新茶を美味しくいただく、村田森さんの白磁急須

連載「日本の暮らしの豆知識」の5月は旧暦で皐月(さつき)のお話。

皐月の語源は、耕作の意味をなす「さ」から、稲作の月ということを意味して「さつき」となったとされます。そして、皐の字には、神に捧げる稲という意味があるので、この字が当てられたのだとか。

旧暦はわずかな文字数の中に、日本の自然や風習などが含まれており、言葉から風景を感じますね。

皐月は田植えに始まり、農作業の忙しい時期。例えばお茶も新茶が出回る頃です。

「夏も近づく八十八夜‥‥」の茶摘みの歌はよく知られていますが、立春から数えて八十八日目なので、だいたい5月2日頃に当ります。

ただ日本も南北に長い国なので、茶産地によって茶摘み時期は異なります。一番早い4月上旬の鹿児島県あたりを皮切りに、日本一の茶産地静岡では4月中旬から5月半ば、奈良は少し遅めの5月中旬以降が最盛期です。

新茶と言ったり一番茶と言ったりして、現在の進化した製茶技術では1年中、一番茶を楽しむことが出来ますが、やはり出来立ての新茶は格別の味わいです。

新茶は春の芽生えとともに成長する新芽なので、香りや旨味成分がたっぷり。葉も柔らかく渋みも少ないので、甘くてやさしい味わいのお茶が好きな方には特に飲みやすいと思います。茶殻も柔らかいので、ポン酢やお醤油をかけておつまみとして食べるのも乙な味。

私は、新茶を淹れるのに、「宝瓶(ほうひん)」を活用しています。

宝瓶はあまりメジャーではありませんが、持ち手の無い急須なので場所も取らず、洗いやすく、淹れた後の茶葉がよく見えます。また、人の前で淹れるのにも所作が格好良く決まりますよ。

京都・村田森さんの白磁急須

写真で使っているのは、京都の陶芸家、村田森さんのシンプルな白磁。青々とした茶葉の色が映えます。

美味しい淹れ方ですが、一煎目は70度くらいの低温で30秒。沸騰させたお湯を、まずは湯呑みを温めるなどでややぬるめに冷ましてから宝瓶に注ぎます。低温で淹れると渋みが出にくく、甘味と旨味を堪能できます。

その後二煎目、三煎目は程よい渋味も味わえ、風味の変化を楽しむことができます。宝瓶だと、開いた茶葉の色や清々しい香りも分かりやすいのです。

更に淹れ方のポイントですが、最後の一滴に旨味がギュッと凝縮されています。湯呑みに注ぎ分ける際に最後の一滴がポトリと落ちるまでじっくり構えてください。その湯呑みはお客様におすすめしましょう。

最近、巷でもお茶が注目されている気がします。サードコーヒーブームも少し落ち着いて、次のスポットライトがお茶に当たっている!?

嗜好品なので、好きなものを好きなように飲むのが良いのですが、コーヒーとお茶だと楽しみ方が少し違う気がしています。特に時間の流れが違うような。

個人的な意見ですが、コーヒーはフットワークが軽いイメージもあり、お茶はのんびりまったりな時間が似合うと思いませんか?

例えばアジアでの旅先で、動き疲れた時に茶館でお茶を飲みながらゆっくり過ごしていたら気付くと1時間以上経っていました。お茶は味が変化するので何杯もずっと飲んでいられます。

一見贅沢な時間の使い方ですが、このオフモードが大人の旅にはとても良い時間だと感じました。

家では1人でよくお茶を飲みますが、たまには家族や友人との気軽なお茶会でリラックス時間を共有するのもいいなと思っています。

ちょっと特別なお茶や、美味しいお菓子がある時に、いつもより少し道具の取り合わせを考えて、でもかしこまらずにのんびりと。たいそうなお菓子が無くても、金平糖やナッツ、ドライフルーツのような軽いお茶菓子でも十分です。気軽な会話を楽しんでいると思わず数時間経ちそうです。

今回は道具よりもお茶、そしてお茶の時間が主役の、皐月の暮らしの豆知識でした。

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。お茶も工芸も、好きがきっかけです。好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。素敵な工芸を紹介したいと思います。
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文・写真:細萱久美
*こちらは、2017年4月6日の記事を再編集して公開いたしました

茶道の「型」を身につける意味。既にあるものを自分の体に沿わせていく

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇掛け軸に隠されたメッセージ

8月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室10回目。床の間には涼しげな掛け軸が。うちわに孔雀の羽が描かれています。

