【デザイナーが話したくなる】小さなお月見飾り

小さい中にいくつもの工芸が詰まっています



発売から3年目を迎えた『小さなお月見飾り』。

飾ると秋の訪れを感じられ、サイズ感もほんとにちょうどいい。
毎年、素敵なお飾りだなと、素直に感心してしまう商品です。

3年目を迎えられたということは、毎年皆様に愛されている証拠。

ふと思い返すと、「いろんな技術が詰まっているのに、そのことを、お伝えしきれていないのでは‥‥」
ということに気づき、改めてデザイナーの岩井さんに企画当時のことを聞きました。

まず目につくのが、黄色い手まりです。






「これは、香川県の伝統工芸『讃岐かがり手まり®』です。

小さな手まりですが、すごいこだわって作られているんですよ」と岩井さん。

「『讃岐かがり手まり®』が大切にしているのは、糸をいじめない、ということ。

月に見立てた黄色は、木綿糸を丁寧に草木染めした色です。糸をかがるときも極力しごかないようにして、毛羽立ちが抑えられています。出来上がったものを見ると、木綿にもほのかな光沢があることに気づかされます」


見れば見るほどやさしい色合いが、とても魅力的ですよね。

手まりの中には、香木(白檀・丁子・龍脳など)をチップにした天然香原料が入っていて、ほのかに日本らしい香りが楽しめるのもうれしいところです。







木のお団子について尋ねると、

「イチョウの木を使って、奈良の工房で作っています。四角い木材を、洗濯機のようなドラムで回転させて丸く削っていくんですが、同じ木でも場所によって硬さが違うので、同じ大きさには仕上がりません。研磨の細かさを変えて何回もドラムにかけて木肌をなめらかにして、最後は転がらないように底を平らに削っています」とのこと。








お団子の大きさが少しずつ違うのは、それぞれの木の持つ個性なんですね。

後ろのススキの飾りも、シンプルですが存在感があります。

「これは、水引の産地、長野県飯田市で作ってもらいました。どんな材料でどうやったらススキに見えるのか、結び方はかなり試行錯誤しました。最終的には組紐の稲穂結びをヒントにしています。」






そういわれると、確かに稲穂の形だ!と気がつきます。

「十五夜は、月を眺めるだけでなく、五穀豊穣を祝い、実りに感謝するお祭り。

ススキは、もともとは稲穂に見立てて飾ったものともいわれています。

この水引飾りに、そんな原点とのつながりを発見できた時はうれしかったですね。」

と岩井さんも3年前を思い出してにこにこしていました。







飾り台として用いている三方も、実は飾り物の高さや大きさに合わせて通常のものより少し低く作ってもらっているのだとか。

ちょっとのことかもしれませんが、細部にこだわって職人さんたちと試行錯誤してできあがった結果、出来上がった愛らしい姿なんですね。

小さな中に、いくつもの工芸が詰まったお月見飾り。毎回岩井さんのものづくりの話は、とてもおもしろいし感心することだらけです。






我が家にも飾って3年目。私は毎年、「ほほぉ」とほれぼれしながら、じっくり眺めながら、触りながら飾っています。すでにお持ちの方には、ぜひあらためてよく見ていただけたらうれしいです!


→商品詳細はこちら

こちらは、2020年9月1日の記事を再編集して掲載いたしました。

実は自由な仏具の選び方

まもなくお盆休みが始まりますね。今年は中々帰省できないという方も多いかもしれませんが、親族でお墓参りに行ったりと、他のお休みとはまた違う特別な時間です。お墓参りなどでよく使うものといえばお念珠 (ねんじゅ) 。お数珠とも呼ばれています。

お墓参りや法事などの場面でいつも手にかけているお念珠ですが、そもそもどんな意味があるのか、またどのような使い方をするのが正しいのか、みなさんご存知でしょうか? 小さいころから当たり前のように使っているため、かえってわからないことがたくさんありそうです。

そこで今回は、モダンなお念珠を取り扱う「ひいらぎ」さんを訪問。お念珠の役割について改めてお話を伺うとともに、お盆のあり方、ご先祖様との付き合い方についてたっぷりお話を伺ってきました。

