開け!未知への扉。1泊2日で楽しむ燕三条の旅

こんにちは。さんち編集部です。
8月の「さんち〜工芸と探訪〜」は新潟県の燕三条特集。燕三条のあちこちへお邪魔しながら、たくさんの魅力を発見中です。
今日は、いよいよ秋には一大工場見学イベント「燕三条 工場の祭典」を控える、燕三条特集のダイジェスト。さんち編集部おすすめの、1泊2日で燕三条を楽しむプランをご紹介します。お祭りより一足先に、見どころを巡ってみましょう!


今回はこんなプランを考えてみました

1日目:目で舌で、ものづくりの町の歴史と文化に触れる

・燕三条Wing:行きの情報収集に便利な駅ナカお土産店
・燕市産業史料館:工場見学の予習復習に
・玉川堂:ものづくりの町・燕の中心的存在
・杭州飯店:工場の町の職人に愛される、燕背脂ラーメンの元祖
・ひうら農場:異業種を巻き込み、燕市の「ものづくり」を発信する農家
・ツバメコーヒー:燕のメディアを目指すお店で、自家焙煎の本格コーヒーを
・FACTORY FRONT:燕三条のものづくりを発信するオープンファクトリー
・嵐渓荘:ものづくりの町の奥座敷にある、とっておきの隠れ宿

2日目:話題の包丁からご当地パンに地酒まで。旅の出会いを我が家へお持ち帰り

・スノーピーク:人気アウトドアブランドの生まれる場所へ
・庖丁工房タダフサ:併設のファクトリーショップも必見
・三条スパイス研究所:東京の人気スパイス料理店が地域の「えんがわ」に?
・山田ベーカリー:三条で愛されるご当地パン「サンドパン」
・福顔酒造:三条市唯一の日本酒蔵元
・燕三条地場産業振興センター:燕三条産の金物製品が圧巻の品揃え

では、早速行ってみましょう!


1日目:目で舌で、ものづくりの町の歴史と文化に触れる

1泊2日の燕三条旅は、エリアの中心に位置する上越新幹線・燕三条駅からスタートです。見どころは各地に点在しているので、移動には車が便利。駅からレンタカーを利用すると、ちょっと遠くまで足を伸ばせます。

【朝】行きの情報収集や帰りの買い物に便利な駅ナカお土産店
燕三条Wing

上越新幹線の燕三条駅に降り立ったらまず立ち寄りたいのが構内にある観光物産センター「燕三条Wing」。新幹線の改札階にあり、広々とした休憩スペースのある観光案内所もあって、駅に着いてすぐの観光相談にも応じてもらえます。観光マップやパンフレットも各種備えられているので、ガイドブックには載っていない地元情報もここで集めて、いざ町へ!

燕三条Wingの情報はこちら

【午前】工場見学の予習復習に。美しいスプーンコレクションも必見
燕市産業史料館

燕市の主要産業である金属加工の歴史の全体像を、本館と別館、新館に分かれて知ることができます。一帯の工場見学に出かける前にまずここを訪ねると一層理解が深まるはず。

燕市産業史料館の情報はこちら

【午前】ものづくりの町・燕の中心的存在
玉川堂 (ぎょくせんどう)

玉川堂

1816年創業の鎚起銅器の老舗。前庭のある工房兼店舗は、築100年以上の日本建築で、国の登録有形文化財にも指定されています。建物奥の工房は、常時見学が可能。銅を叩く音がこだまする畳敷きの空間で、一枚の銅板から徐々に器が形づくられていく伝統の技の美しさを感じられます。

銅を叩く音がこだまする畳敷きの工房
銅を叩く音がこだまする畳敷きの工房
前庭に面した店舗に美しい銅器が並ぶ
前庭に面した店舗に美しい銅器が並ぶ

玉川堂の情報はこちら

>>>>>関連記事 :「燕三条に見る産業観光の未来」
「わたしの相棒 〜1つの湯沸かし、20の鳥口〜」

【お昼】工場の町の職人に愛される、燕背脂ラーメンの元祖
杭州飯店 (こうしゅうはんてん)

お客さんの9割9分はこの背脂ラーメンを食べに来られるとか

お腹がすいてきたら、ぜひ地元の職人に愛される工場飯を。杭州飯店は燕背脂ラーメンの元祖で、昼時や休日は行列ができる人気店。高度経済成長期に工場での残業夜食の出前に愛用され、お客さんの要望に応えながら進化し、親しまれている燕伝統の味をぜひおためしあれ。

厨房にて。豚の背脂をたっぷりかける

杭州飯店の情報はこちら
>>>>関連記事 :「燕背脂ラーメンの元祖、金属工場の町で育まれた杭州飯店の中華そば」

【午後】異業種を巻き込み、燕市の「ものづくり」を発信する農家
ひうら農場

実はお米をはじめとした農作物も豊富な燕三条エリア。燕市吉田地区にあるひうら農場は、現当主・樋浦幸彦さんで27代目という800年続く歴史ある農場。「燕三条 工場の祭典」にも2015年から参加し、食べ物も金物も含めた燕市の「ものづくり」を発信しています。農場では畑・田んぼ見学、きゅうり収穫体験、きゅうり・お米購入などが楽しめます。(要予約、内容は予約時に要確認)

樋浦さんが丹精込めて育てる田んぼは、日本屈指のパワースポット・弥彦神社が鎮座する弥彦山を望むロケーション

ひうら農場の情報はこちら
>>>>>関連記事 :「27代続く農家が拓く、800年目の米づくりとまちづくり」

【午後】燕のメディアを目指すお店で、自家焙煎の本格コーヒーを
ツバメコーヒー

一息つきたい時には、ぜひこのお店へ。店主の田中辰幸さんが一杯一杯丁寧に淹れる、自家焙煎の本格コーヒーが味わえる。大きな本棚のある店内は居心地がよく、併設の生活道具のショップには地元燕の製品も充実。美味しいコーヒーとともに燕の今の空気を味わおう。

コーヒーを待つ間に買い物が楽しめる併設のショップ。地元燕の製品も充実
看板犬の黒スケ

ツバメコーヒーの情報はこちら
>>>>>>関連記事 :「燕のメディアを目指す、ツバメコーヒー」

【午後】燕三条のものづくりを発信するオープンファクトリー
FACTORY FRONT

mgn 名刺入れ

1日目最後の工場見学先は、名刺入れ専門店「mgnet」のショップが併設された、株式会社MGNET (マグネット) のオープンファクトリー施設。

ショップには金属製の名刺入れはもちろん、定番の革製、珍しい木製の名刺入れ等、専門店ならではの品揃えに加え、燕三条のものづくりに関する情報やアイテムも充実。製造の現場を目の当たりにすると、ますます欲しくなってしまいます。

