フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり
はじめまして。中川政七商店の日本市ブランドマネージャー、吉岡聖貴です。
日本全国の郷土玩具のつくり手の元を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる、連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。
普段から建物やオブジェを描き、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ、干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介していただきます。
連載1回目は子年、「伏見人形の唐辛子ねずみ」を求めて、京都にある丹嘉 (たんか) を訪ねました。
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エッセイの前に、まずはワイズベッカーさんと共に訪ねた丹嘉や伏見人形の歴史、そして人形づくりの裏側について、解説したいと思います。
400年以上の歴史を受け継ぐ土人形の元祖、伏見人形
農耕とともに歩んできた日本では、生命を育む土に対する信仰心が古くからあり、寺社の授与品としての土人形や土鈴は、害虫除けや厄除けに効くと信じられていました。
伏見人形は約400年前、当時信仰のメッカとして栄えた伏見稲荷大社の参詣者が山の土を土団子にして持ち帰り、五穀豊穣を願って自分たちの田畑に撒いたのが始まりとされます。
その後、伏見稲荷の近くで深草土器 (ふかくさかわらけ・京都の深草あたりでつくられた土器) とよばれる土器を作っていた土師部(はじべ)が、その技術を人形に転用し、参詣者を相手に土産用の人形を作り売ったと考えられています。
参詣者に持ち帰られた人形は伏見人形と呼ばれ、間もなく全国に行き渡りました。各地の土器・瓦などの製作者がそれらを原型として人形を作り始めた結果、土人形の産地は全国に100ヶ所近くに広がりました。それが、伏見人形が日本の土人形のルーツであるといわれる由縁です。
寛延年間創業の伏見人形工房、丹嘉
土人形のルーツとなった伏見人形の窯元も、最盛期の江戸末期には50~60軒ありましたが、時代とともに廃業していくこととなります。そして現在、製作と販売をする窯元は丹嘉のみ、たった1軒となりました。
丹嘉の創業は寛延年間、1750年頃。今の屋号になったのは4代目嘉助さんの代からで、元々の屋号は丹波屋だったとのこと。現在は8代目の大西貞行さんとご両親、職人さん数名で製作をされています。
夏に成形、冬は彩色
さて、肝心の土人形づくりですが、まずは表面・裏面それぞれの原型に粘土を埋め込み、型から抜いて表裏をつなぎ合わせることで成形をします。それを乾燥させ、低温で素焼きした後に胡粉(ごふん※)を塗り、彩色をして仕上げです。
※ 胡粉とは貝殻からつくられる日本画の白色絵具のこと
丹嘉では、春から夏にかけてを「成形」と「素焼き」の行程、秋から冬にかけてを「彩色」の行程に分けて、年間約2万個を生産されているそうです。季節で行程を分ける理由は、夏場は粘土がよく乾くので型離れがよいことから、冬場は彩色の原料である“にかわ”の保管がしやすいことからとのこと。
今となっては当たり前の工程かもしれませんが、このような効率化は長年の経験の賜物です。
世代を超えて受け継がれる2000種の型枠
私たちが工房を訪ねたのは初夏の時期。ちょうど大西さんのご両親と職人さんが成形の作業をされていました。
毎年コンスタントに使用する型枠は50種類ほどなのですが、年々廃業した窯元から譲り受けたものが増えていき、今では全部で約2000種の型枠を所有されているそうです。棚一面に型枠が並べられた光景は圧巻です。
この型枠に生地を埋め込むわけですが、埋めるよりも抜くのが肝心。生地が乾きはじめたタイミングを見計らって型枠から抜き、すぐさま表裏をつなぎ合わせていきます。
成形の道具は筆とコテのみと至ってシンプル。生地が乾燥したら、電気窯でまとめて素焼きします。
丹嘉で仕上げに顔の絵付けをするのは、大西さん父子のみだそうです。大西さんいわく、彩色ができるようになるまでに10年はかかる、とても奥深い世界です。
“とうがらし”に乗る“えとがしら”
今回のモチーフである「ねずみ」は繁殖力の強さから、増大し繁栄することの象徴として縁起が良いとされ、郷土玩具でも数多くのモチーフとされてきました。各地のねずみの郷土玩具を見てみると、例えばカブ、カボチャ、米俵など、食べ物との組み合わせで造形されていることが多いことに気づきます。
今回のねずみと唐辛子の組み合わせは、ねずみの繁殖力と唐辛子の種の多さから、豊穣や子宝を願ったと言われていますが、それも諸説ある中の1つ。ねずみが干支の最初にくるというので、「えとがしら」を並べ替えて「とうがらし」にしたというウィットに富む説もあります。
どれが正解かはさておき、本当のような嘘のようないわれを聞いて、「へーっ」となるのも郷土玩具の楽しみですね。次回はどんないわれがあるのでしょうか。
それでは、お待たせしました。ここからはワイズベッカーさんの視点で見た伏見人形「唐辛子ねずみ」の世界をお楽しみください。
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丹嘉のウインドー。はじめて訪れた2002年以来少しも変わっていない‥‥感動的だ!
