プロが愛する関西の仏像5選。仏師は仏像の「ここ」を見ている

いいものを、見よう。

「仏師」という仕事があります。

例えば東大寺の金剛力士像で有名な運慶さんも、仏師。造仏師の略で、仏像を作る仕事。修復も行います。

河田喜代治 (かわた・きよはる) さんは滋賀に工房を構える仏師さん。

仏師 河田喜代治さん

千葉のご出身ですが関西の仏像の魅力にひかれ、修行時代に移住されたそうです。

「修行時代にお世話になった方はみんな、仏師の仕事をするには『とにかくいいものを見ないとだめだ』と。それしかない、と言ってました」

そんな河田さんが「僕個人の好みですけど」と控えめに教えてくれた、けれども移住をしてでも身近に感じていたかった、関西でおすすめの仏像を5つ、ご紹介します。

関西の仏像の特徴とは?

まず「関西の仏像」と、大きく括っていますが、何か特徴があるでしょうか?

「そうですね。地域や時代によって、仏像の特徴や雰囲気はちょっとずつ違ってきます。

例えば奈良のお像は全体に大らかな印象があって、素朴さもありつつ洗練されていると感じています。

京都は貴族がいた時代が長いこともあって、繊細で華麗な感じがありますね。

もちろん同じ平安時代でも、前・中・後期と技法やお像の印象は変わっていきます。

鎌倉時代に入ると武士の時代と禅宗の流行の影響で写実的で躍動的な像が好まれるといった印象ですかね。

その時に権力を持った人がどんな感じであったかによって、本当に全てが変わってきます。そこが面白いところですね」

仏師は仏像の「ここ」を見ている

なるほど。時代の違いも感じながら見ると、一層面白そうですね。

ところで仏像を見に行くと、ついここを見ちゃう、みたいな「仏師あるある」ってありますか?

「だいたいみんな、顔を見るんじゃないですかね。やっぱり顔の表情が、全体を支配しますから」

現在製作中の「顔」部分
現在製作中の「顔」部分

「それともうひとつは、手を見るかな。顔と同じぐらい、重要なところなんです」

工房に保管してあった、仏像の手の模刻作品。ちょっとした指の曲げ具合でも、印象が変わりそうです
工房に保管してあった、仏像の手の模刻作品。ちょっとした指の曲げ具合でも、印象が変わりそうです

顔と手。フォーカスが絞られると、見方も変わってきそうです。

ではいよいよ5選の発表です!お寺のアイウエオ順で発表していきます。

お像の写真は載せていないので、ぜひ実際のお姿は現地で出会ってみてくださいね。

仏師の理想がここに 向源寺「十一面観音」(滋賀)

まずは河田さんのいらっしゃる、滋賀県にある向源寺のお像。「日本一美しい十一面観音」ともいわれるそうです。

「向源寺は滋賀県の、観音の里と呼ばれる一帯にあるお寺です。

一本の木から彫っているお像なんですが、お顔が凛々しいんですよ。

十一面ひとつひとつがいい表情で。後ろの方に笑った顔がひとつあるんですけど、あの表情もとてもいい。

この像を理想としている仏師は多いです」

つくるべきお像の、理想の姿のひとつなんですね。

「近い距離で見た時の完成度がすごいですね。全てに手を抜いていません」

「思い出すだけで素晴らしい」東寺 講堂「五大明王」(京都)

実は関西で5選、の他に、京都の5選も選んでいただいたのですが、どちらにも名前が挙がっていたのがこの東寺の五大明王像でした。(京都編はまた後日!)

*明王とは‥‥大日如来 (だいにちにょらい) の命によって、悪を退治し仏法を守る諸尊。中でも五大明王は、不動明王を中心に四明王が東西南北を守る。

五大明王といえば東寺、というほど有名なもので、やはり河田さんも仏師の仕事を始める頃からずっと心惹かれていたそうです。

「何度か拝見しましたが、思い出すだけで素晴らしいですね。

講堂の空間そのものや、他の像もまたとても良いんですが、五大明王の中でも不動明王像は、ちょっと何かを超越してるという感じがあります。

仏師の仕事をすればするほど、すごさを感じます」

具体的にはどんなところでしょうか。

「静かな怒りの表情と、体幹、と言ったらいいのですかね。

すごい怒りをあらわにしたような表情じゃないんです。

お顔の静かな怒りを上手くそこに存在させるように、全体の形のシルエットのつくりがうまく調和されてるんですよ。

その表情が引き立つ作りをしてるというか。見事だなと思います」

千本の乾漆のつくりに圧倒される 藤井寺「千手観音」 (大阪)

「本当に千本の手があります。もう圧倒ですね。

奈良時代に唐から伝わった乾漆 (かんしつ) という作り方で、つくりの完成度に圧倒されます。

仏像って木彫や金属のイメージがあると思いますが、乾漆のお像って、いわば布で出来た張子状態なんです。

まずは粘土で作って粘土の上に幾枚か麻布を漆で貼り合わせる」

乾漆の布張りに用いる、漆と木屑を混ぜ合わせたもの
乾漆の布張りに用いる、漆と木屑を混ぜ合わせたもの

「形が決まったら中の粘土は全部取り除いて、最後は金箔を貼って完成です。

その布と漆の上に現れている表情やシルエット全て、素晴らしいですね」

作った人に会いたい 法隆寺「九面観音」 (奈良)

こちらは大きさが38センチと、小さなお像だそうですね。

「このお像は、技術がとにかく的確です。全てに無駄がない」

的確というのは、道具の使い方などでしょうか。

「そうですね、見るほど彫り口のひとつひとつに無駄がない。彫り方が洗練されてるんです。

作った人に会ってみたいと思わせるようなお像です」

姿勢を正してくれるような 室生寺「釈迦如来」 (奈良)

「顔と手がとてもきれいなんですよ。お顔で言ったら室生寺のこのお像が、一番好きです。

写真家の土門拳さんも褒めていらっしゃいますね」

きれいというのは、どう「きれい」なんでしょうか?

