「対」で知る、弾丸函館

こんにちは、BACHの幅允孝です。
「さんち」の旅も今回が3回目。毎度、忙しい中川政七さんと日本全国の工芸産地を巡る旅ですが、今回の行き先は函館でした。本の紹介をしなきゃと思いつつ、何故かいつも食レポ色が強くなっているのはご愛嬌。さてさて、今回はどんな旅になることやら‥‥。

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まさか、大寒波が来るとは。1月の中旬、近年まれにみる寒波が日本北部を覆っていた。ニュースでは今年一番の寒さだと宣言しているのに、僕らはなぜか北海道に向かう。正直いって、寒いのは嫌いだ。寒さと、空腹と、荷物が重いことが、僕の三大苦痛なのだが、その中でも特に寒さには滅法弱い。なのに僕が北海道に向かったのは「熊」のためだ。そう、昭和の応接間には必ず鎮座していた「木彫り熊」の取材をしようと誘われ北海道に渡ったのである。
今回の旅は1泊2日の強行軍。しかも、夜着いて翌日午後帰るという若手お笑い芸人(勝手なイメージです)並みのハードな移動である。羽田空港から出発すること1時間半。夜の函館空港にランディングする際、イカの模様をした地上絵が僕らを招き入れた。函館は、何よりもイカ推しなのだろうか? 出口ゲートまで迎えに来てくれた函館空港ビルデングの方々に「なぜイカなのか」と尋ねたら、「そんなことも知らないのですか?」と驚かれた。函館は五稜郭も函館山も赤レンガ倉庫も北島三郎記念館もあるが、まずはイカ。年中食べられる美味と、毎年秋に行われるイカ祭りが実に盛大なのだという。果たして、今回の旅ではどんなイカにありつけるものなのか?も僕のミッションのひとつに加わった。

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函館の街を車で走る。印象的なのは建物のちぐはぐさだ。コントラストといえば聞こえがいいのかもしれないが、実際は1階が日本建築なのに2階が洋風といったようなユニークな建物がたくさんある。なんでも、1854年に米国と交わされた日米和親条約がきっかけで開港された函館の街は急速に近代化が進んだらしいが、「1Fは雪で隠れるからいい」という理由でそのまま日本風が残っているのだとか。本当なのか?
じつのところ函館の街は「対」というコンセプトで考えてみると面白いという話も聞いた。
先ほどの「日本風建築と西洋風建築」だけでなく、「北島三郎とGLAY」、「ラッキーピエロ(通称ラッピ)とマクドナルド」(ラッピは、ご当地ハンバーガー屋さん。日本で最初に「マクドナルド」が一時撤退したのは函館なのだが、それはラッピの人気が高すぎたゆえという噂もある。函館の子供達はラッピが日本中にあると信じて疑わず、老若男女に愛されている。一番人気はチャイニーズチキンバーガー。)など、一見すると対極にあるように思える存在がユニークに同居する場所が函館なのだ。

ちなみに中川政七商店は函館空港内に雑貨のお店をプロデュースしているのだが、その店舗の名前も「函と館」。函館空港に勤め、今回の旅のアテンドをしてくれた佐藤さん、吉村さんが中心になって進めたプロジェクトなのだが、キックオフとなった中川政七さんのワークショップから『「対」のまち函館』のコンセプトが出てきたのだという。

左から中川政七さん、函館空港ビルデングの佐藤さん、私、函館空港ビルデングの吉村さん
左から中川政七さん、函館空港ビルデングの佐藤さん、私、函館空港ビルデングの吉村さん

そんな話を聞いているうちに、僕たちは今日の夕飯を頂くフレンチ「唐草館」に到着した。大正後期に建設されたという洋館を使ったこのレストランは、じつに清廉。加えて、雪に慣れ親しんでいない東京人は新雪を踏むだけでも興奮する。車から店の入口まで僅か数メートル、ざくりざくりと雪国を足元で感じながら僕らはワクワクと玄関の扉を開けた。

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ドビュッシーのピアノ曲「喜びの島」が流れる店内は、とても居心地の好いリビングルームのような空間。畏まりすぎず、砕けすぎず、絶妙なバランスの店内で頂く料理はオーナーシェフの丹崎仁さんとマダムの文緒さんの人柄が表れた優しい味が特徴的だった。

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前菜の盛り合わせも「まだらを昆布でしめ梅のビネグレットをかけたもの」や「桜のチップでスモークしたサーモン」など北海道らしい魚介が中心で、道産小麦の「春よ来い」を使用したパンも実に美味。そんな中、皆がそのおいしさに唸ったのが、「イカのリエット」だった。早速でました、イカ。通常「リエット」といえば豚のバラ肉や肩肉をみじん切りにして作るものだが、唐草館ではイカでそれをつくる。豚肉ほどラードが気にならず、それでもイカの内臓の濃厚さや、口の中で弾むようなイカ独特の歯ごたえが新鮮。これだけで、白ワインが何杯でも飲めそうである。

