誕生から60年。変わらぬデザインで愛されてきた鳩の砂糖壺

みなさん、「農民美術」をご存知ですか?

大正期、版画家で洋画家の山本鼎(やまもと・かなえ)が、ロシアで出会った無名の農民たちの美術作品に感銘を受け、日本でも農閑期に絵画や木彫りの工芸品などを作ることで生活を豊かにしようと始めた運動です。

農民美術の代表作の一つが木彫りの人形。

鳩の砂糖壺

北は樺太から南は鹿児島まで、全国100ヶ所余りで人形作りの講習会が開かれ、運動が広まりました。

手のひらサイズの小さな人形で、各地の土産物として売られていました。

鳩の砂糖壺
戦地にも送られていたという親指サイズの登山人形

農民美術発祥の地である長野県上田市。

かつては多くの人が作品作りに携わっていましたが、現在は少なくなってきたといいます。

そんな中、誕生から60年以上経った今も人気の品があります。

鳩の砂糖壺です。

鳩の砂糖壺
鳩の砂糖壺
フタを開けると、尻尾の部分がスプーンに!

素朴な風合いが可愛らしく、昔から結婚式の引き出物などに使われてきたそうです。

長く愛されてきた魅力はどこにあるのでしょうか。

北欧のデザインを元に

長野県須坂市にある工房「すの・くらふと」を尋ねると、色とりどりの鳩たちが出迎えてくれました。

鳩の砂糖壺

「昔は赤と茶色の砂糖壺だけでしたが、今はボンボン入れ、爪楊枝入れ、香合の4種類、色も6色になりました」

そう話すのは、製作者の春原敏之(すのはら・としゆき)さん。

「バリエーションは増えましたが、基本的なデザインはほとんど変わっていません」

上田市出身の春原さんは、現在75歳。小学生の頃から叔父たちがはじめた工房に出入りし、仕事を手伝っていたそうです。

鳩の砂糖壺
爪楊枝入れ

「叔父はお皿や実用品を作っていました。砂糖壺はいつから作っているのかわかりませんが、僕が中学生の頃にはもうありましたね」

現代風というか、60年以上前から作っているものとは思いませんでした。

「山本鼎がヨーロッパから持ち帰った鳩の菓子器をヒントにしたようです。北欧のデザインがもとになっているので、モダンなのかもしれませんね」

ロクロ挽きの職人さんと二人三脚

春原さんが本格的に工房の仕事を始めたのは中学生の頃。

「学校から帰ったらすぐ工房に行ってました。やらされてたわけじゃなくて、好きだったんです。色を塗ったり、ノミを使ったり、ロクロを挽くこともありました」

その後、現代美術の世界へ。

「図案を描く勉強のために絵をはじめたんだけど、東京の展覧会に出したら入選して、農民美術をやりながら絵も描いてました」

鳩の砂糖壺

伊勢丹で家庭用品のクリエイターとして働いた経験もあるそうです。

「当時は木工ブームで、家庭用品売り場もヨーロッパのものを並べたりして、賑やかでした。全国の工芸品を見て回ったり、一緒にデザインを考えたり、楽しかったですね」

現代美術作家としての活動も続けながら、25年前に工房を引き継いだ春原さん。

現在は、上田の工房で長年働くロクロ挽きの職人・丸山さんが生地を作り、春原さんが色塗りと模様を彫るという、二人三脚で製作しています。

黙々とこなす職人仕事

色塗りの工程を見せていただきました。

こちらは上田から届いた生地。材料は白樺を使います。

鳩の砂糖壺

「白樺は白いので、色を塗るときれいに発色するんです」

赤の色は、赤と黄色の顔料を混ぜて作ります。

鳩の砂糖壺

「顔料は計りで測っています。昔から比率は同じ、解かす溶液のパーセンテージも同じ。色が昔と変わらないようにしています」

刷毛で手早く塗っていきます。

鳩の砂糖壺
鳩の砂糖壺

1度塗ったら乾かし、乾いたらサンドペーパーをかけて磨いてから上塗り。

鳩の砂糖壺

これを3回繰り返し、最後に彫刻刀で模様を彫り、色を塗って完成です。

鳩の砂糖壺

「30個塗るのに3日くらい。単純作業なので黙々と。職人仕事ですね。その心みたいなものがないとできませんね」

材料の準備に1年間かかる

製作工程で一番大変なのは材料作り。白樺の木の皮を剥くところからはじまります。

「毎年、2mの白樺を100本から200本、皮を剥きます。そうしないと虫が入ったり、割れる原因にもなるので」

2週間以上かかって皮を剥いた後は、1年間乾燥させて、ようやく材料となります。

手間はかかるものの、白樺は身近で手に入るので値段が安く、柔らかいからノミも入れやすいので、砂糖壺作りには欠かせない材料です。

鳩の砂糖壺

ところが、近年、白樺が手に入りにくくなっているといいます。

「以前は山を整備するときの間伐材をもらってたんですが、白樺林は長野県の観光地にもなっているので、行政が切らない方針になってきたんです。今年は切る予定がないので、今、材料を探しているところです」

