わたしの一皿 道南の海を描く

食べ放題の北海道を旅してきました。みんげい おくむらの奥村です。9月上旬。まだすばらしい緑色の大地。あと一ヶ月もすれば紅葉の景色が楽しめるでしょうか。食欲が止まらない季節の入り口に、美味しい空気。

あまりイメージがないかもしれないけど、北海道にも焼き物ってあるんです。ここでいう焼き物は食べ物じゃない、うつわのこと。冬が寒い北海道は土が凍ってしまうので、焼き物をするのは簡単ではない。しかし、江戸末期から明治にかけて北海道でも焼き物の文化が生まれ、今やたくさんの作り手がいます。

廃校が工房に。景色の中で産まれるうつわ。

その一つが今回のうつわを作っている、ソロソロ窯。窯主の臼田さんは東京に生まれ、焼き物を沖縄に学び、奥様のご縁で10年ほど前に北海道の南部、厚沢部町 (あっさぶちょう) に窯を築きました。

窯へは函館の中心部から車でのんびり1時間半ほど。函館の町を抜けるとどんどん山の風景が広がってきます。北海道らしい深い森や、広大な畑、黄金色の田んぼ。ワクワクする風景。

ソロソロ窯は集落の廃校を工房にしています。学校と言っても、もともと大人数がいたような学校ではなく、小中学校が一緒になった、平屋のこじんまりとしたもの。元職員室だという、ろくろ場、その窓から広がる景色のすばらしさ。

校庭だった場所には薪窯や薪置き場、敷地の外にはかぼちゃやそばの畑。奥には山。こんな景色を眺めながらする仕事はどんなものだろうか、とうらやましすぎてクラクラする。四季折々の景色をできれば眺めてみたいもの。ここらへんでは、窯を焚いても煙を誰も気にしないんだそう。みんな薪ストーブの生活だから、薪や煙はあたりまえの景色。なんとも北海道らしい話です。

こちらの焼き物はとてもシンプルで、おだやかな印象。鉄分の多い、黒っぽい土の上にベースの白、あるいは呉須 (ごす) という藍のような青。薪の窯で焼くと灰がかぶったり、窯の中で置かれていた位置によって火のあたり方が違ったりで、ベースはシンプルなのにそれぞれにおだやかな個性が加わります。

さて、今日はうつわと食材がご近所さん。ソロソロ窯から東に海を目指す一本道のゴールは木彫りの熊で有名な八雲町の1つの集落である落部 (おとしべ) 。ここは噴火湾に面していて、ボタンエビ漁の盛んな港町。ボタンエビのシーズンは春と秋。今は秋漁が始まったばかり。

バットにいっぱいのボタンエビ

今日のボタンエビはの特におおぶりで、水揚げから数時間のうちに送ってもらい (到着はさすがに翌日だけど) 、新鮮なうちに刺身に。この時期のメスはふっくらした体。そしてお腹にパンパンに卵をもっているので、それもしっかりいただきます (あ、ボタンエビの頭は忘れずにお味噌汁に。ダシ、最高ですから) 。

ボタンエビを処理しているところ

写真じゃ伝わりにくいけど、うつわは呉須の深い青がうつくしい鉢。ボタンエビの卵のあざやかな青ときれいなグラデーション。ぷりっぷりのエビの身にカボスを少々しぼって。あとは塩か醤油か、お好みで。

身の甘み、卵から感じるかすかな塩気。口に含めば思わず笑ってしまう。うはははは。月並みな言い方かもしれないけど、目を閉じればボタンエビの漁場である噴火湾の景色が広がります。北海道、おそるべしだな。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

移住の町、鯖江市河和田。暮らしてみて実際どうですか。

こんにちは。さんち編集部の西木戸弓佳です。

突然ですがみなさんは、「移住」を考えたことがありますか?

私が今回取材をしたのは、全国でも珍しく人口が増え続けている地域、福井県鯖江市。その東部に位置する人口4200人ほどの小さな町、河和田(かわだ)地区に、近年多くの若者が移り住んでいるそうです。

移住目的の多くは、この地域の産業。河和田地区は漆器、めがねの一大産地であり、周辺地域を含めると和紙、刃物、たんす、焼き物など、様々な工芸品が作られているものづくりの町です。その産業に惹かれ、県外から人が集まっていることから「移住の町」として注目を集めています。

河和田地区

ところで、「移住」にどんなイメージをお持ちでしょうか。最近よくメディアで取り上げられるその言葉は、“スローライフ”、“田舎暮らし”といったニュアンスで伝えられることが多いような気がします。
だけど、河和田で出会う人たちはそのイメージとは少し違いました。毎日頭をフル回転させながら、時には深夜、休日まで時間を惜しんで働く人たち。

「この町を変えたいと思ってる」
「田舎も都会も、自分で仕事をつくりだすのは同じ」
「今の環境が本当に楽しい」

と、いきいきと話す若者が集まるパワフルでエネルギッシュな小さな田舎町。もしかすると、都会のように簡単に情報が入ってきにくい地方だからこそ、感度が高く自ら動く行動力を持った人たちが集まっているのかもしれないと思いました。

彼らはなぜこの町に移住したのか?不安はなかったのか?住んでみて実際どうなのか?
生活のこと、仕事のこと、移住をした若者たちに今の様子を聞いてみました。

町を変えた、1人目の移住者

新山「僕が河和田に来た頃、ひとりも知り合いがいなかったんです。まずは出会いを求めて、地元の人に若者が集まる繁華街を聞いて行ってみたら‥‥ただのショッピングセンターでした(笑)」

TSUGIの新山直広さん。2009年に河和田に移住
TSUGI代表の新山直広さん。2009年に河和田に移住

新山直広(にいやま・なおひろ)さん
・クリエイティブカンパニーTSUGI 代表
・1985年大阪生まれ
・2009年に移住

学生の頃から参加していた「河和田アートキャンプ」の事務局立ち上げを機に福井県鯖江市へ移住。事務局、市役所を経て、河和田のものづくりに特化したクリエイティブカンパニー「TSUGI」を立ち上げ。地元の産業に携わるグラフィック、イベントなどのクリエイティブを行う。

そう笑うのは、河和田でクリエイティブカンパニーを運営するTSUGIの新山さん。河和田地区に移住した最初の若者です。この方が移住者を増やしたと言っても過言ではないキーマンです。

河和田アートキャンプとは

2004年の河和田豪雨をきっかけに、株式会社応用芸術研究所の片木孝治さんが始められた「地域づくりプロジェクト」。福井県鯖江市の「河和田地区」に全国から学生たちが集まり2ヶ月ほど暮らしながら、地域の課題と向き合い解決していく試み。2017年で12年目を迎える。
(以下、アートキャンプと記載)

