「くじらナイフ」を子どもの贈りものに。ただ一人の職人が叶えた切れ味と使い心地

高知・土佐打刃物「くじらナイフ」冨士源刃物製作所 山下哲史さんの工房へ

手にすると、無性に使いたくなるプロダクトがある。土佐の刃物職人が生み出した「くじらナイフ」もそのひとつだ。

くじらを型どった、子どもが鉛筆を削るためのこのナイフは、マッコウクジラ、ナガスクジラなどシリーズ化され、その可愛らしいフォルムからプレゼントとして人気を博している。また、土佐の職人の技術が詰め込まれた実用性から、大人にも人気がある高知のお土産品だ。

くじらナイフ 完成前
完成前の「くじらナイフ」

文字を書くならシャープペンがあるし、鉛筆を削るなら自動の鉛筆削り器だってある。それでも、手にとったときに感じる重みや愛くるしいフォルムには、合理を飛び越えてわざわざ鉛筆を削りたくなってしまう。

「使っていて心地いい」。それだけで十分なときもある。

鉛筆を削るときの木屑、鉛筆がノートを滑るときの音、「あぁ、こんな匂いだった、こんな音だった」。そう思い出させてくれる。

 

そんなくじらナイフを作るのは、高知の冨士源刃物製作所の二代目、山下哲史さんだ。

くじらナイフの職人 山下さん
山下哲史さん

今回は、「土佐の匠」にも選ばれ、40年間土佐打刃物(とさうちはもの)を作り続ける山下さんの鍛冶場にお邪魔し、くじらナイフのこと、土佐の刃物のことを伺った。

ひとりの子どものために生まれたくじらナイフ

細い道を抜け、澄んだ川が流れる田舎の風景に溶け込む冨士源刃物製作所。

「やぁやぁ、よくきたね」と山下さんに迎え入れられ入った工房内では、カンカンと甲高い音が鳴り響き、すぐに気づくオイルの匂いはまさに職人の作業場。

何十年と使い続けてきたであろう機械や作業場の壁に、金属音、飛び散る火打の熱、オイルの匂い、すべてが染み込んでいるかのようだ。くじらナイフはこの小さな作業場で生まれた。

くじらナイフ の製造現場
くじらナイフ の製造現場

「市内に土佐の色々な雑貨を扱っているお店があったんだけども、そこに包丁を卸す世話をしてたんだね。ある日そこのお母さんと話をしていたら、『娘に鉛筆削り用のナイフを作ってやりたい』という話になって、たまたまね。それがきっかけでした」と山下さん。

くじらナイフ の製造秘話

「まず子供が持って一番危険なのは『突く』ことですよね。先が尖ったら危ないから、まず先は丸くしましょうと。そこからどの部分で鉛筆を削れるようにしたらいいか、どのくらいのサイズが子どもでも持ちやすいか、滑らないようにするには、など考えながら作ってました。そしたらそのお母さんに『クジラに似ていますよね』と言われたんですね」

高知の土佐湾ではクジラが多く生息し、クジラとは縁の深い街。ホエールウォッチングも高知の人気観光アトラクションとなっている。試作品のナイフのデザインが、高知のシンボルのひとつであるクジラに偶然似ていたことが、くじらナイフのはじまりだった。

くじらナイフ の製造現場
くじらナイフ の製造現場

「小さな声」に自由な鍛造で応える土佐打刃物

高知が誇る「土佐打刃物」は、江戸時代から400年続く伝統をもち、包丁から鎌、斧、鉈(なた)、鋏(はさみ)、鋸(のこぎり)、鍬(くわ)など数えきれない種類の刃物がある。

くじらナイフを製造する冨士源刃物製作所の山下さんは、鎌を専門とした鍛治職人だ。土佐打刃物で最も特徴的なのは、「自由鍛造」と呼ばれる製法。

くじらナイフ 製造現場
冨士源刃物の草刈り鎌

高温に熱した金属を丹念に、何度も叩いて延ばし広げる(火造り鍛造)ことで自由自在に刃物の形を作る。使用者の需要に合わせて山林用から農業用、狩猟用、家庭用まで、自由に形を変えるのが自由鍛造から生み出される土佐打刃物だ。

鍛冶師は原寸と形を書いた注文書だけで注文品を作ることができるが、それゆえに鍛冶師には熟練の技術が求められる。

くじらナイフ の製造現場

「カスタマイズしたものを入れたら、土佐打刃物の種類はもう数え切れませんよね。それは自由鍛造だからできることですね。プレス機での型鍛造はコストもかからず大量生産ができるけれど、ある程度の需要が見込める必要がある。自由鍛造は使う人に合わせて個別に作ることができるのが特徴なんです」

山下さんが作る山用の草刈りや鎌も、地方、さらに言うとどの山かによって、必要とされる鎌の形が異なる。

高知 くじらナイフ

「山によって草も生え方も違うんです。例えば、阿蘇山は木が少ないので大きく木を切る部分が短い鎌型を作る。紀州型は切る木が多くて草が少ないので、木が切れるように鉈(なた)のような鎌型にする、というように様々です。

それこそ同じ地域でも山によって特色も違いますし、職人の好みもあります。『ここはもっとまるく作ってください』、『途中から半分だけ曲げてください』といった、職人の需要に応えて調整して一本でも二十本でも作れるのが自由鍛造なんです」

ワンオペが生み出すクリエイティブ

土佐打刃物を生み出すか工程には、大きく分けて火造り、荒仕上げ、焼き入れ、油戻し、研磨などの作業があるが、火造り専門の職人と仕上げ専門の職人などに別れてこれらの工程を分業して行うメーカーも多い。しかし土佐打刃物は火造りから絵付けまで、職人が一貫して作業を行う。

高知
鉄を鋼で挟んだ「利器材」を釜で加熱する「火造り」の工程
高知 くじらナイフ
火入れした利器材をハンマーで叩き、伸ばしていく。
高知 くじらナイフ
加熱、鍛造を繰り返しながら丁寧に鍛造し、少しずつ鎌の形になっていく

「外注だと仕上げがどうしても荒くなる傾向が少なからずあるんです。

一丁いくら、というような出来高の外注専門の方に頼むと、その方が収入増になるから、職人さんは50丁より100丁仕上げたい。だから仕事を急いでしまい、結果、仕上げが荒くなってしまう。

外注の方もプロだからプライドはある。でも人が作るものだから気の緩みもあるし、他の外注仕事にも追われるとどうしてもね。最終的には自分でやるほうが全ての責任が自分にかかってくるので、手が抜けないんですよ。

自分で丁寧に火造りしたものの仕上げを外注で頼むと、『もっと綺麗にやってほしかったな』という場合もありえるのでね。一人でやる分には自分が納得できるものをすぐに作れますしね」

