わたしの一皿 たまには失敗

最初にあやまっておきたい。ごめんなさい。今月は料理の仕上がりがイマイチなのです、とほほ。とほほほほ。みんげい おくむらの奥村です。

食材の色をいかした煮物は、薄口醤油か白醤油が良いのだけど、すっかり切らしていた。あー残念。味はよいのに真っ黒じゃないか。家の料理なのでそういうこともある。ありますよね。前向きにいきましょうか。味はよかったのですよ、実に。

春は苦味の野菜や山菜の季節。きびしい冬が終わり、ぐぐっと伸びてきた緑に苦味がある。これってなんだかすてきじゃないですか。きっとこの苦味には意味がある。口にすればおいしいし、身体をどこかきれいにしてくれるような気がするから。

ということで今月は「ふき」。緑がきれいな食材です。北海道から沖縄まで全国で見られるふき。しかもそこら中にあるので昔からなかなか優秀な春の食材だったのだったんじゃないでしょうか。板ずりして、塩つきのままゆでて、冷水にとり、皮をむく。下ごしらえがちょっと面倒なのは季節食材のかえってよいところじゃないかとも思えます。できあがりがますます楽しみになるから。

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小さいころは、ふきってなんともぼんやりとした、あってもなくてもよい食べ物じゃないかと思っていたけれど (ストロー状の食べ物って子供心に楽しいものだけど、なぜかふきはそこまで気持ちが上がらなかった) 、大人になってくるとしみじみ美味しい。むしろ好んで食べたいと思うばかり。

ふきに合わせたうつわは丹波のもの。丹波立杭焼 (たんばたちくいやき) は六古窯の1つで、長い、長い歴史をもつ。このうつわは俊彦窯という窯で焼かれたもので黒い釉薬が掛かっている。黒いうつわも良いもんです、と、この連載で黒いうつわを使うのは二回目。黒い釉薬から時折、赤ともオレンジとも思えるような土の表情が見えます。鉄分の多い土が焼成によってこういう色になっているんです。そのちょっとした表情がまたこのうつわのよいところ。黒なのに強さや暗さは感じない。どこかぼってりと田舎っぽいおだやかな雰囲気がする。民藝のうつわのよさ、というのはまさにこういうところ。

そうそう、丹波というのは兵庫と京都にまたがっている地域ですが、焼き物の丹波は兵庫。丹波篠山と言えば「あっ」と思う食いしん坊がいるかもしれない。黒豆、松茸、栗に猪にワインに‥‥。そう食材の宝庫。そんな土地だから、山が美しいんですよね。大阪からも神戸からも遠くないのにまるで別世界。そろそろ窯元の工房の中にツバメが巣をつくりにやってくる頃かな。

そんな場所で作られるうつわなので、ふきだったり他の山菜だったり、山の食材にもよく似合うのは当然かもしれない。

ところでこのかつおぶしたっぷりに煮る煮物は、ふきの、苦味があるのにどこか柔らかさや丸さがあるという不思議な味わいと、かつおぶしに醤油というわれわれが慣れ親しんだ和食の基本の味わい。どこかなつかしさと、奥ゆかしさや余韻を感じるという、まさに日本の味、日本らしさなんじゃないかと思います。ずーっと伝えていきたい味わいです。

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ふきの煮物がうれしいのは冷めてもおいしいこと。作って2日目、3日目ぐらいには、お腹が空いてきた夕方、ホウロウ容器からこれをちょっと取り出してうつわに移し、冷たいままでとりあえず。ちょいとおちょこ一杯の日本酒でもやれば、エンジン掛かって夕飯のしたくも加速します。

そんなだから、何日か持つからと思ってある程度たくさん作るのだけど、すぐなくなってしまう。春はつくづく食いしん坊にはうれしい季節です。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の3分の2は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

由比ヶ浜の風を感じる古民家で、打ち立ての蕎麦をいただく 鎌倉 松原庵

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。

旅に出かけたら、何をいちばん優先しますか?やっぱり「食」と答える方が多いのではないでしょうか。

でも、ガイドブックに大きく載っているお店だけでは物足りない。地元の人たちおすすめのお店で、その土地の空気を味わいたい。そしてそこに、地元のお酒と美味しい肴があれば最高ですよね。

今日は由比ヶ浜駅から程近い「鎌倉 松原庵」さんを訪ねました。

鎌倉駅から江ノ島電鉄に乗り換え、のんびり揺られながらもあっという間に由比ヶ浜駅に到着です。由比ヶ浜駅から徒歩2~3分、こんなに閑静な住宅街の中にお店がある‥‥?と少し心配になりますが、すぐに「鎌倉 松原庵」の看板が見えてきます。

