着たい浴衣を自分でつくる。縫い物が苦手な私でもできた体験記

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」。今回はもうすぐやってくる夏に向け、裁縫初心者の私が昨年挑んだ、浴衣づくりの体験記をご紹介します。

大人になると、暮らしに必要なものは「買う」ことで手に入れるのが大半です。けれどプロ顔負けの料理で友人をもてなす人や、陶芸を趣味にする人がいるように、自分で何かを「つくる」ことには買うだけでは味わえない大きな喜びがあるのだと、この時身をもって知りました。

私が挑んだのは、着たい浴衣を自分でつくる、という人生初のチャレンジ。しかもミシンは一切使わずに、すべて手縫いです。

縫っている様子

縫いものは全く得意でなかった私が、「自分にあった浴衣が欲しい」の一心で、5日間の講座と針と糸だけで本当に浴衣が縫えてしまうまでの体験をまとめました。

参加した講座は、「自分で縫い上げる~この夏の浴衣づくり2017」という全5回の講座。

東京渋谷を中心に街をキャンパスに見立てた学びの場を提供する「シブヤ大学」と、毎月手作りをテーマにワークショップなどを開催する西武渋谷店の「サンイデー渋谷」とのコラボレーション企画です。

年に1度だけ開かれる講座は、毎回参加者が抽選になる人気ぶり。幸運にも当選した運に感謝して、せっかくなので取材させてもらうことにしました。

浴衣姿で前に立つのはこの講座の講師、和裁士のタミカ先生とアシスタントの渡部あや先生。シブヤ大学の佐藤隆俊さんが授業の取りまとめ役を務められます。

タミカ先生 (右) とあや先生 (左)。毎回違う浴衣を素敵に着こなされています
おしゃれなシブヤ大学の佐藤さん。毎年この講座では「おやびん」の愛称で親しまれているそうです

私を含め9人の生徒さんの参加動機も様々。もともと刺繍が好きな方、娘さんの浴衣をつくりたいという方、昨年からの常連さんも。

全員の自己紹介も終えたところで作業に入る前に「そもそも和裁って?」というお話を伺いました。

和裁って何ですか?

そもそも和裁とは和服裁縫の略で、人々が洋服を着るようになる明治以降に登場した洋服裁縫(洋裁)と、区別するために生まれた言葉。

型紙を使わず直線立ちが基本で、ゆったり仕立てて着付けで形を整えます。和服の中でも比較的仕立てが簡単なものや素材によってはミシン縫いのものもありますが、縫製は手縫いが基本。今回の授業もすべて手縫いで行います。

あや先生手作りの針山のプレゼント。これからの長い道のりの励みになります

「ミシンは一定の速さ、強さで縫うので縫い目が強く、生地を痛めやすいところがあります。一方手縫いは人の手で縫う分、縫いは弱くなりますが、その分生地を痛めないのが特徴です。

ミシンで仕上げたものも素敵ですが、自分の手で縫うと愛着もわきますし、自分のサイズにちゃんとあってきますよ」

講座に参加してまずはじめに嬉しかったのが、事前に伝えておいた採寸結果を元に、先生が一人ひとりにあった採寸表を起こしてくれていたことでした。

一人ひとりに合わせた採寸表 (左奥) と講座のテキスト。これ無くして浴衣づくりは始まりません
一人ひとりに合わせた採寸表 (左奥) と講座のテキスト。これ無くして浴衣づくりは始まりません

自分の体型にぴったりあう、世界に一着だけの浴衣。それだけですでにワクワクしてしまいますが、もうひとつ、自分でつくる浴衣の大きな楽しみが、授業が始まって早々に待っていました。

自分でつくる浴衣の魅力
その一、既製品にない好きな柄に出会える

授業が始まる前から人の輪ができていたのが、ずらりと用意された反物の列。

注染 (ちゅうせん) という裏まで柄が染まる技法でつくられた浴衣用の生地は、今回の講座のために用意された蔵出し品。生徒は気に入ったものをひとつ、選ぶことができます。

あれもいい、こっちも素敵、と誰も選ぶ表情が真剣でした

上手に選ぶコツは、肩など顔の近くに当てて全身の姿見で生地を合わせてみることと教わりました。確かに反物でみるのとまた印象が違います。

希望がかぶったら当事者同士で相談、という緊張感漂う条件の中、幸いバッティングもなく生地セレクトが終わり、私のもとに淡い緑色の反物がやってきました。

幸いバッティングもなく生地セレクトが終わり、私のもとに淡い緑色の反物がやってきました。

いよいよ浴衣づくりのスタートです!

自分でつくる浴衣の魅力
その二、運針 (うんしん) でストレス発散

先生の運針の様子

採寸表を元に恐る恐る生地を裁断しおえたら、いよいよ縫製に入ります。タミカ先生によると、実はサイズを測って裁断するまでが一番緊張するところだそうです。

「縫製に入る前に、運針をやってみましょう」

ウンシン。これが全5回の講座、毎回縫い始める前のお約束。先生が目の前で実演してくれます。

指ぬきを利き手の中指にはめて、針のお尻を固定させます。親指と人差し指は、針の先を持つように
針は動かさずに生地を上下に動かして‥‥
針は動かさずに生地を上下に動かして‥‥
先生の運針の様子
右手の内側に生地をためていきます
ためた生地を伸ばしてみると‥‥

あっという間に並縫いができてしまいました。まるで魔法のよう。

「洋裁は針を動かすけれど、和裁は布を動かします。運針は、手縫いの基本的な縫い方のひとつです」

手に持つ針の位置は固定したまま、もう片方の手で生地を上下させる。と同時に針を持つ手の内に生地を手繰っていくことで針が進み、生地が縫われていく、という仕組みです。

見ている分にはできそうなのに、これがやってみると全く勝手がわからない。

みんなで見よう見まねでやってみます

針のお尻を指ぬきにしっかり当てておくのがポイントなのですが、全く針がじっとしていません。一方で慣れた手つきの先生は、それはそれはあっという間に生地を縫ってしまいます。

「初めはきれいに縫うことよりも、まずはこのリズムや手の動きの感覚を覚えることが大事です。慣れると無心になってやれるので、不思議と心が落ち着くんですよ」

そういえば以前、授業前の精神統一にいいと、朝一番に運針をする学校のニュースを見たことがありました。

裁縫に苦手意識のあった当時は、ただ「大変そうだなぁ」と映像を眺めていましたが、私も講座を重ねるごとにどうにかできるようになると、これが楽しい!

