幻の布なんかじゃない。沖縄で途絶えた「桐板」を、ある母娘が8年かけて復元した情熱

*こちらは、2018年8月31日に公開した記事です。首里城のこれからの再建と、首里の織物文化の復元に尽力され昨年末に逝去されたルバース・吟子さんのご冥福をお祈りし、再掲いたします。

沖縄のルバース・ミヤヒラ吟子さんの工房を訪ねて

こんにちは。沖縄在住で、テレビのフリーディレクターをしている土江真樹子です。

今日は、わたしが20年余り前に出会って以来、その不思議な魅力に心を奪われて取材を続けてきた沖縄の幻の布、「桐板」のお話です。

幻のような、夏の首里だけの衣装文化

「桐板」とは、沖縄の首里では「トゥンバン」、それ以外では「トゥンビャン」「トンビャン」と呼ばれる織物のことです。

琉球王府があった那覇市首里で、「桐板」は士族の男女の夏の礼装として重宝され愛された貴重な布でした。

首里城
首里城正殿。首里城跡は2000年に世界遺産にも登録されました

庶民は手に入れることができない「憧れ」の織物。それどころか、那覇以外の農村部では、その存在すら知ることもありませんでした。幻のような夏だけの布、首里の衣装文化だったのです。

忘れ去られた布の正体

けれど日本軍の司令部があった首里城周辺は沖縄戦で破壊され、桐板の着物も焼けてしまいました。

戦後には想像を絶するような努力で「紅型」や「琉球絣」「首里織」「芭蕉布」などの染織が復興されてきましたが、その中で忘れられていったのが「桐板」でした。

これまでも多くの調査研究が行われたにもかかわらず、原材料は沖縄の離島に自生する竜舌蘭 (りゅうぜつらん。数十年に一度だけ花を咲かせる植物) か、麻の一種の苧麻 (ちょま) かと、長年の論争を引き起こしてきた不思議な布です。

琉球絣の産地、南風原町にある「大城廣四郎工房」には、戦後、琉球絣を復興させた故・大城廣四郎さんが本土で買い求めたと言われる桐板の着物があります。

アップ:大城拓也さんの祖父が本土で買い求めてきたという桐板の着物

光沢がある白い生地に藍染の糸で柄を入れたその布は、空気のように軽く薄手で着心地が良さそうな着物です。

大城拓也さんの祖父が本土で買い求めてきたという桐板の着物

近年、やっとこの布が桐板であると証明されたそうです。それだけ桐板は長い間、ミステリアスなものだったのです。

わたしは20年余り前に桐板の話を聞き、その不思議な魅力に心を奪われたひとり。

首里織をはじめ、かつて琉球王府のあった首里の織物はどれもとても美しいのですが、話を聞いたわたしは、幻の布、と聞いて好奇心でいっぱいになりました。「一度でいいから桐板を見てみたい」と。

その手触りを知りたい。できれば一度でいいから袖を通してみたい。そんな好奇心から取材を始めました。

首里で出会ったひとりの女性の証言

調査を始めたものの、当時でさえ桐板の着物を知る人を探すのは簡単ではありませんでした。数ヶ月かけてやっと首里に住むご高齢の女性に辿り着きます。

所作がとても優雅で美しいその人は、暑い夏の昼下がりに微動だにせず、汗をかくこともなく2時間あまりも、話を聞かせてくださったのです。「首里の士族」の高貴さを思わせる凛とした姿。今も忘れることはありません。

「それはもう白くて美しいお着物でした。父が嫁入り道具として家の織り子に織らせて持たせてくれました。

那覇の市場に買い物に行くとみんなの視線を集めたものでしたが、新婚の時期が過ぎると染めてしまったのです」

当時の沖縄で祭礼用以外に白の着物はなく、白い着物を身につける、それは首里の士族の特権だったようです。

「軽くて爽やかな着物でしたよ。戦争で全て焼けてしまってね。もう一度あの白い桐板のお着物の袖に手を通してみたいと思っています」

沖縄県立博物館・美術館所蔵「桐板白地総絣着物」
沖縄県立博物館・美術館所蔵「桐板白地総絣着物」

この桐板を8年もの時間をかけて復元した人がいます。沖縄県立芸術大学の名誉教授で首里織の第一人者、沖縄県無形文化財保持者に認定されたルバース・ミヤヒラ吟子さんです。