右上がイカのリエット
右上がイカのリエット

その後も「地元の6種類の野菜を使ったスープ」や「カリフラワーのムースにカニとオマール海老のジュレを加えたもの」、「ヤギと羊のチーズ」など函館ならではの食材を生かしたコースが続く。

野菜のスープ
野菜のスープ
カリフラワーのムースとカニとオマール海老のジュレ
カリフラワーのムースとカニとオマール海老のジュレ

どれも素晴らしかったが、その中でもうひとつだけハイライトを挙げるなら福田農園の「王様シイタケ」だろうか。びっくりするほど肉厚なシイタケはひと噛みすればジュワッと旨味が染み出してくる、キノコ類の常識を覆す潤い。これを同じ皿にある鴨のローストと併せて食べれば、もうこれだけで函館に来て良かったと勝手に納得してしまったのである。函館空港到着からわずか2時間半、ああ〜いい旅だった!

鴨のローストと福田農園王様シイタケ
鴨のローストと福田農園王様シイタケ

ちなみに「王様シイタケ」は大沼国定公園近郊の横津岳山麓にある七飯町の福田農園で栽培されているという。道南地方独特の寒暖差や横津岳の天然伏流水という自然環境に加え、菌床に使うチップも菌糸を伸びやすくするため形状に工夫を凝らした100%道産のミズナラを使用。寒い寒いこの地でしか栽培できない「王様シイタケ」にスタンディングオベーションを送りながら、僕らは唐草館を後にした。

 

時計も22時を過ぎると気温もますます下がってくる。だが、「唐草館」のホスピタリティですっかり心身ともに温まった僕らは「杉の子」という店を訪れることにした。すっかり元気になってきた。

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「杉の子」は「舶来居酒屋」という不思議な名で呼ばれているのだが、訪れてその意味がわかったような気がした。バーといえば確かにそう。美味しいカクテルもサーヴしてくれるのだが、居酒屋の気楽さも持ち合わせているし、舶来文化を紹介する昭和モダンの風情も漂う。
1958年に函館市若松町にオープンした「杉の子」。当時最もモダンだったバー文化を函館に伝える一方、さまざまな人の人生が交錯する函館のサロンだったともいう。お店には今でも「杉の子」を愛した地元の画家や写真家、漫画家の作品が所狭しと並んでいる。

ここを開いた先代マスターの杉目泰郎さんは2007年に他界されたが、娘の青井元子ママが現在もお店を切り盛りしている。函館駅からわずか数分の現在のお店は、2014年に移転してきた新店舗だというのに、まるで何十年も前からそこにあるような安心感。寒い外とは打ってかわって、地元の人に混じって観光客も暖かいストーブを皆で囲む。来る者を拒まぬ港のような心地よいお店が「杉の子」なのだ。

青井元子ママ
青井元子ママ

僕は1杯目にホットバタードラムを頼み、次の一杯を考えようと初めてメニューに目を通した時、こんな言葉がとびこんできた。「オリジナルカクテル 海炭市叙景(ホワイトラム・映画・スモーキーブルー)850円」。

『海炭市叙景』といえば…。ものすごく久しぶりに触れたその漢字の連なりは、函館生まれの小説家 佐藤泰志の代表作のひとつだったことを僕は思い出した。

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ものすごく乱暴な括り方をするなら、1949年は函館と神戸という2つの港町で2人の小説家が誕生した年だ。1人は佐藤泰志、そしてもう1人が村上春樹である。作風も小説に対する態度もまったく異なる2人だが、海の町で青春を過ごした彼らは同じ年に学園紛争真っ只中だった東京の大学へ進学。
佐藤は芥川賞に5度ノミネートされ、村上も2度同賞の候補になったものの、2人とも結局受賞することはなかった。2度目のノミネートだった『1973年のピンボール』以降は長編小説にフィールドを移した村上が、その後活躍の場を世界中に広げていくのとは対に、佐藤泰志は1990年に41歳で自死をした不遇の書き手である。

オリジナルカクテル 海炭市叙景(ホワイトラム・映画・スモーキーブルー)
オリジナルカクテル 海炭市叙景(ホワイトラム・映画・スモーキーブルー)

以後、佐藤泰志の作品は全て絶版となり、知る人ぞ知る小説家となってしまった。ところが、2007年に『佐藤泰志作品集』が発刊されてから急に再評価が進む。そして、『海炭市叙景』の舞台、架空の町「海炭市」のモデルとなっている函館の有志たちがこの作品の映画化に取り組み、熊切和嘉監督によって2010年秋に公開。その後、同じく佐藤泰志が書いた『そこのみにて光輝く』も2014年に呉美保監督によって映画化され、モントリオール映画祭最優秀監督賞を受賞し、米国アカデミー賞外国語映画部門でも日本代表作品に選ばれた。

