京都・茶筒の開化堂の140年続く茶筒づくりに迫る

京都市下京区に「茶筒の開化堂」を訪ねて

「開化堂」の茶筒をご存知でしょうか。

蓋を茶筒の口にそっと合わせれば、すーっとなめらかに落ちて蓋がおのずとぴったり閉まる。細密な職人仕事に思わずため息が出る、佇まいの美しい茶筒。

手づくりならではつくりの良さや、使い込むほどに変わる色の変化も楽しみのひとつで、長く一生ものとして使える茶筒は、日本だけでなく海外でも人気です。

京都市下京区河原町、鴨川が流れるほど近くの茶筒司、「開化堂」を訪ねました。

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140年の年月を越えて続く茶筒づくりの現場へ

明治8年に創業した「開化堂」。イギリスから仕入れたブリキの板を、それまで日本になかった丸缶にしようとしたのは初代でした。以来140余年もの間、その技で茶筒を作り続けているのだといいます。

茶筒づくりは、まず素材を切るところから。ブリキ、銅、真鍮などの板を大きな押し切りでカットします。ここでほんの少しでもずれると茶筒の上下がうまく合わなくなってしまうという、大切な作業。

ちょっとしたクセも響いてしまうので、いつもひとりの職人さんが担当するのだそう。

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蓋の高さや胴の高さが台に印されているものの、少しのズレも許されない。
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大切なブリキの型。昔から、「火事になったらこれだけでも持って逃げろ」と言われていたそう。

断面の表と裏の微妙な歪みをとったり、丸めた時の合わせ目に段差ができないように板の端を木槌で叩いて薄くしたりと、板の段階でていねいな準備が必要。丸めた時に重なるのりしろに筋を入れるのも、かなりの精密さが求められます。

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うっすら入ったのりしろの線が見えるでしょうか。

裁断した材料を1枚1枚、「三枚ロール」という道具で真円になるように丸め、「ハッソウ」と呼ばれるクリップのようなものでのりしろを止めてはさみます。

この「ハッソウ」は昔から開化堂で手づくりされているもので、ピアノ線を曲げてつくっているそう。なんと常に3000個もあるんですって!

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真円に丸めた筒を「ハッソウ」ではさむ。
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これが「ハッソウ」。1年使うとバネの力が弱るので消耗品。

130以上の工程の集大成として生まれる「開化堂」の美しい缶

底入れ・ハンダづけの作業は、2人で向かい合って。下から火で温めているので、向かいの人に丁度良いタイミングで筒を置いてもらわなければ温度の管理が難しいといいます。

「昔、親父と母親がふたりでこの作業をしてたんですが、夫婦ゲンカしたら微妙に母親がタイミングをずらしていたんですよ(笑)」

とおっしゃるのは6代目の八木隆裕さん。昔は家族だけの工房でしたが、今は若い職人さんがたくさん増えて賑やかです。

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隆裕さんも毎日工房に入り、いろいろな作業を担当します。
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今はガス火だけれど、おじいさんの頃は炭火。毎朝おばあさんが火をおこす係だったそう。
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ハンダづけに使うコテも年季が入っています。
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胴に合わせる相方を決めて、調子を合わせていきます。
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わずかな調整は隆裕さんが経験で覚えてきた技術です。

磨きの作業でようやく終盤。との粉と菜種油をつけて、磨きすぎず絶妙なタイミングを見極めて磨き上げるといいます。細かな作業工程は、130工程以上。全ての作業に細密さが求められ、その集大成として「開化堂」の美しい缶が生まれます。

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磨き作業。昔は足踏みで回転させる装置を使っていたそう。

手しごとを堺の街から。関西を代表するクラフトフェア「灯しびとの集い」

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
全国各地で行われるいろいろなイベントに実際に足を運び、その魅力をお伝えする「イベントレポート」。今回は、大阪府堺市で、11月12日 (土)・13日 (日) の2日間にわたり開催された「灯しびとの集い」に行ってきました。

気持ちの良い秋晴れの中、会場内にはたくさんの人が。
気持ちの良い秋晴れの中、会場内にはたくさんの人が。

関西を代表するクラフトフェア「灯しびとの集い」

「灯しびとの集い」は2009年からスタートしたクラフトフェア。今年で8回目を迎えました。出展するつくり手の質と運営スタッフの意識の高さから評判となり、関西をはじめ全国からたくさんのクラフトファンが訪れるイベントとなりました。会場は大阪府堺市の大仙公園。刃物の産地として知られる堺は、歴史的に見ても、日本の工芸を育てた「茶の湯」に縁が深い街。その堺に、日本全国のつくり手と使い手が集まってきます。

