独自の視点でものづくりを発信する本、IKUNAS

こんにちは。さんち編集部の西木戸弓佳です。
旅をするなら、よい旅にしたい。じゃあ、よい旅をするコツってなんだろう。その答えのひとつが、地元の人に案内してもらうこと。観光のために用意された場所ではなくて、その土地の中で愛されている場所を訪れること。そんな旅がしてみたくて、全国各地から地元愛をもって発信されているローカルマガジンたちを探すことにしました。第7回目は讃岐( 香川県 )のものづくりを紹介する本、IKUNAS( イクナス )をご紹介します。

地元のものづくりを紹介している本ということで、さんち編集部としてもとても気になっていたIKUNAS。
上質な紙に印刷された約150ページにも及ぶ冊子は、ローカルマガジンとは思えない重量感。見た目に負けず内容も深く、香川のものづくりに携わる人・物・コトが、とても丁寧に詳しく紹介されています。
例えば、2017年の4月発売の最新号は、「香川の漆」にテーマを絞って特集。伝統、製法、教育、技法、普段の使い方など、本当にさまざまな切り口で紹介され、そしてひとつひとつの内容がとても濃い。ひとつのテーマでこんなにも展開できるものか、と熱量を感じる一冊です。

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2006年にスタートしたイクナスは2009年の休刊を経て、2015年に再スタート。半年に1冊のペースで発刊されており、四国を中心とする書店や、IKUNASのオンラインストアで手に入れることができます。

発刊しているのは、香川を拠点にするグラフィックのデザイン会社・株式会社tao.( タオ )さん。グラフィックデザインを本業とする会社でありながら、冊子IKUNASの出版社でもあります。

ものづくりのローカルマガジン、どんな方が作られているのか知りたくて香川へお話を聞きに行ってきました。

お話を伺った株式会社tao.代表取締役/IKUNAS発行人の久保月さん。
お話を伺った株式会社tao.代表取締役/IKUNAS発行人の久保月さん。

伺ったのは、香川県高松市の花園町という場所。駅から少し離れたところにtao.さんの事務所はあります。ここが、冊子IKUNASが作られているデザイン会社の拠点であり、「IKUNAS g ( ギャラリー) 」という名の、冊子IKUNASで掲載した商品を紹介するギャラリーショップでもあります。 

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元、座卓屋の“秘密の花園”

「場所、分かりにくかったでしょう。ここ秘密の花園なんです」。と笑って出迎えて下さったのは、tao.代表でありIKUNAS編集長の久保月さん。この場所にギャラリーショップを作られた経緯を尋ねると、「駅からちょっと離れてるし、人通りも少ない場所。しかも長い階段の2階。表から見て何のお店か分かりにくい。お店としては好立地とは言えない条件ですが、それが逆にデザイナーとしては面白かったんです。そしてね、ここの住所は“花園”っていう町なんですけど、“秘密の花園”みたいな‥‥ちょっと隠れてて、探さないと見つからないような場所というのも気に入りました」。
“秘密の花園”らしく、扉を開けて中に入るとそこには香川の良いものがたくさん広がっています。
「あと、この場所の背景がいいんです。ギャラリーの前は空き物件で、元々は座卓屋さんが入ってたようです。内見に来た時、昔使われてた天板が転がっていたり、ロッカーや古い振り子時計がそのまま残されてるのを見て、これは使えるな。と即決しました。今の什器は、その天板をテーブルに作り変えてもらったり、什器として使ったりして、そのまま使っています」。

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工芸品の見せ方を考える実験

「IKUNAS g」は、冊子IKUNASで紹介した商品を実際に見て、買える場として2009年にスタート。
「取材で出会った物や人の中で、ストーリーに強く共感ができて、これは紹介したい!思うものだけを集めています。香川にはいろんな物産があるけれど、その中でもIKUNASの視点で選んだ、私達が本当にいいと思ったものだけを丁寧に発信していくお店です。それを面白がってくれる人が集まってくれたらいいかなって。媚びずに、自分たちのやり方を大事にしていきたい。元々、“工芸品の見せ方を変えたい”という想いが先にあって、見せ方の実験をしてるような感覚です。あんまりお店としては捉えてないかも( 笑 )ものと人を繋げる方法、見せ方のひとつとしてお店があるようなイメージです」。