新山「これからは地方の時代だ!と、大学を卒業してすぐに鼻息荒く移住しました」

新山さんが移住をしたのは2009年。私もちょうどその年に大学を卒業して社会に出ましたが、その頃はリーマンショックで大不況。「リストラ」「内定切り」など暗いニュースが流れ、これから出ていく社会は大変なのかもしれない、と不安を覚えました。

だけど、それと同時にそんな状況の中、新社会人になる私たちには「この社会は変えていかないといけない」という、青臭く、勢いだけの決意のようなものがあったように思います。

新山「建築を学んでいたこともあって、危機感もありました。着工数は2008年で頭打ち。これからは新しく建てることより、今あるものを活かした場づくりや地域づくりが大切だと思ったんです。『この町を変える』と決意してひとりで河和田へ移住しました」

新山さんが卒業する頃、アートキャンプの拠点を河和田につくるという話が持ちあがり、片木さんが代表を勤める応用芸術研究所の社員として現地へ移住ことが決まりました。今でいう地域起こし協力隊のようなかたちで、市の委託事業として産業の調査研究をしたり、アートキャンプの窓口を行われていた新山さん。地元の一大産業である漆器の現状を知るうちに想像していた以上に深刻なことが分かりました。

新山「せっかくいい物を作ってるのに、売り場で物の良さが伝わらず売れてなかったんです」

越前漆器の売上は落ちていく一方。売上はピーク時の3分の1にまで落ち込んでいました。問題を目の当たりにして「自分はただ調査をしてるだけで、何もやれていない」と、日々悶々としていたそうです。

新山「ずっと仲間が欲しかった。『仲間さえいればやれることがもっといっぱいあるのに』ってずっと思ってました。そこにみつきが来てくれて、一緒になんかやろうぜって『TSUGI』を始めたんです」

2013年、クリエイティブカンパニー「TSUGI」を結成。そこから、移住者によってこの町は変わっていきます。


地域の産業が、人を集める

河和田移住者でありヤマト工芸で働く永富三基(ながとみ・みつき)さん
みつきこと、ヤマト工芸で木工職人として働く永富三基(ながとみ・みつき)さん

永富三基(ながとみ・みつき)さん
・木製インテリア・雑貨のヤマト工芸 木工職人
・クリエイティブカンパニーTSUGI メンバー
・1989年 大阪生まれ
・2012年移住

学生時代参加した河和田アートキャンプをきっかけに福井の地場産業に憧れ、大学卒業と同時に鯖江市に移住。株式会社ヤマト工芸で職人として働く傍ら、「TSUGI」の創立や新ブランドの什器設計、多目的スペース「PARK」の立ち上げなど多方面に参加。

永富「僕は、木工職人になりたかったんです。そして、設計図だけ作ってあとは人に任せるんじゃなくって自分で手を動かしたかった。場所はどこでも良かったので、岐阜や京都も考えたんですけど、人の多い都市圏には住みたくないなというのはありました。それで、木工職人 × 田舎という視点で、選んだのが河和田です。僕もアートキャンプに参加していたので、新山くんのことも、この土地のことは元々よく知ってました」

新山 : 「この町はそういう、土地の産業に惹かれて移住してくる人が多い気がします。“チャーリー”もそうだよね。めがねが好きすぎて移住してきた」

"チャーリー"こと、永山恭平さん
“チャーリー”こと、永山恭平さん

永山恭平(ながやま・きょうへい)さん
・めがねメーカー・谷口眼鏡 営業/企画
・1986年 福岡生まれ 兵庫育ち
・メガネが好きすぎて、2015年移住

大学ではプロダクトデザインを学び、卒業後は6年間、大手の広告関連会社で営業として勤務。
めがねフェスをきっかけに移住。翌年、谷口眼鏡に入社。

永山「僕、とにかくめがねが好きで‥‥その日のファッションに合わせて毎日めがねを変えるぐらい好きなんですけど、仕事は広告関連でめがねとは関係なかったんです。それはそれで楽しかったし、やりがいもありました。そのままいたら、いわゆる出世も見えていた。でもやっぱりめがねのことが忘れられなくって‥‥もう鯖江へ行っちゃえ!と移住しました」

— なぜ、鯖江だったんですか?

永山「販売じゃなくて、製造してるところが良かったんです。元々プロダクトデザインを学んでたこともあって、めがねの製造から携わりたかった。鯖江がめがねの産地なのはもちろん知ってたので、この業界をめがけてやってきました」

新山「谷口眼鏡に入って1年ぐらい経った?働いてみてどう?」

永山「いやー、いいですよ。毎日忙しくしてるとついつい忘れそうになるんですけど、むちゃくちゃ充実してます。入ってすぐの頃に、めがねの雑誌を会社で見てて怒られないことにまずびっくりした(笑) 。前の会社の時は、パソコンで画面を小さくしてコソコソ見てましたからね」

嶋田「私も、ずっと漆の仕事がしたくて仕方なかったんですけど、今は漆で心が満たされてる(笑)」

嶋田希望さん・漆琳堂で塗師として働く
嶋田希望さん・漆琳堂で塗師として働く

嶋田希望(しまだ・のぞみ)さん
・漆器メーカー 漆琳堂(しつりんどう)・塗師(漆を塗る職人)
・1992年 東京生まれ
・2015年移住

漆の専門学校を卒業後、理想の仕事がなく地元の書店で働く。セレクトショップで漆琳堂の漆器を見かけたのをきっかけに「ここで働きたい」と漆琳堂へ。

関連記事:「この漆器がつくれるなら、どこへでも。」移住して1年。職人の世界と、産地での暮らしを聞きました。

嶋田「漆の仕事をやってない時も、離れるのが嫌だったから家で漆を塗ったりしてたんです。でも今は仕事で漆が塗れる。それが本当に幸せで仕方ないなと日々思ってます」

仕事も嫁も。出会いは現地。

新山「働くところってどうやって探すの?福井のメーカーさんはあんまり求人サイトに載せてないし、探す手段が都会に比べて限られてるよね」

嶋田「私は直接、電話しました。人、募集してないですか?って。求人はだしてなかったけど、タイミングよく漆琳堂も人を入れようかと思っていた時期で、すぐに入社が決まりました」

永山「僕は、半年ぐらいはその時住んでいた大阪で、ネットで探してました。だけど、その半年の情報よりこっちに実際に来て短期間で探した時の情報のほうが全然濃かった。人づてに紹介してもらったりして、2、3ヶ月ぐらいで仕事が決まりました」

— 元々福井に友だちがいたんですか?

