2つの地域をつなぐメディア「◯◯と鎌倉」

旅をするなら、よい旅にしたい。じゃあ、よい旅をするコツってなんだろう。その答えのひとつが、地元の人に案内してもらうこと。観光のために用意された場所ではなくて、その土地の中で愛されている場所を訪れること。

そんな旅がしてみたくて、全国各地から地元愛をもって発信されているローカルマガジンたちを探すことにしました。

今回は、ローカルマガジンの粋を超えたローカルマガジン、「◯◯と鎌倉」です。

以前鎌倉特集で紹介した「◯◯と鎌倉」。“○○”部分に入る地域名が毎回変わるイベント連動型の企画で、ローカルマガジンはプロジェクトを広く発信していくための役割を担います。

その創刊号が「五島と鎌倉」。

誌面では、距離も遠く一見共通点も無さそうな、長崎の五島列島と神奈川の鎌倉コンテンツが展開され、“地域と地域をつなぐ、インター・ローカルマガジン”と銘打たれています。

なぜ五島と鎌倉なのか?なぜ2つの地域をまたいでいるのか?「◯◯と鎌倉」プロジェクトとは何なのか?発行人の方にお話を伺いに、鎌倉を訪ねました。

「◯◯と鎌倉」の編集長原田優輝さん、コーディネーターの狩野真実さん
「◯◯と鎌倉」の編集長原田優輝さん、コーディネーターの狩野真実さん

ローカルマガジン「五島と鎌倉」

2つのエリア名の付いたちょっと変わったローカルマガジン「五島と鎌倉」。

その内容は、両エリアを接続するもの。表紙の写真は“鎌倉”の作り手たちが商品開発した、“五島”の特産品・椿を使ったお箸。

誌面では、その商品の開発背景について、鎌倉の食堂と五島のカフェのスタッフ対談、地域密着型ミュージシャン対決、鎌倉生まれのスパイスでアレンジする五島うどんレシピ、データで比較する五島と鎌倉など、2つのエリアをまたいだユニークな構成です。

鎌倉の作り手たちが商品開発した、五島の特産品・椿を使ったお箸
鎌倉の作り手たちが商品開発した、五島の特産品・椿を使ったお箸

地域との「面」での関わり

高校生の頃から長崎が好きで、年に数回は旅行をしていたという狩野さん。数年前から旅行代理店と組んで五島のツアー企画をしたり、PRの手伝いをするようになり、その縁が今回の「五島と鎌倉」につながりました。

狩野さん:「都内で五島フェアをやりたいので手伝って欲しいという話をもらいました。でもその頃はすでに鎌倉へ引っ越してしばらく経ったタイミングで、気持ちがもう東京じゃなかった。

東京で開催される各地の物産展みたいなものは個人的にお腹いっぱいだったし、一方的な発信に終わらないことがしたいと思ったんです」

鎌倉で生活をする中で、東京では感じられなかった地域との関わりの深さや鎌倉のコミュニティの濃さを感じていたおふたりは、「鎌倉だったらもっと面白いことができるんじゃないか」と考え、地域全体と五島をつなぐような企画を鎌倉で行うことを提案。

東京の「五島フェア」と同時開催でイベントを行うことが決まり、ローカルマガジン「五島と鎌倉」はそのイベントの告知も兼ねた媒体として作られることになったそうです。

もともと、原田さんには地域と地域をもっとフラットにつなぐようなことができないかという構想がありました。

原田さん:「東京からどこかの地域と関わろうとすると、どうしても一方通行的なつながりになりがちだと思うんです。

例えば、僕がしている編集の仕事にしても、メディアや編集者が各地のいろいろな場所を取材して、それが記事になった時点で、その地域との関係性が終わってしまうことが多い。

そうした一時的な「点」のつながりではなく、もっと継続的な「面」としての関係性をつくることができないか。

東京にいた頃は、漠然とそんなことを考えていただけでしたが、こちらに来て鎌倉のコミュニティの横のつながりや、さまざまな文化を日常にフラットに取り入れていく気風が見えてきて、鎌倉だったら五島と面と面でつながれるのではないかと思ったんです」

ローカルの消費

原田さんの構想の根底には、編集者としての「ローカル」の取り上げ方や関わり方への問題意識があったそうです。

震災後、自分が住み、働いていた東京以外にあまり目を向けてなかったということを感じ、違う地域に目を向けるようになった原田さん。

ご自身で運営されているインタビューサイト「カンバセーションズ」で地方へ行き、現地の人たち同士が対話をする公開取材イベントなどを通して、地域との関わり方を模索するようになったのだそうです。

原田さん:「震災後は特に『ローカル』をテーマにしたメディアやイベントが増えたと思うのですが、そのほとんどが東京からの一方的な目線で作られていることに違和感がありました。

メディアが紹介する各地の素敵な人や場所、ものなどが、情報として消費されているような感じというか。ローカルに目を向けること自体はまったく否定しないんですが、そこから生まれてくるものや、発信のされ方にはちょっと疑問がありました。

「五島と鎌倉」プロジェクト

個人としての関わりでなく、「鎌倉」という地域ごと、他の地域とつながれないか。おふたりが「想像以上にそうなった」と話されるほど、このプロジェクトは五島と鎌倉を多面的につなぐ取り組みとなりました。

<PRメディア:五島と鎌倉>
“地域間交流”というテーマを掲げた新しい切り口のローカルマガジン。先にご紹介した通り、2つの地域を接続したコンテンツで構成されています。