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冊子もお店も「繋ぐ」ための媒体

「役割で考えると、ギャラリーも冊子も同じかもしれません。触れれるか、読めるかの違いはあるけれど、やっていることは“繋ぐ”ということ。IKUNASの活動を通してやってることは、ものと人やものともの、人ともの等を“繋ぐ”ための媒体づくりなんだと思います」。

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「IKUNAS」という“ものづくり”をしているから、共通言語で話せること。

「冊子IKUNASは、本というプロダクトを作っている感覚です。IKUNASという、ひとつのクリエイティブ。例えば紙質でいうと、この触感が良くって特別な紙を取り寄せてるんですけど、コストが見合ってないんじゃないか、重すぎるんじゃないかとかいう意見もあって議論したり。これって、例えば漆器というプロダクトを作る過程にも共通することがいっぱいあると思う。だから、工芸のものづくりの課題に向き合う時も、同じ“プロダクトを作っている人間”として話がしやすいなと思うんです。自分たちのものづくりと照らし合わせて話すと、スムーズに話が出来ることが多い気がしています」。

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工芸の現状は、どっち向いても課題だらけ。

「伝統工芸は、過去のものじゃないし、今生きてるもの。生活に根付いた“普通のもの”だったのに、いつの間にか“希少なもの”になってしまいました。身近なものじゃ無くなっちゃって距離があるのが、私的には面白くない。作ってる人たちはすごく面白いし、もっとみんな普通に面白がっていいと思うんです。だから、ここに面白いものがあるよ、いいものがあるよって常に発信をしていきたい。
あと、職人さんが持っている工芸の“技術”を、いろんなところに繋いでいくことをしています。たとえば、完成されたひとつのプロダクトだと確約された受注があるわけでも無いし、安定しない。それだと雇用にも責任が持てなくなるから続いていかない。でもその“技術”を大きな経済圏のあるところに持っていって取り入れることは出来ると思うんです。たとえば、筆を作る人がいたとして、筆そのものでは無く、筆を作る技術を活かすような。他のプロダクトと掛け合わせたりしながら、守っていけるものづくりもあると思うので、IKUNASはそこを繋いでいきたいと思っています。工芸の現状は、どっち向いても課題だらけだけど、だからこそやれることはまだまだたくさんあります。俯瞰して見て、必要なピースを掛け合わせていくような。IKUNASが関わることで、可能性の引き出しを増やしていきたいですね」。

IKUNASは、冊子やお店だけでなく、地域・社会とものづくりを繋ぐ重要な媒体として機能を果たしていました。また、作り手が持つ技術やプロダクトの魅力などの情報を整理した上で変換し、適切な形でアウトプットしていくという作業は、グラフィックデザインの背景を持つIKUNASらしい手法なのだろうと感じました。
読者と香川を深く繋げるIKUNAS、ぜひ手に取って見て頂きたい一冊です。

ここにあります。

IKUNAS g( ギャラリー )、IKUNAS公式オンラインショップ・四国を中心とした全国の書店で販売。※詳しくはIKUNAS HPをご確認ください。

IKUNAS g(ギャラリー)
香川県高松市花園町2丁目1−8 森ビル2F
087-833-1361
11:00~17:00
日祝定休
※ワークショップなどのイベント情報はHPをご確認ください。

全国各地のローカルマガジンを探しています。

旅をもっと楽しむために手に入れたい、全国各地から発信されているローカルマガジンの情報を募集しています。うちの地元にはこんな素敵なローカルマガジンがあるよ、という方、ぜひお問い合わせフォームよりお知らせくださいませ。
※掲載をお約束するものではございません。あらかじめご了承ください。

