【わたしの好きなもの】もんぺパンツ

春夏秋冬、家でも会社でも“もんぺ”生活


わたしの日常着に欠かせない「もんぺパンツ」。
デビュー当時から色違いや素材違いなどを買い足していって、
今では何枚ものバリエーションが揃っています。(写真は一部です)
冬用のあたたかいものや、シーズンによっては限定素材のものも。
写真で一番手前に写っているものは6年前のデビュー当時から使っている
綿麻もんぺパンツのグレーです。
ずっと履いているので、くったりしてやわらかい風合いになっていて
結局これの出番が多かったりします。


冬用にはタイツとショートブーツ、暖かくなってきたら綿麻もんぺパンツに
サンダルを合わせて。仕事や買い物、どこへ行くにも1年中お世話になっています。

上に合わせるもの次第で、リラックス風にもおしゃれボトムスにもなってくれるんです。しかも、着心地はいつも楽ちん!!歩きやすいし、しゃがんだり座ったり、
どんな動作にも対応。もんぺのデザインって動きの邪魔をしないんですよね。



家で過ごす時ももんぺパンツは欠かせません。
まだ眠気まなこでゆるりとしている朝のゴミ捨て時にスルンと履いて
パーカーでも羽織ればご近所さんに会ってもOK。

在宅勤務の日にも、気持ちを仕事モードにするために着替えるんですが、やっぱりもんぺ率が高いです。(というか、ほとんどです)
デスクワークで座りっぱなしでも、身体を締め付けないのでとてもいいですよ。



それでいて、見た目はすとんと落ち感がでるので、ぶかぶかに見えない。
運動不足になりがちと言われているので、お昼休憩や仕事終わりに近所を歩いたり、
食材の買い出しにスーパーに行くときも「私ちゃんとしてますよ」という気持ちにさせてくれます。

毎年、生地感や柄が異なる新作が出るので、楽しみにしている シリーズです。
編集担当 平井

日本のおやつ職人・まっちんと行く、多彩な“大阪おやつ”食い倒れの旅 ~後編~

こんにちは。細萱久美です。

日本のおやつ職人であり、食品プロデューサーの町野仁英(まちのきみひで)さんこと、まっちんと行く「大阪おやつ」巡りの後編です。

前編では、せんべい、たこ焼き、喫茶店のフレンチトーストとまさにジャンルにこだわらないおやつをご紹介しました。今回はどんなおやつに巡り会えるのでしょうか。


味も製法も洗練された和菓子「餅匠 しづく」

「餅匠 しづく」外観

4軒目は、まっちん専門分野の和菓子を選びました。まっちんも私も気になっていた「餅匠 しづく」さんへ。

シュッとしたオシャレな和菓子屋さんかなという予想で伺いました。店の室礼はシンプルでシック。老舗とも違いそうだし、どんな製造背景があるのだろうと気になりました。

こちらのコンセプトは「お菓子で百薬の長を目指す」。なんともインパクトを感じます。

店主ご自身とご家族の病気や奇跡的な回復などの過去の経験から、人の心と体を元気にすることをお菓子を通じて実現させているのだとか。実際、ここのお菓子を食べると元気になるお客様が多いというのが不思議な話です。

「餅匠 しづく」の和菓子

ホームページにも説明がある通り、素材や製法にとんでもなくこだわりを追求しており、確かに餅の「きめ」の細かさは食べたことのない滑らかさを感じました。

まっちんも専門的な目線が鋭く、アクを抜いたあんこの綺麗な味に感心至極。

「餅匠 しづく」の和菓子

お餅はどれも見た目から美しく、味も洗練されており、五感で味わう餅菓子は確かに心と体が喜ぶ気がしました。

店内も美意識に溢れていてストイックな印象もありますが、店主に話を聞くと熱い信念を持った揺るぎない姿勢に感銘をうけます。見掛け倒しではない、独自路線を追求する和菓子の名店を発見しました。

