三十の手習い「茶道編」十二、お点前をする意味

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

お点前をする意味

10月某日。

今日も東京・神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室12回目。いよいよお教室に通って1年が経ちました。

「お点前の話に入ってゆく中で大事なのは、茶筅、茶杓など道具一式を揃えて、わざわざお客さんの前でお茶を点てることに一体どんな意味があるのか、ということです」

道具一式

「そもそも日本で茶の湯が始まった頃、人々はどのようにお茶会をしていたと思いますか。実は、当時は給湯室のような部屋が別にあって、そこでお茶を点ててお客さんに出していたんですよ。

『慕帰絵 (ぼきえ) 』という南北朝時代の絵巻物の中に、すでにお茶会のシーンが登場します。

描かれているのは日本におけるお茶会の初期の様子です。部屋にはお軸もお花も複数飾ってあって、歌を詠んだりしているところに小坊主さんがお菓子とお茶を運びにいっています。

その頃は、お点前をするという習慣はなかったんです。飲み物としてのお茶の文化と言うべきでしょうか。

そこから次第にお軸もひとつ、花もひとつとなっていく。より高度にお茶の文化が練り上げられていく傍で、人前でお点前をするということも生まれてきたのだと思います。

ひとつ一つの道具の取り扱いや所作を洗練させることで、そこに様々なメッセージ性を持たせようとした。

何より大事なメッセージは、相手を大切に想う心持ちです。

想いを所作に込める、その延長線上で、ホスト自身がゲストの目の前で段取りし、自ら給仕してすることが重要な意味を帯びてくるようになるのです」

そうして先生が、ふたつの棗 (なつめ) を取り出されました。

なつめを上から見た様子

「この先200年続くように」

「自ずから大切にしてやりたいなと思う雰囲気をたたえているでしょう。江戸時代、松江藩の名君として知られる松平不昧公 (ふまいこう) ゆかりの秋の棗です。

こちらは貝殻細工を切って花をあしらい、全体に金銀を塗ってあります」

金銀を散らした表面に、秋の花が咲く
わざわざ金銀の含有量を変えて、グラデーションを出しているそう
わざわざ金銀の含有量を変えて、グラデーションを出しているそう

「もうひとつは小倉山を詠んだ不昧公の歌をそのまま蒔絵で周りにあしらって、蓋には小倉山の景色が描いてあります」

不昧公が詠んだ和歌が読み取れる
小倉山の風景を描いた蓋
全員で食い入るようにその細部を拝見します
全員で食い入るようにその細部を拝見します

「狩野伊川院 (かのう・いせんいん) という不昧公お気に入りの絵描きが下絵を描き、それを元に松江藩お抱えの塗師、小島漆壺斎 (おじま・しっこさい) が作ったものです。

これだけ入念に作られた、その時代その時代の手数を尽くした工芸品が、茶道具として作られ、残されてきている。そのことを知って欲しくてお見せしました。

およそ200年前に作られて、飾るのではなく実際にお点前で長らく使われてきていますからね。その上で今も美しい状態を保っている。そのことを想ってほしいんです。

蓋の内側まで、まるで星空のようです
蓋の内側まで、まるで星空のようです

ものを拭く、洗うのではなく浄 (きよ) めるんだという想いで使い続けてきた、使い継いできた人たちの積み重ねが、人間よりも長く生きるようなものを残してきたのですね。

ものは扱えば扱うだけ、もちろん傷つけるリスクは高まります。だから触らない、ではなく、それをせっかく200年残ってきたのだからどうかこの先200年も続いてくれますようにという思いで扱う、ということです。

ちょっと慣れてくると必ずものを壊します。その道具がかけがえがないものだという気持ちが、動作に慣れることで鈍くなるんですね。

こうした美しいものの中には刀が潜んでいると思わなければなりません。油断すると手を切りますよ」

10月の道具

話題は季節の道具のお話へ。これまでのお稽古で拝見するものとは少し様子が違う器が並べられました。

「10月は名残の季節です。お茶の道具も割れたり欠けたりしたものを使います。どこかやつれたものを使って、もの悲しい秋の演出をするんです」

金継ぎの跡も美しく感じます
金継ぎの跡も美しく感じます
ひび割れが秋のもの寂しさを演出します
ひび割れが秋のもの寂しさを演出します

「11月が炉開きというお茶でいう『お正月』の季節なので、同じ秋でも10月は寂しくものわびた季節感を表現したい。

だからと言って、そればっかりではつまらないので、取り合わせをします。こういうものと先ほどのような華やかな秋の棗をあわせるんです」

棗と器が並んだ様子

「侘茶の祖と言われる村田珠光 (むらた・じゅこう) の言葉に『藁屋に名馬つなぎたるよし』とありますが、まさにそれですね。

さらにもうひとつ。10月のお点前に命を吹き込むキラーコンテンツがあります。後ほどお見せしますね」

今度は一体どんな美しい道具だろう、と想像を膨らませながら、今日のお菓子をいただきます。

10月のお菓子

松華堂の雁宿おこし。雁の焼印がしてあります。松華堂さんが店を構える愛知県半田市一帯は雁がよく飛んでくる名所だそうです
松華堂の雁宿おこし。雁の焼印がしてあります。松華堂さんが店を構える愛知県半田市一帯は雁がよく飛んでくる名所だそうです

利休が見出したクリエイティビティ

先生が次に出されたのは手のひらサイズの竹の置物。棗、茶碗と美術館で目にするようなお道具を拝見した分、ちょっと意外に思いました。

竹の蓋置き

「半枯れの竹の蓋置きです。台風や大風で竹の一部が折れて、身の一部は枯れ、一部は青いまま残っている。そういう竹を、この時季だけの贅沢で、10月のお茶会でのみ使います。

瑞々しさと枯れたもの、これが同じところにあることが大事です。枯れたもの、欠けたものの中にあると、生きたものがよりみずみずしく映えるんですね」

半枯れの竹の蓋置きに、金継ぎされた器、不昧公の棗に清々しい白の水差しを合わせて、今日のお道具一式です
半枯れの竹の蓋置きに、金継ぎされた器、不昧公の棗に清々しい白の水差しを合わせて、今日のお道具一式です

「利休が見出したところのクリエイティビティとは、まさにこれです。名物と呼ばれるような高級な道具は誰でも手に入るものではありませんが、青竹ひとつ、吟味することはできるのでは、という話です。

それは、これまでお話ししてきた茶筅茶杓を選ぶこと、茶巾ひとつの扱いに『ものを浄めているんだ』という想いをのせることと、本質的に同じお話です。

これはひとつ信じていることなのですが、例えば何気ない黒無地の棗を、ずっと大事に傍らにおいて使い続けていたら、それはそれで何とも言えない雰囲気を帯びてくるものですよ。