「鼻先から指先、シルエットまで全てに曲線の美が備わっていて、すっとこちらの姿勢を正してくれるような佇まいなんです。

彫刻の面白さは、正面から眺めても何となく奥行きや量感を感じられるところですね。

写真だとこれがうまく掴めません。自分の目で見ないと駄目なんです」

運慶さんも、昔のいいものを見ていた

最後に河田さんがこんなお話を聞かせてくれました。

「有名な運慶さん、あの方は平安末期から鎌倉時代に生きた仏師ですが、彼は奈良に住んでいました。

かつて都のあった場所で、古い時代の仏像の修復などをしながら色々といいものを学んだ先に、鎌倉時代にあの形を起こした。

運慶さんも昔の、いいものをたくさん見ていたんですよね」

昔のいいものをたくさん見る。

仏像をつくっている人の目を借りたら、次に仏像を見る機会にも、また違った発見や感動と出会えそうです。お話を聞くほど、実際のお像を早く拝見したくなってきました。

<取材協力>
河田喜代治さん

文・写真:尾島可奈子

*こちらは、2019年2月18日の記事を再編集して公開しました。

※受付終了※【参加者募集】さんち編集部と行く奈良の旅。筆・染・鹿、3つの工芸を体験するスペシャルツアー

「さんち」は3周年を迎えました

2016年11月1日にスタートした「さんち 〜工芸と探訪〜」は、本日めでたく3周年を迎えることができました!

日々「さんち」を訪れてくださっている読者の方々や、私たちの企画に賛同いただき、快くご協力くださった取材先の方々。「さんち」に関わってくださっているみなさんに、この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

3周年の記念とみなさんへの感謝の気持ちを込めて、今年もやります!さんちオリジナル工場見学ツアー。読者のみなさんの中から、5名の方をご招待します!

昨年の2周年企画では、千葉九十九里にある「富士山グラス」の菅原工芸硝子さんへ見学ツアーを企画。多くの方にご応募いただき、ありがとうございました!
昨年の2周年企画では、千葉九十九里にある「富士山グラス」の菅原工芸硝子さんへ見学ツアーを企画。多くの方にご応募いただき、ありがとうございました!

また節目にあたり、ツアーのご応募に関係なく、皆さんからの感想、ご意見も広く募集したいと思います。

こちらの応募フォームは、「参加はできないけれど、さんち編集部にメッセージを送りたい!」という方でも書き込めるようになっています。記事の感想・ご意見大歓迎です!是非お寄せください。

ツアーの舞台は、創業の地、奈良!

さて今年、ツアーの舞台は関西へ。さんちを運営する中川政七商店の創業の地、奈良で開催します!

奈良

奈良と言えば、奈良公園に、鹿に大仏‥‥?実は、さまざまなものづくりの宝庫なのです。

そこで、「さんち〜工芸と探訪〜」の編集部がガイドとなり、奈良の知られざる工芸スポットをまわるスペシャルツアーを企画しました。

私たちが考えた「今行きたい、奈良のさんち旅」は以下の通り。ぜひ、たくさんのご応募、お待ちしています!

さんち編集部と行く奈良の旅。筆・染・鹿、3つの工芸を体験するスペシャルツアー

今年、さんち編集部がみなさんをご案内するのは、実は1社だけではありません。

3周年を記念して読者の方をご招待したい!という編集部のお願いを、快く聞いてくださった3つの作り手さんを周遊。

飛鳥時代から令和まで、さまざまな時代に始まった日本のものづくりをたった1日で巡れる、タイムトラベルツアーです!

※受付は終了しました
【日程】
2019年12月7日 (土) 9:00頃集合〜18:00頃解散
【集合/解散場所】
近鉄奈良駅もしくはJR奈良駅予定。専用の送迎バスで移動します!
※詳しい日程や集合場所は、参加が決定された方に個別にお知らせいたします
【概要】
奈良県内のものづくり現場を周遊
【参加費】
無料(昼食・お土産付き)
※ご自宅から集合/解散場所の交通費は自己負担にてお願いいたします
【参加人数】5名ほど

【応募方法】
こちらのアンケートフォームからご応募ください。
また「参加はできないけれど、さんち編集部にメッセージを送りたい!」という方も、感想・ご意見大歓迎です!是非お寄せください。

【応募〆切】2019年11月15日 (金) 23:59

※結果は参加が決定された方に、11月20日 (水) ごろお知らせいたします。
※お一人さま一回限りのご応募とさせてください
※アンケートフォームの送信をもちまして、ご応募完了となります
※原則、18歳以上(高校生不可)の方のみを対象とさせていただきます

【見どころその1・筆】飛鳥から続く伝統。「奈良筆」のものづくりを見学

日本に筆がもたらされたのは飛鳥時代。その後、唐に渡った弘法大師(空海)が筆づくりを習い、伝授したのが他でもない奈良の地でした。

筆づくりの老舗「あかしや」さんにお邪魔して、その伝統のものづくりを見学します!

最近はこうした筆ペンタイプも人気です

ツアーでは伝統的な筆づくりの一部を体験。完成したものはそのままお持ち帰りできます。

【見どころその2・染】明治に始まった、手わざと機械のハイブリッド工芸。「注染」のものづくりを体験

手ぬぐいや浴衣の染めに用いられる注染 (ちゅうせん) 。じゃばらに重ねた生地に染料を「注」いで「染」める技法は、明治時代に始まりました。

手ぬぐい

発祥は大阪・堺ですが、実は奈良にもそのものづくりを受け継ぐ作り手さんがいます。工程の一部を実際に体験してみましょう!

【見どころその3・鹿】未来の郷土玩具を目指して。奈良の新しいお土産「鹿コロコロ」とは?

奈良の不動のアイドル、鹿。

奈良には様々な鹿モチーフのお土産がありますが、100年後に受け継がれることを目指した、奈良の新しい郷土玩具が誕生しています。その名も「鹿コロコロ」。

従来の木型でなく、3Dプリンターで型をつくった新郷土玩具「鹿コロコロ」

素朴な佇まいには、実は現在のものづくり業界の課題を解決する技術とアイディアがいっぱい。

ツアーでは、その誕生秘話を伺いながら、オリジナルの鹿コロコロを作れる絵付け体験を行います。

鹿コロコロ絵付けの様子

愛らしくも奥深い郷土玩具の世界に触れながら、工芸の未来を覗いてみましょう!

