スパイス料理の新名店 三条スパイス研究所に見る、地元で愛されるお店のつくり方

統括ディレクター山倉あゆみさんに聞く、三条スパイス研究所 誕生秘話

工場町・新潟 燕三条の愛される名店を訪ねる連載。

第1回は燕の工場文化を物語る背脂ラーメン、第2回は燕のメディアを目指すツバメコーヒーと、燕エリアのお店が続きました。最終回・第3回は三条の魅力的なお店のお話をご紹介します。

このたび燕三条エリアを取材することになり、「やった〜、この機会にこのお店にも行くことができるかも!」と思ったのが、今回ご紹介する「三条スパイス研究所」です。

以前、東京・押上にあるスパイス料理の人気店「スパイスカフェ」にうかがって、そのメニューの独自性やお店の雰囲気のよさに魅せられた経験があります。

そのスパイスカフェの店主である伊藤一城シェフがメニューを監修したのが三条スパイス研究所です。

この店のオープンには伊藤シェフのみならず、さまざまな分野のクリエーターが関わってきました。新潟の金物産業の街に、なぜこのような店が誕生したのでしょうか?

街に「えんがわ」をつくるプロジェクト

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三条の街で「三条スパイス研究所」への行き方を訪ねると「ああ、『えんがわ』のことね」と言われました。地元ではそう呼ばれているようです。

その建物を一目見れば納得。木造の大きな三角屋根と柱が印象的な建物の側面には、人が腰掛けられる長い長い縁側が付いています。

住宅をはじめとした作品で高い評価を得ている建築家、手塚貴晴・由比夫妻設計の建物は、三条の街角でも断然目立っています。その名も「ステージえんがわ」。

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長い長い「えんがわ」。
長い長い「えんがわ」。

この斬新な建物のなかに入る飲食店として「三条スパイス研究所」ができた経緯を、プロジェクトの立ち上げから統括ディレクターとして関わってきた山倉あゆみさんにうかがいました。

お話を伺った山倉あゆみさん。
お話を伺った山倉あゆみさん

誰でも利用しやすい「カレー店」が当初のプラン。しかし‥‥

「ことのはじまりは、全国各地の自治体が行っている『スマートウェルネス事業』に関して三条市が行っている施策でした。

これは、簡単に言うと誰もが健康に安心して暮せる社会を実現しようというものなんですが、特に『えんがわ』のある北三条エリアは一人で暮しているお年寄りが多く、そんなお年寄りが少しでも外に出て人と交わることができるように、全天候型の屋根付き広場の建設が決まっていました。

足を運んでもらうために建物の中に飲食店を設置する話が出て、高齢の方も受け入れやすい、和食かカレーのお店に絞られた。でも和食は家で食べるから、外食ならカレーの店がいいかな?と話が進んだようです」

「えんがわ」から奥へ広がるスパイス研究所。
「えんがわ」から奥へ広がるスパイス研究所

カレーは日本の国民食であると同時に、新潟県は一時期カレールーの消費量全国日本一だったという土地でもあります。

特に燕三条では家族経営の工場や、女性も工場で働いている家庭が多く、作り置きできるカレーは日常食の主力メニューでもありました。

三条の地元の名物としては、ラーメンの上にカレーをかけたカレーラーメンもあります。これは工場への残業食の出前メニューとして生まれたものでした。

監修を依頼したのは東京の名店「スパイスカフェ」の伊藤シェフ

「えんがわ」に入居する飲食店はカレー屋さんということでプランは進み、東京のスパイスカフェの伊藤シェフがお店を監修することになりました。ここで、地域コーディネーターという形で山倉さんがこのプロジェクトに参加します。

「カレーの店というのは決まっていたんです。だけど、伊藤シェフにご挨拶に伺って瞬時に気づいたんですが、伊藤シェフはみんなが想像している欧風カレー屋さんではなくて、スパイス料理店のシェフだったんですよ!」

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いわゆる日本独自のカレーと、スパイス料理は異なるものです。世界各国のスパイスを用いながら、カレーも含むスパイス料理を提案したのが伊藤シェフの「スパイスカフェ」でした。

さて、どうしたら元々身近なカレーではなく、スパイス料理とこの街を結びつける物語を生み出せるか。

「正直、ハードルは高かったです。でも、不思議と挑戦してみよう!という気持ちになりました。個人的にも、自分がおばあちゃんになった時に暮らしたいと思える街づくりに、興味があったのです」

山倉さんたちはこの施設で提供するものをカレーからスパイス料理へと軌道修正をしつつ前に進んでいくことになります。

「ミクスチャースタイル」のお店を目指して

「スパイスや旬の食材による料理を自分で混ぜながら食べていただく。それを私たちは『ミクスチャースタイル』と呼んでいるんですが、お店では、そのスタイルの定食を出すことになりました。

もともと、インド発祥のカレーは、混ぜ合わせながら食べる料理です。日本の常識ではお行儀が悪いようだけど、混ぜ合わせることによって新しい味が見つかる。

それは、これから作る公共空間にいろいろな人が来ることが、新しいまちづくりにもつながっていくだろうという期待感にも通じるものがありました」

名物はカレーとビリヤニ。合言葉は「にほんのくらしにスパイスを」

「三条スパイス研究所」のメニューは、カレー2種をごはんの上にのった4種類のスパイスおかずと共に楽しめるターリーセット。

もしくは、インド風の炊き込みごはん・ビリヤニにカレー1種とスパイスおかず3種を組み合わせたビリヤニセットが基本になっています。

ターリーセット1,200円(税別)
ターリーセット1,200円(税別)
ビリヤニセット1,500円(税別)
ビリヤニセット1,500円(税別)

カレーやビリヤニには、三条産のスパイスや切り干し大根、打ち豆など新潟の郷土料理にも出てくるような保存食も使われています。スパイスの調合は伊藤シェフが監修。

店内で使われている金属製のトレイやカトラリー、調理器具なども、地元のコーディネーターにより選ばれ、燕三条産のものと世界各地のものとがバランス良く混ざり合う、まさに独自のミクスチャースタイルを表現しています。