それを誰かが受け継ぐ。すると誰かに大切に使い続けられることで『もの』そのものとは違う背景を帯びてくる。その背景を受け取れる人にとってみたら、単なる技術やデザイン、意匠を超えた価値を持ってくるということがあります」

先生の言葉に、少し安心するような気持ちになりました。

名物といわれるような器や道具には手が届かなくても、気に入った道具を大事に扱っていくことなら、自分の想いひとつでやってみることができます。父の鞄や祖母の小物を、今わたしが受け継いでいるように。

「今日は200余年守り受け継がれてきた棗と、この時季だけの竹の蓋置きをお見せしました。

道具を吟味することは大切です。ですがいつでも一番大切なのは、選ぶこと、扱うことひとつ一つに想いをのせていくことです。

遠目から見ても、その立ち居振る舞いが『ああわたしのことを大切に思うからこそなのだな』と相手に伝わるようでなければなりません。

そしてそれが茶室の中や、帛紗を手に持っている時だけではないようにしてほしいと思います。

では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、道具ひとつ、所作ひとつに、相手への想いをのせていくこと
一、誰かから受け継いだ道具は、その想いまで継いで扱うこと


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付け協力:大塚呉服店

三十の手習い「茶道編」十一、 なにはなくとも、茶巾

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、なかなか機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けしています。

なにはなくとも、茶巾

9月某日。

今日も東京・神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎 (きむら・そうしん) 先生による茶道教室11回目。お茶室の真ん中に、何かの容れものが置いてあります。

この箱は一体‥‥?

「これまで帛紗 (ふくさ) 、茶筅 (ちゃせん) 、茶杓と、お茶に関わる道具をいろいろと見てきました。

そろそろ、扱うべきものの話は終わりにして実践に移っていこうと思いますが、もうひとつ、お茶に不可欠な道具があります。茶巾です。

お点前の際にお茶の粉がダマになったりしないよう、茶碗についた水滴を拭き清めるのに茶巾を用います。

ですが、いいですか。これからお点前を始めるときに、茶巾で茶碗を『拭こう』と思ってはだめですよ」

拭き清める所作をするのに、拭こうと思ってはだめとは、一体‥‥?

謎かけのような言葉にきょとんとしていると、先生がそっと1枚、白い布を先ほどの箱の中に入れられました。

清らかな布、麻

箱の中に白い布

「麻生地の茶巾です。綿のものもありますが、茶巾といえば、麻生地です。その理由は後でお話しますが、麻は神事でも重んじられている布です。それを表しているのが、この箱です。

天皇陛下が神前に献上する、特に食べもの以外の捧げものを幣帛 (へいはく) と言います。代表的なものが麻をはじめとした織物です。

5色に染め分けた反物を糸でくるんで、柳の木で作った『柳筥 (やないばこ) 』という箱に入れて献上します。

この箱は柳筥を模して小さく作らせたものです。伊勢神宮ゆかりの茶会が行われた時に使われるために作られたものです」

麻の茶巾を神様に捧げる幣帛に見立てた、お茶会のための「柳筥」。板同士を糸でつなぎ合わせた大変手の込んだつくりになっています。中に収められるものの重要さ、神聖さを物語るようです。

箱のアップ

「麻は一般庶民の衣服にも用いられてきた生地です。実はそのままでは繊維がゴワゴワとしていて、染料にも染まりにくい。

そこで白く晒すことで柔らかく、色に染めやすくもするという工夫がされたのです。清らかな白さは、ここから生まれているのですね。

16世紀の後半には、晒し技法の改良に成功して一大産地となった奈良のような土地も現れます。「奈良晒 (ならざらし) (*1) 」は徳川幕府の御用品指定も受けたほどです。

真っ白な麻の布は大流行しました。侘び茶について書かれた『茶話指月集』にも、有名な千利休のエピソードが収録されています」

利休も愛した晒の茶巾

先生のお話によると、侘び数寄でならした茶人がある日、利休に大金を送ってきて「とにかく自分のためにいい茶道具を選んでください」と目利きを頼みます。

ほどなく利休から届いた荷物を喜んで開くと、新しい真っ白な晒の布が大量に入っている。

慌てて添えられた手紙を読むと「なにはなくとも真新しい白い茶巾。これさえあればお茶はできます」と書いてあった、というお話です。

「はじめは単なる侘び数寄の例えかと思っていたのですが、技法を改良して生まれてきた奈良晒などの晒生地の話と重ねると、晒の白さ (*2) を誇る茶巾というのは、利休にとっても最先端の、ソリッドな真新しい美だったのだと思います。

侘茶の湯という新しいものを打ち立てようとしていた当時に、何百年も前から大切に残されたの名物の器に匹敵する美しきものとして、真白き使い捨てのものをこそ、と利休が語ったというのは、大変象徴的なエピソードです」

そうして真白い小さな布が、次々とお茶室の真ん中に置かれていきました。

昔ながらの作り方が最高?

茶巾を並べていく様子

これまでのお稽古で拝見した帛紗 (*3) や茶筅 (*4) のように、茶巾にもお茶人さんや流派の好みで様々な種類があるようです。

それぞれの茶巾を見比べているところ

見比べてみると確かに、どれも少しずつ様子が違うのですが、具体的にどこと聞かれると、うまく答えられません。

茶巾に見入る生徒の様子

ほら、と先生が示されたのは生地の上下の端部分。

生地の端部分。糸でかがってある

「かがったところが潰れているでしょう。正式な茶巾は、竹ヒゴで生地の端をくるんでから、かがるんです。だから竹ヒゴを抜いた跡が丸い筒状に見える。

くるん、と丸まった端

「さらに、この中でひとつだけ違うものがあります。どれかわかりますか。

答えは糸のかがり方。効率を考えると斜めにかがりますが、これは1本ずつ、生地端に対して縦にかがっています」

たしかに、1箇所ずつ縫いとめてあります!
たしかに、1箇所ずつ縫いとめてあります!