さんち編集部が同行!みなさんをご案内します

編集部が、みなさんと一緒にツアーをめぐります。

「さんち」の感想、好きな工芸のこと、読んでみたい記事、この機会に聞いてみたいこと、大歓迎です。

楽しい「さんち旅」にできるように、編集部でも引き続き企画を練ってまいります。ぜひご応募ください!

※受付は終了しました
【日程】
2019年12月7日 (土) 9:00頃集合〜18:00頃解散
【集合/解散場所】
近鉄奈良駅もしくはJR奈良駅予定。専用の送迎バスで移動します!
※詳しい日程や集合場所は、参加が決定された方に個別にお知らせいたします
【概要】
奈良県内のものづくり現場を周遊
【参加費】
無料(昼食・お土産付き)
※ご自宅から集合/解散場所の交通費は自己負担にてお願いいたします
【参加人数】5名ほど

【応募方法】
こちらのアンケートフォームからご応募ください。
また「参加はできないけれど、さんち編集部にメッセージを送りたい!」という方も、感想・ご意見大歓迎です!是非お寄せください。

【応募〆切】2019年11月15日 (金) 23:59

※結果は参加が決定された方に、11月20日 (水) ごろお知らせいたします。
※お一人さま一回限りのご応募とさせてください
※アンケートフォームの送信をもちまして、ご応募完了となります
※原則、18歳以上(高校生不可)の方のみを対象とさせていただきます

「サンライズ瀬戸」の車内を体験。高松・瀬戸内旅で乗りたい寝台列車

四国や瀬戸内国際芸術祭をめぐる旅に、おすすめの宿“兼”移動手段があります。

まもなく22時を迎えるJR東京駅。

東海道線ホームの電光掲示板に、赤々と「寝台特急サンライズ瀬戸」の文字が灯ります。行き先は、高松

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夜に東京駅を出発、翌朝高松へ着く「寝台列車 サンライズ瀬戸」

東海道線から大阪、姫路、岡山を巡り、瀬戸大橋を渡って東京と四国を結ぶ寝台特急は、列車は途中の岡山で松江・出雲を目指す路線と分岐し、「サンライズ出雲」の名でも知られます。

発車を待つホームには、あちこちに車体と一緒に記念写真を撮る人の姿が。皆ちょっとしたアトラクションに乗り込むような、高揚した表情です。

車内は、快適に過ごせる工夫があちこちに

住宅メーカーと共同で設計したという車内は、全体が木調で統一されていて家のような安心感。

今日の宿はこちら。
今日の宿はこちら

私が取ったチケットは「B個室寝台シングル」。ゆったり足を伸ばせるベッドスペースに小さなテーブルや荷物を置くスペースが確保された一人用の個室です。

簡素な空間の中にもスリッパや鏡、ハンガーやコップ、音楽も聞ける時計パネルなど、リラックスして過ごせる設備が備わっています。

必要十分な設備。鏡やテーブル、スリッパなどもあって快適。
必要十分な設備。鏡やテーブル、スリッパなどもあって快適
車体が揺れても大丈夫なように設計されたハンガーやハンガー掛け。こうした寝台特急ならではの設備をみるのも楽しい。
車体が揺れても大丈夫なように設計されたハンガーやハンガー掛け。こうした寝台特急ならではの設備をみるのも楽しい!

中でも気に入っているのが、淡いブルーストライプのパジャマと車体の形に合わせて切り取られた大きな窓。

淡いブルーストライプのパジャマ。帯も同じデザインでかわいらしい。
淡いブルーストライプのパジャマ。帯も同じデザインでかわいらしい
大きな窓から見える暗闇に、時折終電をすぎた駅舎の明かりが浮かぶ。朝の景色が楽しみだ。
大きな窓から見える暗闇に、時折終電をすぎた駅舎の明かりが浮かぶ。朝の景色が楽しみです

個室の位置によって部屋のレイアウトや窓の形も異なりますが、列車の揺れに少しずつ眠気を覚えながら、寝そべって大きな窓から見上げる夜空は格別です。

ぐっすり眠って7:30には高松駅に到着するので、朝から現地を満喫できるのも嬉しいところ。

移動の時間も良い旅の思い出にしたい、という人にぜひおすすめです。

旅の予習には、さんち編集部が取材した高松の工芸・観光特集ページを合わせてどうぞ!

寝台列車 サンライズ瀬戸

運行区間 東京〜高松
乗車には乗車・特急料金と寝台料金(ノビノビ座席を除く)が必要。
もっと詳しい車内の様子はこちらをどうぞ。
参考:「JRおでかけネット


文・写真:尾島可奈子
*写真や設備は2017年時点のものです。

ピアノ調律師の仕事は、 100の道具を使いわけ、100万分の1の音色を創る。

ピアノの“音”を創る職人、ピアノ調律師の仕事とは

映画『羊と鋼の森』で注目を集めた、ピアノ調律師の仕事。その日常は、一体どんなものだろうか。

映画_羊と鋼の森 ピアノ調教師を追う
「羊と鋼の森」の調律シーン ( ©2018「羊と鋼の森」製作委員会) 。本屋大賞を受賞した宮下奈都さんの小説を実写映画化したこの作品は、ある一人のピアノ調律師と出会った主人公の青年が、険しい調律の森へと迷い込みながらも、人として、調律師として成長していく静謐で美しい物語である

前編では「島村楽器」ピアノセレクションセンターの調律師である中野和彦さんに、いい音とは何か?調律師ゆえの不安や苦悩などを伺った。

前編はこちら:『羊と鋼の森』を観たピアノ調律師の確信。「私の求めた“音”は間違いじゃなかった」

「島村楽器」ピアノセレクションセンターの調律師である中野和彦さん
ピアノの話になると表情がとたんに緩む中野さん。ピアノ愛に溢れていた

後編は、いい音を生み出す実践編。中野さんに作業場を見せていただくと、ピアノ調律師の仕事は、おびただしい数の道具が支えていることがわかってきた。

島村羊と鋼の森インタビュー。楽器のピアノ調律師さんの道具

映画の中にもさまざまなアイテムが登場するが、実際のところ、ピアノ調律師はどんな道具を使い“羊と鋼の森”に分け入っていくのだろう。

繊細な仕事を支える“なにこれ?”な道具たち

早速、道具を披露してもらうと……なんだかへんてこなものばかり。

「これ。なんだと思います?」

グランドピアノのハンマーと弦の打弦距離を測る道具「ゲージ」

まったく分かりません。

「ゲージです。グランドピアノのハンマーと弦の打弦距離を測る道具。先端から、針金の曲がった部分までの距離がぴったり45ミリなんです」

ピアノは羊の毛でできたハンマーが弦を打つことによって音が出る。打弦距離とはハンマーが弦に当たるまでの長さのことで、この距離によって音色や音質、音量なども変わる。

打弦距離を調節する基準を取るためにゲージを使用する
白くて丸いものがハンマー。このハンマーが上の弦に当たる打弦距離によって音色や音質が変わるため、細かく調整する必要がある