使い手の小さな声を落とし込む製法と、分業でないからこそのフットワークの軽さ、職人の技術と自由な発想が詰め込まれたくじらナイフというプロダクトが生まれたことは、決して無関係ではないはずだ。

高知 くじらナイフ
刃先を研ぐ「荒研磨」の工程
高知 くじらナイフ
鍛造工程よりも高い温度で加熱する「焼き入れ」、油で低温で加熱する「焼き戻し」を経て、砥石で「仕上げ」の工程を行う
高知 くじらナイフ
異なる砥石で、何回にも分けて仕上げを行う

伝統は、小さな営みの先に

お父さんから家業を継ぎ、約40年以上も土佐の鎌を作り続ける山下さんも、「最初は継ぎたいなんて思わなかった。成り行きですよ」と話す。

高知 くじらナイフ

「子どものころから遊びで、『これでナイフ作ってみるか』とか、竹を切って竹鉄砲や竹馬を作るとかはしてましたよね。鉈とか鋸とかの道具が家になんぼでもあったから、自分たちで遊ぶものは自分で作ってた。でも家の手伝いなんかは本当に嫌々でしたねぇ(笑)。

高度経済成長期に親父を継いで借金もして工場を作った。でもすぐに、バブルがはじけて。時代の流れや機械技術の進歩もあって林業も鋳造業も衰退するし、それは大変でしたよ」

高知 くじらナイフ
仕上げ研磨の様子

そんな「斜陽」と山下さんが言う産業の中であっても、山下さんはこれまで鎌作りを続けてきた。

「ここまで続けられたのはなんとか家族を養いたいという思いでしたよ。この仕事をやってよかったと思うのもね、やっぱり歳がいって子育てしっかり片付けてね、家でのんびり好きにできることだね。自由にね」

「伝統を守り続ける」という言葉は、若い世代や外の人間からすると聞こえもいいし、大きな思いの上に伝統が成り立つストーリーを描きたくなってしまう。

しかし「伝統」を紐解けば、そこには職人たちの営みの中にある思いが存在する。「子どもを立派に育てたい」「いいものを作りたい」。「お母さんの頼みに応えられるものを作りたい」。伝統というものはそういった小さな意志が積み重なった結果に過ぎない。

高知 くじらナイフ

土佐打刃物には、両刃(もろは)という特徴がある。これは日本刀の「しんがね」の製法が取り入れられたものだ。芯となる鋼を鉄で挟み丹念に鍛造することで、土佐刃物は自由に形を変え強靭な刃をもつことができる。より強い芯を小さなこだわりと情熱で、柔らかく、時間をかけて自由に仕上げていく。そんな職人の生き方ひとつひとつが、愛くるしい「くじらナイフ」には込められている。

高知 くじらナイフ

 

<取材協力>
冨士源刃物製作所
〒782-0058 高知県香美市土佐山田町新改184
0887-53-4508

取材・文:和田拓也
写真:uehara mitsugu

*こちらは、2018年7月2日の記事を再編集して公開いたしました。

京都で教わる、香りのイロハ。日本最古のお香屋さん「薫玉堂」に聞きました

お香と一口に言っても、線香に文香、印香、虫除け香などさまざま。

そんな日本の香り文化を、創業から420余年守り伝えて来たのが、京都にある日本最古の御香調進所、薫玉堂 (くんぎょくどう) です。

安土桃山時代文禄三年(1594年)に本願寺出入りの薬種商として現在の地に創業。

伝統的な香りを守るとともに、調香体験やお香のみならずフレグランスオイル、ハンドクリームなど、現代の暮らしに溶け込む香りを提案しています。

日本人でも意外と知らない「香りのイロハ」を教わりに、薫玉堂の本店に伺いました。

東京にある薫玉堂 KITTE丸の内店の調香体験に参加した記事はこちら:オリジナルでつくる自分好みの香り。東京駅でできる調香体験へ

ひとりひとりが、自分の香りをもっていた平安時代

「平安時代の貴族にとって自分の身につける香りというのは、とても大切なものだったのです」。薫玉堂のブランドマネージャー、負野千早(おうの ちはや)さんは話します。

「平安貴族の女性は髪も長く、いまのようなドライヤーもありません。平安時代の貴族は、神仏への祈りを捧げる清めの儀式以外で入浴する習慣があまりなかったので、お香を焚きしめて自身の香りを保っていたと言われています。

お香には体の邪気を払う力があるとも考えられていて、ある種のお守りとしても機能していたようです」

また、当時の貴族にはひとりひとりが自分の香りを持っていました。香りが男性や女性としての美の基準でもあり、香りの良い女性は美しい人だとされていたのだそうです。

源氏物語「梅枝(うめがえ)」にもあるように、練香(ねりこう)の香りを競う「薫物(たきもの)合わせ」など、多彩な趣味をもち、風流を知ることも恋愛上手の条件でもありました。

言葉に香りを添えて送る

当時の貴族は異性と手紙をやりとりする際に、香りを焚きしめて送っていたといいます。

「受け取った相手は、和歌や文字の美しさ、焚きしめられた香りの奥ゆかしさなどから相手を思ったそうですよ」と負野さん。

季節をイメージした薫玉堂の「文香」

香りを送る——。文字に香りを添えることで、言葉がより立体的に相手に伝わる気がします。特別な相手に手紙を送る折に、また年賀の挨拶に、ふと文香を添えてもいいかもしれません。

僕は秋のイチョウをイメージした文香を購入し、本の栞がわりに使っています。ページをめくるたびに届く香りが、本から伝わる文章により彩りを与えてくれるのです。

これから読書の秋でもあります。本を読む方にとっても文香は日々の読書を豊かにしてくれるかもしれません。

季節の変わり目に、衣類を守る

虫を除ける効果のある素材を使い、昔と変わらない製法で作られているのが虫よけ香です。

古い本の保存にも活躍しそうです

「フタバガキ科の常緑高木から採取される無色透明の結晶が龍脳と呼ばれていますが、単体ではなかなかパンチのある香りです。しかし他の香りに少量組み合わせるとカドがとれて、一気に香りを引き立てる存在になるんですよ。

虫除けの効果があるので、昔から『虫よけ香』や『衣香(ころもこう)』をたんすに入れるなどして使われていました」

肌寒くなって一気に衣替えの季節にさしかかってきました。

衣服を守るとともに、来年たんすから夏服を出すときにふと香りが開けば、平成の次、「最初の夏」の気分をより高めてくれるかもしれません。

香りを身につける・持ち運ぶ

香りは持ち運ぶこともで忙しい時間の合間にもリラックスすることができます。

「「仕事などで集中したい時は酒粕と乳香(フランキンセンス)、リフレッシュしたい時は柚子とパチョリの爽やかな香りのハンドクリームやソープが合っているのではないでしょうか。

仕事の合間のランチタイムにお香を焚くことは難しいですが、ちょっとした時間に手を洗ったり、ハンドクリームを塗ることはできますよね。私もよく仕事の合間にソープを使いますが、香りがリフレッシュさせてくれます」