ワークショップなども行われるオープンファクトリー
ワークショップなども行われるオープンファクトリー

FACTORY FRONTの情報はこちら
>>>>>関連記事 :「金型屋がなぜ名刺入れを作るのか?ものづくりの町の若き会社MGNETの挑戦」

【宿】ものづくりの町の奥座敷にある、とっておきの隠れ宿
嵐渓荘

1日目は主に燕エリアの見どころを巡ってきましたが、宿はぐぐっと三条の奥座敷・しただ温泉郷へ。渓流沿いに建つ旅館・嵐渓荘は、ゆったりできる温泉、山の幸がいっぱいの料理、落ち着いた雰囲気の客室が魅力。登録有形文化財である木造三階建ての本館は風格あるたたずまいです。

結婚式や宴会、法事、日帰り湯などさまざまな形で地元の人たちにも親しまれるとっておきの隠れ宿で、旅の疲れを癒しましょう。

妙泉 (みょうせん) と言われる濃厚でなめらかな温泉
妙泉 (みょうせん) と言われる濃厚でなめらかな温泉
現在は国登録有形文化財に指定されている『緑風館』
現在は国登録有形文化財に指定されている嵐渓荘の中心『緑風館』

嵐渓荘の情報はこちら
>>>>>>関連記事 :「ものづくりの町の奥座敷。渓谷の隠れ宿、嵐渓荘」

*宿でくつろぐ前に、土地らしいお店で一杯やりたいなあという人は、ぜひ三条随一の繁華街、「本寺小路 ( ほんじこうじ ) 」へ。


2日目:話題の包丁からご当地パンに地酒まで。旅の出会いを我が家へお持ち帰り

【午前】人気アウトドアブランドの生まれる場所で、実際の使用シーンまで丸ごと体感
スノーピーク

広々とした環境が気持ち良い

機能性の高さとスタイリッシュなデザインの製品で熱心な愛用者も多いアウトドアブランド、スノーピーク。新潟県三条市にある本社には一般の人も利用出来るキャンプ場と直営ショップが併設されています。

ショップでの買い物を楽しむもよし、時間のある人はスノーピーク製品を利用してのキャンプを満喫するもよし。広大な自然に囲まれながら「人生に、野遊びを」を掲げるスノーピークの世界観にじっくりと浸ってみては。

スノーピークの情報はこちら
>>>>>>>関連記事 :「本社はキャンプ場のなか。スノーピークに教わる、今さら人に聞けない『キャンプの基本』」

【午前】併設のファクトリーショップも必見
庖丁工房タダフサ

三条産包丁の代表的メーカー、タダフサの工房では、鍛冶の現場を間近で見学できます。ものづくりの熱気に触れたあとは、併設のファクトリーショップへ直行。プロ向けから蕎麦切りパン切りなど、あらゆる種類の包丁が揃うので、自然と新しい包丁で料理の腕をあげようという気分になるかも。

ファクトリーショップの外観
こうしてタダフサの包丁が生まれる

庖丁工房タダフサの情報はこちら
>>>>>>>>関連記事 :「職人に教わる、包丁の手入れ」

【お昼】東京の人気スパイス料理店が地域の「えんがわ」に?

三条スパイス研究所

入り口の大きな暖簾がお店の目印

三条でランチを食べるならぜひここに。東京・押上の人気店「スパイスカフェ」の伊藤シェフがメニュー開発に参加し、2016年春に誕生したスパイス料理店。カレーやビリヤニなど、スパイスと旬の食材を調合=ミクスチャーしながら食べるセットメニューが充実。

ナチュラルな雰囲気の木造の建物は地域のイベントスペースとしても利用され、近所の人たちに「えんがわ」の愛称で親しまれています。

木のあたたかさを感じる店内
TOP写真のビリヤニセット1,500円(税別)
ターリーセット1,200円(税別)

三条スパイス研究所の情報はこちら
>>>>>>>>>関連記事 :「東京の人気スパイス料理店と新潟の金物の街が出会って生まれた、三条スパイス研究所とは?」

【午後】三条で愛されるご当地パン「サンドパン」の人気店
山田ベーカリー

人気のサンドパン。オリジナルの包装ビニールもレトロで愛らしい

さて、ここからお買い物を一気に加速させていきましょう。山田ベーカリーは、創業80年を超える三条の町のパン屋さん。約40種類あるパンのなかでの一番人気は「サンドパン」。新潟県内ならどこのパン屋さんにもあるご当地パンです。コッペパンにバタークリームを挟んだパンはナチュラルな味わい。帰りの新幹線の中のおやつにちょうどよさそう。

柔らかい雰囲気の店舗外観
パンには好きなクリームを塗ってもらえる

山田ベーカリーの情報はこちら

【午後】三条市唯一の日本酒蔵元
福顔酒造

お酒好きならお土産に地酒は欠かせません。三条市唯一の日本酒蔵元である福顔酒造は明治30年の創業。地元産の上質な酒米と超軟水である五十嵐川の伏流水を用いた日本酒は、丁寧に手をかけ伝統を重んじたまじめな造り。純米酒、大吟醸を始め地元産の洋梨を使ったリキュール「ル レクチェのお酒」など品揃えも豊富。各種試飲しながら選べるのも嬉しい。

酒蔵を模した店舗外観
左から「特別純米酒 越後五十嵐川」、地元産の洋梨を使ったリキュール「ル レクチェのお酒」、「純米酒 越後平野」「ウイスキー樽で貯蔵した日本酒」
キャップには“福顔”恵比寿さんマークが

福顔酒造の情報はこちら

【夕方】燕三条産のあらゆる金物製品が揃う
燕三条地場産業振興センター

さて、そろそろ1泊2日の燕三条旅もおしまいが近づいてきました。上越新幹線燕三条駅のほど近くにある燕三条地場産業振興センターは、燕三条産のあらゆる金物製品が揃い、その広さと品揃えの豊富さは圧巻の一言。ぜひ時間に余裕を持ってじっくりと旅を締めくくるお買い物を楽しみたいところです。

館内の「レストラン メッセピア」では、地元産食材と燕三条の食器・カトラリーを用いた食事を楽しむこともできるので、小腹が空いた人は最後にこちらへ駆け込んでも。

800平米の広大なスペースに約10,000点の洋食器・刃物などが展示・販売されている
800平米の広大なスペースに約10,000点の洋食器・刃物などが展示・販売されている
「レストラン メッセピア」では好きなカトラリーを選べるサービスも

燕三条地場産業振興センターの情報はこちら


日本有数の金属加工の「工場」の町でありながら、お米や野菜を耕す「耕場」、生活用品からプロ仕様の道具まで購入できる「購場」までが揃う燕三条の町。毎年10月の「燕三条 工場の祭典」では、普段は公開されていない工場もその門戸をあけ、町全体がものづくりの熱気に包まれます (2017年は10月5日 (木) ~8日 (日) 開催) 。

ふと思いたった時に行くもよし、10月のイベントめがけてプランを練るもよし。日常に刺激が足りないなと思ったら、暮らしの道具を見直したいなと思ったら、ものが生まれる瞬間を覗きに、燕三条を訪れてみてはいかがでしょうか。

さんち 燕三条ページはこちら

撮影:神宮巨樹、小俣荘子、丸山智子
写真提供:庖丁工房タダフサ

愛しの純喫茶〜山形編〜 OCTET(オクテット)

