伊賀で目にうつる全てのことはメッセージ

こんにちは、BACHの幅允孝です。
「さんち」の不定期連載も4回目。今回も中川政七さんと日本全国の工芸産地を巡ろうと旅に出たのですが、訪れたのは三重県伊賀市でした。
のっけから伊賀牛に舌鼓を打ち、まさかの忍者修行もこなし、苦労性の松尾芭蕉を知り、突然坂倉準三建築に出会いと、あいかわらずの行きあたりばったりの愉しい旅路で。是非ゆるりとご覧ください。

伊賀って、行かないよなぁ。これが比較的近所(愛知県西部にある津島市)で生まれた僕の、伊賀に持つインプレッションである。三重県には伊勢神宮もあれば、松阪牛もいるし、真珠も黒アワビも志摩の方では獲れるし「何とも贅沢な県」というイメージがあるけれど、海側のそれらとは逆サイド、内陸の伊賀には行ったことがなかった。多分、忍者になりたいと願ったことがなかったからだろう。
しかし、「いや、伊賀はめっちゃいいとこですよ」という中川政七さんの言葉に釣られ、今回は伊賀ヴァージンにさよなら告げることを決意。新幹線を降りた名古屋駅からレンタカーで90分、伊賀市内の芭蕉街に到着したのである。
当日は本社のある奈良から車で向かった中川さんが随分早く到着。なんでも奈良市内から50分車を走らせたら直ぐについてしまったのだという。実は8年前の市町村合併で奈良市と伊賀市は隣接したのだが、その事実を知らなかった中川さんの驚きに僕らも驚きつつ(知らなかったの!?)、京都や奈良からもかなり行きやすい立地に伊賀があることが判明した。

さて、というわけで最初は伊賀牛である。三重には松坂牛という世界的に有名なブランド牛が存在するけれど、伊賀牛も侮ってはいけない。濃厚でサシのたっぷり入った松坂牛と比べ、伊賀の牛は肉質が細く柔らかいことが特徴なのだとか。今回は、そんな伊賀牛を真昼間から堪能するため100年前から伊賀牛を扱う「金谷本店」を訪れた。ここは4代に渡って優れた血統を持つ伊賀牛をさらに改良、吟味したエリート伊賀牛たちを販売する精肉店であり、一方で老舗店舗の2階に上がれば肉料理が愉しめる。

しゃぶしゃぶ、ステーキ、バター焼きなど伊賀牛料理なら何でもござれの老舗店。しかしながら、一番の名物は「寿き焼(すきやき)」というから僕らは迷わずそれを注文。割り下を使わず、砂糖と醤油のみで炊くスタイルの関西風すき焼きが登場したのだが、その様子に驚愕したのが関東地方生まれの同行スタッフだった。

オーケイ、ここで整理してみよう。鍋を熱し、牛肉を焼くところまでは関東風も一緒。ただ、この後にネギを投入、割り下をひたひたになるまで注ぎ、順次ほかの野菜を加えながら煮えたところから溶き卵につけて食べるのが東のすき焼きである。(これではすき「焼き」ではなく、すき「煮」ではないか? というのが生粋の奈良人中川さんの疑問。)
しかし、ここ伊賀を含む関西風は、焼いた肉の上にどさっと砂糖を直接かけ、ひと呼吸おいたら醤油をちょろり。その濃厚な1枚の肉を頬張るところからスタートする。その最初の一口は「1枚目の喜び」という至福なのだ!と僕や中川さんなど関西風に慣れ親しんだ者はご満悦だが、同じ料理でもここまで調理方法が違うのも確かに妙な話である。

さて、「金谷本店」では一頭買いした雌牛しか使わないのだが、盆地で寒暖差が大きく水の綺麗な伊賀の牛様は、僕らの想像をはるかに超える味わいであった。脂の旨味で舌を唸らせる肉ではなく、淡白な赤身がじんわり尻上がりに口内に広がってくる肉とでもいおうか。正直なところ、人も40歳を超えると胃腸が脂をそんなに受け付けてくれなくなるのだが、この伊賀牛こそが上品な大人が食す三重の肉なのかもしれない。

小豆島の「まるきん醤油」をちびりとかけ、野菜も少しずつ足していく。金谷本店のスタッフの方にはこんな声を掛けざるを得ない。
「おかあさん、白めし先にください!」
関西風は、徐々に出てくる野菜の水分に合わせ砂糖と醤油で味を調整するから、家庭によって味もさまざまになる。かつて中川家では親父さんが砂糖を入れすぎるのを息子が嫌がっていたというエピソードも聞こえてきたが、それ、幅家も一緒だったなぁ。

というわけで、のっけから第4楽章を聴いたような伊賀牛祭を満喫したのだが、旅はまだエンディングではない。ここで終わってもいい!というぐらいお腹いっぱいだったのだが、腹ごなしに散歩すると伊賀の城下町では、つどつど面白いものを見つけるではないか。

いかにも老舗という出で立ちの井本薬局のショーケースには猿頭霜( えんとうそう )と呼ばれるタイワンザルの頭を黒焼きにした漢方薬が飾られている。

町の広報看板には「第9回伊賀流手裏剣打選手権大会」のポスターが貼られている( どんな大会だ!? )。

ある月極駐車場の看板は立派すぎるくらいで、一方踏切の片隅に置かれている手描きの交通看板にある「とまり、きき、みて、とおれ」という文字は味がありすぎて微笑んでしまう。

さらに歩くとザ・モダニズムという体の建築物が現れたのだが、その伊賀市役所は何と坂倉準三の名作建築というではないか。

玄関に飾られた「伊賀市は『忍者市』を宣言しました」という横段幕の言葉に「後悔はないのだろうな?」とひとつ突っ込みを呈したあと屋内に入る。

思った以上に広々とした空間が気持ちよい。4〜5メートルはあろう天高の下でもらう住民票は格別なものなのかもしれない。
2階に登ると差し込む光が実に美しく、細やかな採光ひとつとっても坂倉の腐心が伺える。

そして、この場所でまさかこの人に出会うとも思っていなかった。知る人ぞ知る前衛画家であり絵本作家の元永定正( もとながさだまさ )の作品が階段の踊り場など数カ所に展示されているのである。受付の方にお聞きすると元永はなんと伊賀出身。世界的に再評価が高まる日本の美術運動「具体」の中心的人物の抽象絵画が、市役所で観れるとは思いもよらなかった。元永は作品づくりのテーマで「未知」というコンセプトを掲げ( 1955年刊『具体』誌 第3号 )、初めて世界と向き合うような生々しい驚嘆を描こうとした人。だから、大人も子どもも彼の作品に対峙した時、頭ではなく五感に響いてくる何かがある。実際、彼はジャズピアニストの山下洋輔と共作した不思議すぎる絵本『もけらもけら』や、この連載の豊岡回で紹介した決して大人には決して理解できないカニ絵本『カニ ツンツン』を生み出した人なのだが、いやはや伊賀で出会うとは驚いた。

伊賀の町を歩くと、なんだかすべてが引っ掛かる。これぞ荒井由美がかつて唄った「目にうつる全てのことがメッセージ」状態ではないか。さすが、日常の機微を詠み詩人としても世界中で賞賛される松尾芭蕉を生み出した伊賀である。

