【わたしの好きなもの】 番外編:最適包丁 パン切り

奈良の人気のパン屋さんに使ってもらいました

ミアズブレッドは私自身のキッチンから始まったお店なのでスープやサンドイッチ、
注文があればご飯のお弁当だって作ります。



野菜を切る。パンを切る。サンドイッチを切る。と毎日包丁が大活躍!
野菜を切るというのは馴染みのある作業でしょうが、パンやサンドイッチを切るというのは
なかなかハードルが高く、特に野菜たっぷりのサンドイッチに至ってはスタッフの中でも
苦手な人もいるほど。
普段、野菜とサンドイッチは三徳包丁、食パンは大きなブレッドナイフ、小さなパンはフルーツ
ナイフで切ります。

そこへある日、小ぶりでかっこいい「最適包丁パン切り」という新参者がミアズのキッチンに
やってきました。育ちのいいエリートのような面持ちは「見た目だけじゃないの?」と古株たち
の声が聞こえてきそうでした。

まず、サンドイッチを切ってみました。
サンドイッチにパン切り包丁だとギザギザがデリケートなパン生地に引っかかって切り口が荒く
なるので普段はよく研いだ三徳包丁で切るのです。
が、さすが!ギザギザが浅く、それに良く切れるので、パン生地を傷つけることなくスッと入り
ます。



問題はフィニッシュのところ。パン切り包丁のように刃が平でないと切れてない部分が残るのですが
ゆっくり手前にスライドすることによって綺麗に切れました。
動かし方さえ慣れればバッチリ切れます。



次に大型パン、食パンは大きなナイフでスーッと切るのが理想ですが、やや小ぶりなため何回が
前後に動かさなければならないのですが、よく切れるのでこちらも問題なし。
バケット系のハードパンもパンを潰すことなく硬い皮にギザギザがうまくキャッチして綺麗に切
れます。

最後にベーグル。これが一番感動しました!
茹でて皮がしっかり目の生地にギザギザが食いついて後はスーッと切れました。断面の綺麗なこと!
クリームチーズをさっと塗ってかぶりつくイメージが切りながら思い浮かびました。





綺麗にきれるとサンドイッチの出来上がりにも差が出ます。
お店では一度にいろんな作業が重なるので包丁が何本も必要ですが、家庭ではこのパン切り包丁
と最適包丁があればまず問題ないと思います。
やる気が出る包丁。キッチンに立つのが楽しみになりますね!

MIA’S BREAD(ミアズブレッド) 森田三和


奈良の人気店「MIA’S BREAD(ミアズブレッド)」さん。
レシピ本もたくさん出版されていて、全国でファンの多いミアズさん。甘み・塩分・油分
をできるだけ抑えてできたパンは、かみ締めるほどに、良質な材料と天然酵母の味わいの
ある生地のおいしさが口に広がる「くせになるパン」です!

取材に訪れた時は、パン切りでタルトを切り分けられていました。
「いつも表面が少し凹んでしまうのに、このパン切りだと表面も断面もとても綺麗!」
と、嬉しいお声をいただきました。
あまりに美味しそうな断面で、おやつに買って帰りました(笑)



取材中もひっきりなしにパンを買いに来られる地元のお客様。
たくさんのサンドイッチをカゴに入れている姿も。
奈良町という観光地にあるため観光の方も多く、いつ行っても活気あふれる三和さんの笑顔と
いい香りのパンに包まれているお店です。

MIA’S BREAD(ミアズブレッド)
http://miasbread.com/

<掲載商品>
最適包丁 パン切り
最適包丁

ストレスフリーな現代版「もんぺ」の魅力。元鍼灸師が提案する、究極の万能着

もんぺには、「懐かしい」「おばあちゃんが着ていた服」、そんなイメージを持つ方も多いかもしれませんが、最近その良さが見直されています。

奈良県五條市(ごじょうし)の中西あゆみさんも、もんぺの魅力を広めたいと願うお一人です。

「あなたらしさ」に寄り添う服を

もんぺやの中西あゆみさん
もんぺやの中西あゆみさん

もんぺのプロデュースをする「もんぺや」の中西あゆみさんは、20代の頃にもんぺの履き心地の良さに魅了されました。

おばあさんが営むお店で販売していたもんぺ。

中西さん自身もおばあさんの仕入れについていくなど、もんぺは身近な存在でした。

実はもともと、鍼灸師をしていた中西さん。

日々の治療にあたる中で、その人にとって無意識で気にも留めないような普段の動きの中にも痛みの原因があること、そして、体の動きは着る服にも大きく影響を受けている、と感じていました。