大きなのれんをくぐって敷地内へ。古民家の落ち着いた雰囲気の中にあたたかみのある照明が効いています。景色も含めて素晴らしい晩酌の時間になりそうです。

正面入口の小道
正面入口の小道

店内は全部で70席あり、テーブルと座敷、テラスがあります。今回は座敷に通していただきましたが、夏~初秋のテラス席も格別だとか。冬場も利用は可能で、ストーブとブランケットが用意されています。

趣のある店内。縦型の2枚の絵は信州を中心に活躍する田嶋 健さんによる作品
趣のある店内。縦型の2枚の絵は信州を中心に活躍する田嶋 健さんによる作品
夜のテラス席の様子
夜のテラス席の様子

鎌倉 松原庵さんは、2007年3月に開業されました。きっかけは“築70年の古民家があるのでそこを蕎麦屋にしませんか”というお話があったからだそうです。

松の木をはじめとした自然を含めた環境と建物の調和が取れていたため、なるべくその状態を活かした店づくりを心がけていらっしゃいます。店内に入ると、あたたかな品格もありながら、まるで誰かのお家にお邪魔しているかのような居心地です。

いよいよ、晩酌です

「旬菜三点盛り」と人気の「すだち鬼おろしそば」、神奈川のおすすめの日本酒を注文します。

お通しは、きゅうりに醤油豆をのせたもの。甘じょっぱい味が晩酌にぴったりです。ちなみにこの醤油豆は系列店の「酢重正之商店(すじゅうまさゆきしょうてん)」で販売されています。

どんなお酒とも相性が良さそうな醤油豆です
どんなお酒とも相性が良さそうな醤油豆です
左からアスパラガスと筍の天婦羅、うどのきんぴら、ほうれん草と春菊のおひたし
左からアスパラガスと筍の天婦羅、うどのきんぴら、ほうれん草と春菊のおひたし

「旬菜三点盛り」は、季節によって内容が変わることもあるそうです。今回は春の味覚が満載でした。

塩でいただくアツアツの天婦羅と、ピリっと甘辛いきんぴら、出汁のきいた優しい味のおひたしと3種がバランス良く楽しめます。天婦羅には、鎌倉ならではの海鮮あられ揚げもおすすめです。

キリリと冷えた日本酒とお蕎麦の相性は最高です
キリリと冷えた日本酒とお蕎麦の相性は最高です

日本酒は「天青 風露 特別本醸造」。とても飲みやすく、後味がサッと辛口の美味しい日本酒でした。

つゆがキラキラと輝いていました‥‥
つゆがキラキラと輝いていました‥‥

「すだち鬼おろしそば」は、すだちのさっぱりとした苦味と蕎麦のつゆ、大根おろしが絡み合って、人気が高いのも大きく頷けます。

お、美味しい!蕎麦は細めの二・八の田舎蕎麦で、喉越しがよく風味が豊かなことがひとつの特徴の蕎麦です。その日に食べる分だけ、店内で手打ちをするそうです。

鎌倉 松原庵さんのお料理へのこだわりが、“蕎麦前”という江戸時代からの粋な蕎麦の食べ方にあります。この食べ方をお客様に味わっていただくために一品料理の品揃えにも注力されているとか。

「ご友人やご家族と、会話を楽しみながらお酒に合う一品料理をつまみ、最後に蕎麦で〆る、という時間を鎌倉 松原庵の空間とともにお楽しみいただけると幸いです」とのこと。

お料理の器も、日本全国から選りすぐりの作家による作品で、調度品としてよりも、実際に盛り付けたときに美しくなるものを選んでいるそうです
お料理の器も、日本全国から選りすぐりの作家による作品で、調度品としてよりも、実際に盛り付けたときに美しくなるものを選んでいるそうです

料理、空間、サービスといったすべてが、お客様の邪魔にならないよう、昔からこの場所を知っていたかのような雰囲気づくりを心がけていらっしゃるということを聞いて、最初に感じた居心地の良さに結びつきました。

人気のお店ではありますが、今の時期からあじさいが咲く頃までは比較的落ち着いているようです。併設のカフェも同じく居心地が良く、あっという間に時間が経ってしまいますよ。平日の夜に行かれることをおすすめします!

こちらでいただけます

鎌倉 松原庵
神奈川県鎌倉市由比ガ浜 4-10-3
TEL 0467-61-3838

<アクセス>
「江ノ電由比ヶ浜駅」から徒歩3分
<営業時間>
11:00 ~ 22:00(21:00 LO)
<定休日>
なし


文:山口綾子
写真:鎌倉 松原庵 / 山口綾子

デザインのゼロ地点 第4回:バスクシャツ

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」の4回目のお題は「バスクシャツ」。
バスクシャツと聞いてまず最初にイメージするのはボーダー柄でしょうか。他にも海だったりフランスだったり‥‥もしかしたらパブロ・ピカソだという方もいらっしゃるかもしれません。