永山「まったく。縁もゆかりもない土地です。こっちへ来て、知り合い0人の状態から就活をはじめたんですけど、早い段階で新山くんと知り合って、そこから一気に友だちが増えました」

新山「はじめて会ったのは“めがねフェス”だっけ?」

永山「そう。就活期間中にめがねフェスをやってて遊び半分、就活半分でこっちに来た。それが8月ぐらいで、就職が決まって福井に引っ越したのが10月。2ヶ月ぐらいですね。その間にいろんな人に出会いました」

新山「仕事も嫁もゲットして‥‥今年のめがねフェスのポスター、チャーリーの結婚式だよね(笑)」

めがねフェス2017
「めがねフェス」で永山さんと奥さんが出会い結婚されたことに因み、2017年のキービジュアルにはお二人の結婚式の写真が使われた(design:GOOD MORNING)

実際、食べていけますか?

— ちょっと突っ込んだ話になりますが、都会から転職して移住となると実際食べていけるのか?といった不安はなかったですか?

永山「来る前に求人サイトで給料を見てた時は正直不安もありましたし、実際に前職と比べると個人での収入は減りましたね。ただ、就活でこっちへ来て人に会ってみると、それでもいいかもなぁと思えたんです。
『本当に自分の好きなことを仕事にしたら辛くなるから辞めとけ』とか言う人もいたけど、そうじゃないと思う。こっちに来て思ったのは、やりたいことやってる人って、むちゃくちゃしんどそうやけど、すごく充実してる人が多かった。今やりたいことやれてるし、やった分だけ評価もしてもらえてるなぁと感じてます。めがね業界に憧れてただけのあの頃には、もう戻りたくない。」

何でもやる。満たされる度合いが増えていく。

永富「こっちの仕事の充実感って、小さい会社が多いというのも関係してるかもしれないですね。例えば、僕は木工職人だけど今は営業もする。実は、始める前は営業とは一線を引いてたんです。『よく喋るし向いてるんじゃないか』って誘われてたんだけど『職人だけをやりたいから』って、かたくなに。だけど、伝えることの大事さに気付かされて自分から寄り添ってみたら、営業も楽しいしみんなが求めてるところと一致したんです。自分が作ってるものとお客さんの顔が繋がって、満たされる度合いがどんどん増えていきました。これしかやらない、できないと思ってる人にも、いろんなところに可能性を見出してぽんと放り込んでくれる許容がこの町にはあるんかなぁと思います」

— 嶋田さんも職人だけれど、展示会に立ったりワークショップしたり、いろんなことをされてますよね。

嶋田「漆器業界の中でも、つくることだけをやってる作家性の高い職人さんが集まってるところもあるけど、河和田はつくる以外の商売だったりブランドづくりだったりの知識を持ってる職人が多いと思います。そういったいろんなスキルを持ってる人が集まってるし、教えてもらえる。そしてやりたいって言ったことを受け入れてもらえる環境があるなと感じてます。いろんな産地の中でも、新しいことをやれるポテンシャルを一番持ってる場所だと思う」

漆琳堂嶋田
漆琳堂に就職して2年足らず。やりたかった漆を使ったアクセサリーブランドを立ち上げた

変化にポジティブな田舎

新山「移住者に対してもそうだけど、この町は変化を受け入れる土壌があるよね。それはものづくりのバックグラウンドとして、美術工芸じゃなく生活工芸をつくりつづけてた背景があるからな気がする。この土地は昔からその時代時代に必要とされるものを作ってきたし、デザインも変えてきた。そこから魅力的なものが生まれた実績も持ってるし、変化に対して寛大なのかもしれないですね」

— なるほど。これからこの産地に必要な人ってどんな人なんでしょう。

新山「ものづくりをする人ももちろんそうだけど、これからのホットワードだなぁと思ってるのが『じゃない人』。僕らみたいなクリエイターや、職人じゃない人です。作り手と使い手の間にいる人たちはもっと、多種多様でもあっていいと思うし、そういう人たちをこの産地は求めてると思うんです」

作り手と使い手の間の「じゃない人」の役割

永山「僕もそうだけど、ものづくりの町だからこそ、作り手と使い手の間に入る人は必要だと本当に感じてます。求人情報だけ見ると職人や製造しかないんだけど、いいもの作ってるのに伝える力を持ってないメーカーって多いし、僕の場合はそういう役割が必要だと勝手に思い込んでました。

つくる以外にも、ものづくりを支えるための「職能」みたいなことっていくらでもあるし、これまでそういう人の方が少なかったから逆に来て欲しいんですよ。営業も広報も、資格も免許もいらないし、誰にでもやれる。いくらでも仕事はあります」

谷口眼鏡・turning
永山さんが働く谷口眼鏡さんは、綿花やパルプなどの天然素材を原料とする「アセテート」をフレームに利用。1996年に立ち上げた自社ブランド「TURNING」も人気

新山「つくるという段階の次の世界が、今やっと見えてきた気がする。いろんな産地がある中で、そういう作り手と使い手の間の人が入る環境や土台が、鯖江は整っている場所かなぁと思う」

嶋田「うちのファクトリーショップ店長をやってくれている楳原さんがまさしくそう。彼女の場合、結婚をきっかけに大阪から河和田に越してきて、仕事をしてないって聞いたから店長枠で誘ってみたんです。『何か力になれるんだったら』って入ってくれたんですけど、外への対応も事務も、スキルが高かった。店長業務以外にもどんどん任せることが広がって、今ではもし入ってくれてなかったら、どうなってたんだろうって状態。抜けられたら困るし、みんなが頼りにしてます」

自分で場所をつくるのは、田舎も都会もおなじ

永山「そういえば、僕らは“移住”って言われるけど、都会に越すのは移住って言わへんのかなぁ。もしかすると都会はシステム化されててやりやすいかもしれないですけど、自分の場所や仕事をつくりだすのって結局は一緒じゃないですか。自分自身で動くという点ではあまり変わらないんじゃないかな」

新山「職能より、パーソナリティが結構大事だよね。アートキャンプの学生さんじゃないけど、何もできないけど、何でもやりますぐらいの感じがいいんじゃないかな」

— そう思うと、そんなに気負わなくても移り住めるのかもしれませんね

永富「ちょっとかじったことありますぐらいの方がいいのかもしれない。やって失敗しても大丈夫だし、周りと一緒に徐々に成長していくのがこの町らしいのかなと思います。大企業で決まった道をステップアップしていくみたいなのはないけど、発展途上の会社ばっかりだからこそ、いろんなところで化学反応が起こって、やるべきことができていくみたいな」

永山「温室よりもこっちに来て野ざらしの中で動く方がスキルアップのスピードとしても早いんじゃないかな」

みんなでつくる河和田の未来

新山「この町でよかったと思うのが、そういう『何かをやりたい』という人が多いこと。いろんな条件が揃って、連鎖反応でいろんなことが動き出してる。今、人口4200人のこの小さいエリアだけで移住者が67人。僕が来たばかりの昔とは全然違う、もう何でもやれる気がしてます」

— そうですね。これから、どんな町にしていきたいですか?

