古典芸能入門 「歌舞伎」の世界を覗いてみる

こんにちは。ライターの小俣荘子です。
みなさんは古典芸能に興味はお持ちですか?
独特の世界観、美しい装束、和楽器の音色など、なにやら日本の魅力的な要素がたくさん詰まっていることはなんとなく知りつつも、観に行くきっかけがなかったり、そもそも難しそう‥‥なんてイメージを持たれている方も多いのではないでしょうか。 気になるけれどハードルが高い、でもせっかく日本にいるのならその楽しみ方を知りたい!そんな悩ましき古典芸能の入り口として、「古典芸能入門」を企画しました。そっとその世界を覗いてみて、楽しみ方や魅力を見つけてお届けします。

今回は、「歌舞伎」の世界の入り口へ。
国立劇場にある伝統芸能情報館で開催中の企画展示「かぶき入門」を訪れました。

※国立劇場では、古くから日本に伝わる芸能を「伝統芸能」という言葉で表現されています。今回の記事では、それにならった記事表現を行なっております。

今年50周年を迎える国立劇場。奈良の正倉院を思わせる校倉造風の建築です。
50周年を迎えた国立劇場。奈良の正倉院を思わせる校倉造(あぜくらづくり)風の建築が印象的です

国立劇場では、歌舞伎や文楽をはじめ数々の伝統芸能の公演のほか、公演の記録、貴重な資料の保存や展示、伝承者の養成や調査研究も行われています。専門性の高い内容だけでなく、今回の展示のように、これから歌舞伎について知りたい、観てみたい!という方に向けた企画も展開されています。

伝統芸能情報館、展示室。
伝統芸能情報館 展示室

歌舞伎の世界を体感してみる

この日は、企画を担当された名倉さんにご案内いただきながら鑑賞させていただきました。今回の企画展示「かぶき入門」は、初心者向けのもの。6・7月に行われる「歌舞伎鑑賞教室」(初心者向け解説付きの歌舞伎公演)と連動した展示がされていて、小学生のお子さんから大人まで歌舞伎への理解を深めながら楽しめる内容になっているのだそうです。歌舞伎の歴史や、「隈取(くまどり)」などのメイクの写真、舞台衣装や小道具、演目の様子を描いた「錦絵」の展示のほか、花道や舞台を疑似体験できるセットの用意も。シアタースペースでは、歌舞伎の魅力を解説した映画などの上映、文化デジタルライブラリーのコーナーでは、過去の公演映像や、鑑賞の解説などの動画も視聴できます。(会期中すべて無料で鑑賞可能です)

隈取と言われる歌舞伎独特の化粧。
歌舞伎独特の化粧「隈取」
体験スペースでは、実際に舞台で使われている道具を使ってみることができます。
体験スペースでは、実際に舞台で使われている道具に触れることも。こちらは波音を表現する道具の様子
舞台上のセットを体験できるスペース。名倉さんに実演いただきました。
舞台上のセットを体験できるスペース。名倉さんに実演いただきました
6月公演「毛抜」での主人公の衣装。演じる家ごとに衣装デザインも異なっており、こちらは市川宗家のもの。(海老蔵にちなみ海老で描かれた「寿」の文字があしらわれている)
6月公演「毛抜」での主人公の衣装。演じる家ごとに衣装デザインも異なっており、こちらは市川宗家のもの。(海老蔵にちなみ海老で描かれた「寿」の文字があしらわれていて洒落が効いています)

オペラと並べて語られることも多い歌舞伎。芝居や音楽だけでなく、大掛かりな舞台セットやあっと驚く舞台装置、役者の華やかな衣装やヘアスタイルなど、視覚的に楽しむ要素が多いのも歌舞伎の特徴です。間近で鑑賞する衣装の細工など、とても見応えがありました。

初心者向けの公演で歌舞伎を鑑賞してみる

先ほども少し書きましたが、国立劇場では初心者向けの歌舞伎公演も行なっています。
今年は6月と7月に開催されます。親子での鑑賞機会や、社会人向けのお仕事後の遅い時間の公演、外国人向けの公演(通常の日本語と英語のイヤホンガイドに加え、中国語、韓国語、スペイン語の同時通訳イヤホンガイド付き)も。リーズナブルな価格で、気軽に歌舞伎を鑑賞できる機会です。

歌舞伎鑑賞教室とは
四百年の歴史を持つ歌舞伎の魅力を、より多くの方々に気軽に楽しんでいただけるよう、人気のある演目を充実した俳優陣でご覧いただきます。また、歌舞伎俳優がみどころなどをわかりやすく解説する「歌舞伎のみかた」もご好評いただいております。ご観劇の手引きになる豆知識を小冊子にまとめた『歌舞伎―その美と歴史―』やプログラムの無料配布など歌舞伎を初めてご覧になる方にも最適な公演です。(国立劇場公式サイトより引用)

6月歌舞伎鑑賞教室 「毛抜(けぬき)」
6月歌舞伎鑑賞教室 「毛抜(けぬき)」
7月歌舞伎鑑賞教室「鬼一法眼三略巻 一條大蔵譚(きいちほうげんさんりゃくのまき いちじょうおおくらものがたり)」
7月歌舞伎鑑賞教室「鬼一法眼三略巻 一條大蔵譚(きいちほうげんさんりゃくのまき いちじょうおおくらものがたり)」

