江戸時代初期 (1610年代) 、日本で最初の磁器づくりに成功した佐賀県の有田。
実はこの有田の焼きもの技術、私たちの暮らしのそこここで活躍しています。
建物を装飾するタイルやレリーフなどの景観素材、交通機関や商業施設内のベンチ、洗面台などの衛生陶器、さらにはパイプやタンクなどの工業製品、汚水処理や浄水場など環境分野にも使われているのです。
今日は、思いがけないところで使われている有田焼を紹介します。
東京の「おいしい水」を支える有田の磁器技術
日本が誇る「おいしくて安全な水道水」は、高度な浄水技術に支えられています。この浄水処理に、有田の磁器技術が必要不可欠なのだとか。
今でこそ高い水準を保つ東京の水ですが、昭和30年代は水質汚染が大きな問題となっていました。カビ臭やトリハロメタン (発がん性物質) の懸念まである深刻なものでした。
水質を改善するには、強い酸化力をもつオゾンを使って原因物質を分解させる必要がありました。しかし、オゾン化された空気はその強力な酸化力ゆえに、設備そのものが大きなダメージを受けてしまうという問題がありました。
オゾンによる酸化に耐える素材がなんとしても必要だったのです。
そこで用いられたのが、有田の磁器のノウハウ。
昭和初期から、有田泉山陶石 (有田の磁器原料) の耐酸性に着目し、耐酸磁器の製品化を進め、水処理分野で京都大学と共同研究をはじめていた有田磁器の老舗企業がありました。大阪で汚水処理に取り組んでいた有田の岩尾磁器工業に、東京都から相談が舞い込みます。
開発したのは、磁器のノウハウを用いた「オゾン用セラミックス散気材」。
酸化しにくいだけでなく、オゾンを微細で均一な泡にする素材で、浄水場に取り込まれた水を効率的、安定的に処理できます。
この技術によって、現在はすべての都民に全量オゾン処理した水道水の提供が実現しています。
手仕事で作られる、巨大工場の設備
酸化しにくく、熱に強く、耐久性のある磁器。ハードに操業される大規模工場の設備としても多用されています。
使われる環境や目的に応じて生地の粗さや密度を自由自在に調整できる配合ノウハウ、成形、焼成に有田の技術が生きています。
工場によって、使われる環境、部品のサイズや形は様々。そのため規格品はなく、すべてオーダーメイドで作られています。
「有田では、目に見える美しさだけでなく、求められる品質をひたむきに追い続けてきた歴史があります。
目に見えないところこそ真面目に作る。そんなDNAが有田にはあるように思います」
そう語るのは、岩尾磁器工業の社員の方々です。
世界品質のプレッシャーに応えた、有田のものづくり
では、私たちの暮らしを支える有田のものづくり、その歴史を辿ってみましょう。
17世紀初頭に始まった有田の磁器生産。当時作られたものは、形も焼き具合も不安定で、品質の優れた中国製磁器の足元にも及ぶものではありませんでした。
日本の磁器が産声をあげたばかりの頃、中国が政権交代の内乱期に突入します。早々に中国での磁器生産が不安定になり輸出が激減。それまで中国の磁器製品を輸入していた世界中の国に影響が及びました。
そこで、磁器を作り始めていた有田に白羽の矢が立ちます。国内のみならず、鎖国中に幕府から貿易が許されていた中国船とオランダ船に乗って、有田の磁器が輸出されるようになったのです。
需要が高まったのは良いものの、求められたのは、磁器の大先輩である中国の品質。役人やオランダ東インド会社からかなり厳しい品質指導があったといいます。
海外で求められる磁器は多種多様なものでした。大小の碗皿に始まり、ビールジョッキやワインジャグ、コーヒーポット、汚物入れの蓋付鉢など、日本の生活には無い製品も見よう見まねで必死に作り出荷します。
決死の努力が実り、たった30年ほどの間に飛躍的に品質が向上します。1650年代末には「有田の技術は景徳鎮磁器 (世界的に評価の高かった中国の磁器) と遜色ない」と認められる製品を作り、ヨーロッパへの本格的な輸出も始まります。
この輸出景気を経て、高級品から日用品まであらゆる種類の陶磁器製品を作る有田の体制が整えられていきました。そして、有田の磁器生産技術の礎が築かれていくのです。
困った時の有田頼み。近代化を支えた技術
明治維新後、海外から入ってきた文明のひとつ、電信技術の発達にも有田は一役買っています。
電気を通す設備に必要だった絶縁性のある部品「碍子 (がいし) 」。当初は、輸入品のガラス製のものを使っていましたが、高価で壊れやすいものでした。そこで政府からの要請を受けて、磁器製の碍子が作られました。最初に手がけたのは、今も有田焼ブランドとして名をはせる香蘭社 (こうらんしゃ) 。
電線をつなぐ碍子は、苛酷な使用環境におかれます。絶縁性の良さはもちろん、耐熱性、強度、屋外使用に耐える材質の安定性などが必要でしたが、見事生産に成功し、現在では海外でも使われています。
こうして陶磁器技術は、工業製品にも活用されるようになっていきました。
工場で使うタンクや、酸製造装置の部品、化学薬品の容器などにも磁器が用いられます。また、戦時中に金属の供出が始まると、台所のコンロや釜、鍋、服のボタン、磁器製の缶詰、郵便ポストのような大きなものまで代替品が磁器で作られていたと記録が残っています。
時代ごとに、私たちの生活を支えてきた有田の技術。くらしと共に発展してきたものづくりの世界がそこにありました。
<取材協力>
岩尾磁器工業株式会社
佐賀県西松浦郡有田町外尾町丙1436-2
佐賀県立九州陶磁文化館
佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
0955-43-3681
<参考資料>
東京都環境局 データ・資料・刊行物
東京水道局 水道ニュース
「西日本文化 特集 有田 火と土と人と」 1996年4月 西日本文化協会
「海を渡った古伊万里 セラミックロード」 監修:大橋康二 2011年 青幻舎
「欧州貴族を魅了した古伊万里」 監修:佐賀県立九州陶磁文化館 2008年 有田教育委員会
「土と炎 -九州陶磁の歴史的展開-」 編集:佐賀県立九州陶磁文化館 2009年
文・写真 : 小俣荘子
写真提供:岩尾磁器工業株式会社
※こちらは、2018年2月28日の記事を再編集して公開いたしました。