こちらがもっとも古風で正式な茶巾だそうです。何気なく眺めていたのでは気付けない細部に、驚くような手間暇がかけられています。

「なぜわざわざ手のかかったものを求めるのか。昔ながらの作り方が最高だ、と言いたいのではないのですよ。

人の手で真剣に入念に調えられた茶巾を使って、これをつくった人自身の想いまで受け取って茶碗を拭くことで、ものが清まるのだということです。

茶巾は単に茶碗を拭う道具ではなく、ものを清める道具なのです。

茶巾は晒、である理由

「茶巾で茶碗を拭く時に、物理的に拭こうと思ってはいけない。だからお点前では、よく絞った乾きやすい茶巾を手に沿わせて、茶碗の上を滑るように回します」

手に沿わせて、茶巾だけが別に動いているように、と先生
手に沿わせて、茶巾だけが別に動いているように、と先生

「回していくうちにその浸透圧で茶巾に水滴を吸わせるんです。これなら茶碗も傷つけません。

茶巾を手に沿わせるには、あまり柔らかすぎたりさらっとしていては具合が悪い。だからこそハリがあり、神事にも用いられる清らかな麻の晒生地こそがぴったりなのです」

茶碗を拭いているようでいて、拭いているのではなく清めている。ようやく、先生がお稽古の始まりに仰った「謎かけ」が解けてきました。

またものを見る目がひとつ変わったところで、今日のお菓子の登場です。

秋の遊びごころ

今日のお菓子は奈良・樫舎 (かしや) さんの「初雁 (はつかり) 」。

つやりとした樫舎さんの「初雁」が銘々皿によく映えます
つやりとした樫舎さんの「初雁」が銘々皿によく映えます

初雁はもともと、黒糖の葛の中にゆり根を散らし、秋の空に到来した雁を表す9月のお菓子。今回は奈良・吉野の本葛で餡を包んだ、樫舎さんオリジナルだそうです。

一服いただいた後は、これまで拝見してきた道具を実際に使って、お点前の稽古も実践していきます。

茶道のお稽古、習い事・お点前-さんち〜工芸と探訪〜
柄杓は真剣を扱うように持ちなさい、と教わります
柄杓は真剣を扱うように持ちなさい、と教わります

今日の水指は、井戸に吊り下げる釣瓶 (つるべ) の形。本来夏用の道具を「秋の日はつるべ落とし」にかけて使います。

釣瓶の形をした水指

釣瓶なので、お道具を下げる時も茶巾に吊るして運びます。なんという遊びごころ!

水指の取っ手に茶巾を通して運んでいる様子

茶碗ひとつ、茶巾ひとつの扱いに心を込めてお点前をすることも、こうした季節を取り入れた遊びごころも、その場に会したお客さまをもてなそうとする真剣な想いがあってこそ。

毎回、私はその全てにきちんと気付けているだろうかと、お茶室の中をじっくりと見渡します。そろそろ、お稽古も終わりの時間が近づいてきました。

「今日は茶巾のお話をしました。

ゴシゴシと茶碗を拭くことが目的ではない、ということをお伝えしましたね。ものを清めるという儀式に使う、大事な道具です。

晒の茶巾で茶碗を拭いている時には、神社の神主さんが御幣 (ごへい) を振っているような心持ちで臨まないといけませんよ。

では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、なにはなくとも、茶巾

今日のお軸にはきれいなお月さまが
今日のお軸にはきれいなお月さまが

<参考記事>
*1 奈良晒:「歩いて行けるタイムトラベル 麻の最上と謳われた奈良晒」
*2 晒の白さ:「はじまりの色、晒の白」
*3 帛紗:「三十の手習い 茶道編七、帛紗が正方形でない理由」
*4 茶筅:「三十の手習い 茶道編九、夏は涼しく」


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付け協力:大塚呉服店

お茶のキーアイテム「茶杓」を自分の手で作る!茶杓削りに挑戦

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

様々な習い事の体験を綴る記事、「三十の手習い」。現在「茶道編」を連載中ですが、今回はそのスピンオフ企画を前編後編の2回に渡ってお届けしています。

室町時代から続く茶筅 (ちゃせん) の一大産地、奈良県の北西に位置する高山。この地で500年以上、茶筅作りを続け、江戸時代に徳川幕府によって「丹後 (たんご) 」の名を与えられた茶筅師の家、和北堂 (わほくどう) 谷村家を訪ねました。 (前編では、茶筅作りを見学させていただきました)

谷村さんお手製の茶筅作りの工程模型
谷村さんお手製の茶筅作りの工程模型

茶杓作りに挑戦!

谷村さんの工房では、茶筅作りの見学のほか、茶筅作りの最終段階である糸掛けや、茶杓 (ちゃしゃく) 削りも体験できます。(※見学、体験ともに要予約)

お茶をすくうための道具「茶杓」
お茶をすくうための道具「茶杓」。茶人が自作することもあり、個性が表れるお茶のキーアイテムです

せっかくの機会ですので、茶筅作りを見学した後、「茶杓削り体験」もさせていただくことに。

ご一緒した、さんちの連載「気ままな旅に、本」でもお馴染みブックディレクターの幅允孝さん、中川編集長とも親交の深いJFL奈良クラブGMの矢部次郎さん、中川編集長と挑戦です。

茶杓作りの工程模型。体験は、4番目の櫂先 (かいさき) がカーブした状態のものを削るところからスタートです!
茶杓作りの工程模型。体験は、4番目の櫂先 (かいさき) がカーブした状態のものを削るところからスタートです!

個性表れる自作のキーアイテム

お茶が始まった当時は、お茶をすくうのに薬さじが使われていたといいます。薬さじは毒によって色が変わるとされた象牙や銀などでつくられていましたが、象牙の代わりに、手に入りやすい竹を用いて作られ始めたのが現在の茶杓の原型なのだそうです。

竹で作られた当初は節の無い部分を使って作られていましたが、千利休が節を生かすことを試みます。竹のもつ独特のフォルムを象徴的に生かし、素材の持ち味を際立たせるというアイデアにより、現在なお使い続けられている茶杓のデザインが誕生しました。単に手に入りやすい素材だからと竹を使うのではなく、竹の特徴を美しさとして示すことで、「あえて竹で作る」意味を見出したのですね。

茶杓は、茶人が自らの手で作って個性を表現できるもの。偉大な茶人の茶杓が分身として後世まで大事に残されたり、銘をつけて、共筒に入れて保管する習慣も定着していきました。現代のお茶会でも、その会を象徴する重要なアイテムとして扱われています。

誰もが作れるお茶のキーアイテム。そう聞くと、私も持ちたい!俄然やる気が湧いてきました。

さて、私たちが作る茶杓にはどんな個性が表れるでしょう。竹の種類や染みなどの景色、削る形によっても全く異なる茶杓が出来上がります。まずは、谷村さんが用意してくださった竹の中からお気に入りの1本を選び、削り方を教わりました。

刃先に集中して、ひと削り。また、ひと削り。没入感を味わう

谷村さんによる茶杓削りの実演。竹の扱いや削り方の向きなどお手本を見せていただきます
谷村さんによる茶杓削りの実演。竹の扱いや削り方の向きなどお手本を見せていただきます

一度削り過ぎると、もう元には戻せません。持ち手の太さや櫂先の形など、仕上がりをイメージしながら少しずつ慎重に削っていきます。

真剣に無言で削り続ける幅さん (左) と矢部さん (右)
真剣に無言で削り続ける幅さん (左) と矢部さん (右)

部屋に響くのは竹を削る音だけ。ついつい夢中になってしまい、あっという間に時間が過ぎていきます。ひと削り、ひと削りに集中していると、心が整うような‥‥澄んだ心になるような不思議な気分をみなさんと味わいました。