床の間の様子

「これまで帛紗、茶杓、茶筅と道具ひととおりを見てきましたね。そろそろ、所作をできるようになっていってもらおうと思います。

極端なことをいえば、お点前をしなくてもお茶は飲めます。でも、動作自体も一つのおもてなしのサインとしてお客さんに受け取ってもらおうと思えば、話が変わってきます。

なんでもないような帛紗さばきも、ものをゴシゴシと拭いて汚れを拭い去ろうというものではなく、絹の帛紗を使い、きちっとした清らかな動作を通して、ものを清めているわけですね。

神社で神主さんが厳かな動作で出てきて御幣 (ごへい) を振る、その一連の動作がいかにも頭を垂れるにふさわしい雰囲気をまとっているのと、一緒です。

今日の床の間の掛け軸も、孔雀の羽にうちわで涼しそうですね。‥‥でもいいですが、実はその奥にもうひとつ物語がありますから、そこまでを汲み取ってこそ。京都なら先月使った方がいいくらいの掛け軸です」

孔雀の羽が描かれた真白いうちわ

「この絵は、祇園祭の山鉾 (やまほこ) 巡行でお稚児さんがかぶる『蝶とんぼの冠』を飾る孔雀の羽を表しています。残暑きびしき折に軽い感じで掛ければそれはそれ、でも祇園祭の頃に掛けたら気づく人もいるであろう、ということですね。

興味を持って接すれば、物事にはそこに見える以上の奥行きがあります。それを紐解いて使っていくことが大切です」

◇見て、学ぶ

改めて心得を伺いこれからいよいよ実践、と緊張が高まる中、それを和らげるように今日のお菓子が運ばれてきました。

菓子鉢は涼しげな江戸切子の器。江戸時代に作られたものだそうです
菓子鉢は涼しげな江戸切子の器。江戸時代に作られたものだそうです

お茶もいただいて、二服目はいよいよ自分たちでお茶を点てていきます。

「体全部の関節を駆使しているようなイメージで体を使えるようになると、本当にきれいですよ」との先生の指導とお手本の所作に全神経を集中させて、見よう見まねでやってみます。

先生の言葉と身振りを必死に体で再現します
先生の言葉と身振りを必死に体で再現します
柄杓ひとつ持つのも美しく
柄杓でお湯を入れたら‥‥
柄杓でお湯を入れたら‥‥

「柄杓は長いので、昔は弓矢を作る人が作ってくれていたものなんです。だから所作でも弓矢の扱いと似通わせているところがあります。器にお湯を入れたら、そのあとの所作はひきしぼっていた弓矢をパッと放つ時の手の形をします」

弓矢を放つように、とはなかなかうまくゆきません
弓矢を放つように、とはなかなかうまくゆきません
お茶を点てることに必死になっていると、顔はまっすぐ、と先生から指導が
なんとか一服、点てられました

「みなさんも見学ですよ。自分がやるときのことを思って、見て学ぶんです」

先生の声がけにお茶室内の空気がさらに静まって、澄んでいくようです。

2服目でいただいたお菓子は、先生が萩のお土産で持ってきてくださったもの。夏みかんの砂糖漬けです。銀のお皿はわざと木の皮(へぎ)のように見える細工がしてあります

一人、また一人とお点前を終え、新しいことをやってみる緊張とできたときの嬉しさで教室全体が熱気を帯びる中、先生から思いがけない提案が。

「今日は真夏のことなので、最後は氷水でお茶を点ててみましょう」

◇型を体に沿わせる

「冷水点て」の一式
こちらが「冷水点て」の一式
たっぷりの氷で冷やされている様子は、見るだけですっとします
涼しげな棗は、バカラのもの。もともとお化粧用のパウダー入れとして作られたものだそうです!