さらには佐藤泰志の小説家人生を追ったドキュメンタリー映画「書くことの重さ」も公開され、函館を代表する小説家の言霊が2010年代に蘇ったのだ。
佐藤が小説で描く普通の人々の代わり映えのしない日常。その中に在るひりひりとした痛みや孤独、そして光。1980年代のバブル真っ只中にこの哀切を書き切るのは圧倒的な絶望と対峙していたか、疲弊してゆく地方都市の未来を見据える目を持っていたに違いない。ともあれ、佐藤泰志の小説世界は現代を生きる人々の心をつかみ、多くの有志を生み出した。

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カクテルの名にもなっている『海炭市叙景』は、1988年から始められた彼の最後の連載。「海炭市」=「函館市」に生きる36人の人生を描く短編で切り取ろうとし、結局半分の18人の物語しか佐藤は描くことができなかった。自身をモチーフにした職業訓練校に通う中年男や定年間近の路面電車運転手、炭鉱を解雇された青年と妹など、登場するのは市井の人々。そして、誰もがどこかに痛みや苦しみを抱え悶々としている。佐藤が書いた誰かの感情は、20年以上の時を超えて人の胸にやっと届いた。

バカルディのホワイトラムにレモンジュースやヒプノティック、サンブーカを混ぜた「杉の子」オリジナルのカクテルは『海炭市叙景』の物語と同じで複雑にほろ苦く、けれど優しい味のする1杯だった。なんでも、ママの杉目千鶴子さんも佐藤泰志作品の映画化に奔走した一人だったそうである。

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翌日、車の温度計はマイナス10度の外気を知らせる。寒いというより、外気に触れた皮膚が痛いという感じだが、僕たちは急がねばならない。函館から車で2時間ほど北上し、「木彫り熊」発祥の地といわれる八雲町に向かうのだ。

「木彫り熊」の出自をめぐっては、旭川派と八雲派に分かれるらしいが、それについては別の記事に譲ることにしよう。僕は八雲町の「木彫り熊資料館」を訪れ、1人の「木彫り熊」作家のファンになってしまったのだ。

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1878年に徳川慶勝によって進められた旧尾張藩士の集団移住。その開拓先だった八雲町には「徳川農場」ができあがった。その後の1922年、第19代徳川義親が欧州周遊中にスイスのベルンで見かけた農村美術品を持って帰り、その中のひとつが「木彫り熊」だったといわれている。義親は開墾の難しい冬季の収入源としてペザントアートの紹介をしたが、1928年の八雲農民美術研究会設立に合わせ「木彫り熊」を主軸に民芸品制作を進めることに決定。八雲町には様々な「木彫り熊」の名人が生まれることになった。

「木彫り熊」と単純にいっても、大きく「毛彫り」と「面彫り」に分かれることすら僕はこの旅で初めて知った。毛の1本1本を丁寧に彫り、肩の盛り上がった部分から放射状に熊の毛が流れる彫り方。皆が「木彫り熊」といってイメージするこれは、上から見ると菊の花に見えることから「菊型毛」と呼ばれ八雲の「木彫り熊」を特徴づける彫り方らしい。だが、僕が魅力的に感じたのは実のところ「面彫り」の方である。これも八雲町オリジナルの表現らしいが、熊の毛をほとんど彫らずにカットした面で熊の造形を表す抽象的な彫り方。その面彫り作家の中でも柴崎重行という名人の作風に僕は心打たれた。

柴崎重行の面彫りが特徴の木彫り熊
柴崎重行の面彫りが特徴の木彫り熊

1905年、柴崎は八雲町の鉛川で生まれる。家業の農業を手伝いながら木彫りをしており、農民美術研究会に参加して熊の木彫りを始め、初期は毛彫りの熊を制作していたそうである。ところが、彼は農閑期の収入源といった副業意識の強かった八雲の「木彫り熊」のあり方に疑問を持ち、自身の表現として「木彫り熊」を捉えるようになった。柴崎の「木彫り熊」の魅力は、斧を使った大胆な切断面を生かした作風。見方によっては、現代彫刻のようにも見える柴崎の作品は「柴崎彫り」とも呼ばれ、唯一無二の存在感を示すが、中でも僕が好きだった作品が「這い熊」という1932年に制作されたものである。

