三重の御在所ロープウエイが「白い東京タワー」である理由。日本一の鉄塔を見学

三重県・菰野町(こものちょう)。県の北部に位置するこのまちには、“白い東京タワー”なるものがあるのだとか。

そう聞いたら見に行かないわけにはいきません。噂のタワーを目指し、菰野町にやってきました。

名古屋から1時間、自然豊かなまち「菰野町」

菰野町の由来にもなった真菰の畑
菰野町の由来にもなった真菰(まこも)の畑 ©️菰野町観光協会

菰野町といえば、よく知られるのは登山の名所である「御在所岳」。国の特別天然記念物に指定されるニホンカモシカの生息地にもなっています。御在所岳の麓には、古くは1300年前に開湯したという「湯の山温泉」の旅館街が。さらに、一帯にはキャンプ場やゴルフ場といったレジャースポットが豊富。

三重県の中心都市である四日市市に隣接しており、さらに名古屋からも車で1時間ほど。山々に囲まれた自然豊かな土地でありながら、日帰りで行ける利便性も兼ね備えたまちです。

御在所岳にそびえる白鉄塔
遠くの山になにやら白い建造物が

車を走らせると、山の中に見える白い姿、気づきましたか?この距離でも認識できるということは、近づいたらかなりの大きさなのでは。

御在所ロープウエイの“日本一の白鉄塔”

御在所岳にかかる、全長2161mのロープウエイ
御在所岳にかかる、全長2161mのロープウェイ

辿り着いたのは、湯の山温泉から御在所岳山頂までを結ぶ「御在所ロープウエイ」。実は、2018年7月にリニューアルオープンしたばかり。新型ゴンドラが導入され、山頂の展望レストランも新設されたそうです。

御在所ロープウエイ 湯の山温泉駅
御在所ロープウエイ 湯の山温泉駅 ©️中島信
山麓にオープンしたモンベルルーム
山麓にオープンしたモンベルルーム

ちなみに、山麗の「モンベルルーム」では、御在所店でしか手に入らないオリジナル商品も。お土産にするのはもちろん、登山グッズをここで買い足すこともできます。

どうやら、“白い東京タワー”の正体はロープウエイの鉄塔。

御在所ロープウエイの木原さん
御在所ロープウエイの木原さん

「あれは日本一の鉄塔なんですよ」

迎えてくれたのは、御在所ロープウエイの木原さん。企画広報部に、今年新卒で入社したばかりです。菰野町生まれ・菰野町育ち、ロープウェイにも子どもの頃から馴染みがあったといい、鉄塔についても当時の資料をもとに語ってくれました。

標高943mの場所に立つ鉄塔の名は「6号支柱」。ロープウェイを支える鉄塔は全部で4本あり、その中でも一段と高くそびえます。高さ61m、ロープウェイの鉄塔としては日本一の高さを誇ります。建設当時は、なんと世界一だったのだとか。

なぜ日本一の高さに?高低差が作り出す、ダイナミックな景色の変化

急こう配の山肌にそびえ立つ6号鉄塔 
©️御在所ロープウエイ株式会社

それにしても、なぜ6号支柱だけが日本一もの高さになったのでしょうか?

「6号支柱が建つのは、急こう配の山肌なんです。深い谷の中に建てられたことから、61mもの高さになりました」

急こう配の山肌にそびえ立つ6号鉄塔
急こう配の山肌にそびえ立つ6号支柱 ©️御在所ロープウエイ株式会社

その結果“日本一の鉄塔”が誕生したのですね。

建設当時の鉄塔は緑色だったといいますが、日本一の高さを誇るシンボルとして、より目立つように白く塗り替えられました。

手前に見える鉄塔は緑色をしています
手前に見える鉄塔は緑色をしています ©️中島信

「ロープウェイはかせ」中島信さんに聞く、御在所ロープウエイの魅力

「絶景!日本全国 ロープウェイ・ゴンドラ コンプリートガイド」(扶桑社)の著者で、“ロープウェイはかせ”とも呼ばれる中島信(なかじま まこと)さんによれば、「(白鉄塔は)天気が良ければ20kmほど離れた近鉄四日市の駅からも確認できます」とのこと。

日本一の高さの鉄塔が必要なほど、急こう配に作られている御在所ロープウエイ。その魅力について中島さんに聞いてみました。

「御在所だけの特徴、というわけではありませんが、高低差が非常にあるので麓と山頂とで景色が変わります。紅葉の時期を例にとれば、麓が真っ盛りのときに山頂はすでに終わっていたり、山頂が色づきはじめても下はまだ全然だったりするわけです。