新山「ここに来たらいわゆる“田舎”や”地方の産業”の価値観が変わるみたいな場所でいられるといいですね。田舎だけど、作ってるものはかっこいいし、やってる人たちもおもしろい。そしてきちんと産業として儲かってることも大事です。
町としては、地元の物を買えるショップがあったり、気軽に泊まれる宿があったりして、それが網目のように町全体で繋がってるみたいな風景をつくりたい。河和田は、次の新しい地方のかたちをつくれるポテンシャルもあると思うし、行くなら早くいきたい。だからもっといろんな人が必要だし、もっと仲間が増えるといいなと思ってます」

最後に「楽しそうですね」と言うと、「大変ですけどね。いや、やっぱり楽しいですね」と、返ってきた。たくさん、苦労はあるのだろうけれど、やっぱり自分の好きなことをやってる人たちはとてもいきいきしてるし、なにより本当に楽しそうでした。きっとこれからも、そんな移住者がどんどん増えて、この町は変わっていくのだろうなと感じたインタビューでした。

河和田移住EXPO

河和田移住EXPO

今回お話を聞いた方たちによるトークセッションを開催します。またトーク後には直接話を聞ける交流会も。ぜひご参加ください!

10月14日(土)18:00~
詳細はこちら:http://renew-fukui.com/iju.html

文:西木戸弓佳
写真:上田順子、林直美、谷口眼鏡(提供)

【鯖江のお土産・さしあげます】めがねフレームから生まれた「Sur」のピアス

こんにちは。ライターのいつか床子です。
わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” を読者の皆さんへのお土産にプレゼント、ご紹介する 「さんちのお土産」。今回は、福井県鯖江市のアクセサリーブランド「Sur(サー)」のピアスをお届けします。

付けていることを忘れそうになるほど軽やかで、肌にしっくりとなじむSurのアクセサリー。実は、めがねフレームに使われる素材からできているんです。

鯖江はめがねフレームの国内シェア9割以上を誇るめがねの聖地。街のあちこちでかわいらしいめがねのモチーフが見つかるのも、散歩心をくすぐられます。

めがねをかけた少年を発見。手にはもう1つの名産である越前漆器も

めがね作りに込められた技術が、日々を彩るアクセサリーに

今回お話を伺ったのは、Surのクリエイティブディレクター・新山悠(にいやま・はるか)さんが、めがねフレームの素材を使った鯖江ならではのアクセサリーブランド・Surをプロデュースしています。

Surの事務所は、鯖江を拠点に活動しているクリエイティブカンパニー「TSUGI(つぎ)」の中にあります

事務所のディスプレイには、これまでに手がけてきたSurのコレクションがずらり。どれもシンプルでありながら非常に洗練されていて、見れば見るほどうっとり引き込まれます。

めがねフレームと同じ素材とは思えません‥‥

「TSUGIの活動を知ってくれているめがね工場の人たちや、そのお知り合いの方の集まりに呼んでもらったんです。そこでめがねフレームの端材をいただいたのがSurを始めるきっかけでした」と新山さん。

めがね作りで必要な素材や技術は、アクセサリー作りにとってもアイディアの宝庫だったといいます。鯖江の人たちと話し合いながら、めがね作りの技法を少しずつ取り入れることで、めがねのように持ち主の生活と寄り添えるアクセサリーが誕生しました。

Surのアクセサリーは鯖江のめがね工房と協力しながら作られています

人に優しい、めがねフレーム素材

Surで使われているめがねフレーム素材は「セルロースアセテート」と「チタン」です。

セルロースアセテートは、綿花を樹脂加工した素材。肌と環境に優しい成分でありながら、大理石のような光沢も持ち合わせています。

加工前のセルロースアセテート。豊富な柄が揃うのも、めがねの産地である鯖江ならでは

また、金属フレームに使われているチタンは医療器具としても使われ、金属アレルギーの人でも安心して身に付けられます。軽くて付け心地は抜群。シルバーとはひと違った落ち着いた輝きが、耳元をさりげなく彩ります。

今回のお土産

今回のお土産はこちらの2つ。アセテートとチタンの加工技術を使った「TITANIUM(チタニウム)」シリーズのピアスです。やわらかなグレーでどんなコーディネートにも似合う「TI-P2」(写真左)と、エメラレドグリーントホワイトのマーブル模様がかわいらしい「TI-P3」をおすすめしていただきました。

surアクセサリー
「TI-P2」(写真左)と「TI-P3」

めがねのように、毎日身に付けていたくなるSurのアクセサリー。特別な日の装いにも、普段着にも、ぜひ取り入れてみてくださいね。

tsugi-sur_鯖江・アクセサリー

ここで買いました。

TSUGI llc.(合同会社ツギ) / Sur事業部
福井県鯖江市河和田町19-8
0778-65-0048
http://sur-j.com/index.html/

さんちのお土産をお届けします

この記事をSNSでシェアしていただいた方の中から抽選で2名さまにさんちのお土産 “TI-P2”と “TI-P3”をそれぞれプレゼント(どちらも片耳分のみとなります)。どちらかご指定されたい場合は、シェア時に「三角のほうのピアスが欲しい!」などリクエストをつぶやいてくださいね。応募期間は、2017年9月12日〜26日までの2週間です。

※当選者の発表は、編集部からシェアいただいたアカウントへのご連絡をもってかえさせていただきます。いただきました個人情報は、お土産の発送以外には使用いたしません。ご応募、当選に関するお問い合わせにはお答えできかねますので予めご了承ください。
たくさんのご応募をお待ちしております。

文 : いつか床子
写真 : 上田順子、いつか床子

デザインのゼロ地点 第8回:カッターナイフ

こんにちは。THEの米津雄介と申します。

THE(ザ)は、ものづくりの会社です。漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品をそのジャンルの専業メーカーと共同開発しています。

例えば、THE ジーンズといえば多くの人がLevi’s 501を連想するはずです。「THE〇〇=これぞ〇〇」といった、そのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