塗香袋(左)と塗香入れ(右)

また火を使うことなく、粉状の御香を身体に塗る「塗香(ずこう)」というものがあります。

「お坊さんが身体を清めるために使っていたものですが、最近では和のフレグランスとして一般の方も使われることが増えてきました」。

「塗香」は香木の中でもっとも有名なもののひとつである『白檀』をベースに作られており、『白檀』は昔から邪気を払い体を清めると考えられていました。当時の人々は、邪気を払う香を体に身につけることで、お守りがわりにしていたのです。

現代では、近年ヴィトンなどのハイブランドが香木の一種である「沈香(じんこう)」を香水に使用したり、「白檀」もオイルを抽出して化粧品にもよく使用されているのだそう。

汗ばんだときや、お昼にリフレッシュしたいときに活躍してくれそうです。

自分の空間で香りを楽しむ

お部屋で焚くお香は、部屋を清めるために使われていた側面と、お香がもつ鎮静作用から、日常の中でもっとも時間を使う部屋の中で、気分を落ち着かせ楽しむという側面がありました。

「香木はもともと漢方に用いられるものの中から、香りの良いものが香料として使われていて、基本的にどれもリラックスしたり精神修養の作用があります。

白檀の中でもとくにインドのマイソール地方で採れる「老山白檀」は最高品質とされており、爽やかな香りで眠れないときなどにはいいかもしれませんね。

先ほどお話しした「沈香」も、心臓の動機や息切れに使われる漢方の六神丸、奇応丸などにも配合されていて、香木の気持ちを沈める作用は学術的にも認められています。

アロマになりますが、一般的にはラベンダーが睡眠に良いとも言われていますね。

とはいえ、最終的には『自分の好みの香り』にかなうものはありません。色々な香りを試してみて、自分のお気に入りを探してみるのも楽しいですよ」

もっともリラックスできる浴槽の中で使用する揉み出し式のバスソルト
温めて香りを引き出す「印香」。見た目も楽しめ、部屋に置いておくだけで気持ちが明るくなります

また、自分の家の香りは自分ではわからないものですが、お線香は焚き終わった後でも香りが残っています。これらは自分だけでなく、家を訪れるゲストへのもてなし・しつらえになるんです。

日本最古の御香調進所、香りの秘密

「近年は、良質な天然の香木が手に入らなくなってきています」と、薫玉堂の業務統括部長、山口浩樹さんは話します。

「私たちのお香は、天然の香木を使っているのですが、乱獲によって質の良い香りをもつ香木が激減してしまいました。

私がこの仕事を始めた30年前ですら、『これから香木は採れなくなる』と言われていましたが、近年はさらに顕著になってきています。

最高品質の白檀と言われているインド原産の『老山白檀』は、香木が採れるまで20〜25年以上はかかりますし、現在は資源保護の観点からインド政府が輸出量を管理しています。沈香はワシントン条約によって輸入も厳しく管理されています。

同じく、もっとも高品質な香木とされているベトナム原産の『伽羅(きゃら)』も、今ではなかなか手に入りません」

粉末状の香木に蜂蜜や梅肉を混ぜた練香(ねりこう)。製作中のものを見せていただきました

「香木によって、さらにはひとつの香木でも、場所によって香りが異なる場合があります。同じ香りの製品をつくるために調合を調整しますが、香りは計測することが不可能なので、すべて調合する人間の五感にかかっています。一人前になるまでに10年以上はかかると言われていますが、その調合の具合も、良い香りに触れる経験を積む機会があるからこそわかるもの。

植林もされていますが、どうしても天然のものに叶いません。香木の香りの奥深さがまったく違うんです」

製品の仕上げ作業の様子

「香木の調達も、商社の方々は調達ルートは持っていても、やはり香りは熟練した者でなければ違いがわかりません。ですから、香木の品質も私たちが直接現地で確かめて仕入れますし、その良し悪しを判断するために我々も常に向上しなければいけません」

「私たちは昔のものを大切につかって、現代の香りも作っています。そういった中で、微妙な変化があると、昔から毎日お使いになられているお客様は気づかれます。そういった方々の期待を裏切らないように、香りの品質を保っていかなければと常に考えています」

「香道には、『六国五味(りっこくごみ)』という考え方があります」。香道の基本を教えてくださったのは、薫玉堂の16代目であり、株式会社負野薫玉堂の代表取締役、負野和夫さん。

「室町時代に将軍の足利義政が銀閣寺を建てて、花道、茶道、能などと同じく香道を作った際に当時良質の香木がとれた場所と香りが分類されました」

「『伽羅(きゃら)』・『羅国(らこく)』・『真南蛮(まなばん)』・『真那賀(まなか)』・『寸門陀羅(すもんたら)』・『佐曽羅(さそら)』の6国と、『甘い』・『苦い』・『酸っぱい』・『辛い』・『塩辛い』の5種類に香りを分類したんです」。

塩辛い香り‥‥。一体どのような香りなのでしょうか‥‥?

薫玉堂の200年以上続く香室「養老亭」

「これらは結局、実際に香りに触れてみないとわからないかもしれませんね(笑)。またこれらも、体系立てて考えるための、香道の中での決まりごとなのです。

どこをとっても同じ香りというのが香道の前提なのですが、実際は同じ香木の中でも採取した木の箇所によって香りは様々です。

『伽羅は甘い香りだ!』と言う人もいれば『爽やかな香りだ!』という人もいる。香木ひとつずつ香りは違っているので、やはり実際に香ってみて気に入ったものを使うのが一番です」。

「私達作り手には、今までお部屋で楽しむ線香といえば太くて短いものという思い込みがありました。なので、4年前にリブランディングを考えた際に、長い線香を作るのは少し抵抗があったんです。

しかし、良いか悪いかは別にして、いまはお仏壇がある家庭が少なく、長い線香もすんなり受け入れられて、かっこいいと言っていただけるのが驚きでした。さらに、短い線香イコールお部屋焚きという先入観がないかたも多く、”お香といえば仏教”とはならないので、あくまでも香りとして、フラットに見ていただける。それが発見でもありましたね」

京都の情景をイメージした香りの線香。カラフルな色合いと可愛いパッケージの、薫玉堂の人気商品です

お香といえば、海外のものや、仏事に使うものをイメージしやすいですが、人気を博している薫玉堂の和の香りには、伝統を守る作り手としてのこだわりや、現代の暮らしに沿う香りへの工夫がありました。

少しずつ肌寒くなり、忙しない師走へと向かうこの季節。朝起きたとき、午後の休憩、お風呂や寝る前の読書の時間など、ちょっとした時間に和の香りを楽しんでみるのもいいかもしれません。

