こんにちは、ライターの小俣です。
6月がはじまり、そろそろ梅雨入りかなという時期になりました。一説によると、障子紙の張り替えには梅雨が最適なのだそうです。湿気と紙。ジメジメした季節は張替えに不向きな印象もありますが、障子紙が湿気で伸びるため貼りやすくなり、乾燥した季節にもピンと張った美しい状態が保たれるのだとか。通気性や断熱性が高く、吸湿性に優れた和紙を活用した障子は、日本の気候、梅雨や夏の高い湿度の時期に対応できる機能的な建具だったのですね。
山梨県の市川和紙は、障子紙として日本一のシェアを誇っています。市川での和紙づくりの歴史は古く、延暦23年(804年)の記録にもその存在が記されており、1000年以上続いています。その品質には定評があり14世紀の文章には、市川の和紙が美人の素肌のように美しい、という例えで「肌好(はだよし)」と紹介されているほど。
甲斐源氏、武田氏、徳川氏の御用紙時代を経て、大きな技術革新を迎え機械紙漉きの技術を確立し、地場産業の中心となっています。
「長年に渡って築き上げて来た技術と品質だけでなく、産地問屋による流通の力も大きかったと思います。また現在は、今様のデザインや新しい技術・品質の追求で、時代性にあったものを生み出すことで市場にインパクトを与え続けることが大切だと考えています」と、市川和紙工業協同組合の理事長で、金長特殊製紙(株)社長の一瀬清治さんがお話しくださいました。
昔ながらの「手漉き和紙」と革新的な「機械抄き和紙」、それを支えて来られた人々の様子が伺えました。
手漉き和紙の体験へ
魅力ある市川和紙。その原点である手漉き和紙の体験ができる豊川製紙工場を訪れました。国・県に認定された伝統工芸品である「市川手漉き和紙」。その作り方を教えてくださるのは、町の無形民俗文化財の豊川秀雄さん。
歴史ある技術をすごい方に教えていただける機会ということで、やや緊張しながら伺ったのですが、ぶどうの香りがついた和紙の名刺を手に、気さくに迎えてくださった豊川さん。とても優しい方でした。にこやかに教えていただいた手漉き和紙づくりの様子に加え、市川和紙の歩みを教えてくださった一瀬清治さんに伺った機械抄きの障子紙のお話も交えながら市川和紙のできるまでをご紹介します。
体験の際にはすでにご用意くださっていましたが、まず始めに、紙の原料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)などを薬品と一緒に大きな釜で煮て不要な非繊維質を溶かす「煮熟(しゃじゅく)」と、強い紙を作るために繊維をほぐす「叩解(こうかい)」という下ごしらえの作業があります。
楮(こうぞ)の長く強い繊維は、和紙の強度を高める重要な原料。破れにくくしなやかな和紙を生み出します。しかし、仕込みに手間がかかり、大量に用意するのが難しいことから、機械による大量生産の場合にはパルプを原料にして作るのだそうです。(破れやすくなってしまうことを避けるために、薄く仕上げた2枚の和紙の間にポリエステルの素材を挟んだ3層構造にすることで強度を補完しています。科学の力を活用してバランスを取りながら大量生産を実現されていました)
続いて「漉きぶね」と呼ばれる専用の容器に、ほぐされた繊維と「ねり」と呼ばれる粘性のある糊を合わせてよくかき混ぜます。障子紙を作る際には耐水剤を混ぜることで、水濡れにも強くするといった工夫もされています。(障子に貼り付ける際に糊で濡れても破れにくく、美しく貼るための助けとなります)
そして、いざ!「簀桁(すげた)」で紙を漉き上げます。
豊川さんの流れるような滑らかな実演を拝見したのち、私も実際に体験させていただきました。まずは水からの引き上げ。粘性のある水の抵抗もあり、引き上げるのに一瞬の「えいや!」という“ふんばり”が必要でした。また、揺らしながら綺麗に厚みを整えるのはかなり難しい作業で、1度目は凹凸だらけの仕上がりに…。アドバイスをいただきながら何度か挑戦!最初より少しだけコツを掴めたかな?と思いますが、やはり仕上がりは雲泥の差。手漉きは1日にしてならず!ですね。
