雨にも負けず、雪にも負けない。丈夫で美しい金沢和傘の秘密は独特の作り方にあり

「弁当忘れても傘忘れるな」

こんな言葉をご存知でしょうか?

これは、金沢を含む北陸地方に伝わる格言。年間を通じて雨や雪が多く、一日のうちに曇り、雨、雪‥‥と目まぐるしく変わっていく、この地方の天気を言い表したものです。

そんなこの地方ならではの工芸品が「金沢和傘」。実用性とともに、美しさも兼ねそろえた一品です。

金沢和傘、唯一の作り手「松田和傘店」へ

現在、金沢和傘を作り続けているのは、1896年 (明治29年) 創業の松田和傘店。最盛期には118軒もの和傘屋があったそうですが、今ではここ1軒を残すのみとなりました。

金沢・松田和傘店

お店に伺うと、2年前に父親の跡を継いで三代目となった松田重樹さんが笑顔で迎えてくれました。

松田和傘店・松田重樹さん
松田和傘店三代目の松田重樹さん

洋傘や車の普及に伴い、すでに先代の時代には和傘の需要は激減。和傘で生計を立てるのは難しい状況でした。子どもには苦しい思いをしてもらいたくないのが親心。重樹さんは一旦は会社勤めをしたものの、それでも「いつかは継ぎたい」とずっと思い続けていたといいます。

「やっぱり、和傘と一緒に大きくなったようなものだから、失くしたくないんよね」

複雑な金沢和傘の千鳥掛けも、小学生のころから父親が作業する姿を見ていたので、初めて取り掛かる際もすんなりできたそう。これには先代も驚いたとのことです。

金沢和傘糸掛け
金沢和傘糸掛け
ある日、うとうとしながら作業した時も、きちんと千鳥掛けができていたとのこと。体が技を覚えこんでいる証拠です
金沢和傘糸掛け用の糸
カラフルな千鳥掛け用の糸
金沢和傘の道具
道具類は先代から受け継がれてきたものです

雨雪に耐える丈夫さの秘密

金沢和傘の最大の特徴は、その頑丈さ。金沢は雨が多いだけでなく、水分量の多い重い雪が降るため、その重さに耐えられるように作られています。

傘のてっぺんである天井部分には和紙が四重にも貼られており、これは他の地域の和傘にはみられないものだそう。

金沢和傘
金沢和傘の天井部分。和紙を四重に重ねて頑丈に仕上げます

さらに、和傘の「軒」、いわゆる縁の部分には「小糸がけ」といって、しっかりと糸がかけられ、補強の役目を果たしています。まるでステッチが入っているようで、デザインとしても小粋です。

金沢和傘
縁の部分にうっすらと糸が見えます
金沢和傘
傘をさして見上げるとカラフルな糸。これも金沢和傘を強く、美しくしてくれるものです

手入れがよければ、なんと半世紀はもつのだとか。

「親父がそう言っていたけど、『まさか』と思っていたんです。ところが、実際に四十数年前とか、半世紀近く前に作られた傘の直し依頼が来るんですよね」と重樹さん。

金沢和傘を積んだ車が事故に遭った際も、車は大破したものの、傘は柄が少し壊れたくらいで済んだそう。そんな驚愕エピソードも残っています。

意外と知らない和傘と洋傘の違い

和傘は、洋傘と色んなところが真逆なのも面白いところ。

洋傘を持ち運ぶ際には柄の部分を持ち手にしますが、和傘は天井部分を持つのだそう。天井部分に皮の紐があるのは持ちやすいようにするため。和傘をさす際に持ち手となる柄の先には石鎚があります。

金沢和傘 松田和傘店
皮の紐があるので、こんな風に吊るすことも可能
金沢和傘
持ち手の先には石鎚

さらに、傘の折り込み部分も、洋傘は外側に、和傘は巻き込まれるように内側に折り込まれています。

金沢和傘
たたんで見るとよくわかります

40以上もの工程を経て出来上がる1本の和傘

和傘の制作は、本来、分業制とのこと。その工程は細かくわけると40以上もあるといいます。重樹さん曰く、一説によると「傘」という漢字に「人」という字がたくさん集まっているのは、傘づくりにたくさんの人を要することに由来するのだとか。

松田和傘店では、その工程全てをひと通りやっています。細分化された工程の中でも、最も難しいのが天井張りの部分だそう。金沢和傘の強度を保つ、大事な部分です。

金沢和傘 松田和傘店

「紙に余裕をもたせて貼るのが難しいんです。和紙、特に楮 (こうぞ) 100%の厚い和紙は扱いが難しいもの。『言うこと聞いてね』と和紙に語りかけながら作っています」と、重樹さんは笑います。

持つ人を引き立たせる和傘づくりを

「昔ながらの作り方も大切にしつつ、見る人を楽しませる綺麗なもの、若い人たちも和傘をさしたいと思えるものを作りたい」と語る重樹さん。

その思いは、店いっぱいに所狭しと並ぶ色とりどりの和傘に映し出されているようです。

金沢和傘 松田和傘店
金沢和傘 松田和傘店
本物の笹の葉が入っているものも

現在、金沢和傘のオーダーは最長で男物が1年半、女物が8ヶ月待ちのものもありますが、店頭にあるものは購入可能とのこと。和の心を感じる和傘で雨の日を楽しんでみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
松田和傘店
石川県金沢市千日町7-4

文・写真:岩本恵美

*こちらは、2018年5月28日公開の記事を再編集して掲載しました。9月も雨が増える季節。お気に入りの傘があると雨の日も楽しみになりますね。

三ツ星シェフを虜にする「自分で作る柚子胡椒」。ヒットは一人の女性の「葛藤」から生まれた

有名シェフや料理人、パティシエらが絶賛する調味料が大分にあります。

大分県宇佐市にある食と向き合える場、生活工房とうがらしの神谷禎恵(かみや・よしえ)さんがプロデュースする柚子胡椒です。

毎年9月にわずか1ヶ月間だけ販売される「ゆずごしょうキット」は、おいしい柚子胡椒が自分で作れると大人気。柚子胡椒作りに最適な旬のゆずと青唐辛子、塩がセットになって届きます。

