参観日には社員がいなくなる。熊本の「人が集まり続ける」竹箸メーカーの働き方

子どもが遊びにくる社内

「みきちゃん、宿題終わったの?」

夏休みも終盤に差し掛かった8月の某日。

熊本県の北西部にある南関町で「竹の箸だけ。」をつくり続けるメーカー、株式会社ヤマチクの事務所で響いていたのは、子どもの宿題を心配する声。

ヤマチク
宿題に励む“みきちゃん”

事務所の空いた机で、社員さんの子どもが宿題に勤しむ。同社では、ごく普通の光景です。

「僕も小さい頃、当時の社員さんたちに面倒をみてもらったり、宿題を手伝ってもらったりしたんです。それをそのままやっている感覚ですね」

ヤマチク三代目で、専務取締役の山﨑 彰悟さんは嬉しそうにそう話します。

ヤマチク 専務取締役の山﨑 彰悟さん
ヤマチク 専務取締役の山﨑 彰悟さん

1963年に山﨑さんの祖父が創業したヤマチク。その当時から、会社に子どもがいることは当たり前だったのだとか。

「祖父とは一緒に仕事をしたことはないんですが、やっぱりベースにあるのは、社員さんに食べさせてもらっているという感覚です。

僕らがお箸を全部つくれるわけではなく、社員さんがつくってくれたものを販売している。

僕らにできることって、気持ちよく働いてもらうことくらいしかないんですよ」

そんな社風から、子育て世代にも働きやすい職場として知られるようになった同社。

ものづくりの業界としては珍しく、26名いる社員のうち実に23名が女性。離職率も低く、高い意欲を持って長く働いてくれることで、必然的に箸づくりの技術も習熟していくんだそう。

ヤマチク
女性が多く活躍するヤマチクの工場
女性が多く活躍するヤマチクの工場

そんなヤマチクの働き方について、実際に働く人たちに聞きました。

参観日に人がいなくなる

「子どもの教育への理解があって、何かイベントがある時には休むことができるので、参観日には工場から人がいなくなったこともあります(笑)」

松原和子さんは、ヤマチクに来て24年目になるベテラン社員。一度結婚を機に仕事を辞め、育児をしながら内職をしていましたが、その発注元が倒産してしまったそう。

まだ子どもも小さく、何かしなければ、という時に知り合いから紹介されたのがヤマチクでした。面接の結果、晴れて入社することができ、今ではベテランの技で竹箸づくりを支えています。

ヤマチク 松原さん
ヤマチクに勤めて24年。技術を磨いてきた松原和子さん

社員同士が自然とカバーし合うことで、子育てをしながらも働き続けることができたという和子さん。

「参観日といっても丸ごと1日休むわけじゃなくて、半日だけ抜けて終わり次第会社に戻って来る。そうやって柔軟に働かせてもらいました。

先々を見越してもらって、子どもが大きくなったあとはフルで働いてもらえると、理解してくれていたんだと思います。

箸づくりは、すぐに覚えられるものではないし、箸の種類も変わってくるし、長くやりながら成長していくものですから」

一時のイレギュラーな状況を避けるために、優秀な社員さんを手放すのはもったいないと山﨑さんは話します。

ヤマチク 専務取締役の山﨑 彰悟さん

「“みきちゃん”くらいの年齢、小学生くらいになってくると、そんなに頻繁に風邪をひくこともありません。

子どもが本当に小さい時期をみんなでカバーして乗り越えられればいいのかなと思っています。

それと、子どもに何かあった時、経営者が『休んでいいよ』ということは簡単なんです。問題は社員さん同士の理解の部分。うちはそこがとても寛容だと思います」

実は、冒頭の“みきちゃん”は和子さんのお孫さん。孫の顔を見ながら働ける職場、うちの親が聞くと羨ましがるに違いありません。

ヤマチク
柔軟に働いてこれたと話す和子さんとお孫さんの“みきちゃん”

母娘でヤマチク社員。育児をしながら自社ブランド開発への挑戦

そんな和子さんの様子を間近で見て育ち、気づけば自身もヤマチクに入社していたのが、和子さんの娘である松原歩さん。“みきちゃん”のお母さんでもあり、この日ヤマチクには松原家3世代が勢揃いしていました。

4人の子どもを育てながら働く松原歩さん

子育て世代が多く、居心地がよいだけでなく、子育てをしながらも仕事の幅を広げられる、チャレンジができることが嬉しいと、歩さんは言います。

2018年の4月、ヤマチクの社運をかけたと言っても過言ではないプロジェクト、自社ブランド商品の開発がスタート。山﨑さんが社内でプロジェクトメンバーを募ったところ、ぜひやりたいと手を挙げたのが歩さんでした。

「今の仕事も好きだし、やりがいもあるけど、何か新しいことにチャレンジしたい!と思っていたところで、これはチャンスだと思いました」

シングルマザーとして “みきちゃん”を含めて4人の子どもを育てる歩さん。和子さんの協力もあって、1年以上かけて新プロジェクトに挑戦。コンセプト設計から商品開発にかかわり、お披露目の場となる展示会では自ら接客して自身がつくった商品の魅力を伝えました。

そして和子さんは、歩さんが出張の際には子ども達の面倒を見つつ、娘のチャレンジをサポート。

「結婚が早いと、やりたいこともやれないまま子育てが始まって、じゃあ子どもが大きくなったあとにチャンスがあるかというと分からない。

せっかくチャンスがあるんだし、一番下の子も保育園である程度育ってきたし、サポートできると思うから、やってみたらって言いました」

松原家

歩さんをはじめ、社内のプロジェクトメンバーが中心になって開発された新商品『okaeri(おかえり)』。

「家族で使って欲しいという思いがずっとありました」と歩さんが言うように、子ども用から大人用までのサイズが揃ったラインアップで、各展示会でも好評を博しています。

歩さん自身も、名入れをして友達にプレゼントして喜ばれているとのこと。

okaeri
自社ブランド商品「okaeri」

次の目標は、とあるアニメキャラクターのお箸よりも「okaeri」が人気になって、“みきちゃん”の周りの子どもたちにも使ってもらうこと、なんだとか。

「お母さんが考えて、お婆ちゃんがつくってるお箸なんだよ」と“みきちゃん”に話す姿が印象的でした。

新卒採用も開始。人が集まり続ける会社へ

子育てと仕事の両立は、単純に会社の中だけでなく家族の理解が必要な部分も多いですが、できる限り多くのことにチャレンジしてもらいたいと山﨑さんは考えています。

「仕事は、物質的な幸せももちろん追求しなければいけませんが、一方で自己実現する幸せ、そのチャンスをもっと提供したいです。

社員さんそれぞれが挑戦できる幅が、そのまま会社の幅になる。

そこで働いている人たちの集合体が会社なので、たとえば自社ブランドをつくることでその人たちが前に出て、やりがいを持ってくれれば、価値があることじゃないかと思います」

