世界が認める碁石の最高峰。宮崎にだけ残る「ハマグリ碁石」とは

碁石の最高峰「ハマグリ碁石」

「手談(しゅだん)」という言葉があります。

文字通り、手で会話をすること。といっても「手話」をするわけではありません。

碁盤を挟んで向かい合い、碁を一局打てば心が通じ合うことを意味し、「囲碁」の別名として使われる言葉です。

対局者は碁石を通じて相手のことを理解する
対局者は碁石を通じて相手を理解する

この、言葉を必要としない会話の主役とも言えるのが、盤上に打たれる碁石たち。

古くから、囲碁を好む人たちは碁石の実用性だけでなく、その見た目・手触り・打ち味・音の響きにまでこだわり、よいものを求めてきました。

「白黒をつける」と言うように、碁石には白石と黒石がありますが、実は、高品質とされるものはそれぞれ原料が異なります。

黒石は、三重県熊野の那智黒石から作ったものが最高級品。

一方、白い碁石の原料は“石”ではなく”貝”。

ハマグリで作った「ハマグリ碁石」は縞目の美しさ、柔らかな乳白色の輝き、手に馴染む重量感などが素晴らしく、白い碁石の最高峰として世界でも人気を集めています。

ハマグリ碁石
碁石の最高峰「ハマグリ碁石」

碁石のために生まれてきた貝を使った「日向のハマグリ碁石」

このハマグリ碁石の産地として名を馳せたのが、宮崎県の日向(ひゅうが)市です。

南北4キロメートルに渡って続く大きな海岸「お倉ヶ浜」では、かつて浜一面にハマグリの貝殻が打ち上げられていたとか。

かつて、ハマグリが浜一面に打ちあがっていた「お倉ヶ浜」
かつて、ハマグリが浜一面に打ちあがっていた「お倉ヶ浜」

そもそも、碁石がハマグリで作られるようになったのは17世紀後半のこと。

当時は愛知県 桑名などのハマグリを用いて、大阪で碁石の製造がおこなわれていました。

そこから明治の中頃になり、行商で日向を訪れた富山の薬売りが大阪に持ち帰ったことがきっかけで、日向のハマグリの存在が知られるように。

それまで主流だった貝よりも厚みがあり、組織も緻密で美しかったためすぐに評判となったそうです。

貝からくり抜かれて削られる前の状態
貝からくり抜かれて削られる前の状態。縞目の美しさが重要

当初は日向で採れたハマグリを大阪に送っていました。

しかし、大阪で碁石製造の技術を学んだ日向出身の原田清吉という人が「日向のハマグリは日向で碁石に仕上げたい」と考え、1908年頃、日向で初めて碁石作りを開始。

それが日向の碁石作りの始まりです。

「日向のハマグリは寿命が14、5年だと言われています。外敵が少ない環境で寿命をまっとうしたハマグリが、海底や砂浜の中に埋まっていた。

それが大波や台風によって浜に打ち上げられ、それを人々が拾って、ということを繰り返してきたわけです」

そう話すのは、日向でハマグリ碁石を作り続けてきた「黒木碁石店」の5代目、黒木宏二さん。

黒木碁石店 5代目の黒木宏二さん
黒木碁石店 5代目の黒木宏二さん

お倉ヶ浜は波が荒く、現在はサーフィンのメッカでもあるほど。その荒波に揉まれる中で、厚く大きく成長。

その美しい縞目の模様も相まって、“碁石のために生まれてきた貝”と言っても過言ではないのが、日向のハマグリでした。

わずかな厚みで価値が大きく変わる碁石の世界

「碁石の価値を決める要素として、“厚み”は非常に重要です。厚いほど希少性が高く、高価になります」

日向産のハマグリの一番分厚いぷっくりした部分をくりぬいて使う
日向産のハマグリの一番分厚いぷっくりした部分をくりぬいて使う

縞目の美しさや傷の有無などを除けば、基本的に厚いほど高価になるという碁石の世界。

厚みは「号数」で区別されていて、たとえば36号は10.1ミリ、38号は10.7ミリといった具合。

コンマ数ミリの違いで号数が変わり、それによって金額も数万円〜数十万、時には数百万といった単位で変わります。

くり抜かれた貝を厚みごとに分けておく
くり抜かれた貝を厚みごとに分けておく

わずかな厚みでなぜ?と疑問に思うかもしれませんが、石を原料とする黒石と比べ、ハマグリの貝殻をくり抜いて作る白石は、出せる厚みに限界があります。

それに加えて碁石は、白石を180個、黒石を181個、それぞれ同じ形・厚み・グレードで揃えないと商品になりません。

碁石を1セット揃えるのには大変な労力と時間がかかる
碁石を1セット揃えるのには大変な労力と時間がかかる

13ミリを超えるような厚みの碁石を作ろうとした場合、1セット揃えるだけで数年かかることもあるのだとか。値段が跳ね上がるのもうなづけます。

高く評価されたハマグリ碁石は日向の一大産業となり、さらにその価値を最大限に高めるために碁石製造の工程は進化し、職人の技術も高まりました。

厚みを測りながら削っていく緻密な作業
厚みを測りながら削っていく緻密な作業

別記事で詳細に触れる予定ですが、原料となるハマグリから取れる最大の厚みを見極め、寸分違わぬ精度で碁石の形に削り、磨き上げていく。碁石職人の技術には本当に驚かされます。

日本で唯一の産地となった日向市

日向岬
日向岬

日向のハマグリが見出されてから100年以上が経過。すでに大阪でのハマグリ製造は途絶えてしまい、黒石を含め、日本で碁石製造の技術を受け継ぐ地域は日向だけとなりました。