写真家ロベール・ドアノーが撮ったパブロ・ピカソのポートレイト
写真家ロベール・ドアノーが撮ったパブロ・ピカソのポートレイト

ピカソのトレードマークであり定番服だったバスクシャツとは、編物で作られた生地にボートネックと呼ばれる横に広い襟、少し短めに切り落とされた袖口で、青と白のボーダー柄、といったイメージが一般的なようです。ピカソの他にも小説家のアーネスト・ヘミングウェイや服飾デザイナーのジャン=ポール・ゴルチェなど、バスクシャツは歴史の賢人たちに愛されてきました。今回はそのバスクシャツの由縁やその歴史が生んだ形状・機能を題材に、デザインのゼロ地点を探っていこうと思います。

日本ではバスクシャツと呼ばれ定着していますが、実はフランスではその呼び名は通用しないようで、ブルトンマリンとかマリニエールといった呼ばれ方をするそうです。日本での呼び名に関しては、ヘミングウェイの小説「海流のなかの島々」の中でバスクシャツという和訳が出てきたことから、とも言われているそうです。「バスク」とはフランスとスペインにまたがる地域の名称。ピレネー山脈の麓からビスケー湾に面した地域を指します。

赤く塗られた地域がバスク地方
赤く塗られた地域がバスク地方

このバスク地方が発祥のバスクシャツですが、16世紀頃に船乗りたちが愛用していたウールやコットン素材の手編みのものが起源だと言われています。

強い海風から身体を守るニット生地、濡れても着脱しやすい横広のボートネック、作業時に器具に引っかけない為の七分袖、そして海で発見されやすくする為にボーダー柄が採用された、実に機能的にデザインされた仕事服だったのです。

船乗りの仕事服としてはイギリスのガンジーセーターと並ぶオリジンとも言えそうです。ガンジーセーターとバスクシャツ、もちろん関連性は何もないのだとは思いますが、海峡を境にした近い地域で同じくらいの時期に似たものが作られていたという史実に、モノづくりの発展や進化の不思議がありそうで興奮しますね。(別途調べてみます)

そして、この機能的にデザインされた船乗りの仕事服は1850年代からフランス海軍の制服として採用されはじめます。バスクシャツの生産を含む繊維業も産業革命以降は紡績や染糸が急速に機械化され、19世紀から20世紀にかけてメーカーがOEM(他社ブランドの製品を製造すること)で海軍に制服を供給する流れになったのです。

1910年代のフランス海軍
1910年代のフランス海軍

そして、船乗りの仕事服から海軍の制服へと変化したバスクシャツが、ファッションとして脚光を浴びたのは 1923 年のこと。アメリカ人の芸術家ジェラルド・マーフィーが南仏にある船乗り専門の卸問屋で、この白と青のボーダーのカットソーを発見し、その着ている姿が同じく高級リゾートでバカンスを楽しんでいた人々の注目を集めたことが発端で、1930 年代から 1940 年代にかけて欧米のリゾート地で大流行することになったのです。

そこから現代に至るまでファッションアイテムとして愛されてきたバスクシャツ。代表的なメーカーとしては、フランス北部ノルマンディー地方のセント・ジェームスや、リヨンで生まれたオーシバル、ブルターニュ地方のルミノアなどが挙げられます。

セント・ジェームス(1889年〜)出典:http://www.shop-st-james.jp/index.html
セント・ジェームス(1889年〜)出典:http://www.shop-st-james.jp/index.html
オーシバル(1939年〜)出典:http://bshop-inc.com/brand/36/
オーシバル(1939年〜)出典:http://bshop-inc.com/brand/36/
ルミノア(1936年〜)出典:labelleechoppe.fr
ルミノア(1936年〜)出典:labelleechoppe.fr

どのメーカーもその時々でフランス海軍に制服としてOEM供給していた名門で、今でもフランスで生産しているそうです。ミリタリーをモチーフとしながらも爽やかな海の印象を与えるバスクシャツたちなのですが、冒頭に申し上げた「船乗りの機能的な仕事服」をモチーフにしたバスクシャツも実は存在します。

フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr
フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr

1927年にブルターニュ地方のカンペールで生まれた「フィルーズ・ダルボー」。写真のブランドロゴからも読み取れるように、フィルーズ・ダルボー社のあるブルターニュでは、地元の漁師達が海に出て仕事をしている合間に、その妻たちが夫の帰りを待ちながら糸を紡ぎ、その糸を用いてセーターを編むというライフスタイルがあったそうです。

その文化の継承を軸に、他とはちょっと違った製法で生地を作っています。横方向に糸を編みこんでいく「横編み」というそのまんまの名前の製法なのですが、この横編み製法は組成が複雑で、薄い生地を作るのには適していない代わりに、糸をたっぷりと使用したふくらみのある生地に仕上げることができ、身幅方向への伸縮性が最も高いそうです。機械生産ですが手編みに程なく近い製法でしょうか。

ちなみに、ルミノアは「丸編み」、セント・ジェームスやオーシバルのラッセルは「経編み(たてあみ)」で作られていて、丸編みはいわゆるカットソーと呼ばれるもの、経編みは織物に近くかっちりした生地になります。

フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr
フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr

どのメーカーも同じバスクシャツと呼ばれていますが、それぞれの歴史的背景によって設計や製法が違っていて、そんなことを考えながら着てみたり、お店で触ってみたりすると、今まで気付かなかったディティールに愛着が湧いてきます。
船乗りの仕事服としてデザインされた姿が今も残るフィルーズ・ダルボーは、僕の中ではバスクシャツの定番としての要素を兼ね備えている気がします。

出典:https://www.fileusedarvor.fr
出典:https://www.fileusedarvor.fr

デザインのゼロ地点・バスクシャツ編、如何でしたでしょうか?
ちなみにフィルーズ・ダルボーはTHEバスクシャツとして、東京駅KITTEのTHE SHOPで種類も豊富に取り揃えております。気になった方は是非ご来店ください。(笑)

 

それではまた来月、よろしくお願い致します。

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。

文:米津雄介



<掲載商品>

THE Breton Marine

鎌倉観光におすすめの、小町通りにある土産・雑貨店「鎌倉八座」

こんにちは。さんち編集部の西木戸です。
「さんち必訪の店」。産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられるお店のこと。
必訪(ひっぽう)はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。
今回は、2017年3月末に鎌倉・小町通りにオープンしたばかりの「鎌倉八座」をご紹介します。

鎌倉駅東口を出て、鶴岡八幡宮に続く小町通りを進むこと約3分。賑わう小町通りの角に、藍色の看板の「鎌倉八座」が見えてきます。

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内装や商品でも使われているイメージカラーの藍色は、鎌倉時代の武士に「勝ち色」と呼ばれ、縁起がいいとされていた色。湘南在住の藍染ユニット、Litmusさんによる藍染暖簾も素敵です。

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「鎌倉八座」は、“八百万の神奈川土産と、「八」にかけた末広がりの縁起もの”と出会えるお店。鎌倉は、鶴岡八幡宮のお膝元であったり、八福神がいると言われていることもあって、「八」がコンセプト。お店の中央にある什器が八角形になっている他、ロゴ、商品、商品掛けなど「八」にちなんだ縁起のいいもので囲まれています。

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また、「鎌倉八座」という店名には、古都・鎌倉の歴史に紐付く意味合いも。
武家政権の中心地として発展した鎌倉には、幕府に商売の権利を保護された7つの商いの場がありました。絹座、炭座、米座、檜物座、材木座、相物座、馬商座など、業種によって分かれており「鎌倉七座( かまくらしちざ )」と呼ばれたそうです。今でも鎌倉の地名として残っている「材木座」は、文字通り材木を扱う場所だったのでしょう。材木座海岸の東側にある和賀江島( わかえじま )は、材木を集散する貿易の拠点となっていた国内最古の築港( 人口の港 )遺跡。今でも潮干時に見ることのできるたくさんの小石は、その跡だと言われています。

和賀江島にある石碑には、材木座に関する由来も。

和賀とは今の材木座の古い名前であり、この場所が昔はいかだ木が集散する港だったことから、やがて現在の名がつけられるようになった。和賀江島は、その和賀の港の出入り口に築かれた堤を言い今から694年前の貞永元年に、勧進聖人往阿弥陀仏の申請を受け平盛綱の協力を得て7月15日に起工し8月9日に完成させたものである。
参考サイト:鎌倉市HP

「鎌倉八座」は、そんな商業が花開いた歴史ある町・鎌倉で、地域の工芸や食材をはじめ、鎌倉のモチーフや四季を感じられる「土産もの」を揃えた8つ目の新しい商業になる、という意味も込められているのだそう。
地元に古くから続く技術と、現代の新しいものづくりが組み合わさった土産ものが揃っています。古都でありながらも、新しい文化が発展し続ける鎌倉らしいです。
鎌倉の伝統技術を用いて作られた工芸品や、八幡さまの使いであり平和の象徴とされる「鳩」をモチーフにした商品、漫画「オチビサン」の限定アイテムなど、「鎌倉八座」でしか手に入らないオリジナル商品にも注目しながら、気になった商品を紹介していきます。

鳩しるべ

陶器でつくられた鳩の中に、おみくじが入っている「鳩しるべ」。鎌倉の「鶴岡八幡宮」の他、京都の「石清水八幡宮」、大分の「宇佐神宮」など、全国に多数点在している八幡宮ですが、これらの八幡宮を移動する際に道しるべとなったのが鳩だったことに因んで作られました。鎌倉名物に因んだ言葉でお告げが書かれています。

鳩しるべ : 各450円(税別)
鳩しるべ : 各450円(税別)