茶杓には個性が表れるということでしたが、削り方も人によって様々。素早い手つきで、細い繊細な柄を削り出していく矢部さん、同じく細い柄を生み出すのにゆっくりと刃を当てていく幅さん。中川編集長はしっかりとした太めの柄を時間をかけて整えていました。

お茶を乗せる櫂先の削り出し。角の丸さや幅、厚みを指先で確認しながら削り、調整していきます
お茶を乗せる櫂先の削り出し。角の丸さや幅、厚みを指先で確認しながら削り、調整していきます

そんな丁寧な仕事ぶりの男性陣の横で、豪快に刃を当てて削っている自分に気づき恥ずかしくなっていると、「意外と女性の方が思い切りが良かったりするんですよ、削りすぎに気をつければ大丈夫です」と声をかけてくださる谷村さん。励ましていただき再び集中します。

形が整った後は、ヤスリをかけて仕上げます。

真剣な眼差しでヤスリがけする中川編集長
真剣な眼差しでヤスリがけする中川編集長

「よし!これで!」と決意して銘をつけて完成させるも良しですが、作り始めるとなかなか決心がつかず、持ち帰って家で仕上げる方も多いそうです。

体験のあと、お茶をいただきながらお互いの作品を鑑賞し合います
体験のあと、お茶をいただきながらお互いの作品を鑑賞し合います

お互いの茶杓を見比べていると、それぞれのこだわりや美意識が伺えたり、茶杓を通してその方のお人柄を感じたり。本当に全員違うものができああがるので、ものを通じて語り合う楽しさがありました。

左から、中川編集長、幅さん、矢部さん、小俣の作品
左から、中川編集長、幅さん、矢部さん、小俣の作品

これで完成!と決意された幅さん。茶杓につけた銘は「初陣」。 初の挑戦を戦国の武将たちになぞらえるようなネーミング、かっこいいです!

「銘をつけるまでが茶杓作りです。完成させてくださいね」と、谷村さんに笑顔で送り出していただきました。

こうして作ってみると使ってみたくなるもの。後日、ピクニックに出かける際に作った茶杓を持っていき、略式でお茶を点てて友人たちに振る舞ってみました。お茶を楽しむきっかけがまた一つ増えて嬉しくなりました。 (ちなみに、私の茶杓の銘は「大味」としました。大雑把な私の性格が表れた茶杓ですが、屋外でおおらかに使うのにぴったり!ということでここはひとつ‥‥) 。

<取材協力>
和北堂 谷村丹後
住所: 奈良県生駒市高山町5964

文・写真:小俣荘子

かつては夜中に作られていた?一子相伝で受け継がれてきた茶筅づくりの現場へ

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

様々な習い事の体験を綴る記事、「三十の手習い」。現在茶道編を連載中ですが、今回はそのスピンオフ企画をお届けします。

7月の茶道教室の回で、茶筅 (ちゃせん) のお話が登場しました。本来はお茶席ごとに新しいものを下ろすという茶筅ですが、その色かたちは流派やお茶人さんの好みによって千差万別。「一度きりの消耗品に、これだけの情熱を傾け、入念な美しさを求めることに、茶の湯のひとつの本質があります」との木村宗慎先生の言葉に、私も茶筅についてもっと知りたくなりました。

かつては厳格な一子相伝で、技を盗まれぬよう夜中に作られていたという茶筅。現在は一般に広くその技を公開している場所があるといいます。これはぜひ伺わねば!と、茶道教室にも参加している「さんち」中川編集長と茶筅の里、奈良県の高山を訪ねました。

500年以上の歴史を持つ、高山の茶筅

奈良県の北西に位置する高山は、室町時代から続く茶筅の一大産地。この地で500年以上、茶筅作りを続け、江戸時代に徳川幕府によって「丹後 (たんご) 」の名を与えられた茶筅師の家、和北堂 (わほくどう) 谷村家が本日の舞台です。

歴史ある谷村家のお庭を通って、工房の見学へ!
歴史ある谷村家のお庭を通って、工房の見学へ!
立派なのれんの奥が工房です。ドキドキとくぐります
立派なのれんの奥が工房です。ドキドキとくぐります

迎えてくださったのは、20代目当主 谷村丹後 (たにむら・たんご) さん。谷村家では、主に茶道の裏千家や武者小路千家のお家元に納める茶筅作りを続ける傍ら、一般の方が工房を見学できるツアーを開催されています。

工房では、茶筅作りの最終段階である糸掛けや、茶杓 (ちゃしゃく) 削りの体験、茶筅の購入もできます。(※見学、体験ともに要予約、購入については在庫次第のためお問い合わせくださいとのこと)

※茶筅作りを見学した後、私たちも茶杓削りに挑戦しました!その様子は、次週お届けします。

バラエティ豊かな茶筅に見る、流派のこだわり

見学ツアーでは、谷村さんの手元を間近に見ながらその工程を学ぶことができます
見学ツアーでは、谷村さんの手元を間近に見ながらその工程を学ぶことができます

見学の前に、谷村さんがこんな興味深いものを見せてくださいました。様々な種類の茶筅のサイズや形が書かれた設計図だそうです。

流派や家々でそれぞれ独自性を追求し、多様な形が生まれた茶筅。和紙に書き付けてあった江戸時代から伝わるものを谷村さんが巻物にしつらえ、大事に保存されています。

見るからに異なる形のものもあれば、カーブの角度や長さなど、細かな違いにこだわりが表れているものも
見るからに異なる形のものもあれば、カーブの角度や長さなど、細かな違いにこだわりが表れているものも
元来、茶筅のデザインは自由なもの。工房には、様々な流派の茶筅や、谷村さんデザインの糸の色をアレンジしたものなども展示されていました
元来、茶筅のデザインは自由なもの。工房には、様々な流派の茶筅や、谷村さんデザインの糸の色をアレンジしたものなども展示されていました

そしてこちらは、茶筅納入の際に用いられた木札と提灯箱。

菊の御紋が!
菊の御紋が!

谷村家が幕府から与えられた「丹後」の名は、徳川将軍家御用達茶筅師として記録されています。将軍家以外にも仙洞御所や公家、諸大名への納入されていたそうです。

茶筅が大事に運ばれていたことが伺える木札と提灯箱。大名たちの間でいかに茶の湯が親しまれていたか、道具が重要視されていたかが伺えますね。

お茶が中国から伝来した当時は、竹を簡単に割っただけのささらのようなものを使ってお茶を混ぜていたと考えられています。

室町時代後期、お茶を美味しく美しくいただくための道具を作ろうと、大和鷹山 (現在の高山) の城主が、奈良の浄土宗寺院称名寺の住職 村田珠光 (むらた・じゅこう 「わび茶」の創始者と目されている人) の助言を得て茶筅を創案したと伝えられています。

その後、茶の湯の隆盛と共に需要も高まり、豊臣秀吉や徳川幕府によって保護産業として優遇されたそうです。

「高山の茶筅作りをする家々は、この大事な産業の技が盗まれないよう夜中に茶筅を作り、日中は農業に勤しんでいました。うちも祖父の代まで畑がありました。現代では、そういった秘密主義はなくなり日中に仕事をする人もいますが、昔ながらの習慣が残っていて宵っ張りな人も多いようです。わたしもそうです (笑) 」

音で聴き、感触を確かめて作られる茶筅。その工程とは?