という流れで、次に(伊賀の)上野公園内にある芭蕉翁記念館を僕らは訪れた。1959年に城戸武男によって建てられたこれまたモダンな平屋建築には、芭蕉筆による様々な作品や手紙が収蔵されているという。俳句というと、なんだか縁遠いと感じる読者も多いかもしれないが、記念館の情熱的な学芸員・馬岡さんの説明を聞き、僕は俳句の面白さや松尾芭蕉という人物に俄然興味を持つことになった。

まず驚いたのが、芭蕉がとても苦労しながら俳諧師として成長していったことだ。彼が生まれた1644年の当時、伊賀の農家の次男坊が江戸に出て俳諧師として食べていくのは只事ではなかった。芭蕉は北村季吟( きたむらきぎん )の弟子として、やっとのことで免許皆伝ともいえる「俳諧埋木」を受け取ったそうだ。しかも、上京後も「業俳(職業俳諧師)」として食べていけないうちは神田上水道の工事に従事しながら機をうかがっていたともいう。あの松尾芭蕉が水道工事ですよ、すごい根性である。

また1675年に初めて使った号「桃青(とうせい)」は、尊敬する中国の詩人・李白に影響を受けたものだが、「李(すもも)」が白い先人に対して、自身はまだまだ青い「桃」だとへりくだっていた点も彼の人となりを想像させる。

もうひとつだけ芭蕉の俳句のイメージを覆された話をしよう。俳句といえば花鳥風月を詠むものとあなたは思うことだろう。だが、松尾芭蕉(桃青)の作品に今回触れて、彼が詠みたかったのは民衆という人だったということが実によくわかったのだ。風景よりも庶民の喜怒哀楽を詠む松尾翁。例えば、「夕顔に米搗き( こめつき )休むあはれ哉( かな )」という句をむかし本で読んだことがあったのだが、実のところそれは労働歌だったと学芸員の馬岡さんに教えられ目から鱗が落ちる思いをした。

ちなみに少しだけ基本を整理しておくと、「俳諧」と「俳句」は別のものである。俳諧は「俳諧連歌」ともいう歌を連ねる世界。その始発点となる句を「発句」と呼び、芭蕉の登場以降は発句のみを鑑賞することも多く、それが近代文芸における「俳句」となっていく。松尾芭蕉の作品としては現在では、彼の書いた発句が有名になっているが、本当のところ彼は俳諧の方を好んだということも教えてもらった。そして、自分の発句に付句をする弟子たちと連歌を通して心を通わせたのである。
実は、当時の俳人の多くがそうだったように句集、文集、伝記は自分では出版せず、弟子たち周囲が書くことによって伝承される。松尾芭蕉はそんなに多くの弟子を取ったわけではないが、当時としては珍しくたくさんの女性の弟子も取り、富める者も貧しき者も分け隔てなく接したといわれている。実際、芭蕉庵が火災で焼失した時は、お金だけでなくモノを寄付する現物支給の弟子もいたのだとか。松尾芭蕉は愛されキャラだったのである。

さてさて、初日最後は同じく伊賀上野公園内で忍者体験である。冒頭に書いたように忍者に対する憧憬がまったくなかった僕は、まさか40歳を過ぎて忍者衣装に袖を通すことになるとは思いもしなかった。先輩忍者に促されるまま着付けが始まり、思ったよりもたくさんのパーツが次々に体へと貼り付けられる。オーバー40のルーキー忍者2人の姿には失笑していただくしかないが、ここで僕と中川さんが感銘を受けたのが手裏剣打ちだ。

先ほど町中で見かけた「第9回伊賀流手裏剣打選手権大会」。これこそまさに伊賀流忍者博物館が仕掛けた大会なのだが、ずっしりとした手裏剣を打つのは、なかなか得難い体験だった。だって、普通は刃物なんて投げちゃいけない!

僕たちは手裏剣大会でも使う「公式球」ならぬ「公式手裏剣」を使ったのだが、それは岐阜県の関市で作られひとつひとつにナンバリングが施された工芸品としての手裏剣。その重みのある凶器を7メートル離れた畳に向かって投げると、ぷすりと畳に綺麗に刺さる感触がだんだん癖になってくる。実際の忍者たちはその刃先に毒を塗り、徐々にターゲットを死に至らしめたようだが、こんなものが飛んでくる時代に生まれなくてよかったとしみじみ感じてしまった。

ちなみに中川政七忍者はどうも手裏剣打ちの筋がよいようで、次々と的に手裏剣を打ちつけていく。最後は先輩忍者からしきりに大会出場を勧められていたけれど、まさか中川政七商店の経営者から華麗なる転身ということもあったりして‥‥

旅は2日目を迎え、翌日は伊賀焼の窯元 長谷園へ。中川政七商店でも扱っている長谷園の土鍋「かまどさん」、愛用している読者も多いのではなかろうか?

伊賀焼には1300年の歴史があるが、その中で長谷園は185年続いている窯元だ。現在伊賀には19軒の窯元が存在し、そのうち15軒が作家活動をしているというが、そのなかでも長谷園は最大の規模を誇る。今日は、そんな長谷園の8代目当主・長谷康弘さんに話を聞いた。東京で働いていた長谷さんが地元に戻ったのはちょうど20年前の1997年。伊賀という産地が本当に落ち込んでいた時だったという。そこからどのように復興を遂げていったのかを静かに丁寧に長谷さんは語ってくれた。

伊賀の土の特徴は、高い温度で長時間焼かないと焼き締まらないのだが、その耐火性を生かした土鍋が今は大人気だ。なんでも元々は琵琶湖の底だったこの辺りの土には当時の地圧に耐えた微生物や植物が土のなかに堆積しており、火を加えたときにそれらは気泡になるという。その気泡を含んだ陶器は蓄熱しながらゆっくり均等に熱を伝える特性があり、まさに土鍋のような作り物が向いているのだ。当時の微生物に大感謝である!実際、天然素材で鍋がつくれるのは現在のところ伊賀焼しかないらしい。

かつて、この辺りでは近隣の大産地である信楽焼や京焼の下請けをする業者も多かった。陶器の産地には質のよい粘土と腕のいい職人の他に、できあがった陶器を売る商人がいて産地が形成されるのだが、残念ながら伊賀にはその商人が育たなかったのだという。ゆえ、伊賀焼の知名度は他の近隣産地に比べ低い時代が続いていたが土の特性を見抜き、向いている用途を絞った方向性が功を奏し伊賀焼の復活に至ったのだという。

現在の伊賀では土鍋などの雑器とお茶道具の2本を柱としながら、伊賀焼でしかつくれないものづくりを目指している。近年は毎年ゴールデンウィークに開かれる窯開きに3万人もの人が訪れ、最寄りのインターから窯開き渋滞ができる程になった。長谷園の長谷さんは「うちの窯だけがうまくいっても仕方がない。産地全体で盛り上がっていかないと」というが、伊賀焼がいま善き流れにあるとは感じている。昔は何をやっても見向きもされなかったが、いまは自分たちのアクションがきちんと世の中に届いている気がするという。