ルバース吟子先生

母娘ふたりで取り組んだ桐板の謎

首里城近くの「アトリエ・ルバース」を訪れると、新しい布が織りあがったところでした。

アトリエ・ルバースの様子。織り機が整然と並ぶ
アトリエ・ルバースの様子。織り機が整然と並ぶ
機織り機には織りあがったばかりの布がかかっていました。近づいてみると‥‥
機織り機には織りあがったばかりの布がかかっていました。近づいてみると‥‥
息をのむような美しさです!
息をのむような美しさです!

沖縄の海の深い藍にひとひら緑の葉が浮かぶような色合い。トンボの羽のように光を通すとキラキラと。首里花倉織と呼ばれるとても繊細で手の込んだ美しい織物にはしばし言葉を失うほど。

透かしてみたところ

ルバースさんは母親の宮平初子さんと桐板の謎に向かい合ってきました。

宮平初子さん
宮平初子さん (提供:ルバース吟子さん)

宮平初子さんは戦後、首里の織物の復興に尽力した人間国宝です。なぜ母娘で桐板に取り組むことにしたのか、そこには首里の人たちの思いがありました。

昭和56年、沖縄で日本民藝館所蔵の桐板が展示されました。そこで多くの女性たちに混じって多くの首里の男性たちが、懐かしそうに桐板を長い間眺めている姿を見たのだそうです。

「懐かしい、懐かしいと男性も女性も桐板の着物に見入っていましたよ。もう一度着たいと。みなさん口をそろえてささやきあっていました」

ルバース吟子さん

桐板を愛する人たちの思いに心が動き、それからルバースさんは桐板を調べ始めたのです。

幸運なことに母、初子さんはかつて桐板を知っていた貴重なひとりでした。

「幻、幻というのが母に言わせればちゃんちゃらおかしいわけですよ。幻の布なんかじゃないのよ、って。母が元気なうちにちゃんと作ってということでふたりで始めたんです」

8年を費やした幻の布の復元

ところが桐板の素材、これが一番の難関となりました。

前述のように、桐板の素材は諸説あり、長い間不明とされていました。それも無理もありません。桐板そのものが、ほとんど残っていなかったのですから。

復元にあたり参考にした、桐板の断片
復元にあたり参考にした、桐板の断片
断片のアップ

「沖縄の苧麻で織った布はベージュっぽい色。ところが桐板は青い。青白くて透き通った繊維。それがまた美しいの。だから海外の苧麻だと考えていました」

「糸は中国からの輸入品だった」という初子さんの記憶を辿り、2年かけて中国各地で調査。

手に入れた糸を研究機関に持ち込み、科学的に繊維の分析などを経て、ついにルバースさんは桐板が中国製の苧麻であったことを証明したのです。

戦後の首里の織物の復興に力を注いだ初子さん。その初子さんが織り上げたのが、この写真の着物です。

初子さんが復元した桐板 (提供:ルバース吟子さん)

そしてルバースさんが織った桐板(サンプル)がこの写真です。

ルバースさんが復元させた桐板

織りあがった布を見たルバースさんは感動したと言います。首里で生まれ育った2人の女性。母と娘の首里への愛と桐板への思い。それが「桐板復元」だったのです。

幻の布の復元、その後

サンプルといえ、今回見せていただいたルバースさんの桐板は薄く、さらりとした手触りで清々しい布でした。首里の人たちが愛した桐板を手にする喜びと感じつつ、ルバースさんの執念に心が震えました。

