例えば京都の三十三間堂の千手観音像や、奈良の東大寺南大門に立つ金剛力士像。
数百年前の名作を今、私たちが目にできるのは、ある「仕事」のおかげです。
文化財修理。
個人の仏師さんや工房が修理を担うケースもありますが、中でも国宝指定の仏像の修理を日本で唯一許されているのが「公益財団法人 美術院」。
明治31年、文明開化に沸く国内で、日本美術の復興を指導した岡倉天心がその母体を作りました。
現在は京都、奈良の国立博物館内と京都市内に修理所を構え、総勢40名の技術者が所属。修理の対象は仏像をはじめ能面や絵馬、石灯籠まで幅広く、年間50〜60の案件を受け持ちます。
驚くべきはその作業に費やす時間。
一度の依頼でまとめて数件を頼まれることも多く、1年から数年をかけて修理を行うのが通常。中でも昨年修理を終えた三十三間堂は、千体に及ぶお像の作業を終えるまで、実に45年の歳月を費やしました。
普段は閉ざされている修復の様子を今回は特別に、見せていただけることに。京都市内にある修理所を訪ねました。
京都、文化財修理の現場へ
白い作務衣をきて、相談し合う女性二人。
美術院の技師、高田さんと浜田さんです。
今まさに修理中のお像について、高田さんに浜田さんが指示を仰いでいます。
「仙寿院宮 (せんじゅいんのみや) さまという、江戸時代の尼僧の方の坐像を修理しています」
所蔵は、金閣寺、銀閣寺とともに臨済宗大本山相国寺の山外塔頭 (さんがいたっちゅう。本山の敷地外にある子院) を成す眞如寺 (しんにょじ) 。京都市にあり、五山十刹のうち十刹のひとつに数えられた古刹です。
その仏殿にはお寺にゆかりのある4名の尼僧像があり、2014年から順に修理がスタートしました。
仙寿院宮坐像はその最後の1体。来年3月の完成を目指しているといいます。(※修復は2019年4月に完了しています)
「これまでやってきた中でも、尼門跡のお像を4体も続けて修理することは初めての経験でした。不思議なご縁で、修理も女性二人でさせてもらっています」
尼僧像が複数まとまってひとつのお寺にあるのは、全国的にも珍しいことなのだそうです。
なぜ修理が必要になるのか?
「現地確認に伺った際は、どのお像も表層の剥落が目立っていました。今残っている当初の彩色をこれ以上失わないよう修理し、剥落してしまったところを補彩 (ほさい) するのが、今回の主な修理です」
像は木彫りの上に、膠 (にかわ) で溶いた顔料で彩色されています。この膠が年とともに劣化し、木自体も痩せていくことで、彩色した層が剥がれ落ちたり、ひび割れてしまうのです。
「だいたい膠はもって100年。彩色の層などを見ると、このお像も17世紀に作られてから100年サイクルで修理がされてきたようです」
つまり、おそらくは今回が4回目となる、21世紀の修理。
技師は自ら現場に赴き、こうした像の状態を確認します。修理所までの運搬も、基本は自分たちでするそうです。
作られた当初の姿を見つけ出す
修理を始めてわかったのは、前回の修理とお像が作られた当時の肌色の差。
「前回の修理は江戸〜明治の頃にされたようなのですが、肌は真白く塗られていました。ですがその下から、より実際の肌色に近い色層が出てきたのです」
美術院が修理の上で重んじているのは「作られた当初の姿を大切にすること」。
この仙寿院宮像の場合は、江戸期に施された色層を除去して、元々の肌色に近い色を作るところから修復が始まりました。
「この色づくりが大変で。多くの時間を使います」
今回は、衣部分の下に隠れて色が後世に上塗りされていなかった、首まわりの色だけが頼り。
ちょうど肌色を作っていた作業台には、緑や青の顔料も並んでいました。理由を浜田さんが説明してくれます。
その工程、まるでお化粧のよう
「こうして自分の手を見てみても、血管の上は緑や青っぽい色に見えたりします」
「なので彩色をするときも、少し青系の色を混ぜたりするんです」
このお像に限らず、肌色を作るときには通常5種類以上の色を使うそうですが、今回はさらにひと工夫を加えたそうです。