全員が氷水でのお点前も終えたところで、最後に生徒が活けたお花を先生が少し手直ししてくれします。

先生の手直しの様子

「突き刺すように入れてはダメですよ。お花はいくつ入れても、一本の枝からでているように見えないといけません。花材を買う時は、事前に今日行きますからこういう花材を用意しておいてください、と伝えておけば、いいものをお花屋さんが選んでくれますから」

紫の花弁が凛と映えます

花には花の「型」がある。お茶を学びながら、少しずつそのまわりへと気づきが広がっていきます。

「今日はひと通りお点前を経験してもらいました。せっかくこうしてお稽古にきているのですから、大切なのは帛紗をたためるようになることよりも、何かひとつの物事をする時に、何気ないこともおろそかにせず、きちっと向き合って取り組む癖を、身につけることです。

そこに既にある型を自分の体に真剣に沿わせていくこと。その癖をつけるという意味では、帛紗さばき一つにも意味はある、と思います。

–では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、見学は、自分ごとにして「見」て、「学」ぶ

一、事に当たる時に大切なのは、まず型を体得しようとする心構え


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装協力:大塚呉服店
着付け協力:すみれ堂着付け教室

※こちらは、 2017年9月28日の記事を再編集して公開しました。

【わたしの好きなもの】シーサー ミニミニ

「だって、目が合っちゃったんだもん」


皆さん、お洋服やバッグなど、なにかに一目惚れした経験があると思います。その対象が“顔”のあるものとなると、正に目と目が合う瞬間があるのです。それはもう、赤い糸で繋がっているとしか言いようがない感覚を覚えます。

郷土玩具が好きな人ならきっと理解してくれるであろうこの気持ち。


一点一点職人さんの手によって丹精込めて作られた作品は表情や風合いがそれぞれに異なっており、人間の個性そのもののように感じます。

今回紹介する「育陶園シーサー」も、私と赤い糸で結ばれた相手の一人(二人?)です。

シーサーは沖縄に古くから伝わる守り神で、もとを辿ると紀元前エジプトのスフィンクスにルーツがあると言われています。シルクロードを経て中国から沖縄に伝わり、日本に残存する最古のシーサーと言われる「富盛(ともり)の石彫大獅子」が作られたのは300年以上も前の1689年。

それ以来、家の守り神として沖縄の人々に愛され続けてきました。シーサーの置き方に特に決まりはないそうですが、口を開けた右側の雄は悪霊を追い払い、口を閉じた左側の雌は幸せを呼び寄せて逃がさないとされ、二体で置くのが一般的とされています。

育陶園は那覇に300年続く壺屋焼の窯元。育陶園シーサーは、現代の名工に指定されている髙江洲育男氏の遺した型をベースに半手捻りで製作されています。

このシーサーミニミニはサイズこそかわいらしいですが、威厳がありながらもどこかコミカルで柔和な表情、立体感のある巻き毛、逞しい筋肉の質感など、大型のシーサーにも引けを取らない風格を備えています。




私がシーサーミニミニに出会ったのは昨年末、中川政七商店で働き始める前のことでした。通販サイトを眺めることを日々の癒しとしていたとき偶然目にとまり、実物を見たくてオープン間もない渋谷旗艦店に出掛けました。

すると、「仝(おどう)」と呼ばれる中央スペースに居ました、居ました、シーサーたち。

見た瞬間、これはもう「買い!」、即決でした。

手に取ってまず驚いたのがずっしりとした重量感です。守り神ですもの、あまりふわふわしていては不安になるというものですが、育陶園シーサーは手に伝わる重みから十分な安心感を与えてくれました。

さて、迷ったのが色です。一色仕立ての「辰砂」は飽きが来なくて良さそうだし、「緑釉」の緑は心が落ち着きそうだし、「青釉」の青は発色が素晴らしく綺麗だし、どうしよう、迷う、決められない・・・。

店員さんに助けを求めると、シーサーには特に色の決まりはないけれど、青は誠実さの象徴とされていることを教えて頂き、すんなり青釉に決定しました。あとは青の中から目が合う子を選ぶだけです。ほんのわずかな牙の傾き具合や眉間の距離、色の濃淡によって受ける印象が全く違うのが手作りの良さであり、面白さですね。

一つ一つ違うからこそ愛着のある「私のもの」になっていくのだと思います。大満足で帰宅すると、主人と息子が発熱で寝込んでおりました・・・シーサーの力よ、いずこに。

私はシーサーをはじめとする数々の飾り物たちに日々癒され、励まされながら生活しています。毎日見ても飽きることがありません。それはきっと眺める自分の気持ちが日々変わるからで、違う気持ちで眺めると違う返事を返してくれるのだと思います。

