品質をあげて、お客さまが納得できる価格で作れるかを、ずっと考えています」

品質も効率もあげる。そのために十三や工房では手仕事であることにこだわらず、機械で作った方がいいと判断した工程には、惜しみなく機械を導入しています。

しかもそのほとんどが既成の機械をアレンジした独自のもの。工房全体が、さながらラボのようです。

「『キテレツ大百科』って漫画がありますよね。あれは江戸時代に生きたご先祖様のカラクリを元にキテレツがいろいろな道具を作るわけです。

冷蔵庫や洗濯機や車が今の私たちの生活に欠かせないように、何かをもっとよくしたい時に機械を作ろう、使おうと思うのは、昔から当たり前のことだったんじゃないでしょうか」

歯の均一さが命の歯挽き(はびき)は、型に合わせて自動で動く機械を独自に開発。一定の回数歯を挽いたら、自動で止まるようになっている。一部だけ撮影が許された
あっという間に櫛の歯が現れた
根磨( す )りと言って、髪の通りがいいように歯の間や根元をわずかに削って整える工程。この工程は人の手でやった方が精度がいいそう。工程によって機械と手作業を使い分けている
かつて、やすりや磨きの工程にはこうした天然の素材が使われていた
型に合わせて櫛に丸みが出るよう削る機械。中心の部品が回転して板を削る。櫛を型に固定する道具、機械ともに自作
櫛に磨きをかける工程が機械を変えて続く。泥を回転モーターにつけて磨く
機械が歯挽きをしている間に、こうした別の工程ができる、と昭親さん

この工程は手で、この工程は機械で、と使い分けながら、みるみるうちに櫛が出来上がっていきます。さらに改良した機械も近々導入予定だそうです。

「櫛は芸術品ではなく、毎日使う日用品です。手作りにこだわってお待たせし、価格も高くなるのでは意味がありません。

お客さまは手作りの櫛が欲しいというより、ただ一生使えるいい櫛が欲しい。だから日々、去年よりいいものを、と思って機械も取り入れています。

形は伝統的なものだけれど、中身は日々変わっているんですよ」

いい櫛は、使うことでその人の髪の良さを120%引き出すことができる、とは昭親さんが最後に語られた言葉です。

女の命とまで言われる髪を調える道具は、知るほどに髪と同じくらい神秘的でパワフル。

最低7年以上という果てしない完成までの歳月と日々の絶え間ない技術改良とが、ものの迫力となって現れているのかもしれません。

キレイになるための七つ道具、いかがでしたでしょうか。

人が古来、お守りのように櫛を大切にしてきたように、真摯に作られた道具はその人の身だけでなく心も調えてくれるように思います。

とっておきの七つ道具を揃えて、日常もハレの日も、もっと豊かにキレイに調いますように。

<取材協力>
十三や工房
京都府京都市山科区御陵四丁野町21-21
http://www.jyuusanyakoubou.com/index.html


文・写真:尾島可奈子

※こちらは、2017年7月2日の記事を再編集して公開いたしました