売上げ1位のすごいウコンを栽培しているおじいちゃんから教わったこと

木のあたたかみある店内。
木のあたたかみある店内

「飲食店の計画と同時に行われた街の調査で、三条は金物の中小工場がたくさんあるので日本一社長の多い街であること、高齢者になっても自分の持っている知識や技術を大切にしたいと思っている方がたくさんいらっしゃることがわかりました。

その調査中、三条の下田というエリアの直売所に行ってみたところ、ウコン、キハダ、ドクダミなどが販売されていたんです。

そこで一番の売り上げだというウコンを栽培しているのが87歳のおじいちゃんだと聞いて、その方に会いにいってみました」

ウコンはターメリックとも呼ばれるスパイスで、カレー料理には不可欠なもの。カレーの黄色い色は、ターメリックの色でもあります。

「そのおじいちゃんが定年退職後、初めて旅行に行った沖縄で出会ったのがウコン。苗を持ち帰って25年間、土づくりなどさまざまに栽培方法を改良されて、今では売り上げナンバーワンの立派なウコンを作っているというんです」

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「その頃、私たちはこのプロジェクトに関わりながら、『スマートウェルネス』というテーマになかなか答えを見つけられずにいました。

そんな中、そのおじいちゃんが自分の興味のあることを価値ある仕事に変えていく姿をすごくカッコよく、眩しく感じたんです。三条にはそうしたカッコいいお年寄りが多い。

ご高齢の方との関係を、守り守られるという観点ではなく、彼らの持つ知恵や技術をカッコいい、眩しいと感じられる関係性に変えていくこと。

これが、取り組みのあるべき姿と重なりました。お年寄りの『食』の知恵を生かせるようなメニューを作ろうという話になったんです。

考えてみるとショウガやワサビ、シソなど生のスパイスを食べる文化があるのは日本だけなんですよね。

そのユニークさに改めて気がつき、伊藤シェフとともに日本のスパイス料理をここから世界に発信していくプロジェクトとして掲げたのが、『にほんのくらしにスパイスを』というこのお店のコンセプトです」

人も食も「混ざり合う」場所に

2016年3月にオープンしたステージえんがわと三条スパイス研究所ですが、この工場の街ではどのように利用されているのでしょうか。

「ステージえんがわは公共施設なので、この空間にはどんな人が入ってきてもいいんです。建物の外の縁側に座るだけでもいいし、おにぎりを持ってきて食べてもいい」

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「毎月2と7のつく日には朝市が開催されていて、その時にはスパイス研究所では『あさイチごはん』という朝ご飯を500円でお出ししています。朝市では地域のいろいろな食材と出会えるので調理スタッフたちも大いに刺激を受けています。

また、ここは建物の外から内部が見通せるので、それをきっかけに自分も何かしてみようかなと思ってもらえるような空間でもあるんです。

65歳以上の人の劇団を組織して活動していたり、歌詞カードを配って100人以上がみんなで一緒に歌う『歌声喫茶』のイベントが開催されていたり。

地域ラジオ放送局である『燕三条FM』の『さとちん電波』という番組の生放送も毎週行われています。その日には毎回100人近くのお年寄りが音楽に合わせて扇子を持って踊る。本当に楽しそうなんですよ」

三条のローカルな魅力に触れるなら、スパイス研究所へ

「スパ研」は、地元の金物工場で働く人たちにも愛用されているとか。

「燕三条の金物産業は世界レベルで、この街から海外に出張に出かけられる方も多い。仕事で訪れた県外のお客様をお連れになる工場関係の方もたくさんいらっしゃいます。

そういう方にもぜひ、スパイス料理を通じて三条発のローカルの魅力を感じてもらいたいです」

地元の職人さん社長さん、お店のスタッフ、家族連れ、出張で訪れた人、おじいちゃん、おばあちゃん。様々な人が行き交い、混ざり合う研究所の脇には、畑があります。そこに植えられているのは、あの下田のおじいちゃんのウコンです。

「2016年の3月に『えんがわ』と『スパイス研究所』が発足して、5月の末にウコンを植えました。

指導を受けながら大切に育ててきましたが、まだまだ下田のおじいちゃんの育てているウコンとは大きさも何もかも違う。それでも11月には無事に収穫して、スパ研産のターメリック入リカレーが登場しました。ここはスパイス畑の見渡せるスパイス料理店です」

来年のウコンはもっと立派に育つことでしょう。そのウコンの成長ぶりが、三条スパイス研究所が地元に根付いていくことに重なるようにも思えます。

三条スパイス研究所
新潟県三条市元町11番63号
0256-47-0086
http://spicelabo.net/


文:鈴木伸子
編集:尾島可奈子
写真:神宮巨樹

こちらは、2016年12月28日の記事を再編集して掲載しました。

三重のイガピザで過ごす、米粉ピザとツリーハウスのある週末

忍者の里として知られ、「忍びの国」と言われる三重県伊賀市。

中心地から少し外れたところに、ナポリの本格窯で焼いた米粉ピザを食べられるお店ができたらしい。四方を緑で囲まれたのどかなウッドハウスのピザ屋さんには広いテラスがあり、ゆっくりと寛ぐことができるそう。おまけに、裏山にはツリーハウスやハンモックがあって、自然の中で遊ぶこともできるのだとか。

そんな話を聞いて、行かないわけにはいきません。

伊賀の中心地から車で約20分。本当にこの先にお店があるのだろうかと少し不安になるような田舎道を進み、ナビに指定された通り脇道へ入っていきます。四方を山と畑で囲まれたその先に、一軒の建物。入口の「山本工房」と書かれた看板の下に「iga piza」と書かれたピザ屋さんの看板を見つけました。