劇的な景色の変化が楽しめるところが、鉄道には無い魅力だと感じます」

なるほど。山にぶつかるとトンネルに入ってしまう鉄道と比べて、ダイナミックな景色の変化を楽しめるのは確かにロープウェイならではです。

“白い東京タワー”の所以はリベット接合

そして、“白い東京タワー”の所以は、リベット接合と呼ばれる丈夫な工法。「リベット」とは、棒鋼の片側に頭をつくった鋲(びょう)のこと。リベットの作業には高度な技能が必要だったそうです。

現在ではボルト締めが一般的になっていますが、当時の鋼構造物はほとんどがリベット接合。ボルトが普及する前に建てられた御在所ロープウエイの「6号支柱」、そして「東京タワー」も同じリベット接合なのです。

地上でリベットを熱し、接合部に差し込んだら、反対側はハンマーで打つことで頭を潰して固定。真っ赤に熱したリベットを放り投げて、空中で受け渡しをする作業は、まるで曲芸だったといいます。

他の鉄塔は1週間前後で完成しているのに対し、冬には吹雪の悪条件も重なったことで、6号支柱の組み立てには3ヶ月もの期間を要しました。

こうして見事完成した6号支柱。

「今なお、遜色なくロープウェイを支え続けてくれています」(木原さん)

御在所ロープウエイの白鉄塔
御在所ロープウエイの白鉄塔 ©️中島信

リニューアルされたゴンドラから、鉄塔を間近に

「ロープウェイのゴンドラの中から、鉄塔を間近に見ることができますよ」

“白い東京タワー”に近づくため、山麗駅から早速ゴンドラに乗りこみます。

御在所ロープウエイ 湯の山温泉駅
御在所ロープウエイ 湯の山温泉駅

全部で36両のゴンドラのうち、リニューアルされた新型のゴンドラは10両。通常4分に1台、新型のゴンドラがやってきます。窓はよりワイドに、床面にも展望窓が設置されました。

新設されたゴンドラ
新設されたゴンドラ

眼下には、御在所岳の雄大な自然が広がります。稀に、ニホンカモシカが姿を現すことも。ゴンドラが山頂に近づけば、目を奪うのは伊勢湾が一望できるパノラマビューの絶景。

御在所ロープウエイ 新調されたゴンドラの内部
御在所ロープウエイ 新調されたゴンドラの内部
御在所ロープウエイ 新調されたゴンドラの内部
足元にも展望窓が設置されました

晴れた日には白い鉄塔がよく見えますが、雲がかかった日もまた幻想的。ロープウェイから見える景色は、気候や四季によって刻々と表情を変えます。

御在所ロープウエイの眺望
御在所ロープウエイ
訪れた日はあいにくの空模様でしたが、それもまた趣がありました
間近に見る白鉄塔
間近に見る6号支柱。打ち込まれたリベットの様子がよくわかります

山頂には「ロープウエイ博物館」

山頂には、貴重な資料が並ぶ「ロープウエイ博物館」が。階段の手すりにはゴンドラをつるロープが使われ、博物館へ向かう道のりにも工夫が見られます。

ロープウエイ博物館

写真や映像での展示のほか、ロープウェイに用いられる風速計、そして、小さな白鉄塔も。竹串を使って1/200の大きさで再現されています。

ロープウエイ博物館
ロープウエイ博物館

日本一の白鉄塔。「東京タワーと同じと言われるのは、やっぱり誇らしいですね」と微笑む木原さん。

これから、秋が深まるにつれ、色づく山々が最も美しい季節。ゴンドラに乗って、紅葉を眺めながらの空中散歩が楽しめます。

秋の御在所ロープウエイ
秋の御在所ロープウエイ ©️菰野町観光協会
秋の御在所ロープウエイ
秋の御在所ロープウエイ ©️菰野町観光協会

赤・黄色の紅葉、針葉樹の緑が織りなす自然の絵画。その絵の中にたたずむ、“白い東京タワー”。四季の変化と、人間の技術の結晶による光景は必見です。

<取材協力>
御在所ロープウエイ株式会社
http://www.gozaisho.co.jp/

中島 信(なかじま まこと)
江戸川区小松川・医療法人社団皓信会 矢口歯科医院院長。鉄道に関する記事を雑誌等で多数執筆。2017年に、「絶景!日本のロープウェイ・ゴンドラ コンプリートガイド」(扶桑社)を出版

文:齊藤美幸

写真:西澤智子

画像提供:中島信、菰野町観光協会、御在所ロープウエイ株式会社

こもガク祭2019 開催中!