集中してきれいに縫えた時はスカッとして、ちょっとしたストレス発散にも良さそうです。嬉しいことに、並縫いならこれまでの2倍以上の速さで縫えるという成果も。

この間知った手ぬぐい生地を2箇所縫うだけでつくれるあずま袋を思い出し、早速縫いたくなってきました。

自分でつくる浴衣の魅力
その三、ゆっくりだんだん、浴衣になっていく過程

つくり途中の浴衣

普段和服を着ない生活のためもあって、和裁には耳慣れない言葉がたくさんあります。部位の名前だけでも「みやつ口」「くりこし」「おくみ」などなど。どこのことかわかりますか?

おくみはここ (前身頃についた細幅の布部分) 、と先生が自らの浴衣で説明

さらには動詞も新鮮です。布端を、表に縫い目が見えないように縫うことは「くける」。アイロンをかけることは「きせをかける」。

縫い見本
縫い見本を見ながら箇所にあった縫い方をします
和裁のアイロン台。普段のアイロンとずいぶん様子が違います
和裁のアイロン台。普段のアイロンとずいぶん様子が違います
これが和裁版のアイロン、電気ゴテ。電気の熱で熱された鉄ゴテで、折り目をつけたりシワをとったりします
これが和裁版のアイロン、電気ゴテ。電気の熱で熱された鉄ゴテで、折り目をつけたりシワをとったりします

耳慣れない言葉が飛び交う中で生地を切ったりあっちと縫い合わせたり、としていくので、初めのうちは自分が何をやっているのか、正直わかりません。

先生も、「今はわからないながらも、とにかく先に進めるのが大事です」と、私たちの頭の上の「?」はすっかり見越した上で励まします。

各人の進み具合を見ながら指導に回るタミカ先生
新しい工程に進むごとに、ひとつを見本にやり方を見せてくれます

それが次第に、身頃ができ、袖が完成し、そのふたつを縫い合わせて‥‥と段々浴衣らしくなっていくと、早く完成させたい、先に進みたい、と何よりのエンジンになりました。

はじめは一枚の布だったものを裁断し‥‥
柄合わせを見ているところ
柄合わせを見ているところ
次第に体にあったサイズの布になっていきます
次第に体にあったサイズの布になっていきます
だんだん、衣服らしくなってきました
だんだん、衣服らしくなってきました
もうすぐ完成です!
もうすぐ完成です!

浴衣づくりはその大半はひたすらに黙々と縫う作業で、一見地味です。さらに和服は左右対称なので、授業では半身をやって、もう半分は家での宿題、自分ひとりでやることになります。

回を追うごとに縫う距離が長くなり、縫い方も種類が増え、どんどん多くなっていく宿題。

それでもなんとか次の講座までにやり遂げて持ってきていたのは、何より作る過程が楽しくなっていたこと、そして楽しくなるほどに、今自分がつくっているこの浴衣への愛着がまして、早く完成した浴衣に袖を通したいと思うからでした。

浴衣らしくなってくると、モチベーションがさらに上がります

自分でつくる浴衣の魅力
その四、愛用の道具をおともに過程を楽しむ

そんな地道な浴衣づくりの強い味方が、愛用の道具の存在。参加された生徒さんは、みなさん自分にとって使い勝手のいい裁縫箱を持参されていました。

何事もまずは形から。初回丸腰で参加してしまった私も、持ち運びにかさばらない小さな裁縫箱を手に入れて使うようになってから、縫っている時間がさらに楽しくなりました。

手のひらサイズの小さな裁縫箱を買いました

世界に一着の浴衣を手に入れて

こうして5回の講座を終え、最後は少し先生に補講もお願いして、いよいよ世界に一着、自分のためだけの浴衣が完成しました!

機械を一切使わず、生地を通る縫い目すべてが自分の手で縫ったものだと思うと、我ながら感心するような不思議な気持ちになってきます。

「好きな柄でつくった浴衣が欲しい」

その一心で始めた浴衣づくり。本当に自分で縫えてしまいました。

自分だけの浴衣を手に入れたことはもちろん嬉しいですが、もう一つ嬉しかったのが、「自分の身につけるものを、自分の手でつくることができた」ということ。

服といえば洋服であっても浴衣であっても、欲しいと思えば「買う」のが当たり前の日々の中で、「自分でつくることができる」は大きな大きな発見でした。

手縫いが当たり前だった時代からすれば、呆れられた上に怒られそうな感想ですが、他の参加者の方の表情を見ていると、決してこの嬉しさは、私だけの感覚ではないように思えます。

袖が付いた!とみんなで喜んでいるところ
袖が付いた!とみんなで喜んでいるところ
難しい工程をやっていると、自然と人の輪が

暮らしに取り入れたいものを、自分の手でつくる喜び。さてこの浴衣にどんな帯を合わせようかと楽しみに思う頭の片隅で、次はこんなものを縫えるかもしれないな、と考えはじめています。

<取材協力>
特定非営利活動法人シブヤ大学
http://www.shibuya-univ.net/

西武渋谷店
https://www.sogo-seibu.jp/shibuya/

<掲載商品>
小さな裁縫箱 (遊 中川)

文・写真:尾島可奈子

*2017年8月7日の記事を再編集して掲載しました。季節は春から夏へ。今年もまた、浴衣に袖を通す日が楽しみです。

茶道の「型」を身につける意味。既にあるものを自分の体に沿わせていく

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇掛け軸に隠されたメッセージ

8月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室10回目。床の間には涼しげな掛け軸が。うちわに孔雀の羽が描かれています。

床の間の様子

「これまで帛紗、茶杓、茶筅と道具ひととおりを見てきましたね。そろそろ、所作をできるようになっていってもらおうと思います。

極端なことをいえば、お点前をしなくてもお茶は飲めます。でも、動作自体も一つのおもてなしのサインとしてお客さんに受け取ってもらおうと思えば、話が変わってきます。

なんでもないような帛紗さばきも、ものをゴシゴシと拭いて汚れを拭い去ろうというものではなく、絹の帛紗を使い、きちっとした清らかな動作を通して、ものを清めているわけですね。

神社で神主さんが厳かな動作で出てきて御幣 (ごへい) を振る、その一連の動作がいかにも頭を垂れるにふさわしい雰囲気をまとっているのと、一緒です。

今日の床の間の掛け軸も、孔雀の羽にうちわで涼しそうですね。‥‥でもいいですが、実はその奥にもうひとつ物語がありますから、そこまでを汲み取ってこそ。京都なら先月使った方がいいくらいの掛け軸です」

