樽酒とはどんなお酒?樽酒づくりの秘密と楽しみ方を菊正宗に聞いた

樽酒と言えば、おめでたいもの。特別なイベントの時にだけ、鏡開きをして飲むお酒。

なんとなく、そんなイメージがあると思います。

実は、それは樽酒のひとつの姿でしかありません。

樽酒のイメージ

日本酒をうまくするための樽

そもそも、木製の樽にお酒を入れるようになったのは江戸時代のこと。

お酒を江戸に運ぶ際の容器として、それまでの壺や曲げわっぱに変わって樽が使われるようになったことが始まりです。

当時は樽に入っていることが普通だったために、樽酒という言葉も存在しなかったとか。

その後、時代が変わりびん詰めが主流になってくると、それと比較する形で樽酒と呼ばれるようになりました。

では、ただの容器として使われていた酒樽が、なぜ今の時代にも残っているのか。

答えはシンプルです。日本酒が“うまく”なるから。

樽酒とは、樽に寝かせることで木香がつき、美味しさがプラスされた日本酒のことでもあるのです。

菊正宗酒造 樽酒マイスターファクトリー

うまい酒をさらにうまくする。

そんな樽酒づくりを間近で感じられる場所があると聞き、行ってきました。

樽酒マイスターファクトリー
樽酒マイスターファクトリー

創業350年を超える菊正宗酒造が、“樽酒の魅力”を伝えるために設立した「樽酒マイスターファクトリー」。

日本有数の酒どころ 兵庫県の東灘区。菊正宗の酒造記念館に隣接する場所にあります。

菊正宗酒造記念館
菊正宗酒造記念館

同社の樽酒づくりのこだわりや製法が知れる展示のほか、樽酒に欠かせない“樽”をつくっている様子を間近で見ることができる工房です。

樽酒マイスターファクトリー
予約すれば、見学は無料

施設に入ってすぐに、あたりに満ち渡る木の香りに気づきます。檜(ひのき)ほど強い香りではないけれど、とても心地良い香り。

樽酒の樽材に使用している、奈良県産吉野杉の香りだと教えてもらいます。

樽酒マイスターファクトリー
施設内には木の香りが満ちている

日本酒に木の香りや成分をつけて美味しさをプラスする樽酒。最適な樽の素材は、使用する日本酒の特徴によって変わってきます。

菊正宗では「生酛(きもと)づくり」というこだわりの製法でつくる辛口酒を樽酒に使用しており、この辛口酒を一番うまくしてくれるのが、奈良の吉野杉なのだそう。

くぎ・接着剤を一切使わない、熟練の手仕事

節が少なく、木目がまっすぐで香りが良いことから、酒樽にもっとも適していると言われる吉野杉。

その丸太から、樽材として適した部分を切り出し、厚みと丸みを揃えた杉板を「榑(くれ)」と呼びます。

酒樽をつくる「榑(くれ)」
酒樽をつくる「榑(くれ)」

榑(くれ)を綺麗に揃えるには非常に高度な技術を要します。特に、板同士が接する側面のことを「正直(しょうじき)」と呼び、この面づくりが何より難しいんだとか。

くぎや接着剤を一切使わない酒樽づくり。すべての材料がぴったり合わさらなければ、当然、日本酒が漏れてしまいます。

酒樽は円筒状と言っても、底から上部に向かって広がっている形。なので「正直」は微妙にカーブさせておく必要があり、その仕上げは長年の経験が大きく物を言う部分です。

仮枠の中で、榑(くれ)を組み上げていく
仮枠の中で、榑(くれ)を組み上げていく
簡単に組み上げているようで、素人がやると1時間以上かかるとか
簡単に組み上げているようで、素人がやると1時間以上かかるとか

榑(くれ)を21〜22枚組み合わせて円筒状にすることで、四斗樽と呼ばれる72リットルの日本酒が入る酒樽がつくられます。

踊るように竹をまく、「箍(たが)まき」

樽を固定するのは、細く割った竹を輪っか状に結ってつくる「箍(たが)」。

樽酒マイスターファクトリー
最終的に、7本の箍(たが)をはめて完成となる

結い方も独特で、竹のしなやかさをいかしたその方法は、まるで鞭を振りながら踊っているかのよう。あっという間に竹の輪っかが出来ていきます。

樽に合わせてサイズを決める
樽に合わせてサイズを決める
箍まき
箍まき
リズミカルに竹をしならせながら、結っていきます
箍まき
まるで踊っているよう
箍まき
あっという間に仕上がっていきます