全国から「読みたい」「自分の店で配布したい」というリクエストも多く、鎌倉・五島以外の地域も含め、全国約100箇所で配布されました。

<イベント「鎌倉で五島を楽しむ2日間」>
鎌倉各所で、五島とのコラボレーションイベントが実施された2日間。普段五島以外で手に入れることが難しい椿関連の商品の販売や、島の写真の展示、椿油をつかったワークショップ、交流型トークイベントが行われました。

また、鎌倉の飲食店各所では五島の食材を使った定食、五島椿酵母のパン、五島うどんなどを提供。鎌倉のあちこちで五島を感じることのできる2日間となりました。

五島関連商品のポップアップショップ
五島関連商品のポップアップショップ
五島の食材を使った定食を鎌倉の食堂で提供
五島の食材を使った定食を鎌倉の食堂で提供
五島椿から採れる酵母を使ったパンを販売
五島椿から採れる酵母を使ったパンを販売
トークイベントでは、五島の食材を使ったケータリングを楽しんだ
トークイベントでは、五島の食材を使ったケータリングを楽しんだ

<五島の名産・椿を使ったものづくり>
五島の椿を使った新商品開発。鎌倉在住のものづくりユニット、寄木作家、染織家らのつくり手たちによって、椿を素材に使った印鑑やお箸、椿の灰を染色に用いたお箸ケースなどが作られました。

エコ志向が強く、マイ箸を持ち歩く人も少なくない鎌倉ならではのライフスタイルが取り入れられているところが面白いです。

椿を使ったお箸とケース
椿を使ったお箸とケース

「五島と鎌倉」プロジェクトでは、ローカルマガジンのコンテンツがきっかけでイベントに派生したものもあれば、その逆もあり、「イベントとメディアが連動しながらプロジェクトが発展していった」のだそうです。

鎌倉から五島へ

ローカルマガジンの制作や鎌倉でのイベント実施で、鎌倉の人たちが五島に触れる中で、当初は企画していなかった新たな取組みも生まれました。次は、鎌倉が五島へ。

ローカルマガジンのコンテンツとして収録されていた「鎌倉のスパイスで作る、五島うどんレシピ」。これがきっかけとなり、鎌倉のスパイス店が五島でイベントをすることに。

五島の漁師さん、製麺所さん、八百屋さんと一緒に、料理教室や飲食店での限定メニュー提供を行い、五島でも多くの人が集まったそうです。

また、この五島でのイベントを知った鎌倉の人たちから「鎌倉でもやってほしい」という声が上がり、今度は五島から食材を仕入れてスパイス料理のイベントを開催。

相互の交流が続く中、五島の食材に合うオリジナルのスパイスミックスまでできました。これらはすべておふたりが企画をしたものではなく、「五島と鎌倉」に関わってくれた鎌倉の人たちが自主的に始められたというから面白いです。

オリジナルスパイス
五島の漁師さんが釣ってきてくれたヒラマサで作った、フィッシュカレーがきっかけとなり誕生したスパイスミックス
鎌倉の老舗スパイス店が五島でスパイスイベントを開催。100名以上が参加した
鎌倉の老舗スパイス店が五島でスパイスイベントを開催。100名以上が参加したそう

今は、五島のトマトを使った新しい加工品の開発が鎌倉で進んでいるのだとか。

狩野さん:「五島で穫れる美味しいトマトがあるんですけど、形が悪かったりしてうまく売り切れず廃棄されてしまうものがたくさんあるという課題がありました。

そこで、本来であれば廃棄されてしまうトマトを使った加工品を鎌倉のスパイス店と一緒に企画中です」

こちらにあって向こうにないもの

原田さん:「活動を続けているうちに、地域間交流というものが、地域の課題を解決する方法にもなるかもしれないと感じるようになりました。

地域と地域がつながることで、こちらにはあって向こうにないもの、またその逆も見えてきます。そういうものをうまく交換していくことにも、このプロジェクトの役割があるんじゃないかと思っています」

狩野さん:「最初は島をどうPRするか、島のものをどう外に出すかということをベースに考えていたんですけど、交流をすることによって、島の側にもそれまでなかったものが入っていくということが分かりました。

一方的に島のものを外に出すだけではなく、島にも新しい視点が入っていくといいなと思います」

鎌倉の作り手たちによる商品開発のデザインミーティング
鎌倉の作り手たちによる商品開発のデザインミーティング

原田さん:「交流する地域に対して、鎌倉からも何かを渡したいという思いは当初からありました。

自分が住んでいる街では当たり前にある考え方や文化、ライフスタイルが、相手の地域にとっては新鮮に感じられることもあるだろうし、何かそこから新しいものが生まれる可能性もあるんじゃないかなと思っています」

企業や地域の課題を解決する時に、一時的に外の人が入ってノウハウを教えるというやり方も往々にしてありますが、こういった地域と地域が深く関わり合いながら出てくる解決策は、その地域にとって本当に必要な地に足の付いたものになるのだろうなと思います。

「鎌倉で五島を楽しむ2日間」で行われた五島との中継トークイベント
「鎌倉で五島を楽しむ2日間」で行われた五島との中継トークイベント

この地域を巻き込んだ大きな取り組み、企画から実施まではなんと約3ヶ月 (!) 短スパンで実施できたのは、鎌倉ならではの人のつながりにもよるのではないかと話されます。