孔雀の羽が描かれた真白いうちわ

「この絵は、祇園祭の山鉾 (やまほこ) 巡行でお稚児さんがかぶる『蝶とんぼの冠』を飾る孔雀の羽を表しています。残暑きびしき折に軽い感じで掛ければそれはそれ、でも祇園祭の頃に掛けたら気づく人もいるであろう、ということですね。

興味を持って接すれば、物事にはそこに見える以上の奥行きがあります。それを紐解いて使っていくことが大切です」

◇見て、学ぶ

改めて心得を伺いこれからいよいよ実践、と緊張が高まる中、それを和らげるように今日のお菓子が運ばれてきました。

菓子鉢は涼しげな江戸切子の器。江戸時代に作られたものだそうです
菓子鉢は涼しげな江戸切子の器。江戸時代に作られたものだそうです

お茶もいただいて、二服目はいよいよ自分たちでお茶を点てていきます。

「体全部の関節を駆使しているようなイメージで体を使えるようになると、本当にきれいですよ」との先生の指導とお手本の所作に全神経を集中させて、見よう見まねでやってみます。

先生の言葉と身振りを必死に体で再現します
先生の言葉と身振りを必死に体で再現します
柄杓ひとつ持つのも美しく
柄杓でお湯を入れたら‥‥
柄杓でお湯を入れたら‥‥

「柄杓は長いので、昔は弓矢を作る人が作ってくれていたものなんです。だから所作でも弓矢の扱いと似通わせているところがあります。器にお湯を入れたら、そのあとの所作はひきしぼっていた弓矢をパッと放つ時の手の形をします」

弓矢を放つように、とはなかなかうまくゆきません
弓矢を放つように、とはなかなかうまくゆきません
お茶を点てることに必死になっていると、顔はまっすぐ、と先生から指導が
なんとか一服、点てられました

「みなさんも見学ですよ。自分がやるときのことを思って、見て学ぶんです」

先生の声がけにお茶室内の空気がさらに静まって、澄んでいくようです。

2服目でいただいたお菓子は、先生が萩のお土産で持ってきてくださったもの。夏みかんの砂糖漬けです。銀のお皿はわざと木の皮(へぎ)のように見える細工がしてあります

一人、また一人とお点前を終え、新しいことをやってみる緊張とできたときの嬉しさで教室全体が熱気を帯びる中、先生から思いがけない提案が。

「今日は真夏のことなので、最後は氷水でお茶を点ててみましょう」

◇型を体に沿わせる

「冷水点て」の一式
こちらが「冷水点て」の一式
たっぷりの氷で冷やされている様子は、見るだけですっとします
涼しげな棗は、バカラのもの。もともとお化粧用のパウダー入れとして作られたものだそうです!

全員が氷水でのお点前も終えたところで、最後に生徒が活けたお花を先生が少し手直ししてくれします。

先生の手直しの様子

「突き刺すように入れてはダメですよ。お花はいくつ入れても、一本の枝からでているように見えないといけません。花材を買う時は、事前に今日行きますからこういう花材を用意しておいてください、と伝えておけば、いいものをお花屋さんが選んでくれますから」

紫の花弁が凛と映えます

花には花の「型」がある。お茶を学びながら、少しずつそのまわりへと気づきが広がっていきます。

「今日はひと通りお点前を経験してもらいました。せっかくこうしてお稽古にきているのですから、大切なのは帛紗をたためるようになることよりも、何かひとつの物事をする時に、何気ないこともおろそかにせず、きちっと向き合って取り組む癖を、身につけることです。

そこに既にある型を自分の体に真剣に沿わせていくこと。その癖をつけるという意味では、帛紗さばき一つにも意味はある、と思います。

–では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、見学は、自分ごとにして「見」て、「学」ぶ

一、事に当たる時に大切なのは、まず型を体得しようとする心構え


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装協力:大塚呉服店
着付け協力:すみれ堂着付け教室

※こちらは、 2017年9月28日の記事を再編集して公開しました。

香道を京都で体験。日本三大芸能のひとつ「香りを聞く」習い事の魅力に迫る

様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」。今回は茶道、華道と並ぶ日本の三大伝統芸能「三道」のひとつ、「香道」の体験レポートをお届けします。

香道とは?日本最古の御香調進所「薫玉堂」で学ぶ

JR京都駅から北へ徒歩15分ほど。浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺前に本日体験にお邪魔する薫玉堂 (くんぎょくどう) さんがあります。

お店に入った瞬間から全身を包むやわらかなお香の香り。

お香のいい香りが立ち込める店内

桃山時代にあたる1594年創業の薫玉堂さんは、本願寺をはじめ全国の寺院へお香を納める京都の「香老舗」です。

お店の様子

店内には刻みの香木 (こうぼく) やお線香、匂袋をはじめ、お寺でのお勤めに使う品物まで、ありとあらゆる種類の「香りもの」が並びます。

お店の様子2

そもそも「香道」とは、室町時代の東山文化のもとで花開いた茶道や華道と並ぶ日本の三大伝統芸能のひとつ。薫玉堂さんでは香道を気軽に親しめるようにと、定期的に体験教室を開かれています。

教室はまず座学からスタート。お店の方が直接講師になって、お香の種類や歴史を学ぶことができます。

お香の歴史は4000年前のエジプトから?

伺ったお話によると、お香のもっとも古い記録は4000〜5000年前のエジプト文明までさかのぼります。出土した当時のお墓の中に、遺体の保存状態をよくするためのお香が敷き詰められていたそうです。

現代ほど入浴の文化も設備もなかった時代には、香りはいわばエチケット。香木 (こうぼく。芳香成分を持つ樹木) を粉末にしたものを体に塗る習慣もあったそうです。仏教が広まると、その修行やお勤めの中で用いられるようになりました。

日本で初めて文献に登場するのは、なんと日本書紀。590年代、推古天皇の時代に淡路島に流れ着いた香木が聖徳太子に献上された記録が残されています。

そもそも、香木とは?

