襲名ってなんだろう?

こんにちは、さんち編集長の中川淳です。
編集長として記事を書くのは初めてなので、はじめましてですね。

私事ではありますが、昨年11月4日に十三代「中川政七(なかがわまさしち)」の名跡(みょうせき)を襲名しました。襲名というと歌舞伎や落語の世界を思い浮かべますが、近年工芸界でも襲名話をちらほらと耳にします。有名どころでいきますと、2014年に十五代 酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)さんが襲名されましたし(お父さまの十四代 酒井田柿右衛門さんは人間国宝)、仲間うちでも昨年遠州七窯(えんしゅうしちよう)のひとつ朝日焼で十六世 松林豊斎を松林佑典さんが襲名されました。
もしかして工芸界は今、襲名ブームなのかも!?

みなさん、襲名ってどういう意味かご存じでしょうか?
大辞林によると、「襲名とは先代の名跡を継ぐこと」とあります。また、「名跡とは跡を継ぐべき家名」ともあります。うーん、なんだかわかったようなそのままのような。
漢字を見ると、襲う?となんだか物騒な感じがしますが、ここでの「襲」は「受け継ぐ」という意味で使われています。また「襲」には「かさね」と読み「重ねて着る」という意味もあります。字の成り立ちにおいても「襲う」という意味は後に加わったようです。

歌舞伎など興行界における襲名にはプロモーション的な意味合いもあり、営業不振を打開するために襲名し、襲名披露公演を大々的に行います。そのためか襲名すべき名跡も数多くあり出世魚のように一人の方が何度もより重い名跡を襲名していくことになります。名は体を表すと言いますが、重い名跡を襲名することで意識も高まり、芸もより磨かれるのかもしれませんね。

一方で、長く続く家であっても必ずしも襲名するわけではありません。ちょうど今京都国立近代美術館で「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」という展覧会が開かれていますが、樂家は現当主で十五代ですが皆それぞれ名前が違います。また襲名をする家であっても襲名のタイミングはいろいろです。先代が亡くなったタイミングで襲名する家もあれば、先代の引退をもって襲名する家もあります。

中川家では実は先代、先々代と襲名していませんでした。なので中川政七の名跡は60年ぶり、襲名という意味では100年ぶりでした。故に襲名式のやり方も分からずいろいろな方にお知恵をいただきながら作っていきました。当日は300名近い方々に見守られながら、片山正通さん・水野学さんに後見人を務めていただき口上を述べ無事に襲名させていただきました。

実際に襲名してみて感じることは「名前」というのは大きなものだなということです。名前が変わるだけで人から持たれるイメージも自分自身の意識も変わった気がします。十代政七さんと会ったことはもちろんありませんが、十代が奈良晒の存続に尽力したことと私のやっている工芸の再生事業とは重なるところもあり、それももしかしたら偶然ではないのかもしれません。

「さんち」というメディアはまだ立ち上がって3ヶ月のよちよち歩きではありますが、時を重ね、代を重ね、漆のように強度を増していきたいなと思います。


文 : 中川淳
写真 : 井原悠一

ここにしかない一点ものを求めて、プロダクトマニアが訪れる店

新年の書きはじめ、さんちを見てくださってるみなさんに今年もたくさんいいことがありますよう、縁起ものの話から。

お正月、帰省を兼ねて訪れた地元、福岡。「あついお店がある」と友人が教えてくれたのは、“郷土玩具”の専門店でした。

器や帽子、時計など、世の中にはいろいろな専門店がありますが、まさか郷土玩具の専門店とは。これは覗かずにはいられません。新年の縁起ものを求め、福岡 今泉にある山響屋(やまびこや)さんへお邪魔しました。

※ “郷土玩具”とは、昔から日本各地で作られてきた“郷土”の文化に根ざした“玩具”。だるま、木彫りの熊、こけし等も郷土玩具のひとつ。その土地の風土・文化に密接が反映されています。

アパートの一室にお店を構える山響屋さん
アパートの一室にお店を構える山響屋さん

想像を裏切る、にぎやかな空間

「郷土玩具屋」と聞き、町の骨董品屋さんのようなイメージで訪れた山響屋さん。いい意味で、裏切られました。

福岡の郷土玩具専門店 山響屋

宝石箱をひっくり返したみたいな、にぎやかで楽しい空間。九州の郷土玩具を中心に扱っているというだけあって、色鮮やかな郷土玩具がぎっしりと並びます。(九州地方の郷土玩具は、彩度が高く、色味の強いものが多いのです)

楽しい空間にあがるばかりのテンションを抑えつつ、迎えて下さった店主の瀬川さんにお話を伺います。

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 瀬川 信太郎(せがわ しんたろう)さん
 山響屋店主 / だるま絵付師
 1984年生まれ 長崎県島原市出身
 全日本だるま研究会 会員

※ご本人は、かなり独特の九州訛りで話されますが以下訳してお伝えします

日本でも稀な“郷土玩具の専門店”