桐板

「よっぽどやりたかったんだろうと思いますよ。今だったら怖いですよね。ゼロから調査、証明しなければいけないのだから」

ところが、桐板はもう織ることができないのだそうです。

中国でやっと見つけた桐板の苧麻の畑は、ほんの数年後に全てが工業地帯へと変わってしまっていたのです。ようやく復元できた桐板は、またも幻の布となってしまいました。

今では沖縄県立博物館・美術館に数枚の桐板が収蔵されているので、展示される機会があれば誰もが見ることができます。

幻の布、桐板。

ぜひとも沖縄を訪れて、「幻の布・桐板」を目にしていただけたら、と思います。

そしてかつての琉球王朝の栄華の時代に生み出された桐板と宮平初子、ルバース・ミヤヒラ吟子というふたりの女性にも思いを馳せてみてください。

<取材協力>
アトリエ・ルバース


文:土江真樹子
写真:武安弘毅、土江真樹子
画像提供:大城廣四郎工房、沖縄県立博物館・美術館

中川政七商店のものづくり実況レポート。ふわふわの毛布とルームウェアを生み出す、毛布のまち 大阪 泉大津へ


中川政七商店の人気アイテムのものづくり現場をスタッフが実際に訪ねる「さんち修学旅行」、今回は大阪へ。

前編ではロングセラー商品「もんぺパンツ」のさらさらのはき心地の秘密を、大阪堺に訪ねました。

後編はその足で向かった毛布のまち、泉大津の今新毛織株式会社さんのものづくりをご紹介。

これからの季節にぴったりの、あたたかなオリジナル毛布やルームウェアの生地を作っていただいています。

 
泉大津の2重織毛布

▲新商品「泉大津の毛布でつくったかいまきウェア」「泉大津の毛布でつくったルームシューズ

ここからは、ルクアイーレ店店長の福井がお届けします!

 

日本最大の毛布の産地、泉大津へ


毛布の産地は泉大津やその周辺で全国の9割を締めているとのこと。日本で最大の産地と言えます。     
     
その中でも、今新毛織さんは、織りから染色、整理加工、縫製までを一貫生産する国内唯一無二の工場。  



本日は毛布ができるまでの工程を見学させていただけることに。柔らかい毛布はどのように作られているのでしょうか…

本日は今井社長と横田専務にご案内いただけることに。


▲工場を案内くださった今井社長

毛布はつくり方によって織毛布、マイヤー毛布、タクト毛布の3種類があります。
今回は、織毛布の代表であるウール毛布ができるまでを見学させていただきました。

毛布を作る反物は1反40mほど。毛布約20枚分にあたります。

織りあがった反物には、織り工程で着いたホコリや汚れがあり、紡績の際に油を使っているため、その脂分を落とすための洗浄が行われます。

織りあがった反物を糸でつなぎ合わせて、大きな洗浄機へ。



石鹸洗いを5回、水洗いを4回繰り返し、絞るところまでをこの機械で行います。

次は、染めの工程へ。
約100℃の蒸気で加熱。約90分で染めあげたら、大きな脱水機でしぼります。

染色が終わると、次は毛布づくりの要となる起毛工程へ。


ウールの場合は繊維が弱いので、摩擦を抑えて毛羽を取るため、濡れている状態で一度起毛の機械にかけ、乾かした後に残りの仕上げの起毛をかけます。

そうすることで、繊維を傷めることなく満遍なく毛を立たせることができるそう。



起毛機にはたくさんの針がついたローラーがついていて、繊維を突き刺して持ち上げるようにして毛をだしていきます。ローラーの間を何度も通るうちに繊維が1本1本引き出され、柔らかな毛布らしい手触りが生まれます。





伺って印象的だったのが「起毛というのは、生地の土台を残しつつ、綿(わた)に戻していくということ」という言葉。

綿に戻すという表現に想像が膨らみ、だから毛布ってふわふわなんだ。と改めてものづくりの面白さを感じました。


▲起毛する前とした後(右下部分)の違いがわかる見本。これだけ変わるんですね!