ゆずごしょうキット商品写真

「ゆずごしょうキット」の紹介記事はこちら:9月は梅仕事ならぬ「ゆず仕事」を。おいしい柚子胡椒を自分で作るキットに出会いました

このキットに欠かせないゆずは、宇佐市院内町余谷 (あまりだに) で佐藤敏昭さん、了子さんご夫妻が無農薬でつくっている「ハンザキ柚子」。舌の肥えた料理のプロたちが「皮がおいしい」と口を揃えて絶賛するゆずです。

ゆずごしょうキット

一度、神谷さんの柚子胡椒を味わうと、そのほとんどの人たちがリピーターとなり、毎年9月を迎えるのを楽しみにしているとのこと。

さらに、この時期、神谷さんはキットの準備をするだけでなく、「ゆずごしょう講座」を各地で開催。産地で受け継がれる本来の柚子胡椒の作り方をしっかりと伝えることで、柚子胡椒のことをより深く知ってもらおうと、日本中を飛び回っています。

神谷禎恵さん

「毎年10月になるたびに『来年はもうやらない』と思ってきたけど、気がつけば10年も経っていたんですよね」と笑う神谷さん。

実は、このキットを手がけるまで、食品の開発などは全くしたことがなかったそう。一体何が、神谷さんを突き動かし、10年のロングセラーとなる「ゆずごしょうキット」を生んだのでしょうか。

ゆずに恋して10年

キットが生まれる院内町はもともと西日本を代表するゆずの産地でしたが、高齢化に伴い、生産者が減りつつありました。

そんな中、2008年に大分県庁から「産地を元気にしてほしい」との依頼があり、生活工房とうがらしで「ゆずプロジェクト」というものを立ち上げた神谷さん。

生まれも育ちも宇佐市ですが、実はこの取り組みを始めるまで、ゆずの産地が同じ市内にあるとは全く知らなかったのだそうです。

「視察に訪れた院内町で初めてゆずの白い花を見たときのことは忘れられません。

町中がゆずの花であふれていたんです。それだけで、なんだかゆずの香りがそこかしこに広がっているように感じました。思えばそれが、私が『ゆずに恋した』瞬間ですね」

ゆずの花
ゆずの花

「ゆずは私」だった

「ゆずを見た瞬間、なぜか『あれは私』とも思いました。

ゆずは熟す前の青い実も使えれば、熟した黄色い実も使えるし、種は化粧水にもなる。さらにその頃、築120年ほどの実家の床柱もゆずの木だとわかりました。樹齢を考えると、200年くらい前からこの土地にはゆずの木があったことになります。

こんなに活用方法がいっぱいあるのに、私を含め地元の人ですらゆずのことを知りませんでした」

そんな「ここにずっとあるのに、まるで存在していないような」ゆずの姿に、神谷さんは自分を重ねたと言います。

「もともと私には、伝承料理研究家の母と父から受け継いだ『生活工房とうがらし』という食と向き合う場がありましたが、料理は得意ではないし、食を仕事にしているわけではありませんでした。

本業は主婦。家事や育児に精一杯向き合いながら、一方で大学院に通ったりして、自分のやりたいことを模索していたんです。

それでも「これだ!」という答えがはっきり出たわけではなく、自分自身に『器用貧乏でくすぶっている』というレッテルを貼っていました」

そんな時に出会った、院内のゆず。

「ゆずは、私だ」

神谷さんには、ゆずの「器用貧乏」な現状と、自分が悩んでいる生き方が重なって見えました。そして次第に、こんな気持ちが湧いてきたそうです。

「ゆずが元気になること=私が元気になること。

ゆずの魅力を、この土地や食文化の背景と一緒にきちんと世の中に伝えていけたら、それは私自身が世の中に存在していくことにもつながるのかもしれない」

おいしい柚子胡椒の先にあるもの

こうして神谷さんの希望を乗せて始まった「ゆずプロジェクト」。特別な予算があるわけでもなく、その中で何ができるかを模索して神谷さんがたどり着いたのが、大分県発祥の調味料、柚子胡椒でした。

「地元の人たちがふだんから手作りしている柚子胡椒を知ってもらいたいと、『ゆずごしょうキット』を作ることにしました。

完成品でなく、手作りするキットで販売することで、ゆずの香りが漂う産地のことや食材をていねいに作ってくれる生産者の方たち、昔から続く地元の食文化にまで思いを馳せてもらいたい。そういった産地の空気をも含んだおいしさを届けたかったんです」

ところが、いざ「ゆずごしょうキット」を出してみると、「いつも目にするチューブ入りや瓶入りの商品とは色や見た目が違う」というクレームの嵐。

手作りの柚子胡椒を知らない消費者との認識の違いを痛感したといいます。

そこで、作り方も含めて大分の柚子胡椒を伝えていくことが大事だと、2012年ごろから「ゆずごしょう講座」を開催することに。

「やってみると、手作りの柚子胡椒の香りや色、味に、皆さんが感動してくれるようになりました。

昔の人たちがやってきたこと、長らく続いていることには意味があって、学ぶこともたくさんあるんですよね。

たとえば、柚子胡椒の塩分が昔から20%が目安なのには意味があるんです。保存が効くし、乾燥による色落ちもしにくい。

ゆずと唐辛子を擦り合わせるのもフードプロセッサーでもいいけど、すり鉢で擦ることに意義があると思っています。もちろん、味もおいしくなりますが、そうやって作ってきたという、成り立ちをきちんと伝えたいんです」

こうして、気づけば10年。「ゆずごしょうキット」の販売や講座を続けてきた神谷さんですが、当初はこんなことになるとは考えていなかったそう。

「たかが調味料が、人と人をつなぎ、産地と料理人をつなぐ。その流れは今や大きなものになっていて、柚子胡椒作りが広く年中行事となってきたことはとてもうれしいです。

でも、私自身はゴールってイメージしたことがないんです。どちらかというと、私は成りゆきで生きているところがありますね。

日々を大切に生きて、目の前のことをしっかりとやれば自ずと道は開けてくるんだと思っています」

これが私の「ゆずごしょう道」

有名三つ星シェフや著名な料理人たちが、神谷さんの柚子胡椒に惹かれるのは「おいしい」以外にも理由がありそうです。

ある時、雑誌の取材で「柚子胡椒を学びたい」と、海外から著名な一人のシェフが神谷さんのもとを訪ねてきました。当時、財布や車など神谷さんの身のまわりのものはグリーン一色で、まさに「ゆずのことで頭がいっぱい」と言わんばかり。

