1月の成人の日、5月の母の日、9月の敬老の日‥‥日本には誰かが主役になれるお祝いの日が毎月のようにあります。せっかくのお祝いに手渡すなら、きちんと気持ちの伝わるものを贈りたい。
今回のテーマは「成人の日に贈るもの」。
満20歳になった若者をお祝いする成人の日は、実は昭和に入ってから始まった比較的新しい行事ですが、今ではすっかり1月の風物詩です。
大人になったお祝いは、せっかくなので大人にしかできないことにちなんで贈りたいなぁ…と思いついたのが、「富士山グラス」でした。

2008年のTokyo Midtown Award デザインコンペで審査員特別賞を受賞したのをきっかけに商品化されたこのグラスは、ひとたびドリンクを注げばどこにいても富士山が現れるという、おめでたさとシルエットの美しさを兼ね備えた器。
大人の証であるお酒の時間を一層楽しくしてくれるこのグラスなら、成人の日のお祝いにもぴったりです。富士山のように懐の深い、スケールの大きい大人になってね、というメッセージも込められそう。
それにしても商品の命とも言えるこの富士山型、一体どうやって作られているのか。その秘密を追って製造現場を訪ねたら、ますます成人の日のお祝いにぴったりの、「いい大人」のお話にめぐり会いました。
ふじさん、でなくフジヤマグラス、と読むんですよ。
潮風の吹く九十九里の硝子工房を訪ねて
訪れたのは千葉・九十九里。富士山グラスを製造する菅原工芸硝子株式会社さんの本社と工房がある町です。取材にはなんと菅原裕輔社長が直々に応じてくださることに。

昭和9年に東京で硝子食器の製造を始めた初代社長(菅原さんのお祖父様)の時代に、工房はこの地に移転しています。なぜ、九十九里だったのでしょう。
「もともと硝子工場って東京の下町に多かったんです。うちも祖父が起業した当初は墨田区にありました。そこが手狭になって移転先を探していた頃に、たまたま祖父が九十九里にお花見に来たんですね。その時にここの温暖な気候と人の気性の良さに惚れたようで」
と菅原さんが話す工房の敷地内には、よく見れば桜の木がたくさん植わっています。春はお花見の穴場スポットだそうです。

「硝子づくりは砂を使うので、九十九里浜の砂が硝子に適していたのかとよく聞かれるのですが、決してそういうことではないんです。ものづくりに適していることといえば、熱い窯を焚く仕事なので、潮風で風通しがいいことですかね」
夏には室内の温度が50度にもなるという作業場は、なんと一般の人でも申込めば間近で見学することができます。
菅原工芸硝子さんが販売する商品は年間およそ4000点。その全てが手作りで、この場所で生み出されています。もちろん富士山グラスもそのひとつ。いよいよあの富士山型の不思議なグラスがどう作られているのか、目撃できる瞬間が近づいてきました。
いざ、富士山グラスの生まれる現場へ
はじめに案内いただいたのは、通常は硝子炉の中にあって見ることができない「るつぼ」の原型。工房の入り口に展示されています。

この中に硝子の原料を入れて炉の熱で溶かし、トロトロの液状になったところを巻き取って玉にするところから、硝子作りは始まります。

「硝子って600度くらいで固まってしまうんです。だからそれまでに形を作らなければいけない。安定して量産させるために、商品ごとに班を組んで工程を分担しています。例えば富士山グラスなら4人ひと組です」
暖房が効いているかのように暖かな作業場には、職人さんがざっと20人以上はいます。
それぞれに休みなく動く様子は、よくよく見ると中央の大きな硝子炉を中心に班分けされて、全く別のものづくりが進んでいます。その動きがとても息が合っていて、無駄がない。キビキビとして見惚れてしまいます。




ぐるりと作業場を一周したところで、ついに富士山グラスを作る班に辿りつきました。取材のために急きょ生産計画を変えてくれたそうで、通常4人ひと組のところを3人で実演してくれます。
1人少ないはずなのに、やはり流れるような連携プレーがここにもありました。
富士山グラスは「型吹き」という製法で作られています。まず1人が器の素となる塊をパイプの先に作り(1)、炉でその周りにさらにガラスを巻き取って玉状にします(2)。


運ばれてきた玉を足元の型にセットし、パイプを回しながら均一に空気を吹き込んで、硝子の形を整えます(3)。




型から取り出したものは目視で最初の検品をし、OKのものだけ徐冷炉(じょれいろ)というゆっくりガラスを冷却させる炉に運びます(4)。

ガラスは急激に冷やすと表面だけが収縮して内側とバランスを崩して割れやヒビを起こしてしまうため、全ての商品がこの徐冷炉でゆっくりと冷やされるそうです。

「あまり強く吹くと硝子のハダが悪くなるんです」
と教えてくれたのは吹きの工程の職人さん。ハダ、つまり硝子の表面をきれいに出すために、菅原さんの工房では硝子の玉を流し込む直前、型に水を含ませています。水は熱された硝子に触れた瞬間に蒸発して、型と硝子の間に水の膜をつくります。

「これによって、硝子が型に直接触れないため、ツルリとしたハダが生まれるんです。
富士山グラスの場合は、裾野の角を出すためにある程度強く吹く必要があります。ところが強く吹きすぎると、今度は硝子が水蒸気の膜を超えて、型に触れてしまう。そうすると表面に型の跡がついてしまうんです。
あの形は、水蒸気を蒸発させ切らずに裾野の部分の角もきっちり出る、という点がまさにピンポイントで…」
4000種ある製品の中でもかなりの難易度だという富士山グラスの開発秘話を、菅原さんが語ってくれました。
難しさも日本一!? 富士山グラス開発秘話
「型を作る開発段階までは、さほど難しくなかったんです。でも人が吹くことなので、あの形がキレイに出るピンポイントを 『何秒で何mlの息を吹く』のように数値で教えることはできない。人の感覚でしかないわけです。はじめは1人の職人しか作れませんでした。やっと量産できるようになるまで、何ヶ月もかかりましたね」