文・写真:西木戸弓佳

わたしの一皿 うりずんの頃

あたたかくなるころによく使いたくなるうつわがある。食べたい食材や料理からうつわを選ぶときもあれば、こんな風に気候やその日の天気なんかでうつわだけ先に決めることもある。みんげい おくむらの奥村です。

今日使いたいのは沖縄のガラスのうつわ。冬にガラスのうつわを使わないわけじゃないけれど、あたたかくなると手にとる数がとたんに増える。沖縄は、この時期「うりずん」という緑が濃くなる南国の春。強い太陽の光を受けて、キラキラするガラスのうつわを想像するとそれだけでワクワクしてしまう。

沖縄らしいガラス工芸と言えば、再生ガラス(リサイクルガラス)。なにかに使われたガラスを、もう一度とかして使う。たとえば、泡盛に使われる白・茶・緑などの一升ビンが、同じ色のコップや皿に。とかされたガラスがコップに変わるまではものの数分。リズミカルで見飽きない。この再生ガラスというのは世界各地にあるものだけど、戦後物資不足の中で米兵が飲んだコーラやセブンアップのビンを使ったり、と、沖縄にもずいぶん縁が深い。ちなみに、今日のうつわは奥原硝子製造所という老舗ガラス工房のもの。

個人的に特に好きで、沖縄らしいなと思うものは板ガラスから作られるこの青。窓ガラスなどに使われるもので、青いような、緑なような、やわらかい色合いがたまらない。春のやわらかな日ざしが当たるとまたこれが素朴に美しい。手を触れるとガラスにしては厚ぼったいのに驚くかもしれない。再生ガラスは強度が弱まるから、あえて少し厚い。慣れてしまうと、緊張感がなくてかえってよいもんなんです。

うつわの話はキリがないですね。そろそろ料理の話。この時期、近所の八百屋のくだもの売り場が冬にくらべてにぎやかになる。露地のビワの盛りは本当はもう少し先だけど早いものを見つけてしまって我慢ができなかった。

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くだものを料理に取り入れるとなんとなく食卓が華やぐ。昔は酢豚のパイナップルぐらいだったが(これは得意ではない)、和食なら白和え、洋風ならサラダが定番。やってみるとあまり難しいことはなく、いろんなくだものが合う。今日のビワなんかは生ハムで巻いても良いですね。かんたんで。白ワインぐびり、ぐびり。

今日は、ある土地のイタリアンシェフに教えてもらった技。イタリアンは和食に通じる、素材重視な料理だそうで、良いくだものは良いオリーブオイルと塩があればそれだけでおいしいのだそう。それに季節の柑橘でも絞れば、さらに良し。

そのままでもおいしいビワを適当に切って、塩、オリーブオイル、最後に柑橘をぎゅっと。これだけなのになぜかしっかり「料理」な気分になるのです。不思議だなぁ。良質なオリーブオイルはぜひ用意してもらいたい。ぜんぜん違いますよ。

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こんなことが果たして「技」かと言えば、教えてくれたシェフが赤面しそうですが、案外知らない人が多い。はい、僕もそうでした。

くだものを食べようと思うとやれ皮をむくのが面倒だ、とかなりがちなのですが、酒の肴をつくろうと思えば体が動く、すぐやれる。酒飲みの気持ちって不思議なもんですね。ということでこれはあたたかい日の夕方に、ちょいと乾いたのどを白ワインで潤すのにどうぞ。厚手の再生ガラスのうつわは酔っぱらって扱いが荒くなってもなかなか割れないのですよ。ふふふ。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

隠れた名店「美人亭」、雑居ビルの奥に。

こんにちは。さんち編集部の西木戸弓佳です。
旅先での晩ご飯、みなさんはどこに行きますか?グルメサイトやガイドブックで人気の有名店もいいですが、せっかくなら私は地元の人たちが普段使いするお店で、その土地の空気を味わいたい。そしてそこに、地元のお酒と美味しい魚があれば最高です。
そんなリクエストを地元の人にしてみたところ、一番に教えてくれたのがここ。香川県高松市の瓦町の繁華街から少し外れたところにある「美人亭」さんです。