歌舞伎の魅力について伺うと、「歌舞伎は江戸時代の空気を感じられるところも魅力です。当時の最先端トレンドや、話題になっていたこと、日常の生活の様子が織り込まれているものなので、現代にいながらにして当時の様子が感じられるのです」と語ってくださいました。歌舞伎から感じる時代の空気。例えば、6月の鑑賞教室で上演される「毛抜(けぬき)」は、当時の話題の最先端だった「磁石」を巧みに取り入れたトリックが効果的に使われる演目です。陰謀により天井に仕込まれていた磁石に、屋敷の娘の髪飾り(鉄製)が反応してしまい、髪の毛が逆毛立つという奇病にかかったと大騒ぎになり婚約が破棄されてしまいます。主人公が毛抜きが動く様子を見てひらめき、事件を解決するという推理劇です。ストーリー展開はもちろんのこと、きらびやかな舞台や、主人公が見得(みえ)を切るシーン、人間味あふれる芝居の数々といった歌舞伎の魅力が詰まった、見た目にも面白く、わかりやすい内容となっています。

時代の最先端技術を演目の中に取り入れた。
舞台に登場する巨大な磁石。存在感がありますね

7月に上演される「鬼一法眼三略巻 一條大蔵譚(きいちほうげんさんりゃくのまき いちじょうおおくらものがたり)」は、「鬼一法眼三略巻」という物語の一場面で、源義経にまつわる説話を題材にした物語に着想を得て作られています。人形浄瑠璃で初演されたのちに、すぐに歌舞伎でも上演されるようになった作品です。現代で例えると、漫画やアニメの人気作から実写映画化されて大ヒットした作品といったイメージが近いかもしれません。この、江戸時代から現代にまで残る人気の作品では、平清盛が権力を掌握して栄華を極める時代に、源氏の再興を志す人々の物語がドラマチックに描かれています。主人公の一條大蔵卿は、源氏の子孫でありながら源平の対立には全く無関心で道楽に明け暮れている男。しかしその本心は…。頼りない男から瞬時に凛々しい姿に豹変する瞬間が大きな見どころです。この意表をつくストーリー展開を、見た目にも効果的に演出します。「ぶっかえり」という演出手法が用いられるのですが、衣装が一瞬にして変わるという手品のような仕掛けです。

早替えの技術
「ぶっかえり」の技術紹介のパネルと衣装の展示も

袖肩部分の縫い合わせ糸を黒衣(くろご=観客からは見えないという約束になっている舞台上で様々な補助を行う者)が一気に引き抜くことで、衣装の裏側が表に現れ様子がガラリと変えるしかけを「ぶっかえり」と言います。現代のアイドルのコンサートで行われる衣装の早替えを思い出しました。現代劇の舞台演出にも通じる技術のルーツもたくさんありそうです。

「時代の空気」に敏感であったり、新しい技術を使った演出は現代の歌舞伎にも多く登場します。今年3月に歌舞伎座で行われた「俳優祭」。多くの人気歌舞伎俳優が出演される公演ですが、上演中にはトレンドを意識した演出が多数ありました。尾上菊之助さんと市川海老蔵さんがピコ太郎氏のPPAPを彷彿とさせるお芝居をされたり、中村勘九郎さんが星野源さんの「恋ダンス」を歌舞伎風にアレンジして取り入れて花道を彩るなど、その時代を生きる人々が一緒に共有できる面白さが演出にあふれていました。
伝統芸能と聞くと難しいイメージもありますが、歌舞伎はエンターテイメントです。当時の観客の興奮に思いを馳せながら、江戸時代の人々と同じように好奇心を持って歌舞伎を観てみるとまた新しい発見があるかもしれません。
気軽に立ち寄ることのできる展示や初心者向けの公演など、活用して歌舞伎を楽しんでみるとたくさんの魅力に出会えそうです。

企画展示「かぶき入門」
会期:4月22日(土)~7月27日(木)

開室時間:午前10時~午後6時(毎月第3水曜日は午後8時まで)

休室日:7月1日(土)

場所:国立劇場伝統芸能情報館 1階 情報展示室

<取材協力>

日本芸術文化振興会(国立劇場)

東京都千代田区隼町4-1

資料サービス課 03-3265-7061


<参考サイト>

国立劇場歌舞伎情報サイト

http://www.ntj.jac.go.jp/kabuki/


文・写真 : 小俣荘子

靴下やさんが靴下作りをやめて作った、指が通せるアームカバー

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
「さんち」でも何度か登場している靴下。もう靴下についてはよく知っているよ、という人も、同じ靴下の機械から全く違う商品を編み出せるのをご存知でしょうか。ある靴下やさんが作る、指が通せるアームカバーが初夏のこの時期に人気だと耳にして、靴下の一大産地、奈良を再び訪れました。

「うちは靴下の機械で靴下以外のものばっかり作っているから」

re_img_1308

そう笑うのは出張康彦(でばりやすひこ)さん。1927年頃に奈良の中でも靴下生産の中心地である広陵町で創業した株式会社創喜(そうき)の3代目です。子供靴下を中心にものづくりを続けてきた同社は、康彦さんの代で大きな方向転換を図ることになります。

靴下やさんが靴下作りをやめる時

「1989年頃には、円高で海外からどんどん安価な製品が入ってきていました。国内では日本のものづくり神話がもてはやされていた頃でしたが、実際に海外旅行に行けば、日本の靴下を見かけることはなく、海外製のものばかり。大量生産による価格競争ではかなわないと判断して、靴下作りをやめたんです」