2015年の春にオープンしたという山響屋さん。最近、ようやく雑誌やネットでも特集されるようになった郷土玩具ですが、まだまだマイナーな領域であるのも事実。なぜまた郷土玩具のお店を開こうと思ったのか、始めるまでの経緯を伺いました。

全国各地から集められた酉たちが出迎えてくれました
来年、酉年ということもあって、全国各地から集められた酉たちが出迎えてくれました

山響屋をはじめる前は、大阪の雑貨屋で働いていた瀬川さん。各店のディスプレイ監修や、バイヤーをしていたそうです。

「自分のお店を出そうとは決めていたけど、特にはじめから郷土玩具に絞って考えていたわけではないです。元々、木彫りのお面とか食器とか人の手で作られたものが好きだったので、民芸品かなぁというぐらい。

独立を決めていた30歳を目前にした頃にちょうど、だるま絵師としての活動も本格的にはじめて。その流れもあって、九州の郷土玩具を扱うことにしました」

瀬川さんはなんと、だるまの絵師でもありました。趣味で描いていた絵が注目され、大阪を拠点に縁起アートを手がける「うたげや」にだるまの絵師として参画。三原のだるま市への出店や、大阪での個展を経て福岡に戻り、山響屋を開店したのだとか。

「はじめは郷土玩具のことはほとんど知りませんでした。でも、取り扱っていくうちに郷土玩具が作られた土地や人、文化の魅力にどんどん惹きつけられてハマっていきました」

絵師としての活動も続けながら、九州を中心に日本全国を周りながらバイイングをしています。

店内には絵付け中のだるまも。オリジナルだるまも作ってもらえるのだそう。
店内には絵付け中のだるまも。オリジナルだるまも作ってもらえるのだそう。

次に繋げていく、もの選びを

バイイングの基準を聞いてみると、素敵な答えが返ってきました。

「今は作っていない昔のものじゃなくて、作り続けられるものだけを扱うようにしてます。今、郷土玩具を作ってくれている方たちが、今後も“仕事”として続けていけるように、次に繋げていくことが俺の役割だと思っているので」

「博多男だるま」と「博多女だるま」の張子(はりこ)。勇ましい顔立ちの男だるまも、ほっぺのチークに ほっこりです。
〈 博多男だるま 〉と〈 博多女だるま 〉の張子(はりこ)。勇ましい顔立ちの男だるまも、ほっぺのチークにほっこり
新しく作りはじめられた創作だるま。覗き込んでいる表情がかわいいです。/福岡県・弥稚子
新しく作りはじめられた創作だるま。覗き込んでいる表情がかわいいです / 福岡県・弥稚子

廃盤の中から目利きが選ぶ、次のヒット商品

駆り立てられる物欲に困るほど、扱ってる商品はとにかくかわいい。また「こんなものあったんだ!」という珍しいものが多く目につきます。

他では見ない郷土玩具、どうやって集めているのか?と聞くと「とにかく現場に行って、作り手と話してる」と教えてくれました。

「作り手と話しながら、作られてるものを見せてもらいます。すぐには出てこないんですけど、話し込んでると片隅の方にね、面白いものが埃を被ってひっそりと佇んでいるんですよ。

それ欲しいって言うとだいたい、『もう、型がどこにある分からない』とか言われるんですけど、そういうものこそ“その土地の匂い”がしてすごく良かったりするんです」

色使いが素敵な土人形。縁起もの × 縁起ものという贅沢な組み合わせの〈 福助乗り招き猫 〉と〈 福助乗り達磨〉/福島県会津若松
色使いが素敵な土人形。縁起もの × 縁起ものという贅沢な組み合わせの〈 福助乗り招き猫 〉と〈 福助乗り達磨〉/福島県会津若松
眉とほっぺのガジガジは、麻の生地でできてるという〈 松本だるま 〉/長野県松本
眉とほっぺのガジガジは、麻の生地でできてるという〈 松本だるま 〉/長野県松本

古いカタログに載っている廃番商品を、もう一度作ってもらうようお願いすることもしばしば。最初は断られることも多いそうですが、何度も通って再生産をお願いするのだとか。

「世の中に見向きされていないものを見つけて、紹介するのが楽しいんです」

最近も、長年作られてなかった津屋崎人形の〈 ごん太 〉をようやく作ってもらえたのだそう。「今では扱う店舗も増えて、いつの間にか人気ものです。『生産が間に合わん』って、手に入れるのが大変になりました」と、笑います。

オリジナルのものも作ってもらうこともあるのか尋ねてみると「それはしてない」との答えが。

「わざわざ新しいもの作らなくても、いいものは絶対にある。作り手が作れるものの中から、新しく主力商品になりそうなものを探し出すのが、大事なことだと思うんです」と話します。