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教えてもらった場所へいくと、そこはちょっと薄暗い雑居ビル。教えてもらわなかったら、見つけられなかったろうなぁ。こんなところにこそ、地元の名店は隠れているものです。
ドアを開けると「いらっしゃーい」と優しそうなおかあさん。カウンターにお邪魔します。

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お店ができたのは昭和61年。「わー、私と同い年だ!」と伝えると、「え!ママと同い年なの!」と隣のお客さん。「そんなわけないじゃないのー」と、笑うおかあさん。そうそう、この距離感が好きなのです。

見渡してみると、メニューは無さそう。カウンターに並ぶ美味しそうなおばんざいに目を向けると、「今日のおばんざいは‥‥」と説明してくれます。「鯵の三杯酢、ほうれん草のおひたし、いかなごのくぎ煮、かぼちゃ炊いたの、きゅうりとタコの酢の物」。どれも美味しそうで迷います。

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漁師さんの奥さんで、昔は一緒に漁にも出かけてたというおかあさん。瀬戸内海のお魚との付き合いはもう数十年なのだとか。カウンターの冷蔵ケースには、このあたりで捕れた新鮮なお魚が並びます。

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香川の名産イカナゴと、お刺身盛り合わせ、鯵の南蛮を注文。あれ、お魚ばっかり。追加でかぼちゃもいただきます。香川の地酒“金陵(きんりょう)”も忘れずに。
さすが、瀬戸内海の魚を深く知ってるおかあさんの魚料理は、味付けもちょうどよく、お刺身はコリコリ。もう、たまりません。
ご機嫌に料理をいただいているうちに、カウンターは常連さんでいっぱいに。いいお店にはいいお客さんが集まるのでしょうか。「この店はな‥‥」「高松はな‥‥」と、みなさんいろんなことを教えてくださいます。はじめて来た感じのしない居心地の良さ‥‥。近所にこんなお店があったら間違いなく通うだろうなぁと旅先であることが悔やまれます。

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「香川、良いところだなぁ」とは、ほろ酔いでお店を後にした時の感想。利便性の良さ、観光地としての見どころの多さ、宿泊先の快適さなど旅の評価はいろいろですが、最後に印象として強く残るのは、その土地で出会った人々なのかもしれません。
美味しい料理とあたたかい時間を、ありがとうございました。

こちらでいただけます

美人亭
香川県高松市瓦町2-2-10
087-861-0275
17:00~22:00
日祝定休

文・写真 : 西木戸弓佳

編集長・中川淳がさんち旅を薦める4つの理由

こんにちは。さんち編集長の中川です。
先日、講演の仕事で富山に行ってきました。旅のスタートの様子は昨日の記事に書きましたが、実はこの富山旅行、さんちを始めてから初めての「さんち旅」でした。
「さんち旅」(僕の造語ですが)とは「工芸産地を地元の友人に案内してもらう旅」のことです。
1泊2日の富山旅行を通じて、僕があらためて感じた「さんち旅の魅力」をお伝えしたいと思います。

まず旅程はこんな感じでした。

<初日>

新幹線で富山着、大澤さんと合流。林ショップで買い物をし、つるや本店でお昼ごはんにけんちん蕎麦を食べる。
講演まで時間があるので、世界一美しいと言われる「スターバックス 富山環水公園店」に移動し、講演の事前打合せ。

長身男子2人で仲良くデート
長身男子2人で仲良くデート
眼前に広がる美しい富岩運河
眼前に広がる美しい富岩運河

富山市立図書館にて「地域をブランディングする」セミナー。

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富山市立図書館は隈研吾さんの建築で奈良にもこういうサイズ感の人が集まる場所があるといいなーとうらやましく思う。余談ですが最近地方でいい場所だなと思う建物は大抵、伊東豊雄さんか隈研吾さんです。これはこれで問題だと思いますが。(笑)

富山市立図書館内の様子
富山市立図書館内の様子

越中八尾ベースOYATSUに移動して地元有志の方々とワークショップ。
テーマは富山ブランディング。いくつかのチームに分かれて熱い議論が交わされます。

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その後も晩ご飯を食べながら熱い話とたわいもない話をえんえんと。

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ワークショップに参加していた地元のおしゃれメガネ屋の湯島淳さんにメガネを調整してもらって就寝。

<2日目>

朝から電子部品関係の会社に勤める野田恭平さんの案内で近隣を散歩。ガイドでもないのに野田さんのうんちくが素晴らしい!