オチビサングッズ

鎌倉のどこかにある「豆粒町」を舞台にした、安野モヨコさんによる漫画「オチビサン」。鎌倉に住んでいた安野モヨコさんが四季折々の自然や文化を描いています。これまで、オチビサンのWEB SHOPのみで展開していた限定グッズが、初めて実店舗に登場です。アイテムの一例、オチビサンの御朱印帳。四季の草花をイメージしたリースの中でオチビサンたちが遊んでいます。

オチビサンの御朱印帳 : 2400円(税別) ※赤のくみひもは付きません
オチビサンの御朱印帳 : 2400円(税別) ※赤のくみひもは付きません

鎌倉の手彫り豆皿

鎌倉の伝統工芸「鎌倉彫」の工芸士・遠藤英明さんによる鳩の豆皿。一つひとつが手作業で掘られています。丸みを帯びたフォルムがかわいいです。対になった形をセットにして贈りものにも。生漆(茶)と白漆(白茶)で仕上げた2種類です。

鎌倉の手掘り豆皿 : 各4,000円(税別)
鎌倉の手掘り豆皿 : 各4,000円(税別)

鎌倉 ハニカムコーヒー

3分ほどで一気に焙煎するのが一般的なコーヒー豆ですが、ハニカムコーヒーは低温で20分ほど時間をかけて焙煎。豆の持つ苦味の旨さと柔らかさを調整しながら、ていねいに焙煎されたコーヒー豆です。北鎌倉の焙煎工場「ベルタイム」と一緒に作った「鎌倉八座ブレンド」です。

鎌倉 ハニカムコーヒー : 640円(税別)
鎌倉 ハニカムコーヒー : 640円(税別)

鎌倉ハト豆

子ども達にひもじい思いをさせたくないと、平和を願い作られた”ハトマメ”。130年間作り続けられている「ハト豆」は、今でも手作業で作られており、永らく福岡県朝倉のみで販売されていましたが、この度はじめて、平和を願う思いと八幡さまの鳩に縁を感じ、鎌倉八座限定で販売です。オリジナルのパッケージで展開します。

鎌倉ハト豆 : 300円(税別)
鎌倉ハト豆 : 300円(税別)

藍色だるま

平塚市にある、創業150年のだるま屋・荒井だるま屋さんと作った、藍色のだるま。藍色は鎌倉時代、武士たちに「勝ち色」とされ、縁起のよい色とされてきたそうです。末広がりの八の字が胸に入っています。

藍色だるま 大 : 2,000円(税別)/小 : 1,000円(税別)
藍色だるま 大 : 2,000円(税別)/小 : 1,000円(税別)

湘南手捺染 鳩菱紋(はとびしもん)

平塚市にある手捺染工場で、昔ながらの技法を用いて一反一反ていねいに手染めされたテキスタイルを使ったシリーズ。八幡さまの使いである鳩を、子孫繁栄・無病息災に無病息災に通じるとされる「菱紋」に見立てた縁起の良い文様。鎌倉で時々見かける、愛らしくもお騒がせなリスも時々登場しています。

八の字型の袋と鳩テキスタイルの2つの「ハ」が合わさった「八重ご縁守り」。お清めした5円玉を納めて身につけることで、末広がりにご縁が訪れるよう願いが込められています。

八重ご縁守り : 800円(税別)
八重ご縁守り : 800円(税別)
ペットボトルカバー、御朱印帳、ギャザーポーチ、小銭入れ、定期入れ、香袋などの、日常的に使えるアイテムが揃います
ペットボトルカバー、御朱印帳、ギャザーポーチ、小銭入れ、定期入れ、香袋などの、日常的に使えるアイテムが揃います

鎌倉にちなんだお土産の揃う「鎌倉八座」は、誰かへのお土産に加えて、鎌倉観光の思い出として自分の分も持ち帰りたくなるような商品がたくさんありました。
明月院・長谷寺・成就院といった紫陽花の名所も見頃を迎える時期です。お出かけ際には、「鎌倉八座」へも足を運んでみてはいかがでしょうか。

鎌倉八座

鎌倉市小町1-7-3
0467-84-7766
営業時間 : 9:30〜18:30

文 : 西木戸弓佳
写真 : Nacása & Partners Inc.

炊事、洗濯、掃除、工芸。「洗濯板」

こんにちは。中川政七商店のバイヤーの細萱です。
初夏を迎え、日中は暑いくらいの陽気になってきましたね。季節の変わり目に、洋服をせっせと衣替えしています。冬のアウターやニットはなるべく4月中に片付けを。ニットは毛玉を取って、家で洗う方がふんわり仕上がるような気がするので、もっぱら家洗い派です。とは言え、洗濯機の手洗いモードで、ネットに入れてニット用洗剤で洗うので楽ちん。コートも手持ちのものは家で洗えるものが多く、ほとんどクリーニングに出しません。