その為、工房に足を運び、何があるかどんな商品を作ってるのかをひとつひとつ見るのだそう。バイヤーとして、これまで国内外でたくさんのプロダクトを見てきたという瀬川さん。いいものを探し出す審美眼が鍛えられているのを感じます。

子どもと楽しく遊んでいる姿だという「ナンメンキャンキャン」/長崎県長崎市
子どもと楽しく遊んでいる姿だという〈 ナンメンキャンキャン 〉/長崎県長崎市

長い時間をかけて、研ぎ澄まされてきたもの

郷土玩具ってこんなに人気があったのかと驚くほど、取材中も入れ替わり立ち替わりでお客さんがやってきます。いつもどんな方が買っていかれるのか聞くと、デザインやものづくりに関わる方が多いとか。

「郷土玩具って、高級工芸や美術品じゃなくってあくまで“おもちゃ”だから、何の制約もなく自由に変わってもいい、しなやかさを持ってます。だから、デザインも、どんどん磨かれて洗練されてきてるんです。

何代にも渡って支持されて残ってきたものはやっぱり、パッとでてきたプロダクツには負けんかっこよさがあります。何でこういう色か形か、ひとつひとつに文化があるし、すごく根が深い。

うちのお客さんは、感覚的にでもそういう背景や造形の奥深さに惹かれてるんじゃないかな。何というか、独自のセンスを持ってる人が多いように思います」

流行りや人気など、外から借りてきたような価値観じゃないものを軸に物選びをする人たちが、自分が好きなものを探してここにやってくるのかなと感じました。

「逆立ち猿」/広島県宮島
ユニークな絵付けの〈 逆立ち猿 〉は、頭が動きます /広島県宮島

郷土玩具店の、これから

これからどんなことをしていきたいか、郷土玩具店のこれからを尋ねました。

「今は、廃絶してしまった福岡の郷土玩具を復活させるプロジェクトを進めています。どうしても無くしたくないんだけど、一人しかいなかった作り手の方が辞めちゃったので、それなら自分たちで復活させようと。

地元のメーカーさんと作り手の息子さん、町の行政の方に協力してもらって制作を進めているところです」

今年の春に発売予定のその郷土玩具は元々、地域の祭礼で売られていた町のシンボルのような存在だったのだそう。この再生プロジェクトは、ものの復刻という域を超えて地域復興へも繋がっているのかもしれません。

「ひとりの力は限られてるけど、ひとりが動けばどうにかなることは意外と多いです。郷土玩具の世界は特にそんなに大きいものでもないし。そしてやっぱり地元にいる人が、思いを持って動くべきだと思います」

九州の郷土玩具は、瀬川さんがいる限り安泰な気すらしてきます。

買い物バックに、お正月用のイラストを描いてくださいました。
買い物バックに、お正月用のイラストを描いてくださいました

「あとは将来、本を出したいです。郷土玩具からその土地の観光地や行事を紹介するような本。今あるガイドブックに紹介されてる有名なところの他にも、九州には魅力的なところがいっぱいあるし、そういう場所もみんなに知ってほしい。

郷土玩具の背景には、それが使われている祭りや神事や、売られている朝市があったりして深いですし、ものの周りを知ることでそのもの単体だけじゃなくって、その土地自体に愛着が湧くと思うんです」

お店のセレクトを見ても分かるように、それはきっとまだみんなの知らない情報が掲載されたおもしろい本となるに違いありません。

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取材中、ひっきりなしに来られる山響屋さんのお客さんがみなさん、郷土玩具を持ってとても幸せそうに帰っていかれるのが印象的でした。縁起ものを届ける仕事っていいですね。

福岡のアパートの一室にある小さな郷土玩具店は、お客さんにも作り手にも、そして郷土玩具の未来にも、大きな縁起をもたらすとっても素敵なお店でした。

山響屋

福岡市中央区今泉2丁目1-55やまさコーポ101
092-751-7050
http://yamabikoya.info


文・写真 : 西木戸 弓佳

愛しの純喫茶 〜堺編〜 喫茶ラック

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもく。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。第2回目は住宅街にひっそりと佇む、堺の喫茶ラックです。

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阪堺線の高須神社駅から歩いてすぐの住宅地。朝8時、完全にローカルな大阪南部の独特の雰囲気の中、営業しているのか不安になるほどうっすらと書かれた「ラック」の文字。ドアの小さな窓からは中の様子は見えないけれど、「営業中」と書かれた札を頼りに「えい」とドアを開ける。中にはいかにもご近所さんといったリラックスした雰囲気の2人連れと、間違いなく常連であろう年配の女性が店主のおかあさんとひっきりなしにおしゃべりをしていました。店主も彼女も朝からとっても元気。その方の食べ残している玉子トーストがおいしそうで、チラチラと横目で見ながら隣のテーブル席へ。

店内はカウンターを含めて10席あまり。
店内はカウンターを含めて10席あまり。

玉子トーストも気になったけれど、いちばんの人気メニューだという玉子サンドも見てみたくって、玉子サンドとホットコーヒーをオーダーしました。コーヒーはサイフォンで淹れているようで、ちょっと時間がかかりそう。ワクワクしながらお腹を空かせて待っていると、予想通り、隣の常連さんが話しかけてくれました。

「旅行中?どこから来たん?」
「東京からです。昨日から堺に泊まってます」
「はあ〜、ひとりで旅行?えらいねぇ。このあたりは古い建物やなんやも残っとっておもろいやろ。あっちのあたりにこんなんがあってな…」

一言返せば5倍の言葉が返ってくる。さすが大阪…!