会場の大仙公園はちょうど紅葉を迎えていました。
会場の大仙公園はちょうど紅葉を迎えていました。

様々なプロの視点で選ばれる出展作家たち

500組あまりの応募がある中、実際に出展できるのは100組。約5倍の倍率の中、毎年異なる選考委員がその年の出展者を選びます。今年の選考員は小林和人さん(Roundabout/OUTBOUND店主)、塚本カナエさん(商品開発ディレクター)、堀あづささん(dieci店主)、正木なおさん(ギャラリスト)、柳原照弘さん(デザイナー)、辻野剛さん(fresco /灯しびとの集い実行委員会会長)の6名でした。「ものに対する立場の違いから、それぞれで全く目線が違って面白い」と自身も作家でありながら実行委員長を務める八田亨さんは語ります。必要事項と小さなコメント欄、決まったレイアウトによるたった3枚の写真で選考は行われ、出展作家のジャンルは陶磁、ガラス、木工、金属、染織など多岐にわたります。やはり圧倒的に多いのは陶磁ですが、革や布といった素材を扱う作家さんも多くいました。

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ここで、個人的に気になった作家さんを写真でご紹介。 1組目は岐阜県の林志保さんです。作品シリーズによって異なる特徴的なマテリアルが印象的。

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2組目は埼玉県の鳥居明生さん。これまで様々な陶磁器の器をつくられてきたけれど、数年前より「かたまりをつくりたい」と思い現在のスタイルになったそう。ペーパーウェイトのようでもあり用途が無いオブジェのようでもある「かたまり」たちは、ユニークな世界観をつくっていました。

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3組目は大阪府のefusaさん。2016年に活動を始めたばかりだそうですが、張子の技法でつくられる紙のプロダクトは独特のオーラがあり、一目で釘付けに。

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青空の下、ここでは紹介しきれないほどたくさんのクラフトが並びます。

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会場には厳選された飲食店のブースも並びます。南大阪を中心に、どこも関西では知る人ぞ知る人気店ばかり。その中でもいくつかのお店は朝から行列ができることもあるのだとか。また、音楽ライブやトークショーも行われ、クラフト以外でも楽しい時間を過ごせる工夫があちらこちらに。

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クラフトブームの、これから

「灯しびとの集い」を立ち上げた当初の志は今でも全く変わらないと語る実行委員会会長の辻野剛さん。この言葉の一方で「クラフトを “ブーム” にはしたくない」と言っていた辻野さんは、2015年の開催後にこう語っています。

この「流行」を皆さんはどんな風に捕らえますか? “本当にクラフトとして秀逸な生活の道具という作品を、人々の暮らしに滑り込ませる。” そんな狙いを持って始めた「灯しびとの集い」は、単純に手作りの物が市場に氾濫する様子に危惧を感じながら、クラフトフェアを開催してきました。しかし、実際にその現実が目前に広がり、多くの人がそれらに関わるようになりました。ところが、その事実は直面してみればそれほど怖いことではありませんでした。公園というバブリックな場所での開催は、作品(作家)と使い手の偶然の出会いを期待した故。本当に優れた物を紹介することで、目利きを育み、次代のクラフト振興や豊かな生活環境を牽引する目的を持って続けてきました。今実際に目前に起こっている現象は、人々に多様で豊かな「選択肢」が育ち、多くの人がそれを楽しめるという状況ではないでしょうか。

第7回 灯しびとの集いを終えて」より一部引用

目利きを育てること。実際に、8年間毎年ここで器を買うことが習慣になった人もいます。当たり前にクラフトが生活に溶け込み、百貨店やオンラインショッピングと同じように、選択肢のひとつとしてクラフトフェアがある。旅の行き先のひとつに工芸産地を選ぶことも、こうして当たり前になっていけたらと、身の引き締まる気持ちになりました。