一般的に言う「香料」には、植物の花、実、根、葉、樹を用いるものからじゃ香 (ムスク) など動物由来のものまで幅広い種類があります。

香木の見本

中でも樹木から採れる「香木」は原産地が限られ、古くから珍重されてきました。

白檀 (びゃくだん) や沈香 (じんこう) という名前を聞いたことがある人は多いかもしれませんが、どちらも香木の種類を指します。

沈香はジンチョウゲ科の木が熟成されたものですが、特定の地域にのみ繁殖するバクテリアが偶然に作用して初めて香木になるため、白檀も沈香も、日本では産出されないそうです。

沈香の中でも有名な伽羅 (きゃら) は、なんとベトナムでしか採れないのだとか。現代でも価格が金よりも高いと聞いて驚きました。

現存する日本最古の香木、蘭奢待 (らんじゃたい) は現在も奈良・東大寺の正倉院に保存され、国宝を超える宝として「御物(ぎょぶつ)」とも呼ばれています。実物には織田信長や明治天皇が一部を切り取った跡が残されているそうです。

なぜ香りは「聞く」のか?

座学の最後に講師の方から伺ったのが、なぜ香りを「聞く」というのか、というお話です。

「香道では香料の中でも香木の香りを聞きます。聞香 (もんこう) とも言います。

『聞く』という言葉には、身体感覚を研ぎ澄まして微妙な変化を感じ取る、聞き『分ける』という意味合いがあります。心を沈めて、瞑想し、思考する。そうして香りを楽しみます。

今日体験されるのは香りを聞きくらべる『組香 (くみこう) 』のうち、3種の香りを比べる『三種香』です。

3種類の香木をそれぞれ3つずつ用意して打ち混ぜて、取り出した3つの香りがそれぞれ同じものか違うものか、当てていただきます。

聞香を行う部屋を香室 (こうしつ) と言います。部屋に入ったら心を落ち着けて、聞いた香りを頭の中で具体的にイメージに起こすことが大事ですよ。『ああ、一昨日食べたプリンに似ているな』とかね (笑)

こうしたゲーム的な要素を持っているのは、三大芸能の中でも香道の特徴です」

最後には楽しみ方のアドバイスもいただいて、いよいよ体験に向かいます。

三種香の体験へ

体験が行われるのは1階のお店の奥にある「香室」。

体験の場所、養老亭

「この部屋は『養老亭』という名がついています。お茶室には小間、広間と種類がありますが、香室は10畳と決まっているんですよ」

部屋はなんと江戸時代から200年以上現存しているものだそうです。体験全体の案内をしてくださるのは薫玉堂ブランドマネージャーの負野千早 (おうの・ちはや) さん。その隣にお手前をする2名の方が並び、参加者は壁に沿ってコの字型に並んで座ります。

「お手前は2人でします。1人は香元 (こうもと) と言ってお香を出す人、もう1人が執筆といって皆さんの出された答えを書く、いわば記録係です」

今回の体験教室は略盆席と言って、四角い「四方盆」を使うお手前でしたが、飾り棚にはまた違う形式のお手前に使われるお道具も飾ってありました。

こちらが体験で使われる四方盆のお道具。左奥の「志野袋」の中に、聞香に使う香木が入っています
こちらが体験で使われる四方盆のお道具。左奥の「志野袋」の中に、聞香に使う香木が入っています
また違った形式のお手前に使われるお道具「乱れ箱」
また違った形式のお手前に使われるお道具「乱れ箱」
火道具と呼ばれる香を立てるための道具も美しいです
火道具と呼ばれる香を立てるための道具も美しいです
飾り棚の掛け軸にも、聞香の様子が描かれています
飾り棚の掛け軸にも、聞香の様子が描かれています

それぞれの参加者の前には硯が置かれています。

「体験でははじめに答えを記入する記紙 (きがみ) にお名前をお書きください。女性で名前に『子』とつく方は、『子』を抜いて、濁点のある方は濁点をとってひらがなで書いていただきます」

小さな紙に名前を書く様子

筆を取ることも硯をすることも普段なかなかなく、やや緊張しながら名前を記していきます。

「書き終えたら筆は硯箱にかけておいてください。あとで3つの香炉が全て回ってきたら、再び筆をとって答えをお書き下さいね」

「では、総礼いたします」

全員で礼をした後、香炉が香室内をめぐっていきます。香元さんから向かって左の角に座っている人がその会でもっとも格式の高いお客さん、お正客 (しょうきゃく) 。香炉は必ずお正客から順に回っていきます。

三種香では3種の香木を各3つ、合計9つを打ち交ぜた中から選ばれた3つの香木で香炉が用意されます。

答えの組合せは、3つとも同じ香り、ひとつ目とふたつ目が同じ香り‥‥という具合に全部で5通り。香元さんも、香木が入っていた包みの端を最後に開けるまでは、どの香木が選ばれたかわからない仕組みになっています。

香炉を出す際には「出香(しゅっこう)」という声がかかります。「出題ですよ」の合図です。

香炉が自分のところに回ってきたら、香炉の正面を避け、しっかりと器の足に指をかけ、香りを集めるように手で覆います。

1つの香炉につき、3回ほど、息を吸うように香を聞きます
1つの香炉につき、3回ほど、息を吸うように香を聞きます

「香りはわずかなものですので、しっかり香炉の上から蓋をするように手で覆って、隙間から香りを聞いてください」

香炉が回るにつれ、室内が静かになっていきます。意識を香りだけに集中していく様子がひしひしと伝わってきます。

いよいよ自分の番。鼻先の小さな空間で、そっと香りを確かめます。かすかなのにとても濃厚。何かを思い出すような、初めて知った香りのような。

線を景色に見立てる「香之図」

3回聞き終えると、いよいよ答えを書きます。その答えの書き方がとても素敵です。

「香之図」と言って、三種香なら3本の縦線を右から順に書き、それぞれに同じ香りだと思うものの線の頭を横線でつなげます。組合せてできた図には「隣家の梅」「琴の音」など美しい名前がついています。

こちらは琴の音の図。下に図の名前を続けて書きます。
こちらは琴の音の図。下に図の名前を続けて書きます。

5種の香木で行う「源氏香」では、それぞれ5つ、合計25の中から5つを聞きます。答えの数は52通り。源氏物語54帖に見立てて、桐壷と夢浮橋を除く52の帖の名が答えにつくそうです。

源氏香の香之図
源氏香の香之図

「いかがでしたか?今日は私の席でははっきり聞こえました」

負野さんが嬉しそうに語られます。

「季節やお天気によって、香りが立ちやすい日、立たない日があるんです。ちょっと曇っている日や雨がしとしと降っている日は、よく香りが聞こえますね」

伺うと、席によっても香りが変化していくそうです。お正客が聞くのは香りとしてはまだ立ち始めの、一番フレッシュな香り。はじめの頃しか聞けない香りだそうです。香炉が次の方へと回るうちに、より濃厚な、はっきりした香りになっていくのだとか。