これからどんな相棒たちに出会えるのか、運命の相手と目が合う瞬間が楽しみです。



日本市羽田空港第2ターミナル店 玉野

刺繍のアクセサリー「000 (トリプル・オゥ) 」の誕生秘話。150年の老舗が挑戦する常識破りの新技法

かつて石田三成討伐に向かう徳川家康勢に旗作りを依頼され、2300という途方も無い枚数を、たったの1日で届けた「織物の町」がある。

「西の西陣、東の桐生」とも謳われる、群馬県桐生市。品質の高い桐生の織物を江戸へ届けるために、越後屋が初めての支店を高崎市に置いたという。

そんな桐生市で明治10年 (1877年) に創業し、時代の変化に合わせて織物から刺繍へと業態を変えながら、桐生でのものづくりに取り組んできたのが株式会社笠盛だ。

笠盛の外観

刺繍屋である笠盛が、次のステップとして立ち上げたアクセサリーブランドが注目を集めている。

「000 (トリプル・オゥ) 」と名付けられたブランドのアイテムは、刺繍糸だけで作られており、金属にはない質感とデザイン性が特徴だ。軽くて金属アレルギーの人でも身につけられる。

刺繍の概念も、アクセサリーのイメージも覆す、刺繍屋の新たな扉を開くものだった。

トリプル・オゥの商品
「000 (トリプル・オゥ) 」HPより

自分たちから、変わっていかなければ

「織機をガチャンと動かすたびに、万の金が儲かる」と言われた「ガチャマン景気」が、戦後の織物業界に訪れた。

当時、機屋だった笠盛は『笠盛献上』という連続的に流れる模様の帯を生み出し、それが「手頃な値段でおしゃれができる」と人々のあいだでヒットした。桐生における織物の出荷額の3割を、笠盛グループが占めるほどだったという。

ところが1957年 (昭和32年) 頃から「鍋底景気」と呼ばれる不景気に。代表取締役会長の笠原 康利さんは、こう語る。

「生き残るために何か他のことをやらなくちゃって、やり始めたのが刺繍だったんです」

株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん
株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん

まずは靴下などのワンポイントの刺繍から始めた笠盛。機屋の頃からの縁もあり、和装の刺繍なども手掛けるようになった。

1990年代になり、多くのブランドの生産拠点が海外へ移る流れに乗って、2001年にはインドネシアに生産拠点を設ける。しかし4年後、今度は日本のものづくりを海外へ、という思いが強くなり、拠点を桐生へと戻した。

小さな点がひろがる町、桐生と出会ったデザイナー

そんな笠盛に2005年、一人のデザイナーが入社する。のちにトリプル・オゥを立ち上げる片倉 洋一さん。2004年までヨーロッパで活動し、テキスタイルや刺繍のデザインに携わってきたデザイナーだ。

片倉さんが桐生を知ったのは、テキスタイル・デザイナーの新井淳一さんを訪ねてきたとき。さまざまな染屋さんやプリーツ屋さん、繊維工業試験所などの施設に足を運んでいくなかで「桐生っておもしろい」と思うようになったそうだ。

デザインを担当する、トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん
デザインを担当する、トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん

「例えば毛織物産地として有名な愛知県の尾州 (びしゅう) などに比べて、桐生は企業の規模がすごく小さいんです。染めだけでも『絹はここ、綿はこっち』と染屋さんが分かれていたりして、ひとつの会社ですべて作るのではなく、全部が分業制になっている。もともと着物で栄えた町だからなんでしょうね。

そういう小さな点と点が新しいつながりを持つことで、新しいものづくりが生まれるのではないか、と感じていましたね」

新たな戦力を迎え入れ、よりパワーアップした笠盛が向かったのは、パリだった。

「生地のいらない刺繍」は、世界で認められるか

2007年、パリ。

笠盛はMod’Amont(モーダモン)と呼ばれるテキスタイルの展示会に出展していた。

展示したのは「笠盛レース」と名付けた服飾パーツ。すでに出来上がっている洋服などに後付けできる装飾品だ。

笠盛レース
本社併設のショップの壁に飾られている、さまざまな種類の「笠盛レース」

「通常の刺繍の仕事では、必要な生地をアパレルブランドからお預かりして、刺繍を施してお返しします。でも海外に売り込みたいと思ったときに、それだと物理的な壁が高いと感じていました」