狩野さん:「実は、私たちもまだ鎌倉の人たちをあまり知らない中でスタートした『五島と鎌倉』でしたが、つながった人たちがどんどん周りを紹介してくれて輪が広がっていきました。

『はじめまして』から相談をした人たちの多くが、なぜ五島なのかという疑問も持つことなく、フラットに『面白そう!』と興味を持って自発的に関わってくれたからこそ実現できたんだと思います。

何かをお願いする・されるという関係ではなく、それぞれが『◯◯と鎌倉』のメンバーのひとりとして参加してくれているような感覚です」

次の「◯◯と鎌倉」

「地域間交流」という新しい取り組みには、他の地域からの問い合わせも多く、すでに次のプロジェクトが進行しているそうです。

次は、鹿児島の阿久根市と「阿久根と鎌倉」。鎌倉で、移動式の鮮魚店をやるのだそう。

原田さん:「阿久根市から鎌倉でこんなことをやりたいと言われたのが魚屋さんのアイデア。阿久根は魚が豊富に穫れるんですが、魚に関わる地元の人が減っていて、鮮魚店もひとつしかないし、後継者もいないのだそうです。

そんな切実な課題があって、将来魚に関わる仕事をしたいという人を増やさなくてはいけないんです。普通であれば阿久根で何かをやるということになると思うんですけど、今回の取り組みでは、鎌倉に鮮魚店を開き、阿久根市の地域おこし協力隊として雇われた人がこちらに住み、そのお店で働くという試みなんです。

鎌倉という街の文化やライフスタイル、そして地域間交流に魅力を感じてくれた阿久根の人たちが提案してくれたこのアイデアは、自分たちだけでは絶対に出なかったもの。すごく面白いと思うしやる意味もあるなと思います」

狩野さん:「鎌倉は、地場産の野菜や魚が買えるお店や市場があって、農家さんや漁師さんとの距離感が近く感じられる。

そういう環境があるから、鎌倉の人たちは食材に対する意識や関心が高いし、移動販売というスタイルも鎌倉では馴染みがあるものなんです。

また、鎌倉に住む高齢者の方たちの間では、宅配の魚屋さんがなくなって困っているという声もあるそうですし、阿久根だけじゃなく鎌倉の課題も解決できるかもしれない。

阿久根に限らず、全国的に魚の消費量も減っている中、日本の漁業全体を取り巻く課題に対してひとつの方法を提示できればいいなというのが、このプロジェクトに関わるみんなの共通の想いです」

五島フェアの相談から始まった「◯◯と鎌倉」は、地域の問題を解決する大きなプロジェクトとなっていました。

原田さん:「今は『◯◯と鎌倉』だけど、本当は『○○と〇〇』でもいいんです。鎌倉に限らず、地域と地域がつながること自体に、可能性があると思っています。

例えば、『五島と鎌倉』、『阿久根と鎌倉』をやったことがきっかけで、『五島と阿久根』がつながっても面白いですよね。地域間交流というものが自然な形で日本各地で起こり、色んな地域同士がつながっていくといいなと思います」

おふたりを最初の媒体にして、地域のつながりへ広がったプロジェクトはこれからも更に広がり、各地域へ良い変化をもたらしていくのだろうと思います。これからの活動も楽しみでなりません。

文:西木戸 弓佳
写真提供:「◯◯と鎌倉」プロジェクト

*2017年5月31日の記事を再編集して掲載しました。

長崎特産「べっ甲細工」の工房で、水と熱の芸術を見る

長崎を代表する工芸品のひとつ、べっ甲細工。

べっ甲細工は、もともとは中国の技術でした。万里の長城で名高い秦の始皇帝がかぶる王冠の一部が、べっ甲で装飾されていたといわれています。

日本におけるべっ甲製作の歴史は、幕府の鎖国政策によって、オランダと中国による長崎一港での貿易となった江戸時代に始まります。貿易で原料を入手できた長崎でべっ甲細工は発達し、花街丸山の装髪具にも用いられるように。その後、京都・江戸へと流行していきました。

耳にしたことはあるけれど、そもそも「べっ甲」とはどんなもので、どのように作られていくのでしょう。300年以上に渡って長崎でべっ甲細工を作り続ける老舗、「江崎べっ甲店」を訪れました。

1709年 (宝永6年) 創業の江崎べっ甲店。和洋折衷の建物は、国の登録有形文化財に指定されています
1709年 (宝永6年) 創業の江崎べっ甲店。和洋折衷の建物は、国の登録有形文化財に指定されています

迎えてくださったのは、現当主の江崎淑夫 (えざき よしお) さん。店内に展示された資料を見ながら、べっ甲細工について教えていただきました。

江崎べっ甲店9代目当主、江崎淑夫さん
江崎べっ甲店9代目当主、江崎淑夫さん

「べっ甲」ってどんなもの?

「べっ甲は、玳瑁 (たいまい) という海亀の甲羅を使って作られています。その美しさから『海の宝石』とも呼ばれます。

背甲は黄色に茶や黒の斑点模様が特徴ですが、黄色部分の多いものほど上物とされています。腹甲と、ツメ (体の縁の部分) の腹側からとれる黄色 (アメ色) 1色の製品は、量が少ないため珍重されています」

甲羅の背中側「背甲」
甲羅の背中側「背甲」。斑点模様が特徴
甲羅の腹側「腹甲」
甲羅の腹側「腹甲」。厚み数ミリメートルの薄さで、希少価値があります

「さて、背甲は斑点模様、腹甲は黄色1色とお伝えしましたが、こちらの製品を見てみてください。

手前の3つめと4つめは、どの部分で作られているかお分かりになりますか?」

4種類のブローチ。1番上は斑点模様の背甲、2番目は黄色1色の腹甲。3番目と4番目は‥‥混ざっている?! 
4種類のブローチ。1番上は斑点模様の背甲、2番目は黄色1色の腹甲。3番目と4番目は‥‥混ざっている?!