「ですから席ごとにお答えが2、3人まとまって同じ、ということがよくあるんですよ。どこかでフッと香りが変わる瞬間があるのですね。今回は、たくさんの方が正解されていらっしゃいますね」

そうして見せてくださったのは、全員の答えを写し取り、答え合わせをした記録紙。

披露された記録の紙

3つとも合っている人には、答えが叶ったということで一番下に「叶」の文字が記されています。

私は残念ながら外れてしまいましたが、隣同士であれはどうだった、最初はこう思った、と言葉を交わすのも楽しい時間。

全体に得点が高い場合は、記録はその中で1番高い席の方に渡されます。とても素敵な記念ですね。

最後にはお茶とお菓子と、可愛らしい香袋のお土産もいただいて本日の体験も終了。目の前の香りに向き合い、隣の人と体験を分け合い、自分の記憶と格闘し、名前を書く手が震え、頭も体もフル回転させて楽しんだ時間でした。

秋は空気も澄んで聞香にはちょうど良い季節。一度やってみると、次は5種で、今度は季節を変えて、書道も上手くなりたいな、と次の楽しみを思い浮かべる帰路でした。

<取材協力>
薫玉堂
京都市下京区堀川通西本願寺前
075-371-0162
https://www.kungyokudo.co.jp/

文:尾島可奈子
写真:平井孝子
着付け協力:大塚呉服店

*こちらは、2017年11月4日の記事を再編集して公開しました。

茶道の帛紗が正方形でない理由

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇帛紗 (ふくさ) が正方形でない理由

5月某日。

今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室7回目。床の間には「青山青転青」との掛け軸。

「せいざん あお うたた あおし」と読んで、 (雨の後で) 青山の青がなお一層青い、という意味だそうです。新緑の風がさぁっと吹いてくるようです。

「今日は帛紗のお話をしましょう」

先生が一枚一枚、帛紗を畳の上に並べていきます。一体何が始まるのでしょうか‥‥?

「お茶をするということは、自分なりにお茶事をして、人をもてなすということです。ですが往々にして、お茶のお点前の型 (かた) の習得に努めることが、茶そのものであるかのように思われがちです。

それが嫌で、お点前の煩雑な型には、さほど意味がない、茶の湯の本質ではない‥‥と、ある種のカウンター、聞いた人が茶の湯の他の側面に気づいてもらうための表現として、あえて乱暴に言い切っていた時期もありました。

大切なのは、型通りにお点前をやって満足するのではなく、棗 (なつめ) や茶杓のただ一本、もてなしの場に持ち込まれるツールひとつひとつの取り合わせやお点前のひと手ひと手に、『あなた様のため』という素朴な想いをのせていくということ。

そしてできることなら、のせた想いが全てでなくとも相手になにがしか伝われば嬉しい。そのためであるならば、一見煩雑で面倒なお点前の手順や作法も、意味のある大事なことだと、今では思うようになりました。むしろ、もてなしの表現の本質がある、と。勝手なものですね、われながら。反省しています。

そんな、お点前の意味を象徴するツールが帛紗です。どうぞみなさん前に来て見てみてください」

ずらりと並んだ帛紗を、一枚一枚手に取って見せていただきました。

帛紗は生地の重さによって規格が分かれます。10号、11号と号数が増えていくほど織り込まれている絹糸が撚りの強い、太い糸になり、その分生地も重みを増します。

手に取ってみると、1号違いではさほど違いがわからないものもありますが、確かに号数が離れるほど、その重みの差がはっきりとわかります。

普通のお点前は重たい方が所作が格好よくなるそうですが、細かく帛紗をたたむお点前の場合は薄手のものを選ぶなど、使い分けをされるそうです。

カラフルな染め帛紗。流派によってお点前に使う帛紗の色は定められていますが、紋様の入っているものはお香を置いたり、飾りに用いるそうです

大きさはどれも同じようですが、ここにお点前をする上での大きな意味が込められていました。先生のお話に耳を傾けます。

「お茶席でお点前をする、その最も重要な意味は、人の見ている前でものを清めるということにあります。この器が清まりますように、その器を使う相手も私も美しく保たれますようにという願いが、実は帛紗の寸法にも込められています。

帛紗は一見正方形に見えて、本当は長方形です。寸法は元々『八寸八分の九寸余』と決まっていて、利休の教えを100の歌にまとめたというかつての利休百首にもそのことが書いてあります。

なぜこの寸法になったのか。昔の人は言霊と同じように、数字に力があると信じていました。奇数は『陽』、おめでたい力のある数字。偶数は『陰』、陽に準じる数字。

つまり『九』という数字は、陽の極まる数字というわけです。“苦しむ”につながるから縁起が悪いとするのは、近代になっての語呂合わせなんですよ。昔の人は九は高貴で力のある数字だと考えました。

古くは、皇室に関連する表現に九という数字が大切に扱われていました。御所をあらわす別の表現は九重 (ここのえ) 。別に、本当に御所の屋根が九層というわけではありません。最高に立派な建物、というニュアンスを伝えるのに九が用いられているのです。

さらに御所の宮殿の宮 (キュウ) と九は同じ音でしょう。漢字で音が重なる場合は相通じる意味をもたせてあることが多いんです。究極の究もキュウ。また、9月9日は重陽の節句です。陽の極まった数字が2回重なるから重陽なんです。

だから帛紗一枚の中にも、九という数字を閉じ込めたかった。手に使いやすいハンカチくらいの大きさを保ちながら、九という数字をまたいだ九寸余を寸法に用いることで、高貴な数字の持つ力をこの帛紗の中に閉じ込めようとしたんです。もう一辺は、対になる陰の力の偶数で最も大きい八を2回重ねて、八寸八分に。

こうして最も高貴な数字を閉じ込めた布で清めるからこそものが清まると、昔の人は信じたのです。

これは、帛紗にまつわるひとつの説です。時代や流派や茶人の考え、扱う道具の大きさによってもまちまちであった帛紗の大きさが定められていく時の、ひとつの考え方です。

普段の生活で使うことのないような絹の布一枚を、なぜお点前で大事そうに取り扱うのか。小さな布切れ一枚に、怯えるほどハイコンテクストな世界が広がっているのです。

何事もていねいすぎるのは考えものですが、相手を想ってこその道具、所作ならば、安易にカジュアルにくだけさせることは、その人を軽んじていると思われても仕方のないことです。儀式は、祈りなんです」