そこで生み出されたのが「生地に刺繍をしない刺繍」だ。水溶性の生地に刺繍をしてお湯に溶かすことで刺繍のみが残り、装飾品として付けられる刺繍を生み出した。

「笠盛レース」で特に大切にしたのが手作り感。まるで手で編み込んでいるような質感の刺繍は、機械と職人の手で作る笠盛が得意とするものだった。

笠盛レース

何百という会社が出展したなかでも、笠盛レースのような商品は他になく、注目を集めた。展示会で行われたコンテストでは、ユニークな製品に贈られるVIPプロダクトを受賞。

「この手法をもっと極めていけば、世界的に受け入れられる可能性があるのかな、と希望が持てた瞬間でしたね」

あとは、自分たちが得意とするものを、何に活かせるか。この模索が、のちのアクセサリーブランド立ち上げに繋がっていく。

糸で作る、自分たちらしいアクセサリー

「笠盛レース」の技術を活用し、ボタン、レース、リボンなどのさまざまな形で活かし方を模索するなかで、転機が訪れたのは2009年。

試しにネックレスを作ってみると、国内のアパレルブランドから「これを、このまま仕入れたい」と連絡が入った。

アクセサリーとして存在感がありながら、糸という素材の強みを活かした軽さや手触りのよさ。金属アレルギーの人でも心地良くつけられるというのも魅力だった。

「糸の強みが活かせる、自分たちらしいアイテムが作れるかもしれない」

長年培ってきた刺繍の技術、厳選した素材、今までにないデザイン。この3つを組み合わせ、ゼロから新しい価値を生み出そうと名付けた「000 (トリプル・オゥ) 」。

トリプル・オゥのロゴ

すでに世の中に溢れている「アクセサリー」に、桐生から糸を使って新たな価値を生み出すブランドが誕生した。

トリプル・オゥから初めて発売された商品が「ディ・エヌ・エイ」だ。直線と丸だけを組み合わせたシンプルな構造でありながら、複雑にも見えるデザイン。

ディ・エヌ・エイ
ゴールド・シルバー・ブラックの三色展開。色違いで持っているお客様もいるそうだ

触ってみてようやく「これ、糸?」と思う光沢のある素材には、純銀が入っているのだという。金属のような輝きを持ちながらも、軽い上に折りたたむこともできる。

初めての商品「ディ・エヌ・エイ」
初めての商品「ディ・エヌ・エイ」

「ブランドのデビュー作だったので、『これが糸でできているんだ!』っていう驚きを作りたかったんです。

つけ方も、首にかけたり、スカーフのように巻いたり、半分に折ったり、さまざまです。今までのアクセサリーにないものを追い求めたところから始まりました」

機屋から刺繍屋になり、アクセサリーブランドへ。新しい挑戦へ前向きな印象の笠盛だが、トリプル・オゥを始めた当初、一番苦労したのは社内から理解を得ることだったという。

「できない」という壁への不安

「長く刺繍に携わっている人たちに、アクセサリーを作るんだと話しても『立体なんて、できないよね』と、厳しい反応でした。これまで積み重ねてきた経験って、自信でもあり、自分たちの今を支えるベースなんですよね。トリプル・オゥでやろうとしていたのは、それをひっくり返そうということだったので」

片倉さんがひとりでアクセサリーを作り始めたところに、右腕として新井 大樹さんが加わった。当時の様子を、新井さんは振り返る。

「繁忙期になると、クライアントの刺繍の仕事だけで工房は大忙しなんです。機械も納期に向けてギリギリにスケジュールが組まれているなかで『すいません、ちょっと夜の間だけ機械貸してください』みたいにお願いをして」

営業課長の新井 大樹さん
営業課長の新井 大樹さん

片倉さんも、頷きながら言葉をつないだ。

「最初は不良率が高かったり、針が折れてしまったりして。なかなか安定して量産することもできなくて、利益を出していないお荷物部署、みたいな感じでしたね」

トリプル・オゥを作る機械

自分たちの刺繍の技術に、誇りと自信を持っていたからこそ、まったく新しいものを作ることには勇気がいる、と新井さんは言う。

「普段とやることがあまりにも違いすぎて、ギャップに戸惑っていたと思います。クライアントからの要望は『もう少し、こうできないか』という、今より少し上を目指すものが多いんですね。

でもトリプル・オゥで求められるのは、少し上ではなくゼロからチャレンジすること。ずっとやってきた刺繍に『できない』という壁が現れて、不安だったんだろうなと今、振り返ると思いますね」

作り手と使い手のコミュニケーション

不安のなかでアクセサリーづくりに取り組んでいた社内を動かしたのは、お客様の「欲しい」という声だった。徐々に注文が増えてきたことで、作り手として誇らしい気持ちも芽生えていったという。