ヤマチク

同社では自社の特徴・魅力をわかりやすく伝えるために、会社案内の刷新やコンセプトムービーの作成も実施。

これについても、「最大の効果は社員さんが喜んでくれたこと」なんだそう。

ヤマチク

「自分たちの仕事が、他人から見て価値のあることなんだというのが分かったんです。

ムービーをきっかけにクリエイターさんだったりベンチャー起業の社長さんだったり、いろいろな人が工場を見に来るようになって、口々に『すごい!』と言ってもらえて。

お客様というか、他者の反応が目に見えるだけでこうも違うのか、というくらい、みんなのモチベーションアップにつながりました」

※ヤマチクのコンセプトムービーはこちら

この数年は、新卒採用にも挑戦。

「新卒の応募なんて来ない」というのが定説とされていた中で、泥臭く地元の高校すべてを周り、同社の仕事について丁寧に説明したところ、定員として設けた枠を上回る応募が来たそうです。

その後、今期で4期目となる新卒採用には、コンスタントに応募が集まっている状況とのこと。

「仕事のやりがいとか、居心地の良さみたいなものも、働く決め手になっているように感じます」

その働きやすさ、社風が評判となり、子育て世代の女性を中心に人材が集まった同社。

ある意味「働き方改革」など必要とせず、長く、意欲的に働く人たちを集めているひとつのモデルケースにも思えます。

「とにかくヤマチクが大好き」という“みきちゃん”の進路がどうなるかはさておき、新卒の若い世代も含め、今後も続々と新たな才能が集まり、竹のお箸の魅力を世界に伝える会社として成長を続ける、そんな可能性を強く感じました。

ヤマチク
松原さん一家と山﨑さん

<取材協力>
株式会社ヤマチク
https://www.hashi.co.jp/

文:白石雄太
写真:中村ナリコ

中川政七商店が残したいものづくり #01陶磁

2019年11月1日(金)にオープンする渋谷店は、「日本の工芸の入り口」をコンセプトにしたお店。
オープンまでのわずかな期間ではありますが、皆さまに「工芸」に触れて頂きたいという思いで、ものづくりにまつわる読み物をご用意しました。
しばらくの間、お付き合いください。



中川政七商店が残したいものづくり
#01陶磁「産地のうつわ きほんの一式」

商品三課 榎本 雄


昔、祖父母の家に大きな食器棚がありました。

祖父母の家は縁側と土間のある古い日本家屋で、玄関をくぐると土間が広がり薄暗くどことなくひんやりしていて遊びにいくといつも幼心にワクワクするような場所でした。
土間を渡ると離れに台所があり、そこにある大きな食器棚にはうつわが沢山つまっていました。

祖母はグリーンピース入りの肉じゃがやエビフライなど気取らない料理を作ってくれ、大きな食器棚からうつわを取り出し、盛り付けてくれました。色とりどりの料理が盛られたうつわたちをお盆いっぱいに抱えて料理をこぼさないようにと、バランスをとりながら土間の向こうに運ぶのがわたしの大切な役目でした。
土間の向こうには兄弟や従妹、叔父や叔母、両親の笑顔があふれていました。
それがわたしのうつわにまつわる幸せな記憶です。
祖父母が亡くなった今、大きな食器棚の中のいくつかのうつわはわたしの家の小さな食器棚に収まっています。


大人になりうつわに興味を持ち地元の産地を訪ねた際に、あの大きな食器棚にあったうつわと同じものを偶然見つけたことがあります。その瞬間、祖父母の家ですごした時間を思い出し嬉しいようなくすぐったいようななんとも表現できない不思議な気持ちになったことが忘れられません。
産地のうつわは美味しさだけでなく豊かな記憶を盛るうつわなのかもしれません。


日本には歴史的なうつわ産地が約30も存在するといいます。
なるほど日本の焼物産地の地図を眺めてみると内陸部の点と点を結ぶように、北から南へ産地が帯のように存在しているのがわかります。その産地をルーペで覗くように細かく観察してみると、見えてくるのはその産地に暮らし生活の生業として焼物を作っている方たちの姿です。

当たり前ですが一人ひとりの顔は違い、話される言葉も土地によって違うものです。
さらに歴史あるそれぞれの産地でこれまで作られてきたうつわを眺めて、実際に手に取ってみると、同じ焼物でも産地によってその質感や触感はまったく違うことがよくわかります。
時代によって形や色が違っていたり、同じように作られたものでも一つひとつにゆらぎがあってひとつとして同じものがない、産地のうつわの自然さに惹きつけられます。
特に、仕上がりの美しさや繊細さを競い合うようなうつわではなく、人の日々の暮らしの営みに供されるために素っ気なく作られたような日常づかいのうつわを見るとその違いが良く伝わってくる気がします。

効率化や経済競争の末、外国で作られた安価なうつわも簡単に手に入るようになった今、産地のうつわの良さや使うことの本当の価値はあまり顧みられなくなったような気がします。
そんな中で、画一的で取りつく島がないようなうつわではなく、余白を残すような良き生活のためのうつわを模索して真摯に追い求める方たちが産地にはいます。

今回わたしが企画に携わった「産地のうつわ きほんの一式 」では今の暮らしに寄り添ううつわを、日本の4つの産地のこだわりを持った作り手さんたちと制作しました。
気負わず毎日使えるうつわを目指して作りましたので気軽に生活に取り入れてもらい、それをきっかけに各地の焼物産地へもぜひ訪れてもらえたら嬉しいです。

そしてこれからも産地のうつわが使い手の豊かな記憶を盛るうつわになるといいなと思っています。  


シリーズ名:産地のうつわ きほんの一式
工芸:陶磁
産地:栃木県益子町/岐阜県東濃地方/滋賀県甲賀市/佐賀県有田町
一緒にものづくりした産地のメーカー:和田窯/作山窯/明山窯/金善窯
商品企画:商品三課 榎本雄

究極の履き心地に加わったデザインと手軽さ。伝統の「八幡靴」はこうして生まれ変わった

滋賀県・近江八幡市。近江商人ゆかりの地であり、豊臣秀吉の弟・秀次が城を構えた場所であり、名建築家・ウィリアム・メレル・ヴォーリズが教鞭を執り、メンタームを創業した地でもある。

