南部鉄器の鉄瓶で沸かす「完璧な白湯」

はじめまして。中川政七商店の細萱久美と申します。

歳時記をベースとした書籍「中川政七商店が伝えたい 日本の暮らしの豆知識」(PHP研究所出版)も編集・取材に携わり、歳時記にちなんだ日本のモノや、職人さんに教わる暮らしの知恵をご紹介しています。

徐々に冷え込みが厳しくなっていく霜月。朝晩はさらに冷え込みが厳しくなるので、衣類も食べ物も、自然と温かいものを欲するようになります。飲み物も温かいものが身体の中から温まる感じがします。

私は家では一年中、朝晩に温かいお茶を飲みます。お茶の味には、茶葉と淹れ方も大きく影響しますが、水の味も重要です。浄水器を通した水を使いますが、より美味しくするために、鉄瓶で沸かしています。

南部鉄器の老舗「釜定」

鉄瓶で水を沸かすと、塩素が抜けて沸かしたお湯の味がまろやかになり、鉄分も補給できると言われています。白湯を飲むと味の違いを実感すると思います。私の愛用している鉄瓶は、岩手県で明治から100年以上にわたって続く南部鉄器の老舗「釜定」の「柚子」という商品。

フィンランドの工芸家とも交流のある、釜定三代目の宮伸穂さんが生み出す鉄器は、伝統工芸の精神と技術を継承しつつ、モダンで新しい雰囲気を感じさせます。「柚子」もころんと丸みがあって、シックな中に可愛らしさも感じ、シンプルなフォルムが魅力です。

鉄瓶の特徴とお手入れ

もしも鉄瓶は錆びやすくて扱いが難しそうというイメージがあれば、実際はそうでもありません。基本的には濡れたまま放置せずに余熱でしっかり乾かすこと。あとは、毎日使うことで内部に湯垢が付くと、過度な錆びを防ぎ、お湯の味もさらにまろやかになります。

水に含まれるカルシウムなどの成分が湯垢になりますが、長時間お湯を沸騰させることでも付きやすくなります。その意味では、かつて火鉢やストーブの上で、日がな一日シュンシュン言わせていた鉄瓶は深い味わいに育っていたことと思います。

今の暮らしには火鉢も少なくなりましたが、鉄瓶から出る湯気は不思議と柔らかく感じ、ガス台でも少しの間沸いてるのを眺めます。

温かい飲み物が一層美味しくなる霜月

今月11月は、旧暦では「霜月」と呼ばれます。霜月の語源は、霜降り月の略という説が有力で、文字通り霜が降りる頃の意味と思われます。

私は東京の武蔵野市育ちですが、小さい頃は霜柱が頻繁に降りて、サクサクと踏むのを楽しんでいた記憶があります。

最近は温暖化のためか、コンクリートが増えたためか、霜柱を踏む機会も少なくなりました。季節の風物詩は意外と記憶にも残るので、少なくなることは寂しくもあります。

鉄瓶も国内で見かける機会は少なくなっており、海外で人気が高まっていますが、とっつき難いなどの先入観を持たずに使ってみると、毎日の飲み物の味のレベルが上がって、豊かな気持ちにもなります。

扱いの難しさよりも、自分だけの愛着のある鉄瓶に育てることを楽しみたい霜月の暮らしの道具です。

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文・写真:細萱久美

毎日かあさん、ときどき職人

こんにちは。ライターのヤスダユミカです。
生活必需品。でも、どこか愛嬌があって、かわいらしい。ふきんやランチョンマット、ポーチなどの布小物は「お針子さん」と呼ばれる方々に一つひとつ丁寧に縫われています。伝統の技を受け継ぐ職人ではないけれど、自分が得意なことを活かして「工芸」を支えてくれる人たちのほとんどが、家庭を支える主婦やお母さんでもあるのです。今回はそのひとり、田方あいさんに、日々の働き方、暮らし方について、お話をうかがいました。