これまで知ることがなかった、「香りのイロハ」。和の香りには、日々の暮らしを少しだけ、しかし確実に豊かにする力がある。

今回薫玉堂のみなさんを訪ね、そう感じたのでした。

<取材協力>

香老舗 薫玉堂 本店

〒600-8349 京都府京都市下京区堀川通西本願寺前
075-371-0162

https://www.kungyokudo.co.jp/

取材・文:和田拓也

写真:牛久保賢二

こちらは、2018年10月25日の記事を再編集して掲載しました。知れば知るほどに奥深い香りの世界。「自分の香り」を探しに行くのも楽しそうですね。

京都の夜を照らす「京提灯」とは。老舗「小嶋商店」で知る、かたちの理由

「京都はずるい!」

この街を訪れるたびに、そう口にしてしまいます。

古くから残る寺や街並み、京料理、器、四季折々の景色。色濃く残る日本文化が今もなお紡がれる京都の街並みは、歩くだけで心踊ります。

そんな京都を歩くときに、必ず目にするのが「提灯」です。和紙に包まれた京提灯の温かい光は、この街の文化を形づくるものでもあります。

京都のことを思い出せば、かならずあの温かい灯が旅の記憶を彩っています。神社に奉納されたもの、料亭の軒先、何気なく通る小路で足元を照らしてくれるあかりにも、京都の職人たちの技術が込められています。

今回は、江戸・寛政(1789〜1801年)から続く、京提灯の老舗工房「小嶋商店」を伺い、京提灯の制作現場を見せていただきました。京都の夜をほのかに照らす美は、どのように生み出されているのでしょうか。

京提灯の老舗、小嶋商店の工房へ

京都市東山区、今熊野椥ノ森町にある「小嶋商店」。

「さぁさぁ、入ってください」

と、小嶋商店10代目の小嶋俊さん、諒さん兄弟が迎え入れてくれました。

暖簾をくぐり工房へ入ると、竹やのり、和紙の香りをふわっと感じたと思えば、目の前に巨大な提灯が。

耐震補強工事のため2年前から休館していた「京都四條南座」は、2018年11月からの営業再開が決まっています

「いま、『南座』の大提灯の制作の佳境なんです」と小嶋俊さん。

日本最古の劇場「京都四條南座」の大提灯は、多くのかたが目にしたことがあるのではないでしょうか。南座が年の瀬に行う「まねきあげ」の日に合わせた、「年に一度の、年を締めくくる大仕事」なのだそう。

お伺いしたときは、まさに最後の一枚の和紙を大提灯に貼り付ける最中でした。

小さな工房が作り続ける、「京・地張り提灯」とは?

提灯には大きく分けて2種類の提灯があります。

竹ひごを螺旋状に巻く「巻骨式提灯」と、竹ひごを一本ずつ輪にして平行に組む「京・地張り提灯」です。

「巻骨式」は催事用や装飾に多く、提灯づくりで有名な岐阜県の「岐阜提灯」に多く見られる作り方です。彫刻家・デザイナーであるイサム・ノグチの代表作「AKARI」も、岐阜提灯から着想を得ていることで知られています。

一方、京都の提灯は「地張り式」が特徴。社寺仏閣や花街、料亭など、屋内外で提灯を使用することの多い京都では、丈夫で長持ちする地張り式が多く作られています。

しかし、職人が手作業で作る地張り式はとても手がかかるため、京都市内で地張り式提灯を作製する京提灯の工房は,いまではわずか数件まで減ってしまいました。そのうちの一軒が小嶋商店です。

職人がひとつひとつ丁寧に作り上げる京提灯ができるまでを見せていただきました。まず、竹をそれぞれの提灯に合わせて細く切っていく【竹割り】です。

よくしなって折れない、皮付きのほうを使うそう。

「産地にはこだわっていませんが、強くて、しなやかな竹を使います。いい竹がないときは作れませんし、竹の質はもっとも重要な要素です」と俊さん。

丁寧に竹の節も削いでいきます

竹に細かく切れ目を入れ、あっという間に提灯の骨となります。

写真は<もみ割り>という小さい提灯のための割り方

年季の入った定規に骨をあて、提灯用の長さに切る【骨切り】。よく見ると一段一段ミリ単位で長さが異なり、1mm違うだけでも全く合わなくなるのだそうです。

切った骨を、輪っかにし、和紙で固定する【骨巻き】を行ったのち、【骨ため】という骨を真円にする作業を行います。

真円にした骨を提灯の木型にはめ込む【骨かけ】を行い、ようやく提灯の形になってきました。

京提灯の強度を左右する【糸釣り】。一本一本丁寧に糸を竹にかぐらせ、骨と骨を繋いでいきます。

素材提供:小嶋商店

骨組ができると、和紙を糊で貼り付ける【紙張り】の作業。今回は製作中の南座大提灯、最後の1枚を貼るところを見せていただきました。

最後に【字入れ】【塗り】の作業。提灯に魂を吹き込む作業です。

近年ではモダンなロゴなどを書くこともありますが、一般的な提灯には家紋を描きます。

昔はどの家庭にもそれぞれ家紋があったそうですが、「10人聞いて1、2人わかるかわからないかでしょう。年配の方でも知らない方が多いですよ」と、字入れを担当する9代目の小嶋護さん。

「家紋は何万種類とあります。いまでも知らないものがたくさんありますよ」と護さん

家紋ーー。僕も自分の家紋はどんなものか、見たことがありません。しかし、知っているだけで誇らしい気分になれる気がしませんか。すぐに自分の家紋を調べることにしました。

驚いたのは、絵だけでなく、プリントしたかと思うほどに正確で、さらに力強い文字を、護さんが手で描かれていること。

「提灯づくりを息子たちに教えたのが私なんですが、竹割りはもう私の倍の速さでやりますし、次男にクレームつけられるくらいです。ありがたいことですね。

でも字とか絵を描くのはね、息子たちには任せられない。まだまだ私がやりますよ」

護さんは嬉しそうに話します。

実は、提灯の形は綺麗な丸ではないのだそう。

「提灯って、下の方が尻すぼみに作ってあるんです。提灯って見上げることが多いので、上と下で同じ膨らみにしてしまうと、下が膨れてぼてっと見えてしまうんです。綺麗なまるっとした見栄えを出すために、わざと必ず下が細くなっていってるんですよ」

と、護さん。もちろん、字を書くときもそれを考慮して描くのだそう。

最後に提灯の上下に枠をはめ、完成です。

小嶋商店、兄の小嶋俊さん

「巻骨式と、地張り式には両方にいい部分があって、弱い部分があります。ある程度量産がきく巻骨式と比べ、僕らの地貼り式はびっくりするくらい効率が悪いものなんです。100個作ってくださいと言われるとかなり厳しいですし、それが課題でもあります」と俊さんは話します。