赤レンガが印象的なひいらぎさんのお店。お念珠やお香といった日本らしい小物を扱っていますが、入り口は洋風で気軽に入りやすい雰囲気があります

自分で組み合わせを選べる
色鮮やかな新しいお念珠

ひいらぎさんのお念珠を見てまず驚くのが、その色鮮やかさです。お念珠といえば全体的に濃い紫色で、大ぶりの珠がじゃらじゃらと連なっていて‥‥と、ちょっと物々しいイメージがありますよね。しかし店内にディスプレイされているお念珠はブレスレットのように洗練された趣があります。

一般的な仏具のイメージとは全く違う、洗練されたアクセサリーショップのような空間
あまりの鮮やかさに思わず引き込まれます

珠と房の組み合わせを自分好みにオーダーすることもでき、バリエーションは女性用だけでも200通り以上になります。オーダーからお渡しまでは約3週間。ひいらぎさんの店舗を始め、全国で受注会も開催しています。

「最初にアクセサリーだと思って近くに来られて、その後『え、これ数珠なの?』と驚かれる方も多いんですよ」とにこやかに語るのは、ひいらぎの代表取締役・市原ゆき (いちはら・ゆき) さんです。

今回お話を伺ったひいらぎ代表取締役の市原さん (写真右) と、店長の千田ひとみ (ちだ・ひとみ) さん

お念珠はもっと自由なもの

ひいらぎさんが作っているのは「片手念珠」や「一輪念珠」と呼ばれる、輪が一重の略式のお念珠です。このお念珠、意外なことに「この色は使ってはいけない」とか、「この珠の素材は駄目」というような縛りがほとんどありません。

しかも (日蓮宗以外の) ほぼ全ての宗派で使用することが可能。私たちが普段お念珠を使用する葬儀や法事などのシーンで、フォーマルに使用することができます。

房の形や輪の長さなど、宗派ごとに細かい決まりがあるのは輪が二重になっている本式念珠のほう。「お念珠って何だか難しそう‥‥」と感じるのは、本式のイメージがあるからだったのですね。

小さく丈夫に作られた子供用のお念珠もあります

そもそもお念珠は、珠を手繰って念仏を何回唱えたか忘れないようにするためのカウンターだったそう。なので当時は珠の数にも煩悩の数である「108」を基本に、厳密な規定がありました。

しかし片手念珠にはカウンターとしての意味合いはほとんどなく、珠の数を気にして作っているお念珠屋さんはあまりいません。ひいらぎさんでも、手のサイズに合う数に調整しています。

形式にこだわりすぎず、
故人と心を通わすお盆休みを

素材にこだわった色とりどりのお念珠を製作することで、お念珠を従来のイメージから解き放った市原さん。お盆やお墓参りといった行事についても、「形式にとらわれすぎないで」と呼びかけます。

「お盆やお墓参りが義務にならないでほしい」と市原さん

「お墓参りに作法や地方ごとの習わしはいろいろありますが、形式を守ることに気持ちが向きすぎると、単なる作業になってしまいますから‥‥。それよりも心の中で『会いにきたよ』、『ありがとう、毎日平穏に暮らせています』と亡くなられた人に声をかける、その気持ちが一番大事なんじゃないでしょうか。

忙しくてお墓参りに行けないときには、写真に向かって手を合わせて祈るだけでもいいんです。罪悪感や後悔を感じる必要はありません。

また、子供のころや不遇が続いているときは『先祖に感謝して祈る』と言われてもよくわからないかもしれません。そういうときは『最近こういう仕事をした』、『目標にしていた登山に行ってきた』というような、近況報告だけでもいいのです。

もう少し余裕が出てくると、その先に『これらが平穏にできたのはご先祖様のおかげかもしれない』と感じられるようになるのだと思います」。

慣習にこだわりすぎず、故人やご先祖様に思いを馳せて静かに語らうこと。お盆を迎えるにあたって、ぜひ大切にしていきたいです。

気持ちを切り替える道具としての
お念珠の新しい役割

市原さんはポーチの中にマイ念珠を1つ忍ばせています。「入れっぱなしで取り出さなくてもいいんですよ。お寺に立ち寄ったときなんかにおもむろに取り出せば、“ツウ”っぽく楽しめます (笑) 」とにっこり。

念仏を数えるという意味合いが薄くなった現代において、自分の気持ちを切り替え、心をリラックスさせるのも新しいお念珠の役割だと言います。

「私たちの日常ってかなり慌ただしいですよね。仕事もすごく忙しいし、子育てもあるしで‥‥。そんな疲れた頭と体で『さあ心を落ち着けましょう』と言われても、なかなかすぐにはできません。