柴崎重行と根本勲の合作「這い熊」
柴崎重行と根本勲の合作「這い熊」
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これは柴崎と根本勲の合作だが、ぱっと見たところどこが熊の頭や胴なのかもわからない。けれど、よくよく鑑賞していると自然と木塊から熊の姿が浮かび上がってくる不思議な彫刻なのである。「山越郡中の沢」でみつけた木の根に「若い情熱をぶつけて制作」したという「這い熊」。東京の美術学校で彫刻を学び、のちに北海道教育大学函館分校で彫刻を教えることになる根本の影響を受けながら、柴崎の「木彫り熊」が未踏の境地に踏み出した第一歩目といえるのかもしれない。
最終的には「珠(たま)のようになった」、「熊らしくない熊を作りたい」と独自の道を歩んだ柴崎重行の「木彫り熊」。王道の「毛彫り」の対となる場所に敢えて自ら進み、独特の美意識を発揮した彼に出会えただけで、今回の函館旅の意味はあったのかもしれない。

様々な「対」を通して見た函館の18時間、有名な観光名所は周れなかったかもしれないが、僕の中では確かな手応えと、寒さに対する耐性をつかんで帰路につくことになった。今度はもっとゆっくり訪れます!

《今回の本たち》

『函と館』
『函と館』
『海炭市叙景』
『海炭市叙景』
 『そこのみにて光輝く』
『そこのみにて光輝く』
『カレーライス』(木彫り熊ページ)
『カレーライス』(木彫り熊ページ)

<取材協力>
RESTAURANT 唐草館
八雲町木彫り熊資料館

幅允孝 はばよしたか
ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「ワコールスタディホール京都」「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」書籍フロアなど。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)『幅書店の88冊』(マガジンハウス)、『つかう本』(ポプラ社)。
www.bach-inc.com

文:幅允孝
写真:菅井俊之

函館・地元民でも知る人ぞ知る、仲良し姉妹の食事処

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
旅に出かけたら、何をいちばん優先しますか?やっぱり「食」と答える方が多いのではないでしょうか。でも、ガイドブックに大きく載っているお店だけでは物足りない。ましてや、晩酌は観光客の少ないお店でゆっくりしたい‥‥今日はそんなわがままな方にぴったりの、函館は弁天町の超・穴場居酒屋「大黒亭」をご紹介します。

私たち、不叶姉妹?

地元の美味しい店に行きたいなら、地元の人に聞くのがいちばん!先日、peeps hakodate 編集長であり、生粋の函館っ子である吉田智士さんに「晩酌を楽しむなら?」と教えていただいたお店がこの「大黒亭」。ここ函館市弁天町は、観光客はもちろん、函館市民の中でも一部の人しか訪れない穴場スポットで、酒飲みの間では有名な“酒場ライター”吉田類さんも訪れたとか。期待は高まります!

お店に入ると、カウンターで晩酌や夕食を楽しむお客さんが4人ほど。壁には写真やイラスト、手作りの小物などが並びます。

女将の啓子さんの似顔絵や、海上自衛隊のお客さまがくれたという貴重な記念プレート
女将の啓子さんの似顔絵や、海上自衛隊のお客さまがくれたという貴重な記念プレート

奥の座敷に通していただいて注文‥‥と思いきや、メニューがたくさんで目移りしてしまうほど。なんと80種類ものメニューがあるのだそう!

達筆な筆文字は全て女将の手書き
達筆な筆文字は全て女将の手書き

定食から一品料理まで、イカ刺、サンマ刺、つぶ刺、ルイベ刺、真ダラのアラ汁、レバニラ、ゴーヤチャンプルー、ジャンボ茶碗蒸し、なすみそチーズ焼…、、などなどなど。あれもこれもと欲張る気持ちを抑えて、おすすめを注文します。

つぶ刺
つぶ刺
サンマのなめろう
サンマのなめろう
Lサイズの卵1パックを使う食べ応えたっぷりの厚焼き玉子
Lサイズの卵1パックを使う食べ応えたっぷりの厚焼き玉子

数多の料理を手がける料理上手な女将の高井啓子さんと、ホール係のみーちゃんこと、三谷美恵子さん。みーちゃんは女将の実の妹さんで、お店は姉妹で切り盛りされています。お料理はどれも新鮮で美味しく、お酒がすすんでしまうものばかり。「私たち、不叶姉妹なの!」鈴の鳴るような声で朗らかに笑うおふたりの掛け合いも、酒の肴として外せません!

peeps hakodate vol.11愛すべき函館の女-ひと-特集で取り上げられたときのもの
peeps hakodate vol.11愛すべき函館の女-ひと-特集で取り上げられたときのもの

お店を始めたきっかけは?と聞いてみると、「お料理が好きだったのと、たまたまこの土地が空いていたのよ」とあっけらかんと答える啓子さん。何かのきっかけが?と掘り下げると、「そもそも私、お酒飲めないんです」と驚きの答えが返ってきました。お酒を飲まれないのに、このおつまみラインナップは恐るべしです。
お店のとなり小路では、ペンションも経営されています。海外からのお客さまが来られることもあるとか。

ペンションの案内も女将の手書きです。とってもリーズブル!
ペンションの案内も女将の手書きです。とってもリーズブル!