起毛は、毛布づくりでは最も重要な工程のひとつで、長年にわたって培われた起毛師さんの熟練とカンによりやわらかな風合いが生み出されています。

「機械で毛羽を出しているけれど、最高の風合いで仕上げるというところは、人の手によって決められているんです」という今井社長の言葉が心に残りました。


その後、仕上げとして起毛した毛の長さを揃えてカットするシャーリングと、毛の縮れに高圧のアイロンをかけて延ばすポリッシャーという処理が行われ、表面に光沢が生まれすべすべの手触りの毛布になっていきます。



最後の縫製工程では、両方のふちにヘムを縫い付けて裁断し、手作業で幅方向のヘムとタグを縫い付けて完成。



たくさんの大きな機械を通して毛布が完成する傍ら、その工程ごとに毛布の仕上がりを実際に手で触れて確認するということが大切で、手触りのよい毛布を作り上げるためにはたくさんの人の手がかかっているということを感じました。






▲ 今新毛織の工場。まるでひとつの町のように広いこの場所で、様々な工程が行われています

全盛期には3000万枚という生産量でしたが、海外から安価な毛布が入ってくるようになり今ではピーク時の5%ほどに減ってしまったとのこと。

毛布ならではのやわらかい肌触りの生地を、毛布としてだけでなく他の製品として生活に取り入れられるのでは…と新しいことにもチャレンジしていきたい。と今井社長。

中川政七商店の「泉大津の2重織毛布」や新商品「泉大津の毛布でつくったかいまきウェア」「泉大津の毛布でつくったルームシューズ」にも、そんな今井社長の熱意が込められています。





毛布でつくったあたたかくて、肌触りの良いルームウェアは冬の寒さを和らげてくれることまちがいなし。

毛布やさんが作っているからこそ、ふっくら嵩を出す起毛が実現されているということを実際に手に取って感じていただけるように、お店で伝えていきたいと思います!

中川政七商店が残したいものづくり #07 織物

中川政七商店が残したいものづくり

#07 織物「かや織」

商品一課 田出 睦子


わたしが中川政七商店で働きはじめた20年前、かや織で作った「花ふきん」は既に販売されていました。

漆芸を学んでいて、古い蚊帳(かや)を漆作品の下地に使うことも多かった私にとって、かや織は馴染みのある素材でした。

そのかや織が、自分の出身地である奈良県で織られていると「花ふきん」を通じて知り、俄然愛着が湧いたのを覚えています。



その後、かや織をもっと広めたいという思いから、様々な柄をプリントしたふきん、人が寝られるぐらいのケット(発売当時は「大仏ふきん」という商品名でした)、フェイスタオル、バスマット、お菓子の袋など、色々な商品に展開を広げてきました。



「花ふきんが気持ちいいから首に巻いているの」というお客様が多い中で、何とかつくってみたいと思っていたアイテムが、ストールです。

目が粗いので水を吸ってもすぐ乾くかや織は、ふきんやタオル類には良いのですが、一方で目ズレの恐れがあり、糊をつけないと縫製が難しい素材。

肌触りを考えると、ストールにするには糊が無いほうが都合が良い。どうにか糊をつけずに済む方法はないものかと奈良の機屋である大和織布さんに相談して「かや織ストール」が生まれました。

生地の両端の糸密度を高くして「耳」を太くし、中央にも端と同じ組織を入れ中央で半分に折り両端を縫うことで、糊がなくても縫製に耐えられるように仕上げています。

かや織のふんわりした風合いを損なうことなく、安心して使えるストールに仕上がったと思っています。



また、生地を通して向こう側がほんのり見えることも、かや織の良い特徴です。

生地に塩化ビニールを貼ることで、ほんのり透けるが丈夫な素材を開発し、小物や書類を整理するポーチも作りました。

これからも多くの人に「かや織」の良さを知ってもらえるよう、新たな挑戦をしていきたいと思います。

 