来年の分はあっても、次の年の分がない。北海道から取り寄せることもあるそうですが、そうすると材料代が高くなってしまう。

結果的に1年間作れなかった年もあるそうです。

「最初は砂糖壺だけだったのが小物を作るようになったのは、木材の細い部分でも作れるものを考えてのことです」

鳩の砂糖壺
香合を使った朱肉入れ

実用品から始まった農民美術

春原さんは鳩シリーズの他にも作品を手がけています。

こちらは、上田市・サントミューゼで開催された展覧会『ウィリアム・モリス 英国の風景とともにめぐるデザインの軌跡』で販売された木箱。

鳩の砂糖壺

「モリスの柳のモチーフをイメージしてデザインしました」

竹久夢二が好きだという春原さん。長野の高山植物や身の回りの草花をデザインするのは楽しいそうです。

鳩の砂糖壺
鳩の砂糖壺
よく見ると「LOVE」の文字に

どれも可愛らしく、手元に置きたくなるものばかりです。

「もともと、農民美術は実用品からはじまったものです。身近なものに和みを与えるというのが魅力だと思います」

時代の流れとともに、農民美術品が作家性の高いものになっていく中、あえて実用品にこだわっているという春原さん。

「飾り物ではなく、日常で使うものに喜びや趣味的な要素を加えたいですね」

鳩の砂糖壺

生活が豊かな気分になります。

「うちは代々、実用品を作ってきているんで、職人に徹して、大儲けすることは考えず、作ることを楽んでいます」

使ってこそ価値のある逸品

農民美術は、大正8年(1919)に初の講習会を開いてから、来年2019年で100周年を迎えます。

「この先は難しいですね。これだけでは生活できません」

現在、長野県で農民美術に携わっているのは12人ほど。後継者も少ないそうです。

春原さんの工房もかつてはたくさんいた職人さんも一人となり、後継者はいないと言います。

「この先何年続けられるかわからないけど、その間に後継者が見つかれば伝統にこだわらず、ノウハウは全て教えたいですね」

鳩の砂糖壺
お話を伺った春原敏之さん

貧しい農民の生活を豊かにしたいという想いからはじまった農民美術。

そのスピリットを受け継いだ鳩の砂糖壺は、飾るのではなく、使ってこそ価値のある逸品。

上田市にある栄屋工芸店やサントミューゼのミュージアムショップ、小諸市のギャラリーまきのでは鳩の砂糖壺をはじめ、春原さんの作品がたくさん並んでいます。

手元に置いて、毎日の生活に彩りを添えてみてはいかがでしょうか。

文・写真:坂田未希子

春慶塗の黄色い重箱が日常を晴れやかにする

三が日も明けて、少しずつ街にも日常の空気が戻ってきました。今日は、お正月のおせち料理を華やかに飾っていた、漆塗りのお重のお話です。

一般的には朱や黒のイメージがある漆塗りですが、実は「黄色」があるのをご存知でしょうか?

道具が並んでいる様子
塗師の作業中の後ろ姿

木目の美しさが命。飛騨春慶塗

「春慶塗は、とても素朴な漆塗りです。蒔絵や螺鈿などの装飾をせず、黄色や赤に着色した木地に透明な透漆 (すきうるし) を塗って、木目の美しさを見せるんです」

工房にあった春慶塗の重箱
工房にあった春慶塗の重箱

訪ねたのは岐阜県飛騨高山市、飛騨春慶塗 (ひだしゅんけいぬり) の塗師、川原俊彦さんの工房です。

塗りの様子

木目の美しさを楽しむ漆塗りの表現は、なんと奈良時代から行われていたそうです。室町時代に春慶という職人が現在の技法を考案し、全国に広まりました。

「春慶塗」は広まるうちに、各地の名を冠するように。飛騨は今もその伝統を受け継ぐ、代表的な春慶塗の産地です。

「漆が透けるので、木地自そのものが相当きれいに仕上がってないと商品にならないんです。木地作りの技術で言えば、飛騨は全国でも屈指だと思います」

木目がはっきりと見て取れる川原さんのお盆
木目がはっきりと見て取れる川原さんのお盆

春慶塗のものづくりは、木地と塗りの大きくふたつの工程に分かれます。

この日は、塗りの中でも商品になる最終段階、上塗りの工程に立ち会いました。伝統的な春慶塗の手法ではこの手前に、幾層もの下塗りの工程があります。

手前が上塗り前。奥が上塗り後
手前が上塗り前。奥が上塗り後

「上塗りでいかに漆のムラを出さずに木目の美しさを見せるか。これが春慶塗の真骨頂です」

塗りの様子

面白いことに、漆の成分には元々、できるだけ均一になろうとする性質があるのだそうです。塗師の腕はこの性質を生かしながら漆をいかに均一に塗れるか、にかかっています。

そのムラのない美しさの大敵がホコリ。

小さなチリひとつでも表面の膜についてしまうと、製品にならないそうです。

見せていただいた上塗りの工程は、ホコリとの戦いと言っても、過言ではありませんでした。

上塗りを行う作業台の脇には掃除機がセットされていました。塗りに入る前に、まず掃除機で元々器についているホコリを取り除くそうです
上塗りを行う作業台の脇には掃除機がセットされていました。塗りに入る前に、まず掃除機で元々器についているホコリを取り除くそうです

漆の中のホコリを取り除く道具「トウゴシ」

上塗りに使う漆は、塗師が自ら作ります。

上塗り漆。塗師が自分で漆を生成するのも、産地としては珍しいのだとか
上塗り漆。塗師が自分で漆を生成するのも、産地としては珍しいのだとか

木から摂った生漆 (きうるし) を体温くらいの温度でゆっくり温めて攪拌させたものに、蒸発した水分量と同等の 荏油(えごま油)を混ぜて作るそうです。

完成した漆はとろりとしています
完成した漆はとろりとしています

攪拌にかける時間は1キログラムあたり1時間。この間に液の中に入ってしまうホコリを取り除くための道具が「トウゴシ」です。

トウゴシ

10枚ほど重ねた和紙に漆をたっぷりと染み込ませ、台の両端に付いたロープに引っ掛けてねじる。そうすると、ホコリは和紙が吸い取って、きれいな漆になるのだそうです。

ロープに和紙を引っ掛けて、絞ります
ロープに和紙を引っ掛けて、絞ります
使われていたのは奈良の吉野和紙。多くの塗り産地で支持されているそうです
使われていたのは奈良の吉野和紙。多くの塗り産地で支持されているそうです

塗りの助手役「イボ」

イボ

ムラなく均一に塗っていこうと思うと、机の上に置いたままではできません。かといって手に商品を直接持てば、せっかく塗った面を汚してしまう恐れがある。

そこで活躍するのがこのスタンプ台のような道具です。

イボのフラット面

フラットな面についている突起は、和蝋 (わろう) を練ったもの。これがピタッと木地に接着し、直接手を触れずに、商品を動かしながら漆を塗ることができます。

イボを手に持った様子
斜めにしても落ちません。手で簡単に取り外せて、接着の跡も残らないという優秀さ!
斜めにしても落ちません。手で簡単に取り外せて、接着の跡も残らないという優秀さ!