そういうときに日常では使わないお念珠というアイテムを利用することで、すっと頭が切り替えられるんです。お香やキャンドルのようなものですね。

なかでもお念珠は手軽に持ち運びができますし、いつでも身に付けられるので、その役割を果たしやすいと思っています。だからこそもっと好きな配色で、気に入った素材で作っていただければ。自分のお守りとして、お念珠に愛着を持っていただきたいです。

お気に入りのお念珠は、家や外出先でリラックスするのに役立ちます

それに、お念珠はお通夜やお葬式で使う仏具なので何となく忌まわしいイメージを持つ人がいることもわかるんです。でも、そうではないんですよ。

珠と房のあいだに『ボサ』と呼ばれる部分があります。ここには菩薩様が宿るといわれて、魔除けや厄除けのお守りとしても昔から使われてきました。実はとてもありがたい道具なんです」。

房と珠の間にある螺旋状の珠が「ボサ」。菩薩様が宿るといわれています

お念珠は私たちが想像しているよりもずっと身近で、心強い存在だったのですね。

まもなくやってくるお盆。祈りにも道具にも自分らしさをプラスすることで、より実りのあるものにしてみるのはいかがでしょうか。

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<取材協力>
ひいらぎ 千駄木

東京都文京区千駄木2-30-1

03-5809-0013

http://hiiragi-tokyo.com/

文:いつか床子
写真:いつか床子、ひいらぎ

こちらの記事は2017年7月の記事を再編集して掲載いたしました

夏に食べたい「うなぎのせいろ蒸し」。老舗に聞く、本当に美味しいうなぎの食べ方

全国民に食べてほしい、うなぎのせいろ蒸し

うなぎと言えば、「うなぎのせいろ蒸し」。

長い間、それは日本全国共通の認識だと思ってました。

だけど、うな重やうな丼は見かけるのに「せいろ蒸し」は見当たらない。地元を出てから初めて、その認識はマイナーであることに気付きました。

こんなに美味しいうなぎのせいろ蒸しをみんなが知らないとはもったいない。と、土用丑の日、本当においしいうなぎの食べ方をお伝えしたく、記事を作ります。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋

うなぎのせいろ蒸しとは

「うなぎのせいろ蒸し」とは、福岡県の筑後地方で食べられてる郷土料理。私の地元 福岡ではうなぎを食べる、といえばこの食べ方がポピュラーでした。

簡単に説明すると、蒲焼のタレをまぶしたご飯に、うなぎの蒲焼と錦糸玉子を乗せて、せいろで蒸す料理。直火で蒲焼にして香ばしく焼き上がったうなぎをさらに蒸すことによって、うなぎはふっくらと柔らかに。そして、うなぎの旨味と燻香がしっかりと染み込んだほくほくのご飯がとてもおいしいのです。

そんな、うなぎのせいろ蒸しはどうやって作るのか。本場 福岡の柳川で美味しい作り方とその道具について教えてもらいました。

江戸時代から続く、郷土料理

柳川 川下り
お堀を巡る川下りの様子

どんこ舟でお堀をめぐる川下りや北原白秋の生誕の地としても知られる、観光地・柳川。かつてはうなぎがよく獲れ、柳川藩の財源として大切にされてきたそうです。その地でなんと江戸時代から親しまれているという食べ方が「うなぎのせいろ蒸し」。その食文化を受け継いで、柳川市内には今でも30軒ほどのうなぎ屋さんが軒を連ねます。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋

今回せいろ蒸しの作り方を教えてくださったのは、200年以上の歴史を持つ老舗うなぎ店、若松屋さん。川下りの船着き場前にある若松屋さんは、お昼には行列のできる地元の人気店。私自身、母方のお墓が近くにあり、小さい頃からよくお世話になってた大好きなお店です。お墓参りに行くと若松屋さんのうなぎが食べれる、とウキウキして出かけていたのを覚えています。

若松屋 店主の本吉伸佳さん
若松屋 店主の本吉伸佳さん。蒲焼のベテラン職人さんで、いつもは焼き場にいらっしゃいます

関東の捌き方、関西の焼き方。合わせ技で作られるせいろ蒸し

まずは開いたうなぎを白焼きにした後、タレをつけて焼いて蒲焼を作ります。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋
熱気ある焼き場。換気口から外にまで、蒲焼の香ばしい香りが漂います