「もんぺ」は自由で体の動きを妨げない服として最適、身体も心も自然体でいられる優れた衣服だと感じ、自らもんぺの魅力を発信しはじめました。

「大人になると心も身体も解き放てる機会が少ないですから」

「あなたの体も毎日もあなたのものである」という想いをロゴの旗印に込め、「あなたらしさ」に寄り添う服としてもんぺをプロデュースしています。

ポケットに縫い付けられた旗印のロゴマーク
ポケットに縫い付けられた旗印のロゴマーク

誰でも「日常づかい」できるもんぺ

昔から作業着として愛用されてきたもんぺは、女性の衣服というイメージが強いですが、男性にも人気が出てきています。

普段着として、おしゃれにコーディネートしてもらえるようにと中西さんは黒やグレーなどの色味も取り揃えました。

どんな体型でも自然体で着こなせるようにと、サイズは男女兼用のM、L、LLのスリーサイズ。

股の部分に三角形のマチがあり、お尻の底面積が増え、太ももまわりがゆったりとしたデザイン。

裾にゴムを入れ、大きな前ポケットがついています。

動きやすいため、最近では介護用として、介護する人もされる人にも注目されているという優れもの。

足を広げるヨガやボルダリングなどのスポーツ、ピクニックやウォーキング、夏場は海や山でのキャンプなどアウトドアのお出かけシーンにも活躍します。

そして何より、おうち時間を快適に過ごすリラックス着にぴったり。

丈夫で長持ち!素材と縫製へのこだわり

生地は、国産の久留米織と無地素材の2種類。

ざぶざぶ洗っても色落ちしにくい素材を選んでいます。

綿100%でお肌が弱い方にもさらっとした肌触り。暑い季節も快適な着心地です。

縫製を一手に担うのは、奈良県香芝市(かしばし)の児玉厚子さん。

縫製の技術が高く、履く人を思い、丈夫で長持ちするようにと丁寧に縫い上げてくれると、中西さんにとって信頼の置ける大切なパートナーです。

アイロンも丁寧に。何台ものミシンを使いこなしほつれないようにしっかりと縫い上げている
アイロンも丁寧に。何台ものミシンを使いこなしほつれないようにしっかりと縫い上げている

もんぺの世界を広げたい

「リピートしていただけるように、お客さまの声に応えつつ、人を自由にさせる服をつくり続けていきたい」と中西さん。

一着を長く履いてもらえるようにと、お直し刺繍も視野に入れています。

今試作しているもんぺは、間伐材を繊維にした生地を使用したもの。

「五條は木の産地の吉野が近いので、吉野の木で生地を作り、地域らしい商品ができればと思っています」

昔から作業着として愛されてきたロングセラーのもんぺ。

履き心地の良さを守りつつも、ポケットにデザインを加えたり、新しい素材を取り入れたりと、「もんぺや」の新たな展開が楽しみです。

<取材協力>
もんぺや
info@monpeya.net

http://monpeya.net

<企画展のお知らせ>

もんぺやのアイテムが実際に手に取れる企画展が開催中です。

企画展「五條のもんぺ」

日程:〜6月16日(火)
開催場所:「大和路 暮らしの間」 (中川政七商店 近鉄百貨店奈良店内)
https://www.d-kintetsu.co.jp/store/nara/yamatoji/shop/index02.html

大和路

近鉄奈良店は4月16日に発令された「全国規模の緊急事態宣言」を受け、4月18日(土)から当分の間、臨時休業となっておりましたが、 5月18日(月)から営業時間を短縮して再開しております。

*企画展の開催場所「大和路 暮らしの間」について

中川政七商店 近鉄百貨店奈良店内にある「大和路 暮らしの間」では、奈良らしい商品を取り揃え、月替わりの企画展で注目のアイテムを紹介しています。

伝統を守り伝えながら、作り手が積み重ねる時代時代の「新しい挑戦」。

ものづくりの背景を知ると、作り手の想いや、ハッとする気づきに出会う瞬間があります。

「大和路 暮らしの間」では、長い歴史と豊かな自然が共存する奈良で、そんな伝統と挑戦の間に生まれた暮らしに寄り添う品々を、作り手の想いとともにお届けします。

この連載では、企画展に合わせて毎月ひとつ、奈良生まれの暮らしのアイテムをお届け。

次回は、「ニット・ウィン」の記事をお届けします。

文:徳永祐巳子
写真:北尾篤司

4月18日、お香の日。聖徳太子に献上された漂着物とは

淡路島に漂着したものは?