漆を配る「ヘラ」

はじめにざっと漆を全体に置いていくことを、川原さんは漆を「配る」と言っていました。この配るのに使い勝手が良いのがヘラだそうです。

かつて主流だったのは、しなりのあるサカキやマユミという木でできたヘラ。塗師が自分でちょうど良い厚さやサイズに削って使っていたそうです
かつて主流だったのは、しなりのあるサカキやマユミという木でできたヘラ。塗師が自分でちょうど良い厚さやサイズに削って使っていたそうです

木目を活かして塗りあげる「刷毛」

刷毛

ここでようやく塗りの主戦力である刷毛の登場です。

漆塗りに使う刷毛は必ず人間の髪の毛が使われているそうです。これも使いやすいように、塗師が自分で毛先の長さや厚みを整えて使います。

この刷毛も、川原さんが自分で毛先の長さを短く整えたそう
この刷毛も、川原さんが自分で毛先の長さを短く整えたそう

「私の場合は、重箱なら4本くらいの刷毛を使い分けて塗っていきます」

机に整然と並んだヘラと刷毛。
机に整然と並んだヘラと刷毛。

「刷毛の毛先にはもちろん凹凸がありますから、どうしたって表面に塗りムラは出ます。でもそこでうまく、木目を使うんです。余分な漆は木目の溝に逃すんですよ」

塗りの途中でも、下地の黄色が透けて美しさを感じます
塗りの途中でも、下地の黄色が透けて美しさを感じます
作業する手が写りこむほどつやつやです
作業する手が写りこむほどつやつやです

こともなげに言いながら、さっさっと塗りを進めていく川原さん。時折手を止めて、表面をまじまじと観察します。

手を止めて表面をじっと見つめます
手を止めて表面をじっと見つめます

塗りの大敵であるホコリは、空気中に無数に舞っています。作業中についてしまったホコリはこうして都度表面をチェックして、細い筆で取り除いていきます。

取り除いているところ

「自分の体から出るホコリも気になってね。だから年中こんな格好なんです」

取材に伺ったのはちょうど師走に差し掛かる頃。ダウンを着込んで行った私に対して、川原さんは半袖姿でした。

「この仕事はホコリを嫌うので、密閉された空間で行います。だから塗りの仕事というのは、あまり公にならないんですね」

塗り終えた器を漆を乾かす「風炉 (ふろ) 」へ入れているところ
塗り終えた器を漆を乾かす「風炉 (ふろ) 」へ入れているところ
風炉の中を見つめる川原さん
風炉の中を見つめる川原さん

開かれた春慶塗の扉

普段は閉ざされた工房内に、幸運にも入室を許されたつかの間の取材時間。人知れずピンと張り詰めた空気の中で、艶やかな黄色は生まれていました。

完成品の重箱
完成品の重箱

「重箱はまぁ、ベーシックな形だね。これを難しいと言っていたら仕事にならないよ」

現在、川原さんは56歳。高校を卒業して、木地師だったお父さんに「お前が塗師になれば二人で商品が完成するから」と勧められて塗師の道へ。

以来40年、あとに続く春慶塗の塗師志願者は一人も現れませんでした。2017年の夏までは。

「400年以上続いてきた伝統が、僕たちの世代で終わるんかと、正直、荷が重かったですね」

2017年の夏、春慶塗の門を叩いた若者がいます。

「だからあの子の話を聞いた時に、なんとかしてあげなきゃなと思ったんです」

次は春慶塗の伝統を受け継ごうとしている「あの子」のお話を、お届けしようと思います。

<取材協力>
川原春慶工房

文・写真:尾島可奈子

こちらは、2018年1月5日の記事を再編集して公開しました

ポケットに漆器をしのばせ、今宵もまた呑みに行かん

「こぶくら」──そんな可愛らしい名前の漆器があると知ったのは、岩手県二戸市浄法寺を旅したときだった。

滴生舎
山の麓に佇む「滴生舎」には、多くの観光客が訪れる

浄法寺漆芸の殿堂と言われる工房兼ショップの「滴生舎」を訪れ、ご飯や味噌汁を入れる椀、どんな料理をも受け止めてくれそうな皿や盆、漆塗りの箸などがずらりと並ぶ、その一角に置いてあったのだ。

汁椀よりひとまわり、いや、ふたまわりほど小さいだろうか。手にすっぽりと収まるくらいの大きさで、ふっくら丸みを帯びている。

こぶくら
手にもつとこんな具合。ぷっくりとした姿が愛らしい

それにしてもこぶくらとは。こぶ・くら? こ・ぶくら? まるで呪文のような響きが面白く、それでいて謎めかしい。これはいったい……。

「『こぶくらって何?』──それがはじまりでした」

「20年ほど前のこと。私が滴生舎で塗師をはじめて少し経ったとき、何か面白い漆器をつくれないかと浄法寺塗の歴史を調べていたんです。新しいことをする前に、古き文化を知っておこうと思って。そのとき『こぶくら』という漆器がこの地域の人々に愛用されていたことを知りました。で、思ったんです。こぶくらって何だよ、って(笑)」