おやつ職人もうなる「ル・シュクレクール」のパン

「ル・シュクレクール」外観

5軒目は、パン屋の「ル・シュクレクール」さんへ。名前からしてオシャレなイメージが、まっちんセレクトにしてはちょっと意外と思った一軒です。

しかし食べたらわかるその本物感。名前のイメージそのままの、パンの本場パリを思わせる味わいと、日本人に変に合わせない小難しい商品名もまた良い感じです。

パン屋「ル・シュクレクール」内観

複数のパンに同じ生地を使っていると思う店もありますが、こちらはそれぞれのパンに合わせた別々の配合生地を使っているとまっちん論。いくつかのパンをいただきましたが確かにそう感じました。客足が絶えない人気振りも納得です。

まっちんは初めて食べた時に衝撃を受けて、このパンの作り手から生まれるパンをもっと知りたいと思ったそうです。ジャンルは違えど、同じ作り手としてその貪欲さに影響を受けて何度も通っているそう。

イートインもできる店内はカジュアルで、接客も程よく抜け感があって心地よいのも大阪ぽい?

「ル・シュクレ・クール」のあんバターサンドとサンドイッチ

おやつとして、あんバターサンドとサンドイッチをぺろり。この美味しさは、全種制覇したいと思う数少ないパン屋です。

色々なジャンルのおやつを食べ歩きした1日でしたが、一つのカテゴリーに止まらない、なんでもござれ感も、大阪の味の魅力かなと勝手に思っています。

庶民的な和菓子であっても、老舗であれば程よく感じるキリッとした緊張感が京都らしさだとすると、なにわ商人のまち大阪はエンターテインメント性や気取らぬ雰囲気が漂い、関東出の私などは新たな発見も多いです。

地域が変われど、まっちんの選ぶ店や味は、ただ者ではない感があります。独自路線を追求していて、いわゆるマーケティング要素はほぼ感じず。

そこでしか味わえない「味」、それだけでなくその味を生み出している「人」と「店」も気にせずにいられません。味・人・店の三位一体で、唯一無二な存在となっていると感じ、その魅力に何度も行きたくなってしまいます。

独自の味を追求しても受け入れられないと意味がないですが、今回訪れた店はどこも顧客に支えられている感じです。

まっちんは消費者としてだけでなく、これらの店から作り手としての刺激を受けているのだと思います。

私も、最近のテーマがいかに独自性を持つかということもあり、やはり刺激を受けたのと、飲食なので必然的にそうなりますが、実際に店に行ってサービスを受けたり、店の雰囲気を感じることも含めて、その店のアイデンティティなのだということを改めて感じました。

<訪ねたお店>※来訪順

餅匠しづく 新町店
大阪府大阪市西区新町1丁目17-17
電話:06-6536-0805
http://nichigetsumochi.jp/

ル・シュクレクール
大阪府大阪市北区堂島浜1丁目2-1 新ダイビル1F
電話:06-6147-7779
http://www.lesucrecoeur.com/

──────────────────────────────────────

町野仁英 まちのきみひで

三重県伊賀市生まれ。愛称まっちん。
地元農家で無農薬の米作りを学んだ経験をきっかけに独学で和菓子作りを始め、2004年に「和菓子工房まっちん」を開店。米や豆や粉のおいしさを生かした独自の和菓子を作る。2010年から岐阜県岐阜市に活動拠点を移し、和菓子屋「ツバメヤ」の立ち上げ、商品開発に携わる。2012年より老舗油屋「山本佐太郎商店」とのコラボ商品としてかりんとうやビスケットなどの「大地のおやつ」を生み出し、全国に向けて販売している。商品開発や製造指導を手がける傍ら、職人として日々和菓子やおやつを探求中。
HP:日本のおやつづくり まっちん https://www.mattin.jp/

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。お茶も工芸も、好きがきっかけです。好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。素敵な工芸を紹介したいと思います。
ホームページ
Instagram