最近、長谷園は土鍋のパーツ販売を始めた。例えば、上蓋だけが割れてしまって使えなくなってしまった土鍋が1割程あるという声を聞いての英断だった。正直、窯元としては新しいものを売ったほうが利益になるわけだから、発送の難しさも含め大変なことのほうが多いという。けれど、長谷さんは買ってもらうことよりも、使い続けてもらうことの方が大切だと力説する。自分たちの伊賀焼が本当に喜んで使ってもらっているのか?その心持ちを忘れなければ、伊賀焼という産地から生み出されるものは、もっともっと広がっていく気がした。

さて、この旅の最後に訪れたのは長谷園から車で数分「ギャラリーやまほん」である。ギャラリーの主・山本忠臣( やまもとただおみ )さんが田んぼの真ん中につくったこのギャラリーからは不思議な引力と放熱が感じられた。
ものすごく長閑な田園風景の中に、よく手入れがなされたシンプルなエントランスがゲストを迎え入れる。ギャラリーの中に入ると、外の暑さと比べて少しだけ温度が下がったような気がする。

僕らが訪れた日は伊賀・丸柱で作品づくりを続ける作家・植松永次( うえまつえいじ )さんの展覧会をやっていた。1949年生まれの植松さんは、土と火を素材にして作品をつくる人。焼成されたそれは器としての機能を持つものもあるが、空間のなかに息づくインスタレーション作品をつくったりもする。本人は「陶芸家の人から見たら、“なにしてるんや”となるし、現代アートをやってる人からみたら“陶芸やろ”となる」と別のインタビューに答えているが、既存の枠組みに当てはまらない彼の創作には確かに観る者を魅了する力が感じられる。

この植松さんに代表されるように、「ギャラリーやまほん」で扱われている作品や道具には、自然の根っこみたいなものを直感させるオブジェが多い。「器好き」に付随する世のステレオタイプが「ほっこり」とか「あたたか」だとしたら、「ギャラリーやまほん」にある物ものは、もう少し剥き出しで、でも嘘がない作品が多いというのだろうか。

元々、実家が伊賀焼の窯だった山本さんは家業を手伝い、つまり土を触りながら自身の「ものの見方」をつくりあげてきた人だ。兄が美術の道を選んだのとは対照的に忠臣さんは建築の道を目指すのだが、17年前に故郷に戻りギャラリーを開いた。今では約1ヶ月ごとのインターバルで展覧会を開いているが、最初の何年かは事業として継続していくのが大変だったという。

確かに20年近く前には、地方で高価なアートピースを買うというアイデアなど存在していなかった。各地域の産地では安価な伝統工芸品をお土産として売っていくしか道がないと思われていた。そんな中でも山本さんは長く付き合える作家を見極め、然るべきタイミングを探し、工芸とアートの間を縦横無尽に行き来する猛者たちを愚直に紹介し続けてきた。それが長い時間をかけて実を結び、今では展覧会初日に100人ものゲストが並ぶ人気展もあるそうだ。

「ギャラリーやまほん」で紹介する作り手たちは一様に「自然の素材と真摯に向かい合っている」者たちばかりだが、この伊賀の磁場で作品を鑑賞することで、その魅力は間違いなく増していると僕は思う。季節によって風景が移りかわる田んぼの真ん中では、自然の力を吸いあげてつくられる作品にエネルギーが充ちる。東京銀座の小さなホワイトキューブで鑑賞するのとは、随分違った体験ができる。それは現代においては忘れられがちな、プライマルな自然感覚を呼び起こすことかもしれない。

実際、山本さんも東京だとノイズが多く目移りしてしまうという。確かに、東京は街を歩くだけで様々なものが目につき、無意識にインプットされる。けれど、伊賀に暮らしていると、向き合うのが情報ではなく自然なのだと山本さんは説いてくれた。しかも、Natureの「自然」だけではなく、あるがままの「自然(じねん)」が伊賀にはあるという。

ギャラリーを出ると、そよ風が気持ちいい。そういう些細なものを受け止めることと、「ギャラリーやまほん」にある作品を見ることは、ほとんど同じことのような気がしてくる。「自然」の場所で「自念」する山本さんが、次に何を紹介してくれるのか愉しみで仕方がない。

今回の本たち

ぷくぷくお肉

32篇のお肉にまつわるアンソロジー。阿川佐和子や開高健、村上春樹がすき焼きについて語ります。ちなみに阿川家のすき焼きは「けっこう甘い」そう。

 

すきやき / はらぺこめがね
すきやき / はらぺこめがね

ちいさな女の子(はらぺこちゃん)とちいさないきもの(ぺろ)がすき焼きができるまでを冒険。鍋に具を投入する臨場感がたまりません。

 

大きな声 ― 建築家坂倉準三の生涯
大きな声 ― 建築家坂倉準三の生涯

ル・コルビジェの弟子から1937年のパリ万博における日本館設計、そして戦後のモダニズムを牽引した坂倉準三の全記録。

 

もこもこもこ / 著:谷川俊太郎 絵:元永定正
もこもこもこ / 著:谷川俊太郎 絵:元永定正

詩人の谷川俊太郎さんと共作した絵本。「もこもこ」「にょき にょき」「ふんわふんわ」…元永さんのアートと谷川さんのオノマトペが、子供達の心を離しません。

 

もけらもけら / 著:山下洋輔 絵:元永定正
もけらもけら / 著:山下洋輔 絵:元永定正

ジャズピアニスト山下洋輔さんとの異色のコラボレーション絵本。言葉のリズムに合わせて心地よく展開する元永さんの絵は、まるで2人のセッションを聴いているよう。

 

とっぴんぱらりの風太郎 / 万城目学
とっぴんぱらりの風太郎 / 万城目学

伊賀出身の「ニート忍者」風太郎。京の都でなぜか育てる羽目になったひょうたんを機に壮大なスケールの物語に飲み込まれていきます。

 

忍者の里を旅する / 産業編集センター
忍者の里を旅する / 産業編集センター

忍者をテーマに日本全国に点在する「忍びの里」(伊賀、甲賀、戸隠、雑賀、甲斐、風祭)を紹介。周辺のみどころや忍者グルメ(!?)の紹介も。

 

忍者の兵法 / 中島篤巳
忍者の兵法 / 中島篤巳

『万川集海』『正忍記』『忍秘伝』という三冊の秘伝書を紐解きながら、今まで知られていなかった忍者の実像に迫ります。忍者好きにはたまりません。

 

月とお日さまの間 / 植松永次
月とお日さまの間 / 植松永次

ギャラリーやまほんで見た植松永次さんの作品集。収録のエッセイでも、日々作陶を続ける植松さんの真摯な人柄が滲み出ています。


幅允孝( はばよしたか )
www.bach-inc.com
ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「ワコールスタディホール京都」「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」書籍フロアなど。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)『幅書店の88冊』(マガジンハウス)、『つかう本』(ポプラ社)。

文 : 幅允孝
写真 : 菅井俊之、幅允孝( 猿頭霜・元永定正 )