無心でミシンをかけると、ストレスも飛んでいく。
好きなことをして、お金ももらえるなんて。「お針子さん」ってシアワセな仕事です。

「子どものころから家庭科が得意。夏休みの工作は、いつも縫い物を提出してました」と笑う田方さん。服飾系の短大を卒業後、デザイン会社に就職。出産を機に退職して、しばらくは子育てに専念することに。家事のかたわら、子どもたちの洋服を縫ったり、近所の主婦たちと「手づくりサークル」の活動をしたり。ずっと手は動かしていた。
そろそろなにか仕事を始めたいな。そう考え始めたとき、サークル仲間のひとりが「お針子さん」の仕事を紹介してくれた。
「家でできる!大好きなミシンが使える!わたしのためにある仕事!」と飛び上がって喜んだ。

桜や紫陽花、七夕やクリスマスなど、季節に合わせて柄やデザインが変わる。 出雲のうさぎや福岡の明太子、大阪のたこ焼きなど、ご当地柄も人気。
桜や紫陽花、七夕やクリスマスなど、季節に合わせて柄やデザインが変わる。 出雲のうさぎや福岡の明太子、大阪のたこ焼きなど、ご当地柄も人気。

現在は人気商品のギャザーポーチを主に担当。 「ご当地や季節に合わせて色柄が変わるのが楽しみ。これまでに何個縫ったんだろう?一番多くて月に1000個かな…」 目を丸めるわたしたちに、慌てて付け加える。 「あ、ふだんは月に500個ぐらいですよ」 始めて3年。すっかり頼れるベテランさんだ。

キャプションなし?

依頼が入ると、個数・納期などを確認、スケジュールを組み立てる。縫うのは自分、バネを入れたり、包装してくれる仲間と分担し、調整しながら進めていく。
「信頼して任されるので、進行管理はとても大事。ここまで終わった!とスケジュール表に丸をつけるのが気持ちいいんです」。

6時半起床。朝食をつくり、7時半には家族を送り出す。掃除・洗濯を済ませ、お茶を飲んで一息。そこからが「お針子さんタイム」。昼食を挟んで夕方5時ぐらいまで、ひたすらミシンをかける。夕飯とお風呂のあとは、テレビを見ながら布の折り曲げなど単純作業をのんびりと。
「でも、まったくやらない日もある。友達とランチしたり、週1~2回は気分転換にカフェでバイトしたり。メリハリがいちばん」。
家事の効率もアップした。買い物はできるだけまとめて、献立は週のはじめに立てる。
「ダラダラしちゃったらすごく後悔する。この間にポーチ何個縫えただろうって」と想像するだけで悔しそう。「お針子さん」になって、時間の大切さをひしひし感じるようになった。

キャプションなし?

自分のペースでお気に入りの音楽でも聞きながら、リラックスしてできるのがいい。夜型人間。気分が乗れば家族が寝てから、仕事することも。
「この夏は忙しくて、テレビでオリンピック見ながら夢中でミシンをかけてたら、空が明るくなっていて。売れっ子漫画家か!みたいな」とか言いながら、なんだか楽しそう。最近はペースもつかめてきて、めったに夜なべはしないけれど。
「困ったときには相談できる工房のスタッフや、手伝いにかけつけてくれる仲間がいる」。
ひとりのようで、ひとりじゃない。そんな繋がり方が心強くて、心地よい。

直線縫いの目安になるように、ガムテープを貼った。布の滑りも良くなる。 タグの縫い位置が一目でわかる型紙もボール紙で自作。日々の工夫も楽しみのひとつ。
直線縫いの目安になるように、ガムテープを貼った。布の滑りも良くなる。タグの縫い位置が一目でわかる型紙もボール紙で自作。日々の工夫も楽しみのひとつ。

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「とにかくミシンで縫うのが大好き。平たい布が立体になって、ずらりと並んでいくのを見るのとワクワクします」。
慣れないものを縫うときは、最初は思うように進まなくても、コツがつかめると本人いわく「よそ見をしても縫える」ぐらいに。そんなときは、「よっしゃ」と小さくガッツポーズ。日々の「成長」がうれしい。
「お母さん、なに始めるん?」と言っていた子どもたちも、「お母さんが縫ったポーチ、お店に並んでたよ」と嬉しそうに写真を送ってくれるようになった。
「商品がテレビで紹介されたときは、家中が大騒ぎ!やっていてよかったって感動しました」と語る表情には、ちょっと自慢げな「お針子さん」と優しいお母さんの顔が同居している。