そう話すのは「滴生舎」で塗師を務める小田島勇さんだ。

塗師の小田島勇さん
こぶくらを復活させた塗師の小田島さん

「名前の由来は分かりませんが、結局のところ、どぶろくを呑むための酒器。それがこぶくらでした」

こぶくらでどぶろくを──ますます呪文めいてきたが、かつて浄法寺町では、どこの家庭でも自家製どぶろくを造り、楽しんできた歴史がある。

どぶろくとは米と米麹、水などを発酵させ、もろみ(醸造後に酒粕になる部分)を漉さずに造る、白く濁った酒のこと。日本酒のにごり酒と見た目は近いが、あちらはもろみを漉したものである。

二戸のどぶろく
二戸では土産物としてどぶろくを販売。とろりと濃厚ながらすっきりとした味わい

現在は、酒税法により個人的などぶろく造りは全国的に禁止。ただし、地域の活性化を目的とする国の構造改革によって、浄法寺町の一部ではどぶろく造りが認可されている。

〝人の和〟の中心には、いつもこぶくらがあった

「自家酒造が禁止される明治31年までは、浄法寺でも盛んにどぶろくが造られていて、冠婚葬祭はもちろん、みんなが協力し合って行う田植えや稲刈りのときなど、人が集まる場にはどぶろくと、それを楽しむための漆器、こぶくらは欠かせないものでした」

「浄法寺歴史民俗資料館」の資料調査員である中村弥生さん

教えてくれたのは「浄法寺歴史民俗資料館」の資料調査員である中村弥生さん。

資料館には旧家で使われていた昔ながらのこぶくらが残っていた。その横にはこぶくらに酒を注ぐ〝ひあげ〟という片口も。

いろいろな形のこぶくら
こぶくらの形はいろいろ。ひあげの注ぎ口には黄色い漆で独特の文様〝くつわ紋〟が描かれていた

写真ではサイズ感がつかめないかもしれないが、ひあげは直径30㎝、高さも20㎝ほどあるだろうか。およそ一升半ものどぶろくが入るというからかなり、でかい。

ちなみに、こぶくらの語源をご存知でしょうか?

「日本語に〝ふくら〟という言葉があるでしょう。柔らかにふくらんでいること、ふっくらとしている様をいうんですが、それを見立ててこぶくらと言ったという説があります。また昔の文献には福が来るという意味を込めて〝福来〟と書いてあったり、小ぶりであることから転じて〝小ぶくら〟になったという説も…まあ、はっきり言って分からないの。

確かなことといえば、この地域の人はみんなお酒が大好きだってことね(笑)」

客人が来れば酒を用意し、祝い事があればみんなで酒を酌み交わす。人が集まるたびに酒をこぶくらで呑み明かすのが、この地域でのコミュニケーションであり、大事なおもてなしだったのだ。

呑兵衛の発想で、現代風にアレンジ

小田島さんはこぶくらの復興に取り組んだ。

この地に根づいた昔ながらの漆器を残すため。そして何よりこぶくらで酒を飲んでみたかったから。そう、小田島さんも歴とした呑兵衛だ。

小田島勇さん
「酒ですか? ええ、そりゃ毎日飲みますよ」

現存するこぶくらの形やサイズを測り、図面をひいた。それを元に木地をつくってもらい、自ら漆を塗り重ねた。

「昔と同じものをつくってみたんですけど、そのままだと大きすぎて、持て余すというか、手にしっくりなじまなくて。しかも、全然可愛くなかったんです」

そこで2割ほど縮小して現代風にアレンジ。

原寸のこぶくらが1合分(180ml)だったのに対し、新しいこぶくらはおよそ8勺(130〜140ml)ほど。

左が昔のこぶくら、右が新しいこぶくら
左が昔のこぶくら、右が新しいこぶくら

「いずれにしても普通のお猪口に比べるとかなり大きい。僕もお酒を呑むから分かるんですが、小さい猪口でちびちび呑むのって面倒じゃないですか。ある程度のサイズがあればいちいち酒を継ぎ足さなくてもいい…っていう、完全に酒呑みの発想です」

こぶくらは高台が高めで持ちやすい

丸みがあって持ちやすく、高台(卓に接する脚の部分)が高めで持ちやすい。

「しかも漆器って滑らないんですよね。手に吸い付いてくれるので、酔っぱらっても落としにくいんです(笑)」

実は「滴生舎」にはほかにも、酒呑みの発想から生まれた酒器がある。

たとえば〝すえひろ〟という下の方が広がっている形の酒器。縁起のいい〝末広がり〟から名前をつけたというが、

コロンと倒しても起き上がるすえひろ
コロンと倒しても起き上がる!

「酔っぱらうと酒器を倒して酒をこぼすこと多いでしょう。だから重心を下のほうにおいて、傾けてもコロンと起き上がるようにしてあるんです」

こちらは、フリーカップとして使える〝ねそり〟。

左が170ml用、右が200ml用
左が170ml用、右が200ml用

「下半分を反らせたデザインにすることで持ちやすくしてあります。それに漆器は熱を伝えにくく冷めにくいという特長が。お湯割りを呑むにもよし、表面に水滴がつくこともありませんから水割りやロックにもおすすめなんです」

漆器と酒、この絶妙な相性たるや。

「南部美人」五代目に聞いた漆器と酒の関係

岩手の地酒といえば「南部美人」。明治35年創業の蔵元は、滴生舎と同じ二戸市にある。

南部美人 特別純米酒
地元の米と水を使い、地元蔵で醸された「南部美人 特別純米酒」は昨年、IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)にて世界一の称号を、そして今年は「南部美人 純米大吟醸」と「あわさけスパークリング」がSAKE COMPETI 2018において日本一をダブル受賞。