元商家の風格ある町家の中にヴォーリズ建築が点在し、やがて琵琶湖へ注ぐ水が「八幡掘り」をたゆたう旧市街の一帯は、定番の観光地とはひと味違う静謐な空気に満ちている。

そんな旧市街からほど近い住宅地にあるのが、近江八幡の伝統工芸品である「八幡靴」を製作する「リバーフィールド」の工房「コトワ靴製作所」だ。

瀕死の状態にあった、「八幡靴」という工芸品

八幡靴の原点は江戸時代初期にまでさかのぼる。城下町であった近江八幡にはさまざまな技術や資材が流入し、革細工産業が発展した。

明治期には西洋化の流れを受け、それまでの皮革加工を生かした履物製作が始まり、戦後には高級手作り靴「八幡靴」が確立。ピーク期には年間35万足が生産され、辺りには八幡靴の工房が軒を連ねていたという。

八幡靴に用いるのは甲皮と靴底を直接縫い合わせる「マッケイ式製法」という技法で、中底のないシンプルな作りゆえに反り返りがよく、軽く仕上げることができる。

しかし安価な輸入品の台頭や、1足を数人がかりの分業制で手掛けてきた職人の高齢化により、次第に産業は衰退。2000年初めには、八幡靴を製造するのは「コトワ靴製作所」一軒となった。

そんな時、八幡靴を復活させたいと2002年に「リバーフィールド」を立ち上げたのが代表の川原勲さんだ。

リバーフィールド代表の川原さん。八幡靴の魅力を伝えたいと同社を創業
リバーフィールド代表の川原さん。八幡靴の魅力を伝えたいと同社を創業

全国チェーンの靴販売店に勤めていた川原さんは、八幡靴を「履き心地が抜群」とその確かな技術を見抜いて販売を開始。しかし、店で売れたのは1年間でたった1足だけだった。

それでも、手づくりならではの品質の良さを確信していた川原さんは、「売り方次第で売れる」と独立を決意する。

「時代は大量生産・大量消費から良いものを時間をかけて作る流れへとシフトしていました。独立を考えていたこともあり、そんな時に出会ったのが八幡靴でした」

近江八幡の伝統産業、復活の狼煙をあげる

川原さんは、リバーフィールドを立ち上げた後、さまざまなアイデアで窮地にあった伝統産業を盛り立てていく。

まず始めたのはオーダーシューズに限定したネット販売。職人3~4人を抱えるコトワ株式会社に製造を依頼し、2万円前後で売り出した。

自らの足で営業も行った。滋賀県の異業種同好会に参加しながら、県内の著名人20名に限定して八幡靴を配り歩き、商品の周知に努めた。最初はひと月に5足しか売れなかったネット限定のオーダーシューズも、数ヵ月後には2~30足の注文が入るようになったという。

ここで画期的だったのはネットだけで注文できる「イージーオーダー」という試み。注文後リバーフィールドから送られる「トリシャム」というスポンジ素材の計測器で足型をとり、返送後2週間ほどで今度は仮縫いの靴が届く。

試し履きして修正箇所を伝えると、10日後には完成品が自分の手元に届く。さらに気になる箇所があれば、仮縫いのやり直しにも対応してくれるという。

ドイツ製の足型計測器「トリシャム」。ネットから注文すると、自宅にトリシャムが送られてくる
ドイツ製の足型計測器「トリシャム」。ネットから注文すると、自宅にトリシャムが送られてくる

そして手頃な価格とカスタムの幅広さも大きな魅力だ。トリシャムを導入することで石膏や木製の足型を作るコストを削減し、4万円台からのオーダーシューズを実現している。

デザインは22種、皮はキップやカンガルーなど5種、色は最大10色から選べる。

「イージー」とはあくまでその手軽さのこと。計測はトリシャムでしっかり行う上、工房が持つ数百点の靴型の在庫から最も適した型と照合して仕上げていくので、ほぼすべての人が自分の足にあった靴を作ることができる。

工房にはさまざまな足の形に対応できる靴型をストック
工房にはさまざまな足の形に対応できる靴型をストック
八幡靴
八幡靴

来店の必要がなく、手頃な価格で好みのデザインをネットから簡単に注文できるのが、リバーフィールドの「イージーオーダー」シューズなのだ。

伝統の世界に最新技術を投入

フルオーダーにも川原さんらしいアイデアで対応する。

通常はプラスチック樹脂などで自分だけの靴型を作り、そこから世界に一つだけの靴が生まれる。しかし靴型製作の業界が限られているため、ひとつの靴型自体が高価なものとなる。よって「オーダーメイド」というと10万円を優に超えるのが一般的だった。

そこで川原さんが導入したのが3Dフットスキャナーと3Dプリンターだ。

フットスキャナーが計測した足型のデータをPCへ転送し、ソフトを用いて足型設計を行う。歪みなどの微調整もPC上で行い、最後に3Dプリンターで立体プリント。大幅なコストダウンと時間短縮に繋がり、7万円台で作れるフルオーダーシューズが実現した。

八幡靴

こうして八幡靴は、川原さんのアイデアにより息を吹き返していく。

八幡靴の技術を継承するだけではなく、「オーダーシューズ」という市場にも新たな価値を見出した川原さん。

足の形は一人ひとり、時には左右によっても違うため、靴に悩みを持つ人の来店も多いそう。「ピッタリな靴ができて嬉しかった」と喜びの声も届き、数人に一人はリピーターになるという。なお、一度作った足型は5年間保管してもらうことができる。

そして2015年には近江八幡市のふるさと納税の返礼品にも採用された。一時は注文が殺到し、半年待ちの状態になることもあったそう。八幡靴の名は、着実に全国へも広がりを見せている。

八幡靴の未来を担う、若き後継者たち

2010年、コトワ株式会社が職人の高齢化などから廃業を決断し、川原さんが工房ごと引き取ることになった。

工房では後継者の問題を視野に入れ、職人を目指す研修生を積極的に受け入れ始めた。すると、職人の技術や八幡靴に興味を持つ若者が全国から集まるようになる。

工房の1階は革に靴底をつける底付け師、2階は靴の設計や革の断裁などを行う甲革師がそれぞれ作業を行い、ベテラン2人と6人の若手が活躍する。ベテランの職人が直接指導を行い、技術の継承に努めている。