ここでいう「ど真ん中」とは、様々なデザインの製品があるなかで、それらを選ぶときに基準となるべきものです。それがあることで他の製品も進化していくようなゼロ地点から、本来在るべきスタンダードはどこなのか?を考えています。

連載企画「デザインのゼロ地点」、8回目のお題は、「カッターナイフ」。

画期的な「研がずに折る」を生み出した、2つのヒント。

カッターナイフも前回の扇子と同じく日本で独自に生まれたプロダクトです。今でこそ日常に溶け込んでいますが、よくよく考えてみると「研がずに折る刃物」という発想は革新的です。

製造メーカーは幾つかありますが、発明したのは岡田良男氏。国内でカッターナイフのトップシェアを誇るオルファ株式会社の創業者です。 生まれた背景は業務用。元々は印刷工場や転写紙の製造現場で生まれたアイデアでした。

それらの現場では何枚にも重ねた紙を切る需要が多く、刃物の消耗が激しい。常に切れ味の良い状態を保つ刃物ができないものかと考えたとき、靴職人と進駐軍という2つの要素からヒントを得て開発がスタートしたそうです。

1つは靴職人が使っていたガラスの破片。当時の靴職人たちは靴底の修理にガラスの破片を使い、切れ味が悪くなるとガラスを割ってまた新しい破片を使っていました。

2つめは進駐軍が持っていた板チョコ。溝が入ってパキパキと折れる板チョコをヒントに、折ることで新しい刃が出てくるものができないか、と考えたそうです。

そして生まれた、世界初の折る刃式カッター。そのデザインに驚く。

この「折る刃」式は、後の「OLFA (オルファ) 」というブランド名に由来することになります。しかし、使用時には折れずに折りたいときに折れるという矛盾した機能を実現するための開発は難航しました。

刃に溝を入れるということは刃の強度を落とすことと直結します。自身でタガネを握り、手作業で刃に溝を入れる試作を繰り返し、ホルダーと呼ばれる刃の支えを作って刃を金属のケースで覆う形状が出来上がったのは1956年のことでした。

1956年 世界で最初の折る刃式カッターナイフ 「オルファ第1号」

第1号がすでに今のカッターとほとんど変わらない形状をしていることに驚きます。刃を支えると同時に刃を折るためのきっかけにもなるホルダーの先端形状、スライダーと呼ばれる親指で刃の出し入れをするための機構、板バネを使ったストッパーなど、試行錯誤の末に辿り着いたデザインや設計の足跡がはっきりとカタチに表れています。

紙を切るという目的を果たしながら使用時には折れにくくするために、刃渡りはギリギリまで短く、人の力で折れるようにするために板厚が薄い。

ただ、この「折れる刃物」は当時どこのメーカーも作りたがらなかったため、初めの3000本は近くの町工場に依頼して製作し、うまく動作しないものは一本一本手作業で修正しました。そしてその全てを自ら売り歩いたそうです。

1年かけて売り切った後、本格的に生産に取り組みます。協力会社が見つかり、1960年には「シャープナイフ」という名称で市販化します。

刃の幅も、折る角度も。すべてのカッターはOLFAに通ず。

1967年には「OLFA (オルファ) 」というブランド名が生まれ、道具箱の中で目立つ色にすることでユーザーが不意に怪我をしないように、と全ての製品を黄色で統一しました (今考えるとこれも凄いことですね)

創業者の岡田良男氏は徹底して品質にこだわり、刃物の要となる金属材質もその時代ごとの相場に左右されることなく品質を変えず、オルファは今でも国産を貫いています。300円前後で手に入る製品をすべて国産で賄い、海外にまで輸出していくのは本当にすごいことです。

カッターの刃は用途によってサイズが異なり、幅9ミリメートルまたは18ミリメートルあたりが一般的です。実はこれもオルファが作った規格で、なんと今では世界中のメーカーがオルファの刃のサイズに合わせてカッターを作る、というデファクトスタンダードとなっています。ちなみに折る刃の角度は59度で、これもオルファ規格です。

そして、現在の市販のカッターナイフもよく観察すると実に細かい配慮がなされているのがわかります。

例えば、紙を切るときにカッターの刃を押し付けても刃が動くことはありませんが、親指でスライダーを自然な動作でずらすと、使っている側は気付かずともロックが外れるように設計されています。ユーザーが意識しなくても動かしたいときだけ動かせる構造はYKKのファスナーなどにも似ていますね。

また、ホルダー内で刃と金属のホルダーが干渉しないように設計されていたり (それもスライダーと一体の1パーツで!) 、ホルダーは刃先が左右にぶれないように刃の厚みとほとんど誤差なく作られています。

カッターナイフ

刃物なので最も性能を左右するのは刃の作りだと思いますが、実はこのホルダーの精度で切れ味が大きく変わります。なので、僕の中ではホルダーがプラスチック製のものは論外です。

デザインのゼロ地点から見る、未来に続くカッターナイフとは?

そんなオルファの定番といえばAシリーズ。ほとんどの方が見たことがあると思いますが、黄色が目印のこの製品。

OLFA Aプラス

前述の精度や機能が詰まったロングセラーで、オルファの基本形とも言えるモデルですが、個人的には昔のA型の方が好きだったりします (昔はもう少し直線的なデザインでした) 。

オルファ以外ですとこちらも皆さんに馴染み深いかもしれません。

NTカッター A-300 (出典:http://www.ntcutter.co.jp/)

NTカッターのA-300。オルファと並んで数少ないカッター専門メーカーの製品です。

実はこのエヌティー株式会社は前述の岡田良男氏が発明した「シャープナイフ」の製造元。エヌティーはおそらく以前の社名である日本転写紙の頭文字ではないでしょうか。やはり当時カッター需要のあった転写紙の会社だったのですね。

一見なんてことない形に見えますが握ってみるとこれがすごく使いやすい。外観のデザインはこれが一番カッターらしく良くデザインされていると思います。

職場や家庭で日々活躍するカッターですが、前述の通り元々は業務用として生まれたものです。印刷の現場での需要は減ってしまいましたが、高度経済成長と共に一気に需要を伸ばしたのは、住宅を建てる時に壁紙職人が使うカッターでした。

今でもその需要は大きく、ホームセンターや工具店で扱っている業務用カッターの性能は目を見張るものがあります。

OLFA スピードハイパーAL型

先の2つは9ミリメートル刃でコンパクトでしたが、こちらは18ミリメートル刃の大型カッター。持ち運びや細かい作業には不向きかもしれませんが、使ってみるとびっくりするほど切れ味が違います。その理由の一つは刃に施されているフッ素加工。