「ここの玉子サンドはほんまにおいしいねんで。食べきれんかったら包んでくれるから遠慮なく言い」

そう、大阪のおばちゃんはみんなとってもやさしいのです。

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ここで待ちに待ったコーヒーと玉子サンドの登場です。ふたり分かと戸惑うほどのボリュームで、湯気があがるほどホカホカ、見ただけでわかるほどフワフワ。はやる気持ちを抑えてまずはコーヒーを一口。次に息をふうふう吹きかけながら玉子サンドを食べると、バターとマヨネーズだけのシンプルでやさしい味が口に広がりました。身体の中からあたたまるのがわかります。

44年ほどこの場所でひとりで切り盛りされているというお店。ホカホカの玉子サンドを食べていると次々に常連さんが現れ、店内はますます賑やかになります。「いつものちょうだい」がこんなに似合う店があるなんて、というほど店主と常連さんの呼吸が合っていて、なんだか少しうらやましい気持ちになりました。

なんとも味のある看板です。
なんとも味のある看板です。

喫茶ラック
大阪府堺市堺区北旅籠町東2-1
072-229-7583

文・写真:井上麻那巳

厳島神社から新年へ羽ばたく干支の張り子

こんにちは、さんち編集部の庄司賢吾です。
もう2つ寝るといよいよお正月、酉年の幕開けですね。酉は古くから伊勢神宮の神の使いとされていて、また「とりこむ」という意味合いで、たくさんの幸運や福をとりこむという縁起の良い干支でもあるそうです。
そんな酉年に向けて、皆さんもう新年への準備は万端でしょうか。
私事ですが、毎年お正月に家で飾るための「干支の張り子」を集めています。あの独特な質感とカラフルな色合いが可愛く、新年を華やかに彩ってくれるので、気づけば毎年買ってしまっています。来年のために下調べをしていると、酉の張り子を数多くつくっている、とても気になる産地を見つけました。
その名も「宮島張り子」。その可愛らしさに一目惚れし、厳島神社のほど近くの1つの工房だけでつくられているというその張り子を求めて、広島県は宮島を訪ねました。

鳥と暮らす島、宮島

宮島口からフェリーに乗り、肌をなでる海風に吹かれながら揺られること15分。途中気持ちよさそうに飛んでいる鳥たちとすれ違いながら、平日にも関わらず観光客で賑わう宮島に到着しました。世界遺産に登録されて以来外国人観光客も増え、島の風景もがらりと変わったということ。商店街に並ぶもみじ饅頭や牡蠣の串焼きの香りに後ろ髪を引かれながら、逸る気持ちを抑えつつ宮島張り子の工房に急ぎます。
「はるばる宮島まで良く来たねぇ」
晴れやかな宮島の気候のように温かく迎えてくれた田中司郎さんは、この工房で40年間宮島張り子をつくり続けています。

干支の張り子の絵付けでお忙しいのに快く迎えてくださった田中さん。
干支の張り子の絵付けでお忙しいのに快く迎えてくださった田中さん。

元々宮島は「神の島」として、神職や僧侶ですら島に渡るのは祭祀の時のみで、人が住み始めたのは鎌倉末期頃になるそうです。江戸時代には収穫を祝い子孫繁栄を祈る「亥の子(いのこ)祭り」が行われていて、そこで使う飾り面としてすでに張り子がつくられていたと伝えられています。
「ここの張り子全体の6割以上が鳥でね。それで1ヶ月に鳥だけで300個ほど出ますね。今年は特に来年の干支が酉なので、干支分だけで1000個も注文が来てます」
その言葉通り、工房の中には鳥の張り子がずらりと飾られています。その丸みを帯びたフォルムやカラフルな色使いに心躍ってしまいます。

個性溢れる張り子たち、あなたはどの張り子がお好きですか?
個性溢れる張り子たち、あなたはどの張り子がお好きですか?