文・写真:細萱久美

一輪挿しにおすすめな有田焼の「涙壺」で、日常にハレを取り入れる

お祭や祝い事など特別な「ハレ」の日と、普段の生活を区別して暮らしてきた日本人。

今日は日常に取り入れたい、ちょっとした「ハレ」のご提案です。

贅沢品としてヨーロッパの王侯貴族に愛された有田焼

まるで発光しているかのように白く透き通った素地に細やかな絵付けが施された有田焼の陶磁器。

華やかな絵付けの伝統的な有田焼。有田観光協会提供。

江戸時代からヨーロッパへ輸出され、王侯貴族の間で絶大な人気を集めました。

それは、ヨーロッパを代表するドイツの高級磁気メーカー「マイセン」にも、多大なる影響を与えたほど。

そんな贅沢品として愛されてきた有田焼を、気軽に日々のくらしに取り入れられるアイテムと出逢うことができました。

有田焼の技術が凝縮された、一輪挿しに使えるちいさな「涙壺 (なみだつぼ)」

有田焼 涙壺 hibi
マットな質感の真っ白なボディが、造形美を引き立てます

一輪挿しとして使える、小さな「涙壺」。

「涙壺」という何だか詩的な名前の小瓶は、もともと古代ローマの女性たちが、戦場へと赴く夫を思って流した涙を入れるために使われていたものだそうです。

特徴的なのは、1600年代に有田で焼かれた壺の形状がモチーフとなっている18種類のかたち。これらには、瓢箪(ひょうたん)型、船徳利(ふなとっくり)型、達磨(だるま)型などと名前が付いており、それぞれに意味があります。

有田焼の専門商社、ヤマト陶磁器の山口武之さんがディレクションを務める、「より日常に馴染む有田焼」をコンセプトに掲げた「hibi(ひび)」シリーズのひとつとして誕生しました。

本来の5分の1に縮小して商品化することで、より日常に取り入れやすい価格とサイズ感に。

この涙壺をつくるのは、江戸時代の安政年間から窯元としてものづくりをはじめた与山窯(よざんがま)さん。製造方法には有田焼の成形方法の中でも最も手がかかるといわれている「排泥鋳込み(はいでいいこみ)」が用いられています。

石膏の型に水で割った陶土を流す「排泥鋳込み」

柄は、ミニマルなデザインの白地の商品のほか、染付(そめつけ)、赤絵(あかえ)といった有田独自の絵付け技法が施されたシリーズも。

有田焼 涙壺 hibi 赤絵 染付
伝統的な赤絵や染付の柄も、ミニサイズの涙壺だとキュートな印象に

バリエーションがたくさんあって、ついつい集めたくなってしまいます。
お気に入りを選んでお花を一輪ちょこんと生けたら、日常の何気ない風景に彩りがプラスされることでしょう。

ところで涙壺は、悲しいときだけではなく、嬉し涙を受け止めるための器でもあったそう。

ささやかなお祝いのプレゼントなどに、「嬉し涙をたくさん流してね」といったメッセージを込めて贈るのもすてきです。

現代のライフスタイルに合わせてつくられた「hibi」の涙壺。有田焼ならではの上質さはそのままなので、目に入ると晴れやかな気分にしてくれます。

何気ない日常にこそ、あえて取り入れたい「ハレ」のアイテムですね。

*こちらは、2018年5月20日の記事を再編集して公開しました。

オンライン特集:辻与製陶所 別注色 涙壺

東京の水を支える有田焼。岩尾磁器工業がつくる、浄水に欠かせない素材

江戸時代初期 (1610年代) 、日本で最初の磁器づくりに成功した佐賀県の有田。

実はこの有田の焼きもの技術、私たちの暮らしのそこここで活躍しています。

建物を装飾するタイルやレリーフなどの景観素材、交通機関や商業施設内のベンチ、洗面台などの衛生陶器、さらにはパイプやタンクなどの工業製品、汚水処理や浄水場など環境分野にも使われているのです。

今日は、思いがけないところで使われている有田焼を紹介します。

東京の「おいしい水」を支える有田の磁器技術

日本が誇る「おいしくて安全な水道水」は、高度な浄水技術に支えられています。この浄水処理に、有田の磁器技術が必要不可欠なのだとか。

東京都が売り出して話題となったペットボトル入り水道水。美味しさへの自信が表れた商品です
飲み水として優れていることから、東京都が売り出して話題となったペットボトル入り水道水