お点前に想いを込める、とは所作をていねいにすることかとばかり思っていましたが、道具である帛紗がすでに、祈りを目に見える姿で表していました。

「帛紗は未使用の状態では裏表がありません。ですがお点前の際に一回折ると、跡がついて二度と使用前には戻りません。だから本来はお点前ごとにまっさらの帛紗を下ろします。

茶筅 (ちゃせん) も、未使用の状態だと穂先の中心(泡切り)が閉じていますね。これも一度お湯をくぐらすと穂先が開いて戻らなくなります。一度きり、ということがもてなしの印にもなっているのです。

無垢なるものをお客さんのために使い下ろすということと、器など人間よりもはるかに長生きするものの時間とを交錯させているところが、道具の取り合わせの面白さでもあります」

器のお話に触れたところで、5月らしい菓子器で今日のお菓子が運ばれてきました。

◇今日の日のためのお菓子

兜鉢( かぶとばち )という、伏せると鉄兜の形に見える器で運ばれてきたのは、葛の羊羹ちまき。葛にこし餡を練り込んだものを蒸しあげて作るそうです。

ちまきのガラ入れとして横に添えられていた黒塗りの器は、元は接水器(せっすいき)という、禅寺でお坊さんの食事の際に使われる水入れ。

よく見ると蓋の表面に水滴が見られます。こうした塗り物の器は、5月から10月までの風炉(ふろ)の時期は露を打つのだそうです。

「8月はしっかり水滴がわかるように打ったり、10月はまた量を減らしたり。季節によって量や打ち方を変えるんですよ」

茶会で触れるほんのささいにも思える物事にも、「あなたのために今日のこの日を」という想いが感じられて、改めて嬉しく、ありがたく思います。

ここからは自分たちで二手に分かれてお茶を点て、運ぶところも実践していきます。先ほどその意味を教わった帛紗を、早速腰につけて。

二服目のお茶と一緒にいただいたお菓子は紅蓮屋心月庵の「松島こうれん」というおせんべい。お米そのままのような素朴な甘さです。

お菓子に用いられていた器。江戸時代の茶人が中国の古くからの窯業都市、景徳鎮(けいとくちん)で焼かせたもので、あえて下手に作らせているそう
今日の菓子器をずらりと並べてくださいました。左上が先ほどの兜鉢。いずれも同じ景徳鎮で作られた器だそうですが、時代や発注者によって趣が異なるのが面白い、と先生

◇マンションの一室で開くお茶会

そろそろお稽古もおしまいの時間が近づいてきました。

「時折、ワンルームのマンションでお茶会を開く、というたとえ話をします。

いつも以上に家の掃除をし、コップでもいいから花を一輪生けて、チョコレートでもマカロンでもいい、相手の好みそうなお菓子を用意する。掛け軸がなくても、共通の話題になりそうな画集や雑誌をテーブルにさりげなく置く。

口にするものは、抹茶であれば嬉しいけれど、コーヒーでもいいんですよ。相手の趣味趣向を知っているならば相手の好みそうなコーヒーを用意して、ちょっと上等なカップを用意して、訪(おとな)いを待つ。そうして空間全体に、『あなたのために』とわかる一気通貫のストーリーが敷かれてあれば理想的です。

茶室で、抹茶茶碗を使い、掛け軸が掛けられて花が生けられていれば茶会、とは限りません。お茶会の根本は、相手のために時間をとって用意をし、あれこれ段取りをすることにあるのです。

—-では、今宵はこれぐらいにいたしましょう」

なぜお点前をするのか、なぜ帛紗は正方形ではないのか。その意味をしっかりと心得ていたら、マンションの一室で親しい人とコーヒーを楽しむ時間もひとつのお茶会になる。いつか自分でもできるだろうかと思いながら、今はまず、帛紗さばきの稽古です。

お話の合間に先生が披露してくださった、帛紗のお雛様。お茶が発展する中でこうした遊びも生まれたそう

◇本日のおさらい

一、道具一つひとつにも祈りにも似たもてなしの想いが込められている
一、ただお点前の型を覚えていくのが「お茶」ではない。大切なのはそのひと手ひと手に、相手への想いをのせていくこと


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付協力:大塚呉服店

*こちらは、2017年6月28日の記事を再編集して公開しました。

木村宗慎先生に習う、はじめての茶道。「練習でなく、稽古です」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お茶の作法も、知っておきたいと思いつつ、過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、すっかり忘却の彼方。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第1弾は茶道編。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

茶道編
一、練習でなく、稽古です。

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10月某日。
江戸風情と異国情緒が混ざり合う街、神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。

開かれたのは木村宗慎先生による茶道教室。先生は裏千家、芳心会を主宰される傍ら、茶の湯を中心とした本の執筆、雑誌・テレビへの出演、新たな茶室の監修など、世界を舞台に幅広く活躍されています。

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木村宗慎先生

お稽古には幸運にもお仕事でご縁のある「大塚呉服店」さんのご協力で、着物を着て参加できることに。形から入るとはよく言ったもので、自ずと引き締まった気持ちでお稽古に臨みます。

良い香りのする畳の上で、しかし正座して長時間何かをするというのも久しぶりのこと。はじまりに茶道を習う心構えのお話などを宗慎先生から伺ううち、集中したい気持ちとは裏腹に、早速足がビリビリと‥‥

「今日はみなさんに安心していただきたいのですが、基本的に私たちも足はしびれるものだという想定をしています。

例えばお茶の席で立って何かをしたい時に足がしびれていたら、ホスト側もゲスト側も『すいません、足がしびれまして』と足を直されたらいい。しびれるのは恥ずかしいことではないんですよ」

絶妙のタイミングで柔らかくアドバイスをくださった宗慎先生。場の空気もほっと和らぎます。

「お茶を点てるだけではなく、来た人が自分が大切にされていると感じる事。例えば茶碗一つを大切に扱う事で、それを使う人を大事にする事になります」

とのお話から始まったお稽古は、その言葉の通り、お茶をいただいてその作法を習う以上の、日常から実践できる、様々な学びのあるものでした。

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◇名残の10月

「五感を持って感じられること、
 その場で起きることのすべてに意味がある、というのがお茶です」

とはじめに見せてくださったのが金継ぎのされたお碗。

「10月は名残の月です。11月になると炉開(ろびらき)と言って冬の設えにガラっと変わります。

お茶の世界では、新茶は半年ほど熟成させてから飲んだ方が良いとの考えがあって、口切(くちきり)という行事を行って、この炉開の頃に合わせて新茶を飲み始めていました。

そこでは錦秋紅葉の華やかな風情を演出するので、10月中はわざと寂しく、切ない秋の感じを出します。そういう時に喜ばれるのがこういった、欠けたり継いだりしているもの。