「イヤなことがあった日も無心でミシンをかけていれば、いつの間にかストレスも飛んでっちゃう」。

歳をとっても、ずっと続けていきたい。それがごく自然かのように、田方さんは言う。
「お針子さん」仲間で集まる機会もある。
「たまには違う話をすればいいのに、『どうやったら早く縫える?』とか『この部分にミシンかけるの楽しいよね』とか。そんな話ばかり」と照れ笑い。
「家で好きなことを仕事にして、その上お金もいただけるなんてシアワセです」。
ミシンの音が伴奏がわり。今日も鼻歌まじりに縫い物をする田方さんの姿が浮かんでくる。

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田方 あいさん
中3と中1、ふたりのお母さん。短大を卒業後、再びミシンをいじり始めたのは、子どもの洋服づくりがきっかけ。「気に入り過ぎて、ぼろぼろになるまで着てくれた」と嬉しそうにかわいらしいズボンを見せてくれた。「仕事のBGMはテンポのいい曲。でもよすぎるとノリノリになっちゃうから適度なやつ」と笑う田方さん。周りの空気が、ぱっと明るくなる。

<関連商品>
・鹿の家族 ギャザーポーチ (日本市)

 文:ヤスダユミカ
写真:林直美

「この漆器がつくれるなら、どこへでも。」移住して1年。職人の世界と、産地での暮らしを聞きました。

出会いは東京のセレクトショップ。「人、募集してませんか?」数日後には正座して電話をかけていた。

越前漆器の産地、福井県鯖江市河和田地区にある「漆琳堂」。

「暮らしの中で気軽に使い続けてもらえるものをつくりたい」と、2013年にスタートした「お椀や うちだ」には、漆器のイメージをくつがえすカラフルでかわいらしいお椀が並びます。

その佇まいにひと目惚れして、いまここで「塗師(ぬし)」として経験を積んでいるのが、嶋田さんです。「幼いころから、ものづくりにしか興味がなかった」という嶋田さんに、えいっと飛び込んだ職人の世界、産地での生活について聞いてみました。

漆の「う」の字も知らなかった、ふつうの高校生。

「外で遊ぶより家にいるほうが好き。友達や家族のためにと理由をこじつけて、クリスマスカードや小物をつくっていた。そんな子どもでした」。

とにかく手を動かしたいと工芸高校で金属工芸を専攻。楽しかったけど、将来の仕事にしようとまではのめり込めなかった。そんなとき、「未知の物体」と出会う。高校の研修で行った美術館。大きな黒いパネルに、金銀の絵が描かれた現代作家の作品。

「きれい。でも、これなんだろうって」。材料には「漆」の文字。東京に暮らすふつうの高校生は、お椀が漆器だということも知らなかった。

「ウルシ?何それ?知らないものを知りたい。ついでにひとり暮らしもしてみたい」。好奇心と冒険心。そのふたつに背中を押され、翌年には京都伝統工芸大学校に入学した。

「漆を仕事にできるかも」とやっと実感が湧いたのは、卒業制作にとりかかったころ。ところが、理想の仕事などなかなか見つからない。

「京都や輪島の職人に弟子入りするのも、なんかしっくりこなかったんです」。嶋田さんは、いったん東京に帰ることにした。

この漆器がつくれるなら、どこへでも行く。

書店でバイトしながら仕事を探す、悶々とした日々が2年間続いた。ある日、たまたま入ったセレクトショップで嶋田さんに衝撃が走る。見たことのない色とりどりの漆器が並んでいたのだ。

「塗料としての漆の可能性に魅了されていて、卒業制作でつくった漆器も青やピンク。だから、もっとカラフルな漆で生活を楽しくしたいとずっと思っていたんです」。それが目の前にあった。つくっているのは福井県の漆琳堂という会社。ここで絶対働きたい。