そもそもなぜ鳥のモチーフが多いのでしょうか?
「瀬戸内は元々温暖で、鳥が多く住んでるんです。ヤマガラ、ツクシガモ、ウグイス、オオルリ…。その子らをモチーフにしてつくっているうちに、宮島張り子=鳥っていうイメージが定着したんだと思います」
宮島は鳥が住む島として有数の島で、周囲30kmの小さな島の中で山地から水辺、市街地に住む鳥の種類の多くが見られることは、全国的に見ても稀だそう。それは宮島に、人の手が入っていない原始林があり、豊かな水に恵まれ、鳥の住み易い環境が整っているからに他なりません。古くから宮島では人と鳥との生活が近く、そのために特産品のモチーフとしても鳥が多く見られるということです。

40年以上前に一番最初につくったという鶏(にわとり)。
40年以上前に一番最初につくったという鶏(にわとり)。

「それに、鳥ってカラフルで可愛くデザインできるから、やっぱり売れるんだよね。だから鳥ばっかりつくってる」と言って、田中さんは朗らかに笑っていました。商いとして成立したのは始めて10年になってからやっとということで、宮島張り子を守り続けるためにも売れるデザインを今でも試行錯誤して模索しているということです。

「一番人気はフクロウ。『不苦労』ということで縁起物として根強い人気があって、フクロウだけで10種類も出してます」
宮島にはアオバズクというフクロウが住んでいて、緑色に山が染まる5月頃に丘と丘とで「ホッホウ、ホッホウ」と鳴きっこしている様子が見られるようです。デザインも可愛く縁起物となれば、フクロウの人気が出るのも当然ですね。

実際に宮島に住んでいるというアオバズクもカラフルに。
実際に宮島に住んでいるというアオバズクもカラフルに。

とある有名な観光ガイドブックで紹介されて以来、宮島のお土産としてもフクロウ張り子は人気者になっています。どこかで見たことがあると思ったら、広島旅行の際に見たガイドブックにその可愛いデザインを見つけたことを思い出しました。

この色合いのフクロウ、旅行ガイドブックで見たことありませんか?
この色合いのフクロウ、旅行ガイドブックで見たことありませんか?

一味違う、宮島張り子

普通の張り子は木型に紙を貼り重ねながら形をつくるところを、宮島張り子は土人形と同じつくり方をします。つまり、型の外側ではなく、内側に紙を貼ってつくる手法です。まずは片方ずつ石膏(せっこう)型をつくって内側に和紙やクラフト紙を貼りつけ、パーライトという軽い素材も混ぜながら固めていきます。逆側の型でも同じことを繰り返し、最後に1つに合わせることで完成です。
木型は外側に向けて紙を貼ってつくっていくために細かい部分の表現が出にくいのに対して、表面の紙を残して内側につくっていく宮島張り子は、線でもでこぼこでも細部の形状を残し易いのが特徴です。また、型の外側に貼るなら和紙が良いとのことですが、内側に貼る際には濡れてもパリッとした感じが残るクラフト紙の方がズレずに貼り易く適しているそうで、独特な質感はその違いからも生まれているようです。

土人形と同じ手法でつくられるという宮島張り子。
土人形と同じ手法でつくられるという宮島張り子。

「ちょうど酉の絵付けの追い込みをしてるところなんです」ということで、その様子を見させていただきました。

絵付けの順番を今か今かと並んで待ちます。
絵付けの順番を今か今かと並んで待ちます。

デザインのアイディアは画用紙にまとめられていて、この絵だけでも鮮やかで可愛く家に飾りたいほど。紙に色を落とし込みながら色の配置をイメージし、それを石膏型でつくられた張り子の真っ白いキャンバスに描き移していきます。

独特の味があるイラストスケッチ。色の配色の大枠を決めます。
独特の味があるイラストスケッチ。色の配色の大枠を決めます。

「まぁ紙に描いても結局は張り子に描くときに直感で色の配置は変えていくんですけどね」と、閃きを大切にする田中さん。デザインを考えている時間が一番楽しく、そして一番苦労するところだということです。美大出身のセンスを感じましたが、バリバリの経済学部ということでした。

絵付けはポスターカラーとネオンカラーを使います。効率的に仕事をするために、張り子を1つずつ塗っていくのではなく、たくさんの張り子を並べて同じ色で塗る部分を一気にまとめて塗っていき、それを繰り返していきます。思い切りよく、しかし繊細な筆使いで、白い張り子に表情を付け足していきます。

これだけの量の張り子を一度に絵付けをしていきます。
これだけの量の張り子を一度に絵付けをしていきます。
全ての張り子の同じ色を一息で塗っていきます。
全ての張り子の同じ色を一息で塗っていきます。

筆だけで描いていると単調になるのが嫌だということで、丸い模様は筆の木の部分を削って塗ることもあるそうで、「いびつさ」を出すことを考えているということです。
「それぞれ表情が違って、ちょっと間の抜けた顔をしていた方がおもしろいでしょ?」と、絵付けに没頭しながら話してくれる田中さん。
全てを同じように塗るのではなく、少しずつ意識的に塗る位置を変えることで個性を出していきます。最後に目を塗ることで命を宿し、酉の張り子は外の世界に羽ばたいていきます。