ちそう菰野のある三重県菰野町では9月29日まで「こもガク祭2019」を開催中!
9月28・29日には、ワークショップやこもガク祭限定の特別メニューも楽しめる「こもがくマルシェ」も行われます。ぜひ足を運んでみては。

イベントの詳細はこちら:http://komogaku.jp/

*こちらは、2018年9月28日公開の記事を再編集して掲載しました。

中川政七商店が残したいものづくり #02金物

中川政七商店が残したいものづくり
#02 金物「フック画鋲」


商品三課 岩井 美奈


恩師からいただいた宝物の葉書、お気に入りのドライ植物、我が家の壁に飾ろうと思った時に使う道具は、決まっていつも虫ピンかマスキングテープでした。
特に虫ピンは、その長い針は引っ掛けるのに丁度よく、華奢な頭は飾るものの邪魔をせず、静かに引き立ててくれるところが、わたしのお気に入りでした。
ただ飾ったときの様は申し分ないのですが、抜き差しには道具が必要で、少し重いかな?というものは、耐えられません。

静かな気配がちょうどよい虫ピンの要素はそのままに、もう少しきちんと使えるたのもしい道具があるといいのになぁ。そんなある日の小さな想いからうまれたのがフック画鋲でした。

静かな気配をもつたのもしい道具。
それは、存在感をいかになくして、本来あるべきモノとしての存在感を出せるかということ。 使われてはじめて、モノに力が生まれるような…。
そんなことを考えながら、小さき道具と向き合う旅がはじまりました。




旅の途中、茶室で使われていたという「役釘」と出会ったのは、近所のお寺で毎月行われている骨董市に出かけたときのこと。
黒衣のような静けさと凛とした美しいかたちをみたときに、大きな手掛かりをいただきました。

たかが釘、されど釘。
茶室のような余計なものを一切取り除いた空間では、釘一本さえとっても目につきやすいものです。
釘自体が主張するのではなく、花入や掛物、空間にうまく調和したものをと考えつくされてうまれたかたちから、作り手の使い手に対する繊細な心づかいが伝わってくる気がしました。

改めて先人の優れたお仕事ほど、素晴らしい教えはないと思い知らされます。
深い敬意をいだきながら、現代版の役釘を追い求めました。
家の中に前からあったかのようにすっと馴染む、留めていることを忘れるぐらいの心地よい道具になればうれしいなと思っています。
商品名:フック画鋲
工芸:金工
産地:大阪府大阪市
一緒にものづくりした産地のメーカー:株式会社ケントク
商品企画:商品三課 岩井 美奈



<掲載商品>
フック画鋲

日本の“ハンマー”が世界のアスリートから支持される理由

東京五輪がいよいよ来年にせまってきた。各国を代表するトップアスリートたちは、今大会でどのような活躍を見せてくれるのか、非常に楽しみだ。

身体を極限まで鍛え抜いたアスリートたちが競い合う一方で、各競技に使われているスポーツ用品の世界にも“匠の技”というべき技術が活きていることをご存知だろうか。

ハンマー投げという競技

陸上競技用器具の世界で、国内トップシェアを誇る株式会社ニシ・スポーツ。

様々な用器具を手がける中で、特に投てき競技用のハンマーや砲丸において、世界でも高い評価を得ている企業だ。

ニシスポーツハンマー
ニシスポーツ
ニシ・スポーツの円盤

今回は、特にハンマー投げで使用されるハンマーについて。シンプルに見える形状の裏側にある開発の工夫や用具の重要性を聞いた。

ニシ・スポーツの用具
競技で使われている「用具」に着目すると、スポーツの見方が変わる

ハンマー投げはアイルランド発祥のスポーツで、投てきしたハンマーの到達距離を競い合う。もともとは金槌(ハンマー)に紐をつけて振り回して投げていたことから、いまでもハンマー投げと呼ばれている。

現在の国際大会決勝では3回の試技で上位8名が決定する。さらに3回の試技を行い、合計6投の記録で勝敗を決める。

ハンマー投げというと、ぐるぐると回転する選手の姿を思い浮かべる方も多いことだろう。投てきの際に回転する回数は選手の自由で、3回転か4回転で投げる選手が多い。

ちなみに日本の陸上界を牽引してきた室伏広治さんは4回転で投げる選手だった。室伏さんが28歳で迎えた、2003年6月のプラハ国際陸上で投げた記録は84m86。これは現在も陸上男子ハンマー投げの日本記録となっている。

選手は、自分のハンマーが使えない。競技会で発生する“ハンマー待ち”