はじめてのお中元

こんにちは。さんち編集部の西木戸弓佳です。
夏も本番。世間では「お中元」という言葉をあちこちで聞くようになりましたが、若い世代の方は特に、まだお中元を贈ったことがないという方も多いのではないでしょうか。
そもそもお中元は、普段お世話になってる方へ日頃の感謝を伝える贈りもの。伝統的な風習だからと敷居を高く捉えず、友だちに誕生日プレゼントを贈るよう、もっと身近に捉えてみませんか。初めてのお中元を贈るにあたり、いつ?誰に?どんなものを?などの疑問を、ギフトコンシェルジュの真野知子さんへお聞きしました。真野さんおすすめの贈りものと併せてご紹介します。


真野知子さん
ギフトコンシェルジュ、セレクターとして活動。手土産から記念品まで贈りものの多彩なシーンに合わせたギフトのセレクトを軸に女性誌などで連載、商品・売り場・フェアの企画プロデュース、各種選考委員など多方面で活動。


( 以下、真野さん )

この季節になると「お中元」の広告を見かけるようになります。
子どもの頃、実家に届くお中元を楽しみにしていた。なんて記憶ありませんか?
けれど、自分が大人になったいま、誰かにお中元を贈った経験がまだないという方も少なくないと聞きます。
自分が結婚しているか、していないか。子どもがいるか、そうでないか。
そういったことも、“ 贈る or 贈らない ”の選択肢に少くなからず影響はあると思いますが、ちょっとした心遣いの品物を贈ることで、誰かの暮らしに彩りがうまれます。
今年は贈ってみようと思う相手の顔が浮かんだなら、それがタイミング。
「お中元」というと、かしこまり過ぎてなんだか面倒…。そんなふうに感じてしまうのであれば、あまり堅苦しく考えずに季節のご挨拶と考えれば、もっと気軽に贈ることもできますよ。
夏の暑さの中、誰かからお中元が届く。それだけでちょっとココロが浮き立ちますよね。そして、その品物があるからこそのひとときがうまれます。家族で食卓を囲む時間、または一人でホッと一息つける時間、コレがあるなら「そうだ!あの方たちを招こう」。 そんなふうに日々の暮らしに夏の彩りを加え、日常に至福の時間すら贈ることができます。そういうことが“贈って嬉しい、もらって嬉しい”の素敵な連鎖の始まり。

——どんな方へ贈ったらいいのでしょうか

「お中元」といっても、あまりかしこまって考え過ぎず、「夏のご挨拶」として、1年の上半期にお世話になった方への感謝の気持ちを託すもの。
遠方にお住まいの方や、日頃は慌ただしく暮らしていて、なかなか会えないけれど、お元気にされているかどうか気になる方達、たとえば実家のご両親、ご兄弟、ご親類、恩師や友人など、大切なご縁で繋がっている方達に、ぜひ気持ちを形にして贈ってみてはいかがでしょうか。

——どんな物が喜ばれますか

お中元に贈る品物は、夏休みや帰省など子どもも大人も集まるタイミングがあるので、皆でテーブルを囲んで楽しめる食品、お菓子、飲み物が主流です。大人が喜ぶ定番が安心という人もいれば、毎年のことだから、たまにはちょっと冒険してヒネリを効かせた物を贈ってみたい。そんな方もいるはずです。その季節にしか味わえない旬の味や涼感のある物も風流ですし、そういった夏をのりきる暑気払いの物も、この季節ならではの贈りもの。
また、受け取り手にとって、いただきものには自分では買わない物との出会いがあり、そこから「新たな世界を知る」そういう喜びも一緒にいただくということがあります。
相手の家族構成や年齢、健康状態など分かる範囲の情報をうまく推し量って、一人暮らしの方には賞味期限の長いものを選ぶ、お子さんがいるご家庭には子どもも喜ぶ物を選ぶなど、ちょっとした配慮もあるとよりよい贈り方ができますよね。内容のバラエティが豊かだとより楽しんでいただけますし、思わず笑みがこぼれそうな物など夏の記憶に刻まれる一品との出会いを楽しみたいもの。ただし、季節のご挨拶なので相手にも負担にならいない程度の予算と品物を。

・お国自慢の味
・涼感のあるもの
 そうめん、アイスクリーム、ゼリーなど見た目にも涼し気なもの
・この時期にしか食べられない旬のくだもの
・暑気払い 鰻などせいのつくものや、ビール、ジュース、アイスコーヒーに紅茶&緑茶など冷たくして楽しめるドリンクなども。
・名店の夏季限定のものなど
・食べ物以外ですと、水うちわ、お香、ガラスの茶器や酒器など夏の暮らしに彩りがプラスされるものがおすすめです。

上記のラインナップにあげた分野(これだけに限りませんが)から、どこのメーカーの何を選ぶかということで、自分のオリジナリティや相手の暮らしや好みにあった物を選ぶこともポイント

——どう渡すのがいいでしょうか

遠方にお住まいの方や、近隣の方でも重量のあるものや冷凍物など温度にデリケートな物は配送で。
目上の方には熨斗があった方が失礼にならないことは確かですが、友人などへ夏の贈りものとして気軽に贈りたい場合は必ずつけなければいけないということでもありません。
いずれにしても、より気持ちが伝わるのはメッセージを添えることです。
贈りものにはさまざまな意味が込められています。
なぜ、その品物を選んだのかということも伝えること。
相手の好みだと思ったからなのか、自分が美味しいと感じたから食べて欲しいと思ったからなのか、などなど、はっきりその意味が分かるものもあれば、もっと漠然としたものもあります。
特別な意味を込めて贈ってくれていたのに受取手はその意味に気づかない、
なんていうこともめずらしくありません。そうならない為にメッセージカード、一筆箋などお手紙は添えた方がより気持ちが伝わるので、そういう手間は惜しまないこと。
夏の贈りもので考えるとすれば、夏らしい画が入っていたり(風鈴や、朝顔、花火などなど)季節ならではを感じられる物を選ぶようにすると風流ですよ。

ギフトコンシェルジュ真野さんおすすめの、はじめてのお中元

水うちわ ( 家田紙工株式会社 )

美濃の和紙でできたうちわにニス加工された透明感のあるうちわ。霧吹きでさっと水を吹き付けた後に仰ぐと、ぐっと涼しさが増します。

家田紙工の水うちわ
水うちわ( 小判金魚 ) / 7,560円 ( 税込 )

水引ワインバッグ ( 和工房 包結 )

お酒やジュースなど、こんなバッグで差し上げると、さらに素敵な贈り方ができますよ。

水引ワインバッグ
水引ワインバッグ / 5,940円( 税込 )

ディフューザー ( 薫玉堂 )

香りの記憶はいつまでも残るもの。蒸し暑い日本の夏も香で優雅に過ごしていただきたい方にどうぞ。

薫玉堂のディフューザー
ディフューザー / 5,400円

そうめんくらべ ( 中川政七商店 ) ※現在は販売終了しました

夏の定番といえば、素麺もそのひとつ。産地の違う5種類の素麺の食べ比べができるセット。
木箱に入った素敵な装いと、贈る相手によって選べる2タイプの容量があるのも嬉しいです。

中川政七商店そうめんくらべ
そうめんくらべ / 小:2,160円( 税込 )・大:5,400円(税込)

サマーセット( PALETAS )