灯しびとの集い公式ウェブサイト

文・写真:井上麻那巳

真っ黒で、美しい手。墨師の命を吹き込んだ「古梅園」の奈良墨

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
日ごと秋も深まり、肌寒い日が多くなってきました。私の住む奈良盆地は冬の時期、近畿の他の府県と比べて(おそらく)うんと底冷えします。寒いです。でも、そんな寒さがあってこそできるものづくりも、日本にはたくさんあります。
ここ奈良で寒期に行われる墨づくりは、10月中旬から翌年の春までがその季節。約440年の歴史を誇る奈良墨の老舗「古梅園」を訪ねました。

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暖簾をくぐると敷地が奥へと広く続きます。

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敷地の端から端まで敷かれた長いレールは、トロッコで墨を運ぶため。今も毎日使われています。

奈良で墨づくりが栄えたのは寺社のおかげ

日本へは飛鳥時代の610年、高句麗の僧である曇徴(どんちょう)が墨づくりを伝えたといわれています。仏教が盛んになった奈良時代には、たくさんの写経がなされ墨は貴重品に。寺社が多くあった奈良では、主に僧を中心に多くの墨が作り続けられたといいます。室町時代には一般庶民も墨を作って売るようになり、安土桃山時代の1577年に墨屋「古梅園」が創業。1739年には古梅園の6代目にあたる松井元泰氏が、長崎で清人と墨づくりの交流をしたことで、より一層品質のよい墨を作れるようになり、代々の墨師によってその技術が受け継がれてきたのだそうです。

——と、歴史の話をお聞きしている間にも、ふんわりと墨のよい香り。子どもの頃、書道教室で墨を黙々と磨っていた記憶がよみがえります。誰もが馴染みのあるこの墨の香りに誘われて、墨づくりの工程を見せていただきます。

煤を集めて、墨をつくる

墨の原料は、油煙や松煙という煤(すす)、練り合わせて固めるための膠(にかわ)、そして香料。墨づくりが寒い季節に行われるのは、膠を腐らせないようにするためだそう。油煙は上質な純植物性油を燃やして作り、松煙は生きた松の幹から出た脂(やに)を燃やして作ります。香料は竜脳を中心とした天然香料を使用。墨を磨るときに気持ちを引き締め、安らぎを与えるためだそう。

約450年前と変わらぬ姿の採煙蔵は、中に入ると真っ暗。四方の壁に油を燃やすための素焼きの皿と、取っ手のついた覆いがずらりと並び。皿の中で菜種油を燃やしています。この覆いについた煤を少しづつ少しづつ集めたものを、墨づくりに使用するのですって。

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1部屋に100個。職人さんは1人で2部屋、つまり200個の炎を同時に管理します。

煤が覆いにまんべんなくつくように、20分ごとに覆いを少しづつ回転させ、煤をていねいに掃き落として集めます。この炎は、い草で作った灯芯で灯明のように油を燃やしたもの。より細い灯芯で燃やすと炎も小さくなり、時間はかかれどキメの細かい粒子の煤が取れるのだそうです。
なんだか、気の遠くなるような作業ですね。

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灯芯を巻けるようになるのも、この採煙蔵を任される職人さんの仕事。

墨づくりの一部始終を描いた『古梅園墨談』

ここで突然ですが「古梅園」の6代目である松井元泰氏がまとめた『古梅園墨談』をご紹介。「どんなに言葉で説明するよりも、絵で墨づくりの道具や技法がわかる」と、この本の冒頭にあるとおり、こちらを見れば墨づくりの様子がわかる興味深い絵図です。煤を集める採煙蔵の作業はどこに描かれているでしょう。昔も今も、同じ道具。見比べてみてください。

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右が油煙である煤をとっているところ。左では墨を形づくっています。

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右が墨を灰の中で乾燥させているところ、左上は墨を吊るして乾燥、左下では灰を落として墨をきれいにしています。

つやつやの墨玉づくり

墨づくりの寒い季節、朝一番の作業は墨玉をつくること。
膠を湯煎で溶かし、煤と香料を混ぜ合わせます。これを幾度も幾度も練り合わせると、真っ黒で艶やかなお餅のようなものになります。これが墨玉です。
墨玉は、少し時間をおくと硬くなってしまうので、墨師が体重をかけて全身を使って練り直します。小出しにして少しづつ使うのですが、残りの墨玉は墨師の体の下に敷いて温めておくのだそう。まるで鶏が卵をあたためるみたいに、大切に守っているんですね。高級な原料を使うほど墨玉は固まりやすくなるため頻繁に練らなければいけませんが、これも質のよい墨を作るため。練るほどになめらかで光沢が出てくるのがわかります。