地元の人でも知る人ぞ知る穴場スポット‥‥ということで、少し緊張してお店におじゃましたのは全くの杞憂でした。姉妹の笑顔と料理で、旅の晩酌を。

こちらでいただけます

ペンションと居酒屋の大黒亭
函館市弁天町13-3
0138-23-0349
18:00~23:00
毎週日曜日定休

文:山口綾子
写真:菅井俊之

函館の人に会いたくなる雑誌、peeps hakodate

こんにちは、さんち編集部の山口綾子です。
旅をするなら、よい旅にしたい。じゃあ、よい旅をするコツってなんだろう。
答えのひとつが、地元の人に案内してもらうこと。観光のために用意された場所ではなくて、その土地の中で愛されている場所を訪れること。
そんな旅がしてみたくて、全国各地から地元愛をもって発信されているローカルマガジンたちを探すことにしました。

第6回目は、2013年に創刊された函館の情報誌 “peeps hakodate(ピープスハコダテ)” をご紹介します。
今回は特別編として、意外な創刊秘話からこれからの函館のことまで、編集長の吉田智士さんにたっぷりとお話を伺うことができました!

空想の企画書

今日は、“peeps hakodate”に大きく関わる場所でもある函館 蔦屋書店で吉田さんにお話を伺います。

函館 蔦屋書店
函館 蔦屋書店

———吉田さん、どうやって“peeps hakodate”は生まれたのでしょうか。

僕は地元である函館の情報誌の共同経営者兼、編集長を16年半くらいやっていたのですが、地方雑誌の業界にちょっと疲れていたこともあり、2012年に一度辞めたんです。そのあと、2013年に函館 蔦屋書店の立ち上げの話があって、そこにいる知り合いのスタッフから声を掛けられました。

編集長の吉田智士さん
編集長の吉田智士さん

スタッフ内で「自社で地域情報誌みたいなものが出せたらいいね」と話していたそうですが、そこで僕の名前が出たらしいんです。
何かあったら連絡をください、とは言ったものの、どうせ連絡はこないと思っていたら、ある日本当に連絡がありまして。
「函館 蔦屋書店の梅谷社長が吉田さんに会いたいとおっしゃっている」と。でも雑誌を作る気はもうないし、言い方は悪いですが、どうせ店のPR誌でも作るんだろうと思っていて。そしたら、「やるやらない別で、吉田さんが自分の好きなようにやれるならどういう雑誌を作りたいか、お金のことは気にせずに空想の企画書を作ってきてくれませんか」と社長に言われて。その時点でもまだやる気はなかったんですが、そのときに作った企画書が、実は今の“peeps hakodate”の骨格になっているんです。

男同士の約束?!

その企画書を社長がいいねと言ってくれましたが、「運営会社でも広告のない情報誌を作るなんて前例がないけど、俺は通す気でいるから吉田さんはそれまでどこにも就職しないで踏ん張っててくれ」と。無茶苦茶なことを言うなあと思いましたが(笑)企画書が通るまでの4か月は、本当にたいへんでした。長かったですね。

生活はしなくちゃいけないので、フリーライターをやったり、GLAYのライブ開催中の関連イベントをやってくれと頼まれたり。それもやります!と言って食いつないでいました。
でも、自分がやりたいようにやれる情報誌を地方でできるなんて本当に奇跡みたいなことなんですよ。「広告は二の次じゃないとやりません」と僕が言ったので、函館 蔦屋書店に金銭的なメリットはない、じゃあ何のためにやるの?って社長はさんざん言われたと思うんです。詳しいことは聞いていませんが、多分いろいろな裏技を使って通してもらったんだと思います。そこまでやられたら裏切れないですよね。僕がやらなかったら罰が当たる、と思いました。

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男同士の熱い?!約束によって産声をあげた“peeps hakodate”。
今は吉田さん(ディレクター・ライター・撮影・デザイナー)を含む8名のスタッフで作られているそうです。
具体的にどのように作られているのか、雑誌の裏テーマまで教えていただきました。

絶対に捨てられない無料情報誌

———そもそものターゲットは函館在住の方でしたか?それとも函館在住以外の方向けに作られているのでしょうか。

函館に住んでいて、生活が長い人が読んで楽しめるものとして作ってきました。ネタ自体が観光客に配慮したものではないんですよ。お店がいっぱい載ってるとか、丁寧な地図が載っているわけではない。でも函館に学生時代までいたっていう人が意外に多くて。今は東京にいるとか、そういう人が欲しがられるみたいです。通信販売で買われるのは9割が函館以外の方ですね。