暑い日に届く、ひんやりスイーツは嬉しさ倍増。人気メゾンのものならなおさらです。友人やファミリー層におすすめ。

パレタス・サマーギフト
サマーギフトセット / 3,410円( 税込 )

ラッサム ( スパイスカフェ )

夏はスパイスの効いた物がたべたくなりますよね。複雑なスパイスの香りで深い味わいのレトルトカレー。単価は安いので、いくつかセットにして贈ると一人暮らしでも、ファミリー層にも贈れます

スパイスカフェのラッサム(レトルトカレー)
ラッサム(レトルトカレー) / 540円 ( 税込 )

フレッシュゼリー ( サン・フルーツ )

果実そのものが器になっていることで果汁がたっぷりでみずみずしい味わい。子どもから大人まで楽しめます。

はじめての御中元・サンフルーツ
フレッシュゼリーAセット / 3,672円(税込)

贈りものには「答えはひとつではない」というところに、それぞれの想いを託せる許容の広さと、多彩さのある面白みがあります。
自分の気持ちをカジュアルにもフォーマルにも託せるもの。時には言葉以上に気持ちを物語ってくれる場合もあります。ビジネスの場においては潤滑油になってくれますし、プライベートな場では、自分や他の誰かのアンテナを送受信する機会であることも。相手がこうきたから、こちらはこう返そう!そんなふうに一種のゲームのように楽しむことだってできます。多彩なセレクションの中で、自分の気持ちにピタリと合う物を選ぶ楽しさ、相手を想う気持ちを託せる一品との出合い、それも贈る側の醍醐味です。そして贈られる側も、その気持ちに贈って答える。 “贈答”はさまざまなシーンにおいてコミュニケーションの潤滑油としての役目も果たしてくれます。
いまはFacebookやtwitterなどSNSで人と簡単に繋がれる世の中ですがどんなに時代が進んでも、なくなることのない人とのつながりのかたち、そのひとつがGift & giving(贈答)ではないかと考えています。

掲載商品
水うちわ ( 家田紙工株式会社 )
水引ワインバッグ ( 和工房 包結 )
ディフューザー ( 薫玉堂 )

サマーセット( PALETAS )

ラッサム ( スパイスカフェ )
フレッシュゼリー( サン・フルーツ )

文 : 真野知子、西木戸弓佳
写真協力
家田紙工株式会社
和工房 包結

PALETAS

スパイスカフェ
サン・フルーツ

1泊2日で楽しむ伊賀の旅

こんにちは。さんち編集部です。
6月の「さんち〜工芸と探訪〜」は三重県の伊賀特集。伊賀のあちこちへお邪魔しながら、たくさんの魅力を発見中です。
今日は伊賀特集のダイジェスト。さんち編集部おすすめの、1泊2日で伊賀を楽しむコースをご紹介します。


1泊2日の伊賀の旅

1日目:米粉の絶品ピザと伊賀の焼き物

iga piza(イガピザ) :伊賀産の材料を使ったモチモチの米粉ピザランチ
長谷園 :「一番美味しくお米が炊ける道具」と話題の土鍋を求め、伊賀焼の窯元へ
ギャラリーやまほん :いま見るべき陶芸が揃う場所
鹿の湯ホテル : 絶景の温泉で旅の疲れを癒やす

2日目:くみひもと文豪、そして伊賀の郷土料理

和菓子工房 まっちん : 日本の自然素材を活かした、体が喜ぶお菓子を求めて
松島組紐店( くみひもstudio 荒木 ) : 伊賀の伝統工芸、組ひも体験
元祖 伊賀肉 すき焼 金谷 : 100年の歴史を持つ老舗で伊賀牛を堪能
芭蕉翁記念館 : 17文字に込められたわびさびを感じに。
上野高校明治校舎 : 1世紀以上前のクラシック建築と大正の文豪
田楽座わかや : 伊賀の郷土料理、豆腐田楽に舌鼓み


1日目 : 米粉のピザと伊賀の焼き物

1泊2日の伊賀旅スタート。初日はできれば、お昼には伊賀に着いていたいです。それが土日ならなおさら。大自然の中でいただく美味しい米粉ピザからスタートです。

【 12:00 】iga piza( イガピザ )
伊賀産の材料を使ったモチモチの米粉ピザランチ

木工作家さんとボタン作家さんのご夫婦が営む「iga piza( イガピザ )」。週末と祝日だけオープンするピザ屋さんです。大自然の中にあるウッドハウスでいただく、伊賀の食材を使ったモチモチの米粉ピザは絶品です。

<旅のこぼれ話>ピザ屋さんのすぐ裏にある山にはツリーハウスやハンモックがあり、大自然を満喫することができます。ロープでしか登れないツリーハウスですが、登りきると宿泊の権利をいただけるかもしれません。( いただきました。ただし、日頃から運動をしていないと翌日に筋肉痛が襲ってきます。それでもツリーハウスの上から見る大自然の絶景は登る価値ありです)

ツリーハウスを制作した木工作家の山本さん
ツリーハウスを建てた木工作家の山本さん
イガピザのツリーハウス

iga pizaの情報はこちら

>>>関連記事 :「ツリーハウスにハンモック 大自然の中で作られるボタンと米粉ピザ」

【 14:00 】長谷園
「一番美味しくお米が炊ける道具」と話題の土鍋を求め、伊賀焼の窯元へ

伊賀に来て、伊賀焼の窯元は外せません。iga pizaから車で約15分。「一番美味しくお米が炊ける道具」と評された「かまどさん」の他、たくさんの機能的な土鍋を販売されている長谷園さん。商品を見ているとあれもこれも欲しくなってしまいますが、お買い物だけでなく観光地としても楽しむことができます。1832年に築窯された「登り窯」、伊賀焼の販売所である「主屋」、休憩スペースとなっている「大正館」などは、国の登録有形文化財。自然の中にある壮大な敷地を、ゆっくり散歩するのがおすすめです。見渡すと美しい山々が広がっていますし、耳を済ますとたくさんの鳥の声が聞こえます。ゆったりとした自然を感じながら、ぐるりと一周してみてください。

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【 16:00 】ギャラリーやまほん
いま見るべき陶芸が揃う場所

長谷園さんから車で5分足らず。陶芸好きなら、ここはマストです。
ショップ( 常設展 )とギャラリー( 企画展 )を備えた「ギャラリーやまほん」さんへ。じっくりと時間をかけて向き合いたい作品が並びます。ギャラリーで行われる企画展や商品のセレクトをするオーナーの山本忠臣さんのセンスに惚れ込み、日本全国、はたまた世界各国から足を運ぶコアなファンも多いようです。きっと、長く大事にしていきたい陶芸品と出会うことができます。

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>>>関連記事 :「気ままな旅に、本 ( BACH 幅允孝 )」

財布の紐が緩むとはこのこと。魅力的な作品たちを前に、物欲は駆り立てられるばかりですが、一度冷静になって判断しなくては、という時には敷地内に併設された「cafe noka」がおすすめです。白を基調としたモダンな空間で、美味しいコーヒーや手づくりのケーキをいただきながら、ゆっくりと休憩をすることができます。