興味深いのは、武士が多く暮らす城下町ならではのうなぎの捌き方。武士道の文化から、うなぎを捌くのは必ず背中から。なんでもお腹から開くのは「切腹」を意味するとして好まれなかったことから、背中から開く“背開き(背割り)”になった、という説が有力なのだそうです。武士の多い、江戸から伝わった文化だと言われています。背開きすることで脂が乗っているお腹が中央にくるため、余計な脂が落ちてさっぱりするのが特徴です。

一方、調理法は関東と関西のミックス。

白焼きにしたうなぎを一度蒸すのが関東風、そのままタレを付けて焼くのが関西風と言われていますが、柳川の焼き方は関西風。うなぎの旨味をタレに移しながら、じっくり焼いていきます。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋
うなぎの状態によって焼き加減が違うので、手で確認しながらタレの付け方や焼き加減を調整する

焼き上がったうなぎの蒲焼を切って、錦糸卵と一緒にご飯の上へ。そこからさらに「蒸し」の工程が入ります。蒸すことでうなぎはふっくらと柔らかくなり、うなぎの旨味、燻香がご飯へ染み込んでいくのです。工程が多さと手間ひまに驚きますが、こうやって美味しいうなぎのせいろ蒸しはできるのですね。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋

熱々に蒸しあげられ、木箱に詰まったせいろ。最後までずっと温かいまま食べることができるため、喜ばれたのだそう。この厚い木枠と、漆塗りの木箱のおかげでしょうか。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋
ごはんとうなぎを入れて蒸す容器を〈中子(なかご)〉、中子の底に敷くものを〈ハゼ〉と呼ぶ

せいろ蒸しの道具

せいろ蒸しと言えば、この容器。柳川から車で約20分ほど離れた、400余年続く家具産業の町 大川市で作られています。若松屋さんの別注品で、ひとつひとつが手作りなのだそうです。

作り手は株式会社船蔵の志岐(しき)さん。元々は家具の職人さんですが別注としてこのようなオリジナル商品づくりも受けているそうです。

毎日何度も使っても木が傷みにくく、長く使えているのは伝統的な技が秘訣。釘を使わずに木組みする建築技術が使われています。また木の素材はモミ系や杉など匂いの少ない白木を使用。地元 大川で採れる家具や建具に使う木材を活かして作られます。

外側の容器は、漆の塗り直しメンテナンスもやってるそうで、何年かに一度、塗り直しながら長年使い続けているのだそうです。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋

せいろ蒸しは、家でもできるのか

こんなに美味しいせいろ蒸し、家でも食べたい!と、若松屋の本吉さんに自宅での作り方を聞いてみたところ、「美味しさの秘訣は、代々受け継がれてきたタレと焼くときに使う炭(樫炭)、そしてうなぎの焼き方によるから同じように作るのは難しいかもしれない」とのこと。

やっぱり本場で食べるのが一番。だけど、せっかくの土用丑の日です。遠く離れた地でも故郷の味を楽しみたいなぁと、今夜は自宅のせいろでも挑戦してみたいと思います。

<取材協力>
若松屋
832-0065 福岡県柳川市沖端町26
0944-72-3163
http://wakamatuya.com/

※ せいろ蒸し、蒲焼は若松屋さんのHPでも注文できるそうです

株式会社船蔵
831-0041 福岡県大川市大字小保835番地1
0944-32-8506
http://funagura.co.jp/

文:西木戸弓佳
写真:藤本幸一郎

*こちらは、2018年7月20日の記事を再編集して公開しました

日本の暮らしの豆知識 文月

こんにちは。中川政七商店のバイヤーの細萱久美です。
連載「日本の暮らしの豆知識」の7月は旧暦で文月のお話です。

文月の由来は、短冊に願い事や詩歌を書いて笹に吊り、書道の上達を祈った七夕の行事にちなみ、「文披(ふみひら)き月」が転じたとする説が有力と言われています。ただ文月は現在の7月下旬から9月上旬頃にあたるので、新暦の七夕は7月7日だから時期が合わないなと思いました。そこは、七夕も旧暦による太陰太陽暦では、今の暦のだいたい1カ月程度遅れの8月くらいに行われていたことで辻褄が合います。旧暦は月の満ち欠けにより月日が決まるので、七夕の日にちも毎年変わっていたとのこと。実際、現在も8月の方が夏空が安定し、織姫星や彦星、天の川もよく見えるそうな。益々、伝統的な日本の行事は旧暦で考える方が理にかなっていると感じます。