そんな風に神谷さんがゆずに熱狂し、全身全霊を賭けて働く姿を見て、シェフがこう言ったそうです。

「あなたは『マダム ゆず』だね」

神谷禎恵さん

「『ゆずごしょうキット』や講座も、やっている本人が熱量をもって数を重ねていかなければ、きっとすぐに廃れてしまいます」

だからキットに入れる素材選びや、ベストな状態で届けるための下準備には手を抜かない。講座では、できたての柚子胡椒をおいしく食べる方法をたっぷり教えてくれるそう。

「みなさん、そんな私の覚悟に共鳴してくれているんだと思いますね。

大切なことって、すごく小さなことだと思うんです。小さくてもていねいに積み上げたものって、ちゃんと伝わります」

神谷さんの柚子胡椒作りには、毎回新しくアップデートされた「刺激」や「発見」がある。キットや講座にリピーターの方が多いのは、そんな理由があるのかもしれません。

「最初は柚子胡椒の作り方が知りたいと集まってくる人たちも、そこから興味を持つことは、おいしさの追求や大分そのもの、食文化などなど、人それぞれ。

みんな各々の『ゆずごしょう道』を極めていけばいいんだと思います」

もうすぐ9月。神谷さんの季節が始まります。

<関連商品>
「ゆずごしょうキット」

文:岩本恵美
写真:尾島可奈子

9月は梅仕事ならぬ「ゆず仕事」を。おいしい柚子胡椒を自分で作るキットに出会いました

爽やかなゆずの香りとピリッとした辛さがクセになる、柚子胡椒。

最近では、お菓子にも「柚子胡椒味」が登場するほど、市民権を得ています。冷蔵庫に常備しているという人も多いのではないでしょうか。

そんな柚子胡椒を、自宅で簡単に、自分でおいしく作れてしまうキットに出会いました。

それが、「ゆずごしょうキット」です。

ゆずごしょうキット商品写真

つくっているのは大分県宇佐市の院内 (いんない) 町。実は柚子胡椒は、大分県発祥の調味料なのです。

キットの中身はいたってシンプル。ゆずと青唐辛子と塩だけです。

ゆずごしょう

食材がシンプルなだけに、レシピさえわかれば、キット不要で作れてしまうんじゃないかと思ったら大間違い。

実はこのキット、「ある理由」から1年を通して9月にしか販売していないのです。

柚子胡椒にも旬がある

長い間、西日本でゆずの生産量1位の座をキープしていた大分県宇佐市院内町。ところが、近年では、高齢化でその勢いが失われつつありました。

そんな産地を元気にしようと、2008年に誕生したのが「ゆずごしょうキット」でした。

「このキットのいいところは、柚子胡椒を作るのに最適な時期のゆずをお届けできることです」

そう話すのは、「ゆずごしょうキット」を考案した、生活工房とうがらし代表の神谷禎恵(かみや・よしえ)さん。

神谷禎恵さん
神谷禎恵さん

「柚子胡椒にも、旬があるんですよ」

おいしい柚子胡椒を作れる旬は、9月のたった1ヶ月間なのだそう。10年ほど前からこの取り組みを続ける神谷さんは、長い経験の中から柚子胡椒に最適な素材をしっかりと見極めてキットを作っています。

使用しているゆずは、院内町余谷 (あまりだに) で佐藤敏昭さん、了子さんご夫妻がつくっている「ハンザキ柚子」。日当たりや風通しにも気を配り、無農薬でていねいに手入れされて育てられたゆずです。皮が格別においしいのだそう。

ゆずごしょう

「ゆずの旬を逃がさないことが味の何よりの決め手。一番おいしい時期はそろそろかなと、毎年ゆずのピークを探りながら収穫しています」

青唐辛子は、大分県日田市天ヶ瀬産のものを使用。昭和の初めから柚子胡椒用に作られているもので、鷹の爪ほど辛くはなく、唐辛子そのものを食べてもおいしいといいます。

「青唐辛子の辛味は日によって違うんです。温暖化の影響もあってか、年々、辛味の進度が早くて、試作をしながら分量を調整しています」

ゆずごしょう キット 唐辛子

それにしても、なぜ完成された柚子胡椒ではなく、このような体験キットという形にしたのでしょうか。

「私は院内町がある大分県宇佐市の出身なのですが、実はこの取り組みを始めるまで、ゆずの産地が同じ市内にあるとは全く知りませんでした。

院内町を訪れたら、白いゆずの花の姿がとても美しかったんですよね。この美しいゆずの姿を知らずに、完成した調味料の状態で買ってもらうのは、違うなと思ったんです。ゆずのことをもっと多くの人に知ってもらいたかった。

ゆずの花
ゆずの花

それと、地元の人たちは昔から当たり前のように自宅で柚子胡椒を作っていたので、手作りの柚子胡椒を知ってもらいたいという思いもありました」

おいしさの先にあるもの

ところが、キットを出したばかりのころは、クレームの嵐だったそう。

クレームの内容は、一般に流通しているチューブ入りや瓶入りの商品とは、色や見た目が違うというものでした。

院内の柚子胡椒は、ゆずの皮をむいて作るのがベスト。作り方の説明書きにそう書いてあっても、インターネットのレシピを参考にしてすりおろしてしまう人もいたそう。

そこで神谷さんは、2012年ごろから柚子胡椒の作り方をレクチャーする講座を始めます。

神谷禎恵さん

「きちんと作り方をお伝えして、柚子胡椒づくりを体験してもらうと、香りや色、味に、皆さん感動してくれるようになりました。

でも、私が伝えたいのは『レシピ』という簡単な一言ではくくれません。 『おいしい』の先にあるものを伝えたい。

おいしいものは、たいていすぐに手に入る時代です。

この「ゆずごしょうキット」を通して味わってもらいたいのは、産地に思いをはせる時間です。

ゆずの香りを感じながら自分の手で皮をむき、塩や唐辛子の量を調整しながら作っていくその間に、産地のことや生産者の顔、地域に根付く食文化など、柚子胡椒の背景にあるものを感じてもらいたいんです。