今でこそ高い水準を保つ東京の水ですが、昭和30年代は水質汚染が大きな問題となっていました。カビ臭やトリハロメタン (発がん性物質) の懸念まである深刻なものでした。

水質を改善するには、強い酸化力をもつオゾンを使って原因物質を分解させる必要がありました。しかし、オゾン化された空気はその強力な酸化力ゆえに、設備そのものが大きなダメージを受けてしまうという問題がありました。

オゾンによる酸化に耐える素材がなんとしても必要だったのです。

そこで用いられたのが、有田の磁器のノウハウ。

昭和初期から、有田泉山陶石 (有田の磁器原料) の耐酸性に着目し、耐酸磁器の製品化を進め、水処理分野で京都大学と共同研究をはじめていた有田磁器の老舗企業がありました。大阪で汚水処理に取り組んでいた有田の岩尾磁器工業に、東京都から相談が舞い込みます。

下水処理施設生物反応タンクの内部。四角いパネルが有田の磁器技術を用いて作られた板。浄水設備にも用いられています
下水処理施設の内部。四角いパネルが有田の磁器技術を用いて作られた板。浄水設備にも用いられています

開発したのは、磁器のノウハウを用いた「オゾン用セラミックス散気材」。

酸化しにくいだけでなく、オゾンを微細で均一な泡にする素材で、浄水場に取り込まれた水を効率的、安定的に処理できます。

「オゾン用セラミックス散気材」を使って行われる浄水の様子
「オゾン用セラミックス散気材」を使って行われる浄水の様子 (画像は実験時のもの)

この技術によって、現在はすべての都民に全量オゾン処理した水道水の提供が実現しています。

手仕事で作られる、巨大工場の設備

酸化しにくく、熱に強く、耐久性のある磁器。ハードに操業される大規模工場の設備としても多用されています。

使われる環境や目的に応じて生地の粗さや密度を自由自在に調整できる配合ノウハウ、成形、焼成に有田の技術が生きています。

「磨耗しにくい」という強みを生かして、パイプの内側の素材としても使われます
「磨耗しにくい」という強みを生かして、パイプの素材としても使われます。(内側の白い部分です)

さまざまな工業製品。すべて磁器製
さまざまな形のパーツ。磁器製ものもは、分厚いものを焼き上げる、薄いものを均一に作るということが難しいのだそう

工場によって、使われる環境、部品のサイズや形は様々。そのため規格品はなく、すべてオーダーメイドで作られています。

直径1メートル以上の巨大な工業用磁器パーツ。なんと、これもろくろを使って手作業で作られています!粘土の乾燥具合が違う部分があると焼き上がった時に割れてしまうため、均質な厚みと強度で作る腕が求められます
直径1メートル以上の巨大な工業用磁器パーツ。なんと、これもろくろを使って手作業で作られています!粘土の乾燥具合が違う部分があると焼き上がった時に割れてしまうため、均質な厚みと強度で作る腕が求められます

筒の外側の凹凸も1つひとつ、手作業で削られています
筒の外側の凹凸も1つひとつ、手作業で削られています

工業用品の工場だが、こうして手作業で細やかな調整をして作られている
工業用品を作る現場ながら、多くの職人の姿があるのが特徴的な工場でした

「有田では、目に見える美しさだけでなく、求められる品質をひたむきに追い続けてきた歴史があります。
目に見えないところこそ真面目に作る。そんなDNAが有田にはあるように思います」

そう語るのは、岩尾磁器工業の社員の方々です。

世界品質のプレッシャーに応えた、有田のものづくり

では、私たちの暮らしを支える有田のものづくり、その歴史を辿ってみましょう。

17世紀初頭に始まった有田の磁器生産。当時作られたものは、形も焼き具合も不安定で、品質の優れた中国製磁器の足元にも及ぶものではありませんでした。

磁器の生産を試みた初期の失敗作。焼成後に釜の脇に捨てられたものが遺跡の調査で出土しました。形が不安定であった、り割れてしまったり、表面に凹凸があったりと課題が多くありました (「佐賀県立九州陶磁文化館」展示)
磁器の生産を試みた初期の失敗作。焼成後に釜の脇に捨てられたものが遺跡の調査で出土しました。形が不安定であったり割れてしまったり、表面に凹凸があったりと課題が多くありました (九州陶磁文化館展示)