「iga piza」への入口。木工工房の「山本工房」さんの奥にピザ屋さんがあります

ちょっと急な坂を登り木工工房になっている大きな平屋を抜けて奥へ進むと、きれいなウッドハウスが出現。ここが目的のピザ屋「iga piza」さんです。

大きな窓が気持ちいいウッドハウス

「iga piza」さんは、ボタン作家の長瀬清美さんが始められた週末だけのピザ屋さん。
この建物はなんと、セルフビルド。清美さんのご主人であり木工作家の山本伸二さんが裏山の植林を切って一から作られたのだそう。驚きです。(まだ驚くのは早かったことを後に知ることになります)

田んぼに面した開放的なテラス
思いっきり深呼吸したくなる空気です

薪の窯で焼く、米粉のモチモチピザ

ピザを焼くのは、本場ナポリから仕入れた本格的な薪窯。火をおこす薪は、近くで取れたものを使います。

ナポリの老舗メーカー、アクント・マリオ社の薪窯

地元伊賀米の米粉と三重の小麦をブランドして発酵させた生地に、地元で採れた野菜や自家製ベーコンを乗せて焼き上げます。500度の薪窯で一気に焼き上げるピザは、新鮮な具材の味をそのまま感じることができ、その美味しさは感動もの。ピザはジャンクフードだなんて誰が言ったんだろう。ここのピザは、体に優しい味がしました。

外側はぱりっと、中はもちもちの生地がたまりません
人気の「ナポリピザ」。小さめに作られたピザは、何枚でもいけそう

裏山は、大自然の遊び場

「裏山行くよー」と、山本さんが案内してくださったお店のすぐ裏に広がる森。
出てすぐのところに吊るしてあるハンモックを横目に、緩やかな階段を登るとすぐにツリーハウスが出現しました。

高さ3メートルほどのところに作られたツリーハウス

私、生まれてはじめて自然のツリーハウスを見ました。「子どもだけじゃなくって、ここに来ると大人も少年少女に戻って遊ぶんですよ」と山本さんがおっしゃるように通り、無性に心がワクワクして、目の前に広がる光景に自動的にテンションが高まっていくのを感じます。

ツリーハウスへは、ロープで登ります

「友だちの子どもと約束しちゃったから作った」というツリーハウス。作る約束をしたらツリーハウスの絵を描いて持ってきたから、作らなきゃいけなくなっちゃったのだそうです。そこで本当に作ってしまうのがすごいところ。気候のいい日は、お客さんが泊まったり、山本さんやお子さんの寝室になったりしているそう。誰にも邪魔されず、風の音や木の揺れを感じながら静かな時間を過ごせる木の上の空間。なんて素敵なのだろう。

ツリーハウスの近くにあったハンモック
お手製の吊り木

他にも、お手製のブランコやハンモックのある裏山は、近所の子どもや大人がやってくる遊び場になっているのだそう。近くにこんな自然を満喫できる遊び場があるなんて本当に羨ましい限りです。(忘れそうですが、ここはいわゆる自然体験場などの営業施設では無く、あくまで個人宅の裏山。豪華な遊び場です。)これから、裏山から道路側に抜ける大きなウッドデッキを作る予定なのだそう。ますます人が増えそうです。

平日は、ボタン制作

清美さんの本業は、ボタン作家さん。
ピザ屋さんの隣にある母屋が、木工作家の山本さんとボタン作家の清美さんのご自宅兼アトリエになっています。(なんと母屋も10年かけて山本さんが建てられたのだそう!)
工房には、清美さんの作られたボタンがたくさん並んでおり、そこで作品を買うこともできるそうで、伺った時もちょうどピザを食べた後のお客さんがボタン選びを楽しまれていました。

清美さんが作られたボタンのストックが並ぶ
木工作家の山本さんとボタン作家の清美さんご夫婦の共同のアトリエ
工房で見つけたお二人の結婚式のお写真

大学卒業後、ボタン問屋さんでずっとボタン作りをされていたという清美さん。独立後は、ハンドメイドでしか作れないオリジナルのボタン作りを続けられています。木、鹿角、象牙、陶器、ポリエステル樹脂、貝などいろいろな素材で作られる、清美さんのボタンはとても人気で、普段はボタンを使った製品を作るメーカーや手芸屋さんからの依頼が絶えないそうです。(さんちの運営会社である中川政七商店も、鹿角や漆のピンバッジや楓の木の指輪などを作って頂いています。)
型取りをして、穴を開けて、絵を書いて、削って、磨いてと、ひとつひとつの工程が手作業によって作られる手の込んだボタンには、機械には出せない温かみがあります。

ポリエステルを何度も流し込んで層にしたボタンの素材
スライスして、穴を開けて、削って、磨いて、ようやくひとつのボタンができる

平日はボタン作家さんとして忙しく活動をされている清美さん。伺った週末、たくさんの受注表を前に「ピザ焼いている場合じゃない。ボタン作らないと!」と笑われます。

ボタン作家・長瀬清美さん

そんな清美さんが、ピザ屋を始めた訳を聞くと、「兼業農家さんの実家に戻ってきた友人の娘さんの元気が無く、何か米粉を使って楽しいことをしようとなったのがきっかけ」だと教えてくださいました。ひとりの人の元気付けるために始めた大掛かりな事業。「飲食店をやるなんてこれまで思ってもみなかった」とおっしゃる思いがけないピザ屋さんも、素敵な空間を一から作り、薪窯を取り寄せ、素材を厳選して作るこだわりようは、物づくりをお仕事にされているお二人らしいなと思います。

週末はピザ職人に

そんな週末のピザ屋さんは、今ではかなりの人気店。地元の人を中心にたくさんのお客さんで賑わいます。平日にはヨガや英語教室など、ご近所の方たちが使うスペースとして活用されています。ウエディングパーティーなんかも行われたのだそう。