ゆずごしょうキット

だから、私の講座でのテーマは『縁側でばあちゃんが作る柚子胡椒』なんですよ。

イメージの背景に、そこに吹く風や縁側で聞こえる蝉の声、おばあちゃんがすり鉢でゴリゴリすっている音まで思い浮かびそうでしょう。

そういうものすべてを含めた柚子胡椒のおいしさを伝えたくて、この10年ずっと走ってきました」

おいしいだけでなく、旬や産地の情景を感じながら、素材と向き合って自分で完成させる「ゆずごしょうキット」。

手作りなので、辛味や塩味を自分好みに加減ができるのもうれしいところです。

梅仕事ならぬ、ゆず仕事。9月の新しい楽しみが一つ増えました。

<関連商品>
「ゆずごしょうキット」

文:岩本恵美

写真:尾島可奈子

桂離宮や二条城に使われる「唐長」の京唐紙。12代目が語る100年続く美意識とは

京都の桂離宮に二条城、俵屋旅館。

京都という場所以外で、この3つに共通するものが「京唐紙」です。

襖紙や壁紙などの室内装飾に使われており、和紙から美しい文様が浮かび上がっているような独特の質感や風合いに見とれてしまいます。

唐長
唐長

「もちろん出来上がりもきれいなんですけど、私が作る唐紙の一番きれいな時は、絵具が乾いていく途中。周りから乾きだして、濃淡がきれいなんですよ」

唐長
乾いていく様子は工房でしか見られない貴重なひととき

そう話すのは、日本で唯一、江戸時代から続く唐紙屋「唐長」12代目の千田優希さんです。

唐長だけが現代まで受け継いできたもの。それは唐紙そのものや技術はもちろんのこと、唐紙に宿る美意識ともいえるかもしれません。

江戸時代から続く、唯一の唐紙屋

実は、冒頭で紹介したそうそうたる3カ所の京唐紙は、すべて唐長によるもの。

唐紙とは、字面から想像できるとおり、中国・唐から伝わったもので、日本では平安時代に京都で唐紙づくりが始まったといわれています。

もともとは貴重な紙だっただけに、貴族や高僧が和歌をしたためたり写経をしたりするものだったそう。

それが数百年に渡って技術が磨かれ、鎌倉・室町時代には、襖や壁、屏風などの室内装飾として使われるようになり、江戸時代に入ると一気に普及しました。

唐長の創業もそのころ。琳派の立役者である本阿弥光悦が開いた芸術村の出版事業で唐紙作りに携わり、1624年 (寛永元年) に創業。現在に至るまで、およそ400年間にわたって板木と技法を受け継いでいます。

唐長
何気なく工房で見せてもらった板木の裏には、「天保十三」の文字! 西暦でいうと1842年、約180年前のものです

東西の唐紙の違い

江戸時代、唐紙の人気は京都から遠く江戸にまで及び、京都の職人がその技術を江戸に伝え、「江戸からかみ」という江戸独自の唐紙が生まれました。

「京唐紙は人間の目にやさしく、気持ちをやさしくしてくれるもの。それに対して、江戸の唐紙は粋な感じで、文様の輪郭や色づかいもカチッとしている。その流れを受け継いでいるのが江戸の千代紙なのかな。あまりにも雰囲気が違うので分類しはったんですよ。

京都と江戸では建築の雰囲気も違うので、江戸の建物に京唐紙を貼ったら物足りない、おそらく間の抜けた感じやと思います。逆に京都の建物に江戸の唐紙をもってくると、なんかうるさくなるでしょうね」

いま、職人に求められているものとは

そんな風に空間の中で唐紙がどう生きるのかを考えられるのは、建築士でもある千田さんならではかもしれません。

30年ほど前までは、唐紙を作ることだけが職人の仕事だったそう。注文を受けて期日までに品物を納める。唐紙を注文する人が色や文様を決めるのが当たり前でした。

建築図面を見て空間を立体的にイメージできるのが建築士。だからこそ、空間イメージに合わせた文様と色の組み合わせが提案できるようになった、と千田さんは言います。

唐長
唐長
唐長

「使う場所や使う人に合わせたものづくりを職人は求められていると思うんです」と、俵屋旅館さんとのエピソードを聞かせてくれました。

「あんた、俵屋わかってきたな」

「若いころ、俵屋さんに作った見本を持って行ってもなかなか決まらないんですよ。女将さんに『もっと俵屋らしい色を』なんて言われて、らしさについて考える。

そうやっていくうちに、ある日、女将さんから『任すわ』って言われて。私なりに文様と色の組み合わせを部屋に合わせて考えて持っていったら、女将さんに『あんた、俵屋わかってきたな』って言われたんです。その時、すごい嬉しかった」

唐長
沖縄のアロハシャツブランド「パイカジ」とコラボした際は、シャツを着てくれるであろう人をイメージして、シックな色の長袖シャツに。ジャケットと合わせてフォーマルな場所でも浮かないデザインになっています

引き出しは深さよりも多さが肝心

様々な経験を重ねていくことで、ものづくりの引き出しが増えていったと語る千田さん。

「いまの時代は消費者の感覚を知ることが大事。

自分の仕事以外のところで美意識を多角的に磨いておかないと、ものづくりの引き出しが増えへんですよ」

そんな言葉どおり、千田さんの引き出しはワインやベルギービールにフェラーリなど、バラエティ豊かです。

「時々、お店でワインのレクチャーをするんですよ。といってもソムリエでもないので、専門的なことではなくて、ワインとおしゃべりをする話。

例えば、白ワインでも品種がシャルドネだとオレンジっぽい色を薄めた白、シャブリやソーヴィニヨンは硬い感じの白ということを知ったうえで、『今夜の食事に合うワインは誰?』って、食卓にあがる予定の料理や器の色彩をイメージしながら選ぶんです。