靴底を付ける作業や靴の修理を行う1階の作業場
靴底を付ける作業や靴の修理を行う1階の作業場

以前社会福祉関連の会社に勤め、障害者用の靴を製作していたという高井諒太さん(28)は、「もっと靴づくりのことを学びたい」と3年前に工房に入り、ベテラン職人に指導を受けた。将来は専門の店を持ちたいという夢を持ちながら、日々作業に励んでいる。

八幡靴
八幡靴
八幡靴
八幡靴
八幡靴
糸の通り道(ガイド)を作る。ガイドがずれるとステッチもずれてしまい、全体的なバランスに関わる
八幡靴
甲革との縫い合わせ。靴の形ができてくる

「職人という存在にあこがれて」と名古屋から移住してきたのは安井龍之介さん(24)。最年少だが経歴は若手の中で最も長く、現在は全工程を任される頼れる若手職人だ。「ゆくゆくは独立したい」と笑顔で語ってくれた。

八幡靴
八幡靴
甲革を靴型の裏に引っ張って伸ばし、靴底に固定していく「つり込み」。ベテランでも気を使う難しい工程
八幡靴
八幡靴
作業で穴の開いたズボンは革の端材をワッペン替わりにして補強する
八幡靴
八幡靴
革の断裁と、縫製を行う2階の作業場。建物や年代物のミシンなどにも歴史を感じる
八幡靴
オーダー用紙に書かれた計測結果に沿って革を切り出して行く
八幡靴
八幡靴
甲部にあたる革(アッパー)を縫製する作業

「八幡靴」の可能性、さらに広がる

手頃な価格ながら、手縫い特有の履き心地が支持を集めている八幡靴。しかし、まだまだ購入者の年齢層は高めで、若年層への普及が課題。

そこで川原さんが新たに取り組んでいるのがスニーカーの試作。表面に革を用いながら、手縫いならではの履き心地を実現しようと試行錯誤を重ねている。

八幡靴

福岡県宗像市からやってきた泉祐貴さん(31)も、スニーカープロジェクトに携わる一人。八幡靴の魅力を若い人にも知ってもらいたいと、新商品の開発に向けて奮闘する。

八幡靴

近年ファッション誌でも特集が組まれるなど、注目を集める八幡靴の技法を用いたスニーカー。若い層を積極的に取り込む新たな看板商品になりそうだ。

受け継がれた伝統には、訳がある。

かつて数百軒を超えていたという工房は最後の一軒となり、絶滅の危機に瀕していた八幡靴。しかしそこには確かな技術と、手づくりならではの温かみが残っていた。

本当に良いものは、それを愛する気持ちとアイデア次第で何度でも息を吹き返す。そして、人々を魅了し続ける。

そんなことを、目の前で証明された気がした。

八幡靴

<取材協力>
リバーフィールド株式会社
滋賀県近江八幡市八幡町336(工房)
0748-37-5451
http://easyorder-shoes.com/

文:佐藤桂子
写真:平田尚加

デザイナーが話したくなる「ふんわりウールのベレー帽 」


中川政七商店で初めて作ったベレー帽。
デザイナーの鳥海さん自身、大人になった自分がかぶりたいベレー帽って?と考え始めたそうです。

鳥海さんは、10代のころベレー帽をよくかぶっていた時代があったそうです。
それから社会人になり、学生のころとは違うおしゃれを楽しみながらも、大人になったら今度はベレー帽をかぶるのが少し照れくさいなと、遠ざかっていたアイテムになっていました。

衣料品に携わっていた鳥海さん。そろそろ中川政七商店でベレー帽を作るのもいいのではと、いろいろ調べ始めました。
よく目にするものは、フェルトのものが多いのですが、形がしっかりとしているので、頭の形によってはなんだかしっくりこないということがあるそうです。少しかぶるのにもコツと慣れが必要なんですね。



そこでminoでお世話になっている日本有数のニット産地・新潟県 五泉市の「株式会社サイフク」さんと一緒に考えました。



帽子屋さんじゃないんですね?と不思議に思いましたが、触ったら納得の風合いと柔らかさ。
ふんわり柔らかな、いつまでも触っていられるような生地感は、さすがニットのプロ!!
これでセーター作ったら気持ちがいいだろうなと思う帽子です。



柔らかいけれど、しっかりしている感じもするのは、強縮加工をほどこしているからだそう。
初めて聞いた言葉ですが、いわゆる最終的にフェルト状にする加工ということです。

細かい目で編み上げたものを加工することで、さらに毛の風合いを良くして目を詰まらせていきます。
もっと長い時間強縮加工をするとよりフェルト状になっていきますが、今回は編地とふんわりした風合いを残すための適度な加減を調整しています。
このふんわりとした状態は空気を含み、目の詰まりで風を通しにくくすることで、保温性を高めています。



帽子の形にするために、ニットを縫っている部分があるのですが、これが言われないとわからないくらい、きれいにつなぎ合わされています。
これはリンキングといって、ひとめひとめ目を刺してつなぎ合わせていく縫製方法になるのですが、ここを目立たなくするのにリンキング目をできるだけ小さくしたそうです。
リンキングでは、裏側に縫い目が出ることもないので、かぶった時のごろつきもありません。



ベレー帽らしい真ん中にちょんと付いている飾りが気に入っているのですが、これはあとから付けたものではないんです。ニットでそのまま編まれているので、細すぎず自然と帽子に馴染んでいるのが、目立ちすぎずポイントになっています。



どんな頭の形にも柔らかくてなじみのいいベレー帽。かぶっていても気にならない軽さで、きれいめにかぶっても、くしゃっとかぶっても、さまになります。
「少し照れくさいな」から、「かぶってみたい」と思える大人のベレー帽ができました。
どの年代の方にも似合う、おばあちゃんにもかぶってほしいと、中川政七商店らしい初めてのベレー帽に鳥海さんも嬉しそうでした。

常識を覆す「THE」カトラリー。“無理”から始まった工業と工芸の融合

世の中の定番を新たに生み出し、これからの「THE」をつくることをテーマに、様々な既存の商品をアップデートしてきた「THE」のメンバー、水野学、中川政七、鈴木啓太、米津雄介。これまで飯茶碗、醤油差し、洗濯洗剤、はさみなど多様な製品をリデザインしてきた「THE」が、次のテーマに定めたのがカトラリーでした。