ピアノごとに数ミリ単位で調節するものの、まず基準値に合わせるための道具がこれ。一般的な定規では測りづらいためこうした形のゲージが便利なのだとか。

こちらはねじまわし。

ねじまわし
この世にたった一つだけしかない中野さんオリジナルの自信作。30年来の古株だ

ダンパー (足元についているペダルの一つ) を支えるダンパーブロックスクリュー (小さなネジ) を締める為のものだという。これ、その一箇所にしか使えない。

中野さんの道具は、たった一箇所のため、たった一つの工程だけに使うというものがほとんどだ。

次の道具もそうである。反り曲がった、使い古した板のような……これ、道具?

調律の際、ハンマーの表面を削って調整するための道具

「決して不良品ではありませんよ(笑)。このカーブこそ重要なんです!」

使い慣れた道具を手に熱弁する、島村楽器のピアノ調律師、中野さん

中野さんが熱弁するように、これはハンマーの表面を削って調整するための大事な道具だ。

ハンマーは弦に直接当たるため、フェルト部分に弦の跡がついて硬くなったり、フェルトがこすれて摩耗する。当然ながら音色や音質にブレが生じ、ピアノのもつ自然な音が出なくなる。

それを調整するための道具である。表面にサンドペーパーがついていて、ハンマーの形状に合わせ、丸いカーブをつけながら削ることができるという、非常に理に適った道具である。もちろんこれも手づくりだ。

「またハンマーといえば忘れてはいけないのがピッカー。ハンマーのフェルト部分を刺して柔らかくする道具です」

ハンマーのフェルト部分を刺して柔らかくするピッカー
左から二番目だけ市販品。あとは中野さんのお手製だ
ピアノ調律師の道具「ピッカー」
拡大するとこんな感じ

「針を刺すことで、フェルトに空気を含ませて弾力をつけることができるんです。弾力がないと音が硬くなったり、つぶれてしまうのですが、これを適度に柔らかくすることで弾みがついてきれいな音になるんです」

市販品もあるけれど、「それだけでは正確な音創りができなかったので自分でつくってみました」と中野さん。全部で4種類を用意していた。

ちなみに針を刺す位置は音域や求める音質によって違うとか。高い音域の場合には真ん中より下の部分に針を刺し、弾力や伸びをつけたいときには上部分を刺すという。気が遠くなるような繊細で綿密な作業である。

ピッカーを使って音に弾みをつける
「音に弾みをつけるときにはこの部分に針を刺します」と中野さん

恩師がくれた、角度の違うチューニングハンマー

ほかにも個性的な形のドライバーやペンチ、ピンセットなど、中野さんの鞄に入っていた道具は全部で100種類以上。いずれも思い入れのある道具ばかり。

「でもやっぱり、これは別格です」

弦の張り具合を調節して音程を揃える「チューニングハンマー」

取り出したのはチューニングハンマー。弦の張り具合を調節して音程を揃える、調律師になくてはならない道具である。中野さんが愛用していたのはドイツのヤーン製。年季の入った逸品だ。

チューニングハンマー

「これは僕の恩師であるドイツ人のピアノマイスターがくれたもの。ご自分が使っていらしたものを僕に譲ってくれたんです」

実は中野さんはドイツから帰国した後、一度だけ、調律師とは無関係の仕事に就いたことがあるそうだ。それを聞きつけた恩師は、中野さんをもう一度ドイツに呼び寄せ、このハンマーをくれたのだという。

── そういえば映画『羊と鋼の森』でもチューニングハンマーはキーアイテムになっていた。尊敬する調律師が、悩める若き青年におくったのがまさにチューニングハンマーだったことを思い出す。

©2018「羊と鋼の森」製作委員会
©2018「羊と鋼の森」製作委員会

「たぶん、辞めるなよ、調律師を続けろよ、と言いたかったんだと思います。調律師にとって使いなれたチューニングハンマーは命みたいなものですから、それを自分にくれたというのは‥‥涙が出るほど嬉しかったですね」

しかもこのチューニングハンマー、一般的なそれとは少し違うとか。

「通常、ハンマーヘッドの角度は9°なのに対して、これは5°しかないんです」

チューニングハンマーのハンマーヘッド
ここがハンマーヘッド
角度が違うチューニングハンマー
上が一般的なチューニングハンマー。下がヤーン製。比べてみるとこんなに角度が違う

チューニングの作業は、弦が巻き付いているチューニングピンにチューニングハンマーをはめて、前後に動かしながら音を調節していく。

ピアノの調律の様子
弦の張りを締めたり、緩めたり

「このとき、柄の角度が水平に近くなるため、微妙な手の動きを伝えやすく、より正確にコントロールできるんです」

中野さんの「宝物」である。

100万分の1の音色を創る

調律を始めると、それまで笑顔だった中野さんの表情がキュッと引き締まった。

ピアノを調律する調律師の中野さん

ポーン、ポーン、ポーン。一定のスピードで同じ音を鳴らす。左手で鍵盤を叩き、右手でチューニングハンマーを操っている。

「音を決めるときに大切なのは、一度弦をグッと下げて、そこからゆっくり求める音に近づけていくこと。上から下げて合わせようとすると弦にたわみができて詰まった音になる。つまり、きれいに響かないんです」

ポーン、ポーン。1音源は3本の弦の音を揃えること(ユニゾン)で決まる。ラならラの、ドならドの、3本それぞれから基音を引っ張り出してあげるのだ。

ポーン、ポーン。ズレていた音が、次第に重なっていくのがわかる。

ひとつの鍵盤には1〜3本の弦が張られている。調律では、3本の弦が張られていたら、その3本すべてを同じ音に合わせ、1音を創る
ひとつの鍵盤には1〜3本の弦が張られている。調律では、3本の弦が張られていたら、その3本すべてを同じ音に合わせ、1音を創る

チューニングハンマーを握る手は動かしているというより、小刻みに震えているような状態だ。神経を研ぎ澄まし、感覚に近い動きで調律を行っているのだ。

「調律はコンマ何ミリという世界。微妙な動きで100万分の1の音色を見つけます」

ポーン。3本の弦が一つに重なり、その瞬間、音が伸びやかに広がった。透明感のある艶やかな音がスタジオ中に響いた。

調律師に一番必要なものとは?