こんにちは。さんち編集部の西木戸弓佳です。
旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもく。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。今回は、山形の老舗ジャズ喫茶「OCTET (オクテット) 」です。
そこは、自分だけの秘密にしておきたいようなとても居心地のいい空間でした。

8月初旬、糸や織物のメーカーさんを訪ねて訪れた山形。
夕方、東京へ戻ろうとしたら終電まで新幹線が満席という危機です。どうやらスポーツの大きな大会と重なって新幹線がいっぱいなのだとか。困りました。

一杯やろうかとすぐに頭をよぎりますが、それにはちょっと申し訳ないほどの明るさで、散歩がてら喫茶店を探すことに。
駅前の大通りから少し入った小道、気になる佇まいの喫茶店に出会いました。おそらく駅から5分足らず。本当はもっと散歩するつもりでしたが、ちょっとだけ入ってみようと中へ。

山形・octet(オクテット)

少し重たい扉を開けて、そうっと中へ入ります。中は思ってたよりも薄暗く、喫茶店にしては大きなボリュームで音楽が流れていました。

山形・octet(オクテット)

「いらっしゃいませ。お好きなところに」と入口で声をかけられ、誰も座ってないカウンターの端に座ります。それほど広くない店内には5席ほどのカウンターとテーブル席が3つ。
壁にはずらりとレコードやCDが並びます。ターンテーブル、大きなスピーカー、真っ黒なピアノ、たくさんのライブのフライヤー‥‥ここだけ時間が止まっているような、ザ・ジャズ喫茶です。

山形・octet (オクテット)
迎えてくれたのは、1977年のzoot sims (ズート・シムズ) の山形ライブ。このライブもOCTETが主催している

私の他に、先客が2名。
離れたテーブル席に座るおふたりはどちらとも、流れる音楽の向こう側に参加してるかのように目を閉じたりリズムを取ったりして音楽に聴き入っています。

こんなオールドスクールな純喫茶に、音楽が流れている間に話しかけると嫌がられるかもしれない、と黙ってると「メニューはそこよ。何にしますか?」と話しかけてくれたのはマスターのほうでした。

堅物そうに見えたマスターは話してみるととてもチャーミングで気さくな方。そしてジャズのことを話しだすと止まらない、愛おしいジャズマニアでした。
のちに、山形のジャズ界を牽引するすごい方だということを知らされます。

山形・octet(オクテット)
マスターの相澤栄さん。コーヒーは一杯ずつドリップしてくれる

頼んだコーヒーをいただいている間、マスターの電話が鳴りました。
電話の向こうの方はお知りあいのようで、何かのライブの打ち合わせをしている様子。
話し終えて教えてくれたのは、相手は渡辺えりさん。ベテランの女優、演出家でもあり、シャンソン歌手でもある彼女のライブが明後日山形で行われるのだとか。
「へぇ、どこでライブされるんですか?」
「ここでするんです」
「え、ここで?」と驚きましたが、店内にはたしかにピアノもあるし、音響も整っている。でも、なぜここで?

山形・octet(オクテット)
JBLのスピーカーにピアノ。ライブの日は、ここがステージになる

なんでも、マスターはジャズのオーガナイザーでもあって、国内、海外からアーティストを呼んで定期的に山形でライブを開催しているのだそう。OCTETでのライブの他、山形市内の大きなホールでのライブも行っています。

渡辺貞夫さん、スコット・ハミルトンさんなどジャズにそんなに明るくない私でも分かるほどの大物たちの名前が書かれたフライヤーやポスター。それらのライブの主催は、すべてOCTETでした。

山形・octet(オクテット)

OCTETがオープンしたのは1971年。ジャズマニアのマスターが脱サラしてはじめたお店です。
末広がりの「八」と、お店を作るとなった時に力を貸してくれたのが8人の協力者だったことから、OCTET(八重奏の意味)となったそう。
古いレコードだけでなく現代のジャズも集まるコレクション数はなんと約1万5000枚!
市場には出回っていないような貴重なレコードも多く、ある音源を求めて県外からわざわざ来られる方もいらっしゃるのだそうです。

山形・octet(オクテット)

「この奏者は元々‥‥」「この曲はアレンジされてて‥‥」「この年代の‥‥」とていねいに解説してくれるマスター。本当に愛おしそうにニコニコと話されるので、こちらがにやけてしまうほど。
いい音楽と音響、そして愛のこもったジャズ講座に、すこしだけ休憩するはずだったのに、気付けば電車の時間に!マスターにお礼を伝え、走って駅に向かいました。

山形・octet(オクテット)
「山形のジャズ喫茶誕生秘話」マスターの相澤さんが出されているOCTETの誕生話
山形OCTET・オクテット
周年の際に常連さんから贈られたお酒

OCTET
山形市幸町5番8号
023-642-3805
11:00-21:00

文・写真 : 西木戸弓佳

細萱久美が選ぶ、生活と工芸を知る本棚『高峰秀子 暮しの流儀』

こんにちは。中川政七商店バイヤーの細萱です。
生活と工芸にまつわる本を紹介する連載「細萱久美が選ぶ、生活と工芸を知る本棚」の4冊目です。今回は、暮しにポリシーがあり、身の回りのモノにこだわりを貫いた女性の本です。

高峰秀子さんはご存知でしょうか。昭和を代表する有名な女優さんですが、1979年55歳の時に引退されたので、シニア世代には当時のファンも多いのでしょうか。

高峰さんは5歳で子役としてデビュー以後、300本を超える作品に出演されているので、昭和の邦画がお好きな方もご存知だと思います。

私は女優としての高峰さんはほとんど知らないのですが、女優を引退後エッセイストとして活躍されたので、ここ数年で名著を何冊か読み、高峰さんへの関心が強まりました。

この本は3者の共著で、高峰さんのご主人で映画監督だった松山善三さん、養子となった斎藤明美さんも文章を寄せています。高峰さんが愛する家族と、淡々と積み重ねてきた普段の暮しを知ることが出来る内容です。

日々を切り取った秘蔵写真や、衣食住にかかわる日用品、身辺に置いて慈しんだ宝物など、素敵なモノがたくさん掲載されており、眺めて楽しい本でもあります。

本を読み出してから、高峰さんの女優としての半生も気になって調べましたが、若かりし頃の美しいこと!昭和時代の大女優さんには日本らしい美しさと、近寄れないオーラを感じる方が多いですが、高峰さんもその1人。

彼女は、実は芸能界という華やかな世界で、人前に出ることは好きではなかったそうです。むしろ、引退後の普段の暮し、日々のいとなみにこそ彼女にとっての本当の喜びがあったことがこの本からも伝わってきます。

夫婦揃って大の食いしん坊だったそう。表紙にもなっているように、食卓のスナップやキッチンで楽しげに料理されている高峰さんの姿が印象的です。

大女優さんではありましたが、引退後は小さな家に建て替え、不要な家財を処分し、必要以上の人間関係も持たず、自分らしく自由に生きられる時間を心から幸せに感じたそうです。