【 19:00 】鹿の湯ホテル
絶景の温泉で旅の疲れを癒やす

あっという間に夜。お宿は、伊賀市から少し離れた温泉街へ向かいます。市内から車で約1時間半、菰野町( こものちょう )にある「湯の山温泉」へ。
志賀直哉、松本清張、丹羽文雄などの作品の舞台として描かれたことでも知られる湯の山温泉。伊勢湾へ続く三滝川の渓谷に、約20軒ほどのホテル・旅館がひしめき合います。温泉街から少し離れたところにある奥田政行さんのイタリアンレストランや辻口博啓さんの洋菓子店が併設された宿泊温泉施設、「アクアイグニス」もおすすめですが、今日は温泉街「鹿の湯ホテル」へ。地元食材を使った美味しい料理と、鈴鹿山脈や伊勢湾を眺めながら入浴できる温泉で旅の疲れを癒やし、明日の旅に備えます。

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2日目: 伊賀の伝統を体験する一日

【 10:00 】和菓子工房 まっちん
日本の自然素材を活かした、体が喜ぶお菓子を求めて

旅のおやつとお土産を求め、朝一番に訪れたのは「和菓子工房 まっちん」。和菓子職人の“まっちん”こと、町野仁英さんがはじめた和菓子店は、開店時間と同時に地元や他府県からお客さんが訪ねてくる人気店です。

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【 10:30 】松島組紐店( くみひもstudio 荒木 )
伊賀の伝統工芸、組ひも体験

メガヒット映画「君の名は。」で登場し、いま再び話題となっている「組紐( くみひも )」ですが、松島組紐店の工房ではくみひもづくりの体験をすることができます( 予約が必要です )職人さんのていねいな指導の元、畳に座って実践。はじめは難しいですが慣れてくるとどんどん編むリズムが楽しくなっていきます。簡単なブレスレットやキーホルダーなら1時間ほどで完成。手作りのくみひもは旅の思い出として持ち帰ることができます。

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>>>関連記事 :「忍者の里で受け継がれる伊賀くみひも」

【 12:00 】元祖 伊賀肉 すき焼 金谷
100年の歴史を持つ老舗で伊賀牛を堪能

城下町らしい趣のあるお座敷で、伊賀牛のすき焼きに舌鼓み‥‥着物の中居さんが、完璧に仕上げてくださいます。お醤油とお砂糖だけのシンプルな味付けのすき焼き。その「出汁」となるものは、最高級の伊賀肉です‥‥なかなか県外へは出回らないという伊賀牛は、ここでしか味わえない伊賀の秘宝。ご堪能をおすすめします。

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<旅のこぼれ話> 金谷から次に向かった上野公園まで道のりは、寄り道ポイントがたくさんありました。
車を停めて、次の目的地までしばらく散歩です。金谷の周辺は、江戸時代や明治時代から残る建物が並ぶ城下町。ゆっくりと散歩しながら向かいます。

老舗の薬局があったり
ちょっとした商店街があったり

モダンな建築に惹かれ伊賀の市庁舎に立ち寄ると、中は気持ちのいい空間が広がっていました。建築は坂倉準三によるもの。上野城、芭蕉翁記念館、俳聖殿、伊賀流忍者博物館などが集まる上野公園に向かうまでの道のりにありますので、道草してみてはいかがでしょうか。

伊賀市庁舎の二階

【 14:30 】芭蕉翁記念館
17文字に込められたわびさびを感じに。

伊賀で生まれた松尾芭蕉の作品に触れに、芭蕉翁記念館へ。松尾芭蕉の真蹟( しんせき )をはじめ、近世から現代に至る俳諧連歌に関する資料が保存されています。うかがった日は「芭蕉の生涯」という企画展が行われており、若い頃から亡くなる直前までの、芭蕉の作品を見ることができました。

芭蕉翁記念館

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伊賀上野城。白壁が美しい城郭を眺めながら、上野公園を散歩。約30メートルの高石垣は、日本有数の高さなのだそうです。この高い石垣を、忍者ならどうやって登るんだろうと想像してしまいます。

【 16:00 】上野高校明治校舎
1世紀以上前のクラシック建築と大正の文豪

見学の予約をしていた「横光利一資料館」へ。そこは、1世紀以上前に建てられた上野高校明治校舎の中にあります。入母屋( いりもや )の屋根のクラシックな校舎。上野高校の吹奏楽部の練習場所として使われているようで、ちょうど訪れた頃には管楽器の音が鳴り響いていました。校舎の風景と相まって、とてもノスタルジックな雰囲気です。

横光利一

【 17:30 】田楽座わかや : 伊賀の郷土料理、豆腐田楽に舌鼓み

伊賀旅の最後の晩餐は、伊賀の郷土料理である豆腐田楽をいただきます。豆腐田楽の専門店・田楽座わかやさんの創業は1829年(文政12年)。200年近く続く、老舗の人気店です。3年仕込みのオリジナルのお味噌が塗られ、炭火で1本ずつ焼き上げられる田楽。甘く香ばしい香りが店内を漂っていました。

田楽座わかや

田楽座わかやの情報はこちら

>>>関連記事 :「産地で晩酌 〜伊賀編〜 江戸時代から受け継がれる濃厚な豆腐田楽」

「忍びの国」と言われる伊賀。忍者のイメージが強くある方も多いと思いますが、焼き物、文豪、郷土料理、大自然とたくさんの魅力がありました。次の旅先には、伊賀を訪れてみてはいかがでしょうか。

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写真 : 菅井俊之・川内イオ
写真提供 : 鹿の湯ホテル

わたしの一皿 ひとつかみの緑のつぶ

すーっとする食材。梅雨のなんとなくぼんやりした気分がスカッと晴れるような。この刺激、毎年うれしいもんです。今月は「実山椒」の話。みんげい おくむらの奥村です。

みどりのつぶつぶ。料理に独特のさわやかさと奥行きを出すこの季節のたまらない食材です。手間がかかるけど、下ごしらえをして冷凍しておけば長持ち。6月は梅の仕事、そしてこの実山椒の仕事のタイミング。めんどうな下ごしらえに追われる同士のみなさん、出来たあとのことを思い浮かべて共にがんばりましょう。食べるだけのみなさん、この一粒、結構手間が掛かっているのですよ。感謝の気持ちで、どうぞ。

さてこのつぶつぶ、何に使うのかって?僕は煮付けるものに使います。醤油と砂糖のこってりしたものにこの実山椒を入れると、フワッと爽やかな香りが立ち、良いんです。鰯の梅煮が大好きだけどたまに梅を実山椒に変えてあげるとこれが‥‥。たまらんのです。佃煮や塩漬けにしておけばいつでもおにぎりに使えて、それもまたたまらんですね。

今日合わせるのは、夏に向かうこの時期からおいしい穴子。こってりとした濃いめの煮穴子に実山椒で清涼感を、というわけです。

実山椒の下ごしらえの話をしましたが、穴子というやつも実は下ごしらえが大切。表面がヌメヌメとしていて、これを丁寧に取り除かないと臭みが出る。皮目に熱湯をかけたら、包丁の刃を使って素早く、丁寧に。