小嶋商店の一躍人気商品となった、地張り式で作られたミニ提灯「ちび丸」。現在、小嶋商店での体験提灯づくりで手に入れることができます

「親父も、小さい頃からそれを見ていた兄弟も、ただ地張り式が好きだったんですね。だからいまは、それをどうかっこよく見せるかを常に考えています。その方が楽しくてやりがいがありますよね」

京都の足元を照らす、京提灯。力強さが持ち味の地張り式の提灯をひとつ作るにはこれだけの手間がかかっていました。ひとつひとつの灯に作り手の思いがあり、それが京都の道を彩っているとわかると、京都の夜を歩くのがより一層楽しくなります。

何気なく通る小路の灯に京都の温かさと力強さを感じるのは、そのせいかもしれません。

 

<取材協力>
小嶋商店
〒605-0971 京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町11-24
075-561-3546
http://kojima-shouten.jp/

取材・文:和田拓也
写真:牛久保賢二

こちらは、2018年11月2日の記事を再編集して掲載しました。

いま「修業」以上に求められるもの 錫工房の清課堂が考える、日本文化の残し方

京都・寺町通りにある、天保九年(1838年)に創業の「清課堂」。数多ある金属のなかで、錆びない・朽ちない性質を持つことから縁起が良いとされ、繁栄を願う贈り物としても親しまれている「錫(すず)」を扱う、現存する日本最古の工房です。

その清課堂の七代目当主が、錫師・山中源兵衛さんです。

「錫そのものを広げていくことに興味はない」「修行の概念はもう通用しない」——。意外な言葉を発する山中さんが、清課堂の家業を継いで約30年に至るなかで考えたこと。それは、「錫」という素材そのものの良さではなく、「錫」を通して日本文化を継承し、紡いでいくということでした。

清課堂の外観

「継ぐ気なんて、さらさらなかった」

二十歳過ぎで家業に入り、清課堂で錫の伝統を紡いできた山中さんですが、意外にも「性格的にものづくりそのものには向いてない」と話します。

清課堂七代目当主・山中源兵衛さん

「私自身はこれまで責任感でこの世界で仕事をしていて、楽しいと思ったことはほとんどないんです。それこそ、継ぐ気なんてさらさらありませんでした。

当時は、『IT・インターネットが世界を変える』と社会全体が意気込んでいた時代でもありましたし、私自身もコンピューターを勉強していたこともあってエンジニアを目指していました」

天保九年(1838年)創業、現存する日本で最も古い錫工房の現当主は、なんとITの世界を志していたのです。

しかし、脈々と受け継がれる日本の文化の灯が消えゆくことを山中さんは看過できませんでした。

「親戚一同に外堀を埋められたのもありますよ(笑)。でも、この仕事に従事する方々が減り、一方で脈々と続けていく方々もいる。神社が日本各地にある一方で錫製の神具を作っている工房は、日本では我々ともう一軒しかいらっしゃらないんです。そうやって錫の伝統を紡がれている方々に対しての責任ですよね」

「修行」という概念は、いまでは通用しない

工房での錫製品の制作作業も見せていただきました

「外堀を埋められて継いだ」という山中さんですが、清課堂とともに工芸の世界に身を置いてからは約30年間が経ちます。

受け継がれる技術や専門性が色濃い工芸・職人の世界において、「修行」はワンセット。そういったイメージは私たちにも広く浸透しています。しかし山中さんは、いま求められるのは「修行」ではなく「教育による継承」。そう話します。

「一人前になるにはどれくらいの期間がかかるかというのも、私はあまり言わないようにしています。仕事ができなくても一人前だと思わないといけない。だからこそ、私たちは『教える』ということに多くの時間を割いています」

ひとつひとつが手作りだという、作業道具の金鎚

『一人前になるまで15年』と言われていた時代があったなかで、さらに早く成長できるように研修する。清課堂にとって、作るだけでなく教育をしていくことは工芸の現場が生き残るための術であります。

「昔は仕事が終わった時間に、各自が修行や勉強をしていましたが、いまはそれでは続いていかない。それが本当に正しいのかは誰もわかりませんが、事実、職人の仕事も『就労』という考え方がベースになり、時代とともに変わっています」

「材料の使い方から道具の使い方まで、若い人たちが理解でき、継承していく。そういった修行と研修制度(教育)の変化は大きいと思います。さらに、技術を視覚化してそれを蓄積、共有すること、かつそれをいつだれでもどこでも見ることが出来る仕組みが機能してはじめて、良い作品作りに結びつくと考えています。

私が仕事を始めた当時はバブル絶頂で、とにかく製品が売れたんです。そのあとすぐにバブルは崩壊しましたが、多くのメーカーさんが廃業する中で、競争相手が減ったという側面と、国内外での工芸ブームなど、様々な要素があって私たちは生き残っている。それは運が良かったことではありますが、今後もこの文化を残していくうえで、昔のように『修行』という概念は通用しないんです」

日本の文化を、世界に売り出したいとは考えていない

清課堂の酒器

工芸の世界が少しずつ再評価され、山中さんは「ここまで手仕事が注目されるとは思っていなかった」といいます。しかしそういった状況にあるなかでも、「錫という産業や製品自体を広く売り出したいとはあまり考えておらず、興味がない」。それが山中さんの考えでもあります。

「ある種の金属素材は地球上で有限で、錫もいつか枯渇しますし、元来、他の伝統的工芸品とは違い素材が地球上に自然に存在せず、それを採掘するための鉱山の開発が自然破壊につながると考えるからです。必要とされる分だけ製作したり、壊れたりなど使い終わったものが回収・再資源化できる手の届く範囲で販売したりすることが大切だと考えています」

「それよりも、自分たちが歩んできた歴史を振り返り、どうやったら日々の生活を良くできるかと考えること。そのためには、この文化を若い世代にしっかりと、丁寧に伝えたることのほうが大事だと思っています。

異なる文化圏の方々との交流や、京都から遠く離れたその地の職人たちとの協働製作の可能性を信じているので、海外での講演や清課堂の世界観を伝えるための個展などは、私たちが続けていることでもありますが、『錫そのものの良さ』というのを私たちの売り文句にしようとはあまり思っていないんです。

工芸の良さは素材だけでなく、用と美、つまり“かたちの機能性や美”の追求などといった工芸の本質を問い、極めるところではないかと思います。革新の真髄は素材とは別のところにある。もちろん素材の良さを引き出すことは大前提ですが、ゴールはそこでなく、革新がそこにあるわけでもない」

「錫もより人目に触れる素材になりましたが、“もの”というのはあくまで“もの”でしかない。私は、そこに積み重なって紐づいている知恵や工夫、思想、美学がどうしようもなく愛おしいんです。

本来、日本人の背景にはそういった美学と切り離せない茶の文化があります。現代の日本人は茶の湯にしろ、煎茶道にしろ、暮らしの中にお茶という時間がない。お湯を沸かす5分間があれば、日々はもっと豊かになる。私たちが目指しているのは、錫を通して、日々の中で失われてしまった文化の美しさを若い方々に伝えて行くということだと考えています」