さて、新暦に戻って7月の七夕の頃は、二十四節気で小暑にあたり、梅雨が明けてこれから本格的な夏が始まる!という暑さに備える頃です。今年の夏も猛暑の予報が出ており、年々どれだけ暑くなるのかと恐ろしい話ですが、暑さに負けないよう用心したいと思います。と言いつつ、夏の日差しを避けるファッションアイテムの、帽子や日傘はあまり持つ習慣がなく、かさ張らず気軽に持てる「扇子」を少しずつ集めています。よく考えると、とても完成度の高いアイテム。開くと扇げて、閉じると非常にコンパクトになる機能美に加え、小さな世界に様々なデザイン性が凝縮しています。扇骨と呼ばれる骨組みの上に紙や布を貼りますが、色や柄によってイメージが全く変わるので選ぶ楽しさがあります。中国伝来の物事が多い中で、扇子は大凡1200年前の平安時代に京都で誕生したと言われており、現在でも京都で作られる京扇子は国の伝統工芸品指定を受けた確かな品質を誇ります。

私が扇子を選ぶのは、やはり京都にある扇子専門メーカーの「宮脇賣扇庵(みやわきばいせんあん)」。創業文政6年と200年近い老舗です。京都市街の中心部にありながら、古き良き京の面影を残す町家そのままの店構え。老舗ならではの風格を感じ、一見敷居が高そうにも見えますが、入ってしまえばゆったりとした雰囲気と、キリッと気持ちの良い接客で迎えていただけます。ずらりと並ぶ扇子は、自由に広げてじっくり色柄を見て選ぶことが出来ますが、種類が余りに多いので迷った時には店員の方に相談してみましょう。高価な扇子もありますが、意外とお手頃な価格の扇子も多いのです。

宮脇賣扇庵の扇子は、熟練の職人さんが一本一本仕上げていますが、一本の扇子を作るのには、何と87回も職人の手を通るとのこと。扇面の多彩なオリジナルの絵の多くは、手描きされています。中には、一番外側の太い骨にも蒔絵などの装飾がある扇子もあって、それを描く職人さんは相当限られるそうです。実用で使うのが勿体無いほど美しく、いつか手に入れたい憧れの扇子です。

ところで私の母方の祖母は、京都生まれ京都育ちの、生粋の京女でした。物や食などを選ぶ上で、京都ブランドを贔屓にしつつ、更に一品につきご贔屓ブランドがひとつ、というような強いこだわりがあったと記憶しています。気に入ったら一筋、逆に品質が落ちたら離れるという厳しさもあったかもしれません。まだまだ優柔不断なモノ選びをしている私としては、見習いたい気もします。そして、その祖母が扇子と言えば、宮脇賣扇庵をご贔屓にしていました。日本舞踊や茶道も嗜んでいたこともあり、常に着物で扇子も必需品だったようです。「久美」と名入りにしてくれた扇子は今でも大切に持っています。

普段使いには、好きで食器や文具などいろいろなアイテムを持っている「鳥獣戯画」を描いた扇子や、ちょっとモダンな幾何学模様の扇子を使っています。ピシャっと気持ちの良い閉まり具合が心地よく、暑い夏も小粋に乗り切りたいと思わせる文月の暮しの道具です。

<掲載商品>
宮脇賣扇庵
鳥獣戯画扇子/名入り別注扇子

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細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文:細萱久美

※こちらは、2017年6月29日の記事を再編集して公開しました。

歩いて行けるタイムトラベル 麻の最上と謳われた奈良晒

瀬戸内でレモンやオリーブが、青森は大間で活きのいいマグロがとれるように、暮らしの道具にもそのものをつくるのに適した気候風土の土地があり、そこに職、住、文化が集まって、日本各地に様々なものづくりの産地が形成されてきました。岡山のデニムや金沢の金箔などは有名ですね。そんな中でも身にまとう織物は古代から生活に欠かせない必需品。日本を代表する古都・奈良で、そんな土地の気候風土の中ではぐくまれた高級麻織物「奈良晒」を追いました。