「さて、それではさっそく始めましょうか」

谷村さんの声かけから、いよいよ茶筅作りの実演と解説がはじまりました。

茶筅作りは竹の素材選びと下準備から始まります。竹は2〜3年生のものが茶筅に向いているそう。真冬に切り出し、煮沸します。その後1ヶ月のあいだ日光に晒し、さらに1〜2年は納屋で陰干しして割れや変色などがないものが用いられます。

1本の竹から茶筅を作るには、大きく7つの工程があります。「大きく」という言葉の通り、実際には、美しくて使いやすい茶筅にするため無数の工程に分かれています。工房には、谷村さんお手製の茶筅ができるまでの見本が並んでいます。これを見ると、その工程の多さに驚きます。

見本の乗った板の上には工程の名前が順に書かれていて、徐々に茶筅の形になっていく様子が伺えます
見本の乗った板の上には工程の名前が順に書かれていて、徐々に茶筅の形になっていく様子が伺えます

まずはじめの工程は「片木 (へぎ) 」。節から上の表皮を削り、竹を半分、また半分と、16片に割ります。

竹を縦に割っていく前に、包丁で表皮をむき、状態を整えます
竹を縦に割っていく前に、包丁で表皮をむき、状態を整えます
表面を整え終わると、割る作業がはじまります
表面を整え終わると、割る作業がはじまります
割った穂の根元を折り、広げていきます。やり過ぎると使い物にならなくなるため、折れ具合を音で聴きながら進めていきます
割った穂の根元を折り、広げていきます。やり過ぎると使い物にならなくなるため、折れ具合を音で聴きながら進めていきます
穂先を広げていきます。どことなく、茶筅の形に!
穂先を広げていきます。どことなく、茶筅の形に!
広げた穂の皮と身を分けるために包丁を入れていきます
広げた穂の皮と身を分けるために包丁を入れていきます
分けた身の部分を取り除いていきます。こうやって薄い穂の部分ができていくのですね!
分けた身の部分を取り除いていきます。こうやって薄い穂の部分ができていくのですね!

ここまでの工程、特別な道具は使わず、すべて包丁と手の感覚のみで行なっていることに驚きます。竹は自然のものなので、その日の気候でも状態が変わるそうです。竹のコンディションを体で感じながら作っていくとのこと。刃先にまで指の感覚をお持ちのような‥‥、指と刃物が一体化しているようでした。

谷村さんの仕事道具。この包丁1本で竹を切り、削っていきます
谷村さんの仕事道具。この包丁1本で竹を切り、削っていきます

続いて「小割 (こわり) 」。茶筅の設計図に合わせて、必要な穂数に割っていきます。

数回に分けて割り、少しずつ細くしていきます
数回に分けて割り、少しずつ細くしていきます

実はこの穂の部分、2種類の太さが互い違いになるよう割られているのです。太い方が外側の穂、細い方が内側の穂となります。

だいたい6対4くらい、とのこと。なんて細かい‥‥
だいたい6対4くらい、とのこと。なんて細かい‥‥

次の工程は「味削り」。もっとも重要と言われるところです。水に浸して柔らかくした穂の厚みを削って、カーブを作り弾力を生みます。しなやかさの度合いで「お茶の味が変わる」とも、家々の技の味が出るとも言われる工程です。

しなりと強度は相反する要素。長持ちするように強度を高めるとしなやかさが損なわれ、美味しいお茶がたちません。かと言って薄くしなやかにし過ぎると耐久性がありません。このバランス感覚が腕の見せ所なのだそう。 

指先で弾力を確認しながら少しずつ削いでいきます
指先で弾力を確認しながら少しずつ削いでいきます

そうして、まだまだ細かな調整が続きます。続いては「面取り」。外穂の角を削り、滑らかにします。「面取りをしていなくても、お茶は点てられます。ですがこうして美しく滑らかな茶筅を作ることに意味があると思うのです。やっていると結構ハマってしまうんですよ」と、谷村さん。

1本ずつ左右の角をとっていきます。例えば「百本立て」の茶筅だと200箇所もの角を取る!ということですが、細部にこだわってこそ美しく仕上がるのですね
1本ずつ左右の角をとっていきます。例えば「百本立て」の茶筅だと200箇所もの角を取る!ということですが、細部にこだわってこそ美しく仕上がるのですね

ここまで整えたところで、穂の根元に糸をかけて内穂と外穂を分けながら締めていきます。「下編み」「上編み」の2段階です。

この大きな模型の茶筅も谷村さんのお手製です!
この大きな模型の茶筅も谷村さんのお手製です!

最後は「仕上げ」の工程。穂をしごいてカーブの具合を揃えるなど、向きや形を整えていきます。

細かな調整で、ぼんやりしていたシルエットが締まったフォルムに。美しさが磨かれます
細かな調整で、ぼんやりしていたシルエットが締まったフォルムに。美しさが磨かれます

素人目には気づかないようなねじれを直したり、1本ずつの状態を細かく見ていく様子に、美しさへの追求を感じました。この仕上げを通じて、それまでの工程の良し悪しも確認もできるといいます。全体の品質チェックの工程でもあるのですね。

使われ方、使い手を知り、使い勝手と美しさを追求する

お茶の世界では消耗品とされる茶筅が、これほどまでに気を配り、細かな調整をしながら作られていることに非常に驚きました。

「茶筅には銘もつきませんが、実は竹製の茶道具の中で一番手がかかっているんです。

大量生産品の中には、茶筅が実際にどう使われるかを教わらないまま工程と形だけを真似て作られているものもあります。私たちが作る茶筅は、使ってくださる方との長年のお付き合いでその使い勝手、美しさを追求してきたものです。

使い心地についてお声をいただくこともあり、そのお好みを反映させることもあります。作っていると、使ってくださる方のお顔も浮かびます。

納め先の方々にとって使いやすく美しい茶筅を作り続けたい、そういう気持ちで日々作り続けています。だからこそ不思議と良い仕上がりになるように思います」

仕上がった茶筅の様子

「消耗品こそ、良いものを」という使い手の思いと呼応するように丁寧に作られる茶筅。一瞬のために時間をかけて美しいものを作り上げる様子に、ため息が出ました。

私たちは儚いものを愛でて、そこに美しさや切なさを感じることがあります。丁寧に詰められたお弁当、夏の夜の花火、桜や紅葉など、日常で出会う儚いものの延長線上に茶筅もあると思うと、茶道も不思議と身近に感じられました。

ツアーの最後は、谷村さんの茶筅でお茶を点て、お菓子と一緒にいただきます。工程を拝見したあとなので、感慨もひとしおです
ツアーの最後は、谷村さんの茶筅でお茶を点て、お菓子と一緒にいただきます。工程を拝見したあとなので、感慨もひとしおです

後編では、こちらで挑戦した茶杓作りの模様をレポートします!