五代目の久慈浩介さんが、地元でつくられる漆器の魅力と、酒との相性を語ってくれた。

久慈浩介さん
日本酒のおいしさを広めるため世界各国を飛び回る久慈さん

「漆器はまず口当たりがいいんです。唇にあたった瞬間の感触がなめらかで、陶器やガラスなど、ほかの酒器にあるような冷たさを感じない」

漆器の酒器は、口当たりなめらか
漆器の酒器は、口当たりなめらか

「それに酒を注いだときの〝映え〟もいいんです。漆でコーティングされているからか、酒器に酒のツヤやしなやかな表情が映り込み、とても美しい。これはガラスや磁器の酒器などでは味わえない、漆器ならではの楽しみです。

もちろん、味や香りの感じ方は酒器によってガラリと変わるんですよ」

たとえば、世界的に有名な純米酒用のグラスで「南部美人 特別純米酒」を飲んだとき。

「純米ならではの豊かな香りが広がり、非常に繊細で飲み心地も軽やか。これはこれでとても旨い」

続いて、こぶくらで呑んでもらうと

「こちらはしみじみ旨い。米の旨味や丸みといったものをグラスより感じます。口にあたる漆器の質感や形状などからそうした違いが生まれるのでしょうけど、滋味深くて、酒の余韻をより長く感じますね」

おいしそうに呑む久慈さんの姿に誘われて、失礼してこちらも呑み比べ──。

確かに。同じお酒なのに、酒器が違うと味や香りがまったく違うものに感じられる。これってすごく面白い。

「漆器はどんなお酒も楽しめるけど、日本酒でおすすめなのはどっしりとした純米酒や滑らかな口当たりのにごり酒。あぁでも、残念ながら泡酒だけは合わないかな(笑)」

久慈浩介さん
現在、蔵をリノベーションして地元の酒と漆器、料理を楽しめるBARを構想中とか

それにしても地元の米と水、人が造ったお酒を、地元の漆を塗った酒器で味わえるなんて、どれほど贅沢なことだろう。

「二戸は小さな片田舎ですけど、世界に誇る地元の酒米から造る酒や漆器があります。そしてこの地ならではの食材があり、郷土の味もある。ぜひ足を運んでいただき、二戸というテロワールを楽しんでほしいですね」と、久慈さんは語る。

鞄やポケットに漆器をしのばせて

最後に、愛用の漆器の酒器を見せてください──。

そうお願いすると、小田島さんは鞄からおもむろにこぶくろを取り出した。えっ、そんなに大雑把な感じですか? なにかに包んであるわけでもなく、鞄の中にガサッと入れてあったのだ。

「漆器は丈夫ですから、これくらい全然平気です。それにどうせ毎日使うものだしね」

また、ある人はポケットからさっと漆器の猪口を取り出した。

ポケットから突然、お猪口…
ポケットから突然、お猪口…

「これ、マイ猪口です」

こんなふうに二戸ではマイ漆器を気軽に持ち歩き、酒を楽しむ人も多いとか。小田島さんは言う。

「酒との相性はいいし、手にしっくり馴染むからツルッとすべって落とすこともない。漆器の酒器は呑兵衛にはうってつけです。唯一心配なことといえば…酔っぱらって店に忘れちゃうことくらい(笑)」

そんなこと言いながら。今宵もまた漆器でお酒を呑むんだろうな。

<取材協力>
滴生舎
岩手県二戸市浄法寺町御山中前田23-6
0195-38-2511
https://urushi-joboji.com/life/tekiseisha

浄法寺歴史民俗資料館
岩手県二戸市浄法寺町御山久保35
0195−38−3464

株式会社 南部美人
岩手県二戸市福岡字上町13
0195−23−3133
https://www.nanbubijin.co.jp/

岩手県二戸市浄法寺総合支所 漆産業課
http://urushi-joboji.com

文:葛山あかね
写真:廣田達也

日本最古のお守り「勾玉」の神様を祀る神社へ

三種の神器 勾玉を作り続ける産地

日本史の授業できっと誰もが触れている三種の神器、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。

そのひとつ勾玉が、今も神話のふるさと・出雲のそばで「作り続けられている」のをご存知でしょうか。

島根県の出雲・松江の中間に位置する玉造(たまつくり)一帯は、その名の通り勾玉の産地。

神話の舞台にもなっている玉造の地で創業し、今も皇室や出雲大社に勾玉を献上している日本で唯一の作り手「めのや」さんのご案内で、三種の神器・勾玉の秘密に迫ります。

今日は前編として、最近パワースポットとして人気の玉作湯 (たまつくりゆ) 神社を「ものづくり」視点で訪ねます。実はこちら、もともと勾玉づくりの祖と言われる神様をお祀りしている神社なのです。

出雲大社が認めた、勾玉づくりのプロフェッショナル

玉作湯神社を訪ねたのは平日の昼下がりでしたが、境内には2〜3人で連れ立ってお参りする若い女性の姿が次々に。

玉作湯神社

ここで待ち合わせたのは新宮寛人 (しんぐう・ひろひと) さん。日本で唯一、「出雲型勾玉」を継承している株式会社めのやの5代目です。

株式会社めのや5代目の新宮寛人さん。神社の由緒を解説してくださっています
株式会社めのや5代目の新宮寛人さん。神社の由緒を解説してくださっています

「出雲型勾玉」とは、出雲大社の祭祀を司る『出雲国造』職が新任する際に、皇室に代々献上されてきた勾玉の形のこと。

ふっくらとした丸みのある形が出雲型勾玉の特徴

古くから勾玉づくりが盛んだった玉造の地で明治に創業しためのや(当時はしんぐうめのう店)は、その初代から勾玉づくりの腕を認められ、「出雲勾玉」づくりを任されるように。現在では「出雲型勾玉」の技術を産地で唯一継承されています。