ただ、骨董などモノは好きだったらしく、女優時代の一時、ご自分で骨董店を営んでいたほど。20代の頃から、パッと見て選んだモノが一流の骨董店も唸らせる審美眼があったそうです。

センスとこだわりがあったのでしょうけど、驚きのエピソードは、ご主人の松山さんが新婚当初に高峰さんに贈った反物を、早々に店に取り替えに行ったとか。

外からの贈りものも多かったと思いますが、好意は頂戴して、家に合わないモノを無理して使うことはしなかったそうです。

徹底した「整理整頓型」で、自分の美意識や心地よさを追及されていました。

本の中で、高峰さんがご自身のことを「いいかどうかはわからないけど、趣味はあるね」と仰っています。好みの線引きを明確に持っている方で、養女の明美さんも言っていましたが、高峰さんの生き方は、暮しと寸分違わず潔かったそう。

飾らないけれど、丁寧で知性のある生活振りを感じ、格好良い方だなと思います。

本に掲載されているモノは、骨董などは高そうにも見えますが、価格や希少性で選ばれた感は全くなく、センスとして現代の我々でも欲しいと思うモノが多いです。

アナログで温かみのある工芸品や、暮しの中でヘビーに使っていたであろう機能美のある道具が多くて参考になります。

自分のために、自分が心地よい生活空間を作り、自分なりにきちんとした生活を送りたいと心がけているので、引退後の高峰さんの流儀ある暮しぶりにはとても憧れます。

ぶれない審美眼にはまだまだ適いませんが、以前よりも嬉しくないモノはそばに置かないようになりました。

よく、「使える」「使えない」で評価することもありますが、使えなくてもそばにあって嬉しいモノは、むしろ必要なモノだなと思う今日この頃です。

<今回ご紹介した書籍>
『高峰秀子 暮しの流儀』
高峰秀子・松山善三・斎藤明美/とんぼの本 新潮社

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。


文・写真:細萱久美

わたしの一皿 キリッとしないガラス

きゅうり、空芯菜、ししとう、モロヘイヤ、ズッキーニ、おかひじき、オクラ‥‥。テーブルは緑の野菜の乱打戦。夏がやってきましたね。もう10日以上の真夏日が続いています。梅雨、まだ明けてないはずなんだけどな。クーラー付け過ぎで電気代がひたすら気になる、みんげい おくむらの奥村です。

今日は「オクラ」。夏野菜の四番打者といってもよいかもしれません。世界中で愛される野菜。生でもよし、ゆでてよし、煮込んでもよし。暑い日はとにかく料理もめんどくさい。出来ればささっと作れて、夏バテにならないような栄養のとれるものを食べたい。それならこのネバネバ野菜はぴったりの素材。

あついあつい日、使いたいのはやっぱりガラスのうつわ。前にも琉球ガラスを紹介したけれど、今回は福岡、旧小石原村 (きゅうこいしわらむら・現東峰村) で再生ガラスのうつわを作る太田潤手吹きガラス工房。

小石原 (こいしわら) は焼き物の産地。太田潤さんは小石原焼の家系に生まれた次男坊。長男が焼き物の道に入り、彼自身はガラスの道に入りました。修行は沖縄ですが、今は郷里で、あこがれる倉敷ガラスの小谷真三さんのように1人きりで 再生ガラスのうつわを作っています。

ガラスは焼きものとちがい、短時間の勝負。炉の中からガラス原料を取り出し、一気に成形していく。数人の工房なら分業で行程ごとにぽんぽんと作業が受け渡されていきますが、1人だとそうはいきません。全ての段取りが自分の両手の届く範囲にあり、狭い中でリズミカルに動き回り、1つの形を生み出します。

太田潤さんのガラスの良さは、キリっとしていないところ。していないところって何だよ、とは言わないで。同じコップを10並べると、10の表情がある。工業製品ならこれはダメでしょう。手の仕事でも同じコップなら、出来るだけ同じサイズ、形は当然意識して作られています。しかし、彼のものには10の表情がある。いや、15くらいあるかもしれない。なんだかほめているのかわからないようですが、ほめています。

今回使ったうつわもフチにゆがみがあるもの。作家もののわざとくずした形にしたものって、そのいやらしさが伝わってきて好みではない。でも、こう作りたいというのがあって、そこに辿り着いているのか辿り着いていないんだかわからない、そんな着地点のこのうつわのゆがみには愛らしさがあります。名誉のために言っておきますが、ヘタということではないんですよ。

ゼロから完成までが全て1人の手。原料として不安定な再生ガラスを、体調や心もちも一定しないふつうの人が吹く。そんなうつわなので、どこか仲の良い友人のような親しみがあります。

さて、オクラは板ずりで下ごしらえをして、さっとゆでる。クッタリしたら台無し。生でも食べられる野菜なので食感がきちっと残るようゆでたいところ。ゆで上げて冷水にとってオクラがおちついたところで、いそいで梅をたたき、調味料と合わせる。オクラをささっと切って和えるだけ。オクラの梅肉和えの完成。この料理は時間が経つと色が悪くなるので作りたてを食べたいもの。

この時期、明るい時間はガラスのうつわが光を通してより表情豊かになります。ひとときの涼をテーブルに。

最後に、小石原を含む東峰村やその周辺のこと。7月上旬の豪雨で甚大な被害に見舞われています。特に、高速の杷木 (はき) を降りてから小石原に向かう、のどかな山間のエリアが被害が大きかったようです。買い付けにむかう時にいつも季節季節を感じさせてくれる日本の里山の風景がありました。一刻も早くおだやかな暮らしが戻ってきますように。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

デザインのゼロ地点 第6回:グラス

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発する、ものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」、6回目のお題は「グラス」。
THEブランドでも最初に商品化された、思い出深いジャンルでもあります。英語でglassというと、ガラス・窓ガラス・コップ・ガラス製品・鏡・姿見・眼鏡・望遠鏡などたくさんの意味がありますが、ここではもちろんガラス製のコップについてお話ししたいと思います。材質名称と道具の名称が混同されてしまうほど人類の歴史の中で長く使われてきたグラス。
今回も歴史や素材、形状、機能、価格などそれぞれを絡めながらグラスを読み解いていければと思います。

そもそも人類はいつからガラスを道具としてきたのでしょうか。
調べてみるとこれまたとんでもなく古く、紀元前4000年より前にエジプトやメソポタミア文明で二酸化ケイ素 (シリカ) の表面を融かして作製したビーズが始まりだと考えられているそうです。ただ、当時はガラスそれ自体を材料として用いていたのではなく、陶磁器などの製造と関連しながら用いられていたと考えられています。
そして、エジプトでは紀元前2000年代までに、植物灰や天然炭酸ソーダとともにシリカを熱すると融点が下がることが明らかになり、これを利用して焼結ではなく溶融 (ようゆう) によるガラスの加工が可能になるそうです。これが鋳造ガラスの始まりです。
紀元前1550年頃にはエジプトで粘土の型に流し込んで器を作るコア法によって最初のガラスの器が作られ、西アジアへ製法が広まっていたとのことです。

なんと今から3500年以上前からガラスの成形品があったのです!すごい!!