工芸:かや織
産地:奈良県
一緒にものづくりした産地のメーカー:大和織布有限会社

中川政七商店のものづくり実況レポート。 「もんぺパンツ」さらさらの肌触りの秘密を訪ねて大阪 堺へ

中川政七商店の人気アイテムのものづくり現場をスタッフが訪ねる「さんち修学旅行」。今回はロングセラー商品「もんぺパンツ」と、寒い季節に活躍する「毛布」のものづくり現場にお邪魔しました。



「もんぺパンツ」には“あったか”、“しましま”、“綿麻”など様々な種類があるのですが、実は裏地は共通して「和晒 (わざらし) 」という大阪府堺の伝統的な生地が使われています。

▲左側が、もんぺパンツシリーズ共通の裏地「和晒」

この和晒のさらさらな肌触りが、人気の理由のひとつ。

今回はそんな「和晒」の作り手、角野晒染株式会社さんを訪ねました。

メンバーを代表して、わたくし高崎オーパ店店長の早川がレポートをお届けしたいと思います!

角野晒染さんは、創業1931年。JR津久野駅から徒歩5分ののどかな風景が広がる石津川沿いに工場があります。     



一帯は津久野の中でも毛穴(けな)と呼ばれる地域で、綿織物が発達した泉州地区(大阪府南部)と、大阪という大消費地とのちょうど中間に位置します。

さらに一帯を流れる石津川が水量豊かであっために、大量の水を必要とする晒(さらし)業や手ぬぐい作りが発達しました。



本日ご案内いただくのは、もんぺパンツを担当していただいている南村さんです! 



角野晒染さんでは綿織物を晒す行程から、染め・裁断まですべて一貫生産でやられています。


使われているのはこんな生地

角野晒染さんが扱う和晒は糸の細さや織り方などによって約20種類あるそうで、もんぺパンツに使われているのは40(よんまると読みます)と呼ばれる細番手の糸で織られている和晒ガーゼです。

個人的には「小幅の文化」と南村さんが仰られていたのが印象的で、着物を作る時と同じ36cm幅で織られた生地が和晒に使用されています。



こちらの生地は和泉市の機屋さんで織られています。全盛期は300軒あったそうですが、現在はわずか30軒まで減ってしまっているそうです。


そもそも晒とは?工程を見学!

織り上がった生地には綿の脂質や不純物、糸にする際の糊が含まれているため、それを取り除く作業を行います。また、天然の綿織物は淡い茶褐色をしているので、白く晒す作業も同時に行います。これが「晒し」という作業です。

晒には洋晒、和晒とあるそうで、私自身、洋晒という言葉を恥ずかしながら初めて耳にしました。

一般的な洋服に使われている晒生地は洋晒で、40分という短い時間で熱や圧力をかけながらローラーにかけて晒すため、ペタンとした風合いになるのが特徴だそうです。

この洋晒と和晒はどう違うのでしょう?早速その工程を見せていただきます!

ほぼ直角に近い?!はしごのような階段を手すりを持ちながら、慎重にゆっくり登っていくと…大きな底が深い釜がありました!下を見ると吸い込まれそうになります。





こちらにミルフィーユ状に折り畳まれた織物を90度の熱を加えながら、数種類の薬品を順に投入して水で洗い流す作業を繰り返します。

3日間じっくり時間をかけて晒すことで、繊維の組織がそのまま残り、ふっくら柔らかな風合いを残した生地に仕上がるそうです。和晒の優しい風合いの秘密はこの行程にあるのですね! 

3日間かけて晒した濡れたままの生地を人の手で遠心分離機にかけて脱水を行います。近くで見ていても、なかなか重そうです。





脱水が終わった生地をアイロンにかけながら、1本の長い生地にしていきます。真っ白に晒された生地はきれいで清涼感がありますね!思わず手にとって触れたくなります。



機械の力も借りながら、人の手が作業の間、間に入っています。

和晒は、この優しい柔らかさを活かしてさまざまな日用品に使われています。

実際に、和晒の特徴である通気性、吸水性を生かした角野さんの商品たちを見せていただきました!



