弘前こぎん研究所に行って来ました
青森県津軽地方に伝わる、こぎん刺し。
南部菱刺し、庄内刺しと並び、「日本三大刺し子」の一つに数えられ、緻密で美しい幾何学模様を生み出す刺し子技法です。
そんなこぎん刺しの「研究所」があると聞きつけてやってきたのが、弘前こぎん研究所。
こぎん刺しを“研究する”とは、いったい、どんなことをしているのでしょうか。
弘前こぎん研究所の三浦佐知子さんに、こぎん刺しについて伺いながら研究所を案内してもらいました。
津軽女性の花嫁修行の一つだったこぎん刺し
江戸時代後期、津軽地方の農村で生活の知恵として生まれたのが、こぎん刺しです。
当時は厳しい寒さのために綿を栽培することができず、藩令によって農民が綿布の着物を着ることが禁じられていたとのこと。そのため、農民たちの着物は自ら織った麻布を藍染めして仕立てたものでした。
麻布といえば、織り目も荒く、通気性のよい生地です。寒い地方の着物の生地には、正直向いていません。
そこで、何とか少しでも寒さをしのごうと、着物の身ごろ部分に刺し子をするようになったといいます。
「当時の農村の娘たちは、5、6歳になったら、刺し子の手ほどきを受けていたそうです。お嫁に行くまでに刺し子を入れた2枚1組の布地を完成させて、嫁入り道具の一つとして持って行く風習があったといいます」と三浦さん。
制約から生まれた図案の美
こぎん刺しの模様は、「モドコ」と呼ばれる菱形の基礎模様を組み合わせて作成されます。代表的なモドコだけでも30種類ほどあり、その組み合わせは無限大。今でも新たな模様が生み出されるほど、数え切れないものなんだとか。
それにしても、「防寒」という当初の目的から、どうしてこれほどまでにたくさんの模様ができたのでしょうか。
「色で表現できなかったからこそ、美しい模様がたくさん生まれたんだと思います」
そう三浦さんが語る背景には、江戸時代、津軽藩による厳しい藩政がありました。
津軽藩では、贅沢を禁ずる倹約令が発令され、農民の衣食住に関する制約は大変厳しいものだったそうです。
農民には綿布だけでなく、高価な色染めの着物を着用することも禁止されていたため、着物は藍染めのみ。当初は貴重な木綿糸が手に入らず、刺し子の糸も麻糸だったといいます。
その後、徐々に農民にも木綿糸が行き届くようになり、藍染めの生地に白い木綿糸という、こぎん刺しの定番スタイルができあがったのだそうです。
模様に垣間見られる津軽の風土
「所変われば品変わる」という言葉どおり、同じ津軽のこぎん刺しも地域によってその模様に特徴があるといいます。
「弘前城を中心に3つのエリアに分けられます。
お城の東は、平野部の比較的豊かな土地。その余裕もあってか、ここで作られた『東こぎん』には、じっくり取り組むような大柄の模様が多く見られます。
一方、「西こぎん」が作られた弘前城の西は白神山地が広がる山間部。山に入って薪などの重い荷物を背負うことから、擦り切れやすい肩部分には複雑な模様ではなく、簡単に直しができる縞模様が採用されています。
また、肩の縞模様の下に魔除けの意味を込めて「逆さこぶ」という模様が施されているのも特徴です。
西こぎんは、模様が細かく、たくさんの種類の模様を組み合わせて刺しているので、こぎん刺しの中で最も緻密で複雑なものになっています。
最後の一つは、弘前から離れた津軽地方北部の「三縞こぎん」。3本の大きな縞が特徴です。このあたりは平野部でも風が強く、冷害や凶作で生活も苦しい地域。じっくりとこぎん刺しに取り組むことができなかったのか、残っているものがあまりありません」
ものづくりのハブとしての「弘前こぎん研究所」
こぎん刺しのことがひと通りわかったところで、研究所内の作業場へ。
「研究所」という言葉から、何か文献や資料を紐解いているのかと思いきや、そこでは数名の女性たちが手織り機を動かしたり、麻布をカットしていたり。
ちょっと想像とは違っていました。
「資料は、初代の横島直道所長が古いものも含めてかなりの数を集めていて、すでにたくさん残っています。今は『研究』というよりは、こぎん刺しを続けていくための商品づくりがメインなんです」と三浦さん。
弘前こぎん研究所では、商品づくりを全て分業で行なっています。
こちらの作業場は、メイン商品である小物類に使う麻の布と木綿糸、図案をセットにする場所。時には帯など特別なものは生地を手織りすることもあるのだそう。
材料セットは内職の刺し手の方々に届けられ、それぞれのペースで刺し進めてもらいます。
刺し終わったら、次は袋物を縫う担当へと渡され、商品としての形に。
現在、およそ100人はいるという刺し手ですが、高齢化で人手が足りなくなると、研究所で講習会を開催。刺し方や模様のつくりをレクチャーした上で、材料の提供までを行なっています。
弘前こぎん研究所は、黙々とこぎん刺しを研究するところではなく、こぎん刺しと地域の人々をつなぐ拠点、いわばハブなのでした。
三浦さんも研究所というハブを通じてこぎん刺しを始めたといいます。
「母親が研究所の下請けで袋ものを縫う仕事をしていたんです。手伝ううちに自分も好きになって、学生のうちに刺し手になっていました」
こぎん刺しはお家での楽しみ
こぎん刺しの道40年という三浦さん。こぎん刺しのどこに惹かれたのでしょうか。
「『伝統を守るぞ』というよりも、手を動かして無心になれるのが好きでやっているんですよね。きっと他の刺し手の人もそうなんじゃないかなと思います。こぎん刺しが地域の人たちの内職で成り立っているのは、お家での楽しみがあるから」
弘前こぎん研究所では、事前に問い合わせ・予約をすれば、グループでのこぎん刺し体験も受け付けているそう。
三浦さんの言葉を聞いたら、私もこぎん刺しをやってみたくなってきました。
<取材協力>
弘前こぎん研究所
住所:青森県弘前市在府町61
TEL:0172-32-0595
営業時間:9:00〜16:30
定休日:土・日・祝祭日
三浦さんに弘前のおすすめスポットを伺うと、研究所よりもっと古い資料がたくさんあるという私設の「佐藤陽子こぎん展示館」や、弘前の工芸品に触れられる「クラフト&和カフェ 匠館」、こぎん刺しのソファがある「スターバックス 弘前公園前店」を教えてもらいました。こぎん刺し尽くしの弘前の旅に出かけてみてはいかがでしょうか。
文・写真:岩本恵美
*こちらは、2019年5月30日の記事を再編集して公開しました。
(三浦さんは2023年現在、弘前こぎん研究所の職員ではなくなっています)
合わせて読みたい
〈 関連ニュース 〉
図案としても活用できるこぎん刺し着物の写真集発売。古作こぎんの写真を200点以上掲載
青森県の文化財に指定されている「古作こぎん」を多数掲載した、こぎん刺し着物の写真集「コギン<1>」が発売されました。
青森市が所蔵するこぎん刺しの着物を、その布目が見えるほどの拡大写真で多数掲載。着物のオモテとウラを同時に比較できる分冊仕様となっています。私用・商用問わず、図案として活用も可能とのことです。