日本の磁器が産声をあげたばかりの頃、中国が政権交代の内乱期に突入します。早々に中国での磁器生産が不安定になり輸出が激減。それまで中国の磁器製品を輸入していた世界中の国に影響が及びました。

そこで、磁器を作り始めていた有田に白羽の矢が立ちます。国内のみならず、鎖国中に幕府から貿易が許されていた中国船とオランダ船に乗って、有田の磁器が輸出されるようになったのです。

需要が高まったのは良いものの、求められたのは、磁器の大先輩である中国の品質。役人やオランダ東インド会社からかなり厳しい品質指導があったといいます。

中央のロゴ「VOC」はオランダ東インド会社のもの。オランダ東インド会社から注文を受けて作られていたことが伺える
中央のロゴ「VOC」はオランダ東インド会社のもの。オランダ東インド会社から注文を受けて作られていたことが伺えます。(「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)

海外で求められる磁器は多種多様なものでした。大小の碗皿に始まり、ビールジョッキやワインジャグ、コーヒーポット、汚物入れの蓋付鉢など、日本の生活には無い製品も見よう見まねで必死に作り出荷します。

71番ブロックの後ろにあるのはワインジャグ (左) と、73番の後ろはビールジョッキ (右) (「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)
海外輸出された当時の製品。71番ブロックの後ろにあるのはワインジャグ (左) 、73番の後ろはビールジョッキ (右) (「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)

決死の努力が実り、たった30年ほどの間に飛躍的に品質が向上します。1650年代末には「有田の技術は景徳鎮磁器 (世界的に評価の高かった中国の磁器) と遜色ない」と認められる製品を作り、ヨーロッパへの本格的な輸出も始まります。

この輸出景気を経て、高級品から日用品まであらゆる種類の陶磁器製品を作る有田の体制が整えられていきました。そして、有田の磁器生産技術の礎が築かれていくのです。

困った時の有田頼み。近代化を支えた技術

明治維新後、海外から入ってきた文明のひとつ、電信技術の発達にも有田は一役買っています。

電気を通す設備に必要だった絶縁性のある部品「碍子 (がいし) 」。当初は、輸入品のガラス製のものを使っていましたが、高価で壊れやすいものでした。そこで政府からの要請を受けて、磁器製の碍子が作られました。最初に手がけたのは、今も有田焼ブランドとして名をはせる香蘭社 (こうらんしゃ) 。

電線をつなぐ碍子は、苛酷な使用環境におかれます。絶縁性の良さはもちろん、耐熱性、強度、屋外使用に耐える材質の安定性などが必要でしたが、見事生産に成功し、現在では海外でも使われています。

こうして陶磁器技術は、工業製品にも活用されるようになっていきました。

明治時代に入ると、有田の技術を生かした大型の製品が盛んに作られるように。欧米の万国博覧会へ出品されると高い評価を受けました (九州陶磁文化館展示)
明治時代に入ると、有田の技術を生かした大型の製品が盛んに作られるように。欧米の万国博覧会へ出品されると高い評価を受けました (九州陶磁文化館展示)

工場で使うタンクや、酸製造装置の部品、化学薬品の容器などにも磁器が用いられます。また、戦時中に金属の供出が始まると、台所のコンロや釜、鍋、服のボタン、磁器製の缶詰、郵便ポストのような大きなものまで代替品が磁器で作られていたと記録が残っています。

岩尾磁器工業の磁器を使って作られた床のモザイク模様。九州陶磁器文化館前の広場に使われている
岩尾磁器工業の磁器製品パーツを使って作られた床のモザイク模様。九州陶磁器文化館前の広場に使われている