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越中八尾はかつて街道沿いの宿場町として栄え、今も昔ながらの町並みが残っており9月に行われる民謡行事「おわら風の盆」には20万人を超える人々がやってくるそう。

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少し歩いて蚕養宮にお参り。2月だったので雪の階段を登るのに四苦八苦。

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蚕の繭の形をした手水場
蚕の繭の形をした手水場

越中八尾は蚕の卵を養蚕地に出荷していた地域。蚕の卵は出荷する時に和紙に貼り付けられていたそう。蚕と売薬の包み紙という需要が八尾和紙を生んだわけです。そんな話を聞きながら坂を下って桂樹舎へ。

桂樹舎・和紙文庫の外観
桂樹舎・和紙文庫の外観

桂樹舎は昭和35年創業の型染め和紙の工房。民藝と関わりが深く、芹沢銈介(せりざわ・けいすけ)の型染めカレンダーが有名です。2階には紙にまつわる展示があり売薬と共に成長してきた八尾和紙の歴史が伺えます。

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富山に戻りCHILLING STYLEを訪問。以前に来たことがあるつもりでしたが、実は初訪問でした。(笑)

昨日の記事でも登場してくださった大澤寛さん。CHILLING STYLE店内にて
昨日の記事でも登場してくださった大澤寛さん。CHILLING STYLE店内にて

ちょうどオーバード・ホールで公開される「舞台の上の美術館Ⅱ」が準備中だったので造形作家・清河北斗さんを訪ねてお話を聞く。

そろそろお腹もすいたので、すし玉富山本店(地元の回転寿司)でお昼ごはん。
富山名物・白海老やのれそれ、氷見湾でとれる珍しい海藻・ながらもを食し大満足。海に近い、地方の回転寿司は侮れません。
その後金沢まで足を伸ばして21世紀美術館で「工芸とデザインの境目」展を見学。深澤直人さん編集の展示について深く考察し大澤さんとあれこれ議論し盛り上がる。

最後は金沢駅まで送ってもらい、中川政七商店 金沢百番街Rinto店に立ち寄って、新幹線で帰りました。

さんち旅の醍醐味 其の一
「見落としがちな場所に連れて行ってくれる」

 

普段旅先で好き好んでスタバには行きません。世界一美しいスタバが富山にあるという話は何かで見たことがありますが、そんなに都合良くこのタイミングで思い出したりしないので、一人旅であれば間違いなくスルーでした。
2日目の朝に散歩した蚕養宮も同じです。まず一人旅だと朝ぎりぎりまで寝てしまいますし、近くのそれほど有名ではない神社に雪の階段を登ってまでは絶対に行きません。(笑)

さんち旅の醍醐味 其の二
「小話が聞ける」

 

蚕養宮で教えてもらった蚕の卵と和紙の話を聞いてから桂樹舎を訪ることができたのは最高の流れでした。
氷見のブリは有名ですが、回転寿司を食べながら教えてもらった「ながらも」は知りませんでした。普段なら地味な海藻のお寿司をわざわざは注文しません。

さんち旅の醍醐味 其の三
「人に会える」

 

桂樹舎の社長のお話を伺えたのは案内してくれた野田さんと社長の息子さんが同級生だったから。現代アートに詳しくないので、清河北斗さんのことは存じ上げませんでしたが、お会いして作品の意図を自ら解説していただき(贅沢!)新たな興味が湧きました。

さんち旅の醍醐味 其の四
「次への期待感」

 