「玉作湯神社がお祀りしているのは、櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)という神様です。天照大神 (あまてらすおおみかみ) の岩戸隠れの際に、のちの三種の神器のひとつ、八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)を作ったとされる神様なんですね」

そんな神話との関わりも深い玉作湯神社。玉造に育った新宮さんにとっては、この一帯が子どもの頃の遊び場だったといいます。

「まさかこんな風に若い人たちがこぞってやってくるようになるなんて、その頃は思いもしませんでしたね」

ここ数年、玉作湯神社は「願いを叶えてくれる石がある」と注目を集め、パワースポットとしてその名を知られるようになりました。旧暦10月の「神在月」には近くの駐車場がいっぱいになってしまうのだとか。

「願い石・叶い石」はこうして生まれた

こちらですよ、と案内いただいたその名も「願い石」は、まるまるとほぼ完全な球体をしています。

願い石

当然人の手で作ったものだと思っていたら、「天然のままでこの形なんです」と新宮さん。ざぁっと鳥肌が立ちました。

この神秘的な「願い石」に、社務所で授けてもらう「叶い石」を触れさせて願をかけると、石のパワーがおすそ分けされて願いが叶う、と言われています。

「実は、『願い石』のご利益の起源には、勾玉が関係しているんです。

玉造は昔から勾玉づくりが盛んな土地で、神社の周りにも工房跡があります。職人たちはいい勾玉が作れるとこの神社に感謝を捧げにきた。

この石は、その時に『またいい勾玉が作れますように』と感謝と決意を込めてお参りするものだったんです」

職人たちにとっては、玉作湯神社がお祀りする櫛明玉命はまさに勾玉づくりの祖にあたる大切な神様。

ものづくりから生まれた信仰がいつしか一般にも伝わり広まったというわけですが、願い石の隣には今も、神社と古来の勾玉づくりとの深い関係を示すものがひっそりと置かれています。

「僕は仕事柄、願い石よりもこっちの方にまず目がいってしまうんですけどね」

そう新宮さんが示したのはつやつやと深い緑色の石。

青めのうの原石

これこそ、出雲型勾玉を象徴する「青めのう」の原石です。

世界に誇る青めのうの発見

めのうは、世界各地で産出される比較的ポピュラーな鉱石。色も乳白色や赤褐色など様々ありますが、出雲には深い緑色の「青めのう」が採れる山、花仙山 (かせんざん) があります。

「『青』が採れること自体貴重なのですが、花仙山で採れる青めのうは世界的にも例がないほど緑色が濃くてキメが細かい。これほど良質でかつ量が安定して採れる山は世界中でもここだけと言われています」

花仙山で青めのうが見つかったとされるのは弥生から古墳時代にかけて。それまでヒスイや水晶で作られていた勾玉は、花仙山での発掘以降、青めのう製に切り替わっていきます。

めのう以外の素材で作られた勾玉
めのう以外の素材で作られた勾玉

「昭和50年代の調査によると、北は函館から南は宮崎まで、各地の古墳からこの花仙山産の青めのうの勾玉が見つかっているそうです。いかに青めのうが珍重され、重要視されていたかがわかります」

こうして各地からのニーズに答えるように、玉造は勾玉づくりの一大産地として発展。後世になって土地で発見された温泉には、「玉造温泉」の名が付けられました。

日本最古のお守り。勾玉はなぜ「青」い?

実は花仙山では「白めのう」や「赤めのう」もとれるそうです。勾玉といえば青緑色のイメージがあるほど、「青」が重要視されているのはなぜなのでしょうか。

「よく、青々とした草といった言い方をしますが、青は命の源の色と考えられてきたんですね。白や赤色の勾玉も作りますが、これまでも今も、献上品としてお作りする勾玉は基本的に青めのうを使います。

中でも出雲国造職ご新任の際に献上する勾玉は『美保岐玉 (みほぎたま) 』と言って、青めのうの勾玉に形の違う白と赤のめのうの玉をつなぎ合わせた首飾りのような形をしています。

実際の美保岐玉のレプリカ。青めのうの勾玉を、白めのうの「丸玉」がはさみ、赤めのうの「管玉 (くだだま) 」が間をつなぎます
実際の美保岐玉のレプリカ。青めのうの勾玉を、白めのうの「丸玉」がはさみ、赤めのうの「管玉 (くだだま) 」が間をつなぎます

命の源を表す青に対して、白めのうは白髪になるまでの長寿を、赤めのうは血色の良い若々しさを表します。最上の敬意と祈りを込めているんですね」

勾玉の形には、動物の牙が原型と考える説や、月を表しているとする陰陽説など諸説ありますが、色にも身につける人の繁栄や無事を願う重要な役割がありました。

「勾玉は日本最古のお守りですからね。この神社の神紋 (しんもん) にも、美保岐玉に使われる3種の玉を見ることができますよ」

神紋とは、いわば神社の家紋のこと。ほらここに、と新宮さんが示したお賽銭箱の正面に、確かに勾玉をかたどった印が見られます!