「はまぐり碁石の里」
囲碁に関する『学び』と『食』の発信基地として営業している「はまぐり碁石の里」

その日向も、多くの課題を抱えています。

「日向に昔は10社以上あった碁石会社ですが、今はうちを含めて3社しか残っていません」

と黒木さんが言うように、業界内では代替わりをせず、店・会社を辞めてしまうケースが後を絶たないとか。

原料の枯渇。そして「幻の碁石」へ

特に大きな課題が、原料となるハマグリの枯渇。

「4、50年前の時点で、日向ではほぼハマグリが採れなくなり、絶滅に近い状態です」

残念ながら、日向産のハマグリは海底も含めてほとんど取り尽くされてしまい、今では「幻の碁石」と呼ばれるほど、滅多に流通しない存在となってしまいました。

「弊社では、三代目である私の父が新たな原料確保の道を探し、メキシコ産ハマグリの輸入に乗り出しました」

向かって左が日向産のハマグリ。右はメキシコ産
向かって左が日向産のハマグリ。右はメキシコ産

現在、流通しているハマグリ碁石はほとんどがメキシコ産のハマグリを使用しています。そのメキシコ産ハマグリも、安定して輸入し続けられる保証はどこにもありません。

そんな中で、日向だけに残っているハマグリ碁石製造の技術・文化を途絶えさせないために、またハマグリ碁石を求める囲碁愛好家たちの期待に応えるために、できることをやるしかない。

碁石の最高峰「ハマグリ碁石」
ハマグリ碁石を途絶えさせないために

原料が変わっても、変わらないものづくりの技術とプライド、そして時代に合わせた工夫で、碁石の価値を高めていく。

碁石職人
黒木宏二さん

次回は、そんな碁石店の挑戦と碁石製造の舞台裏、さらに熟練の碁石職人の技術にフォーカスしていきたいと思います。

・コンマ数ミリが価値を分ける。日本にわずか数人、石の声を聞く職人たち

・「白黒つけない」サクラ色の碁石が誕生、その裏側にある囲碁の未来に関わる話

<取材協力>
黒木碁石店(ミツイシ株式会社)
http://www.kurokigoishi.co.jp/

文:白石雄太
写真:高比良有城

※こちらは、2019年1月5日の記事を再編集して公開しました。

雪降る季節に楽しみたい、冬の特別な和菓子

まだまだ寒い日が続く1月。寒いのは苦手ですが、しんしんと降る雪を眺めてると、冬が終わるのも惜しいほど。日本人は古来から、雪の美しさを工芸やお菓子でも表現してきました。

今日は、この季節ならではの「雪をモチーフにした和菓子」をご紹介します。

新潟 「大杉屋惣兵衛」の六華

新潟県上越市の「大杉屋惣兵衛」は、創業1592年(文禄元年)の老舗。越後高田の大飴屋さんとして知られていますが、今回ご紹介したいのは、和三盆糖の小さな落雁「六華(むつのはな)」です。

これは、江戸後期に鈴木牧之(すずき・ぼくし)が越後魚沼の雪国の生活をまとめた『北越雪譜』に描かれた雪の結晶をかたどったもの。箱に詰められた落雁の雪文様は、ふたつとして同じものがありません。

ちなみに、私はこちらのお菓子を石川県片山津の「中谷宇吉郎 雪の科学館」で購入しました。雪の結晶に魅せられた後は、これはもう手に取らずにはいられず!新潟のお店にも伺ってみたいです。

新潟 「大杉屋惣兵衛」の六華。パッケージ
包み紙に青一色で描かれた大きな椿は、雪椿でしょうか。包みをあけるのもわくわくします
新潟 「大杉屋惣兵衛」の六華
箱の中には整然と並んだ小さな落雁。なんと、すべて違う文様なんです!
新潟 「大杉屋惣兵衛」の六華
「北越雪譜」の図も添えられていて、雪の図鑑みたい。照らし合わせて見てみます

京都 「御菓子司 塩芳軒」の雪まろげ・雪華

京織物の街、京都西陣にて創業以来130年以上にわたり、京菓子をつくり続けてきた「御菓子司 塩芳軒(しおよしけん)」。風格のある町屋に、黒い長のれんが目印です。

こちらの季節ごとの生菓子などもおすすめしたいですが、私のお気に入りは「雪まろげ」という純和三盆製のシンプルなお干菓子です。

「雪まろげ」というのは、雪玉ころがしのこと。まん丸の形はほんとうに雪玉のようで、小さな箱から指先でひとつつまんで大切にいただくと、口の中で優しく溶けてなくなります。

京都 「御菓子司 塩芳軒」の雪まろげ・雪華
小さな箱は、模様の入った繊細な薄紙に包まれています
京都 「御菓子司 塩芳軒」の雪まろげ・雪華
紅白のまるい玉が交互に。ほかに抹茶味もあります
京都 「御菓子司 塩芳軒」の雪まろげ・雪華
ころころとした雪の玉。雪のように溶けてなくなってしまうのが少しさみしいです

同じく「御菓子司 塩芳軒」から、もうひとつ。冬の季節だけの「雪華(せっか)」は、お茶のお稽古などにも人気だそう。こちらも上質な和三盆が使われているお干菓子で、指先ほどの小さな雪の結晶の形。箱入りセットではなく、ひとつずつ好きな数を包んでいただけますが、その包み紙もかわいいのでお土産にもおすすめです。こちらは春先までの販売なので、今季はどうぞお早めに。

京都 「御菓子司 塩芳軒」の雪まろげ・雪華
包み紙の上から赤い紐できりり。佇まいの美しい包みは、京都のお土産に
京都 「御菓子司 塩芳軒」の雪まろげ・雪華
雪華の文様はどうやら7種あるようです。小さな六角形の中に繊細な模様をたのしめます

岐阜 「奈良屋本店」の雪たる満・都鳥

岐阜県岐阜市、天保元年(1830年)に創業した「奈良屋本店」。岐阜県なのに奈良?とお思いでしょうか。岐阜市には下奈良(しもなら)という地名があり、こちらの創業者がその出身だったことからこの店名がつけられたのだそうです。