並ぶのは手ぬぐいや寝間着、おくつろぎ着という名前のついたホームウェアなど。「おくつろぎ着」という商品名を聞いただけで、思わず買いたくなってしまいました(笑) 

他にも和晒は、日本料理で包丁を拭く際や、蒸し料理にも使われているとのこと。時代が変わっても、優れた機能性が活かされ続けているのですね。

もんぺパンツの気持ち良い履き心地は、この柔らかで通気性の良い和晒にあり。

日本ならではの文化である和晒を、もんぺパンツを通して沢山の方に触れていただいていること、嬉しくなりました。

実際に目で見た和晒の魅力をもっとお店でお伝えしていかなくては、と使命を感じた1日でもありました!




さて、午後からは毛布のまち、泉大津へ。
中川政七商店で「泉大津の2重織毛布」や新商品「泉大津の毛布でつくったかいまきウェア」「泉大津の毛布でつくったルームシューズ」の生地を作っていただいているメーカーさんにお邪魔します!





<掲載商品>
綿麻もんぺパンツ

中川政七商店のものづくり実況レポート。発祥の地、大阪 堺で注染手ぬぐいに染まる1日

10月某日。

12名の店長が降り立ったのは、古くから手ぬぐいの産地として知られる大阪府堺市毛穴町です。

その歴史は江戸時代まで遡り、和晒の大産地であったことから大阪市内の注染業者がこの地に移住し、注染手ぬぐいの産地へ成長させたといいます。



店長たちは注染手ぬぐいに日々触れながらも、ものづくりの現場を自分の目で見るのは初めて。



まずは注染の魅力に染まった1日を、遊 中川奈良町本店、店長の村田がお届けします!


そもそも、注染とは?


目的地までの道のりには工場が立ち並び、手ぬぐい生地をつくる和晒工場からは、積み上げた生地の山が見えたり、 染屋さんの煙突からは、もくもくと湯気が上がっていたり。

手ぬぐいの産地ならではの、独特の香りと雰囲気にワクワクしながら歩みを進めます。

「注染」とは字のごとく、何層にも折り重ねた生地に染料を「注」いで柄を「染」めるという技法。
表裏を同時に染めるため、色褪せしにくく、生地の糸自体を染めることで通気性が保たれ、柔らかいのが特徴です。

中川政七商店直営店にも、この技法で作られた手ぬぐいが数多く並び、その芸術的な染め上がりには、日本の方はもちろん、海外の方にも人気を集めています。
 


注染手ぬぐいができるまで


見学にご協力いただいたのは、店頭に並ぶ注染手ぬぐいを作っていただいている株式会社ナカニさんと、株式会社協和染晒工場さん。

手ぬぐいができるまでの工程を見学させていただきました。



①「糊置き」

生地の上に型紙を固定し、その上から木へらで防染糊を載せていきます。




▲木へらには職人さんの指跡がくっきり!大変な力業ですね。

②「注染」

染めの必要のない部分に染料が流れないよう、ケーキのデコレーションをするような容器から糊を絞って境界線となる「土手」を作ります。まるでパテシエのような細かな作業!


その土手の中に、ドヒンと呼ばれるじょうろのようなもので染料を注ぐと同時に、染台に設置された減圧タンクを足元のペダルで操作して、下から吸引していきます。



その後蛇腹に折り重なった生地を表と裏の2回、丁寧に染めていきます。

1度に染め上がるのはおおよそ25~50枚分の手ぬぐい、とても根気のいる作業です。

この技法は明治時代に大阪の商人が、多色の絵柄を効率よく染め上げるために生み出したもの。

職人さんの手作業だからこそできる、優しいぼかしの風合い。ひとつとして同じ出来上がりのものはないのです。

量産ながらも1点ものである注染手ぬぐい。ついつい全部広げて見比べたくなりますね!