煮穴子ですが、箸で持てないぐらいやわらかくとろっとろに煮るか、ある程度食感を残すか。これは料理する人に許された贅沢な選択。穴子丼にするならとろっとろも良い。今日はそのまま食べたいので、箸で穴子のぷりっとした身質を感じられるくらいに。

料理のイメージができたら、そろそろうつわ選びです。今日のうつわは磁器。日本の磁器の名産地である愛媛県の砥部焼(とべやき)。梅山窯の大皿です。うどん屋なんかでよくみる白地に青の染付けの丼。思い出しませんか。多くは砥部焼です。磁器なんですが、ぼってりと厚めで存在感がある。どこかのんびりしたうつわ。

白がベースなので、どんな料理にも合わせやすい。そして色んな産地の陶器とも組み合わせやすい。なかなか優等生なうつわだと思います。

料理をそろそろ仕上げましょう。穴子が好みの食感に近づいてきた頃、いよいよ実山椒をドバっと投入。えいやっ。ふわっと香気。ああ、ワクワクする。ぐらぐらと煮立つ煮汁を吸って、緑色がやや鈍い色に。

頃合いをみて、穴子を取り出し (身がくずれないように注意して) 、煮汁を煮詰める。いわゆる「ツメ」作り。実山椒を使わない普通の煮穴子であれば、ここで煮汁にバルサミコ酢を加えて煮詰めると、とたんにイタリアン煮穴子に変身。これまた美味しいのですよ。和の煮穴子なら定番のお伴はきゅうりだけど、伊の煮穴子ならばルッコラを用意して。

ツメはさらさらがとろとろになったら仕上がりです。穴子はそのままの大きさでも、食べやすい大きさに切ったものにでも、このツメをかけて出来上がり。冷めてなお優等生なのが煮穴子の素敵なところ。

今日は半身をそのまま盛りつけ。大皿に映えますね。ツメをたっぷりまとわせて、酒を飲むならちびちびと。ご飯に乗せるならおおぶりに。箸で切れます、ご自由にお好みの大きさでどうぞ。甘いタレにふっくら穴子、そして鼻をくすぐる山椒の香り。あっという間に食べちゃいます。最後にもう一つ。穴子をすっかり食べ終えたら、皿に残った山椒をひとつ箸でつまんで口元へ。噛めば再び初夏の幸せの香りがやってきます。夏がもうすぐやってくるな。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

細萱久美が選ぶ、生活と工芸を知る本棚『日本料理と天皇』

こんにちは。中川政七商店バイヤーの細萱です。
生活と工芸にまつわる本を紹介する連載の3冊目です。今回は工芸ではなく、日本の生活や文化について学べる本を選びました。タイトルが若干仰々しいですが、天皇論を語るような学術書ではなく、宮廷文化が育んだ日本食文化を、美しい写真を眺めるだけでも楽しく知ることが出来るムック的な本です。著者の松本栄文さんは、この本を見るまで存じ上げませんでしたが、プロフィールは株式会社松本栄文堂・社長として、花冠「陽明庵」という隠れ家のような日本料理屋で腕を振るう料理人であり、作家でもあります。著書『SUKIYAKI』では料理本アカデミー賞と称されるグルマン世界料理本大賞2013「世界№1グランプリ」を受賞という、日本料理の世界でも権威ある方と知りました。

この「日本料理と天皇」を手にしたのは、一昨年の年末年始商品として、お餅を扱うことになったのがきっかけです。私は、お雑煮は正月しか食べる習慣がありませんが、単に正月の食べ物として当たり前に食べているだけでした。それも丸餅であったり、角餅であったり特にこだわらず。この本で、お餅や、その原料である御米(本に倣って御の字を使います)の本来の意味合いをようやく知りました。御米が日本人にとって大切な食べ物である意識はあっても、神と天皇との関わりまで深く考えたことがありません。本によれば、日本の総氏神とされる天照大御神様が、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上に君臨させる際に稲を持たせ、御米は人々の命を支える食べ物となり、神々の子孫である大和朝廷の御上(天皇)は豊作を祈願する役割があります。それに対し、大御宝(国民)は信頼と尊敬を感じるという繋がりが自然と生まれます。

御米から作る、御餅は神々への捧げ物であり、霊力の塊のように考えられていました。そして太陽や宇宙を表す丸い形にするのが古来の考えです。「餅」と「丸」が重なることで、ハレの日にこれ以上ふさわしい食べ物はないということで、日本の御祝行事にはつきものとなりました。お正月に飾る鏡餅は、奈良時代に考案されましたが、お正月の神様である歳神様に捧げるお飾りです。丸い御餅に神様が宿り、鏡開きでその力を授けて頂くという意味合いがあります。それを知って、開発したお餅の商品は丸餅になりました。

「五穀豊穣」を祈願するお祭りや行事も多いことからも、御米あっての日本人と言えますが、日本料理の起源としても、神々に供える「神饌」(しんせん)があります。お正月のご馳走と言えば、お節料理ですが、これも神々へのお供えものを下げていただくのが本来です。お節料理の内容で、例えば数の子は子孫繁栄、黒豆には健康でまめに働いてほしい‥‥などそれぞれに意味合いがあることはなんとなく知ってはいるものの、習慣として食べている意識の方が強いです。お節料理は、奈良時代には行われていた宮廷行事の料理に由来し、現在もあまり変わらず受け継がれているのは驚きです。
季節の区切りを祝う五節句のお供えも同様に、神饌を下げて戴くことで、神々とつながり無病息災を願いました。意味合いを考えることは薄れつつも、伝承文化が途切れずに残っているのは改めてすごいことだと思います。紀元前660年御即位の初代神武天皇以来、天皇家は2600年以上続く、世界最古の王家だそう。その歴史があるからこその、今に続く伝承文化と言えます。

著者は日本料理人でもあるので、世界無形文化遺産に登録されたのが「和食」と題され、「日本料理」と題さなかったことを遺憾に思われています。確かに、「和食」の定義はもはや難しく、日本風の食事?という曖昧さはあると思います。その論議はさておき、私は仕事柄、歳時記にちなんだ商品や事柄に関わることが多く、その割に意味合いをきちんと理解していなかったことを改めて感じ、且つ分かりやすく勉強になる本と出合いました。日本料理が切り口ではありますが、伝承されている日本文化や美意識は世界に誇るものがあることを、豊富な写真と、なるほどと腑に落ちる解説で楽しめる大作本です。

 

<今回ご紹介した書籍>
『日本料理と天皇』
松本栄文/枻出版社

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。


文・写真:細萱久美

18億の負債を抱えた企業が、商品入荷待ちの人気メーカーになるまで

機能的な土鍋や調理具を開発されている伊賀焼の長谷園(ながたにえん)さん。

個人的にも愛用させてもらっていて、無くては困る台所の相棒です。

その鍋の優秀さについて語ろうとすると、いくつでも記事が書けそうですが、今日は長谷園さんの本社へお邪魔して、伊賀焼の歴史や特徴について伺いました。

長谷園の資料室
伊賀本店一帯は広い敷地の中に3棟の展示室・資料館・体験工房・展望台などが整備されている
長谷園の資料室
国の有形文化財に登録された建物も
長谷園
展示場のひとつ
長谷園の長谷康弘さん
案内をしてくださったのは、代表取締役の長谷康弘さん