あと、長袖であまり着なくなるシャツと、これから着たい夏用のシャツがあります。当たり前かも知れませんが、一度でも着たシャツは綺麗に見えても仕舞う前に洗います。普通に洗濯機で洗えば良さそうですが、襟や袖口の汚れが意外に頑固で、白や淡い色物は、うっすら汚れが残ることもあって気になります。そのまましばらく仕舞い込んでいると、襟袖の黄ばみが気になることはありませんか?皮脂汚れが時間の経過と共に酸化して黄ばみとなるようです。特に男性や代謝の活発なお子さんの皮脂汚れはしっかりと落としておきたいものです。

洗濯機や洗剤が進化しても、私が一手間掛けるのに利用してるのが、洗濯板と固形洗濯石鹸。何ともアナログな道具です。部分洗い用の小さな洗濯板を使って、襟袖を石鹸で軽くこすり洗いしてから洗濯機で洗うと格段に汚れが落ちます。デリケートな生地にはあまり向きませんが、普段よく着る綿やしっかりした麻のシャツはすっきり綺麗になって気持ちが良いです。

愛用の洗濯板は、中川政七商店でも取り扱いをさせて頂いている「松野屋」さんのもの。栃木県で作られているブナ製です。固い木材なので強度があり、適度な重みで頼もしい存在感。昔ながらの道具ですが、今も使う人が結構いると見え、木製以外にプラスティック製も売られています。プラはまだ未体験ですが、軽くて手入れが楽なので、長期旅行に持参すると下着を洗うのに便利そうな。
洗濯機はもはや生活に欠かせないとても便利な家電ですが、より仕上がりの完成度を上げるのに超アナログな道具が手助けになるのは面白いなと思います。

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文・写真:細萱久美

こんにちは。中川政七商店のバイヤーの細萱です。
初夏を迎え、日中は暑いくらいの陽気になってきましたね。季節の変わり目に、洋服をせっせと衣替えしています。冬のアウターやニットはなるべく4月中に片付けを。ニットは毛玉を取って、家で洗う方がふんわり仕上がるような気がするので、もっぱら家洗い派です。とは言え、洗濯機の手洗いモードで、ネットに入れてニット用洗剤で洗うので楽ちん。コートも手持ちのものは家で洗えるものが多く、ほとんどクリーニングに出しません。

あと、長袖であまり着なくなるシャツと、これから着たい夏用のシャツがあります。当たり前かも知れませんが、一度でも着たシャツは綺麗に見えても仕舞う前に洗います。普通に洗濯機で洗えば良さそうですが、襟や袖口の汚れが意外に頑固で、白や淡い色物は、うっすら汚れが残ることもあって気になります。そのまましばらく仕舞い込んでいると、襟袖の黄ばみが気になることはありませんか?皮脂汚れが時間の経過と共に酸化して黄ばみとなるようです。特に男性や代謝の活発なお子さんの皮脂汚れはしっかりと落としておきたいものです。

洗濯機や洗剤が進化しても、私が一手間掛けるのに利用してるのが、洗濯板と固形洗濯石鹸。何ともアナログな道具です。部分洗い用の小さな洗濯板を使って、襟袖を石鹸で軽くこすり洗いしてから洗濯機で洗うと格段に汚れが落ちます。デリケートな生地にはあまり向きませんが、普段よく着る綿やしっかりした麻のシャツはすっきり綺麗になって気持ちが良いです。

愛用の洗濯板は、中川政七商店でも取り扱いをさせて頂いている「松野屋」さんのもの。栃木県で作られているブナ製です。固い木材なので強度があり、適度な重みで頼もしい存在感。昔ながらの道具ですが、今も使う人が結構いると見え、木製以外にプラスティック製も売られています。プラはまだ未体験ですが、軽くて手入れが楽なので、長期旅行に持参すると下着を洗うのに便利そうな。
洗濯機はもはや生活に欠かせないとても便利な家電ですが、より仕上がりの完成度を上げるのに超アナログな道具が手助けになるのは面白いなと思います。

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文・写真:細萱久美

<関連商品>

ちいさな洗濯板

真っ白じゃない、白い器

こんにちは。さんち編集の西木戸弓佳です。
何年か前、ふと寄ったギャラリーで展示されていた作品に一目惚れをしました。人間っぽい焼き物だなぁと思った記憶があります。ちょっと癖があるけど芯の強く、美しい人。例えるとそんな感じです。それからずっと気になっていた、陶芸家の田淵太郎さん。

田淵さんが作られているものは、“白磁( はくじ )”と呼ばれる白い磁器。磁器とは、陶器と呼ばれる「土物」よりも高温で焼成される「石」を主な原料にした焼き物。コーヒーカップなどのように、白色で滑らかなものが多いです。代表的なものだと、有田焼、伊万里焼、九谷焼などがそれに当たります。ただ、田淵さんの作品は少し様子が違います。白磁、なのに真っ白じゃないし表面はツルツルしていません。

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会いたいとご連絡をしたら、「せっかくなら窯焚き( かまだき )の日に」と何ともありがたいお話を頂いて、実際に作品を焼く工程・窯焚きが行われている日にうかがいしてきました。