1992年に全国香物線香組合協議会が制定した記念日「お香の日」。なぜ4月18日かというと、時はさかのぼりはるか昔のお話に。

日本書紀によると、推古天皇3年(595年)の4月、「沈水、淡路島に漂着」と記されており、淡路島に大きな大きな香木が漂着したのだそう。

「沈水」というのは、今でいう「沈香(じんこう)」のことで、代表的な香木のひとつ。樹木の樹脂がさまざまな要因で固まり、長年の間に熟成されたもので、清く上品な香りがします。

当時「沈水」と呼ばれていたのは、この香木が樹脂を含むゆえに水に沈む重いものだったからだそうです。

長さ2メートルを超えるこの香木が淡路島に流れついたとき、島民がこの木を燃やしたところ、なんとも芳しい香りが広がって‥‥。あわてて火の中からひきあげて、この木を朝廷に献上したのだそうです。

仏教の普及につとめていた聖徳太子はこの木が沈香だと分かり観音像をつくったといわれており、今もこの香木は淡路島の枯木神社にご神体として祀られています。

この香木伝来の4月と、「香」の漢字を分解した「一十八日」から、4月18日を「お香の日」と定めたのだそうです。

420余年の伝統を誇る、日本最古の御香調進所

安土桃山時代1594年(文禄3年)京都西本願寺前で、薬種商として創業した「薫玉堂(くんぎょくどう)」。薫玉堂に代々伝わる調香帳(レシピ)には、長い年月をかけて自然が熟成させた香木をはじめ、薬種として漢方に使用される植物のことがたくさん記されているといいます。

京都の香老舗として長年の伝統を守りながら、儀式の場だけでなく日常の場でも、その時代時代の香りをつくり続けてきました。

伝統のレシピを基に現代に溶け込む新しい香りを調香
伝統のレシピを基に現代に溶け込む新しい香りを調香

お香は仏事のイメージがある方もいらっしゃると思いますが、今ではリラックスしたいときや、少し気分をかえたいときなど、香りを気軽に楽しめるお香がたくさんありますね。

天然の香料を主とした伝統の調香レシピと現代の香りの融合で、さまざまな香りを楽しめる「薫玉堂」のお香。その豊かな色合いも職人が何ヶ月もかけて色をだしたものだといいます。

京の香りをあらわした、色とりどりの線香。
京の香りをあらわした、色とりどりの線香
香料を押しかためてつくった印香。飾ったり火をつけて使います。
香料を押しかためてつくった印香。飾ったり火をつけて使います

大地の恵みを受けて育った植物には、人をやさしく癒し元気づける力が秘められています。自然の力を借りたお香が、はるか昔から現代に続いてきたのも納得。季節のうつろいとともに、生活にほのかな香りをそえたいものです。

<取材協力>
香老舗 薫玉堂
京都市下京区堀川通西本願寺前

075-371-0162
http://www.kungyokudo.co.jp

文:杉浦葉子
写真:中島光行、杉浦葉子

*こちらは、2017年4月18日の記事を再編集して公開しました。


<掲載商品>

薫玉堂 試香
薫玉堂 線香
薫玉堂 文香 朝顔
薫玉堂 線香 暹羅沈香

道の駅で見つけた「高島ちぢみ」。工芸品との出会いを楽しむ宝探しの旅

こんにちは。元中川政七商店バイヤーの細萱久美が、「日本各地、その土地に行かないと手に入りにくいモノ」を紹介します。

SNSユーザーも日本の人口の半数を越えたらしく、簡単に様々な情報を得られるので、アナログな私でさえも主にInstagramを利用して、モノやコトの情報を得られて便利な時代だなとは思います。

ただ、ネットや都心の小売店に出ているモノは、それなりに発信力もあるむしろメジャーなモノと言えます。全国にはまだまだそこに乗っかってないモノや、供給的にも乗っかれないモノがたくさんあります。

もちろん地方にもメジャーを目指して頑張っているメーカーもありますが、ローカルに限定して頑張るのも悪くないと思います。こちらの立場としては、マイナーを見つける醍醐味や、現地で買う体験の楽しさがありますね。