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職人さんの大きな足で、力強く練られます。

続いては「型入れ」の作業です。
木型は、硬くて歪みがこず長持ちする梨の木を使うのだそう。文字や模様は、この木型に細かく彫られています。

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上蓋・下蓋・ちぎり・胴でワンセットの木型。

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重さ15gの一丁型の墨を作るには、乾燥を考えて生の墨玉25gを天秤で計ります。

毎日かあさん、ときどき職人

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

自分が得意なことを活かして「工芸」を支える人を紹介する連載「毎日かあさん、ときどき職人」。お店で思わず手に取った素敵な商品は、元をたどっていくとどこかの屋根の下、一人のお母さんの手で作られているかもしれません。 どんな人がどんな思いで作っているのか?第一弾の「針子さん」に続いて、第二弾の今回は布や紙に色鮮やかな絵付けをするステンシルのお仕事、「染子(そめこ)さん」を訪ねました

「アトリエ」の看板のかかった扉をガラリと開けると、特大の絵が何枚も壁に立てかけられていて驚いた。部屋の中には背の低いテーブルが二つ並び、周囲を囲む棚には日本画用の画材が、床には子どもが作ったと思える工作作品がずらりと並んでいる。

「年に2回くらい、自分で作品を描いているんです。月3回はここで子どもに教えるお絵描き教室を開いてまして、そこに置いてあるのは子ども達の作品です」

控え目に話すのは京都在住の藤井里さん。18年前から、絵ハガキや部屋に飾るタペストリーに絵付けを施すステンシルの仕事に携わっている。普段仕事をしている現場でお話を伺いたい、とお願いすると、当日案内されたのはご自宅ではなく、お庭に独立して建つプレハブの部屋だった。

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ここでお絵描き教室や自身の創作活動、そしてステンシルの仕事をこなしている。看板の示す通りそこは確かに日々様々な作品が生み出されるアトリエだ。

「はじめは子ども部屋にしようと建てたら、『離れているから怖いし嫌や』と言って。じゃあお母さんが使おうかなって」

高校3年と中学3年の娘さん2人のお母さんでもある。大学で日本画を専攻。後輩を通じてこの仕事を知ったのが18年前、少し始めたところで上のお子さんを授かり、育児に専念するため数年を休んだ。子育ての落ち着いた2006年から再開。はじめは小さな絵はがきから次第に大きなタペストリーを任されるようになり、コンスタントに仕事を続けるうち、復帰からすでに10年がたった。

ステンシルとは、防水した紙などを切り抜いて型をつくり、その上から絵の具を塗りつける彩色手法のこと。この日は桃の節句を祝うお雛様のタペストリーを製作中。そのサイズ、大人の背丈ほどある。生成り色のまっさらな麻生地に、これから絵付けをしていこうというところだ。

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取材時に製作中だったお雛様のタペストリー。

では早速絵付けの様子を、とお願いすると、思いがけず生地を横に広げて自身はその真ん中あたりに座られた。てっきり書道のように生地を縦に置くかと思い込んでいたのでへぇ、と声をあげると、

「お雛さんの顔を描くときは縦でしますが、型があるものは基本横に置いてやっています」

と藤井さん。確かにこれなら生地を動かさずに絵付けでき、効率的だ。

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2の型からでいいですか、とずらりと藤井さんが取り出した型はなんと7枚。パーツや色ごとに型を変え、重ねて絵付けをしていくステンシルでは、図案が複雑なほど型の枚数が増す。番号の若い型から塗り進めていくと、1枚の絵が仕上がる、という具合だ。

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今回作るタペストリーの指示書。細かな指定がびっしりと書かれている。

だいたいこんな感じです、と見惚れている間に2の型の絵付けが1枚終わる。1の型はお雛様の顔や着物の白い部分の絵付け。2の型はそこに組み合わせる赤色の絵付けだ。ペリ、とめくると同行したメンバー全員からわぁ、と歓声が上がった。仲睦まじく並んだお雛様が、先ほどより立体的に浮かび上がっている。

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今回任されているタペストリーの枚数は30枚。×型7枚で、210枚分の絵付けをすると思うと気が遠くなりそうだが、ここにも安定して商品を仕上げる藤井さんのコツがある。