長い歴史をかけて技術や感性、ノウハウが育まれ、先人たちの知恵が詰まった工芸の文化が、どんな幸せな未来を描けるか。生活、文化、風習の違いによっては廃れたものが多くあるなかで、それらの文化がもっと幸せな未来を描けたのではないか。いま残ってる文化やそこに携わるひとたちが、どうすれば幸せな将来を築けるのだろうか。山中さんは常にそう問い続けています。

そして、「私ひとり、清課堂の力だけではどうしようもない」とも。

カウンター10席の小さいお店を経営する亭主、料理長の思いまで細かく形にする少量生産が多い清課堂には、一度に1000個の製品を作ることはできません。

「セレクトショップなどでひとつ2000円くらいの製品を販売することは、たしかに多くの人の目に留まる。でも、その仕事は私たちにはできません。様々な人が自分に合ったものを自由にチョイスできる良い時代でもありますから、そういった多様な在り方がある中で、私たちも私たちにしかできない方法で、この文化を紡いでいきたいと思っています」

<取材協力>

清課堂

https://www.seikado.jp/

〒604-0932 京都府京都市中京区 寺町通り二条下る妙満寺前町462

075-231-3661

文:和田拓也

写真:牛久保賢二

大切な人へ、秋の晩酌用に贈りたい。「錫の器」の製作現場

京都の洗練された技術が詰め込まれた工芸品。

数多ある金属のなかで、錆びない・朽ちない性質を持つことから縁起が良いとされ、繁栄を願う贈り物としても親しまれているものが、「錫(すず)」です。

また、錫は不純物を吸収し、水を浄化する性質があるとされ、錫の器はお酒の味わいを柔らかくまろやかにするといわれています。熱伝導も高く、燗が早くつき、冷酒も涼やかに引き立つそう。

聞いただけでも、ゴクリと喉が鳴ってきますね。

そんな錫のプロダクトを数多く取り扱っているのが、現存する日本で最も古い錫工房である「清課堂」です。今回は、天保九年(1838年)に創業以来、変わらず寺町通りに構える清課堂の工房を訪ねました。

「清課堂」外観。屋号は、明治時代に文人画家の富岡鉄斎が付けたのだそう

馴染みのない“錫”。いったいどんなもの?

1.宗教用品・神具

2.煎茶道の茶具

3.家庭の飲食器

錫は主に、これらの用途に使われてきました。

「神具とは神前にお酒、米、塩、野菜をお供えするための器です。特にお酒は錫性のもが多い。江戸時代の中頃、町人文化が華やいで豊かになった際、神社を崇敬している商人が商いが成功しているさまを誇示するために、錫製の神具を神社にお供えするというのが流行しました。

同時に、当時は神社が経済を握っていたので、信仰心の高さをアピールして神社の庇護を受けるために、競い合って奉納していたんですね。京都の工芸の本質は、宗教と経済が密接に関わっているんです」

古来から神仏器具・酒器として使われ、寺社仏閣では錫の御神酒徳利(おみきどくり)が使われた。御神酒徳利を「すず」とよび、宮中では今でもお酒を「おすず」と呼ぶことがあるのだそう

また中国茶葉を使った“煎茶道”に欠かせないのが錫の道具です。

「千利休が伝えた茶道には陶器がセットであるように、中国茶葉が奈良時代に伝わった際、錫製の器が日本に伝わったことから、煎茶道では錫の器が主に使われます」

そして、家庭用の器としては、滅菌性や耐食性の高さから重宝されたという側面があります。

「いまでいう、ステンレス、アルミニウムですね。それが昔は錫だった。錫は鉄、銅に比べて腐食に強い金属です。食べ物を扱う飲食器にとても適している金属なんです」

そんな錫を使った清課堂の人気製品は「タンブラー」。山中さん自身も、もっとも好きな製品のひとつだそうです。

早速、その「錫タンブラー」の製作工程を見せていただきました。

「清課堂」七代目の山中源兵衛さん

錫製品づくりの現場へ

清課堂の錫製品は、まず錫の板材をタンブラーの形に型取り、金属用のはさみで切り出すところから始まります。

切り出した錫を金鎚で打ち、丸めていきます。

清課堂の錫製品には、1%の銀を含む特殊な錫が使われています。柔らかい錫に硬さと弾み(もとに戻る性質)を出し、さらに時間が経っても色がくすまず、褪せない色合いを出すことができるのだそうです。

金属は空気に触れたところが必ず酸化するため、酸化した箇所を塩酸で取り除きます。

錫は鉄や銀などと比べ融点が低く、約240℃くらいで溶ける(鉄は約1800℃、銀は約800℃)

丸めた錫の板を接合します。

他の金属製品は接合する際に、使用する金属にロウやはんだなど、低融点の接合材を使うそうです。異なる不純物が混ざるため、溶接後の仕上げ時に若干の継ぎ目が出てしまいます。

しかし、錫の場合はもともと融点が低いため、はんだやろうなどの異素材を使わずに接合でき、継ぎ目のまったくない綺麗な溶接ができるのだそう。

先端だけ3000度の火力が出る特殊なバーナー

溶接によって盛り上がった「肉盛り」を金鎚で潰し、やすりで削り取ります。

表面を横挽きろくろを使って薄く削り、より密度の高い金属にして土台を作ります。「金属を締める」という表現をするそう。すこしずつ、タンブラーの形に近づいてきました。

金鎚で打ち付け、「鎚目(つちめ)」といわれる模様を入れていきます。この金鎚でのテクスチャー作りが、山中さんが製品を作る中でもっとも大事にしている表現のひとつです。

「職人が何年か修行すれば、ひとりで製品を作れるようにはなりますが、このテイストをどの職人がやっても出すことが重要です。出来にばらつきがあってはどうしようもありません。

例えば、お店にいったら同じ味の料理が食べられますよね。料理長が決めたお吸い物の味を、新人であろうがなんだろうがその味を出さなければいけない。ただ、そこが一番難しい。職人それぞれ手の癖も、力加減も、体格も違うからです」

そのばらつきが出やすいのが、錫の器の真骨頂である鎚目なのだそうです。

ここでは、“規則的でもなく、ランダムでもないテクスチャー”を出していくのだそう。見えない部分でもありますが、個性がもっとも出る箇所ともいいます。

器の底にも、丁寧に鎚目を入れていきます。

底が出来たら、作品の魂ともいえる刻印を打ち込みます。

最後に底を接合し、美しい、銀色に輝く錫のタンブラーが完成します。

使い手に寄り添った、自由で美しい金属

錫製品には、ろくろで削り出した「挽きもの」が圧倒的に多いなかで、清課堂が作る錫製品は、金鎚を使って手作業で仕上げる「打ちもの」がメインです。純度の高い錫は柔らかく 機械仕上げに向かないため、職人が手で仕上げなければならないそう。