看板商品である「雪たる満・都鳥」は、明治19年に発売されたもので、お砂糖と新鮮な卵白だけでつくった手しぼりのメレンゲ菓子。「雪のように白く、その味は甘く、雪のような口どけ」を実現し、「雪たる満」と名づけたのだそう。薄紙に包まれて、雪だるまと都鳥が仲良く曲げわっぱの中におさまる姿はなんとも言えない可愛らしさ。ちょんちょんとつけられた目がまた愛らしいのです。

岐阜 「奈良屋本店」の雪たる満・都鳥
「雪だるま本舗」のネーミングと、だるまマーク。これまた、とっておきたい包み紙です
岐阜 「奈良屋本店」の雪たる満・都鳥
箱入りもあるけれど、やはり曲げわっぱ入りがおすすめ。直径14センチとサイズ感も抜群。雪だるまと都鳥、仲良く詰め合わせです
岐阜 「奈良屋本店」の雪たる満・都鳥
手しぼりでつくられるので、それぞれの表情に愛嬌たっぷり。さっくりとした歯ざわりで、お茶だけでなく珈琲にも合いそうです

雪の和菓子、お楽しみいただけたでしょうか(美味しくいただいて、おそらく私が一番楽しませていただきました!)。

和菓子屋さんそれぞれの味と形で雪を表現されていて、もちろん食べたらなくなってしまうのですが、それがまた儚い雪を思わせて魅力的でもありました。菓子そのものだけでなく、きれいな紐や味のある包み紙にふれる瞬間もまた、和菓子の魅力ですね。

日本の北から南まで、雪への愛着はそれぞれかと思いますが、その土地ならではの、雪との縁は素敵なものでした。次の冬はどんな雪に出あえるでしょうか。

<取材協力>
「大杉屋惣兵衛」
http://ohsugiya.com
「御菓子司 塩芳軒」
http://www.kyogashi.com
「奈良屋本店」
http://www.naraya-honten.com

文・写真:杉浦葉子※この記事は、2017年2月11日の記事を再編集して掲載しました

しめ飾りの種類をいくつ知っていますか?「べにや民芸店」で見るユニークな正月飾り

この時期になるとスーパーの店頭などで売られているのをよく目にするしめ飾り(注連飾り)。

神聖な場所を示すしめ縄に、稲穂や裏白(うらじろ)、だいだい、御幣(ごへい)などの縁起物を付けてつくられており、お正月に年神様を迎える準備のひとつとして飾ります。

このしめ飾り、地域や作り手さんによって特徴が異なるのをご存知でしょうか。

しめ飾り

縁起を担いで年神様をお迎えする目的は同じでも、その土地に伝承する物語が由来になっていたり、暮らしに馴染みの深い道具がモチーフになっていたり、形状は様々。

全国各地でバラエティ豊かなしめ飾りが今もつくられ続けています。

そんなしめ飾りを一堂に集めた展示販売会「日本各地のしめ飾り展」を毎年開催しているのが、東京・駒場にある「べにや民芸店」さん。

べにや民芸店
べにや民芸店
べにや民芸店
店内の様子

展示会開催中の同店にお伺いして、魅力溢れるしめ飾りの数々を見せていただきました。

べにや民芸店「しめ飾り」展
会場には、全国から集まったしめ飾りがびっしり

各地に残るしめ飾り

伊勢地方に伝わる「笑門飾り」
・三重県 伊勢地方に伝わる「笑門飾り」
笑門飾り

まずこちらは三重県伊勢地方の「笑門(しょうもん)」飾り。

昔、須佐之男命(スサノオノミコト)を助けたとされる「蘇民将来」の逸話に由来する飾りで、年神様をお迎えするほかに無病息災の意味も含まれているので、伊勢地方では一年中飾っておくそうです。

笑門飾り
実際にべにや民芸店さんで一年飾った状態のもの。経年変化も楽しめます

ユズリハ、裏白、柊、馬酔木など縁起の良い葉っぱがついています。

愛媛県西予市「宝結び」のしめ飾り
・愛媛県西予市「宝結び」のしめ飾り

続いては、愛媛県西予市でつくられる「宝結び」のしめ飾り。長寿・多幸などを願う吉祥文様「宝結び」を輪のなかに配したデザインは、つくり手である上甲清(じょうこう きよし)さんが着想したオリジナル。

黒米バージョンと白米バージョンの2種類がつくられています。

宝結び

ちなみに、このしめ飾りのように輪っかの中に文様をしっかり編むには高い技術が必要とのこと。

「鶴寿」。現在は作れる人がいない
「鶴寿」。現在は作れる人がいない

参考にと見せていただいたこちらは「鶴寿」と呼ばれるお飾りで、30年以上前に山口県の下関でつくられたのだそう。

文字通り、鶴と寿を表していますが、難易度が非常に高く、当時つくっていた職人さん以外には真似ができず、現代に至ってはつくれる人がいなくなってしまったといいます。

・秋田県「宝珠型」のしめ飾り
・秋田県「宝珠型」のしめ飾り
秋田県「宝珠型」のしめ飾り

秋田の「宝珠型」のしめ飾り。藁(わら)ではなくスゲという植物が使用されており、近くで見るとまた違った風合いを感じるお飾りです。

秋田県「宝珠型」のしめ飾り
近くで見ると質感の違いがわかる
島根県出雲地方の「鶴亀飾り」
・島根県出雲地方の「鶴亀飾り」

こちらは、鶴と亀がついていかにもおめでたい島根県・出雲地方のしめ飾り。このように長寿を意味するモチーフが使われることは非常に多くなります。

鳩・ハサミ・お椀。一風変わったモチーフのしめ飾りも

地方によって、横長だったり、縦長だったりと特徴があるしめ飾り。中には暮らしの道具などをモチーフにしたユニークなものも存在します。

京都「鳩」のしめ飾り
・京都「鳩」のしめ飾り

なにやら鳥のように見えるこちらは、「鳩」をかたどったしめ飾り。京都でつくられています。

べにや民芸店 店主の奥村良太さんいわく、「鶴はよく見ますが、鳩は珍しい」とのこと。よくよく見ると、胴体の部分の輪っかが二重になっていて、鳩の特徴を表しているそうです。