この小さなクッションのようなものが大好きだ。とても洗練されていて、壁に掛かった額を支えているように見える。それがこのクッションの本当の機能なのかどうかを知りたい。日本以外では目にしたことがない。
この、突然現れた大きな牛は一体何のためだろう?シルクのクッションにうやうやしく置かれ、ほかの人形たちに囲まれ、君臨しているように見える。
ひょっとしたら、中庭で草に覆われながら、彼らは小さな神様に変身できる日を、待ち望んでいるのかもしれない。どうだろう?
工房に保管されている2000もの型枠の一部。まるで牡蠣があくびをしているようだ!定期的に埃をはらわれ、きちんと管理されている。
この店のいたるところにいる狐たち。伏見稲荷のシンボルともいえるこの動物は、きっと丹嘉のベストセラーに違いない。
8代目主人の潜水服が、型枠の保管と型抜き作業のための部屋に干してある‥‥。なんて唐突なんだろう!でも、このウエットスーツにすら私は民芸の趣を感じる。逆さになった生き物に丸い目で見つめられているようだ。
ここで一番好きな写真かもしれない。職人の周りには、全ての道具がふさわしい場所に置かれている。そして、膝にかけられた水玉模様の布は、私にとっては素晴らしくエレガント。作業中の大西さんのお父さんだ。
大きな生地の型抜きは、長い経験を必要とする。型の内側の生地は、抜くときにある程度湿気がないといけないが、変形しない程度には乾いてなくてはならないのだ。
あぁ!やっと出会えた私たちのネズミ!型から出てきたばかりで、まだ湿気の光沢がある。乾燥させた後に焼いて、絵付け。そして、店頭の仲間の待つ場所に行くのだ。
窯の中。これから焼かれるところ。
私は制作中にラジオをかけっぱなしにするが、ここではテレビ。小さな人形たちは、いったい何を考えているのだろう。
どこか他所に気持ちがいっているように思える。
避難しているのか?贖罪の苦行なのか?確実に言えるのは、彼らが外に出たがっていないということ。
私たちの小さなネズミ。唐辛子の上によじ登っているが、胃炎になるのを恐れてはいないようだ。
この人形を見ると嬉しくなる。アルビュという昔飼っていたゴールデン・レトリバーの犬を思い起こさせるからかもしれない。10年前に亡くなったが、今もあの仔のことを想っている。とても誇らしげで、まとわりついてくるたくさんのおチビたちと幸せそうにしている!私にとっては、幸福のイメージそのものだ。
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「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第1回は京都・伏見人形の唐辛子ねずみの工房を訪ねました。
第2回「福島・会津張子の赤べこ」に続く。
<取材協力>
丹嘉 (たんか)
京都市東山区本町22丁目504番地
営業時間 9:00~18:00 (日・祝祭日休)
電話 075-561-1627
文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。
翻訳:貴田奈津子
前半解説パート、文・写真:吉岡聖貴
*こちらは、2017年9月30日の記事を再編集して公開しました。