ところで、私は運転が出来ません。免許はありますが、20年以上運転していないので完全にペーパードライバーです。

都会は電車移動で問題ないですが、地方に行くと運転が出来たらなと思うことが多いです。公共機関ではどう頑張っても行けない目的地も少なくなく、最近の欲求として地方に行ったらなるべく「道の駅」に立ち寄りたいということがあり、フツフツとペーパードライバー講習の必要性を感じています。

現在は、地方に車で行く機会があっても運転は誰かに頼らざるを得ず、そして道の駅を見つけると半分無理やり立ち寄ってもらいます。たまに迷惑かなと思いつつも我慢できません。

道の駅は、ご存知の通り、地元の野菜や畜産、グロサリーなどご当地食材の宝庫。新鮮な野菜や果物も魅力的ですが、見たことのないグロサリーやお菓子などで惹かれるパッケージを見つけるとワクワクします。

それと、店舗の端に追いやられがちな工芸品も必ずチェック。デザインは素朴ながらもキラリと光るご当地の技術を見つけることがあります。

そしてかなりの確率で、価格がびっくりするほど安い!ここは本当に日本?と疑いたくなることもあります。

今回紹介するのは、そんな道の駅で出会った「織物」です。滋賀県は琵琶湖周辺に道の駅が多い気がしますが、高島市にある道の駅で、地元織物で作った洋服コーナーの一角がありました。

「高島ちぢみ」というちぢみ生地を使った、Tシャツやらステテコなどが置いてあり、何気なく価格を見たら、Tシャツで1000円以下でした。

「やす!!」と驚き、軽くてシャリ感のある涼しげな触り心地に、夏の寝巻きに間違いなく気持ち良さそうと買い求めました。案の定、今年のような熱帯夜には最適です。汗が引かないお風呂上がりでもベタつかず、吸水速乾力があります。

滋賀県高島市「高島ちぢみ」のTシャツ

琵琶湖の湖西地方の高島では200年以上も昔から楊柳と呼ばれる織物工業が盛んだったそうです。楊柳はクレープとも呼ばれ、強い撚りをかけて布を織り、その撚りを生かしてしぼを作ります。

伝統的には綿素材で作られていて、肌着やステテコなどに用いられてきました。その伝統は地場産業として今日へと受け継がれ、今では国産の縮生地の約9割が高島で作られていることも調べてみて初めて知りました。

同じちぢみでも、湖東地方の麻を使う近江ちぢみは、麻を使うだけに高価格ですが、高島ちぢみは綿なのでお手頃なのでしょう。

それにしても不思議な価格ですが、作りの工夫やら道の駅ということもあるのかもしれません。私が知らなかっただけで、高島ちぢみも地域ブランドとして活性化の動きがあり、注目度は上がっているそうです。

滋賀県高島市「高島ちぢみ」のTシャツ

価格のことで言うと、会津の道の駅でも30円の国産菜箸を発見して驚愕しましたが、道の駅だとあり得る価格なのでしょうか。産地に利益を残そうと思うと、適正価格は違ってくる気がしますが、道の駅ならではの驚きの楽しさはあります。

モノづくりのヒントを宝探しのように見つけられる道の駅探索は今後も続きます。その前に教習所のハードルが‥‥

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。お茶も工芸も、好きがきっかけです。好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。素敵な工芸を紹介したいと思います。
ホームページ
Instagram

文・写真:細萱久美

*こちらは、2018年8月30日の記事を再編集して公開いたしました。


<関連商品>

高島ちぢみのフリーシャツ
高島ちぢみのフリーTシャツ
高島ちぢみのフリーワンピース
高島ちぢみのフリーパンツ

【わたしの好きなもの】家の時間を快適にしてくれる靴下

冷え性の私は、お家の中でも常に靴下を履いて過ごします。

でも、靴下を長時間履きっぱなしでいると履き口部分のゴムが窮屈で、無性に脱ぎたくなってくるんです。

どうしても我慢できないときは、足の甲の半分まで脱いで、足先だけを守るというヘンな履き方をしていました。

そんな私ですが、ある靴下に出会ってからというもの、履きっぱなしでも1日中心地よく過ごせるように。

それが靴下ブランド2&9(ニトキュウ)の「しめつけないくつした」です。




名前の通り、履き口部分がしめつけない!
その理由は、ゴムの位置が通常より下がっていることと、ストレッチ性の強い糸を極力使わずに編んでいるから。



しめつけないので、夕方頃に訪れるゴム部分のかゆい感じや、むくんでゴムの跡が刻まれることが少なくなり、心地よく履いて過ごせるようになりました。

さらに!