ところで、投てきで使われるハンマーは誰が用意しているのだろう。実は選手たちは、個人で所有するハンマーを本番の競技会で使うことができない。

「国際陸上競技連盟(IAAF)の認証を取得したメーカーのハンマーが数種類並べられ、選手は試技ごとにそこから選んで投げる形式をとっています」

ニシ・スポーツでハンマーや砲丸をはじめ様々な用具の開発を担当する第一開発部 木村裕次氏はそう話す。

ニシスポーツ
株式会社ニシ・スポーツ 第一事業部 第一開発部 アシスタントマネージャーの木村裕次氏

その日の展開によっては、記録が伸びた選手が使ったハンマーをみんなが使い始め、そのハンマーが戻ってくるまで投てきしない、という“ハンマー待ち”の現象が起きることもあるそうだ。

同じ承認を取得したハンマーの中でもこのように人気に偏りが生じる現場で、トップアスリートたちの支持を得ているのが、日本のニシ・スポーツのハンマーだという。

ニシ・スポーツは、昭和26年創業の陸上競技用品メーカー。投てき競技における用具(ハンマー、砲丸など)について、1999年に国内で初めてIAAF承認器具に認定された。

トップアスリートたちの支持を得ているニシ・スポーツのハンマー
トップアスリートたちの支持を得ているニシ・スポーツのハンマー

この業界では「有名選手に選ばれ」「良い記録が出る」と国際的な知名度がグンと上がる。

砲丸投げにおいても、複数のメーカーの砲丸から選ぶ形式が取られており、アトランタ五輪(1996年)においてアメリカのランディー・バーンズ選手がニシ・スポーツの砲丸を投げて金メダルを獲得したため、世界中に「ニシ・スポーツ」の名が広まった背景がある。

ニシスポーツ
ニシ・スポーツの砲丸

ハンマー製造の難しさ

同社はこれまで、試行錯誤しながらスポーツ用品の開発・製造を続け、グローバルで評価を獲得してきた。

陸上競技の用具づくりにおいて、ルール(競技規則)への対応がまず難しいと、木村氏は言う。

「IAAFが定めるルールが頻繁に変わるので、そこにアジャストしながら開発しています」

投てき競技のルールが頻繁に変わる、ということ自体、あまり一般的には知られていないかもしれない。

近年で特に苦労したのが、ハンマーの持ち手(ハンドル)の強度に関する改正だったという。2000年頃から始まった改正ではまず、12キロニュートンという基準が設けられた。

ハンマーのハンドル部分
ハンマーのハンドル部分

「12キロニュートンというと、ざっくりですが1200kg以上の力に耐えられる設計にしなければなりません。

ハンマーを投げるときにかかる力は、諸説ありますが、トップ選手の場合で約350kgと言われています。

つまりIAAFでは、かなりの余裕を持たせて用具を製造させているわけです」

ハンマーは、ハンマーヘッド、ワイヤー、ハンドルから構成され、その総重量が決められている。男子なら7.26キログラム、女子なら4キログラム。ハンマーの全長は男子で1.215メートル、女子で1.195メートル。

ハンマー

回転して投てきをするハンマー投競技では、ハンマーヘッドが重い方が有利だということは分かっており、いかにそれ以外の部分を軽くできるかというのが開発のひとつのテーマになってくる。

ハンドルの強度を追求すると、通常はどうしても重たくなってしまう。いかに、重さを変えずに、12キロニュートンという指定に応えるか、必死でアイデアを出し合い、テストを重ねて開発した。

ところが、それが数年後には、10キロニュートンで良いとなり、現在は8キロニュートンで一旦決着している。こうしてルールにある種振り回されながらも、その時の最善を目指して開発を続けるところに難しさがある。

ハンマー
実際に手に持ってみると想像以上に重い

では、ハンマーヘッドの部分ではどのように特色を出しているのだろうか。

ニシ・スポーツでは、ハンマーヘッドに3種類の金属(鉛、タングステン、ダクタイル鋳鉄)を採用した。ここに競合製品との差別化要素が生まれる。

「タングステンは非常に硬くて重いレアメタル。ハンマーヘッド自体を最小化できるメリットがあります」

ハンマーヘッドが小さくなれば、その分だけワイヤーを長くできる。ワイヤーが長ければ遠心力が大きくなり、より遠くに投げられるという理屈だ。このほかワイヤーはピアノ線で、ハンドルはアルミ合金で製造している。

ハンマーはどうやって造られている?若い社員が支えるハンマー製造

同社のハンマーは現在、船橋の工場で2人の若い社員によって製造されている。両名とも30代半ばで大のスポーツ好き。ともに18歳の頃から、先輩たちにハンマーづくりのノウハウを叩き込まれてきたという。

ニシ・スポーツのハンマー製造を支える2人
ニシ・スポーツのハンマー製造を支える2人

「製品の品質を上げるため、何ができるかということを自分たちで考えることができる社員です」(木村氏)