でもそれは唐紙の色選びとの接点でもあるんですよ」

ベルギービールにはそれぞれの味わいに合わせたグラスの形や飲み方があり、フェラーリにもボディの作り方やハンドルの縫い方にもこだわりがある。

それらの美意識を知っておくことが、必ずどこかで唐紙作りに生きてくるのだそうです。

伝えたい人に伝わる言葉で

では、唐長の美意識は何ですかと尋ねると、ちょっと意外な答えが返ってきました。

「誰とでも仲良くなれるということ」

どんな相手にも合わせた会話ができる。唐紙のことを伝えたい相手に伝わる形で言語化できる。

施工では相手の言葉や雰囲気からも望むものを汲み取って、ふさわしい唐紙を提案できる。これが唐長の、何より千田優希さんの強み。

やはり、それは引き出しがたくさんあるがゆえなのでしょう。

取材中も、そんな千田さんの「会話術」が垣間見られました。

それは唐紙作りの工程を見させてもらっていた時のこと。

絵具を載せた板木に和紙をのっけて、手でやさしく撫でて和紙に文様を写していきます。唐紙作りのハイライトともいえる部分で、手の力加減が仕上がりにも大きく影響してきます。

唐長
唐長

この力のさじ加減は、まさに経験に裏打ちされた職人さんだけが知るものですが、千田さんの手にかかれば‥‥

「女性なら、メイクを落とすときと同じ。メイク落としを泡立てて顔につける時に指先に力を込めて肌をこすると、とれへんでしょ。手とほっぺたとの間に泡があって、なんか浮かすようにやる。それと一緒です。

車好きな人やったら、砂利道でコーナーを曲がらなあかんって時に減速するためにブレーキをかける、あの時と一緒。力任せにブレーキを踏んだらタイヤがロックしちゃって滑ってしまうけど、絶妙なところでブレーキを緩めたり加えたりすれば大丈夫でしょ」

素人の私たちでさえ、なんとなく想像がつくものになります。

唐紙を唐紙たらしめるもの

時代のニーズや消費者の感覚に合わせて柔軟に対応する一方で、やはり変わらないものもあります。

「変わらないのは建物が作られた時代。歴史的建造物に収まる唐紙は、ほとんど変わらないです。

瞬間的な美しさというより、100年単位での美しさを持っている建物の色彩感覚は不変なんですよ。

明治大正期に建てられた洋館なんかは、100年くらい経った味わいがある。階段の手すりなんかも、すり減り、磨かれた独特の光沢が出てきて、ああいう感覚に似合う唐紙というのは決まってくるものです。

いろんなものが消費される時代になっちゃっているけど、やっぱり、すごいパワーを持っているものは100年単位で変わらず使えるものです」

だからこそ、千田さんは唐紙に使う和紙に人一倍のこだわりがあります。

「私は楮 (こうぞ) があるからこそ唐紙だと思っています。本来の和紙は、千年前のものでも紙という形が保てるものなんです」

そう言って、千田さんは「破ってみてください」と、楮の入った和紙とパルプの和紙を差し出してきました。見た目にはどちらも和紙のイメージどおりですが‥‥。

唐長
パルプの和紙は簡単に破けてしまいました
唐長
唐紙の方はというと、力をいれてもなかなか破れません。楮の長い繊維が縦横に絡み合って強度を保っているとのこと
唐長
和紙の強さの秘密、楮

「私が楮入りの和紙にこだわるのはこの丈夫さがあるからこそ。

いま和紙といっても、楮が入った和紙はほとんどありません。どうしてもコストがかかってしまうから。

でも、ものづくりを狭くしてでも私は楮入りの和紙を使います。この工房もいまは私一人でやっていますが、ビジネスとしては小さくても、本物であるべきかなと思うんです」

時代を越えられるものづくりを目指して

千田さんの本物へのこだわりは、後世に残すべき文化財を守りたいという思いからくるもの。

京唐紙が使われている歴史的建造物の中には数十年ごとの修復計画があるそうで、例えば桂離宮は64年ごと、二条城は25年ごとと決まっているといいます。

唐長
二条城で使われている唐長の唐紙

「そのサイクルだと多少傷ができても本当は直す必要はないくらい。とはいえ、技術の継承ができるからすごく大切なことやと思います。

国宝の屏風の裏にも唐紙は使われるんですけど、そうした文化財は50年、100年後にきちんと修復できないと守れない。

日本の屏風技術はすばらしくて、掛け軸ひとつとっても、分解して傷んだ部分をきれいに戻すことができるんですよ。

でも、途中で自然素材でないものを使ったがために救えなくなってしまったものもあるんです」

文化財を残していきたくても、必要な技術や素材がなければ守りきれない。

「ものづくりって、自分が作るものをただ作ればいいわけではない。素材や道具、そういうものも守るために、その良さを伝えることも大事なんです」

そんな思いから、和紙職人さんたちを守るためにも、最近では美術大学で和紙や唐紙のことを教えることもしています。

「やっぱり若い世代の人たちにも和紙や唐紙の良さ、美意識を届けたい。できるだけ感覚的にそれらの良さを知ってもらいたいと思っています」

唐長
桂離宮の襖に採用された文様。一見すると水面よりも下に紅葉があるのは矛盾していると思ってしまいますが、こちらは水面に映る紅葉を描いた「うつし紅葉」。千田さんは、こうした唐紙に生きる美意識を感じ取れるような感覚を伝えていきたいと言います