「実はこれ、異なる甲羅を合わせているのです。べっ甲細工は『水と熱の芸術』とも呼ばれますが、接着剤を一切使わずに水と熱と圧縮によって甲羅を接着していきます」

こちらのマスクも、異なる色の箇所はそれぞれ別の部分から切り出したもので作られています
こちらのマスクも、異なる色の箇所はそれぞれ別の部分から切り出したもので作られています

削って、重ねて、熱して、接着して‥‥細工が始まるまでの道のり

異なる甲羅を合わせて接着する、どういうことなのでしょう。

「実際に作っている様子をご覧になるとよくわかりますよ」という江崎さんに案内されて工房の中へ。

工房の様子
工房の様子。静かな空間に、ガリガリ、シャリシャリとべっ甲を削る音が響いていました

「べっ甲細工は、図案を元に生地選びをすることから始まります。製品に見合う色や斑点模様の甲羅を選び型を当てて切り出していきます。

数枚重ねて厚みを出すときには、表面をなめらかにして重ね合わせ、熱を加えて接着します」

生地の表面を削り、なめらかにする「きさぎ」と呼ばれる工程
生地の表面を削り、なめらかにする「きさぎ」と呼ばれる工程
薄い甲羅を何枚も重ね合わせて接着し、厚みを出します
薄い甲羅を何枚も重ね合わせて接着し、厚みを出します

「ブローチなど板状の物を作る際は万力を使います。熱した鉄板の間に重ねた甲羅を挟んでプレス。焦げないように柳の木の板を挟んで行います。

万力で圧をかけた時、重ねた甲羅がズレてしまわないように、熱した火ばしを使って先に『仮付け』をしておきます」

仮付けに使う「火ばし」
「仮付け」に使う、火ばし
熱した火ばしで挟んで接着する
熱した火ばしで挟んで接着する
熱が加わった部分は色濃く、透明になります。ミルキーな黄色から、オレンジ味のある透明で濃い色へ。べっ甲らしくなってきますね
熱が加わった部分は透明になります。不透明な原料が少しずつべっ甲らしくなってきますね

「打出の小槌や宝船など、立体的で曲線のある置き物を作る場合は、押し鏝 (おしごて) を使います。

打ち出の小槌の太鼓部分のように、木の上にべっ甲を貼るときは、甲羅と木の間に卵白を使用して接着し、その上から甲羅を貼り合わせていきます」

炭火で押し鏝を熱して使います
炭火で押し鏝を熱して使います
宝船
べっ甲細工の宝船

「かんざしなど、板状だけれども少し反っている製品がありますよね。こういった形状にする場合には、お湯を使うんですよ」

べっ甲を熱湯で煮て柔らかくし、カーブのついた木型に入れてプレスすると、かんざしのカーブができ上がる
べっ甲を熱湯で煮て柔らかくし、カーブのついた木型に入れてプレスすると、かんざしの曲線ができ上がる

「べっ甲細工において、この熱処理が肝心になります。それぞれ大事な行程ですが、職人が一番習得しないといけないのは『熱加減』。

炭火で熱くなった鏝も、使っていると徐々に温度が下がります。熱いうちは短く、冷めてきたら長く当てるなど、体験に基づいた勘で的確な判断をしながら加工していきます」

精巧さと立体感を生み出す彫刻、独特の艶を出す仕上げ

こうして地型ができたところで、彫刻、そして最後の仕上げである磨きをおこないます。

「ブローチなどのレリーフは立体感が大切です。全てフリーハンドで少しずつ彫って、凹凸を作りあげていきます」

べっ甲の彫刻
削りすぎると後戻りできません。小さく精巧なデザインも多いので、少しずつ、少しずつ削っていきます
立体感の出た彫刻

彫刻を終えると、目の細かいサンドペーパーで表面を整え、最後の仕上げに移ります。バフ (木綿の布を百枚ほど重ねて回転させる機械) による摩擦で磨き上げていきます。

木綿の布を数十枚重ねて回転させるバフ。最終仕上げの磨きを行う
最終仕上げの磨き
磨くと、独特の艶が出る (右側)
磨くと、独特の美しい艶が出ます (右側がバフをかけた部分)

「王」が付く漢字の意味

「現在は『べっ甲細工』という呼び名が一般的ですが、本来は原料の名前を取って『玳瑁細工』と呼ばれていました。

『王偏の漢字』と聞いて、どんなものを思い浮かべますか?