おわら風の盆のすごさを聞いて9月にまた来たいなと思いましたし、帰り際に見た立山の景色は富山の人々が口を揃えて自慢するのも理解できました。本格登山でなくとも途中まで車で行って登れば日帰りでも十分行けるよ、と聞いて次にチャンスがあればと思いました。

立山連峰の山並み
立山連峰の山並み

もちろん僕が仕事柄恵まれているのは十分に理解していますが、それでも地元の友人がいればこれほど心強い旅はありません。
僕はいつも旅をする時に宿から決めますが、たまには遠く離れた友人を訪ねるための旅もありかもしれませんね。
あなたもぜひ、さんち旅を。


文 : 中川淳
写真 : 松井睦

富山名物?「野花そば処 つるや本店」のけんちん蕎麦

こんにちは。さんち編集長の中川です。
旅をするときは事前にあの店に行きたい、この店にも行きたいと考えますが場所が離れていたりしてうまくいかないことも度々。一方で、旅が終わってから地元の友人と話をしていると「あの店に行ったのならここにも行っとかなきゃ!」ということも度々。
経験則として、たいてい名店のそばには隠れた名店があることが多い気がします。

今回は講演のために富山に行ってきました。5年ぶりの再訪です。前回はプライベートでしたが、今回は大澤寛さんと一緒。大澤さんはCHILLING STYLEという雑貨とインテリアのお店を経営されている富山出身の方です。7年来の友人でもある心強い旅のパートナーです。

CHILLING STYLE店内と、お世話になった大澤寛さん。
CHILLING STYLE店内と、お世話になった大澤寛さん。

まず向かったのは富山といえば、林ショップ!一般的に有名なお店ではないかもしれませんが、工芸・民芸好きには必訪のお店です。もちろん5年前にも訪ねています。

林ショップと林悠介さん。
林ショップと林悠介さん。

林ショップは鋳物デザイナーでもある林悠介さんが国内外から民芸と手仕事の品を集めたお店。扉を押して中に入ると上から私達を見下ろす大きなフクロウの置物がお出迎え。

見上げるとフクロウが。
見上げるとフクロウが。

店内にはセンスの良い食器やファブリック、くすっと笑ってしまうような人形たちが並んでいます。日本のものと世界各地のものが上手にミックスされた世界観。あれもこれもと手に取りながら最後にエクアドル製のフラミンゴ柄のタペストリーを購入。鳥柄コレクションがまた一つ増えました。
そしてほどよくお腹が空いたところでお昼に何を食べるのかと楽しみにしていると、大澤さんは「じゃここで」とはす向かいのお店へ。近っ!
なになに??なんのお店?見ると老舗感のある、しかしながらよくある感じの店構えのお蕎麦やさん、つるや本店。前に来た時には全く気づかなかったです。

青い屋根が林ショップ。まさに目の前です。
青い屋根が林ショップ。まさに目の前です。
つるや本店の入り口。
つるや本店の入り口。

店内に入るとお店の方との挨拶もそこそこにメニューを見る間もなく大澤さんは「けんちん蕎麦」をセレクト。ん?けんちんって富山名物だっけ??けんちんとは野菜や豆腐を炒めて汁などに混ぜる料理のことで、一説では「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったとか。特に特定地域の名物ではないようで、つるや本店では寒い時期の名物メニューなんだそうです。なるほど、これはぜひ食べなくては!

名物のけんちん蕎麦。
名物のけんちん蕎麦。

運ばれてきたけんちん蕎麦は鶏肉と根菜を中心に具沢山。少しとろみのついた汁で蕎麦へのからみもよく、ほうっほうっ言いながら箸もすすみ身体も温まりました。
帰りがけにけんちん蕎麦はいつまでやっているのですかと聞くと「大根が美味しい間」との答え。いいですね、そのアバウトな感じ。
大澤さんのおかげで前回は気づかなかった美味しい地元色溢れる美味しいお昼ご飯をいただけました。やっぱり旅は地元の友人に案内してもらうに限りますね。