「1枚ずつ仕上げるのではなく、同じ型で30枚なら30枚、一気に進めます。絵の具が乾いたら次の型へ。集中してできれば、だいたい1型1日で終わるかな」

座り方といい絵付けの進め方といい、藤井さんのお話を伺っていると、常に「効率的」で「安定している」印象を受ける。「トントントントン」とスポンジを叩く音以外は静かな空間の中に、藤井さんの編み出してきた様々な仕事の型が存在している。

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さらに型が進んだ、桜のステンシル。ぼかしは高等テクニックだが、上の赤い絵の具がこんな柔らかいピンク色になるから不思議。

机の下にはカラフルに染まったスポンジが大小様々に瓶に入っている。側には絵の具、学生時代から使っているという絵の具用のお皿や、細かなところを手書きする細筆。絵の具に染まったアイスの棒まである。

「お雛さんのほっぺたをするときには、新しいスポンジでないと柔らかくならないんです」

図案によって様々な道具を使い分けていることが伺える。

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息を飲んで作業を見守っていると、どうぞとお茶菓子を進めてくれた。喜んでいただくと、勤めているお店の一押しなんです、とニッコリ。お勤めもされているのですか。

週2回ですし、と何気なく話されるが、家事、お母さん業(しかも受験生2人)、お絵描き教室の先生、ステンシルの仕事、お勤め…5つの仕事の掛け持ちということになる。あらゆることを同時並行で進めながら、どうやってここまできめ細かなものづくりを保っているのだろう。伺うと、

「こういうものって、お客さんも何気に買うんじゃなくて、うんと考えて買ってはるんじゃないかなと思うんです。自分が買うと思ったらやっぱり可愛い顔を選ぶし」

頭がさがるような気持ちになった。掛け持ちで大変ではないかと思ったが、だからこそ家でするこの仕事がいいらしい。

「外に行かなくても自分の時間でできて、子供が熱を出した時にも融通がきくので助かっています。主人や周りも、『いい仕事してるよね』と。外で働くのが好きな人もいはると思いますけど、私は中でする仕事があっているみたい。小さく音楽をかけながらステンシルをしている時は、至福ですよね」

そう話す口元が自然と緩む。

お子さんが小さい頃は珍しがって覗きに来ることもあった。
何て説明されたんですか、と伺うと、

「これはお母さんの仕事やから、見るだけな、って」

談笑しているとただいま、とアトリエの扉が開いた。すっかり大きくなった中学生の娘さんの顔が覗いた。外はいつの間にか暗くなり、そろそろ夕飯時。遅くまですいません、と頭をさげると、今日は鍋焼きうどんです、と笑う顔がお母さんになっていた。

文:尾島可奈子
写真:木村正史

11月11日、くつしたの日。良い原料と良い工場、奈良県がつくる日本一

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
日本では1年365日、毎日がいろいろな記念日として制定されています。国民の祝日や伝統的な年中行事、はたまた、お誕生日や結婚記念日などのパーソナルな記念日まで。数多ある記念日のなかで、こちらでは「もの」にまつわる記念日をご紹介していきたいと思います。
さて、きょうは何の日?

11月11日は、「くつしたの日」です

くつしたを2足並べたときの形が「11」に見えることから、1993年に日本靴下協会が制定した記念日「くつしたの日」。1年に1度「11」が重なる日であることから、ペアーズデイとも呼ばれ、恋人同士 (ペア) でくつしたを贈りあう日ともされています。

古くからの暦では、11月11日のように月と日が重なる日を「節句」とすることが多くありました。季節の折り目である節句にはお供えものをし、それをいただいて健康や息災を願ったもの。3月3日の雛あられや、5月5日の柏餅もこの習慣ですね。11月11日は、くつしたの節句と考えて、家族や大切な人にくつしたを贈ってみるのはいかがでしょうか。

ちなみに、日本でのくつした生産量1位を誇るのは奈良県。奈良県ではかつて慢性的な水不足により、米の生産量が少なかったそうで、それを補うために高品質な綿「大和木綿」を生産していました。その綿を利用した産業として、機織りや、くつした生産が盛んになったのだそうです。良い原料と良い工場が集まって作られている奈良県のくつした、おすすめします。