「目先のお客さんだけじゃなくて、数十年後のお客さんも育てていかんと、ものづくりは続いていかへんのです」

そんな千田さんの言葉に、作るという行為だけでは成り立たない、ものづくりの奥深さを改めて感じました。

<取材協力>
唐長
京都市左京区岩倉長谷町650-119
https://www.karacho.co.jp/

文:岩本恵美
写真:木村正史

ハリオのアクセサリーは使い手にも職人にも優しい。ランプワークファクトリーで知る誕生秘話

職人の技術継承のために生まれた、ガラスのアクセサリーがあります。

それがこちら。

HARIO Lampwork Factory

熱に強い「耐熱ガラス」でできています。

手がけたのは、1921年創業のガラスメーカー、HARIO。

日本の耐熱ガラスメーカーとして唯一、国内に工場を持ち、国内生産を続けています。

主な製品はビーカーやフラスコなどの理化学器具にはじまり、今ではティーポットやコーヒードリッパーなどのお茶やコーヒー関連まで。

「熱に強い」という特徴を活かした実用的なものが多い印象です。

どうしてわざわざ、アクセサリーを作り始めたのでしょうか。

そこには老舗メーカーのある思いと、使い手にとっても嬉しい、耐熱ガラスの秘めたポテンシャルが関係しているようです。

HARIO Lampwork Factory

耐熱ガラスとアクセサリーという組み合わせの謎を探りに、東京・日本橋にあるHARIO Lampwork Factory (ランプワークファクトリー) 小伝馬町店を訪ねてみました。

ガラスのアクセサリーが生まれる場所、HARIO Lampwork Factory

東京メトロ小伝馬町駅から歩くこと3分。レンガ造りの可愛らしいお店が見えてきました。

HARIO Lampwork Factory小伝馬町店

店内に入ると、素敵なガラスのアクセサリーがずらりと並んでいます。

HARIO Lampwork Factory小伝馬町店

その繊細なデザインは、ずっと眺めていられそうです。

HARIO Lampwork Factory
HARIO Lampwork Factory
HARIO Lampwork Factory
HARIO
商品棚の片隅にはHARIOらしいビーカーやフラスコの姿も

ガラス張りとなったお店の一角では、職人さんが黙々とガスバーナーで加工していました。

職人さんがアクセサリーを手づくりしている様子を見ながら買い物ができるので、ちょっとした工場見学気分も味わえます。

HARIO Lampwork Factory
HARIO Lampwork Factory小伝馬町店
お店の外から見ると、職人さんの手元がよく見えます

「何秒くらい炎に当てるのかなどは職人の感覚でしかわからない部分でもあるんですよ」

そう教えてくれたのは、HARIO Lampwork Factoryの所長、根本新 (しん) さんです。

HARIO Lampwork Factoryの根本新さん
HARIO Lampwork Factoryの根本新さん

「これも細やかな表現を得意とする、日本の職人だからこそできる技だと思います」

特別に作業場を近くで見させてもらうと、職人さんはガスと酸素の量を調整しながら、バーナーの炎を操り、棒状のガラスを手際よくさまざまな形に変えていきます。その様子は、さながら飴細工のようです。

HARIO Lampwork Factory
HARIO Lampwork Factory小伝馬町店
店舗2階にも作業スペースがあり、工房は365日稼働しているのだそう

「バカラやスワロフスキーなどでもガラスのアクセサリーを作っていますが、それらはガラスを研磨、カットして作っています。ここでは『フォーミング』という、粘土のように形を作っていくやり方です」

世界のガラスアクセサリーに目を向けてもHARIO Lampwork Factoryのアクセサリーは他に類を見ないものだといいます。

「ここはHARIOの原点でもある耐熱ガラスの手加工技術をつないでいくために作られた場所なんです」

原点となるバーナーワークの技術を残すために

日本の耐熱ガラスメーカーとして唯一、国内に工場を持ち、国内生産を続けているHARIO。今でこそ、急須やティーポット、コーヒードリッパーなど主力製品のほとんどは、茨城県にある工場で機械製造されていますが、かつては全て手加工で作っていたのだそう。

多い時には100人ほどいた手加工の職人たちも機械化や高年齢化に伴い、急激に減少していったといいます。今では手加工時代を知るベテランの職人はたった一人だけなんだとか。

企業として、品質や納期の安定化、コストダウンなどを目的に機械化・無人化を推し進めてきた一方で、HARIO創業時を知る幹部は手加工のバーナーワークへの思いを強く抱いていたといいます。

「現会長である柴田は、創業者である父親がバーナーワークで理化学器具を手づくりしていたのを小さい頃から見ていたそうです。さまざまな形が作れるバーナーワークに耐熱ガラスの可能性を感じていたんじゃないかと思います」

そんなトップの強い思いから、手加工を専門とするHARIO Lampwork Factoryは2013年10月に立ち上げられました。

「実は新しいものを作るためにも手加工の技術は必要なんです。既存の機械だけでは作れないものが、職人がいることによって試作ができる。その試作をもとに職人の手作業を機械化して新商品を開発することもできます」

手加工ができることによって、フットワーク軽く商品開発に臨める。ちょっと意外な事実でした。

繊細な手仕事を活かして

Factory立ち上げ当初は、アクセサリーだけでなく、食器やオブジェなども作っていたといいます。

HARIO Lampwork Factory
持ち手部分が個性的なカップ&ソーサー。こちらは現在も販売中

「ですが、売り上げはなかなか伸びませんでした。作ったものがきちんと売れないと職人に仕事を回していけず、技術を守ることができません。そこが苦しいところでもありました」

食器類など単純な形で大きなものに関しては、システマチックな分業制でスピーディーに作って安価で提供できる海外の手加工や、機械を取り入れているHARIO自身の工場がライバルに。

そんな中、アクセサリーづくりへと舵を切ったのは、日本の職人が得意とする繊細な手仕事に価値を見出したからだそう。

「たとえば、『丸いガラスを作ってください』と言って、きれいな丸に仕上げてくるのは日本の職人が多いんですよね。その繊細な手仕事を活かせないかと考えました」

HARIO Lampwork Factory
丸い形はシンプルで簡単なように見えて、実は作るのが難しいのだそう

耐熱ガラスだからこそ叶うこと

耐熱ガラスは膨張しにくいことから、熱に強いだけでなく、伸ばしたり切ったりしても割れにくく、細かい細工がしやすいとのこと。そんな加工性の高さも、アクセサリーに向いていたといいます。

HARIO Lampwork Factory小伝馬町店
原材料となる耐熱ガラス。もとはこんな棒状のものを加工していきます

「いろんな形に加工ができるので、デザイナーは楽しんでデザインしています。花や雫など、通勤中や日常の風景で見たものをモチーフにしているそうです」

毎シーズン、新しいアイテムを作っていき、今では300種類以上のラインナップに。ピアスやイヤリング、ネックレスは金具の種類も豊富に用意されているので、自分に合ったアイテムを見つけられます。