靴下やが靴下作りをやめる。社運をかけた決断は、もう一つのアイディアとともに実行されました。

「同じ編み機を使って別のものを作ればいい」

ただし海外にはなく、日本でも希少なもの。サポーターやヘアバンドなど筒状のアイテムを作りながら、他社に真似できないものが作れる機械を探して、出会ったのがバンナー機という編み機でした。

ハサミを使わず生地に穴をあける

「一般的に靴下の編み立て機は、筒状に何十本と編み針がセットされた釜が糸を通しながら回転することで、筒状に生地を編んでいきます。だから靴下を編むには、釜がぐるりと一回転した方が効率がいい。でもバンナー機は、両サイドから2本の糸が通るようになっていて、左右から半回転ずつしながら靴下を編んでいくんです」

両サイドから糸が集まるバンナー機
両サイドから糸が集まるバンナー機
もともとバンナー機は、編みの綴じ部分をきれいに処理できる特徴がある。左がバンナー機、右が一般的な編み立て機で編んだ靴下を裏返したもの
もともとバンナー機は、編みの綴じ部分をきれいに処理できる特徴がある。左がバンナー機、右が一般的な編み立て機で編んだ靴下を裏返したもの

靴下を作るには効率が悪い。けれど、左右の編み立てが噛み合う箇所の針だけ数本、糸を通さないようにプログラムを組めば、編み地に穴をあけられます。

針の動きを制御することで、布地に穴があく
針の動きを制御することで、布地に穴があく
指が通せるアームカバーが完成!
指が通せるアームカバーが完成!

「穴があくなんて、靴下ではいらない機能ですけどね」

そう話すのは康彦さんの奥様、出張緑さん。息子さんの耕平さんが2014年に代表取締役に就任するまで、4代目を務められていました。

4代目・緑さんのひらめき

4代目、緑さん
4代目、緑さん

「バンナー機でのものづくりを模索していた当時、日本は美容・健康ブーム。赤ちゃんのアレルギーなども問題になって、絹の糸を使った肌にやさしい洗顔手袋を作ったんです」

re_img_1231

バンナー機の特性を生かして、親指を通して使うミトンタイプの洗顔手袋を開発。これが後のアームカバー作りにつながっていきます。当時、美容健康ブームの波の中で取りざたされていたのが、紫外線による健康被害問題でした。緑さんはこの頃、ひじまで長さのある手袋を変形させた、布製のアームカバーを見かけます。

「ちょうど1994年頃です。紫外線をカットできる機能糸なども登場していました。このアームカバーを、布でなく、編みでも作れるんじゃないかと思ったんです」

この時開発の原型になったのが、先に作っていた洗顔手袋でした。編み地に穴をあけるノウハウを生かし、機械に手を加えて、親指を通して使えるアームカバーが誕生します。

main_img_1342

靴下作りをやめても、やめなかったもの

「ぐるりと筒状に作った編み地に、あとからハサミを入れて穴をあけることはこの機械でなくてもできます。ところが、それでは穴の縁がほどけないよう縫いとめたり圧着させる必要があるので、穴の周りの生地が固く、伸びなくなります。
アームカバー用に手を加えたバンナー機なら、編んだ風合いそのままにただ穴があいている状態なので、肌あたりが抜群にいいんです。この”身につけた時の心地よさ”は、靴下をメインに作っていた時からずっと大事にしてきました」

左がバンナー機で作った指が通るアームカバー。右が指を通す部分にカットを入れるタイプのアームカバー
左がバンナー機で作った指が通るアームカバー。右が指を通す部分にカットを入れるタイプのアームカバー

さらに、軽やかに身につけられるよう、本来ならこの機械に向かない細めの糸を適用。

「もっと薄手に、軽くしてほしい、というのは、一緒に商品を企画したデザイナーさんからの要望だったんです。この機械ならこの糸が適番(機械に負荷なく効率的に編める糸の番手)、という考えがすっかり頭にあった私たちには、目からウロコでした」

向こうが透けそうなほど薄くて軽い生地感
向こうが透けそうなほど薄くて軽い生地感

適番でないために糸が切れてしまうなど、トライアンドエラーを繰り返しながらようやく完成した商品は、発売2年目には前年の倍の注文が入るほどのヒット商品に。現在では製造を再開させた靴下の編み機が3台に対し、指が通せるアームカバー専用の機械は9台。オンシーズンには朝8時から夜の10時・11時までフル稼働させているそうです。

年季の入った機械が並ぶ
年季の入った機械が並ぶ

「もうこの機械は製造されていません。中古のものが出たと聞くと引き取りに行って、各地から自然と集まってきました。現役で動いている機械は、全国でも極めて少ないと思います」

機械の手入れ中。替えが効かないので、細やかなメンテナンスが欠かせない
機械の手入れ中。替えが効かないので、細やかなメンテナンスが欠かせない

靴下やさんの生命線である靴下作りを手放し、発想の転換で、同じ技術を使って時代にあったものを新たに生み出してきた創喜さん。そんな貴重な機械を、撮影して大丈夫ですか、と事前に尋ねると、

「大丈夫、写真でわかる世界じゃありませんから」

と冗談めかしながらも力強く、康彦さんが笑いました。

5代目の耕平さんと
5代目の耕平さんと

<掲載商品>
指が通せるアームカバー(中川政七商店)

armcover

<取材協力>
株式会社創喜


文・写真:尾島可奈子

世界の芸術を支える陰の立役者、刷毛

こんにちは、さんち編集部の井上麻那巳です。
前々回の記事で日本の伝統画材のいろはを教えてもらった伝統画材ラボ「PIGMENT」の岩泉さん。前回の墨に続き、岩泉さんのご案内で伝統画材の製造現場にお邪魔します。第2回目は日本独特の製法が海外でも評価を得ているという刷毛の工房へ。それでは早速行ってみましょう。