スプーン、フォーク、ナイフといったカトラリーを一新するために声をかけたのは、知る人ぞ知る新潟のものづくりメーカー、大泉物産。

株式会社 大泉物産
株式会社 大泉物産

デンマーク王室御用達のカトラリー「KAY BOJESEN(カイ・ボイスン)」、デンマーク王室から叙勲された著名なデザイナー、オーレ・パルスビーが最後に手がけたカトラリー「ICHI」などを製造しているほか、多くのコンテストで賞に輝いているオリジナルブランド「TRIO」も手掛けています。

大泉物産
多くの名カトラリーを手がけてきた

新しいカトラリーはなにが違うのか。なにを目指したのか。「THE」の代表でプロダクトマネージャーの米津雄介さん、大泉物産の代表取締役 社長 大泉一高さん、製造部長の大泉達夫さんに話を聞きました。

カトラリーなど「THE」の商品はこちら

「平べったい形」への疑問。カトラリーの新しい価値を模索

——「THE」ブランドでカトラリーをつくろうと思った理由を教えてください。

米津:大昔は銀食器の時代で、持ち手が分厚かったり、立体だったりしたものが多かったんです。でも、今はほとんどのカトラリーがステンレスの板からつくられていて、平べったい。これは20世紀の工業的な発想で、素早く効率的に品質の良いものをつくる技術なんですよ。

THE株式会社 代表取締役 米津雄介さん
THE株式会社 代表取締役 米津雄介さん

一方で、プロダクトデザインとして考えた時に、本当にこの形がいいんだろうかという疑問がありました。例えば、フォークはクルクルと回して使うことがありますよね。そうすると持ち手が丸っこいとか、立体的であることも、カトラリーとしての当たり前の価値ではないかなと思ったんです。

そこで「THE」のメンバーといろいろ試行錯誤した結果、楕円形の柄にしようという結論になりました。加えて、ナイフ・フォーク・スプーンは、切る・刺す・すくうというように、道具としてぜんぜん違うものなので、それぞれの機能にどうやって特化するかを考えました。

これは「無理だ」からのスタート

大泉(一):米津さんから初めに相談を受けた時に、非常に難しいと感じました。特に持ち手の部分ですね、これは困難だと。

ただ弊社としても、これまでと同じものづくりを続けているだけでは成長がない。ご相談いただいたことに、できる限り“No”とは言いたくないですし、チャレンジしてみようと思いました。

株式会社大泉物産 代表取締役社長 大泉一高さん
株式会社大泉物産 代表取締役社長 大泉一高さん

——なぜ、大泉物産に声をかけたんですか?

米津:我々の直営店のTHE SHOPで、大泉さんがつくっているカトラリーブランド、カイ・ボイスンを販売させて頂いてるんです。これが本当にいいカトラリーなんですよね。

今回、世に出回っているカトラリーを集められるだけ集めて「THE」のメンバーで食事をして使ってみたんですが、その中でも使い心地がピカイチなんですよ。それで、「THE」のカトラリーとして新たな定番をつくるなら大泉さんと一緒にやりたいと、相談させていただきました。

多くのカトラリーが並ぶ、大泉物産のショールーム
多くのカトラリーが並ぶ、大泉物産のショールーム

大泉(達):ありがとうございます。

でも、いつも現場を見ている私も社長と同じく、楕円形の柄の設計図を見た瞬間に「これは無理だ」と思いましたね(笑)。

通常のカトラリーは、単純にいうとクッキーの型みたいな金型で素材の板から形を抜くんです。しかも、素材の厚さは通常5ミリ程度。今回のオーダーでは、7ミリある楕円形の柄にしたいということで、それは従来の方法じゃできないんですよ。

ほかの方法を考えるにしても、とにかく手作業が多くなるイメージがあったので、コスト的に厳しくなるだろうし、正直に言うと「やりたくないな」と感じていました。

大泉物産 製造部長 大泉達夫さん
大泉物産 製造部長 大泉達夫さん

「THE」がパートナーを選ぶ基準

米津:僕もプロダクトデザイナーの鈴木啓太もずっとものづくりに関わってきたので、僕らが考える技術的に可能な範囲を設定し、それに沿って設計します。

ただ、僕らが当初考えていた「熱間鍛造」(素材を高熱で加熱して柔らかい状態で加工する方法)だとコストが合わなかったんですよね。想定よりもかなり高くなってしまって、困りました。

別の方法を考えなければいけないという時に、「これまでにないカトラリーをつくりましょう」という僕らの提案を、大泉さんの会長、社長が前向きにとらえてくださり、最終的には現場の皆さんも「これができたらすごいよね」という想いを共有していただきました。

大泉(逹):社長がやると決めたら、私たちはもう腹をくくってやるしかないですからね(笑)。それからは「できない」と考えるのはやめて、どうすればできるのか、金型屋さんを呼んで相談しました。そうしたら、「吸い込み」という技術が使えそうだとわかったんですよ。

でも、実はもう何十年も前に会長が「吸い込み」でものづくりをしようとして大失敗して以来、うちではやったことがなかった技術なんですよね。金型屋さんも、部分的にしかやったことがないという話で、結局、カトラリーの柄を「吸い込み」したことがある人はいませんでした。

THEカトラリー
手に馴染むように、立体的な持ち手にチャレンジした

大泉(一):この「吸い込み」は、昔は燕でもよく使われていた技術でもあるので、もう一度、うちの方で構築してみたいなと。昔よりも金型の精度も上がっているし、チャレンジしてみようと考えました。

数々の試作を経て、満足のいく持ち手に近づいていった
数々の試作を経て、満足のいく持ち手に近づいていった

米津:以前に大失敗していたら「絶対やめろ」って言われそうですけど、そこで挑戦させてくれたのが嬉しかったですね。

どうやってパートナーさんを選ぶのかってよく聞かれるんですけど、つまるところ、チャレンジしてくれるかどうかなんですよ。そして、チャレンジしてくれるかどうかは、ものづくりが好きかどうかだと僕は思っていて。大泉さんは会長も社長もお会いした時に、すごくものづくりが好きなんだなって感じたんですよね。

大泉(一):弊社には、「洋食器を研磨したい」というモチベーションで移住してきた社員もいます。みんなものづくりが好きなんだと思います。

大泉社長

特に昔は住宅と工場が隣り合わせだったので、ものづくりが今よりも身近にありました。その中で自然と何かをつくることが好きになったように思います。

今は工場が離れたところにあるので、子どもたちがものづくりに触れられないまま大人になってしまう懸念があります。行政とも協力して体験学習などに取り組んでいるところです。

大泉物産
大泉物産

大泉物産
ものづくりが好きで大泉物産に集まってきた社員の方たち

7ミリという数字へのこだわり

——「吸い込み」はどういう技術なんでしょうか?