つまり、季節ごとのコントラストを演出して、1年飽きないようにしていたんですね」

意味を知った後でお茶室内を見渡すと、お道具や設えの一つひとつが、特別な意味を持って目に映ります。けれど今はまだ、解説頂かないと気づけないところが、もどかしい。

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忘れないうちに、とにかくメモ、メモ。

後編:今日から変わる、きれいなお辞儀の仕方*こちらは、2016年11月26日の記事を再編集して公開しました。

三十の手習い「茶道編」2017総集編

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。

第一弾は茶道編。月に1度の茶道教室の様子を連載して、1年が経ちました。

毎月、気合いを込めて着物で参加しています
毎月、気合いを込めて着物で参加しています

「お茶を点てるだけではなく、来た人が自分が大切にされていると感じること。例えば茶碗一つを大切に扱うことで、それを使う人を大事にすることになります」

そんなお話から始まったお稽古には、一般的なお茶の作法を習う以上の、日常から実践できる様々な学びが広がっていました。

今回は1年間の総集編。茶道の「さ」の字もわからなかった私が、少しずつお茶の世界に親しんでいった12ヶ月の学びを、毎月の記事から振り返ってご紹介したいと思います。

「手に入れた知識、教養こそ財産です。これは他人が絶対に奪うことのできないものです」

(茶道編一、練習でなく、稽古です。 より)

「普通」でないお稽古

2016年10月某日。

お稽古は、お茶の世界で「名残の月」と言われる10月の東京・神楽坂で始まりました。

「このお稽古は、私にとっても実験的なアプローチです。

普通お茶のお稽古といえば、帛紗 (ふくさ) さばきから習います。ですが、今の我々には体の中に昔の道具とかその成り立ちへの思いがありません。

そこで、皆さんと新たに始めたこのお稽古では、お茶をすることの価値、世界観を先に共有した上で、具体的な姿に落とし込んでいくようにしてみようと考えました」

そう語られたのは木村宗慎 (きむら・そうしん) 先生。

木村宗慎先生

先生は裏千家の芳心会を主宰される傍ら、茶の湯を中心とした本の執筆、雑誌・テレビへの出演、新たな茶室の監修など、世界を舞台に幅広く活躍されています。

月に1度のお稽古は確かに、「普通」ではありませんでした。

知るよろこび

「五感をもって感じられること、その場で起きることのすべてに意味がある、というのがお茶です」

第1回目のお稽古で先生がはじめに語られたのがこの言葉。

毎月しつらえの変わるお茶室内には、お茶会の主人である先生からの、季節をからめたさまざまなメッセージが伏せられています。

茶人の正月と言われる11月には、この時期だけのお菓子「吹寄せ」を、農具に見立てた器に入れて
茶人の正月と言われる11月には、この時期だけのお菓子「吹寄せ」を、農具に見立てた器に入れて
華やかな11月のひと月前、名残の月と呼ばれる10月には、もの侘びた雰囲気の金継ぎされた器を
華やかな11月のひと月前、名残の月と呼ばれる10月には、もの侘びた雰囲気の金継ぎされた器を
1月はおめでたい伊勢海老のお茶碗で
1月はおめでたい伊勢海老のお茶碗で
2月には、旧暦で1年の節目である節分の夜にかつて用いられていたという「香枕」が飾られていました
2月には、旧暦で1年の節目である節分の夜にかつて用いられていたという「香枕」が飾られていました
4月の床の間には、お能の演目「熊野(ゆや)」の中の、京都・八坂神社へお花見へ向かうシーンを描いた掛け軸が
4月の床の間には、お能の演目「熊野(ゆや)」の中の、京都・八坂神社へお花見へ向かうシーンを描いた掛け軸が
その傍らには、八坂神社伝来の笛や、能の謡本、能装束の端切が飾られています
その傍らには、八坂神社伝来の笛や、能の謡本、能装束の端切が飾られています
7月の床の間は、余白を滝に見立てた掛け軸の低いところに、釣り舟という名の花入れが
7月の床の間は、余白を滝に見立てた掛け軸の低いところに、釣り舟という名の花入れが
花自体にもたっぷり露が打ってあります
花自体にもたっぷり露が打ってあります
8月の菓子鉢は涼しげな江戸切子の器。江戸時代に作られたものだそうです
8月の菓子鉢は涼しげな江戸切子の器。江戸時代に作られたものだそうです
氷水でお茶を点てる「冷水点て」の一式
氷水でお茶を点てる「冷水点て」の一式
9月のお点前に使われていた水指 (みずさし) は、井戸に釣り下げる釣瓶の形。「秋の日は釣瓶落し」にかけています
9月のお点前に使われていた水指 (みずさし) は、井戸に釣り下げる釣瓶の形。「秋の日は釣瓶落し」にかけています
本物の釣瓶のように、水指しの取っ手に茶巾を通して運んでいる様子
本物の釣瓶のように、水指しの取っ手に茶巾を通して運んでいる様子
再び巡ってきた10月のお稽古では、松花堂の雁宿起こしに秋を感じます
再び巡ってきた10月のお稽古では、松花堂の雁宿起こしに秋を感じます

「本来、茶会では冗長なおしゃべりは禁物。静かに粛々と時が動いていくのが望ましい。では、何が亭主の気持ちを語るかというと、そこに用意された道具が語る。その場に選ばれた理由、組み合わせ方が、何よりのコミュニケーションツールなのです」

(茶道編六、無言の道具が語ること より)

触れる楽しさ、こわさ

道具がコミュニケーションツール。その意味は、道具に込められた意味を読み解くだけに留まりません。実際に自分がどう扱うか、を問われます。

「茶の湯はものを扱う文化なんです。それもていねいに大事に、熱心に扱う。それは当たり前のことなのかもしれません。往々にして道具ひとつの方が人間より長生きなのですから」

(茶道編五、体の中にあるもの より)