──『羊と鋼の森』の終盤で、主人公の青年が先輩調律師に、こう尋ねる。「調律師に一番必要なものって何だと思いますか?」

中野さんはどうだろう。

「根気と探求心でしょうか。我慢して苦しみながらも、新しい音を目指して続けていくことですかね。

小説『羊と鋼の森』にもありましたけど、一つのものをこうでなければいけないと決めつけてしまうのは良くない。人それぞれ考え方があって、自分にとっては何がいいのか、弾く人にとってはどうなのか。自分の価値観と別の価値観を同時に追求しないといけません。

答えは出ませんね、きっと。ずーっと(笑)」

そして今日もまた、中野さんは調律という森へと足を踏み入れるのだ。

キャスター付きのビジネスバッグとリュックサックで調律に向かう中野さん
調律に出かけるときは、いつもこんなスタイル。調律バッグにはキャスター付きのビジネスバッグとリュックサックを使用

<取材協力>
島村楽器ピアノセレクションセンター
埼玉県さいたま市南区内谷5-15-3
https://www.shimamura.co.jp/shop/piano-selection/

文:葛山あかね
写真:尾島可奈子、「羊と鋼の森」製作委員会

参考:宮下奈都『羊と鋼の森』文藝春秋 (2015)

*こちらは2018年8月9日の記事を再編集して公開しました。ピアノを弾くときは、職人の仕事に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。一音一音がより特別なものになりそうですね。

『羊と鋼の森』を観たピアノ調律師の確信。「私の求めた“音”は間違いじゃなかった」

島村楽器の調律師・中野和彦さんを訪ねて

ピアノの“音”を創る職人がいる。映画『羊と鋼の森』で注目を集めたピアノ調律師だ。

映画_羊と鋼の森 ピアノ調教師のしごと

本屋大賞を受賞した宮下奈都さんの小説『羊と鋼の森』を実写映画化したこの作品は、ある一人のピアノ調律師と出会った主人公の青年が、険しい調律の森へと迷い込みながらも、人として、調律師として成長していく静謐で美しい物語である。

映画_羊と鋼の森 ピアノ調教師を追う
「羊と鋼の森」の調律シーン/ ©2018「羊と鋼の森」製作委員会

ピアノの音は目に見えない。形などなく、触れることもできない。けれど、確かにそれはそこにあり、音という色を纏わせて、人の心を揺さぶるほどの力を秘めている。

ときに優しく、ときにキラキラ輝くように。

実際、ピアノ調律師は何を思い、迷い、どのように音を生み出すのだろうか。

いい音とは、何か?

「私はあの映画を観て本当に感動いたしました。

我々の仕事が細かく再現してあることはもちろんですが、劇中に流れるピアノの音色を聴いたとき、私がこれまで追求してきた“音”は間違いじゃなかったと心から思えたと同時に、自分の音色を確認でき、強く感動したことを覚えています」

そう語るのは1962年創業の総合楽器店「島村楽器」のピアノセレクションセンターで活躍する調律師の中野和彦さん。この道30年以上のベテランだ。

羊と鋼の森インタビューに応じてくださった、島村楽器の中野さん

調律師の養成学校を卒業後、「調律のためにはピアノそのものを知らなければいけない。ピアノを作ってみたい!」と単身渡独。

ドイツ語はまったくしゃべれない。曰く「熱意だけで」ピアノの製造工場への就職を決めた。その後、師匠となるピアノマイスターと出会い調律の奥深さを学ぶ、という異色の経歴の持ち主である。

「私が追求してきた“音”は間違いじゃなかった」。中野さんが嬉しそうに語るこの言葉の奥底には、映画の主人公も悩み苦しんだ調律師としての大事な命題があった。

いい音とは、何か?

ここから調律師の普段の仕事について紐解いていこうと思う。

0.01㎜の差で音色は変わる

「そもそも調律師の主な仕事には整調、整音、調律の3つがあります」

「整調」とは簡単にいえばピアノを組み立てるパーツのメンテナンスとその動きの調整。

「車にたとえるなら機械整備にあたる部分ですね」と中野さん。

たとえば鍵盤調整。

鍵盤の高さや深さ、バランスを調節し、動きをスムースにするための大事な工程だ。鍵盤を持ち上げると緑のフェルトがあり、その下にはパンチングと呼ばれる丸い紙が挟まれている。

鍵盤調整

これは鍵盤の高さを調節する道具の一つ。

厚さは0.03㎜〜0.06㎜。パンチングの厚みや枚数で鍵盤の深さを調整する
厚さは0.03㎜〜0.06㎜。パンチングの厚みや枚数で鍵盤の深さを調整する

この厚さを変えることで鍵盤の沈む深さが変わり、自ずとタッチ(弾き心地)も変わる。1㎜にも満たない極薄の紙がピアノの音色を変えるというのだ。

また「整音」は、音量や発音のバランスを整える工程。中野さん曰く「ピアノの音をフォルテまできっちり出せるようにすることが大切です」

整音のカギとなるのがハンマーだ。ピアノは羊の毛で作られたハンマーが弦を打つことによって音が出る。

88音のすべてにハンマーがついていて、ピアノ1台につきおよそ3頭分の羊の毛が使われているという。

柔らかいのかと思ったら、毛がぎゅっと締まっていて意外と硬い
柔らかいのかと思ったら、毛がぎゅっと締まっていて意外と硬い

そして、このハンマーの質もまた音色を変える。毛並みや弾力、硬さ、羊毛の圧縮率から木の素材に至るまで考慮して調整することが必要で「とにかく大変な‥‥いえ、整音もまたやりがいのある工程です」と中野さんは笑う。