大泉(達):今回、素材の板は、通常のカトラリーで使用する5ミリのものを使いました。それを楕円形にするために、余白を大きくして型抜きをするんです。次に横から楕円形の金型でググッとプレスすると、7ミリの厚さになります。本当に微妙な調整が必要で、何度もトライ&エラーを繰り返しました。

「吸い込み」用につくられた金型
「吸い込み」用につくられた金型

吸い込み
縦方向からプレスして、厚みを出していく

米津:本当に苦労をおかけしましたが、7ミリという数字には、非常に大きなこだわりがあったんです。

普通のカトラリーの場合、どうしても頭の方が重くなってバランスが悪くなったり、手が疲れてしまう。今回、僕らはそれぞれのカトラリーの質量や重心がどこに来るかを綿密に計算して、最適なバランスが得られる数値として出てきたのが7ミリだったんです。

THEカトラリー
7ミリという厚みにこだわった、持ち手の部分

THEカトラリー
使う際のバランスを考え抜いて、7ミリの持ち手という結論にたどり着いた

突破口となった金型屋のアイデア

——頭の部分のこだわりを教えて下さい

米津:それぞれの機能に特化した部分では、フォークが一番面白いし、わかりやすいですかね。コンセプトは「よく刺せるフォーク」。普通のフォークの歯って、4本が平行についていますが、今回のフォークは真ん中の2本がちょっと上がっていて、端の2本は下がっています。

さらに、歯が少し湾曲するようなオーヴァル状のデザインにすることで、物理的に刺す角度を変えて、フォークを刺した時にすぐに抜けてしまうことを防ごうというアイデアです。

もうひとつの特徴は、歯と柄の間の部分を深くくぼませて、スプーン状にしたことです。立体的にくぼませることによって、「すくう」という機能も兼ねることを考えました。

THEフォーク
オーヴァル状の歯と、スプーン状のくぼみにこだわった「フォーク」

大泉(達):フォークの形状を見て、これも難題だなと思いました(笑)。我々は「つぼ型」と呼んでいるんですが、くぼんでいる部分を金型で出そうとすると、フォークの歯が中央に寄ってしまうんですよ。

これをどうしようかと金型屋さんに相談したら、ダメもとでやってみようと提案してくれたのが、先端部分を反るようにして曲げてから、「つぼ」の部分を押し込んでくぼみをつける方法。これも初めて見るやり方だったんですが、半信半疑で試してみたら、うまくいきました。

フォークの頭部分の型
フォークの頭部分の型

THEフォーク
歯を反対方向に曲げてからプレスすることで、上手くいった

米津:おもしろい!どういう理屈なんでしょうね?

大泉(達):金型屋さんの経験からのアイデアで、理論的にどうだと聞かれると、なんでだろう?というのが正直なところです。

大泉物産
ものづくりの現場にはユニークな知見が埋もれている

米津:なるほど。ものづくりの現場にいくと、熟練の職人さんだけが知っている感覚的でユニークな知見がたくさん埋もれていますよね。

大泉(達):本当にそう思います。

米津:スプーンは、とにかく「よくすくえる」ことを重視しました。くぼみの真ん中から外側に向かって、素材がだんだん薄くなっています。

それと、これは元々、大泉物産さんの「ひらめん」という技術で、すごくいいなと思って使わせてもらったんですけど、スプーンの端の部分に水平な面を出しています。

この形状にすることによって、例えばカレーやスープの最後の一口がすくいやすくなると同時に、すごく口当たりが良くなるんですよ。これもまた、面倒なデザインだったと思います。

端の部分にほんのわずかだけ水平な面がある
端の部分にほんのわずかだけ水平な面がある

THEスプーン

大泉(達):フォークほどじゃありません(笑)。そして、ナイフはさらに大変でした。

米津:(笑)。

常識では考えられないデザイン

米津:一般的に、カトラリーナイフは安全性の面からあまり切れないようにしてあるじゃないですか。だから、レストランに行くと、お肉にはステーキナイフがついている。でも、自宅で使うことを想定したら、わざわざステーキナイフを用意するのも面倒ですよね。

それで、ギリギリ安全性を担保しながら、ものすごくよく切れるナイフをつくりましょうということで、刃物として「刃付け」をしてくださいとお願いしました。

もうひとつ、普通のナイフの刃は一定の厚みなんですが、立体のハンドルと同じ厚みをキープしたまま、先端の刃に向かってシュッと鋭くなっていくデザインを考えました。お肉を切るというより、断面を押し広げて、割く力を強くするイメージです。

これも、最初に僕らが図面を持っていった時、「できるはずがない」と言われました(笑)。

THEナイフ
切れ味と形状にこだわったナイフ

大泉(達):いままでの常識では考えられないデザインだったんです。ナイフづくりに携わっている人に相談したら、『この世に同じ形状のものがない』と言われて。

そこまで言われると、逆に挑戦する価値があるよね、とスタートしたんですが、鍛造屋さんに相談に行ったら、やっぱり「できません」と言われました。

大泉物産

米津:僕らがデザインしたようなナイフは確かに存在しないので、通常のナイフの形状とどちらがよく切れるのかは、正直なところ、わからなかったんです。でも、これまでにない形状でよく切れるというナイフをつくれたら素敵だよねということで大泉さんとも意見が一致して、チャレンジしてもらいました。

「できない」を「できる」にするために

大泉(達):独特の形状は、通常1回の工程を2回にすることで実現できたのですが、切れ味を出すのが本当に難しかったですね。最初はもう手で削るしかないとも思ったんですが、手で削ると安定した数値が出せないんですよ。そうすると、形状的に素晴らしくても、モノによっては切れなくなる可能性が出てくる。

それを避けるために、やはり機械で加工しようということで、あれこれ試しました。

何かいい方法はないかと、刃の磨きのプロのところに相談に行ったんです。最初は教えてもらえなかったんですが、何度か通っているうちに、刃の付け方と磨き方を指導してくれたんですよ。その通りにしてみたら、見事に切れるナイフになりました。具体的な方法はトップシークレットです。

米津:それもすごい話ですね。今回のカトラリーは企画してから完成までにだいたい1年ぐらいかかりましたが、最終的に、効率的にいいものをつくる工業製品としての技術と、刃付けや磨きといった工芸的技術のハイブリッドでつくることができたと思っています。

米津社長

大泉(達):そうですね。今回、改めて「何でも試してみるもんだな」と思いました。

見たこともやったこともない依頼が来ると、頭の中で「できない」と考えてしまうもんです。でも、いろいろな人に相談しながら何度も試すと、無理だと思っていたことも、できることがある。それを実感しました。