野花そば処 つるや本店
〒930-0083 富山県富山市総曲輪2丁目8−15
076-421-2908


文 : 中川淳
写真 : 松井睦

デザインのゼロ地点 第3回:ライター

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」の3回目のお題は「ライター」。
禁煙推進の社会背景の中ですっかり出番が減ってしまった感がありますが、お線香や蝋燭、花火やバーベキューなど、日々の生活からイベントごとまで、意外な時にまだまだ登場の機会があったりします。
今回は「手の中で火をつける」という道具の進化と、その意匠設計の変化を題材に、デザインのゼロ地点を探っていこうと思います。

ライターという道具の定義により諸説ありますが、発明されたのはAC1700年前後と言われています。日本でも早い段階で発明されていて、1772年に平賀源内が「刻みたばこ用点火器」を作っていたという記述が残っています。

平賀源内(1728年~1780年)
平賀源内(1728年~1780年)

余談ですが、マッチの発明は1827年で、なんとマッチよりも先にライターが生まれていたそうです。自動車の原型と呼ばれる蒸気自動車の発明が1769年ですから、道具の需要と発明の相関ってすごく面白いなぁと思います。

ライターを機能で大別するとすれば、点火による分類と、燃料による分類に分けられます。点火は発火石及び放電、燃料はオイルもしくはガス。
古くは火打石のような発火石による点火方式から、最近のガスコンロのような放電による点火方式があり、燃やすための燃料もオイルを燃やしたりガスを燃やしたり。

近年のライターの製造は点火方式である発火石(フリントと呼びます)の発明からはじまります。フリントが発明されたのは1906年、(これまた意外と最近!)鉄とセリウムを主原料とした合金でした。
当時のライターは、オイルを染み込ませた芯に発火石で火をつける、という原理で、今でも目にする代表的なメーカー「ZIPPO」も同じ方式です。

いち早くライターの製造に着手したのはオーストリアのメーカー「IMCO」。
フリントの発明の翌年1907年にボタンメーカーとして創業し、1918年からライターの製造を開始。第一次世界大戦の兵士が使う道具として「イーファ」という名前のライターが開発されました。

IMCO イーファ 1920年(出典:LIGHTER MUSEUM)
IMCO イーファ 1920年(出典:LIGHTER MUSEUM)

その後(僕の中では)ライターの原型とも言える「トリプレックス」というライターが生まれます。当時、大量に生産するために考えられたであろう軽量で簡素で機能的な作りは、2012年に製造を終了するまで80年以上も基本構造の改変はありませんでした。今でも様々なメーカーから似た製品が作られています。

IMCO トリプレックス
IMCO トリプレックス

また、IMCOは老舗メーカーの中でも特に創業が早かった為、イムコの発火石や芯が後の世界基準になっていきます。

続けて革命的な発明をしたのがアメリカのメーカー「RONSON」。
1927年に、点火と消火をワンアクションで行う世界初のワンタッチライター「バンジョー」を開発します。つまり、押し込んだら火がついて、離すと火が消える、というものです。実はこれ以前のライターは、蓋を開けて火をつけて、蓋を閉めて消火する、というものでした。なんだそんなことか…と思うかもしれませんが、ライターが生まれてから100年以上、ワンタッチで点火と消火を行うという機構を考える人がいなかったのです。

RONSON バンジョー 1927年 (replica)その名の通り楽器のバンジョーから名付けられたと言われています。
RONSON バンジョー 1927年 (replica)その名の通り楽器のバンジョーから名付けられたと言われています。

そしてその後、お馴染みの「ZIPPO」の登場です。
1933年(1932年説もある)にアメリカで生まれたジッポーライターは、構造をあえてシンプルにすることで生まれた頑丈さから、一度買ったら永久保証する、という打ち出しで世界中に普及し、今でもオイルライターの代名詞的存在となっています。