鳩のしめ飾り
胴体部分が二重の輪っかで表現されている
静岡県御殿場「ハサミ」型のしめ飾り
・静岡県御殿場「ハサミ」型のしめ飾り
静岡県御殿場「ハサミ」型のしめ飾り

二つのしめ縄がクロスしているように見える、静岡県 御殿場の「ハサミ」型しめ飾り。

御殿場には、ハサミを奉納する珍しい神社があり、それに由来しているのではと言われています。厄を断ち切る、邪心を摘み取るといった意味が込められているお飾りです。

長野県上田 お椀型のしめ飾り「おやす」
・長野県上田 お椀型のしめ飾り「おやす」
おやす

お椀のかたちをした「おやす」と呼ばれるしめ飾り。長野県 上田のもの。

かつては、中におせち料理などを入れてお供えしていたそう。現在は橙(だいだい)などを入れることもあるようです。

奇跡的に続いてきたしめ飾りの伝統

前回の東京オリンピックの年に創業して55年になる「べにや民芸店」では、30年以上も前からしめ飾りを扱ってきたそう。

「やはり、地方によって形が違う面白さがありました。なるべくなら地域に根付いたものがよいと考えていて、ここにあるのは伝統的なものが多いと思います」

と、奥村さん。

べにや民芸店 奥村良太さん
べにや民芸店 奥村良太さん

しめ飾りは、作り手さん自身もはっきりとした由来を知らないままに受け継いでいるケースが多いのだとか。

「それでもこれだけたくさんの種類が今日まで残っているのが不思議ですよね。

『鳩』の飾りを作っている方に『なんで鳩なんですか?』と聞いた時も、『ずっと作ってるから』としか答えてくれませんでした(笑)」

三重県伊賀地方「えびす馬」飾り
・三重県伊賀地方「えびす馬」飾り(写真中央)

中央に見えるのは、三重県 伊賀の「えびす馬」飾り。作り手さんは80台半ば。一昨年に一度引退されたものの、今年再び作ってくれたのだそうです。

奥村さんの知る限り、その方以外に作っている人はいないとのこと。

「えびす馬」に限らず作り手さんの高齢化が進み、伝統的な飾りを伝え続けていくのは難しい状況になっています。

一方、そのデザイン性の高さ・面白さが徐々に広まって、最近は若い方も来店するようになったとのこと。

しめ飾り

「輪飾りと呼ばれる小ぶりなものであれば、水周りや勝手口など家の中で気軽に飾ることができたりして人気です」

京都の輪飾り「ちょろ」
・京都の輪飾り「ちょろ」

玄関だけでなく、家の中の各部屋で飾るタイプであれば、気軽に導入できるかもしれません。そのほか、門柱や門松につけるもの、車のナンバープレートにつけるものも存在します。

しめ飾り
しめ飾り
ナンバープレートにつけるタイプのしめ飾り
ナンバープレートにつけるタイプのしめ飾り

ここまで、日本各地に残るしめ飾りをいくつか紹介してきました。

紹介できたのはほんの一部ですが、気になるものはあったでしょうか。好みのデザインを探したり、部屋のどこに置こうか考えてみたりすると、正月飾りが身近に感じるようになってきます。

また、自分の地元にはどんなタイプの飾りが残っているのか、改めて調べてみても面白いのではないかと思います。

職人がひとつひとつ手作りしているしめ飾り。同じ種類でも、実際に見比べてみると少しずつサイズや形状が異なっていて、選ぶのも楽しいはず。

べにや民芸店さんは、年末30日まで営業中。すでに売り切れてしまっているものもありますが、しめ飾りの多様性に触れられるよい機会です。是非一度、足を運んでみてください。

<取材協力>
べにや民芸店
http://beniyamingeiten.com/index.html

文:白石雄太
写真:カワベミサキ

「雪は天からの手紙」中谷宇吉郎 雪の科学館で氷の世界を体験

雪景色といえば有名なのは金沢の兼六園。雪吊りの松がたわわに雪を抱える景色はきらきらとまぶしさを感じます。

©金沢市
©金沢市

そういえば大人になると、雪を楽しむ機会は少ないかもしれません。もっと雪を味わうために、金沢から電車で約30分、加賀の片山津へ移動してみます。目的地は「中谷宇吉郎 雪の科学館」、行ってきます!

「雪は天から送られた手紙である」

——— 雪は天から送られた手紙である

この素敵な言葉を残したのは、加賀市片山津出身の中谷宇吉郎(なかや・うきちろう)(1900〜1962)。雪の結晶の美しさに魅せられ、世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出すことに成功したという科学者です。

雪や氷に関する科学の分野をつぎつぎ開拓し、活躍の場はグリーンランドなど世界各地に広がったといいます。趣味も幅広く、絵をよく描き、随筆や映画作品を通じて科学の魅力をやさしく紹介しました。

「中谷宇吉郎 雪の科学館」は、そんな宇吉郎の人柄や研究の成果を、展示や映像だけでなく実験などを通じた体験で楽しむことができるというのです。

伺った日は、やはり雪!こちらがエントランスです。
伺った日は、やはり雪!こちらがエントランスです。
すっきりしたお天気の時は、こんな風に右後方に柴山潟と白山が見えるのだそう。©雪の科学館
すっきりしたお天気の時は、こんな風に右後方に柴山潟と白山が見えるのだそう。©雪の科学館

白山を望み、柴山潟に接するという環境のなかで、雪をイメージした六角塔3つを配置して設計されたというこちらの施設。(設計:磯崎新氏)。エントランスホールの天井を見上げると、なんと雪の結晶と同じ六角形!これは、雪づくしが楽しめそうな予感です。