<取材協力>
和北堂 谷村丹後
住所: 奈良県生駒市高山町5964

文・写真 : 小俣荘子

三十の手習い「茶道編」九、夏は涼しく

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇滝の前に花を活ける

7月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室9回目。

実は毎回生徒の中から一人、当番制で教室が始まる前にお花を活けます。今回はいよいよ私に順番が回ってきました。お茶室に入ると、舟の形をした花入 (はないれ) が、ずいぶん低いところにつられています。

花を活けているところ
どうしたら格好良いか‥‥。悩みながら活けていきます

床の間には上の方にわずかに2行ほどが書かれた、ほぼ白紙の掛け軸。何か関係があるのかと考える余裕もなく、人生初の夏着物と揺れる花入にあたふたとしながらどうにか花を入れ終えると、もっと花入に水を、と先生から声がかかりました。

もっと、もっとと最終的にはこぼれてしまうんじゃないかというくらいに花入に水をうって、お稽古が始まりました。

床の間の様子
最後は先生にも手伝っていただいて、なんとか花を入れ終えました

「今日の掛け軸は白紙賛 (はくしさん) 。ま白き本紙に滝の歌を書きつけて、掛け軸の余白を滝に見立てているんです。歌は、

涼しさはたぐいも更に 夏山の峯より落る音なしの瀧

 

とあります」

滝、と言われた瞬間に、目の前の掛け軸と頭の中に描いた滝が重なりました。ドドドドドド、と音まで聞こえてくるようです。

活け終えた花の様子
掛け軸が滝なら、この花入は‥‥

滝の手前に低く吊られたその名も釣り舟という花入は、さながら水辺に浮かぶ舟に、さっきまで手にしていた花は水しぶきを受けて岩場に咲いている野草に。先ほど「もっと水を」と先生が言った理由がわかったように思いました。

花自体にもたっぷり露が打ってあります

「夏はあまり華美な軸を掛けても暑苦しく感じてしまうので、こうしたちょっと息がつけるような軽やかなものをかけます。

釣り舟の花入も、普通はもう少し高く、軸の真ん中より少し下にかかるくらいの高さにするのですが、今日はわざと、ぐ~っと低くしてみました。その方が、舟から滝を見上げているようでしょう。

茶事など、正式なお茶会ではだいたい床の間を2~3箇所拝見しますが、順番に違った部屋に通され、その床の間を拝見するごとに、掛け軸がどんどん抽象的になっていくんですね。待合 (まちあい) と呼ばれる最初の部屋は、短冊とか軽いもの。でなければ季節の景物 (けいぶつ) を描いた絵が掛けられます。それから茶室に通ると、今度は墨で文字だけ書かれた軸が、といった具合。

茶の湯の世界では、古い名物を除けば、具体的に絵で描かれたものよりも、禅僧などが文字だけを墨書したものを格が上だと考えます。それには理由があります。

例えば今日の掛け軸も、どこかの滝を写生するように絵に描いたら、何人の人が見ても、同じ滝しかイメージしないでしょう。でも、白い紙に滝を思いおこさせるメッセージをわずかな文字で記してあるだけだと、見る人は自由に滝の姿を想像することが出来る。

ここにいる10人が、10人とも違う滝を思い浮かべる。そうした豊かさや、広がりを求めるなら、きっちり写実的に描かれた絵画よりも、文字だけの抽象的な掛け物のほうが上、と考えたのです。

日本人が好む「余白」の美、そのひとつの答えですね。こうしや余白を好む美意識というものは、質量ともに不足があった時代に、それを逆手にとってなんとか幸福を求めた結果の産物だろうと思います」

さらに、掛け軸の横には柳の下で舟遊びをする人たちを描いた掛けものが飾られています。

たなびく柳の下で、舟遊びをしている様子はなんとも涼やかです

「涼しげでしょう。中国から日本にもたらされた貝殻と漆の細工で出来たものです。何百年も前に作られたものなんですよ。“螺鈿 (らでん) ”とか“青貝 (あおがい) ”とか呼ばれるもののひとつで、『掛け屏(かけびょう)』と言います。座敷に掛けてたのしむ小さな屏風、という意味です。貝がらのキラキラと、漆の黒がなんとも涼しげだと思いませんか」

さっきまで額に汗していたのがすっとおさまった心地がして、お話の続きに集中します。

夏は涼しく

「今日の掛けものやしつらえに関連して、これが分かればおもてなしの達人、という七つの教えのお話をしましょう。千利休が人に乞われて説いたという教えです。

お茶は服の良きように立て
炭は湯の沸くように置き
夏は涼しく
冬は暖かく
刻限は早めに
降らずとも傘の用意を
相客 (あいきゃく)に心せよ

ーというものです」

尋ねた方が『そんなの当たり前すぎる』と不服を言ったら、利休は『本当にこの7つ全部ができているなら、私はいつでもあなたの弟子になりましょう』と言い返したと言います。有名な利休七則(りきゅうしちそく)です。

「相客に心せよ、というのが面白いでしょう。平たくいえば、仲の悪い人同士や自分と話の合わない人、今日のお茶会の趣旨を理解しないであろう人は呼ばないように、誰を呼ぶか、よくよく考えなさいということです。

しかし、この戒めの本質は、単にお客の組み合わせを説いたものではないと思います。相手の中にある答えをちゃんと紐解き、見抜いた上でもてなしを考えなさい、ということではないかと思います。答えは相手の中にある。もちろん自分の中にも。

ーというわけで、今日は『夏は涼しく』。

7、8月の盛夏の頃は昼にお茶事をしません。暑い中に四畳半のお茶室に火をおこして何時間もこもっていたら、熱中症で倒れかねない。ですからお茶会を開くときは、朝茶事。朝6時くらいには来てもらって朝ごはんを出して、9時すぎには終わりたい。

昔はエアコンもありませんから、どうやって涼感を呼び込むのかが大切なことでした」

先生の言葉を待ち受けたように、今日のお菓子が運ばれてきます。

「京都にある鍵善良房さんの甘露竹 (かんろちく) です」

甘露竹が積まれた様子

竹筒の後ろに穴が空いていて、コンコンと叩くとつるんと水羊羹が現れました。

つるん、と水羊羹が!