古代エジプトのコアガラス 出典:「古代ガラス」平凡社

そしておそらくこの後すぐ(紀元前1500年前後)に「宙吹き」技法が発明されます。今も残る吹きガラスの技法で、ガラスに限らずとも成型方法の基本構造でもあります。(プラスチック成型でもブロー成型といって空気で膨らませる技法はボトル形状のものを作る基本技法です)
宙吹き技法の発明によって、鋳造と比べて表面を磨く手間が省け、劇的に製造コストが下がったのでしょう。食器や保存容器として一般に使われるようになり、同時期にエジプトがローマ帝国支配下に置かれたことも重なって、ローマ帝国全域にまで製品とその製法が伝わりました。(主にローマガラスと呼ばれます)
さらに、型にガラスを吹き込む「型吹き」技法も開発され、成型と同時に装飾が施せるようになったのもこの頃です。

ちなみに、鋳造された板状ガラスが一部の窓に使用されるようになったのもこの時期とのこと。器よりも板ガラスの方が遅かったのですね。

宙吹き技法
BC27年~AC395年、ローマ帝政時代のローマガラス

またまた長くなってしまうので少し時代が飛びますが、12世紀には板ガラスを使ったゴシック調のステンドグラスが教会の窓を飾り、13世紀には不純物を除いた無色透明なガラスがドイツ南部やスイス、イタリア北部で製造されていたそうです。良質なガラス原料を使用していたヴェネツィアのガラスが有名です。

そして、15世紀には酸化鉛と酸化マンガンの添加により、屈折率の高いクリスタルガラスが生まれます。
ワイングラスのリーデルや、ロックグラスのバカラ、江戸切子など、THE醤油差しでも使われている比重が大きく透明度が高いガラスです。

1764年、フランス王ルイ15世により、ロレーヌ地方のバカラ村にガラス工場設立が許可され、1816年からクリスタルガラスの製造が開始された。その当時のクリスタルガラス。

ここから、18世紀の産業革命を経て、他の産業と同じく製造背景も急速に技術革新が起こります。ガラスの原料となる炭酸ナトリウム(ソーダ灰)を経済的に大量に生産する方法も発明され、ガラスを溶かす窯にも大きな進歩が起きました。蓄熱式槽窯 (ちくねつしきそうよう) を用いた製法により、溶融ガラスの大量供給が可能になり、この平炉はガラス炉として大成功します。この先の工業用ガラス製造の基本となり、改良を加え製鋼法としても使用されるようになりました。
こうしたガラス製品の製造コストの低下と、瓶・窓ガラス・望遠鏡などの光学系ガラスの需要の急増が重なり、各国に大規模なガラス工場が相次いで建設されるようになりました。

こうして現代に至るまで、製法や製品の改良が進んできたガラス分野ですが、一方で器としてのガラスコップ(=グラス)は、素材由来の機能革新以外ではほとんど形を変えずに今でも使用され続けています。

近年のグラスの定番といえば、デュラレックスのピカルディや、東洋佐々木ガラスのHSスタックタンブラーでしょうか。
どちらも業務用として広く流通していることもあり、誰もが必ずと言っていいほど見たことがあるグラスだと思います。

デュラレックス ピカルディ

デュラレックスは1939年、フランスのサンゴバン社によって工場が設立され、世界初の全面物理強化ガラス製のタンブラーを生んだブランドです。(デュラレックスの名でブランド化したのは1946年)
全面物理強化ガラスとは、表面に圧縮応力をかけることで機械的強度や熱衝撃性を高めたガラスで、車の窓ガラスなどがそれに当たります。車の窓ガラス並みの強度があり、持ちやすさと同時にスタッキング時のガラス同士の接点を少なくすることを考慮した、少し膨らみのある九角形の独特のフォルムは、見た目としても美しく、大好きなグラスです。

車の窓ガラスと一緒なので割れ方も独特で、他のガラスのように直線のヒビから鋭利に割れるのではなく、粉々に砕けるように割れます。ただ、これが少々難点で、先に述べた通り表面全体に応力をかけて強度を増している為、見えない傷や経年の劣化によって、その残留応力 (外力を除去した後でも物体内に存在する応力のこと) が行き場を見つけると突然割れてしまうことがあるそうです。個人的にはガラスは割れものですから致し方ないという思いもありますが、日本硝子製品工業会ではその点を考慮し製造を行なっていないとのこと。国産の全面物理強化ガラス製タンブラーが存在しないのはそのためです。

東洋佐々木ガラス HSハードストロング 1972年発売

東洋佐々木ガラスのHSハードストロングも、必ずと言っていいほど飲食店で目にするグラスです。1967年に佐々木硝子が開発した製品で、口元のみをガラスが変形しない範囲で軟化する程度の温度まで加熱した後、急激に冷却し、表面に圧縮応力層を、内部に引張応力層 (ひっぱりおうりょくそう) を形成させた口元物理強化という方法で作られたグラスです。口元のみ物理強化することで他へ応力を逃がして突然割れることを防いでいるようです。
(佐々木硝子は2002年に東洋ガラスハウスウェア部門と統合し、現在は東洋佐々木ガラスと改称)
形状はスタッキングに特化しながら、これ以上ないくらいシンプル。発売からちょうど50年ですが、今なお現役です。

グラスは、飲み物を入れる器として、数千年前から機能的な形状はほとんど変わっていないプロダクトですが、そのデザインのゼロポイントを考えたとき、あることに気がつきました。
それは、家の中と外では飲み物を飲むまでのプロセスが違うこと。
例えば、お店で飲み物を頼む (購入する) とき、Sサイズ・Mサイズ・Lサイズといったように必ず飲みたい量を先に指定することになります。一方で家庭で飲み物を飲むときは、飲みたい量を無意識に設定してグラスや容器を選んでいるのではないでしょうか。
では、世界中の人が直感的にサイズのわかる、みんなの基準になる器ってなんだろう?という考えから生まれたのがTHE GLASSでした。

THE GLASS(2012~)

「世界中のより多くの人が連想しやすいサイズ」として、コーヒーチェーンのカップと同じ形状で同じ容量のショート・トール・グランデというサイズ展開としたのですが、実は人間は先に飲む量を頭の中で無意識に決めて飲んでいる、という仮説が正しければ、完全に機能を追求した形状とも言えるかもしれません。

硼珪酸 (ほうけいさん) ガラスという、ホウ酸を混ぜて熔融し、軟化する温度や硬度を高めた耐熱ガラスを用い、厚みを一定に設計することで均一に応力がかかり、割れにくく作られています。
THE GLASS>こちらもグラスの基準値の一つとして加えて頂けたら嬉しいです。

デザインのゼロ地点・グラス編、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<掲載商品>
THE GLASS