ゆったりと鹿が憩う奈良公園や県庁などが隣接する奈良の市街地に、かつて一大産業として栄えた奈良晒の面影を感じられる場所があります。近鉄奈良駅から東大寺へと向かう手前に位置する名勝「依水園」。時代の異なる2つの庭園からなり、そのうちの「前園」は江戸前期、将軍御用達商人・清須美道清(きよすみどうせい)が別邸と共に作ったもの。この清須美が商ったのが、奈良晒でした。

前園
奈良晒を商った清須美による前園

後園
東大寺南大門、若草山などを借景にした贅沢な後園

奈良晒は上質な麻織物。その起源を鎌倉時代にまでさかのぼり、南都寺院の袈裟として使われていたことが記録されています。文献にその名が登場するのは、16世紀後半に清須美源四郎が晒法の改良に成功してから。清須美道清の祖父にあたる人です。17世紀前半には徳川幕府から「南都改」の朱印を受け御用品指定され、産業として栄えました。主に武士の裃、僧侶の法衣として用いられ、また、千利休がかつて「茶巾は白くて新しいものがよい」と語ったことから、茶巾としての需要もあったようです。

清々しい晒の白
清々しい晒の白

水量豊かな吉城川そばにある依水園は、実はかつて奈良晒の晒場だったところ。園内を歩くと、水車小屋や晒の工程でつかう挽臼を模した飛び石など、当時の面影を感じさせる意匠が。寛政元年の『南都布さらし乃記』には、もしかしたらこのあたりだったろうかと思われる、かつての晒場の様子を見ることができます。

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また、各地の名産・名所を描いた『日本山海名物図会』(1754年刊行)では、奈良晒の質のよさを褒めて、こう評しています。

「麻の最上は南都なり。近国よりその品数々出れども染めて色よく着て身にまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて重宝するなり」

こうした質のよさは、どこから来ているのでしょうか。奈良晒の素材は、麻。中でもコシの強い苧麻(ちょま)という種類を用いていました。この苧麻の繊維を績んで糸にし、撚りをかけたタテ糸と撚りをかけないヨコ糸で織り上げます(この織り方を平布といいます)。その工程は、糸を績むだけで1ヶ月、生地を1疋(24メートル)織るのに熟練の織り子さんでも10日はかかるという気の遠くなるような道のりです。

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この、コシの強い苧麻の繊維が「着て身にまとわず」のさらりとした肌あたりをかなえ、撚りのあるタテ糸と撚りのないヨコ糸の組合せが晒しや染めの効果を得やすく(=染めて色よく)して、「麻の最上」とまで評された奈良晒が生み出されました。

このように手間ひまのかかる織物が、17世紀後半から18世紀前半にかけての最盛期には、生産量40万疋にも達したと言われているから驚きです。当時の繁盛は井原西鶴の『世間胸算用』にも登場するほど。そんな黄金期のさなかの享保元年(1716年)、猿沢池にもほど近い元林院町に創業した中川政七商店では、今も江戸の当時と変わらぬ製法で奈良晒が作られています。創業の地に建つ直営店「中川政七商店 奈良本店」で、かつて奈良晒の工程に実際に使われていた道具などを見ることができます。

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よく見ると天井に竹竿…?

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文字が反転しています。ということは…

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趣ある糸車。

天井に掛けられている竹竿はかつて奈良晒の倹反に使われていたもの。生地にキズや汚れが無いか、幅や長さ、織りの細かさなどを見るために、この竹竿に奈良晒を掛けて検査をしていました。店内中央の大きな柱に立てかけられているのは、商品を包むものに押されていたとされる判。逆文字で「奈良曝布」と刻まれています。

最大の供給先であった武士の時代を終え産業が衰退を迎えた大正期にあって、中川政七商店は自社工場を持ち、奈良晒の復興を目指してパリ万博に麻のハンカチーフを出展します。昭和に入ると麻の茶巾を突破口に茶道具としてその需要を確保しました。そうして保たれ続けてきた奈良晒の技術と確かな品質は、今、ポーチやバッグ、洋服など日用の様々な麻生地の品の中に活かされ、お店に並んでいます。

レジカウンター奥には切り売り用の生地が並ぶ。実際に手にとって色柄を選ぶことができる。

カウンター横には、手績み手織りの麻を用いて自分の暮らしや好みに適う麻小物を1点から注文できる「おあつらえ」サービスも。

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入り口の自動ドアにはよく見ると麻の葉模様。他にも店内は麻にまつわる意匠が凝らされている。