分からない。だからこその不安と苦しみ

「ただひたすら、コツコツ努力を重ねるしかありません。経験を積み、自問自答し、さらに技術と感覚を磨く。

でも最終的に出てくる音、そのピアノの個性を決定づけるのはやはり『調律技術』。ここですべてが決まります」

大事なのは平均律に合わせて音律を整えること(音程を合わせること)、ピアニストが弾いても音が狂いにくいように音を留めてあげること。そして響きと音色を創ること。

「はじめの2つは調律学校を出て、ある程度経験を積めばできるようになります。

自動車に例えるならば、免許取得=公道を走れることに似ている気がします。けれども、上手な運転というのは教習所を卒業しただけでは身につかない。

調律師も同じで、日々の研鑽が必要なんです。私の場合は、20年くらい経ってようやく自分に自信が持てるようになったかな、と(笑)。

でも、自分がどんな音をつくればいいのかはずっと分からないままでした」

中野さん

そもそも美しい音色ってどんな音?どういう音が、正しいのだろうか?

──『羊と鋼の森』のなかで、青年も同じように苦悩する。そして尊敬している調律師はこう言った。

「この仕事に正しいかどうかという基準はありません」

調律師が10人いたら、10人の音色がでるという。そこに基準などない。でも、だとしたら一体どこに向かって音を創ればいいのだろう。

ピアノに触れているところ

「毎日、毎日調律をして見つけたと思っても、翌日には違うと思い報される。毎日が自問自答の繰り返し。30年間は本当に不安と苦しみの連続でした」

大切なのは、ピアノが自然に響くこと。

長い調律師人生において中野さんは、何度もピアノから離れようとしたという。でも結局、辞めることはできなかった。

「やっぱり、いい音が何なのかを知りたかったから。どうしても掴みたかった。いい音を掴むまでは辞められないと思ったんです」

ある日、ショールームに響きわたるピアノの音に衝撃を受ける。それは同社を引退した大先輩がたまたま来社し、調律したピアノの音色だった。

ショールームの様子
鍵盤を弾いているところ

「同じピアノなのに、僕が調律したのとはまったく違う音でした。透き通るような、広がるような、伸びやかな音。この世のものとは思えないほどの音色に感動しましたね。なんていうか、命に響いたんです」

それまで中野さんはスタインウェイはスタインウェイ、ヤマハならヤマハと、メーカー別に、そのピアノの個性を決めつけていた部分があった。でも、衝撃の音色を聞いて、それは間違いであることを知ったという。そしてあることに気づく。

追求すべきは「基音」である、と。

簡単にいうならドならドの、ソならソの、その音そのものの純粋な音のみを引っ張り出して揃えてあげること。そのピアノにとって無理のない音を出し、ピアノを自然に響かせてあげること。

そうすると濁りのない、澄んだ音になる。そんな基音を追求しなくてはならない。

大切なのは「響き」である。

「どこまでも、どこまでも響くような、透明感のある音。言葉で言い表すのはとても難しいですね(笑)」

中野さん

「そのピアノで一番いい響きを出してあげること。響きをきっちり出してあげると、自然とそのピアノのもつ最上の音色が出てくる。いまはそう思います。

でも、もう少ししたらまた違う、なんて思ったりするかもしれない。永遠に答えなんて出ないでしょうね。でも、今はそれを追いかけるのがとても楽しいんです」

さて。

そんな調律師の厳しい世界を支える道具たちは、何だかへんてこなものばかり。

反り曲がった板、ミシン針を何本も射した棒っきれ、謎の形をしたドライバーのような道具……

一体、どうやって使うのだろう?

こんなものや
こんなものや
こんな形のものまで
こんな形のものまで
その数、100種類以上!
その数、100種類以上!

その答えは、後編でゆっくりと。

<取材協力>
島村楽器ピアノセレクションセンター
埼玉県さいたま市南区内谷5-15-3
https://www.shimamura.co.jp/shop/piano-selection/

文:葛山あかね
写真:尾島可奈子、「羊と鋼の森」製作委員会

引用文出典元:宮下奈都『羊と鋼の森』文藝春秋 (2015)

*こちらは2018年7月13日の記事を再編集して公開しました。身近な楽器であるピアノにも初めて知ることがたくさんありました。改めて、奥深い世界です。

人気ローカルショップから見えてくる地域の今とこれから。3人の店主の選ぶ道

地方都市で魅力的なお店を開いている3人からお店づくりの秘訣を伺う、トークイベントレポート。今回は第3話、いよいよ最終回です。

「人が集まるローカルショップのつくり方」と題して開催。当日は「立ち見も満員」という人気ぶりでした
「人が集まるローカルショップのつくり方」と題して開催。当日は「立ち見も満員」という人気ぶりでした
(左) 300年以上続く漆器メーカーの跡継ぎとしてUターンした、福井県鯖江市「ataW (アタウ)」関坂達弘さん、(右) 縁もゆかりもない丹波篠山に移住して、お店を開いた「archipelago (アーキペラゴ) 」小菅庸喜さん
(左) 300年以上続く漆器メーカーの跡継ぎとしてUターンした、福井県鯖江市「ataW (アタウ)」関坂達弘さん、(右) 縁もゆかりもない丹波篠山に移住して、お店を開いた「archipelago (アーキペラゴ) 」小菅庸喜さん
(左)六本松 蔦屋書店のショップインショップとして、地元福岡で地域に根ざした独自のお店づくりをしている「吉嗣 (よしつぐ) 商店」の吉嗣直恭さん、(右) 司会を務めた中川政七商店の高倉泰
(左) 六本松 蔦屋書店のショップインショップとして、地元福岡で地域に根ざした独自のお店づくりをしている「吉嗣 (よしつぐ) 商店」の吉嗣直恭さん、(右) 司会を務めた中川政七商店の高倉泰