使用する竹を触らせてもらうと想像以上に硬く、とても目の前で軽々と振り回されていたものとは思えません。

この日実演してくれた樽職人の田村さん曰く、この箍(たが)をつくる工程の習得だけで4〜5年かかったそう。

樽が組み上がったあとも、内側、外側、天面、底面と各所を丁寧に削って整えていきます。

人目に触れない部分であっても美しく仕上げる
かんなで削って仕上げていく
酒樽づくり
酒樽マイスターファクトリー

榑(くれ)を削る作業は別にして、熟練の職人で樽の組み上げにおよそ30〜40分。

安定して生産を続けるには、樽職人の人数を一定数確保する必要がありますが、そこには課題も多く存在します。

※関連記事:日本酒を美味しくする「樽」づくり、継承する女性職人の目指すもの

樽職人の道具
道具のメンテナンスも樽職人の重要な仕事

樽ごとに飲み頃を見極める

さて、出来上がった樽を貯蔵する樽場に並べ、ようやく日本酒を入れていきますが、まだ気は抜けません。

樽酒
樽場に並べられた樽酒

いくら樽場の温度や湿度を調整しても、個別の樽ごとに香りのつき方は変わってきます。

樽酒マイスターファクトリー
個々の樽で、樽酒の仕上がりスピードは変わってきます

安定したおいしさを届けるために人の感覚で最適な状態を確かめる。それ以外に、樽酒の飲み頃を見極める方法は無いのだそうです。

自宅で気軽に楽しめる、びんに入った樽酒

こだわり抜いた日本酒を、わざわざ樽に移し替えてまでつくる樽酒。

こうも手間がかかっている様子を見てしまうと、やはり特別な時にだけ飲むお酒なのでは、という気がしてきます。

でも、お酒が樽で運ばれていた江戸時代には、言ってしまえばすべてのお酒は樽酒でした。

灘のお酒が船に乗せられて江戸に着くまで、約10日間。

木の香りがちょうどよい塩梅でお酒に移り、江戸の人たちは知らず知らずのうちに、木香のついた樽酒のうまさに親しんでいたわけです。

そこで、現代でも樽酒を気軽に楽しめるように、最適な飲み頃の状態のまま、びんに詰め替えられたものが「樽酒びん詰(樽びん)」 。

樽酒
びんに入った樽酒

樽酒は、貯蔵期間が長すぎると香りがつきすぎてしまう場合がありますが、びん詰めにしておけばそういったことも防げます。

杉の香りを楽しみつつ、軽やかに飲める辛口のお酒で、日本酒になじみの少ない人にも入門として人気だという、樽酒びん詰。

近年日本酒の種類がどんどんと増える中にあっても存在感は大きく、売り上げはこの10年で伸び続けているんだそうです。

酒樽づくりの現場で目にした、日々技術を磨く職人と、日本酒をうまくするための樽。

樽酒とは、職人がこだわり抜いた専用の樽に寝かせることで、美味しさがプラスされた、日常的に楽しめるお酒のことでもありました。

<取材協力>
菊正宗酒造株式会社
樽酒マイスターファクトリー
http://www.kikumasamune.co.jp/tarusake-mf/

文:白石雄太
写真:太田未来子

こちらは、2019年2月6日の記事を再編集して掲載しました。

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デザイナーが話したくなる「保存の器」


きっかけは「わがままな思い」とデザイナーの渡瀬さん。
そもそも男性がこういうものが欲しいなと思いついたことが不思議でした。

男性がひとり暮らしで、余った食事をプラスチックの保存容器で保存すると、翌日お皿に移すと洗い物が増えるのが手間だということで、そのまま保存容器からたべてしまうことがしばしば。
なかなか、ワイルドな、、、
しかし、本人もそれはそれでなんだか横着をしている後ろめたさと、きちんと食事をとっている感じがしないと思っていたみたいです。