そうやってこれまでにない知見を得られることは大泉物産の大きなプラスになりますし、今回、チャレンジした甲斐があったなと思います。

大泉物産
大泉物産

大泉物産
社員から新しいアイデアが出てくることもある。まさに一丸となったものづくりを実践している

大泉(一):今、一人や家族で経営されているような研磨業、溶接屋さんなんかが続かなくなってきている。そこをなんとかできないかという課題があります。

ものづくりの工場が集積して切磋琢磨し、時には今回のようにノウハウも教えあうのがこの地域の強みです。

こうした状況でみなさまに評価されるものづくりを続けていけるように、これからも取り組んでいきたいと思っています。

——みなさん、今日はありがとうございました。

<取材協力>
株式会社大泉物産
https://www.ohizumibussan.jp/
THE株式会社
http://the-web.co.jp/

<関連商品>
カトラリーなど「THE」の商品はこちら

文:川内イオ
写真:浅見直希、THE提供

中川政七商店のものづくり実況レポート。「さんち修学旅行」和歌山高野口のパイル生地編

2019年8月、ある日の朝8時。

南海線なんば駅に、中川政七商店のテキスタイルブランド「遊 中川」の店長たちが集合しました。

今日は「さんち修学旅行」の日。

学生の修学旅行とは、ちょっと違います。

「さんち修学旅行」はお店で扱っている日本各地のものづくりの魅力を、自分の言葉で語ってお客様にお伝えするべく、現場を実際に見て理解を深めるという、私たちスタッフの勉強の場。

現場で見た感動がきちんとお客様に伝わったら、中川政七商店が目指す「日本の工芸を元気にする!」第一歩になるはずです。

今日集まったのは北は札幌から南は博多店まで5名の店長たち。

電車で向かうは和歌山県高野口。さぁ出発です!

午前の部は私、遊 中川 ecute上野店の店長、田中がレポートを書かせて頂きます!
 

和歌山県高野口へ


遊 中川では、日本各地にある様々な生地の産地と一緒に、毎シーズンの新作テキスタイルを作っています。

今回はお邪魔した和歌山県高野口というエリアは、今年の新作テキスタイル、『パイルジャカード網代』シリーズなどの生地が作られている産地です。



なんば駅から電車に揺られること1時間ちょっと。和歌山に降り立つのさえも初めてな私です。

ですが、高野口という地名は以前から店頭で知っていました。

遊 中川の布製品には、その生地が生まれた産地や技術背景を伝える、テキスタイルタグが付いているのです。

そこに書かれてあった「高野口」という地名。実際は、どんな場所なのでしょうか。

降り立ったのは高野口エリアの中心、橋本駅。駅前で素敵な笑顔で私たちを出迎えて下さったのが、株式会社中矢パイルの中矢社長です。

新作の「パイルジャガード網代」のジャガード生地を製造してくださったメーカーさんです。

今日はよろしくお願いします!の気持ちをこめてみんなで一礼。ここからは車で移動します。

車に揺られていると、広々とした紀ノ川の景色が見えてきました。



紀ノ川は中川政七商店の創業の地、奈良から流れているらしいのですが、遠くから見ても本当に水がきれいです。

なんでもこの紀ノ川で泳いで育った子どもたちの中に、水泳の某有名選手もいるのだとか…!

中矢さん曰く「ものづくりには綺麗な水はかかせない」とのこと。

なるほど。そういえば昨年お邪魔した堺の注染手拭いのメーカーさんも、そう仰っていたことを思い出しました。

「ものづくりの産地にはきれいな水あり」なのかもしれません。
 

新作テキスタイルが作られるのは、世界唯一の「ある素材」の産地


霊山・高野山の麓に広がるこの一帯は、実は世界唯一の「特殊有毛パイル織物」の産地。

と書くと難しそうですが、国会議事堂や新幹線の椅子張りも、高野口のパイル織物が使用されています。一方で世界的なブランドのドレスやコートにも採用されるなど、活躍の幅が広い素材です。

最近では、高品質な「エコファー」 (フェイクファー) の産地としても国内外から注目されています。


▲今回のパイルジャガード網代シリーズにはパイル織物 (上のグレーの部分) とエコファー(もこもこの白い部分) 両方が活かされています

中矢さんとお話しながら、あっという間に1箇所目の見学場所に到着。やってきたのは木下染工場さん。

後に紹介する、中矢パイルさんで織った生地に色をつける「染め」のメーカーさんです。

今回の遊中川の新作『パイルジャカード網代』の場合は、

「織り」…後ほど見学する中矢パイルさん

「染色」

「シャーリング」 (生地のケバケバを無くし、手触りをよく工程) …こちらのメーカーさんも後ほど登場します!

中矢パイルさんに再び戻り「生地のチェック(検査)」

を経て生地が完成します。このように産地の中で工程が分業されているんですね。

この中でも「染め」を担当する木下染工場さんの詳しい工程は次の通り。

1、染める



2、余分な染料を洗い、絞る
3、脱水
4、生地を畳む



5、乾燥させる

ちなみに上のたたんでいる生地は、お掃除用のクロス生地。

私達の身近にある日用品が、こんな風に作られているのかと、皆で「あぁ!」「へぇー」の嵐でした。

木下社長さま、暑い中ご丁寧なご案内をありがとうございました!

最初に拝見した木下染工場さんでテンションはもう120%です。このまま今日はどんな1日になるのだろう?ますますワクワクしてきました!
 

パイル織りの現場へ潜入!


熱も冷めやらぬうちに再び車に乗り込み、向かった先は中矢社長の中矢パイル工場。

中矢社長が、「この新しい事務所になってからこんなに多くの方々が来て下さるのは初めてだ」と仰っていました。

大勢ですみません。お邪魔致します!

遊 中川では以前にも、中矢パイルさんと一緒にものづくりをしたことがあります。

それが2017年のテキスタイル『杉木立』です。



ここ高野山の杉木立をパイルで立体的に表現したデザインは、人気であっという間に完売頂きました。このコートは私も愛用しています。

 

こうした生地が、実際どのように織られているのか。いよいよ工場の中へ。



奥までずらりと並ぶ大きな機械に、絶えず響く大きな音。もう見ただけで圧巻です。

こちらは小巻にした糸を機械にセットしているところ。



こういう風に生地ごとに使う糸が、タテ・ヨコそれぞれに必要な糸の本数分だけ、機械にセットされていくんです。

▲先ほどのセットされた糸が、集まって織り機に繋がっています

なんでも、これが1番大変な作業だそうで、1人でやると丸2日かかるとのこと・・・!