「水羊羹に竹の香りがうつって爽やかでしょう」

先生の言葉に頷きながら、あっという間に平らげてしまいました。

運ばれてくるお茶碗で目を引いたのが、その口の広さ、平たさ。こうした平たい茶碗を使うのも、涼感を得る工夫のひとつだそうです。

平たいお茶碗でお茶を点てます

さらに、お点前に使われていた棗 (なつめ) は柿の木をくりぬいて作られたもの。その木目のうねりを波に見立てて、波間に千鳥と水車の蒔絵と螺鈿 (らでん) があしらわれています。

美しい蒔絵と螺鈿が施された棗
柿の木の木目を波に見立てています

一度きりに心を尽くす

さらにもうひとつ、この時期ならではの道具が用意されていました。先生が取り出されたのは、茶杓。

箱付きの茶杓

「裾が焦げているのがわかりますか」

茶杓の様子

「京都は今日あたりから祇園祭一色です。毎年今頃には神輿洗 (みこしあらい) と言って、八坂神社のお神輿を鴨川の河川敷まで出してきて、松明で囲みながら神輿を清める、という神事が行われます。

この茶杓は、そのお神輿を照らす松明の竹で作った茶杓です。だから裾が焦げているんですね。八坂神社に縁のある宮司さんが銘をつけて道具に仕立てたものです。

上方を中心にお祭りが盛んな夏の間神事にゆかりのエリアに住む茶人は、関係者を招いて茶会を開いたものです。京都なら祇園祭、大阪なら天神祭。今ではそうした人も随分減ってしまいました。

祇園祭の趣向のお茶会なら、裾の焦げた松明の竹で出来た茶杓は何よりの御馳走です」

先月は手紙が掛け軸に変身していましたが、今月は神事のお松明が茶杓に姿を変えています。しかも祇園祭というこの時期しか味わえない時候の挨拶を添えて。

言葉で語るよりも速く、スマートで、心得ている人同士でこそ成立する濃密なコミュニケーション。毎回このお茶室の中で、自分の知っている世界がどんどんと広くなっていきます。

「七則の他にも利休の教えをまとめた『利休道歌』に、こんな歌があります。

水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし

これはあるお茶人が利休にお茶事に使う道具を整えて欲しいと頼んだ際に、利休がただ新しい茶巾を送って『これでお茶ができる』と答えたというエピソードに通じます。

どんな名品のお茶道具を集めたお茶会をしていても、ピンとしたいい茶巾と、真新しい削りのきれいな茶杓、美しい作りの確かな茶筅が置いていなければ、格好悪いものです」

消耗品こそちょっといいものを使ってみると、その意味がわかりますよ、と先生が次に取り出されたのは茶筅。それもひとつではありません、次々と畳の上に少しずつ形の違う茶筅が並べられていきます。

次々と並べられていく茶筅

「煤竹 (すすたけ・竹の種類)、薄茶用の和穂 (かずほ・穂先の種類。本数による) の煤竹、天目茶碗用、遠州流、藪内流‥‥」

先生が解説している様子

「どれでやってもお茶は立ちますが、色かたちは流派やお茶人さんによって変わります。自分で竹の種類や紐の色などを選んで、マイ茶筅を作ったっていいのですよ」

茶筅アップ

「大切なのは、お茶を点てようと思ったときに、消耗品だからとおざなりにせず、ちゃんといい茶筅でお茶を点ててみること。知る喜びと知る不幸との、両方を知ることができます。一度ちゃんとしたものを使ったら、それ以上のものしか使えなくなりますから」

茶筅は、一度使うと閉じられた穂先が開いて二度と戻らないのだと教わりました。だからこそ、お茶会で一組のお客さんに使うのはたった一度だけ。

「決して遊びでこれだけの種類があるわけではないのです。たった一度きりの消耗品に、これだけの情熱を傾け、入念な美しさを求めることに、茶の湯のひとつの本質があります」

夏は涼しく。今日、この場この瞬間のお茶会のために、一度きりの真新しい、美しい道具を。

「これからお点前のお稽古をしていくときに、決してそれがただの形式に陥らないよう、どうぞ今日お見せした茶筅のことを、覚えておいてくださいね。

–では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、夏は涼しく

一、日々使う道具こそ、いいものを


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装協力:大塚呉服店
着付け協力:すみれ堂着付け教室

三十の手習い「茶道編」八、手紙とお辞儀の共通点

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇先人の消息を読み解く

6月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室8回目。床の間の掛け軸は、何かの和歌、でしょうか‥‥?

「これは人気の武将、独眼竜・伊達政宗の手紙です。中ほど空間の広いところに『五月晦日』と書いてあります。その下には政宗の花押 (かおう) 。今で言うサインですね。形が鳥の鶺鴒 (せきれい) の姿に似ていることから、政宗のセキレイ判とも呼ばれます。

晦日とは、月の終わりの日をさします。だから年末は大晦日。旧暦の五月晦日を今に置き換えると、6月の末になります。だいたい、ですけれどね。時期にことよせて、今日の掛け軸にしました。読み終わった手紙もこうしてしつらえになるんですよ」

なんと、博物館で拝見するような歴史上の人物の便りが、目の前の床の間を飾っています。

「手紙は難しい言い方をすると尺牘 (せきとく) と言います。その人の息吹が込められているものだから消息 (しょうそく) とも。

書き損じたり、いらなくなった手紙や文書は反故 (ほご)と言います。反故、つまりゴミです。約束を反故にする‥‥は皆さんも知っているでしょう。それを捨てずに、茶室の壁に貼ったりするものは反故張りと言います。

本当は、表には出ない下地に貼ったのですが、“侘び”の表現としてわざと見えるようにしたのです。もちろん、適当ではなくて、文字のグラデーションがまるで文様に見えるように考えて貼っていきます。

その昔、紙は貴重な資源だったので、漉き直して使いました。ですが人気の武将や茶人など、名のある人物の手紙は、受け取ったほうが喜んで大事にとっておいた。だから、反故にされずに、残ったのです」

この手紙は伊達政宗が江戸幕府大老の土井利勝に宛てた手紙だそうです。土井利勝は幕府の体制を整えた2代目将軍・秀忠の側近で、幕府最初の大老。伊達政宗は武将の中でも筆まめで知られるそうです。しかし、私には全く読めません‥‥

「読めないですよね。でも途端に読めるようになる方法があるんですよ。

今は新年の挨拶を『あけおめ、ことよろ』と短縮するでしょう。それと同じで、昔の手紙はどうしても言いたい、わかって欲しいというところは、下手にくずしたりせずにちゃんと書くんです。そこさえ読めればいい。