筆・刷毛専門メーカーの株式会社中里へ

今回お世話になるのは京都の筆・刷毛専門メーカーの株式会社中里さん。中里さんの筆はそれぞれの種類ごとに専門の個人の職人さんによって製作されているのですが、今回は唯一の自社工房である、三重県は多気郡(たきぐん)の刷毛製造所にお邪魔してきました。

今日の先生、岩泉さん
今日の先生、岩泉さん

松坂牛で知られる松坂駅から車を走らせること30分。伊勢ともほど近い、田んぼに囲まれたのどかな風景の中に今回の目的地である工房がありました。

dsc03025
dsc03017

まずは柄の部分から

刷毛づくりは柄の部分からスタートします。材料となるのはマツ科のスプルスという木。細かい木目が美しく、ピアノやバイオリンなど、楽器材としても使われるものだそうです。

「木もスプルスならなんでも良いというわけではなく、柾目(まさめ:木目がまっすぐに通ったもの)のものを使います。板目(いため:木目が平行ではなく山形や筍形のもの)の材料だと歪んでしまったり、割れの原因となってしまう。刷毛としては、実はここがとっても大事なんです」

dsc03004
面をとった柄の部材
面をとった柄の部材

「なかなか幅の広い材料というのが貴重なんです。サイズによっていきなり金額が上がることがあるんですが、その理由が実はこの柄の材料だったりすることもあるんですよ」

糸を通すための穴を一箇所ずつ開けていきます
糸を通すための穴を一箇所ずつ開けていきます

刷毛の要はやはり原毛

「刷毛の要はやはり毛の部分です。中里では天然の毛であるヤギ、豚、牛、馬、うさぎなどの毛を中心にナイロンの刷毛も製作しています。一概に天然の毛が質が良いとは言い切れず、やはり使う絵の具や表現によってナイロンが適していたり、硬い豚の毛が適していたりと複雑なので、使い手がそれぞれの特性をしっかり理解することが大切です」

原料のヤギの毛
原料のヤギの毛

これらの原料はどこから来ているんですか?

「原料はほとんど中国からです。馬の場合は他の国から取り寄せる場合もありますが、現在はほぼ中国ですね。中里さんは中国へ買い付けに行くこともあるそうです。実は、この状態まで持っていく原毛の処理をする人が今はもう日本にいないという背景もあります」

「原料として、もう日本に入ってこないものもあります。山の馬と書いて山馬(さんば)という、東南アジアにいる大型の鹿なのですが、ワシントン条約でその毛を日本へ輸入することができなくなってしまった。ぼかしたりかすれを引いたりするための刷毛として重宝していたのですが、日本ではもう今出回っているものだけになります。もともと山馬を使用していた、ぼかしやかすれの技法自体がなくなってしまわないように、数年前に山馬の代わりになる刷毛を中里さんと開発しました。それで採用したのが、この黒豚の毛です」

dsc02986
黒豚の刷毛
黒豚の刷毛

「そのほかにも、例えばヤギなんかは大体の毛が原料として使えるのですが、それに対してイタチの毛は尻尾の、それも真ん中の方の毛しか使えないので手に入りにくく、大変貴重になってきています」

「動物の毛にはとても虫がつきやすいので、原毛の状態から製品となって出荷するまでずっと防虫剤を入れて、虫が入らないように完全密封しています。実は筆や刷毛づくりには防虫剤は必需品なんです」

原毛を刷毛の形へ整えていく

「原毛を見ていただきましたが、やはり天然のものなので、このままの状態では不揃いです。この毛をバリカンと呼ばれる機械に通して長さを揃えていきます。多いときは20回くらい通してまんべんなく長さを揃えていきます」

dsc02967
dsc02969

「次に、刷毛の形に整えていきます。この作業は35年のベテランさんとその娘さんがふたりで担当されているんですよ。今はちょうどドーサ刷毛というにじみどめの刷毛を作っていますね。水分をたっぷり含めるために厚みを持たせた刷毛です」

dsc02816
dsc02849

「ふのりを使いながら刷毛の形に整えていきます。ふのりは新潟だとコシを出すためにお蕎麦に練り込んだりもしますね。なぜふのりかと言うと、いちばんは毛を傷めないため。化学のりだと水どけが悪かったり固まりすぎてしまう。あまり硬く仕上げると、結局毛が傷んでしまうのでふのりが一番適しています」

dsc02854
dsc02843

「使っている途中で毛が抜けてしまわないように、毛をていねいに揃えて、何度も何度もくしを通していきます。その回数は200回にも及ぶそうです。大きい刷毛であればあるほど左手の固定する力が必要であったり、感覚的な判断も多く、この作業は特に職人技ですね」

dsc02846

娘さんはナイロンの刷毛を作っていました。

dsc02916
dsc02925
dsc02927

「ナイロンのものも工程はほぼ同じですが、やはり天然の毛の方が扱いは難しいようです。こうして出来上がったものは網の上で自然乾燥していきます」

dsc02913

柄に毛を挟み込んでいく

「出来上がった柄にこの毛を挟んでいきます。ひとつひとつ手作業で接着剤をつけて挟み込みます」

dsc02700
dsc02692

この日はちょうどPIGMENTさんから依頼の特注品の一次試作を進めていました。手のひらに収まらないほどの大きな豚毛の刷毛です。

1円玉と比べるとこんな感じ
1円玉と比べるとこんな感じ

こちらの刷毛はある海外の作家さんからのご依頼だそうで、現在職人のみなさんで試行錯誤し改良中とのことでした。ああすれば、こうすればとつくり手のみなさんが意見を出し合う、ひとつひとつ作っていく手作業ならではの光景が印象的でした。