清美さんと山本さん。仲のいいご夫婦

友だちのお子さんや農家さんなど、誰かのために作られた遊び場やピザ屋さん。元々ものづくり工房だった場所は今、たくさんの人が集まる伊賀の新たなスポットになっていました。旅の目的として、わざわざ行きたくなるような気持ちのいい場所です。ぜひ足を運んでみてください。

iga piza (イガピザ) / 山本工房
三重県伊賀市上友田2216-1
0595-43-2121
営業時間:
土・日・祭日 / 12:00-18:00

facebook
ボタンズファクトリーHP

こちらでボタンを購入できます
長瀬清美さんiichiショップ

文: 西木戸弓佳
写真: 菅井俊之

京扇子と江戸扇子の特徴や違いは?扇子のデザインに込められた意味を探る

初めは、風を起こす道具ではなかった扇子

こんにちは。THEの米津雄介と申します。

 

連載企画「デザインのゼロ地点」、7回目のお題は、日本で独自に生まれた折り畳み団扇 (うちわ) 。そう「扇子」です。

僕はなぜか昔から折り畳みとか軽量とか小さくなるといった持ち運べるための設計に心を打たれることが多いのですが、扇子はまさにそれ。

第2回でお題となったはさみと同じように、扇子も古くから大きな形状の変化のないプロダクトですが、やはりその理由は携帯用の団扇として完成度の高い設計だからではないでしょうか。実は替えの効かない道具のように思います。

とはいえ種類も豊富でどこで買って良いかもわからず、なんだか敷居が高そう。その上、正しい使い方やもしかしたら作法なんかもあるのかも‥‥なんてことを考えてしまってなかなか手が出ません。

今回改めて扇子の諸々を調べていて最初に驚いたのはその出自。実は扇子は、涼を取るために風を起こす道具として生まれたわけではなかったそうです。

扇子のはじまりは、約1200年前の平安時代、京都。世界で最初に生まれた扇子は、木の板を重ねて束ねて作られた「檜扇 (ひおうぎ) 」と呼ばれるものだったそうです。

平安時代から少し時代を遡った5世紀頃、文字の伝来とともにその文字の記録媒体として「木簡」という薄い木の板が輸入されます。

平安時代に入り、宮中などで文字や木簡が広く使われはじめると、記録する文字が増え、一枚では足りず紐で綴って使うようになったそうです。そしてこれが檜扇の原型ではないかと言われています。

「彩絵檜扇 (さいえひおうぎ) 」平安時代後期 装飾としても使われていた

つまり、今と違って「扇 (あお) ぐ 」ことが主目的ではなく、贈答やコミュニケーションの道具として和歌や花が添えられたり、公式行事の式次第などを忘れないようにメモする道具として使われていました。

無地の檜扇は男性の持ち物でしたが、色や絵が施されるようになると女性が装飾のために用いるようになったそうです。「源氏物語」など、多くの文学作品や歴史書にもその記録が残っています。

ちなみに「団扇」は紀元前の中国や古代エジプトで既に使われていて、扇ぐ道具でもあったそうですが、権威の象徴や祭祀に関わる道具としても用いられていたそうです。

そして、檜扇に続き、紙製の扇子もあらわれました。片貼りという骨にそのまま紙を貼っただけのもので、扇面の片側は骨が露出している状態でした。

この扇子は「蝙蝠扇 (かわほりせん) 」と呼ばれていたのですが、広げた時の様が蝙蝠 (コウモリ) の羽のように見えることからという説があります。

また、蝙蝠扇は現在の扇子と同じように涼をとるのにも用いられ、「夏扇」とも呼ばれていました。対して檜扇は「冬扇」といい、季節や場面によって使い分けられていたようです。

蝙蝠扇 (かわほりせん) 写真提供:伊場仙

その後、日本で生まれた檜扇や蝙蝠扇は鎌倉時代に宋 (中国) への献上品として海を渡り、室町時代に「唐扇 (とうせん) 」という呼び名で日本へ逆輸入されることになります。

唐扇は、骨数が多く紙を両面に貼ったもので、ここで現在の扇子にかなり近いものが出来上がったそうです。またこの頃から様々な扇子の形が生み出され、茶の湯や芸能にも用いられるようになります。

さらに、江戸時代に入ると国の保護を受ける指定産業となり、京都から久阿弥 (きゅうあみ) の寶扇堂 (ほうせんどう) 初代金兵衛が呼ばれ、江戸でも生産が始まることで、扇子は庶民の必需品となっていきます。

送風を主として、茶道や能・狂言・香道・舞踊・冠婚葬祭や神社仏閣の儀礼用など、実に様々な用途で広まった扇子ですが、ここではやはり涼を取るための道具としてのデザインのゼロ地点を考えてみようと思います。

京扇子と江戸扇子

国の指定伝統工芸品にもなっている「京扇子」。前述の通り、起源は平安時代。歴史的にも古く、国内でも最も多く流通しているのが京扇子です。京都らしく雅な絵柄が特徴。

筆記用具として使われていた木簡をルーツとし、当時は主に貴族向けで、一般庶民が使用することはありませんでした。扇面はその装飾や材質で身分を表し、貴族にとってステータスシンボルとなるものでした。

詩歌をしたためるのでどんどん骨数も多くなり、コミュニケーションのため装飾も華やかになったそうで、女性的な佇まいを感じます。

先月の細萱久美さんの記事にも掲載された宮脇賣扇庵 (みやわきばいせんあん) 。鳥獣戯画扇子/名入り別注扇子

一方で、都が江戸に移ってから庶民の道具としても普及した「江戸扇子」。
はじめは武士社会の中で発展し、茶室で刀の代わりに使い、敵意がないことを表す道具でもあったそう。そしてほどなくして、江戸の町人にも扇子が普及します。

人に見せるためのデザインではなく、見えないところに細工を施したり、素材にこだわることが「粋」とされ、武士=男社会の中で発展していったこともあり、骨数が少なく、持ち運びがしやすく、装飾も隠喩したものが主流になりました。