「人、募集してますか?」と数日後には正座して電話をかけた。「断られたら漆の道は諦めて、いっそ社会の歯車になっちゃおうと決めていました」。電話に出た専務には驚かれた。求人広告など出していなかったから。「タイミングよく会社も新しい風を求めていて、そこにわたしがまんまと飛び込んできた」と笑う。

3カ月後の8月に採用が決まり、9月には住む場所を決めて、10月に入社した。「移住にはまったく抵抗なし。漆琳堂があれば、どこへでも行く。そんな勢いでしたから」。嶋田さんの職人生活は、突然始まった。

職人だけど会社員。それがなんだか心地いい。

「下地3年、塗り10年…なんて漆の世界ではよく言われるけど、わたしは数ヵ月で刷毛を持たせてもらいました」。最近では、仕上げの「上塗り」のベースとなる「中塗り」を任せてもらえるまでに。もちろん、生産が追い付かないほど忙しいという事情もあるが、伝統工芸の見習いとしては「スピード出世」だ。

ひたすら塗るのが楽しい。全然イヤにならない。それでも、落ち込むことはある。「微妙な力の入れ具合や筋肉の動かし方はまだまだ未熟」と自身を戒める。「今のはイマイチだった。次はこうしてみよう。同じ作業に見えて、同じ作業じゃない。1個塗るごとに発見がある。それが難しくておもしろいところ」だと言う。

この道の大先輩、社長や専務はあくまでも優しく丁寧に教えてくれる。怒鳴られたことなど一度もない。昔ながらの「弟子」というより、見習いの「会社員」という感じ。雇用制度もしっかり整っている。「本当にいい環境で、好きな仕事をやらせてもらっている。感謝しかないですね」。

ゆっくり、だんだん、この土地の人になっていく。

「会社というより、内田家の一員になったみたい」。住む家は専務が探してくれたし、社長の奥さんは野菜やおかずを持たせてくれる。ここではみんなが周囲に気を配り、困っている人がいれば迷わず手を貸す。「それがあたりまえ。わたしもいつの間にかお隣さんに声をかけるようになりました」。

東京生まれの東京育ち。そういうの、面倒じゃなかったのか。「なるべく構わないようにするからね」。先に気を遣ってくれたのは田舎の人のほうだった。「わたしたちが思うより、田舎の人は都会の人をわかってくれている。だから、いい関係が築けていけたんです」。

朝8時に出社して、夕方には仕事が終わる。帰宅して夕飯をつくり、DVDを観てゆっくり過ごす。河和田には移住者の若者もけっこういて、集まってごはんを食べたり、休みの日には福井までドライブに出かけたりもする。「東京では歩くのが好きだったけど、いまは徒歩10分の距離も車で通勤します。3分で着いちゃうんですけどね」という笑顔は、すっかりこの土地の人の表情だ。

ガシガシと使われて、風合いを増す漆器のように。

日用品としての漆器に愛着を感じるという嶋田さん。「もともと漆器は最後の仕上げに手のひらで磨いて艶を出すんです。手あかがつくほど、風合いも増していく。だから、芸術品として眺めるんじゃなく、毎日ガシガシ使ってもらえるものをつくっていきたい」。ガシガシという言葉を繰り返す。漆のイメージを変えたいという思いが伝わってくる。

アクセサリーの企画も出して、いまは試作中。つくりたいものと、手間、コストなどを擦り合わせるのが難しい。「趣味とは違う。プロダクトを商品にする。そのプロセスを専務から学んでいます」。

「職人として生きていくの?」。最後に質問をぶつけてみた。「うーん」。数秒の沈黙のあと、答えてくれた。「まだ、目の前のことで精いっぱい。将来を決めるのは、もうちょっと時間がかかるかも。覚悟がいるし、難しい職業だから。でも、いつか独り立ちできたらかっこいいな」。平成生まれの職人は正直だ。きっとこれからもガシガシ経験を積んで、強くなっていくのだろう。嶋田さんがつくりたかった漆器のように。

