近年、秋といえばカボチャのお化けが定番になっていますが、昔からの風物詩に「菊人形」があります。
菊というと、仏花のイメージもありますが、色とりどりの菊花で着飾った人形たちはとても華やかです。
菊人形は江戸末期、江戸・麻布台の植木屋さんが、菊で鶴などの造形物を作ったのがはじまりといわれています。
明治中頃、東京・団子坂で歌舞伎の場面などを再現して見せる「菊人形興行」が人気となり、多くの人で賑わうようになりました。
二葉亭四迷、正岡子規、森鴎外らの作品にも当時の様子が描かれていますが、夏目漱石『三四郎』もそのひとつ。
「…一行は左の小屋へ這入った。曾我の討ち入りがある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。…」
主人公・三四郎が思いを寄せる美禰子との印象的なシーンに団子坂の菊人形が登場します。
戦後、菊人形の興行は全国で開催され、秋の行楽として親しまれるようになりましたが、時代とともに少なくなり、今では数えるほどになってしまったといいます。
これぞ日本の秋の風物詩
東京上野の湯島天神では、毎年11月に「菊まつり」が開催され、今年(2018年)で40回目を迎えます。
境内には様々な菊花が約2千株ほど展示され、多くの観光客が訪れます。
愛好家のみなさんが丹精込めて育てた菊が展示される中、一際目を引くのが菊人形です。
今年はNHKの大河ドラマ「西郷どん」をテーマに3体の艶やかな人形が並びました。
活人形から菊人形へ
菊人形は、人形の顔や手足を手がける「人形師」、そこに菊を付ける「菊師」、菊人形専用の人形菊を作る「菊栽培師」など、それぞれ専門の職人さんがいます。
かつて菊人形で賑わった団子坂近くの千駄木に、今も人形を作る工房があります。江戸時代から続く「面六」(田口人形製作所)さんです。湯島天神の菊人形も手がけています。
5代目の岡本史雄さんに話を伺いました。
「初代は浅草で神楽面(神事に使うお面)を作っていました。2代目の頃から、その当時人気だった活人形(本物そっくりに見える人形)を作るようになって、多い時は10人くらい、手、足、顔それぞれの職人がいたようですね」
その後、活人形の手、足、顔を使った菊人形が盛んになったことから、千駄木に移り、団子坂での菊人形の興行の最盛期には、一度で約60体を提供していたそうです。
明治42年、両国の国技館での菊人形展が始まると客は移り、団子坂の菊人形興行は衰退。面六も国技館の仕事を請け負うようになりました。
お楽しみは「見流し」
岡本さんが人形の仕事をするようになったのは10代のころ。面六は中学校の同級生だった奥様の実家で、遊びに来る度に仕事を見ていたのがきっかけだったそう。
「最初はアルバイトではじめたのが、結婚してからは仕事しながら手伝うようになって、そうこうしているうちに継承することに。一人ではできないから家族にも手伝ってくれって」
以来、奥さんと息子さんの3人で店を守っています。
人形作りが楽しいという岡本さん。菊人形の魅力はなんでしょうか。
「なんだろうなぁ。俺たち夢中になってやってるからね。鮮やかさ、華やかさかな」
菊人形の楽しみ方の一つに「見流し」があるといいます。
「人形を見ながら歩く。一場面、一場面、物語になってるんです」
歩いて行くと物語が進んでいく。だから大河ドラマがテーマになっていたりするんですね。
「そうそう。以前に大阪のひらかたパークで、坂本龍馬の菊人形で、お龍さんの湯上がりシーンを作りました。肌を出した菊人形は初めてだったらしいですよ。色っぽいって言われてね」
そこだけすごい人だかりになったそうです。
「昔はたくさん人形を並べられたからできたけど、今はそれだけの体数がないから見流しもできなくてね」
そういう楽しみ方があったとは。菊人形がただの人形の展示ではなく、興行として成り立っていたことがわかる気がします。
頭だけなのに、ものすごく色っぽい
では、菊人形はどのように作られているのでしょうか。
まずは人形の顔作り。桐材を彫り、中に目玉を入れ、表と裏を膠(にかわ)で合わせます。
次に、胡粉(ごふん)を塗ります。胡粉とは、貝の粉を細かくしたもの。ぬるま湯で溶かした膠に胡粉を混ぜ、刷毛で塗っていきます。
羽二重(はぶたえ)と呼ぶ髪の毛は、人毛が1本ずつ縫われています。
胡粉を塗った上に羽二重をつけ、その上にまた胡粉を塗っていきます。
その後、色を混ぜて肌色の胡粉を作り、4から5回にかけて薄く塗って仕上げていきます。
完成するとこのようになります。
手、足も同様に作っていき、人形のパーツが完成します。