今日のみなさんの足元は、どんなくつしたをお召しですか?ずいぶん肌寒くなってきたこの頃、くつしたで暖かな冬をお迎えください。

<掲載商品>
飾れる靴下(2&9)
じょうぶなカシミヤ靴下(2&9)
あたたかいくつしたクルー(2&9)
あたたかいくつしたハイ(2&9)

文・写真:杉浦葉子

清流がつないできたもの。吉野の里山を漉き込んだ、手漉き和紙

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
日本で最も美しい村のひとつに認定されている、奈良県吉野郡吉野町。その吉野町で江戸時代から手漉き和紙の技術を代々受け継いできたという「福西和紙本舗」を訪ねました。

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吉野町は奈良県のほぼ中央に位置し、町の中心部を清流吉野川が流れる、水源豊かな里です。広く穏やかな吉野川を眺めながら、国道から逸れたのぼり坂道へ。どんどん細く、勾配が急になっていく坂道に少し不安になったころ、ようやく「福西和紙本舗」の看板が。工房の前には、まぶしいほど真っ白な板がずらり。手漉き和紙の天日干しです。

お話をお伺いしたのは、福西家6代目の福西正行さん。奈良県伝統工芸士に認定された手漉き和紙職人であり、「表具用手漉和紙 (宇陀紙) 製作」選定保存技術保持者です。宇陀紙とは、文化財の修復紙としても使用される質の良い和紙で、現在では日本だけでなく世界の文化財修復にも使われているといいます。

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軒先には「吉野で古くから紙を漉いている家」という意味の額。薬師寺の管主であった高田好胤氏によるもの。

吉野の地では、かつて200軒以上もの家が紙漉きの仕事に携わっていましたが、今では数軒を数えるのみ。和紙に文字を書くことが減り、需要がなくなってしまったという時代の変化もありますが、紙漉きを離れた家の多くは、林業が盛んな時代に、吉野山の間伐材を使った割り箸の加工業へと転向したのだといいます。「うちは、4代目にあたるおじいさんが頑なに紙漉きを続けようとしたんや。だからこそ、今がある。それは感謝してもしきれへんよ。」と、正行さん。お父さんである5代目の弘行さんに弟子入りして33年。「小さい頃から仕事は見ていたけど、材料の調合も時間も、数字なんてない。教えてくれるものではないから、経験と感覚で覚えていく感じやったな。」2年前に弘行さんが他界され、正行さんへと代がわりをしました。

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果てしなく手間ひまのかかる下準備
ひとことに紙漉きといえど、福西和紙本舗では紙の原料になる楮(こうぞ)を吉野のこの地で育てるというところからはじまります。
大きいものでは3mにもなるという楮。何度も芽かきや草刈りをし、秋に葉が落ちた楮を年明け早々に刈り取ります。お正月休みは返上。楮の原木を4時間蒸し、剥いだ樹皮である黒楮(くろそ)から、さらに黒い皮を丁寧に削り取ったものが白楮(しろそ)。この白楮を晴天の日に、凍てつく吉野川の水に浸けてさらすのだといいます。さらに、繊維を緊密にするために2年もの間、天日で干して貯蔵。白楮の傷の部分を取り除いた後、大きな釜の木灰汁で楮煮きをします。楮煮きをしたものは、紙素(かみそ)。水洗いして灰汁を洗い出した後、さらに細かな塵を取り除きます。
————と、ここまででもかなりの時間と手間。「この、原料の準備がとても大変な作業。でもここを手抜きしたら、質の良い紙にはならへんよ」と、正行さん。

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紙漉きをする日には毎朝行われるという作業、紙素打ちを見せていただきました。代々使われてきた広く大きな御影石の上で、樫の棒で紙素を手打ちします。タンタンッ、タンタンッ…リズミカルに、力強く。「寒い季節は、これで身体がぬくもるねん。夏は、さすがに暑いわ。」叩けば叩くほど、楮の繊維が細かくなって絡み合い、強い和紙になるのだそう。

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石の台はずっと使っていけるが、樫の棒はやはり減っていくのでいずれ交換が必要。