———「お一人様一冊まで」の注意書きがあるほどの人気ですよね。本当に商業誌と変わらないクオリティで、見つけたら必ず持って帰りたくなると思います。

こういう雑誌にしようという裏テーマがあるんです。絶対捨てさせない、手に取ったらすぐにバッグにいれてもらう、丸められたくない。家に持って帰ったら処分されないものを目指すという裏テーマがあって。そこはかなり、ずっと頭に入れながらやってますね。実は時事ネタとかは少なくて、時間が経ってもあまり劣化しないようなネタをなるべく取り扱っています。

函館 蔦屋書店のカウンター。「peepsからのお願い。お持ち帰りはお一人様一冊で。」の案内が
函館 蔦屋書店のカウンター。「peepsからのお願い。お持ち帰りはお一人様一冊で。」の案内が

———ずっと本棚に置いておきたい気持ちが分かります。函館の読者の反響はどのようなものでしたか?

喜びの声があったのは、60~80代の方からでした。自分たちがイメージしていた年代を越えていましたね。先ほど、通販の話をしましたが、8~9割は道外からの注文で、残りの1割に関してはほとんどが函館の60~70代の方からの注文なんです。
今、観光の人気調査をすると函館は「魅力のある街」とか、ブランド力がある、とか言われてますけど、暮らしている人間からすると、ネガティブな問題もいっぱいある。若い世代は函館の良さと悪さ、両方知ってるんですね。実際生きていくのにはたいへんな街だから、イメージとして先にネガティブなことが来ちゃう。
でも60代から上の人たちは本当にキラキラしていた時代の函館を知ってて、札幌には負けないという自負やプライドがある。確かに意識的に懐かしさを取り入れてはいますが、その時代のネタが結構入っているので喜んでいただいてるのかなと。

vol.31/2016年6月号「函館の人といきもの、その関係」
vol.31/2016年6月号「函館の人といきもの、その関係」

———これだけ人気があると、電子書籍化やWEB掲載の話も来るのでは?

話は来ますね、でもしません。偏屈かもしれないけど、あんまり簡単に見られるようにはしたくないんです。会社も蔦屋書店も、“peeps hakodate”で商売をしようとしていないですね。この雑誌のノリが、デジタルと相性が悪い気がするんです。やっぱり紙で見せたいですね。

———それは、読まれる方の年代も意識されてのことでしょうか?

僕がそうなんです。本は「紙をめくって読むもの」という意識があるんですよね。WEBだと流れてしまう。取材に掛けた時間の分、目に止まっているか波及しているかというと手応えがないんですよ。やっぱり手応えは欲しいじゃないですか。だからそっちに気持ちがいかないんです。
簡単に電子書籍化しないのは、計算してるんでしょ?って言われるんですけど、飢餓感を煽るとかそんなことはなくて、僕のワガママを通しているだけです。もし僕が第三者でこの雑誌を見たら、ものすごい嫉妬すると思います。広告費も考えなくていい、自分のワガママを通すことができる。それくらいありがたい、おかしな話なんです。

デザインのゼロ地点 第2回:はさみ

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

「デザインのゼロ地点」と題するこの連載の2回目のお題は「はさみ」。
はさみの歴史は実は非常に長く、現状見つかっている1番古いもので紀元前1000年頃のエジプトのものなんだそうです。
この頃は握り鋏といって今でいう糸切り鋏のような形状のものだったようですが、現在一般的になっている2枚の刃を組み合わせたX型のものもローマ時代にすでに発明されていたと言われています。
つまり約2000年前から存在していた道具になります。驚くべきは2000年前と現在の姿を比べても構造や形状がほとんど変わっていないこと。
所作がシンプルで、モノの進化の歴史の中でもかなり早い段階で究極の形になったと言えるかもしれません。

紀元前1000年頃のエジプトのはさみ
紀元前1000年頃のエジプトのはさみ

そして、一口にはさみと言っても、洋裁・理容・園芸・料理・医療・工具…と色々な種類があり、それぞれの種類の中でも用途別に細かく最適化されています。今回は日常生活で最も馴染みが深い事務用はさみ、つまり文房具のはさみを題材に探ってみようと思います。

 

2枚の刃を組み合わせて作るはさみは文房具の中でも特殊な存在で、コンビニや量販店に並んでいるはさみも、切れ味の肝になるカシメ(中央の2枚の刃を留めている部分)の組み立てや刃の調整など最終的な仕上げのほとんどが手作業で、人の繊細な感覚に頼って作られています。

例えば、刃物の産地である岐阜県関市のメーカー・林刃物のALLEXシリーズや、PLUSの165TRシリーズ。
昔から広く流通しているので見たことがある人も多いのではないでしょうか。一見シンプルなはさみですが、拝み曲げ・板すき・裏すき(樋底)、といった古来からのはさみの加工技術が詰まった製品たちです。

 