また、琳派の祖と言われる俵屋宗達や、かの有名な葛飾北斎などの絵師達が多くの扇面画を手掛けたそうです。

もともと、浮世絵や日本画の版元だった日本橋・小舟の伊場仙。「江戸扇子」 (柿渋)

京都の「雅」と、江戸の「粋」。
2つの対照的な扇子は生まれた時代は大きく違えど、扇子のオリジンと呼べるのかもしれません。

そしてもう一つ、「扇子」と聞いた時にパッと思い浮かんだのは落語でした。
名前も知らなかったのですが、扇子といえばあの噺家の扇子。正式名称は「高座扇」や「高座扇子」というそうで、「落語扇」とも呼ばれます。

浅草・文扇堂の「高座扇」 (THE SHOPでも取り扱いがあります)

少し大きめの7寸5分 (約23センチメートル) でがっしり作られ、扇ぐだけでなく、落語の見立て道具として使われるアレです。箸、筆、タバコ、徳利や杯、しゃもじ、刀、釣り竿‥‥等々、様々なものへの見立てとして使うため、主張の少ない白無地が多く、骨の数も数本少ない。

実は落語だけでなく歌舞伎役者や棋士にも愛され、白無地であることも相まって、京扇子や江戸扇子にはない匿名性が際立ちます。扇子素人の僕でもパッと思いついてしまう「誰もが知る扇子」として、最も扇子らしい扇子なのかもしれません。

写真の高座扇は、浅草の文扇堂さんのもの。歌舞伎や噺家の名門から長く愛される創業120年の老舗扇子店です。THE SHOPでもお取り扱いがありますので是非 (笑)

デザインのゼロ地点・「扇子」編、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
伊場仙
荒井文扇堂
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

※こちらは、2017年8月10日の記事を再編集して公開しました。

「東北絆まつり」から予習する、東北6大祭りの見どころ

まもなくやってくる夏本番。夏といえばお祭りを連想する人も多いかと多いますが、特に夏の東北は有名なお祭りが数多く開催され、ほかの地方にはない独特の熱気につつまれます。

福島では6月1日と2日の2日間にわたって「東北絆まつり」が開催。これは東日本大震災からの復興を祈念して開催されていた「東北六魂祭」をリニューアルしたもので、東北6県を代表するお祭りが集結します。各お祭りのダイジェスト版を一度に楽しめる贅沢なプログラムで、山車や踊りなどそれぞれの特色を前面に押し出した豪華絢爛なステージやパレードに会場は例年大いに盛り上がり、たいへん賑やかな2日間となります。。

今回は「東北絆まつり」の風景を紹介しながら、この夏おすすめの東北のお祭りをいち早くご紹介。その魅力を存分にお伝えします! きたるべき夏休みに向けて、ぜひ東北も旅行先の候補に加えてみてください。

今回ご紹介する東北の6つのお祭りはこちら

1.「青森ねぶた祭り」 ↓

2.「秋田竿燈(かんとう)まつり」 ↓

3. 「盛岡さんさ踊り」 ↓

4.「山形花笠まつり」 ↓

5.「仙台七夕まつり」 ↓

6.「福島わらじまつり」 ↓

1.ただただ圧倒されるねぶたの勇姿

青森ねぶた祭り

東北最大のお祭りとして名高い「青森ねぶた祭」は、七夕祭りの灯籠流しが起源ともいわれています。目抜き通りへ出陣する巨大なねぶた(張り子を乗せた山車)をひと目見ようと世界中の人たちが夏の青森に押し寄せ、毎年250万人以上の動員を記録。歴史上の人物や地元の伝説を題材にしたねぶたは迫力満点で、すぐれた団体を表彰する「ねぶた大賞」も注目を集めています。

また、注目したいのが「ハネト(跳人)」と呼ばれる踊り手たち。色とりどりの花笠を被り、「ラッセラー、ラッセラー」という威勢のいいかけ声で祭りを熱く盛り上げる姿は見ているだけでパワーがもらえそう。

じつはこのハネト、正式な衣装を着ていれば観光客も自由に参加可能なんです。衣装の貸し出しをしているお店もあるので、「ねぶたの熱気をより近くで感じたい!」という人におすすめです。

開催日 : 2019年8月2日 (金)~8月7日 (水)

開催場所 : 青森駅周辺、青森港

公式サイト : https://www.nebuta.or.jp/

2.竿燈を自在に操る妙技をご覧あれ!

秋田竿燈(かんとう)まつり

「秋田竿燈まつり」は真夏の病魔や邪気を払う「ねぶり流し(眠り流し)」の行事として始まり、実に250年以上の歴史を誇ります。

見どころはなんといっても竿燈を使った妙技。重さ50キロ、高さ12メートルもある巨大な竿燈を、名人がお囃子に合わせて自由自在に操ります。

竿燈は稲穂に、提灯を米俵に見立てていて、五穀豊穣を祈る意味合いもあるのだとか。

いくつもの提灯をぶら下げたゆらゆらとしなる竿燈を、絶妙なバランス感覚で肩に額にと乗せていく様はまさに職人芸。型が完成するたびに周囲には拍手や歓声が飛び交い、会場に一体感が生まれます。毎年120万人以上の来場者が詰め掛ける、ここでしか見ることができない秋田の夏の風物詩です。

開催日 : 2019年8月3日 (土)~8月6日 (火)

開催場所 : 竿燈大通り一帯

公式サイト : http://www.kantou.gr.jp/index.htm

3.魂まで震える1万人の太鼓群舞

盛岡さんさ踊り

2018年は4日で133万人が来訪した「盛岡さんさ踊り」。三ツ石神社の鬼退治伝説にルーツを持ち、鬼が退治されて喜んだ里の人たちが「さんさ、さんさ」と踊りまわったのが誕生のきっかけとされています。

真夏の空の下、太鼓の音を轟かせながら進むパレードは圧巻のひと言! 振り付けは地域によって少しずつ異なるので、お気に入りの団体を見つける楽しみもありますね。パレードのあとに開催される輪踊りは誰でも気軽に参加することができます。