100時間の窯焚き

香川県の高松市内から車で約1時間。しばらく山を登った先に、田淵さんの工房があります。
工房に到着したのは、19時頃。まるまる4日間、約100時間続けているという窯焚きがクライマックスを迎えようとしていました。「大くべ」と言われる最後の仕上げの時。窯の中に薪をたくさんくべて、一気に燃やしていきます。窯に近づくだけで、熱い・・・。温度計によると、窯の中の温度は1000度を超えていました。

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煙突から吹き出す炎。蓋の開け具合を調整しながら、圧の調整をするのだそう。
煙突から吹き出す炎。蓋の開け具合を調整しながら、圧の調整をするのだそう。

最後に泥で隙間を埋め密閉して、薪が燃え尽きるまで自然にまかせて燃やします。火入れから約100時間。窯焚きが終了です。

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窯焚きの翌日、改めて工房へうかがいお話をさせていただきました。
窓から見える緑いっぱいの山、目の前を流れる川、いろんな種類の鳥の声がひっきりなしに聞こえます。日本むかし話みたいな世界。

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「陶芸家」として、生きる

陶芸家と呼ばれている方たちは、どういう過程を踏んで「陶芸家」になるのだろうか。想像のつかない人は多いのではないでしょうか。しかも田淵さんの場合、香川県は焼き物の産地でもないし、親族に元々陶芸家がいるわけでもない。そこからなぜ、どうやって今に至ったのか、お尋ねしてみました。

芸大の募集要項を見て、「陶芸家になりたいな」と、漠然と思って受験。陶芸が身近なものでも無かったし、楽しそうだな、轆轤( ろくろ )回すんだろうな、というイメージぐらいだったのだそう。そこから、「土とは?」「造形とは?」「オブジェとは?」と、さまざまな視点から焼き物を学ぶうちに、どんどんはまり込んでいきました。一方で、陶芸家としての人生に迷いもあったようです。

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「大学で学んだことがそれまでの“陶芸”で知ってることの全てだったんだけど、『違うなぁ違うなぁ』とずっと思ってて。たとえば、オブジェを作る授業はいっぱいあるんだけど、『じゃあオブジェで将来どう食べていくんかなぁ』とか、『先生もオブジェ作っとるし格好いいんだけど、先生は先生業だしなぁ』とか。『仕事で、陶芸家として生きていくには、どうしたらいいもんかなぁ』ってモヤモヤ思ってました」。

大学の2、3年生のそんな頃、岐阜の陶芸家・加藤委( かとうつぶさ )さんと出会います。
「すごくかっこよかったんです、生き方が。陶芸家としてのスタイルも。生身で、勝負してる。なんというか、その時に『あぁ、将来はこんな感じで生きていきたいな』というのが明確になりました。“自分が作ってるもので、生きてる”っていう感じ。作品もかっこよかったし。自分がやりたいことを、やってはるなぁって。すごい衝撃でしたね」。

加藤委さんのところで、薪割りをしたり、土を堀りに行ったり、窯焚きを手伝ったりしながら、「陶芸家」としての生き方を間近で見た田淵さん。それまで漠然としていた陶芸家としての像がはっきりし、「陶芸家」という仕事で生きていくことを決めたのだそうです。

薪は近くの山に切りに行って自分で割る
薪は近くの山に切りに行って自分で割る

卒業後、まずはお金を貯めるために陶芸の先生に。決めていた“3年間”を経て、地元・香川へ戻り自分の窯を作ります。
「瀬戸内の景色が好きだったのと、自然の中で作品をつくりたいなぁ、というのがありました。ここが見つかってこの景色見た時に、ここやったらいいものが作れるな、と思ってここに決めました」。
まずは、地面を掘って窯を作るための土台作り。ご自身で設計をしてレンガを積んで、薪窯を作ったのだそう。
「最初の窯焚きは、全然うまくいきませんでした。何百点も作って焼いても、全滅することが何回もありました」。

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薪の窯で焼くということ

田淵さんの窯は、「穴窯(薪窯)」と呼ばれる薪を燃料とする窯。キッチンやお風呂の燃料に置き換えて考えてみると、ガスや電気が主流となっているこの時代に、わざわざ薪で火を起こしているようなもの。( 焼き物の世界でも、今は9割程が電気やガスなのだとか。)なぜ、そもそも薪窯だったのでしょうか。
「僕の中でターニングポイントになった作品なので、まだ持ってるんですけど‥‥」と言って見せてくださった大きな焼き物。

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「(加藤)委さんのところで薪の窯焚きに参加させてもらった時に、せっかくなら自分の作品持っておいでよ、って言ってもらって。その時ちょうど大学の授業で作っていた白い磁器を持って行って一緒に焼いてもらったんです。薪窯に興味はあったけど、大学は電気・ガス窯だけだったので、はじめての薪窯でした」。