林刃物「ALLEX」1973年発売
林刃物「ALLEX」1973年発売
PLUS「165TR」1989発売
PLUS「165TR」1989発売

「拝み曲げ」とは、刃の根元から先端にかけて2枚の刃が寄り添うようにお互いの方向に緩やかに曲げられている加工のこと。これによって2枚の刃が点で接触しスムーズにモノが切れるようになります。曲げた刃の弾力によって点接触を生むため、機械で曲げた刃をただ組み合わせてもなかなか最適な感触になりません。その為、手作業が主になります。
「板すき」は刃の根元から先端に向かってだんだんと厚みが薄くなっていく加工で、最もモノが切りにくいと言われる刃の先端でも良く切れるようにと考えられた技術です。
そして「裏すき(樋底)」は刃の裏側を円弧状に研磨する技術で、(僕は個人的にこの加工が1番好き!)拝み曲げとの複合によって刃と刃の点接触を促し、布やビニールなどの柔らかく切りにくいものを切りやすくする効果があります。

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また、国内ではあまり見かけませんが、DOVOというドイツ・ゾーリンゲン地方のはさみも定番の形に程近い素晴らしいはさみです。こちらも前述のALLEXと同じ3つの加工をしていますが、「鍛造」と呼ばれる金属を叩いて加工する技術で大まかな形を作っている為、板を加工して作るはさみと比べると更に精度の高いものになっています。ドイツは医療器具としての製造も盛んで、より精度の高い鍛造加工が可能なのだと思います。もちろん価格もその分少し高めです。

ドイツ「DOVO」発売年不明(出典:NOFF NORTICASA)
ドイツ「DOVO」発売年不明(出典:NOFF NORTICASA)

持ち手の形状はどうでしょうか?
オレンジがコーポレートカラーのFISKARSというフィンランドのメーカーのはさみ。今はもうこの形は見かけなくなってしまったのですが、親指と中指(又は人差し指)が入る角度が絶妙で、うまく左右対称(反転?)に設計されています。少しマニアックな話をすると、金型というプラスチックを成型するための型の設計も左右同じ設計になっていて、型を作るための費用のことも含めて効率良く考えられています。ただこちらは前述の「板すき」や「裏すき」といった加工はされていません。

フィンランド「FISKARS」(出典:STYLE STORE)
フィンランド「FISKARS」(出典:STYLE STORE)

同じように「板すき」や「裏すき」といった加工はされていませんが、安価で性能の良いはさみとしてはPLUSのフィットカットカーブ。こちらは刃の根元から先端までをカーブさせることで、切る対象物をしっかりつかんで軽い力で切ることができるというはさみです。構造としては地味な変化ですが切れ味の効果は抜群です。持ち手も柔らかいエラストマー樹脂と硬いABS樹脂を組み合わせながらシンプルに作られていて、よく見ると裏表で形状が違い、親指と中指が入る角度も計算されて作られています。

PLUS「フィットカットカーブ」
PLUS「フィットカットカーブ」

冒頭で「はさみは約2000年前から構造がほとんど変わっていない」と書いてしまいましたが、持ち手の作り方や切れ味といった面では細かい進化を何度も繰り返してきていました。
ある日突然モノの形状がガラッと変わるような全く新しい進化も素晴らしいですが、昔から積み上げてきた技術の智慧や手間のかかる加工を少しでも効率良く変えていくような地味な進化もモノづくりの本質と言えます。
はさみにおけるデザインのゼロ地点の発見は、歴史の中で研鑽されてきた技術を切り捨ててしまうのではなく、無理のない生産体制で如何にして実現するのか、といったことを地道に考えることが近道なのかもしれません。

最後に一つだけ付け加えるとしたら、「長持ちすること」。
文房具のはさみは高級なものが無く、ほとんどが安く購入できてしまいます。その割に捨てるとなるとすごくためらいや面倒さを感じてしまう道具で、小学生の頃使っていた名前入りのはさみが今でも家に残っている人は多いのではないでしょうか。つまり、ダメになってもみんなあんまり捨てないのです。

その上、実はメンテナンスがものすごく難しい。刃の切れ味も大切ですがそれ以上に2枚の刃の組み合わせ(噛み合わせ?)が大切な為、なかなか個人でメンテナンスできるものではありません。
これらを解決して長く使える製品や仕組みが出来たら、2000年以上に及ぶはさみの歴史がまた一歩進むのかもしれません。

はさみのデザインのゼロ地点、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真・イラスト提供>
林刃物株式会社
プラス株式会社
株式会社無印
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