そこで、食器として使える保存容器があったらそれが一番なのに!と思いついたんです。
ずぼらながらも食卓を充実させたい我儘な思いから、焼き物でつくる「食器としても使える保存容器」の開発が始まりました。


保存容器として、よく見かけるのは、まずプラスチック製のもの、そして琺瑯や陶磁器のもの。
陶磁器なら渡瀬さんが想像しているものに近いのではと思ったのですが、ここで「中川政七商店らしい」暮らしに馴染むデザインをしたいという渡瀬さんのこだわりが。陶磁器のものは、蓋がプラスチックのものが多いのですが、蓋も容器と同じ素材で作ることにしました。


そこで高い気密性を実現するため、選んだ産地は有田。素材には通気・吸水性が少ない磁器を用い、有田有数の成形精度を持つ生地メーカーにて「共焼き」という技術を用いて焼成しました。
急須の製造等で使われる共焼きは、蓋と身を合わせた状態で焼き上げることで、焼成時に発生する土の収縮差を抑えることで、隙間を限りなく小さくすることができます。
実際蓋をしてみると、ピタッと気持ちよくはまります。


共焼を行う場合、身と蓋の接地面の釉薬を剥ぐ必要があります。そのために行うのが蝋引き。蝋を塗ったところは釉薬が弾くことで重ねて焼いても身と蓋が付きません。蝋は筆でのせる為、分厚く塗ると蓋が入らなくなる恐れがある為、神経を使う作業です。


食器として使い、蓋をして冷蔵庫または冷凍庫で保存。翌日にそのまま電子レンジで温め直して、また食卓へ。食器と保存容器の両役を果たしてくれる器は、沢山の容量がありつつ、食卓で馴染む雰囲気にするため、鉢(どら鉢とも呼ばれる)の形に近づけました。
蓋にはリムを設けることで、取り皿として使うこともできるんです。


「日頃、いろいろな産地を巡ってと様々な発見があります。」と感慨深い渡瀬さん。
「共焼き」の事を知ったのは、実は萬古焼。急須を作る窯元で、身と蓋を合わせるためには、結構な手間や技術があることを知りました。
一方、お茶産地に伺ったときには、実は気密性の高い磁器急須が、匂いもつきにくく本来の茶の味を味わうのに適しているので好んで使っていると話を聞きました。
それらの見聞を組み合わせると、今回の保存の器は、気密性を高める共焼と磁器材を用いるのが良いのではと結びつきました。匂い移りも少ないはず。磁器は昔は高級素材で、保存容器としては使われてきませんでしたが、後世になると醤油瓶や酒瓶など保存も兼ねた容器としても活用されるようになります。

私達の仕事は、生活者としての肌感と産地の知恵を結びつけて、今の生活に活躍する道具をつくることです。とは言え、絵に描いた餅を実現するのはいつも大変で、今回も何度も試作を繰り返して完成しました。
おかげさまで保存容器のままでも後ろめたさのない食卓になり満足しています。最後は、とても満足気な笑顔でした。


※2022年4月25日に一部コメントを修正いたしました。  

【作部さんに聞きました】鹿の家族 お手玉

「これを買う人の気持ちも、あんたたちのことも考えて、頑張ってるつもりやねんで」

中川政七商店を手仕事で支えてくださる「作部(つくりべ)さん」にお話を聞きました。
ちらっと見える親鹿、子鹿の刺繍がポイントの「鹿の家族 お手玉」を作ってくださっている廣瀬さん。



-今は主にお手玉の縫製を担当いただいてますが、中川政七商店でお仕事をはじめて何年くらいになりますか?
2000年にはもうしてたかなぁ。だから19~20年はやってるんちゃうかなぁ。今まで色んなもんさせてもうてたしあんたのところの色んな人と一緒にやってきたなぁ。

-お仕事をする上でご自身のルールはありますか?
縫っていく順番かなぁ。白でしょ、それからお父さん(生成)。あ、「お父さん」て呼んでんねん。それからお嬢ちゃん(赤)、その次が弟さん(水色)、お母さん(黄色)が最後。こう呼ぶ方が何かええやろ? 愛着あんねん。