<写真提供>
東洋佐々木ガラス株式会社

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

伊賀で目にうつる全てのことはメッセージ

こんにちは、BACHの幅允孝です。
「さんち」の不定期連載も4回目。今回も中川政七さんと日本全国の工芸産地を巡ろうと旅に出たのですが、訪れたのは三重県伊賀市でした。
のっけから伊賀牛に舌鼓を打ち、まさかの忍者修行もこなし、苦労性の松尾芭蕉を知り、突然坂倉準三建築に出会いと、あいかわらずの行きあたりばったりの愉しい旅路で。是非ゆるりとご覧ください。

伊賀って、行かないよなぁ。これが比較的近所(愛知県西部にある津島市)で生まれた僕の、伊賀に持つインプレッションである。三重県には伊勢神宮もあれば、松阪牛もいるし、真珠も黒アワビも志摩の方では獲れるし「何とも贅沢な県」というイメージがあるけれど、海側のそれらとは逆サイド、内陸の伊賀には行ったことがなかった。多分、忍者になりたいと願ったことがなかったからだろう。
しかし、「いや、伊賀はめっちゃいいとこですよ」という中川政七さんの言葉に釣られ、今回は伊賀ヴァージンにさよなら告げることを決意。新幹線を降りた名古屋駅からレンタカーで90分、伊賀市内の芭蕉街に到着したのである。
当日は本社のある奈良から車で向かった中川さんが随分早く到着。なんでも奈良市内から50分車を走らせたら直ぐについてしまったのだという。実は8年前の市町村合併で奈良市と伊賀市は隣接したのだが、その事実を知らなかった中川さんの驚きに僕らも驚きつつ(知らなかったの!?)、京都や奈良からもかなり行きやすい立地に伊賀があることが判明した。

さて、というわけで最初は伊賀牛である。三重には松坂牛という世界的に有名なブランド牛が存在するけれど、伊賀牛も侮ってはいけない。濃厚でサシのたっぷり入った松坂牛と比べ、伊賀の牛は肉質が細く柔らかいことが特徴なのだとか。今回は、そんな伊賀牛を真昼間から堪能するため100年前から伊賀牛を扱う「金谷本店」を訪れた。ここは4代に渡って優れた血統を持つ伊賀牛をさらに改良、吟味したエリート伊賀牛たちを販売する精肉店であり、一方で老舗店舗の2階に上がれば肉料理が愉しめる。

しゃぶしゃぶ、ステーキ、バター焼きなど伊賀牛料理なら何でもござれの老舗店。しかしながら、一番の名物は「寿き焼(すきやき)」というから僕らは迷わずそれを注文。割り下を使わず、砂糖と醤油のみで炊くスタイルの関西風すき焼きが登場したのだが、その様子に驚愕したのが関東地方生まれの同行スタッフだった。

オーケイ、ここで整理してみよう。鍋を熱し、牛肉を焼くところまでは関東風も一緒。ただ、この後にネギを投入、割り下をひたひたになるまで注ぎ、順次ほかの野菜を加えながら煮えたところから溶き卵につけて食べるのが東のすき焼きである。(これではすき「焼き」ではなく、すき「煮」ではないか? というのが生粋の奈良人中川さんの疑問。)
しかし、ここ伊賀を含む関西風は、焼いた肉の上にどさっと砂糖を直接かけ、ひと呼吸おいたら醤油をちょろり。その濃厚な1枚の肉を頬張るところからスタートする。その最初の一口は「1枚目の喜び」という至福なのだ!と僕や中川さんなど関西風に慣れ親しんだ者はご満悦だが、同じ料理でもここまで調理方法が違うのも確かに妙な話である。

さて、「金谷本店」では一頭買いした雌牛しか使わないのだが、盆地で寒暖差が大きく水の綺麗な伊賀の牛様は、僕らの想像をはるかに超える味わいであった。脂の旨味で舌を唸らせる肉ではなく、淡白な赤身がじんわり尻上がりに口内に広がってくる肉とでもいおうか。正直なところ、人も40歳を超えると胃腸が脂をそんなに受け付けてくれなくなるのだが、この伊賀牛こそが上品な大人が食す三重の肉なのかもしれない。

小豆島の「まるきん醤油」をちびりとかけ、野菜も少しずつ足していく。金谷本店のスタッフの方にはこんな声を掛けざるを得ない。
「おかあさん、白めし先にください!」
関西風は、徐々に出てくる野菜の水分に合わせ砂糖と醤油で味を調整するから、家庭によって味もさまざまになる。かつて中川家では親父さんが砂糖を入れすぎるのを息子が嫌がっていたというエピソードも聞こえてきたが、それ、幅家も一緒だったなぁ。

というわけで、のっけから第4楽章を聴いたような伊賀牛祭を満喫したのだが、旅はまだエンディングではない。ここで終わってもいい!というぐらいお腹いっぱいだったのだが、腹ごなしに散歩すると伊賀の城下町では、つどつど面白いものを見つけるではないか。

いかにも老舗という出で立ちの井本薬局のショーケースには猿頭霜( えんとうそう )と呼ばれるタイワンザルの頭を黒焼きにした漢方薬が飾られている。

町の広報看板には「第9回伊賀流手裏剣打選手権大会」のポスターが貼られている( どんな大会だ!? )。

ある月極駐車場の看板は立派すぎるくらいで、一方踏切の片隅に置かれている手描きの交通看板にある「とまり、きき、みて、とおれ」という文字は味がありすぎて微笑んでしまう。

さらに歩くとザ・モダニズムという体の建築物が現れたのだが、その伊賀市役所は何と坂倉準三の名作建築というではないか。

玄関に飾られた「伊賀市は『忍者市』を宣言しました」という横段幕の言葉に「後悔はないのだろうな?」とひとつ突っ込みを呈したあと屋内に入る。

思った以上に広々とした空間が気持ちよい。4〜5メートルはあろう天高の下でもらう住民票は格別なものなのかもしれない。
2階に登ると差し込む光が実に美しく、細やかな採光ひとつとっても坂倉の腐心が伺える。

そして、この場所でまさかこの人に出会うとも思っていなかった。知る人ぞ知る前衛画家であり絵本作家の元永定正( もとながさだまさ )の作品が階段の踊り場など数カ所に展示されているのである。受付の方にお聞きすると元永はなんと伊賀出身。世界的に再評価が高まる日本の美術運動「具体」の中心的人物の抽象絵画が、市役所で観れるとは思いもよらなかった。元永は作品づくりのテーマで「未知」というコンセプトを掲げ( 1955年刊『具体』誌 第3号 )、初めて世界と向き合うような生々しい驚嘆を描こうとした人。だから、大人も子どもも彼の作品に対峙した時、頭ではなく五感に響いてくる何かがある。実際、彼はジャズピアニストの山下洋輔と共作した不思議すぎる絵本『もけらもけら』や、この連載の豊岡回で紹介した決して大人には決して理解できないカニ絵本『カニ ツンツン』を生み出した人なのだが、いやはや伊賀で出会うとは驚いた。

伊賀の町を歩くと、なんだかすべてが引っ掛かる。これぞ荒井由美がかつて唄った「目にうつる全てのことがメッセージ」状態ではないか。さすが、日常の機微を詠み詩人としても世界中で賞賛される松尾芭蕉を生み出した伊賀である。