珊瑚、琥珀、瑠璃 (=ラピスラズリ)など、王の付く漢字は古来より中国では宝物として珍重されてきたものを示しています。

玳瑁も貴重な贅沢品です。日本最古のものは、約1400年前に遣隋使の小野妹子らが持ち帰った帝への貢物でした。『玳瑁杖 (たいまいのつえ) 』『玳瑁如意 (たいまいにょい) 』『螺鈿紫檀五弦琵琶 (らでんしたんのごげんびわ) 』など。東大寺正倉院の宝物庫で今も大切に保管されています」

べっ甲の歴史を辿る資料の展示
店内に展示されたべっ甲の歴史を辿る資料

「『玳瑁細工』が『べっ甲』と呼ばれるようになった時期は、定かではないものの、江戸時代に贅沢を禁じた『奢侈 (しゃし) 禁止令』が出された頃と考えるのが一般的です。

玳瑁製の櫛 (くし) やかんざし類を、価値の低いべっ甲製 (スッポンなどで作った製品) と言い逃れたためと言われています。役人の目をかいくぐって着飾りたいという人々のおしゃれ心と知恵から生まれた言葉でした」

「べっ甲」という呼び名が一般的になった現在も、献上品等の場合には「玳瑁製」という正式な表現が用いられているのだそう。

昭和天皇御成婚時の献上品目録。「玳瑁装身具」とあります
昭和天皇御成婚時の献上品目録。「玳瑁装身具」とあります

日本のべっ甲を世界に認めさせた長崎の職人

1000年以上の長い歴史を持つべっ甲細工。日本に入ってきてからはまだ300年余りですが、世界にその魅力を知らしめた人が長崎にいました。

江崎べっ甲店6代目当主で、べっ甲業界で唯一の無形文化財に指定された江崎栄造 (えざき えいぞう) 氏。江崎淑夫さんのおじいさまです。

栄造氏は、1937年にパリで開催された万国博覧会に「鯉の置き物」を出品し、グランプリを受賞。その後も数々の賞を獲得するなど、長崎のべっ甲技術を世界に広めました。

パリ万博でグランプリを受賞した「鯉の置き物」
パリ万博でグランプリを受賞した「鯉の置き物」

栄造氏の作品も数多く展示されている江崎べっ甲店の店内。べっ甲細工の歴史や製作工程を辿りながら作品を間近に見られる、今昔のべっ甲の魅力を存分に楽しめる場所でした。

<取材協力>
江崎べっ甲店
長崎県長崎市魚の町7-13
095-821-0328

文・写真 : 小俣荘子

1人のガラス職人の情熱が、古文書から「長崎チロリ」を復元させた

海外との玄関口として古くから発展してきた長崎。多くの海外文化が持ち込まれました。

そのひとつがガラス製品。室町時代末期の1542年に、ポルトガルから伝わったとされています。

ガラス職人の軌跡。江戸時代の人々を魅了した「長崎びいどろ」

長崎奉行の記録によると、江戸時代前期の1670年には、ガラス製法のひとつ「びいどろ吹き」が長崎に存在していたと記されています。それは、溶かしたガラスを棹 (さお) に取り、息を吹いて成型する製法です。

1000度以上の高温の窯で溶かしたガラス
1000度以上の高温の窯で溶かしたガラス

当時、日本でつくられたガラス (和ガラス) は、「びいどろ」と呼ばれていました。ポルトガル語でガラスを意味する“Vidro”が語源です。長崎のガラス職人は、中国の技法も取り混ぜながら日本人の美意識にかなう、ガラス製品を生み出していきます。

そんな「長崎びいどろ」の代表的な製品に、「長崎チロリ」がありました。

美しい瑠璃色と、独特の形状の「長崎チロリ」。エアコンも冷蔵庫もない江戸時代に、色と形で冷涼感を演出した冷酒用の酒器です
美しい瑠璃色と、独特の形をした「長崎チロリ」。エアコンも冷蔵庫もない江戸時代に、色と形で冷涼感を演出した冷酒用の酒器です

「長崎チロリ」を復元したガラス職人の元へ

江戸時代以降、長い間途絶えていた「長崎チロリ」を現代に復元したガラス職人、竹田克人 (たけだ かつと) さんを訪ね、当時のお話を伺いました。

国宝「大浦天主堂」のそばに構えられた工房『瑠璃庵』代表の竹田克人さん
ガラス工房『瑠璃庵』代表の竹田克人さん

ガラス工房「瑠璃庵 (るりあん) 」は、現存する日本最古のキリスト教建築物、国宝「大浦天主堂」の近くに構えられています。

現在は、息子でガラス職人の礼人 (あやと) さんに長崎チロリの制作を引き継ぎ、自身はステンドグラスの研究を行っている克人さん。大浦天主堂をはじめ、全国各地の教会のステンドグラスの修復や制作に携わっています。

吹きガラスには、宙吹き(ちゅうぶき)と型吹きの2種類があり、工房では主に、宙吹きの製法を忠実に守った制作がされています。

宙吹きは型を一切使用せず、空中で息を吹き込んで自由な形に成形する技法です。熱で軟らかくなったガラスは重力によって変形してしまうので、常に吹き棹を回転させる必要があります。難しい技法ですが、自由度が高いため芸術性の高い作品に仕上げることができるのだそう。

熱してドロドロになったガラス。濡れた新聞紙を使って形を整えていきます
熱してドロドロになったガラス。濡れた新聞紙を使いながら棹を回転させ、形を整えていきます
「長崎チロリ」。ガラスをつなぎ、注ぎ口を作ります
「長崎チロリ」。ガラスをつなぎ、注ぎ口を作ります
滑りをよくしてガラス加工をスムーズに行うために、ミツロウが使われます。そのため、養蜂まで行なっているガラス職人もいるのだとか
滑りをよくしてガラス加工をスムーズに行うために、ミツロウが使われます。そのため、養蜂まで行なっているガラス職人もいるのだとか