-廣瀬さんがつくるとお手玉の両端が花みたいに閉じられていて綺麗ですね。一体どうやって作っているのか、近くで見てもわかりません…。
これなぁ(、縫製の)説明書の通りにやってもこんな風には閉まらへんねんで。上手いこと出来へんから自分でも考えなあかんなぁと思って、この方法を編み出した。わたしらの時代は何もなかったからね。布団なんかでも全部自分で縫ったんやで。せやから、これは本当は布団の端を閉じるときの結び方やねん。



-そうだったんですね! 驚きました…ほかには、普段どのようなことを考えながらお仕事をされていますか?
いつもやけど、ほんまに根気がいんねん。ひとつひとつ大切にせなあかんし。せやけどこの仕事が来たら夢中になって何にも手がつかなくなるんよ。毎日、これを買う人の気持ちも、あんたたちのことも考えて、がんばって働いてるつもりやねんで(笑)

-いつも本当にありがとうございます…この仕事をやってて「よかったなぁ」と感じた瞬間はありますか?
やっててよかったこと? そりゃもうみんなええわ。出来上がったときにはものすごうれしいし、「あぁ、出来た!」て思うよ。これで休憩できるから、さ、お家の草抜きしよ! とかね。

-廣瀬さん、働きすぎですよ!(笑)
草抜きするときな、いま指がバネ指(※腱鞘炎の一種)で痛いねん、まだ治ってなくて…でもミシンの返し針はこの指で押さなあかんからなぁ。それでも仕事してんねん、好きやから。
兄弟から電話かかってきたりするやろ? そしたら「あ、姉ちゃん仕事きたな!」ゆうねん。
「なんで?」聞いたら「声がちがう」って。仕事がないときは「今日なんや暗いな。仕事ないねんな」言われんねん。
…ほら色々喋ってる間に色出来上がったで!



-(一同拍手)「ころんと綺麗!お見事です」
せやろ?
これ見て。お母さんの刺繍は、よく見ると振り返ってはんねん。きっと後ろを歩く子供たちのことを気にして…やっぱりお母さんやねんなぁって。
お父さんはぎゅっと前むいてるやろ? ほら、お嬢ちゃんも弟のこと気にして後ろ振り返って…こんな可愛いものよう考えはるなぁ、ええの考えてくれはったなぁ。和むよ、いつも。いつも私がいちばん癒されてんねんで。


お話をうかがっている間、終始にこにことされていたのが印象的な廣瀬さん。
無理なお願いをすることもあり、本当にたくさんのたくさんのお手玉をすごいスピードで仕上げてくださっています。私がいちばん癒やされてると、嬉しいお言葉に、私達が伝えきれない幸せな気持ちをいただいた時間でした。

【わたしの贈りもの】母の喜寿のお祝いに


母の喜寿のお祝いに、何か特別感のあるものを贈りたい。

毎年、母の日や誕生日は兄妹で欠かさずお祝いしてきました。
すでにいろいろ持っているから、お花や季節の果物になることも多かったのですが、
喜寿のお祝いとなると、その日の想い出になる品物を渡したいという想いがあります。

記念になるものとは?花器など飾ってもらえるもの?
それもいいのですが、しまいこまないで、使いながらその都度お祝いの日を想い出してもらえたら、私達も嬉しい。記念の日に似合う、ちょっときちんと感も伝わるものを、考えてみました。




お友達と出かけることが多い母。きれいめで落ち着いているけど、少し遊び心のある「真田紐のファスナートート」。
手織り麻のバッグはとても軽く、ファスナー付きなので安心感もあります。持ち手に真田紐を使用しているので、丈夫で手にも柔らかく持ちやすくなっています。きっと「この持ち手、実はね・・。」と自慢してくれるに違いありません。




家計簿に「食費」とは別に「嗜好品」という欄があるほど、お茶の時間をきちんと?とっている母。
ティーカップや湯呑のセットがいつの間にか数が減って、食器棚の中はバラバラの器ばかりだったり。
せっかくゆっくりお茶を飲める時間ができたんだから、自分専用に特別なカップがあってもいいのでは。
mg&gkの「フィナンシェと紅茶の器」だったら、紅茶はもちろんコーヒーもたっぷり飲めるし、お揃いの小皿にいつものお菓子をのせるだけでも、特別感が増します。吉祥文様が描かれているものなら、おめでたい日にぴったりですよね。