お稽古では「人間より長生き」の道具を実際に拝見し、手に取ってみる機会にも恵まれました。

江戸時代、松江藩の名君として知られる松平不昧公 (ふまいこう) ゆかりの秋の棗。貝殻細工を切って花をあしらい、全体に金銀を塗ってあります
江戸時代、松江藩の名君として知られる松平不昧公 (ふまいこう) ゆかりの秋の棗。貝殻細工を切って花をあしらい、全体に金銀を塗ってあります
瀬戸焼の茶入が入った仕覆(しふく。袋のこと)。「辛うじて姿をとどめているだけのボロボロの状態です。それでもこの袋を捨てたりはしない。小さな茶入が、長い時間どれほど大切にされてきたかを物語る、モノ言わぬ証人です」
瀬戸焼の茶入が入った仕覆(しふく。袋のこと)。「辛うじて姿をとどめているだけのボロボロの状態です。それでもこの袋を捨てたりはしない。小さな茶入が、長い時間どれほど大切にされてきたかを物語る、モノ言わぬ証人です」
日本から注文して、朝鮮の窯で焼かせたという御本 (ごほん) 茶碗。なかでもこちらは徳川家光の命で小堀遠州が考案したもの
日本から注文して、朝鮮の窯で焼かせたという御本 (ごほん) 茶碗。なかでもこちらは徳川家光の命で小堀遠州が考案したもの

「自ずから大切にしてやりたいなと思う雰囲気をたたえているでしょう。

茶道具の世界では昔からいい道具を褒める時『手の切れそうな』という褒め方をするんです。あだや疎かに扱うと手が切れてしまいそうなぐらい出来のいい、繊細なものがこれほど長い時間残されているというのが、こわいと思うこと。

ものを敬うということは、いい意味での畏れがないとダメなんです」

そんな先生の考えから、本当に「真剣」を手に取った回もありました。

刀
刀を手に持ったところ

「柄杓は『刀を持つように』構えなさい、と言っても、みんな全くそのように持ちません。

『そうか、この人たちは人生の中で刀を持った記憶がないから、刀を持つようにと言われても意味がわからないんだ』と、はと気がついて。それで本物の刀を手に取らせるしかないと思ったわけです」

「真剣を手にして、名物茶入にふれて、もろもろになった仕覆1枚を扱う。そうすれば自然と身近のあるものを扱うときの所作も、変わってくるはずです」

(茶道編三、真剣って何ですか? よリ)

真剣を手に持った時のずしりとした重みや、息をするのも忘れるような緊張感は、今でもありありと思い出すことができます。

お点前に込める想い

道具の中に潜む「刀」の存在を身に染み込ませながら、回が進むごとに少しずつ、帛紗、茶筅、茶巾などお点前に使う道具のこと、その扱いの心得を学んでいきました。

「道具を大切に扱うことが、ひとつ一つの所作をていねいに行うことが、それを手にとってお茶を飲む人を大事にするということにつながるからです」

(茶道編五、体の中にあるもの より)

帛紗 (茶道編七、帛紗が正方形でない理由 より)

「お茶席でお点前をする、その最も重要な意味は、人の見ている前でものを清めるということにあります。

この器が清まりますように、その器を使う相手も私も美しく保たれますようにという願いが、例えば帛紗の寸法にも込められています」

棗や茶杓を清める帛紗は、たださばき方を習うのではなく、正方形でないその形の理由まで教わりました
棗や茶杓を清める帛紗は、たださばき方を習うのではなく、正方形でないその形の理由まで教わりました

茶筅 (茶道編九、夏は涼しく より)

本来お茶会では1回使い切りの、いわば消耗品である茶筅。それでも流派やお茶人さんの考えによってこれだけの種類があります
本来お茶会では1回使い切りの、いわば消耗品である茶筅。それでも流派やお茶人さんの考えによってこれだけの種類があります

「決して遊びでこれだけの種類があるわけではないのです。たった一度きりの消耗品に、これだけの情熱を傾け、入念な美しさを求めることに、茶の湯のひとつの本質があります」

茶巾 (茶道編十一、なにはなくとも、茶巾 より)

ずらりと並んだ茶巾。違いがわかりますか?
ずらりと並んだ茶巾。違いがわかりますか?
中でもこれは、生地の端を斜めにかがらずに一箇所ずつ縦にかがってある、もっとも古風で正式な茶巾
中でもこれは、生地の端を斜めにかがらずに一箇所ずつ縦にかがってある、もっとも古風で正式な茶巾

「なぜわざわざ手のかかったものを求めるのか。昔ながらの作り方が最高だ、と言いたいのではないのですよ。

人の手で真剣に入念に調えられた茶巾を使って、これをつくった人自身の想いまで受け取って茶碗を拭くことで、ものが清まるのだということです。

茶巾は単に茶碗を拭う道具ではなく、ものを清める道具なのです」

手に沿わせて、茶巾だけが別に動いているように、と扱いのお手本を示す先生
手に沿わせて、茶巾だけが別に動いているように、と扱いのお手本を示す先生

「どんな名品のお茶道具を集めたお茶会をしていても、ピンとしたいい茶巾と、真新しい削りのきれいな茶杓、美しい作りの確かな茶筅が置いていなければ、格好悪いものです」

(茶道編九、夏は涼しく より)

気がある人になる

「大それたことではなくて、日常我々がやっていることも同じです。お茶だけの話ではありません。贈りものをする、それを受け取ったときにちゃんとお礼を言う、大事に使う。同じことです」

学ぶべきは、お茶道具の扱いに留まりません。お辞儀の仕方ひとつ、お箸の扱いひとつ、体で覚えていきました。

お辞儀にも3つの型がある、と教わりました
お辞儀にも3つの型がある、と教わりました
「お箸の持ち方一つでも、ひと手間の贅沢をすることです。左手を器に添えながら、右手でお箸を上から持つ。今度は左手で下から受けるように持ちながら…」 (茶道編二、いい加減が良い加減 より)
「お箸の持ち方一つでも、ひと手間の贅沢をすることです。左手を器に添えながら、右手でお箸を上から持つ。今度は左手で下から受けるように持ちながら…」 (茶道編二、いい加減が良い加減 より)

稽古中に繰り返し先生が語られたのが、「気がある」という言葉でした。

「世の中で一番大事なのは、気があることです。

気を持って『こういうものをわかるようになりたいな』と自分の方から間合いを縮めようとさえ思えば、あっという間に縮まります。

練習とは言わないということも大事なところです。練習でなく、稽古です。

稽古の稽という字は、考えるとか、思い致すという意味です。つまり、古を考えて今を照らすということ。

人間のやることに大差はないのだ、だから、かつての人々のやってきた事に思いを致し、今の我々がやっていこうとしていることを照らす、ということです。

ですから、練習という言葉よりも稽古という言葉の方が私は好きです」

先生が最初の回で語られたこの言葉が、毎月お稽古のはじまりに思い返す心構え。

稽古はこれからも、続きます。


文:尾島可奈子
写真:井上麻那巳、庄司賢吾、山口綾子
衣装・着付け協力:大塚呉服店