長崎ガラスに再び火を灯す。ガラス職人の情熱物語

克人さんは、東京の学校でガラス製作を学び、卒業後は生まれ故郷の長崎で工房を立ち上げます。その決意の裏にはこんな経験がありました。

「もう30年以上前ですが、ガラス伝来の地である長崎の現状はどんなものだろう?と、地元で販売されている製品を見て歩き、その職人を訪ねてみようと思いました。

しかし当時、長崎で販売されていたガラス製品やお土産などの多くは海外製のもので、国産であっても100%長崎で作られているものはほぼ存在しない、という事実を知ったんです。

ガラス職人のひとりとして、かつて人々を魅了していた、長崎のガラス工芸に再び火を灯そうと考えました。

そこで、当時の長崎ガラスや職人について調べたんですが、の技術文献は皆無。骨董品店などを回り、古文書の中からその情報を探すことから始めたんです。そうして集めた資料の中で見つけ出し、復元したのが美しい『長崎チロリ』でした」

長崎チロリ
持ち手は、使い勝手も考えて蔓を編んで作られています。また、形だけでなく、独自の原料の調合で鮮やかな瑠璃色を作り出しました

こうして復元された長崎チロリは、大きな反響を呼びました。

「全て人の手で作っているので加工も大変なのですが、お客さんから『やっと欲しいものが見つかった!』と喜んでもらえる時はとても嬉しいですね。

盃が1つ欠けた時などに、『同じものが欲しい』と連絡をくださるお客さんもいます。気に入って大事に使ってもらえていることが何よりのことです」と、克人さん。

技術や情報をシェアしあう、ガラス職人の世界

「長崎のガラス工芸が廃れてしまった背景には、よその地域の人々にも惜しみなく技術を公開する長崎の職人精神があったように思います。

海外からの文化が入ってくるこの地には、幕府や藩の指示を受けて日本中から学びにやってくる職人たちで溢れていました。今でも『長崎の人はお人好しで道を聞かれたらその場所まで案内してくれるほど』なんて言われますが、当時の職人たちも知識や技術を囲い込むことなく親切丁寧に教えてあげるという文化があったようです。

技術流出につながったことは残念な面もあるかもしれません。しかし、そのことで日本中のガラス工芸の技術が高まったことも事実でしょう。

そして今日においても、ガラス職人の世界では技術をシェアしあう関係性が続いています。各地で定期的に勉強会が開かれますし、もちろん、私も尋ねられたら惜しみなく伝えています」

「当たり前ですが、教わった技術でまるっきり同じものを作るのではなく、その技術を生かした独自のものを、各々のガラス職人や作家が作り出します。もし、そのままをコピーしてしまうような人がいたら、せっかくの信頼関係を失いますよね (笑)

各地に仲間がいて、お互い切磋琢磨できる環境が私は気に入っています。仲間が工房を立ち上げたり、窯を作るときなどは、手伝いに行ったりもするんですよ」

職人以外にも知って欲しい。長崎が世界に誇れるガラス技術

職人仲間と切磋琢磨し、助け合う竹田さんと精神を同じくする瑠璃庵には、日々様々な依頼が舞い込みます。

400年続く長崎のお祭り「長崎くんち」の山車の装飾に使われるガラスの修復や制作、「大浦天主堂」をはじめとした教会のステンドグラスの修復、JR九州の「或る列車」でつかうオリジナルの器、高級日本酒の酒瓶、さらにはトロフィーなど新しい分野のものまで。

長崎のお祭り、「長崎くんち」の山車の装飾にもガラスが用いられている。こちらは竜の目
長崎のお祭り、「長崎くんち」の山車の装飾にもガラスが用いられています。こちらは竜の目の部分のガラス 
美しい瑠璃色のトロフィー
瑠璃色のトロフィー。大理石の台の上に立てるガラス部分を瑠璃庵で制作

また、長崎のガラス工芸を伝える相手は、職人などのプロだけに留まりません。

瑠璃庵では、吹きガラス、万華鏡、ステンドグラスなど、手づくりのガラス体験学習も行なっています。長崎の地でガラスの魅力を伝えたい、という思いから生まれた企画です。工房を立ち上げてから、30年以上変わらず続けていて、多くの学生や観光客が訪れています。

一度は廃れてしまった長崎ガラスの職人技術。こうして現代に復活し、次の世代へと紡がれています。




<取材協力>

瑠璃庵

長崎県長崎市松が枝町5-11

095-827-0737

文・写真 : 小俣荘子

写真:山頭範之

かわいいは繊維(いや、正義!) 手紙社による「布博」の雑貨と生地たち

全国各地で行われるいろいろなイベントに実際に足を運び、その魅力をお伝えする「イベントレポート」。

今回は、2018年2月17日 (土)・18日 (日) に開催された「布博 in東京 vol.10」に行ってきました。

布博

可愛いがあふれる「布博」

「布博」は、今回で誕生からちょうど5年。主催するのは「東京蚤の市」など人気のイベントを手掛ける手紙社さんです。

「美しいデザインに触れることや装うこと、自らの手で暮らしを彩ることの楽しさを伝えたい」

そんな想いが込められたイベント会場は、個性的な洋服やテキスタイルなどを扱う73組の出展者の他に、「ブローチ博」、「耳飾りパーティー」、「靴下パーラー」といったブースも設置され一目惚れしてしまうもので溢れていました。