また、さんさ踊りは和太鼓の同時演奏数で2014年にギネス世界記録に認定されています。最終日(4日)のフィナーレを飾る「世界一の太鼓大パレード」では、当時の演奏の再現として各団体のさんさ太鼓の敲き手が大通りに集結。1万人による太鼓だけの群舞は、力強い音色が体の芯まで響きわたります。

開催日 : 2019年8月1日 (木)~8月4日 (日)

開催場所 : 岩手県盛岡市 中央通会場(県庁前~中央通二丁目)

公式サイト : http://www.sansaodori.jp/

4.3日間だけ咲き誇る山形の紅の花

山形花笠まつり

「山形花笠まつり」は昨年約100万人を動員した山形屈指のお祭り。花笠まつりは山形市内外でもいくつか開催されていますが、この「山形花笠まつり」が国内最大規模となります。華やかな衣装に身を包んだ踊り手たちが「ヤッショ、マカショ」という威勢のいいかけ声に合わせて息のあった群舞を繰り広げ、花笠太鼓の勇壮な音色がそれをさらに盛り上げます。

山形市内のメインストリートを紅花をあしらった花笠が埋め尽くす光景はえも言われぬ美しさ。踊り手が花笠を振ったり回したりするたびに紅花が波のようにうねる様子は思わず時を忘れて見入ってしまいます。

開催日 : 2019年8月5日 (月)~8月7日 (水)

開催場所 : 中心市街地約1.2キロメートル直線コース(十日町・元町七日町通り〜文翔館)

公式サイト : http://www.mountain-j.com/hanagasa/

5.笹飾りゆらめく日本一の七夕祭り

仙台七夕まつり

伊達政宗公の時代から続く「仙台七夕まつり」。「8月なのに七夕?」と不思議に思う人もいるかもしれませんが、これは当時との季節感のずれを減らすために中暦を採用しているため。日本一の七夕祭りとして知られ、毎年200万人以上が来場しています。

仙台七夕まつりの一番の見どころは、仙台市内を鮮やかに染め上げる巨大な笹飾り。毎年10メートル以上の竹を切り出して手作りしているもので、色とりどりの和紙飾りが風にたなびく光景は非常に幻想的です。

躍動感あふれる地元仙台のすずめ踊り

開催日 : 2019年8月6日 (火)~8月8日 (木)

開催場所 : 仙台市中心部および周辺商店街

公式サイト : http://www.sendaitanabata.com/

6.巨大な大わらじが市内を練り歩く!

福島わらじまつり

羽黒神社に奉納されている大わらじにちなんで開催される「ふくしまわらじ祭り」。日本一ともいわれる大わらじは長さ12メートル、重さ2トンにもなる特大サイズで、古くからお伊勢参りなどの長旅に出発する人たちに旅の安全や健脚を祈って奉納されてきました。

この大わらじを担いで福島の町を練り歩くパレードはお祭りの最大の見どころ。また、フィナーレを飾る「ダンシングそーだナイト」は、従来の「わらじ音頭」をヒップホップ風にリメイクしたユニークな取り組みです。振り付けは自由ということで、各団体が独創性に溢れた情熱的なダンスを披露します。新旧の文化をミックスした斬新なスタイルは要注目です。

開催日 : 2019年8月2日 (金)〜8月4日 (日)

開催場所 : 国道13号 信夫通り

公式サイト : http://www.fmcnet.co.jp/waraji/index.html

いかがでしたでしょうか。夏に向けてますます熱気が高まる東北のお祭り。いずれも当日は大変な混雑が予想されるので、早め早めの予定立てがおすすめです。ぜひ、足を運んでみてくださいね!

開催情報一覧

1.「青森ねぶた祭り」

2019年8月2日 (金)~8月7日 (水)

青森駅周辺、青森港



2.「秋田竿燈(かんとう)まつり」

2019年8月3日 (土)~8月6日 (火)

竿燈大通り一帯



3. 「盛岡さんさ踊り」

2019年8月1日 (木)~8月4日 (日)

岩手県盛岡市 中央通会場(県庁前~中央通二丁目)



4.「山形花笠まつり」

2019年8月5日 (月)~8月7日 (水)

中心市街地約1.2キロメートル直線コース(十日町・元町七日町通り〜文翔館)



5.「仙台七夕まつり」

2019年8月6日 (火)~8月8日 (木)

仙台市中心部および周辺商店街



6.「福島わらじまつり」

2019年8月2日 (金)〜8月4日 (日)

国道13号 信夫通り

文 : いつか床子
写真 : 尾島可奈子

※こちらは、2017年7月17日の記事を再編集し、日付などを今年のものに更新して公開しました。

大人も使える、地下足袋から進化したキッズ用レインブーツ

こんにちは。細萱久美です。

連載「日本の暮らしの豆知識」、旧暦で水無月のお話です。水無月の「無」は、「の」にあたる連体助詞なので、「水の月」という意味になります。

新暦だと6月は梅雨時期なのでまさに水の月ですが、旧暦だと梅雨は明けた時期なのでそこに語源は無さそうな。諸説ありますが、田植えが済んで、田に水を張る必要がある月なので「水の月」となったと考えられます。

旧暦は月と太陽の運行を両方取り入れており、自然の営みを緻密に予測できる暦なので、現在でも自然のリズムと密接な農業や漁業などに関わる方々には活用されているそうです。

新暦と旧暦に時期のずれがあるので歳時記も若干異なってきますが、新暦6月のイメージはやはり一番には梅雨でしょうか。情景も雨、傘、てるてるぼうず、あじさいあたりが浮かびます。大人になった今では、じめじめ蒸し暑いのは得意ではないですが、小さな頃はもっと季節の移り変わりを楽しむ余裕がありました。

視線の高さが低かったこともあり、草花の変化や昆虫類にも興味津々だった記憶が。梅雨の頃によく出没するカタツムリを触ったり観察したりしていました。今ではカタツムリもだいぶ減った気がしますが、大人になって気にしなくなっただけなのかもしれません。