いよいよ仕上げ

「刷毛の形が出来上がったら、この回転するブラシのような機械で、ふのりやホコリなどの余計なものを除去していきます」

dsc02742
左が作業前、右が作業後。ふわふわになりました
左が作業前、右が作業後。ふわふわになりました

「最後に縫いの作業です。この大きな機械に挟み込んで、ひと針ひと針手で縫っていきます」

dsc02718
dsc02721

「糸がたるんでいると強度が弱くなるので、しっかりと糸を通していきます」

dsc02722
dsc02724

「刷毛を使っていて、いちばんいけないのは毛が抜けることです。抜けた毛が作品にくっついてしまうのがいちばんいけない。最後の仕上げではさまざまな道具を使って途中で引っかかっている毛やきちんと固定されていない毛を抜いています」

dsc02767
dsc02769

「使っているのは刃物ですが、毛を切っているわけではなく除去しています。毛先は刷毛の命ですからね」

dsc02776

これで刷毛が完成です。驚くことに、ほぼ機械を使わず、人の目と人の手によってすべての工程が行われていました。原料の調達や職人の確保などたくさんの問題を乗り越えて、アーティストたちの作品づくりは守られているようです。

dsc02634

次回は胡粉と岩絵具の製造現場へお邪魔します。お楽しみに。

伝統画材ラボ PIGMENTの岩泉さんに教えてもらう日本の画材
プロローグ 日本の伝統画材って?

無限の色を持つ、墨


<取材協力>

株式会社 中里
本社
京都府京都市中京区麩屋町通竹屋町上る舟屋町411番地ノ2
075-241-4178
中里筆刷毛製造所
三重県多気郡多気町五佐奈
www.kyoto-nakasato.com

画材ラボ PIGMENT
東京都品川区東品川2-5-5 TERRADA Harbor Oneビル 1F
03-5781-9550
pigment.tokyo

文・写真:井上麻那巳

デザインのゼロ地点 第4回:バスクシャツ

こんにちは。THEの米津雄介と申します。
THE(ザ)は漆のお椀から電動自転車まで、あらゆる分野の商品を開発するものづくりの会社です。例えば、THE JEANSといえば多くの人がLevi’s 501を連想するような、「これこそは」と呼べる世の中のスタンダード。
THE〇〇=これぞ〇〇、といったそのジャンルのど真ん中に位置する製品を探求しています。

連載企画「デザインのゼロ地点」の4回目のお題は「バスクシャツ」。
バスクシャツと聞いてまず最初にイメージするのはボーダー柄でしょうか。他にも海だったりフランスだったり‥‥もしかしたらパブロ・ピカソだという方もいらっしゃるかもしれません。

写真家ロベール・ドアノーが撮ったパブロ・ピカソのポートレイト
写真家ロベール・ドアノーが撮ったパブロ・ピカソのポートレイト

ピカソのトレードマークであり定番服だったバスクシャツとは、編物で作られた生地にボートネックと呼ばれる横に広い襟、少し短めに切り落とされた袖口で、青と白のボーダー柄、といったイメージが一般的なようです。ピカソの他にも小説家のアーネスト・ヘミングウェイや服飾デザイナーのジャン=ポール・ゴルチェなど、バスクシャツは歴史の賢人たちに愛されてきました。今回はそのバスクシャツの由縁やその歴史が生んだ形状・機能を題材に、デザインのゼロ地点を探っていこうと思います。

日本ではバスクシャツと呼ばれ定着していますが、実はフランスではその呼び名は通用しないようで、ブルトンマリンとかマリニエールといった呼ばれ方をするそうです。日本での呼び名に関しては、ヘミングウェイの小説「海流のなかの島々」の中でバスクシャツという和訳が出てきたことから、とも言われているそうです。「バスク」とはフランスとスペインにまたがる地域の名称。ピレネー山脈の麓からビスケー湾に面した地域を指します。

赤く塗られた地域がバスク地方
赤く塗られた地域がバスク地方

このバスク地方が発祥のバスクシャツですが、16世紀頃に船乗りたちが愛用していたウールやコットン素材の手編みのものが起源だと言われています。

強い海風から身体を守るニット生地、濡れても着脱しやすい横広のボートネック、作業時に器具に引っかけない為の七分袖、そして海で発見されやすくする為にボーダー柄が採用された、実に機能的にデザインされた仕事服だったのです。

船乗りの仕事服としてはイギリスのガンジーセーターと並ぶオリジンとも言えそうです。ガンジーセーターとバスクシャツ、もちろん関連性は何もないのだとは思いますが、海峡を境にした近い地域で同じくらいの時期に似たものが作られていたという史実に、モノづくりの発展や進化の不思議がありそうで興奮しますね。(別途調べてみます)

そして、この機能的にデザインされた船乗りの仕事服は1850年代からフランス海軍の制服として採用されはじめます。バスクシャツの生産を含む繊維業も産業革命以降は紡績や染糸が急速に機械化され、19世紀から20世紀にかけてメーカーがOEM(他社ブランドの製品を製造すること)で海軍に制服を供給する流れになったのです。