朝から晩まで何万回も叩く金鎚は、職人たちが自ら作ります。「金鎚を研ぐのも仕事のひとつ。毎日手入れをします」と山中さん

「素材の柔らかさは、錫の大きな特徴です。木と同じように削り出し、フリーハンドで思うがままに形を調整することができます。

一方で、型を使って製品を1000個作るといった、鋳物の量産品にできることは一切できません。どちらが正しいということではなく、大量生産のきく製造方法とはまったく異なります。沢山つくって全国のデパートで売る、ということがうちではできないんです」

「私たちの製品は、昔から料理人との密なお付き合いでつくるものがとても多い。料理人は癖や味付け、美意識がそれぞれ違います。私たちはそれにもっとも適したかたちで器を製作するんです。

例えば、お店によって提供するお酒の量がそれぞれ違いますよね。カウンター10席の小さいお店でも、他の店にないオリジナルな器を作りたい。亭主、料理長の思いを形にするために、重箱の隅をつつくような仕事ばかり。そういったものに、錫の柔軟さと、打ちものの製法が適しているんです」

“フルーティー”な?錫の香り

「金属って、実は固有の匂いがあるんですよ」。山中さんはそう話します。

「銅は少し甘い香りだったり。錫にも鉄や銅とはまた違う、個性的な香りや味があります。個人的にはフルーティーで、お酒との相性がすごくいいんです。お酒が好きなかたはぐい呑みを買っていかれることが多いですね。燗に使うのもいいでしょう」

朽ちず、錆びない、美しい錫の製品。その裏側には、職人が地道に培った確かな技術と、使い手に寄り添うことができる錫の柔らかさがありました。

柔らかいということは、傷付きやすく、へこんで形も変わりやすいということでもあります。

しかし、形を変えながら使い手の記憶を刻み、時を経てその器の味となる。その「変化する」ことが錫の魅力かもしれません。

家のベランダで、縁側で、月を眺めながら晩酌。そんな夜が気持ちの良い季節になってきました。

季節の変わり目の晩酌用に、大切なひとへの贈り物に。ぜひ錫の器を手にとってみてはいかがでしょうか。

<取材協力>

清課堂

https://www.seikado.jp/

〒604-0932 京都府京都市中京区 寺町通り二条下る妙満寺前町462

075-231-3661

文:和田拓也

写真:牛久保賢二

「あの頃は光が見えへんかった」──京都・老舗提灯屋の息子たちが逆境で灯した、現代のあかり

京都を彩る京提灯。街の至るところで目にする提灯のなかでも、ひときわモダンな空間と調和する光を放つ提灯があります。

江戸・寛政年間(1789〜1801年)から続く、京提灯の老舗工房「小嶋商店」が展開する提灯ブランド、「小菱屋忠兵衛」です。小嶋商店の跡を継ぎ10代目となった、小嶋俊さんと諒さんのご兄弟が、約5年前に新しく立ち上げました。

家業の後継ぎと現代に合わせた文化発信──。100年以上の歴史をもつ老舗がひしめく京都では、「若い後継ぎ」はさほど珍しいことではないかもしれません。また近年では、伝統文化をモダンなかたちに昇華し発信することは、文化的な豊かさで一日の長がある京都の、新たなお家芸となっているようにも感じます。

小嶋商店も、伝統工芸の後継者不足が全国で深刻な問題となるなか、若い職人が中心となって活躍して京提灯の伝統を守りつつ、「小菱屋忠兵衛」も京都の新しい提灯ブランドとして確実に認知度を上げています。

今回は、京都市内で数件のみとなった、職人が手作業で作る「京・地張り式提灯」の製法を続ける工房「小嶋商店」の小嶋兄弟を訪ね、お話を伺いました。

豊かな歴史と、その京都文化を現代に昇華させる若い後継ぎたち。

一見華やかにみえる現代の京文化の担い手たちですが、その裏には「長い歴史」だけでは語れない苦労と、京の職人たちの強い結びつきがありました。

「光がみえへんかった」

「小菱屋忠兵衛から僕たちの提灯を知ってもらえる。それがめっちゃ嬉しいんです」

取材中、小嶋商店からではなく小菱屋忠兵衛をきっかけにお二人の提灯を知ったことを伝えると、笑顔でその言葉が返ってきました。

この日は「年に一度の大仕事」、日本最古の劇場「京都四條南座」の大提灯に最後の和紙一枚を貼り付ける最中でした

一気に人気に火がついたミニ提灯の「ちび丸」や、セレクトショップのインテリアに用いた提灯や、六本木アートナイトでのインスタレーションなど、伝統的な京提灯も技法を駆使し、現代のモダンな空間に合わせた提灯を生み出している「小菱屋忠兵衛」。

しかし、ブランドを立ち上げた5年前は、かなり苦しい中での船出だったそうです。

「小嶋商店」10代目、兄の小嶋俊さん

「小菱屋忠兵衛をやってて本当によかったと思えます。この5年間、自分たちがやってきたことが間違ってなかったんやって、最近ようやく実感できるようになってて」

そう俊さんは話します。

「本当に光が見えへんかった。毎日毎日、なんなんこれ、って。自分たちが小嶋商店の家業を継ぐようになったとき本当に仕事がなくて、あの時期はかなりしんどかった。僕らが継ぐ前は、作り手はあまり表に立たないほうがいいというのが親父の考えでした。以前は自分たちの提灯も、提灯屋さんに提灯を納める、いわゆる下請けの仕事が中心でした」

それでは家族が食べていけない。なにかを変えなければいけない。兄弟の意見はそう一致していました。そんな中、ふたりがスタートしたのが「小菱屋忠兵衛」でした。

「うちは工房で、ショップを構えているわけでもない。そもそも自分たちの商品を見せる仕事もしていませんでした。何をどうやったらいいかもわからない中で、ブランドを作って、開業届けをだして、色んなところ走り回って。あの時期はだれも認めてくれないし、嫌なことも多くて自分でもモヤモヤしていた。でも『家族にご飯を食わすんや!』ってとにかくがむしゃらにやっていました」

「あれがなかったと思うとぞっとする」。がむしゃらさが偶然の10分間を生んだ

そんなおふたりが”転機”だと話すのが、3年前の偶然の出来事です。

「小菱屋忠兵衛としてのデビュー戦が、京都のセレクトショップ、『PASS THE BATON(*1)』さんのインテリアに使う提灯を製作するお仕事でした。あれがきっかけで、『いらんことせんでええねや』と思えたんです。真剣にいいもの作って飾ってもらったら、こんなにかっこよくなるんやって気づけました」

いいあかりを作り、その魅力が伝わるよう、内装などを現代の空間に落とし込んでいく。自分たちがやるべきことがはっきりしたと俊さんは話します。そんな転機となった仕事も、「とにかくがむしゃらに動いた」という俊さんの行動が引き寄せた偶然であり、必然でもありました。