嶋田 希望(しまだ のぞみ)さん / 1992年生まれ。24歳。東京都出身
ゆっくりなテンポの音楽が好き。好きな食べものはイチジク。
2015年10月に漆琳堂に入社。現在、塗師(ぬし)として見習い中。
「こだわり過ぎてめんどくさい性格。ほんの細かいところもうまくいかないと、気になって次に進めない。専務に『いつまでやってるん?』と呆れられます」と笑う。

<関連商品>
お椀や うちだ

 

文:ヤスダユミカ
写真:林直美

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日本全国、郷土玩具を求めて宝探しの旅へ

旅先を決める時、旅行ガイドやSNSで話題の場所を調べるのもいいですが、まずは自分自身の「好きなもの」と向き合いたいもの。

そこからスタートすると、自分好みの新しい出会いや、本当に求めているような体験ができるかもしれません。

今回は、“郷土玩具”との出会いを求めて旅に出る、素敵な収集家をご紹介します。ご自宅を訪ね、たくさんのコレクションを見せて頂きながらお話を伺いました。

“郷土玩具”とは、昔から日本各地で作られてきた”郷土”の文化に根ざした”玩具”。だるま、木彫りの熊、こけし等も郷土玩具のひとつ。その土地の風土・文化に密接が反映されています。


同じ「うそ」でも、顔と形が違うらしい。

福岡の郷土玩具・うそ

菅原道真を天神さまとして祀る神社で授与される、鷽(うそ)。

「鷽」という名の鳥がモチーフとなった郷土玩具です。福岡県の太宰府天満宮をはじめとし全国の神社で行われる、「鷽替え」という神事で用いられます。鷽(うそ)と嘘(うそ)をかけ、前年にあった凶事などを「嘘」とし、幸運がくるよう祈願されます。

「1月の天満宮の縁日、近くの神社で手にいれたのが、はじめての“鷽”でした」。調べてみると、同じ“鷽”でもいろんな種類があることが分かったそう。

「全国に、いろんな鷽がいるんです。太宰府天満宮のくるくるの毛は王道だけど、ストレートもいるし、形もぜんぜん違う。表情も地域によって全然違って。これ、鷽?みたいな子もいます」。今では、専用棚があるほど集められた“鷽”コレクションの前で、「鷽の旅」の思い出を教えて下さいました。

いいホテルよりも、レアな郷土玩具

郷土玩具コレクターのご自宅

鷽を求めて三泊四日で出かけた、九州への旅。「まずは、“鷽”のいるところを地図に書き込んで行って、コースを組みます」。メモを見せてもらうと、神社や工房の名前がぎっしりと並んでいます。かなり綿密な計画をたてられるようですが、蒐集以外はフリーなんだとか。

「決まってるのはどこの工房をまわるかと、地元の名物を食べるお店の候補ぐらい。泊まるところは決まってないことも多いです。決めちゃうと、お昼の行動に縛りが出てきちゃうので。」「夜、泊まるところがどこも空いてなくって、夜中まで移動した」なんていうハプニングも、楽しい旅の思い出に聞こえました。

途絶えてしまう前に。

郷土玩具収集家の旅

ひとつひとつが人の手によって作られているため、そんなに沢山は作れない郷土玩具。また、残念なことに近頃では、作り手の高齢化や後継者の不足などにより、徐々になくなってしまうものも少なくありません。

「はじめは近場で、土日に行けるところを周ってました。そのうち旅行で、近くに行ったら買おうかなーなんて。でも、“そのうち”なんて言ってると、どんどん買えなくなっていってる現状に気が付きました」

行こうと思っていたお店が閉店。作り手が辞めた。という話を聞くうち、居ても立ってもいられなくなったお二人。

「無くなってしまう前に、行かなくては」。旅行の合間に郷土玩具を探すのではなく、“郷土玩具を目的に”旅に行くようになりました。蒐集熱に一気に火がついたそうです。

「そんな遠くから何しにきたん」って言いながらも、喜んでくれる

郷土玩具収集家の旅・雉子車

「地方の工房や神社へ行く時はたいてい電話をして、行く日と時間を伝えておくんです」という話に、予約制なのかと聞くと、「普段は開けてない工房や、作家さんのご自宅にしまわれてるものも多いので」と、教えてくださいました。