この商品をつくってくださっている靴下屋さんにお話を伺う機会があったのですが、履いていて心地いい理由がまだまだあったのです!

・靴下のボディ部分(足首あたり)の裏側に使用する糸に、あえて伸縮性の弱い糸を使用することで、やわらかな風合いに。
・ゴアラインと呼ばれる、かかとにある線を長くとることで、より立体的に足の形に添い、履き心地がぐんとアップ。
・足の底部分は2重に編み立てることで、クッション性と強度がアップ。

などなど‥‥

実際にお話を伺って、この履き心地に納得。

また、工夫と技術の詰まったこの靴下が愛おしくてたまらなくなりました!

履き心地はもちろんですが、2&9シリーズは色もカラフルなので、足元を見るたびにテンションが上がります。

お家で過ごすことも多くなった今、
お家で過ごす時間を少しでも快適に、楽しくするために、
これからも「しめつけないくつした」を履いて足元に贅沢をあげたいと思います。



商品課 星野

日本一の「貝ボタン」は、なぜ海のない奈良で作られるのか?

奈良盆地のほぼ真ん中にある、田んぼに囲まれた磯城郡川西町。この街を歩いてみると、あちこちの庭先や路地で、きらきらと光る貝殻のかけらを目にすることがあります。奈良県は海のない土地。なぜ貝がこんなところに?

川西町という町の名のとおり、こちらには6つもの川が流れていてかつては大阪からの舟運の集散地でした。貝殻はどうやらこの川をつたってこの地にやってきたようです。詳しいお話を伺いに「株式会社 トモイ(以下トモイ)」を訪ねました。

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町全体が貝ボタン工場だった川西町

「ここは、貝ボタンの生産地です。うちは100年近く貝ボタンを作ってます」と「トモイ」3代目の伴井比呂志(ともいひろし)さん。

明治時代のはじめごろ、貝ボタン製造の技術がドイツから神戸へと伝わり、その後、大阪河内を経由して奈良へ。海のない奈良県で舟運にめぐまれた川西町は、またたく間に貝ボタン製造の中心地になったといいます。

「昭和20年代から30年代ごろは最盛期で、このあたりの400世帯のうち300軒ぐらいは貝ボタンの仕事をしていました」。当時は、ぬき屋・穴あけ屋・磨き屋などボタンづくりは分業で、みんな軒をつらねていたので、町全体が貝ボタン工場のようだったそう。道すがら見つけた貝殻のかけらは、約半世紀前の繁栄の名残です。

しかし現在では、ポリエステル製のボタンが増えたこともあり、貝ボタン製造に関わるのは町内でほんの10軒程度。そんな中、1913年に創業した「トモイ」は今も貝ボタン国内シェアの50%を生産しています。つまり、日本一の貝ボタン屋さんなんです。

貝ボタンの作り方

ここからは、貝殻がきらきら光る貝ボタンになるまでを追います。

まず、貝ボタンの元になるのは高瀬貝・黒蝶貝・白蝶貝などで、南太平洋の美しい海から運ばれてきたもの。しかも、生きた貝だけをつかいます。海の中で死んだ貝はもろい上に、白っぽくぼけた色になってしまうからだそうです。

まずは、ぬき屋さん。貝殻の買いつけから、貝をくり抜くまでを担当します。貝の渦巻きに沿って、らせん階段のようにぐるりと生地をくりぬきます。

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貝の底の部分は肉厚で粘りがあるため質が良いそう。こちらは高瀬貝

ここからは「トモイ」さんのお仕事。ぬき屋さんから届いた材料は厚さ別に選り分け、厚みを調整します。貝の断面は層になっているので、ボタンになったときにちょうど美しい層があらわれるよう、回転する砥石で表裏を削っていきます。

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まだボタン穴は空いておらず、丸いチップ状です

ボタンの形に彫る工程では、機械が表と裏の判別ができないので人の手でボタンの表裏を確認してセット。機械をつかうと言えど、なかなか手間がかかります。

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一枚一枚目で見て、機械にセットします

硬い貝殻にボタン穴を開けるには、硬い針が必要。針をしっかり研いで機械のメンテナンスをするのも、職人の仕事です。

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ボタン穴があけられます。針の研ぎ具合にも、熟練の勘が必要だそう

ボタンの角に丸みをつける工程では、化車(がしゃ)と呼ばれる箱の中に、ボタンと水、そして磨き砂を入れて3〜4時間ぐるぐると回転させます。回しすぎると丸みがつきすぎて形が変わってしまうので、時間のかけぐあいも勘が頼り。