天井までもが雪モチーフ。©雪の科学館
天井までもが雪モチーフ。©雪の科学館

まずは、宇吉郎の「ひととなり」ゾーンから。こちらでは、宇吉郎の生涯や人となり、科学、芸術、生活をはじめ、人や自然との出会いなどについて紹介しています。

宇吉郎が生前に使っていた品や当時の写真などが展示されているコーナー。
宇吉郎が生前に使っていた品や当時の写真などが展示されているコーナー。
親戚一同が特注し、学士院賞受賞の記念にと宇吉郎に贈った「雪の結晶 蒔絵文箱」。繊細な蒔絵が美しいです。
親戚一同が特注し、学士院賞受賞の記念にと宇吉郎に贈った「雪の結晶 蒔絵文箱」。繊細な蒔絵が美しいです。
展示では、宇吉郎の書いた随筆などからの一節が添えられています。趣あふれる詩のような言葉を紡ぐ宇吉郎は、ロマンチストだったのかもしれません。
展示では、宇吉郎の書いた随筆などからの一節が添えられています。趣あふれる詩のような言葉を紡ぐ宇吉郎は、ロマンチストだったのかもしれません。

「雪の結晶」に魅せられる

宇吉郎は、人工雪をつくる前には天然雪の研究をしていました。雪の結晶を顕微鏡で観察するところから始め、雪山に冬じゅうこもって3,000枚もの雪の結晶の写真を撮影したのだといいます。

宇吉郎が撮影した天然雪の結晶の乾板(ガラス板に乳剤を塗ったもの)。フィルム代わりに使われたそう。
宇吉郎が撮影した天然雪の結晶の乾板(ガラス板に乳剤を塗ったもの)。フィルム代わりに使われたそう。
こちらは1964年から1994年にかけて、のべ160日間も冬の山小屋にこもり、雪の結晶のカラー写真を撮影したという吉田六郎氏のもの。自然がつくる色あいと形に感動します。
こちらは1964年から1994年にかけて、のべ160日間も冬の山小屋にこもり、雪の結晶のカラー写真を撮影したという吉田六郎氏のもの。自然がつくる色あいと形に感動します。

宇吉郎が人工雪をつくって研究したという常時低温研究室の展示では、世界で初めて宇吉郎が人工雪の作製に成功した装置(レプリカ)を見ることができます。研究と言えど、「いろいろな種類の雪の結晶を勝手に作って見ることが一番楽しみなのである」と随筆の中で宇吉郎は語っています。

常時低温研究室では、部屋全体をマイナス10〜30℃、最低マイナス50℃にまで冷やし、極寒の中で雪の結晶を作っていたのだそう。
常時低温研究室では、部屋全体をマイナス10〜30℃、最低マイナス50℃にまで冷やし、極寒の中で雪の結晶を作っていたのだそう。
人工雪の製作装置をのぞくと、棒の先から伸びるウサギの毛の先に、雪の結晶が。当時はたくさん着込んで凍えながらの研究だったそう。すっかり宇吉郎の気分!
人工雪の製作装置をのぞくと、棒の先から伸びるウサギの毛の先に、雪の結晶が。当時はたくさん着込んで凍えながらの研究だったそう。すっかり宇吉郎の気分!

学芸員の石川さんに、宇吉郎が雪の結晶写真をまとめた実物のアルバムを見せていただきました。写真乾板に撮られた陰画は焼き付けされて、撮影順にアルバムに貼られ、通し番号がつけられたそう。天然雪のアルバムだけで12冊、人工雪の方は9冊に及びます。

一冊一冊、丁寧に分類されている宇吉郎の結晶写真。
一冊一冊、丁寧に分類されている宇吉郎の結晶写真。
こちらは、天然雪の結晶写真。一枚一枚データも書き添えられています。
こちらは、天然雪の結晶写真。一枚一枚データも書き添えられています。
こちらは人工雪の結晶。よく見ると、毛のようなものが見えますね。人工雪はウサギの毛を芯に成長するのだそう。
こちらは人工雪の結晶。よく見ると、毛のようなものが見えますね。人工雪はウサギの毛を芯に成長するのだそう。

温度や湿度などの状況でどんな形の結晶ができるのかを調べ、いろいろな結晶の形を分類したという宇吉郎。その過程は相当なものだったに違いありません。私たちが雪の結晶としてイメージするシンプルな六角形の雪の結晶は、水蒸気が少なめの時にできるもので、いろいろな形の結晶の中では、ほんの一部なのだそう。

続いては、雪と氷の実験です!

ダイヤモンドダストに氷のペンダント。雪と氷の実験を満喫!

私がひそかに楽しみにしていた雪と氷の実験!こちらではいろいろな実験観察を体験することができます。みなさんにはぜひ実際に体験していただきたいので、少しだけ様子をご紹介します。

氷のペンダント作り体験。光に透けてきれいで、溶けるのがもったいないです。子ども達にも人気です。
氷のペンダント作り体験。光に透けてきれいで、溶けるのがもったいないです。子ども達にも人気。
人工雪の観察では、毎日新しい雪の結晶を見ることができます。
人工雪の観察では、毎日新しい雪の結晶を見ることができます。
こちらは冷凍庫の中でダイヤモンドダストをつくる実験。空気中のチリがダイヤモンドダストの元になります。実眼で見ると、キラキラがふわふわ舞ってまるで小宇宙のよう!ほんとうに綺麗!
こちらは冷凍庫の中でダイヤモンドダストをつくる実験。空気中のチリがダイヤモンドダストの元になります。実眼で見ると、キラキラがふわふわ舞ってまるで小宇宙のよう!ほんとうに綺麗!
そのダイヤモンドダストを捕まえる実験。シャボン液を張った枠を冷凍庫に入れると、次々に結晶のような形が広がります。幻想的な瞬間です。
そのダイヤモンドダストを捕まえる実験。シャボン液を張った枠を冷凍庫に入れると、次々に結晶のような形が広がります。幻想的な瞬間です。