よくフライパンなどで焦げ付きをなくすために塗布してあるコーティングです。ハサミなどの刃物に使われることも多く、テープを切った際のベタつきの軽減などに一役買うのですが、剥がれやすいのが欠点。

そもそもフッ素は摩擦係数が低く、前述の通りベタつきや焦げ付きをつきにくくしてくれます。しかし、摩擦係数が低いということは塗布したフライパンの表面やハサミの刃にも定着させるのが難しいということ。くっつきにくくするためにくっつけている、という少し矛盾した技術でもあります。

そのフッ素加工をカッターに応用するメリットは粘着物のベタつき軽減もあると思いますが、一番は段ボールなどある程度厚みのあるものを切る時に側面の抵抗が少なくなることでしょう。

これが馬鹿にならないほど効果的で、驚くほどスムーズに刃が進むのです。刃を折って使うカッターだからこそ、剥がれやすいデメリットも気になりません。切れ味、つまり基本機能にフォーカスすると、カッターとは本来こうあるべきではないか、とも思えてきます。

そして最後に、未来の定番品としてどうしてもお勧めしたいのは同じくオルファの「万能M厚型」。

OLFA 万能M厚型

先程の9ミリメートル刃とも18ミリメートル刃とも違う、12.5ミリメートル刃という新規格の製品です。

大きすぎず手頃なサイズ感にもかかわらず強度もあって、「今までなんでなかったのだろう?」と思ってしまうような本当にちょうどいいサイズなのです (刃の厚みも0.38ミリメートルから0.45ミリメートルと分厚くなっています)。

商品開発において、何かと何かの中間を取る、というのは良い結果を生まないケースが多いのですが、万能M厚型は中間を取るよりも小型の製品をブラッシュアップさせたイメージ。

つまり今までのスタンダードを引き上げようという意図で生まれたのではないかと勝手に想像しています。

安く高品質な製品を日本で作り続けるということはおそらく工場の自動化に優れているということ。逆に言えば新しい規格が作りにくく、量もたくさん作らなければ割りに合わない。

世界のデファクトスタンダードにまでなった規格サイズを持ちながら、それをもう一度考え直し、本当にちょうどいいサイズを求めて新規格を生み出すオルファの姿勢は、メーカーとして素直にかっこいいなぁと思います。

デザインのゼロ地点「カッターナイフ」編、いかがでしたでしょうか?

次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
オルファ株式会社

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

炊事、洗濯、掃除、工芸。「MESHザル」

こんにちは。中川政七商店のバイヤー、細萱久美です。

この連載では「炊事・洗濯・掃除」に使える、おすすめの工芸を紹介しています。

今回は、台所ですっきりと輝く、新潟・燕の金ザルです。

家にいる時は、リビングよりも台所にいる時間が長いのかもしれず、愛着のある道具や食器がじわじわと増えています。

どこの家庭にも一つはあると思われるのが、ザルですね。プラスティック製品もありますが、耐久性や衛生面でいったら金ザルがおすすめです。

竹ザルも食器のような使い方ができて好みですが、日々の調理なら気兼ねなく使える金ザルが欠かせません。
100円ショップでも売っているくらいピンキリの金ザルではありますが、劣化すると金属なので下手したら手を切ることもありえます。

そう思うと、ある程度の品質は求めたいところ。そこで、京都の「金網つじ」さんで販売している「MESHザル」シリーズの金ザルを紹介しましょう。とても丈夫で、すっきりとしたデザインが抜群だと感心している逸品です。

「金網のプロ」も惚れた。まさに、質実剛健。

金網つじさんは料理好きには有名で、中でも焼き網や豆腐すくいはベストセラーです。

中川政七商店も京都店をオープンする際に、焼き網などをの商品をお取り扱いさせていただいて以来、金網つじさんとのお付き合いがあります。焼き網は店舗でもいつも人気で、品薄になることもたびたびです。

焼き網や豆腐すくいは金網つじさんの工房でつくられていますが、今回紹介するMESHザルは、金網つじ製ではなく、社長の辻さんがプロの目利きでセレクトした道具です。

長年にわたり手しごとで金網製品を製造してきた辻さんですが、丈夫で使いやすいステンレスザルの要望をお客さまからたくさん聞いてきたそう。金網の専門知識を活かして、「これなら自信を持って薦められる」と選んだのが、このMESHザルです。

ポイントは「丈夫で使いやすい」「洗いやすい」「脚がとれない」こと。

一般的な金ザルには別パーツの高台が付いているものですが、そのためにはワイヤーが必要になります。、バイヤーとして、またひとりの使い手としては、金ザルとワイヤーの溶接具合に、品質や耐久性の差が出ると感じています。

金網つじセレクトのMESHザルにはワイヤーがなく、一体成型による高台なので見た目もすっきり。溶接するパーツが無いことで丈夫さ、洗いやすさにもつながります。

ザルの裏側

聞けば、このザルは業務用にも使われており、水気を切るのに調理台に打ち付けられることも少なくないそう。そんな粗めの扱いもなんのそのです。

機能的にも抜群ですが、無駄のないフォルムがデザインとしても洗練されており、ミニマルな美に惚れ惚れします。私みたいにザルに惚れる人なんて少ないかもしれませんが、まさに「用の美」の一つと言ってよい金ザルだと思います。

生産地は、金属の産地として知られる新潟県燕市。機械成型なので、ある程度の量産は可能ですが、それでも各行程に職人の調整が必要になるのだそう。その作られ方にも信頼感が増します。

なにより同じ「金網」でも、それぞれの得意分野を尊重してセレクトする側に舵を切った辻さんの姿勢も素敵です。

<掲載商品>
MESHザル (金網つじ)

 

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、
美味しい食事、美味しいパン屋、
猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文:細萱久美

開け!未知への扉。1泊2日で楽しむ燕三条の旅

こんにちは。さんち編集部です。
8月の「さんち〜工芸と探訪〜」は新潟県の燕三条特集。燕三条のあちこちへお邪魔しながら、たくさんの魅力を発見中です。
今日は、いよいよ秋には一大工場見学イベント「燕三条 工場の祭典」を控える、燕三条特集のダイジェスト。さんち編集部おすすめの、1泊2日で燕三条を楽しむプランをご紹介します。お祭りより一足先に、見どころを巡ってみましょう!