さらに文字や模様が彫刻されたボタンを作るには、レーザー彫刻機や、先代が考案したというNC彫刻機を使って細工を施します。

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NC彫刻機は、滑らかな仕上がりが特徴の機械

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レーザー彫刻機は短時間で正確に彫れる強い味方

艶出しの作業では、テッポウと呼ばれる木桶の中に熱湯とボタンを入れ、薬品を点滴のように垂らしながら約1時間回転。ボタンの大きさや気温や水温により、微妙な調整が必要なんですって。

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薬品の垂らし具合も絶妙な調整が必要

うまく艶がでたボタンに、さらに磨きをかけます。八角形の木箱にボタンと、ロウを付着させた籾(もみ)を入れて、またまた1時間回転。ロウがリンスのような役割を果たして、貝ボタンが何ともなめらかに仕上がります。この光沢こそが貝ボタンの命だそう。

こちらでは籾(もみ)を使いますが、スイカの種や、漆の実を使うというボタン屋もあったそう

そして、欠かせないのが最後の検品作業。必ず人の目で一つひとつを厳しくチェックします。山のようなボタンを3人がかりで切り崩す姿。素早く、ていねいな選り分けにびっくりです。

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手を抜けない真剣勝負。とても目が疲れる作業だそう

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表裏くまなくチェック。1等品か2等品か迷うものは、2等品にするそう

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枠にざっとボタンを流し込み、きれいに収まればこれで500個。昔から使われてきた道具

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独特の重量感があり、しゃらりと滑らかな美しい貝ボタンができあがります。

貝がストレスを感じる?天然素材ゆえの難しさ

貝は天然素材。生きています。

今では世界的に真珠養殖の技術が良くなったこともあり、貝の中には何度も真珠を抱かされて、疲れてしまう貝があるのだそう。疲れてストレスを受けてしまった貝は、貝殻に段ができてしまうのだといいます。

となると、貝ボタンの良い材料を探すのもなかなか大変。海外で安価につくられるボタンは、厚みを確保するために貝のもろい皮の部分も使うことがあり、そのボタンは弱くて割れてしまうこともあるのだとか。

「トモイ」では、強くきれいな貝だけを選んで使います。川西町の日本一の貝ボタンはその品質もまた誇りです。

「この地でしかできない品質で、貝ボタンの誇りを守る」

「トモイ」が創業した頃、先代であるご両親は祖父母に奈良の工場をまかせ、幼なかった伴井さんを連れて上京します。それは、国内販路の開拓のため。

ボタンだらけの小さな部屋で、ご両親は寝る間を惜しんで働いていたとか。その努力の甲斐あって貝ボタンの受注は一気に増え、さらに高度成長期の波に乗って、奈良へ戻ると従業員を70名も抱える大きな会社に成長したのだといいます。

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過去につくった別注ボタンがずらり。世界のスーパーブランドも奈良の貝ボタンを使っています

伴井さんは、学校を卒業してからイタリアへ1年単身留学。ボタン機器の世界的メーカー「ボネッティ」でさまざまな貝ボタン製造技術を学んだ成果を奈良に持ち帰ります。

より品質の良いボタンを作れるようになったものの、新しい取り組みは昔からの熟年職人さんにはなかなか受け入れてもらえず、辞めていく方もあったのだそう。「僕が小さい頃からよく知っていて、長く会社を支えてくださった職人さん。その気持ちも痛いほどわかるし、やっぱり辛い経験でした」。

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「トモイ」3代目伴井比呂志さん。素材の色と厚みをうまく生かした貝ボタンをつくります

社長になって、今年で23年。今もこの地でつながりのある業者さんや、自社の職人・スタッフの力なしでは、品質の良いボタンはつくれないという伴井さん。

「天然素材って手を抜こうと思えばなんぼでも手を抜けるんですけど、うちは絶対にそれはしません。信頼のある人たちと一緒に貝ボタンの誇りも守ります」。

たかがボタン、されどボタン。広い海の中で育った貝殻でつくる小さな貝ボタンは唯一無二の魅力があります。いま皆さんの着ている洋服にも、伴井さんたちがつくった貝ボタンがついているかもしれません。

<取材協力>
株式会社 トモイ

文:杉浦葉子
写真:下村亮人

*こちらは、2016年11月23日の記事を再編集して公開いたしました