製造工程を簡単にたどってみよう。材料となるのは、国内の鋳物工場で製造された球状のダクタイル鋳鉄で、中は空洞。NC旋盤を使用し、材料の中心出し「芯出し」を行う。次に材料を高速回転させて、鋭利な刃で規定の大きさに切削していく。

そして約300度に熱した鉛とタングステンを中に注入する。重心位置の調整が重要となるが、その手法は企業秘密だという。最後に、ハンマーヘッドとワイヤーをつなぐ吊管をネジで埋め込んで仕上げる。

球状のダクタイル鋳鉄がハンマーヘッドの原型
球状のダクタイル鋳鉄がハンマーヘッドの原型

完成したハンマーは、競技規則にある「球形の中心から6mm以内」の位置に重心があることを検査で確認できたら、国内の工場で塗装。色は、重量や種類ごとに決まっている。ハンドル、ワイヤーをつけて組み立てたものが出荷される。

材料を高速回転させて、鋭利な刃で規定の大きさに加工する
材料を高速回転させて、鋭利な刃で規定の大きさに加工する
材料を高速回転させて、鋭利な刃で規定の大きさに加工する

「工場ではコンマ数ミリ単位の高精度な調整を手作業でシビアに行っています」と木村氏。

現役選手の意見を取り入れながら、緻密な計算を繰り返して開発していると話す。そんなエピソードからも、精巧な技でこそ追求できるスポーツ用品の世界があることがうかがい知れる。

ハンマー

ただ、木村氏は「弊社はあくまで用具を提供するだけですから」と控えめに笑う。

「常に根底にあるのは、競技者へのリスペクトです。競技のお手伝いというところを自覚しつつ、少しでも記録に貢献できるようにこれからも励んでいく気持ちです」

木村氏自身も、若い頃はアスリートを目指していた人物。ニシ・スポーツでは、そんな社員が珍しくないようだ。だからこそ、選手に寄り添ったモノづくりが行えるのだろう。

ハンマー

ハンマー投げの見方が変わる

最後に、「ここを見れば面白い!」という『ハンマー投げの楽しみ方』について聞いてみた。

ハンマーを選ぶ段階で、すでに試合がはじまっていると木村氏。

「世界ランクトップの選手は、どのハンマーを使うのか?それに対して自分はどのハンマーを使うべきか?

まずは選手同士、お互いの出方を探ります。心理戦ですね」

例えば、3投目までにトップ8に残る記録を出せた選手が、4投目になり突然ハンマーを変える、というケースもあるのだとか。

「これは陽動作戦かも知れないし、単純に『違うものを投げてみようか』くらいの軽い気持ちかも知れない。

それに引きずられて、自分も違うものを投げはじめる選手もいます。

それを知ってか知らずか、最初の選手は5投目でお気に入りのハンマーに戻して、あっという間に記録を更新する。毎試合、そんな駆け引きがあります。

私としては、ベンチをずっと映すカメラが欲しいくらいです。テレビでは映らない部分も、競技会にいくと楽しめる。だから、競技場に足繁く通ってしまいます」

東京五輪に向けて、意気込みを聞くと「ニシ・スポーツでは、常にハンマーの改良を進めています。いずれ、ニシ・スポーツのハンマーで世界記録が出ると嬉しいですね」

ハンマー

過去には、こんなことがあった。女子ハンマー投げで、タチアナ・ルイセンコ選手(ロシア)がニシ・スポーツのハンマーを投げてオリンピック記録を出した。

大喜びする木村氏だったが、次の投てきでライバルのベティ・ハイドラー選手(ドイツ)がポーランドの競合メーカーのハンマーを投げて記録を塗り替えてしまったという。

アスリートがしのぎを削る舞台裏で、メーカーによる真剣勝負も熱を増している。

<取材協力>
株式会社ニシ・スポーツ
http://www.nishi.com/

文・写真:近藤謙太郎

【わたしの好きなもの】THE Cardigan

コットンカシミアの1年中使えるカーディガン


シャツの上にさっと羽織れる上質なカーディガン。
夏でもクーラーで冷える場所用に、冬はジャケットの中に1枚着ていると、とても便利。
シャツやジャケットのように、主役じゃないけどシンプルがゆえに大切な脇役。
おかげでシャツがきれいに見えたりすると、ありがたい存在。



目立たないように袖や身頃にふんわりとダーツが入っているので、身体に添うような立体的なデザインになっています。
これのおかげで、窮屈な感じがなくシャツももたつきません。