「紙漉きに一番大事なのは、水。吉野山の澄んだ水。」
ようやく、紙漉きの作業です。山からひいた軟水を水槽になみなみと張り、そこにやっと準備ができた楮の紙素と、白土、ノリウツギの樹皮を細かく削いだ糊を入れ、ムラのないようによく混ぜます。白土を入れることで紙漉きの技術としては高度になるものの、湿気を吸収して紙の収縮を防いでくれるのだといいます。また、虫が喰わない良い紙になるのだそう。

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まるで生きているように、とろりとまろやかな水。「常に動いてる水を使わんといかん。寒くなるほど、いい紙ができる。水温が低いと紙がキュッとしまって、糊がよく合うんよ。」文化財の修復に使う上質な紙は特に、寒い冬場にしか漉かないのだそう。この地が紙漉きの産地として根づいたのは、吉野の風土が生み出した、澄みきった水があったからこそです。

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漉きあげた紙を重ねるとき、一枚一枚の間に糸をはさむことで後からはがしやすくなる。

漉いた紙は、1日重りをのせて水分を押し出した後、天日干しで干されます。馬の白いたてがみで作られた刷毛を使い、松の木の干し板に撫でつけながら貼るという丁寧な作業。正行さんの奥さん、初美さんは、福西家にお嫁に来てから先代の弘行さんに毎日和紙のことを教わり、今では伝統工芸士に。「お義父さんが優しかったので、大事にしてもらえると思ってここにお嫁に来たんです(笑)。話好きのお義父さんは、お客さんが来たらずっとよもやま話をしているような人でした。私もそれを聞きながら、紙のことを勉強したんですよ」。

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湿気のある、ほどよい状態で板に貼らないと、はがれて飛んでしまう。季節によっても水分の含み具合が変わるので、使う刷毛の柔らかさを変えながら、微妙な水分調節をしているのだそう。1枚の重さが約10キログラムにもなる板を両手に抱えて運ぶ重労働も、初美さんにとっては日々の生活の一部。

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乾いた紙に傷がないか、一枚一枚丁寧に選別作業。

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吉野の草木で染めた和紙、「色宇陀」。サクラ、サカキの実、ヨモギ、ネム、アケビ、藍。
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杉皮と楮で作られた「杉皮和紙」。壁紙などインテリア関係によく使用されるそう。
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出荷の際は、福寅の屋号と、三代にわたり重要無形文化財に認定されているという印を添えて。黒いままの楮をすき込んだ「あて紙」で包みます。

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いい仕事ができるのは、いい道具があってこそ。
紙漉きに使う簀(す)。漉く紙が薄いほど、簀も繊細なものを使います。一般的には竹ひごのものが主流ですが、こちらでは特別に作られた茅(かや)素材。今では、この道具を作ることができる人も少なくなってとても貴重なのだそう。さまざまな道具が、伝統の技を支えています。

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楮を入れる竹籠。籠の作り手も、昔は近所にたくさんいらっしゃったそう。

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紙の耳を切り揃えるための大きな鋏。これも貴重な特注品。
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馬のたてがみで作られた刷毛は、硬さ違い。紙の水分量で使い分けます。
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紙を干す際に使う松板は、江戸時代から何度も修理しながら使っている。もう松ヤニも出ない。

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「伝統の技は、つづけて、つたえて、つなげなくては。」
正行さんは、先代の弘行さんが遺したこの言葉を大切にしているといいます。「伝統の技は、つづけて、つたえて、つなげなくてはあかん」。手漉き和紙の技が他の伝統を支え、他の伝統の技が手漉き和紙を支えている。ひとつの技が消えると、複数の技が消える。だから、途切れさせてはいけないし、次の世代の為にも続けなければならないということ。吉野和紙がなければ、おそらく文化財の修復もできなくなってしまう。そして、道具を作る人が居なくなれば紙漉きさえもできなくなってしまう。すべては、つながっているのだということです。
正行さんの娘さんは「早く紙漉きをしたい」と跡を継ぐ意志があるのだそう。「まだ外で働いてたらええねん」。とぶっきらぼうに言いつつも、「つながる」可能性に、どこか嬉しそうな正行さんでした。
山の恵みがもたらした、吉野手漉き和紙。工芸が育った背景には、その産地の風土が色濃く映し出されています。福西和紙本舗の漉く和紙には、吉野の里山が漉き込まれているようでした。

福西和紙本舗
奈良県吉野郡吉野町窪垣内218-1
0746-36-6513
http://fukunishiwashihonpo.com

文:杉浦葉子
写真:木村正史