時代ごとに、私たちの生活を支えてきた有田の技術。くらしと共に発展してきたものづくりの世界がそこにありました。

<取材協力>
岩尾磁器工業株式会社
佐賀県西松浦郡有田町外尾町丙1436-2
佐賀県立九州陶磁文化館
佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
0955-43-3681

<参考資料>
東京都環境局 データ・資料・刊行物
東京水道局 水道ニュース
「西日本文化 特集 有田 火と土と人と」 1996年4月 西日本文化協会
「海を渡った古伊万里 セラミックロード」 監修:大橋康二 2011年 青幻舎
「欧州貴族を魅了した古伊万里」 監修:佐賀県立九州陶磁文化館 2008年 有田教育委員会
「土と炎 -九州陶磁の歴史的展開-」 編集:佐賀県立九州陶磁文化館 2009年

文・写真 : 小俣荘子
写真提供:岩尾磁器工業株式会社

※こちらは、2018年2月28日の記事を再編集して公開いたしました。

【わたしの好きなもの】最適包丁 パン切り

 

ふわふわからハードまで、我が家に「最適」なパン切り

我が家では、休日の楽しみの一つにブランチで焼き立てパンを食べるというイベントがあります。

近くのパン屋さんに行き、好きなおかずパンやデザートパンなどいろいろな種類を購入。
全部をちょこちょこ食べたいので、切り分けてお皿に盛り付け、
まるでパンビュッフェのような気分を楽しんでいます。



このイベントに欠かせない、頼もしい道具が「最適包丁 パン切り」。
実は、この最適包丁のパン切りに出会うまでは、普通の三徳包丁で頑張っていました。

普段の食パンはスライスしたものを買うこともあって、本格的にパンがしっかり切れるようなパン切りが欲しい!
とまでは思いいたらず。それに、パン切りは料理用の三徳包丁よりも「長い」イメージがあり、
「収納に入るのかな?」「なんだか、わざわざ感がある」など購入までにハードルがありました。

そのハードルを取り除いてくれたのが、このパン切りなんです。



取り扱いやすいちょうといいサイズ!三徳包丁とほとんど変わらないサイズ感は、
気軽に使おうかなという気持ちにさせてくれます。



ある友人は、包丁の収納場所に収められず、パン切りだけ別の引き出しに入れているらしいのですが、
そうなると、わざわざ出すのも億劫で、「もう普通の包丁で切ってしまおう」となるそうです。

お気に入りの道具は、サッと手に取れていつでも気軽に使いたい。このパン切りは、
そんな思いに寄り添ってくれる、まさに「最適包丁」だなと思います。



切れ味はというと、おかずパンとデザートパンが潰れずにスパッと切れます!

明太子フランスや、チーズがたっぷりのったパン、野菜がたくさん詰まったサンドイッチ、いちごとクリームが挟まれたふんわりやわらかなパンなどなど、いろいろな種類、硬さがあるのに、どれも潰さずきれいな断面を見せてくれます。

三徳包丁ではツルツルに滑っていたハード系のパンも、波刃がしっかりと切り込みます。



ふわふわ系のデザートパンがクリームを潰さず切れたということは、ロールケーキやお誕生日のホールケーキもきれいに切れるのでは!という期待が高まりました。

切れ味が長持ちする薄刃というのも、長く使いたい道具として、とてもありがたいこと。



さらに、ステンレス製で錆びないことも、お手入れが億劫な私には、気軽に使える後押しになり、しまい込まないパン切り包丁として、我が家の包丁収納に迎えることになりました。

毎週末の我が家のパンビュッフェが、なんだかランクアップした気分です!