以前、お客様にもお母様の喜寿のお祝いにと、購入されたことを思い出し、一人だと高価だけれど、兄妹みんなで一つのものを贈るなら、皇室をはじめ数多くの著名な方々にも愛されている「前原光榮商店」の日傘も、自分ではなかなか買えない逸品として、もらうと嬉しいもの。麻生地から、少し透けて感じる日差しが、とても美しい日傘です。UVカット率100%ではないですが、顔や洋服が真っ暗にならず、柔らかな陰影になる紗の感じが大人の粋を感じます。


子どもたちと孫たちでお祝いする日を、時々想い出してくれるきっかけになって、気兼ねなくいつも使ってもらえたら、私達にとっても嬉しい贈りものになります。

 


<掲載商品>
真田紐 ファスナートート
mg&gk フィナンシェと紅茶の器 ギフトボックス入り

デザイナーが話したくなる「拭き漆のお箸」


私たちの食卓に欠かせない道具、お箸。
自分にぴったりのお箸ってなんだろう?毎日使っているのに、あらためて見つめ直してみても、これといった正解がなかったりしませんか。
そんな思いから、壮大な試行錯誤の旅がはじまってしまったデザイナーの渡瀬さんに今回は話を聞きました。




まずお箸選びの基準を調べていくと、世のお箸屋さんが唱える「長さ」という考え方があることにたどり着いた渡瀬さん。
親指と人差し指を直角に広げ、その両指を結んだ長さを「一咫 (ひとあた) 」といいます。この1.5倍にあたる、「ひとあた半」が基準のひとつになるのだとか。

ただ、この「ひとあた半」で選んだ長さのお箸が渡瀬さんにはフィットしなかったのだそう。。。




そこで、こうなったら自分でお箸の構成要素を整理した表を作って研究をすることに!
「長さ、素材、先端の形状(四角・八角)、重さ、太さ」と項目を洗い出し、それぞれの要素がどのように働いているか調べていきます。実際に比べてみると、長さ・太さ違い、形や素材違い、サイズ感と重さの違い、などによって使い勝手が変わります。
 
たしかに、私も飲食店などで出してもらうお箸が「長いな」と感じるよりも、「太さ」が気になることが多いかもしれません。持ちやすい!と思ったものに出会うとちょっと感動してしまうほど、お箸って自宅のものでもなんとなく使っているかもと気付かされます。




そうして、渡瀬さん実際に長さ・太さ違い、形や素材違い、サイズ感と重さの違いを比べてみました。
実験したサンプルってあるんですか?と尋ねたら、出てくる出てくる。
なんと!!驚きの254本です!!!目の前に並んだ量に圧倒されました。
もちろん、使い心地を検証していくうえで、実際使ってみたそうですが、その内容ももはやストイック。。
わざわざ箸使いに少し手間がかかる食材を選んで検証したとのこと。食材は、あずき、焼き魚、しらたき、うずらの卵、高野豆腐。。
毎日毎日掴んでみては、データを取り整理していく長い旅のはじまりです。




そして長い長い旅が終わり、渡瀬さんの結論がでました!
まずわかったことに「長さ」は、ほとんどの人は22センチメートルがちょうど良かったのです。実は、この22センチメートルは夫婦箸の間をとった長さであるという興味深い結果。ということで長さは一定としました。
反対に、人によって大きく好みが分かれて集約しきれない、選ぶ余地として残したほうがいい要素も見つかりました。それは、持ち手の「かたち」と「太さ」。
最初に私も書きましたが、使う前でも持った瞬間「持ちやすい」って思うんですよね。

 


そうして渡瀬さんは、自分にぴったりの「持ちごこち」を選べるお箸をつくりあげました。
「持ち手のかたち」 は「四角」「八角」「削り」の3種類から、「持ち手の太さ」 は太め・細めの2種。
素材はほどよい重量があり質感や耐久性に優れている「鉄木」
 