目が詰まっていて美しい網目は、薄手で軽くて肌触りがよい生地に仕上げてくれています。
さらっとししていて、編み物とは思えない軽さ。持ってもらうとみんな「軽い!」と思わず声に出るほどです。
半袖に重ね着しても、素肌に嫌な感じは全くなく、コットンとカシミアという上質な素材は、さらさらと逆に気持ちがいい。



襟の網目の切り替え部分のラインも、ぼこぼこせずに1本の繊細なラインも美しくて気に入っているところ。
Vの開き具合も詰まりすぎず、中のシャツとのバランスが丁度いい。
シンプルなものなので、細部にこだわって丁寧にデザインされているから、ずっと着ていたいと思わされる。



かばんの中に気軽に入れておけるボリュームで、持ち歩くことも億劫にならない。軽くて薄手だからジャケットを重ねても、もたつかない。長すぎず短すぎず、どこをとっても定番として文句なしの1枚。
シャツにはもちろん、ボーダーなどカジュアルなTシャツにも合わせやすい。着回しの名脇役としておすすめです。




編集担当 梅本
 

参観日には社員がいなくなる。熊本の「人が集まり続ける」竹箸メーカーの働き方

子どもが遊びにくる社内

「みきちゃん、宿題終わったの?」

夏休みも終盤に差し掛かった8月の某日。

熊本県の北西部にある南関町で「竹の箸だけ。」をつくり続けるメーカー、株式会社ヤマチクの事務所で響いていたのは、子どもの宿題を心配する声。

ヤマチク
宿題に励む“みきちゃん”

事務所の空いた机で、社員さんの子どもが宿題に勤しむ。同社では、ごく普通の光景です。

「僕も小さい頃、当時の社員さんたちに面倒をみてもらったり、宿題を手伝ってもらったりしたんです。それをそのままやっている感覚ですね」

ヤマチク三代目で、専務取締役の山﨑 彰悟さんは嬉しそうにそう話します。

ヤマチク 専務取締役の山﨑 彰悟さん
ヤマチク 専務取締役の山﨑 彰悟さん

1963年に山﨑さんの祖父が創業したヤマチク。その当時から、会社に子どもがいることは当たり前だったのだとか。

「祖父とは一緒に仕事をしたことはないんですが、やっぱりベースにあるのは、社員さんに食べさせてもらっているという感覚です。

僕らがお箸を全部つくれるわけではなく、社員さんがつくってくれたものを販売している。

僕らにできることって、気持ちよく働いてもらうことくらいしかないんですよ」

そんな社風から、子育て世代にも働きやすい職場として知られるようになった同社。

ものづくりの業界としては珍しく、26名いる社員のうち実に23名が女性。離職率も低く、高い意欲を持って長く働いてくれることで、必然的に箸づくりの技術も習熟していくんだそう。

ヤマチク
女性が多く活躍するヤマチクの工場
女性が多く活躍するヤマチクの工場

そんなヤマチクの働き方について、実際に働く人たちに聞きました。

参観日に人がいなくなる

「子どもの教育への理解があって、何かイベントがある時には休むことができるので、参観日には工場から人がいなくなったこともあります(笑)」

松原和子さんは、ヤマチクに来て24年目になるベテラン社員。一度結婚を機に仕事を辞め、育児をしながら内職をしていましたが、その発注元が倒産してしまったそう。

まだ子どもも小さく、何かしなければ、という時に知り合いから紹介されたのがヤマチクでした。面接の結果、晴れて入社することができ、今ではベテランの技で竹箸づくりを支えています。

ヤマチク 松原さん
ヤマチクに勤めて24年。技術を磨いてきた松原和子さん

社員同士が自然とカバーし合うことで、子育てをしながらも働き続けることができたという和子さん。

「参観日といっても丸ごと1日休むわけじゃなくて、半日だけ抜けて終わり次第会社に戻って来る。そうやって柔軟に働かせてもらいました。

先々を見越してもらって、子どもが大きくなったあとはフルで働いてもらえると、理解してくれていたんだと思います。

箸づくりは、すぐに覚えられるものではないし、箸の種類も変わってくるし、長くやりながら成長していくものですから」

一時のイレギュラーな状況を避けるために、優秀な社員さんを手放すのはもったいないと山﨑さんは話します。

ヤマチク 専務取締役の山﨑 彰悟さん

「“みきちゃん”くらいの年齢、小学生くらいになってくると、そんなに頻繁に風邪をひくこともありません。

子どもが本当に小さい時期をみんなでカバーして乗り越えられればいいのかなと思っています。

それと、子どもに何かあった時、経営者が『休んでいいよ』ということは簡単なんです。問題は社員さん同士の理解の部分。うちはそこがとても寛容だと思います」

実は、冒頭の“みきちゃん”は和子さんのお孫さん。孫の顔を見ながら働ける職場、うちの親が聞くと羨ましがるに違いありません。

ヤマチク
柔軟に働いてこれたと話す和子さんとお孫さんの“みきちゃん”