こちらは注染独特の道具、ドヒン。サイズは大小様々で、細かな柄を使い分けるために、コップより小さなサイズもあります。

産地ごとに形も少し違うそうで、液だれしないよう、注ぎ口が斜めにカットされ、下を向いているのが多色染めをする大阪特有だそう。

▲工場にはさまざまな色の染料が

色が多く使えると楽しい!と語るのは株式会社協和染晒工場の小松さん。1枚の絵画のように繊細な技を生み出す、伝統工芸士です。

目分量で色を作り出す職人さんは、まさに色の天才。



その限りない挑戦には、私たちもその技を伝える使命を感じます。
 
ナカニさんが注染を伝えるためにつくった特別な機械で、私たちも体験をさせていただきました!



今回は土手を丸く引き、染料が広がりすぎないよう、その中に慎重に染料を注いで、優しい丸模様を1人ずつ描きました。

思い通りに土手を描くのがとっても難しく、個性ある丸が並びましたが、広げたときには「おー!」という歓声。世界に1つだけの手ぬぐいができました。



③ 水洗い

「川」と呼ばれる洗い場にて、防染糊と余分な染料を洗い落とします。一昔前は近くの石津川を使っていたのだとか。


ものづくりには綺麗な水が必要、とナカニの中尾さん。川の水質や自然条件が晒作業に向いていたことが、注染の発展にもつながりました。



④乾燥

色が変色しないようにゆっくり自然乾燥させます。



手ぬぐいの工場では、日々職人さんたちが技術の向上に励んでいらっしゃいます。
中には若い女性の姿も。遠地から職人さんを目指して来られる方も最近は多いそう。

しかしながら職人さんたちは直接自分の言葉で注染のよさを伝えることができません。

お客さまに近い存在であるお店が、正しく理解して魅力を伝えていくことが大切、と中尾さんは言います。

注染の深い魅力を知った私たち。

その楽しみ方をもっと多くの方に知っていただくために、早速目で見てきたことをお店に取り入れてみました。

直営店の中でも手ぬぐいの取り扱い数が最も多い、日本市羽田空港店を覗いてみましょう!

アイデア次第でもっと楽しい、手ぬぐいの使い方


ここからは日本市羽田空港店、店長の門林が手ぬぐいの使い方について、ご提案させていただきます!

羽田空港店はお店の正面から手ぬぐいがお出迎え!
色とりどりの手ぬぐいがこれだけ並ぶと圧巻ですね。



羽田空港店では、手ぬぐいを家で飾られるというお客さまも多いので、季節の新しい柄が入荷するとたちまち売り切れてしまいます。

季節ごとに飾る手ぬぐいを変えるだけでお部屋の雰囲気ががらっと変わりますよね。

そういったお客さまにもよく聞かれるのが「飾る以外にどういう風に使えますか」という質問です。

質問に実践で答えられるように、早速ティッシュケースを包んでディスプレイしてみました。



ティッシュケースって意外と好みのものが売っていない!手ぬぐいならお好みの柄を選んで包むだけです。

その他、個人的に気に入った手ぬぐいのスカーフ。端を固結びするだけなので簡単です。



富士山エプロンにも似合うと思いませんか?

裏表がない注染手ぬぐいだからこそできる技ですね。

また、手拭きや汗取りにもなる上に、手洗いできて乾きやすいので山登りに持っていく方も多いそうですよ。

端が切りっぱなしで生地を割くことができる分、緊急時にはちぎって使えば包帯にもなるので、心強いですよね!

ぜひ店頭でお声がけくださいね!これからもどんどんおすすめしていきたいです。

素材選びから仕上げまで、国内唯一の一貫生産。Shoji Worksの上質な木製ブラシで服にも自分にも喜びを。

家に帰ってきたら、その日をともに過ごした服にブラシをかけてあげる。

なんだか心にゆとりができ、充足感に包まれる行為だと思いませんか?

