奈良盆地のほぼ真ん中にある、田んぼに囲まれた磯城郡川西町。この街を歩いてみると、あちこちの庭先や路地で、きらきらと光る貝殻のかけらを目にすることがあります。奈良県は海のない土地。なぜ貝がこんなところに?
川西町という町の名のとおり、こちらには6つもの川が流れていてかつては大阪からの舟運の集散地でした。貝殻はどうやらこの川をつたってこの地にやってきたようです。詳しいお話を伺いに「株式会社 トモイ(以下トモイ)」を訪ねました。
町全体が貝ボタン工場だった川西町
「ここは、貝ボタンの生産地です。うちは100年近く貝ボタンを作ってます」と「トモイ」3代目の伴井比呂志(ともいひろし)さん。
明治時代のはじめごろ、貝ボタン製造の技術がドイツから神戸へと伝わり、その後、大阪河内を経由して奈良へ。海のない奈良県で舟運にめぐまれた川西町は、またたく間に貝ボタン製造の中心地になったといいます。
「昭和20年代から30年代ごろは最盛期で、このあたりの400世帯のうち300軒ぐらいは貝ボタンの仕事をしていました」。当時は、ぬき屋・穴あけ屋・磨き屋などボタンづくりは分業で、みんな軒をつらねていたので、町全体が貝ボタン工場のようだったそう。道すがら見つけた貝殻のかけらは、約半世紀前の繁栄の名残です。
しかし現在では、ポリエステル製のボタンが増えたこともあり、貝ボタン製造に関わるのは町内でほんの10軒程度。そんな中、1913年に創業した「トモイ」は今も貝ボタン国内シェアの50%を生産しています。つまり、日本一の貝ボタン屋さんなんです。
貝ボタンの作り方
ここからは、貝殻がきらきら光る貝ボタンになるまでを追います。
まず、貝ボタンの元になるのは高瀬貝・黒蝶貝・白蝶貝などで、南太平洋の美しい海から運ばれてきたもの。しかも、生きた貝だけをつかいます。海の中で死んだ貝はもろい上に、白っぽくぼけた色になってしまうからだそうです。
まずは、ぬき屋さん。貝殻の買いつけから、貝をくり抜くまでを担当します。貝の渦巻きに沿って、らせん階段のようにぐるりと生地をくりぬきます。
ここからは「トモイ」さんのお仕事。ぬき屋さんから届いた材料は厚さ別に選り分け、厚みを調整します。貝の断面は層になっているので、ボタンになったときにちょうど美しい層があらわれるよう、回転する砥石で表裏を削っていきます。
ボタンの形に彫る工程では、機械が表と裏の判別ができないので人の手でボタンの表裏を確認してセット。機械をつかうと言えど、なかなか手間がかかります。
硬い貝殻にボタン穴を開けるには、硬い針が必要。針をしっかり研いで機械のメンテナンスをするのも、職人の仕事です。
ボタンの角に丸みをつける工程では、化車(がしゃ)と呼ばれる箱の中に、ボタンと水、そして磨き砂を入れて3〜4時間ぐるぐると回転させます。回しすぎると丸みがつきすぎて形が変わってしまうので、時間のかけぐあいも勘が頼り。
さらに文字や模様が彫刻されたボタンを作るには、レーザー彫刻機や、先代が考案したというNC彫刻機を使って細工を施します。
艶出しの作業では、テッポウと呼ばれる木桶の中に熱湯とボタンを入れ、薬品を点滴のように垂らしながら約1時間回転。ボタンの大きさや気温や水温により、微妙な調整が必要なんですって。
うまく艶がでたボタンに、さらに磨きをかけます。八角形の木箱にボタンと、ロウを付着させた籾(もみ)を入れて、またまた1時間回転。ロウがリンスのような役割を果たして、貝ボタンが何ともなめらかに仕上がります。この光沢こそが貝ボタンの命だそう。
そして、欠かせないのが最後の検品作業。必ず人の目で一つひとつを厳しくチェックします。山のようなボタンを3人がかりで切り崩す姿。素早く、ていねいな選り分けにびっくりです。
独特の重量感があり、しゃらりと滑らかな美しい貝ボタンができあがります。
貝がストレスを感じる?天然素材ゆえの難しさ
貝は天然素材。生きています。
今では世界的に真珠養殖の技術が良くなったこともあり、貝の中には何度も真珠を抱かされて、疲れてしまう貝があるのだそう。疲れてストレスを受けてしまった貝は、貝殻に段ができてしまうのだといいます。
となると、貝ボタンの良い材料を探すのもなかなか大変。海外で安価につくられるボタンは、厚みを確保するために貝のもろい皮の部分も使うことがあり、そのボタンは弱くて割れてしまうこともあるのだとか。
「トモイ」では、強くきれいな貝だけを選んで使います。川西町の日本一の貝ボタンはその品質もまた誇りです。
「この地でしかできない品質で、貝ボタンの誇りを守る」
「トモイ」が創業した頃、先代であるご両親は祖父母に奈良の工場をまかせ、幼なかった伴井さんを連れて上京します。それは、国内販路の開拓のため。
ボタンだらけの小さな部屋で、ご両親は寝る間を惜しんで働いていたとか。その努力の甲斐あって貝ボタンの受注は一気に増え、さらに高度成長期の波に乗って、奈良へ戻ると従業員を70名も抱える大きな会社に成長したのだといいます。
伴井さんは、学校を卒業してからイタリアへ1年単身留学。ボタン機器の世界的メーカー「ボネッティ」でさまざまな貝ボタン製造技術を学んだ成果を奈良に持ち帰ります。
より品質の良いボタンを作れるようになったものの、新しい取り組みは昔からの熟年職人さんにはなかなか受け入れてもらえず、辞めていく方もあったのだそう。「僕が小さい頃からよく知っていて、長く会社を支えてくださった職人さん。その気持ちも痛いほどわかるし、やっぱり辛い経験でした」。
社長になって、今年で23年。今もこの地でつながりのある業者さんや、自社の職人・スタッフの力なしでは、品質の良いボタンはつくれないという伴井さん。
「天然素材って手を抜こうと思えばなんぼでも手を抜けるんですけど、うちは絶対にそれはしません。信頼のある人たちと一緒に貝ボタンの誇りも守ります」。
たかがボタン、されどボタン。広い海の中で育った貝殻でつくる小さな貝ボタンは唯一無二の魅力があります。いま皆さんの着ている洋服にも、伴井さんたちがつくった貝ボタンがついているかもしれません。
<取材協力>
株式会社 トモイ
文:杉浦葉子
写真:下村亮人
*こちらは、2016年11月23日の記事を再編集して公開いたしました