1910年代のフランス海軍
1910年代のフランス海軍

そして、船乗りの仕事服から海軍の制服へと変化したバスクシャツが、ファッションとして脚光を浴びたのは 1923 年のこと。アメリカ人の芸術家ジェラルド・マーフィーが南仏にある船乗り専門の卸問屋で、この白と青のボーダーのカットソーを発見し、その着ている姿が同じく高級リゾートでバカンスを楽しんでいた人々の注目を集めたことが発端で、1930 年代から 1940 年代にかけて欧米のリゾート地で大流行することになったのです。

そこから現代に至るまでファッションアイテムとして愛されてきたバスクシャツ。代表的なメーカーとしては、フランス北部ノルマンディー地方のセント・ジェームスや、リヨンで生まれたオーシバル、ブルターニュ地方のルミノアなどが挙げられます。

セント・ジェームス(1889年〜)出典:http://www.shop-st-james.jp/index.html
セント・ジェームス(1889年〜)出典:http://www.shop-st-james.jp/index.html
オーシバル(1939年〜)出典:http://bshop-inc.com/brand/36/
オーシバル(1939年〜)出典:http://bshop-inc.com/brand/36/
ルミノア(1936年〜)出典:labelleechoppe.fr
ルミノア(1936年〜)出典:labelleechoppe.fr

どのメーカーもその時々でフランス海軍に制服としてOEM供給していた名門で、今でもフランスで生産しているそうです。ミリタリーをモチーフとしながらも爽やかな海の印象を与えるバスクシャツたちなのですが、冒頭に申し上げた「船乗りの機能的な仕事服」をモチーフにしたバスクシャツも実は存在します。

フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr
フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr

1927年にブルターニュ地方のカンペールで生まれた「フィルーズ・ダルボー」。写真のブランドロゴからも読み取れるように、フィルーズ・ダルボー社のあるブルターニュでは、地元の漁師達が海に出て仕事をしている合間に、その妻たちが夫の帰りを待ちながら糸を紡ぎ、その糸を用いてセーターを編むというライフスタイルがあったそうです。

その文化の継承を軸に、他とはちょっと違った製法で生地を作っています。横方向に糸を編みこんでいく「横編み」というそのまんまの名前の製法なのですが、この横編み製法は組成が複雑で、薄い生地を作るのには適していない代わりに、糸をたっぷりと使用したふくらみのある生地に仕上げることができ、身幅方向への伸縮性が最も高いそうです。機械生産ですが手編みに程なく近い製法でしょうか。

ちなみに、ルミノアは「丸編み」、セント・ジェームスやオーシバルのラッセルは「経編み(たてあみ)」で作られていて、丸編みはいわゆるカットソーと呼ばれるもの、経編みは織物に近くかっちりした生地になります。

フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr
フィルーズダルボー(1927年〜)出典:https://www.fileusedarvor.fr

どのメーカーも同じバスクシャツと呼ばれていますが、それぞれの歴史的背景によって設計や製法が違っていて、そんなことを考えながら着てみたり、お店で触ってみたりすると、今まで気付かなかったディティールに愛着が湧いてきます。
船乗りの仕事服としてデザインされた姿が今も残るフィルーズ・ダルボーは、僕の中ではバスクシャツの定番としての要素を兼ね備えている気がします。

出典:https://www.fileusedarvor.fr
出典:https://www.fileusedarvor.fr

デザインのゼロ地点・バスクシャツ編、如何でしたでしょうか?
ちなみにフィルーズ・ダルボーはTHEバスクシャツとして、東京駅KITTEのTHE SHOPで種類も豊富に取り揃えております。気になった方は是非ご来店ください。(笑)

 

それではまた来月、よろしくお願い致します。

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。

文:米津雄介



<掲載商品>

THE Breton Marine

母の日の贈りもの、一生ものの日傘

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

たとえば1月の成人の日、5月の母の日、9月の敬老の日‥‥日本には誰かが主役になれるお祝いの日が毎月のようにあります。せっかくのお祝いに手渡すなら、きちんと気持ちの伝わるものを贈りたい。この連載では毎月ひとつの贈りものを選んで、紹介していきます。

第5回目のテーマは「母の日に贈るもの」。今年は5/14です。ご準備はお済みでしょうか。定番は何と言ってもカーネーションですが、ものを贈るとなると、あれこれ迷ったりもします。今年は奮発していいものを贈ろう、という人に、おすすめしたいものがあります。それはこれからの季節に活躍する日傘。それも、一生付き合える日傘です。

傘と言うとちょっとした衝撃で骨が曲がってしまったりして、気に入ったものでも数年と使い続けるのは難しい印象ですが、東京・台東区にある洋傘店、前原光榮商店さんの傘は一度買ったらずっと付き合える一生ものの傘として人気です。

皇室御用達の洋傘

前原光榮商店さんの歴史は1948年、初代・前原光榮さんが東京にて高級洋傘の企画・製造・販売を開始したところから始まります。1961年には株式会社化し、1963年、皇室からのご用命を受けるように。傘づくりの工程は、「生地」づくり、「骨」組み、生地を骨組みに貼り合わせていく「加工」、手に握る「手元」づくりの4つに大別されます。その全てを、前原さんでは人の手で行っています。

伝統的な機が織りなす生地づくり

kiji

かつて甲斐織物の産地だった山梨県の富士山麓の伝統的な機(はた)を使って、時間をかけてオリジナルの生地を織っています。一方、こうした生地を扱うノウハウを生かして、他社ブランドの生地とコラボした商品づくりも行われています。