梅雨を楽しむレインアイテム。キッズ用のレインブーツ

大人の梅雨の楽しみ方、過ごし方としてはレインアイテムにこだわるのも一つ。私はなるべく軽やかに過ごしたいのでレインコートは着ませんが、お気に入りの傘と長靴を持っています。傘に以前はさほどこだわりもなく、しょっちゅう無くしていましたが、少し良い傘を使い始めたら大事に使うようになり、今のところ無くさずにすんでいます。

長靴は脱ぎ着が楽なショート丈を愛用しています。台風でもなければこの丈で十分。この長靴は、実はキッズ用なのです。ネットで見つけて、コロンと丸みのある形とシンプルなデザイン、ネイビーというシックな色に惹かれました。

サイズも揃っており、価格も3000円代とリーズブルなので衝動買いをしてしまいました。作っているのは、地下足袋の生産に始まり、140年に渡って靴を作り続けるムーンスターです。国産スニーカーが好きな方であれば、「made in 久留米」のブランドとしてもご存知かもしれません。

タイヤメーカーのブリヂストンの創業地としても知られる久留米の基幹産業はゴム産業で、ムーンスターでは底にゴムをひいた「地下足袋」が発展してスニーカーとなり、ゴム長靴や学校の上履きなども作られるようになりました。今でも上履きは主力商品の一つで、年間500万足もが販売されているそうです。育ち盛りで、消耗も激しい盛りなのでそんな数量になるんですね。

この長靴は、日本で商品企画されて製造は海外ですが、品質はもちろんしっかりしています。改めてよく調べたら抗菌・消臭効果もあり、軽量設計という機能付き。夜間の歩行に役立つリフレクター(反射素材)がヒール部分に付いているのが唯一のアクセントで、それ以外はいたってシンプル。キッズ長靴で検索すると、カラフルか柄モノが多い中で、マットな質感でとびきりのストイックさがかえって目立ちます。

大人用の長靴にもなかなか無い雰囲気で、社内にも愛用者がちらほら。ベストセラーではないかもしれませんが、ムーンスターの以前の商号である「つきほし」ブランドなので、きっと定番的ロングセラーだと思います。このような、実直な定番アイテムが息長く残ると良いなと思わせる、水無月の暮しの道具です。

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<掲載商品>
キッズレインシューズ(ツキホシ)

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

※こちらは、2017年5月28日の記事を再編集して公開しました。

老舗の八百屋がつくったドレッシング。新ブランド「半吾兵衛」の誕生秘話

漬物屋さんの危機感

新潟で生まれた甘みたっぷりのイチゴ「越後姫」、雪の下で越冬して甘みを増した魚沼産のにんじん、新潟ですべて消費されて県外に出回らない梅「越の梅」‥‥。

厳選した新潟県産の野菜と果物を惜しみなく使用した「八百屋のドレッシング」は、素材本来の味を保つために化学調味料、合成保存料、合成着色料無添加で、非加熱製法を採用している。

野島食品「八百屋のドレッシング」

フレッシュでジューシーな野菜と果物の風味そのままに、赤ちゃんからお年寄りまで楽しめる安心、安全なドレッシングを実現したのは、新潟県三条市の野島食品。

創業は江戸時代の1811年(文化8年)。200年以上の歴史を持つ老舗の漬物屋さんだ。なぜ漬物屋さんが、ドレッシング?そこには危機感があったと社長の野島謙輔さん。

野島食品 社長の野島謙輔さん
野島食品 野島謙輔社長

「漬物は、トレンド的には右肩下がりの状態です。将来的にどうしようかというところで、弟と何度も会議をしていましたが答えが見えず、七転八倒していました」

実は野島食品では一度、新規事業としてドレッシングをつくったことがあった。「八百屋のドレッシング」でも使っている「越の梅」と魚沼産の雪の下にんじんを素材にして、合成保存料、合成着色料無添加で、油は身体にいい紅花オイルを使用。

これに乳酸菌を添加した「乳酸菌ドレッシング」として500円の値段をつけた。これを売りに出したものの、手ごたえがなかった。それで、地元銀行の支店の社員に試食してもらい、アンケートをとったところ散々な結果が出た。

「返ってきたアンケートを見て驚愕したのは、何も伝わっていないというところでした。美味しかったという声は多かったんですが、アンケートのなかで7割、8割を超えていたのは、乳酸菌が伝わらない、雪下ニンジンが伝わらない、こだわりが伝わらない、ということでした。ショックでしたね」(謙輔さん)

「商品を作るのではなくてブランドを作る」

漬物だけじゃ、先行き不安。新商品で勝負したいけど、手ごたえなし。これからどうしたものかと悩んでいたところ、相談に乗ってもらっていた銀行員から「面白いから読んでみてください」と書籍を2冊、渡された。

それは、中川政七商店 代表の中川政七の著書だったが、当初は「いいことばかり書いてあるけど本当かな?銀行から借りたらコメントもしないといけないし、面倒くさいな」と思っていたという。

野島食品 社員インタビュー風景

しかし、しばらくして三条市から「コト・ミチ人材育成スクール 第2期」開校の知らせが届いた。そこに、塾長として中川政七の名前があることに気づいた謙輔さんは、三条市役所の知り合いに問い合わせた。

そこで太鼓判を押されたので、弟の優輔さんとふたりで説明会に参加。第1期の卒業生のケーススタディなどをみた後で、優輔さんが参加を決めた。

「僕も中川さんの本を読みましたが、頭では理解したつもりでも、いざ行動に移すとなると少し引いてしまうところがありました。こういった機会がないと、日々の仕事をしながらではなかなか取り組めないと感じていたので、参加してみようと思ったんです。