美保岐玉に使われる青い勾玉と白めのうの丸玉、赤めのうの管玉が見て取れます
美保岐玉に使われる青い勾玉と白めのうの丸玉、赤めのうの管玉が見て取れます

自分だけではきっと気づけなかった神社の見どころ発見に大感激していましたが、

「すぐ近くに昔の勾玉づくりの工房跡や、地元の人もあまり知らない勾玉の原石採掘跡が見学できる公園がありますから、見に行ってみましょう」

新宮さんによる勾玉づくりの産地・玉造の案内は次へ次へと続きます。

後編はこちら。

<取材協力>
玉作湯神社
島根県松江市玉湯町玉造522

株式会社めのや
https://www.magatama-sato.com/(いずもまがたまの里伝承館)

文・写真:尾島可奈子

※こちらは2017年10月24日の記事を再編集して公開しました。

なんとも可愛い猫つぐら。雪国生まれの買える手仕事

冬本番。雪の降り積もっている地域もあるのではないでしょうか。

日本有数の豪雪地帯といわれる、長野県栄村。

ここでは、稲刈りが終わると冬支度をはじめ、遅い時は5月の連休頃にようやく農作業が始められるということもあるくらい、長い冬を過ごします。

そんな栄村では、古くから冬の間の手仕事として稲藁を使った民具などが作られてきました。

籠状に編む「つぐら」もそのひとつ。

赤ちゃんを入れて寝かせておく「ぼぼ(赤ちゃん)つぐら」、おひつを入れる「飯つぐら」など、「栄村つぐら」として長野県の伝統工芸品に指定されています。

猫つぐら
ぼぼつぐら

本日ご紹介するのは、つぐらの中でも猫のために作られた「猫つぐら」です。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)

保温性に優れ、暖かくて狭いところが好きな猫にぴったり。

雪国らしい、かまくらにも似たころんとした形が可愛らしく、愛猫家の方にも人気のようです。

どんな方たちが作っているのか、栄村を訪ね、その手仕事を見せていただきました。

冬の楽しみだった生活民具作り

長野県北端、新潟県との県境にある栄村。山々に囲まれ、冬は雪に閉ざされます。

「冬は何もできなくなるので、昔からみんなで蓑(みの)やつぐら、草履、米俵なんかを作っていました」

そう話すのは栄村公民館の島崎佳美さん。

「雪かき以外にやることがないので、冬の楽しみでもあったようです」

公民館の2階には、昔の民具が展示されています。

猫つぐら

これは大根つぐら。

猫つぐら
大根つぐらは今も作って使っている人もいる

冬の間、大根を入れておくと、いい湿度と温度で新鮮なまま保存できます。

これは大正時代に作られた猫つぐら。

猫つぐら

今のものより大胆に編まれています。

「“つぐら”は栄村だけでなく、雪の多いところでは似たようなものがどこにもあるようです。生活民具ですね」

自慢の民具を見せ合う「田舎百貨店」の始まり

農家の手仕事として作られていた「猫つぐら」が商品となったのは30年ほど前のこと。

「新潟県の関川村で商品化しているという話を聞いて、栄村でも作りたいと視察に行ったのがきっかけです」

多くの村民が猫つぐら作りに携わるようになり、品評会として「田舎百貨店」を開催することに。

「3月の終わり、畑が始まる前に冬の仕事の集大成を発表する場になっていました」

猫つぐらだけでなく、自分の発想で作った作品が村民会館の廊下に並べられ、優秀な作品には「田舎大賞」が贈られたそうです。

「たぶん、村民に自分たちの技術や文化に誇りを持って欲しいという、当時の村長の想いがあったんだと思います。

村民も張り合いになってたんでしょうね。田舎百貨店に向けて、今年は何作るかなって」

村外からもお客さんが来るほどの賑わいとなり、10年ほど続きましたが、村の体制が変わったことで現在は開催されていないそうです。

藁の確保が一仕事

では、猫つぐらはどのように作られるのでしょうか。

まずは材料となる「藁づくり」から始まります。

稲を刈ったら「はぜ掛け」をして、1週間から10日ほど天日で乾燥させます。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)

その後、脱穀して籾(もみ)を落とし、表面についている「すべ(皮)」を取り除きます。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)

次に、きれいに編めるよう干した藁を叩いて、茎を柔らかくして完成です。

猫つぐら
栄村には藁を叩くための専用の機械もある(写真提供:栄村公民館)

藁にも良し悪しがあり、9月の彼岸頃までに籾落としをした藁でないと色が悪いのだそう。

今年は稲刈り時期に雨が続き、いいタイミングで日干しができた藁が少なく、いい藁ができなかったといいます。

また、栄村は米どころですが、藁を干さずに粉砕している農家が多く、藁を確保するのが年々大変になっているそうです。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)

いよいよ、猫つぐらを編んでいきます

藁の準備ができると、ようやく編み始めます。

まずは底編み。藁で輪を作り、1本ずつ藁を差し込み、目を増やしながら渦巻き状に編んでいきます。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)

底が出来上がったら、胴編み。底から真っ直ぐに立ち上げて、側面と出入り口部分を作ります。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)

次に、天井部分。目を減らしながらドーム状に編んでいきます。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)

最後に持ち手をつけて完成。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)

すべて手作りのため、ひとつ作るのに10日間ちかくかかり、冬の間に作れる数も限られてきます。

カッコよさにこだわって30年

第4回と第10回に「田舎大賞」を受賞した、猫つぐら名人の藤木金寿(ふじき・かねとし)さんに、作業を見せていただきました。

胴編みが終わって、天井部分を編んでいるところです。

猫つぐら
猫つぐら

現在91歳、猫つぐらを作り始めて30年以上になる金寿さん。

名人ならではのこだわりがたくさんあります。

例えば藁作り。日干しして皮を取り除いた後、もう一度日干し。

それを叩いて、取り残した皮をとってきれいにします。

猫つぐら
(写真提供:栄村公民館)
猫つぐら
藁の準備は妻・みちさんが担当(写真提供:栄村公民館)

さらに、藁の中でも状態のいいものを選り分け、出入り口のある正面部分を作るときに使うのもこだわり。

猫つぐら

編み込むときも「藁を平ら一律に差さないと、ぼさぼさのができちゃう」のだそう。

猫つぐら

どこを作るのが一番大変なのでしょうか。

「どこっていうか、縁のところがなかなか覚えらんねぇでさ」

猫つぐら

「前はこうしてなかったんだけど、誰かが作ってるの見てさ、これカッコいいなって。教わったわけじゃなくて、うちの亡くなったばあさんが蓑を作るときにそんなのをやってたのを思い出して、こうやるんでないかなって。