このほか、氷の中の美しい模様「チンダル像」を観察する実験など、さまざまな体験が待っています。館内のところどころで歓声が。みなさん楽しんでらっしゃるようです。

宇吉郎の海外での研究についての展示や、宇吉郎に関する映像が観られるなど盛りだくさんの「雪の科学館」。大人も子どもも、たっぷり楽しめる空間でした。

左から、学芸員の石川さん、施設長の角谷さん。ご案内ありがとうございました!
左から、学芸員の石川さん、施設長の角谷さん。ご案内ありがとうございました!
ミュージアムショップで購入した、宇吉郎の一筆箋、雪の結晶ポストカードとシール。袋もかわいい雪の結晶です。
ミュージアムショップで購入した、宇吉郎の一筆箋、雪の結晶ポストカードとシール。袋もかわいい雪の結晶です。

雪を満喫したら、ひと休み。併設のティールーム「冬の華」からは、柴山潟を一望できる絶景を望むことができます。この日はあいにくの曇天でしたが、水面にはたくさんの水鳥たちが羽を休めていました。

手前に見える中庭に敷き詰められた岩は、宇吉郎が亡くなる前に滞在していたグリーンランドから運んできたもの。風に舞う人工霧が楽しめるという、霧の芸術家・中谷芙二子さん(宇吉郎の次女)の作品。
手前に見える中庭に敷き詰められた岩は、宇吉郎が亡くなる前に滞在していたグリーンランドから運んできたもの。風に舞う人工霧が楽しめるという、霧の芸術家・中谷芙二子さん(宇吉郎の次女)の作品。
ババロアとコーヒーのセットをいただきました。添えられたクッキーは雪の結晶型!
ババロアとコーヒーのセットをいただきました。添えられたクッキーは雪の結晶型!

柴山潟に降る雪を眺めながら、学芸員の石川さんが教えてくれたお話を思い出していました。

雪の結晶は、高い空の温度や湿度によりさまざまな形をつくります。「空から降ってきた雪の結晶を地上で受けとってみると、結晶が空の様子を教えてくれるようだ」。研究中、そんな風に感じた宇吉郎は『雪は天から送られた手紙である』という言葉をのこしたのだそうです。

片山津のこの地で生まれた中谷宇吉郎さん。大人になってからは東京や北海道、世界各地で活躍しましたが、その根っこにあったものはやはり、小さい頃に慣れ親しんだ片山津の雪景色だったのではないでしょうか。片山津の雪と「中谷宇吉郎 雪の科学館」。みなさんもぜひ訪れてみてください。きっと、素敵な雪に出会えます。

 

中谷宇吉郎 雪の科学館
石川県加賀市潮津町イ106番地
0761−75−3323
http://kagashi-ss.co.jp/yuki-mus/yuki_home

文・写真:杉浦葉子

この記事は2017年2月7日公開の記事を、再編集して掲載しました。

【わたしの好きなもの】割烹着

肩こりなし、袖まくりなしの日本のエプロン「割烹着」

割烹着って、若い世代では昔の人が着ていたものと思う人もいるかもしれないですね。
エプロンも割烹着も、食事を作るときに「さあ、やるぞ!」と思わせてくれる
スイッチを入れてくれるものだと思っています。
じゃあ、なぜエプロンではなくて割烹着?

私は肩こりがひどいので、エプロンの紐がかかっているだけで、なんだか気になるんです。。
そして、割烹着のいいところは袖まですっぽり覆うので、服の汚れを気にせず油ものや水仕事をできること。
さらに何度も袖をまくりあげては、落ちてきてを繰り返す、あの煩わしさからの開放!

デザインも着物から洋服に変わった現代に合わせて、余裕をもって着ることができるけれど、スッキリと見える身幅になっています。襟ぐりもボートネック風になっていて、チュニックを着ているような感覚になります。
ポケットは、両サイドに付いているから利き手を選ばず使えますし、
レシピを調べるのに使っていたスマホも、洗い物のときにはサッとポケットにしまうことができて、無いよりあった方が絶対便利!ちょっと置きができない台所では意外と重宝しています。

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人気再燃の「ベーゴマ」。遊び方から造り方まで、日本唯一のメーカーに聞く

お正月の代表的な遊びといえばコマまわしがすぐに思い浮かぶ。

最近は、鉄のかたまりからつくられた存在感たっぷりの「ベーゴマ」が再び注目されているらしい。埼玉県・川口市でベーゴマを専門に手がける日三鋳造所(にっさんちゅうぞうしょ)を訪ね、ベーゴマが製造される工程や、初心者が楽しく遊べるコツを教わった。

独特の形状が記憶に残る「ベーゴマ」
独特の形状が記憶に残る「ベーゴマ」

いまも“ベーゴマ専門”の看板を掲げ続ける日三鋳造所

つけもの樽やバケツの上にシートを被せた「床」の上で、鉄製の心棒のないコマをぶつけ合う。相手のコマをはじき出せば勝負あり。ベーゴマ遊びはルールが極めてシンプルだからこそ、子どもから大人まで夢中になれる。

ベーゴマ

平安時代に京都の周辺でバイ貝に砂や粘土を詰めて、子どもがひもで回したことがベーゴマの起源とも言われている。やがて同じ遊びが関東に伝わり、“バイゴマ”から“ベーゴマ”になまったのだとか。

筆者は両親ともに東北地方の出身なので、小学生の頃に関東地方に引越してきて初めて、ベーゴマで遊ぶ同級生たちを目の当たりにした。一応回し方を教わってみたものの、上達する前にプラモデルやテレビゲームに心移りしたことを覚えている。

ベーゴマ
日三鋳造所の事務所には貴重なベーゴマも展示されている

日三鋳造所は、昭和から平成の時代を超えて、今もベーゴマを専門につくり続ける数少ないエキスパートだ。かつては鋳造業者が本業のかたわらにつくることも珍しくなかったが、かかる手間を考えると採算が合わないため、徐々に手がける場所が少なくなった。

社長の辻井俊一郎さんによると、現在もベーゴマの製造・販売を続けている会社は全国でも数カ所を残すだけだそう。中でもベーゴマを専業にしているのは唯一、日三鋳造所だけとなっている。