編集担当 今井
<掲載商品>
最適包丁
最適包丁 パン切り

産業観光とは?燕三条 工場の祭典の事例に見る産地の未来

「開け、工場!」。燕三条の工場が祭りの場となる4日間

毎年10月はじめの4日間、燕三条の金属工場などが開放され一般の人たちがものづくりの現場を見学できる「オープンファクトリー」のイベント「燕三条 工場の祭典」が行われています。合い言葉は「開け、工場!」。

この「燕三条 工場の祭典」では、世界に誇る技術とものづくりの精神を持ちながら今まで特にアピールされてこなかった燕三条の工場の実力を実際に間近で見ることができるとあって、大きな注目を集め、年々訪れる人も増えています。

なぜこのようなイベントが実現されることになり、大きな反響を得るようになったのでしょうか。数年前の2013年から毎年このイベントは開催されてきましたが、その4代目の実行委員長を務めたのが燕の鎚起銅器の老舗「玉川堂」番頭の山田立さんです。

このイベントの立ち上げから関わり、試行錯誤しながら続け、回を重ねていくごとにさらなる期待に応えてきた山田さんにお話をうかがいました。

急展開で実現した、燕と三条一緒の工場見学イベント

上越新幹線の終点である新潟駅の一つ手前の駅が燕三条駅。燕三条という駅名があることで、新潟に燕三条市というところがあると思っている人も多いことでしょう。しかし、燕三条駅の東側には三条市が、西側には燕市があり、燕三条市という地域はありません。

三条は鍛冶や作業工具が、燕は鎚起銅器や金属洋食器が主な産業というように、それぞれの歴史と個性を持って発展してきた地域なのです。

その三条市、燕市の両地域が会場となるのが「燕三条 工場の祭典」。工場が見学できるほか、さまざまなイベントが開催され地域をまるごと堪能できる機会となっています。

お話を伺った玉川堂さん本店。
お話を伺った玉川堂さん本店

燕市の玉川堂の店舗・工房は、登録有形文化財でもある歴史と趣のある日本家屋。そのお座敷でこれから山田さんにお話をうかがっていきます。

山田さんは、作務衣姿がいかにも番頭さんという雰囲気の方。飄々、訥々とした語り口で、こちらもすぐにお話に引き込まれていきます。

玉川堂番頭で2016年の「燕三条 工場の祭典」実行委員長を務められた山田立さん
玉川堂番頭で2016年の「燕三条 工場の祭典」実行委員長を務められた山田立さん

「地元を金物の街としてのアピールするということでは、2007年から三条市が『越後三条鍛冶祭り』のイベントを毎年秋に行っていました。物販が中心でしたが、お客さんから、もっと鍛冶屋さんなどの生産の現場を見てみたいという要望がありました。

同じく三条市では『後継者育成事業』ということで、中川淳さん(中川政七商店)、名児耶秀美さん(アッシュコンセプト)といったプロデューサーとともに地元の伝統と技術を活かしての新製品づくりにも取り組んでいました。

そのプロデューサー役を山田遊さん(method)に依頼したところ、『ものを一つ作って完結するだけの仕事では広がりがないので、オープン・ファクトリーならぜひ関わってみたい』という話になったのです。

さらに同じ時期に燕市でも動きがありました。

燕三条 工場の祭典が始まる3年ほど前から武田金型製作所/MGNETの武田修美さんがひとりでいろいろな工場にお願いしてツアー形式の工場見学を何回か実施していました。ところが、ツアー形式だとご案内出来る人数に限界があったり、その次への広がりがなかなか見いだしにくかったりと、限界を感じていたそうです。

そんなタイミングに三条市でオープンファクトリーのイベントを企画しているらしいという話が舞い込みました。同じ思いを持った人達が同じ時期に同じ事をやりたがったんです。両市合同のオープンファクトリーイベントをやろうという企画が、一気に加速していきました」

工場はだんだんに開いていった

「『燕三条 工場の祭典』が始まった時は、燕三条でいつでも工場見学ができるところというのはまだまだ少ない状況でした。

『玉川堂』では30年ほど前から見学のお客様を受け入れていて、2010年からは『スノーピーク』、2011年に『諏訪田製作所』という三条でも大きな企業が工場見学を始めていました。

そのほかには、三条市のものづくり体験研修施設の『三条鍛冶道場』、燕の研磨技術を体験できる『燕市磨き屋一番館』くらいしか見学できるところはありませんでした。

それが「燕三条 工場の祭典」開催以後、工場見学を取り巻く状況がだんだんに変化していくようになります。

まず私たちが実感したのは、玉川堂の工房に見学にいらっしゃるお客様が増えていったことです。『工場の祭典』を最初に開催した年には急激に増えて1年間で2000人にもなり、前年の3倍近くのお客様にお越し頂きました。