一本の角材から始まる骨づくり

hone2

中棒(中心の棒部分)は元は一本の角材から削り出されたもの。自然のものだからこその木地のクセや曲がりを熱を加えながら整えて、少しずつ真っ直ぐに仕上げるそう。ここに生地を張り合わせる骨を組んでいきます。

手製の木型でこそ生み出せる傘のシルエット

re_img_0391

傘の生地は、よく見ると三角形の生地を縫い合わせてあるのがわかります。大量生産傘の場合、生地を何枚も重ねてまとめて裁断をしますが、前原さんの場合は4枚重ねでの裁断。そうすることで効率は悪くとも、より精度高く生地を裁断できると言います。職人さんは自前の三角型の木型をそれぞれに持っていて、その形に合わせて生地を裁断しているそう。こうして生地の形を細やかに整えることで、変につっぱったりたわんだりしない、開いたときに美しいカーブを描く傘のシルエットが生まれます。

kakou

天然素材を生かした手元

temoto

前原さんの傘の手元はそのほとんどが天然素材。寒竹、楓、エゴの木、ぶどうの木と、素材によって傘の印象もまたガラリと変わるそうです。面白いのはその加工方法。本来真っ直ぐ生えている木材にカーブを描かせなくてはならないため、火で熱を加えたり、熱湯につけて柔らかくしたり。特性に合わせて素材と向き合います。

一生付き合える理由

こうした丹精込めた傘づくりの工程を追うだけでも、特別な贈りものにふさわしいように思えますが、中でも前原さんの傘を贈りものにおすすめしたい理由は、その修理サービスにあります。前原さんでは、傘がどんなに大きく損傷してしまってもパーツをなくしてしまっても、替えの材料在庫がある限りは、自社で作った全ての傘の修理を引き受けています。全ての工程を人の手で行っているからこそ、壊れてしまったときも人の手で直すことができるのですね。
そして何より嬉しいのが、生地がくたびれてしまったら、新しい生地と張り替えができること。同じ生地でも、全く違う生地にも、相談次第で張り替えができるのです。悪いところをなおす、という消極的な修理ではなく、長く傘を愛用してもらうための、積極的な修理。一生ものの傘、の理由はここにあります。

日傘をさす立ち姿は、女性を一層上品に、女性らしく見せてくれるように思います。いいお母さんでいて欲しいというよりも、いつまでも美しく、素敵な女性でいて欲しいと願う母の日の贈りものに、ずっと美しく、持つ人を装う日傘を一本、贈るのはいかがでしょうか。

<関連商品>
日傘 ならい小紋

<取材協力>
前原光榮商店
*修理は有料で、傘の状態によって金額が変わります。


文:尾島可奈子

おんな城主 直虎の舞台で今も続く「浜松まつり」に行ってきました

こんにちは、ライターの小俣荘子です。
連休最終日となりましたが、今年のゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか。各地で様々な行事が開催されるこの季節、さんちでは、ひときわ盛り上がりを見せる静岡県浜松市の「浜松まつり」を訪れました。

町ごとに揃いの法被(はっぴ)姿で一致団結してお祭りに挑みます
町ごとに揃いの法被(はっぴ)姿で一致団結してお祭りに挑みます

「浜松まつり」は、毎年5月3日から5日までの3日間開催されます。浜松市内の174か町の大凧が空を舞う「凧揚げ合戦」と、夜の街に幻想的に現れる81か町の「御殿屋台引き回し」が大きな見所です。一説によると、今から450年ほど前に、当時の浜松の城主に長男が生まれたことをお祝いして凧を揚げたことが始まりと言われており、長い月日に渡って受け継がれてきたお祭りです。現代でも浜松っ子に愛され続けていて、それぞれの地域でこの日のために準備して盛り上げるので、なんと会社によってはお祭り休暇が認められることも多いのだとか。いかに地域で大切にされてきたか伺えますね。

tako1

初日3日の朝9時。中田島砂丘にある凧揚げ会場を訪れると、パッパパパパッパーパッパパパパーという軽快なラッパの音や太鼓の音、そして「オイショ、オイショ」という掛け声が響き渡っています。開会前ながら、すでに凧揚げをされている方もいらっしゃって、みなさんのお祭りへの情熱が伝わってきます。(町の方に伺うと、凧揚げが大好きな方々は待ちきれず、早朝の広い空で一度凧を揚げて降ろして、開会後に再度揚げるのだとか。)

開会と同時に、激しい熱気で盛り上がる

tako2

開会宣言と花火の音と共に開幕する「浜松まつり」。大凧が一斉に空に舞い上がると、凧揚げ会場管理棟前で旗を掲げた町衆が激しい練りを繰り広げます。ものすごい熱気です。

「おんな城主 直虎」で直虎の幼少時代「おとわ」を演じた
「おんな城主 直虎」で直虎の幼少時代「おとわ」を演じた新井美羽(みう)さん

今年は、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で主人公、井伊直虎の幼少期おとわを演じた新井美羽(みう)さんも浜松市のキャラクター家康くんや直虎ちゃんとともに登場し、「オイショ、オイショ」の掛け声とともに激しい練りを応援し、開会早々から盛り上がりも最高潮に

大凧が一斉に空を舞います。合戦には4〜6帖が最適とされますが、最大では10帖(約3.64m四方)のものも
大凧が一斉に空を舞います。合戦には4〜6帖が最適とされますが、最大10帖(約3.64m四方)のものも
浜松市の鈴木康友市長
浜松市の鈴木康友市長