日三鋳造所 代表取締役の辻井俊一郎さん
日三鋳造所 代表取締役の辻井俊一郎さん

そもそも川口が鋳物(いもの)の街として繁栄してきたのは、街沿いを流れる荒川周辺で、鉄を流し込む「砂型」に使うための良い砂が採れたことに由来するそうだ。

街には今も鋳造工場が残っているが、その多くは賑やかな駅周辺から少し離れた場所にある。鋳造所ではキューポラと呼ばれる溶解炉を使って高熱で鉄を溶かしながら作業をおこなうため、蒸気や臭いが発生して周辺に漂う。

埼玉県内で最も東京に近い街として注目される川口市内に住居が増えてくると、次第に鋳物工場に苦情が寄せられるようになり、多くの工場が閉鎖や移動を余儀なくされた。

実は日三鋳造所も一度は看板を下ろすことを決め、そのタイミングで自社工場も閉鎖している。

日三鋳造所
かつての工場跡には、使われなくなった鋳造設備(こしき炉)を展示している

しかし、辻井さんを思いとどまらせたのが、ベーゴマを愛するファンから寄せられた数々の励ましの便り。中には、ベーゴマづくりを続けて欲しいと、自分のお小遣いの100円玉を手紙に貼って送ってきた小学生もいたそうだ。

現在、古くからのパートナーである河村鋳造所に委託し、ベーゴマの製造を続けている。

ひもを巻くコツをつかめればベーゴマが楽しくなってくる

ベーゴマは初心者には少しとっつきにくいところがある遊びだ。心棒のないコマにひもを巻き付けられるようになるまでが最初の関門。そこから自分でコマが回せるようになるまでのハードルがやや高い。

「だからこそコマの回し方を教える人の存在が大事なんです」と語るのは日三鋳造所の中島さんだ。

日三鋳造所の“ベーゴマ伝道師” 中島茂芳さん
日三鋳造所の“ベーゴマ伝道師” 中島茂芳さん
ひもをしっかり巻けるようになるまでが少し難しい
ひもをしっかり巻けるようになるまでが少し難しい
ベーゴマ
ベーゴマ
説明書きを見ても難しい。人に教わるのが確実だ

中島さんは広告業界から現職に転じた異色のキャリアの持ち主。社長の辻井さんから誘いを受けて同社の一員になり、現在はベーゴマへの愛着が高じて、“伝道師”として全国津々浦々に飛び回りながらベーゴマの遊び方を伝えている。

中島さんのMyベーゴマ
中島さんのMyベーゴマ。いつでもその魅力を伝えられるように、常にポケットに入れて持ち歩いている

中島さんは「大人も子供も、年齢や男女の区別なく平等に遊べるところがベーゴマのいいところ。勝負を始めてみるまでは、どちらが勝つかわかりません」と楽しそうに話す。

実力者になると、狭い空間でも見事に回せるようになる
実力者になると、狭い空間でも見事に回せるようになる

最後には「運」をどれだけ味方につけられるかも大きいというが、相手のコマをはじき出すためのセオリーをひとつ挙げるとすれば、同じ大きさでもなるべく重いコマを勢いよく回すことがある。

昭和の時代、プロ野球選手の名前を冠した「野球シリーズ」のベーゴマが発売され、当時の子どもたちにもてはやされた。天面には人気選手の名前が刻まれる。

名前の画数が多いと文字が占める割合が高くなり、その分だけ削り取られる部分が減る。つまり「長嶋」の方が「王」よりも重いベーゴマになるため、子どもたちに人気だったのだと辻井さんが面白いエピソードを語ってくれた。

野球選手シリーズ
野球選手シリーズ

コマ自体のメンテナンスも勝負の鍵をにぎっているそうで、たとえば、底面をヤスリで磨くとよく回る「強いコマ」になる。

ベーゴマの種類は背の高さで「タカ」と「ペチャ」の2種類に大別される。相手が回したコマの下に潜り込むと弾き飛ばせる確率が高くなるので、コマの厚みは薄いほうが有利と言われている。ただし薄いコマのほうが回すのも難しい。

実は種類がこまかく分かれている
実は種類がこまかく分かれている

ひもの巻き方には俗に言う「女巻き」と「男巻き」の違いがあり、また地方によって「関西巻き」などスタイルも変わる。巻き方による必勝法は存在しないそうだが、最初はコマにひもを巻き付けるだけでも一苦労だ。

「イベントの参加者にベーゴマを初めて体験する方がいた場合、回せばよい状態までひもを巻いてお渡ししています。最初にコマを回す楽しさを実感してもらえると、次第に自力でひもが上手に巻けるようになってきます」

日三鋳造所 中島さん
中島さんは、地元から上京する際にもお気に入りのベーゴマを持ってきたという生粋のベーゴマ好き

教え方も少しずつ改良してきたのだと、辻井さんと中島さんが口を揃える。

1400度で溶かした「鉄」からベーゴマがつくられる

日三鋳造所が企画・デザインしたベーゴマは、週に1回のペースで鋳造されている。ベーゴマがつくられるおおまかな過程を紹介しよう。

鋳造を請け負っている、河村鋳造所
鋳造を請け負っている、河村鋳造所

最初にベーゴマのデザインを象ったアルミ製の父型の上下面に砂を敷き詰めて、ベーゴマの砂型をつくる。砂の中に小石などが混ざらないよう、ふるいにかけながら砂を乗せていく。小石やゴミが混入してしまうとベーゴマの絵柄に影響が及ぶからだ。

ベーゴマの父型。これを砂で上下から挟んで「砂型」をつくる
ベーゴマの父型。これを砂で上下から挟んで「砂型」をつくる

砂型は特殊な圧縮機械を使ってがっちりと固める。上下の砂型が完成したら、中に挟んでいたアルミ板の父型を抜き出す。そして上下がズレないように砂型を重ね合わせると、そこにベーゴマの母型になる空間ができる。