敷地内にある布蔵では、事前に予約しておけば、実際に織りの体験を行うことも。

土地が育んだ優れた産品を、残すだけでなく今にあった形で活かす。かつての繁栄を依水園に感じ、お店で実際の麻ものに触れ、「最上」と謳われた南都の名物のあとさきに、思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

依水園
〒630-8208 奈良市水門町74
0742-25-0781
http://www.isuien.or.jp/index.html

中川政七商店 奈良本店
〒630-8221 奈良県奈良市元林院町31-1
0742-22-1322
https://www.nakagawa-masashichi.jp/shikasarukitsune

文:尾島可奈子
写真:木村正史

「たかがふきん」がグッドデザイン賞を受賞したのには、理由がありました

「残したい」から誕生したロングセラー

「よく水を吸い、風を通してすぐ乾く。蚊帳(かや)の生地でふきんをつくったらどうだろう?」

中川政七商店のロングセラー商品「花ふきん」は、そんな一つのひらめきから誕生しました。

日本の夏の風物詩、蚊帳 は、かつては地元・奈良の一大産業。しかし、時代とともに需要が減り続けていました。

「せっかくの地元の特産品をなくしたくない。何かに生かせないだろうか」

そんな思いで改めて手に取ると、糊のついていない蚊帳の生地は、とてもやわらかく手に馴染みます。もともと虫を避けて風を通すための目の粗い織りは、吸水性や速乾性に優れていました。

「毎日の暮らしで使うふきんに、ぴったりかもしれない」

こうして奈良特産の蚊帳生地を「ふきん」に再生するものづくりがはじまりました。サイズは、目の粗い生地を生かすため、一般的なふきんの4倍ほどの大判に。重ねて使えば水をよく吸い、広げて干せばすぐに乾きます。色は、毎日の台所仕事に彩りを添えられるよう、季節ごとの花の色で染め上げました。

1995年、こうして奈良特産の蚊帳生地を美しく機能的に再生した、中川政七商店の「花ふきん」が産声を上げました。

一枚のふきんを支える、たくさんの手しごと

花ふきんは、薄手ながら丈夫で、使い込むほどやわらかな風合いが楽しめるのも魅力です。一見、シンプルなつくりですが、そのものづくりは一筋縄では行きません。

例えば「織り」の工程では、糸の張り具合が少しでも緩めば目が歪み、糸を張りすぎればすぐに切れてしまいます。職人さんは糸の素材や湿度、天候、機械の癖を見ながら、片時も休まず織機の間を行き来して、糸の具合を調整してまわります。

ふきんの質感や色味を決めるのが「染め・糊付け・幅出し」の工程。生地に熱を通すため工場内の温度が40℃にも達する過酷な環境の中、高度な技術に支えられて、ふんわりとした風合いや繊細な色合いが生み出されます。最後の重要工程「縫製」は、目の粗い生地を2枚重ねて縫うため、1枚1枚人の手でミシンがけをしています。

こうしてたくさんの人の手に支えられて、「丈夫で使い込むほどやわらかな花ふきん」が完成します。

2008年、「たかがふきん」に嬉しい事件。

発売以来、人気商品となっていた花ふきんに2008年、嬉しい事件が起こります。全国から毎年3000もの応募作品があるグッドデザイン賞の中で、ベスト15 に該当する金賞(経済産業大臣賞)を、花ふきんが受賞したのです。

ロボットなど最新技術を駆使した商品が受賞作の多くを占める中、日用品であるふきんの受賞は異例のことでした。

たかがふきん、されどふきん。奈良のものづくりを残したい一心で生み出したアイテムが、今の時代に受け入れられた瞬間でした。

蚊帳生地から「かや織」へ

発売から20年以上の時を経て、「花ふきん」は中川政七商店の代名詞とも言える商品になりました。そして今、私たちは蚊帳生地の可能性をさらに広げるため、この「奈良に伝わる目の粗い薄織物」を<かや織>と名付け、新たなものづくりをはじめています。

例えば、やわらかさと吸湿性を生かしたおくるみ、夏場にさらりと羽織れるブラウスやストール、PVC加工を施すことで織り目の美しさに機能をプラスしたビニールバッグなど。<かや織>の特性を生かしたふきん以外のアイテムを開発することで、より多くの人に、この織物の魅力に出会って欲しいと思っています。

<関連商品>
花ふきん
かや織のストール
蚊帳ビニールシリーズ