中川政七商店が考えるお箸選びの基準は長さではなく「持ちごこち」。
 
太さといってもよーーく見ないとわからないくらいですが、持ってみるとやっぱり違うんです。
日本一の箸の産地である福井県若狭で、職人の手によって0.1ミリ単位にまで気を配って作られています。
 



中川政七商店の店舗には、お箸のマンションのような什器に、考えぬかれたお箸たちがずらっと並んでいます。塗装も拭き漆で3色ご用意しています。
 
1、持ち手の太さを選ぶ。
2、持ち手の形を選ぶ。
3、色を選ぶ。 (拭き漆 赤・茶・黒) 
 
この中からご自分にぴったりのお箸をぜひ見つけてください。




毎日使っているお箸のことをこんなに考えつくした話を聞くと、あらためて毎日の道具だからこそ、自分の気に入ったものを心地よく使う大切さを考えさせられました。それでも、渡瀬さんは「もっともっと考えることがあったかも。」と、探究心は尽きません。
 
ちなみに渡瀬さんのお気に入りを聞いてみると「八角・太め」とのこと。
私は「八角・細め」を毎日使っています。
 


<掲載商品>
拭き漆のお箸 四角
拭き漆のお箸 八角

いま、若手陶芸家が京都を目指す理由

説明が難しい「清水焼」という焼き物

京都を代表する伝統工芸品のひとつとして知られる「清水焼(京焼)」。

名前は聞いたことがあっても、どんな焼き物か?と言われるとパッと思い浮かばない人も多いかもしれません。実は、清水焼には決まった技法やデザインがなく、原料の土や石も他産地のものを取りよせて使用しています。

そのため、清水焼と言えば、という共通のイメージが持ちにくい一方で、その多様性こそが特徴とも言える焼き物です。

現場の作り手たちは、どんな思いで清水焼を作り続けていているのか、この先にはどんな展望があるのか、取材しました。

※関連記事:清水焼が清水以外でも焼かれているわけ

五条坂を活動の拠点に選んだ陶芸家・中村譲司さん

「清水坂・五条坂は京焼の“メッカ”」という中村譲司さん。これからも五条坂近くで作陶を続けるために工房を新しくした

中村さんはまだ38歳と、陶芸の世界では若手に入ります。オブジェや器など様々なものを作り、各地での個展を成功させていています。

窯元の家に生まれたわけではなく、大阪出身で実家はおそば屋さんです。大学を出てまずは宇治・炭山で3年、そして山科の清水焼団地で2年働いたのち、五条坂近くに自分の工房を構えました。

「美術系の高校を出て、京都精華大学芸術学部の陶芸学科に入りました。炭山に行ったのも清水焼団地に行ったのも特に理由はありません。まずは、働ける場所があったからです」と話す中村さん。

「ほんの少し前まで、自分では『京焼・清水焼をやっている』という意識はなかったんですよ。オブジェなどのアートにしても器などの実用品にしても、とにかくその時々ごとに作りたいものを作っていました」とのこと。

「やはり京焼・清水焼の“メッカ”を拠点にしよう」と五条坂へ

生地に削りをかける中村譲司さん
生地に削りをかける中村譲司さん

そんな中村さんですが、工房にする物件を探すにあたり、多くの窯元が集まる清水焼団地でも泉涌寺でもなく、清水坂・五条坂にこだわりました。

その名の通り、清水焼は清水寺周辺ではじまっています。清水寺の門前として江戸時代中頃から大きくにぎわい、参拝客などへのみやげ物として焼き物が生産・販売されていた清水坂・五条坂エリアは、まさに清水焼のメッカとも呼べる場所です。

「祖父母の代を考えるとみんな京都出身なので、京都とは縁があったとは思っています。ただ、家系としては陶芸とはまったく関係ありません。何もない自分としては、『せめて陶芸の“メッカ”に行かないといけない』と思っていました」

かつて師匠が工房に使っていた五条坂近くの賃貸物件がたまたま空き家になったタイミングでそこに入り、最近になって、すぐ隣の土地を手に入れて工房を建てました。

ここに来たことはやはり正解だったと中村さんは話します。

「ほかの地域に行っていたら、ここまで色々な作家さんとは知り合えなかったし、お客さんとの出会いやつながりも少なかったでしょう」

京都の精神が焼き物にあらわれる。それが清水焼

「京都の文化や精神を吸収し、身体に染み付いてきたことで生まれる作品が京焼・清水焼だと思っています。そこには、日ごろ触れる京都の風景・空気・人などが影響しているはずです」