「僕が何を言おうが関係なくて、こんなにも世の中に欲しいと思ってくれる人がいるんだというのが一番強いですね。これ作って良かったねって。最近は、社員が自社製品を購入することも増えてきました。

同時に、自分たちにできることも少しずつ増えてきて、もともと持っていた『なんとかみんなでクリアしよう』という団結力がまた強まっていくのを感じました」

本社併設の直営ショップをオープンしたり、展示会に出展したり。お客様と直接、話す機会が増えると、原動力はさらに増していった。

ショップ店内
会社の敷地内にあるショップは、第三金曜日と土曜日に営業

「『金属アレルギーだけど使えて嬉しい』とか『軽くて着けているのを忘れて顔洗っちゃった』とか、そういう感想をいただけるたびに新鮮だったし、嬉しいですよね」

伊勢丹新宿店のリニューアル時の企画展に「ディ・エヌ・エイ」が選ばれたことを皮切りに、ブランドとしても注目されるようになっていった。

現在では、日本全国のさまざまなお店で販売されている他、ロンドンの国立美術館を運営するテート・ギャラリーで取り扱われたり、他の企業とコラボレーションするなど、新しい販路を広げている。

「地域の一番星」になることで恩返しする

現在、200種類ほどの商品があるトリプル・オゥ。それは笠盛だけで作れるものではなく、数え切れないほどの職人の手によって作られている。

「桐生にいる職人さんたちと、素材から新しいものを作り出したりもしています。

例えばアクセサリーのために開発した『シルクリネン』という素材は、フレンチリネンとシルクを合わせたオリジナルの紡績糸を、桐生の染工場で染色しました。紡績、染それぞれ、桐生の糸商さんにつないでもらって完成した素材です。

組み立てて、形にするのは笠盛でも、それまでに見えていない作り手の人たちがたくさんいるんですよね」

シルクリネンを持つ片倉さん
求める素材が見つからなければ、糸から試行錯誤して作ることもある

まさに片倉さんが桐生を訪れたときに抱いた思いのとおり、小さな点と点が繋がって、この街で新しいものづくりが生まれている。その小さな点を維持していくための取り組みも、笠盛は見据えている。

「養蚕農家さんや撚糸屋さんと話していると、どこも高齢で、後継ぎがいない問題があります。僕たちにどんなに技術があっても、欲しいと言ってくれるお客さんがいても、糸を作る人がいなくなったら、もうこのアクセサリーは作れない。

一緒にものづくりしてる人たちも、きちんと経済的にも成り立っていける環境づくりができたらいいなと考えています」

今、笠盛が目指しているのは「地域の一番星になること」だ。

「地域活性化っていろいろな方法があると思うんですけど、僕たちがまず桐生の名を全国にPRできるような、輝く存在になれたらと思っています。

みんなで一緒に何かをやることも大事だけど、時には勢いよく突っ走ることも必要。まずは笠盛が桐生の一番星メーカーになって、地域に還元できるようになりたいですね」

ショップ店内

最後に今後について聞くと、会長が話してくれたのは笠盛らしい答えだった。

「『伝統は革新の連続』という言葉があるように、変わり続けることが笠盛の変わらないところです。市場がどんどん変わっていくなかで、変化していかなければ会社として生き残っていかれない。でも、変わっていくなかでも桐生という地域とお客さんを大事にすること。これだけは、これからも変わらないですね」

株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん

機屋、刺繍屋、アクセサリーブランドと形を変えてきた笠盛だが、根底にあるものは140年のあいだ、ずっと変わっていないのかもしれない。

挑戦で殻を破って成長し続ける技術。桐生の小さな点と点から生まれる素材。使い手の生活に寄り添う新しいアイディア。これらの組み合わせ次第で、トリプル・オゥから生まれる商品の可能性は無限大だ。

後編では、実際にトリプル・オゥのアクセサリーがどのように作られているのか、技術とアイデアが結集する工房の様子をお伝えする。

<関連商品>
00(トリプル・オゥ)