ZIPPO 1933年~
ZIPPO 1933年~

フリントの発明から大量生産の為の機能的なデザイン、ワンアクションライター、そして永久保証付きの堅牢性、とそれぞれの時代に応じてデザインに変化がありましたが、さらにここから抜本的な方式の進化が起こります。
1950年代に入ってガス燃料が登場したのです。ブタンなどの可燃性ガスは低圧力で液状化し、オイルと違って臭いも少なく、ライターの燃料にはうってつけでした。(オイル燃料は放っておくと気化して中身が空になってしまうという欠点もありました)

発火石→オイル着火方式から、発火石→ガス着火方式が普及し、この着火方式の進化はライターの製法の発展にも関係していきます。

綿にオイルを染み込ませたものを覆う金属ケースから、液化ガスを入れるための完全に密閉された金属ケースへ、金属加工の技術やプロダクトデザインも進化を余儀なくされます。
金属の深絞り技術が精錬されていく中で、R形状の深絞り技術を武器に、いち早くガスライターの製造に着手したのが東京・墨田で創業した「SAROME」(サロメ)でした。

日本のメーカー・サロメ社のガスライター
日本のメーカー・サロメ社のガスライター

東京・墨田の金属加工職人の集団であるサロメ社は今でもほとんどの工程を手作業で行い、もちろん修理もメンテナンスも可能です。

サロメ社の工房道具
サロメ社の工房道具

そして、ガスライターの隆盛から十数年、さらに進化を生んだのが、放電による点火方式。一般に電子ライターと呼ばれるものです。
今度は、発火石→ガス着火方式から、放電→ガス着火方式へ変化していきました。この方式転換の中で1970年代から一気に普及したのがプラスチック製のディスポーザブルライター、俗に言う100円ライターです。

代表的なメーカーは日本の株式会社東海。1975年に日本で初めてプラスチック製のライターを開発し、あの「チャッカマン」を生んだメーカーです。

東海 電子ライター 1975年~
東海 電子ライター 1975年~

この後、更に更に、ガスの噴出を利用して混合気で効率よく燃焼するターボライターなども登場してくるのですが、長くなるのでこの辺で割愛。
とはいえ300年以上に及ぶライターの歴史の中で、化学的な要因による着火方式の変化から、所作による形状の変化、そして素材や機能、価格に至るまで様々なバリエーションと進化が生まれてきました。

しかし近年、簡単に火がつくライターは子供の着火による事故が増え、子供が火をつけられないようにするための「チャイルドレジスタンス機構」(以下、CR機構)の義務化が、アメリカでは1994年から、ヨーロッパでは2007年から、日本でも2010年からはじまっています。

簡単に火がつけられないように、ボタンが重く(固く)なっているもの、ずらしながら押すといった2つ以上の動作を同時に行うものなど、2010年以降、各社様々なCR機構を考案していますが、デザイン(問題解決方法)において僕のお気に入りは、フランスのメーカー「BIC」の製品です。

BIC社のライターは丸くプレスされた金属の板を外からはめ込むだけでCR機構を実現しています。フリント式に限ってのことですが、大人と子供の親指の腹の表面積に着目し、子供の親指の大きさでは金属の板で指が滑ってしまうけれど、大人の親指であれば今までとほとんど変わらずに火をつけることができるという機構で、金属板の付加は外観上もさほど気にならないし、おそらく他メーカーの方式に比べてコスト負担も少ない。
使い捨てということで廃棄と再生の循環が社会的にも最大の懸念点ですが、現時点で僕にとってのデザインのゼロ地点に最も近いライターはこれだなぁと思っています。単純に外観形状が好きなのも理由の一つですが。

BIC社のライター。回転するフリント部分に金属板を付加している。(出典:3NTA)
BIC社のライター。回転するフリント部分に金属板を付加している。(出典:3NTA)

如何に簡単に火をつけるか、という機能の進化は、歴史上の課題から生まれたデザインの進化でもありますが、問題解決というのは常に新しい課題を生むものです。上記のライターの例は、機能的な問題解決が、文化的な課題を生んだ形になります。そう考えると、ものづくりやデザインのゼロ地点の探求も終わりがない旅と言えるかもしれません。

 

ライターにおけるデザインのゼロ地点、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
株式会社サロメ
株式会社東海
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
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大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介