今回はこんなプランを考えてみました

1日目:目で舌で、ものづくりの町の歴史と文化に触れる

・燕三条Wing:行きの情報収集に便利な駅ナカお土産店
・燕市産業史料館:工場見学の予習復習に
・玉川堂:ものづくりの町・燕の中心的存在
・杭州飯店:工場の町の職人に愛される、燕背脂ラーメンの元祖
・ひうら農場:異業種を巻き込み、燕市の「ものづくり」を発信する農家
・ツバメコーヒー:燕のメディアを目指すお店で、自家焙煎の本格コーヒーを
・FACTORY FRONT:燕三条のものづくりを発信するオープンファクトリー
・嵐渓荘:ものづくりの町の奥座敷にある、とっておきの隠れ宿

2日目:話題の包丁からご当地パンに地酒まで。旅の出会いを我が家へお持ち帰り

・スノーピーク:人気アウトドアブランドの生まれる場所へ
・庖丁工房タダフサ:併設のファクトリーショップも必見
・三条スパイス研究所:東京の人気スパイス料理店が地域の「えんがわ」に?
・山田ベーカリー:三条で愛されるご当地パン「サンドパン」
・福顔酒造:三条市唯一の日本酒蔵元
・燕三条地場産業振興センター:燕三条産の金物製品が圧巻の品揃え

では、早速行ってみましょう!


1日目:目で舌で、ものづくりの町の歴史と文化に触れる

1泊2日の燕三条旅は、エリアの中心に位置する上越新幹線・燕三条駅からスタートです。見どころは各地に点在しているので、移動には車が便利。駅からレンタカーを利用すると、ちょっと遠くまで足を伸ばせます。

【朝】行きの情報収集や帰りの買い物に便利な駅ナカお土産店
燕三条Wing

上越新幹線の燕三条駅に降り立ったらまず立ち寄りたいのが構内にある観光物産センター「燕三条Wing」。新幹線の改札階にあり、広々とした休憩スペースのある観光案内所もあって、駅に着いてすぐの観光相談にも応じてもらえます。観光マップやパンフレットも各種備えられているので、ガイドブックには載っていない地元情報もここで集めて、いざ町へ!

燕三条Wingの情報はこちら

【午前】工場見学の予習復習に。美しいスプーンコレクションも必見
燕市産業史料館

燕市の主要産業である金属加工の歴史の全体像を、本館と別館、新館に分かれて知ることができます。一帯の工場見学に出かける前にまずここを訪ねると一層理解が深まるはず。

燕市産業史料館の情報はこちら

【午前】ものづくりの町・燕の中心的存在
玉川堂 (ぎょくせんどう)

玉川堂

1816年創業の鎚起銅器の老舗。前庭のある工房兼店舗は、築100年以上の日本建築で、国の登録有形文化財にも指定されています。建物奥の工房は、常時見学が可能。銅を叩く音がこだまする畳敷きの空間で、一枚の銅板から徐々に器が形づくられていく伝統の技の美しさを感じられます。

銅を叩く音がこだまする畳敷きの工房
銅を叩く音がこだまする畳敷きの工房
前庭に面した店舗に美しい銅器が並ぶ
前庭に面した店舗に美しい銅器が並ぶ

玉川堂の情報はこちら

>>>>>関連記事 :「燕三条に見る産業観光の未来」
「わたしの相棒 〜1つの湯沸かし、20の鳥口〜」

【お昼】工場の町の職人に愛される、燕背脂ラーメンの元祖
杭州飯店 (こうしゅうはんてん)

お客さんの9割9分はこの背脂ラーメンを食べに来られるとか

お腹がすいてきたら、ぜひ地元の職人に愛される工場飯を。杭州飯店は燕背脂ラーメンの元祖で、昼時や休日は行列ができる人気店。高度経済成長期に工場での残業夜食の出前に愛用され、お客さんの要望に応えながら進化し、親しまれている燕伝統の味をぜひおためしあれ。

厨房にて。豚の背脂をたっぷりかける

杭州飯店の情報はこちら
>>>>関連記事 :「燕背脂ラーメンの元祖、金属工場の町で育まれた杭州飯店の中華そば」

【午後】異業種を巻き込み、燕市の「ものづくり」を発信する農家
ひうら農場

実はお米をはじめとした農作物も豊富な燕三条エリア。燕市吉田地区にあるひうら農場は、現当主・樋浦幸彦さんで27代目という800年続く歴史ある農場。「燕三条 工場の祭典」にも2015年から参加し、食べ物も金物も含めた燕市の「ものづくり」を発信しています。農場では畑・田んぼ見学、きゅうり収穫体験、きゅうり・お米購入などが楽しめます。(要予約、内容は予約時に要確認)

樋浦さんが丹精込めて育てる田んぼは、日本屈指のパワースポット・弥彦神社が鎮座する弥彦山を望むロケーション

ひうら農場の情報はこちら
>>>>>関連記事 :「27代続く農家が拓く、800年目の米づくりとまちづくり」

【午後】燕のメディアを目指すお店で、自家焙煎の本格コーヒーを
ツバメコーヒー

一息つきたい時には、ぜひこのお店へ。店主の田中辰幸さんが一杯一杯丁寧に淹れる、自家焙煎の本格コーヒーが味わえる。大きな本棚のある店内は居心地がよく、併設の生活道具のショップには地元燕の製品も充実。美味しいコーヒーとともに燕の今の空気を味わおう。

コーヒーを待つ間に買い物が楽しめる併設のショップ。地元燕の製品も充実
看板犬の黒スケ

ツバメコーヒーの情報はこちら
>>>>>>関連記事 :「燕のメディアを目指す、ツバメコーヒー」

【午後】燕三条のものづくりを発信するオープンファクトリー
FACTORY FRONT

mgn 名刺入れ

1日目最後の工場見学先は、名刺入れ専門店「mgnet」のショップが併設された、株式会社MGNET (マグネット) のオープンファクトリー施設。

ショップには金属製の名刺入れはもちろん、定番の革製、珍しい木製の名刺入れ等、専門店ならではの品揃えに加え、燕三条のものづくりに関する情報やアイテムも充実。製造の現場を目の当たりにすると、ますます欲しくなってしまいます。

ワークショップなども行われるオープンファクトリー
ワークショップなども行われるオープンファクトリー

FACTORY FRONTの情報はこちら
>>>>>関連記事 :「金型屋がなぜ名刺入れを作るのか?ものづくりの町の若き会社MGNETの挑戦」

【宿】ものづくりの町の奥座敷にある、とっておきの隠れ宿
嵐渓荘

1日目は主に燕エリアの見どころを巡ってきましたが、宿はぐぐっと三条の奥座敷・しただ温泉郷へ。渓流沿いに建つ旅館・嵐渓荘は、ゆったりできる温泉、山の幸がいっぱいの料理、落ち着いた雰囲気の客室が魅力。登録有形文化財である木造三階建ての本館は風格あるたたずまいです。