第1話はお店を始めたきっかけ編、第2話は商品仕入れや空間づくりなど具体的なお店づくり編でした。

ataW
archipelago
archipelago (アーキペラゴ)
localshop 吉嗣商店
吉嗣商店

そして第3話は、お店づくりのその先へ。

ものを売る、買う場所としてのお店の役割を超えた、ローカルに生きるお店だからこその展開が、3店それぞれに始まっています。

ものづくり産地、鯖江にUターンして「ataW (アタウ)」を開いた、関坂さんの今とこれから

「自分の町には何もないと思っていた」と語るのは、ataWの関坂さん。

ataW関坂さん

関坂:「小菅さんのarchipelago (アーキペラゴ) とはまたちょっと違うんですが、うちも、周りは田んぼに囲まれていて、ビジネスとしては、ここにお店は絶対に出しちゃいけないような場所にあります」

ataW周辺の風景
ataW周辺の風景

「でも実は、鯖江には越前漆器、眼鏡、越前和紙、越前刃物と色々なものづくりがあって、うちの店の半径10km以内くらいに集積しているんです」

鯖江市河和田地区の玄関口に位置するataW
鯖江市河和田地区の玄関口に位置するataW

「越前和紙の里には全国で唯一、紙の神様を祀る神社があったりして。厳かでとてもいい場所です。そういうことに、戻って来て初めて、少しずつ気づいていきました」

全国で唯一、紙の神様を祀る大瀧神社
全国で唯一、紙の神様を祀る大瀧神社

そんなものづくり産地で、ちょうど関坂さんがataWを開店させた2015年から「RENEW (リニュー) 」という体験型マーケットが始まります。立ち上げたのは県外から鯖江へ移住し、TSUGI (ツギ) というデザイン事務所を立ち上げた若者たちでした。

TSUGIは全員移住者。めがね職人や木工職人、NPO職員のメンバーもいる
TSUGIは全員移住者。めがね職人や木工職人、NPO職員のメンバーもいる

「毎年10月に行なっているんですが、普段は公開しない和紙や漆器の工房を見学できたり、ワークショップをしたり、買い物ができたり。今では越前市などと一緒に、広域で開催しています」

renew
福井県鯖江市で行われたrenew×大日本市博覧会

自分がかつて思っていた町とは、違う。町の変化を感じる中、関坂さんは去年から、RENEWの中である企画を始めています。

外の視点を取り入れて、地域の新しいものづくりを

「ataWlone (アタウローネ) というタイトルの企画なんですが、事前に外部のデザイナーを鯖江に呼んで、越前和紙や漆器の工房に連れて行って、その中から好きな技術や素材を選んでもらうんです」

atawlone

「それでRENEWの期間中に、うちのお店で作品を発表してもらいました。

中には商品化されて、今は他のお店に卸しているものもあります。

職人さんも、自分の作ったものがそういう形で世に出て行くということは初めてで、とても喜んでくれて。それが僕にとっては一番嬉しかったですね」

例えば県外の木工作家、西本良太さんには越前漆器の「塗り」を活かした作品づくりを依頼。ataWで開かれた個展には、レゴブロックなど30種類にのぼる「漆塗りを施した既製品」が並びました。

西本良太さんがatawloneで手がけた作品
西本良太さんがatawloneで手がけた作品

「溜塗 (ためぬり) という伝統的な技法が使われています。朱色の上に半透明の漆を重ねてあるんですが、そうすると角のラインだけ、下地の色が透けて浮かび上がる。

漆器業界では定番な塗りなんですが、こうして既製品に施すと、普段見慣れているものが漆によって全く違ったものに見えて、とても新鮮でした。

職人さんも、初めは『なんでこんなものに塗るんだ』と怪訝な顔だったんですが、みんな最後には面白いと言って、展示を見にきてくれて」

300年以上続く漆器メーカーの跡継ぎとしてUターンした、福井県鯖江市『ataW (アタウ)』関坂達弘さん

「どんなに素晴らしい技術があっても、地域の中に暮らしていると見えなくなっていることが、僕ら自身もよくあります。

それを外部のデザイナーさんと組んでフラットな視点で解釈してもらうことで、新しいアイデアを生み出したいなと。

今、鯖江ではTSUGIのメンバーがRENEWを通して、もともと地域にあったものをよく見せることをしてくれているので、それなら僕は、ataWという場所を通して新しいものづくりのチャレンジをしてみようと思っています。

漆器メーカーという本業の方ではどうしても、機能性や売れる、売れないでものづくりをしなければいけない側面がありますが、お店では実験的なことがやれるので。

いつかはこういうチャレンジがきちんと職人さんの仕事に繋がって、ビジネスにもなっていくというのが理想です。

何のためにやっているかといえば、やっぱり僕が、生業としてデザインや、ものづくりの側にずっと立ってきたからなんでしょうね」

農業地、丹波篠山に移住して「archipelago」を開いた、小菅さんの今とこれから

実は、鯖江の関坂さんとはまた異なる土地の状況から、同じように新たなものづくりに取り組んでいるのが、丹波篠山のarchipelago (アーキペラゴ) 店主、小菅さんです。

archipelago
archipelago 店内の様子
localshop_「archipelago (アーキペラゴ) 」店主、小菅庸喜さん
店主の小菅庸喜さん

小菅さんはその取り組みを、「風景を守るためのコンサルティング」と表現していました。

小菅:「丹波篠山という町は、今は観光地としても知られつつありますが、基本的には農業地なんですね。

お米や丹波黒豆、丹波大納言小豆という、おせちなんかに使われる食材がよく作られています。

さっき関坂さんも神社のお話をされていましたけど、篠山にも、土地への感謝を捧げるお祭が、まだ観光化されずにずっと受け継がれていたりします。

そういう文化を支えてきたのはやはり一次産業を担う人たちで、彼らが元気じゃないと、僕たちが好きになった風土は簡単に廃れてしまう。移住してきた身としては、それこそ死活問題です。

そんな思いもあって、去年問屋さんからお話をいただいて、篠山の食材を生かした加工食品のブランドを立ち上げました」

ブランド名は「霧の朝」
ブランド名は「霧の朝」
黒豆や丹波大納言小豆を使用したジャム。もともと『おせちの食材』というイメージがあった黒豆や丹波大納言小豆を、もっと日常の中で使えるようにと考案されました
黒豆や丹波大納言小豆を使用したジャム。もともと「おせちの食材」というイメージがあった黒豆や丹波大納言小豆を、もっと日常の中で使えるようにと考案されました
兵庫県の北部にある杉樽仕込みの醤油蔵と一緒に作った、国産の野菜を使ったソース
兵庫県の北部にある杉樽仕込みの醤油蔵と一緒に作った、国産の野菜を使ったソース