中川さんの本に『商品を作るのではなくてブランドを作る』と書いてあって、そのあたりをしっかり学びたいと思いました」

野島食品 社員インタビュー風景
弟の野島優輔さん

スクールの2期生は16名で、半数は地元企業の社長や社員、半数はデザイナーやクリエイティブディレクターだった。食品会社から参加しているのは優輔さんのみ。知り合いもいなかったが、授業後の飲み会に顔を出して少しずつ言葉を交わすようになっていった。

必死で考えた強みと弱み

講義は全6回。1回目「会社を診断する」、2回目「ブランドを作る(1)」、3回目「ブランドを作る(2)」、4回目「商品を作る」、5回目「コミュニケーションを考える」、6回目「成果発表会」と続く。

実際に地元企業の参加者とクリエイティブディレクター、デザイナーがタッグを組んで新商品、新サービスを開発し、最終日に成果を発表するという流れだ。

野島食品では、優輔さんが講座で学んできたことを毎回、幹部会議でアウトプット。宿題にも共に取り組んだ。謙輔さんは「自社の弱みや強みを考えることがつらかった」と振り返る。

「弱みは山のように出てきますが、強みがなかなか見当たらないんですよね。弱みも悲しくなるようなものばかりで(苦笑)。普段の生活では全 く意識できていませんし、やれと言われないとできないことですよね」

野島食品 分析資料

現実を見つめなくては、新しいことをスタートできない。ふたりは頭を悩ませながらも、自社の分析を進めた。そうすることで、「1811年創業の歴史」「漬物業で培った野菜の仕入れルート」が強みだと自覚できた。

さらに「野菜の生産者と一緒に頑張って、みんなで喜びあえるような商品をつくりたい」という想いも明確になった。そうして、新潟ならではの野菜に焦点を当てて、こだわりの味を消費者に届けるというコンセプトができ上がった。

野島食品のHP
野島食品のHPには、地元の生産者さん達の声が載っている

新ブランド「八百屋 半吾兵衛」立ち上げ

この時、ふたりの頭にあったのは、試食した人の7、8割から「良さが伝わらない」と酷評されてお蔵入りになったドレッシングだった。そこで優輔さんは、講座でチームを組んだ女性デザイナーに相談。やはり以前のドレッシングは情報を詰め込みすぎていると指摘を受けて、チームでいちからブランディング、デザインを進めることになった。

野島食品 インタビュー風景

「私はもともと、三条市にデザイナーがいるということすら知らなかったんですよ。いつもは印刷会社にデザインもお願いしていたんですが、特にコンセプトを伝えることもなく、でき上がってきたいくつかのデザインのなかから選んでいました。今回は事前にコンセプトを共有したことで、内容を理解したうえでデザインしていただけたと思います」

野島食品 八百屋のドレッシング チラシ

最も強調したかったのは「老舗の八百屋がつくった」という点。ほかに、野菜や果物の鮮やかな色が際立つこと、スーパーだけじゃなくおしゃれな雑貨屋などでも扱ってもらいたいという希望などを伝えたうえで、デザイナーと何度もやり取りを重ねた。

こうして初めてのデザイナーとの共同作業で完成したのが新ブランド「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」。

「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」

冒頭に記したいちご、にんじん、梅のほかに、枝豆、わさび、西洋梨の「ル・レクチェ」の計6種類だ。パッケージだけでなく、ロゴやホームページも新調した。ホームページでは、生産者のもとで取材と撮影をして、思いやこだわりを伝えている。これもデザイナーがいたからこそのアイデアだ。

「デザイナーの意見とぶつかることもあって、すり合わせをしていく作業は正直、大変でした。でも最終的に出来上がったデザインは、ロゴも含めて落ち着きがあっていいなと。本当に気に入っています」(謙輔さん)

野島食品 半吾兵衛 ホームページ
野島食品 半吾兵衛 ロゴのエプロン

社内に起きた変化

野島食品では、この新作ドレッシングの売り上げ目標を6,000本に設定。非加熱製法で要冷蔵のため、現在の販路は新潟県内の高速道路のサービスエリア、空港、JRの一部、雑貨屋と限られるなか、発売から1年ほどで目標を達成した。

優輔さんは「目標が低すぎた」と謙遜するが、漬物屋さんが新ブランドで大手ひしめくドレッシング市場に参入して、1本540円と800円という高価格帯で6,000本を売り上げたのは立派な数字だろう。講座に参加したことで、社内にも変化が現れているという。

「中川会長がよく共通言語と言っていますが、彼(優輔さん)が講座で学んできたことを社内でアウトプットしたことで、物事を順序立てて、論理的に考えるような仕組みが少しずつでき上がっている気がします。

あと、ドレッシングの販促でおしゃれな商品が集まる展示会に出展するようになって、女子社員がいきいきしています」(謙輔さん)

さらに、新事業を始めたのがきっかけで、社内の人材発掘にもつながった。野島食品では漬物やドレッシングに使う野菜を確保するために自社農場を始めたのだが、カメラが趣味でセミプロレベルの腕前を持つ男性の営業マンが農作業の様子や商品の撮影をして、フォトショップを扱える事務の女性社員がレイアウトするようになったそうだ。外注せずにすむからコストダウンにつながるし、なにより社員ふたりの表情が変わったという。

野島食品 社内で制作したチラシ

謙輔さん、優輔さんも変化した。なにかをやらなければと焦って会議ばかりしていた頃が嘘のように、今はアイデアが尽きず、新商品の開発にも積極的だ。

「新潟の野菜を美味しく食べるというコンセプトで、素材にこだわったぬか漬けの素をつくりました。地元の野菜や果物を使ったジャムやご当地グミもつくりたいですね」

コト・ミチ人材育成スクールで、塾長の中川政七が説いていることのひとつは「頭でいくら考えても仕方ない。とにかくやってみることが大切」。老舗の伝統、生産者との信頼関係を強みにした野島食品の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

野島謙輔さん、優輔さん
野島食品 社員のみなさん
「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」

<取材協力>
野島食品
新潟県三条市興野1-2-46
http://hangobei.jp/

文:川内イオ
写真:菅井俊之