「行ってみると普通のお家だったり、入口が分からない工房だったり、見つけるのが大変です」

訪ねていくと「そんな遠くからわざわざ何しにきたん」って言いながらも、喜んで迎えてくれるそうです。「倉庫にしまってある昔の作品を見せてくれたり、サンプルで作ったものを下さったり。絵付けもしてったらどう?なんて勧められることもあって、だいたい予定より長くなっちゃうんです」と笑って話される予定外の長居は、お二人にとっては想定のうちなのかもしれません。

季節で変えたり、由来に沿ったり。

鹿児島の郷土玩具・オッのコンボ

旅から連れ帰った郷土玩具は、メインの飾り棚だけでなく家中のあちこちに飾られていました。台所で見つけたのは、無病息災を祈願する縁起物、「オッのコンボ」。台所の守り神としても知られている鹿児島の郷土玩具です。

また、お話へ伺った10月、玄関の一番手前で迎えてくれたのは船渡張子(ふなとはりこ)。大きなかぼちゃからひょうきんな表情の鼠が顔をだす郷土玩具・埼玉の船渡張子は、ハロウィンが近いことにちなんで飾られたそうです。

「モチーフや素材によって、飾るものを変えます。メインの郷土玩具にあわせて、横の子たちも色を揃えたりしながらいつも楽しんでます」旅先から持ち帰ったものを家でも楽しむ生活は、旅の楽しさが日常にもずっと続いているような素敵な暮らしでした。

ずっと、宝探しをしてるみたい。

郷土玩具

情報も交通も便利になり、どこにいてもものが手に入るようになった今でも、現地に行かないと出会えないものがまだまだあります。工芸品は、人の手で作られているからこそ大量生産はできず、全国流通に乗らないこともしばしば。

「郷土玩具は、その土地の文化が色濃く反映されてるから特に面白い」と、語ります。「僕らが行くことを楽しみに、物づくりを続けて下さってる方もいるんです。はじめて行った時に辞めると言ってた作り手さんが、今では新作ができる度に連絡をくれます」。

蒐集家の旅は、訪れた土地の文化の継承にもつながっていました。

「ほしいものは沢山あるんだけど、なかなか見つからない。ずっと、宝探しをしてるみたいです」。未だ見ぬ郷土玩具を求めて、お二人の旅はこれからも続きます。

郷土玩具収集家の家

蒐集家:郷土玩具
大阪府にお住まいの矢嶋さんご夫婦。「郷土玩具が、素敵に飾れる棚がほしい」というのが家を建てる時の設計リクエスト。目の前に森が広がる気持ちのいい窓から入り込む自然光を受け、郷土玩具の棚ではその時期の選抜メンバーが気持ちよさそうに並んでいました。

 文 : 西木戸弓佳
写真:木村正史

「工芸とデザインの境目」展

こんにちは。さんち編集部の西木戸弓佳です。
全国各地で行われる工芸イベントに実際に足を運び、その魅力をお伝えする「イベントレポート」。今回は、石川県金沢21世紀美術館で開催中の「工芸とデザインの境目」展をレポートします。

金沢21世紀美術館が、2014年の10周年を機に3カ年かけて行う大規模な展覧会のフィナーレとなる同展。2014年「建築」、2015年「現代美術」に続き、2016年のテーマは「工芸」。プロダクトデザイナーの深澤直人さんを監修に迎え、これまでに無かった新しい視点からデザインを見直します。

「工芸」か「デザイン」かー。工芸とデザインはものづくりという点では同じであるが、両者は異なるジャンルとして区別される。しかしながら、それらをつぶさに観察するまでもなく、両者の間には「デザイン的工芸」また「工芸的デザイン」とも呼べる作品あるいは製品があるように思われる(展示概要より)