という流れで、次に(伊賀の)上野公園内にある芭蕉翁記念館を僕らは訪れた。1959年に城戸武男によって建てられたこれまたモダンな平屋建築には、芭蕉筆による様々な作品や手紙が収蔵されているという。俳句というと、なんだか縁遠いと感じる読者も多いかもしれないが、記念館の情熱的な学芸員・馬岡さんの説明を聞き、僕は俳句の面白さや松尾芭蕉という人物に俄然興味を持つことになった。

まず驚いたのが、芭蕉がとても苦労しながら俳諧師として成長していったことだ。彼が生まれた1644年の当時、伊賀の農家の次男坊が江戸に出て俳諧師として食べていくのは只事ではなかった。芭蕉は北村季吟( きたむらきぎん )の弟子として、やっとのことで免許皆伝ともいえる「俳諧埋木」を受け取ったそうだ。しかも、上京後も「業俳(職業俳諧師)」として食べていけないうちは神田上水道の工事に従事しながら機をうかがっていたともいう。あの松尾芭蕉が水道工事ですよ、すごい根性である。

また1675年に初めて使った号「桃青(とうせい)」は、尊敬する中国の詩人・李白に影響を受けたものだが、「李(すもも)」が白い先人に対して、自身はまだまだ青い「桃」だとへりくだっていた点も彼の人となりを想像させる。

もうひとつだけ芭蕉の俳句のイメージを覆された話をしよう。俳句といえば花鳥風月を詠むものとあなたは思うことだろう。だが、松尾芭蕉(桃青)の作品に今回触れて、彼が詠みたかったのは民衆という人だったということが実によくわかったのだ。風景よりも庶民の喜怒哀楽を詠む松尾翁。例えば、「夕顔に米搗き( こめつき )休むあはれ哉( かな )」という句をむかし本で読んだことがあったのだが、実のところそれは労働歌だったと学芸員の馬岡さんに教えられ目から鱗が落ちる思いをした。

ちなみに少しだけ基本を整理しておくと、「俳諧」と「俳句」は別のものである。俳諧は「俳諧連歌」ともいう歌を連ねる世界。その始発点となる句を「発句」と呼び、芭蕉の登場以降は発句のみを鑑賞することも多く、それが近代文芸における「俳句」となっていく。松尾芭蕉の作品としては現在では、彼の書いた発句が有名になっているが、本当のところ彼は俳諧の方を好んだということも教えてもらった。そして、自分の発句に付句をする弟子たちと連歌を通して心を通わせたのである。
実は、当時の俳人の多くがそうだったように句集、文集、伝記は自分では出版せず、弟子たち周囲が書くことによって伝承される。松尾芭蕉はそんなに多くの弟子を取ったわけではないが、当時としては珍しくたくさんの女性の弟子も取り、富める者も貧しき者も分け隔てなく接したといわれている。実際、芭蕉庵が火災で焼失した時は、お金だけでなくモノを寄付する現物支給の弟子もいたのだとか。松尾芭蕉は愛されキャラだったのである。

さてさて、初日最後は同じく伊賀上野公園内で忍者体験である。冒頭に書いたように忍者に対する憧憬がまったくなかった僕は、まさか40歳を過ぎて忍者衣装に袖を通すことになるとは思いもしなかった。先輩忍者に促されるまま着付けが始まり、思ったよりもたくさんのパーツが次々に体へと貼り付けられる。オーバー40のルーキー忍者2人の姿には失笑していただくしかないが、ここで僕と中川さんが感銘を受けたのが手裏剣打ちだ。

先ほど町中で見かけた「第9回伊賀流手裏剣打選手権大会」。これこそまさに伊賀流忍者博物館が仕掛けた大会なのだが、ずっしりとした手裏剣を打つのは、なかなか得難い体験だった。だって、普通は刃物なんて投げちゃいけない!

僕たちは手裏剣大会でも使う「公式球」ならぬ「公式手裏剣」を使ったのだが、それは岐阜県の関市で作られひとつひとつにナンバリングが施された工芸品としての手裏剣。その重みのある凶器を7メートル離れた畳に向かって投げると、ぷすりと畳に綺麗に刺さる感触がだんだん癖になってくる。実際の忍者たちはその刃先に毒を塗り、徐々にターゲットを死に至らしめたようだが、こんなものが飛んでくる時代に生まれなくてよかったとしみじみ感じてしまった。

ちなみに中川政七忍者はどうも手裏剣打ちの筋がよいようで、次々と的に手裏剣を打ちつけていく。最後は先輩忍者からしきりに大会出場を勧められていたけれど、まさか中川政七商店の経営者から華麗なる転身ということもあったりして‥‥

旅は2日目を迎え、翌日は伊賀焼の窯元 長谷園へ。中川政七商店でも扱っている長谷園の土鍋「かまどさん」、愛用している読者も多いのではなかろうか?

伊賀焼には1300年の歴史があるが、その中で長谷園は185年続いている窯元だ。現在伊賀には19軒の窯元が存在し、そのうち15軒が作家活動をしているというが、そのなかでも長谷園は最大の規模を誇る。今日は、そんな長谷園の8代目当主・長谷康弘さんに話を聞いた。東京で働いていた長谷さんが地元に戻ったのはちょうど20年前の1997年。伊賀という産地が本当に落ち込んでいた時だったという。そこからどのように復興を遂げていったのかを静かに丁寧に長谷さんは語ってくれた。

伊賀の土の特徴は、高い温度で長時間焼かないと焼き締まらないのだが、その耐火性を生かした土鍋が今は大人気だ。なんでも元々は琵琶湖の底だったこの辺りの土には当時の地圧に耐えた微生物や植物が土のなかに堆積しており、火を加えたときにそれらは気泡になるという。その気泡を含んだ陶器は蓄熱しながらゆっくり均等に熱を伝える特性があり、まさに土鍋のような作り物が向いているのだ。当時の微生物に大感謝である!実際、天然素材で鍋がつくれるのは現在のところ伊賀焼しかないらしい。

かつて、この辺りでは近隣の大産地である信楽焼や京焼の下請けをする業者も多かった。陶器の産地には質のよい粘土と腕のいい職人の他に、できあがった陶器を売る商人がいて産地が形成されるのだが、残念ながら伊賀にはその商人が育たなかったのだという。ゆえ、伊賀焼の知名度は他の近隣産地に比べ低い時代が続いていたが土の特性を見抜き、向いている用途を絞った方向性が功を奏し伊賀焼の復活に至ったのだという。

現在の伊賀では土鍋などの雑器とお茶道具の2本を柱としながら、伊賀焼でしかつくれないものづくりを目指している。近年は毎年ゴールデンウィークに開かれる窯開きに3万人もの人が訪れ、最寄りのインターから窯開き渋滞ができる程になった。長谷園の長谷さんは「うちの窯だけがうまくいっても仕方がない。産地全体で盛り上がっていかないと」というが、伊賀焼がいま善き流れにあるとは感じている。昔は何をやっても見向きもされなかったが、いまは自分たちのアクションがきちんと世の中に届いている気がするという。