<取材協力>

株式会社 笠盛

群馬県桐生市三吉町1丁目3番3号

0277-44-3358
https://www.000-triple.com/ja/

文:ウィルソン麻菜


写真:田村靜絵

*こちらは、2019年11月25日の記事を再編集して公開いたしました

【わたしの好きなもの】立ち仕事の疲れを軽くしてくれる靴下

「普通の靴下とどう違うんだろう?」そう思ったのが最初の印象でした。

 
接客販売職にとってもはや職業病ともいうべき足の疲れ。わたしもその例に漏れず、長年、慢性的な足の疲れに悩んでいました。
 
お風呂でマッサージをしたりシップを貼ったりして対処しても、なかなか改善しない。
ひどいときは靴下のゴム部分の周囲が浮腫みで真っ赤になることも‥‥。
もうこれは「仕方がないのかな~」と半ば諦めていました。

 
そんな時に「しめつけないくつした」と出会います。
 
ちょうど、中川政七商店に入社してすぐのころ。ようやく色々な商品のことを少し覚えてきた私はこの商品をみて、冒頭のような疑問を抱いたのです。
 
説明には、“履き口がしめつけずやわらかい” とあります。
 
なるほど。試しに履いてみると、確かにゴムで留めている感じはほとんどない。
それでいて、踵がずれてこないから歩きやすい。


「何だこれすごい不思議!」が第二の感想でした。




特に驚いたのは一日の終わり。帰宅して靴下を脱いだ時。
 
それまで当たり前に付いていたゴム跡がほとんどついていなかったのです。
仕事後なのに浮腫みも無く、なんとなく足が軽いような‥‥???
 
それからというもの、連続勤務の日もこのシリーズの靴下を履いて毎日試してみました。
 
結論は「疲れ方が段違いに軽い」!!!
 
浮腫みで足が真っ赤になることもなくなりました。
 
この靴下は足のトラブルでお困りの方にこそお勧めしたいです。
敏感肌で痒くなる、浮腫みやすい、やわらかい肌触りやフィット感を求める方などなど。
可愛くて合わせやすい柄がたくさんあるので、足元のオシャレを楽しみたい方にもぴったり。






私のお気に入りはcubeシリーズです!




福岡パルコ店 米田

曲げわっぱ好きがわざわざ買いに行く、熊本・そそぎ工房の「一勝地曲げわっぱ」が美しい

こんにちは。細萱久美です。

小物整理にはカゴや箱を多用していますが、国内外の曲げ物も多いことに気がつきました。日本では曲げわっぱ、アメリカだとシェーカーボックス、北欧ではヴァッカというそうです。

木の種類やデザインのディティールは違えど、いずれも木を曲げて、基本的には丸い形状に成型するという点で同じ発想の工芸品です。

シェーカーボックス
シェーカーボックス

シェーカーボックスは、19世紀を中心にアメリカで活動していたシェーカー教徒によって創られた木製品。

彼らは生活全般において「simplicity~全てにおいて簡素である事~」を理想とし、装飾性を削ぎ落とし機能性を追求した実用的なものを丁寧に創りだしていました。

シェーカーボックスは象徴的な道具の一つで、ミニマムでありながら美しい。柳宗悦が唱えた民藝の「用の美」に通じるものを感じます。

それは日本の曲げわっぱや北欧のヴァッカなど、世界中の曲げ物にも同様に思うことです。

シェーカーボックスを裁縫箱に活用
裁縫箱などに使用中。中が少々ごちゃっとしていても、蓋をしてしまえばすっきり見えて助かります

蓋なしタイプのヴァッカをお茶道具入れに活用
蓋なしタイプのヴァッカ。茶筒や茶卓などのお茶道具を入れています。移動や掃除もしやすく便利

日本の曲げわっぱの産地は秋田が有名ですが、秋田と北欧のフィンランドは気候や風土が似ているそうで、必然的に類似した生活道具が生まれることは面白いと思います。

公私にわたり工芸に携わる機会も多く、秋田をはじめ日本各地で作られている曲げわっぱにも度々出会います。

接点のあった中では、国の伝統工芸品にも指定されている秋田・大館曲げわっぱ、高知・馬路村の曲げわっぱ、鳥取・智頭町の曲げわっぱ、群馬・入山めんぱ、静岡・井川めんぱ、奈良・吉野の曲げわっぱ、福岡・博多曲げわっぱなど。