母娘でヤマチク社員。育児をしながら自社ブランド開発への挑戦

そんな和子さんの様子を間近で見て育ち、気づけば自身もヤマチクに入社していたのが、和子さんの娘である松原歩さん。“みきちゃん”のお母さんでもあり、この日ヤマチクには松原家3世代が勢揃いしていました。

4人の子どもを育てながら働く松原歩さん

子育て世代が多く、居心地がよいだけでなく、子育てをしながらも仕事の幅を広げられる、チャレンジができることが嬉しいと、歩さんは言います。

2018年の4月、ヤマチクの社運をかけたと言っても過言ではないプロジェクト、自社ブランド商品の開発がスタート。山﨑さんが社内でプロジェクトメンバーを募ったところ、ぜひやりたいと手を挙げたのが歩さんでした。

「今の仕事も好きだし、やりがいもあるけど、何か新しいことにチャレンジしたい!と思っていたところで、これはチャンスだと思いました」

シングルマザーとして “みきちゃん”を含めて4人の子どもを育てる歩さん。和子さんの協力もあって、1年以上かけて新プロジェクトに挑戦。コンセプト設計から商品開発にかかわり、お披露目の場となる展示会では自ら接客して自身がつくった商品の魅力を伝えました。

そして和子さんは、歩さんが出張の際には子ども達の面倒を見つつ、娘のチャレンジをサポート。

「結婚が早いと、やりたいこともやれないまま子育てが始まって、じゃあ子どもが大きくなったあとにチャンスがあるかというと分からない。

せっかくチャンスがあるんだし、一番下の子も保育園である程度育ってきたし、サポートできると思うから、やってみたらって言いました」

松原家

歩さんをはじめ、社内のプロジェクトメンバーが中心になって開発された新商品『okaeri(おかえり)』。

「家族で使って欲しいという思いがずっとありました」と歩さんが言うように、子ども用から大人用までのサイズが揃ったラインアップで、各展示会でも好評を博しています。

歩さん自身も、名入れをして友達にプレゼントして喜ばれているとのこと。

okaeri
自社ブランド商品「okaeri」

次の目標は、とあるアニメキャラクターのお箸よりも「okaeri」が人気になって、“みきちゃん”の周りの子どもたちにも使ってもらうこと、なんだとか。

「お母さんが考えて、お婆ちゃんがつくってるお箸なんだよ」と“みきちゃん”に話す姿が印象的でした。

新卒採用も開始。人が集まり続ける会社へ

子育てと仕事の両立は、単純に会社の中だけでなく家族の理解が必要な部分も多いですが、できる限り多くのことにチャレンジしてもらいたいと山﨑さんは考えています。

「仕事は、物質的な幸せももちろん追求しなければいけませんが、一方で自己実現する幸せ、そのチャンスをもっと提供したいです。

社員さんそれぞれが挑戦できる幅が、そのまま会社の幅になる。

そこで働いている人たちの集合体が会社なので、たとえば自社ブランドをつくることでその人たちが前に出て、やりがいを持ってくれれば、価値があることじゃないかと思います」

ヤマチク

同社では自社の特徴・魅力をわかりやすく伝えるために、会社案内の刷新やコンセプトムービーの作成も実施。

これについても、「最大の効果は社員さんが喜んでくれたこと」なんだそう。

ヤマチク

「自分たちの仕事が、他人から見て価値のあることなんだというのが分かったんです。

ムービーをきっかけにクリエイターさんだったりベンチャー起業の社長さんだったり、いろいろな人が工場を見に来るようになって、口々に『すごい!』と言ってもらえて。

お客様というか、他者の反応が目に見えるだけでこうも違うのか、というくらい、みんなのモチベーションアップにつながりました」

※ヤマチクのコンセプトムービーはこちら

この数年は、新卒採用にも挑戦。

「新卒の応募なんて来ない」というのが定説とされていた中で、泥臭く地元の高校すべてを周り、同社の仕事について丁寧に説明したところ、定員として設けた枠を上回る応募が来たそうです。