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「着色を何もしてないのに、炎だけで表面に表情ができたんです。これは、電気やガスでは絶対にできない表現。土もの( 陶器 )は赤土だったりでちょっと分かりにくいんですけど、粘土が白い( 磁器 )と、その炎の痕跡がリアルに分かる。何というか、今の作品の感じとはまた違うんですけど、この作品が焼けたことで『あぁ将来は、こんな感じでいきたい』ってはっきりと思いました」。
ここで、薪窯で白磁を焼くという方向性が決まったそうです。

「昔は、どこの産地も薪の窯でしか焼けなかった。でも、薪は灰が飛ぶし磁器の相性は良くない。それでも、そのうちサヤという焼き物を守るための容器で覆って、熱だけが伝わるように焼くようになりました。ボディの土も綺麗に不純物を取り除けんかったし、“白く焼くこと”は、とても難しいことだったんです。白く焼く努力をずーっと続けてきた歴史が白磁にはあります」。
田淵さんの白磁は、薪窯でサヤを使わずに焼きます。つまり、炎や灰の影響をダイレクトに受ける状態。ただ、それは改めてプリミティブな手法へ回帰しているのかというと、そうではないようです。

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「今は、電気やガスの窯もあるし、昔と違って綺麗な土も手に入る。“白く焼く”ということがもう難しいことではなくなったんです。そうなると白磁というもの自体の価値というか、感覚が昔とは違いますよね、確実に。その中で敢えて白磁、薪窯でやる意味というのはやっぱり真っ白くすることではなくて、もっと自然により沿ったような違うものを生み出していきたい。僕はこれと出会って、薪の窯で白いものを焼くことで、突きつめてやり続ければ面白い何かができるんじゃないかなって思ったんです。今までになかった新しい価値観というか」。

引っ越してきて、窯も作った。方向性は決まっているのに、なかなかうまくいかない。何年も試行錯誤を続けたのだそう。

「いや、何かもっとあるはずや。この先に、もっともっと違う何かがあると思って‥‥何年かは見えないトンネルの中をぐるぐる回っている感じでした。釉薬の調合や、土の種類を変えたり、焼く温度を変えたりして、色々ちょっとずつちょっとずつ変えていきました。割れてたり、色が汚かったり‥‥の繰り返し。そこで、はじめて白磁の中にピンクっぽいのを見た時に、もう‥しびれました。『おぉおぉおぉ、これやん!』って」。

同じ土、釉薬( ゆうやく )を使っても、焼き方によって表情が異なるのだそう
同じ土、釉薬( ゆうやく )を使っても、焼き方によって表情が異なるのだそう

「今もね、200個ぐらい焼いて成功するのは6、7割。がっかりする作品はいっぱいあるんだけど、その中でも『はー!やってよかった。こんなもの二度と焼かれへんわ』っていうすごくいい作品がたまにあるんです」。

「同じ窯の中で隣に並べて焼いてても、ひとつひとつ表情が違ってて。炎の当たり方や方向で、360度いろんな表情がある。表はちょっとピンクで裏はオレンジだったり。こっちから見たら女性ぽいけど、裏からみたらゴツゴツしてたり。『わー、この子ほんとにどっから見ても美人やなぁ』とか、『こいつあんまりうまくいってないけど、何か憎めんなぁ』みたいなやつとか。そういうのを楽しんでます」。

聞いているこちらもワクワクしてしまう程に、窯から出した時の嬉しさが伝わってきます。少年みたいで、とてもかっこいい。

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年間約6回の窯焚き、そのうちの6、7割が成功という田淵さんが作品として世に出す作品は年間約700点。「作家の中でもむちゃくちゃ少ない」のだそう。
「なかなか生産性の意味で厳しいところはある。焼きあがった作品の中で、表情の少ないものも出していけばいいんだけど、僕がそういうのは好きじゃないんで、売り物にしない。自分の首を締めることになるし売ればいいのに、っていう人もいるけど、何かそれは僕の作品ではないような気がしていて、外してるんです」。

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田淵さんが“外す”作品は、ツルッとしていて表面の揺れが少ないものや、灰の飛び、歪み、割れが見えにくいもの。量産製品で“B品”と判定され外されるものと、基準が逆なところが面白い。次の新しい価値観を追求する田淵さんの作品は、“均一で綺麗なもの”を量産することが比較的簡単になった今の時代に、それだけでは物足りなくなった人たちを惹きつけているのかもしれません。

「こういう表現って自分にしかできないと今は思ってるし、続けて生み出すことが僕の使命だと思ってます。続けることはまぁ大変なんですけど、でもやっぱり窯焚き終わって、いい作品が焼きあがってきてくれるとそれまでにかかる苦労が一気にチャラになる。きれいごとみたいだけどほんとに。一番は自分が感動したいのかもしれません。辞めれないですね」。田淵さんの探求は続きます。

文 : 西木戸弓佳
写真 : 坂口 祐・西木戸弓佳