和紙は機械で生産する際も通常の印刷用紙などに比べて時間がかかります。原料の液の濃度と漉きあげる時間を調整することで厚みをコントロールするのだそうです。ロール状に連なった長尺の紙を生産する機械抄きでは最初の設定が要となり、あとは自動的に安定生産できますが、手漉きの場合は1枚1枚を都度漉いていきます。障子紙のような大きな紙を均等な厚みで安定的に生み出すのは至難の技。ここには日々訓練してきた職人さんの熟練の技が必要となってきます。
張り替えたての障子を見て、美しい一面の白に感じる清々しさ。この汚れのない白い美しさを生み出すためには、ちょっとしたゴミなどの不純物を取り除くことが重要となります。手漉きに比べて作業効率が高い機械抄きの場合にも不純物は大きな課題。日々の清掃と、配管をばらして行うパイプ掃除を定期的に行うことで美しい障子紙を生み出しているのだそうです。掃除は工程の基本ではありますが、基本だからこそ手を抜かず細心の注意を払って行うことが品質を守りぬくために大切なのだという一瀬さんの言葉が印象的でした。
こうして漉き上がった状態を脱水機で時間をかけてじっくりとプレスして水を絞ります。
その後、乾燥機に貼り付けて仕上げます。
技術の伝承と挑戦
いくつもの工程を経てやっと出来上がる手漉き和紙。液体の濃度や手の感覚で操る厚みの調整、乾燥後の仕上がりを予測して決める分量など、その工程のそこここに日々鍛錬して来られた熟練の経験と技の存在があります。それを間近で見ることのできる体験機会でした。
こうした工程を大量生産で行うのはやはり難しいもの。この地で和紙を生産してきた人々がその知識や技、経験を生かして機械生産に挑んだのが昭和30年代(1950年代)のこと。長い歴史の中で受け継がれてきた和紙の魅力も難しさも知っているからこそ迎えることのできた技術革新だったのではないでしょうか。また、市場のニーズに応えるべく、模様の入った障子紙の開発など新たな技術を使った商品も生み出されてきました。地域の特産品を広く販売していこうと奮闘された地方問屋の力が大きかったと一瀬さんはおっしゃっていましたが、生産と流通の努力が相まって、現在の実績につながっているのだなと感じました。
豊川さんは、地域のイベントなどでも手漉き和紙の体験コーナーを設けたり、多く方に手漉き和紙の魅力を伝えています。近隣の学校では、卒業証書を自分たちで作るために工房を訪れる機会もあるそうです。オリジナルの卒業証書づくり、思い出になりますね。
豊川さんに手漉き和紙の魅力を尋ねると「人が作るとどうしても均一ではない部分がある。その風合いや手触りに温かみを感じます」と答えてくださいました。山梨の名産品のぶどうの香りのついた名刺を作るアイデアや、手作りの卒業証書の企画からもその思いが伝わってくるように感じました。和紙でできたテーブルクロスの開発など新たな挑戦もされている一瀬さんは「和紙には独特の伸縮性や柔らかさがあり、印刷用紙などとは異なる特徴と温かみがある。和紙の可能性を模索したい。そしてもっと広く伝えていきたい」と話してくださいました。
長い歴史の中で積み上げられてきた技術と、時代に合わせた工夫で現代もなお日用品として市場に受け入れられている市川和紙。障子は日常に溶け込んだ建具ですが、そこに貼られた障子紙の1枚1枚の奥にある技術と工夫を知ると、見つめる眼差しが変わったように感じます。
豊川さんの工房は、最寄駅から徒歩で訪れることのできる場所にあります。近くを訪れた際に足を運んでみて、和紙づくりの技術に触れてみてはいかがでしょうか。
手漉き和紙体験(要予約)
豊川製紙工場
山梨県西八代郡市川三郷町市川大門1362
体験費用:500円
最寄駅:JR身延線市川本町駅、JR中央線市川大門駅
問い合わせ:055-272-0075
<取材協力>
豊川製紙工場
山梨県西八代郡市川三郷町市川大門1362
055-272-0075
金長特殊製紙株式会社
山梨県西八代郡市川三郷町市川大門2808
055-272-5111
文・写真 : 小俣荘子