HARIO Lampwork Factory
HARIO Lampwork Factory
こちらは金沢の金箔とのコラボシリーズ「Haku」

また、耐熱ガラスは他のガラスよりも比重が軽いことから、身につけてもストレスに感じることが少ないのだそう。

さらに嬉しいのが、手加工なので人の手で修理ができるというところ。ガラスなので不意に落として割れてしまうことがあっても、修理をすれば末永く身につけられます。

アクセサリー自体が持続可能であり、それを買うことで技術も継承されていく。

そんなHARIO Lampwork Factoryのものづくりの姿勢に、共感するお客さんが増えてきているようです。

「少しずつではありますが、ファンになってくれるお客様もいて、喜んでもらえている感触はありますね。

HARIOはメーカーで基本的には卸売り。自分たちで初めて生産から販売までを手がけたことで、作り手の苦労や思いをしっかりとお客様にも伝えたいという気持ちが以前にも増して強くなったと思います」

HARIOのアクセサリーは、使い手にも作り手にも、新しい買い方、残し方を指し示してくれているようです。

<関連商品>
HARIOのアクセサリー

<取材協力>
HARIO Lampwork Factory 小伝馬町店
東京都中央区日本橋大伝馬町2-10
TEL:03-5623-2143
https://www.hario-lwf.com/

文:岩本恵美
写真:HARIO Lampwork Factory、岩本恵美

日本唯一の木工技術!職人ワザを間近で見学できる「BUNACO(ブナコ)西目屋工場」

青森県の南西部にある西目屋村 (にしめやむら) 。

人口1400人ほどという県内最小人口の村に、JR東日本の豪華列車「TRAIN SUITE 四季島」がわざわざコースの一部に採用している場所があります。

木工品の工場見学や製作体験で人気の、BUNACO (ブナコ) の西目屋工場です。

BUNACOとは、青森から秋田にかけて世界最大級の原生林がある、ブナの木を用いて作る木工品。お皿やトレーなど、一見すると普通の木工品のようにも見えますが、その作り方がとってもユニークなのです。

BUNACO
BUNACO
BUNACO

その独自の木工技術から食器やトレーに限らずランプシェードや椅子などのインテリアも手がけ、青森県立美術館や世界的な外資系ホテルの照明にも採用されています。

青森県立美術館
先日取材した青森県立美術館のオフィス棟の廊下には、BUNACOのランプが並んでいました
青森県立美術館 割れや歪みが少なく、従来の木工品と比較して造形の自由度が高いのも特長。ランプシェードも様々な形があります
県立美術館の企画展でも、青森らしい工芸としてBUNACOが紹介されていました

百聞は一見にしかず。とにかく、BUNACOの木工工場へと向かってみましょう!

小学校が木工職人の仕事場に。BUNACOの西目屋工場へ

JR弘前駅から車を走らせること約30分。住所どおりの場所に向かうと、そこにはどこか懐かしい雰囲気の小学校の校舎がありました。

ブナコ西目屋工場

BUNACOの西目屋工場は、小学校だった建物を再活用して2017年4月にオープン。当初から開かれた工場を目指すべく、工場見学や木工品の製作体験も受け付けています (※製作体験のみ有料) 。

校舎をそのまま活かした空間。探検気分で見学を楽しめそうです
校舎をそのまま活かした空間。探検気分で見学を楽しめそうです

工場見学は10名以上の団体でなければ事前予約は不要。工場や職人さんのお休みを除き、受付時間内であれば、ふらりと立ち寄って誰でも見学可能です。気軽に行けるのも人気の理由の一つかもしれません。

ブナコ西目屋工場
建物の入口近くでは鉄琴に跳び箱がお出迎え。小学校の名残りがあちらこちらにあるのも親しみが感じられます

BUNACOの工場見学は、ガイドさんが引率して工場内を巡るようなツアーではなく、見学者が自分のペースで順路通りにまわれるセルフ式。

ブナコ西目屋工場

今回は特別にブナコ株式会社の広報担当、秋田谷恵 (あきたや・めぐみ) さんに案内していただきました。

ブナコ・秋田谷恵さん
秋田谷恵さん

工場見学のスタートは2階から。

まずは、秋田谷さんの案内で、元音楽室という「スピーカー試聴室」へ。

そこにはBUNACOのスピーカーや照明が展示されており、音と光が体感できるようになっています。

ブナコ西目屋工場
デザインオフィスnendoとのコラボスピーカーも
ランプシェードは今やBUNACOを代表するプロダクト。赤い透過光はブナならではなのだとか
ランプシェードは今やBUNACOを代表するプロダクト。赤い透過光はブナならではなのだとか

「こういう大きなランプを作るようになって、広い場所が必要になったんですよね。そんな時にちょうど西目屋村の村長さんから、小学校の校舎の再活用のお話をいただいたんです」

ブナコ株式会社は1963年に弘前市で設立。もともとはテーブルウェアなどのサイズの小さい木工品を中心に作っていたので、市内の工場でも広さは十分だったといいます。

BUNACO

それが、2003年からランプシェードを販売するようになり、直径90センチほどのものを取り扱うようになると弘前の工場がやや手狭に。現地採用などで職人さんやスタッフを確保しながら生産体制を整え、西目屋に新たな工場を構えました。

BUNACO

今では、BUNACO作りの基本工程は全て、ここ西目屋工場で行っています。

日本一の蓄積量。ブナを有効利用した木工技術

いよいよその製造現場へ。

元教室が並ぶ廊下を進んでいくと、各教室で工程ごとに分かれて職人さんたちが手を動かしていました。

まずは、BUNACO作りの基本、巻き上げ工程を見学。職人さんが、グルグルと何かを巻きつけています。

BUNACO西目屋工場

近づいて、職人さんの手元をのぞいてみると‥‥

巻いていたのは、なにやらテープのようなもの。

「これは、ブナの木をテープ状にしたものなんですよ」

え⁉︎木ってこんなに薄くできるものなんですか。

ブナの木をテープ状にしたものを土台に巻きつけて造形していく。日本で唯一というこの木工技術が、BUNACOの最大の特長です。

ブナコ
製品の形状に合わせて、いろいろな形の土台に巻きつけていきます

なんでも、ここでしっかりと巻かれていないと後々の工程で作業が大変になるのだとか。

ブナコ西目屋工場
力加減もペース配分も「一定」を保つことが大切なのだそう

それにしても、なぜわざわざ木をテープ状にして使うのでしょう?