右から1行目、段が下げてあるところは袖書きと言って、後から書き足した追伸です。段が下がっているのがその目印。つまり本文は右端から3行目、『明日の』から始まります。

3行目から濃く書いてあるところを見ていくと、4行目に『一々御自筆にてお書付』とあります。“わざわざ直筆の手紙ありがとう”と言っているんですね。

5行目は中ほどから6行目の頭まで『入御念千万辱』、“念の入ったことで辱 (かたじけな) い”。6行目の最後は『天気』と書いてあって、“天気が良いといいですね”と用件が終わります。

つまり、自筆で文書をもらったことへのお礼と、明日はよろしくね、晴れるといいですね、というだけの手紙なんです。今日のビジネスマナーと同じですね。明日よろしくって、今日のうちに江戸のお屋敷から事前に連絡しているんです。

手紙は当時の一番リアルな通信手段ですから、現代の携帯でのやりとりのように、いたってカジュアルで、口語的な内容の場合も多いのです。

よく使うツールだからこその共通ルールもあります。7行目、墨を足して書いてあるところ、末尾の部分は、これで『恐惶謹言 (きょうこうきんごん) 』と読むんですよ。

今も女性が手紙を「かしこ」と結ぶのと同じで、当時は男性でもカジュアルな手紙の場合は「かしく」と書くこともありました。より正式には『恐惶謹言 (きょうこうきんごん) 』と書いて、どんな手紙も、必ずこの言葉でしめてあります。『おそれつつしんで申しあげる』意味で、改まった手紙の末尾に書き添え、相手に敬意を表す語でした。

必ず、そのように書く決まりだったので、あえてリズミカルに省略して書いたりしたのです。今でいう、絵文字やスタンプに似た役割になっています。きちんと書く、ではなくてカッコよく書く。

もちろん、どうでもよい訳ではなくて、読み手がわかりやすいように、崩し方にも一応の決まりがあります。

先生がさらさらと崩し方のパターンを書かれていきます

例えば結婚式に出席するたびに、毎回違う服を用意するのは難しいですよね。コードはある程度決めておくことでみんなが救われます。書き手も読み手もはじめに共通言語となり得る型を覚えて段々と使いこなしていくのです。

今はミミズがのたくっているように見えるかもしれませんが、かすれて読めないところは読めなくてもいい。大事なところはしっかりと書いてありますから、ちょっと見方を覚えておくと、そこだけ浮かんで見えるようになりますよ」

先生のガイドのおかげで、大河ドラマや教科書でしか知らなかった歴史上の人物が、少し身近になったような。

「なにしろ遠いものだと思わないことです。昔の人も生きていたんです。恋もすれば失恋もして、嫌いな奴もいれば喧嘩もした。今の私たちと一緒です。伝えようとしたことがある、と思って読むと読めるようになりますよ」

お菓子に込める祈り

「掛け軸は『5月晦日』と日付にかけて選びましたが、6月晦日に行われるのが夏越の祓(なごしのはらえ)です。

もちろん、もともとは旧暦の6月末に行われていました。この行事は、一か月ずらしたりせず、新暦に移った現在でも、6月30日ごろに執り行われます。

お盆の行事が、旧暦では7月15日だったのが今は関東は7月15日、関西では8月15日が多くなっているように、旧暦と新暦の置き換えはいろいろあり、面白いですね。

本格的に夏になるという時に、心身の穢れをはらう儀式を執り行いました。由来は神話の伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) の禊祓 (みそぎはらひ) にまで遡るそうですが、京都を中心に、日本各地の神社で行なわれている伝統行事です。

昔は暑さ厳しい夏の間に病気で亡くなる人が多かった。夏を無事に過ごすことは、切実な願いでした。

位の高い人は、ひとつの儀式として氷を保管している氷室 (ひむろ) から氷を運ばせて、夏本番になる前に食べました。聞くところによると、加賀の前田家が越中五箇山の氷室から徳川将軍家に献上するためにひと抱えの桶に入れて運んだ氷は、江戸城に届く頃にはコップ一杯くらいになっていたそうです。大変なぜい沢品ですね。

庶民はもちろん氷なんて口に入りませんから、お餅を三角に切って氷のつもりで食べたのが今日のお菓子、水無月です。

今月のお菓子、その名も水無月。器と相まってとても涼しげです

小豆がのっているのは、赤いものには魔除けの力があると信じられていたためです。お赤飯も同じ理由ですね。赤いあずきの力で魔を払って、この夏無事に過ごせますようにとの願いを込めた行事食というわけです」

今日もう一種のお菓子は太宰府にある御菓子而 藤丸さんのもの。目にするだけですっとします
海の生き物が描かれた水差し。いたるところに涼を感じさせるおもてなしが

手紙とお辞儀の共通点

日々使う携帯に置き換えて古い手紙に触れ、夏の無事を祈る思いとともにお菓子を味わう。今日は何か、触れるものの奥にそれぞれ、人の体温が感じられるようです。「昔の人も生きていた」という先生の言葉が耳に残ります。

「最後に少しお辞儀の仕方をおさらいしましょうか。真・行・草のお辞儀の仕方を覚えていますか。きれいにする、というのは一面、見られているという意識を持つということですよ。

手指は何時も揃えてバラバラさせない。立ち上がる時はかかとの上にキュッとお尻をのせて、重心は後ろのまま、すっと立ち上がる。立ち姿はピアノ線で吊るされているように。

そしてお辞儀の時に大事なのは一拍おくことでしたね。相手の頭が上がったかどうかをちゃんと伺って息を合わせること。頭が下がる時はたとえバラバラでも、あげる時に揃っていたらきれいです。

こうした型は、いつでもできるように、体で覚えておけば、そこから崩すことができるでしょう。相手に合わせて堅い表情でやった方がいいか、カジュアルにやった方が喜ぶ相手なのか。いつでもできるようにしておけば、崩す余白ができるんです。型を知るというのはそういうことです」

今日触れた手紙も同じなのだと、改めて気づきます。お辞儀も手紙も、さらに先月から少しずつ覚え始めた帛紗さばきも、共通する「型」というキーワードで、ひとつながりにつながっていきます。

「与謝野晶子が詠んだ『その子二十歳、櫛に流るる黒髪の、おごりの春の美しきかな』という一句を、俵万智は『二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏れを知らぬ春のヴィーナス』と現代語訳して一躍有名になりました。

とにかく何事も、怯えないことです。敬遠している間は絶対頭に入りません。昔の手紙も、読んだら読める。なんでもそうですよ。我がことにさえ思えばいくらでも、身につくんです。

–では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、手紙もお辞儀も、型を知っておくことで自在に扱えるようになる

一、何事も怯えず、自分ごとにすれば自然と身についていく


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付協力:大塚呉服店

片時もメモが手離せません。今回も大塚呉服店さんのご協力て、涼やかな着物を身に付けて臨みました