18歳から京都に出て、約20年。地元の大阪よりも長い時間を京都で過ごしました。

「2年前くらいから、自分のことを『京都人です』と言っていいかなと思えるようになってきました。

うまく言葉で説明できないのですが、京都に暮らしていると『この人はいかにも京都の作家だな』と思う人たちに出会います。彼らがつくるものには、どこか必ず共通するものを感じるわけです。

特徴が無いと言われがちな清水焼ですが、京都人がつくったのかそうでないのか、明確な違いがあると感じるようになりました」

自身がつくるものにも、そんな「京都の精神」が出てきたような気がするという中村さん。

いまでも『京焼・清水焼』をつくっているという意識はないそうですが、最近になってようやく、自分の作品が『京焼・清水焼』と呼ばれることには、違和感がなくなったそうです。

「五条坂近くに工房を置かなければ、そうはならなかったんじゃないかな」、と話してくれました。

中村譲司さんが、「この5年ほど、特に興味を持っている」という中国茶器。こちらはご自身の作品
清水坂
二年坂(画像提供:PIXTA)

京都陶磁器会館 林大地さんの考える京焼・清水焼の将来と問題点

京都陶磁器会館を運営しているのは、京都の陶磁器産業の振興のために設立された京都陶磁器協会です。

会館のスタッフとして業界全体に目を向けながら、自身も陶芸家として活動する林大地さんに、京焼・清水焼の現状や今後の課題を聞きました。

京都陶磁器会館の勤務の傍ら、陶芸家としての作家活動も続けている林大地さん

手仕事へのこだわりを捨てず、生き残る道を探る

「これまでの伝統は大事に、壊さないようにしつつ、しかし新しいものも作っていかないといけないところに、課題があります」

あまり知られていない京焼の特徴として、轆轤(ろくろ)も絵付けも全部手での作業ということが挙げられます。

「ほかの焼き物ならば生地は機械で作っていたり、図柄はプリントだったりも許されますが、京都ではそれは認められません。

このアイデンティティーを守りながら、価格などでも競争していかなければいけいない難しさがあります」

京都陶磁器会館の1階部分は販売のためだけではなく、そのまま京焼全般の展示スペースにもなっている。

後継者については、少しずつ明るい話も出てきているようです。

「今、京都には陶芸が学べる大学・専門学校が全部で8つあり、新人を供給する環境としては十分です。

これまでは、これらの卒業生を受け入れるべき窯元が、新しい人を採れない状態がずっと続いてきました。

しかし、業界の景気も底を打って、少しずつ上向きになってきています。『まずはアルバイトぐらいからでも、人の採用を再開してみようか』という窯元も増えており、この流れを持続させたいところです」

最近ではインバウンドの需要が急拡大しており、その影響もあるとのこと。

「海外旅行客の影響は明らかにあります。業界の景気が上向いているのも、そのおかげです。

ただ、この先も彼らが京都を訪れてくれるのか、京焼・清水焼といった伝統工芸品を買ってくれるのかは、少し用心しないといけないかもしれません」

インバウンドの好影響がある反面、国内の若者からの認知度が下がっていることに、林さんは危機感を抱いています。

「『清水焼』も、50代以上の人ならば『きよみずやき』と読んでくれますが、10代20代では『しみずやき』と呼ぶ方も珍しくありません。

若い人たちにいかに興味を持ってもらい、価値を知ってもらうのか、作り手の方達と協力しあってチャレンジしているところです」

400年の歴史を持つ京焼・清水焼は、手仕事にこだわり続け、高い技術と京都の精神性、そして多様性を持って発展してきました。時代の担い手たちは今、その魅力をいかに伝え広げていくのか、という課題に取り組んでいます。

<取材協力>
京都陶磁器会館
http://kyototoujikikaikan.or.jp/
中村譲司さん
http://george-nakamura.com/

文・写真:柳本学