最近、長谷園は土鍋のパーツ販売を始めた。例えば、上蓋だけが割れてしまって使えなくなってしまった土鍋が1割程あるという声を聞いての英断だった。正直、窯元としては新しいものを売ったほうが利益になるわけだから、発送の難しさも含め大変なことのほうが多いという。けれど、長谷さんは買ってもらうことよりも、使い続けてもらうことの方が大切だと力説する。自分たちの伊賀焼が本当に喜んで使ってもらっているのか?その心持ちを忘れなければ、伊賀焼という産地から生み出されるものは、もっともっと広がっていく気がした。

さて、この旅の最後に訪れたのは長谷園から車で数分「ギャラリーやまほん」である。ギャラリーの主・山本忠臣( やまもとただおみ )さんが田んぼの真ん中につくったこのギャラリーからは不思議な引力と放熱が感じられた。
ものすごく長閑な田園風景の中に、よく手入れがなされたシンプルなエントランスがゲストを迎え入れる。ギャラリーの中に入ると、外の暑さと比べて少しだけ温度が下がったような気がする。

僕らが訪れた日は伊賀・丸柱で作品づくりを続ける作家・植松永次( うえまつえいじ )さんの展覧会をやっていた。1949年生まれの植松さんは、土と火を素材にして作品をつくる人。焼成されたそれは器としての機能を持つものもあるが、空間のなかに息づくインスタレーション作品をつくったりもする。本人は「陶芸家の人から見たら、“なにしてるんや”となるし、現代アートをやってる人からみたら“陶芸やろ”となる」と別のインタビューに答えているが、既存の枠組みに当てはまらない彼の創作には確かに観る者を魅了する力が感じられる。

この植松さんに代表されるように、「ギャラリーやまほん」で扱われている作品や道具には、自然の根っこみたいなものを直感させるオブジェが多い。「器好き」に付随する世のステレオタイプが「ほっこり」とか「あたたか」だとしたら、「ギャラリーやまほん」にある物ものは、もう少し剥き出しで、でも嘘がない作品が多いというのだろうか。

元々、実家が伊賀焼の窯だった山本さんは家業を手伝い、つまり土を触りながら自身の「ものの見方」をつくりあげてきた人だ。兄が美術の道を選んだのとは対照的に忠臣さんは建築の道を目指すのだが、17年前に故郷に戻りギャラリーを開いた。今では約1ヶ月ごとのインターバルで展覧会を開いているが、最初の何年かは事業として継続していくのが大変だったという。

確かに20年近く前には、地方で高価なアートピースを買うというアイデアなど存在していなかった。各地域の産地では安価な伝統工芸品をお土産として売っていくしか道がないと思われていた。そんな中でも山本さんは長く付き合える作家を見極め、然るべきタイミングを探し、工芸とアートの間を縦横無尽に行き来する猛者たちを愚直に紹介し続けてきた。それが長い時間をかけて実を結び、今では展覧会初日に100人ものゲストが並ぶ人気展もあるそうだ。

「ギャラリーやまほん」で紹介する作り手たちは一様に「自然の素材と真摯に向かい合っている」者たちばかりだが、この伊賀の磁場で作品を鑑賞することで、その魅力は間違いなく増していると僕は思う。季節によって風景が移りかわる田んぼの真ん中では、自然の力を吸いあげてつくられる作品にエネルギーが充ちる。東京銀座の小さなホワイトキューブで鑑賞するのとは、随分違った体験ができる。それは現代においては忘れられがちな、プライマルな自然感覚を呼び起こすことかもしれない。

実際、山本さんも東京だとノイズが多く目移りしてしまうという。確かに、東京は街を歩くだけで様々なものが目につき、無意識にインプットされる。けれど、伊賀に暮らしていると、向き合うのが情報ではなく自然なのだと山本さんは説いてくれた。しかも、Natureの「自然」だけではなく、あるがままの「自然(じねん)」が伊賀にはあるという。

ギャラリーを出ると、そよ風が気持ちいい。そういう些細なものを受け止めることと、「ギャラリーやまほん」にある作品を見ることは、ほとんど同じことのような気がしてくる。「自然」の場所で「自念」する山本さんが、次に何を紹介してくれるのか愉しみで仕方がない。

今回の本たち

ぷくぷくお肉

32篇のお肉にまつわるアンソロジー。阿川佐和子や開高健、村上春樹がすき焼きについて語ります。ちなみに阿川家のすき焼きは「けっこう甘い」そう。

 

すきやき / はらぺこめがね
すきやき / はらぺこめがね

ちいさな女の子(はらぺこちゃん)とちいさないきもの(ぺろ)がすき焼きができるまでを冒険。鍋に具を投入する臨場感がたまりません。

 

大きな声 ― 建築家坂倉準三の生涯
大きな声 ― 建築家坂倉準三の生涯

ル・コルビジェの弟子から1937年のパリ万博における日本館設計、そして戦後のモダニズムを牽引した坂倉準三の全記録。

 

もこもこもこ / 著:谷川俊太郎 絵:元永定正
もこもこもこ / 著:谷川俊太郎 絵:元永定正

詩人の谷川俊太郎さんと共作した絵本。「もこもこ」「にょき にょき」「ふんわふんわ」…元永さんのアートと谷川さんのオノマトペが、子供達の心を離しません。

 

もけらもけら / 著:山下洋輔 絵:元永定正
もけらもけら / 著:山下洋輔 絵:元永定正

ジャズピアニスト山下洋輔さんとの異色のコラボレーション絵本。言葉のリズムに合わせて心地よく展開する元永さんの絵は、まるで2人のセッションを聴いているよう。

 

とっぴんぱらりの風太郎 / 万城目学
とっぴんぱらりの風太郎 / 万城目学

伊賀出身の「ニート忍者」風太郎。京の都でなぜか育てる羽目になったひょうたんを機に壮大なスケールの物語に飲み込まれていきます。

 

忍者の里を旅する / 産業編集センター
忍者の里を旅する / 産業編集センター

忍者をテーマに日本全国に点在する「忍びの里」(伊賀、甲賀、戸隠、雑賀、甲斐、風祭)を紹介。周辺のみどころや忍者グルメ(!?)の紹介も。

 

忍者の兵法 / 中島篤巳
忍者の兵法 / 中島篤巳

『万川集海』『正忍記』『忍秘伝』という三冊の秘伝書を紐解きながら、今まで知られていなかった忍者の実像に迫ります。忍者好きにはたまりません。

 

月とお日さまの間 / 植松永次
月とお日さまの間 / 植松永次

ギャラリーやまほんで見た植松永次さんの作品集。収録のエッセイでも、日々作陶を続ける植松さんの真摯な人柄が滲み出ています。


幅允孝( はばよしたか )
www.bach-inc.com
ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「ワコールスタディホール京都」「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」書籍フロアなど。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)『幅書店の88冊』(マガジンハウス)、『つかう本』(ポプラ社)。

文 : 幅允孝
写真 : 菅井俊之、幅允孝( 猿頭霜・元永定正 )