ここに溶けた鋳鉄(ちゅうてつ)を流し込む。川口の鋳造所では昔から溶けた鋳鉄を「ゆ」と呼ぶのだと、鋳造所で働く職人の方が教えてくれた。

ベーゴマ
工場内に並ぶ「砂型」。左手前に並んでいる、穴がひとつのものが、ベーゴマの型

鋳造を行う日は朝の4時からキューポラに火を入れて熱しておく。午前中に1,400度ぐらいまで温度を上げたら、午後からは工場の床にびっしりと敷き詰められた大小様々の砂型に、溶かした鉄を一気に流し込んでいく。

中央に見えるのが、キューポラ
中央に見えるのが、キューポラ。溶けた鉄を流し始めると基本的に止めることはできない
ガス抜きのために火をつけながら流し込んでいく
ガス抜きのために火をつけながら流し込んでいく

河村鋳造所では大型工作機のエンジンに使うパーツからベーゴマまで様々な鋳物を手がけている。大きな工業部品は硬い鉄の方が材料として好ましいため最初に着手する。続いてより柔らかくなった鉄をベーゴマの型に流し込む。

流し込むスピードが早すぎると型がずれ、遅すぎてもムラになる
流し込むスピードが速すぎると型がずれ、遅すぎてもムラになる

ベーゴマは砂型が小さいので、溶けた鉄が入れやすいように小さな手桶に移し替えて流し込む。小さなといっても、その重さは20kgを超える。溶けた鉄を職人たちが実に手際よく砂型に流し込んでいく。経験と勘、そして体力と集中力が求められる。

寒い冬には鉄が固まりやすいため、砂型に開けた小さな穴に「速く・正確に」溶けた鉄を流し込まねばならない。

ベーゴマ
ベーゴマ

キューポラから時折激しく火花が散って、あたり一面には溶けた鉄から生まれた蒸気が漂う。荒々しい光景の現場で、職人たちは黙々と休まずに手を動かし続ける。大きな砂型には3〜4人がかりで連携しながら溶けた鉄を流し込む。

ベーゴマ

息をぴたりと合わせた所作は驚くほどに正確で迷いがない。職人たちは真剣な目で作業に集中しながら、時には笑顔で冗談も交わし合う。60代から70代の職人の方々が中心という現場にはまだ、昭和の日本の熱気がそのまま残っている。

ベーゴマ

ひたむきに働く彼らの手が、夢中でベーゴマに興じる日本の子どもたちの笑顔を長年に渡って支え続けてきた。

ベーゴマ

10分から15分も待たないうちに、最初に鉄を流し込んだ砂型を職人たちが次々と壊していく。砂型の中で鉄はすぐに冷めて凝固するので、あとは砂を避けて空気に晒しながら冷まして形を安定させる。

ベーゴマ
ベーゴマ

1つの砂型につきベーゴマは6個・9列、合計54個が連なった状態で製造される。この日は20台前後の砂型から新しいベーゴマがつくられた。

ベーゴマ
つながった状態で取り出されるベーゴマ

日三鋳造所に送り届けられたベーゴマはバレルと呼ばれる機械に入れて1時間前後ぐるぐると回し続けて面取りをおこなう。最後にこの工程を加えることでエッジのざらつきが取れて、きれいなベーゴマの形に仕上がる。

ベーゴマの熱が再び高まっている

いま、ベーゴマのイベントが全国で増えてきている。毎年10月の最終日曜日には、「全国ベーゴマ選手権大会」が川口市で開催されており日三鋳造所も協力している。

また、中島さんは、日ごろから全国の児童館やショッピングセンターなど、子供たちが多く集まる場所にも出かけてイベントやワークショップを通じて“むかし遊び”の醍醐味を多くの人々に伝えている。

「今までにベーゴマで遊んだことのない小さな子どもたちが、初めてベーゴマを回せるようになった時に見せる笑顔に触れると充実感がわいてきます」と、中島さん。

日三鋳造所 中島さん
手のひらでも簡単にまわす
手のひらでも簡単にまわす中島さん

同社がつくったベーゴマは全国の雑貨屋、大型スーパーの玩具店から縁日の出店まで様々な場所で取り扱われている。辻井さんによると、人気の漫画やアニメのキャラクターとコラボしたオリジナルベーゴマも受注が増えているそうだ。天面にキャラクターがプリントされたカラフルな最新のベーゴマもある。

「令和」記念のベーゴマ
「令和」記念のベーゴマ
ベーゴマ

「むかしは、夏は花火、冬はベーゴマで遊ぶのが相場だったそうですが、今は季節に関係なく様々なイベントが開催されています。私も方々に飛び回ってベーゴマの遊び方を教えています」と語る中島さんは、このインタビューが終わった後もまたすぐに“ベーゴマの伝道師”として都内の学童保育の現場に出かけていった。

河村鋳造所の従業員も高齢の方々が占めるようになり、その仕事の過酷さゆえに後継者も育ちにくいのだという。鉄という素材が持つ力強さをそのまま封じ込めてしまうような、むかしながらの手法でつくられたベーゴマを私たちが手にできる機会が長く続いてほしいと思う。

ベーゴマ

今回取材スタッフ一同も日三鋳造所にてベーゴマを体験させてもらった。筆者はあまりにも久しぶりに手にしたため、残念ながらうまく回せなかったが、中島さんが勢いよく回したベーゴマが火花を散らす様子を目の当たりにして歓声をあげたり、大人気もなく盛り上がってしまった。

ベーゴマ

令和になって最初の冬休みがやってくる。

小さい頃、ひもが上手く巻けずに断念してしまった人も、今まで一度も触ったことがないという人も、次の正月には昔懐かしいベーゴマ遊びに挑戦してみてもらいたい。また、近所でベーゴマをまわせるイベントが開催されていたら思い切って参加してみてはいかがだろうか。

ベーゴマ
ベーゴマが好きでたまらないお二人

<取材協力>
日三鋳造所 http://www.beigoma.com/
河村鋳造所

文:山本敦
写真:阿部高之