今年の干支の張り子はポップでカラフル。全国で待っている人の元へと飛び立ちます。
今年の干支の張り子はポップでカラフル。全国で待っている人の元へと飛び立ちます。

「酉年だから注文がいつもより多くて、仕事納めが年をまたいじゃうな」と、どこか嬉しそうに筆を走らせます。
その愛らしさに魅了されて1つ買いたいと申し出ると、注文数しかつくっていないということで買うことができませんでした、残念。
こんなに可愛くてつくり手の想いの詰まった張り子と共に迎える新年は、きっと幸せなものになるはず。一目惚れした干支の酉張り子は、鳥と人が共に生きる宮島で、年の瀬の今日も1人の職人の手で絵付けの追い込みがせっせとされています。

文・写真:庄司賢吾

三十の手習い「茶道編」二、いい加減が良い加減。

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇茶壺に追われる茶人の正月

11月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎さんによる茶道教室2回目。前回のお稽古では「錦秋紅葉の11月」と教わったところ。大塚呉服店森村さんのご厚意で紅葉柄の帯を締めて今日のお稽古に臨みます。

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「11月は茶人の正月といってお茶の世界にはとても大事な季節です。炉を開けて冬の、囲炉裏の設えにする『炉開(ろびらき)』と、八十八夜の頃に摘んで半年ほど熟成させた新茶を、茶壺の封印を切っていただく『口切(くちきり)』という行事が行われます。炉開と茶壺の封印を切る口切とは元々別なのですが、一緒になっています。そこに、茶壺が置いてありますね」

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「『ずいずいずっころばし』という童歌があるでしょう。あれは宇治で取れた新茶を信楽焼の茶壺に詰め直して、新緑の間に久能山の氷室に運んで半年熟成させて霜月の声を聞くようになってから、行列を組んで江戸に下ったという話なんです。
行列に道を開ける庶民は、籠の中にいるのが本当に偉いお大名だったら大人しくしています。けれど茶壺一つにさえ平伏させられるのはごめんだからとみんな家に逃げて、戸をピシャッと閉めるのが、『茶壺に追われてとっ(戸)ぴんしゃん』と歌われているのですよ」

へぇ〜、と感嘆の声が室内に広がります。子供の頃に遊んでいた歌が、お茶と繋がっていたなんて。

「炉開の時にいただくお菓子に、亥の子餅(いのこもち)があります。お玄猪(げんちょ)って聞いたことはありますか?お玄猪の節句と言って猪にちなんだ祝儀事です。稲作農耕の日本では、お米が取れることはとても大事なことで、11月の亥の日に、初めてできたお米で小さな碁石大のお餅を作って、それをみんなにふるまうんです。猪って子沢山で生まれた子供が死なないところから、家の繁栄に繋がるといってお玄猪の節句が生まれています。それが炉開と日が近いので、行事が混ざっているんですね。特に猪は愛宕さん、火の神様の使いやというので、囲炉裏を開けたおり、火伏せの願いも込めて、亥の子餅を喜んでご祝儀にいただくようになりました。

織部の器に入った亥の子餅。炉開には織部・因部(いんべ=備前焼)・瓢(ふくべ=ひょうたん)の「三部(さんべ)」を取り合わせるそう。
織部の器に入った亥の子餅。炉開には織部・因部(いんべ=備前焼)・瓢(ふくべ=ひょうたん)の「三部(さんべ)」を取り合わせるそう。

このようにお茶の文化というのは、年中行事と深い縁があるものです。中国から来た行事もあれば、日本にもともとあったものもあって、適当にリミックスしてある。いいかげんが良い加減。厳密にやることではなく、うまく取り込んで、もてなしの中にヒントとして入れていくというのが楽しみ方です。さあ、では一つ目のお菓子、亥の子餅をどうぞ召し上がれ。せっかくだからお菓子を出すところも実践してみましょう」

なんと突然のご指名で、お菓子を運ぶ役目を拝命。宗慎さんに都度都度ガイドいただきながら、ようようお客さんの前に菓器を運んで、お辞儀をします。

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ふわ、と頭を上げたところで、宗慎さんの指導が。

「お客さんよりホスト側が頭を上げるのが早い。はい、もう一回」

もう一度、相手の気配に集中しながらほんのすこしだけ、ゆっくり頭を上げる。今度はなんとかうまくいきました。しかしまだまだぎこちない。

◇お箸の持ち方にも、ひと手間の贅沢

お稽古は加速していきます。続いてお菓子の取り回し方にも理想の姿があることを、実際にやりながら教わります。

「お箸の持ち方一つでも、ひと手間の贅沢をすることです。左手を器に添えながら、右手でお箸を上から持つ。今度は左手で下から受けるように持ちながら、右手で持ち変える。1回でできることは、2回かけてやるのです。人前で食事をするときには、ひと手間を加えることが動作をキレイに見せるコツです。これで1日3回は、所作を美しく見せる練習ができるんですよ」