「やっている自分にも酔えますよ」

そう笑いながら洋服ブラシのことを教えてくれたのは、老舗ブラシメーカー、株式会社ショージワークスの畦地貴之 (あぜち たかゆき) さん。

株式会社ショージワークスの畦地貴之さん
株式会社ショージワークスの畦地貴之さん

洋服ブラシのいいところ

イメージするだけでも素敵な日課ですが、ブラッシングは服にとってもうれしいことだといいます。

繊維の奥に付着した埃や花粉などが落ちる上に、繊維の流れを整えて絡まりをほぐすため毛玉ができるのを防ぐことができるのだそう。

生地の繊維が整えられることで、光をきれいに反射して艶が出ているように見えたりもするんだとか。

Shoji Works
Photo: (株) 桶屋

「ブラッシングの一番の良さは、やっていて気持ちいいこと。ブラシをかけることで、服に愛着がわきますし、『ボタンがとれかけているな』『ほころびがあるな』とか、細かいところにも気づけます」

まさに、服にとっては「いいこと尽くし」です。

でも、そうは頭ではわかっていても、毎日やるのは大変そう‥‥。

ついついそんな不安が頭をよぎりますが、ショージワークスの洋服ブラシを手にしてみて、不安よりも「ブラッシングしてみたい」「この道具を家に置きたい」という気持ちの方が強くなりました。

自社ブランドだから形にできたこだわり

株式会社ショージワークスは、ブラシ産業が盛んだった大阪市福島区で1925年 (大正14年) に創業。現在は、大阪に本社を残し、工場がある兵庫県加古川に拠点を構えてブラシづくりに取り組んでいます。

「もともとはOEM商品のみを製造していたんですよね。でも、徐々に売上も減少していく中でこのままでは続けられないと、思い切ってオリジナルのアイテムを開発することにしたんです」

「悔いが残らないようにやろう」という思いで立ち上げた自社ブランドが「Shoji Works」。素材や手仕事にこだわり、原材料の仕入れから完成に至るまでの全工程を一貫して自社工場で担っています。木製ブラシを一貫生産しているのは、国内でもここだけなのだとか。

Shoji Works
Photo: (株) 桶屋
Shoji Works
Shoji Worksのアイテム。洋服ブラシのほかにも、ヘアブラシ、ボディブラシなどがあります

ブラシの毛に使っているのは、馬や豚などの動物の毛です。

洋服ブラシには、主に馬の毛を使用。柔らかくてきめが細かく、コシもあり、デリケートな素材の服にも安心して使えるとのこと。試しに毛の部分に触れてみると、確かにほどよい手応えがありつつも優しい触り心地でした。

Shoji Works

ブラシの毛と同じように自然素材にこだわりたいとの思いから、持ち手の部分は木でできています。

木の中でも、洋服ブラシには耐久性が高いウォールナットを採用。木のぬくもりが感じられるとともに、重厚感のある仕上がりになっています。使うごとに変化していく色味も楽しめそうです。

Shoji Works
左がウール、右がカシミア用の洋服ブラシ
Shoji Works
持ちやすさや置きやすさ、見た目を追求して生まれた従来の洋服ブラシとは異なる形。幅広い素材の服に使えるよう、柔らかい白馬毛を使用(Photo: (株) 桶屋)

「ブラシのある暮らし」を届けたい

「日本で洋服ブラシが使われるようになったのは、文明開化で洋服が着られるようになってから。ブラシ発祥の地であるヨーロッパに比べたら、日本のブラシ文化の日が浅いのは当然ですが、もっと浸透していけばいいなと思っています。

そのためにも、見た目やデザイン、品質にもこだわって、日々の生活の中になじんでいくものを作っていきたいです」

そうした願いを込めて、最後の最後まで製品に目を行き届かせているのがショージワークスのすごいところ。

徹底した検品をしているため、ブラシの毛の抜けもほぼないのだとか。

愛着を持って長く使える道具なら、日々の服のお手入れも苦にはならなさそうです。

ブラシひとつで生まれる豊かな時間。

まだ経験したことがないという人は、ぜひ一度その気持ちよさを味わってみることをおすすめします。

<取材協力>

Shoji Works

公式サイト

文:岩本恵美

写真:(株) 桶屋、中里楓