布博2018 アクセササリー

作り手と出会い語り合う

作り手と気軽に話せるのも、このイベントの嬉しいところ。この生地はどうやって作られているんだろう。このボタンはどんな風に使おうかな。そんなことをやりとりしながら会場を歩いていると、頭のなかが可愛いでいっぱいになって幸せな気持ちに。

遊び心がくすぐられる「POTTENBURN TOHKII」

メッシュを使った立体感のあるお洋服に、今回の布博のステージ装飾を担当した「POTTENBURN TOHKII」さんで出会いました。

メッシュを洋服にしたのは、鳥よけネットをホームセンターで見かけ、グッと心惹かれたのがきっかけだそう。レースや漁網などに用いられるラッセル編みのウールメッシュで、年代物のラッセル機を使う京都の工場で作られています。

「粉雪が解ける前に、シロップをかけたら食べられる」や、「小さい頃、道路の白線の上だけを歩いて喜んでた。またもう一度歩いてみない?」など、人をクスっとさせたり、興奮させたりするものが毎回の作品のテーマ。「生地の上で落語をしているみたいな感覚」と話してくださいました。

究極の肌触り「tamaki niime」

「tamaki niime」さんの播州織を生かしたふわっと柔らかなショール。

兵庫県西脇が産地の播州織は、糸を染めた後に織る先染め織物で、メーカーでオーダーされたものを規格通り織るのが当たり前だったそうです。

そのルールの中でデザイナーの玉木さんは、播州織の特徴を活かしつつ、歴史や伝統にとらわれることなく、新しいモノづくりを常に模索しながら、究極の肌触りを目指しています。

コットンの栽培、糸の染め、織り。そのすべてを行う工房には、迫力のある1965年製の力織機が。織っている姿は蒸気機関車が動く様子に似て、シンボリックな存在だそうです。

巻いた時の驚くような軽やかさと独特の優しい風合いは、織機のスピードをギリギリまで低速にしてゆっくりと織っていくから。工房にある6台の織機の経糸は1台ごとに違う種類で、横糸は数本ごとに変えて作っています。

様々な糸の組み合わせが、運命を感じる一本がある所以です。

心地よく伸びてくれる靴下「salvia」

生地がやわらかくどこまでも伸びる「ふんわりくつした」は、東京・蔵前にアトリエを構えている「salvia」さんで作られています。

「古きよきをあたらしく」をコンセプトに、各地の伝統工芸や地場産業を活かして作られた靴下、手ぬぐい、ブローチは、自然モチーフのデザインでどれも柔らかい印象を感じます。

履き心地も可愛さも満点の「ふんわりくつした」。“体調を崩して入院していた家族のために、足がむくまない靴下を作りたい”という新潟の「くつ下工房」の想いがもとになったものだそうです。

使う糸は、普通の靴下に使う糸より2倍ほど長く、糸に負担をかけないようにゆっくりと編んでいきます。非常に長く仕上がった靴下をプレスで縮めて出来上がり。ゴムは入っていないけれどトルコアイスのようにぐーんと伸びて、靴下のなかで指を自由に動かせるので、窮屈さを一切感じません。

心にぎゅっとくる陶ボタン「フルコチエ」

次に出会ったのは、「フルコチエ」さんの一点一点違う表情を見せる陶ボタン。

“手にとって触れたくなるような心にぎゅっとくる素敵なもの”を作りたいとおっしゃるフルコさんのボタンは、小さなからだに魅力がつめ込まれ、目にすると可愛くて仕方なくなってしまいます。

一点ずつ土を練って、形をつくり、絵付をして、窯で焼き、金を焼き付けることで完成。金のポイントがアクセサリーのように、きらっと光るので、洋服のボタンを付け替えたら可愛いに違いない!ブローチか髪留めにするのもいいかも!と、使い方を考えて楽しい気持ちがむくむくとわいてきます。

虫食いが可愛くなる「DARNING BY HIKARU NOGUCHI」

最後に目に飛び込んできたのは、「DARNING BY HIKARU NOGUCHI」さんの美しいマフラー。

ニットデザイナーの野口さんは海外でも活躍されている方で、イギリスやスコットランドの最高級の天然繊維で編まれたマフラーは冬の気分を数段上げてくれそうです。手袋、帽子、さらには補修も手掛けています。

補修といっても、修繕したことが分からないように仕上げるものではありません。野口さんが行うのは、衣類の虫食い穴やほつれを繕うダーニング。あえて洋服とコントラストになるような糸を使ってステッチを強調していき、新しい可愛さを足していくものです。野口さんがニットのダメージを悲しんでいたときに、イギリスの友人が伝授してくれたそう。

当日はワークショップが開催されており、参加していた皆さんは穴のあいたデニムやニットを持ち寄り、鮮やかに蘇らせていました。

八王子の木工工房で作られたダーニングマッシュルームと呼ばれる台に布をかけ、柄の部分にゴムを巻き布を固定したら、その上でチクチクと針を進めていきます。

糸が終わったら色を変えてみたり、ゆがんでもそれが可愛さになったり。ゆるっと気ままなダーニング。刺繍がそれほど得意じゃないと言っていた方も楽しんでいるようでした。

 

一目惚れしたものについて、少しドキドキしながら作り手に聞く。そうすると、あぁ可愛いと思ったものと関係が深まったようで、より愛も深まっていきました。

 