急いでる時はスタッフさん総出でこれを機械にセットするそう。

黙々と作業されているスタッフさんにお声がけしたら、「これが1番大変なのよ~」と手を止める事なくお返事下さいました。

こうやって人の手作業があってこそ動く機械なんだ。

機械=人の手作業ではないなんて誰が思おうか。

そんな事を思いました。


複雑なパイル織物の正体

この後、実際に生地を織る工程に入るのですが、パイルジャガカートの織りは複雑で、理解力に乏しい私は一回の説明だけでは理解しきれず何度も聞く事に。

タテ糸とヨコ糸を合わせて生地が織られていくわけですが、パイル織物は織り上げた生地の真ん中に切り込みを入れて2つに切る。だから反転する模様がある…?

▲確かに機械の後ろは、生地の巻物が2本あります

ん?!どういう事だ?と、その時のメモがこちらです。



この真ん中で切られた部分がふわふわのパイルになるわけですね。

なるほど!やっと理解できた!!と思ったらもう感動の嵐です。

あの生地があーなって、こーなって…!

目の前のものづくりとお店に並ぶバッグや服。やっと、全部が繋がりました。



とても手間のかかっている生地だなと、見て触って解っているつもりだったのですが、実際の工程を見ると…終始、感動しきりでした。

見学中、機械は動いたり止まったりを繰り返していました。

生地を織っている間に、どこかで一本でも糸が切れてしまっていると、止まる仕組みになってるんだそうです。

職人さんが、どこの糸が切れているのか?をサッと見て直してまた動かして。の繰り返し作業です。

ふと足元を見ると、機械に吊るされたこんな重しがあり。



これ、何だろう?と思って中矢社長に伺うと、生地を織るときの強さを調整する重し。なんと、職人さんが気温や湿気を見て、その日その日で機械に吊るしている重しを変えているんだそうです。

ひぇ~!

「これぞ職人技だ!」とさぁっと鳥肌が立ちました。

職人さんしかわからない世界。こういうところが、凄いですね!


ものづくりのバトンを繋いで

こうして織られた生地が、さらに染めや仕上げの工程を経て、縫製、検品へとバトンを繋いで、店頭に並びます。

私も昨年、この高野口パイルのコートをワクワクして買った時のように、今年の新作も、お客様がお店でワクワクして手に取って、試着して、気に入ってご自宅に連れ帰ってくださるように。

今までより一層、作っているメーカーさんの分も、誇りをもってお客様に魅力を伝えて行こう。

そう思った今回の修学旅行でした。

中矢さん、木下さん、ありがとうございました!とても刺激的な1日でした。

よく晴れて暑かった高野口、産地としても熱かったです!

では、私のレポートはここまで。続く午後の部は、遊 中川 近鉄あべのハルカス店の上村店長にバトンタッチさせて頂きます!


午後のスタートはかわいい猫クッションとともに

ここからは私、遊 中川 近鉄あべのハルカス店 店長・上村がお送りいたします!どうぞお付き合いくださいませ。

我々が次に訪れたのは杉村繊維工業さん。

世界に誇れる高野口のものづくりを、もっと多くの人に知ってもらいたい!と他のメーカーさんと協業してFabrico (ファブリコ) というファブリックブランドを立ち上げられています。

中川政七商店の直営店にもFabricoさんの可愛らしいネコ型クッション「NEKO」シリーズが並んでいます。



本物のネコさながらのふんわりとした触り心地に、持ち帰りたくなる人も…(笑)

エコファーの産地としての高野口の歴史、その技術の高さについてなど、たくさんお話をしていただきました!
 

高野口の生地が高品質な理由


高野口は昭和初期から培ってきた加工技術により、世界有数のエコファーの産地と言われています。

生地をなめらかに手触りよくする仕上げの工程と検品技術の高さが、品質を支えているのだとか。

▲仕上げによって右の生地が左のようにふわふわに

早速お話を伺った「仕上げ」の工程を見学に、我々は堀シャーリングさんへ向かいます。

 

見慣れたあの生地も、こうして作られている


いざ、工場へ。中は…とにかくすごい熱気です!

▲右側の緑の壁は生地に熱処理を加える炉。近くにちょっといるだけで汗だくになる程の熱気です

電車やバスの座席のシートの最終仕上げも、手がけられているそうです。

織られた生地を何度も機械にかけてケバを取り、なめらかな仕上がりにしていきます。

▲こんな生地、電車内で見たことがあるのでは?

▲こちらは違う生地ですが、このような刃で表面をコンマ何ミリという世界で削ぎ、揃えていきます

こうすることで例えば座ったときにも、おしりにパイルのケバが付かないようになるんだとか!

何度か機械にかけられたものを触ってみて、これやったら大丈夫そうやなぁと思っていた生地も再び機械へ…

こうして精度を高めていくことで、私たちが何気なく座っている座面シートなどになるんですね。

技術と忍耐の賜物です。


実は織りだけじゃない。高野口パイルの「編み」の世界


さて、堀さんの工場を後にして、我々は最後の目的地へ。今までとはちょっと違う「編み」の現場を見せていただきました。

通常生地づくりは、織り、編みで得意な産地が分かれますが、高野口は、中矢さんのような織りだけでなく、編みを得意とするメーカーさんもいる珍しい産地。

伺った先では、シープボアというモコモコとした毛並みが特徴的な生地が作られていました。

政七商店の冬のネックウォーマーもこちらで作っていただいています。(秋の入荷予定です、是非お店で着け心地を実感してみてください!)

機械の全景はこんな様子。人の背丈ほどあります。

▲右側の機械、黄緑色の生地が編まれています

中心部分を覗いてみると、糸が円を描くように高速で編まれていました。



筒状に編まれた生地はどんどん下に降りていきます。

出来たての生地はボリュームがあり、想像以上の迫力でした…!

はじめて見る機械や技術に興味津々の我々、見学時間が押してしまい、最後は少しかけ足になってしまいましたが、作り手さんの熱い思いやこだわりを生で聞くことができた、またとない貴重な機会でした。

まだまだ見たいこと・聞きたいこともたくさん。

自然も人も素敵な高野口、また訪れたいです!今回お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。

そして記事を読んでくださった皆さん。お店で『パイルジャカード網代』のアイテムを見かけたら、ぜひ私たちに尋ねてみてくださいね。まだまだ熱く語れます!