人の形を想像しながら作る
次に人形の枠組みとなる胴殻(どうがら)を作ります。材料となるのは、竹ひごを芯に藁で包み、糸で巻いた「巻藁」。
「胴殻は、最初に腰の位置を決めてます。人形は等身大だから、腕の長さなんかは自分たちの腕を採寸しながら作っていきます」
着物姿の場合、襟の合わせや袴、裃など、時代や性別などによって形が変わります。
胴殻に菊をつけていくため、形が正確でないと見栄えに関わります。重要な作業ですが、想像しながら作るのは難しそうです。
「大事なのはバランス。身長に対してどこに腰がくるか。顔の大きさと体が整っているのか、遠くから見ながら考えます」
以前は胴殻だけを作る胴殻師もいたそうですが、現在は、菊を付ける菊師が請け負うことも多いそうです。
これで胴殻が完成。面六さんが作るのはここまでで、この先は菊師さんにバトンタッチされます。
面六さんがお願いしているのは、茨城県龍ヶ崎の菊師・辻さんです。面六さんが龍ヶ崎まで胴殻を運び、辻さんがご自宅で菊をつけた後、会場の湯島に運んできます。
菊人形のために栽培された菊
こうして出来上がった菊人形。三人三様の美しい衣装で飾られました。
男性は鮮やかな色使いで凛々しく、女性は淡い黄色と白がグラデーションになって、柔らかな印象に仕上がっています。
衣装となる菊花は、菊人形専用の「人形菊」。細工がしやすいよう、枝が柔らかく、花が先に集まるように栽培されています。
生花なので、水やりも欠かせません。水をやるのはこの根元の部分。
湯島天神では、文京区の菊愛好家の方々が毎朝水やりを行なっているそうです。
毎日水やりをしても、どうしても花が傷んできてしまうので、会期中頃に衣装の着せ替えが行われます。
そのため、再び龍ヶ崎から菊師さんが来て全て菊を外し、新しい菊をつけていきます。3体着せ替えるのに4日ほどかかるそうです。
みんなが残っていかなければ続けられない
これだけ多くの人が携わり、技術のいる菊人形ですが、興行数が減ったことで、伝統を受け継ぐ職人さんも少なくなってしまったといいます。
「特に大変なのは菊師さんですよ。ほとんどの人が他の仕事と二足のわらじ。
菊人形は9月から11月で終わっちゃうからね。それも毎日の作業でなく、菊を付けたら着せ替えまで仕事はない。だから、農家の人が多いのかな」
面六さんも菊人形だけでなく、山車人形(祭りの山車に飾られる人形)、初代の奥さんが鳶の家の生まれだったことから「纏」も作っています。
人形の製作は多い時で、年間60体。
「家族3人では、なかなか製作が追いつかないので、今まで作った人形の顔の表情を変えたりしながら作っています」
胡粉は水に弱いため、屋根のない屋外に展示する場合などは、水にも強い樹脂で製作しています(湯島天神の菊人形は手足が樹脂)。
「材料もね、なかなか揃わなくて。胡粉もないんですよ。今まで仕入れてたところがやめちゃって、別の胡粉にしたら石膏っぽかったりして。膠もなくなるっていうし」
羽二重を作る職人さんもいなくなっているそうです。
「羽二重は頭の型を取って合わせて作ってもらうんだけど、今、やる人いなくなっちゃった。目玉は目玉屋さん、もう都内に作る人がいないんですよ」
「材料もそうだし、人形師、菊師、菊を栽培する人、舞台を作る大道具さん、菊人形は共同作業でやらないとできませんからね」
『三四郎』の世界から、現代の菊人形へ
今も菊人形展を続けているところは全国で数カ所ありますが、そのひとつに大阪のひらかたパークがあります。面六さんも7年ほど前から人形を出しています。
そんな、ひらかたパークの菊人形展が、今年、新しくなりました。
なんと、映像やインスタレーションプロジェクションマッピングなどを組み込んだ斬新な菊人形展です。これまでとは全く違う、幻想的な世界が広がります。
もちろん、面六さんの人形も飾られます。
「どんな風に見えるのか楽しみだよね。観に行こうと思って」
新しい菊人形の世界、ぜひみなさんも観に行ってみてはいかがでしょうか。
『三四郎』に欠かせない菊人形の場面。菊人形を知らずとも小説は読めますが、その風景を想像できることで、より物語の世界に親しむことができ、主人公たちの心情に触れることができるような気がします。
名作を楽しむためにも、いつまでも菊人形が秋の風物詩として続いていくことを願っています。
<取材協力>
面六
第40回 湯島天神菊まつり
2018年11月1日(木)〜 11月23日(祝)
「ひらパー×ネイキッド 新・菊人形展 DRESS」
2018年10月27日(土) 〜 11月25日(日) ※期間中休園日あり
文・写真 : 坂田未希子