他にもまだ存在しますが、これだけ見ても日本中に曲げわっぱが。日本が世界有数の森林国で、木が身近な素材であり、木の文化が根付いていることを感じます。

入山めんぱ
入山めんぱ

ちなみに、「めんぱ」とは木製の曲げものの弁当箱のこと。日本の曲げものは主に弁当箱の用途が多いと思いますが、それは起源を辿っても分かります。

曲げわっぱの歴史は奈良時代まで遡るといわれ、木こりが杉の生木を曲げて桜皮で縫い止めた弁当箱を作ったのが始まりだとか。

現代の曲げわっぱを代表する、大館曲げわっぱの生産が盛んになったのは今から約400年前。領内の豊富な森林資源を利用できる曲げわっぱを下級武士の手内職として奨励したことによります。伝統技法は継承されつつも、一時は熱に強いアルミやスチール、安価なプラスチック製の弁当箱などに押されて曲げわっぱ産業は縮小しました。

今は再び注目が高まっていて、メーカーによっては数ヶ月待ちになる程の人気。本物志向の人が増えていることもありますが、SNSやブログ発信の影響が一番大きい気がします。それだけ美味しそうに見えて、実際に曲げわっぱのお弁当は美味しいのです。

大館曲げわっぱ
大館曲げわっぱ

完全な手仕事なのと、林業の衰退や職人の減少などで、規模縮小となっている産地も多いようで、全体的に入手困難にもなってきています。

実際にいくつかの曲げわっぱを持っていますが、最近出会ったのは、熊本の一勝地にある「そそぎ工房」の一勝地曲げわっぱ。以前からWEBで見て、機能面にも特徴があり気になっていました。

熊本を訪れた際に立ち寄れるタイミングがあり工房を見学に。行って初めて分かりましたが、工房は球磨村の一勝地という、森林に囲まれたとても自然豊かな場所にありました。熊本県内最大であり、日本三大急流の一つである球磨川のほど近くで、ドライブにも良さそうです。

一勝地では江戸時代から相良藩の保護の下、『相良の三器具』の一つとして、お櫃や桶、柄杓など、様々な曲げ物が製作されてきたそうな。大館と同様400年の伝統を持ち、熊本の伝統工芸品の一つである「一勝地曲げ」の技術を唯一受け継ぐ曲げ物職人が、そそぎ工房の淋正司さん。

工房には溢れんばかりの木の材料や、製作途中の曲げなどが。訪問した際もお忙しく作業をされていた淋さんですが、作業の手を止めて気さくにお話してくださいました。

この道に入られたきっかけは25歳の頃に曲げ物に魅せられ、師匠の元で修行を積み独立されたのだそう。それから曲げ物一筋37年。某有名な高級列車のオリジナル曲げ物の注文なども受けているそう。

熊本の一勝地にある「そそぎ工房」の一勝地曲げわっぱ
熊本・一勝地の「そそぎ工房」工房内

WEBでも見ていた曲げ物弁当箱も見せてもらいました。機能的な特徴は、二段式の弁当箱が、食べ終わると入れ子になってコンパクトになること。

また側面の曲げ部分にはヒノキを、底面と蓋にはスギを使い耐久性や調湿性に工夫を持たせていること。2種の木を組み合わせて作る曲げ物は珍しい気がします。

二段式の曲げわっぱ

仕舞うときは一段に収納できる
二段重。仕舞うときはコンパクトに

スギやヒノキは温かいご飯を入れても余分な水分を吸収し、適度な保湿をしてくれるため、冷めてもふっくら美味しくいただけます。殺菌効果があることもお弁当には安心材料。

オリジナルで作られている二段弁当箱を購入しつつ、別注にも対応していただけるとのことで、その場で自分好みなサイズと形状で注文をさせていただきました。

購入した弁当箱は男性でも少し大きめ。なので、ちょっとしたお重として、またお茶の時間にお菓子を入れて楽しもうかと思います。

製作は丸太を1年間乾燥することから始まり、断裁・研磨・曲げてしばらく置いてから底を付けて完成。曲げの継ぎ目には山桜の樹皮を使うので、天然素材と手仕事から生み出される逸品です。

とても時間のかかる作業なので、出来上がりを待つ時間も楽しみます。

工房内

淋さんに話を伺いながらオリジナル曲げわっぱを相談中
淋さんに話を伺いながらオリジナル曲げわっぱを相談中

奈良から行くことを思うとなかなか遠い場所ではありますが、100パーセントアナログな曲げわっぱは、それを生み出す職人に会うことで、お人柄すら感じる味わい深い道具だと思います。

<紹介したお店>
そそぎ工房
熊本県球磨郡球磨村大字一勝地610
0966-32-1192

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

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文・写真:細萱久美