その後、今期で4期目となる新卒採用には、コンスタントに応募が集まっている状況とのこと。

「仕事のやりがいとか、居心地の良さみたいなものも、働く決め手になっているように感じます」

その働きやすさ、社風が評判となり、子育て世代の女性を中心に人材が集まった同社。

ある意味「働き方改革」など必要とせず、長く、意欲的に働く人たちを集めているひとつのモデルケースにも思えます。

「とにかくヤマチクが大好き」という“みきちゃん”の進路がどうなるかはさておき、新卒の若い世代も含め、今後も続々と新たな才能が集まり、竹のお箸の魅力を世界に伝える会社として成長を続ける、そんな可能性を強く感じました。

ヤマチク
松原さん一家と山﨑さん

<取材協力>
株式会社ヤマチク
https://www.hashi.co.jp/

文:白石雄太
写真:中村ナリコ

中川政七商店が残したいものづくり #01陶磁

2019年11月1日(金)にオープンする渋谷店は、「日本の工芸の入り口」をコンセプトにしたお店。
オープンまでのわずかな期間ではありますが、皆さまに「工芸」に触れて頂きたいという思いで、ものづくりにまつわる読み物をご用意しました。
しばらくの間、お付き合いください。



中川政七商店が残したいものづくり
#01陶磁「産地のうつわ きほんの一式」

商品三課 榎本 雄


昔、祖父母の家に大きな食器棚がありました。

祖父母の家は縁側と土間のある古い日本家屋で、玄関をくぐると土間が広がり薄暗くどことなくひんやりしていて遊びにいくといつも幼心にワクワクするような場所でした。
土間を渡ると離れに台所があり、そこにある大きな食器棚にはうつわが沢山つまっていました。

祖母はグリーンピース入りの肉じゃがやエビフライなど気取らない料理を作ってくれ、大きな食器棚からうつわを取り出し、盛り付けてくれました。色とりどりの料理が盛られたうつわたちをお盆いっぱいに抱えて料理をこぼさないようにと、バランスをとりながら土間の向こうに運ぶのがわたしの大切な役目でした。
土間の向こうには兄弟や従妹、叔父や叔母、両親の笑顔があふれていました。
それがわたしのうつわにまつわる幸せな記憶です。
祖父母が亡くなった今、大きな食器棚の中のいくつかのうつわはわたしの家の小さな食器棚に収まっています。


大人になりうつわに興味を持ち地元の産地を訪ねた際に、あの大きな食器棚にあったうつわと同じものを偶然見つけたことがあります。その瞬間、祖父母の家ですごした時間を思い出し嬉しいようなくすぐったいようななんとも表現できない不思議な気持ちになったことが忘れられません。
産地のうつわは美味しさだけでなく豊かな記憶を盛るうつわなのかもしれません。


日本には歴史的なうつわ産地が約30も存在するといいます。
なるほど日本の焼物産地の地図を眺めてみると内陸部の点と点を結ぶように、北から南へ産地が帯のように存在しているのがわかります。その産地をルーペで覗くように細かく観察してみると、見えてくるのはその産地に暮らし生活の生業として焼物を作っている方たちの姿です。

当たり前ですが一人ひとりの顔は違い、話される言葉も土地によって違うものです。
さらに歴史あるそれぞれの産地でこれまで作られてきたうつわを眺めて、実際に手に取ってみると、同じ焼物でも産地によってその質感や触感はまったく違うことがよくわかります。
時代によって形や色が違っていたり、同じように作られたものでも一つひとつにゆらぎがあってひとつとして同じものがない、産地のうつわの自然さに惹きつけられます。
特に、仕上がりの美しさや繊細さを競い合うようなうつわではなく、人の日々の暮らしの営みに供されるために素っ気なく作られたような日常づかいのうつわを見るとその違いが良く伝わってくる気がします。

効率化や経済競争の末、外国で作られた安価なうつわも簡単に手に入るようになった今、産地のうつわの良さや使うことの本当の価値はあまり顧みられなくなったような気がします。
そんな中で、画一的で取りつく島がないようなうつわではなく、余白を残すような良き生活のためのうつわを模索して真摯に追い求める方たちが産地にはいます。

今回わたしが企画に携わった「産地のうつわ きほんの一式 」では今の暮らしに寄り添ううつわを、日本の4つの産地のこだわりを持った作り手さんたちと制作しました。
気負わず毎日使えるうつわを目指して作りましたので気軽に生活に取り入れてもらい、それをきっかけに各地の焼物産地へもぜひ訪れてもらえたら嬉しいです。

そしてこれからも産地のうつわが使い手の豊かな記憶を盛るうつわになるといいなと思っています。  


シリーズ名:産地のうつわ きほんの一式
工芸:陶磁
産地:栃木県益子町/岐阜県東濃地方/滋賀県甲賀市/佐賀県有田町
一緒にものづくりした産地のメーカー:和田窯/作山窯/明山窯/金善窯
商品企画:商品三課 榎本雄