俊さんは現在、44歳以下の京都の職人をつなぐ「わかば会」の会長も務めている。

「僕らがいつもお世話になっている、老舗京金網屋の『金網つじ』の辻さんという方がいらっしゃって、彼が『PASS THE BATON』をプロデュースしている、スマイルズの遠山さんを紹介してくださったんです(*2)」

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「僕らが提灯をランプシェードにするためにわからないことがあって、辻さんがランプシェードを作ってはったので、たまたま辻さんのところに聞きにいったんです。

そしたらたまたま遠山さんがいらっしゃってて、辻さんが繋いでくださった。そこからいろいろなことが動き出したんですけど、遠山さんとの出会いも10分ずれていたら今の僕たちはなかった。あれがなかったとおもったらゾッとしますよ。今ごろ潰れて終わってたかもしれない。それぐらい厳しかったんですよ。世の職人さんたち、みんなどうやって飯食ってんの?って思ってました」

*1)「NEW RECYCLE」をコンセプトにした、東京・表参道にあるリサイクルセレクトショップ。2015年に京都・祇園にオープンした。

*2) 遠山正道。スープ専門店「スープストックトーキョー」、ネクタイブランド「giraffe」などを展開する株式会社スマイルズの代表取締役。

「ほんまに、わけわからんことだらけやったなぁ」と弟の諒さん。

「それこそ僕は高卒で、経営のことなんてまったく知らんまま入って、『これはなんでこの値段なん?』って聞かれても言えない、そんな状況やった。でもそれを兄貴が試行錯誤して、いろんなとこに出向いて、周りのひとに教えてもらって、段々と掴めてきた。結局周りのひとのおかげなんです。

 世の中に出ているものって、みんながいいと思うものもあれば、そうじゃないものもあるじゃないですか。でも世に出るということは、作った人にやる気があって、それがきちんと伝わった結果やと思うんです。僕らはひたすらいいもの作るだけですけど、なんぼいいもんでも人が知らんかったら残っていかないという危機感も同時にある。小菱屋忠兵衛もそのなかでやり始めたんです」

「色んな人に『なんで違う名前?小嶋商店でええんちゃうの?』と言われたんですけど、やっぱり見え方も変えなきゃいけない。それで違うブランドにしようということになりました」。俊さんも頷きながら数年前を想い起こします。

「ほんとに周りのひとのおかげやなぁ。結局、ありがとうございますとやる気です。僕らってこれまで営業という営業をほとんどやっていないんです。でもどうにか僕らを知ってくれた方がお客さんとして発注してくれて、その人が宣伝してくれて‥‥の繰り返しで、数珠つなぎに仕事が広がっていきました。

わけわからんでも、とにかく動いてたら誰かの目に止まる。そこからだれかが力を貸してくれる。結局、僕らもそれがなかったら、本当に何にもなかった。それでもご飯たべていけるのは誰かが助けてくれたからなんです」

俊さんの結婚式で、「ハート形の提灯を作って欲しい」という要望から生まれた小嶋商店の人気商品「ちび丸」。現在、小嶋商店の提灯製作体験にて手に入れることができます。「ちび丸がは僕たちを色んなところに連れていってくれました。とても思い出深い作品です」

「親父が、最近楽しそうなんです」

「家族を食べさせられてるってものそうですし、最近そう思うことの連続なんですけど、やはり親父が喜んでることですね」

この仕事を選んでよかったと思うことーー。月並みな質問ですが、俊さんから返ってきたのはそんな言葉でした。

「最近楽しいらしいんです。いち選手(職人)として楽しくなってきてるというのは、すごくいいことだなって僕は思ってます。これまで何十年も、作った提灯がどこに使われてるかもわからない仕事を親父は黙々とやってきてた。ひたすら作って、ときには値段を買い叩かれて、親父にも色々あったと思うんです。それでも僕らを育てて」

工房を訪れて感じたのは、小嶋さん兄弟とお父さんの護さん、周りの職人さんたちの雰囲気がとても明るいということ。冗談を交えてときにやり合いながら、職人たちが二人三脚でひとつの提灯を製作する姿が印象的でした。

「家業を継ごうなんてまったく思ってなかった」という兄弟のふたりが、いまこうして小嶋商店の10代目として提灯を自らの人生にしているのは、ふたりにとっての「あたり前の風景」があったからです。

「なんで家業を継いだのかってよく聞かれるんですけど、本当に理由が特にないんですよ(笑)。『よっしゃ継ぐぞ!』っていう感じではまったくなく。本当にスルっと手伝い出した感じで。でも家に帰ってきたらみんな仕事してて、親父が仕事してる姿をずっと見てたり、仕事を邪魔して遊びに来たら『10分だけやぞ!』って遊んでくれたり。よく考えたら、親父が常に身近でした」と諒さん。

俊さんも笑ってこう話します。

「僕なんかは結構宙ぶらりんで、親父から『出ていけ!』と言われるくらいでした。結婚すると急に必死になってきてね(笑)。なんとかこれで家族食わすんやって」

子供の頃にふと手を伸ばした、親の本棚のある本やCDに影響を受けていることに、大人になってから気づくことがありませんか。それがふたりにとっては”親父の背中”だったのかもしれません。

小嶋さんたちにしてみれば当たり前なのかもしれませんが、会社員である父の仕事の姿など見ることがなかった僕には、「親の仕事を見て、それを継承する」ということが、とても新鮮に映りました。

小嶋さん兄弟だけでなく、彼らの15年来の幼馴染であり、ベルリンにて機器メーカーで会社のマネジメントを経験したのち、昨年から「小嶋商店」の一員として働く武田真哉さんも、「こどものころからここに出入りしていて、かっこいいと思っていた」と話します。

「小菱屋、小嶋商店の提灯を海外に広げていきたい」と語る武田さん

これからの小菱屋忠兵衛について、お二人はこう話します。

「小菱屋忠兵衛を多くのかたに知ってもらって、提灯を見たら小菱屋忠兵衛、小嶋商店だと、世界中のひとから思ってもらえるようにしたいですね」

新しいブランドを立ち上げ、「提灯屋のデニム」を作る計画も

「大きいビルもいらないし、工房がもうひとつあるくらいでいい。でもすごいやつらが京都にいる。そんなブランドにしていきたいと思ってます。

僕らはどこまでいっても提灯屋で、それ以上でもそれ以下でもありません。しっかり竹を割れる職人と、しっかり紙を貼れる職人、しっかり絵を描ける職人がいる、それだけを突き詰めて行きたいです。それで家族が幸せで健康に暮らすことができれば、それが一番です」

<取材協力>
小菱屋忠兵衛
http://kojima-shouten.jp/
小嶋商店 http://ko-chube.com/
〒605-0971 京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町
075-561-3546

取材・文:和田拓也
写真:牛久保賢二