「デザインは、実は鯖江のTSUGIさんに依頼しています。

鯖江の伝統産業も丹波篠山の農業も抱えている問題は共通する部分も多く、問題を解決したり新しいプロダクトを生み出して行く際に、共通言語が多くある上でデザインしてもらった方が良いと思って。

また、自分たちがちゃんと責任をもって販路も確保する形で、プロデュースさせていただきました。

関坂さんの『土地の職人さんたちが元気で喜んでくれるように』というお話と近いと思うんですが、僕も土地の生産者の方にどう還元をしていくのか、が取り組みの根底にあります。

トレンドではなくて、細く長く、定着して続けられるようなプロジェクトにしていきたいです」

観光地、太宰府に生まれ地元で「吉嗣商店」を開いた吉嗣さんの今とこれから

地域への還元は、地元の作家さんの作品を積極的に取り扱っている「吉嗣 (よしつぐ) 商店」の吉嗣さんも共通しています。

六本松 蔦屋書店の中にある吉嗣商店。地元作家や九州初上陸のブランドなどを積極的に取り扱う
六本松 蔦屋書店の中にある吉嗣商店。地元作家や九州初上陸のブランドなどを積極的に取り扱う
福岡在住若手アーティスト「PEN PUBLIC」さんの企画展
福岡在住若手アーティスト「PEN PUBLIC」さんの企画展

加えてもう一つ、吉嗣さんは地域へ「やってくる人」へのアプローチを、これから展望しているそうです。

吉嗣:「実は私の実家が、築110年ほどの古い民家を持っていまして。5・6年前から両親とずっと『今後、どうする?』という話をしてきました。

結果、私自身はあまり関わらないのですが、ちょうど来月、10月4日のオープンで古民家ホテルとして再生することになりました。(※トークイベントは9月に開催)

10月4日に開業した「HOTEL CULTIA DAZAIFU」
10月4日に開業した「HOTEL CULTIA DAZAIFU」

ちょうど小菅さんの丹波篠山でも古民家ホテルを手がけられた、建築家の才本謙二さん設計です。

太宰府という町は昔からの門前町で、一年を通して訪れる人の多い町です。最近は海外のお客さんも多く観光地として賑わっていますが、実は滞在時間でいうと、とても短いんですね」

吉嗣商店

「先ほど小菅さんがお店づくりの話で『来てもらったからにはゆっくりしてもらいたい』というお話をされていましたが、私もずっと、お参りしてすぐに帰ってしまうだけではもったいない、そういう過ごし方を何か変えられないか、という思いを持ってきました。

今回せっかくこうして宿が出来るので、私はものを扱う仕事を続けてきた身として、いつかホテルのそばで新しい形のお土産屋さんをできないかなと思っています。

海外からのお客さんも多い町なので、『日本』そのものを提案できるような。そういう発信拠点を作ってみたいですね」

ローカルショップのその先へ

ものづくりの町・鯖江に戻ってきた関坂さんは、職人さんたちを元気にするために、お店を実験とチャレンジの場に活用。

農業の町・丹波篠山に移住した小菅さんは、好きになった風景を残していくために、地域の人たちとものづくりをスタート。

観光の町・太宰府生まれの吉嗣さんは、地元の魅力をもっと知ってもらうために、新しいお土産屋さんを構想中。

町への関わり方が三者三様に異なるのは、まさにローカルショップならではです。

そして地方創生、町おこしと声高に叫ばなくても、みなさん当たり前のように地域のなかでアクションを起こしているのがすごい。

お店という場所や経験を最大限に活かしながら、その役割は「ものを売る・買う」という範疇を軽やかに超えているように見えます。

これからのローカルショップの可能性。

その一端は、『僕も飲食や宿泊にとても興味があります』と最後に語った小菅さんの、こんな言葉にも感じられます。

小菅:「篠山という土地に暮らしていると、日常の中にも美しさがたくさんあって、それに気づける環境であることを日々嬉しく感じます。

ですが、お店に来ていただける日中の短い時間だけでは、その変化や発見に出会うことはなかなか難しい。

一方で飲食は、その土地の食材を体の中に入れるということですよね。

宿泊はその土地で裸になってお風呂に入って身を横たえるわけで、動物的に考えると、もう身を晒した状態で、その土地に浸かるということだと思うんです。

一度、その土地のものを食べて、身を横たえて朝になると、人の感情って初日にきた時とは、また少し違う感覚になっているんじゃないかなと思って」

archipelagoの小菅さん

「ここ数年、ライフスタイルショップという言葉をよく耳にはしますが、スタイルじゃなくもうちょっと地に足がついた形で、ものを長く使ってもらうためにはどうしたらいいか。

そう考えた時に、そういう『滞在』の仕方までサービスを設計した上で、何かを買っていただくという方法もありなんじゃないかな、小さな規模でやっているからこそ、出来ることなんじゃないかな、と最近思っています。

どんなことでも、それがさっきお話しした、土地の風土に僕たちが恩返しできることにつながれば。

自分たちの周りの環境を整えていきながら、できることから土地に関わって行けたら良いかなと思うんです」

徹底的に「ローカル」でありながら、従来の「ショップ」のあり方にとらわれない。

時にものづくりの実験室、時にコンサルタント、時に町づくりの担い手にもなりうる。

そんな、楽しくてたくましいローカルショップの今と近未来を、見せてもらったトークイベントでした。


<お店紹介> *アイウエオ順

archipelago
兵庫県篠山市古市193-1
079-595-1071
http://archipelago.me/

ataW
福井県越前市赤坂町 3-22-1
0778-43-0009
https://ata-w.jp/

六本松 蔦屋書店 吉嗣商店
福岡県福岡市中央区六本松 4-2-1 六本松421 2F
092-731-7760
https://store.tsite.jp/ropponmatsu/floor/shop/tsutaya-stationery/

<関連情報>

■RENEW 2019

新山さんたちが河和田で始めた体験型マーケット「RENEW」が今年も開催されます!

開催:2019年10月12日(土)~14(月)
会場:福井県鯖江市・越前市・越前町全域
https://renew-fukui.com/

■吉嗣さんのお話に登場した太宰府の古民家ホテルはこちら:
「HOTEL CULTIA DAZAIFU」10月4日営業開始
https://www.cultia-dazaifu.com/


文:尾島可奈子
会場写真:中里楓