「通常は継ぎ足しながら使う顔料も、今回は女性らしい肌色を作るということで、くすみが出ないように全て新しいものをおろしました」
それってまるで‥‥
「お化粧みたいですよね」
すでに修理が済んでいる3体は、高田さん、浜田さんの手によって無事に「お色直し」が済み、修理前とはまるで別人のような姿に生まれ変わっています。
「後世の彩色で埋まってしまっている彫刻の線などもあったのですが、例えばシワの一本一本、彫刻に沿って再現すると、より表情が豊かになっていきます。
だんだんお顔が生き生きとされてくるのを見ると、やはり嬉しいですね。眉や唇も、どうしたら女性らしく、元のお姿に近づくか考えながら彩色しています」
先の3体の修理を思い返す高田さんの表情は、とても楽しそうです。
お像に命を吹き込むように
顔の彩色は、お像に命を吹き込む大切な作業。
当初の姿に近づけるために、伝来の肖像画なども参考にします。表情を決める顔のパーツはいきなり描かずにまず和紙を貼り、その上から色や形を試すそうです。
「こうして絵を見ると、衣も実際に着ておられたものを再現しているのだとわかります」
肖像画は、衣部分の修復にも重要な資料です。表層が剥落して模様が欠けてしまっている部分は、こうした資料や周辺の図柄を根拠にして補うそう。とてもクリエィティブです!
「お像の様子を見ていると、彩色もお顔の表現も、生前のお人柄まで映しだそうという思いで施してあったんだろうなと想像できるんですね。
例えばこちらの方は、亡くなった翌年にお像が作られたことがわかっています」
「きっと面影がすごく残っている状態で彫刻をしたのではないかなと。でなければここまで写実的には彫れないんじゃないかと思うんです。
そういう思いで作られた当初のお姿に戻っていただくのが、いい修理ではないかなと思っています」
美術院の目指す修理とは
高田さんの目指す「いい修理」は、修理の見学後に美術院所長の陰山さんに伺ったお話とも、符合していました。
「作られた当初の姿を大切にして、文化財を守り伝えることが我々の仕事です。
そのためには『ものに学んでいく』ということが、一番大切なところだと思います。
上から覆い隠すのではなく、そのものの一番いいところを引き出す。
そのために修理は手作業で行なうことを重んじています。
作った当時の作者と同じ苦労をしてみることで、得られる気づきがあるからです」
「体や道具の動きをなぞって感じ取った作者の意気込みや思いを、修復する手先の一つ一つにのせていけば、それがきっと後世にも伝わる。それが、いい修理なのではないかと思います」
「だからこの仕事をする人には、そのものの本来のいいところを見ようとする『目』が大事なんです」
実は技師の高田さんも浜田さんも、ご実家などにゆかりのある仏像がこの場所で修理される様子を見学したのをきっかけに、この仕事を志したと言います。
二人の心に深く残った当時の技師の方はきっと、今のお二人のように静かにひたむきに、数百年以上前の作者と向き合っていたのだろうと思います。
「修理は、ここではなくお寺に戻られたときがやっと完成ですね。
あるべき場所に、あるべき姿でお戻しできると、お像がどこかホッとされたようなお顔に見えるんです。その瞬間が一番安心しますね」
最後にそう語った高田さん。
現在の眞如寺には、仙寿院宮坐像に先駆けて高田さん、浜田さんが修理を手がけた坐像が3体、静かに並んでいます。
ご住職のご厚意で、その修理後のお像の様子を実際に見せていただけることに。
次回は、修理の依頼主である眞如寺を訪ねて、お像の由緒や修復プロジェクトの背景に迫ります。
※後編の記事はこちら:「まるで生きているよう。100年ぶりに蘇った「ある女性たち」を訪ねて、秋の京都へ」
<取材協力> *掲載順
公益財団法人 美術院
http://www.bijyutsuin.or.jp/
眞如寺
京都市北区等持院北町61
https://shinnyo-ji.com
*こちらは、2018年10月22日の記事を再編集して公開しました