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これは何も、美しく見せるためだけではないようです。着物も、畳ですら、何かあってもたいていは復元することができる。けれど、器は元には戻せない。お菓子を取るときにまず器に手を添えるのは、器を何より大事にする、その気構えがあってのことですよ、と教わりました。道具や人に巡らせる気持ちがあってこそ、美しい所作は生まれるのですね。

「お菓子をとったら、懐紙の端でお箸を拭きます。懐紙は分厚いまま、わさ(折山)を膝に向けて置いておく。懐紙の端を1枚取って、お箸の端をちょっと拭きます。これはしっかり拭かなくても良いのです。『できるならキレイにして差し上げたいと思っています』という気持ちの現れです」

ここにも、相手に思いを致す、そんなお茶の精神がさりげなく息づいていました。

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お辞儀をする、お菓子をいただく、簡単なようで、何も考えずには美しくおさまらない。数々の所作を積み重ねていただく亥の子餅は、しっかり甘く、気を張っている体にじんわり染み渡ります。そこに宗慎さんが炉開の解説を続けてくださいました。

「本当はお茶の正月なので、正式にはお雑煮を出すのです。さらに、茶壺を届けに来るお茶屋さんが届けてくれる季節の干し柿と栗を使って、そのお菓子をお茶席でお出しするというのが元々のルールでした。でもそこまでやっていると大層だからどうしたかというと、全部一緒くたに混ぜ合わせたニュアンスで、おぜんざいにしたのですね。蓋つきで温かい、さらにお餅が入っているというのが、日本人にとってはごちそうなんです。お茶のお稽古場で炉開の時によくお出しするのはおぜんざいか、亥の子餅です。

かたくならない程度に、しきたりを生活やもてなしの中に取り込む。お茶の世界はそういうヒントに満ちています。今月はそういうお取り合わせというもの、お茶では年中行事を組みあわあせて色々なことをするんだということをお伝えしたいと思います。この時期だけのお茶菓子もありますから、後で召し上がっていただけたらなと思います」

今日のテーマと次なるお菓子への期待を胸に刻んだところで、次は前回習った「礼」をさらに深く学ぶお稽古。先ほどうまくいかなかったお辞儀への残念もあり、気合が入ります。

◇真・行・草はフォーマル・ユージュアル・カジュアル

「お辞儀には3つの型があります。一番深々と頭をさげるのが真、会釈をする程度が草、草に少し丁重さが加わるのが行です。真・行・草。順にフォーマル・ユージュアル・カジュアルです。面白いのは、真が生まれた後は、行じゃなく草が生まれるんですね。御殿に住む天下人がわざと侘び数寄の草庵を作ったように、ハイエンドが生まれると、カジュアルが出てきます。
行は少し体が起きて、揃えた手が畳にしっかり付いていて、手のひらは浮いた格好です。横の人とおしゃべりができるのが行。目の前に食器があったりして、ちゃんとお辞儀はしたいのだけど諸般の事情で浅くなっています、というのが草です。指先をそっと置く程度。相手が深々としている時にこちらが草で受ける時もあります。いずれにしても心根が軽いわけではないのです」

さぁ、実践の時間です。

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「どの型であっても、相手を大事にするということが大事です。相手が頭を下げている間は、ちゃんと自分も下げておこうということです。髪の毛一本と言うんですけど、客商売の場合は、目上目下が、必ずあります。キレイ事でなく、立場の違いはあるわけです。それを健全に意識して、髪の毛一本頭を上げるのを遅らせる。ほんのちょっと遅れる気配を出すわけです」

先ほどのやり直しが思い出されます。髪の毛一本。うまくいった2回目の時には、自分の動きどうこうよりも、相手の動きに集中していた気がします。

「この3つはお辞儀に限りませんよ。筆文字だと、楷書、行書、草書。道具選びもそうです。物事をやるときに、この3つの型は有効です。服のおしゃれ、着物の取り合わせ、なんでも言える事ではないかなと思います。自分が何かを行動するときに、物事の格を考えるということです。
挨拶は全ての基本です。キレイにお辞儀をすることで、その場の空気が変わります。空気を変えられたら、あとは自由自在ですから。そこから真に振るのか、草に砕けさせるのか。そういう融通の加減を、自分の中で支配する。自分でちゃんと構えを変えられるようになりましょう、ということです」

◇生け花に込める一期一会

「これは吹寄(ふきよせ)。年間通して最もフォトジェニックなお菓子です。農具に見立てた器に入れています。これが実物の道具をそのまま持ってきては、キレイにならないんですね。普段のお仕事もそうなんでしょうけれど、そのままで安住せずに、物事のボジティブなところを抜き出して、人に楽しんでもらえるところまでどう持っていくのかが編集です」

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お菓子の運び方、取り回し方、お茶を点てる実践もかわるがわる行って、この時期の特別なお菓子「吹寄」をいただいたら、いよいよお稽古も終盤。代表で一人、花を活けることになりました。今日はとにかく実践あるのみ、です。