富士山グラスは、あの形だからこそおめでたい。泡の加減やドリンクによって富士山の表情が変わるも、あのツルリと透き通った表面でなければ楽しめません。
シンプルな作りのようですが、確かにこれは難易度が高そう。どう量産を成功させたんですか、と伺うと、
「それは反復しかないんです」
と一言。そうして次に伺ったお話が、とても印象的でした。
「手作りのものづくりでよく似たものに陶芸がありますが、実は全く違う世界なんです。決定的な違いは、素材を手で触れるかかどうか。数千度に熱されたガラスは触ることができません。道具を使ってはじめて触ることができます。そして道具を使いこなすには、反復練習しかないんです」

1人で成形ができる一人前になるまでの道のりは、およそ10年。
「だから新たに職人を募集するときには、経験は一切問いません。うちで育てる、というスタンスです。大切なのは本当に好きになれそうかどうか。就職希望の子にも、一番過酷な夏に現場を見学させるんですよ」
全国から若い職人さんの集まる硝子工房の秘密
現実をきちんと知った上で、それでも菅原さんの工房には全国から若い職人さんが集まってきています。北は北海道から南は広島まで、全30人ほどの職人さんのうち、地元千葉出身はほんの一握り、それも50代以上のベテランさんに限られるそうです。
作り手志望者にとって大きな魅力となっているのが、商品開発。菅原工芸硝子さんでは、職人自らアイディアを出してデザインに起こし、商品を企画できるのです。
「職人というと、ベテランのおじさんがやっているイメージがありますが、うちは若い職人が多いのも特徴です。女性の職人も多い。今で8名、来年新卒で3名入りますから、とうとう2桁になります。女性の硝子作家さんは多いですが、うちのような製造現場で職人として働いているというのは、世界を見渡してもちょっと珍しいかもしれません」

そうして職人さんから出た企画を元に、毎年200点ペースで新作が輩出されます。
「200点も大変ですね、とよく言われるのですが、むしろ食いさがる職人を説得して200点に絞りこむのに、毎年頭を悩ませているくらいなんです」
まさに今日は、年に一度の大きな選考の会議を終えてきたばかり。苦笑いしながらも、菅原さんはどこか嬉しそうです。
「夏の暑い日なんて、ゆっくり昼休みを取るべきなのに、彼らはお昼ご飯もそこそこに切り上げて、こんなものが作れないかと話しながら試作をしています。お金を稼ぐだけなら他に割のいい仕事はいくらでもあると思いますが、ガラスが好きで好きで仕方ない人には、こんなに楽しい職場はないでしょうね」
休み時間や休日も、ここでは職人さんが自由に材料や道具を使っていいことになっています。「その代わりいいものを作ってね」が交換条件。職人さんがどんどん新しいものづくりに挑戦できる仕組みは、他にも。製品の形を決める型と、完成した製品を収める箱は、なんと社内で作っています。
「よし作ってみようと思ったら、すぐに型を作って実際に作ってみる。もちろん失敗もありますが、毎年4000点を作るには、このやり方でないと」



大志を抱く若者に贈りたい、富士山グラス
職人さんが意欲的にものづくりに向かえる環境を用意する一方で、いいアイディアは素早く形にして商品化できる受け皿を整える。成形の難しい富士山型のグラスを量産できた理由も、若い職人さんが全国から九十九里に集まってくる理由も、ここにあるように感じました。
菅原工芸硝子さん全体を包む、ものづくりを楽しみながら新しいことに挑戦していこうという空気感。熱気、と言った方が正しいのかもしれません。背景を知ると一層、若い人の門出を祝うなら、こういう熱を持って作られるものがいいな、と思えてきました。
それにしてもこんなに製造の内側をオープンにしてしまって、良いのでしょうか?こちらは勉強になりましたが…
「実は20年ほど前まではあまり現場をオープンにしていませんでした。けれど今、日本でガラス食器をある程度の規模で量産しているメーカーは10社ほどです。るつぼを作れるところと、硝子の材料を仕入れているところに関してはそれぞれもう1社ずつしかありません。これ以上減ってしまうとものづくりができなくなってしまうので、使えるものは使ってください、とオープンにすることにしたんです」
聞けば富士山グラスの量産を引き受けた理由も、とても菅原さんらしい、と思えるものでした。
「富士山グラスの元になった『冨嶽百九十三景』デザイナーの鈴木啓太さんとは、実は彼が大学生の時に一緒にものづくりをしたことがあったんです。面白いものを作るので、出会ってきた学生の中でもとても印象に残っていて、彼にまた会いたいという思いで引き受けました」
成人の日のお祝いに贈りたい、菅原工芸硝子さんの「富士山グラス」。その美しくおめでたいシルエットには、未来を思いながら、今日も楽しそうにものづくりをする「いい大人」たちの志が吹き込まれていました。大志を抱く若者の門出に、ぜひどうぞ。

<掲載商品>
菅原工芸硝子株式会社
「富士山グラス」(スガハラ オンラインショップ・中川政七商店公式通販サイト)

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、山口綾子
※こちらは、2017年1月9日の記事を再編集して公開しました。