はじめはわからんでなぁ。覚えちまえばなるほど簡単なんだけど、覚えるまではなかなかうまくできなくて」

猫つぐら
猫つぐら名人、藤木金寿さん

カッコよく作りたい。

「まぁ、そういうことだよね。そういう気持ちでなければ上達はしねぇやな。よし、こんだおれもって。上手な人のを見てさ、“おぉ、これいいな”とかさ、いろいろ見てさ、そうすると研究になるわけだ」

カッコよさにこだわりぬいて作った猫つぐらがこちら。

猫つぐら

金寿さんの猫つぐらは、形がとても美しいのが最大の特徴。真上から見ても中心がずれることなく、きれいなドーム型になっています。

これほどきれいにつくるのはとても難しいといいます。

底からの立ち上げも真っ直ぐで、みんなが難しいという出入り口も歪むことなく、ほぼ同じ採寸で作れるのは金寿さんだけだそうです。

猫つぐら
猫つぐら
底の部分もとてもきれい

「なかなか満足いくものができない」と言う金寿さんですが、出来栄えにこだわり、一つひとつ丁寧な仕事をすることで、美しいものができるのだと実感しました。

文化財レスキューで保護された暮らしの歴史

2011年3月11日に起こった東日本大震災の翌日、栄村は震度6の地震に見舞われました。

10日間の避難所生活を強いられ、多くの古民家が全壊し、取り壊されることに。

そんな中、栄村の暮らしの歴史を守ろうと「文化財レスキュー」が行われました。

「全壊になった古民家の屋根裏に古い民具がたくさん残されていたんです。栄村がお世話になっていた大学の先生が、民具を保存しておかないと、栄村の暮らしの歴史が失われてしまうと、文化財保護の活動をしてくださったんです」と話す島崎さん。

公民館に展示されていた民具はその時に保護されたものだそうです。

猫つぐら

「民具を展示して、いろんな方に見ていただくことで、栄村の昔からの営みにもう一度光を当てて、村の技術や文化、郷土料理とかをしっかり伝えていこうと思っています」

手間がかかることから継承する人が増えない現状もあり、自分たちの文化を見直すことで、新しい可能性も見えてくるのではと、後継者育成のため猫つぐら教室を開いたり、蓑づくり、米俵づくりなどを開催しているそうです。

猫つぐら
猫つぐら教室の様子(写真提供:栄村公民館)

猫つぐらと一緒に栄村の風景を

現在、栄村の猫つぐらは委託販売のほか、栄村の直売所でも販売しています。

「ここに来ないと買えないようにしていけたらベストなんですけど」と島崎さんは言います。

「猫つぐらは、作る人によって形も違うので、実際に見て納得して買っていただくのが一番いいなと思って」

猫つぐら

なんでもネットで買えてしまう時代には、そこに行かないと買えないことは大きな付加価値になる。

初めて猫つぐらを見た時、かまくらに似ていて、雪国ならではの形なのかなと思いました。

「かまくらを見慣れているから、そんなイメージもあるかもしれないですね。猫つぐらと一緒にこの風景を見てもらった方がより深みも出ると思います」

一年の半分近くが雪に覆われる栄村。

この土地だからこそ生まれた「つぐら文化」。

ぜひ一度訪れて、冬の手仕事に触れてみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
藤木金寿さん
栄村公民館
長野県下水内郡栄村大字堺9214-1
0269-87-2100

文・写真 : 坂田未希子

年始のご挨拶にかえて お正月を楽しむための工芸の読みもの

新年、あけましておめでとうございます。

3年目を迎えた「さんち 〜工芸と探訪〜」は、全国の工芸・産地にまつわる読み物をこれからも毎日更新していきます。

昨年は2周年をきっかけに、読者のみなさんの感想を聞けたり、一緒に工場見学ツアーに行けたことが良い思い出でした。

熱気に満ちたガラス作りの現場
「菅原工芸硝子」さんで熱気に満ちたガラス作りの現場を見学!

見学レポートはこちら:「ガラスは液体?シークレット工場見学で知った真実」

本年も「友達のようにあなたと全国の工芸産地をつなぐ、旅のおともメディア」というテーマを胸に、日本各地からその魅力を一つひとつお届けします。

さっそく明日は箱根駅伝が始まりますね。

「さんち」では箱根寄木細工で独創的な往路優勝トロフィーを作る職人さんを取材しました。よかったら観戦のおともに読んでみてくださいね。

毎年テーマを変えて創作するという往路優勝トロフィー。さて平成最後の駅伝にかけるテーマは‥‥?
毎年テーマを変えて創作するという往路優勝トロフィー。さて平成最後の駅伝にかけるテーマは‥‥?

記事はこちら:「平成最後の箱根駅伝。往路優勝トロフィーに、職人が賭ける夢」

また、温泉であったまりたいなぁという方には、初詣と工芸土産もセットで楽しめる日帰り温泉はどうでしょう。

福住楼

記事はこちら:「お正月に行く!関東の日帰り温泉×お参り×工芸のさんち旅、3選」

いつもと違うお正月料理を味わいたくなったら、全国のご当地お雑煮を試してみては。

日本全国雑煮くらべ ご当地のお椀でご当地のお雑煮をいただく、をやってみました

記事はこちら:「日本全国お雑煮くらべ。ご当地のお椀でご当地のお雑煮をいただく、をやってみました」

こんなふうに、今よりもゆたかで心躍る、あるいは穏やかで心地よくなれる、そんな日々を送るきっかけとなることを祈って。

愛着の持てる道具と暮らす毎日を。発見にみちた産地旅へのいざないを。2019年も「さんち」をどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

2019年元日
さんち編集部一同