「誰かが花を活けているのを見るでしょう、そうすると今度から、花を見るようになるんです」

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花を活ける際の宗慎さんからのオーダーは一つ。「自分に向けて正面から活ける」ということでした。

「正面があるというのが和花の特徴です。西洋の街ってどの門から入っても、教会のある真ん中の広場に行き着きますね。洋花は360度どこから見ても同じように美しく見せます。対して和花は、山道を辿っていくような見方をしないといけません。それは違う姿で美しく見えるということ。横や後ろから見ても美しいけれど、それは正面であり横であり後ろだということです」

お花を活け終えると、仕上げに少しの水を吹きかけます。

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「花は花を見るのではなくて、最後に打ってある露を見るんです。朝露のおりた清々しいものを活けていますよというメッセージです。それが、お茶会が終わって帰るころには乾いている。一期一会の象徴でもあります。

ーでは、今宵はこれくらいにいたしましょう」

お辞儀の真・行・草も、お箸の取り方も、生け花の露も。言葉の外でホストとゲストの間を行き来する一つのメッセージの形。今日も目に見えるものの意味が一段と濃くなって、お茶室を後にしました。

◇本日のおさらい

一、年中行事や古いしきたりを、良い加減で暮らしやおもてなしのヒントに活かす

一、お辞儀の3つの型を使い分けるように、物事にあたる時は、その格を意識する

一、ひと手間の贅沢が、美しい所作への近道


文:尾島可奈子
写真:井上麻那巳

いのち滴る、漆の赤

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
きっぱりとした晒の白や漆塗りの深い赤のように、日用の道具の中には、その素材、製法だからこそ表せる美しい色があります。その色はどうやって生み出されるのか?なぜその色なのか?色から見えてくる物語を読み解きます。

いのち滴る、漆の赤

万葉集に、こんな歌があります。

旅にして 物恋(ものこほ)しきに山下の

赤(あけ)のそほ船 沖へ漕こぐ見ゆ

”旅に出てやたらに家が恋しい時、山すその方にいた朱塗りの舟が
沖に向かって漕ぎ出していくのが見えて、いっそう寂しくなってくる”

高市黒人(たけちのくろひと)

朱塗りを指す、「赤」。

初回「はじまりの色、晒の白」で、古代日本語に登場する色はたったの4色だったらしいとのお話を書きました。その1つ、アカは明けの色。ヨーロッパ系の言語では赤(red)は血を語源に持つそうですが、日本では太陽が昇り、空が明けていく自然の移ろいと結びついていたようです。

太陽のイメージは「赤」という字の成り立ちにも結びつきます。赤という漢字は「大」と「火」を組み合わせたもの。白川静の『字通』には、「大は人の正面形。これに火を加えるのは禍殃(かおう)を祓うための修祓の方法であり」とあり、災いから身を守る、魔除けの意味が示されます。

「朱・紅・緋」も「赤」と同じく「明(アカ)」が語源。明るいパワーの源のような色は、日本では紅白やお赤飯のようにお祝い事に欠かせない色ですし、アメリカ大統領選などでも政治家がここ一番の演説の際に赤いネクタイをしめるエピソードは有名ですね。

この赤が美しく映える日用の道具といえば、朱塗りのお椀。お正月にはお雑煮椀としても食卓に華を添える「漆の赤」は、実は黒から始まります。素黒目漆(すぐろめうるし)といって、ウルシの木を傷つけて得た樹液(生漆・きうるし)をかく拌させ、温度を与えて水分を蒸発させることで得られる素黒目漆は、黒に近いあめ色。ここに顔料を加えて、様々に発色させるのです。漆独特の光沢はここから下塗り、上塗りと幾度もの塗りの工程を重ねることで、極められます。

古より人々は漆を、暮らしの様々な道具の補強や装飾に使ってきました。漆の塗膜は熱に強く、耐水性に優れて丈夫で、何より美しい光沢を放ちます。スタジオジブリの映画作品「かぐや姫の物語」( 2014)では漆職人の一家と思われるかぐや姫の幼馴染が出てきますが、原作の竹取物語にも「うるはしき屋を造り給ひて、漆を塗り、蒔絵(まきえ)して」との表現があり、家屋に漆を塗って飾り立てるシーンが描かれています。

今、日本で使われている漆の98%は輸入漆となっていますが、わずかに残る国産漆のうちの6割を生産する漆の産地、岩手県浄法寺の漆器に、古来の日本の「漆の赤」を見ることができます。

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黒の下地がじんわりと透ける赤は、けばけばしくなく、力強く、思わずなぞりたくなるような光沢を湛えます。太陽には手が届かないけれど、これならば。人の命を支える食卓に、漆の赤はよく似合います。

<取材協力>
滴生舎


文:尾島可奈子
写真:眞崎智恵