結婚式や宴会、法事、日帰り湯などさまざまな形で地元の人たちにも親しまれるとっておきの隠れ宿で、旅の疲れを癒しましょう。

妙泉 (みょうせん) と言われる濃厚でなめらかな温泉
妙泉 (みょうせん) と言われる濃厚でなめらかな温泉
現在は国登録有形文化財に指定されている『緑風館』
現在は国登録有形文化財に指定されている嵐渓荘の中心『緑風館』

嵐渓荘の情報はこちら
>>>>>>関連記事 :「ものづくりの町の奥座敷。渓谷の隠れ宿、嵐渓荘」

*宿でくつろぐ前に、土地らしいお店で一杯やりたいなあという人は、ぜひ三条随一の繁華街、「本寺小路 ( ほんじこうじ ) 」へ。


2日目:話題の包丁からご当地パンに地酒まで。旅の出会いを我が家へお持ち帰り

【午前】人気アウトドアブランドの生まれる場所で、実際の使用シーンまで丸ごと体感
スノーピーク

広々とした環境が気持ち良い

機能性の高さとスタイリッシュなデザインの製品で熱心な愛用者も多いアウトドアブランド、スノーピーク。新潟県三条市にある本社には一般の人も利用出来るキャンプ場と直営ショップが併設されています。

ショップでの買い物を楽しむもよし、時間のある人はスノーピーク製品を利用してのキャンプを満喫するもよし。広大な自然に囲まれながら「人生に、野遊びを」を掲げるスノーピークの世界観にじっくりと浸ってみては。

スノーピークの情報はこちら
>>>>>>>関連記事 :「本社はキャンプ場のなか。スノーピークに教わる、今さら人に聞けない『キャンプの基本』」

【午前】併設のファクトリーショップも必見
庖丁工房タダフサ

三条産包丁の代表的メーカー、タダフサの工房では、鍛冶の現場を間近で見学できます。ものづくりの熱気に触れたあとは、併設のファクトリーショップへ直行。プロ向けから蕎麦切りパン切りなど、あらゆる種類の包丁が揃うので、自然と新しい包丁で料理の腕をあげようという気分になるかも。

ファクトリーショップの外観
こうしてタダフサの包丁が生まれる

庖丁工房タダフサの情報はこちら
>>>>>>>>関連記事 :「職人に教わる、包丁の手入れ」

【お昼】東京の人気スパイス料理店が地域の「えんがわ」に?

三条スパイス研究所

入り口の大きな暖簾がお店の目印

三条でランチを食べるならぜひここに。東京・押上の人気店「スパイスカフェ」の伊藤シェフがメニュー開発に参加し、2016年春に誕生したスパイス料理店。カレーやビリヤニなど、スパイスと旬の食材を調合=ミクスチャーしながら食べるセットメニューが充実。

ナチュラルな雰囲気の木造の建物は地域のイベントスペースとしても利用され、近所の人たちに「えんがわ」の愛称で親しまれています。

木のあたたかさを感じる店内
TOP写真のビリヤニセット1,500円(税別)
ターリーセット1,200円(税別)

三条スパイス研究所の情報はこちら
>>>>>>>>>関連記事 :「東京の人気スパイス料理店と新潟の金物の街が出会って生まれた、三条スパイス研究所とは?」

【午後】三条で愛されるご当地パン「サンドパン」の人気店
山田ベーカリー

人気のサンドパン。オリジナルの包装ビニールもレトロで愛らしい

さて、ここからお買い物を一気に加速させていきましょう。山田ベーカリーは、創業80年を超える三条の町のパン屋さん。約40種類あるパンのなかでの一番人気は「サンドパン」。新潟県内ならどこのパン屋さんにもあるご当地パンです。コッペパンにバタークリームを挟んだパンはナチュラルな味わい。帰りの新幹線の中のおやつにちょうどよさそう。

柔らかい雰囲気の店舗外観
パンには好きなクリームを塗ってもらえる

山田ベーカリーの情報はこちら

【午後】三条市唯一の日本酒蔵元
福顔酒造

お酒好きならお土産に地酒は欠かせません。三条市唯一の日本酒蔵元である福顔酒造は明治30年の創業。地元産の上質な酒米と超軟水である五十嵐川の伏流水を用いた日本酒は、丁寧に手をかけ伝統を重んじたまじめな造り。純米酒、大吟醸を始め地元産の洋梨を使ったリキュール「ル レクチェのお酒」など品揃えも豊富。各種試飲しながら選べるのも嬉しい。

酒蔵を模した店舗外観
左から「特別純米酒 越後五十嵐川」、地元産の洋梨を使ったリキュール「ル レクチェのお酒」、「純米酒 越後平野」「ウイスキー樽で貯蔵した日本酒」
キャップには“福顔”恵比寿さんマークが

福顔酒造の情報はこちら

【夕方】燕三条産のあらゆる金物製品が揃う
燕三条地場産業振興センター

さて、そろそろ1泊2日の燕三条旅もおしまいが近づいてきました。上越新幹線燕三条駅のほど近くにある燕三条地場産業振興センターは、燕三条産のあらゆる金物製品が揃い、その広さと品揃えの豊富さは圧巻の一言。ぜひ時間に余裕を持ってじっくりと旅を締めくくるお買い物を楽しみたいところです。

館内の「レストラン メッセピア」では、地元産食材と燕三条の食器・カトラリーを用いた食事を楽しむこともできるので、小腹が空いた人は最後にこちらへ駆け込んでも。

800平米の広大なスペースに約10,000点の洋食器・刃物などが展示・販売されている
800平米の広大なスペースに約10,000点の洋食器・刃物などが展示・販売されている
「レストラン メッセピア」では好きなカトラリーを選べるサービスも

燕三条地場産業振興センターの情報はこちら


日本有数の金属加工の「工場」の町でありながら、お米や野菜を耕す「耕場」、生活用品からプロ仕様の道具まで購入できる「購場」までが揃う燕三条の町。毎年10月の「燕三条 工場の祭典」では、普段は公開されていない工場もその門戸をあけ、町全体がものづくりの熱気に包まれます (2017年は10月5日 (木) ~8日 (日) 開催) 。

ふと思いたった時に行くもよし、10月のイベントめがけてプランを練るもよし。日常に刺激が足りないなと思ったら、暮らしの道具を見直したいなと思ったら、ものが生まれる瞬間を覗きに、燕三条を訪れてみてはいかがでしょうか。

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撮影:神宮巨樹、小俣荘子、丸山智子
写真提供:庖丁工房タダフサ