<取材協力>
布博 in 東京 vol.10
会期:2018年2月17日(土) 〜 18(日)
会場:東京流通センター
イベントHP

主催:手紙社

<開催予定>
「布博 in 京都 vol.5」開催
会期:2018年3月10日(土)〜11日(月)
会場:京都市勧業館「みやこめっせ」(京都市左京区岡崎成勝寺町9−1)
イベントHP


文:田中佑実
写真:西木戸弓佳

まるで宝探し。好きなかごに出会える鹿児島の「創作竹芸とみなが」

自然の素材で編んだ「かご」。

素材をていねいに準備し、ひと目ひと目編まれたかごはとても魅力的です。かごは大切に手入れして使えば愛着もわき、またそれに応えるかのようにいい味を出してくれます。

「日本全国、かご編みめぐり」は、日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化をご紹介していきます。

鹿児島に竹かごを訪ねます

JR鹿児島中央駅から北へ15分ほど歩いたところ。目の前に突如、吊り下がったかごが現れます。

道路沿いに吊り下げられた、かご

立ち止まって建物を見上げると、お店の名前らしき文字。

生い茂る草木で見えづらくなっていますが、お店のようです
生い茂る草木で見えづらくなっていますが、お店のようです

中を覗いてみると…

お店の様子

見渡す限りのかご・かご・かご!

かごだらけの店内
小物も所狭しと並んでいます
小物も所狭しと並んでいます

ここ「創作竹芸とみなが」は、鹿児島の竹細工を専門で扱うお店。

ご主人の富永容史 (とみなが・たかし) さんは、40年ほど前に「鹿児島の竹細工をなんとかせんといかん」とこのお店を始めたといいます。

ご主人の富永さん
ご主人の富永さん

実は鹿児島県、竹林面積が日本一。竹の種類は四、五十種類にのぼるそうです。豊富な資源を元に、県内では用途に合わせた様々な竹かごが生まれてきました。

使ってみたい、鹿児島のご当地かご

「この背の高いのは三段かご。一番上におにぎり、二番目におかず、三段目が深くなっていて、湯呑み茶碗や果物なんかを入れておくんです。現地着いたら広げて使うわけね」

左から2つ目が三段かご。お隣は二段かごです
左から2つ目が三段かご。お隣は二段かごです

「これは児童かご。子供に持たせるかごね」

児童かご

かご好きにはたまらない、可愛らしくそれでいて機能的な佇まい。そして並んだ二つの児童かごの、色の違いにお気づきでしょうか。

「手前は使いだしてから40年経った児童かご。ものすごくきれいな飴色でしょう。染めたわけでもなんでもなく、持っていただけで自然にこうなっていくんです。

竹の良さはそこにあるんだよね。使うほどに飴色になって、数十年経っても丈夫で長持ち。通気性があるから食べ物を入れるのにも便利。まぁ、長持ちすぎて売れないのが困りものだけど」

そう笑う富永さんですが、お店を開いたのはこの「売れない」竹をなんとか世の中に届けたいとの思いがあったからでした。

職人のアドバイザーに

戦後、プラスチック製品の普及により、竹製品の需要は激減。

「鹿児島の竹細工も相当の職人が辞めました。海外から安い竹製品がどんどん入ってくるようになったのも追い打ちでしたね。

もちろん、何年も丈夫に使える竹製品がいいという人も少なからずいましたが、職人は作るプロで、お客さんがどんなものを欲しいか、なかなか気づけないわけです」

そこで富永さんは家業である竹の製材業を通じて、竹の納品先だった職人さん達に働きかけをしていくように。

「人気や流行を教えたり、製品の改善点を伝えたり。お客さんの声を元にアイディアを渡してね」

こうした働きかけを重ねるうちに、完成した製品を扱うお店を開くことに。今も職人さんたちは試作品ができると、「こんなん作ったけど売れんだろうか」と富永さんを訪ねてくるそうです。

宝探しのように好きなかごに出会う

店内に所狭しと並ぶ竹かごは、富永さんが鹿児島の職人さんと作ってきた、まさに試行錯誤の賜物。

「お店もあんまり小ぎれいにしない方がいいの。あちこち見て『あ、こんなかごがある!』と自分で好きなものを見つける方が楽しいからね」

様々なかごが陳列されています
様々なかごが陳列されています

「お客さんでも『おじちゃんの店宝探しをするのが楽しみ』と言ってくる人がいたりね」

例えばこちらは蓋が両サイドから開く置き型のかご
例えばこちらは蓋が両サイドから開く置き型のかご

そんな富永さんのお店には、土日ともなると県外からも竹かご好きのお客さんがやってくるそうです。人気製品は品切れしてしまうこともしばしば。

「オンラインショップを勧めてくれる人もあるけれど、品物がなかったらお客様に迷惑をかけるし、やっぱり現物を見てもらって、お客さんと会話をしながら納得して買っていただきたいからね」

中でも一番人気だというのがこちら。

とみながのサンドイッチかご

「昔は『豆腐かご』と言ってね、お豆腐を買って入れる用に使われていたんです」

その名をサンドイッチかご。もう名前と見た目だけで、射抜かれてしましました。

中はこんな感じです
中はこんな感じです

鹿児島のご当地かごの中でも、作れる人が限られる難しいものだそう。

一体どんな風にこの愛らしいかごは生まれているのか。

次回、富永さんのご案内で、サンドイッチかごが生まれる現場を訪ねます。

<取材協力>
創作竹芸とみなが
鹿児島市鷹師1-6-16
099-257-6652

文・写真:尾島可奈子