日本で唯一、天然素材の陶土からできる伊賀の土鍋

プロの料理家の愛用者も多いという長谷園さんの土鍋。

これまで75万個を販売し、家電雑誌でも“一番おいしくご飯が炊ける道具”として評価された、炊飯土鍋の“かまどさん”をはじめ、蒸し器にもなる土鍋、煙を出さずに自家製燻製ができる“いぶしぎん”、IHでも使える土鍋など、様々な土鍋を開発されています。

長谷園のラボ
試作を作るラボのような場所。開発に約3年を費やす商品もあるのだそう

そんな長谷園さんの土鍋の強みは、原料の土にあります。伊賀の土は、耐熱性があること、蓄熱できることから、調理器具として優秀な働きをするのだそう。

実は昔、琵琶湖の底だった(!)伊賀市。古琵琶湖層と言われる地層から採れる伊賀の土の中には、400万年も前に生息していた有機物( 植物や生物 )がたくさんいます。

この土を高温で焼くと、中の有機物が焼けて発泡し、土の中が気孔だらけのような状態に。その土は、火を与えてもすぐには熱を通さず、一度蓄熱をしてから、ぐっと一気に食材に熱を伝えていくことで料理を美味しくしてくれるのです。

また、蓄熱性が高いので火から下ろした後でもなかなか冷めず、弱火でコトコト煮込んでいるのと同じ温度を保ちます。

その特徴ある土ですが、日本で取れる陶土で土鍋になるほどの耐火度を持つのはなんと伊賀の土のみ。長谷園さんは、その特徴を存分に活かした商品作りを続けられています。

土の特徴を活かしたさまざまな商品を販売

手作業で作られる土鍋

作る現場を案内していただいて驚いたことは、すべての土鍋作りに人の手が入っていること。毎日大量の数を作られている長谷園さんですが、成形した土鍋を削ったり、取っ手を付けたりする工程は人によって行われているそうです。

乾燥の具合、微妙なサイズ感の違いなど、ひとつひとつを人の目で判断しながら手作業で作られている土鍋。土鍋は重たいので力もいるだろうし、土や温度、乾燥など自然と対峙する仕事でもあるため神経も使うだろうなぁと、苦労して作られた土鍋に感謝したくなります。

長谷園の土鍋
素焼き前の土鍋。土の乾燥具合を見ながら、取っ手を取り付ける

作り手は真の使い手であれ

「作り手は真の使い手であれ」をモットーにされている長谷園さん。作られている商品も「こんな物が欲しかった」というものが多いですが、以前、そのサービスに感動したことがあります。

私、何年か前に、一番頻度高く使っていた長谷園さんの「ふっくらさん」という商品の蓋を、誤って割ってしまいました。( それはそれはショックで、しばらく放心したのを覚えています。 )

無くては困るのでお店に行って同じ商品を選び、お会計をしながら割ってしまった話をしたところ、パーツだけでも売ってくださるとのこと。

部品が欠けたら改めて書い直すものだと思い込んでいた私は、驚き、感動して長谷園さんが更に好きになりました。

その話を聞くと、これも使い手の声から生まれたサービスなのだそう。

土鍋が売れだした頃、「買ってもらった方は、本当に喜んで使ってもらっているのかな?」と、使い手にアンケートを実施。感謝の声が多い中、使っていないと答えた方が約1割いました。

そこに、部品が欠けてしまったから、という理由もあり、パーツ売りをすることに決めたそうです。

とは言っても、( ほとんどのメーカーがパーツ売りに踏み切らない要因でもありますが )パーツ販売は手間の割にコストが見合わないもの。反対の意見も多かったそうですが、最終的に踏み切ったのは、「自分がそうしてもらえたら、嬉しくないか?」という使い手目線での問い。「買ってもらうことじゃなくって、使い続けてもらうことが大事なので」と話されます。

負債18億、売上5億。

長谷園の創業は1832年( 天保3年 )。約200年の歴史を持つ老舗メーカーですが、経営が苦しい時期もあったそうです。

「僕が戻ってきた頃、会社の負債は18億円、売上は5億円。胃が痛くなるような数字でした」と当時を振り返られます。

「周りに甘えがちな環境では、ろくな人間にならない」と、高校から外へ放り出された康弘さんは、東京の高校・大学へ進学。百貨店へ就職して流通を学ばれた後、ご実家である長谷園さんへ戻られます。それが、およそ20年前。会社がどん底の頃だったそうです。

それまでは壁などに貼るタイルが主力の事業だった長谷園さん。伊賀焼のタイルは、他にはない大胆な表現が可能で人気が高かったものの、震災をきっかけに重量のある土タイルは避けられるようになってしまったのだそう。出荷待ちの商品もキャンセルが続き、多くの銀行が離れていきました。地元では、「長谷は終わった」という声もあったそうです。

長谷園の資料館
タイル事業で作られていた壁画の一部

人が来てくれる場所に

「お金は無かったですが、戻ってきてここの良さが分かりました。このロケーションは大きな財産。人に来てもらえるような場所に、きっとなるだろうと思いました」と康弘さんがおっしゃるとおり、今では、毎年5月に行われる「長谷園窯出し市」には3万もの人が訪れる長谷園さん。( 武道館の1万人ライブがニュースでよく話題になりますが、この電車もバスも通っていない場所に、焼き物を求めてそれだけの人が集まるのはすごいです )

1832年に築窯された登り窯の保存、これまでの歴史をアーカイブした資料館、観光に来た人が休める喫茶など、それまではメーカーの工場だった場所を、人が来て楽しめる観光の場に変えていきました。

地方創生を政府が掲げて以来耳にするようになった、土地の産業を観光とする「産業観光」は今ようやく注目を集め出していますが、約20年前から始められていたとは。その先見の明に驚かされます。

長谷園の薪窯
年に1度の窯開きの時に使われる薪の窯
長谷園の休憩室
休憩室として使える部屋。大正時代の趣のある建築
資料館では、これまでの歴史を学ぶことができる
創業の頃からの貴重な資料が数多く展示

窯開きイベント、ワークショップの開催、若手作家さんの作品展示など、さまざまな取組みによって、人を集める長谷園さんの作り場。そこで焼き物に惚れ込み、伊賀へ移住してくる若い方たちもいるそうです。

また、料理本やライフスタイル本、カンブリア宮殿などのTV番組でも、そのものづくりが注目されています。

ものづくりによって活性化する地域、伊賀。ぜひその活気を感じに足を運んでみてください。

長谷園七代目当主の長谷優磁さん
七代目当主の長谷優磁さん。商品開発の要となり、新たな商品を生み出している方です

長谷園 伊賀本店
http://www.igamono.co.jp/
三重県伊賀市丸柱569
0595-44-1511
営業時間 : 9:00〜17:00
休業日 : お盆・年末年始

長谷園 東京店イガモノ
東京都渋谷区恵比寿1-22-27 map
03-3440-7071
営業時間 : 11:00〜20:00
休業日 : 火曜日( お盆・年末年始は休業 )

文: 西木戸弓佳
写真: 菅井俊之



<掲載商品>

【WEB限定】長谷園 かまどさん 黒釉 三合炊き