たとえば、柳宗理さんのデザインしたバタフライスツールは、「工芸」か、それとも「デザイン」か。その問いにすぐに答えられる人は少ないかもしれません。その曖昧模糊とした境目に、はっきりと線を引くことを試みる本展示。わらじ、檜風呂、茶筒、石垣、漆器、スニーカー、かばん、スマートフォン、パソコン、車など、実にさまざまなジャンルの、約75点のプロダクトが並びます。それらを、「プロセスと素材」・「手と機械」・「かたち」・「経年変化」という多様な観点から見つめ直し、「工芸」・「デザイン」の境目を浮き彫りにしています。

「これは工芸でこれはデザイン、といったように一本の線を引くことは困難です。これは、工芸20% デザイン80%であるというのが説明しやすいかもしれません」

“KOGEI”と”DESIGN”という文字が対になって記された壁のちょうど中心から、真っ直ぐに引かれた太い黒線。その線を境目にプロダクトが配置され、置かれている位置によって、そのプロダクトの持つ「工芸」と「デザイン」の割合が表現されています。
それが、深澤さんの考えられた「工芸」と「デザイン」の境目を示す答え。
ただ、その「答え」はものを観ただけですぐに腑に落ちるものばかりではなく、私の中にあった「答え」との違いに、頭がぐるぐるとすることもしばしば。各展示に添えられた丁寧な解説パネルで、その配置の意図を知ることができます。考えの差分が大きいほど、新しい発見があり、解釈の幅が広がるような展示構成です。それらはもしかすると、「観覧者を揺さぶることに意義があると思います」とおっしゃる、深澤さんによる仕掛けなのかもしれません。

展示室のひとつに、ちょうど直線の中心にプロダクトが並べられた部屋がありました。
デザイン50%・工芸50%。
ちょうど半々かと思いきや、置かれている向きにも意図があるそうです。
ぜひ会場でご覧ください。

文・写真:西木戸弓佳

長野県のユースカルチャーを発信するフリーペーパー “日和”

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
旅をするなら、よい旅にしたい。
じゃあ、よい旅をするコツってなんだろう。その答えのひとつが、地元の人に案内してもらうこと。観光のために用意された場所ではなくて、その土地の中で愛されている場所を訪れること。そんな旅がしてみたくて、全国各地から地元愛をもって発信されているローカルマガジンたちを探すことにしました。第1回目は長野県のユースカルチャーを発信するフリーペーパー “日和” です。

フィルムのような質感の写真が印象的な表紙。鞄に入れて持ち歩きやすい小さめのサイズ。ざらっとした紙の質感。現在は編集はひとり(!)で編集されている日和は情報誌の別冊として2002年に創刊され、2005年2月に現在のフリーペーパーの形になり、毎月末に発行されています。

長野県内で月に一つの市町村をピックアップし、その地域のディープで魅力的なお店や人、カルチャーにフォーカスを当てて取材。長野の豊かな自然を生かした季節ごとのアウトドアアクティビティからファッションやカフェまで、長野での休日を楽しむ情報が誌面の中心となっています。今の長野をとらえた巻頭特集の写真は美しく、カメラ片手に行ってみたくなる場所ばかり。

最近は県外から移住して独自の活動、情報発信をしている方も多い長野。その中でも自分たちの志を大切に最小限のスタッフでつくられている紙面からは、長野県内のカルチャーへの愛が溢れています。 地元では「次の休日はどこに出かけよう?」そんな人たちの気軽な町歩きガイドとして使われているという日和。暮らすように旅をするわたしたちにとっても頼りがいのあるガイドになってくれそうです。

ここにあります。

長野県全域の飲食店、アパレルショップ、ヘアサロン、雑貨店から大型商業施設まで、若者が行き交う場所を中心に配布。長野に着いたらまず探してみてください。


全国各地のローカルマガジンを探しています。

旅をもっと楽しむために手に入れたい、全国各地から発信されているローカルマガジンの情報を募集しています。うちの地元にはこんな素敵なローカルマガジンがあるよ、という方、ぜひお問い合わせフォームよりお知らせくださいませ。
※掲載をお約束するものではございません。あらかじめご了承ください。

文・写真:井上麻那巳