「ブナの木には水分が多く含まれていて、伸縮が激しいんです。建材には向かないので、この辺りではりんご箱や薪としてしか使われてきませんでした。

でも、実は青森県はブナの蓄積量日本一。この自然の恵みを何とか有効利用するために開発されたのがBUNACOの木工技術なんです」

ブナ
ブナの木
ブナコ
ブナの原木をかつらむきのように厚さ約1ミリの板にスライスしてテープ状に。表面の点々は水脈なのだそう

テープ状からインテリアに⁉︎繊細な職人ワザ

巻き上げ工程を終えると、次は型上げ工程です。テープを巻いた状態から、一体どうやってうつわやランプになっていくのでしょうか?

ブナコ西目屋工場
テープが巻かれた円盤が
ブナコ西目屋工場
重なり合ったテープを押し出していくと‥‥
ブナコ西目屋工場
徐々に立体的になっていきました

さらに面白いのが、その道具。

すでにお気づきかもしれませんが、湯呑み茶碗なんです。

ブナコ西目屋工場

力加減は感覚で、完成形へと近づけていきます。まさに職人の勘がないと難しい作業です。

今でこそ、既製品を使っているとのことですが、かつての職人は骨董市などで自分の手にフィットする湯呑みを探したといいます。

テープのずらし方によって、立ち上がる面の角度が変わり、変幻自在に姿を変えていく様は見ていて飽きません。

ブナコ西目屋工場
最終的には型にはめて高さや直径などをチェックし、微調整していきます
ブナコ西目屋工場
トレーなど立ち上げる面が少ないものは、湯呑み茶碗ではなく、へらなどで細かくテープをずらしていきます

テープをずらしすぎてしまうと重なり合う部分がなくなってしまい、巻きがバラバラになってしまいますが、心配ご無用。

ブナコ西目屋工場

テープを巻き直せば、やり直しができます。材料を無駄にせずに済むだけでなく、失敗を恐れずにものづくりに挑戦できるというのは職人さんにとってもありがたいことなのかもしれません。

型上げ作業を経て形ができあがると、塗装前の仕上げへ。木工用ボンドを薄めたものをムラなく全体に塗って、形を固定させます。

ブナコ西目屋工場
ブナコ西目屋工場
隙間がある場合は、ボンドに木の粉を混ぜて作ったパテで隙間を埋めます

乾燥したら、やすりがけをして仕上げへ。

ランプやスツールなど組み立てが必要なものはパーツを組み、製品としての完成形に近づけます。

ランプの組み立て作業中

西目屋に人を呼ぶ。木工工場だけに終わらない戦略

ひととおりの工程を見終えると、1階へ移動。

廊下を抜けると、机と椅子が並ぶ開放的なスペースが広がっていました。奥にはBUNACOの木工製品の数々が購入できるミニショップがあります。

ブナコ西目屋工場
元食堂という広々としたスペースは、製作体験や工場見学に訪れた人たちのくつろぎの場になっています
ブナコ西目屋工場
ミニショップではBUNACOの主な製品を購入することが可能。アウトレットコーナーもあります

さらにその奥には、元給食室だったところを改装したカフェがあるとのこと。

そこにはBUNACOのランプシェードやスピーカーがあちこちにある、なんともオシャレな空間が広がっていました。

ブナコ西目屋工場
カラフルな椅子やテーブルがポップでかわいらしいカフェ。手前のテーブルは、よく見ると青森県の形をしています

「西目屋村には、これまでこうしたカフェも喫茶店もなかったんだそうです。

小学校再活用のお話を受けて、私たちは西目屋に工場をただつくるのではなく、西目屋を人が呼べる場所にしたいと思うようになりました。

カフェも工場見学もその一環なんですよね」と秋田谷さん。

ものづくりだけじゃない。案内もこなす木工職人たち

「西目屋にたくさんの人を呼びたい」「来た人を喜ばせたい」という思いは、工場にいた職人さん一人一人からも感じられました。

「職人」というと、どこか頑固一徹、寡黙で淡々と作業をしている姿をイメージしがちですが、製造現場にいたBUNACOの職人さんたちはとてもフレンドリー。

ブナコ西目屋工場で働く職人さん

作業中にもかかわらず、わからないことや気になることを聞くと、笑顔で丁寧に答えてくれます。

聞けば、工場見学だけでなく、製作体験も全て職人さんたちだけで応対しているとのこと。

そんなおもてなしの素晴らしさもあって、JR東日本の豪華列車「TRAIN SUITE 四季島」のツアーコースの一部にも観光スポットとして採用されています。

でも、細かい作業が多いだけに、作業の邪魔にはならないのでしょうか?

弘前の工場でも働いていた職人さんは、人に見られることによって良い変化があったと言います。

「作業を見られるのは相変わらずめちゃくちゃ緊張しますけど、以前とは気持ちの持ちようが変わりました」

ブナコ西目屋工場で働く職人さん

「目の前の人はいずれ自分たちが作ったものを買うかもしれない人。その人たちが手にするものを作っているんだと思うと、よりいっそう気持ちが引き締まるんです」

使い手の姿が見えることでモノに込められる思いがある。訪ねた人も、作り手の姿が見えるとモノに興味や愛着が湧く。

人はやはり、人の姿に心動かされるようです。

BUNACOの素敵な「ものづくり」と「おもてなし」、ぜひ現地で体感してみてください。

<取材協力>

BUNACO

http://www.bunaco.co.jp/

BUNACO 西目屋工場

青森県西目屋村大字田代字稲元196

TEL:0172-88-6730

文:岩本恵美

写真:船橋陽馬