生産の現場を見ていただくと、お客様と製品の距離がぐっと縮まる。職人がどんな思いで、どんな環境でものを作っているかということを見ていただくのは大変意義深いことだと、私たちもより強く感じるようになりました」

玉川堂さんでは間近でものづくりを見ることができる工房見学を実施している
玉川堂さんでは間近でものづくりを見ることができる工房見学を実施している

「燕と三条全体でも、徐々に一般のお客様に工場を見ていただくことに積極的になる企業が増えてきました。毎年2社ずつくらい、設備投資をして一年中いつでも工場見学ができるという体制が整うように。また、お客様が多い土曜日も工場を開けているところも多くなりました。

『燕三条 工場の祭典』としては、初年度は54の工場が参加して5日間で計10000人のお客様が見えました。2年目は59参加工場で4日間12000人。3年目は68の参加工場で4日間19000人の方が見えた。

そして4年目は2倍ほど増えて、4日間開催で35000人。だんだんいらっしゃるお客様も参加する工場も増えていったんです」

毎年、さらなる扉が開かれていく

「『燕三条 工場の祭典』では、毎年毎年新しいことをやっていきたいと思っていまして、2年目からはさまざまなテーマでの工場見学ツアーを始めたほか、お客さん同士や職人たちとふれあえる場所がほしいということで、毎日夜の部にどこかの工場で『レセプション』を開催しています。

音楽のライブやバーベキュー、工場でお酒を飲めるBAR、去年はお寺を会場にして全体のレセプションも実施しました。ワークショップや飲食の屋台なども出店して大いに盛り上がりました。

東京や県外など遠くからいらしてくださるお客様も多く、この数年は泊まりがけでも楽しんでいただける仕掛けを増やそうとしているところです。お客様の年代はさまざまですね。何度も来てくださるリピーターの方も多い。毎年4割くらいの方が県外からで、この機会に初めて来てみたという地元の方も多い。

2016年の『燕三条 工場の祭典』は、三つのKOUBA(工場、耕場、購場)」がテーマでした。燕三条では、食事の時に使うカトラリーや、刃物などの料理用具、農作物を育て収穫する鋤や鍬などを作っていますので、農作物の収穫体験や食を楽しんでもらう企画をいろいろと企画しました。

燕三条は金属加工だけやっているわけではありません。私たちの地域では『ル・レクチェ』という洋梨やぶどうなどの果物や米も採れるし、温泉や食の楽しみもあります。それらもまるごと地域の魅力として味わっていただければと思います」

オープンファクトリーがもたらした予期せぬ効用

5d_b3174

「今年参加したのは、工場、農場、販売所を合わせて96事業所。

ただ、『燕三条 工場の祭典』は、参加工場の数や来場者数が多くなることだけを目的にしているわけでないのです。来ていただいた方々に燕三条ファンなってもらい、職人とお客様とのつながりを太くしていきたい。

そして『燕三条 工場の祭典』を開催していることは、自分たちの仕事の励みにも大いになっていると感じてもいます。たくさんの方たちに日頃の仕事ぶりを見ていただくことで、自分たちの仕事を客観的に見直す機会にもなりますし、工場見学がきっかけとなって燕三条で働きたいと就職した人もいます。

地域の子どもたちも、『うちの街ではこんな素晴らしいもの作っているんだ』と誇りを持つようにもなった。これをきっかけに、地域内の会社同士の交流も増えました。

そんなつながりの、太さと濃さを目指して、そしてこの『祭典』自体を継続していくことが大事だと考えています。ものづくりの場を巡礼するみたいな、ぼくらの地域だけの新しい工場見学の場をこれからも作り続けていきたいと思っています」

<関連書籍>
中川政七商店(2016)『世界一の金属の町 燕三条の刃物と金物 暮らしの道具135選』(平凡社)


文:鈴木伸子
写真:神宮巨樹

*こちらは、2016年12月7日の記事を再編集して公開いたしました