炊事、洗濯、掃除、工芸。「姫野作の雪平鍋」

こんにちは。中川政七商店のバイヤーの細萱です。
新連載で、「炊事・洗濯・掃除」に使う家事道具を紹介していきます。手持ちの家事道具を見まわすと、ここにも工芸が多いことに改めて気付きました。例えば、すり鉢。すり潰すための現代の道具だと、フードプロセッサーも便利ですし使いますが、それと同時にすり鉢も良いと思うのです。胡麻を摺る時の香りや、摺れて行く様子、すり鉢の佇まいが好きです。どちらかと言えば佇まいで選ぶことも多い家事道具ですが、やはり機能も無視出来ません。働き者の家事の工芸を、時期に合わせてご紹介いたします。

今月は、「姫野作の雪平鍋」。行平鍋とも言い、由来は諸説ありますが人の名前や、粥を炊くと米が雪のように見えることから付いた名前のようです。陶器製もありますが、アルミ製の小型片手鍋は大概のお家にある気がします。熱伝導がよく軽いので、お味噌汁やゆで卵、ちょっと野菜を茹でるなど何かと出番が多い鍋です。姫野作とは、大阪八尾にて3代続く打ち出し鍋工房の姫野寿一さんが作る鍋ブランド。鍋の模様にも見える槌目(つちめ)は、金属を強く丈夫にするために、金槌で叩き締めた跡です。元々は柔らかいアルミが全体打ち終わると非常に硬く変化しています。姫野作のもうひとつの特徴は、板厚が3ミリと厚いこと。その分、薄めの鍋よりは重量がありますが、アルミなので気になるほどではありません。厚みがあると、保温性にも優れ、煮物にもやさしく火が回ります。プレスの廉価版も多い雪平鍋の中では比較的高価ですが、耐久性と使い勝手は群を抜きます。職人技術ならではの、揃った槌目にも惚れ惚れ‥‥。

3月は新生活が始まる時期でもあり、まず手始めに持つ鍋としても雪平鍋はおすすめです。ひとり用なら16センチ、パスタやうどんを茹でるには20センチくらいが使いやすい目安です。姫野作の雪平鍋は一見贅沢なようですが、気付いたら毎日に欠かせない道具となるのではないでしょうか。

<掲載商品>
姫野作の雪平鍋

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文・写真:細萱久美

愛しの純喫茶 ~函館湯川町編~ コーヒールームきくち

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもく。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。第4回目は、1981年創業の老舗コーヒー店、函館市湯川町の「コーヒールームきくち」です。

鮮やかな黄色いタイル
鮮やかな黄色いタイル

遠くからでも目立つ黄色い外壁に、ピンクとブルーのカラフルなソフトクリームの看板(写真は2017年1月当時のもの。今は茶色の看板になっているそうです)も目を引きます。北海道テレビの人気番組「水曜どうでしょう」のロケ地として2001年に放送されてから、さらに名前が広まり、全国からお客さんがやってくるとか。

中はカウンターと広々とした赤いベロアのソファー席。外とは対照的な落ち着いた大人の雰囲気が漂います。おしゃべりに花を咲かせている地元の奥様方が2組ほど。長年、ほぼ毎日来られるという常連さんもいらっしゃるそうです。

ぶどうが描かれたステンドグラス。夜は灯りがともってさらに良い雰囲気に
ぶどうが描かれたステンドグラス。夜は灯りがともってさらに良い雰囲気に

早速、ソフトクリームとコーヒーを注文。バニラ、モカ、ミックスの3種類から選べます。コーヒールームということで、ここはおすすめのモカソフトを注文。

取材時は雪がちらつく1月、マイナス5℃。名物は外せないと思いソフトクリームを注文したものの、少し寒くなるかなあと心配していた私。かたや外の駐車場では、ソフトクリームを買い求める地元の若者の姿が。テイクアウトは店内でいただくよりも少しリーズナブルだそうで、バニラソフトとモカソフトを1人で食べる強者も!さすがです。地元の方々の寒さへの強さをしみじみ感じていると、お待ちかねのソフトクリームがやって来ました。

見目麗しいソフトクリームです
見目麗しいソフトクリームです

薄い茶色のソフトクリームを一口いただきます。想像していなかったシャリっというジェラートのような舌ざわり。美味しい……!ほろ苦いコーヒーの味がちょうど良く、甘すぎない大人の味。
寒さを気にしていたくせに、ソフトクリームはあっという間に半分になっていたのでした。ああ、美味しかった。
このさっぱり感だと夏は当然のこと、冬でも食べたくなるのがわかります。

メニューには喫茶店定番のナポリタンやカレーライス、エビピラフなどの食事も並びます。
函館空港の近くということもあり、飛行機の時間を待つために立ち寄る人も多いとか。

懐かしさがあふれるナポリタン
懐かしさがあふれるナポリタン

隣を見ると、地元の奥様たちもみんなモカソフトを注文されていました。
老若男女に愛されるソフトクリーム、函館の美味しいものは海産物だけではありませんでした。

コーヒールームきくち
函館市湯川町3-13-19
0138-59-3495

文:山口綾子
写真:菅井俊之