初子の祝い

浜松市の鈴木康友市長にお話を伺うと、「城主の長男誕生を祝う凧揚げから始まって、今でもお子さんが生まれるとお祝いに凧を揚げます。町をあげての400年以上続く伝統的なお祭りです。お祝いに凧を作ったり、お祝いしてくださった方々にお料理やお酒を振舞ったりと色々と準備もあるので、最近では両親だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんが一緒になって支度をする家族の一大イベントでもあります」と、教えてくださいました。
そういえば、朝お話を伺った道ゆく年配のご夫婦も「今年は孫の初子祝いなんだよ」と嬉しそうに語っておられました。激しい練りや凧揚げ合戦など、勇ましさ溢れるお祭りですが、もうひとつの主役は子供たち!生まれた子供を喜び、町をあげてお祝いする愛情深いお祭りという一面もあり、大人から子供までこの日を楽しみにしている理由が垣間見られました。

初子の誕生を祝う「初凧」を揚げる様子
初子の誕生を祝う「初凧」を揚げる様子

一家に初めての子供(最近では2子以降でも)が生まれると町をあげてお祝いをする「初子の祝い」。お祭り初日の5月3日には「初凧揚げ」を行います。子供の名前と家紋の入った初凧を家族と町衆が協力して揚げます。空高く凧が上がると、町衆が家族を担いで、ラッパや太鼓の演奏と練りで盛大にお祝いします。その場にいるみんなが笑顔で嬉しそうです。

tako12
tako13

それにしても、小さな子供から大人まで、みなさん楽器の演奏もとてもお上手。キーのついていないラッパも見事に音階を吹き分けるみなさん。お嬢さんたちにお話を聞くと、「口の形を変えながら音程を調整したりするんです」と教えてくれました。小さい頃から練習して使いこなしているのだそう。マウスピースから音を出すのだってなかなか難しいのに本当にお見事です。

凧揚げ会場そばにある「浜松まつり会館」では、町ごとの法被なども展示されています
凧揚げ会場そばにある「浜松まつり会館」では、町ごとの法被なども展示されています
手ぬぐいも長年大事にされてきた凧印が描かれています
手ぬぐいも長年大事にされてきた凧印が描かれています

祭りの夜を幻想的に彩る「御殿屋台」

市の中心部に戻ると、立派な屋台の姿がありました。

正面には桃太郎(左)と花咲爺(右)、欄干には十二支の彫り物。その他にも数々の神様や縁起物が彫られています
正面には桃太郎(左)と花咲爺(右)、欄干には十二支の彫り物。その他にも数々の神様や縁起物が彫られています

「御殿屋台」の名前にふさわしい豪華絢爛な屋台。ケヤキやヒノキを使った白木づくりが中心です。釘は一本も使わず、全て木を組んで固定する伝統的な技法で作られており、百年以上の耐久性があるとも。精巧な彫刻と豪華な装飾が施され、町の誇り、自慢の一台として大切にされています。彫刻は子供の健やかな成長を祈るものや縁起物が数多く取り入れられていて、前後左右、足元に及ぶまで見応えたっぷりです。

御殿屋台の撮影させてくださった葵西町のみなさん
御殿屋台を撮影させてくださった葵西組のみなさん

普段は各町で大切に保管されている御殿屋台をお祭り当日に中心部へ運んできます。「今朝も車の力を借りながら朝4時くらいに出発したよ」と、にこやかに語る葵西組の副組長の小池さん。早朝から10km近い距離を屋台を引いてやってくるのだそう。市の面積が全国第二位を誇る浜松市。遠方の町の方々にとっては、この朝の屋台引きだけでも一大仕事の様子。それでもこの笑顔!本当にみなさん熱いですね。

提灯の光と共に幻想的に登場する御殿屋台
提灯の光と共に幻想的に登場する御殿屋台

夕方6時半を迎えると、いよいよ始まる「御殿屋台引き回し」。
3日間で81か町の屋台が参加します。提灯に灯がともり、幻想的で美しい姿を現し、大勢の見物客を魅了します。町によってデザインも様々で、行列に引かれてゆっくりと進む様子に見惚れてしまいます。

子供達のお囃子
お囃子でも活躍する子供たち

屋台の上で笛や太鼓のお囃子を奏でるのは、小学生を中心とした子供たち。お祭りの何ヶ月も前からそれぞれの町内で練習を積み、本番を迎えます。レパートリーも豊富。町ごとにお揃いの衣装に薄化粧を施した姿で、美しい音色を響かせます。

初日だけでも朝から夜まで見応え十分の「浜松まつり」。
このほかにも、初子を祝う「初練り(町衆が初子の家を訪れて誕生を祝い、家ではお礼にお酒や料理でもてなします)」や、2日目、3日目は勇壮な「糸切り合戦(各町が凧糸を絡ませて空中で擦り合いながら相手の糸を切ります)」など盛りだくさんの三日間です。どこへ行っても、1年間この日を楽しみにしてきた浜松市民のみなさんの笑顔が溢れ、子供から大人まで地域をあげて盛り上げている思いが伝わってきました。お祭りに馴染みのない人でもすっかりお祭り好きになってしまう、そんなエネルギーみなぎっています。経験されていない方もぜひ一度、訪れてみてはいかがでしょうか。

浜松まつり
http://hamamatsu-daisuki.net/matsuri/

<取材協力>
浜松市役所
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/
浜松まつり会館
https://matsuri.entetsuassist-dms.com/

文・写真 : 小俣荘子